第147回国会 参議院憲法調査会 第8号


平成十二年五月十七日(水曜日)
   午後二時二十五分開会
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   委員の異動
 五月二日
    辞任         補欠選任
     円 より子君     本岡 昭次君
 五月十六日
    辞任         補欠選任
     直嶋 正行君     寺崎 昭久君
     高野 博師君     益田 洋介君
 五月十七日
    辞任         補欠選任
     浅尾慶一郎君     柳田  稔君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         村上 正邦君
    幹 事
                久世 公堯君
                小山 孝雄君
                鴻池 祥肇君
                武見 敬三君
                江田 五月君
                吉田 之久君
                魚住裕一郎君
                小泉 親司君
                大脇 雅子君
                水野 誠一君
    委 員
                阿南 一成君
                岩井 國臣君
                岩城 光英君
                海老原義彦君
                片山虎之助君
                亀谷 博昭君
                北岡 秀二君
                陣内 孝雄君
                世耕 弘成君
                谷川 秀善君
                中島 眞人君
                野間  赳君
                服部三男雄君
                松田 岩夫君
                石田 美栄君
                笹野 貞子君
                高嶋 良充君
                角田 義一君
                寺崎 昭久君
                本岡 昭次君
                簗瀬  進君
                柳田  稔君
                大森 礼子君
                福本 潤一君
                益田 洋介君
                橋本  敦君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                福島 瑞穂君
                佐藤 道夫君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       大島 稔彦君
   参考人
       国立民族学博物
       館館長      石毛 直道君
       埼玉大学名誉教
       授        暉峻 淑子君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
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○会長(村上正邦君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、日本国憲法について、文明論・歴史論等も含めた広い観点から、参考人の御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、参考人として、石毛直道国立民族学博物館館長及び暉峻淑子埼玉大学名誉教授に御出席をいただきました。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。しかも、大変時間お待たせいたしましたことを心苦しく思っております。国会というところは、不規則な問題が多々出てまいりますので、どうかこの点御勘案いただきましてお許しを賜りたいということのおわびを兼ねて、調査会を代表いたしまして、本日御出席いただきましたことを厚く御礼申し上げます。
 参考人の方々から忌憚のない御意見を承りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いを申し上げます。
 本日の議事の進め方でございますが、石毛参考人、暉峻参考人の順にお一人二十分程度ずつ御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず石毛参考人からお願いをいたします。石毛参考人。
○参考人(石毛直道君) 私は、民族学をやっている人間でございますので、法律だとかあるいは政治とか国家ということを余り知らない方でございます。それで、皆さんの御要望にこたえられるかどうか甚だ不安ではございますが。
 我々のやっている民族学というのは、一方では文化人類学とも言われます。そこで、文化それから民族ということをキーにして国家と民族の関係、あるいは民族というのはまた文化をともにしている人々のグループでありますので、文化と国家の関係に興味を持ちまして、そういったことからお話をいたしたいと思います。
 まず申し上げたいことは、民族構成、その国家を幾つの民族がつくっているか、そういった民族構成というところから見ますと、日本は世界的に見たら例外的な国家のグループの中に入るんだということです。
 大体、世界の国家というのは複数の民族から構成されています。国連加盟の約百八十カ国の中で一つの民族集団が総人口の九割以上を占める国家、これは日本もそうですが、それは百八十カ国の中の二三・三%になっています。これは国の数で数えるとそうなるわけで、太平洋の小さな島の十万人ぐらいの国、そういったのも一カ国として数えた場合、そういったところはまた単一民族的である国家が多いのでそういった国の数が大変多くなっているわけですが、それでも二三・三%です。一つの民族集団が総人口の過半数を占めている国家、これが四九・七%。十人のうち五人以上一つの大多数民族が総人口に占めている、そういった国が四九・七%。どの民族も総人口の中に過半数に満たない国家、これが二七%あるということになっています。
 こうして見ますと、世界の国家の約七割は、住民十人のうち一人以上は多数民族以外の民族から構成されているということになります。
 日本は、そういった意味では大分世界の中で特殊な部類の方に入るわけです。それだけ現在ですと日本人が多数を占めているわけなんで、巨視的に見たら日本民族イコール日本国民ということになります。そこで、単一民族論というようなことが言われたりしたわけですが、これは確かに巨視的に見たら日本は単一民族に近いような民族構成をとっている。しかしながら、それで単一民族だということでおしまいにしてしまったら、実はその中で暮らしている少数者たちが全部無視されるということになります。
 今までも民族にかかわる問題としては、アイヌ民族の問題と在日韓国・朝鮮人問題の二つだけが論じられることが多くて、多くの日本人にとって民族問題というのは自分自身のこととして考えなくて済むような、そういった環境で育ってきたということが言えます。
 ところで、歴史を考えてみますと、日本の歴史の最初から日本民族というのがあったわけではございません。縄文時代の社会を考えたら、恐らく日本列島に文化が違うグループ、例えば言葉が通じないグループ、そういったのがたくさんあったに違いない。北九州のグループと東北地方のグループが、縄文時代にコミュニケーションが同じ言葉でできたとはまず考えづらいような、そういったものであったと思います。
 弥生時代になると、紀元前後のことを書いた中国の文献だと、「分かれて百余国をなす」、たくさんの国に分かれていた。それで、七世紀ごろになりますと、大和朝廷による国家統一が大分進行いたしますが、そのころでも当時の人々から異民族とみなされる人々が日本列島に幾つもありました。例えば、俘囚とか蝦夷とか熊襲とか隼人というような人々は異民族とされていて、そういった人々が北海道や東北、北陸の一部、南九州それから沖縄、そういったところは多数民族にとっては異民族と見える人々が住んでいた土地になっていた。
 あるいは十五世紀、当時の琉球王国は東南アジアで活動していたわけです。大交易時代であったんです、沖縄の。そういった東南アジアに進出した沖縄人たちを、当時のポルトガル文献なんかを見ますと、日本人と明らかに区別しています。沖縄の人々は、琉球からきたんでしょうが、レキオ人と書いてあるわけです。日本人とはまた別のグループとして考えている。島津が沖縄に侵略したり、あるいは明治になってから沖縄県の設置がなかったら、多分今は沖縄県の人々は、我々の日本民族と違うもう一つの民族になっていたかもしれないというそういう可能性があります。
 こういうことを考えますと、民族というのは自然発生的にできているものだというふうによく考えられるんですが、実は政治的につくられる集団でもあるわけです。沖縄もそういった例であります。それで、明治政府によって一方的に、おまえたちは日本国民だ、日本人だということにされて、そこのところで、方言だとかそういったのに取ってかわって国語教育を軸とする同化政策というのがなされたわけです。
 さて、ここでちょっと別の方向から考えてみます。
 二十世紀の後半というのは、航空機による人々の移動が大変日常的になった時代であります。人類の歴史にかつてなかった世界規模での人口の移動というのが始まっています。よりよい生活を求めて人々は国境を越えて移動いたします。島国という日本の地理的な特殊性、それによって我々は多民族国家にはならなかったわけですが、それがもう通用しないようになってきます。
 一九九五年の時点で、その前の十年間に東京都の外国人登録人口というのは倍になっている。新しいデータを調べる暇がなかったので、ちょっと古いデータですが。
 日本経済が不況だといっても、アジア諸国なんかでは自国に比べたら日本での賃金だとか生活の質の高さというようなものには大きな落差があります。そういった落差がある以上、日本に一時居住しようとする外国人の数は減らないわけです。また、高齢化する日本社会が高い生産性を維持するためには、外国人労働者雇用の潜在的な需要というものが産業界にはございます。
 我が国の場合、専門的な職種への外国人就労者には門戸を開くけれども、単純労働を目的とする外国人の入国は認めないという政策でございます。しかし、南米の日系人の出稼ぎ労働者は受け入れますし、研修という名目での就労者、あるいはまた超過滞在者、不法入国者もかなりおります。いかに法の垣根を高くしても外国人の流入というのを阻止することはできないでしょうし、それを阻止するために一種の鎖国政策を実施したら、これは国際世論の非難を受けることになるかと思います。
 そういったことを考えますと、二十一世紀の中ごろになりましたら、お隣に住んでいる人が外国出身の人だという、それが当たり前になってくる。外国出身の人と隣り合わせに住む、そういったことになってきますと、ようやく日本が特殊な国家じゃなくて普通の国家になったんだということになるかもしれません。
 その新しく入ってくる外国人の人々、これは昔の移民なんかとは大分違います。それから、在日韓国・朝鮮人あるいは中国系の人々で特別永住権を持つ人々がおりますが、それと違って、現代日本へ入っている人々、ニューカマーと呼ばれたりしますが、それは移民と全く違う人々なんですね。
 かつての移民というのは、日本からも出ましたが、移住先の文化に同化してその国に骨を埋める覚悟で移住したわけです。ところが、現在の世界で起こっているのは、永住するのではなくて、一時的な就労を目的に国境を越えて移住する巨大な人口ができたということなわけです。
 これらの人々は、移住先の国の社会で生活に必要なルールだとか文化を身につける一方、故国に対する強固なアイデンティティーを維持しております。故国との間で国際電話だとかファクスだとか電子メールといったものでいつも親族や友人と交流し、衛星テレビでリアルタイムで故国の情報を知ることができる。つまり、二つの国を同時に生きている、そういった人々が出現したわけです。
 こういった人口が増加する現在を踏まえたときに、かつての日本の法律にあった、あるいは外国人政策の根本にあった日本への同化を前提とした定住外国人政策とか法律というのを転換せざるを得ないようになるのではないかと私は思います。
 そういった外国人が国政に参加すべきではないということが幾つかありますけれども、その一例を申し上げますと、公権力の行使あるいは国家意思の形成への参画に携わる公務員は日本国籍を持つべきであるという見解が大変強うございます。
 そこで、国家公務員に外国人がなれる職種というのは大分限られております。例えば国立大学の教官、教授や助教授になることは可能になりました。しかしながら、外国人の教官が学長だとか学部長の職につくことはできません。我々が外国でそういった学長だとか国立の研究機関の長と会って話していると、ああ、この人は別の国の国籍だなというのは、これは当たり前にあることなわけです。
 さて、四国のある国立大学が外国人留学生の宿舎を建設しようとしました。そのとき住民の反対運動が起こったんですが、新聞で見ますと、その場合、住民の反対運動は、結局は外国人は怖い、日本人なら信用できるけれども外国人は信用できないというのがその理由でした。
 怖いという反応はなぜ出てくるんでしょう。人間は未経験のことに遭遇しますと、不安を覚えて怖い、信用できないという、そういった反応を示すわけです。
 日本社会では歴史的に日常生活で異なる文化に接する体験がなかった。つまり、ほとんど日本人とのつき合いだけで歴史的に完結してきた社会でございますので、そこで、そういった体験がなかったので外国人と接触することが不安である、それで怖いという反応になるわけです。日本でこれから多民族国家化していく過程で同じようなことが各地で起こりまして、それで日本人は差別主義者であるという、そういった国際世論が起こる可能性が私はあると思います。
 未経験な事柄でも十分な知識や情報を持っていたら不安感を解消することはできます。
 他民族との共存を経験してきた社会では、異民族との交際の仕方、どこまで自分の文化を主張して相手の文化に立ち入ることができるか、どこまで相手の文化を尊重するか、そういったことが公教育だけじゃなくて家庭教育の中でなされます。
 例えば、子供が、お隣のあの家族は教会へ行かないけれどもどうしてというような、そういったものに宗教の違いを、宗教が違うんだと、あの人たちの宗教はこんなのだから、そうすると教会へ行かなくてもいいんだという、そういったことが親からの子への何というか、教育もありますし、体験。それからやはり異文化に対する公教育がなされます。
 そのようなノウハウを日本の家庭は持っていないし、今のところ公教育でもほとんど教えていません。そういったことを考えると、多民族国家化する二十一世紀に向けて、公教育での取り組みというのが必要であろうと私は思います。
 そしてまた、そういった定住外国人をたくさん抱えている自治体レベルの方が国家レベルよりも私には門戸開放が進行しているように思えます。自治省では都道府県や政令都市に対して一般事務職での外国人の採用を控えるように指導しておりますが、職員採用に対して全職種で国籍条項を撤廃する自治体が今増加しております。
 一九九五年、最高裁判所は外国人の選挙権に関してこういう判断を下しています。憲法で保障された権利ではないが、地方選挙に限り外国人の選挙権は禁止されていないというような見解です。地域社会における住民の一員としての定住外国人に対する住民としての権利をどこまで拡大するか、これが将来の問題であります。
 さて、日本人とそれから定住外国人とのいろんな摩擦が具体化するのは、これは人々の生活の場、つまりそれぞれの地域においてであります。同じ町に住んだり同じ市に住んでいる、そういったところでの定住外国人と日本人というのは、抽象的な概念としての民族ではなくて、だれだれさんという名前を持った、顔をそれぞれ知っている、そういった名前と顔を持った民族同士が出会った場であります。そこで発生した解決を必要とする問題は、その地域のならわしだとか地域の歴史だとか、そういったものを背景として出てくる大変個別的であり、かつ具体的な事柄であります。
 その問題を日本人対外国人の問題だとして国家レベルまで持っていってしまったら、外務省だとかそういったのは、国家と国家として扱う、そういったことになってしまい、大変一般的、抽象的な次元となり、日本対外国という図式での解決が必要になってくるわけです。
 このような国家と国家の問題として深刻化する前に、地域住民の話し合いの中で解決したり、問題の発生を予防することが大切であろうと思います。ということは、そのためには、中央政府の権限を大幅に地方に譲渡することも考えなくてはならないのではないかと思います。
 そういった地方と中央ということで申し上げますと、鎌倉幕府以来明治時代になるまで、日本は地方分権が大変強い国家でありました。つまり封建制とか幕藩体制と言われるもとで、地方政府としての大名あるいは藩の自治権がかなり強い国家であったわけです。中央政府である幕府の地方に対する干渉は極めて少なく、税率だとか司法とか行政が藩に任されていたわけです。明治政府は廃藩置県を行って中央集権的官僚システムによる全国支配、統治を行って、それで伊予の国の住人だとか、紀州の住人、会津の住人といったような藩という地方への帰属意識を消して、日本国民という国民層を形成することに成功したわけです。
 ただし、そこのところで、そういった明治が近代化するときの国家の形、そこには帝国という国の形がある程度尾を引いております。明治の大日本帝国形成期、このころは大英帝国だとかオーストリー・ハンガリー帝国、ドイツ帝国など西欧型の帝国もありましたし、オスマントルコ帝国とかロマノフ帝国、これは西欧型に半分入れてもいい。中国の大清帝国、そういった古い形の帝国もありました。こういった帝国型の国家というものに共通するのは、領土を拡張し国家の勢力圏をどんどん広げること、その基礎としては強大な軍事力を持つこと、そういった帝国というイメージがありました。
 その十九世紀を引き継いだ二十世紀の先進諸国というのは、国家は二つの時代を経験したと思います。
 まず最初は、前世紀から引き継いだ軍事大国路線でございます。強大な軍事力を背景に、国際社会での発言力を増大して列強の仲間入りすることを国家目標としたのでありまして、我々の国家もかつてはそうでありました。
 二つの世界大戦を経過した後の二十世紀の中ごろからは経済力が国家の威信の源泉であると考えられるようになり、国々は経済大国になることを目指しました。生産力の増大と国際市場におけるシェアの拡大、そういったものを目指して物質的な豊かさ、それを実現させる、それに国家の目標が向かったわけですが、そういった経済の論理に陰りがあらわれるようになったのがこの世紀末でございます。
 例えば、地球環境問題に見るように、……
○会長(村上正邦君) 先生、おまとめを。
○参考人(石毛直道君) はい。
 生産は必ずしも善ではないということになりました。
 ちょっとはしょって申し上げますと、そういった経済の時代の次、将来来るのは一体何であろうか。
 私は、物質的な豊かさを一応達成した先進諸国においては、これから要請されるのは心の豊かさであります。その心の豊かさをつくるのは文化でございます。
 残念ながら、日本は第二次大戦の敗戦後、文化国家になると言いましたけれども、文化は常に弱者の立場であって、例えば予算的に言っても大変文化についてのお金は少なかったわけです。
 しかしながら、文化というものは、国家や民族間の摩擦を解消するために、文化に力を注ぐ国家というのは尊敬される国家になり、文化を振興させるということは国家にとっての保険を掛けることになる。これからの世紀には文化が平和的手段による安全保障になる。そういった可能性を持っているんだと思います。
 そういったことで、これからの二十一世紀に尊敬される日本国ということを考えると、文化に力を注ぐ国家が尊敬される、そういった時代になるんではないかということを心にとめていただけましたら大変ありがたいということと、あと一言だけ。
 そういった多民族国家化していろいろ異なる文化が交わり合う、このことは必ずしもマイナスではない。例えば、移民国家であったアメリカ合衆国が活力を持ったのも、異なる文化を持っている民族同士が交わったことに一つの要因を持つということであります。
 私、時間の配分を間違えまして、大分最後の方をはしょり過ぎましたが、これで私のお話を終わりたいと思います。
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
 次に、暉峻参考人にお願いいたします。暉峻参考人。
○参考人(暉峻淑子君) 暉峻でございます。
 私は、石毛さんもおっしゃったんですけれども、憲法の専門家ではないので何かここに伺うのは場違いであるような気がしていたんですが、もし私がここで憲法について何か語る資格があるとすれば、私は日常生活の中で憲法をかなり頻繁に身近に意識して暮らしている人間です。その点では実はきょうもあふれるほど申し上げたいことがあるのですけれども、時間の制約がありますので、きょうは具体的な私が行っているNGOの活動を通して体験的に私がたどり着いた憲法への考え、特に前文と九条と国際貢献の問題に絞ってお話をしたいと思います。
 私は、先に結論を言いますと、九条や前文は非常に立派な、もちろん人権に関してですけれども、条文でありまして、国際貢献はこのままでも立派にできるということを考えております。血を流さなくても、血を流すよりももっとすばらしい国際貢献ができますし、世界に尊敬され、信頼され、平和をつくっていくということもできると思います。
 これは、机上の議論ではないのです。
 私は、足かけ八年にわたって、NGO・国際市民ネットワークの代表として、ユーゴの内戦による難民や、親と生き別れになった孤児あるいは死に別れた子もいますけれども、病院や老人たちの救援を続けております。
 そのため、この四月で三十一回ユーゴを訪れ滞在しておりますし、空爆の最中もユーゴにおりました。クライナやコソボから何十万という難民が逃げてきたときにも、寝袋を持って学生たちと一緒に野宿して、ろうそくの光を頼りに赤ちゃんや老人の救援を続けてきました。
 皆様方は写真やテレビで、きょう皆様にお渡ししておりますカラーコピーよりももっと悲惨な状況はもう既に御存じだと思いますけれども、時間の制約もありますので、きょうは写真に沿って私の話をさせていただきたいと思います。
 つまり、これは悲惨だから助けなさいという意味でこういうコピーをお渡ししているのではありません。こういう救援の仕事をしながら憲法のことを私がどういうふうに感じたかということをお話ししたいために、たくさんあったんですけれども、ごく少しのものを選びました。
 一枚目ですけれども、これは、難民が一番最初に逃げてくるときというのは大体こういう状況です。それで、どこか建物の中に入れてもらえれば幸せな方で、古い倉庫とかもう廃屋になったところに入ることができる人もいますけれども、馬車に乗って逃げてきたり徒歩で逃げてきたりした人たちは、最初はもう野宿して、外でせいぜいたき火をして暖をとる。その中では、もちろん赤ちゃんとか老人とかは死んでいく人もいますし、逃げてくる難民の列に、これは誤爆か本当の空爆かわかりませんけれども爆弾が投下されるということもありまして、本当に悲惨な状況です。
 私がなぜこういうことにかかわるようになったかということをごく簡単に言いますと、私は一九九三年にウィーン大学の客員教授をしていました。一年間講義やゼミを持ったんですが、その中にユーゴから来ている学生がいまして、ユーゴの状況、内戦の悲惨さを訴えるわけですね。それで、ぜひ一度自分の祖国に行ってくれと言われて、私は七〇年代、ユーゴがまだ非同盟中立国として西と東の橋渡しをしていた時期にユーゴに短期間滞在したこともあったものですから、イースターのお休みにユーゴを訪ねました。
 それで、さっき言いましたように、孤児は本当にかわいそうな状況にいる。年金が払われない老人たちはもう餓死するよりしようがない。暖房がない病院で凍死していく患者がいる。無料食堂の前はもう長蛇の列です。子供たちは、日本なら簡単に治る病気であっても薬がないので死んでいきます。
 一つエピソードを申し上げますと、私がある病院に行ったときに、そこの医者が私にこのようなことを言ったんですね。実は自分は、ある病室の戸をあけたらそこに若い医者が立っていた、状態がただならないのでその医者を廊下に連れ出してどうしたと聞いたら、薬もない、患者は苦しんで苦しんで、何にもしてやれない、もうこれだったら患者を殺した方が幸せではないかと思って実は自分は殺そうと思ってその患者のまくら元に立っていたんだ、そこにあなたが戸をあけたのでそのことを思いとどまったんだけれども、一体医者として自分は何ができるんだと、そう言ったと言うんですね。
 本当に土気色でヤギの子供のような声しか出ないような子供も、私がそこのそばへ寄ると、何かほほ笑もうと努力するのを見て、もう本当に正視することができないという感じでした。
 帰国後、国際市民ネットワークを設立しまして、学生のボランティアと一緒に、個人の寄附をもとにして八年間、ずっと救援を足を洗うことができないで続けてきたわけです。
 その救援の中で私は、ここに自衛隊がもし出てきていたらどういうことになったんだろう、人道援助の私たちの援助活動は一体どういう効果というか平和のために意味を持っているんだろうということをしばしば考え、黙っていても頭の中にそれが浮かんできて、また学生とも話し合いました。
 最後に締めくくりとしてそのことは申し上げますけれども、ユーゴに関しては、ほかでもそういうことが多いのでこれはユーゴの問題だけじゃないんですけれども、戦争が起こるときというのは非常に不自然な形で起こってくるんですね。
 例えば、東独が統一で解体されて、東独から武器がずっと流れてくる。それから、アルバニアの社会主義政権が崩れて、武器庫が襲われてそこから武器が大量に流れ込んでくるということがあります。
 私がずっと市民や難民の間にいて感じることは、戦争というのは自然発生的に決して起こるものではなくて、そこにその武器が入ってきたり、それから社会主義の世界が崩れていくとか、それからあおる者、あおる人というのは必ずいるんですね。
 難民たちにアンケート調査をして、一体いつごろから民族憎悪というのがあなたたちに意識され出したかと聞いてみると、それは、民族主義者の政治家がそこで政権をとったり、かなり実力を発揮し得る地位についたころからざっと変わってくるというのが、そのアンケート調査の結果でもよくわかります。
 それで、民族憎悪とか宗教憎悪というのは、そういう言葉で片づけるともうとても簡単にわかりやすいのでそういうふうに片づけられているんですけれども、例えば、ちょっと例えが余りよくないかもしれませんが、柳条湖事件というのがあの十五年戦争のときに起こりました。これも実は日本の軍隊が鉄道を爆破したのに、そうじゃなくて中国人が爆破したんだということで世論を操作して、けしからぬ、じゃ軍隊が出ていかなくちゃということになったわけですけれども、それと似たようなことはいっぱいあるわけですね。
 これはスイスで出された新聞なんですが、(資料を示す)皆様も御承知かと思いますが、アメリカのタイムという雑誌に、コンベニックというボスニアの兵士がセルビアの強制収容所に入れられて、食べ物も何にももらえなくて虐待されて、あばら骨がこんなに出ていて、セルビアけしからぬという、そういうのが世界を駆けめぐったわけです。
 ところが、ピーター・ブロックという新聞記者がこの本人を訪ね当ててみたら、何とこの兵士はセルビア人だったんですね。それで、結核の持病を持っていてすごくやせていて、これを鉄条網の前に立たせて、それでセルビアが強制収容所でこういうふうに虐待しているということがもうざっと地球を回ってしまう。
 一例しか時間の制約があって挙げられませんけれども、その他そういういろんな戦争に向かう世論操作が行われて、そしてあるとき戦争になる。
 しかし、市民たちは、クロアチア人もボスニア人も、大体難民の収容所にはいろんな民族が一緒に入っているわけですけれども、聞いてみると、私たちの日常生活の中ではそんなに民族憎悪なんてなかった、もう本当に仲よくやっていた、私のおばさんは何人だし、私の母は何民族、父はこういう民族でと、もう混血がすごく進んでいてそんなことは意識したこともなかったという人たちが本当にほとんどなんですね。
 それで、例えば東西ドイツでも、ホーネッカーとかアデナウアーはしきりに西の悪口を言い、東の悪口を言って国民に敵がい心を植えつけるんですけれども、ドイツ人そのものは本当に水面下で私たちは同じドイツ人なんだということで早く統一してほしい、統一してほしいと言い続けていた。
 これは朝鮮でもそうなんですね。政治家がいかにあおっても、政治家って、全部の政治家ではありません、ごく一部の政治家がそれをあおっても、国民の意識というのはそうではなくて、共存を願っている。仲よくしていくにこしたことはない、助け合っていきたいという気持ちは根強く持っています。ユーゴの場合も全くそうでした。
 それで、そういうときに必要なのは、やっぱり人道援助というのが一番必要だと思います。私たちは本当にこういう命からがら逃げてきた、一ページ目、二ページ目のころは衣食住、医薬品を主として持っていきます。そのときに、日本の学生、若者を連れていくということで日本の側にも人道援助というものは非常に大きなプラスをもたらしました。
 日本の若者は、偏差値とかなんとかという競争を経てきているので、自分の人間としての価値を偏差値とかいい大学に入っているということで知らず知らずのうちに判定しているわけですけれども、こういう修羅場に連れていって、だれから命令されるのでもない、指示されるのでもないけれども、自分の人間性を呼び起こして適切な行動をとるしかないということになると、実にいい行動をしてくれるんですね。
 物を配るだけでなくて、まだ日没まで時間があれば子供たちを集めて一緒に歌を歌ってくれたり励ましたり、それからおばあさんたちの背中をなでてあげたり、本当にこれが日本で見た学生かなというように、すばらしい自主性と人道的な態度をとってくれます。お互いの異文化の中で、つたない英語を使っても難民は英語もわからないので、そこを何とか身ぶりでやったり相手の行動から察して彼らは人道的な活動をしてくれます。
 それで、助け合うということは私は人間の本能であり基本だと思っているんですけれども、そういうことをするとどういういいことがあるかということなんですが、ユーゴの、国境なき援助をしていますから、実は私たちの活動をあの人たちは恩に着ていた、恩を感じていたらしいんですね。
 阪神大震災が起こったときに私のところにファクスが入ってきて、本当にあなたたちのお世話になった、今度こそ恩返しをしたい、私たちは貧乏だけれども、ぜひ震災の直後の春休みにテントの中にいる子供たちをホームステイに連れてきてくださいと、心から恩返しをしたいと言ってきたんですね。
 でも、あなたの国はそれどころではないでしょうと私は返信を送ったんですが、一夜にしてすべてを失ったという難民を身内に抱えている私たちは、一夜にして失った人の気持ちはよくわかる、物はないけれども心で子供たちを助けたいと言ってくれました。
 阪神の子は、もちろん春休みにテントから抜け出て向こうへ行ってホームステイしたんですけれども、本当に大事にされまして、難民キャンプを訪れたり子供病院を訪れたりしたんですけれども、阪神の子供たちが一番心の糧になったのは、難民の子供たちが阪神の子供を迎えて、不幸の中にも一つだけいいことがあると、そういうことをおばあさんから教わった、それが今わかりましたと。私たちは難民キャンプにいたので日本のこういう友達をつくることができた、本当にうれしいというようなことを言ってくれたり、難民の子供から励まされて、神戸の子供たちは本当に元気になって帰ってきました。
 それでおしまいと思っていたら、神戸の子供たちは、私には黙って、毎日曜日に周りの家から不用品を出してもらって、それをフリーマーケットで売って、自分たちもまだ仮設にいるのに、その売上金を貯金して、私にある日、暉峻先生、僕たち七十八万までためたよ、これで今度ユーゴの子供を日本に呼んでやりたいと言うんですね。六甲山まで行ってかき氷を売ったり手づくりのはがきを売ったりして、これが日本の若者か、子供たちかと、私の方が本当に胸を打たれました。
 それで、私も一生懸命に努力して神戸にユーゴの子を呼び返しました。ホームステイをして、広島に連れていったんですが、広島の原爆資料館を見せた後、出口に出てきたユーゴの子はもうみんな泣いていました。そして、本当に平和は大事だということを口々に言いました。
 こういうことは、人道援助をしていれば、それが波紋の上にまた波紋を生んで、次々にこういう人間関係が出てくるわけですね。これは人道援助というもののよさで、ミサイル一発一億円以上、もう二億円、日本はもっと高いと言われていますが、そういうものを撃ち込むよりも、事前に戦争になる前ぶれというのはいろいろあるわけですから、そこから私たちは人道援助あるいは技術移転、経済援助をして、何とか戦争を防ぐことができないのか、そして軍備に使うお金をこうやって人道援助に使っていけば、平和をつくっていくということのとても大きな力になると思いました。
 学生がもうへとへとに疲れて援助をして帰ろうとしたら、私たちが帰るトラックのところに有名な文学者で作家でチョーシッチという人が来て、学生にこう言いました。困難なときにこんなにして来てくださったことを私たちは永久に忘れません、私は年寄りだけどこの御恩返しをきっと私の息子たちが日本に対してしてくれるでしょう、もしそれが長く貧乏でできないとしても神様がかわってあなた方に恩返しをしてくれると思いますという言葉を言ってくれました。
 学生たちは、そういうものに接すると、先生、僕は自分がこんなに価値がある人間だと思っていなかったと言うんです。成績とかそういうことでいつもできるできないということで思っていたので、僕は自分の価値に目覚めましたと言って、本当に変わります。こんなに人道援助というのはいいのに、そしてそれは憲法が私たちに教えてくれたものなんですね。
 次のページに行きますが……
○会長(村上正邦君) おまとめを願います。
○参考人(暉峻淑子君) はい。
 私たちは、ただ物をくれてやるだけではなくて、憲法に言う自立それから人間らしく生きる、生存権だけではなくて人間の尊厳ということを無意識に考えます。
 それで、次のページは、自立していくための編み物の指導をして、自分で生きがいを持ちお金を得ることができる。その次は、もう最後はしょりますけれども、ミシンの工房をキャンプの中につくりました。ここで私たちは寝泊まりして一緒に、難民たちがオーバーコートを縫えるまで朝から晩まで指導して、一番最後は、これは難民の人たちが村の子供を呼んで自分の縫った洋服のファッションショーをしたところです。
 それで、そのあとも、ずっと日本の新聞にもその状況が書かれているのですけれども、申し上げたいことは、本当に憲法はいい。労働の権利ということも私たちは知っているので、難民の人たちにただ物を施すというだけではなくて、この人たちが一人の人間として生きていけるように、あるいは教育の権利、それから文化に浴する権利、こういうものを考えて、最後に、この四月に地域の合唱団の子供たちを連れて文化に浴することのない難民キャンプでコーラスをして、難民キャンプの子供たちと一緒に歌を歌ったり遊んだりしました。
 一番最後のページは、これは、さっき言った阪神の子供が自分たちの復興をもっといい形で恩返しをして、ユーゴやそのほかの子供たちと交流をやろうとしているところです。
 最後に一言。
 軍事文化と人権文化というのがあります。軍事文化というのは、やっぱり秘密主義、命令で上からやる、それから恨みを呼びやすい。さっき言った間違った情報の上に誤って武力を使うということもあります。軍拡は、もう今のNMDでもTMDでも核でも、いつまでも予算を大きくする。
 それに比べると、助け合うということは、本当に今言ったようないろんないいものを生んでいくわけで、私は、殺されない権利というのはもちろんあるわけですけれども、殺さない権利というものをとても大事だと思う。人を殺したくないという権利というのはあると思うんです。ツィビルディーンスト、徴兵を拒否して福祉施設で働くというのもその一つでしょうけれども、私は、やっぱり憲法というのはその道を示しているとてもいいものだと。これは机上の理論じゃなくて、本当に私の具体的な活動の中で感じていることです。
 以上で終わります。
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方はあらかじめ届け出ていただいておりますので、順次御発言を願います。
 本日は、通常と違いまして逆回りでお願いをしたいと思っております。まず、佐藤道夫委員からお願いいたします。
○佐藤道夫君 ということで、最初に口火を切ると、大変光栄に存じております。どうかよろしくお願いします。
 先生方、きょうは大変貴重な御意見をありがとうございました。大変参考になりました。
 そこで、私から一問ずつちょっとお伺いいたしたいと思いますが、最初に石毛先生に、民族学が御専門ということなので大変よかったと思います。今回問題になっております森首相の発言、日本は天皇を中心とする神の国ですか、これについて民族学者として、また同時に憲法にそれなりに関心をお持ちの立場から見てどのようにお考えなのか、それをちょっと簡単で結構ですからまず伺いたい、こう思います。
○参考人(石毛直道君) まず、天皇を中心にして神の国だったというのは、もしそうだとしたら、私は二つ日本の歴史の中にあったと思います。これは奈良時代よりももっと前のことです。例えば卑弥呼に見られるように、政治とそれから宗教がかなり一体化していた、ですから政治事をまつりごとと呼びますね、そういった時代と、それからもう一つは私は明治時代になってからだろうと思います。
 それで、例えば奈良時代になりますと、実は飛鳥時代からもう始まっているわけですが、奈良時代ですと、皇室とそれから神道の関係だけじゃなくて、皇室と今度寺社の関係が大変強くなります。ですから、天皇の詔で諸国に国分寺というお寺を建てさせるようなことになる。それで、そのうち天皇の実効支配というか、かなりもう既に平安時代になりますと天皇は何か象徴化されてきます。
 そういった中でも、神の国だけではなくて天皇家と宗教のかかわりでいったら仏の国でもあるわけです。つまり、天皇自身がある時期から大体仏教の葬送儀礼である火葬に移ります。それから上皇になったかつての天皇は寺院に住んだりする。あるいは門跡寺院というところに親王さんたちが行く。
 そういったふうに考えたら、実は日本は神の国であったのは、明治以降かなりそれが強化されてあって、その間は実は天皇家との関係においても神の国だけではなくて仏の国とも言わなきゃならない、そういったものであったと考えた方がいいだろう。
 それから、憲法上の解釈について、私は余り専門ではありませんで、ちょっと控えさせていただきたく存じます。
○佐藤道夫君 次は、暉峻先生にお伺いいたしますが、先生の周辺にいる学生たちの感触、感覚なんですけれども、どこかで国際紛争が起こるとPKOを派遣するということになりますけれども、我が国の場合には血を流さない、武器を使わないということが原則的な建前になっておるものですから、どうしても危険地帯には行くことができない。後方で道路の補修とか食糧の支援、運搬などを行う。そうすると、最前線の最も危険なところではアメリカ、イギリス、フランス、ドイツの青年たちが血を流していると。それについて日本の青年としてどういうふうに考えているのか、周辺におられる学生の気持ちだけでも結構ですから御披露いただければと思います。
○参考人(暉峻淑子君) 血を流すとか危ないとかということは、現地に行ってくださればすぐおわかりになると思うんですけれども、私たちはいつも一番危ないところにいるんです。この間も、NGOではありませんが、どなたかキルギスで亡くなられた方がありましたね。別に軍隊が危ないところにいるわけではなくて、NGO活動というのは、国境なき医師団もそうだと思いますけれども、私たちはいつも危ないところにいるわけです。
 しかし、私たちの行動が武力じゃなくて本当に人道的な活動であるということは周りの人たちはすぐにわかってくれます。そうすると、みんなが私たちを守ろうとするし本当に感謝してくれるので、何の対立もなく今まで無事にやってこれた。ですから、危ないということは軍人だけがそこに当面するわけじゃない。だから、幾らでもほかの方法で、恨まれない方法でやることはできると思います。
○佐藤道夫君 ありがとうございました。終わります。
○会長(村上正邦君) 時間ありますよ。
○佐藤道夫君 いえ、いいんです。
○会長(村上正邦君) では、水野誠一幹事。
○水野誠一君 水野でございます。
 きょうは大変貴重な……
○会長(村上正邦君) 会派名をおっしゃってください、おわかりになりませんから。
○水野誠一君 参議院クラブの水野でございます。
 きょうは大変貴重なお話を伺えてありがとうございました。
 私は、特に石毛先生の「文化麺類学ことはじめ」なんかを初めとして食文化の本を多く読ませていただいておりまして、きょうは食関係だけではなくて非常に幅広くお話を伺えたと思います。
 先生がおっしゃっている中で、特に帝国主義の時代から経済大国の時代、そしてこれから文化大国を目指す、こういう時代なんだということは大変私も同感なんですが、まず一つ伺いたいのは、文化大国を目指していくというこの時代になったときに、現在の憲法の中で何か足りない部分、つまりそういう何か先生のお気づきの点があればひとつ伺わせていただきたいというふうに思っております。
○参考人(石毛直道君) 実は私、こういった機会がありましたので、久しぶりにけさ新幹線の中で憲法を読んできたわけでございますが、足らないということはどうも感じなかったんです。むしろこれは憲法の問題というよりも国家の政策の問題ではないかと思います。
 例えば、国家の未来を考えたときに、我々はどういう目標を置くのか。現在の日本国は教育大国それから科学技術創造立国を目指すと言われていますが、例えば科学技術創造立国のようなことは、これは本当に国家の目的なのか手段なのかということでございます。
 科学技術が繁栄して豊かになったらそれは大変いいことです。しかし、豊かになることが目標なのか、あるいはそれは手段であって、日本国家が繁栄したらそれを一体何に使うのか、そういった国家目標の設定。その中で私は、今まで大変弱くて、しかしながらこれからの世界にとって国家の勲章として役に立つようなそういったものというのは、結局文化をおいてはないという考えをしているわけでございます。
 何か御質問の趣旨をすりかえたようなことになりましたが、よろしくお願いします。
○水野誠一君 もう一つ石毛先生に伺いたいと思いますが、これからもう一つの方向として多民族国家を目指していくべきだということが最後の結論でございました。それによってこれからの日本に活力がまたよみがえってくるのではないかというお話もございました。
 そこで伺いたいんですが、文化人類学的に見た場合、多民族国家の方が他国に対する理解度、つまり非常に純粋・単一民族国家よりも他国との関係においても理解力、理解度というものが増していくということ、こういうことは何か証明されているのかどうか、そういった点について伺いたいと思います。
○参考人(石毛直道君) これはちょっと証明するのは大変難しいことでございますのですが。
 多民族国家では、例えばカナダとかオーストラリアのようなところ、そういったところでは多民族国家であることを前提としました多文化教育という面がなされています。また、これは生涯教育でもありまして、例えばその国に住んでいる複数の民族の言語での新聞を出したり、あるいは放送局をつくったり、あるいは図書館はそういったさまざまな言語でのものをそろえるという、一つの文化だけじゃなくて国内の多数の文化を尊重するという立場であります。
 そういった中でやっていますと、自分の文化、自分の所属する文化と国内の別のグループの文化の違いというのがわかり、それを違うことを意識することによって自分たちの文化に対する理解度がそれだけまた逆に高まるという、そういったことはございます。
 ただし、この多文化主義というのは一方ではコストが膨大にかかるものであり、日本のような国家で、理念としての多文化主義は大変結構だけれども、実行面としてすべてのことについて多文化主義のポリシーでやったら、これは大変お金がかかることになります。ですから、ある外国人が多い地方だとか、いろんなこれは地方で考えなきゃならないと思います。
○水野誠一君 ありがとうございました。
 それでは、次に暉峻先生に伺いたいと思います。
 先生のユーゴにおけるNGO活動、大変敬意を表したいと思っております。一つそこで伺いたいんですが、戦争にもいろいろな歴史があるわけですが、国家間の戦争から冷戦期を経て今地域紛争の時代に入ってきている。
 そういった変化の中で、国際貢献の意味というのも非常に大きくなってきていると思うんですが、日本国憲法、これは大変先生が評価をされているということもよくわかりますが、こういった地域紛争というものがなかった時代、戦争のあり方がちょっと違った時代における平和憲法ということを前提としたときに、今のようなこういう地域紛争の時代における国際貢献をなさるときに、今の憲法で何か不備な点、あるいはもう少し概念的にこういうふうに変えていった方がいいんじゃないかというような点というのはないのかどうか。ちょっと難しい質問で恐縮なんですが、ざっくばらんなところでお答えいただければと思います。
○参考人(暉峻淑子君) 私は、今のところ、憲法を読み返してみていますけれども、不備なところとか必要なところというのは発見できません。
 今の条文の中で私たちがどういうふうに動いていくかという、この自分たちのいわゆる行為が大事なのであって、法律の文章をああしろこうしろと言っても、特に何か余り効果もないし変わらない。私たちがどう行動し、どういう人生を生きるかということなんだろうなというふうに思っています。
 どうも素人的で申しわけありません。
○水野誠一君 終わります。
 ありがとうございました。
○会長(村上正邦君) 大脇雅子幹事。
○大脇雅子君 社会民主党の大脇でございます。
 石毛先生に一問お尋ねをいたしたいと思います。
 私は、日比混血児の親捜しの運動に弁護士としてかかわったことがございます。子供たちの親を捜して経済的な支援を求めるのが主たる目的のように最初は受けとめていたんですが、子供たちと話す中で、子供たちは自分のアイデンティティー探しをしているんだと、そしてそういう子たちと話をする中で、私はこの子たちというのは日本とフィリピンをつなぐ友好と文化のかけ橋なんだということに深く心打たれまして、先生がおっしゃったニューカマーという、いわば強固なふるさとといいますか故国に対してアイデンティティーを持ちながら移住する人たちということがやはり二十一世紀の大きい問題であるというふうに思うわけです。ただ、日本では大変、幾つかの差別がございます。そういう人たちを受け入れる心優しい文化というのが育っていないわけですけれども、先生は、今日本に置かれているそういう人たちに対する差別というものをどうしたら解消できるかという点についてお尋ねをします。
○参考人(石毛直道君) 差別をなくすことは、結局、これはまず人々が情報を持つことである、それからそういった情報を人々に日常的にどんどん与えること、それの大変具体的なところは私は教育であろうと思います。
 それで、先ほどもちょっと申し上げましたが、地理的な条件もあり、我々は歴史的に異民族と接して暮らすことがなかった。だから、体験がないから、我々がすることなすこと歴史的な蓄積を持たずに、それでいてこれから異文化と接することが多くなる。そういったときの我々の何げない行動が実は相手の文化を逆なでしていて、差別されたということになるかもしれない。そういう意味では、我々日本人は差別する民族性を持っていると言われるようになることを私は大変恐れています。
 それでいて、残念ながら日本の公教育ではそういったことを教えるカリキュラムがちゃんとしておりません。これはかなり海外の国家では公教育の中の公民教育でそういった文化に対する違い、そういったものに対する態度のようなものを教えていますが、残念ながらまだ我々の国では本格的にはなされていないということです。
○大脇雅子君 ありがとうございました。
 では、暉峻先生にお尋ねをしたいと思います。
 私は、日本国憲法の前文、九条の存在というのは、全体にもそうでしょうけれども、軍事優先でない、文化というのを五十年培ってきたのに大きな役割を持ってきたというふうに思っていますが、先生はそれに対して人権文化ということを対置されました。
 しかし、時代が変わって憲法は現実と乖離した、現実に合わせて憲法を変えるべきであるという意見があります。私は、やはり現憲法には変えることのできない人類普遍的な諸規定があるというふうに信ずるものでありますが、どうして憲法と現実の乖離が生じたのか。そして、先生の言われる人権文化が今日本に育っているというふうには思えないわけですけれども、それはどうしてなのだろうか、そしてどうしたらいいのだろうかということについて、先生の御所見をお伺いしたいと思います。
○参考人(暉峻淑子君) 本当に素人めいたお答えになるのかもしれませんけれども、私は生活問題をずっと勉強しているわけですけれども、自分が勉強している中でも自分の実際の行動の中でも、人権というものと平和というものと民主主義というのは三本より合った縄のようなもので、どの一つが欠けてもほかの二つは機能しにくいですね。
 こう言うことは失礼かもしれませんが、アメリカは人権人権と言いますけれども、その人権の概念が時々へんてこになることがあって、国益が人権になっちゃった、人権の名において自分の国益を何かやろうとするようなところもあるんですけれども、これはやっぱり平和主義というのがアメリカの憲法の中にしっかりうたわれていないということじゃないのかなと思って、アメリカの研究者たちと話すことがあります。
 それと反対にこの日本の場合は、平和主義というのが、私は敗戦のときにもうちゃんと物心つく人間だったわけですけれども、一口で言うと、何を思ったかと言うと、戦争が終わるまでは私は死ぬために生きていた、だけれどもきょうからは生きるために生きていいんだという、一口で言うとそれが本能的な受けとめ方だったんです。
 ところが、私は経済学をやっている人間ですので経済的に言えば、日本は百何年もおくれて明治から近代化して、近代化のテンポ、経済の発展のテンポがよその国よりも三十倍も四十倍も速かったんです。普通の国が八十年、百年かけるところを日本は二十年、三十年ぐらいでどんどん発展していく、外国から技術を入れる、国営企業をつくる、民間に売却する。その中でやっぱり人権というのは置き忘れられてきたと思います。
 それで、日本は、戦争に突入する前までは普通発展段階で言われる中進国の段階に到達していました。ところが、戦争のためにその中進国の段階はどん底まで落ちて、ちょうど一九八〇年を一〇〇とすると敗戦のときの生活レベルは八十分の一まで落ちていたんです。そこから日本は再びはい上がって、猛烈なスピードで経済発展を遂げるわけです。その中では人権なんて顧みる暇もないというのか何なのか、具体的に言いますと、例えば労働者の労働時間、サービス残業、過労死、つまり、憲法は企業の門前でたたずむとだれかが言っていましたけれども、憲法の精神は企業の中には入らないところがあるんですね。
 それから、学校教育の中でも、体罰は悪いと言われながらも結構行われている。司法の裁判でもある程度何か容認されるようなことも言われる。それから、人権が大事ならクラスの人数をもっと少なくして一人一人の子どもに教師は対してあげなければいけないのに、それもない。
 それから、学校語というのがありまして、私は教育者として四十何年もいるわけですから、学校の中には人間の言葉がないんですね。命令するかテストするか管理するかです。でも、人間の言葉というのはお互いが気持ちを通じ合う、あふれる思いを言う、相手が何を考えているかを聞きたい、こういうのがコミュニケーションですよね。それが小学校、中学校の教室の中にはない。これはもう戦後のドイツの学校なんかと全く違います。
 それから、聞く力というのがないんですね。相手の人権をとうとべば人間は聞く力を持ってなきゃいけないのに、聞く力がない。こういうような人権を無視したいろいろなこと、これが結局平和憲法を崩すところまで押し寄せてきてしまって何か乖離が生じたのではないか。
 だけれども、では現実に適応するというのはどういうことか。適応がいい場合もあるし、例えば今失敗しているのは、少子社会をみんな心配しているわけですけれども、これも女の人が現実に適応して、つまり、労働時間を短くして男女ともに家庭責任を持つというようなことができなくて、女も男並みに働かされて、そうじゃないと真っ先にリストラに遭うというようなことで長い労働時間、サービス残業、そういうことをしていて、競争の中にあるので子供を持つことは不利だということ、これも一つの適応なんです。私の女友達もそうです。子供を持ったらもうやっていけない、だから社会に適応するためには子供を持たないということの方がいいんだと言うんですけれども。
 やっぱり人権ということからいえば、適応しないで守っていかなきゃいけないというのもあるわけです。
 だから私は、では何を守らなきゃいけないと思っているかというと、もちろん人間の尊厳、思想とか良心の自由とか、そういうのはもちろんですけれども、平和も守らないと、戦争や武力行使、これは環境にとっても最悪の結果をもたらす。これはユーゴの紛争で本当に私は目の当たりに見ました。
 そういうことからいっても、適応するということをどう考えたらいいのか。やっぱり人間として守っていかなきゃならないものは守っていく方向に私たちの行動や国の政策、援助、こういうものをしていかなくちゃいけないのではないかと思っています。
○大脇雅子君 ありがとうございました。
○会長(村上正邦君) 吉川春子委員。
○吉川春子君 まず、暉峻参考人にお伺いいたします。
 二点お伺いしたいと思うんですけれども、まず……
○会長(村上正邦君) 会派名をおっしゃってください。
○吉川春子君 日本共産党の吉川です。
 今もお話がありましたけれども、改憲論の一つの根拠として、現実との乖離ということが言われているわけですけれども、例えば憲法二十五条の生存権、以下二十八条までの生存権を保障する規定が一方にある。しかし、もう一方には、三百四十九万人の失業者とかあるいは大学や高校をことし卒業した人が六万数千人も就職できないでいるとか、二十七条の労働権というものが非常に脅かされているという現実がありまして、憲法の条文との乖離といえばこれほどの乖離はないと思います。
 先生はかつてドイツ留学の経験をされて、「豊かさとは何か」という本をお書きになって、大変興味深く読みましたけれども、ドイツなどの例をとってみても、まだかなり人間的というか、日本と比べてですけれども労働時間も短い、ゆとりもあるという実例を挙げておられましたけれども、なぜ日本ではこのような乖離が生じてしまうのか、憲法との関係でお伺いしたいというのが第一点です。
 それから、今ユーゴのボランティア活動を大変紹介されまして、新しい国際貢献の分野を切り開いたということで私は非常にすばらしいことだと受けとめました。その中で先生は、憲法九条があるからNGOの活動もやりやすいんだというふうに言われましたけれども、その点、ちょっと具体的にもう少しお話ししていただけたらと思います。
○参考人(暉峻淑子君) 今の乖離の問題ですけれども、これはさっき大脇さんにお答えしたことと重なるんですけれども、私たちの人権意識の問題、それを意識させないようにしてきた明治からの富国強兵というのか企業優先、これがやっぱりあるのではないかと思います。
 例えば、こんなことはもう御承知の方はとっくに御承知だと思いますけれども、ドイツの憲法は第一条に人間の尊厳というものをうたっておりますね。憲法を変えなきゃいけない変えなきゃいけないとおっしゃる方がありますけれども、ドイツの人間の尊厳、それから平和に共存していくということについて、第二条から多分二十七条までだったと思うんですけれども、これは民主的な憲法秩序ということであってこの条文については永久に変えることはできないんです。変える手続は決められていないんですね。
 だから、本当に大事なこと、人間の人権という普遍的なこと、それから未来に向けて子供たちのために大事にしておかなければいけないこと、これについては、やっぱり憲法というものは、現実の方がおかしいのに現実の方に乖離を埋めるという形でやすやすと変えていくべきではない。せっかく憲法に書いてあることがいいことが書いてあるならば、それに向けて何かできることはないんだろうかというふうに真剣に考えていくべきだと思います。
 私のこれは考えなんですけれども、人間の歴史、歴史の本をひもとくとどうして戦争の話ばかりあんなに書いてあるんでしょうか。人間は戦争もしたけれども、生活の上で助け合って共存をしてきているんですね。そっちの方が当たり前だから歴史の本には書かれないんだと思うんです。今や生活史というのはヨーロッパでもとても大きな歴史の分野になってきていまして、普通の私たちがどんなに日常の生活の中で助け合い共存し、平和な生活を望んできたかということをずっと歴史的に開発していくという動きがあります。
 私自身も今その勉強を始めているところですけれども、そのことを考えても今の九条は全く人間の自然に合っているのであって、現状の至らないところ、それから余り拙速に目の前の小さな利益大きな損というようなところに行かないで、現状を少しでも改善して、この最高法規、九十七条にあるように、私たちは努力して次の子供に渡していきたいというふうに思っています。
 それから、九条。
 これは、空爆が始まったときにドイツからのNGOも来ていたんですけれども、ドイツも空爆に参加したということでNGOの人は非常に働きにくくなりました。やっぱり空爆は誤爆だったと言いますけれども、小児科の病院などもああいうふうに粉々に空爆でしてしまいましたし、保育園とか幼稚園とかにも爆弾が落ちたわけですね。そうすると、市民の一般の感情としては、NGOと国がやっていることは違うんだと幾ら思っても、やっぱり何となくこだわりが出てくるんですね。
 ドイツ大使館も早々に引き揚げてしまったんです。それで日本大使館が後の面倒を見ていましたし、ドイツのNGOも、大使館が引き揚げてしまうとやっぱり引き揚げた方がいいと言われるのか、いなくなってしまいました。
 だから、やっぱり九条というのは、私たちのこういうささやかな人道援助を続ける意味でもぜひ守ってほしい。
 ちょっと言い忘れましたけれども、ここにあります、(資料を示す)これはカラーコピーにとっていますように、今の憲法は人権の中に、人権は環境権というのがないとやはり本当の人権とは言えない。環境が崩れれば、空気が汚れ水が汚れて、結局私たちの生存権も危なくなるわけですので、これは洗剤を使わないでお皿の汚れやなんかを落とせるもので、日本独特の、旭化成がつくった繊維で、こういう編み方を私たちが開発して、難民に、ただ稼ぐためにつくっているというんじゃつまらないでしょう、環境のためにこういうものをつくっているという精神的な喜びも感じてくださいと言って、つくって、今一万六千個も現地で売れて難民のいい収入になっているんですね。
 きょう難民のつくったものを持ってきましたので、お差し支えなかったら、どうぞ一個ずつ差し上げますので、環境を守るために、憲法の精神を生かして、ぜひどうぞお使いください。
○吉川春子君 もう一問、石毛参考人にお伺いしたいと思います。
 外国人の参政権についてお伺いしたいのですが、日本在住の外国人の方に参政権を与えるべきかどうすべきかという議論があります。それについての参考人のお考えを伺いたいと思います。それは国政と地方政治とまた違うかとも思いますが、別々に分けてでも一緒でも結構ですので、お願いいたします。
○会長(村上正邦君) 石毛参考人、時間の関係もありますから端的で結構です。
○参考人(石毛直道君) これは既に海外に居住している自国民に対して参政権を与えている国家もあります。それと大体一体的になることじゃないかと思います。ですから、日本の外国人について参政権を与えることと、それから海外居住の日本人に参政権を与える、これは何か物事の表と裏のような関係で考えなくてはならないだろうと。
 それから、私の意見では、外国人の問題というのは、これはそれぞれの地方によって解決すべき問題でありまして、少なくとも地方政治では定住外国人には参政権を上げたらどうだろうというのが私の考え方でございます。
○吉川春子君 ありがとうございました。
○会長(村上正邦君) 福本潤一委員。
○福本潤一君 公明党・改革クラブの福本潤一でございます。
 最初に、石毛参考人にお伺いしたいと思います。
 参考人の御意見の中に、均質的な文化で統合されているゆえの差別という表現、お話がありました。国家、民族、文化という観点から、日本人の同一性の問題に関して造詣の深いお話を聞かせていただきました。さらに、ある意味では大勢に流されやすいとか、日本人のあるときは均一性でないがゆえにある均一性から外れた人たちを差別するという傾向、例えばあるときは学校のいじめや何かでも、成績が悪い、また成績がいい、極端に普通でないというところに対して差別がさらにいじめのような形になってきたりするような問題があります。
 教育の問題だというふうに先ほどお答えになっておりましたけれども、こういう由来、起こった背景、歴史に関して造詣を述べていただければと思います。
○参考人(石毛直道君) 異質なものを排除するという傾向が伝統的な日本文化に私はあったと思いますし、現在でもある程度認められると思います。
 それは結局、我々が異質なものとつき合って、討論したり何かして、それで異質なものの存在価値を認めたり、お互いに討論し合うことがなかった。我々が今までやってきたことは、日本文化というフィルターを通して、そこを通った異質なものだけを入れて、それでそれを日本的に変化させるというプロセスであったのではないかと思います。それで、異質なものというものは、日本社会においては何かおかしなものである、それだから今度は差別されるという、そういった構造をとります。
 それで、これはちょっと別な言い方をしますと、本当の異質さから我々は目をつぶって、一種の自分たちのつけたレッテルで異質さを見ているところがあります。つまり、日本人と外人という普通分け方をいたします。外人と言われたら、その人たちは、自分はフランス人なんだ、あるいは自分はドイツ人だと言う。外人というので全部ひっくるめてそれで日本人以外を全部言うというのは、これは大変嫌な言い方だというふうに彼らはよく言います。
 いずれにしろ、そういった大勢に流されるというのは、一方では異質なものとの討論、それで勝ったり負けたりする、そういった経験が大変少なかった、そういった精神風土とかかわりはあるだろうと思います。
○福本潤一君 私も同じことをあるエッセーで書いたことがありますけれども、日本人は民族で外人と言い、アメリカ人は国籍で外国人と言うという話でございますが、その民族が同一の日本人だというときに、日本人は血筋とか血統が中心になっていますけれども、ドイツや何かでは出生地とか国籍で国の、日本人という言い方を定める。この根拠はいろいろあると思いますけれども、今後、例えば教育の問題以外に、この出生主義に変えていったらやはり変わっていくものかどうかというのを、見通しも含めて。
○参考人(石毛直道君) これは国民と民族の問題でもございます。つまり民族というのはよその国へ移民しても、ある民族であるかもしれない。しかしながら、国民はその国籍を取らなくてはならないということがある。
 日本の場合はそれが、国籍法ではもともとは親の方の血あるいは父親方の国籍を重視するようなたしか制度が、大分前に変わったと思いますけれども。それで、国籍の取りづらさというのは日本は大変取りづらい国だと思います。
 それから、そこのところで法務省の指導なんかがあって、このごろは大丈夫になってきたようですが、一種の同化主義で日本国籍を取ったときには日本人らしい名前をつけなさいという、そういった指導もあったわけです。そうしますと、そこのところで実は国籍とそれから民族とのギャップが出て、それでまた不快感を覚える人もいるというような、そういったことになっています。
○福本潤一君 ペルーのフジモリ大統領を見て、我々は日本人だ、あちらの人は日本人だと思わないということはございますと思います。
 もう一つの質問、先ほど外国人の参政権がありましたけれども、公明党は地方参政権を外国人に与えるべきだという法案を出しておりますので、参政権を地方参政権に限るのと、また国政全般に参政権を与えるというのは、ある意味では大きな判断の一つの決断を下すべき問題だと思いますけれども、国政に与えるということをあえて避けておるわけですけれども、これを与えたときの影響という問題について御意見を伺えれば。
○参考人(石毛直道君) 外国人に国政の参政権を与えたときに、ではその人を支援する集団というのが一体どのぐらいあるかとなりますと、やはり現在では日本はもう日本人ばかりの国ですから、そうしますとその支持集団というのはおのずと限られている。そうすると、そういった外国人に参政権を与えたときに、国政に参加する代議士の先生方のそういった人々の数も将来にわたってもそんなに大きくなることはない。だから、国政全体に大きな影響を及ぼすというものとは違うのではないかと私は思います。
○会長(村上正邦君) 時間が来ましたので、簡単な質問でしたらどうぞ。
○福本潤一君 では、暉峻参考人、一問だけ。
 環境権の問題を憲法条文化するに当たって、現憲法でも環境権は保障されているという話があります。この環境権を入れることによって改憲論議が進んで、それで従来護憲の立場から問題があったという話がありますので、この環境権を憲法条文化、入れる必要性について御意見をいただければ。
○会長(村上正邦君) 暉峻参考人、一言でいいですよ、時間が。
○参考人(暉峻淑子君) 私は議事録を何回も読ませていただいたんですけれども、どなたかがおっしゃっていらっしゃいましたけれども、環境基本法の中に環境権を入れたらという、そういう声があったのに入れられなかったと。それがどうして憲法の中で環境権が入るのか、私はわからないんですね。そういう個別法の中でいろいろ議論してとうとう負けて入れられなかったもの、これが憲法の中にどうして入れられるんでしょうか。
 だから、私はやっぱり個別法の方でまず実績をつくって、そして本当にこれは大事だということを皆納得できて憲法の方に入れられるならいいと思います。
 私の忌憚のない意見を言わせていただきたいんですけれども、理論的に言えば、憲法はそれはよりよく変えていいんです。しかし、森さんの発言も多少私の心に影響しているんですけれども、盗聴法と言われるようなものがどんどん通っていったり、今の警察のあの状態をみんな知っているのに、そこにああいう法律を通してみたり、そういうことをされている現状を見ていると、これはもう憲法をいじったら、ほんのちょっぴりの人権の進歩はあっても、もっと大きな何か悪い方向に引っ張られていくんじゃないのかしらという、そういうおそれを、現状の中で私はやっぱり正直に申し上げてそのおそれをぬぐうことができないんです。
 だから、理論的にはそれはそうなんですけれども、細かく今までやられてきた個別法の動きなどを分析していってみると、今そんなものは口で言ったって入らないというふうに私は思っています。そして、損ばかりがわっとこうなってきたら、せっかくのさっき言った人道的な私たちの活動もできなくなる。本当にこの点を理解していただきたい。
 もう一つ言いますと、実はこういうことが向こうの新聞に出たんです、日本の人道援助のおかげでと。難民たちは今まで各国からいろんなものはもらった、もらっている間は難民はいつまでも難民だった、だけれども、日本が人権の立場、人間の尊厳という立場に立ったこういう救援をしてくれて難民は初めて人間に戻りましたと書いてあったんです。
○会長(村上正邦君) 済みません。環境権の問題でございますので、その辺で。
○参考人(暉峻淑子君) 環境権は、今のこれが環境権です。(資料を示す)
 ですから、本当にそういうことをもうぜひ皆様によく考えていただきたいとお願いいたします。
○会長(村上正邦君) 石田美栄委員。
○石田美栄君 民主党・新緑風会の石田でございます。
 石毛参考人に三つお尋ねしたいんですけれども、時間を考えながら、まず最初の二つをお尋ねいたします。
 先生は、本日は民族を中心にお話をしてくださって、異文化に対する公教育の必要性、その中に宗教も含めておっしゃっていたんですけれども、実はきょうの会のために資料をいただいていますのを本当に興味深く読ませていただいた中で、きょうはその部分にお触れにならなかったんですが、東アジア、すなわち日本、中国、朝鮮半島の社会や文化について、いただいている資料に出ています。文字については、ヨーロッパはローマ字をもとにしているけれども、日本、中国、朝鮮半島の歴史では漢字と日本の仮名文字、そして朝鮮半島のハングルの成り立ちや歴史、そしてその解釈を論じておられまして、とても興味深く読ませていただきました。
 また、「東アジアの食事文化」と題しているところで、この箸と匙、スプーンではなくて「匙」という漢字が非常に味わいがあるんですが、箸に加えて匙が使われるかどうかの歴史と違い、ここでも私は欧米は匙ではなくてスプーンとナイフとフォークの文化だなというふうに思いました。
 さて、質問に入りたいんですけれども、宗教について、儒教のことは少しお触れになっているんですが、私は欧米は何といってもキリスト教が基本である。そして、日本というかこの東アジアでの宗教ですが、日本は民族宗教というか伝統宗教、今ちょっと話題になっています総理の発言もございますが、民族宗教、伝統宗教である神道があります。日本、中国、朝鮮半島の社会や文化の歴史の中で、仏教と儒教、そして日本の神道について、もう少し先生の御説をお伺いしたいなというのが一問でございます。ちょっと前提が長くなりましたが。
 もう一つは、先生が、来る途中に憲法を読み直したけれども足りないところはなかったというふうにおっしゃったんですけれども、この憲法調査会で、実は昨晩、「真珠の首飾り」という青年劇場の、私たちの憲法をGHQの民政局が草案づくりをした過程のドラマを見に参りました。
 また、前回参考人としてベアテ・シロタ・ゴードンさん、その草案の中で人権の部分、特に女性の人権を書かれた方をお呼びしてその当時のことをお聞きしたんですが、そのドラマの中で、人権のところで、実は多分これ十四条に関係するんだと思うんですが、自然人というふうなことも出ましたけれども、「法の下に平等であつて、」というところに「人種、信条、性別、」という、私たち女性にとっては、これでもって戦後私たちがどれだけ地位を向上させてくることができたかということですけれども、その中に国籍というのがどうやら入っていて、それは落とされた。
 そのことについて、ドラマの中で、自分たちは人権について理想を目指したんだけれども、やっぱり完全ではなかったというか、理想ではなかったのかなというふうなせりふがありまして、あっと思ったんです。
 今、そのことのために私たち国会でも外国人に対する権利のいろいろな法律をどうしようかということで苦悩しているわけで、その部分について、先生、憲法にもう入れるものはないとおっしゃったので、このようなドラマの中の回想の部分をどうお思いになるでしょうかという、まず二点をお尋ねいたします。
○参考人(石毛直道君) まず最初の東アジアの宗教についてでございますが、これは儒教、仏教、あるいは道教だとか、あるいは韓国の民族宗教、日本の神道、そういったのを全部論じますと大変時間がかかりますので、ちょっと一くくりにして申し上げます。
 我々東アジア世界の宗教というものは西側の世界と大分違うものであります。つまり、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のようなのは一神教であります。東アジア世界にはそういった一神教はございませんでした。仏教もこれは一種のたくさんの仏陀がいる世界、そういったのを考えていますし、日本ではやおよろずの神もある。
 そこのところでどういうことになっているかと申しますと、一神教の世界というのは二項対立的な物の考え方をします。AとBがあって、Aが正義だったらBは不正義、Aが真実だったらBは虚構である、Aが善であったらBは悪であると。二つのものを対立して、その間のものを認めずにいく、そういった論理でございます。そこで物事を大変簡単な形に現象を置きかえます。そういったことができるから、実は私は、近代の西欧科学というのはそういった二項対立的な考え方で論理を組み立てられたからかなり進歩したということがあるだろうと思います。
 しかしながら、本当の人間的な現象や社会的な現象を見るときに、そのすべてをAとBに対立させる考え方が有効かどうか、それが正しい見方かどうかということには私は疑問を持っています。
 我々の一神教じゃない方の考え方だったら、AとBの間に重なり合いの部分がたくさんあるんだと。そうすると、初めはAの立場であった者がAとBの間の立場になって、それで今度はその立場からBの立場に、もともとAの立場にいた者が状況の変化によってBの立場になってしまう。これは、一神教の論理からいったら裏切りであり、異端という最も人間としていけない行動とされるかもしれません。
 しかしながら、我々はそういった伝統ではなくて、それも自然な人間の何か行為としての大変自然なものであるという、そういったものを認めるような精神風土というのが東アジアには私は共通してあると思います。
 それですから、今度は逆に一神教の論理から見ますと、あいつらは何かえたいが知れない、いつ立場を変えるかわからない、そういった連中だということで、そちらの論理から見ると私どもは評価できない、されないんですが、しかしこれは、実はAとBが連続であるという立場だと論理学はうまくつくれないわけです。そんな物事が融通無碍に変化する、そういったところでなかなかうまい論理が組み立てられないけれども、社会だとか人間というのはそのAとBが連続しているという方が実は当たり前だという、そういったことも我々は主張することも考えなくてはならないだろうと。これは日本だけではなくて、東アジア世界に共通することだろうと思います。
 さて、お尋ねの第二点目の、つまり人権というものと関係させながら、憲法に、国籍による差別をしないというそういったことが初めは討議されたんだけれども、実際は実現しなかったということ、結局そこのところでこれは憲法の一番もとのところへ立ち戻って考えることになるんではないかと思います。
 つまり、日本国憲法はこれは日本国民のためにあるという前提で多分今の憲法はつくられていると思います。それを日本国民だけではなくて日本に居住する外国国籍の人々まで含めたものにするかどうか、そこの決意の問題であるかと私は思います。
 以上でございます。
○会長(村上正邦君) ありがとうございます。
 石田先生、時間でございますので、よろしいですね。
○石田美栄君 はい。
○会長(村上正邦君) 岩井國臣委員。
○岩井國臣君 自由民主党の岩井國臣でございます。
 石毛直道先生に御質問させていただきたいと思います。私の考えは省略いたしまして、質問のみ申し上げますので、ちょっと脈絡のない話になるかもわかりませんが、お許しいただきたいと思います。
 大嘗祭についてでございますけれども、これはもう言うまでもなく我が国におけます天皇制の即位式だと思いますけれども、これは言うなれば死と再生をあらわす一種の通過儀礼だというふうに一般的に考えられておるかと思います。したがいまして、死と再生をあらわす通過儀礼という意味では民族学的に見て成年式と同じだということを言う人がおられます。そういう学説があるというか、言われる方がおられますけれども、先生は食文化御専門の民族学者ということでございますけれども、そういう立場でどのようにお考えになりますでしょうか。
○参考人(石毛直道君) 成年式というのはこれ世界あちこちにありまして、子供から一人前の大人になるというときに、古い人格をなくして新しい大人としての人格を上げる。そのときはしばしば苦痛を伴う苦行みたいなのがあり、それからどこかへ隔離される、そういったことがあります。
 大嘗祭というものが、天皇の即位式でございますが、それは成年式と同じような構造をとっていると解釈できる部分もありますが、もう一方、大嘗祭に大変強いのはこれは稲の収穫儀礼でございます。
 新嘗祭といいますと、天皇が即位して、天皇になって最初の即位式の新嘗祭が大嘗祭ということになるわけで、新嘗祭を毎年やるわけでございますが、この新嘗祭というのは実は天皇だけに限られた行為ではなかったわけです。万葉集でも民衆が新嘗祭をやっていることも出てくる。
 それで、新嘗祭と同じことは実は東南アジアの稲作民族の間に大変広く見られることであります。その年とれた稲の初穂をお祭りする、それでその初穂を食べる、そのことによって人間の霊力が活性化するという。これは稲霊と申しまして稲粒には稲の精霊、あるいは別の言い方をしたら稲の神様が宿っているんだという信仰が東南アジアから日本にかけての稲作地帯にずっと共通しています。
 それで、稲の初穂をお祭りして、それを食べる、そのことによって稲の精霊と天皇が合体する。稲の魂というものはしばしば祖先の魂と一緒にされます。稲の魂はやはりあの世からこの世へ稲作とともに来たものだということが、あるいは毎年収穫が済んでから今度はあの世へ帰り、田植えのときにまた戻ってくる。
 そういったことを考えますと、実は大嘗祭の場合、死と再生というモチーフの成年式よりももっと強いのは稲作の儀礼である。そして、古代の天皇というものは、稲作国家の中心にあるのは天皇でしたので、その天皇がやるさまざまな政の中で一番大事だったのがやはり収穫祭や、大体祭りというのは一番大切、そういったものが即位式になったんだ、取り入れられたんだと。ただ、そこのところで一つだけ異質的なのが、そういった稲だけじゃなくて、真床覆衾というさまざまな敷物の中に天皇がおこもりになる、中へ入ってしまうということがある。
 その意味が、実は大嘗祭の宮中の儀式というのはこれは公開されていませんので情報が足らなくて、さまざまな説がございます。その説の一つを御紹介いたしましたら、北方の民族の間では、王とか、そういった神聖なる王というものは天からやってくる、王様の最初の祖先は天からやってきたんだ、天からやってくるときはさまざまな敷物だとか、そういったものにくるまれて地上へやってくるという、そういった伝承が割と北方民族にあるということを指摘した民族学者もございます。
 もし、それがそうであるとしたら、日本の大嘗祭というものは、一種の南方の稲作民の文化を基調にしながら、北方民族のある意味では生と死とかそういったもの、死と復活と言うほど大げさではないかもしれないけれども、それにどこかで共通する北方的な要素も入っている、そういう儀式であるということも考えられるんではないかと思います。
 もう一方では、真床覆衾というのは、これは折口信夫という方の説ですが、天皇が大嘗祭のとき、そういった幾重にも敷物のような中へくるまる、これは赤ちゃんの胞衣であると。だから、それは亡くなった天皇の霊魂が今回なる天皇に移って、それで赤ちゃんとしての状態でまた生まれ変わるんだという、そういう象徴であるといった説もありますので、そちらの説をとりますと、大変成人式に近いような様相が考えられます。
○岩井國臣君 ちょっと確認をさせていただきたいと思いますけれども、今、稲穂との合体だとか祖先との合体ということを言われましたけれども、そうですと、死と再生ですけれども、必ずしも神そのものの死と再生というふうな意味ではないというふうに考えてよろしゅうございますでしょうか。
○参考人(石毛直道君) 実は、先ほど申し上げました一神教の世界と大変違うことで、こういうことを我々は頭に置いております。つまり、一神教の世界だったら人間が神になることはあり得ません。人間はその神を祭る司祭にしかなれないわけです。そこのところでは予言者だとかそういったものはそれなりに評価されるけれども、それは決して神ではない。
 ところが、神と言ったり仏と言ったりいろんな言い方がありますが、我々の世界では大体人は死んだら神か仏になってしまいます。あの世へ行った人は大体神か仏なんです。それどころではない、生きているうちに神様になることも幾らでもあり得ます。それは、現在でいいますといわゆる新興宗教の中で生き神様という表現がたくさんあるわけです。
 それで、そこのところで天皇を現人神と呼んだのは、例えば万葉集に「大君は神にしませば」というような言葉が出てくる。そういったときまでさかのぼれるわけですが、そのときの神というのがキリスト教やイスラム教で言うようなそういった絶対権力の神とは違うんだということでございます。
 そして、そういった現人神としての天皇の性格の一部を大変強調したのが明治時代からのことであり、近代的な国家としての国家形成をするときに天皇を中心にして国民形成をしようという、そういったときに演出されたものとしての現人神であって、もともと天皇がお持ちだった日本の伝統的な社会での神、「大君は神にしませば」といったときの神とは意味が大分違ったものじゃないかと私は思います。
○岩井國臣君 もう一問。
○会長(村上正邦君) 二十四分までですが、結論づけてください、憲法と大嘗祭。あと一分しかありませんが、どうぞ。
○岩井國臣君 それまでにちょっと結論づけられませんが、民族学的にもあるいは文化人類学的にもあるいは歴史学、いろんな学問分野から私は天皇制そのものにつきましてもいろいろ研究する必要があるんじゃないかというふうに思っているんですが、民族学の立場で天皇制について大いに研究する余地があるのかどうか、その辺をどのようにお考えになっておられますでしょうか。それを最後にお聞きしたいと思います。
○参考人(石毛直道君) 民族学者でこういったことを討議した人々も過去にも何人かおります。ただし、過去の民族学、あるいは今で言いますと古典的民族学とでも言ったらよろしいでしょうか、三十年ぐらい前までの主流ですと、民族学というのはむしろ国家なんか扱わずに、それほど大きい社会じゃなくて、いろんなアフリカだとかそういったところの小さい社会の研究、それは小さい社会であるがゆえに基本的な物事の構造がわかりやすいだろう、複雑な大きな社会は見えづらいということでやっていたわけですが、ここのところずっと民族学そのものが変わってきました。それで、都市だとか環境だとか国家といったような現代的な問題をどんどん民族学が扱うようになってきましたので、当然天皇制の研究というのも民族学の研究分野として成り立つだろうと思います。
 そのときに、我々が、歴史学だとかあるいは政治学だとかそういったものと違う立場、民族学独自の立場としてするとすれば、ほかの民族の場合との比較においてそういった日本の王権というのをとらえるんだ、民族学というのは比較を重視する、そういった視点から一度日本の王権の発展というのを考えることは大変学問的にも興味があることだと思います。
○岩井國臣君 終わります。
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
 参考人におかれましても質問者におかれましても、時間的制約の中で意の尽くせない部分が多々おありだと私は拝聴させていただきましたが、これも時間の関係でございますのでお許しをいただきたいと思います。
 また、自由討議をいつもいただくわけでありますが、きょうは、二十四分で二時間、一応時間が参りましたので、本日の質疑はこの程度といたします。
 参考人の方々には、大変貴重な御意見、具体的な例を挙げての御意見、御答弁をお述べいただきましたこと、まことにありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚くお礼申し上げます。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時二十六分散会

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