第156回国会 参議院憲法調査会 第5号


平成十五年四月十六日(水曜日)
   午後一時三分開会
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  出席者は左のとおり。
    会 長         野沢 太三君
    幹 事
                市川 一朗君
                武見 敬三君
                谷川 秀善君
                若林 正俊君
                堀  利和君
                峰崎 直樹君
                山下 栄一君
                小泉 親司君
                平野 貞夫君
    委 員
                荒井 正吾君
                景山俊太郎君
                亀井 郁夫君
                近藤  剛君
                桜井  新君
                椎名 一保君
                世耕 弘成君
                中島 啓雄君
                中曽根弘文君
                服部三男雄君
                福島啓史郎君
                舛添 要一君
                松山 政司君
                伊藤 基隆君
                江田 五月君
                川橋 幸子君
                木俣 佳丈君
                高橋 千秋君
                松井 孝治君
                若林 秀樹君
                魚住裕一郎君
                山口那津男君
                宮本 岳志君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                松岡滿壽男君
                大脇 雅子君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       桐山 正敏君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (基本的人権)
○公聴会開会承認要求に関する件
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○会長(野沢太三君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本調査会は、平成十四年四月より、「基本的人権」をテーマに取り上げ、調査を進めてまいりました。
 これまで、学識経験者のみならず、人権問題に実際に携わっている各界各層の方を含めて二十五名の参考人をお招きしたのを始め、委員相互間の意見交換を行うなど、広範な調査を重ねてまいりました。
 また、平成十四年五月十五日には、「私たちにとっての人権」をテーマに公聴会を開会し、八名の公述人をお招きしております。
 本日は、これまでの調査を踏まえ、「基本的人権」の自由討議を行います。
 御意見のある方は順次御発言願います。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 舛添要一君。
○舛添要一君 私は、憲法上の権利と義務とのバランス、それから公共の福祉との関連について話をしたいと思います。
 日本国憲法をいろいろ考察してみますと、私が今言ったポイントにつきまして、二つの点で新たな検討が必要かと思います。
 第一は、新しい義務規定が必要ではないかと思います。それは、権利と義務の関係からいいますと、戦前の反省から基本的人権はしっかりと守られているんですけれども、義務について言うと、納税の義務とか教育を受けさせる義務とかそういうのはありますけれども、少しバランスを失しているんじゃないかと、そういう問題意識を持っております。
 それから第二点目は、これは後ほど荒井委員が御発言なさると思いますけれども、新しい人権の概念の登場に伴って、旧来の既成の人権と新しい人権との競合が起こった場合にどういう理論でそれを規制するのか、ないし調整するのかと、そういう二つの問題意識から、時間も限られていますので、具体的なテーマで具体的な条項に基づいて申し上げたいというふうに思います。
 まず、第一番目の新しい義務規定ですけれども、これは、日本国民及び日本国を守るという、そういう意味でいろんな外敵から、ないしテロリストから守ると、そういうことのある意味では、国防の義務というのは日本国民に課されているものであるということの何らかの認識が必要かというふうに思います。そうしないと、日本国憲法の前文、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と、そういうことがありまして、それから第二十五条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」、この権利を有するときに、ニューヨークのテロのようにああいう形で私たちの、生存権というのは最も基本的な人権ですから、これを害されるような状況は国民が総力を挙げて排除するというのは義務であっていいというふうに思います。
 したがって、そういう明確な位置付けがあれば、第九条の戦争の放棄についても自衛権が認められているということが、関連が出てくるというふうに思います。この点では、有事法制をどうするかという問題にかかわったりすることがございますし、現下の問題として、九・一一以降のテロに対して我々はテロ特措法を作りましたけれども、諸外国がいろんなテロに対する規制法をやっている。こういう団体規制の問題もそこにかかわってきているわけであります。
 もちろん、憲法二十一条で結社の自由というのを、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」と、こういうのがあります。
 この結社と表現の自由というのは項目を分けて書いた方がいいんじゃないかという気はしますけれども、それはさておき、結社の自由というのは、非常にこれは基本的に重い。しかし、テロリストの結社の自由を許していいんであろうかと、こういう問題意識から、アメリカ合衆国においては一九九六年に反テロ法というのがございます。アンチテロリズム・アンド・エフェクティブ・デス・ペナルティー・アクト。それから、一九七七年には国際緊急経済権限法及び同法に基づく二〇〇一年大統領命令一三二二四号、インターナショナル・エマージェンシー・エコノミック・パワーズ・アクト、エグゼクティブ・オーダー一三二二四とありまして、そしてテロリズム・アクト二〇〇〇、二〇〇〇年テロリズム法、こういう形でテロを規制をしております。
 日本の場合、この団体規制については非常に厳しく当たらないといけません。公共の福祉ということからいえば、例えば国を守るというのは公共の福祉になるのかならないのかと、こういう概念をめぐっていろいろ議論がございましたけれども、私たちの最低の生存権を守る戦いというのは公共の福祉であるというふうに位置付けていいかと思います。そうすると、結社の自由という権限と、我々の生存を守る、その生存を脅かすことを目的とするような団体を許すかどうかと、そういうことが非常にかかわりがあるわけであります。
 その点について、日本で団体規制は破壊活動防止法と団体規制法、正確に言いますと無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律、この二つしかありません。したがって、この法律に掛からない団体がどこに行くかというと、政治団体の衣をまとうわけでありまして、政治団体については政治資金規正法で政治と金の側面からの規制しかございません。
 私は、これはドイツの結社法、一九六四年にありますゲゼッツ・ツア・レーゲルング・デス・エフェッントリッヒエン・フェラインスレヒツというのがありますけれども、その結社法では、例えば三条で、目的又は活動が刑法に違反し、又は憲法的秩序、諸国民の協調の思想に反する社団、フェライン、これを解散させ、禁止することができるということを言っています。この社団の中には政党、ポリティカルパーティーは含まれておりません。しかし、現実に、左翼、右翼の、極左、極右の活動をする人たちが一番規制がないということで政治団体の衣をまとっていると、こういう問題どうするのかということでありますので、ドイツでは刑法でも同じような、テロリスト、結社の規制をやっております。
 したがいまして、私は、政党の活動を活発にさせる。まあ今の統一地方選挙では、無党派が伸びて政党が駄目になったみたいなこと言われていますけれども、政党の活動を担保するためにこそ、むしろ政党以外の社団、ドイツ的に言うと社団ですけれども、こういうものに対して結社法ないし政党法というのを作る必要があるんではないかと、こういう問題提起をあえて皆さん方にしたいというふうに思います。
 それから、第二点でございます。
 それは、先ほど申し上げました新しい人権概念の発生とともに、旧来の人権概念との調整をどうするかと。これ具体的には憲法二十九条に基づいている財産権ですけれども、公共の福祉云々というときはこの財産権の制限が一番大きいわけですけれども、第一項「財産権は、これを侵してはならない。」、第二項「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」、第三項「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」。したがって、これは要するに公用徴収とか収用とか、公用の制限の条項であります。
 ただ、これ今まで言われてきたのは、日本はどうも私権制、私権を守っているということで、ある一軒、一軒の家が絶対立ち退かないといったら環状八号線は絶対できないと、こういうことがあったり、それから空港の問題についてもいろいろございます。
 これは今までどおり、公共の福祉という概念をもっとしっかり確立する必要があるんですけれども、今度は新しい概念として環境権という概念が出てきた。環境権で、例えば、私が持っている森林だけれども、その森林は環境を守るために伐採しちゃいけませんよと。その環境権の重みと私の私有財産の重みと、どちらが強いかと。
 それから、ドイツでは景観、つまり美しい景色、日本の町はもう本当に雑多で都市計画も何もない、こういうのは建築の自由があるからだと。ドイツは建築の自由はないので、要するに原則禁止で、都市計画のために所有権の制限がまずある。まあ、これも一つの極端なやり方ですけれども、もし環境権というのを憲法に記した場合には、この憲法二十九条の財産権との競合をどうするんだろうかと、こういう問題がございます。
 ドイツ憲法では十四条で所有権の保障ということは行っていますけれども、第一項で。第二項では、所有権には義務を伴うということが明言されております。日本の場合、所有権に義務が伴うという、そういう教育もされていなければ、そういう概念もない。こういう点について、是非皆さんと一緒に考えていってみたいというふうに思います。
 話をまとめますと、今二点申し上げました。時間が限られていますので、二十九条と二十一条の絡みで申し上げました。前者については、テロ対策って今一番大きな問題で、いろんな議論が行われていますけれども、結社法、政党法、それから政治資金規正法、そして二十一条の結社の自由、こういう関係の整理を是非やることが我々の政治活動をより盛んにするためにも必要なのではないかと。
 繰り返しますけれども、政治資金規正法の下での政治団体を隠れみのにして、我々が正当なる政党活動をやっていることを邪魔するような団体が出てきているということに対する警告を発したいというふうに思います。
 そして、第二番目は、今申し上げましたけれども、環境権だけについて今取り上げました。しかし、今から議論があると思いますけれども、様々な新しい人権が生まれている。これとの競合をどうするかと。これも公共の福祉という観点から議論を深めたいと、そういうふうに思います。
 以上です。
○会長(野沢太三君) 続きまして、峰崎直樹君。
○峰崎直樹君 民主党は既に憲法調査会を設けておりまして、その中間報告を二〇〇一年の十二月十八日にまとめております。これに即しながら、まず私の方から民主党としての基本的な、基本的人権についての考え方を一応披瀝をしておきたいと思います。
 まず、基本的な認識についてでございますが、基本的人権の尊重ということは日本国憲法の根本的な規範でありまして、平和主義、国民主権とともに今後とも遵守していくことは言うまでもありません。
 明治憲法の人権条項は極めて不完全なものでありまして、現行憲法は制定当時の国際的な人権規定を取り入れ、我が国の人権保障を一新しました。その結果、人権保障の面でも明治憲法に比較にならないぐらい進歩を遂げてまいりました。この成果は、単に規定だけではなくて、社会のすべての場面における人権確立に向けた市民の不断の努力の成果でもあったと言っていいと思います。
 我々は、日本を人権保障を促進する国として自らを位置付け、まだまだ不自由さも残る、性差別あるいは部落差別などが残っておりますので、保障手続についての不十分性も残っておりますので、国連の人権委員会等でもそれらが指摘されています。
 なお、改革を求める場面が多く残っておるので、率先してこれら基本的人権の確立に努めていく必要があると。特に、先進国と途上国との人権格差を是正する環境整備というその面において主導的な役割を果たし、世界に誇りの持てる国づくりを目指していくべきだと考えています。
 また、日本国憲法が規定する人権条項も不断にその国際人権保障との関係において再吟味されなければならないということは言うまでもありませんが、わけても、人権の前国家性をどう理解するか、プライバシーの権利、環境権、自己決定権など新しい人権についてどう規定すべきか、あるいは表現の自由とその限界についてはどうかと、あるいは多文化社会におけるマイノリティーの人権はいかにして確保されるか、そして人権保障機構の在り方はどうするかなどなど、多くの課題に挑戦する必要があると考えています。
 以上のような基本的な認識の下で、当面三つの課題に絞って取りまとめております。もちろん、これ以外にも多くの論点があるのでありますが、取り急ぎ中間報告段階でまとめた点でございます。
 第一は、新しい人権に関する議論であります。今も舛添委員からありました新しい人権の問題ですが、非常に社会の変化が激しく、当初は予想されなかった権利や利益が広がって、これを新しい人権ということで憲法による保護を認めるべきではないかという問題が発生しています。
 また、災害やテロ、凶悪犯罪、エイズなど、現代市民生活の不安に対処する人間の安全保障という点も人権の問題として考える必要があるのではないか。具体的には、環境権あるいは個人情報の権利、名誉権、人格権、知る権利、日照権、知的所有権、子供の権利、安全への権利、発展の権利、自己実現の権利など、憲法に直接明記されていない権利に関しては、人権保障がより明確になることを考慮し、何らかの形でこれらの新しい人権のカタログを憲法規定の中に取り入れることを検討すべきだというふうに考えています。
 ちなみに、新しいその権利のカタログについて、憲法十三条の幸福追求権に含まれるとされているものに限定して、三点について典型的なものを検討課題としておりますので、この点について少し触れておきたいと思いますが、それはまずプライバシー権でありまして、プライバシーの権利についてというのは、正に自己の、プライバシーの権利とは自己に関する情報をコントロールする権利と、こういうふうにとらえて、これを憲法上の権利として明示することの可能性も検討していきたい。
 さらに、先ほどありました環境権ですが、国連の人間環境会議では、一九七二年の人間環境宣言の中で、良好な環境の享受は市民の権利であると、こううたっているわけであります。この環境権を明確に定義をして法的権利として確定するための作業を進め、憲法上の権利として明示すべきかどうかを引き続き検討していきたいと考えています。
 それから、自己決定権でございますが、公権力から干渉されることなく個人が自らを決定できる権利で、自己の生命や身体の処分にかかわる事項と、臓器移植とか延命治療とか安楽死の可否などですが、さらに家族の形成、維持にかかわる事項と、これはいずれも二十一世紀には恐らくますます大きなテーマとなることが予測されるので、法的権利性を明確にすることが求められているのではないだろうかというふうに考えています。
 大きな第二点ですが、それは外国人の人権についてであります。
 外国人の権利保障は、地球市民が国際社会、国、地方自治体、コミュニティーにおいて有する連帯の権利に深くかかわるものであります。人権の自然権的性質から、外国人の人権を保障するという考え方には見解の一致が見られるんですが、日本国憲法第三章、国民の権利・義務には外国人の人権は明文化されておりません。外国人の人権保障について憲法解釈もあいまいなままでありますので、その明確な規定が強く求められていると考えています。
 憲法における外国人の人権保障を考える際には、世界人権宣言、難民条約、国際人権規約などを有力な基準として採用し、国際人権保障に対応するものが求められていると考えます。特に、国際人権A規約に関する委員会は、日本については在日外国人の社会権保障の実態公表が不十分だと、こういうふうに指摘しております。普遍的人権保障の面での立ち後れが問題になっていると考えています。
 その意味で、その点についてのより具体的なポイントとしては、第一に外国人の登録及び再入国の問題であります。
 外国人の登録証明書の常時携帯義務については、一般永住者、在日韓国・朝鮮人などの特別永住者への適用は廃止すべきだというふうに考えています。また、国際人権A規約に関する委員会は、日本に対して再入国許可要請の義務付けを除去することを勧告しておりまして、外国人再入国制度についても見直すべきであると我々は考えています。
 次に、二点目としては、外国人の受験差別問題があります。
 民族学校卒業者には大学受験資格は与えられておりませんで、大学検定試験を受けなければならないと。ある意味で民族学校を公式に認定し、財政補助を行うこと、それらの学校の卒業資格を大学入学試験受験資格として認めることなどを憲法第十四条の法の下の平等の原則に照らして検討する必要があると考えています。
 さらに、地方自治体における外国人の参政権問題、住民投票問題がございます。
 地域住民としての義務を果たしている永住外国人の地方参政権を制限する根拠は非常に乏しいわけでありまして、人権保障の観点からも問題が非常に多く残っています。地域公共団体の構成員である外国人が住民投票に参加する権利を保障することも併せて、基本権としての整備が必要であるというふうに考えています。
 また次に、外国人の法的地位と国籍要件問題及び難民受入れ問題ということで、大変大きな問題でございますが、国籍要件のある法律は余り多くありませんが、しかし第二次世界大戦の戦争犠牲者に対する援護法関係には国籍要件を含むものが多数ありまして、当時、日本国籍を有していた在日韓国・朝鮮人たちの人権保障の面でも問題が残っております。見直すべきだと考えます。
 また、日本は難民条約の地位に関する条約を批准しているわけでありますが、非常にそれが認定が厳しいために法の実効性が保障されていないということで、普遍的人権の観点からも問題が多く残っております。世界に開かれた国としてのこれは法の整備が必要だというふうには考えています。
 その他、外国人の人権問題ですが、国連、ILOなどの外国人のセーフティーネットのための国際規約の批准を急ぐべきだし、同時に国内法の整備を進めるべきだというふうに考えています。
 大きい三番目でございますが、私たちは人権保障機関の在り方ということについて審議をしましたが、九三年に国連総会で採択されました国家機関の地位に関する原則、いわゆるパリ原則ですが、国際人権法の国内実施を任務とする国内人権機関の指針を示しております。この内容は、御存じのとおり、憲法又は法律を設置根拠とし、国家機関とは別個の機関で、人権保障に関する法定された準司法的機能と提言機能を含む独自の権限を有し、独立性を持つものと、こうされております。そういう意味で、人権保障は絵にかいたもちにとどまってはならないわけでありまして、日本でも、九五年、ILO百五十六号条約の批准以下、一連のものが進められてきております。
 特に、人権侵害を受けてきた者にとって、現行の司法制度を始めとする人権擁護制度は非常に限界が明らかになっておりますので、適切な救済手段の整備が急務となっております。この点については、デュープロセスと人権保障機関の在り方について一定のポイントを整理しておりますので、この点について若干敷衍しておきたいと思います。
 一つは公権力における人権侵害でございます。公権力によるあらゆる人権侵害事象を救済対象とし、内閣府設置の三条委員会とすることと併せて、内外からの人権救済の要請にこたえるべきだというふうに考えています。
 それから、禁止される差別事由の拡大・整備でございますが、人権救済の対象となる禁止される差別事由を、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産、収入、年齢、言語、宗教、政治的意見、性的指向・性的自己認識、皮膚の色、婚姻上の地位、家族構成、民族的又は国民的出身、欠格条項、身体的・知的障害、精神的疾患、病原体の存在、遺伝子などに拡充して憲法上の人権カタログに明記することも検討すべきであると。
 最後になりますが、この人権保障機関の問題として、人権委員会の設置などの人権保障機関の整備を進めていくべきであるということ、特に違憲立法審査制を整備して、違憲状態の放置を許さず、人権保障をより確かなものにする仕組みを確立すべきであるということを我々は指摘しております。
 以上、中間報告の内容について、取りあえず簡単に報告をさせていただきます。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次は、山下栄一君。
○山下栄一君 党内にも憲法調査会がありまして議論をやっておりますけれども、きちっと発表するような内容のものをまとめておる段階ではございません。今日も個人的な見解を中心にお話しさせていただきたいと思います。
 基本的人権の保障は日本の憲法の大原則なわけですけれども、基本的人権の議論の前に、私は、今、日本が置かれて、日本のいろんな社会の現状を見ましたときに、人間の存立基盤が崩れつつあるというか、揺らいでいるといいますか、そういうことの危機感をもうちょっと共有する必要があるんではないかなということを感じております。人権保障の前に人間の存在基盤が崩れつつあるのではないか。
 例えば、家族の話ですけれども、親子の関係ですけれども、母親が自分の子供を殺害するということ、児童虐待ということもありますけれども、自分がおなかを痛めた子供を殺すかということでございまして、そういうことは現実にあるわけですけれども、様々な原因があってそういう背景になり、そういうことが起こっていると思うんですけれども、こういうことは、人間とは一体何なんだということが突き付けられているんではないかなというふうに思います。
 そういう意味で、人間の存立基盤が揺らいでいるということを申し上げたわけですけれども、人権保障の前にそういう現実についての認識を共有する必要があるんではないかということでございます。ちょっと今までは考えられなかったような事態が今起こりつつある。
 それと、若い人が働くことの意味が分からなくなっているという。働くことの意味、もっと言えば生きることの意味ということにつながるかも分かりませんけれども、具体的な就職で、どこに就職したらいいか、就職しても希望が見えるような状況じゃないということを考えている若い人が増えている。その一つがフリーターの増加ということも言えるかも分かりませんけれども、働くことの意味が分からないとか、そういうようなことになってくると非常にこれは深刻な問題になっているというふうに思います。しかし、現実の問題としてそういうことがある。
 そういう意味で、新しい人権という前に、日本国憲法で保障される例えば九十七条の規定の重みといいますか、基本的人権の基本的、根源的と言ってもいいかも分かりませんけれども、そういうことが規定されていることの重み、背景。十七世紀以降、西洋で獲得してきた人間の権利ということを背景としてこの九十七条があるわけですけれども、また十一条、十二条、十三条、こういう憲法の元々規定されていることの重みをもう一度自分のものにし、共有する作業が今物すごく必要ではないかなというふうなことを思います。命とか心とか家族とかいうことを盛んに言われます。心の教育、命というふうなことも言われますけれども、そういう言葉が言われること自身、人権の前の人間の存立基盤が揺らいでいるということの危機感を感じております。
 それから、新しい人権の話ですけれども、新しい人権のカテゴリーとかいうことではなくて、そういう角度じゃなくて、私はこの環境権というのは新しい人間観を問うているのではないかなというふうにも思います。
 ちょっと勉強不足でよく分かっていない部分もありますけれども、元々、基本的人権、人権というのは、欧米といいますかヨーロッパから日本に入ってきたものだと思うんですけれども、これはやっぱり個人に焦点を当て、また人間というものに焦点を当てた、そういう考え方だと思うんですけれども、この環境権というのは、その人間また個人は社会環境、自然環境と共生、相互依存で初めて生きていけるものなのだ、本来人間というのはそういうものだというふうなことを提起しているのが環境権ではないかなと。
 環境権というふうなことを言われること、また、今、地球の限界とか地球温暖化の問題もいろいろありますけれども、自然を克服しながら、征服しながら人間は文明社会築いてきたわけですけれども、その在り方そのものが問われている。本来、社会環境、特に自然環境をおろそかにして人間の幸せはあり得ないというふうな、そういうことを提起しているというふうに感じまして、この人権ということを考える前にも、特にこの環境権ということが出てくると、個人に焦点を当てた人権というようなことが、ちょっと新しい概念、人間観といいますか、人間と自然が共生して人間というのがあるんだというふうな、ヨーロッパの理念ではないといいますか、東洋的といいますか、そういうふうなものをもっともっと議論する段階に来たのかなと。人間観そのものをもう一度見直す必要があるのではないかと。憲法に元々書いてある「人類普遍の原理」と言われているその原理そのものも、もう一度深めたり、特に深めるということかも分かりませんけれども、そういう今段階に来ているのではないかと。それが環境権の問題提起ではないかなと。
 ただ、新しい人権には環境権とか、先ほどおっしゃったような様々なプライバシーの権利とか言われるんですけれども、この環境権というのはちょっと新しい人間観の問題提起ではないかなということを感じております。
 あと時間余りありませんけれども、教育基本法の改正問題、これちょっと一、二分しかありませんけれども。
 私は、この教育基本法というのは本来、憲法、日本国憲法、戦後、昭和二十一年、二十二年、セットででき上がってきた背景があると、時代背景として、そういうふうに感じております。そういう意味で、教育基本法の改正なんというようなことは今までやったことがない。やったことがないし、教育基本法の所管は文部科学省だと、だから文部科学省でその改正の原案を作るというようなこと自身が、それでいいのかと。元々、憲法とセットで新しい日本をどう作っていくかという、そのために、憲法の中に教育規定をしっかり書き込んでもよかったかも分からないけれども、別の形で教育基本法という、憲法と同列というか、そういう形でスタートした背景があると。それを改正するときには憲法と同じ重みで、改正手続もほかの法律と同じ改正手続でいいのかと。
 憲法の改正手続についてもいろいろ憲法に書いてあるけれども、一応衆議院でも問題提起されておりますけれども、この教育基本法の改正はどうあるべきかというようなこともしっかり議論する必要があるのではないかというようなことを感じております。
 時間が参りました。終わります。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次は、吉岡吉典君。
○吉岡吉典君 日本共産党の吉岡です。
 基本的人権に関しての十一回にわたる参考人聴取と一回の公聴会での論議を踏まえて意見を述べます。
 私は、まず、基本的人権という問題をどうとらえるかの基本として、国会の衆参両院が世界人権宣言五十周年に際して採択した決議で、「我々は、世界の平和と繁栄は、すべての人々の人権が尊重されることにより、初めて実現されるものと確信する。 本院は、ここに、世界人権宣言の持つ意義を改めて認識し、すべての人々の人権が尊重される社会の実現に一層努力することを決意する。」と述べていることを改めて想起したいと思います。
 日本国憲法は、こういう意義を持つ基本的人権を侵すことのできない永久の権利として現在及び将来の国民に与えられると明記したのです。そして、三十条にわたって人権についての豊かな規定を行っています。
 本調査会で日弁連の村越進参考人は、憲法の人権規定は大変充実した内容であり、制定当時はもとより、現在においてもその輝きを失っていないと述べました。私ども日本共産党も、憲法の基本的人権規定は国際的に見ても先駆的な内容を持つものと考えます。
 重要なことは、これが戦争の反省と教訓の上に規定されたことです。
 例えば、国際法学者の高野雄一氏は、第二次世界大戦を始めた独伊日のナチス政権、ファシズム政権、軍国主義政権は、この戦争に至る過程及び戦争そのものの過程で国民の生活と権利を抑圧し、国民を戦争に駆り立て、侵略を遂行したと指摘し、その教訓に立って、日本国憲法も国際的な人権規定も規定されているのであると強調しております。
 私どもは、基本的人権をどんなことがあろうとも侵されることがないよう日本国憲法を守り、生かしていかなければなりません。
 併せて重視したいことは、第九十七条が、この憲法が日本国民に保障する基本的人権は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に耐えてきたものだと言っていることです。日本国憲法が保障する自由と民主主義、基本的人権は、決してだれかに与えられたものではなく、幾多の試練を経ながら獲得したものだというこの規定は極めて重要な意味を持っています。参考人からもそういう指摘がありました。
 振り返ってみれば、明治以来、我が国でも自由と民主主義の闘いが展開されてきました。明治十年前後からの自由民権運動であり、第一次世界大戦後の大正デモクラシーと言われる進歩的知識人を中心とした民主主義運動であり、治安維持法による弾圧下の日本共産党を含む進歩的自由と民主主義のための闘いであります。これらは、憲法第九十七条の言う自由獲得の努力の一翼であったと考えております。
 このように歴史的に獲得した基本的人権規定について、改憲派の中には、権利規定が多過ぎて義務規定が少ない、あるいはこれは権利の濫用になるといった議論を展開する向きもあります。今日の新しい人権規定がないとする改憲論もあります。
 しかし、参考人の多くの立場は、市民的自由に関しては憲法をすぐに変えないと立ち行かないという状況はないというものであり、また、権利の濫用どころか、権利自体が保障されていないというものでありました。
 日本国憲法の基本的人権規定について考える際、今最も重要なことは、国際的にも先駆的な憲法の規定が生きておらず、現実と憲法との乖離が余りにも大きい問題であります。
 私が指摘したい第一の問題は、職場に憲法なしと言われるように、思想信条を理由とした賃金その他の差別、労働者に対する人権じゅうりんが今なお存在することです。サービス残業も重大な憲法違反であります。こういう事態は官公庁でも民間企業でも直ちに正されなければなりません。
 近年進められ、今も計画されている労働基準法の改悪など、一連の労働法制改定は労働基本権に対する新たなじゅうりんであります。
 思想、信条を理由とする労働者差別については、例えば東京電力、中部電力、関西電力では二十数年掛けての裁判でやっと解決しました。それにもかかわらず、今もZC管理名簿、すなわちゼロコミュニスト計画といった形の労働者差別が問題になっている大企業があります。憲法制定と、それを受けての労働法制定当時の論議に照らしても許せないものであります。
 第二に、社会保障の改悪、後退です。
 そもそも日本国憲法は、福祉の向上は戦後世界の崇高な義務であるとする国連憲章やILOの理念に沿ったものでした。
 参考人から、第二十五条を具体化するための国の社会保障の充実義務、強化義務は法的義務であり、それが充実していないことは憲法違反の問題が起きてくるという意見が述べられました。
 今、政府が強行する医療、福祉、年金の大後退も、正に憲法違反の問題が起こり得るものであると言わなければなりません。
 第三に、男女平等の問題です。
 憲法の下、前進があったとはいえ、決して男女差別は克服されていません。参考人からも、昇任昇給差別は続き、男女の賃金格差が近年拡大を続けている、男女賃金格差は、パートを除く一般労働者の所定内給与は男性の六五・五%、パートを含めると五〇%にすぎず、国連からも是正を求められているという憲法と相入れない実情の打開が提起されました。基本的人権について問題にするなら、こういう事態の是正にこそ目を向けるべきであります。
 その他、子供の人権、障害者の人権、アイヌ民族など少数者の権利、外国人の権利など、多くの分野で憲法の規定する基本的人権保障の努力が求められました。基本的人権についての調査で明らかになった今日的課題は実にたくさんあるのであります。
 そうした今日的課題の一つとして、本調査会でも論議された治安維持法など過去の問題のある法律により人権侵害を受けた人に対する救済問題、例えば昨日の横浜地裁判決で新たにクローズアップされた横浜事件などの治安維持法犠牲者への救済問題について述べなければなりません。
 治安維持法については、東京裁判の判決でも、日本はこれによって国民の目、耳、口をふさいで戦争に導いたことを告発しております。治安維持法による送検者は七万五千六百八十一人に上りました。これは明治憲法の下での弾圧であります。当時の、しかし当時の世界の到達点から言っても許されない人道に対する罪でもあります。
 本調査会で、国際法学者横田洋三参考人は、治安維持法は古い大日本帝国憲法の下で作られたが、その被害者及び家族に対する新しい日本国憲法の下でどう対応するか、国際的には、以前の問題のある法律による被害者にきちっと対応するのが国際的常識になっていると述べました。
 私は、この問題や従軍慰安婦問題の解決など、明治憲法下の人権の問題でも日本がもっと積極的に行動を取ることこそが日本を実際に世界の水準に高めることになることだと思います。
 以上です。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 平野貞夫君。
○平野貞夫君 私は国会改革連絡会という会派に所属しております。ここは自由党と無所属の会で構成されておりますが、今日は、基本的人権の総括自由討議としまして、平成十二月十二月に自由党が発表しました「日本一新 新しい憲法を創る基本方針」ということで十二項目を発表しておるんですが、この中の三項目の「国民の権利と義務について」というところを御紹介して、説明して発言に代えたいと思います。
 国民の権利と義務について
  国家権力と人権を対峙させる啓蒙時代の発想を克服し、ともすれば阻害されがちな個人の自由を国家社会の秩序の中で調和させる。基本的人権の保障は、国民が享有すべき条理であると同時に、国家社会を維持し発展させるための公共財的なものであると位置づける。
こういう発想で国民の権利と義務を考えなければ駄目だということでございます。さらに、
  国民の諸権利と義務は、人類の普遍的原理に基づいて、日本のよき文化と伝統を踏まえるものとする。「公共の福祉」の概念を明確にし、用語を見直す。「思想・信教の自由」については、政教分離の原則の意義を明確化し、価値多元化社会に適応する自由を確保する。国民の知る権利及びプライバシー権、外国人の人権保障とその合理的限界、犯罪被疑者と被害者の人権保護の調整等を検討する。
  自由で公正かつ規律ある経済活動を確保し、勤労者の社会的権利の拡大と経済的発展によって国家社会の安定を図るものとする。主権者たる国民の納税の義務についての認識を高める。
  教育、環境保全、社会保障については別項に記載する。
と、こういう基本方針を考えております。
 これをちょっと解説的に申し上げますと、人類社会で普遍性を持つ基本権は、当然これからも尊重されるべきであるということであります。しかし、情報社会、技術や生命科学技術など、異常に発達した二十一世紀社会において、従来の基本権だけで社会的正義の実現は不可能と思われます。
 そこで、基本的人権についての発想の発展があってしかるべきであります。人権を個人に限定せずに、一定の条件の下、公共財的なものとして性格付けられないかという問題提起をしようとするものでございます。これは、技術の異常発達に伴う新しい倫理観の確立と表裏の問題と思います。遺伝子操作技術とかなどは、人間社会の根本を変えるものでございます。
 これに対して、国家と個人の間にある公的社会、あるいは地域コミュニティーにも一定の基本権を認めてはどうか、基本的人権の存在根拠に公共財的性格を見いだそうと、こういう考え方でございます。
 さらに、自由の問題も新しい発想で臨みたいものであります。これからの価値観の多元化社会で、グローバルスタンダードとしての自由は通用しにくくなります。思想、信教の自由などの基本権は普遍的なものとして尊重されなければなりませんが、文化や伝統などによって変化するものについては特殊性が勘案されるべきでしょう。自由は当然に秩序、ルールと調整されるべきものですが、権力者や特定の富裕者のみが勝手にルールを作って自由を謳歌するということは許してはなりません。自由を調整するルールを作るのは国民であり、真の自由が国家社会の構成員に平等に配分されるシステムを作ろうと、こういうものでございます。
 重要な問題は、経済活動についての自由、すなわち資本主義の在り方であります。適切な市場原理に基づく資本主義、自由で公正で規律ある経済活動ができる社会システムを作るのが政治の課題であります。
 そのために二つの条件が是非とも必要です。一つは、地球環境の保全という理念が市場経済原理の上位にあるという思想を確立することです。二つは、自由な競争社会を作るに当たって、国民の生命や生活の維持に必要な仕組みを政治の責任で整備すること。具体的に言えば、基礎的社会保障、基礎的年金とか介護とか高齢者医療については国が経費を保障するということであります。これらの思想や仕組みを整備してこそ自由で自立した規律のある成熟した市場経済原理社会、すなわち足るを知る資本主義を実現できると確信しております。
 以上が、自由党の目指す国家社会を国民の権利と義務の立場から見た意見でございます。これを支えるためには、国民の納税の義務、所得があれば原則社会参加料として少額でも自己申告するという意識を高める、こういったことを憲法の国民の権利と義務の基本的な方針に考えております。
 以上でございます。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 大脇雅子君。
○大脇雅子君 討論に際しまして、今般のアメリカによるイラクへの攻撃において、イラクの市民、報道関係者及び各国兵士など、亡くなった多くの方々に哀悼の意を表し、戦死者とその御家族、また傷付いて現在治療中の方々に心からお見舞いを申し上げます。
 基本的人権の保障は人間の尊厳を基礎として人類普遍の原理であり、十九世紀の自由権、二十世紀の社会権、二十一世紀の平和的生存権の流れを考えるとき、今回のイラクに対する先制的武力攻撃は国際法に違反し、日本政府の米英の武力攻撃への支持は憲法の精神に反するものであり、ともに人類の英知が築いてきた国際的秩序と国際協調主義を破壊するものでした。恐怖と欠乏から免れて平和に生きる権利が地球上の全市民に対し保障されること、人間の安全保障としての基本的人権保障こそ二十一世紀の課題であると思います。
 私は、基本的人権保障について次のように考えます。
 現行憲法は、基本的人権として国民一人一人に自由と権利を豊かにかつ包括的に保障しています。すべての国民は個人として尊重され、かつ個人の幸福追求権を保障されることは民主政治を確立する上で必要不可欠の原理であり、憲法第十三条の意義はすべての基本的人権保障の出発点であり、基本であると思います。憲法の掲げる基本的人権は市民的、政治的、経済的分野など社会のあらゆる分野で保障されるべきであり、その自由と権利は人権法又は個別法の整備充実で現実のものとされなければなりません。
 これまでもこの調査会で多くの参考人から貴重な御意見をお聞きしましたが、憲法と現実との乖離が多く指摘されています。環境権やプライバシー権利など、いわゆる新しい人権を保障するために私たち国会が積極的に立法作業を行い、時代に即し、また時代に先駆けて関連分野の個別の基本法及び個別立法や改正を図り、基本的人権保障のシステムを現実化していくことこそ憲法の予定しているところであると考えます。
 基本的人権は、基本的立場として、公共の福祉の概念でもって包括的かつ均質的に制限されるものではないと解します。まず、前文及び憲法九条、同十三条により、軍事的公共性による制限は基本的に許されないものと考えます。また、憲法二十五条からの生存権など社会権は社会的共同性、社会連帯の思想を組み入れているものと考えられますので、国家による配慮義務は、社会保障や労働法制等、積極的な制度設計と法整備に及ばなければなりません。
 二度の世界大戦を経験した人類は、人間の尊厳を踏みにじられ、生存そのものが危殆に瀕した結果、生存権、労働基本権、社会保障、社会福祉などの権利、すなわち社会権は国家に対して積極的関与と保護の責務を課していることを確認したものだと思われます。公共と私人、私人間の調整原理としての公共福祉概念は、あくまで表現や報道の自由、集会、結社の自由、信条、信教の自由等、精神的自由に厳格に適用されるべきであり、経済的自由については公平性を重視して個別的に基準が設定されるべきです。過度な市場万能主義は許されないと思います。今進行しつつある労働法の分野における規制緩和は、問題ごとに具体的に検討すべきで、労働権保護の視点が重要であります。
 さて、これまでこの調査会で議論されてきた新しい人権、すなわち環境権、プライバシーの権利、知る権利、犯罪被害者の権利等は、個人の幸福追求権と自己決定権を包含する憲法十三条の普遍化として、必要とされる立法作業を通じて人権メニューが個別法において法規化することが重要であり、それが現行憲法の保障する人権規範を確立することであると考えます。憲法十三条は幅の広い内容を取り込むことのできる規定なので、新しい人権の問題は憲法改正の課題としてとらえる必要はないものと考えます。
 マイノリティーの人権、主体より見た権利状況について述べたいと思います。
 女性や子供、高齢者、障害者等の弱者、少数者を権利主体としてとらえるとき、マイノリティーに積極的な保護を打ち出して、一人一人が自己決定に基づき自由にその権利を行使し行動できるようにすること、そのために差別的取扱いを禁止するとともに、人格権の侵害を救済する機関を充実することが大切です。
 女性の立場からは、男女共同参画社会基本法の制定により各地方自治体の条例や平等計画策定の動きは各地に広がっており、社会のあらゆる分野での男女平等を推進するために積極的に平等推進措置、ポジティブアクションの実現が求められています。
 また、拡大する男女賃金格差の是正、通常労働者と、パートタイム労働者等、通常労働者でない非正規雇用労働者との差別の撤廃のためには、同一価値労働、同一賃金の原則の具体化及び均等処遇の原則の法制化が急務です。
 男女雇用機会均等法に間接差別禁止条項を明文化すること、セクシュアルハラスメントやドメスティック・バイオレンス等、人権侵害からの保護も必要です。リプロダクティブヘルス・ライツも、性と生殖の自由な自己決定権として法の総合的確立が必要です。
 子供の人権については、子供を大人に成長する子供としてではなく、子供を即時的権利の主体としてとらえることが必要であり、平等に教育を受ける権利、あらゆる人権を考慮し、考慮が払われる必要があります。
 障害者と老人に対しては、一貫して優しい柔らかな社会のシステムを作ることが必要となります。
 被差別部落やアイヌ民族、在日朝鮮人、外国人労働者に対する差別の解消にも、積極的に差別禁止の人権基本法と平等実現の施策のための個別法が制定されなければなりません。特に、外国人に対する合理的差別を理由とする差別が国際人権機関より指摘されていることに注意し、現況の直視と改善が必要であります。
 難民問題は、難民認定機関の創設と保護の制度化が必要でありましょう。国際化の中で、日本人だけでなく、あらゆる国籍の人々が住む地域での参政権を保障し、基本的人権を保障するために、異なる言語や文化を相互に理解し、尊重することが土台になります。
 国際人権規約等、国際条約の国内の司法における適用可能性の推進、立法による法整備、個人通報制度への加入の必要があります。
 最後に、二十一世紀の平和的生存権を保障した現行憲法は、環境破壊の最たる行為である戦争やテロ、暴力の連鎖を断ち切る理念と行動の規範であり、日本は国際刑事裁判所にある法治のシステム化、地域人権保障システム化に努めるべきであり、憲法改正の必要がないことを改めて強調して、私の討論を終わります。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 荒井正吾君。
○荒井正吾君 自由民主党の荒井正吾と申します。
 プライバシー権、環境権、国民の知る権利など、我が国憲法上、明文の規定のないいわゆる新しい人権を憲法に明記すべきかどうかとの議論がございます。本日は、機会を与えていただきましたので、いわゆる新しい人権に係る問題について意見表明をさせていただきます。
 特に、私は、我が国憲法上に新しい人権規定を設けるべきか否かを議論する場合、まず憲法上の人権規定を保障するシステムとして、我が国の立法、司法、行政がどのように機能しているかを確認することが重要だと思います。つまり、我が国の人権保障システムの実効性の態様を検証することにより、憲法の改正が必要な場合なのか、あるいは憲法上の規定を実現するシステムに問題があるだけなのかの判断をすることが必要だと考えます。
 これまで当調査会において参考人の方々の意見を拝聴した限りにおいては、憲法上の規定に不備があるというより、立法、司法、行政の機能に不十分なところがあるという意見が多かった印象を持っております。私も、現在の状況から判断して、時代の進展に応じた人権保障を達成するためには、憲法に新しい人権規定を追加するよりも現実の人権を保障するシステムの充実、とりわけ立法と司法の分野における充実がより望まれていると考えます。
 その理由の一つとしては、憲法に国家権力の骨格など直接規定することに比べ憲法の人権規定は、その具体的権利義務の内容を明確にし、それを保障する付加的制度が不可欠であり、人権規定を憲法に規定するだけではその実効性に限界があることであります。
 さらに、最近増加している人権侵害や新しい人権と呼ばれる人権侵害は、国家権力によるものよりも私人や私的な団体によるものが多く、私人間の人権侵害には、特に千差万別とも言える事例について、具体的な権利の内容を明確にした立法と、複雑でセンシティブな事例にも簡素で柔軟に対応できる司法のそれぞれの人権保障機能の抜本的充実が必要なものであります。
 実際、個人情報保護法案、人権擁護法案など、プライバシー権の具体化とも言える権利についての法案は既に国会に提出され、また、環境に関する諸法案、情報公開に関する諸法案などは既に成立したものも多いのであります。
 しかし、私は、人権に関係する立法が更に充実、進展することが望まれていると思います。とりわけ、人権関係の法律は議員立法によるものが望ましいと考えます。
 それは、人権関連法案を行政府が提出する場合、人権保障の責務が当該行政府に発生することを避けたがるため、所管についての消極的な権限争いが起こったり、立法が提出されなかったり、権利の内容が縮小された形になったりしがちであります。そのため、まず立法府自らの立法機能強化が必要だと考えます。
 米国の上院が百名の議員で年間約六百の法律を成立させ、そのすべてが議員立法であるのに比べて我が国参議院は、約二百四十名の議員が年間約二百弱の立法を成立させ、そのほとんどが内閣提出である事実を見ますと、議員を取り巻く仕組みの違いなどを勘案しても、法案生産性において我が国立法府は少々馬力が不足しているものと思います。
 また、我が立法府においては、その二大機能である行政監視と法案作成の中で、前者により重点が置かれ、後者は時々置き去りになることがあります。行政監視と立法がそれぞれ独立した機能として認識され、法案が行政の不始末の人質となることなどなく、立法府が二つの役割を効率良く果たせるようになるとともに、議員立法がもっと簡便に行われ、より多くの人権立法をさせることができるように望むものであります。立法府が人権立法を十分スムーズに行えないならば、人権の憲法明記はまだまだ遠いゴールと言わざるを得ないと思います。
 次に、司法の人権救済について述べさせていただきます。
 一言で言えば、裁判官は人権に係る裁判について勇気を持って立派な判例形成をもっとしてほしいということであります。
 人権に係る裁判は、関係者が感情的になりやすく、差別意識が入り込むこともあり、時間も掛かり、裁判所が実質的判断を避けることもあります。しかし、人権の実現は判例の積み重ねをおいてなく、判例のない憲法の規定は無意味なものであります。また、最近、街頭で、マナーからルールになったたばこのポイ捨てという看板を見ますが、人権がマナーからルールになるためにも判例の積み重ねが是非とも必要であります。
 平成十二年の我が国の民事第一審訴訟新受件数は四十五万四千百十一件であります。アメリカの二千万件、イギリスの百九十万件、ドイツの二百四十万件、フランスの百九万件と比べると少ないものですが、最近の裁判件数は他国に比べ著しい増加傾向となっております。
 また、最近、裁判の長期化が問題となってきております。平成十三年の民事訴訟事件においては、期間が二年を超えるものが全体の七・二%となっております。通常の裁判数の増加に対応した上で人権裁判の充実に司法が取り組んでいただくためには、司法制度の改革が是非とも必要であると改めて申し上げたいと思います。
 勇気のある裁判例、司法制度の改革とともに、紛争解決代替措置、いわゆるADR、オールタナティブ・ディスピュート・レゾリューションズの充実も人権救済の分野で必要と考えます。余り深刻でない人権侵害については、時間と経費の掛かる訴訟に代わる救済措置が発見され、導入されることを期待いたします。
 最後に、新しい人権について議論する場合、我が国における法以前の人権意識についても考察する必要があるものと思います。
 我が国が手本とした憲法成典を持った国々では、自由で独立した人格が社会経済、文化の発展に不可欠な要素と考え、それを阻害する物的、精神的要因の排除を国家の重要課題と考え、憲法に明記されたものが多いと思います。我が国においては、個の確立はこれらの国々に比べて厳格に追求されることなく、和の精神や思いやりがより重視されてきたものと思います。したがって、人権問題は、法規制やルールというよりもマナーや道徳の問題として考える傾向があったものと思います。
 私は、個の確立は個人にとっても家族にとっても国家にとっても最も重要なものと思いますが、また、それを救済する国家的手段も重要なものと思いますが、それを実現する手法は何も外国流でなく我が国流でよいと思います。和魂洋才をもじって言いますと洋魂和流と言ってもいいかと思っております。
 また一方、新しい人権と言われる環境権のようなものは、悉皆成仏、自然と人間の共生を基本的価値としている我が国においては、人間優先主義の西洋よりも、実際上、法以前の価値として人心に定着したものと考えます。法以前の基本的価値はあいまいで不安定なものですが、我々日本人の心情にしっくりする憲法を育てるためには、法以前の基本的価値、人権意識をもっと考察すべきと考えます。
 これまでの意見を要約して申し上げますと、まず、新しい人権についての憲法上の明記は現在のところ必ずしも必須のことではなく、むしろ具体的人権保障の充実に努めるべきであり、そのため、新しい人権も含めた具体的人権立法は立法府が自らの立法機能を強化して推進すべきであること、勇気ある裁判と司法的救済の充実が必要であること、また人権に関する議論を通じて、法以前の我が国の価値意識、自由で独立した個人の人格の確立、それを支える国家理念の構築などについてより広い考察が必要であるということなどになります。
 御清聴ありがとうございました。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次は、川橋幸子君。
○川橋幸子君 民主党・新緑風会の川橋幸子でございます。
 本日は、女性の人権を中心に、今、女性、数少ない女性議員の一人として私個人の意見を述べさせていただきます。
 一九九三年、ウィーンにおける世界の人権会議におきまして、女性の権利は人権であるとの合意が明確に打ち出されました。また、この考え方は、続く九五年、アジアで初めて開催されました北京世界会議におきましてもこの宣言が合意されるとともに、それを具体化するためのキーワードとしてジェンダー、エンパワーメント、自己決定権などが打ち出され、構築されてきたところであります。
 ウィーン会議から十年、北京会議から八年がたちました。この間、環境問題も人口問題も開発問題も、また貧困問題も、そしてこれらに端を発しますような紛争、テロなどの事態も含めまして、地球上の諸課題、グローバルな諸課題を解決し、国際社会の平和に寄与するためには、女性の地位向上、すなわちジェンダー、エンパワーメント、自己決定権などがキーワードとなりますような政策が欠かせない課題であることが認識されてきたと思います。
 ちなみに、ミレニアムサミットの目標には、一日一ドル以下の絶対的貧困の解消を始めとしまして、女性の地位向上の目標が上位に掲げられているところであります。このように、人権のとらえ方、女性の権利のとらえ方が、一国の国内問題としてではなく、国際社会における普遍的な原理原則として認識されるようになりましたことが九〇年代における新たな世界的な潮流でございます。
 しかし、日本の政治も司法も行政も、あるいは社会一般も、こうした人権問題、ジェンダー差別について余り認識がなく、世界の動きに鈍感であるような傾向にあることに私は危惧を感じるところでございます。
 第一に、最近、国会の中であるいは地方の議会の中でジェンダーという言葉が意味することについての理解に混乱が見られることであります。
 男女共同参画社会基本法第三条は、男女の個人としての尊厳が重んじられること、男女が性別による差別的な取扱いを受けないこと、男女が個人としての能力を発揮する機会が確保されること、これを目的といたしまして、今述べたような概念がジェンダーイクオリティーあるいはジェンダーフリーの社会の構築としてとらえられているところでございます。すなわち、このことは、単に女性政策は女性のためばかりの政策ではなく、男女が性別にとらわれずに個人の生きやすい社会を作るということを意味しています。
 しかし、法制定五年目を迎え、各自治体の男女共同参画条例の策定が進む中で、またもや女らしさ、男らしさの良さを失わせるものであるといった反論が声高になされるようになってきております。
 こうした問題に対する国会での審議におきまして、男女共同参画担当大臣である官房長官の答弁もむにゃむにゃとあいまいもことしておりますし、それから、このほど圧倒的な得票で再選された東京都石原都知事に至っては、かつて、子供を産まなくなったばばあは有害であるというような暴言を吐いたとさえ伝えられているところであります。生殖能力の有無が人の存在意義を決めるなど、たとえ冗談にしろ公の場で公言してはばからない、そうした人物が首都の顔になっていることについて、私は日本の社会の知性に危惧を感じるところであります。
 ちなみに、生物学的な女らしさ、男らしさの性差、これはもちろん尊重されるべきものであります。こうした場合にはセクシュアルライツという言葉も使われるものでございます。
 一方、ジェンダーは、社会的、文化的な性差というものを国の義務として変革していかなければならないという人権原則を表しております。女子差別撤廃条約第五条(a)項は、両性いずれかの劣等性若しくは優越性の観念又は男女の定型化された役割に基づく偏見及び慣習その他のあらゆる慣行の撤廃を実現するため、男女の社会的、文化的な行動様式を修正することを求めているものでございます。
 一方、日本の社会の現状を見ますと、過度にジェンダーバイアスが掛かっているがために、男性の側にも様々な負担が掛かっております。倒産やリストラに遭った中高年の男性の自殺が増えている、これはジェンダーバイアスの男性の悲劇でありますし、結婚をしたがらない若年男性の増加も目立っております。また、家庭内におけるDVの増加、児童虐待の頻発など、家族の崩壊、人間関係障害とも言いましょうか、そういうものも、こうした個人の生き方、個性が尊重されないというジェンダー身分社会の存在と無縁ではないと考えられます。
 第二は、最近の労働問題について今回は参考人の方々から様々な意見が開陳されて、その中に、雇用形態の多様化に伴います賃金格差の拡大とか雇い止めなど、雇用の不安定化が進んでいるという問題が数多く指摘されました。
 憲法は私人間における権利保障を規定するものではなく、職場における男女差別の問題も、かつては結婚退職制や女子若年定年制などについても、民法の公序良俗規定を引いて無効とするという、こういう裁判の積み重ねによって、長い運動とともに、この成果がようやく雇用機会均等法の中に結実したわけであります。
 女子差別撤廃条約の批准に伴い、雇用機会均等法の制定が国の義務とされたわけですが、この法律が九八年に努力義務から禁止規定へと改正されたことにより、最近は男女の賃金、昇進等の差別について均等待遇の確保を命じる判決が出されるようになっていることは、これは明るい側面だと思います。しかし、最近の問題は、正規社員間の男女差別ではなく、男女双方の正規社員と非正規社員の間の処遇格差の問題が大きくなっているということであります。
 現在、非正規社員は千五百万人、労働者全体の三割に上ると言われ、なお増え続けております。その大部分は女性であります。また、フリーターと呼ばれる若者たちが二百万人に上ると、このように言われているわけでございます。しかしながら、こうした問題は私人間の人権の問題であり、すなわち労使自治の問題であり、同じ価値の労働であっても異なる契約であれば、賃金、処遇の格差は違法ではないとされるわけです。
 このようにして非正規社員はデフレ・不況下の中で増え続け、将来の年金、社会保障の存立を危うくするとともに、人材育成など日本の将来の展望を失わせるというような大きな社会問題となりつつあります。
 企業、政党、労働組合などの中間団体が強大な権力を持つ権利主体となっている今日、これらの社会的権力を枠組みに入れて私人間の人権保障の在り方を考えることが重要だという参考人の指摘がありましたが、私も同感であります。こうした非正規社員に対する均等処遇の原則を現実社会に定着させるような立法が必要であるとの参考人の指摘が今回の参考人意見陳述の中で相次いだことが、私には大変印象的でありました。
 今国会では、規制緩和によります労働基準法、派遣法等の改正が予定されている一方、パートタイム労働法の改正は見送られ、また、有期雇用者の雇用安定や厚生、処遇について何ら法的措置が講じられようとしない政府の姿勢が目立ちます。目先の企業経営にプラスしても、将来不安を大きくすることは火を見るより明らかではないかと思います。アメリカでもヨーロッパでも雇用の規制緩和は進みましたけれども、差別禁止についての規制はむしろ一方で強化されていると、こうした参考人の指摘もあるわけでございます。
 結びといたしまして、時間もございませんので結論を言わせていただきますと、女性の問題に関しては、男女共同参画社会基本法はできましたが、基本的に性差別を禁止する具体的な法律は男女雇用機会均等法のほかにはないわけです。また、未既婚別、家族状況別、子供の有無などですが、理由とする間接差別を禁止する法律もありません。具体的な法律なしに一挙に男女の人権を尊重し性別にとらわれない社会を作るという理念を掲げた男女共同参画社会基本法については、理想とするものはありますが、その具体化については危ういものがあると言わざるを得ないと思います。
 時間が参りましたので、以上で終わらせていただきます。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次に、魚住裕一郎君。
○魚住裕一郎君 公明党の魚住裕一郎でございます。
 二、三、所感を述べさせていただきます。
 人権規定、これはやはり政治的にマニフェストであり、また、憲法制定権力が、あるいは国家、政府が人民に対して示す国家として追求すべき価値を表わす、そういうものだと考えております。
 二十一世紀に入っていわゆる地球的問題群も深刻化し、また一方でヒトゲノムの解読でありますとか、あるいはコンピューター社会の進展等、このような状況を踏まえて、私はできるだけ広く分かりやすく、国際的水準に見合ったこの人権というものを考えていくべきであると、こう考える次第であります。そういった意味で、特に、新しい人権、これは、たとえプログラム規定と言われる場合があったとしても、環境権でありますとか、あるいはプライバシーでありますとか知る権利でありますとか、しっかり加えていくべきであろうと考えております。
 競合の問題が出ました。ただ、現在の現行憲法においても、例えば営業の自由と労働基本権とを考えますと、やはりそれは競合はあったとしても積極的に規定をしていくべきであろうと考えております。
 また、参考人の意見ございましたが、過去の歴史的負債を克服するためにも、アジア市民社会のビジョンを目指すべきであると、こういった観点から外国人の人権ということもしっかり取り組んでいかなければならない。また、少数民族という観点からも私は規定をしていくべきであろうと、このように考えております。
 人権保障の在り方について述べたいと思いますが、三権分立自体が人権保障のシステムというふうに考えますが、現在議論されておりますようないわゆる人権擁護機関、これも大切かと思いますが、もっとこの三権を凌駕するような、例えば憲法院というような実質的に人権というものを保障していくシステム、これを是非考えていくべきであろうと、このように考えております。
 先ほど、舛添委員から団体についての言及がございました。私は、団体というものは個々人の活動あるいは人権、この追求の形、在り方という、そういうものとしての団体という側面があるというふうに考えておりまして、もちろんテロリズム等のこういう部分については断固対決をしていかなきゃいけないと思いますが、この側面を看過してはならないと考えております。現在、国際的な市民組織といいますか、そういうものも広がっているところでございまして、NGO、NPO、この支援方策というものも考えていくべきであろうと、このように考えております。
 最後に、憲法を議論する場合にこの国の形ということが言われました。人権という側面からいいますと、やはり日本もいわゆる人権大国あるいは人道大国、こういったようなものを目指すべきであろうと考えます。今、イラク戦争の後、人道支援ということが前面に出ているところでありまして、世界では既に人道的競争の時代に入っていると、このように考えるものでありますが、こういう発想で世界をリードしていくような、こういう人道議論あるいは憲法論議というものをこれからも展開していくべきであると、このように考えるものであります。
 以上です。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次は、吉川春子君。
○吉川春子君 日本共産党の吉川です。
 日本国憲法は、古典的な自由権と、資本主義の弊害から人々を守るために積極的に国家の行為を請求する権利である社会権が規定されている優れた特徴があります。環境権、プライバシー権など新しい権利も幸福追求権や生存規定に包含されており、また報道の自由は知る権利に包含されていると考えます。新しい基本的人権規定を憲法に追加する必要が、その結果ないと考えております。
 憲法が保障する人権が守られていない現実をどうすればいいでしょうか。常本参考人は、国会の立法活動による人権保護の必要性、杉井靜子参考人は、憲法を具現化する立法を怠ってきた責任が国会にあると指摘しました。私は、抽象的な憲法の規定を具体的な権利として保障するためには立法が必要であり、立法府たる国会の責任は大きいと考えます。
 私は、夫婦同一姓の強制、親権の懲戒権、扶養義務など家族関係についても、憲法二十四条の家族の民主化に見合う民法の改正が行われるべきであったと考えます。前田参考人から、民法八百七十七条の扶養義務の規定は障害者の自立障害になると指摘がありました。女性の地位向上、子供の権利、障害者を含む弱者の社会保障の遅れなどを克服する立法が求められていると思います。
 申参考人は、差別は私人間によるものが多い、憲法で防止、救済は不可能、法律で対処すべきと指摘されました。長谷川参考人からは、頭から規制緩和すべきものとの考えには反対であると。草野参考人は、今行われている規制緩和では余りにも市場万能であり、規制緩和に相対する労働者保護、権利保護がなければならぬとの指摘がありました。
 使用者、企業による差別禁止が必要です。雇用労働の規制緩和による法改悪は論外ですけれども、国連経済社会規約委員会から勧告されている男女平等の新規立法、また障害者や在日外国人を含む外国人への差別禁止、解雇規制の整備を急がなくてはならないと思います。
 パート労働者の均等待遇について言えば、一千二百万人のパート労働者、百七十五万人の派遣労働者の七割は女性です。男性の通常労働者を一〇〇とすれば、女性パート労働者の一時間当たりの賃金は三四・四にしかすぎません。これでは生存権にも違反すると言わなくてはなりません。加えて、職業訓練、社会保障、退職、解雇などで差別され、これは憲法の性による差別、社会的身分による差別禁止規定に抵触するおそれすらあります。パート労働法を改正して均等待遇を企業に義務付け、また、憲法二十五条の具体化である最低賃金法は余りにも低いわけですが、これを高い水準に変えていくということが求められていると思います。
 国連規約委員会から、人権を守る立場にある裁判官、検察官、弁護士の人権教育研修プログラムの改善を求められています。一連の刑務官の蛮行は論外ですけれども、人権教育の必要性が求められます。
 戸波参考人からは、裁判所は違憲審査権の行使に消極的との指摘がありました。人権を守るとりでである裁判官が人権に照らして守られているのかどうかの判断を事実に即して積極的に行うことが必要であると考えます。
 以上、日本の人権保護に関して、不十分さは憲法の規定に原因があるのではなく、立法の不備に原因があることが参考人の意見によってもかなり証明されたのではないでしょうか。人権保障のため、立法活動を活発に行うことが立法府のメンバーとして私の責任であることも痛感しています。
 以上です。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 続いて、松岡滿壽男君。
○松岡滿壽男君 人権問題について、十一回にわたり参考人を招かれて、委員長始め委員の皆さん方が真摯に議論されたことに敬意を表したいというふうに思います。
 先ほど同僚の平野委員の方から、自由党の新しい憲法を創る基本方針、その中で、国民の権利と義務について、国家権力と人権を対峙させる啓蒙時代の発想を克服し、ともすれば阻害されがちな個人の自由を国家社会の秩序の中で調和させる、基本的人権の保障は国民が享有すべき条理であると同時に国家社会を維持し発展させるための公共財的なものであると位置付けるという発言がありましたが、全く同感であります。先ほど来、国民の権利と義務の問題について、舛添氏もバランスがいささか問題ではないかという指摘もありました。
 今回、統一地方選挙、非常に投票率がまたぞろ問題になってきておりますし、政治と金の問題の決着がなかなかうまくいかない、政党あるいは政治家に対する不信というものが背景にある。十三年間で十七人の現職の国会議員が逮捕されるという一つの事態も背景にしておりますし、衆議院では松浪氏の問題がいろいろ論議されているようですけれども、今朝テレビを見ますると、お茶の間でどんどんそういう、暴力団と政治家とのかかわり合いとか捜査に介入したんだという疑念があるんじゃないかということがどんどん流れるわけですね。
 そういう中で、この前もある新聞の世論調査を見ておりましたら、国民が一番信頼するものは天気予報だと。九二%。それから、その次が新聞だというんだが、これはいささか手前みそかも分からないんだけれども、新聞でしょう。それからお医者さん、それから警察、学校の先生と続いて、一番下の方に占いというのが二〇%です。その下が一五%、政治家、この状況をやはり我々は真摯に反省して、対応していかないとますます政治に対する関心が低くなると。良くも悪くもこれだけ大きな変革の中で、政治が主導権を発揮して日本の国あるいは国民を守っていくということをやらなければならぬわけですが、そういう根本的なところに対する不信が出てきている。
 まあ、皆さん方いろんな議論をされましたから私は投票率の問題にちょっと触れてみたいと思うんですが、百地参考人が、国民の義務については、憲法十二条が示すように、国民自身が自由や権利を行使するにふさわしい国民とならなければならない、で、投票率の向上は国民への政治的啓蒙によるしかなく、強制選挙制度には賛成できないという主張をしておられます。オーストラリアでは棄権した人に対して五千円ペナルティーを取る、あるいは東南アジアのどの国でしたか、選挙権を得て三回投票しないと公務員の受験資格を与えないと。そろそろこの辺、非常に危険な発想だと言われるかも分かりませんが、我々がまず政治的に、政治と金の問題、信頼を取り戻す努力をするのが一番大切ではありますが、この権利と義務との問題なんですね。やはりそういう点について少し議論をしなければいけないんではないかなと。
 特に、このところ我が国については、アメリカのCIA辺りが指摘しておりますように、どうも日本人というのは自己改革能力が欠落しているんじゃないかという指摘もあるわけです。非常に主体性がなくて、みんながそうするからという形ですぐ流れて追随していくという風潮も見られるわけですし、同時に、非常にこれ重要なことですが、少子高齢化が進んで縮小社会に移りつつある、縮んでいく、社会全体が、そういう中でだんだん閉塞感が強くなってきている。そうして、やはり戦争に負けた時点の憲法、その時代と、グローバリゼーションがこれだけ進んで新しいいろんな、人権の問題も出てきておりますが、価値が多様化し変革している流れの中で、やはり憲法、どちらかというと、やはり何ぼ法律作ったって守らないんですよと小泉さんこの前国会で言われましたけれども、これはやはり憲法と法律というものが国の一番主体的なところですから、そういうものをしっかり見直すということも私は必要だと思いますし、今回、衆参両院での役割分担という中で決算の前倒し審査ということが三十数年ぶりに実現いたしました。
 私どもは、いささか過激な提案ですけれども、憲法を改正して会計検査院を参議院に持ってくるべきじゃないかという提案まで実はさせていただいておるわけでありまして、できるだけそういう点では衆議院に対して決算と行政監視を主体にしたやはり二院制というものを議論すべきであろうというふうに考えておるわけであります。
 三十六分までいいんですかね、あと一分しかない。
 いずれにしましても、こういう時代の流れの中で、私はこの憲法問題を議論する機会ができたということは非常にいいことですが、たまたまこういう国際緊張の中で、イラクの戦争、北朝鮮の問題、正に憲法前文と九条について議論する大きなチャンスであったと思うんです。集団的自衛権の行使についても、早くから小泉さんが本会議場で従来の内閣の方針を堅持するという意思表示をされたもんですから十分な議論ができませんでしたが、いよいよこの次から安全保障の問題についての議論が始まるようです。非常に、我が国にとって一番大切なところでありますし、そういう国民の意識が大きく揺れているときだけに、国家と国民の安全と豊かさを守る、そういう立場から真摯な議論をさせていただきたいと思っております。
 時間が来ましたので終わります。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次は、福島啓史郎君。
○福島啓史郎君 私は、憲法で定めております基本的人権の保障につきましては、憲法レベルで明記すると同時に、法律レベルで制定する必要があると思うわけでございます。
 憲法レベルでは、現在の日本国憲法上、第三章の「国民の権利及び義務」、この第十条から四十条にかけて定めております。新しい憲法上の権利として、これまでプライバシー権、あるいは児童保護、家族の尊重、障害者の人権等、憲法上の位置付けにつきまして検討されているわけでございますが、こうした検討と併せて、時間との関係でいえば、むしろ法律レベルでの実施が重要であるというふうに考えております。
 この法律レベルでの実施につきましては、特に私は、人権擁護法案また監獄法の全面改正、それから司法アクセス拡充法制の整備、この三点を、特にこの三点の重要性を述べたいと思います。
 まず、基本的人権の保障につきましての法律レベルの整備につきましては、現行法上、労働基準法あるいは雇用機会均等法、教育基本法、また障害者基本法、アイヌ文化振興法、男女共同参画社会基本法、これらに加えまして、最近ではストーカー行為等規制法、児童虐待防止法、配偶者暴力防止法等が定められております。
 しかし、我が国には包括的な簡便な人権救済制度あるいは機関がなかったわけでございます。人権侵害という点でいえば、発展途上国では軍隊なり警察の権力の乱用が問題でございますけれども、先進国におきましてはマイノリティーあるいは弱者に対します社会的な差別が解消していないわけでございます。特に、国際化あるいは高齢化の進展に伴いまして、人権侵害の態様が多様化、深刻化しております。
 それに対しまして、こうした人権侵害や差別の悪影響の救済といたしましては、専ら裁判所による救済、司法救済に頼っていたわけでございますが、これでは費用が掛かる、時間が掛かる、あるいは手続が煩雑ということで、裁判所の救済では不十分であるということが実態として指摘されるわけでございます。このため、簡易、迅速な人権救済を図る人権機関の設置が必要だというふうに考えるわけでございます。
 この人権機関に関しましては、一九九三年十二月の国連総会におきまして、国内人権機関の地位に関する原則、いわゆるパリ原則が採択されております。このパリ原則では、権限、責務、この人権機関の権限、責務を幅広くするというようなこと、また構成並びに独立性及び多様性が保障されているということ、また活動の方法が構成メンバー又は申立人の申出のみならず、幅広く認められるということ、また準司法的権限を有する委員会の地位に関する補充的な原則が定められております。
 我が国に対しましては、今まで、先ほど申しましたように簡便な人権救済制度がなかったわけでございますので、一九九八年、平成十年の十一月に国連人権規約委員会から、独立した人権救済機関の設置の勧告がありました。この勧告を受けまして、我が国は人権擁護推進審議会の審議を経て、政府といたしましては昨年の三月に人権擁護法案を国会に提出しております。
 内容は、「人権侵害等の禁止」といたしまして、何人も人種等、これは幅を広くとらえておりまして、人種のほか、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病、性的指向を幅広くとらえておりますが、これを、人種等を理由とする不当な差別的取扱いの禁止や、あるいは差別的言動の禁止、また地位利用を伴う性的言動、施設等での虐待などの人権侵害の禁止など、幅広く定めているわけでございます。また、差別を助長する行為も禁止されております。いわゆる、初めて差別を一般的に禁止した法律案と言うことができると思うわけでございます。
 こうした人権侵害等の禁止という原則を定め、新たな人権救済機関として人権委員会を設置すると。また、救済の手続といたしましては、人権委員会の人権相談を行うほか、一般的な救済手続と、それから特別の救済手続を定めているわけでございます。
 この法案につきましては、さきに述べましたパリ原則で言う権限なり責任、また、構成、独立性、多様性、それから活動の方法、補充原則、いずれに照らしましてもパリ原則を踏まえたものとなっているわけでございます。
 しかしながら、今議論になっている点が二点あるわけでございます。一つは、報道機関に対する特別救済の在り方でございます。
 これは、報道機関の取材、特に過剰取材と言われるものの定義、あるいは報道機関への不服申立ての問題等につきまして議論になっているわけでございます。早急に与野党間で調整する必要がある事項でございます。与党からは、報道関係規定の凍結と施行後の全般的な見直しを提案しているわけでございまして、早急な与野党間での調整が望まれるわけでございます。
 もう一点は、人権委員会の独立性が議論されております。
 先ほど申しましたように、パリ原則に照らしましても問題はないわけでございます。また、この人権委員会が法務省の外局になっていることにつきましては、パリ原則に照らしましても問題はありません。また、各国の人権機関の在り方を見ましても、独立委員会とする国、また政府機構とする国、あるいは準司法機関とする国、あるいは特殊独立法人とする国、また自主規制機関とする国などいろいろあるわけでございます。法務省の外局でありましても、この法案の第七条で、「人権委員会の委員長及び委員は、独立してその職権を行う。」と、正に公正取引委員会と同じような規定があるわけでございます。
 そうした七条の規定を定め、さらに人権救済の重要な手段といたしましては訴訟援助ということがあるわけでございますが、こういったものを考えれば、法律的な専門性を有する職員を擁しております法務省の外局とする考え方もやりやすい面があるというふうに考えられ、適当であるというふうに思うわけでございます。ただし、運用面におきまして、情報公開あるいは要員配置などにつきまして、透明性を高める努力は必要だというふうに考えるわけでございます。
 このように、人権擁護法案につきましては、マスコミ規制の面ばかりが強調されておりまして、不当な差別あるいは虐待等に対する救済措置の意義が軽んじられていることを懸念をするわけでございます。
 先ほど申しましたように、同法案は、不当な差別的取扱いの禁止規定を定めており、初めて差別を一般的に禁止した法律と言うことができるわけでございまして、正に人権救済に値するものだと、資するものであるというふうに考えるわけでございます。
 二番目の、個別法としての二番目の問題といたしましては監獄法の改正でございます。
 これにつきましては、昭和五十七年、昭和六十二年、平成三年と、三度法案が提出されておりますが、いずれも廃案になっております。提出された刑事施設法案によれば、一つは、国と被収容者との間の法律関係を明確化すると。また、従来は情願という形になっております、言わば法律効果を伴わないものでございますが、これをいわゆる行政争訟と同じような不服申立て制度を取り入れるということも含まれております。また、被収容者に対します適正な生活水準を保障するということ。また、受刑者の改善更生のための処遇を個別化していくということ。さらに、問題となりますいわゆる代用監獄につきましても、この法の適用の明確化を図るということなど、手当てがされているわけでございます。
 これに加えまして、私が考えまするところによれば、この刑事施設におきます処遇等につきまして、第三者の目を入れることが必要だということ、また職員の、刑事施設の職員の人権意識を向上させる必要があるということ、また矯正医療を充実させていく必要があるというふうに考えます。現在、名古屋刑務所での不祥事発生を契機にいたしまして、行刑改革会議で議論されているわけでございますが、一日も早く成案の得られることを期待するわけでございます。
 三番目といたしましては、司法アクセス拡充法制の整備が重要だと思います。
 したがいまして、結論を言えば、憲法レベルの検討に併せつつ、時間的に見れば、人権保障につきましては個別法の保障が重要であるというふうに考えておりまして、特に人権擁護法案、監獄法の全面改正、司法アクセス拡充法案の整備が重要だということを指摘したいと思います。
 以上でございます。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 江田五月君。
○江田五月君 私は、特に強調したい幾つかのポイントについてだけ意見を述べます。
 まず、基本的人権の考察には人類史や世界史の視点が不可欠です。人権保障はそれぞれの国の中で憲法に基づく保障措置として発展してきたことは間違いありませんが、その保障の在り方は国境を越えて相互に影響し合い、しかも保障の強化という方向性を持って、世界全体に広がって発展してきました。特に、第二次世界大戦の後は、国連憲章や世界人権宣言の採択により、人権は、個々の国や地域に特有のものではなく、世界的な広がりを持った普遍的なものとなりました。つまり、人として生まれた以上、地球上のどの国や地域に生まれても、肌の色がどうであろうとも、人として尊ばれなければならないということが地球上の普遍的原理となったのです。
 したがって、アジアの人権と欧米の人権の違いなどという人権に地域による違いがあるような議論は、それ自体が成立しません。また、日本における人権保障を日本社会の特徴から演繹することも妥当ではありません。人類の到達点としての普遍的人権の日本における実現という視点が大切です。
 そこで、私は、人権以外のテーマでも同じですが、人権についても地球市民に普遍的に保障される人権を具体化した地球憲法を構想し、これと整合性のある日本の憲法はどういう姿になるかを論じ合うべきだと考えています。そのことにより、私たちが直面している憲法論議はずっと実りの多いものとなるでしょう。また、各国での人権保障の最先端の動きは注目しておくべきです。
 世界史の視点から人権概念の展開を見ると、十七、十八世紀に欧米で採択された人権保障の基本文書が人権の礎を築きました。しかし、自由、平等、博愛を基本とするこれらの文書は現在では古典的文書となっています。行政機能が権力行政中心だった時代には、権力の不当な侵害から個人を守ることが人権保障の主たる機能でした。しかし、その後の行政機能の変化は著しく、現在では給付行政が膨大な量となっています。複雑化した現代社会で、私たちは給付行政によって提供される基礎的サービス抜きには生活することはできません。そこでは人権保障は権力から個人を守ることにとどまらず、行政サービス施策の基本的指針となってきたと言えます。
 こうした人権保障は、二十世紀になって社会権を含むことになりました。社会権は単なるプログラム規定ではなく、場合によっては立派に規範としての機能を有するものと考えるべきです。つまり、成熟度の高い社会では、給付行政によって維持する最低限度の生活水準が余りにも低過ぎると、人権保障規定に反し、個人に請求権を認め得ると考えるべきです。
 さらに、社会権の今後の展開も大切です。環境権はその中で重要な位置を占めると考えられます。個人の行政に対する請求権というよりも、個人も行政もともに受忍すべき未来に対する義務という性格を帯びるのではないでしょうか。
 自己決定権が人権概念の中で占める位置は、これまでになく重要になってきたと思います。現在では、人権概念の中核だと考えてもいいと私は思っています。自己決定権によって基本的人権と民主主義とが結び付きます。個人として尊重される主権者が自己決定をする機能が民主主義です。生活共同体としての地域の運営については地方自治体で、より大きい場面では国家で、さらに地球規模では国際機関で自己決定をします。個人的自己決定もあります。個人の自己決定で重要なのがインフォームドコンセントです。十分な情報提供を受け、決定に対し参加の機会が与えられることが必要です。
 自己決定権の延長として市民自治があり、情報提供と参加の機会はこのような集団での自己決定の場合にも当然必要です。行政情報の公開は合意形成にとってはますます重要となっています。最近の司法制度改革でのリアルタイム公開は注目しておかなければなりません。参政権は国家の意思形成機能の面もさることながら、個人の自己決定の集合的処理方法でもあり、在日外国人の地方参政権はこの観点から根拠付けられます。また、国際社会での自己決定機能の展開は、二十一世紀の重要なテーマです。
 人は、極めて未成熟な状態で生をうけ、複雑な過程を経て成長していく点で他の動物と大きく異なっています。個人が人格完成に向けて発展する権利は、人権保障上で重要さを、重要性を増してきています。教育権は、義務教育だけにとどまらず、社会の変貌過程で転職を余儀なくされる場合の職業能力の養成なども人権保障の内容を成すことになります。
 人権保障は、実体面で規定されるだけでは絵にかいたもちとなります。特に日本の場合は、憲法の規定と現実とのギャップや日本の人権状況と国際基準とのギャップが大きな問題で、性差別はその顕著な例です。
 そこで、手続面での保障が不可欠で、他のすべての国家機関から十分に独立した人権擁護機関を設置することが必要です。現在、人権擁護法制が国会のテーマとなっていますが、名古屋刑務所事件などに見られるように、法務省の下での人権委員会は十分ではありません。内閣府に設置すべきです。また、既存の行政府の下でなく、これを憲法上の機関として設置することも将来の重要な検討課題です。
 さらに、国際的人権の充実が二十一世紀の重要な課題です。国際刑事裁判所条約による裁判機構は既にスタートしています。その他、拷問禁止条約とその選択議定書、国際人権規約と個人通報制度、国連の人権委員会などの機能の充実など、多くの課題があります。
 北朝鮮による日本人拉致問題も、国際社会での取組を通じた解決方法も構想すべきです。例えば、国連人権委員会の仲介により拉致被害者と家族が対面して話し合い、帰国を実現させる、その一方で国連の機関を通じての人道的な食糧援助を行うことも考えるべきだと思います。
 また、人権保障の中核となる個人の自己決定に際し、個人が依拠する価値や信条については多様性を最大限尊重しなければなりません。
 地球憲法は、単一の価値や信条を前提としてはなりません。また、ある価値や信条が時間の経過や経験の積み重ねで変化していくことを認めなければなりません。特定の個人や国家の価値観や信条に基づき、価値観の異なる他の国家を崩壊させるようなことは地球憲法の認めるものではありません。民主主義の定着は息の長い寛容のプロセスを経て行われるもので、そのプロセスを経ない民主主義の押し付けは長期的に見るとかえって犠牲が大きいものです。イラク戦争とその後の復興の過程で間違いが起こることを懸念します。
 参議院憲法調査会の次のテーマは安全保障です。人間の安全保障という考え方や、イラク、北朝鮮問題でも明らかなように、人権問題と安全保障問題は密接に関連があります。私は、人権と安全保障について、国連を中心とする国際機関の実効的措置や、そのための組織や機関の強化について日本は積極的に提案し、行動し、参加していくべきだと思います。
 現在の日本政府はアメリカに気兼ねをして非常に消極的になっていますが、そんなことではいけません。国際刑事裁判所を始めとして、最終的には国連軍や国連警察軍の創設に至るまで日本は積極的に発言し行動すべきであることを最後に申し上げて、私の発言を終わります。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 山口那津男君。
○山口那津男君 公明党の山口那津男です。
 これまでの人権に関する議論を振り返って私の意見を述べたいと思います。
 従来の人権概念は、歴史的に確立した人権カタログを憲法に列挙してあると、そして抽象的な規定を置いて新しい価値をある程度包摂できるようにしてあると、このような組立てでありました。また、統治機構も、人権との関係でいえば、公権力によって人権を積極的に実現をしたり、あるいは消極的に不可侵とするための仕組みとして機能してきたわけであります。
 この人権カタログが直接予想しない新しい現象に対して新しい人権との概念で語られる場面も多く出てきているわけでありますが、人権の名前をどう付けるかはともかくとして、人権保障の原点に戻って個人の尊厳、幸福追求権として求められる価値は何かということを追求し実現していくことが憲法の要請であると考えられます。
 個人の尊厳が脅かされる事態、今日的事態が問題でありまして、それは公権力によるもののみならず、とりわけ私人によるものがより深刻な問題であろうと思います。この私人間の人権が衝突しバランスを失する事態を修正する役割が統治機構側、つまり立法、行政、司法のそれぞれの活動に求められていると考えます。
 例を挙げて幾つか述べたいと思います。
 表現の自由とプライバシーがぶつかる場面があります。憲法二十一条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」という書き方をしております。従来は、新聞、書籍など活字メディアとの関係で議論をされたり、あるいは政治活動の自由や報道、取材の自由をめぐって公権力との関係で議論されることが多かったように思います。しかし、今日、音声、映像など多様なメディアが発達するとともに、マスメディアのみならず、パソコン、携帯電話といった本来プライベートメディアとして利用されるものもインターネットなどによって人権侵害手段となってくることも生じてきているわけであります。また、メディアの商業的な利用が個人の尊厳を侵すという事態も多発しております。これらが表現の自由の名の下に放置されていてはならないわけでありまして、抑止と侵害回復、両面でバランスを取る対応が憲法上求められております。
 もう一つの例を挙げますと、従来、法は家庭に入らずという法格言がありました。また、民事不介入の原則というものも確立しておりました。しかし、今日、家庭や家族の秩序形成機能あるいは秩序維持機能というものが著しく低下、崩壊する過程の中で、DV防止法あるいは児童虐待防止法などという立法措置が取られるようになってまいりました。これらの点については、従来の法格言や原則にとらわれないで積極的な介入がますます要請されていく場面だろうと思います。
 同時に、家庭、家族のみならず、地域社会の秩序形成維持機能というものも低下をしてきているわけでありまして、最近の報道、統計によりますと、東京二十三区の犯罪の発生件数を比較したデータがあります。これは件数で比較しておりますが、おおむね地域社会の結束の固い地域ほど件数が少ない。あるいは人口との比較においてもそういった傾向が顕著でありまして、そういった地域社会の秩序形成維持機能の低下、これを補う修正原理といいますか、対応が必要となってくるわけであります。
 それからもう一点は、経済活動の自由あるいは契約自由として語られてきた場面であります。この点についても、契約当事者あるいは活動する人々の対等性が前提であるわけでありますが、しかし、それも大きく欠如してきているわけであります。やみ金融のばっこなどというものも、本来、返済能力の乏しい者と貸す側との、もう最初からバランスのない状態の中で契約活動が行われているわけでありまして、そこにあらゆる手段を尽くした無法な取立てが行われていると、こういう実態があるわけであります。
 また、高齢化社会の著しい進展によりまして高齢者人口というものがますます増えていく中で、やはりこういった老人、あるいは未成年も考える必要があると思いますが、対等性の弱いこういった人々に対する配慮というものもこれからは必要になっていくだろうと思います。
 このような対等性の欠如という見地からいいますと、外国人あるいは難民、あるいは男性、女性という性差に基づく存在、こういったものも考慮に入れた対応が必要になると思っております。
 特に、統治機構の中の立法活動、これは行政機関の能力を十分生かしたした上での立法活動、そしてまた、司法による救済活動、これに期待をされるところが大きいわけであります。折から司法制度改革が行われている最中でありまして、言わば司法の基盤が大きくなり、そして整備されていく以上、これを利用する立場の国民に対してもっと基本的な法律知識の教育あるいは人権教育、こういった情報伝達も一方で必要なことだろうということを指摘して、私の意見といたします。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 小泉親司君。
○小泉親司君 日本共産党の小泉親司でございます。
 基本的人権に関する我が党の見地、基本的見地については吉岡委員が述べられましたので、私は、当調査会でやられてまいりました基本的人権に関する議論を踏まえて、三点について述べさせていただきたいと思います。
 一つは、これまでの基本的人権の調査を通じて憲法に定める基本的人権の規定の大変先駆的な内容が私は明らかになったのではないかと思います。
 戸波参考人からは、この社会権が入っている憲法というのはヨーロッパや西欧の憲法では比較的少ない、日本国憲法はこの社会権の規定を入れているというところがとても画期的なところだというふうに述べられて、日本国憲法が社会権を規定しているということの先駆性が大変、指摘した点が私は非常に印象深く受け取りました。
 それから、先ほども委員からも発言がありましたが、プライバシー権や環境権の問題、この点については初宿参考人からプライバシーの権利については十分に現行の憲法十三条の解釈として読み込み得るんだということが指摘され、この点で私は、憲法の人権規定は環境権やプライバシー権など新しい権利にも十分対応できるというふうに考えております。
 この点に関して、先ほども委員からも発言がありましたが、私も、この環境権やプライバシー権の問題というのは、憲法の改正をすることなく立法処置によって十分対応できるのではないかというふうに思います。
 例えば、アメリカでは障害を持つアメリカ人法というのが一九九〇年に作られておりますけれども、日本はバリアフリー法というのが作られましたが、ここでは障害者の皆さん方の権利というものは明確にされなかったと。しかし、アメリカのこの障害者法、ADA法においては、障害を持つ方々の権利というのが極めて明確に示されたと。当時、私もこの点取材して、アメリカの議会で、障害者の皆さんがアメリカの議会を囲んで大変気勢が上がって、この権利を持ったということが大変画期的なんだという大変大きな国民運動が起きてやられたということを大変印象深く思い起こしますが。
 こういう点で私は、法律によってきちんとこれを担保すること、これが非常に重要で、憲法を改正することなく法律によって対処する必要があるというふうに思います。この点で、憲法の持つ大変先駆的な内容を一層国民の暮らしの中に生かしていくという点が大変重要であるというふうに思います。
 二つ目に、当調査会での議論になったのは、私、憲法に基づいた基本的人権の実態に関する調査が進められたという点も大変貴重な成果だっただろうと思います。長時間労働の問題、過労死の問題、派遣労働者の無権利な実態など職場の実態についての問題、女性差別、外国人の権利、障害者の権利、アイヌの方々の権利、こうした問題について深めることができたという点では大変重要な成果があったのではないかというふうに思います。
 特に、私は、職場の実態の問題については、圧倒的多数の国民である労働者の皆さんの権利の問題がこの基本的人権に関して当調査会で深められたのも大変特徴ではなかったのかなと思います。
 連合の草野参考人が、連合組合員の過半数が月平均二十九・六時間の不払残業をしていることや、解雇、賃金未払などを始めとする労働基準法違反の問題が多数寄せられているということを指摘をされておられました。
 中嶋晴代参考人からは、昨年、勝利判決が下されました芝信用金庫での労働者の実態が紹介をされました。これを見ますと、大変労働組合に対する集団暴行ですとか裁判の原告らに対するひどいいじめや暴言などが指摘をされ、特に原告、女性の方がほとんどですが、原告らに重い硬貨の運搬作業を命じて、妊娠した九人の女性組合員が流産や死産をするなど、大変私、ひどい実態も驚かされたものであります。
 日本の職場のこうした実態は、私、国際的に見ても大変立ち後れた状態であることも浮き彫りになったのではないかと思います。
 連合の参考人からは、百八十以上あるILO条約のうち我が国が批准しているのは三分の一以下しかなく、国際社会では大きな問題だという指摘がありました。また、ほかの参考人からも、優先的基本条約とされる雇用及び職業における差別待遇に関する第一一〇号条約ですね、を批准すべきだということなど、ILO条約を批准して、国内法を整備することの必要が指摘されたのも大変重要だと思います。
 私は、この点では、憲法と実態の乖離というのが進んでいる下で、実態に憲法を合わせるんじゃなくて、憲法をやはり実態に、きちんと合わせて、職場に憲法を生かしていくという点が大変重要なのではないかというふうに思います。
 最後に、三つ目に強調したいことは、公共の福祉と人権の問題。
 本来、民主社会においては、憲法によって国民の人権が国の支配や権力から守られることが基本であるというふうに思います。ところが今は、公共の福祉を理由にして国家権力が人権をゆがめるような動きがある。特に、有事法制の問題や国民のプライバシーの権利などにかかわる個人情報保護法案などが議論になっておりますが、こうした点での私は動きがあることに大変懸念を感じております。特にやはり憲法の基本的人権の条項をしっかりと暮らしに生かすということが重要だという点を指摘して、私の発言といたします。
 以上でございます。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 大脇雅子君。
○大脇雅子君 私はさきに、人間の尊厳を基礎として人類普遍の原理である基本的人権の保障という場合に、十九世紀は国家からの自由を保障し、二十世紀は国家の積極的な配慮と保護を中心とした社会権の規定であり、二十一世紀は平和的生存権ではないかというふうに申し上げました。平和なくしては人権保障はありませんし、あらゆる施策の基礎は平和であろうと思います。
 私は、平和を人権として保障するという考え方はいかがかというふうに思いまして、ここで申し上げてみたいと思います。
 憲法前文に、我らは、全世界の国民が、平和のうちに生存する権利を有するというふうに規定しておりまして、恐怖と欠乏、すなわち具体的には戦争と貧困から自由になる権利だと思われるわけです。こうした考え方は決して我が国憲法から即時的に出てきたものではなくて、国際的な状況で、いわゆる無差別戦争の違法化と、それから戦争が総力戦になって市民への膨大な犠牲が払われるようになったと。第一次世界大戦では軍人と市民との比率は五対九五でありましたけれども、第二次世界大戦は軍人五二に対して市民の犠牲は四八、そしてベトナム戦争では正に五が軍人で九五が一般市民であったという統計もございます。
 今度のイラク戦争を考えましても、戦場の無人化ということで、IT技術の兵器の中で市民の犠牲は非常に大きなものがございます。他人の人権を保障するのも、やはり戦争の廃止ということであろうと思います。
 一九七七年のジュネーブ条約追加議定書というものは、無防備都市の地域とか非武装地帯の設定を国の権利として述べておりますし、一九七六年の国連人権委員会の決議は、すべての者は国際の平和と安全の条件の下に生きる権利ということを言っております。平和的生存の固有の権利という言葉も一九七八年の国連文書に見えます。最近では、人間の安全保障ということを基底に国際人権高等弁務官である緒方さんたちの活動が盛んであり、国連人権センターがございます。ヨーロッパでは、EUで人権規約などがございます。
 こういうところを考えますと、国境を越える人権というものは、その保障のシステムも人権の内容も私は非常に拡大しているというか進化しているというふうに言わざるを得ないと思います。五十年前は確かに日本憲法というのは非常に豊かな、先駆的な条約でありましたけれども、現在の国際人権規約や子どもの権利条約や女子差別撤廃条約というのは正に人権のマグナ・カルタとして私たちの憲法を超えたような詳細な規定をしている。
 そこで、私は、やはり憲法九十八条二項の国際条約は憲法と同様に尊重しなければならないという、真の意味の規定を再検討しなければならないのではないかというふうに考えております。平和的生存権を人権として保障するときの国家のイメージというものを考えたりいたしますと、やはり平和を創造する権利ということで平和的外交や予防外交を中心としたものになりますし、その非戦のためのNGOを援助、支援することも含まれます。国防の義務もそこから少し意味は変わってくるのではないか。多元的な社会やジェンダーフリーの社会というものがイメージされますし、国際社会も武力の行使と威嚇によらない法治の世界、警察力と国際刑事裁判所によるものの法治のそうしたシステム作りというものがテロという暴力の連鎖をなくするのではないかと。だから、人権も新しい枠組みというものを考える時代に来たのではないかというふうに考えております。
 以上です。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 松山政司君。
○松山政司君 私は、基本的人権のテーマのうち、家族共同体、歴史、伝統、教育等の重要性について意見を述べさせていただきたいと存じます。
 戦後五十年、我が国はしゃにむに経済利益を追求してまいりました。このような経済利益優先主義は、戦後我が国が奇跡ともいうべき復興を成し遂げ、そして経済大国の地位にまで上り詰めるのに大きく貢献をしてきました。その点は率直に評価すべきであり、またそこに至るまで我が国を引っ張ってこられた諸先達の方々に大いに敬意を表するべきであります。
 しかし、今や我が国は大きな転換点に来ております。このような戦後の我が国を形作ってきたシステムが様々なところで破綻を来しています。そして、不安が社会を覆い、人々の心は荒廃をしております。親が我が子を殺し、子が親を殺す、そんな事件が全国各地で起きています。家族の崩壊、家庭の教育機能の低下が言われ、青少年が規範意識、道徳心、自立心を低下させていると指摘されて久しいものがあります。個々人のライフスタイル、価値観が多様化をし、従来のような家族制度の維持が困難であることは十分理解できます。しかし、やはり家庭が果たす機能を外部の機関なりが代替するというアウトソーシングには限界がございます。円満な家庭生活は円満な社会生活を営むための不可欠な前提であると思っております。
 現行憲法には、婚姻や夫婦に関する規定はあるものの、家庭については何らの定めもありません。憲法は個々人の権利を尊重すべきことはもちろんでございますが、社会を構成する基本単位としての家族の重要性をより高く評価し、イタリアやドイツのように憲法の中にその意義及び国家による配慮について規定するなど明確に位置付けることが必要ではないかと強く主張をいたします。家庭は、夫婦に加え、その親や子を含んで営まれるものであり、そのような家庭の生活が幸福で豊かであるよう国家による家庭尊重・擁護、幼児、老人の保護も明文でうたうことも一案であると考えます。
 家庭が尊重されることになれば、今日の過度な自分本位の考え方も是正をされ、青少年の非行などもある程度防止されるのではないかと思います。また、障害者等社会的弱者の保護という視点も必要なものであります。もちろん家族のだれかが犠牲になることで成り立つ家庭生活であってはならないことは言うまでもありません。一個人に負担を集中させることなく、社会で支え合おうという思想を否定するものでもございません。介護保険はそのような制度として高く評価をしています。しかし、家庭尊重主義の観点から、家族の扶養義務、扶助義務を憲法にも明文で規定するか否かを検討してもよいのではないかと考えます。
 次に、教育の在り方について述べたいと思います。
 冒頭、舛添先生からもお話があったところですが、基本的人権の大前提とも言うべき自由と責任、公益と私益のバランス、公共性への配慮、他人の人権への思いやり、そして法律を守る精神、こういった姿勢を皆が持つようになるためには特に教育の役割が重要であります。子供のうちから教育によってこれらをしっかりと身に付けさせる必要があります。その意味から、教育基本法の見直しは喫緊の課題であります。教育は国家百年の計であり、個人の自己実現に資するのはもちろん、国家の将来の在り方を決する重要な役割を果たすものです。
 教育基本法に何を盛り込むかについては、特に慎重な論議が必要であります。その際には、憲法も教育基本法も、我が国の古来の良き伝統と文化に根付いたものであり、またこれを尊重するものであることを明確に示す必要があります。我が国の国民が変化の時代、不安の時代の中でアイデンティティーを持ち、日本という国家の一員であることに自信と誇りを持つことができるような、また心のよりどころとなるような憲法に、そして教育基本法に改めていかなければならないと思います。
 現在の教育基本法は、昭和二十二年三月、民主的で文化的な国家を建設し、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする憲法の理想の実現を教育の力に託し、戦後における日本の教育の基本を確立するため制定されたものであります。
 先月二十日に中教審から、「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」と題する答申を出したところであります。新たに規定する理念として、「個人の自己実現と個性・能力、創造性の涵養」、「日本の伝統・文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識の涵養」、「男女共同参画社会への寄与」等が盛り込まれておりますが、二十一世紀の教育が目指すものとして、特に、「新しい「公共」を創造し、二十一世紀の国家・社会の形成に主体的に参画する日本人の育成」に注目したいと思います。
 より良い社会を実現するためには、国や社会の問題を自分自身の問題として考え、そのために積極的に行動するという公共心が重要であります。自分だけが良ければ良しとするミーイズムを排し、公共の精神、社会規範を尊重する意識や態度を育成することが重要であります。このような理想を実現するため、国の教育権も憲法上積極的な位置付けをもって既定されるべきと考えます。
 子供は社会の宝であります。諸外国に倣い、国が次代を担う子供の健全な育成のために配慮をする義務も明文化されるべきであると考えます。子供の自主性を尊重するため、多様な選択肢を設け、子供の意思を尊重することは必要でありますが、過度にその意義を強調してはならないと思います。子供はまだ判断力が未成熟であり、周囲にいたずらに影響されやすいものです。社会的経験を得て自分の責任で判断できる成人と同列に扱うのは不合理であり、保護者なり国家なりが後見すること、パターナリズムが強く求められます。子供をめぐる事柄を決定する際には、常に何が子供の最善の利益になるかを慎重に考慮する必要があります。
 以上、人権の基盤として、家族、共同体、歴史、伝統、教育等の重要性について重ねて強調したいと思います。
 以上です。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 最後になりましたが、若林正俊君、お願いします。
○若林正俊君 私は、基本的人権と緊急異常事態との関係について問題提起をさせていただきたいと思います。
 憲法で保障している自由及び権利、いわゆる基本的人権については、明示的には二十二条の住居、移転、職業選択の自由、あるいは二十九条の財産権といったように公共の福祉による制約が明示されているものがありますが、明示されていないそれぞれの条項についても、公共の福祉のために必要な場合には合理的な限度において制約が加えられることがあり得るものと解されております。これは人権の内在的限界というふうに言う人もいるわけであります。
 しかし、例えば十九条、思想及び良心の自由とか、第二十条、信教の自由のうち信仰の自由などにつきましては、内心の自由にとどまる限りは絶対的な保障と解すべきでありましょう。
 ところが、この公共の福祉というのは概念が大変漠然としておりまして、また、その必要な場合の合理的な限度における制約というのもその範囲は大変不明確でございます。したがって、具体的な事項について立法を通じてより明確にしていく必要があるというのは当然ではありますが、しかし、外国からの侵略でありますとか、大規模なテロ、大地震などの大自然災害など、国家国民の存亡にかかわるような緊急異常事態につきましては、そのこと自身が公共の福祉という点から見ましてこれに該当すると考えていいと思うんですけれども、そのような緊急非常事態をどのように認定をし、その範囲、あるいはそういう事態の継続する期間をどのように定めるのか、どのような自由、権利をどのように制限するかなど、これは大変難しい問題でありますから、あらかじめ立法で定めておく必要があると私は思っております。このような法律を整備しておかないと基本的人権を結果的には損なうことになる危険が大きいと思うのであります。
 したがって、緊急非常事態において基本的人権を必要最小限法律によって制約できるというような規定が憲法上明らかにする必要があるのではないか。その当否についても、これはこの次議論されます「平和主義と安全保障」のテーマの中で緊急異常事態に関する規定、現行憲法にございませんけれども、それを設けるか否かといったような論議をし、そのときにこの基本的人権についても、どこまでどのような形で制約可能であるかというようなことも論議して明らかにしておくことが望ましい、このように思います。そういう意味で問題提起をさせていただきました。
 以上です。
○会長(野沢太三君) 本日の自由討議はこの程度といたします。
 委員各位には、貴重な御意見をいただきまして、誠にありがとうございました。
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○会長(野沢太三君) この際、御報告申し上げます。
 幹事会における協議により、次回からは「平和主義と安全保障」をテーマとして調査を進めていくことを決定いたしました。
 今後とも、委員各位の御協力をよろしくお願い申し上げます。
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○会長(野沢太三君) 公聴会の開会承認要求に関する件についてお諮りいたします。
 日本国憲法に関する調査のため、「平和主義と安全保障」について、六月四日午前九時に公聴会を開会いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(野沢太三君) 御異議ないと認めます。
 つきましては、公述人の数及び選定等は、これを幹事会に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(野沢太三君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時二十二分散会

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