平和主義と安全保障 参考人名
公述人名
回次 -

2 自衛権の有無(集団的自衛権を含む)と自衛隊の位置付け

武力の行使
  • 国際関係における武力の行使がいけないといっても、9条は、平和に対する脅威があった場合の集団的措置に日本が参加することまで禁じているわけではないと考える
渡辺昭夫 156 8 - 6
  • 日本がどのような場合に、どの程度の軍事行動・武力行使に参加するかということは、法律問題ではなく、政治的問題である
渡辺昭夫 156 8 - 12
  • 集団的自衛権の問題よりも、領域外における武力行使を憲法が認めていない問題の方が、これからの日本の海外活動・対外活動の制約要因になる
森本 敏 159 2 - 14
  • 国家として武力行使できる場合は、国連憲章51条に言う自衛権を行使する場合と、安保理決議に基づいて武力行使が容認されている活動に参加・協力する場合の二つに限られる
森本 敏 159 2 - 15
  • 国連の武力行使への自衛隊の参加は、9条1項に照らせば合憲の可能性はあるが、2項との関係では「交戦権」の考え方によっては疑問があるため、日本が国連の武力行使を伴う活動に参加する場合は、憲法を改正する必要があるのではないか
浅田正彦 159 3 - 7
  • 国際法上、国際紛争解決の手段としての武力行使は、国家の自己利益追求のための武力行使で正当化し得ないが、国連軍やPKOが行う活動は、国際的公共的な性格を持ち、武力行使ではあっても国際法上正当
大沼保昭 159 3 - 4
  • 自衛隊がPKO、あるいは国連から正当性を付与された多国籍軍の一員としてする武力行使は何ら9条に反せず、9条が否定しているのは自己利益追求の、つまり国際紛争解決の手段としての武力行使であるため、従来の政府解釈を変更して自衛隊にそのような任務を行わせることは、現行法上可能である
大沼保昭 159 3 - 4
  • 国連のPKFのような武力行使を伴う行動に日本が参加することは違憲にはならないと思うので、憲法改正の必要もない
功刀達朗 159 3 - 8
<武器の使用との関係>
  • 武力の行使は国家の主権行為であり、個人の刑事責任は問われないが、武器の使用の場合は過剰防衛などがあれば個人が刑事責任を問われる。武力の行使と武器の使用を分けて議論すべき
佐々淳行 156 9 - 3
  • 安保理1483号決議に基づく人道復興支援といっても米軍のイラクの占領統治のコアの部分に自衛隊が関与し、何らかの形で武器使用が束ねられて行われた場合は、9条2項違反の武力行使という事態になる
水島朝穂 156 9 - 17
  • 国際法上、何をもって武力の行使になるかの明文の規定はないが、一般には一国の軍隊による他の国家、又は国家に準ずる組織に対する武器使用が武力の行使と考えられる
浅田正彦 159 3 - 2
  • 国際法上、法律に基づいて派遣された自衛官による職務遂行上の武器使用は明らかに国家としての行為であり、個人としての自己保存のための自然権的な権利の行使ではなく、そのような行為が他の国家又は国家類似の組織に対して行われれば、それは武力行使以外の何物でもない
浅田正彦 159 3 - 3
  • 武器使用が国際法上武力行使に当たるとしても、それが憲法に違反するか否かは、国権の発動たる武力の行使であるか、国際紛争を解決する手段としての行使であったか、という観点から判断することになろう
浅田正彦 159 3 - 3
  • 政府の武力行使をめぐる議論は、国際法のとらえ方とはずれがあり、日本が今後国際社会とのかかわりを深めていくことを考えると、このずれは正していく必要がある
浅田正彦 159 3 - 3
<武力行使一体化論>
  • 自らの武力行使を伴わない行為が他国の武力行使との密接性から武力行使とみなされるという一体化論は国際法の考え方とは異質で、その中核についてはほとんど説得的な説明がない
浅田正彦 159 3 - 2
  • 国際法では、通常の支援行為が被支援国の行為と一体化するとの理論は妥当しないが、違法行為に対する支援は、支援自体が違法行為となるので、他国の武力行使に対して援助を行う場合には、他国の武力行使の合法性について慎重かつ主体的に判断する必要がある
浅田正彦 159 3 - 2
  • 一体化論については、集団的自衛権と異なり解釈で変更できると思うが、内閣法制局を中心とする憲法解釈は積み木細工のような形で、全体の枠組みが崩れてしまわないかとの懸念もあり、そういう問題も含めて、この際整理すべき
浅田正彦 159 3 - 8
  • 日本政府、特に内閣法制局がこの数年間採ってきた解釈は、後方支援という概念を含めて国際社会の一般的な理解とずれがあることは確かであろう
大沼保昭 159 3 - 8
交戦権
  • 9条2項の交戦権の規定は、国際法上の交戦国が有する言わば戦争法上の権利と解釈すべきであり、国連の制裁措置への参加が交戦権の行使であるとはならないのではないか
大沼保昭 159 3 - 7
  • 交戦権という概念は、憲法制定時はある程度一般的な概念であったが、今日では国際法上はそれほど使われず、この形で物事を解釈すること自体が国際法上の一般的な在り方とそごを来している
大沼保昭 159 3 - 8
  • 9条は、国家理性に基づく戦争をしないことを、政府が国民に約束し、国民がそれを世界に宣言したものであり、自衛力を持つ実力組織の保持や国際安全保障のための武力の行使は9条の問題ではない。9条で禁止する交戦権とは、国家理性に基づく戦争の権利と理解するのが一番ではないか
西岡 朗 161 3 - 20
個別的自衛権
  • 自国の判断だけで、自衛権を行使することは危険であり、個別的自衛権よりも集団的自衛権の行使の方が安全
志方俊之 156 8 - 12
  • 自衛権は、国家主権の当然のものとして考えられてきたが、不戦条約における例外として意識されたことにより、明確な形となった。このような経緯を見ると、自衛権の概念が定着していく過程には、自衛権を抑制していくべきとの考え方があった
渡辺昭夫 156 8 - 6
  • 2002年のブッシュ・ドクトリン(国家安全保障戦略)は、能力とたくらみ(意図・計画)があれば自衛権を発動できると主張し、従来の国際法における通説をはるかに超えた自衛権概念を展開しているが、これはかつての予防戦争の論理に行き着くのではないか
豊下楢彦 159 2 - 2
  • コスタリカは、憲法で軍備を禁止しているが、場合によっては再軍備できる可能性を残しており、個別的自衛権は当然持っている
豊下楢彦 159 2 - 7
  • 米国では、9・11事件には日本人犠牲者がいたので、日本も個別自衛権を行使して米国と共同歩調が取れるのではないかとの議論をしていた人がおり、自衛権についての考え方は自分たちとは相当違う
森本 敏 159 2 - 14
(国連憲章51条)
  • 国連憲章51条の自衛のための固有の権利は、英語ではインヒアレントライトとなっており、日本語より重い意味がある。自然権としての自衛権という意味が含まれている
明石 康 156 7 - 4
  • 国連憲章51条は国連の安全保障体制が拒否権等により機能しない場合の安全弁として付加されたもので、国連の基本はあくまでも6章と7章に盛り込まれた規定であるが、同条は冷戦時代には広範に適用された
明石 康 156 7 - 4
  • 自衛権の発動に武力攻撃の存在を前提する国連憲章51条について、防御手段のない核の時代には時代後れの規定との懸念が生じ、またテロに対しては先制攻撃の権利が語られるようになったが、自衛権が濫用され、それに対する国際社会の歯止めとしてその制限が考えられるようになったことを忘れてはならない
明石 康 156 7 - 4
<憲法との関係>
  • 自衛のための権利が自然法として存在するとの考えは採り得ない。軍事力については、暴走するとの前提があることから国の最高法規で定めるのが通常であり、軍事的な問題について自然権があるとは思わない
上田勝美 156 6 - 9
  • 日本は自衛権を放棄してはいない。自衛権の上の概念として国家主権、国家の支配的意思力があり、その発現形態には軍隊、裁判所等いろいろあるが、少なくとも日本国憲法では、その発言形態の中で軍事的なものにより安全保障をするという措置は切って捨てた
上田勝美 156 6 - 10
  • 9条1項の解釈として、日本の国家が自衛権を有していることは当然である
渡辺 治 156 6 - 10
  • 個人の自衛権は自然権であり、個人の自衛権の集合としての国の自衛権も条文以前の自然権である
坂本義和 156 7 - 2
  • 自衛する、自衛のための手段は保持するという規定は絶対に必要
畠山圭一* 156 I - 25
  • 今日では、国家には自衛権があり、それを実行する部隊として自衛隊を認め、自衛隊は憲法違反ではないという声が多数派であることに議論の余地はない
植村秀樹 156 8 - 1
  • 憲法は、国家の自然権としての自衛権を禁止するものではなく、個別的及び集団的自衛の権利を有し、これを行使できることは当然であるが、条文を疑義なく解釈できるよう明確かつ正確な表現に変えることが必要
森本 敏 159 2 - 5
  • 憲法の表現は、自衛権の解釈について議論を引き起こしてきたが、憲法とは国の在り方を表現する基本的な法規である以上、国内で解釈が分かれたり、諸外国に誤解を与えるものであってはならない
森本 敏 159 2 - 5
  • 今日的な平和の抑止力として、国境をなくしていこうという中で、わざわざ一国の主権の発動としての軍隊を憲法に入れる根拠が何なのか、少なくとも国民にはほとんど理解できない
五十嵐敬喜* 162 I - 15
  • 自衛隊の位置付けが憲法上明確でないのは問題。自衛隊は9条違反との考え方があるが、このような重要な問題について国民の間に合意がないのは異常な状態
高見康裕* 162 I - 18
  • 9条2項は削除し、自衛のための軍隊である自衛隊の保持を明記すべき
高見康裕* 162 I - 19
  • 自衛隊を当たり前の軍隊にしてはどうか。自分たちの試案では、侵略戦争は認めないが、独立と主権を守るためには国軍を保持するということを明記している
永久寿夫* 162 I - 20
<制約・歯止め>
  • 自然権としての自衛権として認められる自衛力は、領域を超えて攻撃や侵略を行う能力はないが、領域を侵犯する者が簡単にそれを排除・破壊できないような障害をつくる能力である
坂本義和 156 7 - 2
  • 戦力保持を可能にするために9条2項を削除するとの改憲論があるが、2項を削除するだけでは戦力の性格が無限定になるため、もし改めるのであれば、保持する戦力は厳密に専守防衛の目的と能力に限られることを明文で規定すべき
坂本義和 156 7 - 2
  • 専守防衛の概念を武器の性能などに即して明確に定義して線を引くのは容易ではなく、テクニカルにはあいまいな領域を残しながらも、専守防衛を基本的な政策の指針として努力を積み重ねること自体が国際緊張緩和の上で持つ政治的効果は大きい
坂本義和 156 7 - 2
  • 本来憲法は集団的自衛権になじまないが、仮に集団的自衛体制を認めるにしても、専守防衛を憲法に規定すれば、集団的自衛体制の適用について日本の個別的自衛と不可分の限度にとどめる憲法上及び外交政策上の歯止めになる
坂本義和 156 7 - 2
  • 日本が専守防衛を憲法上の原則とする行為そのものがアジア諸国民の日本への信頼を築くのに寄与する
坂本義和 156 7 - 2
  • 9条改正の必要はないと思っているが、もし2項を削除して自衛戦争を認めるとするならば、相手国領土に反撃しない範囲の自衛に限定することを憲法に明記すべき
藤井富美子* 156 I - 6
  • 自衛の範囲を他国の領土内に攻撃しない範囲に限定し、それを超えた武力攻撃事態に対しては、国益を代表しない国際警察軍のようなものが必ず派遣され、各国の独立と平和を守るというシステムをつくってはどうか
藤井富美子* 156 I - 7
  • 一切の武力を持てないとするのは非現実的で極端な解釈であるが、侵略戦争以外なら何でも許されるとするのも憲法を無視する極端な態度。憲法は、少なくともぎりぎりまで非軍事的な努力をし、自衛権を行使する場合にも武力は最後の手段であり、最小限の行使に抑えることを要求している
植村秀樹 156 8 - 3
  • 安全保障基本法をつくり、日本がどのような場合に防衛力を行使するかを明示することが重要
志方俊之 156 8 - 5
  • 安全保障基本法をつくり、防衛力行使の要件を明示することが、近隣諸国の日本への信頼、抑止力になる
志方俊之 156 8 - 15
  • 芦田修正により自衛隊は合憲との解釈は可能かもしれないが、疑義を残さないため、個別的自衛権のために軍隊を持つという修正はあってもよい。ただし、前提条件として、侵略戦争をしない、核を含めた大量破壊兵器を持たないなど、明確な歯止めを持つ憲法を定める必要がある
豊下楢彦 159 2 - 9
  • 日米は多国間ではなく二国間同盟であること、あいまいな概念で作動できる極東条項を持つことから、自衛権にはよほどの歯止めが必要。集団的自衛権という概念は自明のごとく使うべきではなく、米国的自衛権に日本がどうかかわっていくかというレベルで考えるとなると、違う形で問題が見えてくる
豊下楢彦 159 2 - 10
  • 1955年に締結されたオーストリア再建条約は、13条でオーストリア軍による一定の武器の保有・製造・実験について禁止しており、これも一種の自衛権行使の制約の在り方
本間 浩 159 2 - 10
  • 軍隊の活動は国益に照らして認知するものであり、その国の指導者が軍隊に与えた作戦計画等がおかしければ立法府で審議されるべきであるが、自衛権が行使される範囲や自衛権そのものにあらかじめ法律で歯止めを掛けることは、あってはならない
森本 敏 159 2 - 10
  • 自衛権の行使は無制限ではなく、国際法上の一般的常識や政府が明らかにしている自衛権発動三要件のような制約はあり、これらを満たす限り、個別具体的な制約要件を法律に書く必要はないと考える
森本 敏 159 2 - 10

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