第147回国会 参議院憲法調査会 第3号


平成十二年三月三日(金曜日)
   午前十時四分開会
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   委員の異動
 三月一日
    辞任         補欠選任
     大脇 雅子君     田  英夫君
 三月二日
    辞任         補欠選任
     阿南 一成君     森田 次夫君
     直嶋 正行君     藤井 俊男君
     田  英夫君     大脇 雅子君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         村上 正邦君
    幹 事
                久世 公堯君
                小山 孝雄君
                鴻池 祥肇君
                武見 敬三君
                江田 五月君
                吉田 之久君
                白浜 一良君
                小泉 親司君
                大脇 雅子君
                扇  千景君
    委 員
                岩井 國臣君
                岩城 光英君
                海老原義彦君
                片山虎之助君
                亀谷 博昭君
                木村  仁君
                北岡 秀二君
                陣内 孝雄君
                世耕 弘成君
                谷川 秀善君
                中島 眞人君
                野間  赳君
                服部三男雄君
                松田 岩夫君
                森田 次夫君
                浅尾慶一郎君
                石田 美栄君
                北澤 俊美君
                笹野 貞子君
                高嶋 良充君
                角田 義一君
                藤井 俊男君
                簗瀬  進君
                魚住裕一郎君
                大森 礼子君
                高野 博師君
                橋本  敦君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                福島 瑞穂君
                平野 貞夫君
                椎名 素夫君
                水野 誠一君
                佐藤 道夫君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       大島 稔彦君
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  本日の会議に付した案件
○幹事補欠選任の件
○日本国憲法に関する調査
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○会長(村上正邦君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 幹事の補欠選任についてお諮りいたします。
 委員の異動に伴い現在幹事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。
 幹事の選任につきましては、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(村上正邦君) 御異議ないと認めます。
 それでは、幹事に大脇雅子君を指名いたします。
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○会長(村上正邦君) 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 前回、二月十六日の調査会では、今後の本調査会の進め方や憲法をめぐる諸問題について委員の皆様から貴重な御意見を拝聴いたしました。
 その中で、今後の本調査会の進め方としては、二十一世紀の日本の国のあり方をどう考えるのか、憲法と現実の間にどのような乖離があるのかといった幾つかの視点が提起されました。また、具体的なテーマとして、憲法の制定過程、第九条や安全保障の問題、平等原則、環境権を初めとする基本的人権の問題、教育の問題、二院制や地方自治の問題などさまざまな御提案がありました。
 本日は、このような前回の論議を踏まえ、これまでに出された意見に対する質問、反論など皆様の忌憚のない活発な熱のこもった論議を会長として心から御期待を申し上げ、今後の調査会の方向性を見出していきたいと存じます。
 本日の進め方といたしましては、まず各会派から一名ずつ御意見をお述べいただいた後、委員相互間で自由に、あなたのこのような発言についておれはこう考えるがどうだと、ひとつ大いに議員間の論議をいただきたいと存じます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、御意見のある方は順次御発言を願います。鴻池祥肇幹事。
○鴻池祥肇君 発言の機会をいただきましてありがとうございます。自由民主党の鴻池祥肇でございます。
 二月十六日のこの調査会におきまして、我が党からそれぞれ意見が出されました。ほぼ同じような私も意見でございまして、特に参議院は一致団結した自由民主党でございますので、重ねての発言になるかもしれませんがお許しをいただきたいと思います。五点に絞って発言をさせていただきたいと思います。
 まず、この憲法が施行されてより約半世紀という節目というものを重点的に考えなければならない。これは憲法がつくり上げてきた戦後憲法体制というものをトータルに振り返る絶好のポイントであると思います。どこでありましても五十周年というものが節目でありますように、憲法もやはり五十年は総括のポイントであると思います。制定過程の検証も大変大事なことだと思います。これは白浜委員よりの御発言にもございました。
 冷戦も終わりました。そして、かつての連合国が掲げておりました正義あるいは文明という大義名分というものも色あせてきた現状ではないかと思います。いわゆる連合国は正義であった、日本は悪であった、こういう単純な図式から、自由な歴史的な検証が今行われていいときであると思います。
 重ねて申し上げれば、戦前が悪であった、戦後がイコール善であるという一方的な前提、観点にとらわれない問題の分析が必要ではなかろうかと思います。
 二点目には、国民世論の進み方というものを基本に考えなければならないと思います。
 世論調査によれば、国民の改憲志向というのは大変多くなってきております。この世論を無視できないと私は考えます。改憲の発議権は国会にしか与えられておりません。その国会が国民世論を無視してサボタージュすれば、国民はその重大な国政参加の機会の一つである国民投票にすらたどり着けない。これは国民の権利を絵にかいたもちにするものであると思います。国会議員は国民の負託を受けているという立場を忘れるべきではないと思います。
 もちろん調査会は改憲案をつくるためのものではないということも承知をいたしております。しかし、調査の結果、憲法に問題があるという結論になったら速やかに改憲作業に入るべきであります。立法府の調査にはおのずとそれなりの特色がある。それはあくまでも立法を前提にした調査だということであります。また、それゆえに、調査には政治の時宜に応じためり張りといったものがあっていいのではないか。先日の御議論の中にも、ただ五年間というのではなく、議員の任期、政治状況などを勘案しつつ中間報告というものも必要ではないかという意見が出ておりましたけれども、私はこれについて賛成でございます。
 三点目には、憲法三原則についてであります。
 これを強調するのは自由ではございますけれども、余りにも漠然とした議論ではなかろうかと思います。例えば、平和主義と言いますが、そこには自衛隊の存在はどう位置づけられるのか。国民主権と言いますが、それは天皇の存在を根本的に容認してのものなのか。人権と言いますけれども、それは国家の存立、公共の福祉という問題といかなる関係に立つのか。各政党、論者によってはそれぞれの解釈が異なるものと思われますけれども、そうしたあいまいな状態を明確化すること、むしろこの点を明確にするためにまず三原則こそ調査のテーマにすべきではないかと思っております。
 四番目に、憲法と現実の乖離という問題について申し上げたいと思います。
 今日我々が直面している現実の問題は、悠長な議論をいつまでも待っているような問題もあります。少なくとも立法府としては即刻結論を出さなければならない問題もございます。その意味で、そうした議論には緊急性にふさわしい一定の優先度が与えられるべきではなかろうかと思います。
 私は、以下、そうした観点から緊急度が高いと考えられるテーマについて申し上げたいと思います。
 一つ、我が国の安全保障と憲法の問題、二つ、自由、人権の問題と国民の価値観の混乱の問題、三つ目、今日の状況に有効に対応し得ない政治システムの問題。
 最後に、何を守るかという問題について申し上げたいと思います。
 先ほど申し上げた憲法三原則を守るというのも一つの立場でもあろうかと思いますけれども、我が国の歴史、伝統は守らなくていいのでしょうか。二十一世紀は国民のアイデンティティーが問われる世紀になると言われておりますけれども、この憲法は余りにもこの問題に無理解ではなかろうかと思います。二十一世紀の国の形を論ずる、これは大変大事なことであると思いますけれども、それは空中に楼閣を築くようなものであってはならないと思います。歴史、伝統の護持、継承を離れてそれは成らないということもあわせて強く申し上げておきたいと思います。
 以上でございます。
○会長(村上正邦君) 石田美栄委員。
○石田美栄君 民主党・新緑風会、石田美栄でございます。
 憲法制定後五十四年間の間に何回かの、多分四回大きな憲法議論の波があったと思います。その中で、今回のこの波は、相当長い間を経て憲法議論、憲法を見直してみることへの国民一般の大方の理解が進んできた結果だろうというふうに考えます。
 前回の一九五七年から一九六四年の間、七年かけての憲法調査会は、設置形態も今回のとは異なり、結果としては研究会報告となったようであります。しかし、今回の立法府に憲法調査会が設置されたことの意味は非常に重大だと思います。ですから、おのずとある方向性があり、この調査会は大変責任あるものと考えます。
 戦後、日本の平和と繁栄をもたらした日本国憲法については、私は大方の人が評価していると思います。とりわけ女性にとっては、性別によって差別されないの一言が女性の地位向上にどのように効力を発揮してきたかということは、本当に私自身もありがたいと思ってまいりました。
 しかし、五十年以上を経た今、大きな時代の変化もあって、憲法の大部分の普遍的なもの、理想とすべきことと相まって、現実との乖離を感じざるを得ませんし、現実に十分に対応するには欠けているところもあるということも否めない現実だと考えます。またさらに、二十一世紀のこの国の形、日本の将来展望をもしっかりと踏まえた上でその礎である国の憲法をこの際見直してみるということは非常に重要なことであります。
 憲法議論は絶えずありましたし、今論点は出尽くしているのかもしれませんが、この二〇〇〇年という節目の年に始まって、だれもが国の将来に幾ばくかのあるいは大いに不安を抱いている国が曲がり角にあるとき、国会の中に公式の場、この憲法調査会の場で、この際できる限り多くの一般国民と総結集の議論を共有することに努めて、国民の理解と関心、関与を深めていくことが非常に重要であると考えます。
 したがって、この調査会は、ある程度しかるべき経過、時間が必要であろうと思われます。しかし、過去にもう既に多大の実績がありますので、それを踏まえて効率的にやるべき部分と、時間をかけてしっかりと議論しなければならない部分を見きわめて進めていくべきだというふうに考えます。
 非常に何といいますか全体を網羅したようなまとめのような意見でございますが、以上でございます。
○会長(村上正邦君) 白浜一良幹事。
○白浜一良君 前回の本調査会で、私ども基本的な考えは述べました。現憲法の三原則、普遍的原理であるということと、憲法九条を堅持するということ、その上で幅広く憲法を論じていこうと、こういう基本的立場を述べたわけでございますが、前回の総括的な皆様方の御意見を伺いましてちょっと所感を三点にわたって述べたいと、このように思います。
 一つは、現憲法の制定過程、GHQが大きな影響を持ったというのは、これは事実だろうと思います。しかし、その過程があるから自主憲法というのは私は間違いだと思います。少なくとも、戦後五十年、この憲法が現実社会の中で生き続けたわけでございます。特に九条に関して申し上げましたら、さきの大戦の反省といいますか、二度と戦争というのはあってほしくないという、そういう国民感情が強くあったのはこれは間違いない事実でございまして、ですから、制定過程に問題があるから自主憲法と、こういう拙速な議論は私は余り正確じゃない、このように思うわけでございます。
 二点目に申し上げたいことは、とはいえ、戦後五十数年たちまして時代も大きく変わりました。いわゆる現憲法には明確に規定されていない新しい理念もあるのは事実でございます。たびたび皆様方から御発言されたような、例えば環境権であるとかプライバシー権であるとか、そういう新しい理念が必要だということもございますし、また二十一世紀のいわゆる国際社会における新しい日本のあり方という観点でいえば、現憲法のままでいいのかというそういう議論も当然でございまして、私は、そういう意味では幅広く憲法を議論していく、そういう時期ではないか、このようにも考えているわけでございます。
 それから、三点目に申し上げたいことは、これは拙速であってはならないということでございまして、国の形と憲法は一体であるという、こういう観点から申し上げますと、やはり世論の支持がなければ憲法を論ずることはできないわけでございまして、その意味では、本調査会が会長のもとで国民とともに憲法を論じていこうという、そういう方向性を示されたことを私は正しいと思いますし、各界各層の意見交換の中でどのように国民に支持が広がっていくか、世論形成がなされていくかというそこが一番大事であって、拙速であってはならない。
 前回の議論を通しまして要約的にこの三点を申し上げておきたい、このように思います。
○会長(村上正邦君) 小泉親司幹事。
○小泉親司君 憲法調査会の運営について、前回に引き続きまして発言をさせていただきます。
 まず、調査の進め方の問題ですが、先日の憲法調査会で、調査期間について、議員の任期を理由に五年先のことについては責任持てないというような発言がありました。期限を切った審議期間の発言でありました。しかし、この調査会は、憲法の広範かつ総合的な調査を行ってその結果を議長に報告するという任務でありますから、議員の任期を理由に期限を決めて調査を行うという性格のものではないというふうに思います。調査会規程では報告書の提出に期限を付していないというのはこの理由からだというふうに思います。
 また、改憲、論憲、護憲というそれぞれの立場が報道されておりますけれども、私、それぞれの立場はともかく、この調査会はあくまでも憲法の広範かつ総合的な調査を行う機関だということをきちんと明確にすることが必要だということを申し上げておきたいというふうに思います。
 次に、何を調査するかの問題ですが、私は、調査会が、憲法の広範かつ総合的な調査という趣旨から、憲法の基本原則について議員間の活発な討論を行って、調査会として主体的に何を調査すべきであるのか、その点をまず優先して明確にすべきだというふうに思います。
 私たちの基本的態度はさきの調査会で橋本委員が明確にしておりますけれども、さきの調査会での他の委員の発言でも、そして現在の当調査会の発言でも、国民主権、恒久平和主義、基本的人権などのいわゆる基本的な憲法の原則について広く学識経験者などから意見を聴取する必要があるのではないかという発言がありました。
 憲法九条を中心とする恒久平和主義は、世界でも冠たるもので、これを国際的に広く明らかにする必要があると思います。基本的人権の問題についても、フランス革命の人権宣言に明記されたようないわゆる市民的、政治的権利だけではなくて、社会的な権利、経済的な権利も基本的人権の内容として大変詳細にうたわれているのが現憲法の特徴であるというふうに思います。こういう実態をそれぞれ広範かつ総合的に調査することが基本的な憲法調査会の大事な仕事であるというふうに思います。
 国民とともに議論するということで、各界各層から意見を聞いたらどうかというようなことが具体化されようとしておりますけれども、私はこれについて、一体調査会が何を調査するのか明確にしないまま意見を聞くのは時期尚早だというふうに考えております。
 次に、制定過程の問題についてでありますが、さきの調査会で、現憲法は占領中の国の主権がない時代あるいは大幅に制限されている時期に国際法に違反して制定されたものだという発言がありました。憲法を調査する機関で、現憲法が占領下の日本で結ばれたことを理由にして国際法違反だということを断じることは、憲法は無効と言うのに等しいもので、その憲法を調査するというのは明らかに矛盾した議論に帰結するものだというふうに思います。
 これらの議論は学界でも今日認められていませんし、この意図は調査会を改憲論の足がかりにする議論と言わざるを得ない。それどころか、現憲法は軍国主義とファシズムを打ち破った世界の平和的、民主的な世論と日本国民の平和志向を反映したものであって、進歩的なものだというふうに思います。
 しかも、日本はポツダム宣言を受け入れて降伏して、そこに明記された原則を実行する国際的責務を負ったということでありまして、この種の議論から見て、国際法とはヘーグ陸戦条約を指しているというふうに考えておりますけれども、そこに明記された占領中というのは、交戦中の占領下と解すべきであることは既に通説であります。
 私は、制定過程の問題について調査という場合、検証するべき事実として、改憲論がどこから始まったのか、その源流に迫る歴史的調査もあわせて提起したいというふうに思います。
 私は、アメリカのロイヤル陸軍長官が当時の国防長官に対して憲法施行の翌年の四八年に報告した「日本の限定的軍備」という文書を入手しましたが、この文書では、今や将来の防衛のための日本軍を容認する立場で新憲法の修正を達成するための調査が行われるべきだと提案して、改憲を公然と主張しています。ここにアメリカからの改憲論の源流があるのであって、やはりこういったアメリカの公文書などについての掘り下げた調査を行って、改憲論がどのようにして提起されたのか、歴史的調査を当調査会でも行うよう提案をしたいというふうに思います。
 以上であります。
○会長(村上正邦君) 大脇雅子幹事。
○大脇雅子君 第一回のフリートーキングを集約いたしますと、憲法における主権在民と民主主義、平和主義及び個人の尊厳と基本的人権保障の原則は、憲法に内在する人類の普遍的価値であるということが多くの委員の意見によって確認されたと思います。
 多くの委員から現憲法の制定過程についてさまざまな意見が出されているので、それについて意見を述べたいと思います。
 憲法の調査においては、現憲法の形式上の制定過程のみを調査しても、その本質的部分を理解することはできません。
 岩倉具視を団長とする遣欧視察団報告書「特命全権大使米欧回覧実記」は、大国のみならず小国の調査もして鋭い洞察を加えています。明治維新のリーダーたちがこの国の形をどうしようとしたか、明治憲法はどのように制定されたかも見るべきでありましょう。
 他方、植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」等、自由民権運動を全国的に展開した民衆のこの国の形への思いはどうであったか。
 私擬憲法はおよそ六十八案あったと言われております。そのような無名の民間憲法草案にも先駆的内容を持ったものが多く存在いたしました。ぜひとも調査の中で発掘し、研究すべきでありましょう。近代日本の出発点においてもう一つの日本をつくろうとした民衆の伝統と歴史の経験を引き継ぐ必要があると思います。
 その後の歴史の中で、日本は覇権を求めて軍事大国として列強の一員となり、敗戦に至ったのでありますが、大正デモクラシーも視野に入れて、我が国の立憲君主制と議会制民主主義の変遷プロセスを明らかにし、貴重な歴史の教訓を我々は求めるべきであると思います。
 現憲法制定誕生過程においても、憲法研究会の「憲法草案要綱」や高野岩三郎「日本共和国憲法私案要綱」、社会党を初めとする各政党の新憲法草案や私擬憲法草案等は、これまでの自由民権論の水脈を受け継いで国家を超えた多様な各国憲法を参考にしております。日本の民衆の伝統を踏まえて二十一世紀の国の形を論ずることが重要であると思います。
 二十一世紀の国際社会における日本のあり方を問うべきだという意見が出されております。この場合、国際社会の動向を踏まえ、我が国の理論的、実践的努力の成果を踏まえて検討が加えられるべきであると思います。
 例えば、憲法前文と憲法第九条を考察いたしますと、簗瀬委員も憲法前文の重要性を指摘されておりますが、憲法が存在することによって日本は軍事力や武力という軍事価値を重視しない文化、国民の気風を育ててきたと思います。そして、憲法施行五十年を経て、平和的生存権という人権の理論を紡ぎ出してきました。
 平和的生存権とは、戦争や軍事力によって自己の生命や生活を奪われない権利で、徴兵を拒否する権利も含み、国の交戦権を否認して統治権を制限する権利としての意味を持ちます。十九世紀は自由権的基本権、二十世紀は社会的生存権、二十一世紀の人権はまさに平和的生存権であると思います。
 憲法は、国際条約の平和への権利を先取りし、核の時代に戦争という選択肢がなくなった今、平和的共生のための基本的指針として国際的に現実性を持つようになったと思われます。これは、日本の歴史の中で培われてきた非戦や軍備撤廃の思想的伝統が胚として内にはらんできた思想でありました。
 グローバル化しつつある社会や人間関係を地球規模の枠組みでとらえ直すとき、国連における国際社会の政策目的も、今やヒューマンセキュリティー、つまり人間の安全保障を中心に据えた紛争の予防と平和の構築が提案されております。
 アメリカでも、チャールズ・オーバビー博士は憲法九条の会を結成して運動が続けられております。アジア太平洋における平和と軍縮会議のマニラ大会においても、日本国憲法九条を守る決議がなされております。ハーグ平和会議における各国議会は日本国憲法九条に倣い政府が戦争することを禁止する決議を行うべきというアジェンダ等、国際社会において我が国の憲法はその現代的意義が生かされつつあります。
○会長(村上正邦君) ほぼ時間が参っておりますが。
○大脇雅子君 はい。
 冷戦の中を生き抜いてきた平和憲法は、今、護憲を超えて世界へ発信されるべきものと思われます。これを布憲論と呼ぶ学説もあります。
 最後に、きょうはひな祭りです。九条改悪を許さない女たちの集いで朗読された高良留美子の詩を朗読したいと思います。
 世界に広がっていけ
 わたしたちの憲法
 それは世界平和のさきがけ
 生命の芽
 泥の海をこえて
 新しい世界の到来を告知する
 オリーブの一枝
○会長(村上正邦君) 平野貞夫委員。
○平野貞夫君 前回の自由討議に引き続きまして意見を述べさせていただきます。
 第一点は、憲法制定権、改正権は国民にあるということをこの調査会の基本姿勢にすべきだと思います。
 御承知だと思いますが、国会には憲法制定権の権限はございません。最終的には国民投票で承認するという憲法の仕組みになっておりますので、私たちは国民の判断の材料を提供するということだと思います。
 ということから考えますと、今国民が現憲法に対してどのような認識、理解をしているかということを的確に知る必要があると思います。もちろん調査会のあり方、進め方も含めてのことでございます。そのため、広く国民から意見を聞く、国民と意見を交換する機会をつくっていただきたいと思います。例えば、スタートとしましては、大学生だとか若者を対象にして各界各層にわたる人たちと率直な意見の交換が必要だと思います。そういうことを一つスケジュールの中に入れていただきたいと思います。
 第二点でございますが、前回の調査会の審議の報道についてちょっと意見を述べておきたいと思います。
 おおむね誠実に報道していただいたと思いますが、実は私の関係で、ごく一部に極めて国民に誤解される報道がございましたので、それをこの機会に申し上げておきたいと思います。
 一つは、これは単なるミスかもわかりませんが、二月二十日ごろ共同通信が出しました記事で、私の名前を挙げて、「現在の憲法は衰退している。」という括弧書きの記事がございますが、私は憲法は衰退しているとは言っておりません。我が国、日本が衰退しているということを言ったわけでございまして、非常にこれは国民の皆さんから反論がございましたので、誤解を解いておきます。
 それから第二点は、これは単なるミスじゃなくて非常に計画的意図があったんじゃないかと思いますが、二月十九日の朝日新聞の社説で、私の申し上げたことを引用していただいたことは大変光栄でございますが、それを引っ張って、「平野氏はこう述べ、まず憲法制定過程の調査を求めた。」と。これは事実でございます。「米国からの「押しつけ憲法」論を前面に出す意図がのぞく。」と。勝手に私の心をのぞいております。私は、取材でもあれば別ですが、全く五五年体制のときの改憲論、護憲論をやるつもりはございません。
 私は、小学校六年のときに憲法が制定、公布されたんですが、そのときに「われらの日本」という新憲法施行記念国民歌というのを学校の先生に教わった、歌ったことを記憶しております。私たちの世代は、それなりに今の憲法に何だかんだ言っても一つの思い出、愛着というのを正直持っています。
 ただ、私がその制定過程をなぜ知りたいかということは、実はGHQの第一次構想といいますか第一次案の中に、憲法に直接規定すべきだという意見で、十年間憲法改正を禁止する、そして十年後、日本人の手で憲法をつくっていきゃいいじゃないかということを憲法に規定しようとしたわけです、GHQは。私は戦争に負けたら押しつけられても仕方がないと思うんです。だから戦争をやっちゃいけないんです、特に負ける戦争をやっちゃいけないんです。したがって、私はGHQはある意味で賢明だったと思うんです。それをやめて、改正規定を非常に厳しくして、そして日本に民主主義が定着するまでは改正させないよという政治的圧力をかけたようなんです。
 私は、十年後以降、この憲法をGHQは日本人の手で改正することを期待したのを放置した日本の政治の怠慢、これを問題にしたいんです。これは、恐らくイデオロギー、政治論抜きに委員の皆さん了解していただけることだと思うんです。決して私は五五年的な改憲論者ではない。昨年亡くなりました、私非常に親しかったんですが、元社会党委員長の山花貞夫氏が創憲という言葉を委員長のころやりまして、これは社会党の中で消えちゃったんですが、むしろ私たちはそういう意味で、改憲、護憲だけじゃないんです、創憲という意見があるということ。
 それから、もう一つだけ言わせていただきたいんですが、国会運営については憲法というのは実定法なんです。
 私は三十三年間国会事務局にいまして、人によっては三十、私は二十ぐらいだと思いますが、国会運営に対して、憲法の言葉の規定の疑義や解釈のわからない部分が、不明な部分があるんです。大変国会運営に困っているんです。しかも、例えば法律案の再議決とか予算、条約の自然成立なんかについては学説も分かれ、一つ状況によっては政治が混乱する要素があるんです。
 こういうことを、運用解釈、制定過程の中で客観的に各委員が憲法の問題点を理解する、認識するということが私は大事だということを前回申し上げたわけでございまして、朝日新聞の社説は、社論ですから、これは私は非常に責任が重いと思うんですよ。私の言うことを引っ張って国民に誤解を与えて、そして一種のムードをつくろうというマスコミのやり方には私は本当は抗議を申し込みたいんです。私も昨年の通信傍受法の絡みで三浦編集局長から抗議文を受けている立場でございまして、けんかするつもりはございませんが。
 以上、報道のことをかけながら私の意見でございます。
○会長(村上正邦君) 水野誠一委員。
○水野誠一君 前回あるいは今回の各委員からの専門的な意見陳述を伺っておりまして、かなり具体的提案がなされているということでございますので多く申し上げることはないんですが、幾つか感じている点を申し述べたいと思います。
 憲法とは、皆さんおっしゃるとおり、まさにその国の形を示すものでありますし、その意味では国の歴史や文化を反映したものであるべきだと思っております。すなわち、憲法においては基本的人権など人類共通の基本理念、これは別として、いわゆるグローバルスタンダードだけにとらわれるべきものではない、こう思います。
 終戦直後に、敗戦国日本が、アメリカによってつくられた草案を短期的な、短時間の翻訳と審議で受け入れた経緯ということを考えても、日本の文化が十分に反映され尽くしているとは言いがたい、何か無機質な感じがするというのは私だけではないのではないかと思います。とはいえ、もちろん少なくとも今までは、この憲法が日本の平和主義、あるいは民主主義、あるいは基本的人権意識を確立する上で大きな機能を果たしてきたことも事実であります。
 しかし、制定から五十年たった現在、国内での憲法の役割、あるいは日本自体の国際的な役割、あるいは日本を取り巻く国際的な環境が大きく変化をしてきているという中で、改正をも視野に入れた見直しをするのは当然のことであると感じています。無論、九条などの議論もタブー視すべきではないと思いますが、先日お隣の佐藤委員からも出ましたが、八十九条の私学助成問題など、非常に細かい問題における矛盾点をも洗い出していくことも重要な作業になると思っております。
 また、第三章の「国民の権利及び義務」においては、さまざまな権利の列挙があるわけでありますが、その義務については、教育の義務、勤労の義務、納税の義務程度しか書かれていない。これもいかがなものかと感ずるところはあります。勤労する権利と同時に義務があるというふうに書かれておりますが、また、教育を受ける権利があると同時に保護する子女に教育を受けさせる義務があるというふうに書かれておりますが、それと同様、権利を主張する裏には必ず社会に対して果たすべき義務があるはずであります。
 昨今はこの権利意識ばかりが肥大化して義務が忘れられていることが多いというふうに感じますが、そういう時代であるからこそ、国民の権利とは一体何かといった議論も重ねるべきだと思います。
 とは申せ、余りいたずらに神学論争あるいは建前の手続に時間をかけ過ぎることは許されないと思います。現実問題に即した活発な論議を積極的に行い、それを広く公開していくべきであります。それと同時に、ある一定の期間目標を決めていくべきだというふうにも考えております。
 また、参議院らしいという視点からいけば、党利党略にとらわれるべきではない。開かれた委員各位の個人的な意見を重ね議論をしていく、ここに期待をしていきたいと思います。
 昨今、政治不信の状況ということが言われるわけでありますが、こうしたタブーなき開かれた議論がなされること、そして国民の意識を高めていくことによって、政治の信頼回復に積極的にこの会の活動を役立てていくべきだと思っております。
 以上です。
○会長(村上正邦君) 佐藤道夫委員。
○佐藤道夫君 前回も申し上げたことでありますけれども、憲法改正の論議というのは、どうしても憲法の三原則なるものを中心とした観念論、抽象論に陥りがちである。学者の研究会あるいは学会での討議ならばそれはそれで結構なのでありましょうけれども、ここはまさしく唯一の立法機関である国会の、憲法の運用に携わっている国会の中での議論でありまするから、やっぱり地に足をつけた議論、一つ一つの条文について一体これはどうなっているのか、余りにも運用と憲法の規定が違っているのではないかとか、そういう観点からの実務的な議論が望ましいと思うわけであります。
 前回も二、三の例を挙げましたけれども、改めてもう一度申し上げておきたいと思います。
 最初は、前文なのでありますが、これは五十年前に書かれた言葉でありまして、もう内外の諸情勢は全く違っておる。二十一世紀も間近という段階に、この前文をこのまま後生大事に抱きかかえていっていいのかどうか、議論されるべきであろうと思います。
 それから、憲法がつくられたころから、元首に関する規定がないという指摘がありました。元首、この規定を置くべきかどうか、置くとすれば元首は天皇なのか内閣総理大臣なのか、この辺もやはり議論をされるべきでしょう。
 それから、何といっても第九条。第九条は、皆さん方御承知のとおり、陸海空軍その他の戦力は保持しないと、こうなっております。自衛隊はあれは戦力ではないのかと、すぐこういう議論になってきます。やはり現実との乖離が余りにも甚だしいのが第九条、これをどうすべきかということも真剣に議論さるべきでありましょう。
 それから、二十条の政教分離に関する規定、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」と、こう書いてありますが、歴代の政府の見解なるものは、これは国が宗教団体に政治上の統治権、これは警察権とか課税権などを言うようですけれども、それを与えることを禁止しているんだと、こういうことを言っておりますけれども、条文を読んでみなさい。三歳の児童でも、そんなことは書いてない、「いかなる宗教団体も、」、主語は宗教団体ではないのかと。もし政府の見解でいきたいというならば、この二十条もきちっと政府の見解に沿った文言に改めるべきだろうと思います。
 それから次は、二院制の問題で、現行憲法上、一院が衆議院、二院が参議院と、こういうことになっております。参議院のあり方についても憲法上考える余地はないのか。一院である衆議院が政党政治と、こういうことになりますれば、衆議院を補佐する、監視する参議院は、むしろ政党政治の枠から離れて個人中心のものにすべきではないのか、こういう考え方もあろうかと思います。大いに議論して結構だろうと思います。
 それから次は、憲法は「行政権は、内閣に属する。」、内閣は国会に対して連帯して責任をとると、こういうことを書いてありますが、独立行政委員会なるものがしきりとつくられまして、行政に民意を反映する、その代表例が公安委員会なんですけれども、今予算委員会でも盛んに議論されておりますけれども、小渕総理は、何と何と、警察行政については指揮監督権がないと、こういうことを言っておる。当たっているのかどうか知りませんけれども、一体、内閣から独立した行政機関がいつの間にでき上がったのか、警察は裁判所と同じように独立なのかどうか、この辺も大いに議論されてしかるべきであろうと思います。
 それから、今話にも出ましたけれども、八十九条の、公の支配に属さない教育に関する事業には公金を支出してはならないと言いながら、私学助成に何千億という金が出ている。学者はひきょうですから、全然こういう議論はしないんですよ、学界から追放されますからね。そして、宗教団体に金をやるということになると大騒ぎをして、憲法違反だ何だと、こう騒ぎ立てる。一体どうなんだろうか。もう少し虚心坦懐に議論をすべきではないのか。どうしても私学助成が必要だというならば、憲法の規定を削除すればよろしいわけですから、それだけの話です。
 それから、今、直接民主制、この前の吉野川の可動堰の話もそうでありまするけれども、大変高く国民は評価しておって、何でもかんでも言うならばもう国民投票にかけろと、直接投票制度にかけろと、こういうふうなムードもあるようですけれども、果たしてそれでいいのかどうか。もしそれならば、どの範囲まで国民投票にかけるということもきちっと憲法上明らかにしておくべきではないのか、こういう気がいたします。
 最後に、改正規定です。憲法の改正規定、大変厳格にでき上がっておりまして、簡単にはいかないようになっている。そのために過去五十年、改正も考えられはしましたけれども実行には移されなかったということもあるので、改正規定がこういう硬直した形でいいのかどうか、その辺も我々としてやっぱり議論してみたい、こう思っております。
 以上でございます。
○会長(村上正邦君) 各会派一巡いたしましたので、これからは自由に意見交換を行っていただきたいと存じます。
 あらかじめ御意見のある委員は事務局に申し出がありましたので、発言順序は、会長の専権でございますのでお許しをいただきまして指名をさせていただきます。
 では、角田義一委員。
○角田義一君 私は、ごく簡単に、今までの議論を聞いておりまして、感想めいたことを申し上げたいと存じます。
 私は、やはり日本の憲法の前文、特に政府の行為によって再び戦争の惨禍が国民に及ばないようにするために、主権が国民にあるということを確認をしてこの憲法を制定をするという前文のここのくだりは、非常に大事なくだりだと思います。
 俗に平和憲法平和憲法と、こういうふうに言っておりますが、何で平和憲法なのかということになりますと、やはり歴史的な経過を踏まえて、政府に戦争をもう一度やらせないという大変な縛りをかけている憲法でありまして、私は、日本国憲法の本質はそこにあるというふうに思います。
 したがいまして、平野先生後から弁明があると思いますけれども、あえて誤解を、私は揚げ足をとるとかそういうんじゃなくて、先ほどのちょっと、負ける戦争をやっちゃいかぬということでいうと、逆に勝つ戦争ならやってもいいかということになるんで、そんなことを先生は考えていないと私は思いますけれども、要するに戦争をやらせないということでこの憲法はできておる。そのための主権在民であり、そして恒久平和主義であり、基本的人権の尊重というのはもう一体となっております。
 したがいまして、今後調査会を進めるに当たりまして、主権在民の問題であるとか、あるいは恒久平和の問題であるとか、基本的人権のありようについて、五十年の歴史を顧みて検証するということは私は必要だと思いますし、そのことに何の異論も私自身はございません。
 ただ、今の憲法はそういうものであって、その精神で今日五十年間やってきた。営々と我々が営んできて、そして戦争もなく、いろいろこれは理由があると思いますけれども、戦争もなく、しかも経済的な繁栄も今日享受している。
 ただ、御案内のとおり、この五十年の間にいろいろ精神的な衰退もあると思います。しかし、それは憲法のせいでは私はないと思う。別の原因でこういう今日の悲惨な非常に嘆かわしい状態があるわけであって、それはそれで別の観点からメスを入れていけばいいのであって、それを憲法のせいにするのはいかがかというふうに私自身は率直に思います。
 それから二番目は、私はこれは白浜委員と基本的には同じ考えでありますが、憲法の制定過程について、いろいろ御議論があるし、また問題があったということは私は否定もいたしません。しかしそれは、いうところの押しつけ憲法であったから憲法を改正すべきであるというような短絡的な議論にはとても賛成できない。営々として今日まで五十数年間、この憲法のもとで我々は営んできた、営々と営為を重ねてきたわけでありまして、そのことについてはやはり私は自信と確信を持ってもいいというふうに思っております。
 もし、この制定過程を問題とするのであれば、当時の民衆はその憲法に対してどういう反応を示したのか、そこに調査の焦点を絞るべきである。当時の方々はもう七十を恐らく越えておると思いますから、そういう七十を越えた今日健在の庶民の声というものをむしろ私は重要視してこの調査会では聞くべきであって、もちろん学者先生の意見を聞くなとは申しませんが、むしろ民衆の生の声をこの国会で聞くべきだ。その方が私どもの方針を間違うことはないというふうに私は思っております。
 それから三番目でありますが、これは多くの先生の方から御指摘がありましたけれども、私どもはアジアがこの今の日本の衆参における憲法調査会の成り行きをどう見ておるか、これを忘れてはならないと思います。
 あの新ガイドラインのときにも、かなり中国を初め、朝鮮を初め、東南アジアの人たちは非常に懸念を表明をいたしました。いい悪いは別でありますけれども、自由民主党が単独政権をとっておったときにどういうことをアジアの民衆に向かって言ってきたか。日本は平和憲法があるから軍事大国にならないと言い続けてきたんですよ。これは国際公約であります、ある意味では。このことを忘れてもらっちゃ困る。
 だから、今、恐らくアジアの民衆なりあるいはアジアの政府高官なりは、この日本の今の衆参の憲法調査会はどういうふうになっていくのだろうかといって私は非常に関心を持っておると思う。
 したがって、今後の調査の過程において、例えば各国の駐日大使がどういうふうな考えを持っておるかというようなことを率直に私は意見を聞いたらよろしいと思います。場合によったら、この調査会も中国や朝鮮や東南アジアに委員を派遣して、今、どういう、日本国憲法に対して彼らが持っておるかというようなことも私は率直に聞いたらよろしいと思っております。
 そのことを絶対私は忘れてもらっては困る。もしまかり間違ったことになりますと、私はアジアの民衆から日本が孤立をするということを非常に恐れておりまして、今後の調査会においても、その辺の視点をぜひひとつ忘れないでいただきたいなというのが私の強い望みであります。希望であります。
 それから、最後になりますけれども、憲法と現実との乖離とかいうことがいろいろ問題になっております。
 私は、佐藤先生がおっしゃったように逐条でやっていくのがいいかどうか、ちょっとその辺はこれからの課題になると思いますけれども、やはり実証的に、現実的に検証するということを私は否定もしませんし、大事だというふうに思っております。非常に実践的な立場でこの辺は議論をしてもらっていいし、どうしても法律では賄い切れないのか、憲法に手をつけなければどうにもならないのかというようなことを議論していただければいいのではないかと思っております。
 と同時に、この調査会は決して憲法の改正を発議する調査会ではないということですね。このことだけは銘記をして、皆さんの心の底にすとんと置いておいてもらいたいと思うんです。
 もしそのことがあるとすれば、恐らくこの調査会は発足しなかったと思うんですよ。私自身は体を張って抵抗しましたよ、そういうことになれば。ど座ってでも何ででもやってくれという話になったと思うんです。しかし、政治的な妥協の産物として、この調査会は憲法の発議権はないんだということでおさまって議論をしているんですから、そのことだけはぜひ腹の底に置いていただかないと、誤った方向になるのではないかということを最後に申し上げて、私の最初の意見発表にさせていただきます。
 以上です。
○会長(村上正邦君) 会長から一言言いますが、この調査会の目的ははっきりいたしておりますので、余り挑発的な発言は慎んでもらいたい。はっきりしているわけですから、発議権はないということは。そのことをひとつ頭に入れて、各委員、御発言を願いたい。
 次には、谷川秀善委員。
○谷川秀善君 自由民主党の谷川秀善でございます。
 前回の調査会、またただいまの各党の代表の委員の方々からいろいろと御意見が出されましたが、大別をいたしますと、護憲、論憲、改憲、いろいろ御意見はさまざまでございますし、また調査期間につきましてもいろいろさまざまでございます。
 そこで、今の憲法が制定されて五十数年たつわけでございますが、どうも日本人の中には憲法は不磨の大典というような考え方がありまして、改憲論議をすることは悪であるというような風潮があったわけでございますが、やっと国会の中で正式に論議できる調査会が設置されたことは、大変私は意義深いことだというふうに喜んでいるわけでございます。
 というのは、憲法改正の発議は国会でしかできないということになっているからであります。この調査会は議案提出権がないという申し合わせになっていることは承知をいたしておりますけれども、そうかといって、五年もかけてだらだらと論議を行っていては、私は本当に現在の国民の期待にはこたえ得られないのではないかというふうに思っております。
 憲法というのは、法定されていようと慣習法であろうと、人間が社会生活を営む上で最低限保障されなければならない、また守らなければならない社会的なルールでありまして、国家生活をする際の国家運営のマニュアルにすぎないと私は考えておるわけでございます。我々国民がこの国の主権者であり、その主権者である国民がこの国をどう使いこなしていくかが問題なのであります。
 政治の責任は国民に自由で豊かな生活を保障することでございまして、そのために国家権力機構があって、それを政治家を含む公務員がどう使いこなしていくか、その使い方の約束マニュアルが憲法だと私は考えております。
 したがって、護憲、論憲、改憲と目くじらを立てて論議するのではなく、現在の社会状態、国際情勢を見て、それに合っているかどうかということを自然体で論議すべきであろうというふうに私は考えております。
 まず、改憲論自体が違憲だという意見がございますが、日本国憲法自体が第九十六条でちゃんと改憲手続を規定しているわけであります。これはすなわち、この憲法をつくった人々の意思が、この憲法は完璧でない、不磨の大典でないということを示しているものであります。
 法というのは、憲法であれ一般法であれ、あすのことを論議してきょうつくっているわけであります。つまり、原則として、法は将来適用されるもので過去に適用されないし、もし過去にさかのぼって適用されるということになれば大変なことになり、人権問題となるわけであります。何が起こるか見たことのない将来のことについて相談してつくって、あす以降適用するという性格のものですから、必ず不完全なものであり、時代時代に応じて改正する必要があるわけであります。
 そのために九十六条が存在しているわけでございますから、改憲論議をすること自体、決してやましいことでなく、むしろ政治家としては、この国をきちんと発展させていく責任を持つためにも改憲論議をしなければならないというふうに私は考えております。国民に幸福な生活を保障する国家を運営していく道具としての憲法を日々点検をし、修繕をし、モデルチェンジをしていく、これは我々政治家の責任であります。過去の検証も大事だとは思いますが、いろいろ資料、書物も出回っていますので、それぞれ各自で勉強することとして、早速具体的な検討に入るべきだと思います。
 そこで、来年七月には平成七年選出議員が改選期を迎えるわけでありますから、それまでに一応第一次調査をまとめてはいかがかと思っております。それをもとに第二次調査をして、第一次調査で各党が出されました意見書を中心に論議をし、一致点、相違点を整理すれば、国民の皆様にも調査会の審議経過がよく見えると思います。
 憲法については、改正案を審議する場合、衆議院に優越性はありませんので、それぞれ独自で審議する必要があると思います。意見の取りまとめにつきましては、会長さんの方で衆議院とよく調整をお願いいたしたいと思います。
 また、調査する項目につきましては、前文を含めて全項目を調査すべきであろうというふうに考えております。
 以上、私の意見を申し述べました。
○会長(村上正邦君) 会長から発言をいたします。
 この調査会設置に関する申し合わせというのがございまして、これは議運委員会理事会においての申し合わせでありますが、「調査期間は、おおむね五年程度を目途とする。」と。これはもう決まっていることでございますので、これまた言わずもがなのことでございますが、それを頭に入れて論議を進めて、このことについてああだこうだと言うことはむだなことだと。しかし、中間報告の取りまとめをどうするかという議論は大いにやっていただきたいと思います。
 北岡秀二委員。
○北岡秀二君 ありがとうございます。
 先ほどからいろいろお話が出ておるわけでございますが、私は、この憲法問題に関して一番大きな問題というか我々が大きな問題と思っているものは、今の日本の国の現状のゆがみだろうと思うんです。
 先ほどから改正論についていろいろ云々されていらっしゃいましたが、皆さん方も聞かれたことがあるだろうと思いますが、数年前に中国の当時の首相がオーストラリアへ行かれたときに、日本の国が三十年先にはあるかどうかわからないというようなお話をされた云々という話を私は聞いたことがございます。
 実際かどうであるかの問題は別にして、先ほど申し上げました今の日本の国の最近の世相あるいは社会現象等々を拝見させていただいておりまして、大変なゆがみが出てきておるんじゃなかろうか。そのあたりの中に、今まで議論がございました憲法の現実との乖離、私はこれも当然だろう、そのとおりだろうと思いますし、現実との乖離があるがゆえに、今の現実社会でのゆがみというのは私は当然の結果として今の姿になっておるんではなかろうかと思う次第でございます。もうそういう意味で憲法を改正すべきだと思うわけでございますが、何が欠けているかという部分で私なりに申し上げさせていただくと、憲法改正の流れの中で、私はいろんな部分で危機管理思想が決定的に欠落をしておるんじゃなかろうかというふうに感じる次第でございます。
 その危機管理思想という部分の中で、私なりに解釈を申し上げますと、二点あるだろうと思います。
 まず第一点は、平常時の中での危機管理。これはもう今までの議論の中に出てまいりました、何でもありの権利あるいは何でもありの自由というのが社会の中で非常にいびつな姿を醸し出しておる、混乱の要因になっておる。そういう状況の中で、ある程度の自由の規制、ある程度の権利の規制というのも当然なければいけないんじゃなかろうかというふうに感じますし、従来から言われておりますとおり、公共の福祉と権利、自由の関係がまだまだあいまいな点に、前段に申し上げました平常時の中での危機管理というのが十分に私は図られていないがゆえに、今のいびつな社会というのもでき上がっておるように感じる。
 その第二点は、第二点というかもう一つの危機管理、これはもう一般的に言われておる国家社会が危機的な状況が訪れたとき、すなわち、例えば阪神大震災にまさるような大きな地震が起こったとき、あるいはこれはもう想定の範囲で起こり得ることだろうと思うんですが、我が国に石油が全く入らなくなったとき、さらには、いろんなことが想定できるだろうと思うんですが、非常事態が起こったときに、じゃ国をどういうふうにして治めていくんだというような条項も一切ない。
 ある意味では九条の解釈についても同じことが言えるだろうと思うんですが、仮にですよ、仮に我が国が侵略戦争をされるような、入ってこられたときに、あるいは国家の主権が侵されるようなことがあったときに、防衛の問題を含めて、今までは法的に拡大解釈をしながらやってきたわけでございますが、そういった面での、前段に申し上げた平常時の危機管理、危機的な状況の、非常事態における危機管理という観点における危機管理思想が現憲法に入っていないがゆえに、私は、それがすべてではないと思いますが、いろんな現状の今の日本の国の社会を見たときのゆがみというのが即あらわれてきているんじゃなかろうかということを痛切に感じておる人間の一人でございます。ぜひともこのあたりは検証をしていただき、いろいろ議論を深めていただきたいなというつもりでいっぱいでございます。
 加えてもう一点申し上げさせていただきますと、先ほどからいろいろお話のございますとおり、日本の国の歴史、文化、そのあたりが欠落をしておる。これはもう国際社会がこれからどんどん進行していく中で、皆さん方共通して思っていらっしゃるだろうと思いますが、必要なことはアイデンティティーを持つこと、アイデンティティーがなければ本当の意味での国際的な同化というのはできないというふうに私は感じておるわけでございます。そういう観点においても、歴史、文化の扱いというのをこれから憲法の中でどういうふうに我々は入れていくというか、加味していかなければならないというのも大きなテーマの一つであるように感じるわけでございます。
 総論としては、私は以上のような所信、感想を持っておりますので、発表させていただきました。
 以上でございます。
○会長(村上正邦君) 高野博師委員。
○高野博師君 二点、自分の意見を述べたいと思います。
 一つは、憲法と歴史総括についてでありますが、先ほども戦前は悪で戦後は善だといった単純な認識は改めるべきではないかといった趣旨の御意見もありました。
 そこで、憲法を議論する際に、歴史的な視点あるいは歴史観というのは非常に重要ではないかと思います。現憲法の歴史的な制定過程を調査することも大切であると思いますが、より広範により深く我が国の現代史を総括する中で、明治憲法、そして現行憲法の位置づけをすべきではないかと思います。当然、制定過程も含まれると思います。一度きちんと歴史の総括をした上で、特に戦前、戦後あるいは戦争そのもの、その総括をした上で、将来の国家像を考えて憲法を議論すべきではないか。歴史の二面性という点からすれば、客観的な総括は極めて難しいとは思いますが、避けては通れないのではないかと思います。正しい歴史認識、歴史観なくして客観的な憲法の議論というのはできないのではないかと思います。
 もう一つは、二十一世紀の新しい人権についてお話ししたいと思います。
 一つは、先ほども個人的な自由権と社会的な生存権について言及がありましたが、現憲法の人権規定というのは、いわばフランス革命以来の西欧個人主義の古典的な人権が主体であります。これらの諸権利というのは、自己決定能力を有する者が自己責任で自己完結的に実現する権利であります。
 それでは、自己決定能力がない者、喪失している者、あるいはそういう機会を奪われている者の権利はどうなるのか。例えば、自己決定能力のない子供の権利はどうなのか。また、高齢化社会を迎えての、例えば痴呆症にある高齢者の場合はどうか。さらに、病人とか知的障害者の権利というのはどうなのか。施設に入っている者、あるいは受刑者といえども権利を有しているのではないか、そしてそれはどういう権利なのかということであります。
 これらの人たちはいずれも一個の人間としての独立の主体性を持っている。つまり、人間としての尊厳を実現する権利を有しているはずであります。子どもの権利条約が規定している子供を権利の主体者ととらえた意見表明権はその最たるものでありますが、その本質は人間関係を形成する権利であります。
 二十一世紀に連なる最も新しい権利と言われる人間としての尊厳を実現する権利についても、ぜひこの場で議論をしていただきたいと思います。この権利についてもし憲法に盛り込むことができるとすれば、画期的な、世界の少なくとも形式上は憲法上は人権先進国という評価がされるのではないかと思います。
 以上です。
○会長(村上正邦君) 北澤俊美委員。
○北澤俊美君 私は、この両院に設置された調査会をつくるための議員連盟に長くかかわってまいりました。そこの議論を思い出しておりまして、先ほど来いろいろ憲法議論のタブー化現象といいますか、そういうことにも言及されている方々がたくさんありましたが、私は、その議員連盟の中で感じたことは、政権をとったまま政権から転げ落ちない実態、それからまたどうやっても政権をとれない野党の現象、そういうものがタブー化現象というものを知らず知らずのうちにつくり上げてきたのかなというふうに思います。
 ちょうどたまたま政権が交代する現象を各議員がみんな体験をして、また将来に向かっての政権獲得の夢を抱くようになってきた、そういうことがこの国会の中で議論ができるようになってきた。私は、そういう意味では、我が国の国会は大変新しい時代を迎えたのではないかというふうに思いまして、憲法議論は大いにこれからもお願いをしたいというふうに思います。
 それから、これちょっと皮肉にとられると困るんですけれども、たまたま聞いておりますと、制定から五十年たったとか次なる二十一世紀に向けてとかいうことを言われますが、これは半分以上は言葉のあやでおやりになっているんだろうと思いますが、もともと国の形をつくり上げる憲法とかあるいはその中心になる基本的人権とかそういうものを新たに決めたりするのというのは別に時代を定めてやる話ではなくて、国民の中からの強い要請が醸成された中で議論されるべきであって、歴史的に見ましても、バージニア憲章だとかフランスの人権宣言だとかそういうものを、これ学生時代のことを思い出しますと、まことに記憶しにくい年数ばかりなんです。決まりのいいところで別にやっているわけではなくて、国民的な大きなうねりの中でこういうものはでき上がってきたというふうに思っております。
 それから、我が国憲法の押しつけ論については、先ほど白浜委員の方からもお話がありました。私もほとんど同じ意見なんですけれども、私なりに考えますと、この憲法は、ある意味ではアングロサクソンの理想の集約といいますか、自分たちが実践し切れなかった理想の集約みたいなところがあったんではないかというふうに思います。それをまた日本人の柔軟な知性で、戦後五十年、これをきちんと使い切ってきていたというふうに思っております。
 そういう意味で、我々が憲法を議論するには、そもそものところ、スタートのところにこだわることなく、我が国国民が五十年間この憲法で何を得てきたかということに検証の的を絞るべきだというふうに思っております。戦争がなく、しかも世界の冠たる経済国になって、今また極めて難しい状況にありますが、そういう社会情勢の中で憲法を論ずるということは非常に価値のあることだというふうに思っております。
 それから、内部のことについて一、二……
○会長(村上正邦君) もうぼつぼついいんじゃないんですか。
○北澤俊美君 じゃ、二つばかり……
○会長(村上正邦君) 一つにしてください。
○北澤俊美君 私の関心の高いものをちょっと申し上げておきたいと思いますが、基本的人権については、新しい人権が誕生し始めているというふうに思います。国家と個人の間における人権だけではなくて、社会と個人あるいは個人対個人というような、それに代表されるのが、先ほどお話もありましたが、環境だとかあるいはプライバシーという、そういうものについての論議は十分にするべきだというふうに思います。
 それから、最後になりますが、私は日本の国の政治が先ほど大きく変わり始めているということを言いましたが、そのことに関して、首相公選制というものについて私は強い関心を抱いておりますので、皆さん方の御意見を承りながら議論を深めたいなというふうに思っております。
 どうもありがとうございました。
○会長(村上正邦君) 陣内孝雄委員。
○陣内孝雄君 ありがとうございます。自由民主党の陣内でございます。
 私は、この日本国憲法が果たしてきた歴史的役割、これについては十分評価するわけでございます。ただ、五十年の運用の経過を見てきた場合、特に国際情勢が変わったり、日本の国力が高まってきた、そういう中、あるいは国民の意識も多様化してきた中で、この憲法が日本の国情に十分合っているかどうかというような点から考えた場合に、これは十分検討し直す必要があるということでございますし、また、今までの五十年、そしてこれから先の五十年を見通した場合に、我が国の将来のためにいかなる憲法が必要であるかということが今問われているんじゃないかというふうに考えます。これは私ども政治家だけではなくて、国民一般の世論もそういう方向に向いてきているということを強く感ずるわけでございます。言ってみれば、新しい国の基本となるべき規範をどうするかということが今議論される、そして方向を出していくべきときに差しかかっていると思うわけでございます。
 それで、なぜ、どういう点で私はそう感じるかというと、一つは、我が国の国力が増大して国際貢献が求められるようになってきた、あるいはまた国際情勢の変化等の中で我が国が一国平和主義を貫くということは、これは国際情勢からして大変現実的に難しい問題であるということを考えるからでございます。
 日本の繁栄、平和のためには、やはり日本の国際貢献が十分できる中でそういうものが実現できるというふうに考えるからでございます。また、日本の平和と繁栄のためには、現在の防衛や安全保障に関する定め、これがこのままでいいのか。運用や解釈の中で現在の防衛、安全保障の問題を取り上げていく、このことがかえって国際的な日本の信頼とか信用を損なうような原因になっているんじゃないか、こういう点についても十分私はこの際論議をしていく必要があると思います。
 また、人権の高まりや広まり、こういうものに対して、委員の先生方から御指摘あったような人格権とかあるいは環境権、こういったものについてこのままこれを加えなくてもいいのかどうか、そういう問題もあろうかと思います。
 そして、私たちがやっぱり議会制民主主義を発展させていく上で、国会の改革とか内閣機能の強化、機敏に的確に対応できるような内閣機能の強化、こういうものについてもこの際十分検討をしていく必要がある。あるいは司法制度改革もそうだろうと思います。こういうこれからの国の規範について新しく考えるべき、そして方向を打ち出していくべきときに来ていると私は強く思うわけでございます。
 そういう意味で、広範、総合的な検討が必要でございますけれども、これまでの憲法の制定経過、こういうものについては極めて詳細あるいは実証的に七年間をかけた憲法調査会の成果がございます。こういうものについてのレビューももちろん必要でございますが、それよりも、これから国民各層各界の憲法に対する考え方、意識、こういうものについて十分この調査会で調査をし、そして効率的に、早急に、慎重ではありますけれども早急に結論を出していただきたい。お願いします。
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
 吉岡吉典委員。
○吉岡吉典君 きょう、二回目の会議に参加し、一回目に続く論議を聞きながら感ずることは、憲法について共通の認識と同時に多くの相違点があるということでございます。そして、その相違点の中でも、何を言いたいのかなということをもう一歩突っ込んで聞きたい点がたくさんあります。
 それは、例えば先ほども論議になりましたけれども、今の憲法が国際法に反して制定された憲法だということに関連して言えば、だからどうかということが率直にお伺いしたい。そういうことを含めて、私は、もうしばらく議員間のこういう論議を繰り返していけば、お互いの問題意識、相違点、その中身に至るまで基本点が浮かび上がってくるのではないかと思います。その上で具体的なテーマを決めて突っ込んだ調査に入るということが望ましいと私は考えております。
 そこで、その具体的な内容点ですが、私は、先ほど小泉議員が発言したことに補足的に国際法上この憲法をどう見るのかという点について私の意見を述べさせていただきます。
 私は、現在の憲法は国際法違反の憲法ではなくて、それと反対に、日本国憲法によって第一次世界大戦後の国際法の発展から外れていた日本を世界の到達点、国際法の平和、人権尊重の原理に引き上げた、そういう憲法であったと思っております。
 第一次世界大戦後の世界の流れを見ると、その前半においては、日本も、消極的であったか積極的であったかは別として、賛成しながら、国際連盟による戦争の違法化から、戦争を完全に違法とする徹底した戦争放棄に関する条約、いわゆる不戦条約の制定に至る流れがあり、またその間、私は最近国際連盟の文書を読んでいろいろ考えさせられましたけれども、国際連盟総会自体で戦争は犯罪であるという宣言が繰り返し行われている、そういう流れがあった。それに対して、日本は国際連盟から脱退し、大東亜共栄圏を初めとする世界の勢力圏の再分配を掲げて日独伊軍事同盟を結んで第二次世界大戦を始めた。これは当時の世界の状況を振り返ってみれば歴史の流れに逆らったものであったということは今では非常にはっきりしていると私は思っております。
 それに対して、第二次世界大戦の始まりから連合国が示した大西洋憲章、連合国宣言に始まる一連の文書は、ポツダム宣言や国際連合憲章に至るまで、第一次世界大戦後の世界政治、国際法の発展を受け継いで、世界からファシズム、軍国主義を一掃して民主主義を復活する、基本的人権を確立する、そういう目的を示していた。戦争目的自体が、そういう民主主義的、平和主義的な目標と、それから勢力圏の再分配という目標自身の対比によっても、日本は大きく世界の流れから外れていた。それをポツダム宣言によって日本を世界の流れの中にもう一回引き戻した。そういう流れの中に日本国憲法はあると思います。私は、前回の会議でも紹介しました金森憲法担当大臣が憲法制定議会で、日本を世界の水準に押し上げたということをこの憲法についての評価として述べられているのもそういうことのあらわれであったと思っております。
 そして、そのポツダム宣言というのは、それでは日本国民の意思を全く無視して、アメリカのあるいは連合国の意思を日本に押しつけようとしたものかといえば、私はそうでないと思います。
 先ほど大脇委員から、日本における憲法についての民主的、進歩的な考え方の歴史についての意見が述べられました。私は、ポツダム宣言というのは、その条文の中で、「日本国政府は、日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし。」として、その障害としての日本の軍国主義の一掃をうたっている。つまり、日本にかつて存在した民主主義的傾向が軍国主義によって抑えられていた、それをその障害を取り除いて復活させるという、そういう内容になっており、日本国民の間にあった歴史的な民主主義を目指す流れをここに復活させようとする意図を持っていたものであったというように思っております。
 そのポツダム宣言起草者はどういうことを念頭に置いていたかということを解明する文書もあります。それを読んでみると、例えば、あの軍縮会議に軍の反対を押し切って参加した当時の日本政府の態度もその中に挙げられております。また、私は、大正デモクラシーと言われる大きな日本の民主主義的な運動と風潮、また日本国民の間に広がったさまざまの運動、こういうのが歴史の進歩に沿った動き、それを抑えて日本を日独伊軍事同盟によって戦争に巻き込んでいった、その流れをもう一回断ち切って復活させる。その流れというのは、日独伊軍事同盟で戦争に突き進んでいった流れを断ち切って、民主主義的傾向を復活させよう、そういう目的を持って憲法が制定されたと、こう思っております。そういう憲法だから日本国民の心をとらえた、また今世界からも高い評価が寄せられている、そう思っております。
 私は、ソ連が崩壊して軍事同盟の対抗もなくなった今、世界の憲法と言われる国連憲章や、それをより発展させた日本国憲法の掲げた目標を達成する新たな条件が生まれた、こういうときにこの憲法はいよいよその真価を発揮するときであって、それを改正する必要は今全くない、そういうふうに考えております。
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
 中島眞人委員。
○中島眞人君 御指名をいただきました中島眞人でございます。
 実は、このような形で現憲法調査会というのが設置をされた背景というのは、共産党を除く各政党が政権を担当した中で、いわゆる現憲法と現実の問題の乖離に大変それぞれの政党が非常に苦しみ、そしてそれらの問題について解釈論議を積み重ねていったところに、現実的にこういう形で調査会というものに各政党が入ってこれた。ですから、過去の調査会とは違った趣を持ちながらこの調査会が発足をし、論議が進められているものだろうというふうに思います。
 先ほど角田委員から、制定された当時の民衆の声を聞くべきだと。ごもっともだろうと思います。私は、同時に現代の生きている人々の意見も、これからの憲法ですから十分にやっぱり聞いていくべきだと。角田委員の意見は尊重しますけれども、これからの方々の意見も十分に聞いていくべきだと。
 それで、その十分に国民の意見を聞く判断、国民の皆さん方は何を判断にするかというと、この憲法調査会での論議というものが国民の世論というものに対して大変大きな役割を果たしていくものだということで、私は、隔靴掻痒、総論だけでなくて、いろいろな具体的な問題を提起し、それを報道されていく中で、なるほどなと言われるような問題を国民の皆さん方が理解をしていただきたいと思います。
 そこで、会長にもお願いしたいんですけれども、自分の意見だけ言うんでなくて、ちょっと社民党さんと共産党さんに私はお聞きをしたい、質問をしたいと思うんです。
 両党のお考え方というのは、現憲法というのは全く問題ないんだ、もう改正も、もっと端的に言えば論憲も必要ないんだというふうに私は受けとめました。しかし、先ほど水野委員や佐藤委員が言っているような現実の問題で大変乖離している問題がございます。例えば憲法八十九条の問題とか、あるいは環境権の問題とか、あるいは公共の秩序の問題にどう国民がかかわっていくかというような問題に対して、社民党の皆さん方や共産党から、どういうふうにこれに対応なさるのか、お聞かせをいただきたい。
 もう一つ、私は具体的にきょうは入りたいと思いますが、自衛隊の問題であります。
 過去いろいろの論議が自衛隊についてございました。しかし、政権をとった村山総理は、はっきりと自衛隊は憲法が認めるものですとおっしゃった。しかし、憲法が認めるべきものですと言ってみても、これは解釈です。昨今、また民主党の鳩山党首ははっきりと、九条を改正して自衛隊をはっきり軍隊として認めるべきだとおっしゃっています。
 こういうふうにして、私は、やっぱりこれらの問題を解釈論議で過ごしていく一つのことが憲法として正しいんだろうか、この辺を社民党さんと共産党さんにお聞きしてみたいと思います。
 それと、私はささやかな知識しか持っておりませんけれども、今、吉岡先生から制定当時のお話を聞きましたけれども、私の認識では、制定当時の共産党は現憲法に反対の立場をおとりになっておったというふうに私は認識をしているんですけれども、あの当時反対をした理由というのは何だったのか、この点についてもお聞かせをいただきたいと思います。
 皆さん方、大変各論、総論、立派な御意見でございました。私は、ささやかな知識でございますから、各論でひとつ御質問を申し上げたいと思います。
○会長(村上正邦君) 今それぞれ委員の発言に対しての質問、反論ございましたが、それぞれ、時間の関係もありますので長々と承ることはどうかと思いますが、共産党さんは吉川委員が発言を求められていますので、恐らく共産党さんは統一した一つの憲法論議を持っておられるわけでありますので、できれば、吉岡委員という指名の質問がありましたけれども、これは吉川先生にひとつお願いをしたい、こう思っておりますが、角田先生何か、今の民主党さんに対する……(「民主党じゃないよ、社民党」と呼ぶ者あり)民主党に聞いてないの。角田さんに聞いたんでしょう。聞いたんじゃないの。(「社民党と共産党です」と呼ぶ者あり)なければ結構です。
 何かありますか、大脇先生、どうぞ。簡単に。
○大脇雅子君 私どもは別に論憲を否定しているわけではありません。ここに参加していること自身がまさに積極的に論議に参加していくという姿勢で臨んでおります。環境権とか私学助成の問題というのは、現実的にその議論のときに意見は申し上げますが、当然その議論に私どもは参加してまいります。
 ただ、私が申し上げたいのは、常に現実の中で、憲法を頂点とした個別法の中で、なぜ環境基本法に環境権が含まれなかったのか、私学助成の中でなぜ公的な教育も含めて国民の教育を受ける権利というものが充実していなかったかという点について、私は、憲法を改正したらそうしたことが充実するということではなくて、まさに現実の中でそういう政策がとられて、憲法の中でそれを確認されるべきだと思っています。
 特に、憲法の中でいわゆる幸福追求の権利という憲法十三条がありまして、私はそれがまさに基本となっているのではないかというふうに思うわけです。
 自衛隊の問題についてでございますが、村山政権が政権をとりましたとき、社会党の党内論争の結果、自衛隊を容認する大多数の国民を無視した安全保障はあり得ないという結論の中で合憲の認識を示したことはあります。
 私自身の個人的な見解としては、そうした連立政権に組み入るときは、党の基本原則というものは一応凍結をいたしましてその連立政権の中に入ってそしてやるべきであったというふうに私は思うわけですが、ただ、参加をした政権の中で、社会党が軍縮と自衛隊の段階的縮小に着手する基盤をそこで主張していこうという姿勢のもとに私どもは政策合意をいたしました。したがって、政策の中には憲法を尊重するということをしたわけでございます。
 従来の自衛隊の違憲論というものは誤りであったのかといいますと、それは私どもとしてはそのようには考えておりません。東西冷戦と第二次大戦の経験から、国民の声を背景に社会党は自衛隊違憲の主張を掲げて再軍備や軍拡路線と闘ってきました。確かに、自衛隊というものは現在世界第二位の力を持つとまで言われておりますけれども、しかし、憲法九条があったがゆえに私はその軍事的な拡張は抑止されたと思いますし、先ほど述べましたように、軍事的な価値というものが社会の中で最上位に推されたことはなかったと。とりわけGNP一%以内の枠に抑制するということは憲法の九条あってこその効果であったと思っております。
○会長(村上正邦君) ありがとうございます。
 もう少し議論を深めたいんですけれども、時間の関係もございますので、またこの議論は後日。
 と申しますのは、質問者が、まだ発言をなさっていない方がいらっしゃいますので、移らせていただきます。中島先生、御了承を賜りたいと思います。
 では、本来は福島瑞穂委員に行きたいところですが、吉川春子委員に今の質問に対しての反論を願っておきたい、こう思います。それをあなたの発言にかえてもらいたい、こう思いますので、よろしく。
○吉川春子君 会長、どうもありがとうございます。
 私、今、議運に行って中座しておりまして、入ってきましたらその御発言がありまして、ちょっと正確に、吉岡さんの発言も聞いていませんし、中島先生の発言も、ちょっと途中で来ましたので。そういう立場ですが、今の会長の御指示に従って反論をさせていただきたいと思います。
 日本国政府が当時GHQの要求を受けてつくった憲法試案というのは、御存じのとおり旧帝国憲法の枠を一歩も出ないものであり、ポツダム宣言を受諾した、そして新しい国家体制を目指す日本にとっては全く不適切な内容であったということは、皆さん御承知のとおりです。
 そして、そういう時期に私たち日本共産党は憲法草案を発表いたしましたけれども、その一つは、やっぱり主権が国民にあるということを明記しなくてはならない、国体護持ではなくて国民主権なんだ、そのことを憲法にはっきり明記しなくてはならないと主張いたしまして、一条に主権の存する日本国民の総意に基づいて天皇の地位もあるんだとか、あるいは前文にもそういう旨が書き込まれておりますけれども、そういう立場でまず主権が国民にあるということを明確にしなくてはならないという主張をしました。
 それからもう一つの点は、侵略戦争に対して、もう侵略戦争を二度と行ってはならないんだ、そういうことを明確にしなくてはならないという立場で私たちはその政府の案に対する反対の案を出したわけです。
 そして、私たちは自衛権、自衛する権利、それは自然権ですからあるわけで、そういうものまで否定するわけではなくて、それの発動としての武力行使そのものについて今の憲法は否定しているわけで、私たちは、今の憲法九条が非常に先駆的な内容を持っているものであり、世界に広めていくものだ、社会主義の理想にも合致するものだという立場をとっておりますが、同時に、この当時、やっぱりあの戦争の悲惨さを十二分に味わったそういう日本国民の気持ちとして、もう戦争は二度と御免だ、侵略戦争をやってはならない、そういう主張をしたわけでございまして、あの当時の政府の草案に対する反論として私たちはそういう立場を出しました。それは、その当時のことについて今日も誤っていなかったというふうに思っております。
 同時に、私はこの憲法が二十二年に公布されたそのときに小学校に入りまして、さっきの平野先生の話ではありませんが、平和憲法の歌と「信濃の国」の歌しか朝の朝礼では歌わなかった、君が代は歌わなかった、そういう世代でございまして、先ほど来憲法条文の古めかしくなった話などもありましたけれども、この前文の非常に中身ある問題についても守っていきたい、そういう立場で徹底的に広範な議論をしていきたい、広範な調査をしていくのがこの調査会の役割だというふうに思います。
○会長(村上正邦君) 福島瑞穂委員。
○福島瑞穂君 どうもありがとうございます。
 やり方について三点ほど述べたいと思います。
 先ほど会長がだめ押しをしてくださいましたけれども、五年をめどにということがこの調査会の設置の際に確認をされておりますので、前回、今回、任期中という話がありましたけれども、約半分の人は一年半後に、皆さん再選されるでしょうが任期を迎える方がいらっしゃるわけで、議員の任期ということでやりますと、一年半という余りに拙速でやることになりますので、会長が先ほどだめ押しをしてくださったやはり五年をめどにということでこの調査会が確認されたということを改めてここで確認をさせていただきたいと思います。
 二点目。前回の発言の中で簗瀬委員の発言、もちろん大脇委員、それからきょう高野委員の発言、本当にそのとおりだと思ったんですが、簗瀬委員はやはり戦後五十年だけではなくてその前の百年、二百年のことをきちっとやるべきだとおっしゃいました。きょう、高野委員もやはり憲法と歴史総括、現憲法の制定過程だけではなくより広く広範囲にやるべきだと。大脇委員も自由民権運動から始まってきちっとやるべきだとおっしゃいました。私はこれをこの調査会できちっとやはりやっていただきたい。
 なぜならば、戦後、敗戦を屈辱というふうに考えた人たちもいらっしゃるでしょうし解放と思った人もいると思います。草の根封建おやじの人は自分の権利が減ったとがっくりきたでしょうし、現憲法の制定過程、これを押しつけと思うか、これは自分たちを元気づけてくれるのだと思うかは、やはり戦前どういう立場であったかということによってもそれは変わってくる。
 前回、笹野委員の方からも女性の権利のことがありましたけれども、現憲法の制定過程だけを見ているのではやはり今の憲法の位置づけというのはできないと思います。やはり百年、先ほども高野委員は、客観的な総括は難しいかもしれないけれども正しい歴史認識がなければ憲法の議論はできないとおっしゃいました。そのとおりだと思います。第二次世界大戦はなぜ旧憲法のもとで阻止できなかったのかというようなことも私はもう一回きちっと私たちは勉強、調査をすべきだというふうに考えております。その点を改めてお願いしたい。
 三点目です。きょうも基本的人権の話は出ました。佐藤委員それから角田委員、高野委員、大脇委員、もちろんいろんな方からも出ました。先ほど環境権の指摘が中島委員を初め何人かの方からありました。私は、現憲法が環境権の行使、環境権の主張の足を引っ張ったという話は寡聞にして聞いておりません。環境権で裁判を起こした人たちは、憲法十三条の幸福追求権に基づいて、むしろ現憲法をいかに使っていくかということから裁判をたくさん起こしたわけです。つまり、環境権、知る権利を主張するに当たって、現憲法は足を引っ張るのではなく、むしろ応援したわけです。
 私は情報公開法を昨年制定するときに総務委員会で質問をしましたけれども、知る権利をきちっと情報公開法に入れてくれということを拒否したのは政府の答弁の側でありまして、先ほど大脇委員がおっしゃったように、個別法で環境権なり知る権利なり幾らでも書けることはあったわけです。それを盛り込まないで、あたかも環境権、知る権利、プライバシー権を言うに当たって現憲法に欠陥があるという言い方は違うと思います。
 ですから、私はこの憲法調査会において基本的人権をどう精緻に豊かにしていくことができるかということを徹底してやりたい。司法試験六法の中に国際人権規約が盛り込まれました。憲法と同じように条約が重要であるということがもう明らかです。
 先ほど高野委員が本当にいいことを言ってくだすったんですが、子どもの権利に関する条約、女性差別撤廃条約、拷問禁止条約……
○会長(村上正邦君) もう時間が……。
○福島瑞穂君 わかりました。
 たくさんの条約があります。B規約の中には、例えば戦争を唱道するような表現の自由は認められないという規定もあります。ですから、先ほど佐藤委員も逐条的に、実証的にきちっとやるべきだとおっしゃいましたけれども、私もそのとおりで、一つ一つ条約との整合性、条約の勧告において、公共の福祉というあいまいな概念で基本的人権を制限できないとB規約からも勧告を受けておりますので──ごめんなさい、やめます。基本的人権の条約との整合性もきちっとここの調査会でやっていただきたいと思います。
○会長(村上正邦君) あと三人の申し出がありますが、時間の関係もありますので、木村先生、きょうは泣いていただきたい。あとお二方にしたいと思います。
 簗瀬進委員。
○簗瀬進君 大変切迫した時間の中で御指名をいただきまして、本当にありがとうございました。
 前回、憲法前文の中で、国会あるいは国民の目標となるべきナショナルゴールをしっかりと設定すべきである、こういうふうなお話をさせていただきましたが、それに引き続きまして、その件についての私の考え方を述べてみたいと思います。
 私は、そういう意味では、憲法前文の中に置くべきナショナルゴールあるいは日本国全体が取り組むべきビジョン、その中身は二つあると思います。
 一つは、まず第一番目に、理想の宣言でなければならないということだと思います。国民一人一人の誇りとかあるいは志にぴしっと訴えるような、そういう宣言をすべきだろう。それから第二番目、やはり理想、望ましいのは、経済あるいは私たちの新しい富、そういうようなものに結びつけていけるような、そういう仕組みというようなものを考えるべきだろうと思います。
 こういう点で、私は大変参考になるのは、ケネディの人類を月に送ろうというビジョンだったと思います。
 アメリカ憲法の第一条には、成立当初からあったかどうかわかりませんけれども、科学技術あるいは知的財産に対する尊重というようなものが第一条から定められております。ケネディは、人類を月に送るという、いつも一番になりたいという、アメリカズファーストといいますか、そういうアメリカ人の誇りにまずそこをきちっと訴える。そしてそれと同時に、人類を月に送るために科学技術を総合的に発展させていかなければならない、こういうふうなことで大変すばらしい経済のインセンティブを与える。このようなすばらしいビジョンを私たちも考えていくべきなんだろうなと思います。
 それから第二番目に、そのような新しいビジョンあるいはナショナルゴールとしてやはり我々が掲げるべきものは平和主義だろう、このように思います。
 平和主義についてのいろんな議論がありますけれども、ここで私がお訴えをしたいのは、憲法九条があるから初めて平和主義がこの国に生まれてきたのではないということであります。
 日本国の歴史の話もありましたけれども、長い日本国の歴史を見てみたときに、この国は受容の歴史であります。押しつけの歴史を持ったその瞬間に、例えばあの秀吉の、そして第二次世界大戦、こういう押しつけをしようとしたときに失敗する。このような長い歴史をしっかりと我々は踏まえて、むしろ、憲法があるから平和主義があるのではなくて、この国の歴史あるいは所与の条件、こういうようなものがあるから平和主義があるのだということをやっぱりここでしっかりと踏まえた上で、さらに平和主義を進めていくということが大変重要なんだということを認識すべきなんではないのかなと思います。
 「この国のかたち」という司馬遼太郎の本のその四というところに、司馬さんが、第一次世界大戦が終わったときに日本国は喝破すべきだったと。戦争はエネルギー戦争になった、エネルギーが自給できない国は戦争を専守防衛以外ではしてはいけない、これを第一次世界大戦が終わったときにきちんと認識をすべきだったということを司馬さんは書いています。まさに平和主義こそ我が国の所与の条件、そしてこれから進むべき新しい方向性としてこれをリメークして、ナショナルゴールにいかに設定をしていくのかということが重要だと思います。
 そして、時間がないところで最後に、新しい平和主義、いわゆる侵略をしてはならないといったそういう消極的な意味じゃなくて、積極的な平和主義をいかに私たちは提案し得るか、これを考えていくべきだと思います。
 そうしたときに、私は最後に、この国の最もこれから進むべき優位性を持っている科学技術を総合した上で、情報を世界の国境を越えた国民のコミュニケーションを高めていく一つの大きなインフラとして世界に広めていく、そういう意味での情報平和主義、情報による平和の創造をしていくんだということを憲法前文に高らかに訴えるべきなのではないのかなと私は考えております。
○会長(村上正邦君) ありがとうございます。
 片山虎之助委員。
○片山虎之助君 自民党の片山でございます。
 最後に恐らくなるんでしょうが、御指名を賜りまして大変ありがとうございます。私は余り出ていないものですから、しかも初めて発言させていただくものですから、概括的なざっとしたことから話をさせていただきたいと、こう思います。
 私はかねがね、我が国の立法府に基本法である憲法を議論する場がない、また議論すると何かおかしいことをやっているような雰囲気がかつてあったわけですよね。そういうことはそれこそおかしいんではないかと思ってまいりました。したがいまして、中山太郎先生が憲法議連というものをつくって、憲法を議論する場をぜひ国会の中に、衆参に置きたいと。大賛成ですと、こういうことで、扇先生も、皆さんおられますけれども、推進してきた者の一人として、大変この憲法調査会で活発な議論が行われているのは慶賀にたえない、こういうふうに思っているんです。
 そこで、いろんな考え方がありますが、私は、憲法というのも国や国民のためにある一つの主要な道具なんです。国や国民あっての憲法なんで、憲法があって国や国民があるんじゃないんですね。そこのところを考えにゃいかぬ。不磨の大典であればいいんですが、不磨の大典なんてあり得ないんですよ。これだけ世の中が速いテンポで変わる、世界中が変わる、国も変わる、国民も変わる。この中でやっぱり実態や現実に乖離してきたら直すという努力は、どこまで直すかは別ですよ、これは立法府として私は当然の義務だと思っているんです。
 例えば、今、福島先生から環境権の話がありました。しかし、何でも幸福を追求する権利で全部読んじゃうというのは、これはやっぱり実定法の解釈としては私はおかしいと思うんです。だから直せばいいんですよ、果敢に、必要なことは。ただ、基本的な大原則はこれは直さないということで、恐らく各党異議がないと思いますからね。
 そこで、私は、この憲法調査会は抽象論や観念論をやるんじゃなくて、また憲法ができたときということは、みんな、我々個人も会派も戦後体験があるんで、そういう意味で大変な思い入れがあるんですね、憲法に。だから情緒論に流されやすい、あるいは観念論、抽象論。二十一世紀の国の形をどうするかということを憲法に絡んで簗瀬先生みたいに議論するのはいいですよ、江田さんみたいに。いいけれども、それはそれでやりながら、やっぱりこの憲法はどういうところが実態と離れて、現実と乖離しているか、いろんな議論があるのか、あるいは何が足りないのか、そういうことを十分検証して、それを埋めていく努力というのを地道にやるべきだと思います。
 そういう意味では、今までずっと憲法についてはいろんな議論があって、いろんな指摘があって、いろんな批判があって、私は、それをぜひ事務局かどこかでまとめていただいて、それを見ながら我々がそれにつけ加えて、それを一つのたたき台に現実論を、憲法をどう直していくかという議論、あるいはそれはこのままでいいんだと、しかしその解釈をどうするかということをやっていくことがぜひ必要だと、こういうふうに思います。
 それからもう一つは、恐らくこれは村上会長は私がいないときに言われていると思いますが、やっぱり議員だけで議論しちゃだめですよね。憲法は全国民が認識を持って議論せにゃいけません。そのためには全国民を巻き込む努力を、巻き込む工夫をこの憲法調査会でぜひやっていただきたい。恐らく土曜、日曜に会長がやられようというのはそういう御意図だと思いますけれどもね。我々は困りますよ、土日はいっぱい行事があるんで、会合があるんで本当は困るけれども、ぜひそういうことを含めて全国民的な議論を起こすということをこの憲法調査会が一つやるべきだ、その先駆になるべきだと、私はこういうふうに思うわけであります。
 それから、まだいいですか。
○会長(村上正邦君) もう一言にしてください。
○片山虎之助君 もう一言しかありませんから。中身はありませんから。
 それで、あと一年半で任期切れますから、私も一区切りはせにゃいかぬと思います。結論を出すんじゃないんです。恐らく一年半の議論をうまく中間的にまとめるということは努力が必要だと思います。
 それから、もう時間がありませんが、憲法というのは基本法ですから、国民がみんな誇るべきものですから、ぜひ憲法というのは美しい日本語で、わかりやすい、格調のある表現で書いてもらいたい。今の憲法というのはわかりませんよ、相当頭のいい人でなければ。私なんかわからぬ。簗瀬先生は前文前文と言われますけれども、前文ぐらいわかりにくい文章はない、どこがどう係って、つないでいくか。ぜひそういう美しい日本語で、格調の高い、わかりやすい表現にしてもらいたい。
 それから、いろいろありますよ、二院制もやらにゃいけません。それから私は、やっぱり個人の基本的人権の拡張をやらにゃいかぬけれども、同時に公共に対する参与だとか公共というものに対する尊重だとか。昔は滅私奉公だったんです。今は滅公奉私になっているんですよ。どっちもよくありません。だから真ん中でいかにゃ、滅私奉公も滅公奉私も。
 そういうことを憲法の中で、まあいろいろありますけれども、もうこれでやめます。
 以上であります。
○会長(村上正邦君) ありがとうございます。
 非常に活発に委員相互間の意見交換をいただきました。これまで二回にわたり、今後の本調査会の進め方や憲法をめぐる諸問題について多くの委員の方から御意見をお伺いいたしました。これまでの議論は今後の本調査会に生かしてまいりたいと存じます。
 なお、この調査会に幹事会がございますが、幹事会のもとにこの調査会の運営をどうするかということを検討していただきます運営検討委員会を設置いたしました。その運営検討委員会が二回にわたりまして真摯に皆さん方の意見、この場で意見が述べられたことを体し、公平な一つの今後の接点を見出していくために、一つの答申が幹事会に出されました。本日、この調査会の始まります前に幹事会で取りまとめてまいりましたことを御報告申し上げます。
 次の点を基本方針として議論を進めてまいりたいと存じます。
 第一は、国民とともに論議をする、すなわち国民論憲とし、暮らしの中から国民の意見を酌み取り、その意見を調査に反映させ、適宜議員間の討議を行っていくことであります。
 第二は、過去と現在を踏まえつつ、将来を見通して論議を行っていくということであります。
 そこで、当面の運営としては、これらの基本方針を踏まえ、言論・マスコミ界、地方公共団体の首長、経済界、労働界など、広く国民の各界各層からの意見を聞きながら、適宜議員間の討議を行って論点を絞っていくとともに、国民の間に議論を喚起し、認識を深めてもらうようにしていきたいと考えております。
 また、きょうは、各国の大使の意見も聞いたらどうだと、こういう御意見もありますので、こういうことも加味しながら考えてまいりたいと思っております。学識経験者を招致して御意見を聞くことは当然のことでございます。
 しかしながら、一つ一つこれを進めていかなきゃなりませんので、まずは、ちょうど今学生が春休みに入っておりますので、次はこの学生を招致し、学生とともに語る憲法調査会を今月中に開くことを検討していきたいと思います。
 また、憲法調査会の情報等をわかりやすい形で国民に発信し、同時に国民から広く憲法に関する意見を聞けるようにするために、現在の参議院のホームページに、開かれた憲法調査会にふさわしい専用ページ及び専用Eメールボックスを直ちに開設していきたいと存じます。
 この学生招致につきまして、どういう形でやるかということも運営検討委員会で具体的にひとつ研究していただきたい、このことをお願いを申し上げます。
 それから、先ほど福島瑞穂委員からも重ねてありましたが、片山委員がそれに対して御発言がございましたが、五年というのはこれはもう決められておるわけですから、しかしその間、我々任期がありますから、その自分の任期中にこの調査会で何をやったくらいのことの中間報告は、開かれた、国民に発信をするという意味でこれはぜひ中間報告はまとめていきたい、私はこのように考えて、幹事会においてもたびたびこのことについては議論をしてまいっておるところでございます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後零時五分散会

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