4 精神的自由権(表現の自由、政教分離など)

 日本国憲法が保障する基本的人権は、その内容から、国家の権力的介入を排除し個人の自由を確保する「自由権」、国政への参加を保障し自由権の確保に資する「参政権」、主として社会・経済的弱者が「人間に値する生活」を営むことができるよう国家に積極的な配慮を求める「社会権」に分けられる。このうち、自由権は、その内容から精神的自由権、経済的自由権及び人身の自由に分類され、精神的自由権には、21条の定める表現の自由、20条の定める信教の自由、政教分離等の規定が含まれる。

 精神的自由権は、個人の尊厳のみならず民主主義を守る上でも不可欠な自由であり、フランス人権宣言以降の近代憲法の人権カタログの中でも、中核的な位置を占めてきた。日本国憲法も精神的自由については詳細な規定を置いているが、特に、表現の自由や政教分離は、一層の発展が求められる領域と言われている。

表現の自由

 表現の自由は、思想・情報を発表し伝達する自由であり、民主主義のプロセスを機能させるために不可欠であるとともに、極めて政治的な性格の強い自由である。政治に大きな影響を与えるとともに、政治的な圧力にさらされやすく、また、個人の自己実現を図る側面もあるという特色がある。したがって、表現の自由は、民主主義を維持し発展させると同時に、個性の尊重・発揮と連動して社会に自由な空気を生み出し、社会の活力や創造力を生み出すものであると言われる。

 しかしながら、今日、メディアやインターネット等IT技術の発展は、個人情報の流出、犯罪利用等の新たな問題を生み出している。そこで、主に、人権救済、プライバシー保護、青少年保護などのためのメディア規制やインターネット等における有害情報規制の在り方が議論の対象となった。本憲法調査会では、メディアやIT技術の発達に即した規制の在り方については、意見が分かれた。

 まず、こうした問題の所在について、

  • 党の憲法調査会中間報告(平成16年)は、巨大マスメディア、インターネットなどの新しい媒体により表現の自由との新たな問題が出ているので、これについての憲法上の考え方をきちんとしておくべきとしている(民主党)、
  • 表現の自由は重要であるが、現代において、個人の名誉、プライバシーの侵害や、青少年の健全な育成に悪影響を及ぼすような情報のはんらんといった問題が出てきている、

などの意見が出された。さらに、こうした問題に対処するための表現の自由の保障の在り方について、

新たな規制を考えるべきとの意見
  • ネット上の人権侵害は、情報の広まるスピードも速く、技術の進歩も速いため、裁判による救済では間に合わないので、法律である程度事前の規制をする必要があるのではないか、
  • 表現の自由に関し、自主規制は重要だが、最終的には手続的に慎重で利益衡量のできる司法的救済が重要となる。ただし、自費で時間がかかるという困難を強要する形となるため、損害賠償の理論を超えた賠償額の高額化を考えてもよいのではないか、
  • 表現の自由について、フィンランド憲法のように、青少年保護を明記して規制するか否かという問題がある、

などの意見が出された。また、

  • 党の新憲法起草小委員会の検討(平成17年)においては、有害図書については、公の秩序に照らして制限され得ることを追加するとしている(自由民主党)、

などの意見も出された。

 一方、

規制には慎重であるべきとの意見
  • 表現の過誤は基本的には制限されるべきでなく、思想の自由市場により淘汰されるべきものであるが、マスメディアがプライバシー権を侵害する可能性もあり、高度情報化時代を迎え、インターネットなど新しい媒体における表現の自由をどのように保護し、規定するかが重要になっている(民主党)、

との意見もあった。

 なお、表現の類型に応じて規制を考えるべきとして、

  • 表現には、国民の政治的意思決定に関与するような言論活動のほか、自分を主張するなど個人の言論活動やコマーシャリゼーションのようなものもあり、カテゴリーに分けて議論をすることが必要ではないか、

などの意見も出された。

報道の自由との関係

 報道の自由は、国民の知る権利に奉仕し、また、国民の国政参加の実効性をあげるためにも不可欠の自由である。しかし、近時では、報道の行き過ぎによりプライバシーが侵害されるなどの問題面が認識されるようになった。

 本憲法調査会では、他の人権との調整を念頭に、報道の自由の在り方について、

  • 党の憲法調査会報告(平成14年)は、マスメディアによる人権侵害に対し、マスメディアによる自主的取組としてプレスオンブズパーソンの設置などを提起している(民主党)、
  • 報道の自由と名誉・プライバシーの侵害、情報の利用とプライバシーの侵害、知る権利と国家機密の保持など、相反するもののバランスをだれがどのような手法でどの程度取るかという点が国民の英知の結集するところであり、政治の判断するところである、
  • BRC/O(放送と人権等権利に関する委員会/機構)は、人権救済機能を更に果たし、裁判より簡易な手続という部分も大いに発揮してほしい、

などの意見が出された。

 また、報道機関による自主規制について、積極的に評価する立場から、

  • 表現の自由が個人のプライバシーや放送の規律と衝突する場合、自主規制によることが重要であり、政府機関にゆだねるとどちらか一方に軍配を上げることになる、

などの意見が出される一方、消極的に評価する立場からは、

  • メディアの自主規制は、成功例を余り聞かない。仲間をかばうための隠れみのと言われないような第三者の介入や公開があれば、もう少し進むのではないか、
  • 日弁連は報道による人権侵害について、社内オンブズマンや報道評議会などの自主的規制を打ち出しているが、被害の現状からすれば、早期の弁護士への相談、訴訟の提起とそのための環境整備が本筋ではないか、

などの意見が出された。

政教分離

 戦前の経験から、日本国憲法は明確な政教分離を定め、第20条第1項後段及び第3項で、宗教団体が国から特権を受けることを禁止し、国家の宗教的中立性を規定した。しかし、国家と宗教との分離の度合いをいかに解するか、日本の歴史や伝統、文化との関係から、意見が分かれている。

 まず、この問題について、分離の在り方・判断基準を見直すべきとして、

  • 党の論点整理(平成16年)は、政教分離の規定を日本の歴史と伝統を踏まえたものにすべきとの意見が出たとしている(自由民主党)、
  • 党の憲法調査会中間報告(平成16年)は、国家と宗教との厳格な分離を基本理念としながら、許容される限度について憲法上の判断基準を明らかにしておいた方がよいとしている(民主党)、

などの問題提起がされた。

 特に伝統・文化等に属する場面での分離の度合いを緩和すべきとして、

政教分離を緩和すべきとの意見
  • 党の新憲法起草小委員会の検討(平成17年)においては、政教分離原則は維持すべきだが、一定の宗教的活動に国や地方自治体が参加することは、社会的儀礼や習俗的・文化的行事の範囲内であれば許容されるとしている(自由民主党)、
  • 伝統・文化は宗教との絡みが多いが、20条をいかすのであれば、2項・3項の後に国民共通の伝統・文化・風習を否定するものではないとの趣旨を入れることも必要ではないか、
  • 特に神道絡みで、非常に習俗的な側面が強いものについては、89条の規定を外すことを考えてもよいのではないか、

などの意見が出される一方、

政教分離は厳格に運用すべきとの意見
  • 天皇の権威が祭祀に基づくことは歴史的事実であろうが、今日的には祭祀は私的なものと見るべき。国の予算を使用していたとしても、天皇家自身の祭祀と見るべきであり、それ以上に国家的・社会的な力を持つことは、政教分離の原則に反する(公明党)、
  • 20条は戦前の国家体制に対する反省から生まれており、首相の靖国参拝のように神社神道と国家との結びつきが顕著である以上、20条の重要性は否定できない、
  • 89条を宗教面から見ると、前段は、戦前に陸軍と海軍が靖国神社の予算を支出し管理していた事実と無関係ではない。きな臭い昔を思い出す動きが高まっているとき、この問題は無視できない、

などの意見が出された。

 また、靖国問題について、

  • 党の憲法調査会中間報告(平成16年)は、靖国神社参拝問題がこれからのアジア関係や日本の外交戦略の大きなネックになっているので、それを解決する意味でも新しい国家追悼施設を建設・整備すべきとしている(民主党)、

などの意見が出された。

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