平和主義と安全保障 参考人名
公述人名
回次 -

2 自衛権の有無(集団的自衛権を含む)と自衛隊の位置付け

集団的自衛権
  • 予防的先制攻撃を是とする米国と集団的自衛をすることは、米国と同様の立場を取ることを意味し、国民を守るための安保が、国民の命をテロ等の危険にさらすという本末転倒になる。国防方針を異にする国との集団的自衛権は認められないと解するのが妥当
藤井富美子* 156 I - 7
  • 集団的自衛権は広狭の解釈が可能であり、政府は日米安保に関して、米軍基地を守るのは個別的自衛権と解釈するが、既に集団的自衛権の行使と考えざるを得ず、集団的自衛権の行使に対するしかるべき歯止めが必要
植村秀樹 156 8 - 15
  • 自国の判断だけで、自衛権を行使することは危険であり、個別的自衛権よりも集団的自衛権の行使の方が安全
志方俊之 156 8 - 12
  • 例えば安全保障基本法のような法律をつくり、そこで国会自身が集団的自衛権の行使の問題について見解を示すことが可能であれば、今後の安全保障に関する立法がよりスムーズに、整合的にできるのではないか
村田晃嗣 156 9 - 8
  • 現憲法でも集団的自衛権の行使を禁ずるようには必ずしも解釈できないと考えるので、その点について国会がまずクリアにした上で、さらに9条2項について国民の誤解のないような形で国会が改正を提案することには賛成である
村田晃嗣 156 9 - 11
  • テロ対策特措法による行動は、国際的判断からすると、明らかに集団的自衛権行使の枠組みで理解される
佐瀬昌盛 159 1 - 15
  • 集団的自衛権の行使が認められたとしても、外国で活動する米軍への助力が集団的自衛権に当たるかどうかは、別の検討を要する
田岡俊次 159 1 - 6
  • 米国が第三国の防衛・報復や将来の脅威の未然防止等の目的で軍事行動に出る場合、日本が共同行動をすれば、それは集団的自衛ではなく、憲法、サンフランシスコ対日平和条約、安保条約1条で禁止する国際紛争解決の手段としての武力行使に当たる
田岡俊次 159 1 - 6
  • 集団的自衛権を自然権ととらえると、制約なき戦争の自由に行く危険性がある。集団的自衛権の行使には、被害国の支援要請など多くの要件が必要とされており、自然権には当たらない
豊下楢彦 159 2 - 2
  • 日本では9条が時代後れで国連憲章51条の集団的自衛権を行使できるようにすべきとの議論になっているが、米国では51条が時代後れで先制攻撃や予防戦争をできるようにすべきとの議論になっており、集団的自衛権を論ずるときは、51条に基づいた集団的自衛権なのか米国的自衛権に基づいた集団的自衛権なのかを峻別することが必要
豊下楢彦 159 2 - 3
  • 集団的自衛権について、行使できる権利の獲得と実際の行使は別問題であり、行使するか否かは慎重に主体的判断で対応するとの議論がある。この前提には集団的自衛権により日本が米国と対等になれるとの認識があると思われるが、実際はより一層米国の軍事戦略の中に包摂されていくのではないか
豊下楢彦 159 2 - 3
  • コスタリカは、集団的自衛権を持ち、しかも行使していると言っている。ただし、海外派兵はせず、加害国に対する外交関係の断絶や、被害国に対する経済援助などの形で行使することになっている
豊下楢彦 159 2 - 7
  • 集団的自衛権は濫用の歴史
豊下楢彦 159 2 - 14
  • 集団的自衛権は今日的意味はないと考えるが、集団的自衛権の前提である国家間の密接・連帯的な関係をとらえれば、不戦関係のネットワークを広げる一つのてこになるのではないかと考えている
豊下楢彦 159 2 - 14
  • 集団的自衛権は個別的自衛権とは異質な概念であり、集団的自衛権の本質は、武力行使の一般的かつ原則的な禁止原則(国連憲章2条4項)及び安保理による武力行使の事前許可原則(同51条)に対し、軍事同盟に基づく事前許可なしの武力行使の違法性を阻却することにある
本間 浩 159 2 - 4
  • 国連憲章の草案には集団的自衛権という概念はなく、審議の過程で挿入されたが、挿入の政治的意味は、国連の集団的安全保障体制という理想と軍事同盟による対抗的安全の確保という現実の要請とを妥協させることにあると考える
本間 浩 159 2 - 4
  • 集団的自衛権について、権利であって義務ではないから、行使するもしないも自由との議論は、軍事同盟の実質から見ると、日米安保条約の存在意味を無力化する
本間 浩 159 2 - 4
  • 日本の施政下にある領域で日米共同の軍事行動が行われる場合に、自衛隊の軍事行動の根拠を日本の集団的自衛権行使に置くという見方は、米国の増殖する軍事協力要求を誘発する要因になりかねないという意味で危うい一面がある
本間 浩 159 2 - 4
  • 集団的自衛権は、国連憲章によりつくられた概念であり、国連憲章を離れては存在し得ない
本間 浩 159 2 - 7
  • 国連憲章に基づいて合法的行動をしている国に対する援助は、集団的自衛権の行使には当たらないと考える。国連の承認が得られない間の行動に対しては、武力に直結するような援助は避けるべき
本間 浩 159 2 - 15
  • 集団的自衛権は、必ずしも同盟条約がなければ行使できないものではないと考えており、アジアなど地域の中で同盟関係にあるとは限らない国の正式な要請を受けて活動する場合でも集団的自衛権の行使に当たることがあり、これは日本が今後考えるべき問題
森本 敏 159 2 - 14
  • 集団的自衛権の問題は大きな広がりを持つ問題で、例えば中国の超大国化など少なくとも今後20年から30年のアジアの状況等を考え、長期的視点に立って議論すべき
大沼保昭 159 3 - 3
<政府解釈>
  • 集団的自衛権に関する政府解釈は、集団的自衛権を憲法上保有しているか否かの吟味を避けている、個別的自衛権と集団的自衛権を別のものと見ている、国家固有の権利すなわち自然権を否定するのかという点で論理的欠陥がある
佐瀬昌盛 159 1 - 4
  • 政府解釈は、集団的自衛権を、自国と密接な関係にある外国が武力攻撃を受けた場合のものとしているが、国連憲章51条は自国と密接な関係にあるか否かは問題としていない
佐瀬昌盛 159 1 - 5
  • 従来の政府解釈は、集団的自衛権イコール海外派兵として限定してきているが、基地提供自体集団的自衛権と言えるため、議論を呼んできている
豊下楢彦 159 2 - 7
  • 9条下の自衛権についての政府の伝統的解釈は、自衛隊の設置及び維持を合憲化するための論理であり、そこから他国防衛のための集団的自衛権行使の合憲性を引き出すことはできない
本間 浩 159 2 - 4
  • 9条下の自衛権についての政府の伝統的解釈は、次第に増大化する米国の防衛協力要求を拒否する根拠として効用があったが、(1) 米国の増殖する軍事協力要求をかわしきれない、(2) 自衛隊の戦力増強要請を制約できないという意味で限界・矛盾があった
本間 浩 159 2 - 4
  • 集団的自衛権に関する過去の政府解釈は、自衛隊が領域の中における個別自衛権を行使するための集団であるとの認知を国内的にも国際的にも与えるために行った政治的判断に基づく解釈であり、文章を解釈した条文解釈ではないと考える
森本 敏 159 2 - 6
  • 集団的自衛権と個別的自衛権のうち、どちらかだけを行使できないという区別をしているのは日本だけで、それは国際法上の解釈として不自然
森本 敏 159 2 2 - - 8 10
(権利の保持と行使)
  • 集団的自衛権を保持しているが行使できないというのは、納得のできない議論
村田晃嗣 156 9 - 8
  • 政府解釈について、保持しているが行使できないのは矛盾であるとの主張があるが、権利を保持する能力と行使する能力を峻別するのは法律学では常識であり、国際法も同様の発想が妥当する
浅田正彦 159 3 - 11
  • 権利は保持しているが行使しない・できないという選択の例として、永世中立の考え方がある。主権国家であれば他国と同盟を結ぶことは権利として当然認められているが、永世中立国は、同盟を結ばないとの選択を行い、それを自己に義務付けている
浅田正彦 159 3 - 11
  • 例えば主権国家ゆえ輸入産品の差別も可能だが、WTOに入ることにより差別できないと自らを拘束するように、国際法上、本来有する権利を自国の決断により拘束することは十分あり得ることで、国際法上有する権利を憲法上制約することは法的には矛盾しない
大沼保昭 159 3 - 11
(過去の経緯)
  • 集団的自衛権に関する政府解釈には変遷があり、現行解釈がほぼ固まったのは、1970年代中期である
佐瀬昌盛 159 1 - 4
  • 旧日米安保条約締結当時は自衛隊が存在しなかったにもかかわらず、同条約前文は「行使」の語を使い、現安保条約承認のための国会審議当時は「制限的保有」論であった。また、国連加盟に際しては個別的・集団的自衛権を定めた51条に何の留保も付けていない
佐瀬昌盛 159 1 - 4
  • 集団的自衛権に関する政府解釈は、1954年には交戦権禁止に触れるとして違憲、69年には国際紛争を武力で解決することに至るとして違憲、72・81年の政府答弁以降は自衛権発動の要件である必要最小限度の範囲を超えるとして違憲というように変遷してきた
豊下楢彦 159 2 - 1
  • 独立後の日本に米軍を駐留させる法的根拠として、当時外務省は、日本が基地を提供し、その代わりに米国は日本を防衛するという意味での集団的自衛権の関係を設定しようとしたが、米国に防衛義務を拒否され、旧安保条約は単なる駐留協定に終わったとされる
豊下楢彦 159 2 - 2
  • 日米安保条約は1960年の改定で双務的となり、当時の岸政権は、基地提供も経済援助も集団的自衛権であるとの答弁を繰り返していたが、これは、安保条約改定により、米軍駐留の法的根拠が説明できるようになったとの認識が前提になっていたのであろう
豊下楢彦 159 2 - 2

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