7 緊急・非常事態法制

 日本国憲法には、緊急事態あるいは非常事態を想定し対処する規定が設けられていないが、新たに憲法上明記するか否かについては意見が分かれた。憲法に緊急・非常事態に対する何らの措置をも予定しない国は、一見、立憲主義に忠実であるかのように見えるが、実は危機的状況において憲法の精神が踏みにじられる危険性をはらむものであるとして、ドイツのように根拠規定を置くことが必要とする意見がある。これに対して、現行の憲法は明治憲法の非常大権等とその運用実例に対する歴史的反省に立って制定されたものであり、むしろこのような規定を置かないという決断がなされたと解すべきとの意見も出されている。

 さらに、緊急・非常事態に関する規定を憲法に置くことは基本的人権との関係で難しいため、憲法は現状のままとして、緊急・非常事態に対処する基本法を制定し、ここに国民保護法的なものも織り込んで対処する方がよいとの意見がある。

憲法に規定を置くことの是非

 立憲主義の秩序の中で緊急事態等に対処できるように、憲法に規定を置くかどうかをめぐって議論が行われたが、本憲法調査会における意見は分かれた。

憲法に規定を置くことに積極的な意見
  • 党の論点整理(平成16年)は、非常事態全般、すなわち有事、テロ、大規模な暴動などの治安的緊急事態、自然災害の場合に関する規定を置くべきとの意見が出たとしている(自由民主党)、
  • 憲法制定時は占領下で緊急事態を想定する必要がなかったこと、ドイツでは戦後十数年たって緊急事態の規定を設ける憲法改正を行ったこと等にかんがみれば、憲法上、緊急権や緊急事態に関する規定がないのは、憲法の欠缺である、
  • 近代国家の果たすべき最低限の義務は国民の生命・財産を守ることだが、日本国憲法は事実上これを放てきし、国家としての脅威や非常時の備えを想定することも否定した、
  • 緊急事態が予測されるような状態においては、国として、内閣の緊急命令、緊急財政処分、立法緊急宣言などの諸制度が必要と考えるが、憲法上は、参議院の緊急集会の規定があるにとどまるので、その根拠を憲法に明確に規定すべき、
  • 国家非常事態の宣言及び国家緊急権の行使は国会の民主的統制下に置くことを憲法上明記しておく必要がある、

などの意見が出された。

憲法に規定を置くことに消極的な意見
  • 緊急事態は突然起こるものではなく、危機回避の平和外交こそ必要ではないか。予防外交、信頼醸成、多国間協議等の非軍事の力を日本の法体制の中でシステム化していくということが大事、
  • 緊急事態法制がないという憲法の沈黙は、法の欠陥ではなく、平和主義と積極的にリンクしていくとの意見は示唆に富むもの、
  • 緊急事態については、ぎりぎりの段階まで法規にのっとった形で対応すべきと考えるが、憲法に明文の国家緊急権規定を入れることは、ある意味ぎりぎりの努力の部分を放棄してしまうことにつながるのではないか、

などの意見が出された。

 また、これに関連して、

  • 緊急事態を起こさせない外交努力等は非常に重要だが、まず日本が過去の戦争に対する反省の気持ちをしっかりと表明することが、アジアにおける日本の地位を高め、これが大きな安全保障の一つとなる、

などの意見が出された。

緊急・非常事態の対象

 緊急・非常事態とは、具体的にはどのような事態かが問題となった。同じく危機的な状況であっても、武力が行使される事態なのか、大規模災害や原子力事故のような非軍事的なものも入るのか、危機の態様を整理して、議論すべきとの意見があり、これに関連して、議論が行われた。

  • 緊急事態に関し、憲法上どこまで許され、どこまで禁止されているのか様々な事態を想定しながら詰めるべき、
  • 国家非常事態を認定する基準を法上明確にしておく必要がある、
  • 東京に直下型地震が起きた場合の対応などが不明であり、危機管理について憲法上の言及が必要、

などの意見が出された。

緊急・非常事態への対処

 緊急・非常事態への対処方法についてどのような形で明記するか、また、国民の人権の確保及び救済をどのように実現するかなどについて、議論が行われた。

  • (1) 首相が権限を行使する場合、国会との関係でどのようなチェックの仕組みが必要か、(2) 公共の福祉による人権の制約がどこまで許されるか、それで十分か、(3) 地方自治の制約はどこまで許されるか、制約について憲法に根拠を求めなくてよいか等について検討すべき、
  • 非常時にあっても憲法の機能を維持するため、首相が行使できる権限及び期限を明確にして緊急権行使を決めた上、それに対する国会による民主的統制の仕組みについても今後検討していくべき、
  • 国家緊急権の行使の態様及び範囲を法上明確にし、また、国家非常事態における自衛隊の行動の政治的中立性の堅持について憲法上明確にしておく必要がある、

などの意見が出された。

 また、国民の人権確保と救済をどのようにするかについて、

  • 緊急事態が生じたときに公共の福祉を拡大的に解釈することは危険であり、非常措置を必要最小限にとどめ、その濫用を防止するためにも、憲法に明確な規定を設ける方がベター、
  • 国家国民の存亡にかかわるような緊急・非常事態に関する法律をあらかじめ整備しておかないと、基本的人権を結果的には損なう危険が大きいので、緊急・非常事態において基本的人権を必要最小限法律により制約できるとの規定を憲法上設けておくべき、
  • 補償により救済できる人権とそうでない人権があり、特に、精神的な自由にかかわる人権は別な考え方を取る必要がある、

などの意見が出された。

 また、その対処体制について、

  • 日本の一番の問題は官僚制の縦割り、縄張争いであり、危機管理についても、それを統合する常駐の機関を設けることが必要、

などの意見が出された。

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