第162回国会 参議院憲法調査会 第6号


平成十七年四月六日(水曜日)
   午後零時五十一分開会
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   委員の異動
 三月二十三日
    辞任         補欠選任
     田  英夫君     近藤 正道君
 四月五日
    辞任         補欠選任
     山口那津男君     浜四津敏子君
 四月六日
    辞任         補欠選任
     近藤 正道君     又市 征治君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         関谷 勝嗣君
    幹 事
                荒井 正吾君
                武見 敬三君
                舛添 要一君
                若林 正俊君
                鈴木  寛君
                簗瀬  進君
                若林 秀樹君
                山下 栄一君
    委 員
                秋元  司君
                浅野 勝人君
                岡田 直樹君
                河合 常則君
               北川イッセイ君
                国井 正幸君
                佐藤 泰三君
                桜井  新君
                田村耕太郎君
                藤野 公孝君
                松村 龍二君
                三浦 一水君
                森元 恒雄君
                山下 英利君
                山本 順三君
                江田 五月君
                喜納 昌吉君
                郡司  彰君
                佐藤 道夫君
                高嶋 良充君
                富岡由紀夫君
                那谷屋正義君
                直嶋 正行君
                前川 清成君
                松井 孝治君
                松岡  徹君
                松下 新平君
                魚住裕一郎君
                白浜 一良君
                浜四津敏子君
                仁比 聡平君
                吉川 春子君
                近藤 正道君
                又市 征治君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       桐山 正敏君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
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○会長(関谷勝嗣君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、これまでの調査を踏まえ、日本国憲法について、委員相互間の意見交換を行います。
 まず初めに、各会派からそれぞれ御意見をお述べいただきたいと存じます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、御意見のある方は順次御発言を願います。若林正俊君。
○若林正俊君 自由民主党は、立党五十年を迎えるに当たり、総裁を本部長とする新憲法制定推進本部を発足させ、その下に新憲法起草委員会を設け、現憲法のすべての条章について十項目に分けた小委員会において検証をし、新しい時代にふさわしい新憲法草案を作成すべく、論点の整理、取りまとめに入っております。
 このような検討を踏まえて、今まで本調査会において述べてきたことに若干補足して、自由民主党における検討の方向を明らかにしておきたいと思います。
 まず、前文でございます。
 現行憲法から継承する国民主権、基本的人権、平和主義を基本理念とし、現行憲法に欠けている日本の国土、自然、歴史、文化など国家の生成発展について記述し、このような国を愛し、その独立を堅持し、国民の安全を確保する旨を明らかにすること。
 国家の目標として、自由で活力に満ちた経済社会を築き、福祉の増進に努め、経済国家にとどまらず、教育国家、文化国家を目指し、地方自治を尊重するとともに、国際協調を旨とし、積極的に世界の平和と諸国民の幸福に貢献し、地球環境の保全と世界文化の創造に寄与する旨明らかにすること。
 明治憲法、昭和憲法の歴史的意義を踏まえつつ、日本史において初めて国民自ら主体的に憲法を定める旨を宣言するものであること。
 次に、天皇について申し述べます。
 天皇が我が国の歴史、伝統及び文化と不可分であり、現行の象徴天皇として第一章に位置付けることについては共通の党内理解が得られておりますが、前文において言及するかどうか、元首と明記すべきかどうかについては賛否両論がございます。
 女帝問題を含め、皇位継承の資格や継承順位については、皇室典範において規定するのが適当であること。
 天皇の国事行為の規定の中で、「国会議員の総選挙」、七条四号ですが、のように、文言の不正確な点は修正するとともに、憲法に定める国事行為と、私人としての私的行為以外の行為として、象徴としての公的行為が幅広く存在することに留意すべきであること。
 三番目に、地方自治について申し述べたいと思います。
 住民自治と団体自治など、地方自治の理念と地方自治の本旨に関する規定を置いて、国と地方の役割分担と相互協力の規定を設けること。
 地方自治体は基礎的自治体とこれを包括、補完する広域自治体で構成するとともに、議会の議員はその地方自治体の住民が直接選挙すること。
 なお、地方自治体の長については、直接選挙すべきとする案と直接選挙かその他の民主的な方法により選出するか、これを法律で定めるとする案の両論がございます。
 私の考えですが、ごく小さな町村について、さらに、いわゆるシティーマネジャー制度などでありますが、その採用とか、あるいは道州制を視野に入れるとすれば、地方自治体の長の選出方法を住民の直接選挙のみに憲法上限定しない方が適当ではないかと考えております。
 次に、地方自治体の財政について、課税自主権と財政調整措置などの規定を設けること。
 地方自治体が違法行為を行った場合の是正と政府が地方自治体に対し違法行為を行った場合の救済は法律で定める旨を明らかにすること。
 なお、現憲法九十五条の住民投票制度は廃止することでございます。
 次に、改正規定でございます。
 憲法改正案の原案の提案権は国会議員に限定する規定を設けること。
 国会による発議の要件については、各議院の総数の過半数の賛成によるものと緩和すること。
 憲法改正には必ず国民投票を行わなければならないとされている点についてはこれを維持するとともに、国民投票における承認の要件は有効投票の総数の過半数の賛成とすること。
 この場合の国民投票については、特別の国民投票として行うことに限定をするのが適当であること。
 最後に、憲法改正手続、国民投票制度については早急に整備すべきであり、憲法調査会も本日で調査を締めくくり、あとは報告を議長に提出するという予定になっておりますが、そのため、本憲法調査会において引き続き調査検討ができるようにするか、あるいは本調査会又はこれを継承する本院の機関において調査検討、立案、審議、議決ができるようにするか、措置する必要があるということでございます。
 なお、天皇による公布の規定は現行のままこれを維持すること。
 最後に、最高法規ですが、最高法規の章については現行のままこれを維持するということでございます。
 以上を補足、追加して、自由民主党の検討の方向を述べさせていただきました。
 なお、ほかの安全保障・非常事態とか国民の権利及び義務に関する規定とか、国会に関する事項、また内閣に関する事項、司法に関する事項、財政に関する事項などにつきましては、舛添委員の方から補足、追加して述べさせていただきます。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 続きまして、舛添要一君。
○舛添要一君 引き続きまして、我が自由民主党の見解を述べたいと思います。
 まず、安全保障及び非常事態に関する項目でございますけれども、まず第一に、戦後日本の平和国家としての国際的信頼と実績を高く評価して、これを今後とも重視するとともに、我が国の平和主義の原則は不変のものであることということを強調したいと思います。さらに、今後とも積極的に国際社会の平和に向けて努力するということを大前提として述べておきたいと思います。その上で、自衛のために自衛軍を保持する、そしてその自衛軍を国際の平和と安定に寄与するために使うということであります。さらに、内閣総理大臣の最高指揮権及び民主的文民統制の原則をしっかりと憲法に書き込むと。さらに、今後、軍事裁判所、非常事態、それから安全保障基本法、国際協力基本法、こういうものの制定につきましては今後の検討課題とするということでございます。
 続いて、国民の権利及び義務に関する点でございますけれども、基本的人権と国民の義務に関する十条から四十条に関しては、おおむねそのままにしておくこと。
 ただ、公共の福祉について、この概念を明確にするために、公益あるいは公の秩序などの文言に書き換えたいということであります。
 その上で、権利規定で一部修正すべき点については、信教の自由、二十条ですけれども、政教分離原則は維持すべきですけれども、一定の宗教的活動に国や地方自治体が参加することは、社会的儀礼や習俗的・文化的行事の範囲内であれば許容されるとしたいと思います。これはさらに、八十九条、公の財産の用途制限の絡みでも同じような観点から統一したいというふうに思っております。また、国や地方自治体は特定の宗教や宗派を教育することはできないが、一般的な宗教に関する教育は実施できるとしたいと思います。
 二十一条の表現の自由につきましては、有害図書のはんらんというようなことは、やはり公の秩序に照らして制限され得る旨を追加したい。
 それから、財産権につきましても、これは侵してはならないとありますけれども、財産権が一部制限される目的として、公益だけではなくて良好な環境や景観の保護も加えたいと。
 それから、新しく追加すべき権利としては、まず国民の知る権利、それから国民の個人情報を守る権利、犯罪被害者の権利、これは犯罪被害者等基本法が既にできておりますので、そういうことを踏まえての上であります。それから、環境権、知的財産権、司法への国民の参加の権利。
 それから、権利だけではなくて、今度は責務として追加すべきものとして、国防の責務、税金だけではなくて社会的費用を負担する責務、まあ社会保険料のようなものです。家庭を保護する責務、生命の尊厳を尊重する責務、憲法尊重擁護の責務、環境を保護する責務などでございます。
 次に、国会に関してでございますけれども、国会は二院制とするということが多数の意見でございますけれども、一部には一院制を主張する意見もあります。そして、この二院制の下で、参議院の決算審査の充実など二つの院の役割分担、さらに、その二つの院の議員の選出方法について見直すべきであると。
 内閣総理大臣の選出、国務大臣の任命については現行どおりとする。
 衆議院の解散要件につきましては、いわゆる七条解散を認める、現行どおりでよいという考え方と、六十九条の場合に加えて、本予算案又は内閣提出の重要な法律案が成立しなかったようなときに限るべきであるという意見の二通りがございます。
 内閣の法案提出権については、現行どおりといたしたいと。
 それから、国務大臣の議院出席義務は緩和したい。
 それから、議決の定足数の規定はあっていいですけれども、議事の定足数の規定は廃止したい。
 それから、政党の位置付けについてきちんと憲法に明記したいと思います。
 それから、国会の裏であります内閣ですけれども、今既に、国会と内閣との関係については既に述べましたけれども、まず内閣に関しましては、行政権の主体については内閣なのか内閣総理大臣なのかという議論がございましたけれども、衆議院の解散権、自衛隊の指揮権、さらに行政各部の指揮監督及び総合調整権の三つについては内閣総理大臣個人に専属させることにして、残余の権限は現行どおり内閣に属するものとする。
 それから、独立行政委員会につきましては、内閣に対してこれが高度の独立性を有していることが弊害となる場合については、それを除去すべく諸措置をとるということでございます。
 それから、内閣の権能についてですけれども、内閣の法案提出権、これを国会議員だけに限ってはどうかという意見もございましたけど、現行どおりにすると。
 それから、官僚が政治主導を妨げている面についての反省として、政令の制定、七十三条六号ですけれども、これを法律の個別の委任がある場合に限り政令を制定できるとしてはどうかと。つまり、官僚が何でもかんでも政令で処理していくというのを阻止するための手段としてこれを提案したい。
 それから、それとの関連で、七十三条の柱書きのところで、「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。」とありますけれども、「他の一般行政事務の外、」という断り書きがあるものですから、それを名目にして何でも国会のコントロールの届かないところで官僚が動くということを、これはやめたいということで、「他の一般行政事務の外、」という、これを削除したいというふうに思います。
 それから次に、司法に関する件でございますけれども、まず司法権の独立につきましては、最高裁判所の現行の国民審査制度が有効に機能しているかどうか疑わしいということで、これを改めたい。裁判官の任期、任命は現行どおりとすると。裁判官の報酬、七十九条六項、八十条二項ですが、これは、経済情勢又は財政状況により公務員の給与が一斉に引き下げられる場合など、司法権の独立を不当に侵害すると言えないような場合には裁判官の報酬を減額することができる旨の明文規定を置きたいと思います。
 それから、違憲立法審査権ですけれども、我が党としては憲法裁判所は設けないという結論であります。この憲法裁判所設置につきましては、慎重意見、反対意見が多くありまして、今あります付随的違憲審査制のみで、抽象的、一般的違憲審査のシステムは設けないということでございます。
 軍事裁判所の設置につきましては、第九条で軍事組織を持つということでございますので、その絡みで当然持つべきだという意見もありますが、いや、持たなくてもいいんじゃないかという見解もまだあります。
 それから、行政訴訟については、憲法事項ではなく法律事項としたい。
 さらに、裁判の迅速化につきましては、刑事だけではなくて民事事件においても迅速な裁判を受ける権利を有する旨の明文規定を置くべきとの意見がありましたが、これはまだ結論に至っておりません。
 続きまして、司法への国民参加につきましては、これは国民の権利義務との関連で、既に国民が司法に参加する権利があるということを申し上げましたけれども、これを国民の権利義務のところに置くのか、司法の章に置くのか、これはまた調整が必要だと思います。裁判の公開については、まあ見直しを求める意見もありましたが、現行憲法八十二条二項で、「裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。」と規定されているため、公開原則の見直しの憲法規定は必要ないじゃないかということでございます。
 ただ、軍事裁判所を設置する場合には、これは原則非公開とするような法律上の手当てが必要だということであります。
 続きまして、財政に関する件でございますけれども、まず健全財政に関する訓示的な規定を憲法上に置くと。それから二番目に、予算が成立しなかった場合の対応ですけれども、そういう場合には必要最小限の支出が行われるような規定を憲法上に置きたい。それから、複数年度予算の編成につきましては、財政民主主義の観点から、単年度主義の原則は維持すると。しかしその上で、年度をまたがる手当てが必要なものについては現在法律で規定されている継続費等の制度を活用して運用を弾力的なものにしたいと。私学助成につきましては、現行で合憲とされている私学助成については違憲の疑念が抱かれないような明確な表現を取りたいと。
 それから、我が参議院に最も関係あります決算と会計検査院でございますが、決算審査の充実、予算へのフィードバック、予算執行面の透明性の向上等を図る観点から、決算について国会の役割を明確化する規定を憲法上に置くとともに、法律上の手当てを行いたいと。会計検査院を参議院に置いてはどうかという議論も行いましたけれども、独立性の確保という観点から、現行どおりにしたいという結論でございます。
 それで、一応早口で述べましたけれども、これが基本的に我が自民党の党内の意見を集大成した項目ごとの意見でございます。今後、さらに、この今個々ばらばらの項目ごとに申し上げましたんで、例えば憲法九条で軍隊と、まあ呼称はどうであれ実力組織の存在を認めるならば、当然軍事裁判所が必要になってくる。そうすると、その軍事裁判所をどういうふうに規定するのかということは、これは安全保障の項目と司法の項目とで調整をしないといけない。それから、財政の八十九条と信教の自由の二十条の関連をどうするか、こういう調整もあります。
 それで、さらに、今、十ばかりの小委員会に分けて党で結論を重ねたんで、非常に個々の分野で専門的、具体的な話になりましたけれども、じゃ我が党としてこの憲法全体像をどうするのかと。もちろん、前文にきちんとうたってはありますけれども、全体像の統合という作業がまだ残っておりますんで、これを今後精力的に行っていきたいというふうに思っています。そして、その過程におきまして、当然パブリックヒアリング、国民の皆さん、自民党員の皆さんの意見を広く聴いた上で、それも新しい憲法をつくる過程で取り入れていきたいと。そして、我が党が結党五十周年を迎えます十一月に、我が自民党の憲法案というものを広く公に問いたいということでございます。
 そして、先ほど若林委員からも御発言がありましたように、その憲法改正を行うために必要な国民投票法案について、これは手続法ですから、これは各党の御賛同を得て早急にいいものをつくりたいと、そういうことで、今後とも議論は進んでいきますけれども、今、若林委員と私が申し上げたような形で党内の意見を集約して一つの要綱にまとめつつあると、そういう状況でございます。
 少し時間が早く終わりましたけれども、取りあえず自民党のまとめの意見として申し述べました。ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、簗瀬進君。
○簗瀬進君 民主党の簗瀬進でございます。
 最終の意見陳述の機会を与えていただきまして、本当にありがとうございました。限られた時間でもございますので、何点か端的にまとめのお話をさせていただければと思っております。
 まず第一番目に、憲法改正の必要性について、依然として国民の間にこの改正の必然性が理解されてはいないのではないのかな、そこに私は細心の注意を払っていく必要があると、このように思っております。憲法改正論議が政党主導あるいは政治主導で国民不在に陥ってはならないと、このように私たち、自戒をしていかなければならないと思います。
 そういう観点から、今なぜ憲法を改正すべきなのか、その必然的な理由を、まとめに当たっていま一たび整理しておく必要があると思っております。
 まず第一番目は、法の支配の確立ということだと思います。憲法の文言と現状が乖離している。そして、そのことによる憲法規範が形骸化、空洞化している。そのことが我が国にとっての政治不信の大変大きな原因となっているのではないのか。このまま放置すれば社会混乱は一層拡大をする。明快で実効的な憲法が必要である。これは民主党の考えでもございます。
 第二番目は、国際環境の重大な変化ということでございます。IT革命によるグローバリズムの急激な進展がございました。それに伴って国家概念が急速に変質をしてまいっております。国境を越える経済、疾病、環境汚染、災害、テロ、これらに対して、国民国家を前提にした今までの憲法では対応できなくなっている部分がたくさん出てきております。そういう意味合いにおいても抜本的に見直す時期が来たのかな、このように思うわけでございます。
 第三番目は、我が国の民主主義の原点を再構築すべきであるということであります。
 明治以後の近代日本の歴史に、ある意味で市民革命の歴史はございませんでした。憲法は、本来は民主主義革命の所産であるべきであります。しかし、明治憲法も維新の所産であり、また現憲法も敗戦の所産でございます。国民が主権者として主体的に国の基本法を決定する初めての取組が、今度の憲法改正の論議だと思うわけであります。
 だからこそ、憲法改正権者が国民であり、憲法改正が国民主権の最大の発現であることが明らかとなるような、そういう手順を踏んでいかなければならないと思うべきであります。国民が主役の平時の革命をやり遂げなければならない。政党は国民に向かってしっかりと争点を提起しつつ、同時に国民不在で前のめりに取り組むことについては自戒をすべきであります。
 四番目に、憲法改正の原点とは何かという古くて新しいお話をさしていただきたいと思います。
 かつて、一九九一年の一月に湾岸戦争が勃発をいたしました。自衛隊の海外派遣問題が浮上してまいりました。その年の七月、派遣の是非をめぐって自民党の憲法調査会が開かれました。席上、当時の板垣参議院議員が発言をいたしました。憲法改正の原点は占領下でGHQに押し付けられたことにあると、このような御発言でございました。私は、大先輩に対し恐縮ですが、憲法改正の原点とおっしゃるなら、占領されざるを得ないような無謀な戦争をしたことこそ原点なのではないのか、このように発言をさせていただきました。無謀な戦争は、戦争の記憶が残る限り我が国が背負うべき十字架だと考えるべきだと思っております。
 第二番目に、そのような意味合いにおきまして、歴史総括の重要性ということについて最後に触れさせていただきたいと思っております。これは二つに分けて考えるべきだと思います。
 第一番目は、二十一世紀の新しい世界において日本がどのような地歩を占めるのか、あるいは二十一世紀のアジアとの共同体構想、EUに匹敵するようなAUというものをアジアに展開をすべきではなかろうかといった、そういう発言が結構出てきております。
 私は、歴史総括を言う際に、正にこのアジアとの新しい二十一世紀の共同体構想の不可欠の前提が歴史の総括なのではないのかなと思っております。歴史の総括は、決して過去の問題ではありません。例えば、現時点でも、安保理加入の問題に対しまして中国の若手の皆さんがインターネットで大変な反発をいたしております。韓国の問題もございます。正にそういう意味では、戦後六十年、今となって増幅される対日不信といった問題が我が国を襲っております。
 私は、そういう状況の中で、厳しい自己批判こそ信頼回復の決め手であり、また我が国がこれから平和に対する国際貢献をする際の最大の前提条件だと、私はこのように考えるべきだと思っております。平和主義は過去の戦争に対する反省の結果であるといったことが憲法典にも引き続き明記されるべきであり、さらに、戦争の歴史の総括を主体的に今後も継続していく決意を憲法上も明らかにしていくべきだと思っております。
 お手元に司馬遼太郎さんの「この国のかたち」第四巻、「「日本人の二十世紀」より」という、そういうコピーを配らせていただきました。ここに書いてあるとおり、正に、「自己を正確に認識するというリアリズムは、ほとんどの場合、自分が手負いになるのです。大変な勇気がいります。」。しかし、「この勇気こそ、死者たちへの魂鎮めへの道だと思うしかありません。」。この司馬遼太郎さんの指摘は、現時点でも重く受け止めるべきだと思っております。
 第二番目に、歴史総括の重要なことは、この国の最大の問題点が現時点でも自己肥大する官僚制にあるということだと思います。
 陸海軍の巨大な官僚制が、ある意味では日本を亡国に追い込んでいきました。省益あって国益なしの感覚は現状認識力を低下させ、リアリティーを喪失させ、戦争終結のグランドデザインもなく、戦争の総合的なマネジメントも不可能にいたしました。正に、現代に通じる官僚制の弊害が顕著に出たのがかつての戦争だと思います。軍部に集結した官僚組織は壊滅しましたけれども、その余の官僚組織は戦前戦後を通じて存続をいたしております。このたびの憲法改正の最大のテーマは、正に官僚制度の弊害の除去であると言うべきであります。
 続きまして、第三番目として、先ほど若林自民党の幹事からも御指摘がありましたが、手続法の問題でございます。
 私は、法の支配とは、デュー・プロセス・オブ・ローという言葉でもあるとおり、正に適正な手続を意味するわけでありまして、実体法と手続法は密接不可分であります。また、国民が積極的に憲法改正手続に参加するためにも、手続法は大変重要な意味を持っております。
 そういう意味合いにおいては、憲法調査会の重要な調査内容として手続法についての検討も当然含まれるべきであると、このように考えるべきであります。でありますから、若林提案の前段については私どもも真摯に受け止めたい、このように思っております。
 このたびの報告は憲法改正の中身でありますけれども、手続法についても今後は丁重な論議を国民の皆さんを巻き込む形でしっかりとして、この憲法調査会を主な舞台としてやっていくべきなのではないのかなと思っております。
 そして最後に、国民が主役の本会議場や委員室を整備していくべきだと、このことを最後に付け加えさしていただきたいと思っております。
 これから、三時から党首討論が行われるわけでありますけれども、諸外国の党首討論を見た際に大変私たちが驚くのは、党首討論をしている当事者を取り囲んでいる傍聴者の存在であります。小学生から始まって有権者の多くの皆さんが、党首の討論をかたずをのんで注目をして見守っている。正に、主権者の存在自体が国会活性化の切り札であるということがその姿となって私たちに伝わってまいります。
 一方で、我が国の本会議場あるいは委員会室はどうでありましょうか。主権者であるはずの国民の傍聴席は狭くて暗いままであります。主権者としての存在とはほど遠い、ある意味で劣悪な傍聴環境と言ってもいいでありましょう。憲法改正に際して、本会議場や委員会室の構造を基本的に見直し、国民主権にふさわしい構造に改めるべきであるという私の提案を付け加えさせていただき、最終の報告とさせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、直嶋正行君。
○直嶋正行君 どうも発言の機会をいただきましてありがとうございます。
 今、自民党さんの方、それから簗瀬我が同僚議員からの意見陳述もございましたが、約四年半にわたるこの憲法調査会がいよいよ報告書をまとめる段階になったということでございます。会長を始めとして、幹事の皆さんを始めとする関係者の皆さんの御苦労、まだこれからが御苦労かもしれませんが、御期待を申し上げますとともに、御慰労も申し上げておきたいというふうに思います。
 報告書がいよいよ取りまとめの段階ということなんですが、私は本当の問題はこれからだというふうに思っております。国会のこの憲法調査会の場あるいは各政党で、今後とも、この報告書の取りまとめ以降どう進めていくか、あるいは問題をどう詰めていくかということもございますが、私は、特に私自身も、先ほど簗瀬議員からございましたように、憲法を改正をする、新しい憲法をつくるつもりで議論をして、新たな憲法を生み出すことが必要だというふうに思っております。
 そういう立場で申し上げますと、やはり、特に国民的な議論をこれからどう盛り上げていくかということが極めて重要ではないかと思うわけであります。
 率直に申し上げまして、国民各層における憲法論議への関心は私はまだそれほど盛り上がっていないというふうに思っています。現状のような国民世論とのギャップをそのままにして、国会や、あるいは国会議員や政党が議論を進めていっても、現実問題として、憲法の改正なり新たな憲法を生み出すということは難しいんではないかと思うわけであります。
 したがいまして、これ以降も私は、拙速に議論の取りまとめを急ぐということではなくて、政党や国会が国民の議論をよりリードしていくといいますか、あるいはリーダーシップを発揮していく、そういうことを念頭に置いて、国民とともに議論を進めていく、こういう姿勢が必要ではないのかというふうに思っております。
 先ほど舛添議員の方から、自民党さんの要綱のお話が、報告がございました。私ども民主党も、この五月中ぐらいに憲法調査会の提言という形で、最終的な議論にまでは至らないと思いますが、これまでの議論を取りまとめさせていただきたいというふうに思っております。
 したがいまして、そういう議論も併せながら、今申し上げたように、より国民とともに議論をしていく、そういう姿勢を持つということをこの憲法調査会でも共有をしていただきたいというふうに思っております。
 それから、手続法について今、簗瀬議員からもお話がございました。
 私は、これは個人的見解でありますが、本来の意味合いでいいますと、この手続法というのは前もって制度化しておかれるべきものだろうというふうに思っております。しかし、それが現実問題として今日までその法整備がなされずに来たわけでありますから、法制度を整備するという意味で手続法を議論していくということには賛成でございます。
 しかし、その手続の進め方一つ取っても、やはり多くの論点があると思います。したがいまして、できるだけ幅広く、しっかりと手続法についても議論をしていただくようお願いも申し上げておきたいというふうに思います。
 それから、残る時間で、以前に御報告をさせていただきましたが、九条に関して若干私見を重ねて述べさせていただきたいというふうに思っております。
 以前にも九条に関して申し述べましたが、私は、憲法九条は、やはりこれまでの経緯を見る限り、政府の場当たり的な解釈変更によって、あいまいなままに、なし崩し的に自衛隊の海外派遣という事態を生じ、そのことが国民世論の対立を生じてきたというふうに思っております。九条をめぐる不毛な対立がどれほど憲法の規範力を損なってきたかを私どもは真剣に反省をすべきではないかと思います。
 したがいまして、明文できちっとした改正を行って、解釈に疑問の余地を残さないようにしなければいけないというふうに思っております。そのことによって、より憲法の価値が確かなものになるんではないかと考えております。
 以前申し上げましたが、日本国憲法は、そもそも国際連合による集団安全保障が機能することを想定して国際平和主義に立脚して制定されたものであります。その精神は、パシフィズムや一国平和主義ではなく、集団的な強制措置を整えることで国際平和を乱す動きを封じていくという積極的なものであると思います。
 このことを踏まえるならば、消極的に国連重視を語るだけであってはいけないと思います。我が国は、国連改革など他の条件も整備しながら、国連を発足当初想定されていたような状態に近付ける努力をしなければいけないと考えます。
 国連への協力という意味では、加盟国として国連による平和維持活動に対して積極的に参加、貢献をする。また、安保理決議に基づく武力行使を伴う活動への参加、例えば多国籍軍等についてもその参加の道を開いておくことが必要であると思います。原則として参加を可能な状態にしておき、実際に参加をするかどうかはケース・バイ・ケースで自主的に政策判断をすべきだというふうに思っています。
 さらに、集団的自衛権について一言申し述べたいと思います。
 集団的自衛権は、何よりもまず、それが国連憲章五十一条の明文規定により、個別的自衛権とともに国家の固有の権利として認められていることを確認しておかなければいけないと思います。自衛権は国家の自己保存の権利であり、それを放棄することは国家の自己否定につながると思います。あえて言えば、個別的自衛権も集団的自衛権も、本来、国家の存在を前提とする憲法によって放棄できるような性質のものではないというふうにも思っております。
 集団的自衛権に対する制約は、将来のことを考えますと、日米同盟のみならず、国連その他を通じた国際貢献に際しても大きな障害となり得ることから、我が国の外交の選択肢を著しく狭め、国益を損なうことにもなりかねません。
 また、集団的自衛権は自動的に発動しなければならない義務ではありません。したがって、政策判断の介在する権利でありますから、それを行使するか否かは我が国の自主的な政策判断で決められることになります。集団的自衛権の行使に当たっては慎重を期さなければならないのは当然のことであり、その政策判断の過程に国会の関与を組み込むことが検討されてもよいというふうに思っております。
 さらに具体的に、ちょっと九条といいますか、条文について申し上げますと、九条一項については、不戦条約や多くの国々の憲法に見られる非戦規定と同じく侵略戦争の放棄を定めたものであり、専守防衛に徹することを明確にするためにも、私はそのまま残すべきだというふうに思っております。これは多くの皆様にも御同意いただけるというふうに思います。
 二項めについてでありますが、私は、削除又は修正をする。自衛のための武力行使が可能である旨を明確にする。具体的には、例えば自衛のための軍隊を持つことができる旨を明文でうたうことなどが考えられます。さらに、必要な場合にその軍隊の一部を国際協力に供することができるなどと、国際平和維持への積極的貢献を可能にする文言を追加しておくことが望ましいというふうに思っております。その上で、細目については安全保障基本法等の法律で定めていくことにすればいいと。
 さらに、その際に、シビリアンコントロールを明記するとともに、国民の心理的抵抗に配慮して徴兵制をとらないということをあえて明文化することも検討に値するというふうに思っております。また、非常時にあっても憲法の機能を維持するため、緊急事態において首相が行使できる権限及び期限を明確にした上で、首相の緊急権行使を決めた上、それに対する国会による民主的統制の仕組みについても今後検討していくべきだというふうに思っております。
 いずれにしても、今ちょっと申し上げたような、これは個人的見解でありますが、党内的にも議論を進めながら、更に深めていきたいというふうに思っております。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、松井孝治君。
○松井孝治君 民主党の松井孝治でございます。
 時間も限られておりますので、私は二点に絞って意見を申し上げたいと思います。
 第一は、行政権の主体に関する議論であります。
 議院内閣制の本旨ということを考えると、そもそも我が国が取っている議院内閣制というのは、有権者が選出した議員が国会において首相を選出し、その首相が閣僚を部下として行政権を握ると、こういう形によって国民主権が完結する、あるいは民主政治の糸が通るということだと思います。
 現実にどうなっているかということを考えますと、内閣というのは行政各部、各省庁の連合体として組織されている、そういう実態になっている。ここをどう改めるかということが、これは舛添委員からも問題提起がありましたが、非常に重要なことだと思っております。
 今、憲法七十二条には、「内閣総理大臣は、内閣を代表して」ちょっと略して言うと「行政各部を指揮監督する。」という表現になっているわけであります。ここの部分を、先ほど舛添委員がおっしゃったのは、この「内閣を代表して」という部分ではなくて、総理大臣個人として指揮監督できる、あるいは相互調整できるという規定を置くというのも一つの問題解決の手段であると私も思いますし、あるいは、六十五条の「行政権は、内閣に属する。」というところを内閣総理大臣に属すると、先ほどの国民統治の議論からすればそういう組立ても可能なんではないか。
 いずれにしても、最初に申し上げました議院内閣制の本旨というものを確保するための改正が必要であろうと思っております。そうなりますと、当然のことながら、現行の内閣法六条で定める、総理大臣は行政各部を指揮監督する場合に、「閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する。」というような規定も当然変えなければならないという形になって、今の行政各部中心主義、省庁連合体による内閣というものの構造を大きく変えるきっかけに憲法改正がなるんではないかと私は考えております。
 もう一点、それに関連して申し上げれば、現行憲法の六十六条に「国会に対し連帯して責任を負ふ。」という規定がございます。この規定自身は私は問題ないと思っているんですが、問題は、閣議が全会一致でなければ内閣が連帯していないという解釈を生みがちであること。基本的に閣議というのは全会一致で運営されるのは当然のことでありますが、しかしながら、一部の反対者がいると閣議決定できないということによって行政各部の長が事実上内閣の方針の拒否権を持ち得るような実態を持っている。このことも私は是正しなければならない一つの大きなポイントであろうと思います。
 私が申し上げたい二点目は財政の問題であります。
 私は、現行の規定におけます八十三条、国の財政処理の権限というものについてはこれは結構なんですけれども、さらに、内閣はあるいは内閣総理大臣は、国の財政状況及び将来の国民に与える影響に関する予測、財政予測というものを国会に対してきちんと報告をさせるべきではないかと考えています。
 これは憲法八十六条に規定する単年度予算主義の原則とも関連するものでありますが、もちろん私は、毎会計年度予算を提出し、国会の議決を経なければならないという規定は、これは存置すべきであるというふうに考えています。ただ、予算の全体像とともに、その予算を含む、その当該年度予算を含む複数年度にわたる財政計画とか将来の財政展望というものをきちんと内閣が国会に報告し、国会がそこまで含めて議決をするという形を取るべきではないか。要するに、憲法八十六条の規定に縛られて、逆に単年度主義の弊害を生むような状態は変えなければいけないと考えております。
 財政規律の観点では、私も決算委員会に所属しておりますので、この決算の問題をどう位置付けるかということについて申し述べたいと思いますが、九十条の決算に関する規定というのは当然残すべきであると思います。ただ、これを単に、今のように報告として会計検査院の報告がなされればいいということではなくて、きちんとして、議案としての処理が必要ではないか。
 具体的に、国会は、会計検査院の報告を受け、内閣に対して必要な勧告をきちんと行うということを憲法上私は明記すべきではないか。そして、その国会の勧告を受けた場合に、内閣総理大臣はその勧告を受け、必要な措置をとらなければならない旨の規定を明記すべきではないか。これは、自民党の舛添議員がおっしゃっていたところの国会の役割を明確化する規定を憲法上置くということにおいて、この財政の規定の中で、そういう内閣あるいは国会の位置付け、会計検査院の報告に対する位置付けをきちんと明記すべきではないかと考えています。
 同時に、会計検査院の検査も強化をしなければいけないと考えております。会計検査院の組織、権限は法律でこれを定めるというふうに法律に委任されていますが、場合によっては、正確性、合規性、経済性、効率性、有効性の観点から財政運営の事後検証を行うというような規定を憲法に書き込むのも一案だと思いますし、これは自民党の方でも議論があったようでありますが、検査の独立性は私は確保しなければいけないけれども、会計検査院の位置付けを、もう少し国会との関係も含めて、国会の補佐機関として位置付けるということも含めて明確に位置付けて、そして会計検査院と内閣あるいは国会との関係を憲法上位置付けるということが必要であろうと考えております。
 最後に一言だけ付け加えさせていただきますと、これは国会の会期の在り方でございます。
 今は、衆議院、参議院を問わず、国会としての会期が位置付けられていますけれども、私は、特に財政規律を確保するチェックの院としての参議院の役割ということにかんがみますれば、参議院というのが、ある種の法案とか予算の審議の土俵としての会期制というものを衆議院が持つということは必要性は分かりますけれども、チェックの院としての参議院においてこの時期は休んでいいという時期は本来はないはずでありまして、参議院は通年国会、その規定は年に一回通常国会を置くということとひょっとしたら相矛盾しないやり方はあるかもしれませんけれども、会期というものを参議院において廃止するということも含めて議論をすべきではないかということをもう一度提言をいたしまして、私の意見表明とさせていただきます。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、若林秀樹君。
○若林秀樹君 民主党の若林でございます。締めくくり自由討議の最後の意見陳述になるわけですが、主に人権問題を中心に幾つかの視点を申し上げたいと思います。
 まず、総論として一つだけ付け加えたい点は、憲法は国際的な視点や世界における日本の位置付けを重視すべきであるということであります。
 確かに、現行憲法の前文には国際協調の崇高な理念が書き記してありますが、より法的な根拠となる条文には具体的な行動を義務付けるところが極めて少ないと言わざるを得ません。
 国家とは、国民の生命、財産、領土を守る、ある意味では他国に対して排他的な存在であり、その排他的な主権国家と国民との関係を規定付けるのが憲法であると思いますが、一方で、日本という国は日本人だけのためにあるのではなく、世界の人々のための日本でもあるという考え方に立って憲法を組み立てるべきではないかと思います。
 すなわち、世界の平和と繁栄があって日本があるのであり、日本は世界の平和と繁栄を維持、構築するために相当な責任を負っているはずであります。したがって、国連を中心とした国際社会や隣国との協調、ODAやPKO等を通じた積極的な国際貢献、国際法や国際人権法の尊重、ハーモナイゼーションは当然のことであり、また、これからは日本がこれまで育ててきた人間の安全保障という観点に立って、貧困問題、エイズなどの感染症、難民支援、人権問題等、国を超えた一人一人の安全を守るという考え方に沿った日本の姿勢を憲法に盛り込むべきであると思います。
 また一方で、国内においても、外国人の人権を守り、難民を温かく迎え入れ、日本を好きになっていただけるような国づくりの精神、日本に住む人々の温かさや思いやりが感じられるような精神が憲法においても重要ではないかというふうに思います。
 その上で、人権に関する問題を民主党で小委員会で議論をしているんですが、最終的な詰めの議論は残っていますが、民主党としての基本的な考え方を三点述べたいと思います。
 まず第一に、人権を人間の尊厳の保障という観点から見直すことであります。
 確かに、憲法二十四条に婚姻に関して「個人の尊厳」という記述がありますが、あくまで人権のほんの一部であります。世界人権宣言の第一条、最近ではEU憲法に、人間の尊厳は不可侵であり、尊重され、保護されなければならないという広い意味での人権規定の普遍的な考え方が記述されているわけであります。民主党としては、この人間の尊厳という原点に立ち返って、すべての人権を再定義したいというふうに考えます。
 具体的には、国際人権法の尊重あるいは国際条約の尊重、遵守だけではなく、国内措置を講ずることを義務付ける記述も必要ではないか、私人間の関係であっても、人間の尊厳を破壊する個人的、社会的暴力を厳格に禁止する規定を設けるべきではないかという考え方に立ちます。具体的には、配偶者間や子供への暴力、セクハラ、インターネット時代における暴力に絞って検討をすべきではなかろうかと思います。また、犯罪被害者の人権、子供の人権として、子供を保護する対象から、子供の独立した人格の担い手として認めた権利として明記すべきではないかというふうに思います。
 第二に、従来の権利義務を超えて、共同の責務、未来への責任を明確に憲法に位置付けることであります。
 私は、権利には責任、機会には使命が、所有には義務という言葉が好きであります。また、現行憲法には権利の主張が強過ぎて義務が弱く、バランスを欠いているとの指摘も理解できないわけではありません。しかし、権利だけでは社会は維持できませんが、だからといって、義務を主張するだけで社会の統合力が高まるわけではないと考えます。
 例えば、環境保全のように社会的な広がりを持つ社会共通な課題については、地方公共団体、企業、学校等の中間集団及び家族や個人の協力がなければ達成し得ないものであり、このような課題に挑戦するものとして、これまでの権利義務概念を超えて、共同の責務、未来への責任という視点から一人一人が果たすべき義務を規定すべきであると考えます。
 また、財産権を見直し、土地や資源、自然エネルギー資源においても公共的な価値があるものはその利用と処分についてある制限を認め、そのことにより子々孫々に良好な資源や環境の維持の責務を果たす、正に未来への責任の精神にのっとった考え方を条文に盛り込むべきであると考えます。
 そして、最後に、二十一世紀の新しい時代における人間の権利と社会の関係を明確にするということであります。
 二十一世紀は、情報化社会、知的価値がより重視されるということは間違いない状況だと思います。これまでの同じ人権、権利でも、視点を変えることで新しい人権の見方が出てくるんではないかという視点で整理すべきではないか。プライバシー権、知る権利、自己決定権、環境権はこれまで申し上げてきましたけれど、生命倫理の課題もあるんではないかなと思います。
 また、知る権利を行政や公共性を有する団体に対する情報へのアクセス、IT時代における知的創造活動に必要な情報へアクセスできる権利とし、また人はだれでもコミュニケーションの主体として尊重かつ保障され、他者との交信、共同が支援される権利を有する意味のコミュニケーション権、さらには情報リテラシーや生涯学習社会の到来に対応するとともに、人間の潜在能力の開発を支援することを行政などの責務とする学習権などが挙げられるのではないかというふうに思っているところであります。
 いずれにしましても、民主党としては、これからも創憲という立場から、国民とともに積極的に議論を進めていくことをお誓いし、私の発言とさせていただきます。
 以上でございます。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、浜四津敏子君。
○浜四津敏子君 この五年間、本調査会等で活発な議論が行われ、また多くの識者の皆様から参考人として多方面にわたり有益な御意見が展開されました。それらを学び、踏まえた上で、私見を述べさせていただきます。
 私は、憲法は時代や社会の変化、進展に応じて変えていいと思っております。不磨の大典ではない、その意味で見直しは当然あってよいと考えております。
 しかし、憲法を見ればその国の姿が分かると言われるように、憲法は端的に国の在り方、国の姿を示します。したがって、憲法をどう変えるのか、その方向性については、当然、これからのより良き日本の国の姿を描きながら、それに沿った改正がなされるべきことが求められます。
 私は、これからの日本が真の民主主義国家へ、質の高い人権国家へ、より成熟した平和国家へと進むよう、その方向を目指しての改正を考えるべきと思っております。言葉を換えれば、目指すべき改正の方向性は、民主主義先進国、人権先進国、平和先進国であります。したがって、現行憲法の国民主権主義、基本的人権の尊重、恒久平和主義の三原則は人類普遍の原理として将来ともに堅持し、より深化させ、成熟させ、発展させていくべきと考えます。
 なぜなら、日本国憲法が目指す究極の目的は、個の尊厳、言葉を換えて言えば、すべての人の平和、幸福、そして人間の尊厳、生命の尊厳でありますが、これは人類英知の結晶であり、今後も永遠、不変の目的であります。
 そして、この個の尊厳の実現を支える三本柱が平和、人権、国民主権の三原則であり、これらの三つは互いに密接不可分に関連し合い、そのどれ一つを欠いても個の尊厳の実現が不可能となるからであります。そして、この三原則をより良く深化、成熟させることにより、日本はより人間の尊厳、生命の尊厳が尊重される真の人間主義国家へと発展できるからであります。
 この憲法三原則の堅持については、大方の党派、また国民の大多数の合意もあると思っておりますが、ただし、三原則といってもそれぞれの立場でその内容に差があることも事実です。特に、平和主義については、一方には非武装的立場に立ち、自衛隊違憲、したがって自衛隊の海外派遣も反対との立場があり、他方、自衛隊の存在を是とする側でも、国連の旗の下であれば国際平和活動として自衛隊の武力行使も容認されるべきとするいわゆる集団安全保障への参加容認の立場や、さらにまた、集団的自衛権の行使も認められてしかるべきだとする立場もあるわけで、そこに大きな隔たりが存在いたします。
 私は、自衛権の裏付けとしての自衛隊の存在は合憲であると考えておりますし、また憲法前文と九条の冒頭の一句、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」との条文からして、国連を軸とする国際平和活動へ武力不行使を前提として自衛隊が非軍事、民生中心の活動に参加することは当然認められると考えております。
 私は、我が国の国際的地位からしても、我が国が国際平和へ一定の責務を果たすべきは当然のことと思います。特に、九・一一米同時多発テロ事件を境に、各国の平和観や安全保障観が劇的に変化し、国際テロに対する国際社会の共同対処が求められる時代となっております。それだけに、従来、一部に見られた言葉だけで平和を唱え、一国平和に閉じこもる内向き、後ろ向きの姿勢ではとても世界に通用しない、世界に向けて平和国家とは到底言えないことがより一層明白となってまいりました。
 国といっても、世界の中の一部であれば、一国だけが平和を守ろうとしても、世界全体の平和を実現する中にしか各国の平和もあり得ないことは明らかであります。したがって、国際平和の確立へ世界とともに行動する平和主義でなければ真の平和主義とは言えないことは明らかでありますが、国際平和への責務をどこまで行うかについては日本の将来像にかかわってまいります。
 冒頭述べましたように、日本が真の平和先進国となるためにとの視点からこの問題を考えたいと思います。この点の具体的検討は後述するとして、憲法改正の在り方全般についてまず述べたいと思います。
 私は、現行憲法は、戦後日本を誤らず、平和国家、民主主義国家をつくり、今日の世界有数の繁栄を築いた源泉であり、よくできた優れた憲法であると評価しており、まだ十分な有効性を保持していると思っております。したがって、その価値は今後も引き継がれるべきと思っております。その趣旨からして、現行憲法の維持を基本としつつ、二十一世紀を人権の世紀、平和の世紀、人道の世紀、人間主義の世紀へと深化させるための時代適合性などの観点から、足らざるところ、不十分な部分を新たに付け加え、補っていけばよいとの加憲の方式がベターではないか、すなわち護憲的改憲のスタンスでよいのではないかと考えております。
 具体的に私が主に加憲の対象と考えているのは、現憲法制定時には想定されず、今日においてクローズアップされてきた課題、特に新しい人権と言われる環境権、プライバシーの権利あるいは知る権利などであります。人権の世紀と言われる二十一世紀に入って、人権の実現こそ政治の目的であるとの認識が従来にも増して一般的になってきております。人間が人間らしく生きる人権の実現のためには、今日の時代要請に正しく適合する憲法条項、すなわち環境条項や個人の尊厳に基づく人格条項なりを確立する必要があると思っております。加憲の対象として、ほかには地方分権の徹底、私学助成の明確化などが考えられます。
 さらに、憲法第九条につきまして、私どもの党内でも、今のままでよいとする意見のほかに、現行の一項、二項はそのまま堅持し、新たに第三項を設ける、つまり加憲ということになりますが、そこに自衛権と、その裏付けとしての自衛隊の存在の明記並びに国際平和活動への貢献ということも併せて規定したらどうかという議論もあります。
 私の個人的意見としては、九条は現行規定を堅持した方がよいと考えます。以下、その理由を述べます。
 まず、九条一項の戦争放棄、不戦条項の維持は当然であります。また、第二項の戦力不保持規定についても、自衛隊との関係が分かりにくいとの意見もありますが、自衛隊の存在については既に国民的な合意があり、またその合憲論も政治的にはほぼ決着済みのことであります。したがって、あえて二項を改正する必要性はないと考えます。二項を改正することになると、むしろ内外に更なる自衛力肥大化の懸念を生じさせるのではないかと考えます。
 また、国際貢献についても、現行憲法の下で自衛隊がイラクまで派遣され、多国籍軍に協力し、人道復興支援を行っておりますが、この程度のことが現状の日本のなし得る平和貢献の限度だと私は思います。現状の国連では、国連軍結成はまず困難で、多国籍軍編成が限度と思われますが、それへの参加、協力は、現行の憲法解釈によって認められている、武力行使を伴わない、武力行使と一体化しない後方支援活動に限定すべきだと考えます。それ以上の任務、役割となる武力行使はやるべきでないと私は考えます。多くの国民の方々も許容しないだろうと思います。したがって、そのための九条改正は必要ないと考えます。
 次に、集団的自衛権の行使についてですが、私の個人的見解ですが、解釈変更であれ、憲法改正であれ、認めるべきでないと考えております。
 それは、仮にこれを認めるということになれば、これまでの専守防衛という立場から他国の戦争に加担する立場へと、戦後日本の国としての行き方を根本的に大変更していくことになるからであり、国民の方々の理解も到底得られないだろうと思います。また、今日の日本を取り巻く国際状況が、近い将来も含め、集団的自衛権の行使を必要とする情勢にあるとは思えません。集団的自衛権については、そもそも何のために持つのか、持ったら何をするのかの議論が不明確であります。
 さらに、個別的自衛権、集団的自衛権の定義、範囲について洗い直しの議論をすることが必要と考えます。現状は、個別的自衛権の範囲が狭く解釈され、集団的自衛権の適用範囲が逆に広くとらえられているように見受けられます。集団的自衛権とは異なる集団安全保障体制については遠い将来のことと思われますが、国連常設軍の設置という普遍的な集団安全保障体制が確立されるに至ったときには、その本質はあくまで国際公共活動、国際警察行動と言うべきものであって、現行憲法の前文及び九条一項の規定に照らし、その段階に至ったときには日本としての参加は検討されていいとは思います。もちろん、その場合には国民の方々の御意見をしっかり伺わなくてはいけないと思っておりますが、ともかく今はそうした段階に到底至っていないと考えております。
 もう一点、加憲ということの妥当性について申し上げたいと思います。
 憲法のような国の根本法の改正に当たっては、多様な価値観が混在する民主主義社会においては、一挙に憲法を丸ごと変えるような抜本的改正というのは一種の革命にも似たやり方ではないかということで社会的なあつれき、摩擦もそれなりに大きいと予想され、現実問題としては難しいのではないかとの見方があります。その点から、漸進的な部分的な改正、改革の方がベターではないかと言われております。実際、成熟した民主主義社会と言われる欧米諸国では、憲法については漸進的な加憲型改正となっているという事実に注目すべきであります。英国は憲法のない国と言われますが、もちろん憲法的規律はあるわけで、それは加憲型となっていることは御承知のとおりであります。
 憲法改正のためには党派を超えた多数の合意形成が不可欠ですが、当参議院の憲法調査会を見ても、党によって、また同じ党内でも人によってその発言には大きな隔たりがあるように思われます。その一事を見ても、各党間での合意形成は容易ではないと思われます。
 国の根幹の法である憲法という性格上、その取扱いには国民大多数の理解を得る必要があります。そのためには、超党派的な幅広い合意形成を目指すべきだと考えます。憲法改正は多くの国民に祝福される形で行われるべきだと思います。国家の基本、根幹の問題で、国論を分裂させるような事態は避けるべきだと私は考えます。
 こうした制約と現実政治での合意形成の難しさ、そして成熟した民主主義社会に近づきつつある日本の現状を考えると、加憲という手法こそ当を得たものではないかと思います。そして、それによりこの日本を個の尊厳、すなわち生命の尊厳の実現を目的とした真の民主主義国家、質の高い人権国家、成熟した平和国家としていくことを念願し、私の意見陳述を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、白浜一良君。
○白浜一良君 五年間の憲法調査の一区切りを付けるに当たりまして、若干の所感を述べさせていただきたいと思うわけでございます。
 三点、申し上げます。
 一つは、この五年間、憲法をいろんな角度からこの国会で議論をしてこれたということを高く評価をしたいと思うわけでございます。
 戦後、日本の社会というのはある面で不幸な時代がございまして、護憲か改憲かということだけで国論を二分した時代もあったわけでございます。それは、さきの大戦でアジア諸国の皆さんに大変日本が侵略という事実と、迷惑を掛けたということもございます。そういう面で大変それが大事であったという時期があることも私は認めるわけでございますけれども、時代状況も大変変わりまして、護憲か改憲かというような、本当に入口に立ってそれ以上入れないというような議論、今日的には大変もう不毛であったわけでございますが、そのことをこの五年間、本調査会で議論をしてこれたということは大変好ましいと思うわけでございます。
 例えば、今も少しお話ございましたけれども、例えば大量消費型の社会というのが、この地球環境を考えた場合にいつまでもつのかということが大きく問い直されているわけで、そういう面で環境権というものが、単なるそういう公害を出してはいけないとか、そういう意味での権利じゃなしに、人間が生存にかかわるそういう基本理念としての重要性というものが今日ほど叫ばれている時代はないわけでございまして、そういうことも今日的課題でもございますし、また冷戦構造下というのはパワーバランスがあったわけでございますけれども、しかし、ポスト冷戦で逆にその世界が平和になるどころか、大規模の自然災害もございますけれども、と同時に、一方で、世界的に頻発している民族紛争とかテロ行為というのがあるわけでございます。
 そういう状況の中で、ここまで成熟した日本の社会、国家というものが国際貢献というものをどうとらえるのかと。事実関係として自衛隊の諸君もそれぞれ海外で活躍をしてくれているわけでございますし、この国際貢献というものを憲法上どういうふうに位置付けるのかという今日テーマもあるわけで、そういう面で、不磨の大典の憲法という意味じゃなしに、いろんな角度からこの国会で憲法を議論をしてきたということを高く私はまず評価をしたいということが一点でございます。
 それから二点目ですが、憲法改正を具体的に考えた場合に、今もお話ございましたが、私どもの加憲という立場が大変現実的だということを述べたいと思うわけでございます。
 大変国民の価値観も多様化しているわけで、こういう平和時に一定の価値観を共有しなければできないような、憲法を一から十まで書き換えるというような作業が果たしてできるでしょうか。
 と同時に、戦後少なくとも六十年たつわけでございますけれども、現憲法が国民の中に定着しているという事実があるわけでございます。一度としてこの憲法改正という、大きな国民の何か求める運動というのはなかったわけでございます。それだけ、いろんな経緯もございますけれども、現行憲法は国民の中に定着しているという事実があるわけでございまして、そういう面で、先ほど、一点目に述べたことと関連いたしますけれども、今日的にどこを補足すべきなのかということを多くの議論の中で最大公約数的に決めて、一つの、加憲という一つの手法で憲法を改正を考えていくということが現実的じゃないかということを述べさせていただきたいと思います。
 それから三点目には、一応五年間の調査の一区切りを付いた段階でございますので、いわゆる、先ほどからも若干御意見もございましたが、手続法としての国民投票法を具体的に議論していく段階ではないかということを述べさせていただきたいと思います。
 一つの憲法議論の区切りを今回付いたわけでございまして、手続法として、立法の不作為があってはならないという角度から考えましても、私どもと自由民主党の皆さん方で一応のこの国民投票法の素案はつくりました。それにとらわれるわけじゃございませんが、民主党の皆さんも入れて今三党で協議が始まった、そういう段階でございますが、今回の一区切りを一つの節といたしまして、国民投票法が本調査会で議論をされて成案が図られていくということが望ましいと、そうすべきだということを主張いたしまして、私の若干の所感とさせていただきます。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、吉川春子君。
○吉川春子君 私は日本共産党の吉川春子です。
 二〇〇〇年一月、参議院憲法調査会の第一回の調査で、憲法調査会の基本課題について橋本敦元参議院議員とともに発言させていただきました。
 今日、憲法調査会最後の意見表明に当たり、何点か以下発言します。
 まず、憲法調査会に参加した私たちのスタンスですが、我が党は憲法調査会設置に反対いたしました。国会法は、憲法調査会が議案提案権は持たず、「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行う」と明記して、調査という目的に限定された機関として当委員会は設置されました。したがって、本調査会を憲法改正、特に九条改正の足掛かりにすることは許されないと考えております。
 我が党は、憲法を擁護するという立場に立って本調査会で積極的に議論に参加し、調査を行ってまいりました。当調査会は、報告書を議長に提出すれば役割を終えますので、静かに幕を下ろすべきだと考えております。
 次に、改憲論の焦点は憲法九条であることは明らかです。中でも、戦力保持の禁止を規定した九条二項を改変し、自衛隊あるいは自衛軍の保持などを明記することが改憲勢力の共通した主張となっています。この方向で憲法改定がなされれば、その結果は自衛隊の現状を憲法で追認するにとどまらない重大なものになります。
 本日から私たちは日本共産党第二十三回党大会の三中総を行っておりますが、その主題のトップに憲法問題を掲げています。三中総は、まず憲法九条二項の改定の意味するもの、すなわち憲法一項を守るが憲法二項を改正するということのねらいについて次のように指摘しています。
 戦後、自民党政府は、憲法第九条に違反して自衛隊をつくり、増強してきたが、戦力の保持の禁止という明文規定が歯止めになって海外での武力行使はできないという建前までは崩すことができなかった。九条二項の改変は、この歯止めを取り払い、海外で戦争する国に日本を変質させることになる。すなわち、九条二項を廃棄することは、戦争放棄を規定した九条一項を含めた九条全体を放棄することになる。これは、日本国憲法の戦争放棄、平和原則そのものの放棄になるということになるのではありませんか。この立場から、私は憲法第九条は一項も二項も改憲すべきではないと考えています。
 日本では、広島、長崎の原爆、沖縄の地上戦、東京を始め全国主要都市の空襲、満蒙開拓団など、あの戦争によって多くの庶民が近親者、恋人、友人、知人を失い、財産を失い、青春を失い、人生を狂わされました。戦争は懲り懲りという体験をしています。こうした背景があり、自衛隊を持てることを憲法に明記するための改憲なら賛成と考えている人々も含め、日本国民の圧倒的多数は海外での武力行使のための改憲には反対していると思います。
 様々な世論調査を見ても、また昨年六月に発足した九条の会の講演会が、報道によると各地で大きな反響を呼び起こしている点を見ても、私は九条を守れという国民世論は多数派であると確信しています。国会の中での力関係と国際世論とにおける力関係は大きな乖離があると思います。
 次に、世界の大局的な流れとのかかわりで、憲法第九条改定の持つ意味をどう見るか。
 日本を海外で戦争する国につくり替えるというときの戦争とは、具体的に言えば米国の単独行動主義に基づく先制攻撃の戦争です。こうした戦争に乗り出す国にすることが、二十一世紀の世界で日本をどんな立場に立たせるでしょうか。イラク戦争との関係でいえば、米国は今、イラク侵略戦争に続いて、無差別殺りくなどの戦争犯罪を重ね、国際的孤立を深めています。有志連合と称してイラクに派兵した三十八か国のうち、既に半数以上が撤退あるいはその意向を表明しています。憲法九条を改定するならば、日本の自衛隊がこうした無法な有志連合の中で、輸送や給水を受け持つにとどまらず、米軍とともに直接の武力行使を行うことになるのです。
 憲法の中に国際貢献を書き込むという改憲論がありますが、憲法九条の改定では、世界平和への貢献どころか、日本をアメリカ共々、無法な戦争に乗り出す国に転落させ、アジアと世界にとって重大な軍事的な緊張と危険をつくり出す根源の国にすることになります。それが世界の大きな流れに逆らうものであることは余りにも明らかです。
 日本国民は、憲法九条をつくった際、二度と戦争する国にはならないという決意とともに、国連憲章が理想として掲げる戦争のない国際秩序を築く上で日本が先駆的役割を発揮しようという決意を込めたのです。
 二十一世紀を迎えた今、この憲法九条の理想に国際政治の現実が大きく接近しています。今、世界で憲法九条に対して二十一世紀の人類の進路を照らす先駆的条項として新鮮な注目が広がっていますが、それは偶然ではありません。世界で起こっている恒久平和への巨大な前進を背景にしたものなのです。日本に求められている国際貢献とは、憲法九条を生かした平和外交で戦争のない国際秩序を築く先頭に立つことであると考えます。
 また、私は、侵略戦争無反省と憲法九条改正論がセットになっているという事実を指摘せざるを得ません。最近とみに、アジア諸国から、かつての日本帝国主義の再来になると憂慮と批判が起こっています。戦後、ドイツとは対照的に、侵略戦争への真剣な反省を行わないばかりか、反対に、今侵略戦争を美化する動きに歴史を歪曲する流れと憲法改正の動きが連動していることに強い警戒感があります。歴史の事実を歪曲した歴史教科書が再び検定合格しました。
 昨日、文部科学省は、来年度から中学校で使われる教科書の検定結果を公表しました。従軍慰安婦の記述がすべて教科書の本文から消えています。強制連行などの加害責任の事実に関する記述も大幅に減っています。侵略戦争を美化する新しい歴史教科書をつくる会の歴史と公民の教科書が再び合格しました。つくる会の教科書は、日本の侵略戦争を自尊自衛のための戦争と描くなど戦争美化の立場に立っています。アジアの解放につながったかのように記述しています。南京大虐殺や強制連行、慰安婦など、アジアの人々への加害の事実を隠し、植民地支配を正当化する内容になっています。
 侵略戦争と植民地支配への反省とその誤りの清算は、戦後日本の国際公約であり、日本がアジアで生きていくための絶対条件ともいうべきものです。それを否定する教科書が国内外からの批判を浴びることは当然のことです。検定合格とした政府・文部科学省の責任が厳しく問われております。
 先月二十三日、予算委員会の締めくくり総括で、私は小泉総理と細田官房長官に質問をいたしました。総理には、日本とアジア諸国との関係においても、侵略した側がその責任を明確にし、他国との歴史認識を共有し、ともに平和な関係を構築することが求められているというふうに指摘した上で、我が国の戦争責任についての認識を伺いました。小泉総理は、過去の従軍慰安婦等の問題、戦争の反省等、よく認識しながらこれからの日本の発展を期していかなくてはならないと答弁されました。官房長官は、九二年の河野官房長官の談話で、慰安婦問題についての旧日本軍の関与あるいは慰安婦の強制性、教科書等を通じて次世代に戦争や慰安婦の実態を教えていくという談話の内容を説明された後、小泉総理は、その方針は変わっていないと明言されました。だとすれば、今度の教科書検定の結果はこの政府の方針に照らしてどうなのかということも厳しく問われなくてはなりません。
 教育基本法は、前文で、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」としています。憲法の理想の実現を託する子供たちの教育に用いる教科書が、憲法の理念や憲法制定の動機となった侵略戦争の事実をゆがめる内容であってはならないことは明らかです。
 最後に、憲法九条と憲法の人権と民主主義の条項を守り生かすことは一体だという点について申します。
 自民党憲法改定草案には、非常事態の際の国民の協力、国防の責務や、社会保障費用の負担の責務など、基本的人権の制約が明記されようとしています。その根底には、国民が憲法によって国家権力を規制するという近代の立憲主義を否定する思想が流れていると言わなくてはなりません。日本国憲法が徹底した恒久平和主義の条項を持っていることは、国際水準で見ても先駆的で豊かな三十条の条文に及ぶ人権条項を持っていることと一体のものです。
 豊かな人権規定の中の一つ、三十一条以下の法定手続について、これは刑事訴訟法のような細かい規定が憲法に定められておりますけれども、その背景には、戦前、治安維持法の下で人権を無視した取調べ、刑事裁判への反省があります。
 昨日、名古屋高裁において、名張毒ブドウ酒事件の再審決定がなされました。情況証拠からは犯人とは推認できず、自白の信憑性に疑問があると裁判長は述べています。誤審は防げないとすれば、死刑の存在あるいは自白に頼った有罪認定などを考えると、憲法の三十一条以下の厳密な適用の必要性を改めて痛感いたします。
 ここ数年、警察の権限拡大の新法が幾つも立法化されておりますけれども、戦前は論外としても、被疑者、被告人を含め、人権保障、国民の人権保障のために、憲法三十一条以下、デュープロセスの規定の厳密な適用が求められております。
 憲法九条は、三百十万の日本人と二千万人を超えるアジア諸国民の犠牲を出した侵略戦争への反省と不可分に結び付いて打ち立てられた条文であり、独り日本国民の財産であるのみならず、アジア諸国国民の共通の財産であるということを最後に申し上げまして、私の発言を終わらせていただきます。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、近藤正道君。
○近藤正道君 社民党・護憲連合の近藤正道です。
 私は、昨日、日本国憲法に関する調査報告書事務局整理案に対する意見、そして今後の憲法調査会の在り方などにつきまして意見を文書で委員長の方に提出をさせていただきました。
 本日、これと一体を成すものとして、憲法九条を中心に私の意見を述べさせていただきます。
 まず、憲法全体について申し上げます。
 憲法は、国民主権、基本的人権、そして平和主義の三大原則を基盤とし、今の状況にも十分に通用する普遍的価値を有し、よくできた憲法と評価しております。基本的に、現時点で改正の必要はないと考えております。
 第二次世界大戦の多大な犠牲と反省の下に生まれた憲法は、戦後の日本社会に平和と民主主義の重要性を根付かせる上で大きな力となったと確信をしております。とりわけ、戦争を否定する第九条とこれを支えた国民の努力があったからこそ、戦後の国際紛争の中で、日本が武力を行使して人を犠牲にしたり、また犠牲になったこともなく、これまでやってくることができたと思っております。
 戦後の復興を経て、日本が国際社会で一定の評価を得るに至る背景には、第九条を始めとする憲法の存在が大きく寄与したことは疑いのない事実であると思います。こうした事実を踏まえるとき、憲法の果たしてきた役割を否定するような現在の改憲の流れにくみすることはできません。憲法を守り、これを暮らし、社会、そして政治の中に生かし、憲法の理念を二十一世紀の国際社会の規範として広げていくことが必要であると考えます。
 とりわけ、前文と九条は憲法の核心であります。憲法を改正し、戦争を否定する国から戦争のできる国へと変質させていく道ではなくて、憲法が指し示す平和と人権の道をこれからも歩むべきだと考えます。
 だからといって、憲法の条文がそのまま維持されればそれでよしという立場ではありません。基本法や個別法を制定、充実させ、憲法の理念を積極的に実現する現状改革の立場を目指します。
 私は、憲法の前文を高く評価しております。前文は、国際協調主義や平和的生存権など、憲法の基本理念や人間の安全保障の考え方を展開している重要な部分でありまして、本文と不可分一体の関係を成すものであります。前文に、日本の歴史、伝統、文化を盛り込むべきとの見解は、基本的人権の普遍性を制約する国家主義、復古主義の考えに基づくものであり、賛成するわけにはいきません。
 そして、第九条であります。私は、第九条の平和理念の先見性と人類史上の意義は高く評価しております。しかし、既に提案されている様々な改憲案は、第九条一項は存続させ第九条二項を改めようというものが多数を占めているように思われます。例えば、自衛隊の存在を憲法の中に明記し、軍隊として自衛隊を位置付けようとする流れであります。私は、こうした第九条二項改正案、つまり自衛隊を軍隊として憲法上明記する改正案に反対をいたします。
 国際人道法の流れは、一八九九年のハーグ平和会議以降、戦争のルール化から始まり、明らかに戦争それ自体を違法化する方向に進んでまいりました。国際連盟規約、そして不戦条約と歩んできた戦争違法化の歴史、その到達点は、急迫不正の侵害に対する自衛の場合を除いて加盟国の武力行使を全面的に禁じた一九四五年の国連憲章でありました。そして、第九条は、この国連憲章が到達した戦争違法化の原則を更に一歩進め徹底させたものであると思います。武力の不行使を定めた第九条二項こそ、その具体化であります。第九条の下で戦力の保持が禁止され、集団的自衛権の行使は許されないものとなりました。
 かくして、憲法は、世界で初めて平和を人権として保障する平和的生存権を確立し、平和のうちに生きる権利はこの国の統治権を制限する人権となったわけであります。その核心ともいうべき戦力の放棄を定めた第九条二項は、正に平和を求める人類の英知の結集であります。戦争は違法であり、紛争解決の手段として武力に訴えることは主権国家の正当な権利ではないという第九条第二項は、第九条一項とともに今後ともしっかりと堅持していかなければならないと思います。
 ここで、私の自衛隊に対する考えを述べてみたいと思います。
 私は、独立国家である以上、個別的自衛権の存在は当然だと思うし、その行使は憲法上も可能と思っております。この個別的自衛権を担保する必要最小限の実力、防御力として自衛隊は位置付けられ、その限りにおいて、第九条二項が禁ずる戦力には該当しない、憲法が許容するところであると理解をしております。自衛隊の行動を制約するいわゆる専守防衛や非核三原則、武器輸出禁止原則、シビリアンコントロールなどは単なる政策ではなく、第九条の平和理念に基づく自衛隊の制約原理であり、厳格な運用が憲法から求められているというふうに思っております。
 しかるに、現在の自衛隊の実態は、憲法が求める必要最小限の実力の範囲を逸脱しております。制約原理の空洞化も目立ちます。私は、必要最小限の実力を逸脱し、今や違憲の実態にある自衛隊を、必要最小限の実力の範囲内、つまり合憲の自衛隊に縮小、再編しなければならないと思います。それが憲法第九条の要請だと思っております。段階的、積極的に自衛隊の縮小を実現し、合憲の自衛隊を実現しなければならないと思っています。
 第九条に基づく自衛隊の制約原理と自衛隊の縮小過程、合憲の範囲を定める基本法として、私見でありますけれども、私はいわゆる平和基本法を考えております。
 いずれにいたしましても、必要最小限度の実力としての自衛隊の位置付けは、既にそれなりに定着をし、現在、国会内で自衛隊の存在を全否定する議論はほとんどなくなっております。そうした意味では、今や自衛隊と九条の関係は、この国の重要かつ喫緊の憲法及び政治上の課題ではなくなっており、今あえて憲法を変えてまで自衛隊の存在を憲法の上で明記しなければならない必然性はないと考えます。
 この現実を考えるとき、第九条改正の真のねらいは、自衛隊の憲法上の認知ではありません。専守防衛や集団自衛権行使の禁止、そして非核三原則など、第九条が自衛隊に課している様々な憲法上の制約、原理を一切取り払う、そのことにあることは明白であると思っております。アメリカの随伴者として地球規模で自由に武力行使できる、戦争のできる国をつくり上げ、有事立法を整え、自衛隊の海外派兵を常態化させた今、軍事大国化の流れを文字どおり完成させるねらい、意図を持ってもくろまれているものと断ぜざるを得ないのであります。私はこの流れを強く否定をいたします。国民の多くもこの流れを望んでいないと考えます。
 私たちは、軍事力によらない安全保障体制の整備を進めながら自衛隊の縮小を目指します。そして、国際貢献は非軍事の方向で行う、例えば大規模災害への支援、発展途上国の社会開発への協力、紛争予防の外交努力、福祉、医療、教育など非軍事面での貢献を積極的に行うべきと考えます。
 しかし、自衛隊は原則その担い手であるべきではありません。自衛隊は専守防衛に徹すべきであり、武力行使につながる危険のある国際貢献に参加させるべきではありません。あくまでも非軍事の協力に限定すべきであります。そうした意味合いで、私は自衛隊の国際貢献を第九条に加える、いわゆる九条加憲の考えには賛成できません。
 憲法の平和理念は二十一世紀の国際社会の規範たり得るものであり、現実を憲法の理念に接近させる着実な努力が求められております。このためにも、私たちは国連の改革、そしてアジアに軸足を置いた地域的な国際的な総合安全保障機構を構築し、軍事への依存を低めていく道筋を描く、その中で自衛隊を災害救助、非武装の国際協力隊、領土警備隊に縮小、再編していくべきと考えております。日米安保はアジア総合安全保障機構の中に包摂をし、平和条約に転換をいたします。
 一九九五年五月、ハーグ平和アピール国際市民会議が開催されました。会議の中でまとめられた公正な世界秩序のための十の基本原則の冒頭で、世界じゅうの国が日本国憲法第九条に倣った決議を行うべきことがうたわれております。さらに、昨年、我が国も加盟した東南アジア友好協力条約の中にも第九条の理念が盛り込まれております。
 このように、憲法の平和理念、九条の理念が着実に世界に広がろうとしているそのときに、当の日本が第九条を否定してどうするのでしょうか。歴史を逆行させてはなりません。前文、九条は日本の誇りであります。第九条の旗は、一項、二項を含め、これからも高く掲げ続けるべきであります。
 そのことを改めて強く申し上げ、私の意見といたします。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 以上で意見陳述は終了いたしました。
 午後三時五十五分に再開することとし、休憩いたします。
   午後二時三十三分休憩
     ─────・─────
   午後三時五十六分開会
○会長(関谷勝嗣君) ただいまから憲法調査会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 休憩前の意見陳述を踏まえ、一時間程度意見交換を行いたいと存じます。
 委員の一回の発言時間は五分以内でお願いいたします。
 御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、御意見のある方は挙手をお願いいたします。浅野勝人君。
○浅野勝人君 先ごろ、参議院本会議で新しい防衛計画の大綱についてただした折、私は、アメリカ軍のトランスフォーメーションに関連して、仮に日本からのオペレーションの範囲が極東周辺をはるかに超えて日米安保条約とつじつまが合わなくなったケースについて、次のように述べました。地域的な安全保障の取決めにいつまでも縛られているのは時代後れかなと自問しますが、六〇年安保世代の私どもにはこだわりがどうしても残りますと申し上げました。
 この思想からは、集団的自衛権の行使に慎重でありたいという考え方が生まれます。そうではありますが、現実の国際情勢を無視して一国平和主義に陥るわけにはまいりません。他国のための他国の戦争に加担しない集団的自衛権の行使はあり得ると私は考えます。我が国の平和と安全を脅かす日本有事に密接した重大事態に対処する場合に限って集団的自衛権の行使を認める、厳に必要な限度に絞った限定的な集団的自衛権の行使であります。これについては認めておいた方が国民の生命、財産を守るためにはよいと私は考えます。
 つまり、日本有事は、個別的自衛権によって武力を行使するのが当然のことであります。その外側の日本有事に準じた重大事態には集団的自衛権を行使できることとし、武力の行使はここまでとする。更にその外側は周辺事態法で対処し、武力を伴わない後方支援に徹し、更にその先の世界全域にはPKO及び災害救援の派遣で対応します。
 ただし、例外措置として、国連の安保理又は総会で武力行使の容認が決議され、国連の指揮下で緊急の軍事措置をとる集団安全保障制度が創設されたときには参加できることとすべきです。ここで大事なことは、国連の指揮下での軍事行動ですから、多国籍軍は対象となりません。
 これに関連して、国民の権利と義務の見直しが大きなテーマとなりますが、現行憲法は、権利の主張が多くて義務の指摘が少ないとよく言われます。権利とともに義務を強調することは民主国家の根幹ですから結構ですが、国防と関連する課題については十分慎重でなければなりません。どんなに慎重でも慎重過ぎることはありません。
 もう一つ、現行憲法の欠陥は、地方自治について規定が極めて薄いことです。
 過日、地方自治全般について当調査会で見解を述べさせていただきましたので、今回は重要な点について重ねて申し述べます。
 地方自治は、国民主権、平和主義、基本的人権と並ぶ重要な権利で、地方分権を一層推進し、地域住民が自主的に自らの課題を解決していく社会を築く地方自治を確立する機会にすべきであります。その意味からも、地方自治の本旨とは住民自治と団体自治を意味すべきであることは明らかです。
 もう一つ大事なのは、地方自治体の財政の関連です。地方自治体に課税する権限を付与するだけでなく、責務に応じた必要な財政措置を国が講ずることを憲法に明記しておくべきだと考えます。この場合、条文の上では例えば財政措置という語彙を使うにしても、その意味するところは財源の保障と財政の調整機能であることを確認をしておきたいと存じます。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、簗瀬進君。
○簗瀬進君 お許しいただきましてありがとうございます。平和主義と安全保障について二点ほど、過去の私の発言、若干言い足りなかった部分、不正確な部分がございますので、補足をさせていただきたいと思います。
 まず第一点目、情報平和主義ということでございます。
 我が国の専守防衛という大原則は、侵略戦争に対する厳しい反省や極東にあるという地政学上の観点、さらに資源が乏しくエネルギーが自給できないということの当然の帰結と言うべきであります。このような条件を前提として、平和を目指す新たな国家目標を憲法に明記すべきだと考えます。その際、日本は科学技術を総合し、国境を越えた世界規模の情報交流を活発にし、そして人類の間に存在する誤解と偏見を乗り越えるなど、諸国の先頭に立って、いわゆる情報による平和の創造、すなわち情報平和主義を前文で訴えていくべきものと考えております。
 第二点目は、シビリアンコントロールでございます。
 マスコミ等ではシビリアンコントロールを文民統制と、このように解釈をする、翻訳をすることが通例になっております。しかし、これはかなり狭い訳あるいは狭い解釈であると思っております。軍隊の最高指揮者が非軍人、文民でなければならないというのがいわゆる文民統制の意味でございますが、実はヒトラーもいわゆる軍の最高指導者となったときは文民でございました。
 正に現在的な意味においては、シビリアンコントロールとはもっと広く、すなわち民主的手続によって選ばれた議会の統制に服する、そういう民主的統制として理解されるべきであると、このように、これが現在の通説になっているということを主張したいと思っております。アメリカやドイツのシビリアンコントロールの例などは当調査会でも取り上げられたところでございますけれども、我が国においてもこれらを参考にして、自衛隊に対する民主的統制の原理として、一、戦争の開始、二、戦争の終了、三、戦争の予算、この三点は議会の決定によらなければならないということを憲法上明記すべきであると考えます。
 以上でございます。
○会長(関谷勝嗣君) 魚住裕一郎君。
○魚住裕一郎君 公明党の魚住裕一郎でございます。
 本調査会は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うために設置されました。取り上げられた憲法の論点はそれぞれ重要であります。五年有余の歳月と膨大なエネルギーを費やした調査ではありましたけれども、改めてその議論のレベルの高さを思う次第であります。
 さて、数多い重要なテーマの中でも、二院制と参議院の在り方は、私ども参議院の憲法調査会にとってやはり特別に重いテーマであり、この最後の締めくくり自由討議で再度取り上げたいと思います。
 先月の九日、二院制と参議院の在り方に関する小委員会から報告書が出されました。多くの重要な指摘がなされたわけでありますが、私も強い共感を覚えるものであります。中でも、参議院をどのように選出された議員で構成するかはその最も本質的な問題と考えます。同報告書では次のように述べております。
 多様な民意を反映させるため、参議院の議員構成をどのようにして衆議院とどのような違いを出すかは、二院制にとって根幹となる問題であり、そのためには選挙制度の設計が極めて重要である。また、直接公選制の維持は、両院の一翼を担う一院という立場から譲れない。さらに、参議院は六年間と任期も長く、しかも解散がなく安定しているなどの特質を生かすことが重要。そして、選出の在り方について、衆議院と異なる選挙制度にすること、そのためには政党の側面よりも個人の側面をより重視すべき。一票の較差問題につきましては、是正は喫緊の課題と指摘がございました。
 これらは極めて重要な指摘であり、これからその要件を満たす制度設計を急がねばならないと考えます。なぜなら、現行の参議院の選挙制度は、比例代表選挙のためどうしても政党色が強くなる、都道府県別であるため一票の較差が生じることを避けられないなどの根本的な問題があると思料するからであります。
 したがって、新しく制度設計を考えるポイントといたしまして、多様な民意を反映できるものであること、長く安定した任期にふさわしいものであること、衆議院と異なって政党の側面より個人の側面をより重視するものであること、一票の等しい投票価値を実現するものであることなどを組み入れていくべきであります。
 公明党は、参議院の選挙制度として既にブロック別の大選挙区制を提案をしているところであります。これは、総定数を約一割減の二百二十六とし、現行の都道府県単位の選挙区並びに比例代表を廃止して、全国を広域的な十程度の大選挙区としようとするものであります。
 これは、そのポイントとして、一つ、政党よりもできるだけ個人を重視して、豊かな見識を持った人を幅広く集める。できるだけ顔の見える選挙、人物本位の選挙とし、投票方法は候補者個人名を書く。二、そのためには、都道府県より広い地域、すなわちブロック別を単位とする。そうすれば、角度の異なる多様な人材を集めることが可能となる。三、ブロックは、地理、文化、歴史、経済などの諸事情を総合的に踏まえた地域とする。すなわち、将来の道州制を見据え、道州制と調和的な制度とする。四、ブロックの定数は人口比例で決める。したがって、一票の較差の問題は生じない。五、現行の衆議院選挙制度とも明確に異なるなどの特色を有しているものであり、小委員会報告の指摘するポイントを十分に、また合理的な形で満たすものではないかと考えるものであります。
 ただ、選挙区が非常に広くなりますので、できるだけお金の掛からない制度にしなければならないし、選挙運動の方法などいろいろ工夫は要ると思います。しかしながら、今申し上げたブロック別の大選挙区制は小委員会報告の趣旨にかなうものであり、今後、大いに検討に値するものではないかと考えるものであります。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 岡田直樹君。
○岡田直樹君 ありがとうございます。自由民主党の岡田直樹でございます。
 冒頭、我が党の新憲法起草委員会の各小委員会の要綱が説明されましたが、これをもって復古調の憲法改正ではないかと、こういうふうに論評する人が、ごく一部であると思いますけれども、あるようでありますので、一言申し上げたいと思います。
 そもそも、この復古調という言葉は一種の魔法の言葉のようなものだなと思ってきました。というのは、戦後、いわゆる進歩派と呼ばれた人たちが、自分の気に食わない論議を聞くと復古調とかあるいは保守反動といったレッテルを張ってきた。今日、この復古調という言葉自体が何か古色蒼然というかアナクロというか、ちょっと昔懐かしいような、そういう感じも受けるわけであります。まあしかし、今でも使う人がおられるわけであります。
 自分が携わった前文について申し上げますと、自然、国土、歴史、文化、こういう国の成り立ちについて記述すると、もう復古調だと言われるわけであります。しかし、私たちのアイデンティティーについて述べることがどこが復古調なのかなと、こう理解に苦しむわけです。世界的に見ても、前文にそうした歴史や伝統を書いている国は多い。中国も、中華人民共和国は世界で最も長い歴史を誇る国である、こうした趣旨のことを書いております。
 それから、天皇について前文で記述しますと、これまた復古調だと言われるんですけれども、要綱では、日本国民が国民統合の象徴たる天皇とともに歴史を刻んできたと、こうなっております。日本の歴史の大部分は、天皇が政治権力と切り離されて精神的なよりどころであると、こういう歴史でありました。今日の象徴天皇制もそうでありますし、世界的にこれは誇れる国柄ではないかと思います。世界的にも、イギリスとかスウェーデンとか、ヨーロッパの君主国というのはいずれも世界で最も民主的な先進国でありますし、国民とともにある天皇を前文に書くということは少しも復古調ではないと、こういうふうに信じております。
 また、自由、民主、人権、平和の、国を愛し、その独立を堅持するというのが要綱にあるんですけれども、これも国を愛しというところだけとらまえて愛国心を強制すると、こういう御批判があります。しかし、私たちが愛するのは国家そのものというよりも、むしろその国家が保障する自由であり、民主であり、人権であり、平和であり、そういった理念なんです。価値観なんです。ですから、言い換えれば、国民が愛するに値する国でなければならない、いや、守るに値する国家でなければならないという、こういう責務を国に負わせるものだとも思っております。そして、もし自由と民主主義の国が万一侵されるようなことがあるならば、身をもってこれを守るということは皆さん御異論のないところだと思います。
 日本だけではなくて、この地球上いずこにおいても人権侵害や圧政を許さないという決意、積極的平和主義というものもこの前文の要綱にうたっております。決して全体として復古調ではなくて、日本の歴史の中で守るべきものは守って、しかし改めるべきものは改める、そして未来を見据えて、伝統を尊重しながらも未来志向の憲法をつくっていきたい、これが私の考えであり、また我が党の大方の考えでもあると、こういうふうに申し上げたいと思います。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 高嶋良充君。
○高嶋良充君 討論の最後の場で発言の機会を与えていただきましたことを感謝を申し上げます。
 と申しますのは、私は憲法調査会が発足をいたしましたちょうど五年前の最初のフリートーキングのときにも発言をさせていただいたからでございます。そのときに、調査会の皆さん方に次の三点について御要望を申し上げました。
 まず第一は、憲法の国民主権、人権尊重、平和主義の基本理念は、大多数の国民が支持をし、日本が国際社会の一員として生きる指針となってきた。今日の日本が世界から信頼を得ているのは現憲法の果たした功績が大きいんではないかと。この調査会では、現憲法の今日までの検証と総括というのをじっくりと時間を掛けてやっていただきたい。
 二点目は、近年の新しい課題、つまり地球環境の問題、地方分権の必要性、知る権利やプライバシー権という新しい人権と言われる部分について、憲法を変えなければならないのか、それとも憲法以外の法律に問題があるのか、あるいは行政の在り方に問題があるのかということを洗いざらい調査をしていただきたい。
 三点目に、憲法論議は国民の理解と支持なしには上滑りをしてしまう。院内だけの議論ではなくて、国民の中に入って、調査会も地方を巡って国民と議論できる場を是非つくっていただきたい。
 この三点を御要望したわけでございます。
 あれからちょうど五年、調査会もいったん閉じられようとしているわけでありますけれども、私なりに総括をさせていただくと、まず一番目に御要望申し上げました憲法の検証と総括では、先ほども浜四津委員からも御意見がありましたとおり、憲法三原則を始めとしてその評価が再確認をされたことについては一定評価をしたいというふうに思っております。
 しかし、二番目の情勢の変化に基づく新しい人権や課題の問題につきましては、これは憲法を変える、変えなければならないという意見が非常に多かったというふうに思っております。しかし、本当に憲法を変えなければこれらの新しい課題が達成されないのかということには私は若干疑問を抱くものでございまして、これはまず私から申し上げますと、例えばの話でございますけれども、知る権利一つを取ってみても、現在ある情報公開法に知る権利ということを明記をすれば憲法十三条に基づく憲法上の権利は保障されるんではないか、わざわざ憲法を改正する必要がないんではないかというふうに思っているわけでありまして、このようにまずシステムを変える努力を行った後に、憲法を改正をしなければならないかどうかというその是非を判断をすべきではないか、そのための議論をまだまだ続けていただきたいなというふうに思っているところであります。
 三番目の問題は、最大の問題でございます。先ほどからも同僚議員からも出されました、国民の理解と支持が得られているかどうかという問題であります。
 残念ながら、現状では国民の関心は非常に低いと言わざるを得ないというふうに思っております。評論家やマスコミでは、ふろの湯だというふうにも言われているわけでございます。上は熱いけれども、下は全く冷めている、永田町では熱く燃えているけれども、国民の皆さん方のところでは全く冷めたままで憲法論議などされていないということだろうというふうに思っています。これでは憲法議論は上滑りをしているという証拠ではないかというふうに思っているわけであります。
 もし今、国民投票をやればさんざんな投票率になるんではないかというふうに危惧をしているところでございまして、国民的な関心と共通認識をつくるためにも国民に信頼を持たれるような議論をもっともっと続けていくべきではないか。そういう意味では、新たな枠組みになるかどうか別にして、調査会を継続をいただきますことを御要望申し上げておきたいと思います。
○会長(関谷勝嗣君) 仁比聡平君。
○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。
 当調査会の調査報告書事務局整理案が示され、現在、幹事会打合会において作業が進められていますが、拝見して一点だけ意見を申し上げたいと思います。
 それは、整理案全体を通じて、ただ一つ九条に関してのみ、集団的自衛権を認めることの是非、集団的自衛権を憲法に明記することの是非、シビリアンコントロールを明記する必要性、そして緊急・非常事態法制について憲法に規定を置くことの是非、この以上の四項目が表題ないし項目としてあたかも当調査会のテーマであるかのように掲げられている点です。
 そのそれぞれの問題について当調査会で様々な立場から現状認識や意見が述べられ、その中で改正の必要性に及ぶものがあることは私も承知をしていますが、それは他の問題についても同様です。改憲論の焦点が九条にあることが明らかになる中で、殊更、九条関連についてのみそういった論点を立てて整理をすることは、当調査会が設置の目的と任務に反し、改憲に向けての論点整理の場に変質することにほかなりません。
 憲法調査会の設置の経過を振り返りますと、九七年五月、我が党と社民党を除く各党国会議員で構成する憲法制度調査委員会設置推進議員連盟の発足が端緒となりました。議連設立趣意書は、委員会の設置を新時代の憲法について議論を行う絶好の機会と位置付け、改憲論議の場を国会内につくろうとするものでした。しかし、実際に国会に設置された憲法調査会は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うことを目的とし、議案提出権を持たない、つまりあれこれの結論を求めない調査任務に限定した機関となりました。
 このように当調査会は、改憲を論議、検討したり、方向性を求めるような場ではありません。政党として、あるいは委員個人として様々な改憲の考えを持ったとしても、憲法調査会として行う調査は調査会の目的、性格に基づくものでなければなりません。
 調査会規程は、調査を終えたときは、調査の経過及び結果を記載した報告書を作成し、議長に提出すると定めています。この規程に照らせば、一定の方向性を持たせるような報告書を作成することは元々許されません。したがって、事務局整理案が現行憲法の改正の是非というテーマを立て、調査内容を整理をすることは、事実上の改憲に向けた論点整理にほかならず、調査会規程さえ逸脱するものです。幹事会打合会において、当調査会の任務にふさわしい議論と作業が行われることを強く期待をするものです。
 また、この調査会の任務に照らせば、報告書の議長への提出をもって任務は終了します。この点で、憲法改正国民投票法についての議論を続行すべきとの意見が本日もありました。また、調査会に議案提出権を持たせるべきとの意見も報じられています。しかし、我が党は、今取りざたされている憲法改正国民投票法の制定には強く反対をするものです。なぜなら、これは日本を海外で戦争する国につくり替える、九条改憲を進める手続を定めることを目的としたものであり、その意味で改憲への地ならしにほかならないからです。
 多くの国民はこのような改憲に反対しています。私たち国会議員が今力を注ぐべきは、この国民の声に真摯に耳を傾け、憲法をいかに生かすかを真剣に考えることです。それこそが全国民の代表として憲法を論じ、憲法にかかわる私たち国会議員の憲法尊重擁護義務の重みにかなうものではないでしょうか。
 この点で、国民投票法がないことが立法不作為であるとの議論が一部にあります。しかし、立法不作為というのは、法の不整備により国民の具体的権利侵害があるときに問題とされるものです。
 今、国民の憲法改正権が侵害されているから国民投票法制定を求めるという世論が国民の中から起こっているでしょうか。ほうはいと沸き起こる声は改憲ではなく、憲法を守れの声であり、国民投票法制定反対の声であります。これは、憲法は一体だれのものかという問題でもあります。
 国民が制定の必要性を認めない中で国会の怠慢という議論は当たりません。むしろ、改憲を求める国会議員が立法不作為論を唱えるのは、改憲をねらう自らの動きの根拠とし、あるいは改憲への政治的雰囲気づくりをねらうものと批判されても仕方ないことかと思います。
 私は、この間の議論を通じて、私たちの憲法が六十年の歴史を経て、国民一人一人の生き方の中に生かされ、その値打ちを発揮していることを改めて確信をいたしました。これを守り、生かすために一層の力を尽くす決意を申し上げ、意見とします。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 森元恒雄君。
○森元恒雄君 今日の締めくくり討議の中で、民主党の議員の方から九条に関しての認識あるいは改正の意見が述べられました。それに対して我が党の委員からも、思わずというか、拍手が出ました。
 私は最近になってこの調査会メンバーに加わらさせていただいたわけですけれども、この五年の議論の中で、憲法改正の一つの柱といいますか論点である九条について、党の垣根を越えて認識を同じくしつつある、そしてまた、改正の方向についてもほとんど重なり合うような形で意見が進んできたということについて一種の感慨を覚えるものでございます。
 この後、具体的な作業をどう進めていくかというのはこれからの問題でありますが、確かに憲法改正のポイントの一つは九条であると私は思いますが、やはりこの際、私自身の意見としては、そういう部分改正ではなく、もし改正を国民に問うということであれば全文改正をするのが望ましいんじゃないかというふうに考えております。
 それはなぜかと申しますと、昨今、日本の社会に大変危惧、懸念、将来に対して懸念する現象がいろんな面で現れているというふうに私は思っております。例えば、来年が日本の人口のピークで、その後は限りなく今のままでいけば減少が続きます。これは、仮に特殊出生率が歯止めが掛かったとしても人口減少は避けられないと。正に国の基盤そのものが揺るぎつつあるという状況であります。
 また、若い人たちの、これは単に教育について、例えば学力の問題とか体力の問題にとどまらず、私は、より根源的には意識、精神構造、人生観そのものが少し緩んでいるんではないかと。世界の若い同世代の人たちとの意識構造の調査結果を見ましても、そこには自分の人生に対して、あるいは将来に対して、あるいは社会に対して前向きに、積極的に、果敢に挑戦しながらこの生を、生命を終える、いつか死を迎えるであろう自分の人生を掛け替えのないものとして全うしようと、そういう気概がうかがえない今そういう人たちが非常に増えている。そのことが、昨今のフリーターであるとかニートであるとかパラサイトシングルであるとか、そういうことにつながっておるんではないかなというふうに思います。
 ほかにもいろいろ問題がございますが、なぜそういうことになってきたんだろうかということを考えたときに、これまた原因は様々あろうかと思いますけれども、私は、やっぱり一つの大きなものは、この日本の制度の根幹を形作っている憲法そのものにあるんではないかと。
 戦後、アメリカの占領下の下で制定された憲法が、やはり日本の国柄、日本人のレーゾンデートルに依拠しない、いかにも何か普遍的な原理の下につくられておると。そのことは大変結構ですけれども、一歩下がって考えてみますと、それはあたかも根なし草のような状態になっている。自分の立っているよりどころ、心、精神のよりどころがなくしてどうしてしっかりとした物の考え方ができるだろうかとかねがね思っておりました。
 そういう意味で、やっぱりこの際、自分たちの手で、自らの歴史の上に立って、そしてこの日本の国情、日本人の精神に合った憲法を是非つくり上げたいものだと、こういうふうに思うものでございまして、せっかくここまで議論積み重ねてきたものが具体的な形として結実する方向で更に議論が深められる場を是非つくっていただきたいと、そういう希望を申し上げて、終わりたいと思います。
○会長(関谷勝嗣君) 鈴木寛君。
○鈴木寛君 民主党・新緑風会の鈴木寛でございます。
 私が申し上げたいことは、本当にこの憲法調査会で議論してきたことを国民の皆様方にいかに理解、要するに、憲法を議論すると、憲法を国民の皆さんと一緒につくるということについての理解と支持をいかに得ていくかと、このことが非常に重要であるということを最終回に当たりまして強調させていただきたいと思います。
 その原因をいろいろ考えますに、やはり、ここでの議論がそうであるということは申し上げませんが、国民の皆様方には依然として旧態依然たる復古的左右のイデオロギー論争が行われているかに報じられている実態が、そういった要素も私は反省すべき点もあろうかと思いますが、ことにあるんだろうというふうに思います。
 この点は、私も、先ほどの委員の御発言にございましたが、伝統や歴史を大事にすること、これを私は復古と思いませんと。むしろ文化多元主義の中で個人のアイデンティティー、そして社会のアイデンティティー、そして国家のアイデンティティーということをきちっと確立をし、更にそれを高めていくという行動は、情報文化社会において極めて重要な議論だというふうに思っておりますし、そのコミュニティーの象徴を議論するということもその方向にかなうんだろうと思います。
 しかし、依然として復古という言葉がぬぐい切れないのは、やはりそれには改善すべき点があるということも謙虚に受け止めなければならない。その私は本質は、この復古という言葉は私は左右両方に向けられる言葉だということはまず一点指摘をしたいと思いますが、加えて、この旧態依然たる議論を払拭するためには、やはり来るべき次なる目指すべき社会像ということについての議論が更に深められるということが非常に重要だと思います。
 国民の皆様方がなぜ燃え上がらないのかと。それは、今国民の皆様方が日々の日常で直面しておられる、あるいは将来直面するであろう諸課題に対して国家というシステムあるいは政府というシステムが十分にこたえ切っていない、あるいはこたえてくれるというこの可能性が減少しつつあると。したがって、この国民の皆様方の熱というものがなかなか高まっていかないという現実は我々率直に受け止めるべきだろうというふうに思っておりまして、正に、その大量生産、そして戦争による大量破壊、そして政府の仕事というのは富の再配分であるという経済至上主義あるいは富国強兵的国家万能主義というものを超えていくと。
 そして、人間の尊厳が大事にされ、そして人々の連帯が、そして連帯した人々のコミュニケーションあるいは共生、コラボレーションという新しい社会創造に向けたアクティビティーをこの憲法制定、新憲法制定の議論とともに起こしていくんだというメッセージを我々は国民の皆様方に御理解いただけるまで発し続けなければならないということを私は申し上げたいと思いますし、と同時に、実はこの尊厳あるいは連帯、共生、コラボレーションというのはアジア的世界観と極めて通ずるところがあって、そして我々日本の伝統でもあります、その私は伝統というのはすべて踏襲したらいいわけではありませんが、数多くある伝統の中で最善なるものは生かし、そしてそれを発展させていったらいいと思いますが、その中の一つに、和を大事にする、あるいは共生、あるいは正にやおよろずの神あるいは多神教的な物の考え方に基づいて、すべての存在に、生けとし生けるものに生きる価値があるんだと。
 こうした日本的あるいはアジア的世界観というものが、実は二十一世紀の正にポストモダン時代をつくる極めて重要な物の考え方であり思想であり、そしてそれを踏襲している我々が、他の、モダンソサエティーは欧米がつくってきました、しかし、ポストモダンは我々アジアが、もちろん世界じゅうの人々と共同してつくっていくんだと、その先頭に我々が立っていくんだと。ヨーロッパもそういった方向に半歩踏み出しております。
 そうした面々と正にコラボレーションしながら、その思想と構想と実践を世界に広げていくという決意を御理解をいただけるまで発信をしていく、そしてメディアの皆様方にも、あるいは研究者の皆様方にも、そしていろいろなNPO活動、NGO活動やっておられる皆様方にも御協力を求め続けていくということが極めて重要なんだろうということを最後に申し上げさせていただきたいと思います。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 山下栄一君。
○山下栄一君 私は何度か憲法と教育基本法との関係の私自身の考え方を申してまいりました。今、憲法論議が非常に、調査会も大詰めでございますが、各党も大きなまとめの段階に入ってきているという、もうそういう政党もあるわけです。並行して、教育基本法の改正の議論も盛んでございます。
 そこで、もう一度確認の意味で今日は所感を述べたいと思います。
 昭和二十二年の三月に教育基本法ができるわけですけれども、その前年の十一月三日に憲法が公布されているわけでございます。したがって、それを受けて、昭和二十二年、日本国憲法の公布を受けて、昭和二十二年の三月に衆議院と貴族院でそれぞれ教育基本法の制定の審議をやったわけですけれども、当時言われておりました基本的な、当時の高橋文部大臣や、また当時の文部省の起草に当たった方々がおっしゃっていることは、この教育基本法というのは既に失効した教育勅語に代わる教育宣言という役割、それは新たに公布された日本国憲法との関連して教育上の基本原則を明示する。いわゆるそういう基本原則を明らかにするという役割、教育勅語に代わる教育宣言的なものと、それと教育にかかわる憲法的な基本原則、これを示すということが大きな目的だったと、こういうことが言われておるわけです。
 実際、教育基本法は十一条しかございませんけれども、見ましても、一条、二条は日本国憲法の精神にのっとった理念、目的を明らかにすると。三条以下はそれぞれ憲法にのっとって、二十六条、教育を受ける権利、二十三条の学問の自由、また十九条の思想信条の自由、二十条の信教の自由、そういう関連で条文が作られておりまして、したがいまして、日本国憲法と教育基本法というのは本当に不可分一体のものとしてでき上がっているわけです。
 今回、今教育基本法改正をどうするかということで、今もニートの話もございましたけれども、教育が非常に根幹が崩れつつあると。学校教育もそうだし、家庭教育も地域の教育力もどんどん衰弱しているという中で、もう一度教育の基本に立ち返った議論が必要であるということが言われているわけですけれども、その中で、この教育基本法を改正するとしたらどんな姿にするかという場合に、そういう現行の教育基本法のそういう憲法条項にのっとったものにするのか、それとも生涯学習やまた学校教育基本法みたいなものというふうな性格を変えてしまうのかという、そういうことが非常に大きな論点ではないかなというふうに理解しております。
 そういう意味で、私は、各、それぞれの、教育というのは学校教育だけじゃございませんけれども、日本は非常に学校教育に偏した、教育といえば学校教育みたいなとらえ方があるわけですけれども、社会教育の在り方なんかも非常に議論が弱いですし、社会教育とは一体何なのかと。
 また、生涯学習という理念を、これは昭和二十年代当時はなかったものですので、そういう考え方、また人権にかかわる考え方、世界の趨勢から見て教育先進国としてどのような姿がいいのかという、そういう大きな視点に立った議論が必要だとは思いますけれども、そういう基本的な考え方をよくわきまえた上で議論する必要があるのではないかと。本来の現行の教育基本法の性格をよく分かった上で、それを根本的に変えるのかどうするのかということを問われているなということを非常に感じております。
 特に、日本国憲法の精神というのは何なんですかと。先ほどから議論されておりますように、やはり私は、三大原則といいますか、国民主権、そして基本的人権の尊重、恒久平和主義、これがやっぱり基本原則でなきゃならない。そういうふうな基本原則以外のものを付け加えるのかどうかという、これがまた憲法改正の中で憲法の前文をどうするかということと同時に議論されなきゃならないというふうに思うわけです。
 基本的には、三大原則はこれはもう不変のものですねということは大体理解されているというふうに思いますけれども、それプラス何か付け加えるのかということ、その関連で教育基本法も議論されなきゃならないというふうに思います。
 特に義務と権利の関係、私は、いろいろ議論ございますけれども、基本的人権はあっても基本的義務なんというようなことは余り言われないわけで、教育、人権のカタログと同時に義務のカタログを作るみたいなことは、ちょっと本来の近代憲法、立憲主義の精神と反するのではないかと。やはり憲法の人権と、立法、行政、司法の国家権力というか、三権との関係で基本的人権があるという位置付けで憲法というのは本来考えるべきものであると思いますので、余り義務を羅列するみたいなことは本来の憲法の姿ではないと。これが憲法の、基本的な憲法観でなきゃならないというふうに思っております。
 そういうことを確認させていただきまして、意見表明を終わりたいと思います。
○会長(関谷勝嗣君) 北川イッセイ君。
○北川イッセイ君 ありがとうございます。
 私の個人的な意見ということで若干意見を申し上げたい、こういうふうに思います。
 まず第一に、地方分権の話でございます。
 この調査会におきましても、地方分権ということについては進めなければいけないということでほぼ一致しているんじゃないかなというような思いがします。そしてまた、国と地方の役割の分担、これもしっかりと明確にしていかなければいけない、そういう意見が大変多いようであります。しかし、その一方において、国と地方の関係を、地方分権を進めるについて補完的な、補完原則というか、国が地方を補完していくという考え方もまた一方に主張される方があるわけです。
 これは、地方分権というのは、地方自治というのは、これは自己決定、自己責任という、これが原則でありますから、この補完ということとはこれちょっと相入れないものがあるんじゃないかなというような思いがしてならないわけでございます。国は一体何をするのか、地方は何をするのかという、そういう役割分担をきっちり明確に決めていく必要があると私は思います。その中で、基礎的な自治体、市町村、いろんな市町村、自治体があるわけです。自分でなかなか自己決定、自己責任というところまでいかないというような、そういう自治体もあるかもしれません。また、財政が非常に弱いと、こういうような自治体もあります。
 これはやっぱりどうしても補完してやらなければいけないということであれば、これはその中間自治体である都道府県、これをもっと力の強い道州制というか、そういうふうな形にして、そして地方は地方同士で補完していくということが本当の地方分権という意味で大事なことじゃないかな、そして国と地方の役割分担をきっちり付けていくというような形で、そういう意味において、私は、この新しい憲法をつくる場合には是非ともその道州制というものをこの憲法の中にうたっていただけないかなというような思いがいたしております。
 それともう一つ、地方分権で、今現在公務員の厚遇の問題とか、以前は議員のそういうような問題もありました。いろんな問題が出ているわけです。これをチェックする機能というのは、地方自治体にあってはそういう監査制度、監査委員の制度があるわけです。ところが、この監査委員の制度というのが本当に機能していないということがこれは現実問題としてあると思うんです。
 私は、地域住民とそれから地方自治体のこの信頼関係というのは、これはもうその地方政治の基本の問題ですから、これをおろそかにすることはできない。この監査制度というものをしっかりとできると、公正な監査活動というものを担保するというようなこともやはり考えなければいけないんじゃないかというような思いがします。今の監査制度でどうしてもいけないということであるならば、これは制度に基づく例えばオンブズマン制度ですとか、そういうようなものをしっかりと根付かしていくというようなことも考えなければならないというようなことを考えます。
 それからもう一つ、次に二院制と参議院の在り方についての問題です。
 私は、二院制の堅持、あるいは参議院についても直接選挙を堅持しなければいけない、また衆議院の優越性というようなことについても私は賛成です。しかし、率直に言って、私が初めて昨年参議院に出していただいて率直に感じたことは、一回予算の、この本会議、今回の本会議をずっと進める中で、その予算というものが、この憲法六十条によって衆議院のその予算先議権があって、参議院で幾ら何を言っても三十日たったら自然成立してしまうと。これは予算と条約もあるわけですけれども、そういうような形に非常にむなしさを感じて仕方がない。
 よく考えてみたら、まあ参議院不要論とか、あるいは一院制の問題ですとか、国民の中にそういう感情があるとすれば、この条項が予算、条約については、これは衆議院だけで決められるということについて非常に参議院に対する不満、不信というものがあるんじゃないかなというような思いがしてならないんです。
 私は、これはもう私の勝手な考えですけど、この予算というものは単年度予算ですけども、これは長期に及んでいくわけです。来年もこれを踏襲してやっていく、その次もまた踏襲してやっていくと、これが現実なんです。ということを考えますと、長期的な展望に立って物事を審議していく、考えていく、こういうことも非常に大事じゃないかなというような思いがします。
 そういう中で、私は、むしろ衆議院先議じゃなしに参議院先議にして、そして審議期間は三十日なら三十日というような形で期限を切って、これは今のこの六十条あるいは六十一条にありますように、三十日たったら勝手に成立すると、こういうことですから、三十日たって議決ができないんならできないままで衆議院の審議に入る、あるいは衆議院に送るというような形でもいいと思うんです。そういう形で、むしろ参議院が先、基本的な、長期的な展望に立った審議をして、それを参考にして衆議院で予算審議を行うというのが本当に実のある審議になるんじゃないかなというような思いがしてなりません。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 喜納昌吉君。
○喜納昌吉君 今年は日露戦争百年であります。当時の日本は、日露戦争を境に軍閥が台頭し、日本国家をむしばむ勢力となり始めました。軍閥は日本の国家を守るということで大きく勢力を伸ばし、その考えに従って学校教育も道徳もすべて組み立てられていったのです。その結果、第二次世界大戦に突入し、その延長線上にある現在の日本国憲法がアメリカから押し付けられたという自民党の改正議論が先行しているような気がします。
 アメリカ合衆国北部に、FBIも踏み込めず、自前のパスポートを発行するインディアンの独立国、イロコイ連邦があります。十二世紀に形作られたイロコイ連邦は、徹底した平和主義と全員一致原則の民主制を確立しており、フランクリンやジェファーソンなど、十八世紀後半のアメリカ建国の立て役者たちに大きな影響を与え、合衆国憲法の源流はイロコイ民主制に原型があると言われています。また、フェミニズム、エコロジーなど近現代の代表的思潮もイロコイ社会に源流を見ることができます。日本国憲法制定の本質は、アメリカ先住民から継承されたものが濃いのです。
 現在の日本が抱える問題は、竹島、尖閣列島、北方領土、靖国問題、拉致問題など、すべてが歴史問題です。我々は、アメリカの憲法の歴史を見極め、日本国憲法の歴史を見極めることによって、現在の変わりつつある安全保障環境を見極める力を持つことができるようになることでしょう。そのかなめとなる憲法については、慌てずじっくり議論を深めていく必要があると思います。
 まず、米国による押し付け憲法だから改憲しなければならないと言う者は、今、米国から、集団的自衛権、まあ事実上は日米合同軍事展開確保のために改憲が必要と、米国の外圧で物を言っているのではないか、つまり改憲必要論も米国の押し付けの要素が濃厚だということです。
 憲法九条は、日本軍侵略によって幾多のアジア人、日本人の命が失われたこと、また広島、長崎への原爆投下という悲劇によって生まれた。開戦した軍国主義を反省せずに改憲論を叫ぶのは筋違いではないかと思います。米国が主張する人道、人権を守るため戦おうとか、民主化のために圧政を倒す、国際テロリズムの温床をつぶすといった先制攻撃論に根差す正しい戦争の論拠は乏しい。だれが正しいと公平な立場で証明できるのか、それは極めて難しい。米軍が正しい戦争だと主張して世界じゅうの戦争をしたい国、地域に攻撃を仕掛ける場合、自衛隊は現在の英軍のように米軍に従って出動することにならないか、これが想定できる最も危険な局面と思います。したがって、百年後の日本のために、安易に憲法九条を変えようなどと主張するのは非常に危険だと私は思っています。
 どうもありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 前川清成君。
○前川清成君 民主党の前川清成です。
 舛添委員の御提案に異論を申し上げたいと、こういうふうに思います。
 といいますのも、舛添委員から、基本的人権の限界を画する公共の福祉という概念に関して、公益あるいは公共の秩序という言葉に書き換えるべきではないかという御発言があったからです。この点は極めて自民党的な憲法改正論だと私は感じました。
 公共の福祉の解釈として、天皇機関説を唱えたことによって東大を追われた美濃部達吉博士も同様に公益だと主張しておられましたが、全く克服され、過去の学説になっています。
 もちろん、基本的人権は決して無制限に保障されたものではありません。Aさんによる表現の自由の行使はBさんのプライバシーを侵害するおそれがあります。Cさんの生存権を保障するためにはDさんの財産権を制限しなければならないこともあります。その意味で人権相互の調整が必要になりますが、現行憲法に言う公共の福祉とは人権の相互調整を意味すると通説は理解しています。
 もしも基本的人権は公益に反しない限りでのみ保障されると改正してしまったならば、明治憲法下での法律の留保付きの人権保障のレベルまで後戻りしてしまい、近代憲法的な基本的人権の保障は立ち所に吹っ飛んでしまいます。なぜならば、基本的人権は多数決原理によって成立する法律によっても侵害されないところにその本質があります。公益、すなわち多数者の利益に反してでも人間の尊厳を確保するため最低限侵害されてはならない私的な利益こそ基本的人権です。多数者の意思、これは民主主義が正しく機能している限り、国家の意思として法形式的には法律として表現されますが、この多数者意思、すなわち公に対して人間の尊厳を確保するため私の権利を保障することこそ憲法が制定された理由があります。
 ですから、憲法という法は決して価値中立的な法ではありません。基本的人権を擁護するため、多年にわたる人類の努力の成果が憲法です。この本質を大事にしてまいりたいと私たちは考えております。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 富岡由紀夫君。
○富岡由紀夫君 ありがとうございます。
 憲法調査会の最後のまとめということで、私の最後の考えを述べさせていただきたいと思います。
 憲法調査会の意義というか目的について、改めて私は確認したいと思っております。憲法の一つ一つの条文についていろいろ議論ももちろん必要でございますけれども、最大の目的は何かということでございます。それは、やっぱり何といっても国民生活の在り方、憲法を通して日本国の在り方、これはどうあるべきか、そしてそれをどう実現していくべきか、これが議論されることだというふうに思っております。憲法を通して日本の在り方を議論できるという意味で、憲法調査会でのこの議論というのは大変意義が深いものだというふうに考えております。
 その中で、やっぱりどうしても、どういうものを実現していくかということでございますけれども、これはもう皆さんも十分御存じのとおり、平和主義の実現、そして国際平和の実現をどういうふうに日本は考えていくべきか、そしてそれをどうやって実現していくべきか。基本的人権、国民主権、これも同様でございます。これらを絶対に基本的な考えを曲げないでやっていきたいというふうに思っております。
 そして、私は、日本国憲法を議論する中で日本の在り方を議論するわけでございますけれども、何をベースに置くべきかというふうに考えましたところ、私は三つあると思っております。
 まず第一は、安心して暮らせる社会、これがやっぱり一番大きな原則の一つだというふうに思っております。今非常に犯罪が多くて、そして老後の社会保障の問題、年金の問題、安心して暮らせる状況にはございません。安心して暮らせる社会を実現するためにはどうしたらいいのか、これをまず第一に考えるべきだと思います。
 そして二つ目は、平和主義の実現です。これは、日本の平和だけじゃなくて、国際的な平和をやはりどうやって日本は国際社会の中で実現していくべきか、これを十分考えていく必要があると思っております。世界じゅうにはまだまだ飢えとか戦争、そして紛争に巻き込まれている人がたくさんいます。圧迫と偏狭、恐怖と欠乏、これらのものからどうやって人類が逃れることができるのか、それをどうやったら目指すことができるのか、これを日本の立場をしっかりと踏まえた上で議論すべきだと思っております。
 そしてもう一つ、私は、今日本の国内で失われているものの一つとして、やはり夢と希望を持てない状況だと思っております。特に若者、そして子供たちが将来に夢と希望を持てる社会をどうやって実現すべきか、これをやっぱり憲法議論の中で日本の在り方を考える中でとらえていくべきだと思っております。若者が努力すれば必ず結果が付いてくる、将来に展望が持てる、このような社会を私は憲法議論を通じて行っていくべきだと思っております。
 安心して暮らせる社会の実現、そして平和主義の実現、夢と希望を持てる社会の実現、これらを国民の間で十分議論をすべきだと思っております。間違っても、最高裁判所の裁判官の審査のように、国民が十分その内容を分からないでマル・バツを付ける、当否を付けるような形で憲法改正に入るべきではないと思っております。
 大前提といたしまして国の在り方があるんですけれども、国民の皆さんがそれを十分熟知した上で憲法改正に入るべきだと思っております。何よりもみんなが、国民みんなが関心を持って議論した後に憲法の改正については考えたいというふうに思っております。国の在り方を議論する上でこの憲法調査会は非常に意義がある調査会だというふうに思っております。
 大変ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 予定いたしました時刻は参りましたが、又市征治君、それから舛添要一君。
 又市君。
○又市征治君 社会民主党・護憲連合の又市征治です。
 先ほど近藤委員から発言をしましたとおり、この調査会は憲法の尊重擁護を義務とする国会議員による会議であったわけでありますから、現行憲法の理念の実現、それに対する障害を取り除くための調査をするという姿勢が不十分であったとの感が否めません。また、調査という当初の限定を逸脱をして、憲法改正が必要だという結論を急ぐ論があることも極めて遺憾であります。
 第二に、我が党の意見全体は憲法をめぐる論議についての論点整理でお示ししましたので、ここでは憲法と近隣アジア諸国との関係に絞って一言述べたいと思います。
 憲法前文と第九条は、第二次世界大戦の深刻な反省の上にできたものであり、言わば日本の外交の基本方針と言っても過言ではありません。これによって、日本は戦後六十年間、アジア諸国との間に安心と信頼の関係を構築をしてきたと言えます。
 しかし、最近はどうか。例えば、今年は日韓友情年と命名し、両国が最も良好な関係を築こうというはずでしたけれども、直接的には竹島の領有権問題や歴史教科書問題をきっかけに、韓国の盧武鉉大統領が三月二十三日、談話を発表し、日本が侵略と支配の歴史を正当化し、再び覇権主義を貫徹しようという意図をこれ以上黙って見ているわけにはいかなくなったと批判をし、次いで、韓国の国連大使が日本の安保常任理事国入りに反対の意向を表明するまで悪化をしています。
 また、中国との関係も、小泉首相の靖国神社参拝や歴史認識をめぐって首脳の相互訪問は二〇〇一年十月以来途絶えたままですし、最近では反日運動が非常に強まってきている、こういう経過にあります。
 これらの背景には、相次ぐ有事法制の強行、あるいはイラクの多国籍軍への自衛隊の派遣、武器輸出緩和の動きなど、日本が平和憲法を捨てて戦争のできる国に向かって憲法改正論議を重ねているんではないのか、こうしたアジア諸国の警戒心があることは明らかであります。これは、日本による植民地支配また侵略を受けた国としては当然の反発でありますし、我々が憲法前文及び第九条に忠実である限りは起こらなかった事態とも言えることだろうと思います。このようなアジア諸国との憂慮すべき関係の改善をこそ、当調査会のみならず全国会議員が留意すべきことではないか、このように考えます。
 第三に、最終報告の取りまとめについては、憲法調査会は議案提出権がないという両院の議運委員会の理事会の申合せや、改憲を目指すものではないという憲法調査会の設置の際の趣旨を踏まえて、五年間の調査の経過と結果について報告すべきものであり、一定の方向付けや今後の取扱いを示すという方向については私どもは反対の意向を明確にしておきたいと思います。
 したがって、また、最終報告の後は本調査会を解散をし、憲法理念の実現を目指す国会内外、広く国民の様々な論議と実践の場に我々国会議員も参加をしていくべきであるということを申し上げ、意見表明を終わりたいと思います。
○会長(関谷勝嗣君) 舛添要一君。
○舛添要一君 済みません。時間が来ていますが、先ほど前川委員の御発言で若干誤解があるといけませんので正しておきたいと思います。
 まず、私の意見ではなくて、これは党の意見を代表して申し上げるという立場から申し上げたことと、時間がございませんでしたので簡潔に申し上げましたけれども、正確に申し上げますと、現行の公共の福祉という概念が一般の人にあいまいではないかという問題意識でございまして、個人の権利を相互に調整する概念として、又は国家の安全と社会秩序を維持する概念として明確に記述すべきであるという意見であります。
 それから、公共の福祉の概念をより明確にするために、公益あるいは公の秩序などの文言に置き換えてはどうかと。だから、もっといい言葉があれば、それは置き換えればいいわけであります。
 それから、「すべて国民は、個人として尊重される。」に加えて、自己の尊厳を保持しなければならないということも追加したいと。ただ、この自己の尊厳というのは前文に書いてもいいんではないかなと。
 そういう感じで、党の意見を御紹介いたしましたんで、特に個人の権利を相互に調整する概念としてということは十分議論をした上での発言でございますので、付け加えでございますけれども、申し上げさせていただきます。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 前川君もいろいろ御意見おありでしょうが、時間が過ぎておりますので、ここで本日の意見交換は終わらせていただきたいと思います。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後五時一分散会

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