第147回国会 参議院憲法調査会 第4号


平成十二年三月二十二日(水曜日)
   午後一時一分開会
    ─────────────
   委員の異動
 三月三日
    辞任         補欠選任
     森田 次夫君     阿南 一成君
     藤井 俊男君     直嶋 正行君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         村上 正邦君
    幹 事
                久世 公堯君
                小山 孝雄君
                鴻池 祥肇君
                武見 敬三君
                江田 五月君
                吉田 之久君
                白浜 一良君
                小泉 親司君
                大脇 雅子君
                扇  千景君
    委 員
                阿南 一成君
                岩井 國臣君
                岩城 光英君
                海老原義彦君
                亀谷 博昭君
                木村  仁君
                北岡 秀二君
                陣内 孝雄君
                世耕 弘成君
                谷川 秀善君
                中島 眞人君
                野間  赳君
                服部三男雄君
                松田 岩夫君
                浅尾慶一郎君
                石田 美栄君
                北澤 俊美君
                笹野 貞子君
                高嶋 良充君
                角田 義一君
                直嶋 正行君
                簗瀬  進君
                魚住裕一郎君
                大森 礼子君
                高野 博師君
                橋本  敦君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                福島 瑞穂君
                平野 貞夫君
                椎名 素夫君
                佐藤 道夫君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       大島 稔彦君
   参考人
       電気通信大学教
       授        西尾 幹二君
       専修大学経済学
       部教授      正村 公宏君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○日本国憲法に関する調査
    ─────────────
○会長(村上正邦君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 参考人の出席についてお諮りいたします。
 日本国憲法に関する調査のため、必要に応じ参考人の出席をお願いいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(村上正邦君) 御異議ないと認めます。
 なお、その日時及び人選等につきましては、これを幹事会に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(村上正邦君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
○会長(村上正邦君) 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、日本国憲法について、文明論・歴史論等も含めた広い観点から、参考人の御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、参考人として、西尾幹二電気通信大学教授及び正村公宏専修大学経済学部教授に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
 参考人の方々から忌憚のない御意見を承りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
 本日の議事の進め方でございますが、西尾参考人、正村参考人の順にお一人二十分程度ずつ御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございますので、その旨よろしくお願い申し上げます。
 それでは、まず西尾参考人からお願いをいたします。西尾参考人。
○参考人(西尾幹二君) 国家とは何か、日本の国家とは何か、日本の文明とは何か、そういう大変大きな規模の話をせよという、二十分でこれは無理な話でございますけれども、あえてチャレンジさせていただきます。
 現代は、御承知のように国家の概念が揺らいでいると言われます。世界市民とか地球市民とか、そういう言葉が気楽に無責任に飛び交っているわけでございますけれども、いろいろな形でECの統合というものがそれに与えた影響は大きいし、ソビエトのような連邦が崩壊したということも、これは逆の方向に見えますけれども、ECの統合もソビエトの崩壊もともに血縁、地縁をともにする、宗教、民族、歴史をともにする者が相集うという点においては同じ力学。同じことがフランスのような集権統一国家でも、国家の中にいるバスク人とかコルシカ人とかブルトン人といった少数民族の権利がとうとばれなければならないという観点も強まっているわけでありまして、そういう意味では近代国民国家の概念にある修正が加えられつつある時代だと、世界の趨勢として、ということは間違いなく言えるのであります。
 それには、皆様先刻御承知のとおり、経済と情報が国際化していて、そして物と人の移動が激しくなっていて、何というんでしょうか、今までの条件が変わってきているということがあります。何一つとして一国でできることはなくなってきたというのも事実であります。
 日本の場合は、近代国民国家というのは明治維新でございますが、沖縄と小笠原の帰属を決定し、ロシアと樺太千島交換条約を結んだあの時点から始まっている国民国家、こういうものでございます。
 さて、この大きな趨勢、今の地球上の趨勢と日本列島というものを考えてみますと、日本はちょっと違うのではないかと、日本だけは。日本は太古以来の島国としての自然発生的な国家をそのまま延長させて近代国家になったと言ってよいのではなかろうか。つまり、国民国家になる前に日本は国家だったのではないのかという歴史の経緯というものを我々は考えてみる必要があるかと思うのであります。
 そういう意味では、先ほど歴史や宗教や地縁、血縁をともにする者、人種、民族の統一性へ世界が向かっていると申しましたが、日本はある意味で最初からそういう幸福な自然的条件の中で近代国家、国民国家が始まっていて、今もなおちっとも変わっていないから、ある意味では我が国は世界が騒いでいる統一だ単一国家だという騒ぎの外に悠然と立っていられる条件を備えているのかもしれません。
 そう考えますと、通例、国家体制というのはいつごろ出てきたのかということになるわけでございます。ここでローマとか古代中国という古代の大帝国は横へ置いて考えていただきたい。この古代の大帝国が紀元前何世紀かで崩壊した後に起こるドラマが最大のドラマなのでございます。
 ヨーロッパの国民国家というものが、つまりドイツ、フランス、イタリアなどがおぼろげに歴史上にあらわれてきますのは十世紀、かなりはっきりしてくるのが十三、四世紀。ヨーロッパという統合意識はもっと前にあらわれてきますけれども、国家があらわれてくるのは大分遅いのであります。ヨーロッパという統合意識は一〇九六年の第一回十字軍によってかなり明確になったと言われております。しかし、このころヨーロッパにはまだ国家はなくて、国家といえば教会のことだったのであります。だから、ヨーロッパというものがおぼろげながらはっきりしてくるのが十世紀。
 それに対して、各国が単一国家意識というものを明確にするのが、先ほど申し上げましたようにフランス、ドイツ、イタリアなどがおぼろげにはっきりしてくるのは十三、四世紀でありますけれども、それが制度的、思想的にしっかりとした単一国家になるのは、普通ウェストファリア条約、ウェストファリア体制と言っておりますから、十七世紀という大変遅い日本の幕藩体制を迎えるころになってくるのであります。
 そう考えますと、どうも日本は違うということにお気づきであろうかと思います。日本はウェストファリア条約の約千年も前に国家意識を明確にしていたということであります。七世紀において日本はまだ、ここで皆様が普通言われる日本史の王権の成立、神武東征が何年であるかなどというそういう話はここではあえて控えさせていただきます。これを脇へ置いて考えても、古代日本が七世紀、八世紀に一定のナショナルの自覚に到達していたということ、その自覚がヨーロッパという共通意識が誕生するより三百年くらい前であり、ヨーロッパのウェストファリア体制、単一国家体制が成立する約千年も前であるという歴史的事実を我々は確認する必要があろうかと思うのであります。
 七世紀において日本はまだ朝鮮諸国からの影響が大きくて、大化の改新もよく考えてみると朝鮮の精神的影響下において行われたのかもしれません。ところが、それに続いて壬申の乱、六七二年を経て、西暦六七〇年から七〇〇年の間というのは日本史を画する三十年間でございまして、天武天皇、持統天皇、いわゆる天武・持統朝と言われるものでございますが、がらりと様子が変わって日本独自の律令国家の歩みが始まります。
 天皇の称号が生まれたのもこのときであり、それは天武天皇の、いやもっと前にあるという説はあるんです、推古天皇のころからだという説の方も有力なんですけれども、少なくとも木簡が出土して天皇号が証明されたのは、七世紀の終わりの天武天皇の木簡の出土であります。それから、国号で初めて日本というふうに主張するようになったのも七世紀の末であります。
 この当時の東アジアの情勢を考えてみますと、とにかく隋、唐という大帝国があって、それに対して自意識をたぎらせている東アジアの諸国がございました。つまり、高句麗、新羅、百済等々ですね。それに対して新羅が最終的に朝鮮半島を統一いたします。だから、東アジアにおける古代国家意識というものの確立は、日本だけではなくて朝鮮半島においても同様であったと考えることができます。
 しかし、何分にも半島は大陸と地続きであったために、絶え間なく大陸の軍勢の兵馬に虐げられて、そう容易に自分の意思を発揮することができず、例えば新羅はみずから律令を編み出すことができずに、唐の律令の中から必要な内容を拾い出して受け継ぎでやるということになります。東アジアでは、みずからの律令を、自前の律令を編んでそれを適用した国は日本一国なのであります。
 元号というものを使うことについて、これが中国文明の模倣であることは間違いないけれども、中国の元号を頑として使わないということを、大化の改新の大化元年以来使って平成の今日に至るまで使い続けているというのも日本一国でございまして、新羅はその段階で早くも唐の元号を使うことを強制されて、それに屈服しているのであります。
 この元号をどこの元号を使うかというのは、東アジアの国際外交の政治で大変重要な、いつもトラブルの種であったわけでありまして、朝鮮半島と日本との間の江戸時代の通信使の往来に関しましても、日本は明の年号を使うことを拒否いたしております。ただし、日本元号を使うことを朝鮮には強制しませんでした。朝鮮は明の元号を使い、日本はみずからの元号を使うという対決姿勢をとったわけであります。
 江戸幕府が開幕したころ、中国大陸とは、御承知のように秀吉の朝鮮征伐の後でありますから、非常に明との国交が心配されていたわけでありますが、日本がそのとき非常に平身低頭していけば何とかうまくいったんでしょうけれども、幕府の外交官林羅山は明の元号を拒否して日本が中国の北京政府の属国にはならないという宣言を意図的にいたしましたために、明を怒らせて国交は成立しませんでしたが、日本はあえてそれをよしとして、江戸時代を通じて幕府は北京政府とは外交関係を断絶し続けていたのであります。
 それが可能になったのは日本の経済の上昇でございまして、十七世紀における東アジアにおける日本の金銀銅の発掘量と、そして中国大陸が日本の銅に依存するという構造が発生します。元禄文化は日本が金銀で買い取ったごときものであり、例えば江戸の娘さんのかんざしに差したのは地中海のサンゴであったというように、豊かな日本というものが現出します。
 もっとも、それから日本はたちまち金銀を使い果たしてしまって、慌てて八代将軍吉宗のころになりまして自給自足体制というのを急がなければならないということになります。アジアの物産からの自給自足体制というものをつくるということにおいて日本は勤勉革命を実行して、それで江戸時代の後半に近代社会へ向かっていくわけであります、自給自足体制をつくるということにおいてですね。しかし、中国大陸に依存する必要は全くなかったのであります。
 かように日本の場合には、中国大陸とどう対決するかというようなことが宿命的、地理的に条件づけられていたからでありましょうが、日本は海に隔てられていたという幸運を一つの大きな条件、ばねとして、現実において中国大陸からは精神的、文化的に自立するという国家体制を延々と聖徳太子以来続けてきて今日に至っているわけであります。
 ところが、日本は、ここで大事なことでございますが、古代国家とそれからその後の国家の関係でございますが、日本とヨーロッパだけがある意味で極めて特殊なパラレルな関係、非常に並行する関係がそれから発生いたします。
 これはどういうことかと申しますと、両文明は、両文明というのは、日本は古代中国から、ヨーロッパは古代ローマから、あるいはまたさらにそれに続いているビザンツ帝国から、一種の文明の原理を継承するということをいたします。つまり、日本の場合には律令の継承であり、そして仏教や儒教などの宗教、高度宗教の継受であります。ヨーロッパの場合には、言うまでもなくローマ法の継承であるとともに、ヨーロッパの文明の規範をなすキリスト教の継受ということであります。
 ところが、どういうわけだか律令もローマ法も、古代統一国家帝国の原理をうまく両文明は継承することができずして、在地豪族、在地領主に反逆されて、日本ではたちまち封建制度というものが生まれてしまいますし、同様にヨーロッパでも封建制度が生まれてしまいまして、古代帝国のような統合国家というものをつくり出すことができませんでした。
 そのために、日本とヨーロッパだけは、東の端と西の端っこに約一千年間にわたって封鎖された状況の中で文明の動きから取り残されて、その当時地球上を大きく動かしていたのはユーラシアの騎馬民族、モンゴル帝国でございますから、そのモンゴルの暴力というものから、両端、つまり西ヨーロッパと極東の日本とは免れまして、その間の一千年の間に静かな成熟を遂げることができたわけであります。
 にもかかわらず、古代文明というものは何らかの統合の象徴を日本とヨーロッパに置いていきました。それは、ヨーロッパでは公用語としてのラテン語の普及、キリスト教の国教化、日本では仏教や儒教の伝播とやはり公用語としての漢字、漢文の普及があります。つまり、大文明の魅力、抽象的思考の偉力、いつでもそこへ戻っていけるという二つの古代文明への文化的安心感、学問、芸術の基礎、そして軍事的。
 それにもかかわらず、そういったようなものが黙って無言のうちにヨーロッパ文化と日本文化の背後に支えとなって存在したけれども、この両地域は、自分たちが先生とした古代大帝国が見る見るうちに目の前から消滅していくというのを目の当たりにして、そこから距離を持って離れて独自の文化を静かに成熟するまで形成することができた。つまり、先ほど言ったようにモンゴルの暴力の侵略も受けないでそういう特殊な地理的条件を楽しむことができた地域であります。これがヨーロッパという概念を生み、そしてまた日本という概念を生んだのであります。
 したがって、日本が対応しているのはイギリス、フランス、ドイツ、ロシアといったウエストファリア体制における単一ヨーロッパ国家、各国家と日本が対応しているのではなくて、日本は西ヨーロッパ文明というもの全体と対応している一個の独立した文明である、そして、この二地域が近代文明というものを生み出す濫觴になったということを考えなくてはなりません。
 私が申し上げているその統合の意識は、ヨーロッパにおいては先ほど言ったように十字軍というものになりますし、日本の場合は元寇に対するときの、なぜ元寇のときに一斉に立ち上がることができたかというのは、もうそれだけ国がばらばらでなかったということを意味するわけです。
 あるいは、国風文化というのがやがてできてくるわけです。これは、イギリス文化、フランス文化、ドイツ文化というのとは少し違う。イギリス、フランス、ドイツといった単一国家と違って、全体のヨーロッパというものと日本文明というものが地球の東と西の端っこでそれぞれ千年間の眠りの後に近代社会へ向かって動き出したというのが大体十七、八世紀になってくるわけでございます。向こうは侵略して攻撃して征服するエネルギーであり、こちらは待ち構えて防衛するエネルギーではありましたけれども、あり方はそうだったかもしれないけれども、そうした独立した文明であります。
 最後に一言申させていただきますと、今ここで日本が国境を外して、そして国境意識を低くしてというふうなことで、国際社会に一つにならなきゃいけないという国民国家コンプレックスを持つ必要は全くないのです。日本は、ヨーロッパが統合に向かっているより前に日本という統合はでき上がっているのであります。ですから、そういう観点に立てば、日本を非常に低い意味での国民国家の次元で考える必要はない。それは七世紀から延々と続く一大文明であったというふうに考えるべきだというふうに申し上げておきたいと思います。
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
 次に、正村参考人にお願いいたします。正村参考人。
○参考人(正村公宏君) 時間が大変限られておりますので、幾つかの問題を投げかけさせていただくという形で、いわば箇条書き的に私の思うところを述べさせていただきます。
 まず第一に申し上げたいと思いますのは、法治国家というのは、有効な法を維持するということを重要な課題として常に意識しないといけない。有効な法というふうに言いましたが、文明の基本的な条件は、申し上げるまでもなく秩序が維持されているということであり、できるだけ明確な社会的なルールが共有されており、政府も社会の構成メンバーもそれを守るという責任を負っている、こういう状況でありまして、もし法律が有効でなくなる、あるいは実態に合わなくなるといたしますと、法に対する信頼が揺らぎます。そして、法治国家としての基盤が揺らぐことになると思います。
 法治国家は、特に民主制を制度として確立している法治国家は、十分な議論を尽くして法律をつくる、つくった法律は必ず守るということを前提にしないといけない。そのことは同時に、守れなくなった法律、実態に合わなくなった法律、状況が変わったために適用し得なくなった法律は十分な議論を尽くして見直す、改正するということが当然のこととして要請されると思います。憲法も例外でないと私は思います。憲法もまた、状況が大きく変わったときにはまともに改正を議論すべきである、守られていない条項については、守れなくなった条項についてはどうしたら守れるかということをきちんと議論するということが当然であります。
 率直に申し上げるならば、過去五十年の日本においてそうした法治国家の要件が満たされてこなかった。憲法をめぐる議論が社会経済体制の選択にかかわるイデオロギーの対立と絡みまして、法治国家としての法のあるべき姿を冷静に議論するという、そういう状況がなかなかつくられなかったことは不幸なことであったと私は思います。
 しかし、一九八九年以後の世界の大きな構造変動を一つのインパクトとして、私はそういう状況を克服していく条件が生まれつつある、この条件を生かすことが必要であるだろうというふうに思います。
 法をつくったら、それを墨守するのではなくて有効性を絶えずチェックするということ、これが法というものの信頼性を高めることになり、法治国家というものを強化することになり、文明というものを永続させる条件になるというふうに私は考えております。
 こういう調査会をおつくりになったことに対して、私は心から敬意を表するものであります。初めから改めなきゃならないということで議論をすることではないというのは当然でありまして、十分議論を尽くして、どこが合わなくなっているのかということを考えなければならないだろうと思います。
 二番目に申し上げたいと思いますのは、現行憲法の持っている基本的な特徴の幾つかの点については、十分慎重に次の世代あるいは次の世紀に継承するということをお考えいただきたい。
 私は、法律学者ではございません、経済の分析を専門としている人間でありますが、なかんずく経済システムのあり方について長い間関心を持ってきた人間でありますが、そういう観点から憲法の体系というものを考えましたときに、恐らく憲法は、一方においては国民が共有しようと考える理念、価値、目標、そういったものをうたう部分があると思います。同時に、それらの価値、理念、目標をどういう機構でもって実現していくのか、政治のあり方、いや立法のあり方と言った方がいいかもしれませんが、行政のシステムをどうするか、それから司法をどういうふうにするか、その中で国民の権利をどういうふうに守るかということが当然うたわれているわけであります。
 その価値、理念、目標という観点から見ますならば、現行憲法はやはり一九四六年の内外の状況を色濃く残しているといいましょうか、反映しているというふうに私は考えるわけであります。
 幾つかあるわけですけれども、あえて一つの側面だけ申し上げますと、政治的システムと経済的システムの絡め方といいましょうか、かかわらせ方についての二十世紀後半の先進国で共有された体制観というものが私は現行憲法に反映されていると思います。
 現行憲法が人権、自由、民主主義の基本理念をうたい、戦前に不十分な形であったわけでありますけれども、それがいわば破壊された後で復活させる、復活させるだけでなくて強化する。一つだけ例を挙げますならば、男女同権の選挙制度を導入するということにもあらわれておりますように、大きな変革をなし遂げたわけでありますが、人権、自由、民主主義という言葉に代表されるような、いわば古典的なリベラルデモクラシーの理念を制度化する、いわば目標としてうたい、それを保障するための制度を考える、こういうことがあったと思います。
 しかし、それにとどまらなかった。それにとどまらないで、法律学者が社会権というふうに呼んでおりますような一連の新しい権利の保障をあえて法文の中にうたったというところに四六年憲法の基本的な特徴の一つがあったと私は考えております。
 申し上げるまでもないと思いますが、生存権の保障、国民はすべて健康にして文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。そして、これを保障するために政府は社会保障、社会福祉、公衆衛生に努めなければならないとうたっているわけであります。
 これは、フランス革命やその前のアメリカ独立革命以来のいわば古典的なリベラルデモクラシーにはなかった、あるいは古典的なリベラルデモクラシーを発展させる形で制度化、目標を法律でうたい、そしてそれを保障する制度を考えようと、こういうものであったと思います。
 一々申し上げる必要もないと思いますけれども、団結権を保障すると。労働組合の結成を認めるだけではないんですね、労働組合を結成する権利を擁護するのであります。労働組合を結成したという理由で解雇されるとすれば不当労働行為として経営側が罰せられるわけでありまして、こういう、弱者というと余り私の好きな言葉ではないんですけれども、社会的に現実には弱い立場に置かれている人間に対しては国家が団結する権利を擁護してやらないといけない、これは明らかに新しい考え方であります。
 あの個人主義、自由主義の考え方が伝統的に強いアメリカにおいてさえも、一九三〇年代の大危機の時代にニューディール政策の中で団結権を認める法律が定められているわけであります。三五年であります。ワグナー法というふうに呼ばれているようでありますが。
 そういう先進国が共有した新しい考え方、民主主義についての拡張された考え方が四六年憲法に反映されているということを、もう申し上げるまでもないことですけれども、私は今改めて強調しておきたいという気がするわけであります。
 もちろん、それだけではなくて、団結権のほかにも、労働の基準はこれを法律で定める、労働時間等々について。労働時間の制限ということになれば一九一九年のILO条約が非常に重要な意味を持っていると思いますけれども、やっぱり国際社会において、特に少なくとも先進国において共有されつつあった社会権の保障がうたわれている。
 同時に、例えば、私有財産権は公共の福祉に従属するということを明確にしているんです。私有財産権ということで何でもできるということではない。公共の福祉に反する目的に私有財産を使ってはならない、あるいは公共福祉の観点から私有財産を公共団体、国家が取り上げることはあり得るということをうたっているわけです。
 そしてまた、多分一九一九年のワイマール憲法以後の流れだと思いますけれども、国家権力によって個人の人権が侵されることを防ぐというのが古典的な人権の考え方であったのが、個人と個人とのぶつかり合いの中で人権が侵される、あるいは何かの団体が、企業があるいはいろいろな集団がだれかの人権を侵すことに対して国家は割って入るということが正当だというふうなところまで踏み込んだ考え方が生まれてきているわけです。
 私は、こういう考え方、社会権を保障しないと自由主義とか民主主義とかいう観念が空転してしまうという理解、これはリベラルデモクラシーの考え方の側からも生まれたし、その前の一世紀にわたって大きな影響を与えてきた社会主義の考え方からも生まれたと思います。
 こういう考え方を私は社会民主主義と呼んでおきたいと思います。特定の政党の名前に結びつけないでこの名称をお考えいただきたいのであります。リベラルデモクラシーと並んで考えられるべきソーシャルデモクラシー。実は、これはリベラルデモクラシーの、あるいはもう少しつづめて言えばリベラリズムといいましょうか、自由主義の拡張である。現実主義的な修正であり現実主義的な拡張である。
 例えば、私のフィールドになりますけれども、ケインズの完全雇用のために国家が責任を負わなきゃならないというのは、自由放任経済の考え方の否定ですよね。彼は自由な社会を守るためには自由を制限しなきゃならないと考えたんです。先ほど申し上げたニューディールがそうであります。あのアメリカで、やはり危機に対応するためには国家が強い役割をしなきゃいけないということを理解するようになったわけです。ヨーロッパにおいても、大戦後の中道右派の諸勢力も福祉国家の必要性を認めてきたわけであります。それは、リベラリズムの現実主義的な拡張であるというふうに私は理解しております。
 しかし、他方において、社会主義の流れの中からもリベラリズムを否定するのではない、リベラリズムを土台にしてこそ本当に人権が守られるという考え方が強まっていったわけであります。社会主義のいわば現実主義的な修正あるいは拡張として、東側の体制のような権威主義的、国家主義的、統制主義的な体制はつくらないんだ、自由に、結社の自由を認めて言論の自由を認めて、そして秘密投票制の選挙をやって政府をつくるというこの制度は壊してはならない。しかし、その上にかつて社会主義者が主張してきたような一連のやはり権利というものを具体的に制度化していくということが重要だ。社会主義の考え方の発展としての、社会主義の考え方の現実主義的な拡張としてのソーシャルデモクラシーが制度化されていったというのも第二次世界大戦後の重要な特徴であります。むしろ、三〇年代以後と言うべきかもしれません。例えば、スウェーデン福祉国家の建設というのは三〇年代から始まっているわけでありますから。
 こういう流れの中で日本の憲法というもの、現行憲法、四六年憲法というものを置きますと、一九四六年時点における先進諸国の指導者の間で共有されたある方向というものがそこに反映されている。ついでに申し上げますと、社会権の保障、そういう言葉ではありませんが、社会権の保障にかかわる幾つかの文言が、四一年八月のチャーチルとルーズベルトの大西洋会談、大西洋憲章というので言われるわけです。あそこに出てくるんです、社会保障をやらなきゃいけない、労働基準を改善しなきゃいけないと。
 つまり、社会問題が国家間の対立の先鋭化の背後にあった、経済危機の背後にあったということを指導者たちが認め始めた。チャーチルは社会主義者ではありません。ルーズベルトも社会主義者ではありません。しかし彼らは、現実主義的な政治家として、かつ改革を志向するそういう社会的な圧力の中でそのことをうたっているわけであります。ですから、日本を占領したアメリカ軍は、そういういわば世界の流れの中であの憲法を持ち込んだ。
 しかも、ただアメリカ軍の圧力だけであの憲法ができたのではなくて、当時の日本の国内の政治状況の中では少数派であったと思われる社会主義的な勢力を含めた、一部のといいましょうか、少数の知識人といいましょうか、知的な勢力の提出した憲法草案を英訳して参照にしているわけでありまして、彼らは、この日本人たちは、大戦前の深刻な社会問題というものを経験して、これを何とかしなきゃならない、農業問題とか労働問題とか、そういう問題についての深刻な経験を踏まえて、憲法はこうあるべきではないかという提案を出しているわけです。詳細はわかりませんが、一定の、今日の憲法がつくり上げられる過程で占領軍の中を通じてこれが影響を与えたことは明らかだろうと思うんです。
 マッカーサーという人は、開明的啓蒙的専制君主の役割をしたのでありまして、内外の改革的な圧力を、思惑はともかくとして、結果としては受け入れ、そしてそれを制度化する、日本に入れる。だから外圧と内圧の合作だというふうに考えた方が私は正しいのではないかというふうに理解しているものであります。
 時間がなくなりましたので、最後に申し上げたいことをはしょって述べます。
 第三点でありますが、今、憲法について改めて御議論いただくとすれば、世界の大きな変化を視野の中に入れていただく必要があるのではないか。
 端的に申し上げるならば、二十世紀を動かしてきた文明の流れは延長できない。二十世紀がつくり出したこの物すごく資源浪費的、環境破壊的な文明というのは延長できません。これは延長したら人類の破滅であります。豊かさと便利さを享受している国民、しかも言論の自由と結社の自由と民主的な選挙制度を確立している国民は、六十億の全人類の中ではまだ十億そこそこなんです。かつての大国であったロシアは、今になって近代化のやり直しを迫られている。大変厳しい状況であります。その状況であって既に資源枯渇、環境破壊は深刻なのであります。
 私は、二十世紀から二十一世紀へという変化、たまたま暦の変化でありますけれども、文明史的な大転換を課題にしないといけない。新しい文明を創造するということを考えないといけない。そのときに、二十世紀を突き動かしてきた幾つかのイデオロギーを根底から克服するということを課題にしないといけないと考えております。
 手短に申し上げますと、その第一はインダストリアリズムであります。産業主義です。生産の拡大、消費の拡大、際限もなく追求するというこのすごい圧力をどこかでとめないと破滅になります。
 第二は、デモクラティズムであります。
 民主主義といいますと、民主主義を否定しているのかというふうに響くかもしれませんが、イデオロギーとしてのデモクラティズムにつきまとっていた幻想を捨てないといけない。デモクラティズムからソーシャリズムが派生いたしました。ソーシャリズムからコミュニズムが派生いたしました。根っこはデモクラティズムなんですけれども、結果としては民主主義を否定し、人権を否定し、自由を破壊し、独裁体制を肯定しちゃったんです。
 この民主主義に対する思い込みを捨てないといけないと思います。民主主義、デモクラティズム、イデオロギーとしてのデモクラティズムを克服して、制度としてのデモクラシーをどう機能させるか。有効な統治のために、地球規模の人類破滅の危機を防ぐために、有効な政策決定を民主制を通じてできるのかどうか、国際社会においても国内においても。これが問われる、これが二十一世紀だと私は思っております。
 第三のイデオロギーは、ナショナリズムであります。
 二十世紀の後半というのは、植民地体制が崩壊して一応ネーションステートシステムがグローバルなシステムとしてでき上がったように見えた。途端にナショナリズムの限界がはっきりした。今、いろんなところでナショナリズムに火がついていますけれども、二十世紀のすごい巨大なマイナスの後遺症なんだと考えないといけない。ナショナリズムを強調することで私は国家、社会の統合は実現できない。
 日本の国内についても、国家の基盤になっている社会が危機にあります。子供の問題を考えてください。自然破壊の進行を考えてください。社会がおかしくなっているときに国家、国家、国家ということを言うことは、私は解決策にはならない。社会の基盤を根底から見直す、耕し直すということが私たちの課題だと思います。
 ナショナリズムは私は処方せんではない。むしろ、二十世紀の一つの重大なイデオロギーとして、非常に建設的であると同時に大変破壊的なエネルギーを生み出したこのイデオロギーをどうやって乗り越えるかということを冷静に考えないといけない、そういうところに来ているということを申し上げたいと思います。
 どうもありがとうございました。
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
 これより参考人に対する質疑に入りますが、二十一世紀に舟をこいでいらっしゃる先生方もいらっしゃるようでありますが、しっかりとここで現実的に目を覚ましていただきたいと思います。
 きょうは、御承知のように党首討論が三時からございまして、残された時間は余りございませんので、効率的に質疑を進めていきたい、こう思っておりますので、御協力を賜りたい。
 きょうは、通常の調査会と違った逆回りで会長指名をさせていただきたい、各会派からトップバッターを一応事務局からお聞きいたしておりますので、それに従って指名をいたしますので、お許しをいただきたいと思います。
 では、佐藤道夫委員からきょうはお願いいたします。いつもしんがりをお務めのようでございますけれども、きょうは最初にひとつお願いいたします。
○佐藤道夫君 冒頭に御指名いただいて、大変光栄に存じます。
 今は両先生から大変次元の高いお話を承りまして、これを今我々が当面している憲法調査会の調査研究、新しい時代に備えて憲法自体を新しくする必要があるのかどうか、そこら辺にターゲットが絞られている調査会ではありまするけれども、それにどういうふうにして生かしていくべきなのか、大変重い宿題を与えられたような気もしておりまして、それなりに緊張もしております。
 そこで、最初に西尾先生にお伺いしたいと思いますけれども、日本が紀元七世紀ごろから国家として、いわば世界で最初と言ってもいいぐらいのしっかりした民族統一国家をつくり上げた、それはそのとおりだと思います。それから、中国の影響も受けるか受けないか、少なくとも元号は使わなかった。私もそういう意味で日本国家の独自性というのを大変高く評価していいんだろうと思います。
 そこで、幕末、明治維新、黒船来るということで、日本人はどうしたかというと、慌てて古い衣を投げ捨てて新しい時代だということで文明開化に突入していく。そして、国の基本となる憲法、これはどうしたかといいますと、ドイツに伊藤博文が金子堅太郎なんかを連れていきまして、研究の結果、ドイツの憲法をある意味ではそのまま持ち込んできた、こう言ってもいいわけでありますね。
 それが、終戦を迎えまして、今度は旧憲法を投げ捨てて、新しい西欧民主主義に根づくような今の憲法を持ち込んできた。それに対して抵抗らしい抵抗はもちろんしていない、大変結構なものだと。私も当時中学の一年生で、万歳万歳をした記憶、マッカーサー憲法何とすばらしい、こういう話をした記憶もあるわけであります。
 この辺のところは、日本の古い国家像、自分たちで一つの国家をつくり上げてきた、だれの影響も受けなかった、そういう日本人の独自の精神と、幕末とそれから終戦直後のこの変幻自在な日本人の生き方とをどういうふうに理解したらよろしいのか。
 今は、もう二十一世紀ですから新しい時代、何かつくろうか、こういうことになりますと、今先生もいろんな例を挙げておりましたけれども、やっぱり目は自然と海外に向けまして、何かいいものはないかと、ああ、あったあったということでまた何か持ち込んできた方がいいのか悪いのか、もう少しきちっと落ちついた議論をすべきなのかどうなのか、その辺のところをお教え願えればと思います。
 それから、正村先生につきましては、日本は法治国家である、それから、法律が現実に合わなくなったらこれはこれで速やかに改正すべきであると、まさにそのとおりでありまして、これは一種の合理主義的な考え方だろうと思います。私も法律家の端くれですからそれはよくわかりますが、日本人というのはまた上手に建前と本音を使い分ける民族でもありまして、それが本当の日本人の賢明な生き方なんだというふうに言う人もおるわけです。
 例えば現行憲法の九条、あれはだれが読んでも戦力の保持は禁止している。ところが、自衛隊、あれは軍隊じゃないかという質問に対しては、自衛隊は軍隊ではないというふうな言い抜けをずっと政府はしてきておって、そんなに追及しても始まらぬ、もう少し現実を見詰めて賢明に生きていこうやというのが大方の日本人の考え方。
 もう一つ、典型的な例なんですけれども、八十九条の私学助成の関係。あれは条文を読めば私学助成が憲法違反だということは明らかなんですけれども、私学も困っているから、憲法改正は後々にして、とにかくやるものはやろうやということで私学助成なる制度がずっと連なってきているわけです。
 あの辺のところについて、日本人の何というのか、建前と本音の上手な使い分け、これは、法治国家法治国家といってもなかなか日本人の頭からは切りかえることはできないんじゃないか、二十一世紀が来ても同じようなことの繰り返し。それがいいのか悪いのか、その辺のところについてお教え願えればと、こう思います。
○参考人(西尾幹二君) 私は憲法学者ではございませんので、やや素人っぽい意見になることをお許し賜りたいのでございますが。
 憲法の問題が常々現行憲法対明治憲法という対比で論じられてきておりますけれども、そして現行憲法は押しつけ憲法、借り物憲法ということになっておるんですが、基本的には明治憲法も近代ヨーロッパをモデルにした憲法でございまして、それが日本の文明の独自性から出てきているものかどうかは大変疑わしいものと思っております。
 つまり、現行憲法を修正して明治憲法へ戻るという話では全くなくて、日本国家が本来七世紀以来孜々として築き上げてきた、西洋でもないし中国文明にも隷属していなかったというこの独自性を、日本の宗教、芸術、文化、教育、ありとあらゆる観点から日本人とは何かというものにさかのぼって、きちんとした新しい憲法をつくるのが本来の筋であろうかと思っております。
 しかし、大変な課題でございまして、外から借りてくるということで何でもやる習性の強い民族にとって、みずから発信するというパワーの弱い国民で果たしてできるかということについては、時間がかかるということで非常に憂慮するものであります。私は、そういうことは時間をかけてやるべきだと思っておるのでございますが、ただし一つ、我々の憲法の欠点が喫緊の課題においてたくさんあるのでございます。御承知の集団自衛権をめぐる問題でございます。こういうものに関する数点だけ、憲法の条項の全面改定ではなくて、修正案というようなものを喫緊の課題に関する限りやって、これは可能な限り早く、一両年内ぐらいに片づけるくらいでなければいけないのではないかと思っております。
 ちょっと、いわゆる本質論と便宜論と、二つ分けて申し上げたつもりでございます。
○参考人(正村公宏君) 佐藤委員から具体的な御質問でありますけれども、大変重要な御質問をいただいたと思います。
 私が影響を受けました、書物を通じてでありますが、影響を受けた経済学者の一人に、アメリカのケネス・ボールディングという人がいますが、この人の書いた書物の中に、大変ユニークな社会システム論を展開しておられるのですけれども、どんな社会でも本音と建前の食い違いというのはあるんだと、これをなしにするわけにはいかないということを、アメリカ人なんですが書いているんです。しかし、彼はそれにつけ加えまして、本音と建前の食い違いが余りにも大きくなるとこれはまずいということを強調しておられるわけであります。
 私もそう思います。本音と建前を使い分けるというのは限度があるわけでありまして、ちょうどハンドルの遊びとかブレーキの遊びとか、それがなかったらもう大変なことになってしまいます。やっぱりあるゆとりが、遊びがなければ、この範囲は許容範囲だよという、その見きわめは難しいですけれども、なければいけません。
 しかしながら、大きく食い違ってしまったものを見て見ないふりをするという状態を続けるわけにはいかない。それは法治国家の国民自身の精神を腐食させることになりかねないと思いますし、国際社会で通用しないということになりますでしょう。これだけ経済的な相互依存が強まっている社会の中で、やはり透明性の高いルールをつくり、そのルールはこの範囲で守られているということが示せるようでないといけないだろうというふうに私は思っております。
 今までの、具体的には九条等々が挙がると思いますけれども、こういう問題についても、東西対立という深刻な国際的な情勢の中で、先ほど冒頭に申し上げましたけれども、不幸な議論のされ方があったわけでありまして、私は、もっと冷静に、平和主義は基本原則として堅持するけれども、国民の生命の安全と人権を守る。外国の勢力が日本のだれかを拉致するというようなことが起こっているという疑惑があるとすれば、これは深刻に受けとめないといけない、自分の国家が人権を守る能力がないということを証明していることになりますから。そういう受けとめ方が私は必要だろうと思うんです。
 今、国際社会で、テロリストの国家であったり、非常に閉鎖的な、軍備を優先して国民を飢餓に追い込んでいるような国家というのは二十世紀の後遺症と言うべきものなんですけれども、重い後遺症に対してはまじめに対応しないといけないというふうに私は思います。ナショナリズムは処方せんにならないけれども、人権と自由の観点からは、生命の安全の観点からやるべきことはちゃんとやるということができるような法体系をつくらないとまずいというのが私の考え方であります。
 それからもう一つ、私学助成の問題についてお触れになりました。私の個人的な利害関係がない問題ではないわけなんですけれども、でも、私の考え方ははっきりしております。
 私学助成の問題については、例えば私どもの教授会などでも、もう非常に古いことですから、時効というのがあるかどうかわかりませんが、言っても構わないと思いますけれども、政府に対して補助金を要求しようという声は時々上がったわけです。私は反対いたしました。補助金を受けることで責任が明らかにならなくなる。農業補助金のやり過ぎに反対している人間が私学助成に賛成するわけにはいきませんから、反対いたしました。学生に対して、学生個人に対して奨学金を給付する制度を拡充するということは意味があると思います。機関助成はまずい。ですから私はそういう動きには加わりませんでした。反対いたしました。
 それは私の一貫した考え方なんですけれども、憲法の条項が正しいかどうかというのは議論しなきゃならないことではあるかもしれませんが、私は守った方がいいというふうに思っております。そして、少なくとも法律がある以上は守るという努力をする。だめだと、やはり助成が要るんだったら、憲法改正を責任を持って提起するということを少なくとも大学の教師ぐらいの人間はやらないといけない。それをやらないで補助金を寄こせという運動をやろうというのはおかしいというのが私の立場でございます。
 私は東西対立と申し上げましたが、冷戦という言葉は日本人は使ってはならないというのが私の意見であります。冷戦という言葉、コールドウオーという言葉が当てはまるのはヨーロッパだけなんです。アジアでは大変ひどい激しい戦争があってたくさんの人命が失われているんです。東西対立絡みで地域的な戦争が起こっている。地域的ではあったけれども、国際的な性格の極めて激しい戦争が起こっている。
 このアジアに位置している日本人がそのことを直視しないで、アメリカ人とソビエトの代表が集まって冷戦が終わったと言ったら、冷戦が終わった冷戦が終わったとオウム返しのように言うのは無責任な、社会を自分の目で見ていない証拠だと。冷戦ではなかったんです。熱戦の時代だったんですよ。何百万の人間が失われているんです。ポル・ポトの独裁を含めてインドシナでたくさんの人が失われています。それからアフリカや南米でもそうでしょう。
 こういう状況を踏んまえて議論しないといけない。ヨーロッパ以上にアジアは深刻だったんです、いろんな理由がありますけれども。それが、その東西対立の一番根幹のところが、まだ完全ではないですけれども融解が進んでいる。氷が解けるという意味の融解です、人を誘拐するじゃありません、解け始めた。これはいい機会なんですね。
 私は、ラジカルに考えてグラデュアルに変えていくという、そういう習性を日本人が身につけるかどうかということはこれからテストされるだろう。考えるときは根源的、根底的に考える。でも変えるときはステップ・バイ・ステップに変えていくということが非常に大事だろう。特に現行憲法に関しましては、これを全部捨てて新しい憲法をつくるという革命は私は問題にならないと思います。現行憲法の制定は、上からの圧力のもとで、権力を向こうに握られた状況のもとで革命を強制されたと言ってもいいような変革ですね、私の理解では。でもそれはやむを得なかった部分がある。八九年のいわゆる明治憲法……
○会長(村上正邦君) 申し上げます。いいところで、もうちょっととっておいてください。後でまた出てくると思いますから、この辺で。
○参考人(正村公宏君) わかりました。じゃ、これでとめます。御質問があればさらに申し上げます。
○会長(村上正邦君) たくさん参考人に質問したい委員の申し出が来ておりますので、まだまだこれからお説をお伺いしなきゃなりませんので、端的にひとつお答えいただければと思って僣越ながら参考人に申し上げさせていただきました。
 椎名素夫委員。
○椎名素夫君 きょうは、お二人の先生から大変次元の高いお話を伺って大変勉強になりました。
 私は、明治維新のときに、西尾先生に伺いたいんですが……
○会長(村上正邦君) ちょっと聞きにくいので、椎名先生、もう少ししっかり言ってください。ちょっと聞きにくい。
○椎名素夫君 西尾先生にまず伺いたいんですが、明治維新のときに明治憲法、ある意味では、先ほど佐藤先生が言われたように、ヨーロッパへ行って勉強してきてつくりましたですね。形としてはネーションステートに非常に似たというか、ネーションステートの形ができ上がったというふうに思うんです。
 しかし、先生お話がありましたように、その前から日本というのはあの憲法があるなしにかかわらず国だったということは確かなんで、その中で培った文化というものもあり、それから地理的条件もあり、そこで明治以後の明治の変革に対応できた。このときに、その時点で日本は日本の国をつくったんじゃなしに既にあったということなんですが、キリスト教なんかでもほかの宗教を信じた人たちがそれをやめて改宗するというのがありますね。自覚のもとにキリスト教に入信するというのもあるし、しかし一方では生まれながらのボーンクリスチャンというのがありますが、たまたま日本というのはそういう意味では、ああいう憲法をつくってヨーロッパと同じような格好にしてみたら、まさにネーションステートみたいに見えちゃったというところが私はあるんじゃないかと思うんです。
 そこから少し錯覚が起こってきて、細かい話は別にして、よそのいわばいろいろないきさつを経てできてきた、改宗して自分たちでネーションステートというのを無理やりにつくり上げたような国、このまねをいわばした結果があの敗戦になったという大きな流れかと思うんです。そこで占領軍が来て今の憲法ができ上がった。これは、また今そのお話が正村先生からございましたけれども、いろんなイデオロギーをぶち込んで、その根幹というのはやっぱり勝った人たちの正義というのが随分あるんだろうと思うんです。正義という観念、それから進歩という観念、いろんなものが入りまざったようなものができ上がったけれども、これは明治憲法ができる前からあった日本の国ということとますます関係が薄くなってしまったあたりに、我々がどうもしっくりしないところが多くの人たちの心にあるのではないかという気がいたします。
 そこで、でき上がったものは、まさに何もないところに日本人が国をつくったというような場合にも適合するような憲法というのが今の憲法ではないか。そういう感覚というのは、マッカーサー元帥が日本人はまだ十二歳だと言ったあたりにもあらわれているような気がするんです。しかし、本当は似たようなことを形の上ではやってきたけれども、我々はもう生まれる前から要するにステートだったというあたりとの食い違い、これを一体どういうふうにしていくかということは私は非常に大きな問題だと思うんです。
 そこで、憲法というのは、よくわかりませんが、これは正村先生にも伺いたいんですが、何もかも書かなきゃいかぬものかということであって、千年以上にわたって存在しているものについてあえて書かなくてもいい部分、不文の部分というのが、むしろその方がいいような部分というのがあるんじゃないか。しかし、憲法というのは何もかも書くべきだという建前に立ってみると、書いていないことはないことになってしまう。
 書いていないことはないよということの中に、国家には緊急事態というのはあり得ないという部分がある。あの憲法を毎日毎日一回は大声を上げて読んで復唱してみても、一体日本に危急の場合が起こるかもしれないという観念はどこからも出てこない。何か知らないけれども天から降ってきたような、国には固有の自衛権があるというような、どこに書いてあるのかわからないようなことでつじつま合わせをやっているという、こういう状態です。これは何か考えなきゃいけないんじゃないかと思うんです。ですから、国のマネジメントをやっていくところでは条文をきちっと書いていく。しかし、あえて天皇というのは何であるかというようなことをまずい文章で書くこともないように私は例えば思うんです。
 そういう部分というのは、結局、千年前から伝わってきた日本というものであるその部分と、全くプラクティカルに毎日の国のマネジメントをやっていくためにはこういう決まりとして現実と乖離していないものでなきゃいかぬという、そこの、条文にきちっと書かなきゃいけない部分ときちっと区別をして、そして全体としてどうするかということを考えるべきなのではないかというふうに思いますが、あえてどちらの先生にということはございませんが、よろしくお願いします。
○参考人(西尾幹二君) 憲法はコンスティチューション、コンスティチューションは体質という意味であります。体のことを普通別の意味では指します。ところが、日本の現行憲法は我が日本の伝統文化というものの体質に合っていないということだけはどなたも、私は明治憲法もやはり合っていなかったのではないかということを先ほど申し上げたわけであります。
 ドイツは憲法という言葉を使いませんで、現在、基本法と言っております。これはいつか本物の憲法をつくるということで差し当たり、暫定という考え方が基本にあるんだろうと思います。そのかわりどんどん改正して、三十六、七回改正しているわけであります。
 それで、我々も憲法は不磨の大典だとか変えることができないんだとか考えることをまずやめることを何とかお願いしたい。つまり、我々の今持っている憲法は絶対不変のものではないのでありますから、便宜的に毎年一回変えてもいいぐらいの考え方で臨むべきであろうかと思うのであります。そして、一回修正を加えたものが絶対的なものではないんだという国民教育が必要で、また都合が悪くなれば変えるんですよということでみんなに意識を諮れば、変えられたからこれでもって戦争が起こるとかいったたぐいの議論を回避することができるだろうと私は思っております。
 政治というのは何よりも実際的でなければなりません。今お話にございましたように、あの憲法はどこを読んでも危急、緊急な事態が起こらないという前提で書かれております。しかし、現に今起こりつつある可能性が高まっているわけであります。そうすれば、あの憲法は全く機能していないということは明らかであります。
 例えば、雑誌「諸君!」で櫻井よしこさんのインタビューというのがあったんですが、その中で外務省の某高官が、尖閣諸島はあれは中国にくれてやるしかない、譲るという精神が必要だ、そのぐらい寛大な心さえ持っていれば何事も起こらないんだという発言をしていたそうでありますけれども、私は驚くべき、外務省というのはこんなことを考えているのかと思って非常にびっくりしたわけであります。
 一言申し上げますと、政治というのはそういうものではないはずで、一たん譲歩すればその次にという、つまり尖閣列島でとどまる話じゃないわけです。尖閣列島で譲歩すれば相手は沖縄を言ってくるわけです。沖縄を譲歩すればということになってくるわけで、いつかそれはどうにもならないことになるわけです。そういうことがわかりながら、この国には外交がないんじゃないか、政治がないんじゃないかという憂慮の念、先ほど拉致事件がございましたが、国民はひそかに憤り、憂慮しております。
 それは憲法の中のとりわけ集団自衛権にかかわるような部分の解釈の多義性を招く非常にあいまいな、あるいはあいまいというよりもある意味では逆に単純でわかり切った、自衛隊が憲法違反になっているようなそういう構造が文言の中にそのままになっているということがおかしいので、緊急を要するものはそこだけでもいいですから、本当に半年、一年の間に取りかえていただきたいと思っている次第です。
 ただし、私はそれ以外の部分については余り急がない方がいいのではないかと思ってさえおります。なぜならば、フェミニズムがばっこし、人権の声が盛んで、教育者あるいは政界の大半にまでその汚染が及んでいる現実を考えますと、私は、今のままで憲法が改正されますと、とんでもない別の権利義務だけが非常に要求されるような憲法改正が行われるのではないか、こういう憂慮をむしろ持っておりますので、必要なことだけきちんと改正して、余計なことについては時間をかけて考えていただきたいと思っております。
○参考人(正村公宏君) やはり幾つか重要な御指摘をいただきまして、大変刺激になったんですが、まず申し上げたいのは、憲法制定というのは一つの政治的なイベント、事件でありまして、そのときのかかわった主体の戦略、政略が常につきまとっていたと思うんです。
 明治憲法の場合には、条約改正問題との絡みで、欧米人が見てこの国は自分たちの理解している法治国家になったということをわからせるために、憲法のみならず商法、民法も含めて法体系を整備しようと急いだわけです。その過程で、明治の指導者たちはヨーロッパの中で自分たちに一番使いやすいモデルを使ったと思います。
 その使いやすいモデルは何であったかというと、伝統的な権威を使って近代国家の成立を急ぐという、こういう方法ではなかったかと思うんです。ヨーロッパの場合にも、後発国でありますドイツ、イタリアは王の権威、あるいはドイツの場合は王が皇帝になるわけですけれども、こういう権威を使って近代国家をつくる。でも、近代国家をこういう方法でつくるというのは矛盾をはらむわけでありまして、領土、領民は王のものである、皇帝のものであるというのがそれまでの支配的な観念であったものを、否定する方向に歴史は動いていたわけでありますから、内部矛盾ですよね。
 そういう伝統的な権威を使って近代国家をつくるという矛盾をはらんだものを明治の指導者たちは一番使いやすいと。王政復古以来そういう方向だったと思いますが、それで選んだ。
 しかし、そのモデルにした国を含めて一九一〇年代には主要国の中からそういうタイプの君主国は全部消えたんですね。ロシア帝国が崩壊いたしました。オーストリア帝国が崩壊いたしました。ドイツ帝国も崩壊いたしました。日本だけが残っちゃった。もう一つ小さな国ですけれども、朝鮮帝国というのが、大韓帝国ですけれども、隣の国がつくったわけですが、これは日本がつぶしちゃったわけです。唯一残ったのは目立つのはタイ、シャムぐらいのものでありまして、ほかにいろいろありますけれども。
 特に日本がモデルにしたヨーロッパからそれらの君主国はなくなっちゃって、矛盾をはらんだ憲法体制を二十世紀半ばまで引き継いだのは主要国の中では日本だけだったという事実に私は注目する必要があるだろう。恐らく一九一〇年代、第一次世界大戦以後の世界で主要国の中では十九世紀型の君主国を必死になってだましだまし使おうとしていたのは日本だけだった。ここに悲劇の一つの原因があったと私は思っております。
 ですから、先ほど言いかけて会長さんに制止されたんですが、革命はやむを得なかったかなと。でも、戦後の憲法制定もまた当事者の政略、戦略の産物なんでありまして、アメリカは開明的専制君主の役割をマッカーサーがしたと言いましたけれども、やはりアメリカはアメリカの世界戦略の中で、日本の非軍国主義化、非軍事化という戦略があってあの憲法を日本に強く要求したわけでありまして、そういう過程であります。ですから、それは見ないといけない、きれいごとじゃないということは見ないといけないと私は思っているんです。
 しかしながら、これは本音と建前の議論ともつながりますけれども、そこから生まれてくる理念の中でやはり生かせるものは生かすということを考えざるを得ないのであります。なぜならば、我々はルールなしには生きられませんから、そしてそのルールの基礎にはルールの根拠を示さなきゃいけませんから、やはりその理念、目的、価値というものについてのコンセンサスというものを絶えず考えていく、政略、戦略が絡んでいるということを冷静に見抜きながら、やはり我々は価値を大事にしようという、そういう動きをとるしかないだろうというのが私の考えであります。
 もう一つ、椎名委員がおっしゃったことの中で私は大変共感するのでありますけれども、何もかも法律に書くことが必要なのか、憲法に書くことが必要なのかということについての私の考えを申し上げますと、私は、社会システムとは何だと聞かれたときに、一見俗っぽく響くかもしれないけれども、わかりやすい回答をすることにしております。それは社会的なルールの体系であると。そのとき必ず断りを入れます。社会的ルールというときに、法律で決まっているものばかりではない、長い間の慣習として人々の間に定着しているルールも立派にシステムの重要な構成要素であるということを忘れるべきではないと。
 近代社会の重要な特徴は、それらの慣習も含めて明示化したりあるいは意識化したりする努力をして、お互いにどういうルールのもとで行動するのか、どういうルールが我々の社会の基本的ルールなのかということを絶えず確認し合うということで交際の範囲を広げ、交流の範囲を広げ、国際的な広がりの中でつき合うということをやっているわけでありますから、だから、すべてを慣習に任せるというわけにはいかないけれども、しかし実は何もかも法文で決めるあるいは自治体の条例に全部きめ細かく決めないとルールは決まらないんだというのは間違いだと私は思います。そして、一度決まった法文が違った解釈をされるようになればルールは微妙に変わっていきます。これも実は我々の社会というのはその程度のフレキシビリティーはちゃんと認めておかないといけないわけでありまして、それはやはりいわば知恵の問題だろうと思いますが、そういうふうに考えております。
 ですから、憲法にすべてのことが盛られなければいけない、あるいは憲法に書かれていないことはないんだというふうな考え方は私はとっておりません。しかし、書かなきゃいけないことが書いていないという場合には、これは書く努力をしないといけないだろうというふうに思います。
○会長(村上正邦君) ありがとうございます。
 平野貞夫委員。
○平野貞夫君 自由党の平野でございます。
 最初に西尾先生にお尋ねいたしますが、私は三十二年国会職員、それから八年国会議員で、国会の中で先生方のいろいろな議論も聞いてきたんですが、この四十年で、国あるいは社会の基本問題になるとどうも分裂国家的な議論が行われた、果たして一つの憲法を持って国家を経営しているかどうかわからなくなるような議論が随分ありました。
 現在でも、政党再編が行われていろいろ形が変わっていますが、国の基本についてはまるで日本人というのを忘れて、米国を代理するか、あるいは中国を代理するか、あるいは北朝鮮を代理するか、あるいは韓国を代理するかわからぬような、顔が皆日本人で大体DNAは統一されているようですけれども、精神的、心理的にまるでそういう人たちを代弁するかのような議論が随分多くて、いろいろ混乱のもとになっていた、こういう印象を持っております。
 西尾先生が時々書かれております日本人の本来的自己の喪失ですか、そんな現象かなということで、私はその一原因にやっぱり現在の憲法の事情があったと。したがって、二十一世紀、ここで本当の意味で一つの憲法を我々が持つためにこの憲法調査会がつくられ、そして今の憲法を、原理を尊重し発展させるためにあるべきではないかという思いを持っていますが、私の意見に対してひとつコメントしていただければ大変ありがたいと思います。
 それから、正村先生にお尋ねしたいことは、過去の歴史の社会的危機の背景は経済問題が主要な問題であったと、そのとおりだと思います。私は、今の憲法の中でもう少しこれを整備しなきゃいかぬという問題は、非常に混乱しおかしくなった現在の資本主義、市場経済、これをやっぱり健全化するための規律といったものが、具体的な規定でなくてもいいんですが、一つの憲法の方針として二十一世紀には示されるべきではないか、こういう思いを持っております。
 それについて先生の御意見をお聞きしたいということと、それからもう一つは、随分……
○会長(村上正邦君) 質問者、一問一問にしてください、時間の関係がありますので。
○平野貞夫君 はい。
 環境権をつくれという話をしておるんですが、私は、これは環境保全の義務だ、むしろ、人間の権利じゃないんだ、保全の義務だというふうに感じていますが、そういったことについて御意見をお聞きしたいと思います。
○参考人(西尾幹二君) その前に、同じことに関係するんですが、先ほど椎名先生の方から、書かなくてもよいことは書かなくてもよい、そういう言葉のすき間のある憲法でいいんではないかと含蓄のあるお話がありましたが、今の話と関係するんですが、成熟した国家ならそうだと思うんです。ところが、書かなくてもよかったはずの国旗・国歌に関する慣習が、法令化しないと、書いていないからやらなくていいんだという議論に日増しに押しやられてきて、それがもう我慢のできない限界に来たために国歌・国旗法案をつくらざるを得なかったということを考えますと、書いておかないとだめな国、成熟していない国、残念ながら言外の言がわからない国になっている。それどころか、言外の言を逆手にとっていろんな奇論が横行する危険があるわけでございます。
 それで、今の平野先生の話に戻らせていただきますと、国家の問題になると、実は国籍不明の議論になり、アメリカなのかヨーロッパなのか中国なのか北朝鮮なのかわからないような議論になってしまうというお話がございましたが、今日の子供が使っている歴史教科書がまさにそういうものでありまして、どこの国の教科書か全くわからなくなっているのであります。それで、それで習ってきた人たちがマスコミの大勢を占めるようになり、議員さんの中にも年代的にそういう教科書で習ってきた人たちがだんだんふえてまいってきておりまして、そういうところから多分何か議論が起こると本来的自己喪失という現象が起こっているのではないかと思うのです。
 ですから、議員さんがさらに世代交代してしっかりした教科書で学んできた人たちが議員さんになる時代が来るまでは憲法を変えると危ないんじゃないかというのが私がずっとさっきから申し上げていることでございまして、憲法は望ましい方向に変わるのではなく、さらに悪化する、劣化するのではないかという憂慮の念も抱いていることをつけ加えさせていただきます。
 そして、書かなくてよいものではなくて、書かなければいけないプログラム、その中には紛れもなく国軍の規定というのがなければならないんで、これがない憲法というのは、あるいはまた教育の中にも軍事的知性というものが、軍隊教育しろという話ではないです、軍事的知性、知能というものがなかったら国家として成立しないのです。しかし今この国が成立しているのは、日米安保条約というパワーに依存しているからなのであって、日米安保条約と軍備を持たないと称する憲法とが二つ一体となって辛うじて憲法になっているんです。つまり、日米安保条約は憲法の一翼を担っているんです、今の場合。
 そういう構造を形成しているわけでありますから、これがおかしいということはずっとわかっていて、五十年論議されてきているわけですから、この問題に関する限りは本当に喫緊を要するのではないかということをあえてまた繰り返し申し上げておいて、修正条項ででも何でもいいですから、ここ半年ぐらいで決定してしまわないと、私に言わせれば何かが起こったらどうするんですかという思いを抱いているということを申し上げておきます。
○参考人(正村公宏君) 長くなる癖がありますから手短に申し上げますが、経済については二十世紀というのは大変な教訓を残したわけでありまして、自由放任型の市場経済は大変な災厄をもたらす、同時に、統制された計画経済体制のようなものは機能しない、機能しないだけじゃなくて政治的な全体主義とドッキングしてしまう。どちらもだめだということですね。今日の多くの専門家の了解事項は、混合型のシステムしかないと。
 先ほど自由民主主義と社会民主主義のドッキングを言いました。ドッキングといいましても優劣はあるんですけれども。今日では、市場的な原理で動かす部分と非市場的な原理で動かす部分、これは全部、政府だけではありません、例えば家族とか地域社会とか、そういうことを含めた非市場的な要素が非常に重要なんだということを我々は認識しなければならないと思います。混合経済というふうに言います。私の理解では資本主義では今はありません。古典的な資本主義はなくなりました。混合経済であります。混合という言葉はあいまいに響きますけれども、混合以外に人間と社会の要請にこたえられるシステムはないんだということを考えなきゃいけない。
 市場の原理で全部割り切れるかというと、できない。統制の原理、計画の原理で全部割り切れるかというと、できない、やってはならない。それは大変なディザスター、災厄をもたらすというのが二十世紀のレッスンであり、教訓であります。
 混合であるがゆえにこそ、我々は常に、どういう制度とどういう制度を組み合わせるのか、それからどういうレベルに経済活動を調整していくのかということについての高い知恵が必要になります。混合だからこそ知恵が要るのであって、たった一つの原理で世の中が割り切れるならこんな楽なことはありませんが、それを夢見たことが失敗のもとだったわけですから、それが必要なんだというのが私の考えであります。そういうふうに考えて、それを前提にして社会経済システムを考えるしかない。
 またしかられるかもしれませんが、もう一言つけ加えさせていただきますと、今、日本で起こっているさまざまな深刻な社会的な問題のすべてを戦後民主主義のせいにしたり憲法のせいにしたりすることには私は反対であります。憲法にも責任があります。しかしながら、新憲法体制のもとで実現された高い急速な経済成長とそれに伴う社会構造変動が日本人をおかしくしたということを見ないといけないと私は思います。
 憲法や教育基本法でうたわれたことに反することを日本の社会はやってまいりました。例えば、憲法も教育基本法も、能力と適性に応じて教育を受ける権利をすべての国民に保障しますというのが原則なんですね。能力と適性に応じて教育を受ける権利を有する。同時に、その教育を受ける機会を与えられなかった人たちにも対等な権利を与えなきゃいけないわけですけれども、国民としては、可能性のある人はどんどん伸ばしてやろう、そのかわり社会に対して責任を持ってもらおうと。この考え方でなければいけないのに、日本は何をやったか。
 学校へ行きたい人はみんな行かせてやるよと九割の人を高等学校へやっちゃったんです。何割勉強していますか。四割の人は大学に今来ていますけれども、何割勉強していますか。過剰進学なんですよ。これは市場の原理と政府の原理の両方の欠陥が相乗作用を起こして、政治家の皆さん方は、みんな高校へ行きたいと言えば、高校をつくりましょうつくりましょうとつくっちゃったんですよ。大学にも補助金を上げましょうとやっちゃったわけですよ。
 ところが、今度、市場の原理も働いているわけです、みんな競争して競争して競争して。だからおかしくなっているのであって、みんな憲法のせいにしないでください。憲法の条項が守られていないためにこういうことになったという部分もあるということを申し上げたいと思います。
○会長(村上正邦君) 福島瑞穂委員。
○福島瑞穂君 社民党の福島瑞穂です。
 きょうは、本当に次元の高いお話ありがとうございます。私も日本の文化、文明は大好きで、特に日本の文化は伝統的に夫婦別姓ですし、死刑も長いこと行いませんでしたし、戦争も日本は実は長い間しない時期も大変ありました。
 それで、西尾参考人にお聞きしたいんですが、日本の文化、文明ということと集団的自衛権ということがどうも私の中では結びつかないんですね。日本が確かにヨーロッパとは別で、中国とも従属しない独自の文明を持ってきたということはそうだと思うんですが、だとすればアメリカからも自立すべきですし、日米安保条約は廃棄すべきだという結論になりそうなんです。日本の文化、文明ということと集団的自衛権というのは実は合わないと思うんですが、いかがでしょうか。
 それから、正村参考人には、きょう、社会民主主義ということを言っていただいて、たまたま党名と一緒ですので私は喜んだんですが、今の憲法が社会民主主義的な視点から評価すべきだとすれば、ただ今の憲法に例えばこういう人権規定があったらもっといいのではないかとか、そういうふうなことはありますでしょうか。
 それから、ナショナリズムは処方せんにならないと言ってくださいました。憲法前文は、再び政府の行為によって戦争が起こることのないようにしと、政府の行為によって戦争が起こらないようにということがわざわざ書かれております。ナショナリズムは処方せんにならないということと、そういう憲法の規定というのはどう生かすことができるかについて教えてください。
○参考人(西尾幹二君) 簡単に。簡単でもないです、難しい問題ですけれども。
 現在の東アジアの国際情勢は、極論と思われるかもしれませんが、日清戦争前に近づいていると私には思えてなりません。福沢諭吉が直面した状況です。
 つまり、それまで日本は中国大陸と朝鮮半島に近代化を呼びかけたわけです。独立を呼びかけたわけです。しかし、両国はめしいのままでおり、言うことを聞きませんでした。そこで福沢諭吉は一国近代化の道を切り開かざるを得ないと決断します。つまり脱亜入欧です。そして日本と中国、朝鮮との間では近代化の歩調が狂い始めます。今日までずっとそういう状況が続いて、幾ら言っても言葉の届かない世界というものがあることを日本は思い知らされます。そして、結果的に日本はアメリカが台頭してくるまでイギリスと手を結ぶことで久しくアジアの平和を維持し、そしてみずからの繁栄をも維持したのであります。
 同様の状況に直面しておりますが、大英帝国は既になく、ロシアの干渉も差し当たりはなく、かくて現実に行われているのは、日本がこの同じような状態、つまり非文明に閉ざされている、非文明に閉ざされている、何度も申しますが、非文明に閉ざされている中国大陸と朝鮮半島を目の前に置いているということであります。そして、再び日本はここで一国で近代化、一国で何とかしなければならないというものに直面しているのでありまして、唯一手を結んでやっていかなければならないのがアメリカであります。ほかに力を持っている、イギリスは去りました、ロシアも去りました。当時の情勢と変わっております。
 しかし、ちっとも変わっていないのは言葉の全く届かない朝鮮半島、特に今日は北半分ですね。そして、日本に対する復讐と、とにかく日本の存在そのものが憎悪の対象であるとしか考えられない中国大陸の諸感情です。
 これは多くの人が言うんですが、中国は日本に戦争で被害を受けたからあのようになっているのではないのでありまして、どんなことがあっても日本文明が先を歩んでいることが許せない、自分たちの文明の枝葉だと思っていたこの日本列島が経済的にも先を行く、文明としても先を行くということが中国の民衆の一人一人の許せない、この嫉妬と敵意の感情が盛り上がっているんですね。そういう状況はどうにもならないということを中国を知っている人は皆言っております。
 ですから、我々はそっとそれとうまく対話しながら、うまくその切っ先をかわしながらやっていくしかないわけですが、我が国の場合、アメリカとの安保条約こそが、日本の海軍がアメリカと太平洋をともに遊よく航行する、そういう自由が得られる。それは集団自衛権ということですが、太平洋上を日本の海軍が、いいですか、自由にアメリカ軍とタイアップして遊よくする状態が生まれない限り、日米安保条約は片務条約で、アメリカが日本に愛想を尽かしますから、日本がアメリカから愛想を尽かされたらこれはもっと悲劇になります。
 やはり、日本とアメリカがタイアップしていくには、アメリカにだけ負担をかけるという条約ではなくて、アメリカとともに日本が軍事行動ができるという条約に取りかえることによって初めて日本はアメリカから十分に保障される国家にもなるわけでありまして、これなくしては中国大陸で起こっている今の状況から日本が身の安全を守ることはできないというのが私の判断でございます。
○参考人(正村公宏君) 先ほども申し上げたように、社会民主主義という私の言葉は特定の政党の名前に結びつけて考えているわけではないということを改めて強調したいと思います。
 私は、第二次世界大戦後の日本の政治の全体を通じて、憲法でうたわれている自由民主主義プラス社会民主主義というこの第二次世界大戦後の先進国でさまざまな形で共有されたシステムを積極的に評価して、これを国民生活の基本原理として推進していこうと、つまり、社会権の保障を現実化していくための制度の整備を優先課題として追求しようという動きが非常に弱かったということが残念であると思います。
 今日の国民の生活の不安定、不安の大きさというのはこれとかかわっています。日本経済の不均衡もこれと深くかかわっております。日本は福祉が過剰で経済が不均衡に陥ったわけではありません。反対に不足のために不均衡に陥ったのであります。
 こういう状況がなぜ生じたか。後発工業国固有の状況、まだ貧しかったわけですよ。戦争による破壊の記憶、やはり非常に貧しかったわけです。それから、急速に成長しましたので社会構造が変動して、これに対する反発が生じた。石炭争議を思い出してください。それがいわば左翼ばねのきっかけになったわけですね。社会民主主義じゃなくて革命だというイデオロギーが非常に強く影響を与えたのは、こういう不幸な社会的状況なんです。私たちはそれを履歴効果と言いますが、古い時代の記憶が人々の行動に影響を長く与え続ける。
 今私は、憲法の規定をこの分野について新たにいろいろいじるよりも、社会民主主義こそが、広い意味の社会的民主主義の考え方こそが改めて有効なんだ、共産主義独裁体制が崩壊したという現実を見たらなおさらそうなんだということをむしろ強調して、改めて、具体的には合理的で公平感があって維持可能な制度をつくり上げなきゃなりませんけれども、総合的な社会保障戦略なり総合的な社会改革戦略を打ち立ててくださることこそが課題だと。憲法の条項をいじることではない、この分野に関しては。私はそう思います。
 それから、ナショナリズムが処方せんではないよということを申し上げましたが、誤解のないように申し上げますが、国家はなくならないと思います。国家をなくすことが目標ではないと思います。しかし、国家を相対化するというふうに言いましょうか、国家こそが唯一絶対の公共団体なんだという思い込みを捨てなければいけないということを私は申し上げたいと思うんです。
 国家を超えた国際的な、世界政府はございませんから国家間の交渉を通じていろいろやっていくしかないんですけれども、国際連合にしてもWTOにしても、そういう国際的な機関が少しずつ難しいですけれどもいろんな問題を取り上げていこうとしている。
 非常に重要なのは、一九七二年と九二年の国連の主催した会議であります。環境問題に対する会議です。これは二十一世紀の文明の模索の始まりというふうに歴史に記録されるだろうと私は思っておりますが、そういう問題に対して日本がどういう踏み込み方をするのか。環境問題に対して先進的な経済を持っている国にふさわしい、そして伝統的に長い間これだけ自然というものを強く意識して生きてきた国民が、世界に向かって地球を守らなきゃいけないということに対して率先して、世界全体の合意ができなきゃやれないという原理ではないと思うんです、やはりイニシアチブと責任の原理でもって先進国は行動を起こさなきゃいけない。そういうことができるかどうかということが非常に重要なのだと思います。これはナショナリズムではありません。
 私は、西尾先生に無責任なというふうにまくら言葉をつけて言われるかもしれませんが、地球市民という言葉を使っている人間であります。それは、国家を否定するんじゃなくて、国家の枠を超えた問題にもっと目を向けるということです。
 もう一つは、国家の中の文化的、言語的、伝統的な多様性です。日本だって非常に多様な文化を持ってきたわけです。それをつぶしてきたんです。分権と自治を目指す動きは民族のエネルギーを耕し直す大事業だと私は思っております。そういうことをもっと意識することが重要だということです。
 さらに……
○会長(村上正邦君) 先生、さらには次にしていただきたいんですが。
○参考人(正村公宏君) 一言言わせてください。
 申し上げたいのは、軍備をめぐる問題については錯覚が日本の政治の世界で長い間支配してきたと思います。
 二十世紀の前半と十九世紀とは非常に違っていたんです。十九世紀は帝国主義のいわば完成期です。それを見た二十世紀前半の日本の一部の指導者は帝国主義こそが日本の生きる道と思ってしまったんです。でも、二十世紀前半は帝国主義が下り坂になった時期なんです。帝国主義は必然でもなければ必要でもなかったんですね。錯覚したんです。
 二十世紀後半の日本の政治家の皆さん方の中には、二十世紀前半の大きな国が戦争をしてしまったという事実を見て、戦争、戦争、戦争反対ということだけをとは言いませんが、それを言っておればいいと思い込んでしまったんです。違うんです。二十世紀後半、主要国が戦争をしましたか。全然別のところから戦争の危険が沸き上がってきたんです。それを直視して、国民の安全のためにどういう機構をつくるのかということをちゃんと考えるということをやっていただく必要があったにもかかわらず、残念ながらそういう建設的議論にならなかった。二十一世紀はまた違いますよ、二十世紀後半とは違いますよ、違うのではないですかということを私は申し上げているんです。
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
 一巡するだけでもあと四方いらっしゃるわけでありますが、皆さんの平和のために、それぞれ質問者は端的に一問だけにひとつ絞ってぴしっと質問をしていただきたいと思いますので、御協力を願います。
 吉川春子委員。
○吉川春子君 どうも、お二人の参考人の皆さん、ありがとうございます。日本共産党の吉川です。
 西尾幹二参考人にお伺いいたしますが、参考人は、日本は中国からもいろんな影響を受けずに独自の文明を築いてきたと、このように言われました。二十一世紀に向かって、例えば国連憲章の平和理念とか国際人権規約とか、そういう普遍的な原理、これは文明圏の違いを超えて今日形成されてきたものじゃないでしょうか。
 日本国憲法の平和原則もそういうことで日本国憲法に取り入れられたのではないかと思いますけれども、歴史的文化論の立場から日本国憲法をどうお考えになるか、その点についてお伺いいたします。
 一人一問ですね。
○会長(村上正邦君) 一問、参考人のどちらかお一人に決めていただきたい。それでお許しをいただきたいと思います。
○吉川春子君 そうですか。では正村先生、済みません。
○参考人(西尾幹二君) 人権は普遍思想だとは全く思っておりません。
 人権は、フランス革命で宣言されたところのその限りにおける人権は、フランス革命において宣言された範囲のものであります。そして、フランス革命は、ヨーロッパ文明の極めてこの人権思想の中には一種の日本でいえば下克上といったような革命理論が内側に含まれている理念でありまして、ちょっと違う、日本の伝統文化とは違う思想であります。一貫して普遍的だというのは、いわばそういった方程式で世界が国連などで語られているために便宜上そうなっているだけであります。
 日本人の持っている人権は、人と人との優しさといったようなものであり、人と人との話し合いとか優しさとか、そういうものを基本にしている、あるいは、自分の分を心得ながら相和して生きていく生き方とか、そういう何というのか、昔からある、説明のできない聖徳太子以来の合議の精神。そして、その基本にあるのは、下が上を倒す、あるいはまた地位低き者が地位高き者に嫉妬と欲情を抱いて自分の権利を少しでも拡大して上から権利を簒奪する、それを人権と称するたぐいの西洋的な人権思想は、我が国の古来伝統の中にはなかったと私は信じております。
 そういう意味で、人権が普遍思想だとおっしゃいますが、普遍思想だとは思わない。我が国の今日の現行憲法は、そういう意味で日本の本来のコンスティテューション、体質と必ずしも合っているとは思わないというふうに申し上げておきます。
○会長(村上正邦君) 高野博師委員。
○高野博師君 西尾参考人にお伺いいたします。
 「東洋西洋と対峙する日本」という論文を読ませていただきました。きょうのお話も含めまして日本人とは何かという観点から憲法を論ずべきだということについては同感でありますが、西尾先生のお考え方だと、日本の歴史というのはユーラシア歴史と相対できる、あるいは日本の歴史の特殊性、固有性あるいは普遍性、これを非常に強調されているのでありますが、この日本人あるいは日本の歴史の特殊性なり固有性を強調し過ぎた場合に、またこれが民族の特殊性というか民族の優位性あるいは優越性、あるいはそういう考え方に結びつくおそれがないのかどうか、私、若干の懸念を持っておりますが、その点についてお伺いいたします。
○参考人(西尾幹二君) これは、子供が生まれない前に、また育てない前に、うちの子供は不良少年になるんじゃないかと心配するような話に聞こえてなりません。日本の民族が持っている特性が余りにも失われている今日、あるいは自覚がない今日、それを自覚しようじゃないかと申し上げているのであって、自覚したらばやがてその災いによってたちまち優越論に閉ざされてとんでもないことになりはせぬかというのは、火のないところに種を見つけ出してすぐ戦争になるといったたぐいの議論を思い起こさせて、私にはそういうのは過剰心配というふうなものではないかというふうに思えるのです。
 ただ、今おっしゃろうとしたお心でわかろうとしている面が一つございます。それは、過去の日本に起こった出来事だと思うんです。でも、私の歴史の感覚と歴史の調査の範囲で申しますと、日本が唯我独尊になったと称せられますけれども、アメリカが、イギリスが、ドイツが、ロシアが世界に抱いた唯我独尊の意識と比べると、当時の軍国日本ですらも決して決して唯我独尊といったら余りにもレベルの低い、まだまだせいぜい東アジアの一角にしか及ばないようなまことにもってかわいらしい唯我独尊であったのでありまして、どうかその点、世界の各諸民族、欧米諸民族がどのように傲慢でどのような唯我独尊を展開してきたかをお考え賜りたいと思います。そのように思います。
○会長(村上正邦君) 笹野貞子委員。
○笹野貞子君 本来でしたらたくさん質問をしたいんですが、まとめて質問させていただきます。
 西尾参考人にお聞きしたいんですが、私が思っていたことと随分違う文化なので今ちょっとショックを受けながら、先生が思っていらっしゃる日本独自の文化、どこの国の影響も受けなかった文化というのであれば、男性と女性という性差についての文化はどのように先生は思っていらっしゃるんでしょうか。
 それから、それと関連して、先ほど先生は、九条は急ぐけれどもあとは急がなくてもいいと、こうおっしゃったんですが、そのときに、フェミニズムがどんどん出てきてそういうところは困ると。そのフェミニズムという先生のお考えはどういうことを意味していらっしゃるのかについてお聞かせいただきたいと思います。
 特別に会長にお許しいただいたんですが、正村先生、先生の社会権というのは私はとてもいいと思います。
 そこで、社会権の中の婚姻権について、日本はこの婚姻権について、個人の尊厳という民法改正を言っているんですが、それすら通らないというこの社会権、どういうふうに進めていったらよろしいでしょうか。
 以上です。
○参考人(西尾幹二君) 性差ということでございますが、地球上、男と女の差はどこの文明においても存在し、これにおいて異なるところがあるとはゆめ考えられません。ただし、その性の持っている差異が人格の差では決してなく、機能の差ということで、社会的機能において差異がある、区別があるという認識をしっかり持っている国と、その違いがだんだんなくなってきていて大変なことになっている国とが、それぞれ文明が発達するとどうしてもそうなる傾向があると思います。
 中学校の公民の教科書をお開きになったことは皆さんないと思うんですが、そのページに、小学生が学校から帰ってきて一人で食事をしている絵がかいてありまして、お父さんは会社から帰ってきません、お母さんはパートに行っています、お兄さんは塾に行っています、小学生は夜の九時までこうやって食事を一人で食べています、これからの家庭はこうなります、これが自然で正しい家庭ですということが書かれている。つまり、公民の教科書がそういうありさまになっているんです。
 それで、家庭というもの、今日、人間を結びつけている家庭という最後の核までも壊そうとしているのは、もう例えば夫婦別姓というのが登場しておりますが、これもいい例でございまして、この突如として飛び出してきた夫婦別姓という説明のできない現象は何を意味するかと申しますと、これは結局、人権と称して一種の個人、人間の社会を個体に還元してしまう、公とか共同コミュニティーとか、あるいはまた、そうすると最後のよりどころである家族というコミュニティーまでも個に分解してしまう、個をアトムとして分解してしまう。こういうすさまじい個体主義、これが今日公共意識とか国家意識とかあるいは共同体意識とかというものを壊している考え方ですが、公民や歴史の教科書にはそれがもう基本条件のように書かれているんです。
 私が申し上げているのは、フェミニズムという言葉であらわしているのは、そのような意識を指しているのでございます。
○会長(村上正邦君) ありがとうございます。
 あと一人おりますので、よろしく。
○参考人(正村公宏君) 突然婚姻の形の話が出されて困惑しているわけですけれども、私の基本的な考え方を申し上げますと、今話題になっております人権ということについて言えば、先験的な価値ではないと思います。つまり、先験的なというのは、証明の必要のない自明の原理という扱いは捨てなければいけないと思います。これは既に何人かの専門家が指摘しておられることでありますけれども、普遍的な原理ではないんだ、普遍的になり得る可能性を持っている原理なんだというふうに言っている専門家がありますけれども、私は共感いたします。
 普遍的になり得るというのは、人権という考え方を大事にした方がいいということを我々は選ぶということなんです。だから、言ってみれば、原理というよりは知恵ということなのかもしれません。私流に解釈するならば、これをみんなで大事にしようよと言った方が私たちの社会の悲惨を減らすことができる。福祉、福祉と言いますが、福祉とかもっと豊かにというのではないんです、これからの社会が大事にしなきゃいけないのは。人間の悲惨をなくすことはできません、生まれた人間は死ななきゃなりませんから。いろんなことが起こります。しかし、できるだけ悲惨を社会の共同事業を通じて減らすことができるならば減らそうじゃないですかという、これが知恵だと思うんです。社会権というのもそういうことだと思います。
 ですから、私は個人の権利を基本に考えよう、そして選択もいろいろな可能性を認めていきましょうということは基本的に肯定的であります。しかし、ばらばらの個人に分解することが私たちの社会の目的ではありません。いや、そういうふうにしてしまうことがいい結果をもたらすとは思っておりません。
 そうではなくて、さまざまな幾つかの共同体とのかかわりの中で人間が生きていけるようにするということが重要です。日本人の暮らし方は余りにも企業中心主義になり過ぎていて、複数の多元的な、多次元的なかかわり方を社会の中でつくることに失敗しておりますから、そういう観点で家族の形を真剣に見直さないといけない。伝統の家族観に返ることとは違います。しかしながら、家族を壊してしまったら、社会が再生産できなくなります。社会が維持できなくなります。
 ですから、私は、端的に言えばこういうふうに考えております。これだけグローバルに相互の影響が大きくなっている状況の中では、文明の共通ルールを探していくという仕事は避けがたい。でも、文明の共通ルールを世界の人類が共有しながら、それをやらないと地球環境はもちませんから、共通ルールを共有しながら文化的な多様性というものを改めて見直すということは重要であって、それには産業文明の行き過ぎに歯どめをかけるということをやらないといけないと思います。それは大変な難しい仕事ですけれども、そのことを意識する必要がある。それができるかどうかが非常に重要な課題になっていると私は思っております。
 答えをはぐらかしたかもしれませんが、基本的な考え方を申し上げました。
○会長(村上正邦君) ありがとうございます。
 では、一順最後に武見敬三幹事から。端的に、短時間に。お一人に絞っていただきたい。
○武見敬三君 では、正村参考人にお伺いします。
 先ほど人の人権及び生命というものを守るためにやはり国というものが重要な責務を負うというのが現実の国際社会であるというお話を伺いました。私、全く同感であります。
 しかし、このときに必要になりますのは、同時に、同じ国の中においてもこうした他人の人権であるとか他人の命を守るために自分の命を危険を顧みずに実際にそういう救済に当たるという個人が新たに必要になります。そうすると、そういう他人の人権のために自分の命の危険を顧みないという意思は一体どういうところから形成されることになるのでしょうか。これは私は非常に重要な大きな課題で、そこに決着がついていないところに今日の日本の大きな混迷の原因があるんじゃないかというような気がいたします。
 それで、あとちょっと……
○会長(村上正邦君) それでとめてください。
○参考人(正村公宏君) これも短時間でお答えできる問題ではありませんが、端的に申し上げれば、私の認識は、日本の社会が危機にあると申し上げましたが、公共性と共同性の崩壊だと思っているわけです。
 個人は、産業社会がつくり出した社会的な階層秩序の中でどこまで階段を上れるかということに必死になっている、そればかりを考えているということになっちゃったんです。進学競争というのはそういうことです。必ず落ちこぼれは出ます。落ちこぼれは挫折します。おかしなことになります。上がったのはどうするかというと、いい気になるだけであって、自分は恵まれた能力と恵まれた機会を与えられたのを社会に還元しなくちゃいけないという、そういう意識がどんどんなくなっちゃったわけですね。これは本当に危ない状態だと思います。
 私は、私の経済政策論の教科書の中にも書いたことなんですけれども、経済の成長を優先し、そして効率を高めて、ともかく生産をふやし消費をふやすということに熱中する社会は、国防とか治安とか福祉とかそういうことに献身しようという人材をつくりにくくなる、これが行き過ぎた経済優先主義の致命的な問題だということをずっと考えてきた人間であります。
 学校制度をいじれば教育は変わるわけじゃありません。大人たちが間違った目標に向かって突っ走っている社会で、子供が自分の人生を社会の中で築いていかなきゃならない。自分がせつない思いをするのと同じように、ほかの人間もせつない思いをしているんだということがわかる子供たちができるはずがない。だから、教育を変えるということは我々の生き方全体、大人の生き方全体を見直すということだと私は思っております。そうしないと、口先だけで国防を唱えても、いざ本当に国家の安全のために、社会の安全のために、国民の安全のために献身しなきゃならないときにみんな逃げ出します。
 軍国主義復活の危険があるとおっしゃる専門家と議論したことがあります。これだけ青年がやわになっている社会で軍国主義が復活しますかと。これを変えなきゃいけないんです。日本の、つまり何をどういうふうにして私たちの社会を維持していかなきゃならないかということにもっとみんなが関心を持つようにならないと私はだめだというふうに思っております。
 お答えにならなかったもしれませんが、私の信念を申し上げました。
○会長(村上正邦君) ありがとうございます。
 本当に残念でございます。また両参考人におかれましてもまだまだ言いたいことがたくさんおありのところを、時間が参りました。本日の質疑はこの程度にいたしますが、ぜひひとつもう一度両参考人にお出ましいただいて、両教授、非常に関心を持っておられますので、委員の方が。質問通告がまだ五、六人今来ておるのでございますので、ひとつぜひお時間を、また連絡させていただきますが、この続きを再開したい、こう思いますので、よろしくお願いいたしまして、本当に率直に忌憚のない御意見を賜りましたことを心から感謝し、参考人によって啓発され、挑発され、この調査会もますます調査に精魂を傾けてまいりたい、その成果を上げたい、こういう思いを込めてお礼にかえさせていただきます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時散会

ページトップへ