第150回国会 参議院憲法調査会 第1号


平成十二年十一月十五日(水曜日)
   午後一時一分開会
    ─────────────
   委員氏名
    会 長         村上 正邦君
    幹 事         亀谷 博昭君
    幹 事         小山 孝雄君
    幹 事         鴻池 祥肇君
    幹 事         武見 敬三君
    幹 事         江田 五月君
    幹 事         吉田 之久君
    幹 事         魚住裕一郎君
    幹 事         小泉 親司君
    幹 事         大脇 雅子君
                阿南 一成君
                岩井 國臣君
                岩城 光英君
                海老原義彦君
                扇  千景君
                片山虎之助君
                木村  仁君
                北岡 秀二君
                久世 公堯君
                陣内 孝雄君
                世耕 弘成君
                谷川 秀善君
                中島 眞人君
                野間  赳君
                服部三男雄君
                松田 岩夫君
                小川 敏夫君
                川橋 幸子君
                北澤 俊美君
                久保  亘君
                菅川 健二君
                寺崎 昭久君
                直嶋 正行君
                堀  利和君
                簗瀬  進君
                大森 礼子君
                高野 博師君
                福本 潤一君
                橋本  敦君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                福島 瑞穂君
                水野 誠一君
                平野 貞夫君
                佐藤 道夫君
    ─────────────
   委員の異動
 十一月一日
    辞任         補欠選任   
     海老原義彦君     清水 達雄君
 十一月十四日
    辞任         補欠選任   
     吉田 之久君     石田 美栄君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         村上 正邦君
    幹 事
                亀谷 博昭君
                小山 孝雄君
                鴻池 祥肇君
                武見 敬三君
                江田 五月君
                堀  利和君
                魚住裕一郎君
                小泉 親司君
                大脇 雅子君
    委 員
                阿南 一成君
                岩井 國臣君
                岩城 光英君
                木村  仁君
                北岡 秀二君
                久世 公堯君
                清水 達雄君
                陣内 孝雄君
                世耕 弘成君
                谷川 秀善君
                中島 眞人君
                野間  赳君
                服部三男雄君
                小川 敏夫君
                川橋 幸子君
                菅川 健二君
                直嶋 正行君
                簗瀬  進君
                大森 礼子君
                高野 博師君
                福本 潤一君
                橋本  敦君
                吉岡 吉典君
                福島 瑞穂君
                水野 誠一君
                平野 貞夫君
                佐藤 道夫君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       大島 稔彦君
   参考人
       評論家
       秀明大学教授   西部  邁君
       評論家      佐高  信君
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  本日の会議に付した案件
○幹事補欠選任の件
○日本国憲法に関する調査
    ─────────────
○会長(村上正邦君) ただいまから、定刻になりましたので、憲法調査会を開会いたします。
 幹事の補欠選任についてお諮りいたします。
 委員の異動に伴い現在幹事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。
 幹事の選任につきましては、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(村上正邦君) 御異議ないと認めます。
 それでは、幹事に堀利和委員を指名いたします。
 幹事の辞任に伴い会長代理が欠員となりました。
 会長といたしましては、江田五月幹事を会長代理に指名いたします。
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○会長(村上正邦君) 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、日本国憲法について参考人の方々から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、評論家の西部邁参考人及び評論家の佐高信参考人に御出席をいただきました。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ、特にテレビ、新聞等で八面六臂の御活躍をなさっておられますお二人の多忙な時間を割いていただきまして、本調査会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
 なお、見渡したところ空席が大分ございまして、参考人の先生方は、憲法調査会、参議院は余り熱心じゃないんじゃないかというような危惧を抱かれては困りますので、あらかじめ。
 本日、参議院、終盤臨時国会を迎えまして、調査会、常任委員会等々開かれておりまして、兼務をなさっている委員の先生方がいらっしゃいまして、空席の先生方は兼務をなさっておられる先生方でございまして、委員でございまして、そういうことで空席がありますことをひとつ御了承を賜っておきたいと。
 なおまた、審議中においても多少それぞれ兼務をなさっている委員の移動が目立つかとは思いますが、これもひとつあらかじめお許しをいただいておきたいと思います。
 本日の議事の進め方でございますが、西部参考人、佐高参考人の順にお一人二十分程度ずつ御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず西部参考人からお願いいたします。西部参考人。
○参考人(西部邁君) お招きいただきましてありがとうございます。
 時間が限られておりますので、簡単なレジュメを皆様のお手元にお渡ししました。簡単過ぎますので了解は難しいかと思いますが、一応説明させていただきます。
 私は、まず第一に、現憲法が敗戦日本における押しつけ憲法だという言い方が長い間ありましたが、それは厳密には正しくない。つまり、日本は一九五〇年代の初めにとうに独立しているわけでありますから、それ以後も一言一句この憲法を変えなかったというところを考えますと、この憲法の性格は、要するに、これは私、冗談半分で言うのでありますが、押しいただき憲法であるというふうに考えております。
 つまり、自分で内発的に、この内発的というのは夏目漱石の言葉でありますが、自分たち日本国民が内部から内発的に憲法はいかにあるべきかを考えたのではなくて、ありがたく占領国アメリカからちょうだいしたそのままの憲法が今の憲法の性格だと考えております。
 それは、ほかでもない日本国民のいわば敗戦のトラウマ、精神的外傷による日本国民自身に対する自信喪失、あるいは日本の歴史に対する劣等視というものが、今なお姿、形を変えながら継続されている、そういうものの結果が現憲法の存在だというふうに考えております。
 さて、どういうものを押しいただいたかというと、第二に、これはほかでもないアメリカニズムの憲法だということであります。
 アメリカニズムの説明は大変厄介でありますが、端的に言えば、いわば個人的自由というものとそれから技術的合理という、そういうツートンカラーの価値観に従って個人が生活し国家が運営される、そういうものが典型的なアメリカニズムということだと思います。そういうものをこの憲法というものが盛大に受け入れたんだというふうに考えられます。
 そうすることの問題性というのは、第一に、個人的自由のための秩序というものがどこから来るかということをうまく説明できない。それからもう一つは、技術的合理というものをうまく回転させるためのいわば国民の良識、ボンサンスというものの出所が明らかにされ得ないという、そういう重大な欠陥がある。これは私個人の考えというよりも、後でも若干触れるかもしれませんが、例えばフリードリッヒ・フォン・ハイエクなどの今世紀最大のいわば政治社会哲学者と言われている人たちの、今現在では常識と化しているそうした社会観、国家観ではなかろうかと私は考えております。
 さて、若干そのことをつまびらかにするために、戦後民主主義と言われるこの憲法に盛り込まれている最大の価値について考えますと、実はデモクラシーを民主主義というふうに訳すのは、これは厳密に言えば誤訳に近いんですね。つまり、デーモスのクラティアでありますから、直訳、素直に訳しますとこれは民衆の政治というふうに訳さなければならない。つまり、民衆というのはたくさんおりますので、民衆という名の多数者が政治的決定に参加し、そしてその中のマジョリティーディシジョン、つまり多数決で事を決する方式、これがデモクラシーと言われるものにほかならない。
ところが、それを、これは戦前からではありますが、日本語で民主主義と訳したときに、つまり主権という考え方が明白に表面に浮かび上がってきている。
 ところが、この主権に関しましてはピープルズのサブリンパワー、人民主権なのか、あるいはナショナルピープルのサブリンパワー、国民主権なのかという、そういう論争が実はフランス革命のときから続いておりますけれども、現憲法では一応国民という言葉はうたってあるものの、国民の性格というものが明確に浮き彫りにされておりませんので、全体の性格からいうと、人民主権的なそういう文言の連なったそういう憲法になっているかと思います。
 つまり、国民というのは読んで字のごとくでありまして、国の民でありますから、国家の歴史の英知とでもいうべきものをいわば背負うのが国民であると。というふうに考えますと、国家の歴史の中からいわばスポンテイニアスに、自生的に、おのずといわば成熟した形でもたらされているもの、そういうものがいわば自由のための秩序となり、そしてその合理のための良識となるというふうに考えるほかない。
 ところが、そうした歴史というものの観点を薄らげさせているものでありますから、こういう人民主権的な性格を色濃く持った現憲法においては、いわばその価値前提というのは歴史の英知と切り離されたいわゆる人権などの普遍主義的な価値観しかここには盛り込まれていない。少なくともそういう傾きの強い憲法である。
 そこからもたらされるのは、これまたハイエク的に言いますといわゆる設計主義でありまして、コンストラクティビズムでありまして、抽象的な普遍的な人工的な観念に基づいて国家というものをいわば人為的に設計するという、もちろん一番それの典型的なケースが社会主義でありましたが、社会主義はもろくも失敗しましたけれども、これは社会主義が失敗したかどうかというよりも、社会主義の失敗から学ぶべきものは、そうした国家を人為的な理念に基づいて設計するという、そうした社会哲学、政治思想のいわば根本的誤謬というものをそろそろ日本人は学ばねばならないというふうに私は考えております。
 さて、若干もうちょっと詳しく言いますと、いわば戦後においては権利という言葉とか観念がいわば大流行のまま半世紀たっておりますけれども、もともと権利というのは法律的に定義いたしましてもいわば法によってなすことを許されている自由の可能性ということでありましょうから、問題はいわば法というものがどこからやってくるかということであります。
 大まかに言いますと、法のいわば出所というのは三種類ございまして、一つは、そこに書いてありますように、いわばピープルの欲望が法の根本となるのか、あるいはそのピープルの中の特殊な人種である広い意味での知識人が人為的に考え出した理論、理念というものがいわば法の前提となるのか、はたまた長い何百年、何千年という歴史のいわば流れが分泌、成熟、堆積させてきたウイズダム、英知とでもいうべきものが法の根拠となるのかと、こうした三種類の考え方があろうかと思いますけれども、私は結論的に言えば最後のものしか、これは私が考えるというよりも、もう百年がとこ前から世界の言ってみれば歴史哲学あるいは法哲学の主流はそうした歴史の英知こそが法の根本前提となるのだという強い傾きのもとに流れている。ところが、残念ながらそれが日本の知識人においては一向に敷衍も普及もさせられていないというところが問題かと思います。
 つまり、例えば現憲法の第一条に、天皇の地位は国民の総意に基づくというふうに書かれておりますが、ほかでもないその国民の総意というものをどういうものと考えるべきか。現在、たまたま紀元二〇〇〇年に生存している人々の多数の意見がその国民の総意をあらわすのか、あるいは何十年、何百年あるいは何千年、あるいは今後とも、将来も予想される国民の歴史の流れがいわば方向づけるものが国民の総意なのかというふうに考えた場合、私はやはり後者をとるべきだと思います。
 したがって、天皇論に限定して言うならば、天皇の地位を支える国民の総意というのは、今現在、多数の投票がどうということではなくて、日本の歴史の流れが示す総意であると考えれば、ほかの普通の言葉で言えば、天皇の地位は日本の伝統の精神に基づくというふうに書かれているのだと解釈すべきであるというふうに私は考えております。
 ついでまでに、本当に知識人の知識というのは進歩しているのか退歩しているのか全く怪しいことでありますけれども、かつて明治の初めに福沢諭吉は権利という言葉を日本語でここに書いてありますように権理という字を使ってやったんですね。ここに示唆されている意味は、実は権利というのは人間の欲望からくるのではなくて、やはりことわりを持った、つまり正当な根拠があったものが、それを人々が自分の行動とか欲求とした場合に、そういう場合にその権理となるのだと。つまり、ことわりはどこからくるかということを議論しないままに、人々が切実に欲することが権利だとすれば、それは単なるいわば人民の欲望の解き放ちにしかなり得ない。そして、現憲法にはそういうふうに思わせる強い傾きがあるのだということをそろそろ確言すべきだと思います。
 ついでまででありますが、語に及べば、国家という言葉自体この国ではまだその解釈が定着しておらない。例えば、これは現政権に対する批判のようで恐縮で、ちょっと見当違いの発言かもしれませんけれども、日本を電子国家にするという、そういうテーゼが知識人の勧告、提案のもとになりましたが、ほかの国では電子国家という言葉を使うとしてもエレクトロニクスステートという言葉を使っているんですね。ステートというのは、この場合政府というメカニズムあるいはインスティチューション、機構のことでありまして、しかしながら日本語で国家と言ったときには、やはりここに書いておりますように、何というか国民と及びその国民のつくり出す政府というそういう両方の意味がある。
 そうすると、そういうことを含めて電子国家と言ってしまうと、これまた冗談みたいな話でありますが、これから電子国民になりましょうと。私は、これは小さい声で言いますけれども、電子国民と聞いて思い出したのは、やはりヘッドギアをつけたそういう人々のことでありまして、よくもまあそういう国家という言葉一つ厳密に規定しないままに、日本の知識人なり、小さい声で言いますが政治家の皆さんは電子国家などという途方もない言葉をこの国にはやらせるものだと。これもまた憲法の中にそういう病原があるのではないかというふうに私は思っております。
 さて、先へ進まなければいけませんが、焦眉の課題である第九条については、これはくどくど言う必要がないかもしれませんが、根本的な問題は第二項にございまして、この第二項は皆さん御存じのように、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、」「これを認めない。」というふうに書かれておる。
 ところが、前項の目的とは何かといったら、これは言うまでもなく、パリ不戦条約、ケロッグ・ブリアン条約の全くもう世界に普及した解釈といたしまして、侵略戦争はしないという意味である。そうすると、第二項の意味は、日本語を素直に読めばというよりも、どこをどう読んでも普通の日本語の理解からいえば、侵略戦争をしないためにいわば陸海空軍その他の戦力はこれを保持しないという文章としか読めない。
 ということをもう一押し言うと、実は日本人には侵略といわば防衛、自衛というものを区別する能力がないか、あるいは仮に区別したとしても日本人というものは自衛を口実にして必ず侵略に持っていくという、何というか極めて好戦的な民族であるということをみずから認めるか、あるいは日本人は侵略と自衛を区別できない極めて愚かしい民族であるということを認めるか、仮にそうだといたしましても、そういうことを憲法のど真ん中に宣言して独立しようというのはとんでもない国民だということを、私は高校生のころからでありますけれどもつくづく考えておりますが、もう還暦を過ぎましたけれども、よくもまあこうした日本語が半世紀間も続いているものだというふうに、私は実に嘆かわしいと思っていますが、しかし、半世紀も続いたものを今さら嘆いてもしようがないので、私の還暦を過ぎた心境から言えば、もうほとんど九九%あきらめの境地で生きているという、そういう知識人であります。
 さて、あと論ずべき点は本当にたくさんあるのでありますけれども、時間が限られておりますから、さらに先へ先へと……。
 その前に、今のことに触れて言えば、次のことぐらいはそろそろもう常識として、良識と言わなくても全くコモンセンスとして押さえなければいけないのは、例えば個別的自衛が集団的自衛と関連していないわけはないし、集団的な自衛が世界全体におよそかかわるいわゆる国際警察と関連していないわけはないし、この関連というのはもちろんストレートであるかどうかというのは時代とか状況によりますし、またそのかかわりがどういうものであるかということも状況依存的ではありますけれども、しかしながら、個別的自衛は認めるが集団的自衛は認めないとか、集団的自衛までは認めるが国際警察はどうのとか逆はどうとか、これは真っ当な大人でありましたならば、この三者の関連をいわば検討することが何というかアルファでありオメガであるのだと、これを分断するということそれ自体の中に戦後日本人が自国の防衛というものを真剣に考えていないということが示されているのではないかというふうに考えております。
 それから、ここには書き忘れたかもしれませんが、私は、九条を改正する段階には、はっきりと日本国民には国防の義務これありということを明記すべきだと思います。これは全くこれまた常識に属することだと思いますが、それを兵役の義務とかという形まで特定化する必要は毫もないかもしれませんが、しかしながら、国防の義務という、何というか兵役につくかあるいはそれを後衛から助けるか云々、あるいはいわば社会奉仕としてそれに参加するか、いろんな場合はありますでしょうが、いわば考え方といたしましたら、日本国民である以上自国の防衛に貢献する義務これありと、そのことを明記しないで国を建てようというのはやはりとんでもない国民であるというふうに考えております。
 これは五〇%以上冗談で言うのでありますが、こういうことを考えますと、戦後国民の大多数の傾向というのは、英語で言うとノン・ナショナル・ピープルかというふうに私は考えておりますし、ノン・ナショナル・ピープルを日本語に直訳してみれば非国民ということになるのかなというふうに心の中でひそかに考えておりますけれども、これ以上言うとまた野党の先生の皆さんから後で絡まれるかもしれませんので冗談はこれぐらいにしておきますけれども。
 先へ進めまして、あと五分で終わらなきゃいけないんですね。いろんな論ずべき点はありますが、私は第二十条について、いわゆる政教分離ということにつきましては次のように考えております。
 もちろんこれは、欧米であろうがアジアであろうが現実的な意味で、例えば国家と教会が、政治と宗教がいわば現実的な政治活動で合体したり濃厚に直結するということはこれは当然避けなければならないことでありましょうが、少なくとも憲法論議の段階で言うのならば、憲法というのは国民の規範を示すものである。当然ながら、規範を示すためには価値を論じなければいけない。そして、宗教とは何ぞやといえば、いろんな宗教はございますでしょうが、少なくとも国民が持つべき価値は何かということに関して論じるのは、宗教である以上、私は、根本的な次元で言うのならば政治と宗教というものが当然つながっていないわけはない。
 ということは、逆に言いますと、仮にいわば政教分離を論じるといたしましても、いわゆる現憲法の二十条における宗教活動の禁止のこの場合の活動というのは、英語の草案でいいましても、この草案を出さなければいけないというのはばかげたことでありますが、ともかく草案でいきましてもアクションという言葉になっておりまして、レリジアスアクションということになっておりまして、アクションという言葉は言うまでもなく能動的な、積極的な活動ということを指す。
 つまり、具体的に言うのならば、宗教教育とかその他のいわゆる洗脳、今風に言えばいわゆるマインドコントロール的なそうした積極的な活動を指して宗教活動、そういうものは当然ながら禁じなければならないということでありましょうが、いわば憲法的次元における価値論、規範論として宗教論議を持ち出していけないということは、結局のところ政治の世界からいわば価値論争というものを放逐するものでありますから、そうした価値論争を抜きにした政治論議というのは、しょせん戦後デモクラシーの世の中ではその時々のいわば多数のしかもいっときのファッションにすぎないことが、極めて多い世論なるものに政治全体を売り渡すという意味で、いわばデモクラシーの堕落を招く一つのきっかけにもなるというぐらいのこととして憲法二十条論議を私は始めていただきたいというふうに切に思っております。
 さて、あと三分で終わらなきゃいけませんが、第十二条、第十三条あたりにおいては、自由というものを制限するものとして、いわゆる公共の福祉、公共の福祉に反しない限り云々といった文章がありますが、ところがこの憲法において大問題なのは、一体この公共の福祉というものの前提なり根拠なりがどこにあるかということが一切明記されていないどころか示唆されてもいない。そうなってしまうと、現憲法の全体的な性格からいいますと、公共の福祉というのはその時々の国民のいわば多数派の人々が欲望することが公共の福祉になるというふうにしか解釈できない。これこそいわば衆愚政治の始まりであります。
 結論だけ言いますと、私はパブリッククライテリオン、公共的基準というのはどこから来るかというと、その時々のいわば生存しているジェネレーションの意見とか欲望が公共の福祉を直接に指し示すものではなくて、むしろやはり先ほど最初に申しましたように、その国の歴史のあり方というものが基本的に指し示す方向、それがパブリッククライテリオンとなるのだと。もちろん、そういう歴史が指し示すものがどういうものであるかを論じるのは現在世代のみでありますけれども、しかし、その現在世代の議論の内容が、そうした歴史的なことに言及しないような、そういうことに、繰り返しそこから出発し、そこに戻っていかないような議論から公共の福祉が論じられるような戦後の風潮というものは全く嘆かわしいというふうに考えております。
 あと一分、もう過ぎたかもしれませんが、あと、例えば緊急事態に関する根拠が示されていないとか、あるいは地方自治がうたわれているけれども、一体その地方自治とは何ぞやと。
 結論だけ言いますと、私は、今現在この国にいわばしょうけつのように荒れ狂っている一方におけるグローバリズムと他方におけるローカリズムの両極分解ぐらい危険なものはない。
 はっきり申しますが、世界に対しては日本人はあくまで、英語で言えばインターナショナルな、つまり国際的な構え方を持つべきものだと私はまず思う。つまり、グローバリズムとインターナショナリズムというのは実は全く違うものなんですね。インターナショナリズム、日本語に訳して国際的というのはこれは読んで字のごとくでありまして、異なった国があって、その間のインター、間柄をどうするかという、あくまでそういう各国の国民性というものを重んじたのがいわばインターナショナリズムでありまして、そういうものを重んじないのがグローバリズムだとやはり考えざるを得ない。現に、ヨーロッパではそういうふうに解釈すべきだという意見が日増しに強まっていると私は受けとめております。
 これは実は国内においてもそうでありまして、ローカリズム、地方主義といいますけれども、地方がほかの地域と連結、関係していないわけはないわけでありまして、そうなら論ぜられるべきは、ここに書きましたように言ってみればインターリージョナルな関係こそが論じられるべきであって、そしてインターリージョナルな関係を全体としてどうするかというのはあくまでいわば中央政府が強かれ弱かれかかわらざるを得ない問題である。
 そうした要素を排除して、言ってみれば国家分解をもたらしかねないような、言ってみれば分権主義としてのローカリズムというものをこの憲法に基づいて吹聴するのは、やはり国家観なり人間観なり歴史観なり文明観なりの根本的誤謬であると私は深く確信している次第であります。
 時間が来ましたので、ありがとうございました。
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
 次に、佐高参考人にお願いいたします。佐高参考人。
○参考人(佐高信君) 最初に、ちょっと意外な発言を御紹介したいと思いますけれども、一九八五年、昭和六十年の自民党綱領、新綱領というんですか、それを制定する過程で、会長なんかもよく御存じの渡辺美智雄さんが憲法についてこういうことを言っています。
 表現がちょっと俗というか、砕けたミッチー節ですけれども、「気がすすまない女房を親やまわりに押しつけられた。いつか代えよう、いつか代えようと思っているうちに、四十年も経ってしまった。見直してみるとこんな女房でもいいところはある。第一、四十年大過なくやってきたしいい子もつくってくれた。何よりも四十年間に自分もなじんでしまった。むかし、代えようと思っていた気持もだんだん変わってくる。」と。私はこれは見事な現実政治家の感覚だと思いますけれども、ここにお集まりの皆さんがこの渡辺美智雄さんのような良識をぜひこの会で見直していただきたい。西部参考人の意見とは反するかもしれませんけれども。
 それで、私は、憲法というふうなものの一番の根幹というのは第九十九条にあるというふうに思っています。改めて読み上げますけれども、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と。つまり憲法尊重擁護義務ですけれども、ここで改めてこれらの人間にこの憲法尊重擁護義務を課したのは、歴史的にここに掲げられたような人間たちが憲法を破ってきたからであり、こうした人たちが常に憲法を邪魔者扱いする要注意人物ですよという注意警報だというふうに思っています。
 この九十九条というのは、憲法にとっての危険人物のブラックリスト、おのおの方、油断めさるなというふうに国民に注意を喚起している。つまり、憲法というのは権力者が国民に守らせるものではなくて、国民が権力を持つ者に守らせるものである、端的に言えば権力者を縛る鎖であるというふうに私は考えます。危険人物たちは、というか、ここに掲げられているような人たちは、常にすきあらばこの鎖をほどこうとしているというふうに思うわけです。だから、憲法が権利ばかり規定していて義務を課していないというのは憲法そのものの本質を理解していない発言だというふうに私は思います。
   〔会長退席、会長代理江田五月君着席〕
 この日本国憲法について、西部さんは押しいただき憲法という造語、新しい言葉をあれされましたけれども、押しつけであるという意見がずっと絶えず発せられてきたわけですね。
 しかし、この憲法というのは、端的に言えば国民がこの九十九条に掲げられているような人間に対して押しつけたものであって、この人たちが押しつけと感じないような憲法は憲法の役に立たないというふうに私は考えます。ですから、今いろいろ押しつけ憲法だと、別の意味からアメリカからの押しつけというふうなことを言うわけですけれども、そういうふうに感じているということは、憲法がその存在価値を発揮していることだというふうに私は考えます。
 それから、アメリカからの押しつけというふうなことを言う人が非常に多いわけですけれども、では、日本にそういう民主主義とか民権思想というのがなかったのかといえばそんなことは全くなかったわけで、この間、私は坂東眞砂子さんの「道祖土家の猿嫁」というおもしろい小説を読んだんです。
 これは土佐ですね、高知県、土佐の山村に展開されるワールドワイドな百年物語なんですけれども、そこで名門の男たちが民権運動をやっても、その後地主とかになると簡単にひっくり返る、そういう例は非常に多いわけです。
 ところが、そこにいわゆる出戻りの民権お蔦という女性がおりまして、これが男の人と同じで、まじって自由民権の運動を展開する。その彼女がこういうふうなことを言っているわけですね、まさに土佐弁そのもので。「民主主義はアメリカの発明じゃないわ」と。「明治の自由民権思想の中でも、ちゃんといわれちゅう。婦人参政権じゃって、明治初めの土佐郡の上町と小高坂村では、婦人選挙権も認められちょった。それを知った政府が慌てて法律を改定して、なし崩しにしてしもうたがよ。」と。
 これは事実をなぞった小説のようですけれども、民主主義というのは別にアメリカの発明じゃない。だから、押しつけというふうな人たちはアメリカに負けているということをみずから認めているというふうな言い方になるのではないかという感じがしてならないわけです。
   〔会長代理江田五月君退席、会長着席〕
 この九条というふうなものについて、西部さんは極めてアカデミックにお話しなさったわけですけれども、九条というふうなものの見方をある母親がこういうふうに言っているんですね。
 言論の自由や男女同権などを規定した憲法は確かにありがたいのですが、何よりもありがたいのは憲法第九条です。これによって婦人の幸福が完全に保障されると思うからです。結婚をしても夫を軍隊に徴集されることがなく、また子供を産んでも軍隊に徴集されない権利が保障された。言いかえれば、子供に軍隊に行けとか戦争で死ねというように母親の心を偽る必要がなくなり、安心して夫や子供に愛情を注ぐことができるようになりましたと。
 こういう言い方を情緒的というふうに退ける人がいるかもしれませんけれども、人間から情緒を取って何が残るのかというふうにも思うわけです。
 戦前において婦人に選挙権を与えなかったのは、婦人は本来的に平和主義者であり、選挙権を与えれば戦争の邪魔になるという陸軍参謀本部の反対のためだったというふうな意見もここで紹介しておきたいというふうに思います。
 私は、憲法九条に基づく平和主義というのは、日本の世界に誇るべき財産だと思っているわけです。昭和六十年の自民党綱領にははっきりとそういうようなことが書いてあるんですけれども、それが何か取り寄せてもらったら、平成七年では、私に言わせれば改悪となって、それが消えているというのが非常に残念です。
 昭和六十年の自民党綱領には、外交の基本姿勢の中に、資源小国、通商国家としての認識に基づき、経済協力を初め、国際社会における平和協力を推進し、核兵器の全廃、全面軍縮の理想を追求すると、何か野党の綱領みたいなことが書いてあるわけですね。これをぜひ私は実現していただきたかったというふうに思いますけれども、平成七年のあれには残念ながらこれはなくなっているという、これを退歩と見るのか進歩と見るのか、いろいろ観点によって違うんでしょうけれども。
 それで、いわゆる平和外交というか、一国平和主義とかなんとかいろいろなことを言いますけれども、外に向かって、では九条の意味というものを外務省を中心として説いたことがあるのかということですね。
 何年か前、湾岸戦争のときに、日本に対して、日本人は金は出すけれども血は流さないという非難が高まった、国際的に。そのときに、高知のある高校生が、自分の好きだったアメリカのコラムニストのボブ・グリーンにあてて手紙を書くわけですね。もちろん英語で、その九条を含めて。日本には憲法九条があるから軍隊を出さないのだという意味の手紙を書いた。それを読んだボブ・グリーンがそのことをコラムに書き、人気コラムニストですから、全米でそれが配信された。それを読んだアメリカ人たちから、その高校生のところにかなり多くの手紙が寄せられた。そこには、異口同音に知らなかった、日本にそういう九条があることは知らなかった、アメリカにも九条が欲しいといった言葉が並んでいたというふうにあるわけですけれども、何物にも増して、この九条こそ世界に輸出すべきなのではないかというふうに私は考えます。
 それから、憲法というふうなものの耐用年数が過ぎたとかいろんなことを言う人が多いわけですけれども、私は、日本はある意味で官僚国家であると同時に会社国家であるというふうに思っています。
 残念ながら、その会社には憲法というふうなもの、あるいは民主主義というふうなものが一度として入ったことがない。私は、これを憲法番外地というふうに呼んでいますけれども、会社はまさに憲法番外地であって、工場の門前で民主主義は立ちすくむと言われますけれども、企業の門前で民主主義は立ちすくんでいるわけですね。
 最近の雪印乳業とかそごうとか三菱自動車とか、そういうようないわゆる一流企業で起こった事件を例に挙げるまでもなく、日本の企業というふうなものは完全に憲法番外地となっていて、憲法に盛られているような人権、言論の自由とか、そういうふうなものはほとんどないわけですね。トップなんかでも、露骨な意味で憲法というのは会社の外で享受してくださいというふうなことを言うトップもいる。
 それで、例えば東芝という会社があります。その東芝府中工場で、職場八分事件というのが起こるんですけれども、組合も一緒になっていろいろストレートに物を言う社員のことを排除していく、それに対して上野仁という人が裁判を起こすわけですけれども、その過程の中で、労働組合切り崩しの秘密組織、扇会というものの存在が明らかになるわけですね。その扇会の規約というか規定というか、そういうものが非常におもしろいことが書いてありまして、問題のある者、問題者をどういうふうに、どういう人を問題者と規定するかと。
 それは、まず第一に退社後の行動が見当つかない人と書いてあるんです。退社後どこへ行っているかわからないという人はもうそれだけで問題者である。あるいは、新入社員とか若い人の面倒をよく見る人、これも問題者、要注意人物。それから、生理休暇などの権利行使に熱心な人、それから自分の月給はこうだと言い、他人の月給をのぞき込むことに熱心な人、あるいは就業規則をよく読む人というのも入っているんですね。東芝に入ったら就業規則を読んじゃいけないのか。
 こういうふうに、会社というのは完全に、何といいますか憲法番外地になっている。その憲法番外地である会社というふうなものがさまざまなところで問題を起こしているというのは、皆さんもう御承知のとおりだと思います。その状況を見ずして憲法の耐用年数が過ぎたというふうなことを言うのは、私は今の日本の会社国家の現実を知らな過ぎるというふうに思います。
 社宅というふうな存在も日本にはあるわけですけれども、この社宅というのは極めて日本的な光景なんですよね。私は社宅というのは社員を社畜にする社畜小屋であるというふうに言っているわけですけれども、近年ますますその社畜小屋を立派にして喜んでいる社長が多いわけですけれども、この社宅というふうなものは結局社員を二十四時間会社に抱え込むというものになるわけですね。「社宅では犬も肩書外せない」とか、「しっぽ振るポチに自分の姿見る」とか、さまざまな川柳があるんですけれども、そういう会社というふうなものの存在というものを考えたときに、私は日本国憲法の有効性というふうなものは非常に高いというふうに思うわけです。
 何といいますか、いろいろ最近のマスコミの状況を見ましても、自民党内も揺れているし、いろんな揺れがあるみたいですけれども、それでもまだ政治の世界では選挙というふうなことが行われているわけですね。それでもまだというと言い方は失礼ですけれども、選挙によっていろんな人が選ばれる。ところが、会社では選挙じゃないんですよね。そのトップが次に自分の言うことを聞きそうな人を選ぶ、これを禅譲というふうに称するわけですけれども、私は前から社長は選挙制にしろというふうに主張しているんですけれども、そうすると人気取りになるからだめだというふうなことを言うわけですね。
 しかし、じゃ自分の運命、生活を託す人を人気取りで選ぶのか、あるいはもし仮に人気取りで選んだとしても、自分の生活をそこにかけているわけですから、責任は自分でとるというふうな形になるわけですね。だから、社長選挙制みたいなものの問題を一つとってもまさに日本の会社というのは憲法番外地であると。
 ここではさらに例は挙げませんけれども、例えば伊勢神宮を流れる五十鈴川にふんどし一つで肩まで水につからせるみそぎ研修なんというものが今現在いわゆる一流企業と言われるところで行われている。それで、そのみそぎ研修では、やらせる方がばかになって物事に挑むきっかけをつかませると言っているわけですね。つまり、ばかをつくるんだというのがいわゆる日本の一流企業で行われていて、だからその必然の結果として、そごうであり、雪印であり、三菱自動車のことが起こってくるんだというふうなことを私は考えているわけですけれども、そのまさに憲法番外地である会社というふうなものの存在をどういうふうに考えるのかということも憲法について論じるときにぜひ忘れてほしくないというふうに思います。
 以上です。
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 御発言の際には、まず所属会派名をおっしゃっていただくようお願いをいたします。
 それでは、あらかじめ質疑の希望が出ておりますので、私の方から、順次御発言を願いたいと思いますので、御指名をさせていただきます。
 世耕弘成委員。
○世耕弘成君 座ったままでよろしいでしょうか。
○会長(村上正邦君) どうぞ。
○世耕弘成君 自由民主党・保守党の世耕弘成でございます。
 本日は、西部参考人、佐高参考人、お忙しい中ありがとうございました。非常にまた参考になるお話を伺えたと思います。
 ただ、ちょっと一言ずつ申し上げさせていただきますと、まず、私も今IT革命なんかを国の政治の場で一生懸命やっておるんですけれども、決して我々は電子国家などが目指せるとは思っておりませんで、我々はあくまでも電子政府を目指しているつもりでございますので、その辺はよろしくお願いしたいと思います。
 また、佐高参考人から引用がありました昭和六十年の自由民主党の綱領を決めるときの渡辺美智雄先輩の発言でありますけれども、ある意味非常に今おもしろく聞かせていただきました。気が進まない女房を押しつけられたけれども、四十年間大過なく一緒に過ごしてみるとまあそれなりにいいものだというお話のようですけれども、それはやはりある程度年齢がいって枯れている方ならそれでいいのかもしれないですけれども、二十一世紀、ぎらぎら頑張っていきたいなと思う人間にとっては、気の進まないパートナーをそのまま引きずるというよりはやはり新しく出直す気持ちも持ちたいなというような気持ちも持っております。
 さて、この渡辺美智雄先輩の発言なんかにやはり象徴されているのは、ある意味、戦後長い間今の憲法をそのままずっと持ち続けてきて、国民の中に一種あきらめというか、憲法は憲法でいいんじゃないのというような気持ちがかなり蔓延しているんじゃないかなという私は分析を持っております。
 例えば、非常に憲法に対する国民の意識がいまだに高いとは言えない。それにはいろんな原因があるとは思いますけれども、例えば我々も一生懸命この憲法調査会を村上会長のもとでやっているわけですけれども、読売新聞の世論調査、四月に行われたやつですが、それによりますと憲法調査会に関心がないという人が五一%という状況でございまして、森内閣を反対だという人よりはまだ少ないわけですけれども、そういう意味では非常に関心の低さというのをあらわしているんじゃないかなというふうに思います。
 なぜそういうふうに関心が低いのかということを私なりに考えてみまして、やはり西欧の憲法は革命ですとかあるいは独立戦争ですとかそういった大きな社会の混乱を経験した上で、以前にあった権力が完全に消滅をした前提で新しく憲法制定権力みたいなものができまして、そしてそこにいろいろな人が参加する中で自主的な形で憲法が制定されていったんじゃないか。いわゆる西部参考人がおっしゃるところの私は内発的な制定というのがこれに当たるんではないかと思うんですけれども、一方で、やはり日本の場合は敗戦があって、そしてそこへGHQがやってきて、そして現実に憲法制定の作業はこのGHQ主導で極めて短期間の中で行われて、それを日本が受け入れたのか押しいただいたのか、いろいろありますけれども、受け入れた形をとっているというのが日本国憲法の発祥の形態であって、その中にやはり国民が自分たちがつくったんだとか、あるいはこれはこの憲法は自分たちのものなんだというちょっと観念が弱いところが今の憲法意識が低いところにあると思っております。
 その中で、西部参考人なんかは廃憲ということもおっしゃっているわけですが、具体的にこの憲法をもし新しく定める場合にはどういう形で、具体的にはどういう制定権力でもって憲法をつくり直せばいいとお考えなのか、それを西部参考人からお伺いしたいと思います。
○会長(村上正邦君) まず佐高参考人ですか、西部参考人ですか。
○世耕弘成君 西部参考人です。
○参考人(西部邁君) この制定権力のことですが、具体的に論じるのは難しいかもしれませんが、考え方からいえば次のように整理されるかと思います。
 これは、私が好き嫌いの問題ではなくて到底認めがたい、故人ではありますが、宮沢俊義さんたちが現憲法をいわゆる横からの革命というふうに称したと。つまり国民の、国民一般から沸き上がるようにして起こった憲法ではない。だから何というか下からの革命ではない。また、日本国内の特定の権力が強引に憲法を変えるべく上からやった革命でもない。アメリカという横から、太平洋の向こうの横からやってきた革命なんだというのでいわば横からの革命というふうに言っていましたが、いずれにいたしましても、私は現憲法が革命ということ、革命という点においては私は宮沢さんに賛成であります。その意味は、やはり大日本帝国憲法と根本的なところでやはり食い違うような憲法をつくったのでありますから、それは革命と呼ばざるを得ないというふうに思っております。
 ちょっと話がずれるようで恐縮でありますが、カール・シュミットは憲法の部分をいわゆる憲法という名の根幹部分と憲法律という憲法と法律をつなぐような中間的な部分というふうに分けまして、後者の憲法律に関してはいわばその既存の体制の中での改正は可能であろうが、憲法の根幹部分を変えることはそれすなわち考え方として革命にほかならないのであるという、そういう概念分離を施しました。私は、少なくとも考え方からいってカール・シュミットは正しいというふうに考えております。
 さてそこで、今の憲法を変えるときに、私はかなり根幹部分までやはり変えなければならないと思います。そういう意味においたら、これはやはり革命をせざるを得ないというとらえ方になろうかと思います。
 しかしながら、革命を今、世耕先生がおっしゃったように具体的に制定権力としてどうするのかということは、私は論じる力もないし論じたくもありませんが、あえて論じよというのならば私はやはり考え方が大事であって、具体的に、この国会でやるから、いわばこの国会、議会という既存の制度の中で根本部分を変えるから、既存制度の中でやるんだから革命ではないとか、あるいはどこかほかのところに新しい何とか制定議会を開けば革命になるとか、そういうふうに論じるべきではなくて、考え方の面において、既存の制度のこの国会制度の中でやったとしても、自分たちは根本部分まで変えようとしているのであるから実はほかでもないこれは革命的な行為なんだという議論がしっかりと行われ、その議論の、何というかな、趣旨というものが国民各位にそれなりに伝播するような、そういうことのつくられ方であったら私はそれは本質的に言って革命であり、また現在なさなければならないのはそうした革命であると思う。
 というと、なかなか具体的には複雑で、言ってみれば旧権力の中に新権力の制定権力をつくるという、そういってみれば、何というんでしょうか、離れわざをやらなければならない。だから、私はかえってそれは、何というか、おもしろいことだぐらいに先生の皆様方に考えてくださればというふうに思う。
○世耕弘成君 会長。
○会長(村上正邦君) 追加質問ですか。
○世耕弘成君 いえ、二十分という時間ですから。
○会長(村上正邦君) だから追加質問ですか。
○世耕弘成君 はい。
○会長(村上正邦君) 参考人どちら。
○世耕弘成君 もう一度、西部参考人にお伺いしたいです。
 よくわかりました。もう本当に新しい……
○会長(村上正邦君) 二十分というのは参考人の意見陳述が二十分ということですよ。
○世耕弘成君 質疑二十分です。
○会長(村上正邦君) どうも失礼しました。
 どうぞ。
○世耕弘成君 では、もう一つ西部参考人にお伺いしたいんですけれども、西部参考人の憲法改正試案を読ませていただきました。その中で、やはり国民と市民という言葉を使い分けていらっしゃいました。今の御説明の中でも国民と人民という言葉を対比してお使いだったわけですけれども、国民、市民、人民あるいは時には民族という言葉もあるかと思うんですが、その辺の定義の違いと、憲法の中でやはり主役を演じるべきなのは国民だというお考えですけれども、どういう考え方に立ってそういう論を展開されているのか、お伺いしたいと思います。
○参考人(西部邁君) これは、実は戦後、日本人の言葉遣いの問題性ということになるかと思いますが、戦後日本では市民というふうに呼んだときに、国家的な価値とか規範から一〇〇%とまでは申さないものの大きく離脱することを許されるどころかそれを希望、願望するような、そういう人々を指して市民と呼び、そういう振る舞い方をさせて、例えば市民何とか、市民運動というふうに呼ぶことになっておる。しかし、本当は、今現在も、例えばシチズンであれシトワイアンであれ、向こうの字引を引いてみればどういうふうに書いてあるかといえば、例えばシチズンとは国から受ける権利のかわりに国への貢献をなす義務を引き受ける人々と、ちょっと今詳しいこと忘れましたが、そうした意味合いでシチズンなりシトワイアンというものは今でも、何というかな、規定されておる。
 これは当たり前でありまして、フランス革命のときにはまさにそうしたものとしてシトワイアンが、何というかな、位置づけられていたから、したがってフランス人はまさにその後フランス革命に続く形でヨーロッパ、これはあれですけれども、ナポレオンが登場してからでありますが、まさしくフランス革命の精神を延長するという形でほかの国々といろんな戦いを演じたという経緯があるんですね。
 そうした市民ということは、シトワイアン、シチズンという言葉の意味づけすら戦後においては多く崩れているものでありますから、したがって市民という言葉から国民という意味合いが、これはこの場合の国民という意味はあくまでも歴史ということを中心に据えたことでありますけれども、そうした意味合いが戦後日本の市民という言葉はかなり薄らいでいるものでありますから、私は今必要なのはやっぱり国民という言葉の当たり前の意味、つまりそれは国のためであり、国ならば歴史を持ち、そして歴史を持つのならば強かれ弱かれヒストリカルウィズダムとでも言うべきものを自覚するにせよ潜在意識的にせよ引き受ける人々のことを指して国民というのだと。
 そうした国民がその国の根本規範の礎をつくるのだというそういう考え方を宣明するために、やはり私は国民という観念を、しかもそれは単に今の憲法のように国民、言葉を使う、国籍を持っている国民ですよという、そうした単純な上辺の法律的定義じゃなくて、今言ったような国の歴史を担う者としての国民という、そういう考え方を文言としてもやはりいろんなところに入れることが可能だと思います。
 その具体例として言えば、天皇を支える国民の総意のところにも、あるいは自由に対する制限条項としての公共の福祉の基準というところに、その他もろもろ、それは宗教論議もそうだと思いますけれども、私は入れることが可能だというふうに思っております。
○世耕弘成君 本当に私もそのとおりだと思います。
 特にこの市民という言葉は、割と私なんかも小学生ぐらいのころから市民革命なんという言葉で覚えさせられるんですけれども、中身は全然わかっていない。やはり日本の教育の現場でもそういった言葉の定義というのはきっちり整理しておかないと、今、西部参考人がおっしゃるようなきれいな国民的な理解というのが進まないんじゃないかなというふうに思った次第です。
 それに関連してもう一つお伺いしたいのは、在日外国人への参政権の付与の問題でございます。
 今これは国の中でいろんな形で、我が党の中でも今議論が行われているわけですけれども、私は、これはやはり基本的には憲法問題であって、この調査会でもぜひ今後議論をすべきだと個人的には思っておりますけれども、西部参考人は、外国人に保障される権利の範囲、今のその国民の権利ということを踏まえてどういうふうにお考えになっているか。その中に参政権というものが含まれるとお考えになっているかどうか。
○参考人(西部邁君) もちろん、何というんでしょうか、権利という観念は具体的には多重的、重層的になっているわけでありますから、日本に滞在している外国人に一切の権利を許すべきじゃないなどという、そんなの全くばかげた議論でありますけれども、しかしながら、参政権というのはそうした数ある権利の重層的な体系の中での最も根本的な層に位置するものである。そして、先ほどの話の続きでありますから繰り返しませんが、私は、参政権を得る権利というのは、やはりその国の国民の歴史に対して基本的には敬意を払う、そしてその敬意を払う以上、その国の国籍を得ることに対してある種の言ってみれば喜びなり納得なり了解なりを得る人々を指して私は国民というふうに言わざるを得ない。そして、そういう人々にのみやはり参政権が与えられるというふうに考えなきゃならないと思います。
 しかしながら、もちろん誤解のなきように言っておけば、国籍は取らない、その意味では日本の国の歴史に対して敬意は一切払わないが、諸般の事情これあり、この国に何年、何十年というふうに長期滞在する人々は、現実的なこの国にさまざまなる協力なり貢献なりをしてくれているわけですから、それに対するさまざまな権利の保障ということは、義務の付与と同じように権利の保障というものもまた行われて当然であって、それは決して長期滞在外国人を迫害するとか疎外するということに私はならないだろうというふうに思っております。
○世耕弘成君 もう一つお伺いしたいのは、今、森政権非常に支持率が低いわけですけれども、低くなったそのきっかけが神の国発言ということでかなりマスコミにたたかれたところがあるんですが、実はこの神の国発言の部分というのは入り口のちょっとしたところでありまして、あのときの森総理の発言の極めて重要なポイントは、今、子供たちがいろいろ人の命をあやめたり突然切れたような行動をする背景には、やはり戦後の日本が学校現場において宗教教育というものを置き去りにしてきたからだということがあのとき森総理は一番言いたかったこと。しかも、そのときにはわざわざ断りも入れて、特定の神ではない、アマテラスオオミカミでもキリストでも日蓮でもだれでもいいから、お互いに大切にしている神様を尊重し合いましょうということを学校現場で教えてはなぜいけないんだろうかというのが一番あのときの森総理の発言の私は趣旨だったと思うんです。
 憲法二十条では宗教教育というものは禁止されています。また、西部参考人の試案でも宗教教育に関してはかなり厳しい態度なのかなと思うんですけれども、そういう特定の宗教に偏らない、いわゆる宗教心の醸成ということについてどのようにお考えでしょうか。
○参考人(西部邁君) ちょっといろんなことを申して恐縮なんでありますけれども、実は、神の国というよりも神々の国ということになるんでしょうが、ラフカディオ・ハーン、小泉八雲がかつて日本のことを指して神々の国というふうに呼んでおったと。あれから百年近くたちましたが、もしも森首相がそういう脈絡でおっしゃられた、あるいはもっと広く、日本のいわば文化論的な、日本文化の基底として神々の国と言うのならば、恐らくラフカディオ・ハーン、小泉八雲以来、それは今なお続いている日本への根本的な理解でありますから、それについては私は全く正しいことだろうというふうに思っております。
 それから、これは全く余計なことを答えて皆様に恐縮でありますが、私は政治家であったとしたら森首相のような答え方は、私は今の日本の戦後民主主義がいかにひどいものかということを深く自覚しておりますので、こういう戦後民主主義のただ中で誤解されるような発言は、私はできるだけ政治家ならば避けようと思いますが、そのこととは別として、政治家としての発言ということを別として言えば、あの森首相という方のおっしゃったことのかなりの部分はまことに正しいことをおっしゃっていて、おもしろい方だなと私は眺めております。
 ちょっと話が脱線ぎみでありますけれども、例えば、無党派は寝てくれていればいいというのは、あれは実に正しい発言でありまして、この場合の無党派というのは、実は民主主義論と関係があるから言わせていただきたいが、無党派というのは別に政党に所属していないという意味ではなくて、選挙の前日になってもどの候補に投票すべきかについてありていに言えば考えたこともなかったり、あるいは判断が一向につかない、はっきり申しますが、こういう人々のすべてとは申しませんが、大半は選挙というものに対して無関心もしくは判断無能力であるということでありますから、民主主義を堕落させる根本の原因は無関心、無能力の人間が政治に参加することぐらい政治を退廃させるもとはありませんので、そういう意味では、無党派は寝てくれていればいいということそれ自体は大変正しいんだけれども、そのことを選挙のど真ん中で与党の党首なりなんなりが言うことは、私なら口が裂けても言わないだろうと思いますけれども、なかなかおもしろい方だなと思っています。
 話を戻しますけれども、戻さないのかな、今からちょうど百一年前に新渡戸稲造は、ヨーロッパ人たちから、一体おまえたちの国で宗教教育があるのか、宗教教育もないままにどうして日本国民にモラル、道徳というものが植えつけられるのかという激しい批判を浴びて、彼は御存じのように「武士道」という書物を書き、同じ時期に内村鑑三は、発表されたのは一九〇五年の日露戦争の後でありますが、やはり「代表的日本人」というものを書いて、日本のこれはほとんど宗教感情の問題でありますが、宗教と接触するような日本人の道徳感情というものの最も典型的な例が実は武士道なのだということを言って、しかも両名ともクリスチャンであり、しかも両名とも英語でもってそれを発表するという形で、日本人のモラルマインド、道徳心が実はそうした形でレリジアスマインド、宗教心ともかかわっているということを明治の人はさすが偉いからそのことをはっきりと教示してくれましたが、私を初めといたしまして昭和、平成ともなればやはり時代も人物も相当矮小になりますので、そうした議論がよみがえるべきときによみがえらないという、残念のきわみであります。
 一言申しますが、実は、道徳のことをモラルと言いますが、モラルの語源は皆さん御存じのようにモーレスと同じでありまして、モーレスということは実は集団の慣習という意味であります。この場合でいえば、国民の歴史的慣習、これがモーレスであり、実はこのモーレスの少なくとも中心部分につまりモラル、道徳というものがわだかまっているんだと。そのことを指し示すということを日本人の大人たちがやってこなかった。
 もう一言つけ加えさせてもらいますが、今、森首相のおそばにあるらしい教育改革国民会議において社会奉仕の義務化ということになりましたが、私はそのこと自体に賛成でありますけれども、ところがまことに残念なのは、今現在日本の大人たちが、例えばグローバリズムだマーケティズムだ人権主義だ云々と言いながら、言ってみればプライベートな、私的な利益というものを盛大に振り回すことに専念して、パブリックなものに対する執着とか責任ということを日本の大人たちがむしろ改革の名において足げにしておいて、そして子供たちには社会への奉仕を義務づけるというのは、とんでもない大人たちがこの国に発生しているのだなと私はつくづく思っております。
 子供は親の背を見て育つと言いますが、子供に対してモラルマインドを植えつけたいのならば、日本の大人たちこそがモラルマインドに基づく行動なりなんなりをしなければならない。そして、モラルマインドということを一たび気づけば、当然ながらモーレス、つまり歴史的慣習というものに気づかざるを得ないし、もちろんそれは宗教もかかわってきてのことだと思いますけれども、そうしたことをこの憲法を初めとしていろんな形で半世紀間に及んでずたずたにしておきながら、そしてそこから当然ながらそうした子供たちが生まれれば、それを嘆いて子供たちにいわば奉仕の義務化というのはやはり大きく間違っているんだと。大人たちこそがまず率先して直していかなければいけないんだろうという、そういうふうなことを考えております。
○会長(村上正邦君) 時間になりましたので。
○世耕弘成君 時間ですので、ありがとうございました。
○会長(村上正邦君) 小川敏夫委員。
○小川敏夫君 民主党・新緑風会の小川敏夫でございます。
 西部先生の方に大変いろいろお話をお伺いしまして、国民という概念で、国の歴史を背負う者だと、国の歴史を背負う者が当然国民なんだというお話。あるいは、先生のお話の中で、これまでの伝統ということを大変に重要な価値としてとらえられておられると思うんですが、もう最近は日本の国民あるいはこの国で生活する人々の中でもやはり国際化というものが進みまして、本来日本ではない、例えば近隣諸国、フィリピンとかの女性が日本人男性に嫁いできて、今現在日本で生活しておるというようなケースもたくさんございます。
 そうした本来日本の歴史を背負わない人、そういう人たちが帰化というような形で国に入ってくるというような、そうしたことがこれから将来どんどんふえていくかと思うんですね。また反対に、日本人女性が外国人男性と結婚して、しかし日本人女性の子供ですと当然日本国籍を持つというようなこともあります。
 そうした国際化という観点から見て、将来また国際化がさらに進んでいくだろう日本も当然その中に入っていかなくてはいけないと思うときに、先生が考えておられる国の観点、これはどういうふうに調和していくのか、そこら辺のところをお聞かせいただければと思うんですが。
○参考人(西部邁君) 先生のお名前は何といわれるんでしょうか。
○小川敏夫君 小川といいます。
○参考人(西部邁君) 小川先生がおっしゃったことが実は大問題、というよりもそのことがしっかり押さえられてこなかったところが戦後の問題なんですけれども、私が国家とかあるいはましてや国家の歴史と言ったときには当然ながら当初から国際性ということが含まれているわけです。
 はっきり申しますが、国家というものは外面、外側から見れば、当然ながら、これは縄文の昔からと言っていいんでしょうが、いわばインターナショナルリレーション、国際的関係のもとに日本は外面的にはあったわけですね。
 あるいは、先ほど言いましたが、それを内面的に言えば、例えば東北地方と大和地方というふうに、言ってみればイントラナショナルというか、国内的な、そしてそれは先ほど言いましたように、インターリージョナルな、東北地方とか大和地方といった種類、奥羽地方と大和地方といった種類の、そうした地域間関係となっていると。
 さて、そうしますと、いわば国の歴史的慣習とは何かといったら、これは当然ながら国際化と反するものではなくて、国際化をどういうふうに推し進めるか、あるいは国際化の影響をどういうふうに引き受けるかということの日本の歴史的なやり方ということになる。
 また、もう一つ大事な点は、実は慣習と伝統の違いでありますけれども、これは私が言っても信じてくださらないでありましょうから名前だけ挙げてみれば、これは例えば、もう亡くなられた方々ばかりでありますけれども、田中美知太郎さんであろうが、あるいは福田恆存さんであろうが、小林秀雄さんであろうが、実は慣習と伝統というものは区別しなければならないと。問題はこうなんであります。
 つまり、慣習の中には言ってみれば良習と悪習というか、普通、伝統と言われる比較的よきものと因習と呼ばれる比較的あしきもの、そういうものが両方まじっているのが慣習と言わざるを得ない。そして、伝統とは何かといったら、その慣習の中心部に、どういうものが守るべき慣習であってどういうものが壊すべき、捨てるべき、あるいは軽んじていい慣習であるかということのそうした基準というものを探す、そういう日本のやり方、これが日本の伝統の精神なんだということを言っております。
 例えば、小林秀雄氏に学んで言うのならば、私が生まれる年でありますから昭和十四年に既に朝日新聞の小さなコラム欄のエッセーを彼は書いておりまして、そこで慣習と伝統とは違うのだ、慣習というのは人々がほとんど無意識のままに殊さら考えずに日々踏襲しているものが習慣、慣習であるが、実は伝統というのはそうではなくて、自分たちが日々ほとんど無意識にやっているしゃべり方とか振る舞い方というものの中にどういうふうな歴史の英知が含まれているかということを意識化して、そこで探り当てられるものが実は伝統なのだという、そういう言い方をしている。
 私がここで伝統というふうに言っているのは、あくまで小林秀雄さんがかつて今から何十年も前に言ったことでありまして、歴史的慣習の中に含まれている日本人の例えば国際化に取り組むときの英知、あるいは国内のいろんな地域連関というものを見定めるときの英知、そうしたいわば歴史的な英知のことを指してここではとりあえず伝統という呼び方をしている。そして、これは私の用語法ということではなくて、日本の保守的精神の流れというものを支えてきた人々の基本的な用語法だろうというふうに私は考えております。
 これでいいかどうかわかりませんが、とりあえずそういうふうに答えておきます。
○小川敏夫君 御説明、お伺いいたしました。
 あと、先生のお話の中で、公共の福祉、人権の点でございますが、この公共の福祉のあり方についても歴史的に培われた価値観というものを基調にしていくんだという趣旨のお話がありましたけれども、私、歴史的に培われたといいましても、この人権感覚が果たして日本のこれまでの歴史の中でどれほどあったのか。
 例えば、江戸時代ですと、切り捨て御免で一般町民は武士にばっさり切られてしまってそれで終わりというようなそんな時代があったわけでございますので、歴史的に培われた基準で公共の福祉というとどうもちょっとわかりにくい。むしろ、そこら辺が、公共の福祉の概念が人権を全くないがしろにしてしまうかのような方向で考えられはしないかと。
 ちょっと私の理解が不十分なところもあると思うんですが、その点、もう少しお話をお聞かせいただければと思います。
○参考人(西部邁君) おっしゃらんとする疑念はもちろんよくわかります。
 さらに議論を拡大するようで恐縮なのでありますけれども、かつて、今から二百年以上も前でありますけれども、イギリスのエドマンド・バークは次のように言ってのけた。これは、実は今なおヨーロッパの成熟した精神を支えているベースだと思いますが、彼は、いわば人間の権利、つまりヒューマンライトなどは何を言っているかちんぷんかんぷんであるどころか極めて有害な観念であると。しかしながら、自分、自分ですね、エドマンド・バークも、何というか国民の権利ということならば盛大に認めようと。
 彼が言わんとしたことは、人間の権利ではなく国民の権利と言った意味は、決して何というんでしょうか排外主義とか、そうした民族主義、人種主義の考え方じゃなくて、先ほどと同じことなんでありますが、国民ならば国民の歴史というものがある、そうして歴史に基づくルール感覚、それに基づいて権利というものが決まってくるんだと。それを抜きにして人間一般の権利と言うことは、つまりルールというものが具体的に浮かび上がってこないから、ルールというものは今風に言えばアメリカと日本も、日本とヨーロッパも、ヨーロッパと中国も、歴史が異なる以上、ルールの具体的内容は異なるんだと。そのことを度外視して人間一般の権利と言うことは、あらゆる人間に共通する完全に普遍的なルールがあるなどという迷妄からしか人間の権利というのは出てこないという意味において、彼、エドマンド・バークは、ヒューマンライトは認めないが国民の権利は認めるというふうに言ってのけた。そのことと私は深い関係があることだと思いますけれども。
 もう一言だけ言うと、日本人は今もなお、情けないことに、フランス革命の自由、平等、博愛という価値のトリアーデ、三幅対を振りかざすことをやり続けておりますが、これはちょっと考えれば、自由に対しては秩序がなければならず、そして平等に対しては当然ながらあるべき格差を認めなければならず、それから博愛に対してはあるべき競い合い、つまり英語でエミュレーションと言いますが、競合というものがなければならない。
 つまり、成熟した国民が目指すべきは、自由と秩序の間のバランス、そして平等と格差の間のバランス、そして博愛と競合の間のバランス、これを目指すべきが成熟した国民精神というものであり、先ほどから私が伝統と言っているのは、当然ながらそれは今現在ではなくて、江戸時代だろうが奈良時代だろうがその時々の状況の中で、こうした互いに矛盾し合う価値の間でどういうふうにバランスをとるかという営みが成功したり失敗したり延々と続けられてきたのだと。そして、私が伝統の精神と言うのは、そうした日本の歴史の中にあるバランスをとろうということにおける成功例のみならず、失敗例からも学ぼうとする態度がなければ当然国民の精神は成熟しないんだと。
 したがって、そこを具体的に、江戸時代のどれをまねるんですかとかあるいは平安時代のこれを持ってきてもいいんですかという、それは余りにも実体主義的な、私に言わせれば誤謬でありまして、私が先ほどから議論しようとしているのは、そうした複雑な価値の矛盾とか規範の矛盾の中でどういう平衡をとるかという、平衡のとり方の、そういう歴史的経験に学びながら、国会で議論し新聞で議論し広場で議論するという、そういう議論のあり方、この議論のあり方が根本的に成熟しなければ、そんなものは単なるその時々の気分に紛れた例えば多数決としての世論であって、そんなものは一週間後に化けの皮がはがれるということが今現在しょっちゅう起こっているんだと。
 そういうことから抜けるためには、歴史のバランス感覚に学んだ討論、議論、会話というものを国会を先頭にして展開していく中で、もちろんそれにおいても成功も失敗もあるでしょうが、そういう構え方が今日本国民に必要なんだということを言わんとして、あと具体的にどうするかは私の権限でも能力でもありませんので、それを具体的な状況の中で具体的にどうするかを決めるのが、それが国会の先生方の皆さんのお仕事であって、私は別に逃亡するわけじゃありませんが、そんなことについてどこかの何とか委員会に呼ばれようとも参考人で呼ばれようとも、私は一貫して、そういう具体的なことは私にはわからないから今のんきな知識人をやっているのだというのが私の立場であります。
○小川敏夫君 ありがとうございます。
 佐高先生にお尋ねしますけれども、端的に憲法九条でございますが、憲法九条に書いてある条文、これと現実はやはり素直に読んでみて合わないと思います。これは合わないから現実に合わせて憲法を改正しろという人もいますし、反対に、憲法を誤解のないようにもっと理念を徹底しろ、現実を変えろという方もいろいろいらっしゃいます。
 その点、佐高先生は、憲法九条と現実が合っていないというような状況についてどのように考え、進んでいったらいいか、お考えをお聞かせください。
○参考人(佐高信君) もちろん法律というふうなものは、小川さんも先刻御承知のように、現実とぴったり合っていれば法律はそもそも必要ないわけですね。法律というのはある種の理想を込めているわけでして、そういう意味では私は先ほど挙げた高校生にむしろ私たちが教えられているというふうなことだろうと思いますけれども、さまざまな試みによって現実に穴をあけていくという方向を九条というのは指し示しているんだろうというふうに思います。
 光というのは、やみが深ければ深いほど光もまた輝くわけで、そういう意味では私は、現実のやみが深くとも憲法九条というのはそれによって必要がなくなるということではないというふうに考えています。
○小川敏夫君 ありがとうございます。
 あと、今の企業の例、働く人の例がございました。私もそれを憲法的にどうとらえていいか、ちょっと私の理解も足らなかったんですが、今の憲法の人権という感覚が企業にまでよく浸透しておれば佐高先生御指摘のような問題は起きなかったようにも思うんですが、憲法というのは国家と国民という位置づけで規定をしておりまして、企業というものを直接規定する規定がないわけでございますが、実際、現在の社会あるいは将来的には企業の存在というものが非常に大きく国民生活にかかわる、かかわるどころかもう一体化するような抜き差しならない関係だと思うんです。
 そうした意味で、企業が人権を損なうような行為があったとするような場合、それを憲法上どうとらえていくのか、企業に対して何らかの制約を加えていくのか、やはり国家と国民という観点で憲法をとらえてそれを国民に徹底する、企業もその中の国民の一人だという観点でいくのか、企業が行う人権問題に関してどのように考えていったらいいのか、ちょっとお知恵をお聞かせいただければと思います。
○参考人(佐高信君) 前は例を挙げなかったんですけれども、例えば公法的部分というか、公の法ですね、にかかわる部分としては、例えば企業ぐるみ選挙みたいなのがありますよね。それも今決してなくなっているわけじゃないわけですけれども、ああいう極めて私の法でない部分の問題というのは提起できると思うんですね。そういうところから会社の中に憲法といいますか、そういうことは推し広げられるんじゃないかと。
 あるいは、言論の自由とかそういうふうな話でも、一つの、もちろん会社というのは一応、一応というか民間企業ということになっているわけですから、ただ国家にある種準ずる権力を持つ側面もあるわけで、その辺のところはこれからの課題として、会社の中に憲法をという前提でさまざまに広げていくということは可能なんじゃないかと思うんですけれども。
○小川敏夫君 終わります。
○会長(村上正邦君) 時間はありますよ。どうぞ。まだありますよ。
○小川敏夫君 そうですか。わかりました。では、また西部先生に。
 天皇制のあり方も、先生のその憲法試案では伝統という表現は出てまいるんですが、ただ日本の歴史を振り返ってみましても、天皇の地位というのはやはり歴史によって随分違いまして、まるっきりないがしろにされていた時代もございます。そういう歴史の中のどの時点を、どの時点をとるというのもまたおかしいでしょうけれども、日本の歴史の中にはそうした天皇が全くないがしろにされていた時代もあるわけでして、そういうことも含めて一体どこの歴史のポイントを日本の伝統と呼ぶのか、天皇制に関してもお聞かせいただければと思います。
○参考人(西部邁君) 先ほど言ったように、伝統というのは言ってみれば日本人の歴史の慣習の流れを解釈する、いわば意識的に解釈する考え方でありますから、今のことでおっしゃるなら、当然ながら天皇の地位が、本当に京都のどこかに貧しいいおりを結んで暮らしておられたようなときもありますけれども、それにもかかわらず連綿として数千年にわたって続いている。もちろんそのあり方もいろいろ変わりましたが、しかしながらそうした継続性、連続性、安定性というものを歴史の中から見出すことができる。
 そうならば、それを何も熱狂的に、エンシュージアスチックに、だからこれこそが日本のナショナリティーの化身だと叫び立てる必要は全く毫もございませんが、冷静に考えて、自分たちの過去にこういう連綿たる流れがあったのならば、そういうふうな物の感じ方、受けとめ方とあるいは振る舞い方というものが我々自身の、ITの時代であろうとも、今現在の我々の言葉の使い方とか家族のつくり方とか隣近所の接触、社交の仕方の中に強かれ弱かれある種、類同のものが、相同のものが流れているのではなかろうかというふうに考えるのはいわば認識論的に言ってむしろ全くノーマルなことでありまして、そういう意味におきまして、そうならば天皇という一つの制度を認めるのが一応伝統の精神ということなんだろうなということにおける国民の総意という、そういうことを言っただけであります。
 つまり、小川先生のように、実体的にじゃ天皇がどれだけ威張っていればいいんだとか、どれだけ政治から離れていればいいんだという、そういう具体的なこと自体はそれこそ状況いかんにおいてはいろいろ変わるものでありまして、余り長くしゃべるとしかられるから一言をもってしますが、例えば孔子が論語を書いた後、陽明学の熊沢蕃山が時処位というふうに言いましたが、一つの論語的な道徳なら道徳がどういうふうに使われるべきかはまさに時と所と位置によるのだと。今はやりの英語で言えばTPOでいいわけでありますが、TPOによるのだと。しかしながら、TPOによるとしても、それは全く無原則に状況依存ということじゃなくて、ある種の根本的な考え方に対して、今の時と所と位置がどうだからこれはこの程度というふうにそれを具体的に実体的に定めていくのは、それこそ実践の場におられる政治家だけとは申しませんが、経営者なども含めまして、それはまた私の考え方とは少なくとも一次元、別次元のところにあるんだというふうにしか今のところ言いようがない。
○小川敏夫君 ありがとうございます。
○会長(村上正邦君) 魚住裕一郎幹事。
○魚住裕一郎君 公明党の魚住裕一郎でございます。
 先ほど、両参考人の御意見を拝聴いたしました。大変示唆に富む内容で、楽しくというか有益に聞かせていただいたところでございます。
 それで、佐高参考人にまずお尋ねしたいんですが、先ほど憲法番外地ということで会社のことを触れられました。憲法を検討する際には会社というもののことを考えよということだったと思うんですが、ただ、一方では会社は憲法はもちろん私有財産制あるいは職業選択の自由というもとで機能をしているわけであり、また国政上大きな機能を持っている政党さえ現行憲法上は規定がないところです。
 また一方、ちょうどことし二〇〇〇年ですが、ことしの正月あたりのテレビ番組等を見ますと、一九〇〇年ごろの大きな会社はほとんど今は余り残っていないといいますか、百年たてば大会社も大きくさま変わりしていくというような、そういうような番組も見たことがあるわけです。
 結局、会社といっても私的な利益追求、もちろん社会的な生産というようなことで大きな価値を持っているわけでありますが、永続性ということから考えると、大きく国家の体制をどうするか、あるいは先ほど先生がおっしゃったような制限規範としての憲法ということを考えてみたら、ちょっとここの中に会社というものを規定して入れ込んでいくというのはかなり難しいんではないのかなというふうに思うところでございますが、その点はどういうふうにお考えでしょうか。
○参考人(佐高信君) 先ほど小川さんに対しても申し上げましたように、基本的に公の方の公法の憲法であるわけですけれども、ただ企業ぐるみ選挙みたいなものは実際に行われているわけですよね。その実態に対して、言論の自由なり何の自由なりという観点から、会社の方が国家的な枠をかけてくるというふうなときに、それに対して、それはおかしいではないかというふうに訴えかけていくというのは、別に民間企業というふうなことの枠を会社の方が外しているわけですから、それは全然構わないんじゃないかと。こちらが逆に民間企業という枠で見た場合に、かえって権利の侵害というのを見過ごすことになるんじゃないかというふうに考えます。
○魚住裕一郎君 確かに、会社といっても町工場の二、三人でやっている会社もあれば、もう国家の枠を超えるというか、そういうような会社もあるわけで、きょうの意見を参考にしながら研究といいますか、検討を加えていきたいと思います。
 次に、西部参考人、お願いをいたします。
 「法はどこからやってくるのか」という、こういうレジュメがございます。歴史の英知であるというお話でございますが、昔読んだ本で、法の究極にあるものというような何か本があったような気がするわけでございますが、ただ、歴史の英知といっても、それは現在世代に流れ込んできてまた将来世代に現代世代から流れていくというふうに思うわけです。
 それで、先生は国民の総意もそういう歴史の英知ということと同じではないかというふうにおっしゃったんですが、やはり現代世代を捨象してしまってはちょっと法律論議としては成り立たないんではないか、あるいは歴史の英知といっても非常に観念的なものに感ずるんですが、ちょっともう少し説明をお願いできますか。
○参考人(西部邁君) おっしゃったとおりでいいと思います。
 その意味は、先ほどもちょっと言ったはずなんですが、歴史の英知といい伝統の精神といい、それが何であるかをいささかでも具体的に語るためには、現実の状況の中で現在世代の者たちがその上で議論し認識し確認するしかない。
 ところが、問題は、この現憲法がまさにそうでありますけれども、戦後の風潮一般にも見られることでありますが、やはり大ざっぱに、大まかに言って、日本の戦前の歴史はほぼトータルに間違いであったと。つまり、歴史から酌み取るべきものは皆無とは言わないまでもほとんどないのである。それよりも、既存の過去の歴史から離れれば離れるほどそれがその進歩の速度であり大きさなんだと。
 これは戦後日本だけじゃありませんけれども、近代一般に見られる通弊なんですけれども、それがそういうふうに考えるいわば進歩主義的なバイアスがかかっていて、それはアメリカ経由で、戦後日本においては非常に強い、言ってみれば歴史軽視、歴史無視、ひいては歴史破壊のそういうバイアスがかかっていた。そのことは、いろんな意味で、憲法解釈問題を含めまして、いろんな価値論的なゆがみを、あるいは規範感覚におけるゆがみを戦後日本にもたらしたんだ。
 したがって、もしも憲法を改正するのならば、そういう歴史というふうな要素が浮かび上がってくるような文言をきちんとちりばめることを通じて、日本国民に、政治家を初めとして、いろんな議論の随所随所にいろんな意味での歴史感覚を交えながらの議論でなければそんなものはまともな議論じゃないんだという、そういうふうな方向性というものを憲法で示すのが、私はそれこそ規範感覚のうちの一番重要なことだというふうに思っている、そういうことであります。
○魚住裕一郎君 先ほど小川委員からもお話が出たんですが、いわゆる日本民族以外の、今でも私は日本は単一民族とは言い切れない国だと思っておりますが、もっと国際的に人間の移動が多くなれば、多くの民族が今の日本のエリアに住むんだろうというふうに思うんですね。そうすると、今おっしゃったような歴史の英知もいろんな混在をしてくるというような形になるわけでございます。
 例えばドイツとかは、トルコの方がいっぱい出稼ぎに来るとか、こういうことがございまして、もう何世代になっている場合もある。そうすると憲法の中でドイツ国民はどうするか。日本国憲法でも法律によって定めるというふうになっていますが、国籍も、ドイツで生まれればドイツ国籍を与える、ただ一定の年限になって、例えば成人になれば国籍の離脱も可能になる、そういうような憲法体制になっているわけですね。
 だから、ある意味ではそういう方向性に行くのかなというふうに思うんですね、社会の実態として。それで、私の感覚では、マルチエスニックステートというような方向性に行くんではないかというふうに思っておるんですが、その点は先生はどうお考えでしょうか。
○参考人(西部邁君) 今言った方向性という言葉には僕はぜひ気をつけていただきたいと思うのは、ちょっと抽象的な言い方で恐縮ですけれども、ある状況に接線を引いてやって、状況ということは曲線で、いろいろと屈折のところ、湾曲のある、つまり状況の推移に対して今現在に接線を引いてやれば、その接線の遠く遠くに向かう先は、今、先生がおっしゃられたように、例えばグローバリズムでも多人種の混交でも、そういうことが浮かび上がってくることは確かであります。
 しかしながら、実はリアリティーというものは、現実というものは、接線の上を軽やかにロケットのように飛んで、要するに無限の果てまで進んでいくわけじゃないわけです。つまり、必ずやさまざまな国と国があれば国の違いがあり、国の違いがあれば当然ながら相互理解もあるだろうが相互誤解もある。つまり、連帯もあれば敵対もあるという、そういう矛盾、葛藤の中で進んでいくのが要するに国際関係全般でありますから、必ずや接線の上に乗っかって日本国なり日本人民がその上を軽やかに滑って宇宙の果てへ行くなんということは、はっきり言ってあり得ない。
 一言だけほかの例で言いますけれども、先ほど自民党の世耕先生からも言われましたが、今現在、日本では二十一世紀へ向けて、つまり二十一世紀の新しい展望といったらほとんどIT革命しか言われていないふうな御時世でありますけれども、皆さん御存じかどうか、既にことしの九月のアメリカの新卒の大学生たちの就職希望の中でいわゆるドットコムカンパニー、つまり情報関連、インターネットを初めとする情報産業を使って、情報、こうしたインターネットを使ってみんながそれこそグローバルに交流し合う云々という、そんな種類のいわゆるベンチャー企業の就職希望者はことしでいってたったの一三%である。それのみならず、実は就職希望者の八〇%が、できるならば既存の大企業に就職したいものだ。その理由もはっきりしておりまして、既存の大企業ならばそう簡単に首を切られることがないであろう。つまり、長期雇用が確保されるのならば、その間に自分は経営技術、情報技術も含めましてさまざまなノウハウをサラリーマン、ビジネスマンとして身につけることができるであろう。
 これはかつて日本人が、ちょっと前に日本人が言っていたことでありますけれども、そんなふうな、現にITの発信基地であったと言われているアメリカですらもうそういうことになっている。小さい声で言いますが、そんなの当たり前であって、大統領の集計もできないような、それがそのIT国家なわけでありますから、アメリカ人自身はそんなITなどというものの限度を既にわかり始めている。ところが、ITに接線を引いて、向かう先はIT革命だと言って例えば日本人がやると。
 私が言いたいのは、アメリカから来るいろんな考え方に接線を引いて、それがそうしたら、純粋方向に日本人が今後進みましょうという考え方は、五十五年間間違ってきたんだから今後も間違うに違いないと。そろそろ、アメリカから吹いてくる風は、必ずしも臭いとは申しませんけれども、かなりむなしい風が吹いてくるんだぐらいのことはひそかな政治家の常識として持っていただきたいと私は思いますけれども。
○魚住裕一郎君 確かにどの点で接線を引くのか、ただ、接線をずっと集計してその時点時点で傾向性を探っていけばまたちょっと違った局面へ行くのかなというふうに思います。
 それとの関係で、先ほどレジュメの中でローカリズムとグローバリズム云々と載っていますが、これもまたどこの時点で接線をとるのかわかりませんけれども、でも現実としてそういうことが起こってきている。そういう危機意識のもとでこういうレジュメを先生はお書きになったと思うんですが、その場合において、さらに進展していく、今、国家破壊の元凶と書いておられますから、何とかそういう中でも国家というものをきちっと確立しましょうよという、そういうお考えだと思いますけれども、その場合においても、その国家の役割というものは西部先生はどういうふうにお考えでしょうか。
○参考人(西部邁君) ですから、ここにもちょっと、先ほど発言で言ったのかもしれませんが、私は、ローカリズムではなくてインターリージョナリズム、つまり国際という言葉をもじって言えば、地域間のことですから地際関係、地際主義とでもいうべきものが大事だと思います。
 実は、今言った国家といってもこの場合は中央政府のことでありますけれども、私は、国家という言葉は先ほど言ったように国民とその政府というふうにしっかりと押さえるべきだと思いますから、中央政府というふうに言い直させていただきます。
 中央政府の役割は、例えば北海道と東北はどうであるべきか、しかしそれを考える際には、東北と北陸の関係も考えに入れなきゃいけない、北陸と関西云々というふうに。そうした全体のさまざまな地域、別にこれは何とか地方じゃなくて何とか市と何とか町でもいいんですけれども、そうしたさまざまな地域間連関の言ってみれば総体的な姿を全体として判断して、全体としてさまざまなオリエンテーションなりサジェスチョンなりを与えていくのが中央政府の仕事で、もちろんそのオリエンテーション、サジェスチョンにどういうファイナンシャルな裏づけを与えるべきかはこれまた財政問題でありますから、私ごときが今のところはそういう能力もありませんのでそれについては発言は差し控えますけれども、考え方から言えば、やっぱり地域間連関、地際関係の総体的な姿を判断し、その判断に基づいてさまざまな実質ある裏づけをなすのが中央政府の仕事であり、逆に言えば、そういう中央政府の仕事に裏づけられなければ、いわゆる地域主義というものは結局地域間の分解状態をもたらしておしまいではなかろうかというふうに言っただけのことであります。
○会長(村上正邦君) もう時間です。
○魚住裕一郎君 あと一分ですから。
 私もちょっと、国家が大分崩れてきているなと。ボスニアの問題にしても、人権ということで他国が爆弾を落としていくというようなことがあって、またあるいはヨーロッパもEUというような形でほとんど国家概念というのはどんどん変わってきているなと。そういう中で、国家というものはどういうような役割なんだろうかというふうにずっと考えていたものですから、ちょっと質問をさせていただきました。
 貴重な御意見、ありがとうございました。
○会長(村上正邦君) どうぞ、佐高先生にもひとつ質問をしていただかないと、お退屈をなさっては大変恐縮でございますので。
 橋本敦委員。
○橋本敦君 それではまず、佐高参考人から私は伺わせていただきます。
 日本共産党の橋本でございます。
 先ほど、佐高参考人のお話の中に渡辺美智雄さんの言葉で戦後四十年……
○会長(村上正邦君) ちょっと橋本先生、声が小さいんですが。聞こえないんですが。もうちょっと大きくお願いします。
○橋本敦君 そうですか、入っていませんか。これで入っていますか。
 いつか変えようとこう思っても、戦後四十年、憲法は大変なじんできたというお話がありましたね。
 それからもう一つ佐高参考人がおっしゃった大事なこととしては、高知の民権お蔦のお話がございましたが、実はもう戦前の時代から、民主主義というものはアメリカの発明じゃなくて高知にもあったんだよと、両性の平等もあったんだよと、そういうお話もありました。
 これはやっぱり日本の憲法の民主主義の理念が受け入れられる、そういう歴史的な素地というのが国民運動の中にあったということと二つ結びついて、私は非常に大事だと思うんですね。
 だから、明治以後も自由民権運動があり、婦人参政権運動があり、大正デモクラシーがあり、そしてまた私ども日本共産党についていいますならば、主権在民、思想・言論の自由、両性の平等、こういった民主主義的な日本の変革を求めてやってまいりまして、国体を変革するものということで大変な弾圧を受けたわけですが、いずれにしても、そういった歴史の発展の方向を目指す運動が日本の国民の中にも戦前からあったということが戦後の憲法を受け入れる非常に大事な素地になってきたと、私はこう思うんですね。
 そういう意味で、よく言われる改憲のための押しつけ憲法論、あるいは西部参考人は押しいただき憲法と、こういう表現をされましたけれども、どちらにしても、戦後の憲法の民主主義的理念や恒久平和を、日本の国民は歴史的にいろいろ戦前の政治の中で抑圧はされたけれども、歴史の底の流れの方ではこれを受け入れるそういうやっぱり歴史的な素地とそれから方向性を持っていたと、そういう運動があったということを私は大事だと思うんですが、その点、どうお考えでしょうか。
○参考人(佐高信君) 押しつけと受け取る人たちと同じくらいというか、あるいはそれ以上に日本国憲法を歓迎する人たちがいたということなんだろうと思うんですね。全部が全部押しつけと受け取ったわけではないということですね。それは、今おっしゃられたとおりだと思いますけれども。
 特に、憲法九条の平和主義につきましては、これが男女平等規定というか男女同権規定と絡まって、改憲論者の中にはその二つを結びつけた形で改めるというか、そういう人たちが多い。言ってみれば、女性べっ視論者といますか、その言葉が強ければ女性軽視論者というか、そういう人たちがかなり改憲の人たちには多いというのは、先ほど例に挙げた平和への女性の、婦人の願いというものとか、そういうものと結びついているんだろうというふうに思います。
○橋本敦君 会長。
○会長(村上正邦君) 与えられた時間で自由にひとつよろしく。
○橋本敦君 はい。
 では、次の問題として、佐高参考人は、憲法九条の恒久平和主義、これを非常に高く評価をされまして、そしてこれは大事な国民の財産だと、そして、何にも増して世界に輸出するとすればこの憲法の平和、恒久平和主義ではないか、こうおっしゃったわけですが、これは二十一世紀を展望するアジア、世界のこれからの発展の方向として、やっぱり日本の憲法は先駆的な大事な意義を持っているんではないかというように私ども考えているわけですね。それはハーグにおける世界市民会議でも決議の第一条で日本の平和憲法、戦争放棄、これを世界の憲法に取り入れようよということが決議されて、市民運動の中では広がり始めている。
 それから、先ほどお話がありました日本の高知の一高校生の手紙によって、ボブ・グリーンさんですか、この方がアメリカにおけるそういう状況の中で広めていただいた結果、日本の憲法がそんなにすばらしいものとは知らなかったという、こういう声も出ているわけですね。
 私の知っている限りでは、アメリカの知識人の一部に憲法九条の会というのがあって、やっぱり若い人たちの新鮮な受け入れだけじゃなくて、知識人の中にも憲法九条を評価して検討していただくということをやっていただいている皆さんもいらっしゃると、こう聞いているんですね。
 そういうことで、この憲法九条が二十一世紀の展望として世界の諸国民に受け入れていただける、そういう大事な課題として先駆的な意義を持っているということについて、先生のお考え、もう少しお話しいただけますか。
○参考人(佐高信君) この戦争放棄といいますか、平和主義、非武装というのは、とりわけいわゆる進歩的知識人とか、そういう人たちだけが唱えてきたように受け取られる向きもあるわけですけれども、決してそうではなくて、例えば私が読んだ限りにおいては、私と郷里が一緒の石原莞爾という人、私はかなり批判的に書いたんですけれども、この石原莞爾という人も戦後すぐには完全非武装を唱えたわけですね。九条、この日本国憲法というのはよかったんだということをはっきりと言っていますし、あるいは異色官僚と言われた、通産事務次官をやった佐橋滋さんも非武装ということをはっきりと唱えていて、佐橋滋という人は城山三郎さんの「官僚たちの夏」のモデルになった人ですけれども、佐橋さんはいい人だけれどもあの考え方だけはというふうに政財界人に言われていたと。あえて言われてもその非武装というのを捨てなかった、おろさなかったわけですね。
 私は、政治家というのはやっぱり理想を語るものだと思いますし、現実現実というふうに言うのは政治家の第一の資格に欠けるんじゃないかと。例えば小沢一郎さんですか、普通の国というふうによく言いますけれども、普通の国というのは天丼の並を言っている、目指すような話になると思うんですね。天丼でもやっぱり上とか特上を目指さなきゃならないのに普通の国でいいんだというのは並天丼でいいと言っていることであって、それは私はまことにいただけないというふうに思います。
○橋本敦君 では、次に伺いたいんですが、日本の企業が憲法番外地ではないかという御指摘がありました。私もその点については、関西電力の思想、信条による差別事件で最高裁まで長い闘いがあって、全面勝利的和解を労働者がかち取ったということも大事な事件だったと思うんですね。そのほか指摘された、いろいろございました。
 労働基準法でも、思想、信条で労働者を差別してはならないと、こう書いてあるんですね。しかし、日本の企業の中の現状を見ますと、憲法は入り口までで、企業の中に憲法は入っていないという現状がまだまだあるということで、日本の憲法が生かされていないという問題があるんですね。
 それで、改憲論を唱えられる一部の方は現実と憲法との乖離ということをおっしゃるんですが、この乖離というのは、政治が憲法に違反する状況をつくり出して乖離が起こっている部門、それから、御指摘のような番外地のようなところで事実上憲法の普遍的な適用を拒否して企業が勝手にやっているというそういう部門もある。それから裁判所が、違憲判決が極めて少ないというのが日本の裁判制度にあるんですが、憲法にのっとった判決をきちっとしないという問題もある。いろいろあるんですね。
 だから、乖離があるから憲法を変え、それに現実に合わせて憲法を変えようじゃなくて、乖離を埋めるために憲法を企業の中にも地域にも学園にも、社会にもっとこの憲法を生かそうじゃないか、生かしていこうという運動が大事だと思うんですね。そういう意味で、護憲運動というのは、改憲反対はもちろんですが、憲法を国民の暮らしの中に生かしていくという運動もあわせて進めていくのが正しいのではないかと思うんですが、御見解をいただければと思います。
○参考人(佐高信君) あえて申し上げれば、護憲派の中も会社にはノータッチだったというふうなことがあって、ここまで会社の憲法番外地状況が進んできたんだというふうにも言えると思うんです。
 それから、すぐれた経営者というか、私も日本の経営者をすべて否定しているわけではなくて褒めるべき人は褒めているわけですけれども、その日本の中のすぐれた経営者、いわば並天丼でない経営者ですけれども、その一人である早川種三さんという企業再建の神様と言われた人ですけれども、亡くなられましたけれども、この早川種三さんがたしか日本特殊鋼の再建に乗り込んだときに、それは早川さんの本の中に出てくる話なんですけれども、大森警察が日本共産党員の名簿を早川さんに渡そうとした。早川さんは受け取らないと。自分は、大本教でも共産党員でも何でも働いてくれればいいんだというふうな話で、それを受け取らなかったという話があるんですけれども、やっぱりすぐれた経営者というのは何か逆に文句を言う人を大事にするという傾向があるんですね。
 文句を言うというのは、文句というふうに言ったらあれかもしれませんけれども、言うべきことを言うというのは、特に日本の中では大事な話で、それが逆に会社を活性化させるということをやっぱり本当にすぐれた経営者は考えていて、それは早川さんに限らず本田宗一郎なんという人もそういうことは十分にわかっていた人だというふうに思いますけれども、そういう言論の自由とかいうことと経営者の資質みたいなものが不思議にマッチするという状況があるということを申し上げておきたいと思います。
○橋本敦君 時間もなくなってきましたので、最後に西部参考人に一問伺わせていただきます。
 西部参考人がお書きになった「わが「廃憲」論」という論文を私も読ませていただきました。「改憲ではなく廃憲を」と、こういう御主張でございますが、根本的な問題としては、「国家の根本規範は国民の規範意識のなかからしか出てきようがない。逆に憲法によって国民の規範を規制しようとするのはいわゆるコンストラクティヴィズム」、先ほどおっしゃった設計主義である、こういう御指摘でございますね。そういうところから出発して、「戦後日本人は、そろそろ、おのれらの規範意識のなかで日本国憲法を廃棄すべきではないのか。日本の国柄、日本国の国益、日本人の人柄、それらを自律的に考え直すためには、この憲法の成文は、批判の対象ではありえても、思索の基礎にはなりえない。むしろ、イギリスにならって、成文憲法なんかは廃止したほうがよいのではないか。」と、こうおっしゃっていらっしゃいますね。
 きょう、いろいろな御意見を伺いましたが、先生の考え方のファンダメンタルベースといいますか、日本憲法に対する考え方、これは憲法のどこかを変えようというどころか、憲法そのものをもう廃棄せよ、廃止せよと、こういうことが先生の根本的なお考えのベースではないかというようにこれを読んで考えておるんですが、もう時間がありませんが、そのお考えを伺わせていただいて終わりたいと思います。
○参考人(西部邁君) 今、橋本先生がおっしゃってくれたように、つまりイギリスというのは成文憲法はまだない。その考え方は、やっぱり国民各位の中に、議会を初めとして家庭に及ぶまで、半ば慣習的にせよ、いつも何かをやるときに、しゃべるときに、自分たちの歴史に問い返すという言ってみれば風習があれば、そこからおのずと自分たちの規範感覚というものが出てくるのであって、それを具体化するためにこそ国会を初めとするさまざまな決定機構があるんだと。そのことがしっかりしていれば、例えば一九四五年の何月何日に、ある特定の人間たちが、そのときの特定の能力しか持たない特定の人間たちが特定の状況の中で書きしたためたものに自分たちの言ってみれば精神の価値とか規範のあり方を、それに、鋳型にはめるように、はめられるようにしてやっていくというのは国民の精神的活力を失うもとであるということを私は言いたかっただけで、具体的な例を一つ挙げますと、今の自衛隊というのはどう考えても私は憲法違反だというふうに思っております。
 したがって、あるテレビで、随分前ですが、ある生番組というんでしょうか、それで田原総一朗さんというテレビキャスターは、西部君は自衛隊は憲法違反だって書いているじゃないかというふうに言われたときに、私は何と言い返したかというと、そういうふうに書いたのではなくて、私が書いたのは憲法が自衛隊に違反していると書いたんだというふうに答えておきましたが。
 その意味は、国民の言ってみれば常識としてもう自衛隊を認めると。もちろんその認め方というのはいろいろあるでしょうが、そういうことがもう何十年にわたって、もう今五十五年だから四十七、八年にわたって続いておる。そうしましたら、一体日本人の規範感覚とは何なのか。憲法を認めると同時に憲法違反を認めるという、こういうことが四十何年続くことの中に、日本人が自分たちの規範について本当に真剣に考えてこなかったということがいみじくも反映されているんだと。
 これは、実は自衛隊のことのみならずいろんなところに私は出てきていると思いますが、それは時間がないから省きますが、そういうことを国民自身がいろんなレベルで問い返し確認するために憲法に合わせてしゃべったり憲法に合わせて決断したりするんじゃなくて、一体自分たちのあるべき価値なり規範なりは何なのかということを国民各位に問い返すためには憲法を一たび頭の中で廃止した上で憲法論議をすべきだという、あくまで憲法論議の流れとしてそういうことを言ったわけであります。
○橋本敦君 終わります。
○会長(村上正邦君) 福島瑞穂委員。
○福島瑞穂君 社会民主党の福島瑞穂です。
 憲法の理念を生かして特上天丼を目指したいと思っている社民党です。
 御両人に、きょうはどうもありがとうございます。
 まず、佐高さんにお聞きをいたします。
 きょうは歴史の話が結構出てきているんですが、日本国憲法の前文は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」とあります。また、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とあります。
   〔会長退席、会長代理江田五月君着席〕
 私は、これこそが二十世紀、二回の世界大戦を経て出てきたまさに歴史の産物であるというふうに考えますが、いかがでしょうか。
○参考人(佐高信君) お説のとおりだと思います。
○福島瑞穂君 では次に、きょうは、押しつけ憲法ということについても先ほど佐高さん、西部さん、両方ともおっしゃったんですが、私は、押しつけ憲法というふうに第二次世界大戦後思った人と思わなかった人が歴然といるというふうに思います。もし日本国憲法がなければ私はこの国会に来ることはできなかったわけですから、多くのほとんどの女性たちは、それから男性達は憲法をやはり歓迎した。当時の調査でもそういう結果があります。
 先ほど、九十九条、憲法尊重擁護義務についておっしゃいました。いみじくも天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負うと。これはある意味で憲法を侵害したいと思っている人のブラックリストだという旨、さっきおっしゃいましたけれども、私は、大日本帝国憲法下で利益を得ていた人たち、家父長制のもとで利益を得ていた人たちは押しつけ憲法と思っただろう、しかしそうでなかった人は歓迎しただろうと思うのですが、いかがでしょうか。
○参考人(佐高信君) まさにおっしゃるとおりだと思いますけれども、押しつけということに関して、今までの議論を聞いていてちょっと思い出したことがあるんですね。
 それはどういうことかといいますと、国民というふうな概念の問題がいろいろあるわけですけれども、私は、この間のオリンピックのマラソンの高橋尚子さんの優勝、金メダルというのに、私もマラソンは好きなので拍手を惜しまなかったものなんですけれども、そのときに六十四年ぶりの金メダルというふうに報道されたわけですね。六十四年ぶりの日本人選手のオリンピックでの優勝であると。じゃ、その六十四年前の日本人選手の優勝というのはだれなのかということに触れたあれは余りなかったと思うんですけれども、一九三六年のミュンヘン・オリンピックで孫基禎さんが優勝したわけですね。孫選手というのは言うまでもなく朝鮮の生まれで、当時、大日本帝国が朝鮮を併合というんですか、して……
○参考人(西部邁君) ベルリン。
○参考人(佐高信君) ベルリン・オリンピック、ありがとうございます。
 そのときに併合していたわけで、それで孫さんにとっては日の丸の押しつけですね。それを当時の東亜日報が日の丸の部分を黒く塗りつぶして報道した。それで大日本帝国朝鮮総督府はすぐに東亜日報を無期停刊にするんですね。
 そういうときに、国というものが受益というふうなものだけでない側面を持つというふうなことを私はもう少し考えた方がいいんじゃないかという感じもするわけですね。高橋尚子さんの優勝に拍手をすると同時に、では六十四年前のその金メダルというのは、どういう状況でだれがもらったのかというふうなことをやっぱりマスコミはもう少し報道すべきだったんじゃないかなと。
 ちょっと押しつけから離れた話になりましたけれども。
○福島瑞穂君 それから、押しつけということで思うのですが、押しつけ憲法という言われ方をすることはあります。しかし、この憲法調査会でGHQの方たちが来て証言をしてくださって、それについてはかなり解決したのではないかと思いますが、押しつけ憲法ということの言われ方がしますが、私は不思議で、では日米安保条約、地位協定はアメリカからの押しつけではないのかという点については、佐高さん、いかがですか。
○参考人(佐高信君) まさにそのとおりでありまして、ガイドラインのときに、私はさっき石原莞爾という人の話をしましたけれども、同郷ということもあって、ちょっと石原莞爾という人のことを同郷者の責任として評伝を書いたんですけれども、そのときに、いわゆる満州国というかいらい国家があって、それを日本が支配していた。そのときに、日本と満州の関係がまさにアメリカと日本の今の関係に酷似しているというふうなことを書いたんですけれども、だから押しつけというふうなものをどこから見るのかという問題だろうと思うんです。
   〔会長代理江田五月君退席、会長着席〕
 だから、今、福島さんが言われたように、ある種改憲論者の人たちは押しつけのつまみ食いをしているわけですね。こちらでは押しつけは悪い、こちらでは押しつけはいいみたいな、話のつまみ食いをしているというふうな感じはいたします。
○福島瑞穂君 ありがとうございます。
 後でまたちょっと西部参考人にもお聞きしたいんですが、私は、押しつけという概念と同時に、日本の文化、伝統ということもつまみ食いをされているというふうに思います。
 日本の文化、伝統とは一体何だろう。日本の伝統は、例えば通い婚なわけですし、それから母系制が非常に長く続きます。明治の太政官指令は、まず夫婦別姓にすべきという太政官指令を出します。御存じのとおり、日本は、北条政子、日野富子の世界で夫婦別姓であったわけです。それから、三百五十年以上日本は死刑を行ってこなかったという国でもあります。極めて平和的な時期もありました。また、江戸末期は、例えば末子相続、長子相続もありますし、実は日本の文化、伝統はかなり多様性があって非常に豊かであったというふうにも言われております。
 ですから、日本の文化、伝統といったときに何を指すのか。もう日本の文化、伝統を尊重してくださる方がいらっしゃれば夫婦別姓選択制などとっくの昔に国会で成立していいのではないかと思うんですが、ですから、(「そうだそうだ」と呼ぶ者あり)ありがとうございます、そういう意味では、日本の文化、伝統のつまみ食いが行われているのではないか。元始、女性は太陽であったんだったらもっと尊重してくれてもいいのにそういうわけにもいかないという、この点についていかがでしょうか。
○会長(村上正邦君) だれに。
○福島瑞穂君 では、佐高さん、お願いします。
○参考人(佐高信君) これなんか、西部さんに聞いた方がいいような感じもしますけれども、一応はあれですけれども。
 たしか昭和の日制定か何かの参考人でもここで話したような気がしますけれども、いわゆる日本民族というのは単一民族なのか混合民族なのかという話にも絡んで、要するに結構いいかげんなこと、いいかげんなことというか、調子いいことをやっているわけですよ。
 戦争中はいわゆる満州、旧満州というんですか、に王道楽土をつくるんだということで五族協和という言葉が叫ばれて、それで五族が協和しなきゃならないから日本民族はすぐれて混合民族なんだということをむしろいわゆる保守派と言われる上杉慎吉とか井上哲次郎なんかが積極的に言ったわけですね。単一民族なんということは、それこそ西部さんの得意なお言葉をかりれば迷妄きわまりないというふうな話をしていた。
 そうすると、戦後ひっくり返って、これが今は石原さんとか三島由紀夫なんというのは完全に、石原慎太郎とか三島由紀夫という人は単一民族だということを当たり前のように言うわけですけれども、その辺にも極めて恣意的なつまみ食いが行われていると。そこら辺をちょっとはっきりしてほしいなという感じは私にもあります。
○福島瑞穂君 先ほど佐高さんは、日本が誇るべき財産ということをおっしゃったんですが、そこについてもう少し話してください。
○参考人(佐高信君) 日本に外交があるのかどうかというのは非常に難しい問題で、森さんがあんなことまでしゃべってしまうということはほとんど外交はないということに等しいわけですけれども、そういう中で、あえてやっぱり私は、非武装平和というのを世界に冠たるあれとして推進していくというのがまさに日本に特有のといいますか、日本にしかできない平和外交なんじゃないかというふうな感じがいたします。
○福島瑞穂君 それから、先ほど憲法番外地ということをおっしゃったんですが、企業の中でも、もしかしたら家庭の中でも地域の中でも学校の中でもさまざまな面で憲法が本当に生かされてこなかった、あるいは憲法の価値を十分まだ生かし切っていないということがあるのは確かなんですが、日本国憲法の有効性ということについてもう少し話をしてください。
○参考人(佐高信君) 私の認識では、家庭や学校や地域には括弧つきながら民主主義や憲法は入っていったんだろうと思うんです。ところが、その中で会社だけは除外されていたというか受け付けなかった。それで、経済成長とかなんとかで会社の占めるウエートというのが大きくなってきて、その憲法番外地の状況が家庭や地域や学校にも覆いかぶさってきたという状況なんじゃないかと。
 ただ、改めて、憲法の価値というのは今こそ逆に高まっているという感じがいたします。
○福島瑞穂君 これは御両人にちょっとお聞きしたいんですが、先ほど侵略戦争の話がありました。私は不勉強で申しわけないんですが、かつてこれは侵略戦争であるとうたって行われた戦争というのはあるのでしょうか。御両人にお聞きしたいです。
○参考人(西部邁君) 私は、そういう質問の仕方にある種卑劣なものを感じるので、もうちょっとしゃべらせていただきますが、質問にイエスかノーか、あるとかないとかだけじゃなくてですね。
 私は、福島さんおっしゃったように、これは侵略戦争ですというふうにやった例はやっぱり近世以後はないんでしょうね。しかし、これは冗談で言うんですが、武田信玄の武田節を聞いていると、「侵掠すること火の如し」、もちろん「掠」というのはてへんに京都の京と書くあれです。あそこでは「侵掠すること火の如し」で、どうだ、すごいだろうと威張っている。そういう時代が昔あったという意味においては侵略を誇らしげに侵略だと、どうだ、強いだろう、偉いだろうと言って、そういう時代があったことは近世以前で言えば私はあったと見てます。
 しかしながら、それ以上に問題なのは、今、多分福島さんがおっしゃらんとした意味において、自衛を口実とする侵略というのが近代、今世紀前半を覆っているということは私は疑いもないと思う。そして、日本があの大陸に対して進出したのにもそういう気配が極めて濃厚であると私個人は思っている。
 しかしながら、問題は、今現在のことに触れましたら、一体これは自衛であるのか侵略であるのか、自衛を口実にした侵略であるのかどうなのかを一体だれが判断するのか。多くの人たちは例えばその判断を国連にゆだねると言う。ところが、国連というのは一体どこからきたかというと、各国の代表が集まって国連の安保理事会でも総会でも構成しているわけです。
 そうなら、日本を除くほかの国々の代表者たちには傾向として自衛と侵略を区別する能力があり、あるいは口実であるか否かを判断する能力があり、日本にだけはその能力がないから非武装というのは、いかにも言ってみれば自信喪失を、あるいは一種の自己不信、自分たちの判断能力はせめて諸外国とおおよそ同列であるということなら、私たちは国連が判断できるのならば諸外国の代表も平均において判断できる。
 そうならば、自分たちも、もちろん間違いもあるでしょうが、平均においてそういう能力があるのだと考えなければ、そんな能力も持たずに自分たちの国を建てるということ自体が、私に言わせれば人類に迷惑だから即刻国家を解散するがよろしいというふうに言いたくなります。
○参考人(佐高信君) 私は、まさに戦争はすべてほとんど自衛の名において行われたというふうに思います。
 それから、石原莞爾のことを書いた限りで、当時の大日本帝国陸軍のスター参謀としての石原莞爾がいるわけですけれども、その人が中国はそういう政治的能力がないから最初は占領をするんだ、だんだん自治を認めるとかいうふうな話になっていくんですね。
 だから、その辺もすべてかなり恣意的なことで行われているということは、私は歴史に照らして明らかだというふうな感じがします。
○福島瑞穂君 ありがとうございます。
○会長(村上正邦君) 時間が参りました。
○福島瑞穂君 わかりました。はい。
 時間が来ましたので、どうもありがとうございました。
○会長(村上正邦君) よろしゅうございますか。よろしいですね。
○福島瑞穂君 はい。
○会長(村上正邦君) 水野誠一委員。
○水野誠一君 無所属の会の水野誠一です。
 きょうはありがとうございました。
 まず、西部さんに伺いたいと思うのでありますが、きょうは西部さんのお話を伺っていて、習慣と伝統というものを混同していること、あるいはやっぱり人権という、これは非常に大きな問題でありますけれども、これはややもすると取り違えやすいテーマであるというようなことを含めて、大変考えさせられるお話をいろいろ伺いました。
 その中で、エドモンド・バークのお話で、国民の権利と人間の権利というお話がありました。これも大変示唆に富んだ話だと思うんですが、国民の権利は認めるけれども人間の権利というのは認められない、こういうお話であります。
 これは、簡単に言ってしまえばルールなき権利というもの、これは非常にあいまいでとらえどころがないじゃないか、こういうことだと思うんですが、これは同様に憲法の中でも私は非常に関心のあるところは、権利と義務というもの、これのアンバランスさにも通じるんじゃないかなと。
 先ほど佐高さんは、権利と義務とでアンバランスというのは余り意味がないというか、義務というのは少ないということは今いいんだとはおっしゃらないけれども、それに近いことをおっしゃったと思うんですが、やはり私は権利と義務ということのバランスというのは非常に重要な意味を持つんじゃないかなと。
 まず、そこまでのところで御意見を伺いたいと思います。
○参考人(西部邁君) それは全くおっしゃったとおりです。
 私と佐高さんが違うのは、いわゆるデモクラシーなるものが成立の途上にあるときには、佐高さんが先ほどおっしゃられたように、言ってみれば既存の専制的な権力に対して限界を付すという形では一番典型的なのは、皆さんに対しては釈迦に説法でありましょうが、マグナカルタもそうだし、イギリスのビル・オブ・ライツ、つまり権利の章典もそうでありますけれども、つまり王様なり貴族なりに対してこれをしなきゃいけない、これをしちゃいけないというふうに、いわば民衆の側からそういうふうな責任を既存の権力に対して負わせるという形で起こってきた。
 しかしながら、私に言わせれば、それは少なくとも、どう遅く見ても何というか前世紀まで、さらに遅く見ても今世紀前半までのことであって、いわゆるデモクラシーなるものが先進諸国の言ってみれば基本的な政治体制からさらには文化の基準にまでなりおおせたときに、つまり、いわゆる既存の専制的権力が法律を無視したり法律などつくらずにあれこれできるようなそういう状態が、もちろん今だってどこかにあるんだ、会社の中で社畜相手に専制的にむちを振るっている社長がいるんだという、それはそれでどこかにいるかもしれませんけれどもね。例えば、新潟で少女を誘拐、拉致して専制的な権力を振るっているのがいたり、そういうことはごく局所的にあるかもしれませんけれども、政治文化の体制からいえば、言ってみればそのデモクラシーなるものがいわば中心的な基準になった。これは今世紀の後半です。私はよかれあしかれそうだと思いますけれども。
 そうなったらこれを政府に対して義務を負わせるのが憲法なんだというと、そういうふうに考えちゃうと、それこそ国民なり民衆の側の権利のとめどない言ってみれば解き放しということが起こってくるので、私は民主主義は成熟であるか爛熟であるか腐敗であるか、それについてはいろんな判断があって、私はだんだん後の方の腐敗だぐらいに思っていますけれども、いずれにしても、やはりデモクラシーが基準になった段階では、国民自身に対してある責任をも権利と同時に課すのが、自由と同時に責任、権利と同時に義務を課すのがやっぱり現代におけるよかれあしかれ、成熟したデモクラシー、成熟というかな、熟した何というかな、デモクラシー国家のあるべき姿だと。
 そう考えますと、今、水野先生がおっしゃったように、今の憲法の書かれ方は、分量的にいってやはり権利に偏して義務が少な過ぎる、自由が過大で責任が少な過ぎる、そういうふうな受けとめられ方をするような私は書かれ方になっているというふうにつくづく思います。
○水野誠一君 もう一つ西部さんに伺いたいんですが、手元にあります資料の中に西部さんがお書きになった憲法試案というのがあります。これは先ほどおっしゃっていた廃憲論からくる根本的な組み立て直しの上でおつくりになったものなのか、これはまだ過渡期的なものなのかということを一つ伺いたいのと、この中で、市民と国民ということを使い分けられている。先ほど世耕さんからの質問で、その定義ということもあったんですが、ちょっといま一つ、人民と国民という使い分けは非常にわかったんですが、市民と国民という使い分けについてお教えいただければと思います。
○参考人(西部邁君) 後者の方から言うと、それは本来ならば国民と人民ということでよかったんですけれども、実は人民という言葉はそれ自体が今現在で言いましたら、私も二十のころ左翼をやっていましたから、あのころまでは人民という言葉は結構、それこそ一般国民も時たまには口にするぐらいのポピュラーな用語でありましたが、最近、人民という言葉はめったに聞かれなくなったんですね。そうした今現在を論じるときにめったに聞かれない言葉を使って国民か人民かというふうに論じたのではそれは、しかも私が書いたのは、一応改正案と書いていますけれども、別に私ごとき市井の徒が具体的に国会のために改正案をしたんじゃなくて、考え方として、それを一つの試案を提出することによって考え方を喚起したいという趣旨で書いたわけでありますから、できるだけ言葉遣いとしても今現在の人々に何とか受けとめられるような言葉を使おうとすると、人民じゃなくて市民という言葉をとらざるを得なかったというそれだけのことであります。
 前者の廃憲と改憲の過渡期であったのかというと、実はそこのところは微妙で、どっちかといえば、私は当初から、先ほども橋本先生からの御質問があったこともそうですが、言ってみれば考え方のレベルで、自分勝手に深いというふうに言いますが、自分の中で深いレベルでいえば、先ほど言ったように廃憲的な考え方、つまりイギリスの不文憲法の精神を学び取れということを訴えるという意味では廃憲でありますけれども、しかしながら、そうした考え方を実際に多くの人々にわかってもらうためには、やはりそこで文章にせざるを得ないわけで、そういう意味ではやはり改憲となる、つまり私の考え方のレベルの違いだというふうに考えていただければ助かりますけれども。
○水野誠一君 次に、佐高さんに伺いたいんですが、先ほど冒頭、世耕さんから永住外国人の地方参政権問題について御質問があって、西部さんからのお答えはあったんですが、あのときまだ佐高さんからのお考えを伺っていなかったんですが、賛成かどうかという問題と、それから憲法との関連ということで伺えればと思います。
○参考人(佐高信君) 私はもちろん基本的に賛成でありますけれども、大体その永住、いつから日本に住んでいるのかというのは、みんなたどっていけばかなりの年数はずれがあるわけでしょう。そうすると、ほとんど最初からいたという人はいなくなるかもしれないわけですよね。その中で今この社会、この国を形成しているということについては、私はむしろ積極的に参加の中でいろんなことを決めていった方がいいというふうに思います。
○水野誠一君 憲法との関係というのはどうでしょうか。
○参考人(佐高信君) 憲法というのは日本国憲法というふうにうたってあるけれども、九条を初め、世界に私は開かれた憲法というふうな方向がいいと思いますし、それで全然矛盾なく私の中では、西部さんからは民主主義途上国の考え方だというふうに言われるかもしれないけれども、私の中では矛盾なくあります。
○水野誠一君 佐高さんにもう一つ伺いたいといいますか、お話を伺っていて、会社に憲法が入れない、番外地だということをおっしゃった。こういう考え方というのは確かにあるんだろうな、こういう言い方もおもしろいなと思ったんですが、私は、企業というものは人権主義が受け入れられないということよりも、まず先に日本というのは会社と社会というものを混同しているところがあるんじゃないか。日本語というのは、会社と書いて鏡に映すと社会というふうに読めるような錯覚を感じる、非常に言葉がおもしろい、それは日本だけだと思うんですが。それが非常に強くて、つまり会社の正義イコール社会の正義という混同が強いというところがあったと思うんです。
 そういう中で、企業自体が企業市民としての義務感というものを持ち得なかった、利益追求という権利だけはいつも要求してきたということで考えたときに、その根本的企業のあり方自身に憲法が入り込めなかった要因があるのではないかと思うんですが、その辺についていかがでございましょうか。
○参考人(佐高信君) 水野さんは経営者、元ですか今か、経営者らしくそういうふうにおっしゃるのはそのとおりだと思います。企業自身が社会の枠組みの中での発展というのは遂げてこなかったと。
 それから、もう一つちょっと余計なことを申し上げれば、日本の社長というのはやたら説教が好きで、朝会を開いては訓示を垂れる、別に社長にそれを頼んでいる社員はいないと思うんですけれども。その辺も会社の枠を勝手に超えているという傾向があるというふうに思います。
○水野誠一君 終わります。
○会長(村上正邦君) ただいま水野委員の質問に対する参考人の発言、一部不適切と誤解される言辞があったかもしれませんので、後刻、幹事会の上、調査いたしまして適当な処理をさせていただきたいと思いますので、御了承を賜っておきたいと思います。
 続きまして、平野貞夫委員。
○平野貞夫君 自由党の平野貞夫でございます。
 最初、佐高参考人にお礼申し上げておきますが、私は高知県の生まれでございまして、お話の中に二つもお話しいただきましてありがとうございました、私の先祖はもう自由民権運動で大分やっていた方でございまして。
 自由党は実は十二月中に、年内に新しい憲法をつくる基本方針というものを発表するつもりでございまして、今精力的にまとめております。
 ただ、小沢党首の固有名詞も出されましたが、誤解のないようにこの機会に申し上げておきますが、自由党は現憲法の諸原理を発展させ、二十一世紀にふさわしい憲法をつくるという方針でございます。
 現在、いろんな政党がたくさんあるんですが、その政党の綱領とか基本理念をずっと比較してみますと、憲法について直接、綱領、基本理念に書いている政党は二つしかないんです。一つは社民党です。一つは自由党です。社民党は、憲法の理念を創造的に発展させるということを宣告しておるんです。何と自由党は、平和と自由の憲法の理念を守るということを書いているわけでなんです。
○参考人(佐高信君) 初耳でした。
○平野貞夫君 これは公文書になっていますので。私はこれは社民党に負けていると思っておりましてね。
 それから、普通の国の話もいろいろあるんですが、小沢党首と私は、これからの憲法論議及び新しい憲法をつくっていく、これは山花貞夫さんの論理なんですけれども、ためには、きょうお見えでございますが、社民党の土井党首を理解してもらう、納得させる、説得する論理と理念を持たなきゃいかぬ、こういうスケールで憲法を論議しなきゃいかぬという、そうでないとやっぱりそれは日本の多くの人が理解してくれないという思いでやっていますので、その点はよく誤解のないようにひとつ。
 それで、私は、今一番日本の憲法論議で問題なのは、さまざまな憲法という原理が日本の社会の中に浸透しているか機能しているかという議論があったんですが、憲法の機能といいますか、憲法文化と言ってもいいと思いますが、これは、成文の規定と、それから日本人の政治文化と、それから利害、打算ですからその調整が必要な現実の国家社会のありようというこの三つがどう組み合わされてどううまく機能するかというところにあると思いますが、一番憲法の原理が機能していないのが国会の中でございます。特に国会に憲法調査会をつくってからそうなんですよ。
 僕は憲法調査会は積極的につくる論だったんですけれども、多少自分の宣伝みたいになっておかしいんですけれども、四月に森政権ができたときに、私は、医者の診断書の、医者の記者会見もさせずに総理大臣をやめさせるというのはこれは憲法の原理に違反しているんですよ。私は参議院の本会議で一回、委員会で三回、一種のクーデターだということを訴えたんですけれども、最後には発言を削除されて、懲罰動議まで出されたんですよ。まあ当事者の一人がいますから余りきついことは言えないんですけれどもね。憲法調査会ができて、憲法のいろんな原理やこれをチェックしようというときに、現実の政党なり政治がそんなことでは、私は日本の国の将来を憂えますね。
 それからもう一つ、先般の非拘束の選挙法の改正だって、各党間合意していたものなんですよ。約束は守らなきゃならぬということは憲法には書きませんよ、人間の条理なんですから。それが無視される。ですから、憲法が機能される前段階でもうおかしいんですよ、我が国は今。
 というふうに僕は今怒り狂っておるんですが、佐高先生のまずは御意見をお聞かせください。
○参考人(佐高信君) 前に私が平野さんと相まみえましたときは盗聴法の審議で、全く敵対する関係でございまして、最初に持ち上げられて、これはやばいなと思って、また同じことかなと思ったら、きょうは非常に発言が切れ味がよろしくて、野党になるとこうも変わるものかという感じがいたします。
 それで、私は、さっき高知というお話がありましたけれども、高知には非常に親しみを持っております。あれは高知市のあれになるんでしょうか、自由民権記念館ってありますね。大変立派なあれがありまして、「自由は土佐の山間より」というあれが書いてあって、大変に感銘深く、二度ほど参りましたけれども。ただ、あそこはもう一つ、幸徳秋水が生まれたところでもありまして、幸徳秋水の墓には参ったことはないんですけれども、戦争中あの墓に金枠がしてあって、訪れる人を隣の警察か裁判所がチェックしていたという話もありますけれども。
 まさに憲法、きょうは本当に参考人としてお話ししていてそんなに不快な感じはないんですけれども、結構、来て不快な感じすることありますよね。私語はするわ、出たり入ったりはするわ、それから気に食わない意見に対してはばかばかしくて聞いてられないと言う。それで、私の目の前で言って退席した自民党のさる議員がおりまして、私はその名前をはっきりとその後週刊誌で書いてやりましたけれども、まさに国会にこそ何とかがないんじゃないかというのはお説のとおりだと思います。
○平野貞夫君 私、国会事務局に三十三年間おりまして、ただ、憲法の国会の規定は、これは実定法なんですよ。議事運営の規定では、相当やっぱり解釈に苦しむ、解釈できない、運営できない部分はあるんですよ。それはやっぱりそういったことが日本の国会がうまく、日本の政治がうまく展開しない原因の一つじゃないかという思いも持っていまして、まじめな意味で、必要な時期にはそういう憲法の改正といいますか整備はしなきゃだめだと、これはひとつ御理解をいただきたいと思います。
 それから、西部参考人に、先生にお尋ねいたしますが、西部先生の本は勉強させていただいておりますが、もし、お構いなければ、大体私たちと同じ世代なんですが、六〇年安保のころ大変御活躍されていて、あのころは砂川事件とかいろいろ憲法論議がございました。それで、私もむしろそっちの方でございました。
 それで、そのころの九条を中心とする西部先生の憲法観というのはどんなものだったんでございましょうか。
○参考人(西部邁君) これは私が別の種類の本にもるる書いていることでありますが、私の当時の、餓鬼というのはまた差別語ですか、知りません、餓鬼のころの考え方は基本的にこうでしたね。
 アメリカにたった一回戦争に負けただけでアメリカ的なるもの、この憲法も僕はそうだと思いますけれども、そういうものに次々とろくな議論もせぬままになびいていく日本の、当時で言えば僕にとっては大人に当たるそういう上の世代に対して、要するに一矢報いんばというのが基本的なエモーションというかモチベーションであったということはあるんですけれども、正直言って、実は私どもの、共産党と敵対していた党派なんですけれども、その党派においてのみならず、私は大体わかっておりますけれども、いわゆるその当時でいうと僕らが新左翼のはしりになったんですが、だから、それから言えばいわゆる旧左翼の人々のあの日米安保条約改定文について、僕はまともに読んでまともな議論があったとはほとんど思わない。
 もちろん、他党派のことについて言うのは口幅ったいから、責任持って言えることは当時の自党派の、つまり我々の、について言えば紛れもなくそうであって、それゆえ実は事が終わってから、本当のことを言うと私自身がそうでありますけれども、事が終わってから読んでみたら、つまり実定法としていえば、今現在の何というか、当時の日米の間の政治力なり軍事力の力関係からいえば、当時の岸信介さんが何とか日本の国としての権利をいささかでも回復するためにあの改定に取り組んだというのは、つまり政治判断としてはやはり認めざるを得ないものだろうなというふうに、そんなこともありまして、それだけじゃないですが、私はもう六一年ということは、翌年には、その前の年には半年ぐらい独房にいて、それこそ平沢貞通さんとあいさつを交わしたりなんだりしながら独房にいて、その間、資本論を読んでくだらない書物だなとも思いましたが、その他もろもろのことを思いながら六一年の三月にはひとりっきりになって、それからずっと自分で考えたり、何というか議論したりをしながら、それで、私が公に、四十過ぎになってから、私はいわば社会へ向けて政治を含めましていろんな社会的発言を四十過ぎてから始めましたが、それに至るまでに自分が何をしたかについては一章、二章物すのみならず、その他もろもろのことをやっぱり発言した後でやっている。
 ですから、それについてはそういう本がございますので、もしも、といってもそれはあれですが、お忙しいから読まなくて結構ですけれども、もしもお暇があれば、読んでくだされば私の二十から四十までの二十年間ぐらいの経緯はかなり克明に書いてあります。
○平野貞夫君 私は小学校六年のときに現在の憲法が発布されて、そのころ「我らの日本」という憲法発布奉賛歌という歌がありまして、先生に教わりまして歌を覚えました。それから、憲法音頭という盆踊りもあったんですよ、そのときに。ですから、いろいろ憲法について我々も意見があるんですが、何だかんだといっても私らの世代は、私は六十五でもう介護の申請できるんですが、今の憲法で育っているんですよ。文句があっても押しつけられというか何といえども今の憲法の中でやっぱり生きてきたんです。
 ですから、決してそういう意味で今の憲法の、もちろんあらゆるものがすべて絶対じゃないですから、批判もあるし評価もありますが、私は、憲法調査会をつくったということは、いろいろ憲法について対立のある国民世論を、共通な物の考え方は憲法について何か、違った問題意識は何かという、そういう整理をすることが一番僕は役割だと思っていまして、やっぱり同じ日本人ですから、やっぱり憲法観についてはできるだけ共通のものをつくっていただきたいということを希望しまして、どうぞ先生の御意見を聞きたいです。
○参考人(西部邁君) 先ほど御質問に答えず、おまえの、おまえって僕のことですが、おまえの当時の憲法感覚がどうだったということが質問だったのに、それに答えないままでしたが、今のこと等を含めまして言うと、私はその当時から、これは土井たか子先生からしかられることでありますが、憲法を持ち出したり、憲法と言ったってそれは日本国憲法ですが、日本国憲法を持ち出したり民主主義を持ち出したりしてくる議論というものには、小学校の一年生のときからおおよそでまゆつばだというふうに感じていて、それで高校生あたりから少々理屈は伴いましたが、それゆえ二十、二十一の、言ってみれば何というか暴れていたころは、憲法を含めましてむしろそういうふうな戦後的法体系の外側に行ってしまえという感覚があって、それ自体私は全然、ちゃんと僕はそういう意味では三つの裁判にかかったわけですから、それなりの法律を犯した報いは堂々と受けていますので、それは一向に構いませんが、それ以後、じゃ戦後の法体系の外に行くのは自分として全然恥とは思わないが、しかしながら、どういう法というかルールというか、価値観、規範観があるか、当時の餓鬼どもの私どもはそのことについてはほとんどまじめに考えなかったということがありましたので、先ほど言った四十歳ごろということは、そうして自分なりにそれを考えてみると云々という形でいろんな意見を発表しました。
 したがって、私と平野先生とはどうやらかなり違うようですね。僕は、憲法とか民主主義なんて言われると、ああ、これは単なるきれい事を言っている連中じゃなかろうかなという根強い、はっきり申しますが偏見なんですけれども、偏見を持って僕は育ち始めたという極めて戦後においては特異な少数派の存在であるというふうに自覚しておりますけれども。
○平野貞夫君 結構です。
○会長(村上正邦君) 佐藤道夫委員。
○佐藤道夫君 二院クラブの佐藤でございます。お見知りおきをください。
 大変次元の高い問題が続いてまいりまして、日本国の歴史と文化、教育のあり方、二十一世紀のこの国はどうなるのか、あるいはまた、この国会の中で唯一憲法が施行されていないのではないかと、こういう大変難しい問題が提起された中で、技術的な問題で恐縮でございますけれども、私自身法律屋なものですから、この条文の解釈、何をさておいてもそこを離れることができないしがない性格なものですから、ひとつ御理解ください。
 そこで、憲法の解釈につきまして、世の有識者を代表するお二方にこういう解釈で果たしていいんだろうかということを忌憚ない御意見を承ればと、こう思って提起するわけでございます。
 まず、憲法八十九条、条文はもう御案内とは思いますけれども、公金、公の金は公の支配に属さない教育の事業に対しては支出してはならないと、こうはっきり書いてあるわけでございます。要するに、私立学校ということに、私立学校に対して公金、国家の金を出してはいかぬよと、だれが読んでもそれ以外読みようのないような規定の仕方がしてあるわけであります。
 これを読んだ私立学校の関係者は、皆飛び上がって感激して唇を震わす、なるほどそうだと。思い起こせば、福沢諭吉が慶応をつくったあの高貴な精神、それから早稲田の校歌が高らかにうたい上げている学の独立、ここから来たんだと。そうだと。これでなくてはいかぬと。事あらば権力に屈せずに国家に対してもはっきりと物を言う、そういう人材を養成してきたのが私立学校ではなかったのかと、皆感激するわけでありますが、はてさて現実はそう簡単ではないのでありまして、今、私学助成金と称して私立学校に何がしかの金が支出されておりますけれども、結論だけでも結構でございます、この金、金額が幾らになるのか御承知でしょうか、佐高参考人。
○参考人(佐高信君) 知りません。
○佐藤道夫君 そちらの参考人は。
○参考人(西部邁君) 僕は、知らないし、今まで真剣に憲法……
○佐藤道夫君 こんな大事なことを御承知ないなら、私の話を聞いてからにしてくださいませ。
 驚くなかれ、五千億という大金なんであります。なに何兆円という国家の赤字から見たらわずかなものじゃないかと言うかもしれませんけれども、五千億が支出されておる。一体これは何だ、明らかに憲法違反ではないかと、だれだってこう考えるわけであります。
 そして、政府に質問をいたしますと、政府の答えを聞いて驚くでありましょう。この世の中、日本国には公の支配に服さない学校はないんですと。もうカリキュラムから教職員の採用から、すべてが全部国の方針に従って行われ、教育行政が行われている、学校教育が行われている。よってもって、すべての学校が公の支配に属しております、そこに金を出すことは憲法違反とは考えませんと、こういうことなんで私驚いたんですけれども、全然、内閣法制局などという政府の機関は驚かない。当たり前のことです、金をもらいたいからあげているだけで、金をもらった以上はもう学の独立はないのでありますと。どっちが先なのかよくわかりませんけれども、そういうことでもう何十年来となく公金支出が行われてきている。
 それならば、大学の先生、特に憲法を教えている先生方はこの問題を取り上げないのかと、こう思って調べてみますと、まず大体どなたも取り上げていない。私立学校の先生がそんなことを取り上げたら学校にはおれないと。じゃ、国立大学の先生が取り上げればいいではないかと。彼らが定年になりますと、みんな私立大学に天下るわけであります。そんな違憲論をやっていたのでは、受け入れてくれる学校はないでしょうと。学者というのはこんなにひきょうな存在なんですよ。だれ一人そんなことを問題だと言う者はいない。本当の話なんであります。おかしいとしか思いようがないんですけれども、大変に、しかし私は問題だと、こういうことなんであります。
 そして、学校の先生方は、同じ条文で宗教に関しても公金を支出してはならない、こういう規定がありますけれども、宗教に関して支出することについては非常に神経過敏で、総理大臣が靖国神社に玉ぐし料を奉納する、これは憲法違反だと、役所の金を出したに違いないということで騒ぎ立てる。その騒ぎに乗っかって、そういうものは憲法違反だとした裁判例も幾つもありますけれども、そういう人たちに限って、またこの教育の問題については口を閉ざして何も語ろうとしない。一体何だろうかと。
 もし、私立学校が国家の助成がないとやっていけないというなら、学校の窮状というものを明らかに世間に訴えまして、そして憲法改正をしてもらって、それからおずおずと手を出すべきではないのかと。もう福沢諭吉の精神は捨てます、早稲田の学の独立もありません、今や学は独立ではない、もう隷属でございますと、そういうことまで言って金をもらうなら我々としてもよくわかるんですけれども、憲法の規定をこのままにしておいて金だけはもらうと。浅ましいとしか言いようがないのでありまするけれども、いかがでございましょうか、この点についてお二方の御見解を承ればありがたいと思いますけれども。
○参考人(西部邁君) 法律論議として言えば佐藤先生がおっしゃったとおりで、今は憲法違反が行われているんだと思います。自衛隊でも、その他もろもろ憲法違反が行われていますが、この私立学校の件もそうだと思います。
 しかしながら、私が論議したいのは、そのことよりもさらに一歩進んで、どうしてこんな憲法違反を犯さざるを得ないことになってしまったかを考えますと、まず第一に論議されるべきは、実はこれはアメリカでも間違いがあるんですけれども、民、つまり民間の民、民間というものを私と、私的なことと倒置したのが大きな間違いで、つまり英語で言っても、アメリカではプライベートというと私と訳したり民と訳したりする。
 私が言いたいのは、民間にある今の学校は、当然ながら活動の一部として公の事柄にかかわる活動をしているわけです。当然ながら教育の問題でありますから、全くプライベートベネフィット、プライベートリターンだけで教育が行われるわけはない。そうすると、これに一遍書いたことでありますけれども、広く言えば福沢諭吉が言ったように、「政府は国民の公心の代表なり」ということでありますから、国民がやる民間の活動には、多くのものは先ほど言ったように会社という形でプライベートリターン、つまり私的な利益を主眼とするかもしれないが、例えば教育などにおいては顕著なように、プライベートリターンも気にするが、しかしながら多かれ少なかれ公的な活動もなさざるを得ないというそういうことがあるんです。
 私は、そうならば政府がやはりいわゆる今で言うところの私立学校の窮状なら窮状を見て、しかもそこでやっていることが単にプライベートリターンの計算だけじゃなくてやはりパブリックな、公の、公共的な活動に多少とも関係しているのならば、その私立学校というものをどうにかするために、いわゆる法律用語で言うところの公金なるものを使わざるを得ないということになったんだろうと。
 私が言いたいのは、ここに法律用語と現実に行われている活動との言ってみればずれが生じているんだと、そのことが憲法論議なり法律論議の中で私が察するにほとんど行われていないということが、そうしたそごが見逃しにされたままのやっぱり根本の原因ではないかというふうに思っております。その点からいうならば、法律家たちにも多分問題があるのだろうというふうに考えております。
○参考人(佐高信君) 佐藤道夫さんらしい、ちょっと不意をつかれた感じの質問でしたけれども、今お話を聞きながら、私は政党助成金というのはじゃどうなんだろうなという感じがしていました。政党助成金というのとはもちろん違うんでしょうけれども。
 ある種、例えば企業の場合でも、日本の最初の出発は官営八幡製鉄所という形の出発でありましたし、民間企業といえども、それが払い下げられてある種の民間になっていくという日本の事情を考えれば、発展途上といいますか、そういう途上の中の問題としてとらえなきゃならないんじゃないかと。もちろんそれは違憲というのははっきりしていると思いますけれども、ただ状況の推移みたいなものはやっぱり考慮に入れなきゃならないんじゃないかなということだけは考えます。
○佐藤道夫君 実は、日本人というのは本音と建前を上手に使い分ける。憲法上、第九条がそうだと思います。第九条でいかなる戦力も保持しない、こう言っておきながら、自衛隊は着々と戦備を充実する。あれは軍隊、戦力じゃないんだと、こういう言い方なんですけれども、そんな本音と建前の食い違い、今の若い人にはなかなか通用しないだろうと思うんです。
 私もさる大学で教えておるんですけれども、学生たちから常に、この法律の現実と建前の違いを一体先生どう考えたらよろしいのか、明快なお返事をいただけないとは思いますけれどもと、私自身も本音と建前を使い分けているような言い方を彼らはしまして、そういう質問を受けることがあるんですけれども。
 もう時は二十一世紀ですから、いつまでたってもこんな食い違いのままにしていっていいんだろうかと。日本は近代国家ではないという言い方だって可能だと思いますけれども、こんなことでは。やっぱり八十九条を改正する、もしどうしても私学援助が必要だと、こう言うならば、私学が一体となって八十九条をすぐ改正してほしい、学生に対して会わせる手前、顔がないんだと、それぐらいのことを言ってアピールをする、政府の重い腰もそれならばということで八十九条を改正しましょうと。
 こういういろんな矛盾、九条もそうだと思います。自衛隊が違憲かどうか、あれを廃止するかどうか、そういう議論は置いておいても、やっぱり九条との関連をきちっと整理して後世の人に受け継いでいくという考えが必要なんじゃないかと。いつまでたっても武家社会の江戸時代のああいう腹芸で物を処理していこうというやり方からこの国は脱していくことができないようなので、その一つの例としてこの八十九条の問題を取り上げてみたんですけれども。
 もし御関心があるとするならば、これから折に触れて、国会のさる法律屋がこんな問題を提起していたと、これも真剣に我々として考えていこうやということも話していただければ私としても大変にありがたいと、こういう気がいたします。
 それから、時間はまだありますか、もう一点、これもどうなんだろうかと。
 わかりやすい例ですけれども、先ほど話に出ましたマラソンの高橋尚子さんですね、あれが国民栄誉賞を受けまして、テレビに登場して高らかに表彰状を見せておりまして、その腕に何かすばらしい時計がしてある。キャスターがそれを目ざとく見つけまして、あら、すばらしいですね、あっ、これは今、副賞のような形で受け取ったのでありますと、こう彼女が言っておりました。私、まあせいぜい一万か二万のセイコーの時計かなぐらいに思いまして、さる人を通じて調べさせたら、何と何と百万円の舶来の超ブランド物だと、こう言うんですね。
 これは、栄典はいかなる特権も伴わないという十四条に、この関係からいったらやっぱり憲法違反ではないのかと。栄誉をたたえるために百万円の時計をやる必要はないんだろうと。そういえば王も長嶋も皆もらってはおるわけですけれども。
 こういう議論をしますと、まあこれは常識の範囲で先生考えてくださいと賞勲局などはそういう言い方をするわけです。まああれだけ日本の名誉を高めたんだから百万ぐらいの腕時計はいいじゃないですかと、余り難しいことをおっしゃらないでくださいと、何か私がいかにも非常識みたいな言い方を役人たちはするんですけれどもね。
 しかし、条文の上でこうなっている以上はやはりそれはできないと。仮に一万円の時計で、それならば常識の範囲内ということで高橋尚子も王も長嶋も皆喜ぶでしょう。何も百万円の時計をやる必要はないと。百万円というのは大変な金額ですからね。その辺のところをもう少し法律的な物の考え方をしてほしいと。
 しかし、この国で法律的に物事を考えると村八分に遭うようなおそれも、今これは差別用語ですか、ないわけではない。私も遠慮していろいろ話を、いろんな場所で話はしているわけですけれども、やっぱり先ほども言いましたけれども、もう二十一世紀、こういう問題をとらえて若い人たちを中心としてみんなで議論をしていく、それがこの国のあり方の一つを考えていく大きな意味になるんじゃないかと、こういう考えもしております。
 最後に、今の私の考えにちょっと、賛成でも反対でも結構でございますから、御意見を承れればと思います。
○参考人(西部邁君) 私は、先ほど言ったことの繰り返しになりますけれども、最初の本音と建前、例えば憲法九条をめぐる、それは次のように考えるべきだと思います。
 日本人は驚くべきことに、本音といったときに自分の私心のことを指す。例えば、戦争に絡んで言いますと、私心からいえば、多くの場合は死にたくないとか死ぬぐらいなら相手に白旗を掲げた方がいいという私心を持っていることは、それを指して本音と言う。それで、そこから気分的な延長として非武装までは肯定されてなっているんだと思う。
 逆に言いますと、日本人は建前を、実は公心のことを指して建前と呼ぶんですね。私は、これが戦後に極めて顕著な、戦前からあると思いますけれども、日本人の国民精神のやっぱり至らなさだと思いますが、先ほどの福沢諭吉を出すまでもなく、まともな人間でしたら、自分の中にいわば本音として、私心として死にたくないという気持ちがあるのならば、同時に本音としての公心としてやっぱり自分の子供なり孫なり同胞たちのために戦わざるを得ないときには戦うという本音の気持ちがあって、ところが問題はこの公心と私心の間がなかなかそう簡単に折り合いがつかない。
 したがって、どういう場合に私心に走っていいか、どういう場合に公心を引き受けなければならないかということを決めるのがこれがまさに憲法を初めとする法律であり、成文化されないとしても、例えば不文のものとしての私は道徳の体系だと思うけれども、道徳と法律を含めてそうしたルール感覚が戦後日本において極めてあいまいになった根本には、つまり本音を私心と倒置し、建前を公心と倒置し、その結果として公心は建前にすぎないという、そういう公への軽んじが生じているという点が私は大問題だと思う。
 それから、第二の名誉の問題でありますけれども、百万円が適当かどうかは私は今問題にはできませんけれども、戦後のこの憲法の大問題というのは、やはり政治というものは必ずや文化ということの土壌から出てくるものでありますから、そうならば政治と文化というのは別物であるけれども切り離してはならない。そうなら、政治にまつわる、とりわけ文化に近いところでなされる政治の問題についてはそれなりに名誉を与えるというのが、これはもう世界各国やっていることであって、戦前の日本ではまさにそのことをやっており、それから福沢諭吉に倣って言えば、彼は帝室論、つまり皇室というものの存在を弁護したときの最大の論拠が、そうした国民に対して名誉を与えるときのいわば媒介的な機関として天皇というものの存在を重んじるということがありましたが、この憲法の一つの問題点は、政治にかかわるところの名誉の問題ということをやっぱり過小評価している。
 もちろん、名誉を金銭だけであらわすというのは極めてこれまた大きな問題だと思いますけれども、いずれにいたしましても、私は、来るべき憲法においては、政治といえども名誉の問題とどこかでかかわらざるを得ないのだという、そういう文化論を包み込んだ憲法をつくっていただきたい。そして、名誉を感じるならば、必ずやそれは歴史の問題と密接不可分だという論理にならざるを得ないであろうと私は思っております。
○参考人(佐高信君) では、一言だけ。
 私は、勲章というものそのものに疑問を持っておりまして、勲章というのは、伊東正義さん、日銀総裁の前川春雄さん、国鉄総裁をやった石田礼助さん、断った人に立派な人がいるということだけを考えています。
○会長(村上正邦君) 時間が参りました。
 非常に話の奥の深い審議ができました。まだ余韻を残しておりますが、本日の質疑はこの程度といたします。
 参考人の両先生にお礼を申し上げます。
 大変御貴重な御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。
 またの機会をぜひつくりたいと思っておりますが、本日の御参考人は両極端の御意見を憲法論議においてはお持ちでございまして、できればお二人のひとつ憲法に対する討論を我々は一度聞いてみたいなと、この調査会で、かようにも思いながら、本日の御意見をいただきましたことに厚くお礼を申し上げて、散会をいたします。
   午後三時五十七分散会

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