第163回国会 参議院憲法調査会 第2号


平成十七年十月十二日(水曜日)
   午後一時開会
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   委員の異動
 十月十一日
    辞任         補欠選任
     鈴木  寛君     岩本  司君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         関谷 勝嗣君
    幹 事
                荒井 正吾君
                舛添 要一君
                若林 正俊君
                高嶋 良充君
            ツルネン マルテイ君
                簗瀬  進君
                山下 栄一君
    委 員
                秋元  司君
                岡田 直樹君
                柏村 武昭君
                河合 常則君
               北川イッセイ君
                佐藤 泰三君
                櫻井  新君
                藤野 公孝君
                松村 龍二君
                三浦 一水君
                森元 恒雄君
                山下 英利君
                山本 順三君
                犬塚 直史君
                岩本  司君
                江田 五月君
                佐藤 道夫君
                内藤 正光君
                広田  一君
                福山 哲郎君
                藤末 健三君
                藤本 祐司君
                前川 清成君
                松岡  徹君
                水岡 俊一君
                山本 孝史君
                魚住裕一郎君
                白浜 一良君
                浜田 昌良君
                山口那津男君
                仁比 聡平君
                吉川 春子君
                近藤 正道君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       桐山 正敏君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (主に国民投票制度について)
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○会長(関谷勝嗣君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、主に国民投票制度について、各会派にそれぞれ十五分以内で御意見をお述べいただきたいと存じます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、順次御発言願います。舛添要一君。
○舛添要一君 自由民主党の舛添要一です。国民投票法案について、会派を代表しまして意見を述べたいと思います。
 まず、憲法九十六条に改正手続が書いてありますけれども、その手続である国民投票法案をこれまで立法府が作ってこなかったことは、全く立法府の怠慢であります。したがって、これを早急に整えるということは立法府の重大な責任であると思います。ところが、この件に関して、この手続法を作るということは憲法改悪のための前触れであるとか外堀を埋めることによって改悪しようとするのかと、マスコミ含めてそういう論評がありますけれども、これは主権者である国民を愚弄するものであります。
 手続法がないということ、これは欠陥でありますから、これを作る。その上で、例えば憲法改正案を提示したときにその内容で勝負すべきであって、その内容の是非を問うのは国民であります。手続法を作らないことによって憲法改正を阻止するんだと、こういう児戯にも似た言動というのは私は厳しく弾劾すべきであるというふうに思います。全く国民を愚弄している。
 判断するのは国民であります。国民が憲法改正の中身が正しいか間違っているかを判断するのであって、手続法を作らないことによって憲法改正を阻止すると、そういうような手段こそ厳しく弾劾されるべきであって、正に立法府の怠慢だと、国民の評価するところではないと、そういう断固たる確信の下に、我々は一刻も早くこの国民投票法案を与野党努力して立法府が作るべきだというふうに思います。勝負は内容でやるべきであって、技術的なことでやるべきではないと思います。
 ちなみに、今回の総選挙で衆議院が三分の二以上の多数を与党が取りました。これは再議決要件を満たしています。だからこそ、私は実はこれは、実質的に参議院の審議をしっかりしないといけないということで非常に実は喜んでいるわけでありまして、数の力で参議院が今までいろんなことを阻止できる、それでは駄目であって、内容で勝負する。同じことでありまして、手続法作らないからということではなくて、やっぱり我々は国民に対してしっかりした改正案を提示すべきだというふうに思います。
 それから、憲法九十六条は、御承知のように、両院の三分の二以上の賛成で発議をした上で、「この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」とあります。このことについて申し上げますと、私は、この特別の国民投票でやるべきであって、国会の定める選挙の際行われる投票で同時にやるべきではないというふうに考えています。
 選挙というのは、総選挙であれ参議院選挙であれ、その時々の課題について国民の信を問う。例えば、この前の郵政選挙のときに同時に憲法九条の改正というのを国民投票やりますかと。やはり、憲法というのは毎年変えるものではありませんので、長期的な視点から、それから政局にしない、与野党の対立をあおるようなことではなくて、やっぱり純粋に憲法問題で議論すべきだと思いますから、国政選挙とともに行うということは避けた方がいい。つまり、国民投票は、憲法改正の国民投票はそれだけのための特別の投票を行うべきであるというふうに思います。
 それから、九十六条に「その過半数の賛成を必要とする。」とありますけれども、その過半数とは何か。これは有効投票数の過半数と、これでいいんだろうというふうに思います。
 さてそこで、そこから先はいろんな議論がありますが、私自身は、この国民投票法案を作るときに、基本的には公職選挙法とほぼ同一のものでいいんではないかというふうに考えています。
 例えば、選挙人名簿があって投票できる有権者、国民投票に投票できる投票人、これをどう決めるかというときに様々な議論を我々はやってきました。これは公明党とも与党協議ということで与党の中でもやってまいりましたし、野党の諸君ともやってまいりました。要するに、例えば選挙の場合はちゃんと住所に登録して三か月というような要件があるわけですけれども、例えばホームレスの方だって憲法改正だけはやらしてはどうかというような意見も出ましたんです。しかし、やはり技術的な問題を考えますと公職選挙法と基本的には同じでいいんじゃないかということがございます。投票人についてはそうです。
 それからもう一つは、憲法改正一括でやるのか個別でやるのかという問題がございますけれども、これはもう少し議論をする必要があると思います。例えば、自民党は新憲法というのをこの十一月までに作ります。それどうですかと、こう聞くときに、これはやっぱり一括で聞くんだろうと思いますが、じゃ個別の条項について、これは賛成だ、反対だという意見もあると思いますから、そこはまたこの憲法調査会を含めてもっと議論を深めないといけないというふうに思います。
 それから、一番の問題は、規制、ルール、これをどうするかということでありますけれども、私は、ここから先はまだ我が党でもきちんと議論をしていませんので、私の私見として今まで出てこなかった意見を申し上げたいと思います。
 一つは、政党を中心にやるという視点を入れたらどうかというふうに思います。
 我々は、自民党の新しい憲法案では政党条項を設けます。政党について法律で政党を定めます。そして、現実に憲法改正の発議は衆参両院各院の三分の二が提議するということは、政党政治が現代政治の基本であるとすれば、例えば自民党と公明党と民主党と、こういう形で提案するわけですから、やはり提案のベースは政党であるわけです。今の公職選挙法にしても、例えばテレビで政見演説する、これは政党ベースで行われている。だから、政党というのを憲法できちんと位置付けて政党法を作って、現代民主主義の基本であるとするならば、政党を基本にした形でこの規制の問題を考えれば、かなり今の公職選挙法と近づいた形でできる。
 というのは、基本的に私も、こういう、選挙も含めてですけれども、非常に自由にやるべきだと思います。例えば私は戸別訪問やっていいという意見なんですけれども、ただ、自由ということと公正というこの二つの要求をどうバランス取るかというのは最大の問題であるわけです。
 例えば、仮に憲法九条の改正ということを、自民党と公明党と民主党と、これでもちろん三分の二取ります、それが提案したとしますね。そうすると、自民党と公明党と民主党の力を合わせれば組織力だってお金の力だって物すごいものがある。そうすると、例えばテレビのコマーシャルを買いまくる、新聞紙面を買いまくる、物すごい運動をしたときに、じゃ憲法九条を守ろうという、政党を中心に言いますけれども、例えば共産党の方々、社民党の方々、同じような組織の力とか同じような財力はあるんだろうかということを考えたときに、そこで公正の要件が満たされなくなった場合に、例えば、一例挙げたんですけれども、今、改正賛成派がもう圧倒的にテレビのコマーシャルを取って護憲派の方がそうじゃないということでいいんですかということになれば、そこは金で支配されないといっても事実上は現実そうなっている、それを是正するためには公職選挙法では各党きちんと割り当てて政見演説ができる、候補者もそれができる、そういうことになっているわけです。
 もちろん、人を選ぶ選挙と法案を選ぶこの国民投票は違います。違いますけれども、だれをこの国民投票の基本的な運動の主体とするかということでは、私は政党ということを提案したいんです。
 そうすると、期間限定ができます。だから、今の選挙だって、選挙前からいろんな意見を言うことは可能なわけです。だけれども、国民投票の告示ないし公示というスタートがあって、投票日があって、それが仮に二週間だとすると、その二週間についてはかなりの規制をやる代わりに、各党平等に電波を割り当てる、新聞紙面を割り当てる、必要ならば補助金を出すと、そういうことをやっぱりやっていかない限りは公正という要件が守られないんではないかなと、そういうふうに思っています。
 もちろん、メディア規制がこれ非常に大きな問題になるわけですけれども、虚偽を言ってはいけませんよと。だけれども、何が虚偽であってどこまでが意見であるかというのは、この国民投票については非常に難しい。ですから、国際的な様々な事件についての解釈だって、自衛隊の海外における活動だって、ファクトが何ですかというのは非常に難しいわけですから、衆議院での議論のように、お金で買収されてはいけませんよ、虚偽を言ってはいけませんよだけで済みますかということでありますので、私は、この自由と公正という二つの要件をどう満たしていくのか。
 たまたま私は憲法九条を改正する派ですけれども、ここは公平に考えて、今言ったように、護憲の方たちが意見を述べる機会がないというのはやっぱりやめないといけない。改正する方だけが電波と新聞、メディアを独占するというのも、お金の力で、それも避けないといけない。とするならば、やはり公正さを確保するために、個人個人に好きなことを言えというわけにはいかないですから、政党という、これを一つのかなめにすれば今言ったことがかなり解決するんではないかなというふうに思っていますので、我が党の中でも議論を進めますけれども、この議論は衆議院の憲法特別委員会ではまだございません。したがって、私が問題提起をいたしたいと思います。
 そしてそれは、なぜそれが念頭にあるかというと、今各地で住民投票というのが行われています。これも一つの参考としてお考えいただきたいのは、住民投票はルールがありません。決まっていません。したがって、例えば原子力発電所をある町に設置しようということについて、そこの町の議会が賛成、そこの首長さん、町長さんも賛成、しかし住民投票をやったら反対。しかし、町長さんや議会の選挙は公職選挙法の厳しい縛りの下に行われている。住民投票は、買収しようが戸別訪問しようが何をしようが全く自由に行われている。その二つの結果を同じ重みで持っていいんだろうかと。
 たまたま今、住民投票というのは日本国憲法上きちんと位置付けられていないですから、もちろん九十五条の一地方公共団体のみに適用される特別法という規定はありますけれども、これはもう事実上ほとんど意味を成さない規定ですから、我々の新憲法では九十五条は削除いたします。したがって、そう考えれば、この住民投票というのは今の日本国憲法の中できちんと位置付けられていないんですね。したがって、法律的にはこれは省庁の省令以下の存在でしかないんですけれども、現実政治においては、住民がノーと言った、それなのに町長は独断専行するのかと、こういう議論が出てくるわけです。
 したがって、レジティマシー、正統性の差ということを考えれば、やっぱりきちんとルールを定めていないとそういう混乱が起こってくる。政治的に意味を持たないならいいですけれども、政治的に意味を持ってくるんです。それは、きちんとした公職選挙法上ものっとって選ばれた選良と、全く自由奔放にやった住民投票の結果が、政治的に後者の方が上になるようなことは法治国家として許されるべきではないというふうに思いますけれども、現実の政治では意味を持ってくる、そういうことを避けるためにもきちんとしたルールづくりを行う方がいいと思いますので。
 一番のテーマであります規制の問題、特にメディア規制の問題、私は基本的には自由であってほしいと思いますけれども、今申し上げたような公正とのバランスという観点もあると思います。そこで私は、一つの解決策として政党という概念をそこに持ってきましたので、これは皆さんの御批判にお任せしたいと思いますけれども、そういうところから手掛かりにして、自由と公正という二つの要件をバランスを取って満たしたいというふうに思っております。
 あとは、無効訴訟の問題をどうするかと。これはもっと先の問題でありますので、また時間も参りましたので、機会が来たら議論をしたいと思いますが、以上のような論点を取りあえず申し上げておきたいと思います。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、簗瀬進君。
○簗瀬進君 国民投票制度について発言をさせていただきたいと思います。
 まず冒頭に、民主党の憲法調査会でのこの問題についての議論の現状について御報告をさせていただきたいと思います。
 後に述べる論点整理について述べさせていただきますが、その各論点について、十四の論点がございますけれども、それについての憲法調査会の役員会案が本年の四月二十五日に提示をされまして、現在、憲法調査会の総会で論議を継続をしている段階であるということでございます。したがいまして、論点整理の中身というものについては、我が党の憲法調査会の役員会の了承案ということで御理解を賜ればと思っております。
 さて、国民投票制度全般についての私なりの考え方を述べさせていただければと思っております。
 まず、今、舛添委員からも述べられましたいわゆる立法の懈怠論についてでございます。
 今まで憲法改正手続法が制定されていなかったことをもって国会の立法の懈怠とする論調があるわけでございますが、私は、むしろこれは先輩たちのある意味で深い見識を示していると考えるべきであると思っております。
 かつて、後藤田正晴先生と憲法九条についての議論をさせていただいたことがあります。私は今もって感銘を受けている先生のお言葉でございますが、先生はこうおっしゃられました。アジアの人々に戦争の記憶が薄れるまでは九条改正には手を付けるべきではない。はっきりとこのようにおっしゃっておられたのを今もって思い出した次第でございまして、後藤田先生には、間違いなく憲法改正の高まりが国民の間に、この熟度が高まっていくということを長期的な展望で見定めていくべきであるといった考えがあったということが分かってくるだろうと思います。
 今まで国会が手続法を定めてこなかったということについては、改正の必要性を感じる国民の論調を慎重に見極めながら手続法の制定を考えるといった、国会のある意味での深い良識を示していたものと考えるべきであると思います。
 そこで、手続法の重要性について述べさせていただきたいと思っております。
 私は、実体法と手続法は不即不離の関係にあるということをもう一回確認をすべきなんではないのかなと思っております。民主主義の本質は、よくデュー・プロセス・オブ・ロー、適正な手続と、このような言われ方するわけでありますけれども、改正手続法というのは国民の憲法改正権限の発動の手続を定めるものでありまして、法秩序における位置付けというものもむしろ、憲法規範と法規範という、こういうヒエラルキーがあるわけでありますけれども、憲法規範と一般の法規範の中間に位置付けられるべきものである。すなわち、ある意味では準憲法規範としての取扱いを手続法にしていくのが正しいんではないのかなと考える次第でございます。
 今申し上げましたように、法秩序のヒエラルキーにおいて憲法改正手続法というのは通常の法律と随分違って重い存在だと、このように考えてみたときに、形式的には憲法五十九条の衆議院の再議決の対象となるのが法律ではありますけれども、この憲法改正手続法については、むしろ憲法五十九条、衆議院の三分の二による再議決の対象にはならないと、このように考えるべきなんではないのかな、民主主義の原点である国民の憲法改正権限の発動様式を定める準憲法規範として、憲法五十九条の適用から除外されるべきであると私は考えるべきだと思います。
 三番目に、改正手続法を軽視すべきではないと、このように申し上げたいと思います。
 憲法改正手続は、時には事実上、憲法改正の方向性を決めかねない側面も持っています。しかも、法形式は法律ということでありますから、場合によっては先ほどの衆議院の三分の二の再議決の問題も出てくるということもあるわけでございまして、もし手続法の審議過程で数の論理のみがまかり通れば、その後の憲法改正行為自体の失敗をある意味で暗示することになる、民主主義の崩壊につながる危険を招くことになるということをここで強調しておきたいと思う次第でございます。
 次に、手続法の論議に果たすべき衆参の役割について考えてみたいと思います。
 私は、今参議院においては調査会方式でこの国民投票制度についての論議をスタートさせるわけでございまして、そのことに心から敬意を表したいと思っております。一方で、衆議院は憲法調査特別委員会をつくり、法案の提出権を認めた上での論議のスタートと、ここに衆と参のある意味での性格の違い、あるいは期せずしての役割分担があるのではないのかなと、このように意識いたしております。
 衆議院はある意味で論点提起型であり、リーダーシップも、国民をある意味で引っ張っていくといったそういう牽引車のような役割をすることが期待をされるかもしれませんけれども、私はこのような衆議院の論点提起型に対して参議院はむしろ論点を深化させていく、このような役割を演ずるべきなのではないのかなと思っておる次第でございます。
 そして、この手続法を議論する場合に、特に啓蒙・啓発活動、国民の理解の重要性というようなものを強調したいと思っております。
 手続法を議論する意味は、もちろん第一番目は改正行為に必要な手続を策定をするということでありますが、もう一つ、これはある意味ではもっと重要なことだと思うのは、国民が手続法を議論する過程で憲法改正の具体的なイメージを持つということだと思っております。参議院は、特にこの手続法を議論をしながら、ある意味での憲法改正に至る思考のトレーニングといいますか、それをしていただくという、そういう大きなプロセスの意味を持っているんではないでしょうか。参議院は特にこの側面を重視すべきだと思っております。手続法を検討する過程での、場合によっては国民の大きな参加、あるいは手続法の議論の中での国民シンポジウムの開催、これも行って、本当に手続法の議論を通しながら、やがてしっかりと考えていただかなければならない憲法改正についての一種の訓練を行っていく、こういう側面を非常に大切にすべきだと考えております。
 いずれにしても、手続法については拙速な議論を慎んでいくべきであると、このように思っております。
 さて、以上のような前提を述べさせていただいた上で、現在、民主党の憲法調査会の総会にかかっております役員会案を御紹介をさせていただきたいと思います。論点は、先ほど申し上げたように一から十四まで十四の項目にまたがっておりまして、時間内にどれだけ御説明できるか分かりませんけれども、できるだけ頑張ってみたいと思っております。
 まず、論点の第一番目は、国民投票制度がカバーする範囲ということでございます。
 通常、当然、憲法改正の手続法としての側面も持つわけでございますけれども、それと同時に、ある意味で広く国民の積極的な政治参加を考える直接民主制の補完的導入というこの余地も、この国民投票法の議論をしながらしっかりと考えていくべきなんではないのかな。例えば、憲法改正に限らず、皇室典範、家族制度の在り方あるいは生命倫理など、国民の重大な関心事や政策テーマについても国民投票を行うべきであると、このように考えておる次第でございます。これについては、必ずという必要的投票もあるかもしれませんが、任意的投票ということを容認をするという方向もあると。この辺については若干詰まってはおらない部分もあるんですけれども、そんなことを積極的に、直接民主制を補完する新たな制度というようなものもこの議論を通じて検討すべきだと、このように考えております。
 論点の二でございますけれども、憲法改正をする際に限界があるのではないかと、こういうふうな考え方であります。
 私ども民主党の役員会では、憲法改正の限界をやっぱりしっかりと認めておいた方がいいだろうと。平和主義、国民主権あるいは憲法改正規定、これらについては根本規範としての憲法の中核を成す部分でありまして、これについては改正の対象から除外をすべきであろうと、このように考えております。
 論点の三は、発案権の所在でございます。
 もう御案内のとおり、憲法九十六条一項は、憲法改正の場合に国会による発案ということを前提にいたしております。すなわち、発案権は国会が独占をする形になっておるわけでございますけれども、今後、国民による発案も一定の条件下で認めるべきなのではないのかな。これは、先ほどの憲法改正の限界論の中に憲法改正手続を含めた場合に若干抵触をする部分も出てくるかもしれませんけれども、いずれにしても、憲法改正権は国民が持っている民主主義の原点の権利であると。このように考えてみたときに、国会にのみ憲法改正の発案権を独占をさせておくよりも、むしろ国民による発案も一定の条件下で認めた方がよいと、このように考えるべきだろうというのが私どもの役員会案でございます。
 また、内閣の発案権、憲法改正について内閣の発案権を通常の法律と同じように認めるべきだという議論もありますけれども、これについては、通常の法律とは違った扱い、もっと重い国民の根源的な権限の発動であると。このように考えてみたときに、まあ議院内閣制を前提にした内閣が憲法改正の発案権を持つということは相入れないんではなかろうかというのが私どもの役員会の結論でございます。
 論点の四は、憲法改正の方式でございます。
 これについては、一括提案や個別提案とも絡んでくる話でございますけれども、憲法改正のやり方については、前文も含めて日本国憲法の表題から後の部分すべて改正をしようという全面改正方式、それから、前文、それから各条項の後に修正条項を入れていくという修正条項方式等がありますけれども、私たち民主党の役員会では、むしろ現行の法律のように、実際、一つ一つの逐条改正といいますか、逐条改正で法律の中にそれを溶け込ませていくといった、まあ書換え改訂方式などと言われておりますけれども、そういうやり方がやっぱり前後の脈絡がよく分かって、国民に近い憲法を実現する上では最もふさわしい方法なのかなと、このような結論を出しております。
 また、総議員の意義ということでございますけれども、本当に残り時間が大変少なくなってまいりましたので、あと重要な点を若干ピックアップをさせていただきます。
 まず、先ほど舛添さんもおっしゃられておりましたけれども、国政選挙との政治的関係についてはこれを政局にしないと、通常の国政選挙と憲法改正の手続は合わせないということで私どもも一致をいたしております。
 それから、国民投票についての運動規制でございますけれども、これは公職選挙法の適用は原則的に認めるべきではないと。むしろ、憲法改正は正に民主主義の一番原点の、国民の大変積極的な、主体的な活動であるということを前提にすれば、様々な、例えば自らポケットマネーを切りながら、皆さんにごちそうしながらということになりますと、これは公職選挙法では当然、買収、供応というような形になるんですけれども、そんなえげつない形でなければ、非常にオープンな形で、様々な議論が国民の間でわき起こるということを前提にすると、公職選挙法の適用というようなものを原則考えずに、いわゆる憲法改正の国民投票手続にふさわしいかふさわしくないかという、そういう別の観点でこのルールを作っていった方がいいだろうと、このように思っておりますし、またマスコミ等による報道もどんどんどんどん積極的にやっていただきたいと、このように思っております。
 また、国民投票の方式については、個別投票とかあるいは一括投票がありますけれども、私どもは個別投票方式がよろしいだろうと、このように考えております。
 さらには、国民投票権者の範囲でございますけれども、十八歳以上の日本国民とすべきだろうと、このように考えております。
 その他、たくさんまだ尽きせぬ論点があるんですけれども、これは今後の議論の中でおいおい御説明をさせていただければと思っております。
 以上でございます。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、白浜一良君。
○白浜一良君 公明党の白浜一良でございます。
 国民投票制度についての今日は意見の開陳ということでございますので、何点かお話を申し上げたいと思いますが、まず国民投票制度につきましての基本的認識につきまして三点申し上げたいと思います。
 一つは、国民投票制度そのものを現実化する、そのことをきちっと議論をする段階だということを申し上げたいと思います。
 先ほどお話ございましたが、憲法九十六条の規定につきまして国会がサボってきたというお話もございましたが、私はそういう認識ではございません。憲法改正そのものが、戦後六十年、憲法制定からも五十数年たっているわけでございますが、国民にとって現実感がなかったということがまずベースでございます。
 時代とともに、不磨の大典ではないので、憲法そのものをどう考えるかという場が必要だということで、本調査会も五年間議論をしてきたわけでございまして、立法の不作為ということではございませんが、そういう五年間の調査を踏まえて、この九十六条に規定された国民投票制度をどうするかということは当然考えるべき段階だということを申し上げたいと思います。
 ましてや、最近各種世論調査がなされておりますが、時代も大きく変わりまして、必要ならば憲法を改正すべきだという声も過半数を超えるような、そういう時代にもなっておりますし、国会といたしましても、このことを真剣に議論し、制定する段階だということをまず第一点目に申し上げたいと思います。
 それから、二点目でございますが、五年間の調査会を経まして、私どもはこの憲法につきまして議論する第二段階だということを申し上げたいと思います。
 それは、まだまだ憲法について議論をする場が必要であることは当然でございますが、それに加えまして、先ほど申し上げましたように、国民投票法案というものを議論する場、それを加味した形での国会の場に設けるべきだということを提案申し上げたいと思います。
 ただし、具体的に憲法改正の発議を議論する場というのは、これは私から言わせれば第三段階だと思うわけでございまして、取りあえず第二段階といたしましては、憲法を議論する場と同時に、この国民投票制度そのものを議論し、法案そのものを制定するような場づくり、こういうふうに考えるべきだというふうに思っているわけでございます。
 三点目には、これも九十六条の規定で、国会が発議するのは、憲法改正を発議するのは衆参それぞれ三分の二以上の賛成と、こういう規定になってございますが、私はこの規定を守るべきだと思うわけでございます。
 憲法改正を容易にするために過半数でいいじゃないかと、こういう議論も多々あるわけでございますが、憲法改正というのは、単なる法案の賛否、可決ではございません。国のいわゆる規範を決める、そういう大事な改正であるわけでございますから、与党野党とか、過半数とか、そういう数で押し切るような議論であってはならない、広範な国民が賛成するようなそういう形態で国会も発議をすべきだというところで、私は、この九十六条の規定、三分の二、衆参それぞれ三分の二以上の賛成で発議するという規定は守るべきじゃないかと、このように申し上げておきたいと思います。
 それから次に、国民投票法を考える場合に、その具体的な視点というか考え方と申しますか、そのことを四点にわたって申し上げたいと思います。
 一つは、これも先ほど述べられておりましたが、国政選挙とは別にこの投票を行うべきだということでございます。
 当然、国政選挙と申しますのは、政権を選択したり、また政権に対する賛否を問うような、そういう選挙であるわけでございますが、この憲法改正に対する投票というのは全然違う投票であるわけでございます。これを同時にやるというのは、まあ物理的に不可能ではないんですが、大変国民にとって分かりづらい、そういう選挙になろうかと思いますので、実態的には別にやるということを想定した方がいいだろうということでございます。
 それから、二つ目には、いわゆる投票人をどうするかということでございます。
 当然幅広い国民の参加があってしかるべきですから、十八歳以上のいわゆる国籍を有する人と、こういう考え方もあるわけでございますが、ただし、極めて、この具体的な実施という観点から考えますと、選挙人の名簿というのは、二十歳以上のですね、それぞれ自治体が保有しておりますが、十八歳以上のこのいわゆる国民投票をする人たちの名簿もダブって作らなきゃならないというのは大変複雑でございまして、むしろ十八歳以上の方を参加させるべきだということであればそれは公選法そのものを変えるというふうに考えるべきであって、既にあるいわゆるこの選挙人名簿を使ってやるということが極めて現実的ではないかということを申し上げておきたいと思います。
 それから、三点目には、投票用紙の形態の問題なんですが、どちらかといいますと自由民主党さんの考えというのはもう前文から全条書換え、新しい新憲法、はい、これがいいですか悪いですかと、こういう賛否の問い方をイメージされている方が多いわけでございますが、しかしながら、戦後六十年、いわゆるこの憲法が国民の間に定着しているという事実から考えますと、全面書換え、そして新しい全面書き換えられた憲法に対して賛成か反対かという、問うような投票の形式というのは考えられないというのが私どもの考え方でございまして、現行憲法の中で現状の時代状況に合わしてどこが足りないかと。私どもは当然、加憲という立場を取っておりますので、そういう時代状況の中でここを追加すべきだというような点を特化して国民の皆さんに賛否を問うような、そういう投票のイメージを私どもは持っております。
 ですから、この投票の形式の問題に関しましては、もう少しこの議論を積み重ねる中で考えざるを得ないんじゃないかということを申し上げておきたいと思います。
 それから、四点目でございますが、当然広範な国民の皆さんの参加ということが前提でございますから、できるだけ自由なそういう運動を認めた方がいいということを申し上げておきたいと思います。それは、それぞれ政党がやる部分もございますし、いろんな団体が運動されるのもございますし、できるだけ自由なそういう運動を認めた方がいい。
 たまたま、私どもと自由民主党さんでまとめたこの投票法案の原案があるわけでございますが、これはあくまでも、いわゆる超党派で憲法調査推進議員連盟というのがございまして、そこでお作りになった原案をベースに私どもと自由民主党さんで議論した経緯がございまして、ですから特段問題にしなかった点も多々あるわけでございまして、そういう意味でいいますと、運動の形態とか報道規制の在り方も、必要ならば、当然、公選法で規定されているのがこの議連の案になってございますから、当然国民投票とは全然性格の違う投票行動になるわけですから、必要ならば変えることも含めて検討していく問題だということも述べておきたいと。
 以上が、私ども公明党というか、私の基本的な考えでございます。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、仁比聡平君。
○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。
 本特別国会に当たり、衆議院では、憲法改定の国民投票法制を審議する憲法特別委員会の設置が、自民、民主、公明の賛成によって強行されました。
 自民党は、国民投票法が制定されていないのは国会の怠慢だと、国民投票法制定が緊急課題であるかのように、公明党も昨年十二月の与党協議会で同法の成立を図ることで合意してきました。民主党も、今年三月には、自公民三党の担当者で国民投票法をテーマにした協議の場を設けることについて話し合ったと伝えられています。
 しかし、立法不作為というのは、法の不整備により国民の具体的権利侵害があるときに問題とされるものです。今、国民の憲法改正権が侵害されているから国民投票法制定を強く要求するという世論が国民の中から起こっているでしょうか。
 時事通信の七月の調査によれば、国民投票法を準備しておいていいという方は二九%にすぎず、国民の意見を十分聞いてから法案を作るべきだが四二%、憲法改正案が固まってから準備すればいいという方は一三%でした。
 ほうはいと沸き起こる声は改憲ではなく、憲法を守れの声であり、国民投票法制定反対の声であります。これは、憲法は一体だれのものなのかという問題でもあります。国会の怠慢という議論は当たりません。むしろ、改憲を求める国会議員が立法不作為論を唱えるのは、改憲の準備を整え、改憲をねらう自らの動きの根拠とし、あるいは改憲への政治的雰囲気づくりをねらうものと批判されても仕方がないことだと私は強く申し上げたいと思います。
 衆議院のこれらの動きにあたかも連動するかのように、当参議院の憲法調査会が国民投票制度を議題として本日再開をされたことも理解に苦しむことです。
 憲法調査会は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うことを目的とし、議案提出権を持たない調査任務に限定した機関となりました。だからこそ、調査会規程は、調査を終えたときは、調査の経過及び結果を記載した報告書を作成し、議長に提出すると定めており、この調査会の任務に照らせば、報告書の議長への提出をもって任務は終了し、幕を閉じるべきです。
 最終報告書の取りまとめ内容や報告の仕方について我が党は強く異議を唱えましたが、いずれにしても最終報告書は提出をされました。にもかかわらず、調査を再開し続行することは、調査会の在り方をなし崩しにゆがめるものではないでしょうか。
 我が党は、憲法改定国民投票法の制定の動きに強く反対してまいりました。なぜなら、このねらいが日本を海外で戦争する国につくりかえる九条改憲に向けた条件づくりにあることは明白であり、その意味で改憲への地ならしにほかならないからです。
 国民投票法案の問題を今年から来年にかけての具体的な政治日程にしようとする動きが九条改憲という目的と一体不可分に結び付いていることは、この間、自民、民主の両党が加速させている具体的な改憲案づくりの動きによってはっきり示されました。
 八月一日に発表された自民党の新憲法第一次案は九条、とりわけ九条二項の全面的改廃をねらうものです。憲法第二章の表題から戦争放棄をなくし、自衛隊を自衛軍として憲法上明記し、その自衛軍は自衛のために必要な限度での活動のみならず、国際協調の名の下に海外での活動を憲法上の任務としており、極めて重大です。民主党の前原新代表も、九条二項の削除、自衛権の明記を主張し、この点で足並みをそろえようとしています。
 我が党は、あらゆる改憲論の焦点が九条改定に置かれ、中でも戦力不保持と交戦権の否認を規定した二項を変え、自衛軍あるいは自衛隊の保持を明記することが共通の主張となっていることをこれまで厳しく指摘をしてきました。この方向で改憲がなされればどうなるか。その結果は、自衛隊の現状を憲法で追認することにはとどまらない重大なものとなります。
 戦後、自民党政治は、憲法九条に違反して自衛隊をつくり、増強してきましたが、戦力不保持という明文規定が歯止めになって海外での武力行使はできないという建前までは崩すことができませんでした。九条二項の改変はこの歯止めを取り払い、海外で戦争する国に日本を変えることにほかなりません。すなわち、九条二項を廃棄することは、戦争放棄を規定した九条一項を含め、九条全体を廃棄することになります。
 例えば、九条改正に反対と答えた方が六二%、九条は日本の平和に役立ってきたと答えた方が八〇%という、平和と良識の声が多数を占める結果となった最近の世論調査があります。ここでも明らかなように、自衛隊の現状を憲法に書くだけの改憲なら賛成と考えている人々も含め、日本国民の圧倒的多数は海外での武力行使のための改憲には反対です。
 憲法を守り生かそうという国民運動は、この間目覚ましい発展を遂げつつあります。九条の会は発足から一年余り。全国各地で行われた講演会の成功とともに、草の根での九条の会は三千を超える広がりを示しています。今ここで、広く大同団結が広がっていることを国会は重大に受け止めるべきです。この国民世論に背を向け、的を得た批判を恐れごまかそうとする小泉首相のレトリックは、国の進路を左右する重大問題について国民の判断を誤らせようとするもので重大です。
 首相は、本国会の答弁でも、戦争をするために憲法を改正するわけじゃない、なぜ九条を変えれば戦争をすることになるのか分からないと語気を荒げてみせ、憲法の中に自衛隊の位置付けが明確でない、自衛軍を持つことは憲法違反でないというような規定は設けなければならないと述べて、自衛隊の認知のみが九条改憲の意味であるかのように強弁をしています。
 しかし、これは小泉政権が世界の中の日米同盟路線の下で推し進めるイラク戦争という戦場への自衛隊の派兵継続と、海外派兵の本来任務化の企て、米軍と共同対処できる自衛隊の実戦部隊化と戦争体制、米軍支援体制の整備、米軍再編の下での在日米軍基地の再編強化など、戦争のリアリティー、軍隊、基地の現実と憲法改悪をあえて切り離してみせる詭弁にほかなりません。
 この世界の中の日米同盟路線と表裏一体となり、自衛隊の明記や集団的自衛権の行使、国防の責務など、海外での武力行使は絶対にできない歯止めとなっている九条を取り払おうとのねらいがアメリカから発生したものであることは、二〇〇〇年十月のアーミテージ報告であからさまにされました。アーミテージ・レポートは、日本は引き続き合衆国のアジア関与のかなめ石であるだけでなく、日米同盟はアメリカの世界規模の安全保障戦略の中心を占めていると言い、それほど重大な日米同盟であるにもかかわらず日本が集団的自衛権を否定していることが同盟協力を束縛するものとなっていると述べ、同氏は、憲法九条は日米同盟の邪魔者だとまで露骨に改憲を迫っています。
 アメリカ国防総省のジョン・ヒル日本担当上級部長は、本年七月十九日、都内の講演で、在日米軍再編に関連してこう言っています。驚くべきことは、戦後六十年たった今でも多くの日本人がそうした道、すなわち自衛隊の役割拡大を明示した防衛計画大綱などが適切かどうか疑っていることだ、いかなる国家の防衛にとっても集団的自衛権が憲法上許される範囲を超えるかどうかという議論は全くばかげたものだなどと口を極めています。
 日本経団連も、一月十八日の「わが国の基本問題を考える」の中で、九条はアメリカとの同盟協力の足かせであるとして攻撃をしています。
 このような世界の中の日米同盟路線が猛威を振るうなら、更に泥沼化を深めるイラク戦争のように、平和と公正、安定と繁栄を願う人類の要請を裏切って、国際秩序は惨たんたる状況を呈することになることは必至です。
 九条二項の歯止めとしての意義について、九〇年十月十二日、内閣法制局は重要な国会答弁を行いました。そこでは、自衛隊は戦力でない、すなわち自衛のための必要最小限度の実力組織であるから九条に反するものではないとの政府の立場の結論として三つのことが述べられています。
 第一に、いわゆる海外派兵、つまり武力行使の目的を持って武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣することは自衛のための必要最小限度を超えるものであり、憲法上許されないこと。第二に、集団的自衛権は憲法九条の下で許容されている我が国を防衛するための必要最小限度を超えるものであり、憲法上許されないこと。第三に、国連の平和維持活動を行う国連軍についても、その国連軍の目的、任務が武力行使を伴うものであればこれに参加することは許されないこと。この三点です。これは、防衛ハンドブックにも防衛に関する統一解釈として掲載をされていますが、政府自ら政府の立場に立っても九条の極めて重要な大きな歯止めとしての役割を認めたものであり、極めて重要です。
 この九条二項を改廃するなら、立ち所にこの内閣法制局の言う歯止めは消失し、解禁をされることになります。すなわち、第一に自衛隊を海外へ、他国の領土、領海、領空に派遣して武力行使をさせること。第二に、同盟国の戦争に参加する集団的自衛権の行使、具体的にはアメリカの戦争に参加して共同作戦に従事すること。第三に、国連の軍事行動、例えば従来許されないとされてきたPKFはもちろん、国連が組織する武力行使すべてへの参加が憲法上可能になるわけです。
 さらに、交戦権の否認という憲法原則を改廃することは、伝統的な戦時国際法上交戦国が有する種々の権利、すなわち相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領、そこにおける占領行政、中立国船舶の臨検、敵性船舶の拿捕など、これまた国会答弁で憲法上禁じられると政府がこれまで認めてきた行動を憲法上解禁することになります。これらが、戦争をしない国から地球上どこででも戦争をする国への重大な変貌、変質にほかならないことは余りにも明らかです。
 多くの国民はこのような改憲に反対しています。私たち国会議員が今力を注ぐべきは、この国民の声に真摯に耳を傾け、憲法をいかに生かすかを真剣に考えることです。それこそが、全国民の代表として憲法を論じ、憲法にかかわる私たち国会議員の憲法尊重擁護義務の重みにかなうものではないでしょうか。
 我が党は、国民各層と共同して、広く憲法改悪反対の揺るぎない国民的共同をつくり上げる一翼を担って奮闘する決意を表明し、意見表明といたします。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、近藤正道君。
○近藤正道君 社民党・護憲連合の近藤正道です。
 最初に、本調査会で憲法改正手続について調査を行うこと自体について申し上げたいと思います。
 本調査会は、憲法を総合的かつ広範に調査することを目的に設置されました。そして、五年間の調査を経て、その報告書を本年四月の末に議長に提出したわけであります。これによりまして本調査会はその本来の役割を終了いたしたと思っております。したがって、本調査会が今回、憲法改正手続について議論を継続し、衣替えすることによって、実質的に九条改憲に向け、その条件づくりの役割を果たすことは、調査会の設置目的の逸脱であり、許されないこと、あってはならないことだと思っております。私は、冒頭そのことを強く指摘したいと思っております。
 その上で、九十六条で改正手続を持つ憲法と国家の関係、憲法とは何のためにあるのか、私の考えを述べることから始めたいと思います。
 私は、憲法とは、国民主権の下、主権者である国民が国家に対し向けたもの、国家権力の濫用を防ぐため、国民の基本的人権を守るために国家権力を拘束するルールであって、国家権力の行為規範であると考えております。これがヨーロッパの市民革命の中から生まれた立憲主義の伝統的考え方であり、国民あっての国家という立場であり、我が国の憲法は、この立憲主義の嫡流と位置付けられるのであります。
 ですから、憲法九十八条は、憲法尊重擁護の義務を国民を除く一定の公務員に対してのみ課しておるのであり、そしてこうした性格を持つ憲法が簡単に改正されないようにするため、衆参両院において三分の二以上の発議、そして国民投票による過半数の承認という厳格な要件を求めているのであります。これが硬性憲法であり、国会議員だけによる安易な改正は許さないという権力に対するブレーキの役割を果たすものであって、第九十六条は憲法秩序の担保規定として存在しているのであります。立憲主義の考えは、現憲法の正にバックボーン、背骨でありまして、これを根本から否定する憲法改正はこの国の形を根本から変える改正であって、そもそも許されないのであります。
 次に、現時点における憲法改正の必要について申し上げたいと思います。
 結論として、私は、現在この国の憲法を改正する必要はないと考えております。現憲法は、国民主権、基本的人権、そして平和主義など、先駆性に満ちたすばらしい理念にあふれ、我が国の戦後の平和と繁栄、民主主義の発展に大きく貢献をいたしました。本調査会における五年間の調査結果を見ても、三十三項目の共通の認識部分はもちろんのこと、六項目の趨勢と明記された部分を見ても、その大部分は既に現憲法の中に存在し、解釈上も認められており、現憲法で十分に実現可能なことばかりであります。あえて憲法を改正しなければならないとの説得力ある意見はどこにも見いだすことはできないのであります。
 また、共通認識はもとより、趨勢意見であっても、憲法を改正しなければ大変に困るとか耐え難い、こういうものなどは五年間の調査結果ではありませんでした。もし耐え難いと感じる部分があるとすれば、それは日米同盟を一層強化し、憲法第九条の下では決して許されることのない武力行使目的の自衛隊の海外派兵、そして集団的自衛権の行使、つまり自衛隊の海外における武力行使に道を開きたいと切望している人たちだけではないでしょうか。
 確かに、一方、本調査会では、プライバシー権や環境権など新しい人権を憲法上明記することが必要だという意見が趨勢となりました。しかし、そもそも憲法第十三条は包括的規定であり、この条文と他の条文を併せることによって新しい人権を導き出すことは十分に可能であり、新しい人権が憲法上の保障を及ぼすべき権利であるとするのが共通の認識であったことを併せ考えると、要するに、憲法上この新しい人権を明記すればより一層分かりやすいというだけのことであり、いわゆる新しい人権を憲法で明記しなくとも基本法や施策で十分に対処することができるのであります。しかも、海外での武力行使容認を主張する人たちの多くが、この間、環境権や知る権利など新しい人権を規定する基本法の創設に終始消極的だったことは私たちの記憶に新しいところであります。
 しかも、現在、国民の圧倒的多数が焦眉の課題として憲法改正を求めているわけではありません。今回の総選挙におきましても、小泉総理も与党も郵政民営化しか訴えてまいりませんでした。憲法改正や国民投票制度について選挙の争点になることはなく、憲法改正を求める国民の圧倒的声などはどこにもないのであります。
 とりわけ第九条については、戦争放棄の第一項はもちろんのこと、戦力の不保持と交戦権を否認した第二項についても、変えない方がいいという回答が変えるべきという回答を上回っているのが各報道機関の世論調査の一貫した結果であります。国会における、ある意味で改憲をあおる論調と世論の間に大きな隔たりがあることは明らかであります。
 いずれにいたしましても、憲法調査会に参考人として出席した学者、知識人、あるいは中央、地方の公聴会で意見を述べた公述人の多くが、憲法を変えることではなく憲法を生かすことの重要性を説いていることも踏まえるならば、憲法の理念や価値がいまだ実現されていない事実を放置したまま、一方的に国民の間で改憲の機運が高まっていると結論付け、全面的な改憲に踏み込もうとする考えには賛同できないのであります。
 憲法改正を言う前に、我々国会議員は、憲法理念と現実との乖離を生み出した政治の責任を自覚し、現実を憲法理念に近づける努力、憲法を生かすことにもっと努力を払うべきではないでしょうか。
 確かに、戦後政治の中で改憲問題が何回となく浮上してきたことも事実であります。しかし、憲法改正を望まない国民は、そのたびに改正の動きに強く反対をしてまいりました。その足掛かりとなる国民投票法制度を作ることを許してまいりませんでした。国民投票法を作らないのは、これを望まない国民の意思であり、立法不作為、怠慢という指摘は当たらないと思います。
 そもそも立法不作為は、不作為の違憲、違法を前提に国家賠償請求を行う流れの中で形成された概念であり、具体的にはハンセン病や無年金訴訟、さらに最近では、例えばアスベストに対する政府の対応のように、緊急に対応を講じなければならないときに、それを違法に放置して何も対策を取らなかった場合など、人権侵害に当たる場合のことをいうのであります。憲法と法律制度の一般的なずれをいうのではありません。現に、例えば憲法九十六条の隣の憲法九十五条に基づく地方自治体の住民による住民投票制度はいまだ未整備ですが、これについて立法不作為だという議論は聞いたことがありません。
 しかも、国民投票制度については、憲法改正とは別に一般法として作る方式と、憲法改正の発議ごとにその都度一回きり使う法律として個別法として制定する方式があります。それぞれメリット、デメリットがあり、後者、つまり個別方式の場合についてはそもそも立法不作為などという論理は成り立たないのであります。
 いずれにしても、国民投票法が未整備であるのは、国民の中に憲法改正の条件がなく、国民がこれを望まなかったからであって、立法不作為の指摘は当たらないのであります。
 その上で、今、私どもは憲法改正の必要を感じてはおりませんが、百歩譲って仮に国民投票法を制定するとした場合、その改正の在り方についても申し上げたいと思います。
 まず、憲法改正は無条件に何でもできるものではありません。憲法の根本原則、規範を否定する改正は許されません。この憲法改正手続を公職選挙法に準拠して考える向きがありますが、根本的に誤っております。
 憲法改正の国民投票は、第九十六条に基づいて実施されるものであり、憲法十五条に基づく公職選挙法とは憲法上の根拠を異にし、性質も全く違うものであります。全く性質の異なる憲法十五条の具体化である公職選挙法の選挙運動規制等を安易に憲法改正国民投票法に横滑りさせるような、無原則で誤ったやり方は厳に慎まなければなりません。
 そもそも憲法改正手続を定めた九十六条は、主権者たる国民の憲法制定権の行使を保障するものであり、主権そのものの行使にふさわしく、公平で最も民主的な手続で実施されなければなりません。憲法理念に立脚し、国民主権の原則にしっかりと沿うものでなければなりません。
 そのためには、一点目として、投票者の意思を正確に投票結果に反映されるようにするため、全体を一括して投票に付するのではなく、個別の条文ごとに賛否の意思を表示できる提案方式及び投票方式とすべきであります。
 二つ目に、国民投票運動については、言論、表現の自由が最大限に尊重されなければならず、公務員や教育者を含め、運動規制ゼロが原則であるという立場に立たなければなりません。外国人の意見表明権を保障し、公職選挙法の規定の横滑りは許されず、戸別訪問は解禁され、文書頒布等の自由は原則保障されなければなりません。とりわけメディアに対する規制は原則あってはならないと考えます。
 三つ目に、通常選挙における投票権者に加え、十八歳以上の者の投票権や重度身体障害者の在宅投票、代理投票を認めるなど、投票権は可能な限り拡大すべきであります。
 四点目に、国民投票の前に憲法教育を改めて徹底し、国会発議から投票実施まで、国民が十分に情報を収集し、学び、考え、話し合う時間が保障されることが必要であります。
 五点目に、国の最高法規たる憲法の改正ということからかんがみれば、改正案が成立する要件としてクリアしなければならない一定の投票率を設けることが重要であります。
 等々、これらがしっかりと法改正手続の中に盛り込まれ、手続的に担保されていなければ、憲法改正の国民投票の名には値しないと思うわけでございます。
 以上申し上げ、憲法改正手続に対する私の意見といたします。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 以上で意見陳述は終了いたしました。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後二時五分散会

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