第151回国会 参議院憲法調査会 第4号


平成十三年三月十四日(水曜日)
   午後一時二分開会
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   委員の異動
 三月七日
    辞任         補欠選任   
     石田 美栄君     吉田 之久君
     竹村 泰子君     小川 敏夫君
 三月八日
    辞任         補欠選任   
     西川きよし君     佐藤 道夫君
 三月十三日
    辞任         補欠選任   
     吉田 之久君     木俣 佳丈君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         上杉 光弘君
    幹 事
                海老原義彦君
                武見 敬三君
                野沢 太三君
                野間  赳君
                江田 五月君
                堀  利和君
                山下 栄一君
                小泉 親司君
                大脇 雅子君
    委 員
                阿南 一成君
                岩城 光英君
                木村  仁君
                北岡 秀二君
                久世 公堯君
                陣内 孝雄君
                世耕 弘成君
                中川 義雄君
                中島 啓雄君
                中曽根弘文君
                服部三男雄君
                松村 龍二君
                森田 次夫君
                脇  雅史君
                小川 敏夫君
                川橋 幸子君
                木俣 佳丈君
                北澤 俊美君
                久保  亘君
                寺崎 昭久君
                直嶋 正行君
                松前 達郎君
                簗瀬  進君
                魚住裕一郎君
                大森 礼子君
                高野 博師君
                橋本  敦君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                福島 瑞穂君
                水野 誠一君
                平野 貞夫君
                佐藤 道夫君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       大島 稔彦君
   参考人
       北海道大学大学
       院法学研究科教
       授        中村 睦男君
       駿河台大学法学
       部教授・法学部
       長        成田 憲彦君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (国民主権と国の機構)
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○会長(上杉光弘君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、国民主権と国の機構について参考人の御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、北海道大学大学院法学研究科教授の中村睦男参考人、駿河台大学法学部教授・法学部長の成田憲彦参考人に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 参考人の方々から忌憚のない御意見を承りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
 本日の議事の進め方でございますが、中村参考人、成田参考人の順にお一人二十分程度ずつ御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございますので、よろしくお願いをいたします。
 それでは、まず中村参考人からお願いいたします。
○参考人(中村睦男君) ただいま御紹介いただきました中村睦男でございます。
 本調査会に参考人としてお招きいただき、大変光栄に存じております。
 国民主権と国の機構についてのお話をする前に、国権の最高機関の中に設けられた憲法調査会に対しまして、その設置の趣旨にありますように、憲法について広範かつ総合的に調査を行い、主権者である国民に憲法に関する情報を十分に提供していただくことをお願いいたしたいと思います。
 一九五七年に発足し、一九六四年に最終報告書を提出した内閣の憲法調査会は、当初、政治的に期待された憲法改正の是非については調査会としての結論を出さないで、憲法改正是非の両論をその論拠を併記して国民の判断にゆだねるという基本的態度を堅持するとともに、日本国憲法制定の経緯や運用の実際についての周到な調査を行って、その成果を公表しました。
 この憲法調査会の最終報告書によって、憲法改正是非をめぐる国内の政治的対立が緩和され、国民の意識の中にも憲法が定着し、我が国の平和主義を含む立憲主義が世界に誇るものになっていることを忘れてはならないと思います。今日、憲法改正を論ずるに当たりましては、五十年以上にわたる憲法運用の蓄積を踏まえて、その改善を図るものでなければならないと考えます。
 このような観点から、国民主権と国の機構に関する問題点を、以下五点にわたって指摘させていただきます。
 まず第一に、国民主権と天皇制の規定について、国民主権の原則をより明確にするという問題があります。
 現憲法は、憲法の本文で国民主権を明記することなく、象徴としての天皇の地位を定めた第一条の中で主権が国民に存することを規定するにとどまっております。そして、天皇の行為として、憲法の定める国事行為、私的行為のほかに、国会開会式でのお言葉、外国公式訪問、外国元首との親書親電の交換、国民体育大会など各種大会への出席などの行為を象徴としての公的行為ないし公人としての行為という第三の範疇の行為として認めるのが実例であり、また学説の多数説であります。
 この点につきましては、天皇の規定の前に国民主権を明記する規定を置く必要がないか、象徴としての公的行為を憲法解釈上認めるのは国民主権の趣旨から問題がないかということがあります。
 憲法施行の二年後である一九四九年に公表され、当時の若手憲法学者や政治学者をメンバーとする公法研究会から出された「憲法改正意見」では、現行の第一条のように天皇の法的性質を表現することに付随して国民主権を宣言しているのは妥当ではないので、まず第一条に主権は日本人民にあるという条文を新たに加えるとともに、象徴という用語についても、神秘的な要素を持っていることから、儀礼的存在を一層明確にして儀章とすべき提案をしているのが注目されます。一九九四年に発表された読売憲法改正試案も、第一章を国民主権とし、第一条に日本国の主権は国民に存するという規定を置いているのも参考になります。
 第二に、国会につきましては、参議院の役割を明確化することが必要であるということであります。
 二院制は、参議院が衆議院とは異なった角度から多様な民意を反映し、審議を慎重に行って、衆議院に対して抑制と均衡の機能を果たすところにその存在意義があります。従来から参議院の独自性と自主性を確保するための検討がなされてきており、憲法の枠内で多くの改革がなされてきました。
 憲法改正を含めた参議院改革案として注目されますのは、昨年四月に参議院議長に提出された参議院将来像有識者懇談会の「参議院の将来像に関する意見書」であり、憲法学の立場から見ても重要な問題提起をしております。
 参議院改革の原則的な考え方として、参議院には政権よりも大所高所に立った中長期的な審議に基づく権威を期待し、行政監視を含む再考の府としての機能を発揮し得るような仕組みを導入することに私は賛成したいと考えております。行政監視機能を強化する観点から、参議院に常設の政策評価委員会を置くこと、参議院の審議の重点を決算審議に振り向けること、いわゆる基本法について参議院先議とすること、国会同意人事を参議院の専権事項とすることが提案されております。
 参議院が政権から一定の距離を置き、行政監視を含む再考の府としての機能を持つための制度的仕組みとして提案されておりますのは、衆議院の再議決権は一定期間行使できなくするとともに、衆議院の再議決は三分の二ではなく過半数にすること、参議院は内閣総理大臣の指名を行わないこととすること、いわゆる通年会期制を導入し、会期不継続の原則を改めること、定足数の規定は本会議における議決要件のみとすることでありますが、これらの改革は憲法改正に及ぶ大きな改革であります。
 また、現在、参議院の独自性を損なう原因として、参議院の選挙制度が衆議院のそれとほとんど異ならないものになっていることがあります。この意見書で指摘されておりますように、参議院を地方公共団体の地域代表的な性格のものにすることも、参議院の独自性と地方自治の強化に寄与するものと考えます。参議院が独自性を発揮できるような制度改革をすることによって、我が国の二院制、そして議会制民主主義はより確かなものとなるものと考えます。
 第三に、内閣に関しましては、首相を国民が直接選挙で選ぶ首相公選制が問題になります。
 かつての内閣の憲法調査会では、首相公選制は、中曽根康弘議員を中心にして、国民主権の原理を拡充し、政府をつくる自由を国民に直接ゆだねることによって民主主義を強化するとともに、首相の地位を安定化することによる政治的権威の確立を図るために主張されましたが、日本の政治状況のもとでは議会の権限が弱まり首相の権限が強大になり過ぎる危険性があることが指摘され、反対の見解が憲法調査会では多数でありました。
 首相公選制は、今日改めて、理論的には国民主権論及び民主主義論を議会のみならず行政府まで及ぼすことによってその拡充を図るものとして主張され、機能的には首相のリーダーシップを強化し、政権の安定をもたらすことが期待されております。
 首相公選制は、首相の選出に当たって国民の意思が直接反映するという意味では国民主権により適合的であるという面があることは確かですが、他面、国会の国民の代表機関としての性格を弱めることになります。議院内閣制は、国会に国民の代表する機関であるという性格を完全に認めて、国民の代表機関である国会が首相を選出する制度であります。この議院内閣制を本来の趣旨に従って十分に機能させることが現在の我が国にとって最も重要な課題と考えます。
 現在、議院内閣制が必ずしも十分に機能していない大きな理由は、衆議院総選挙の結果と首相の選出との結びつきが明確でなく、国民の意思とは離れたところで首相が選ばれる可能性があるところにあります。
 衆議院の総選挙の結果、多数をとった政党の党首が首相になり、解散または任期満了による新たな総選挙まで同じ首相が任務を継続することによって、首相のリーダーシップと政権の安定を図ることが議院内閣制の本来の趣旨であると考えます。そのためにもし憲法改正まで必要であるとしますと、先ほど参議院改革のところで述べましたように、参議院選挙の結果が政権交代に結びつかないように参議院が首相指名を行わないことや、参議院で否決した議案に対する衆議院の再議決権を三分の二以上ではなく過半数にするよう憲法を改正することも一つの案であると考えます。
 第四に、司法については、憲法裁判の活性化の方策を検討するのが最大の課題であると考えます。
 憲法運用の実際の中で憲法学者がほぼ共通して不満に思っていますことは、最高裁判所が憲法裁判に消極的な態度をとっていることであります。
 世界各国で、一九八九年のベルリンの壁の崩壊以後は、かつての共産主義諸国を含めて立憲主義を特徴づけるのは、国民の代表機関である議会が制定した法律が憲法に違反した場合に、裁判所の違憲審査権によって憲法を保障するという考え方であります。ところが、日本の最高裁判所が憲法施行後五十三年近くの間で法律の明文の規定を憲法違反と判断したのは、刑法旧二百条の尊属殺人罪の規定を違憲としたもの一件、薬局の距離制限を定めた薬事法の規定を違憲としたもの一件、公職選挙法の衆議院議員定数不均衡を違憲としたもの二件、森林法の共有物分割請求権を制限した規定を違憲としたもの一件、全部でわずか五件であります。
 日本で違憲判決が少ない理由の一つとして、重要な法律が内閣提出の政府立法として成立し、政府立法に対しては内閣法制局の憲法審査を含む精緻な審査が行われていることを挙げることができます。しかし、近年になって特に新しい社会的需要に応じて立法府が迅速に法律を制定しなければならなくなっている状況のもとでは、国会や政府の行った憲法解釈に対し、裁判所が審査する必要性は一層大きくなっているものと言えます。
 我が国の違憲審査制は、具体的な民事事件や刑事事件に付随して行われる司法裁判所型のものであります。実際に最高裁判所に毎年上告されている事件は四千件を超えていますが、そのうち憲法違反を理由とするものは一%にも達しておりません。最高裁判所は、通常の民事事件や刑事事件の処理に追われ、憲法裁判に本格的に取り組む時間的余裕がないと言えます。そこで、憲法裁判を活性化するために、憲法裁判を専らないし中心的に担当する憲法裁判所を設置することが考えられます。
 憲法学界の通説的見解によりますと、現行憲法は具体的事件を前提にする司法裁判所型の違憲審査制を認めていますので、憲法裁判所を設置するためには憲法改正が必要になります。そこで、憲法裁判所の設置まで一挙に行くのではなく、現行の司法裁判所型の制度を前提にして、最高裁判所の機能を憲法裁判所的な性格にするよう運用上の改善を図るという提案もなされております。憲法学者の側からも、現行の裁判所制度を抜本的に改革し、通常の民事、刑事の上告審を新たに設ける特別高等裁判所に担当させ、最高裁判所に違憲審査を中心的な任務とする憲法裁判所的な性格を与える見解も主張されております。
 いずれにいたしましても、日本の憲法裁判の実際、憲法裁判を活用している諸外国の憲法裁判の制度とその運用を調査して、憲法裁判制度の改革が必要であると考えております。
 第五に、直接民主制的制度をより拡充すべきかどうかという問題があります。
 日本国憲法は代表民主制の原則を採用しており、主権を有する国民が直接に国政に参与する直接民主制的制度は、憲法上は、第七十九条の最高裁判所裁判官の国民審査、第九十五条の地方自治特別法に対する住民投票及び第九十六条の憲法改正国民投票の三つの場合に限られております。しかも、実際の運用におきましても、最高裁裁判官の国民審査につきましては、バツ印をつけて罷免を可とする投票数が多数にならなければならない制度で運用しているため、制度の実効性は乏しくなっております。また、地方自治特別法の住民投票も、憲法施行直後の時期に何々○○都市建設法として制定された十五件の法律があるだけであります。
 現在、世界各国の民主制は代表民主制を原則にしておりますが、環境問題のように国民の間で価値観の対立が見られる問題については国民の意思を直接問う国民投票の是非を問題にしております。日本でも、近年、地方自治体レベルでは、原子力発電所の建設や産業廃棄物処理施設の建設の適否を問う住民投票が行われ、改めて直接民主制の意義を考える素材を提供しております。国政レベルで法律案のような特定の問題に対する国民投票を行おうとしますと、国民投票の結果が国会の意思決定のための助言にとどまるものであれば、いわゆる助言型のものであれば憲法上可能でありますが、国民投票の結果が国会の意思決定を法的に拘束する場合には憲法改正が必要になります。地方自治体での住民投票における経験の蓄積を踏まえまして、国民投票の是非についても改めて検討する時期に来ていると思います。
 以上で私の意見を終わりたいと思います。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、成田参考人にお願いいたします。成田参考人。
○参考人(成田憲彦君) 駿河台大学の成田でございます。
 私は、中村先生のように憲法学者というわけではございませんで、政治を研究している者でございますから、政治学の、政治の研究者の立場から意見を述べさせていただきたいと思います。
 私は、まず日本国憲法の歴史的位相ということについて申し上げたいと思います。つまり、日本国憲法は、これは統治機構についてでありますが、世界史の尺度から見てどの時代の憲法と言うことができるのかということであります。
 私が大学で憲法の講義を聞きましたときには、教えられたことはこういうことでありました。すなわち、明治憲法は民主主義の点で不十分な憲法であった、しかし日本国憲法によって完全な民主主義が実現した、こういうふうに教えられたわけでありまして、現在でも多くの大学ではそういう教え方をしているだろうと思います。
 しかし、実は民主主義にもその歴史的経験を踏まえた歴史的な位相、進歩、発展というものがあるというふうに私は考えております。
 統治機構の面では、日本国憲法は実はそれほど新しい時代の憲法ではございません。ドイツやイタリア、これらは日本と同様に戦争に敗れまして政治システムの断絶、したがいまして戦後新しい憲法を制定した国でございますが、これらの国やまたフランスでも、第一次大戦後に民主主義的な統治機構が機能不全に陥った経験を踏まえて、第二次大戦後の憲法でさまざまな工夫を行ったわけであります。
 これに対して、日本は第二次大戦後は民主化がテーマで、どういう民主主義かということは十分吟味されなかったというふうに私は考えております。非常に大ざっぱな言い方をしますれば、日本国憲法は第一次大戦後型の憲法と言うことができるのではないかと考えております。
 第一次大戦後型の憲法という意味は、各国で普通選挙、女性参政権は必ずしもこの時代には実現しておりませんでしたが、少なくとも男子の普通選挙が実現した時代の選挙、統治機構であります。すなわち、国民にひとしく参政権が与えられれば本当の国民の多数派というのが結集されて民主主義が完成されるというふうに考えた時代の憲法であったろうと私は考えております。
 なぜそういうふうになったのかということは、制定過程が大きな影響を持ったというふうに考えております。マッカーサー草案をつくりましたGHQの民政局においては、ハッシーとかエスマンあるいは特にラウエルといった人々が明治憲法下の日本の統治機構の問題点を研究いたしました。彼らの関心は明治憲法の問題点を発見することにあったわけです。そのため、これからの時代にはどういう統治機構が適当か、世界ではどういう議論があらわれているのかということの研究は必ずしも十分ではなかったと私は受けとめております。そういう意味で、新しい要素を取り込むことに不足する点があったのではないかというふうに考えております。
 どういう意味で日本国憲法は古いのかということにつきまして、具体的な例で申し述べさせていただきます。
 例えば、日本国憲法では、最近もございましたが、衆議院における内閣不信任決議案はただの議案であります。ただの議案という意味は、通常の法律案とか決議案等の議案と、提出手続要件、審議の手続、可決の要件等において全く同じであります。
 しかしながら、ヨーロッパの国では、例えば内閣不信任案はドイツでは有名な建設的不信任案と申しまして次の首相を選挙してからでなければ可決できません。また、フランスやイタリアでも内閣あるいは首相の不信任決議案は提出に当たって一定の要件がありますし、例えばフランスでは四十八時間、提出後四十八時間、イタリアでは提出後三日を経なければ討議に付すことはできません。参議院でも、本日、問責決議案、内閣問責決議案が出まして、直ちに否決されたようでありますが、ヨーロッパの国ではそういうところは違っているわけであります。
 すなわち、ヨーロッパ各国では、議院内閣制を有効に機能するようにするためにはどういう工夫が必要かということからさまざまな制度の工夫ということがなされているわけであります。
 私が日本国憲法が第一次大戦後型、すなわち普通選挙実現後型の憲法だと言いましたのは、多数決が民主主義である、数を確保すれば、普通選挙を前提として数を確保すればそれだけで民主主義になるという思想が前提になっていて、一般の議案でも内閣不信任決議案でも、とにかくハウスの多数の意思を確認するという以上の関心を持っていないというふうに受けとめられるわけであります。
 これに対しまして、ヨーロッパの第二次大戦後型の憲法というものは民主主義は数だけでは完成しない。手続、国民が理解するだけの時間的余裕を与える、制度化された説明責任を確保する、権力機構に相互にチェックをさせる、また多数の意思による議会の立法を無効にする憲法裁判所を置くなどの工夫をしているわけであります。これらの工夫が日本国憲法では必ずしも十分ではないのではないかというのが私の意見であります。
 それでは、このような日本国憲法は具体的にどういう問題をもたらしたのか。これはさまざまございますが、私は表の政治と裏の政治の二元的な政治をもたらしたのではないかというふうに考えております。すなわち、表の政治の不十分さを補うために裏の、裏のというのはこそこそとしているという意味ではなくて、日本国憲法が規定する手続によらない政治が発達したということでございます。まあこれは憲法だけの原因ではございませんが、憲法にも幾つかの原因があったと思います。現在も森内閣の進退に関しまして表の政治と数の政治という二つの政治が進行しておりまして、国民には大変わかりにくいものとなっておりますが、これは現在の事態だけではなくて日本政治の根本構造の問題であろうと私は思っております。
 最大の裏の政治は、先ほども申し上げましたようにこれは決して秘密でこそこそしているという意味ではありませんが、日本国憲法で規定されていない統治の仕組みによっているという意味ですが、最大の裏の政治は与党という権力機構と統治のプロセスをつくり上げたことであろうと思います。この与党というのは何も自民党や公明党、保守党という意味だけではなくて、細川内閣、羽田内閣の非自民連立時代も全く同様であったわけでありますが、特に与党の事前審査制度、政府法案にしましても政府の措置にしましても、まず与党で検討して決まってから政府の正式の政策あるいは法案とすると、こういう制度が発達いたしました。与党で決まりますと衆議院と参議院両方をまたいで拘束するわけですから、したがって参議院の存在意義が失われたということも、実はこの裏の政治の与党の決定ということが原因にあるだろうと私は思っております。
 このような与党の関与ということは議院内閣制の国では普遍的なことと思われておられるかもしれませんが、実はそうではありません。欧米では与党は独立の権力機構ではなく、与党の議員はあくまでも議会内で、議会の権限により、つまり憲法によって与えられている権限によって力を発揮します。政府法案に対する与党の対応は、議会内での与党修正あるいは上院議員団としての決定、下院議員団としての決定であります。両議員団は政党の基本プログラムには従いますが、法案の修正に関しては互いに独立、本部からも独立であります。したがいまして、上院も下院もそれぞれ存在意義を発揮しているわけであります。日本も、昭和二十年代はそういう国会の姿でございましたが、その後、与党機構が整備されることによって政治の姿が大変変わっていったわけでございます。
 重要なのは、マンデートということでございます。マンデートというのは大変難しい言葉ですが、国民の信託あるいは議員の身分、先生方の日ごろお使いになっている言葉で言いますと、私はバッジという言葉に大変近いのではないかというふうに思っております。選挙で国民が一定の候補者にバッジを与えるということであります。重要なことは、党本部がバッジを与えられているわけではありません。党本部がマンデートを与えられているわけではありません。あくまでも衆議院議員あるいは参議院議員に与えられているわけであります。
 党本部といっても、衆議院議員、参議院議員、すなわち国会議員で意思決定をしているというふうに言われるかもしれませんが、党本部の決定は衆議院議員と参議院議員が共同で決定しているわけであります。これは、衆議院議員、参議院議員にそれぞれマンデートが与えられている、マンデートを与えられている衆議院議員が衆議院の会派をつくって意思統一をするということは、憲法に整合的、マンデートの考え方に整合的であります。あるいはマンデートを与えられている参議院議員が一定の会派をつくって意思の統一をするということは、マンデートの考え方に整合的であります。
 しかし、その枠組みを超えて党本部という機構で意思決定をして衆議院議員と参議院議員がそれに服するというのは、私はマンデートの考え方には反していると思います。これも与党という、与党の権力機構化ということによってもたらされたというふうに考えております。
 そのほかの裏の政治、これは裏の政治と言うにはほど遠く表で使われていることですが、よくマスコミでもあるいは内閣総理大臣の施政方針演説でも政府という言葉が使われます。例えば、総理の施政方針演説で政府といたしましてはこうしたいという言葉が使われますが、これも私に言わすと裏の政治であります。なぜなら、政府というものについては日本国憲法で構成メンバー、権限、手続が一切定められておりません、明治憲法では政府は定められておりましたが。そうすると、国民が憲法に照らして理解できない統治機構の政府というものが統治を行っているということは、私にとっては不思議なことであります。
 私は、政治が国民のものとなるためには表の政治に一本化すべきであるというふうに考えております。これこそが立憲政治というものであり、立憲政治の要請であろうというふうに考えております。
 これまで申し上げました点に即して具体的に申し上げますならば、私は、憲法で政府を定義し、政府のみで統治する、すなわち政府・与党二元論ではなく、政府一元論で統治をするというのがこれからのあり方であろうと思います。
 それでは、具体的に憲法をどのようにすべきであるかという点について申し上げますれば、いろいろございますが、基本的なことは議院内閣制を強化するということだろうと思います。この点は、GHQは大統領制のアメリカの国の人々でございますから議院内閣制の経験がなかった、そういう意味でも私は日本国憲法の議院内閣制というのは手薄なのではないかというふうに考えております。
 中村参考人も先ほど触れておられましたが、最近、首相公選制というのが主張されておりますが、私は問題が多いと思っております。
 一つには、提案、首相公選制について言及される方は多いのですが、大統領制なのか議院内閣制なのかがはっきりしないものが多うございます。議院内閣制でなおかつ首相公選という国は実例的に唯一はイスラエルでございますが、イスラエルは最近、公選制をやめる動きがございます。公選制は失敗であったということでやめる動きがございます。
 また、首相公選制というのは象徴天皇制との整合性においても問題があると私は思っております。
 例えば、公選された首相はアメリカの大統領のように就任式に臨むのか、それとも天皇による任命式に臨むのかということは意外に難しい問題であろうと私は思っております。例えば、公選首相が就任式に臨むのであれば象徴は何のためにいるのかということになるでしょうし、もし公選首相が天皇による任命式に臨むのであれば主権者が選んだ首相を天皇がどういう資格で任命するのかという原理的な問題が生じることになるだろうというふうに思っております。そういう意味では首相公選制というのはいろいろ問題を抱えている。
 私は、議院内閣制の強化ということがやはり基本であろうというふうに考えております。
 そのためには、例えば総理大臣の選挙の仕方、例えば議会が自発的に総理大臣を選挙している国というのは先進国では日本のみであります。多くは大統領が候補者を指名する、推薦する、あるいは任命して議会が信任をするという形でありまして、総理大臣の選ばれ方、一つの手続、国民に対するアカウンタビリティー、だれ、どうしてその人が選ばれたのか、こういう点も必ずしも十分ではないと私は思っております。
 また、内閣不信任の手続も必ずしも整備されておりません、先ほど申し上げましたが。内閣の安定、それからなぜ不信任するのかというアカウンタビリティー。簡単なこと、不信任案が出てから一定の時間を置いてから討議をするというような工夫もなされておりません。
 さらに、議院内閣制の点で重要なのは、立法における内閣あるいは政府の責任と権限であります。
 ドイツとかフランスでは、政府が立法にどのように関与するのか、その権限はどうであるのかということが具体的に書かれております。日本国憲法下では法案提出権があるのかどうかもはっきりしておりません。議案の提出権ということで解釈運用上、政府は、内閣は法案を提出しておりますが。このようなあいまいさが与党の事前審査制度の制度的な背景にもなっております。
 議院内閣制の強化という点からも二院制を検討しなければならないと思います。私は、議院内閣制のもとでの第二院、上院というものは政権の所在にはかかわらないようにすべきだというふうに思っております。そういう観点からの参議院のあり方ということも工夫すべきではないか。
 また、内閣ないしは政府のリーダーシップを強化する。これが議院内閣制の根幹でありますが、基本はやはり政府一元論にする必要がある。
 さらに、総理大臣の権限強化。よく官僚主導か内閣主導かと言われますが、大切なのは内閣主導か総理大臣主導かということなんです。ヨーロッパではそういう問題の立て方をします。内閣主導というのは現実にはどこでも背後にサポート役としてついている官僚主導になるんです、どこの国でも。官僚主導を克服するのは内閣主導ではなく首相主導ということであります。こういうことも議院内閣制の強化の点で検討する必要があろうと思います。
 その他、議院内閣制とあわせて、地方自治の強化、部分的な国民投票制度のあり方も検討する必要があろうと思います。
 最後に、憲法と附属法の整合性ということを一言申し述べさせていただきます。
 現在は、憲法と内閣法ないしは憲法と国会法は矛盾している部分がございます。
 内閣につきましては、憲法では総理大臣は内閣の首長であります。しかし、内閣法では実際は、言葉はともかく実態においては閣議の単なる座長でありまして、閣議万能主義であります。これは憲法の考え方と食い違っていると私は思います。また、国会につきましては、憲法では議院内閣制ですが、国会法は大統領制下の常任委員会中心の議会というものを根底に据えまして、特に会派の扱いが不十分になっているというふうに思います。新しい憲法を考える場合には、附属法との整合性ということも考慮していただきたいと思います。
 以上をもちまして私の意見陳述を終わらせていただきます。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。野間赳君。
○野間赳君 自由民主党の野間赳でございます。
 両参考人には貴重な御所見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。
 本調査会では、これまで日本国憲法につきまして広い視野からさまざまな参考人の御意見を伺ってまいりました。この常会からは国民主権と国の機構というテーマで議論を進めていくということであります。
 昨年最後に行われました憲法調査会であったと思いますが、参考人の方から、これからの二十一世紀は民主主義をつくる時代だという意見が出されたのであります。私もまさにこれからの二十一世紀におきましては日本の民主主義をより一層深めていく必要があるなと感じているところであります。
 両参考人には先ほど来お話をいただいておるところでありますが、そのこと以外にもいろいろ問題であると思われる点がおありのことと存じますが、まず憲法裁判所のことにつきましてお伺いをいたしたいと思います。
 我が国では、憲法判断は具体的事件でなければ行えません。平成九年二月に、愛媛玉ぐし訴訟で、最高裁大法廷で違憲判決がありました。十五年の歳月がかかったのでありますが、一審、二審と異なる判決がなされた後、最高裁での違憲判決ということでありました。ドイツのような憲法裁判所を設けて憲法判断を法令に対して明確に行うべきとの議論があります。憲法裁判所の意義につきましては両参考人とも肯定的な御発言であると伺っております。憲法裁判所の設置は、司法はもちろんでありますが、立法、行政それぞれのセクションにも影響があると思っております。
 そこで、両参考人にお伺いいたしますが、具体的にどのような影響が出てくるものか、長短所を含めて御説明をお伺いいたしたいと思います。
○参考人(中村睦男君) 憲法裁判所ということになりますと、国会が法律をつくった場合、すぐそれを憲法裁判所に提訴して判断をもらうという、その意味では非常に、憲法問題に対して迅速な判断を下すという、その意味では大変長所があると思います。これに対して、国会の側からしますと、国権の最高機関として審議したものが次々違憲となってしまった場合に一体、国会は国民の代表であり民主主義によって正当化される存在ですので、したがってその調和は問題になるかと思います。
 しかし、憲法裁判所というのが憲法に照らして法律が違憲か合憲かということを判断するものでありますから、これはやはり憲法的価値を実現するということは、今日の立憲主義あるいは法の支配からいって大変大事だということを考えますと、やはり私は、憲法裁判所を設けるかあるいは設けないにしても現行の制度でもっと最高裁判所が憲法裁判に集中できるような制度に変えて、そして憲法判断を早くすべきであるというふうに考えております。
 以上でございます。
○参考人(成田憲彦君) 野間先生御指摘の憲法裁判所は、先ほど私は、日本国憲法は第一次大戦後型の憲法であり、それに対してヨーロッパは第二次大戦後型の憲法を定めていると申し上げましたが、憲法裁判所があるないというのはその大きな境目になるだろうというふうに考えております。
 憲法裁判所はドイツ、フランス、イタリア等にございますが、具体的な姿はそれぞれの国によって違いますが、例えばフランスやイタリアは、憲法裁判所というのは単に法律ができた後に憲法と法律の整合性をチェックする機関ではなくて立法過程の一部なんです。特にフランスの場合は、議会が多数の意思によって法律を制定した後、大統領が署名をする前に憲法院に回すことができるんです。憲法院が違憲と判断をしますと、法律のそこの条文が空白になって法律が制定されるんです。すなわち、数で定めた法律を別の機関が理によって修正するということでありまして、これは大変大きな原理の変更でありますが、私はこれは第二次大戦後型だと思います。
 先生方が国会議員として法律を制定された後、憲法裁判所がそれはおかしい、憲法に違反するからその法律はだめだということで、先生方はどういうふうに受けとめられるかはわかりませんが、それが第二次大戦後型の一つの統治機構の姿ということを御自覚いただいて、私は積極的に御検討いただいてよろしいのではないかというふうに思っております。
○野間赳君 憲法裁判所が国民の代表たる国会が立法化した法律に対しまして無効を含めました違憲判断を頻繁にしていくということになりますと、民主主義との関係がおのずと問題になってくると思います。民主主義と憲法裁判所の調和をどのようにとるべきか、裁判官の選任をどのようにすべきかという問題もかかわってくると思います。
 両参考人に、この点につきましてどのようにお考えであるか、お伺いをいたしたいと思います。
○参考人(中村睦男君) ただいま御指摘いただきました民主主義と憲法裁判の関係というのは、大変私、重要な問題であると思っております。
 しかし、憲法を優位するということの意味の中で一番大事なのは、憲法が国民の基本的人権を保障しているということであります。そうしますと、議会は多数決によって法律を決めますけれども、基本的人権の保障というのは少数者の権利をも保障しなければならないということが大事ですので、したがいまして、多数決民主主義というものを憲法裁判が人権の保障という観点から修正を加える、その意味で民主主義と基本的人権の要請を調和しているというふうに考えるべきではないかと考えております。
 それと、御指摘の裁判官の選任というのも大変私大事なことでありまして、これは諸外国の憲法裁判所となりますと、例えばドイツのように議会がかかわるとか、フランスのように両院の議長とか大統領がかかわるとかという形で、より国民の意見を反映する形にしなければならないというふうに考えております。
 以上でございます。
○参考人(成田憲彦君) 憲法裁判所の裁判官の選任方法ですが、例えばフランスでは大統領、上院、下院が三分の一ずつを選任するということになっております。多くの国では、両院制の場合にはそれぞれの上院下院が関与する、さらに政府が関与するということで、どこか特定のところだけが選任するのではなくて、幅広く選任させることによって客観、公正を保つという工夫が必要であろうというふうに考えております。
○野間赳君 最高裁判に関連をいたしまして、国の憲法解釈、憲法判断という面から見ますと、現在の日本では行政府の機関であります内閣法制局が実質的な有権解釈を行っている状況があります。
 本来の立法府、司法府の機能との関係で問題がさまざま指摘をされているようでありますが、両参考人におかれましてはこの点どのようにお考えであるか、お伺いをいたします。
○参考人(中村睦男君) 内閣法制局が大変憲法判断を慎重にしているために、私は今まで最高裁の違憲判決が少ない一つの理由であったんだと思いますけれども、他面、内閣法制局はあくまで行政機関でありますから、その行政機関の解釈が最終的な憲法判断になってはやはり困るわけでありまして、それは最高裁判所が判断すべきなんです。
 しかし、現在、最高裁判所は国の統治にかかわる部分につきましては、これは一つは事件、具体的事件性になりづらいという問題と、それから事件性になっても統治行為という形で裁判所が審査しないという形で憲法判断を避けているということがあるものですから、この点からも日本の違憲審査は私は不十分だというふうに考えております。
○参考人(成田憲彦君) 内閣法制局ということでしたが、実は内閣法制局だけではありませんで、衆議院法制局も参議院法制局も同じでありまして、日本の特色は法案の提出段階で法案に高い完成度を求めるんです。欧米では、法案で出てきたときにはまだ非常に粗削りとか問題を抱えていて、そこで議会で審議をして憲法問題をクリアしていく、憲法に整合するように修正をする等をしていくわけです。日本は法案の段階で完璧性を求めるということが内閣法制局に限らず共通しておりまして、そのため国会の役割も十分ではないというふうに考えております。
 したがいまして、内閣法制局の問題について申し上げれば、そこですべて、法案の入り口の段階で決めてしまうことは大変問題があると。最終的には日本国憲法でも最高裁が判断すべきことですから、そういう仕組みを徹底することが必要だろうというふうに思います。
○野間赳君 大変ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 川橋幸子君。
○川橋幸子君 民主党・新緑風会の川橋幸子と申します。
 きょうは、両先生、参考人のお二人の先生に貴重なお話を伺えますこと、大変私の方も光栄に存じております。
 さて、きょうは、先ほど成田参考人の方からもお触れになりましたけれども、参議院の中での問責決議という、こういう場面がございました。こういう場面を見たその午後でのこの調査会でございますので、非常に実感的に私は深刻な状況なのではないかということを感じているわけでございます。
 まずそこで、今日のように総理の不信任案なり問責決議なりが否決されると、総理の方は信任された、しっかりやりなさいよということでしょうと。その後でまた数日たちますと、政党の方では事実上の辞任表明というような、こういう話の繰り返しが来ているわけでございますけれども、こうした野党から言わせれば二枚舌というようなそういう表現を使いますが、客観的に見てこうしたねじれ現象というのはどのように評価されますでしょうか。まず中村参考人の方からお伺いしたいと思います。
○参考人(中村睦男君) 私は、先ほど申し上げましたように、政権については衆議院が基本的にタッチすべきであるというふうに考えますものですから、参議院の問責決議というのがやはりどういう意味があるのかということをもう一度二院制の趣旨から考えてみる必要があるという、そういう前提は持っておりますけれども。
 ただ、衆議院、特に私は、衆議院で選挙で選ばれた時の第一党の党首が次の衆議院の選挙があるまではやっぱり総理大臣としてとどまるべきであるという、あくまで国民の選挙によって内閣総理大臣はかわるべきだと考えております。
○参考人(成田憲彦君) 先ほども申し述べさせていただきましたが、現在の事態は表の政治と裏の政治という二元的な政治、日本政治の構造というものが非常に明確にあらわれている事態だというふうに私は思っておりまして、国民は大変わかりにくいというふうに考えております。
 ただ、私も中村参考人と同様、参議院が問責決議をすることはどのような意味があるのか、参議院はやはり政権の所在からは距離を置くべきではないかというふうに私は考えております。
○川橋幸子君 たまたま私が参議院の問責決議ということを申し上げましたので、むしろ参議院の役割からいってどうかという、そういう両先生のお答えだったと思いますけれども、参議院のことはさておいても、その内閣不信任決議と国民に対する政権政党の説明責任、これが一致しないことをどのように思われるか、ちょっと聞き方を変えてもう一回お尋ねいたします。中村先生から。
○参考人(中村睦男君) 衆議院の私は選挙で内閣総理大臣はやっぱり決めるべきだということが前提になりまして、そして内閣総理大臣はあくまで自分がとどまるならば、それに対して、国民に対して自分がとどまるということを訴え続けるということが必要であるというふうに考えております。
○川橋幸子君 同じことの繰り返しかもしれませんが。
○参考人(成田憲彦君) 先ほども申し上げましたが、現在の日本の政治は、日本国憲法に従った統治の過程と、日本国憲法には定められていませんが実質的な権力機構となっている与党の過程という二つの過程があるわけでございまして、それが先ほど申し上げました表の政治と裏の政治でありまして、どうも最近の状況はマスコミ等を拝見する限りではその裏向きの言葉と表向きの言葉が使い分けられているというところが問題だろうというふうに考えておりまして、そこで先ほども申し上げましたが、そもそもそういう二種類の政治が成立すること自体が問題であるというふうに私は考えております。
○川橋幸子君 前回のこの調査会でも、同じく統治機構の中で政党の問題が大きな問題だという、そういう問題提起もございまして、私もそれから考えているわけでございますが、政党というものを憲法の中で、むしろこういう、どのような責任を持ち、どのような義務を持ち、どのように国民に対して政党は統治機構の一部を担うということを、国民に対する政党の責任というようなものが憲法の中で定められているのかなというふうに思いますが、この点については、両先生、いかがでしょうか。
○参考人(中村睦男君) 日本は政党というのは結社の一つとして考えていますので、特別に憲法上の意味を持たせているわけではありませんけれども、しかし現実には政党が、比例代表の拘束式名簿の場合にはその名簿が、政党がつくる名簿が国会議員の選挙にかかわるというような形になりますから、実際上はかなり強い力を持っているという、単なる結社ではないという。そうしますと、しかしそれをさらに憲法ではっきり政党のことを規定しますと逆に政党を規制してしまうという面があるものですから、政党の自主性を規定するという。
 したがいまして、私は憲法で政党の規定を設けるかどうかについてはなお考えるべき問題が多いんじゃないかと考えております。
○参考人(成田憲彦君) 私は、実は政党の問題と言われているのは、日本では政党と会派が混同されているんです。政党というのはあくまでも全国組織、院外の組織です。会派というのは院内組織で、衆議院の場合には衆議院の会派は衆議院議員のみで、参議院の会派の場合は参議院議員のみで、すなわち議員団として編成されるべきものなんです。ところが日本では、衆議院の例えば国会対策を党本部で決めているわけですね。幹事長、国会対策委員長というのはどの党におきましても党本部、全国組織の党本部の役職者なんです。
 本部が国会の運営に関与しているというところが私は日本的混乱でありまして、欧米の場合には会派と政党というのは厳密に区別されまして、政党がやることは国民運動と選挙なんです。法案に対する対応というのは上院議員団、下院議員団が自律的に行うということが基本なんです。ですから、そこを混同したまま単に憲法で政党のことを規定しても問題は私は解決しないと。
 現在参議院の存在意義が問われているのは、各党の党議というものが本部決定で衆議院と参議院をまたいでいるから、かつその本部決定が衆議院優位のもとに実態としては行われているから参議院の存在意義がなくなるんです。ヨーロッパのように上院議員団の決定、下院議員団の決定ということにすれば、下院を通って法案が上院に来たときに、このタイミング、世論の反応等々を考えて自分たちはどう考えるのかということで対応すれば上院の存在意義も出てくるわけです。
 ですから、政党のことを考える場合には、まず政党とは何か、特に会派と政党を区別して考えた上で政党のあり方を考えるということが必要だろうと私は思っております。
○川橋幸子君 一挙に憲法にというよりも、まず私も、政党の役割、政党の概念をはっきりさせる、それから議会の中の立法者である会派と結社の自由、結社じゃないですけれども、そういう運動体としての存在というものを、役割を明確にする必要があると思いますが、一挙に憲法上にまでは行かなくても、やっぱりこういう混乱した状況をどこかでさばいていくには、政党法というそういう、国会法も関係するかもわかりませんが、一連の機構整備が必要ではないかと思いますが、いかがでございましょうか。まず中村先生に。
○参考人(中村睦男君) 私もまだこの問題というのを十分考えていないものですから、政党法ということについての議論はあるんですけれども、私自身としてはどうしたらいいかはまだ意見がないということなので、申しわけございません。
○参考人(成田憲彦君) 政党法という名で各国で制定されている法律を見ますと、大きく言って二つのことが規定されております。一つは政党の規制あるいは規律であります。
 例えば、ドイツの政党法というのは極めて具体的で、政党には必ず政党裁判所というのを置かなきゃならない、党員からの苦情は必ずその政党裁判所で審議をして結論を出さなければならないとか、執行機関はこういうものを置かなければならないとか、もう非常に細かいことが書かれているわけですね。
 もう一つの政党法というのは、政党に対する公的助成です、ドイツの政党法にもそれがありますが。日本の場合には政党に対する公的助成は既に実現してしまったわけです。それから、それに伴って政党への法人格付与法も制定されました。ですから、諸外国で行われております政党法のうちの半分は実現した。
 残りは、そうしますと、政党の規律の問題になりますが、これは程度問題ですが、余り細かいところまで規律することはやはり政党の活力を失わせることになるのではないか。ただ、政党が全く法律によって定められない機関であって、したがってそこで腐敗的なことがあっても責任を追及されないということもまずいと。
 そういう意味では、ごく基本原則に関することだけを定めるという程度の政党法はあってよろしいと思いますが、余り政党の内部に干渉するような政党法は好ましくないというふうに私は思っております。
○川橋幸子君 あと三分ぐらいでございますので、簡単に質問させていただきます。
 間もなく参議院選挙ということでございます。今日の総理のリーダーシップの問題等々も選挙絡みで論じられることが多いわけでございますが、今回改正された昔の全国区に極めて似通った制度、政党名でもよいということがございますが、全国区に改正された今の選挙制度をどう思われるか。
 それから、参議院改革というのは選挙制度と相まって、あるいは地方分権等々行政機構のあり方と相まって、整合性のあるものでなければならないと思いますが、選挙制度、現行とあるべき姿についてお伺いさせていただきます。
○参考人(中村睦男君) 参議院では、私は、できるだけ政党の規制はない方がいいのではないかというふうに考えますと、現在の非拘束の比例代表という方がいいんじゃないかと考えています。
 将来的には、私は、地方分権とのかかわりでは、衆議院とは全く違うタイプの代表として、地方公共団体、地方自治体代表の性格を持たせることが参議院の独自性につながるというふうに考えております。
○参考人(成田憲彦君) ヨーロッパを見ますと、日本でこのたび導入しました非拘束式と同じような制度を導入している国はベルギーとかオランダとかかなり多いんですが、ただ実態を見ますと、それらの国では国民が投票するときは実際は八割から九割は政党投票なんです。それに対して日本は、まあやってみなければわかりませんが、恐らく半分以上は個人投票、候補者投票になるのではないかというふうに予想されるんですが、そういう日本のような風土のもとではかなり非拘束式は過熱することになるのではないかということで、その日本の国情ということも考慮する必要があるだろうと。
 ただ、選挙制度については少し経験を積み重ねて、その結果を吟味して、問題があればさらに変えていくという対応が必要であろうというふうに思っております。
○川橋幸子君 ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 山下栄一君。
○山下栄一君 公明党の山下ですが、先ほど成田参考人が裏と表の話をされたんですけれども、私は、この裏と表、国民からわかりにくい、建前と実質が違う、そういうことは私も国会に身を置かさせていただいて感じているわけですけれども、その大きな原因が官僚主導型、そこがやっぱり二重構造という、裏と表の原因じゃないのかなと。
 例えば、国会も大半が内閣提出法案、内閣提出法案だけれども実質は内閣というよりは、閣議決定するのは形式だけで、実際はそれぞれの役所法案というか、もっと言えば課長法案というか、そういうことになっていると。それで、国会も立法機関のはずなんですけれども、内閣提出法案、各省提出法案の承認機関みたいになっていると。だから、国会は立法機関ではないと。
 それから内閣も、行政権は内閣に属する、これも実際は、先ほどもちょっと触れられましたように内閣じゃなくて官僚集団というか、そこが牛耳っていると。
 だから、裏と表の大きな原因が、明治以降ずっと続いてきた壮大な官僚機構というか、ここにメスを入れないと、憲法の国会は唯一の立法機関とか、行政権は内閣に属するということが空洞化してしまっている、というところに大きな原因があるのではないかと、こういうように思うんですけれども、この点、両参考人、いかがでしょうか。
○会長(上杉光弘君) お二人ですか。
○山下栄一君 どちらでも、できたらどちらにもお聞きしたいんですが。
○参考人(中村睦男君) ただいまの一つの問題としましては、国会が立法機関であるにもかかわらず、実際は行政の方で立法をつくってしまっているんじゃないかということであったかと思いますけれども、ただ、今日議員が出されるいわゆる議員立法というのはだんだん数が多くなってきている傾向にありますし、それから議員に対する補佐機構もこれは第三秘書を含めて充実してきているということがあるかと思います。
 確かに重要な立法については政府立法にはなっていますけれども、国会で審議します関係上国会での修正ということも幾つか従来からもなされておると思いますし、修正権を効果的に行うことによって国会の立法機関としての役割を果たすことができるということで、私は日本の国会についてもかなり制度的枠ができていると思いますので、やはりあとは二院制をそれぞれ特色を持たせて、私どもから、国民から見ますと、国会が国権の最高機関であり立法機関として十分役割を果たしていただきたいというふうに思っているということでございます。
○参考人(成田憲彦君) 裏の政治の最も大きなものとして官僚主導の政治があるという御指摘は、私全く同感であります。さらに言えば、縦割り行政型の官僚主導政治というものが日本の政治のバックボーンにあって、それは明治時代から連綿として続いていて、日本国憲法をせっかく制定してもうまく機能しなかったと、そのバックボーンの部分が裏の政治になってしまった。
 先ほども申し上げましたが、そのために日本国憲法では内閣と書いたにもかかわらず実際の総理の施政方針演説等では政府という言葉が使われるのも、結局官僚というものを組み込んで考えなければ実際の政治運営はできないからだ、こういうことだろうと思います。
 そういう点で先生の御指摘まことに同感をいたしますが、ただ、これをどうやって改めるかといいますと、やっぱり基本は先生方の御自覚の問題でありまして、制度的にいろいろ考えますと別にこの点に関しては欧米と制度が違っているわけではありませんで、先生方が官僚に頼り過ぎるからこうなっているというだけの話、だけというのはちょっと失礼かもしれませんけれども、制度的には御自覚いただいてひとつおやりいただければ随分変わっていくんではないかというふうに私は考えておりますが。
○山下栄一君 議員が御自覚しなきゃいかぬわけですけれども、私、国民が政治、それから行政に対する不信感、物すごくあるわけですけれども、信頼回復のために議員が何をすべきかという観点から感じていることを申し上げますけれども、日本の政治家は、自分も含めてかもわかりませんが、政治家、議会の役割は予算をいかに配分するかというところを物すごく重視してきたというように感じるわけですね。
 きょう、ここで中村参考人は参議院の改革の方向として政策評価委員会とか審議の重点を決算というふうにおっしゃっているんですけれども、参議院も衆議院も含めて政治家はやっぱり予算が物すごく気になる。予算をどう配分するかというところでやはり勝負しないと選挙に勝てないというそういうことがあって、ただ、僕はこの国民の政治不信を払拭するには、政治家、議会は行政を監視する行政監視機能、もっと言えば官僚監視というか、そういうところに使命を見出してそこに時間をかけ精力を費やすようになるとちょっとぐらい信頼してくれるんじゃないかというふうに感じます。政治家のやはり、何をしておるのかということを考えたときに、予算の方に物すごくウエートを置いておると。だから行政監視の役割を、そこに力を注ぐところから信頼回復につながっていくのではないかというふうに感じているんですが、いかがでしょうか。
○参考人(中村睦男君) 今おっしゃった点に私は同感です。
 それで、昨年出された参議院の将来像を考える有識者懇談会からの答申でも、行政監視を重視するという形での改革案を出していますので、私ぜひ参議院でもこの問題を十分取り上げていただきたいというふうに思っております。
○参考人(成田憲彦君) 予算の配分が政治の重要な機能であるというのは、それはどの国でもそうなんです。問題はどういう基準で予算を配分するのかということなんです。
 例えば、今株が下がっているとき、あるいはマクロ経済に勢いがないときに、株を上げるため、あるいはマクロ経済に元気を出すために予算を使おうという基準から予算を配分するということが大切なんであって、ところがそこを考えないで地元への利益誘導ばかり、公共事業を誘致してくることばかりを基準に予算を配分しているということが問題なんであって、政治が予算を配分するというのはこれは一番政治の重要な機能ですから、そのこと自体を問題にする必要はないと思うんです。
 ただ、そうしますと、あくまでも基準、中身で、自分の選挙区にばかりというところが問題があるわけで、そこをどうするのかということは、直接的には先生方のお考え、あり方、やはり党としてあるいは政治としてどういう基準で予算を配分するかということを真剣に考えていただく必要があると思います。
 それで、そのために政治は行政あるいは官僚の監視に努めると、こういうことを御指摘されましたが、やはり監視ではなくてアイデアを出すとか方針を出すということが基本であろうというふうに私は考えます。
○山下栄一君 はい、わかりました。
○会長(上杉光弘君) 吉岡吉典君。
○吉岡吉典君 日本共産党の吉岡です。
 まず、中村参考人にお伺いします。
 私がお伺いしたいのは、共和制、それから国民主権の憲法史上の位置づけをどのようにお考えになるかをお伺いしたいんです。
 私の問題意識というのは、二十世紀の初頭に共和制は三カ国しかなかった。それが今世界の大勢になっており、国民主権が確立されていると。これは、やはり歴史の大勢がそういうことを示すものであり、いわば二十世紀は君主制から共和制への大きな流れの世紀だったということも言えるのじゃないかと思っております。そして、日本国憲法も天皇を象徴制として存続させたというような不徹底な面は残しておりますが、国民主権の原則を明確に確立したということは、やはりそういう二十世紀の大きい流れに沿ったものだというように私は考えており、この流れは後返りすることはないものだろうと思っております。
 したがって、また今不徹底な天皇主権という問題についても、特定の個人に世襲的に象徴天皇の地位を与えるという問題はやはり国民主権とは基本的に矛盾するものであり、私どもそれを今直ちに実現せよと求めているわけではありませんけれども、歴史的な方向としては、この矛盾というのは国民主権を完全に貫く方向で解決されるものであろうというように考えております。
 そういう面で、君主制から共和制、国民主権の確立という問題を憲法史上、今私の問題意識は申し上げましたけれども、どのように中村参考人は位置づけておられるか。きょう第一番目の問題として述べられた点と重なると思いますけれども、お伺いします。
○参考人(中村睦男君) 現在でも第一条で国民主権が規定されているというように憲法では解釈していますけれども、ただ憲法の規定としては、天皇という章、「第一章 天皇」になっていまして、天皇の地位という中で国民主権をうたっているという意味では、なお国民主権の規定の仕方としては不明確ではないのか。むしろ「第一章 国民主権」として主権は国民にあるということを明記して、その上で第二章以下に天皇の現在のような規定にしていくという、私はこの方がすっきりするというふうに考えております。将来、さらに天皇の世襲制をどうするか否かというのは、なおこれから議論すべき問題であるかなと思っております。
○吉岡吉典君 中村参考人にもう一問お伺いします。
 私、外交文書を読むのが楽しみの男でございまして、外交文書を読んでみますと、重要な外交方針等、閣議決定に対して全部天皇の裁可というのが必ずつけ加わっているわけですね。今問題になっている朝鮮を保護条約にする閣議決定であれ併合にするときの閣議決定であれ、そういうふうになっています。それから、宣戦の詔書はもう全部天皇の名前で行われているわけですけれども、これらの決定に沿って行われた行為の結果は一体天皇が、憲法上の話ですけれども、天皇にあるのか、あるいは補弼者の責任になるのか、私は本を読んでみましてもいろいろなことが書いてあってよくわからないので、憲法学説上はどのようにとるべきかお聞かせ願いたいんですけれども。
○参考人(中村睦男君) 明治憲法下の問題でございますね。
○吉岡吉典君 そうです、そうです。
○参考人(中村睦男君) 明治憲法下でもやはり天皇に対する補弼責任というのが国務各大臣にありましたのですから、基本的にはやはり補弼責任の問題ではないかというふうに私は考えております。
○吉岡吉典君 成田参考人にお伺いします。
 成田参考人が日経新聞にお書きになったのを読みますと、日本国憲法を統治の面から見た場合に二つの問題点があって、一つは憲法どおりに行われていない面があるということと、二番目に、きょう詳しく展開されました、おくれた憲法だというふうにお書きになっています。その前者の方、憲法どおりに行われていないという点について少し聞かせていただきたいと思います。
○参考人(成田憲彦君) 憲法の規定どおりに行われていないという部分は、きょうの意見陳述では裏の政治と、表の政治、裏の政治としてお話ししたところとほぼ重なるわけでございます。すなわち、表の、書かれたとおりに行われていなくて、例えば政府はという言い方をすると、これは日本国憲法では政府という機関はないわけですから憲法どおりに行われていないということでございます。きょうお話ししたことで言えば、要するに表の政治としてすべてが行われていないという部分がそこに該当する話でございます。
○吉岡吉典君 そうすると、もうちょっとその中、内容的にですけれども、憲法どおり行われていればいい、日本国憲法の中のすぐれたいろいろな規定があるということですか。もしそうだとすれば、こういう点が尊重されるべきだというような点、少し挙げてお話をお伺いしたいんですが。
○参考人(成田憲彦君) 私は、内閣のあり方について、憲法でははっきり内閣総理大臣は内閣の首長と書いてあるわけですね。ところが、内閣法ではそうなっていないわけです。あくまでも閣議が全権を持っていて、総理大臣は閣議を構成する一票の、ただ一票を持っているにすぎないということで、ただ司会役、座長役という扱いですね。これは、私は明らかに日本国憲法の考え方とは違うと思います。
 私は、内閣が何か物事を決定するときには、最近は多数決で決めるなんという意見もありますけれども、そうじゃなくて、内閣の最終的な決定権は総理大臣にあるというのが私は日本国憲法の総理大臣は内閣の首長であるという考え方だろうと思いますし、それの方が機動的な内閣の運営ができるというふうに思っております。
○吉岡吉典君 質問すると時間オーバーしそうですから、終わります。
○会長(上杉光弘君) 福島瑞穂君。
○福島瑞穂君 社民党の福島瑞穂です。きょうはありがとうございます。
 まず、中村参考人にお聞きをします。
 憲法裁判の改革ということで話をしていただいたんですが、憲法裁判所をつくることももちろん重要ですが、重要かもしれないんですが、おっしゃったとおり、違憲判決が非常に少ないということがあります。法学者などは運用面で何とか改善できないかという提言もしておりますが、その辺についてもう少し話していただけますか。
○参考人(中村睦男君) 現在、最高裁には年間四千件を超える事件が係属していまして、これが三つの小法廷でタッチしていますけれども、これは一人の最高裁の裁判官というのが通常の民事、刑事の事件で本当に忙殺されていて、憲法判断を、大きな事件をじっくり行う時間がないというのが現状だと思います。
 そうしますと、私は、民事訴訟法の改正で上告理由の制限ができるようになったのをもっと活用して、最高裁で行うのは基本的には憲法裁判を中心にするというように上告を制限して、最高裁が憲法裁判ないしは判例変更のような重要問題に専念するように運用することがまず第一、大事じゃないかと考えております。
○福島瑞穂君 ありがとうございます。
 先ほど、中村参考人が行政権のチェックの話をされたんですが、司法権の重要な役割は肥大化する行政権をどうチェックするかということだと思うのですが、なかなかその行政裁判でも勝たないという現実があります。
 福岡の判事あるいは検察官との間の情報のことが大問題になっておりますが、構造的に判検交流が行われているために、日本の裁判官の極めて優秀な部分が裁判をやり、行政府に出向してそこで閣法としての法律もつくり、行政もやり、かつ法務省に出向して国の代理人にもなると、つまり司法と行政と立法を実は一人が行うというふうな、特に判検交流の実態などもあるのですが、そういう点についてはいかがお考えでしょうか。
○参考人(中村睦男君) 裁判所の行政権へのチェックとなりますと、行政裁判をどう活性化するかということの問題になるかと思いまして、日本は憲法裁判も余り活性化してないと同様に、行政裁判も非常に活性化してないというところに特色があるというふうに言われています。
 これは、一つは行政裁判を行う裁判所は間口を非常に狭めているという、なかなか行政裁判として原告としての原告適格を認めないというようなことがありますので、やはり行政裁判も改革して、市民がどんどん行政を相手に裁判を起こせるようなシステムにすべきであるというふうに考えております。それは行政事件訴訟法の改正と同時に、一審については行政裁判所をつくるというのも一つの手かと思っております。
 それから判検事交流につきましては、これは大きなやっぱり司法改革の問題として問題を考える必要があるんじゃないかと思っております。現在、司法制度改革審議会で、法曹人口をふやすということと、それから将来的には法曹一元という形で判検事はまず最初に弁護士になって、それから判検事になっていくというですね。
 私は、将来的にはやはり法曹の数をふやす、司法試験の合格者をふやして法曹の数をふやし、法曹一元にするのがやはりよいのでないかというふうに思っております。
○福島瑞穂君 はい、ありがとうございます。
 成田参考人にお聞きをします。
 先ほど首相公選制の問題点というのをおっしゃっていただいたんですが、日本でどうやって国会の地位を高めるかというふうに考えたときに、政権交代などがなされないことも日本の政治が活性化しない大きな理由の一つではないかと思います。その点について政治学者としていかがでしょうか。
○参考人(成田憲彦君) 政権交代がないことが国会の地位が高まらない理由の一つだというのはまさにそのとおりでありまして、フランスでも長らく保守が政権を握ってきましたが、ミッテラン政権になって社会党の内閣ができた、政権交代が起きたということが議会の地位を高めたということがございますし、ドイツでも同様でありまして、政権交代を実現することがやはり政治の権威を高める。先ほど来、官僚主導ということが出ていますが、官僚主導を断ち切るのもやはり政権交代だろうというふうに考えております。
○福島瑞穂君 先ほど政党と国会との関係についても言及をされたのですが、党議拘束について、例えばどうお考えでしょうか。
○参考人(成田憲彦君) 日本の党議拘束は二つの特徴があるんです、欧米の国と比べますと。与党の場合は先ほども申し上げました与党の事前審査がありまして、事前審査が済んでから、例えば自民党の例でいいますと総務会決定、それから閣議決定ですね。つまり、党議拘束が内閣提出法案の閣定より前にあるんです。国会提出より前に党議拘束があるんです、党議があるんですね。それからもう一つは、先ほど言いましたが、日本の党議というのは本部決定ですから衆議院と参議院をまたぐんです。
 それで、欧米の党議、欧米ではどうなっているかといいますと、形式的にはいろいろな形がありますが、実質的には大体議院内閣制の国は党議拘束がありますが、例えば法案が下院にかかっているときに、下院の委員会でいろいろの議論をして、あした下院の本会議の最終表決だというときに、同じ会派の下院議員が集まって我が会派として最終的にどうするのかと、賛成するのか反対するのか修正案を出すのかということを決めるわけです。だから、その前の段階は自由にいろいろ議論をしているわけです。ところが、日本はまず党議拘束がかかっちゃう。与党の場合には国会で法案がかかったら何もすることがないですね、国対以外は。
 それから、ヨーロッパの場合には、下院議員団はそう決めたと、今度法案が上院に行ったら上院議員団で最終的にどうするのかを決めると。だから、それぞれ自立していますから二院制の意義が出てくるわけです。ところが、日本は本部決定だから、衆議院と参議院をまたいでいますから、参議院の存在意義がなくなってくるわけです。そういう党議拘束のあり方、それは基本的に会派構造の問題に関係しているんですが、そこは十分御研究いただきたいところだと私は思っております。
○福島瑞穂君 成田参考人にお聞きします。
 国民主権と天皇制についてどうお考えでしょうか。
○参考人(成田憲彦君) 先ほど吉岡先生からも御指摘ありましたけれども、非常に先の、将来のことはともかく、少なくとも現在あるいは短期的な未来については、私は象徴天皇制というのはやはり国民の間に定着して非常に大きな効果を発揮していると。例えば震災とかそういうときに、あったときに、やっぱり天皇皇后両陛下が見舞われるというのは、政治家、首相が行くのとははるかにもう全然違う力があるという、それはもう象徴天皇制の私は一つの功績だと思います。
 そういう意味で、私は個人的にも象徴天皇制というのは少なくとも当面は維持すべきものではないかというふうに考えております。
○福島瑞穂君 中村参考人にお聞きをします。
 地方自治体の住民投票などについてレジュメに書いてくださっているんですが、国民主権とその投票についてちょっとお話をお願いいたします。
○参考人(中村睦男君) 国民主権を具体化するのが民主主義だと思うんですけれども、民主主義では直接民主制と間接民主制があって、直接民主制の方が国民の意見を直接問うという意味では重要だと思うんですけれども、住民投票はまさに住民が直接自分たちの意思を問うという意味では民主主義に、直接民主制的な意味において民主主義と非常に調和的なものだというふうに考えています。
○福島瑞穂君 成田参考人にお聞きをします。
 国民主権を本当に具体化するために、日本ではこれから本当に何が必要でしょうか。
○参考人(成田憲彦君) 国民主権からといいますと大変問題が複雑になると思うんですが、というのは、御承知のとおり、民主主義は直接民主主義と間接民主主義がありまして、日本は間接民主主義を基本的にとっておりますが、例えば国民投票を導入して直接民主主義にした方が国民主権が生きるという考え方があるわけです。私は部分的にはそれはあり得ると思いますが、ただ国民投票制度を中心とした政治システムは議員あるいは国民の代表者が非常に無責任になるんですね。何かちょっと厳しい問題に直面するとすぐ国民投票で決めようといって、非常に政治が無責任になるんです、議員が無責任になるという経験則があるんです。
 そういう意味からいいますと、私は基本的には、その代表者に基本的に政治を任す間接民主主義で、国民はその代表者の責任を問うと。具体的には選挙ということになりますが、責任を問うという、責任という概念が間接民主主義が手にした非常に重要な道具でありまして、日本国民はもう少しこの政治の責任を問うということを使いこなすようにする必要があるし、具体的な政治システムの設計においてもその点が考慮さるべきであろうというふうに考えております。
○福島瑞穂君 ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 水野誠一君。
○水野誠一君 無所属の会の水野誠一でございます。
 きょうは本当に貴重なお話をありがとうございました。
 まず、中村参考人にお尋ねしたいと思うんですが、先ほどお話の中で、「憲法改正意見」の中の御紹介として、天皇は日本人民の儀章たるべきものであると、こういう案があったというお話がございました。今、日本の天皇としての規定として象徴という言葉が使われている。今、成田参考人からその象徴という定義が定着してきているしということでの評価もあったわけですが、一方では、その象徴という言葉ですら非常にあいまいな言葉ではないかという議論もございます。特にそういう中では儀章という言葉、私ども素人には大変耳新しいといいますか、耳なれない言葉でございますが、この定義についてどういうふうに解釈をしたらよろしいのか、ちょっとお尋ねしたいと思います。
○参考人(中村睦男君) 象徴という言葉はあいまいなんですけれども、しかしこの五十数年間、象徴という言葉によって解釈されてきた。特に象徴としての行為、天皇の象徴としての行為を認めるという中に、幾つかにカテゴリーに分かれているという点では私はその意味では定着しておると思います。ただ、なおあいまいな言葉であることは事実で、象徴としての行為ということでさらに今拡大していくということになるとまた問題だということです。
 ただ、儀章という言葉がじゃそれにかわって本当に適当なのかどうかというのは、日本語のニュアンスとしてはどうかということはあるかと思いますけれども、ただ、私としましては、この一九四九年に出された公法研究会の意見というもの全体がかなり大事だという点で、同時にこの儀章という言葉を使っているということも紹介したという、そういうことでございます。
○水野誠一君 ありがとうございました。
 それから、中村参考人から参議院改革について非常に意義深い御提案といいますか、方向性についてのお話があったわけでございますが、私もこの今お出しになった幾つかのポイントは大変基本的に賛成でございます。
 しかし、こういう参議院改革を本当に進めていくときに、憲法改正というのがどうしても必要になってくるものなのか、あるいは憲法改正はしないまでも、かなりいろいろなテクニック上の対応で十分対応できるものなのか、その点についてもう少し詳しくお尋ねできればと思います。
○参考人(中村睦男君) 参議院を行政監視を中心にする再考の府というのは、現状の運用でもかなり、あるいは現状の立法政策によって参議院改革を行うということはできると思いますけれども、ただし、参議院を政権から距離を置かせるという、首相指名を行わないとか、あるいは衆議院の再議決権を三分の二以上から過半数にするとかということになりますと、これは明らかに憲法改正の問題になると思います。
 ですから、まずは私は、現状としては現憲法でやれるところまではやる、現憲法に適合的にやれる運用はやって、それでもどうしても参議院の特殊性が出されがたいということになりますと、次のステップとして憲法改正まで一挙に行くということを考えたらどうかというふうに考えております。
○水野誠一君 ありがとうございました。
 次に、成田参考人にお尋ねをしたいと思います。
 成田参考人のお話の中で、第一次大戦後型憲法だという表現がありました。私もなるほどなというふうに思ったわけでありますが、これは日本の民主主義というものがまだ未成熟な段階でできた憲法であるということの中で、非常におもしろいといいますか、興味深い表現だったと思います。
 その中で、さらにお話を進められた中で、多数決的なといいますか、多数決が民主主義であるというところだけではまだまだ不十分であるということで、手続とか時間的余裕とか説明責任とか相互チェックとか、幾つか十分条件としての民主主義の定義をされたというふうに思いますのですが、これは現憲法の運用上で対応できることなのか、やはりこれについても憲法改正ということが必要になってくることなのか、ちょっとその辺がよくわからなかった点なので、少し御説明いただければと思います。
○参考人(成田憲彦君) 憲法を改正しなくても、一つは運用によって、一つは法律、例えば国会法とか内閣法とかそういうものの改正によって対応することも可能だと思います。
 しかし、基本的には、例えば首班指名の手続について、日本は象徴天皇との関係で非常に困難なんですが、先ほど申し上げましたように、諸外国では大統領が候補者を推薦するとか必ず第三者がいるんです。なぜ第三者がいるかといいますと、アカウンタビリティーなんですよ、これは。どうしてこの人が首相としてふさわしいかと。この間、オーストリアであの自由党という右派政権が加わったときに、大統領が非常に説明責任、他のヨーロッパ諸国に対して説明責任を負ったというように、説明責任を負う人がいるというような仕組みになっているんですが、そういうレベルのことですとやはり憲法をいじるしかないかなと。しかし、両方あるということでございます。
○水野誠一君 それと、最後にもう一つだけお尋ねしたいと思いましたのは、政府という規定が今の現憲法にはないというふうに成田先生の方からお話がございました。これは欧米の憲法と比較した場合に、欧米ではこの政府という規定はどうなっているんでしょうか。やはり同じような問題、あるんでしょうか。
○参考人(成田憲彦君) 欧米では、憲法で定義が明確なんです。
 例えば、ドイツの場合はレギールングといいますが、このレギールングというのは日本語では政府と訳していますが、日本で言えば内閣と同じです。それで、いろんな方針を出すときにも、レギールングとしてはと、こういうことです。
 フランスのグベルネマンというのは、ドイツのレギールングと同じで日本の内閣にほぼ近いんですが、ただ閣内相ばかりでなくて閣外相も含んでいますから、ドイツは政務次官は含まないんですが、フランスの場合は閣外相を含んでいる、もう少し広いと思いますね。いずれにしましても、ただイギリスの場合は、ガバメントというのは官僚機構まで、行政機構まで含んだものを言っている。
 国によって中身は違いますが、それぞれの国で何が政府なのかというのははっきりしていて、どこがどういう権限を持っているのかということははっきりしているんだろうと思います。
○水野誠一君 終わります。
 ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 平野貞夫君。
○平野貞夫君 自由党の平野でございます。
 中村先生から参議院改革中心に大変示唆に富む御意見をいただきましたのですが、基本的に二院制のあり方だという問題だと思いますが、実は現憲法の二院制をどう運用するかということについて、非常に技術的な問題なんですが、極めて重大な問題といいますか、明確になっていない部分が幾つかあるわけでございます。
 本質論としまして、衆議院側では現憲法は本質的に衆議院が優越であると、本質的に。参議院はいわゆる次なる院だという、こういう規定だという理解をして運営していますし、参議院側では、いや基本的には両院平等なんだと、しかし特殊な例外は衆議院に優越をもたらしているんだと、こういう二院制に対する基本的な両院の考え方の違いがあります。これは主として事務局にあります。この現憲法の二院制の本質的なあり方の位置づけについて、中村先生の御意見をお聞きしたいと思います。
○参考人(中村睦男君) 確かに、部分的には衆議院の優越の規定が幾つかありますけれども、私は、基本的には両院は平等であるという、日本の参議院は、やはり比較法的に、憲法的に見ても強い方じゃないかというふうに考えています。
○平野貞夫君 せっかくの機会でございますので、中村先生に憲法の解釈上の問題についてお伺いしたいと思いますが、御指摘になりました衆議院の再議決の問題、あるいは予算、条約の自然成立の場合、両院協議会が始まればもう自然成立というのはないんだという憲法の一方の解釈と、再議決の場合に六十日の期間の計算ございますが、いや、両院協議会が始まったら、三十日なり六十日過ぎたら何をやろうともう再議決もできるし自然成立になるんだという、憲法上、この意見の学者の先生方の対立があって、院の解釈もいろいろあるわけなんですが、こういうことが極めて不整備なんですよ、現憲法は。
 そういう意味でも、これはやっぱり国家意思の決定についての最高の機関ですので、学説に異説があったり、あるいは両院の判断に異論があるというのは正常な政治運営できなくなるもとだと思いますが、その辺について、解釈そのものと、ここはやっぱりきちっと整備しておくべきではないかということについての御意見を。
○参考人(中村睦男君) 今の問題、むしろ平野先生の方が、非常に実務両方から御存じであるかと思います。
 このあたりは、やっぱり学説でも、結局は実務でやっていることをそのどちらかの立場に立つというような形になっているものですから、明確にどちらの立場の方がいいんだという、こういうのは学説としても十分議論されていませんし、結論がないということになっております。そうしますと、何らかの形にはきちんと決めておくということはやっぱり必要ではないかというふうに考えています。
○平野貞夫君 わかりました。
 成田先生にお伺いしますが、参議院改革というのは河野議長から非常に積極的に熱心にやられたわけでございますが、私は平成四年から参議院議員になったわけでございますが、それまでは衆議院の事務局にいたんですが、どうも河野議長以来続けられた参議院改革、そして最終的には、先般議員辞職された方が非常に参議院改革で熱心だったんですが、私に言わせますと、憲法の枠の中でやろうとするものですから、参議院の小さな権限をふやすことに非常に執着されて、その結果非常に参議院の権限が実体的に制御、引っ張り回すようになって、本質的な参議院の権威は失ってきたんじゃないかという印象を私は持っておるんです。成田先生、御所見を。
○参考人(成田憲彦君) 私の口から言うのはなかなか難しいんですが、ただ河野議長以降、やっぱり会派、先ほど申し上げました日本独特の政党本部を軸とした会派の役割というものが増大したということが、参議院の存在意義についていろいろ議論を生じさせていることだろうと思います。
 それで、もちろん憲法改正をして参議院の権限を強化するという、参議院の権威を確立するために、それも一つの手法と思いますが、ただ世界の実際の各国の議会を見ておりますと、上院の権威があるかどうかは権限が大きいか小さいかに関係ないんですね。むしろ、権限が小さいところの方が権威がある。例えば、イギリスの上院などというものは権限は物すごく小さいですよ。予算は一カ月おくらせる、一般の法律は十三カ月成立をおくらせるということしかできないんですが、実際に政府法案の修正をやっていまして実績を上げていると。権限が大きい参議院になればなるほど、中村先生と同じ北海道大学の法学部の高見先生が両院内閣制と言うように、衆議院と参議院両方で多数になる連立政権をつくっちゃって、そうしますと参議院はやっぱり要らなくなっちゃうという、大きい権限をつくっちゃうとかえって参議院の存在意義がうせるという面も考えなければいけないと思います。
○平野貞夫君 終わります。
○会長(上杉光弘君) 佐藤道夫君。
○佐藤道夫君 最初に、この会の運営について一言私の考えを述べさせてください。
 私、これは村上前会長から直接承ったことなので理事懇談会の席上であったかと思いますけれども、国会というところはとにかく数が物を言う世界だと、すべて数、数でこう来ているんだと。しかし、国の基本である憲法を我々これから討論していく、議論していくんだと。その中には参議院のあり方、衆議院は政党政治、数が物を言う、参議院はそれでいいんだろうかと、こういう疑問もないわけではないと。
 そこで、各会派平等の時間を割り当ててその中でそれぞれが工夫してやってもらうということはどうだろうかと。それから、発言の順番もかつては、今まではほかの委員会なんかもそうですけれども、数でやっぱり最初は自民党、民主党、こういう順番で割り当てが来ていると。それでいいのかどうか、この順番についてもちょっと考えることがあるんだということで、あるとき私いきなり最初に二院クラブの佐藤議員お願いしますということで、冒頭に発言をするという光栄にも浴したことがありました。
 ところが、本日出てみまするとこれはもとに戻っておりまして、心なしか何か会の盛り上がりも一段と欠けているような気もしないわけではないと。一体どうしたんだろうかなと。村上さんが拘置所にすべてを持っていってしまったのかという気もしないわけではないのでありまして、一議論してもいいのではないかと、こういう感じがしているわけであります。
 そこで、両参考人に今度は大事な問題をお伺いいたしますが、憲法解釈の基本的な考え方というふうに承ってもらえればいいと思います。
 先ほど、表の政治、裏の政治という言葉が使われました。日本人というのは表と裏を上手に使い分ける、建前は建前、本音は本音で、まあそれでやっていきましょうやと。憲法なんというのはこんなものは神棚に載せておいて、現実はこういうことなんだと。その典型が九条だろうと思うんですけれども。
 もう一つの典型、八十九条の私学助成の問題なんですね。憲法八十九条を読めばはっきりと、公金は公の支配に属しない教育の事業に支出してはならないと、私立学校に金やっちゃいかぬぞ、学問の自由を侵害するからなということを憲法は高らかにうたい上げているわけですけれども、現実は何と何と年間五千四百億もの大金が私立学校に支出されている。これについて余り議論にならないんですよね。なぜ議論をしないのか。
 学者先生方は、政教分離については、八月十五日、総理大臣が靖国神社に参拝する、これは公人ですか私人ですか、納めた金は公金ですかポケットの金ですかどうですか、乗ってきた車はあれは公用車ですか個人の車ですか、こういうことでやかましく聞く。学者もそれに応じてそうだそうだと言って、あの問題については本当にあきれるぐらいくどい議論を取り交わしてずっと来ているわけですけれども、この私立学校の私学助成については何とほとんど議論を聞かないんですよね。不思議としか言いようがない。
 国会でも余りこれは触れたがらないようでして、十年に一回、二十年に一回ぐらい変わり者の議員がちょっと取り上げるんです。内閣法制局長官がどんな答えをしているかもう憲法関係の方々はよくよく御存じだと思いますけれども、大変おかしいんですよ。公金を支出する、それはなぜかというと公の支配に属しているからだと、私立学校が。公の支配に属している証明はどこにあるかというと、学校教育法とか、それを読んでみなさいと。そこに、法令に違反したら学校の閉鎖を命ずる、あるいは解散を命ずる、私立学校が法令に違反したら。だからこんなものは独立じゃないんですよ、公の支配に属しているんですよと。こんなばかな解釈はないでしょう。営業許可だって法令の範囲内でやっているわけで、それに違反したら営業許可を取り消される。そうかといって、政府がすべてを管理していると、国家管理のもとで飲食店が営業されているなんて思う人はだれもいないわけでしょう。最低限度だけは守ってくれよと、それだけのことなんですよ。
 それから、なおおかしいのは、憲法違反かどうかは知らぬけれども、金をやると。やった以上は、これは会計詳しく検査する必要があると。会計を検査する以上はもうこんなものは公の支配に属しているんだと。何か悪いのかと。金を、憲法違反の金をやっておいて、そして会計事務を検査して、違反しているからけしからぬと。おまえらはもう独立だと、そんなものじゃないんだぞ、すべて国の支配に属しているんだぞと、そういうことを言ってどんどんどんどん毎年金をやっていくと。これを私立学校側も全然怪しみもしない。何しろその金がないことには学校の経営はできないんですから、大変ありがたい話です。
 しかし、学問は独立しています。早稲田大学、森さんや小渕さんの、OB、出身校の、学の独立だということを高らかに校歌でもうたい上げておりながら、金はそっともらって知らんぷりしていると。本当にそういう金が必要ならば、それを天下に訴えて、憲法を改正して、法律もつくって、私学助成を受け取るのはそれからの話だろうと思うんですけれどもね。日本人得意の建前と現実。何しろ私立学校の経営は金がかかるんだからしようがないんですよと、何か文句がありますかと、これでもって学問の独立を国家に売り渡したわけじゃございませんよと。そんなことを言ったってだれも信じない。現に国家が、政府が、あんなものはもう独立は独立じゃないんですよと、公の支配に属しているんですよとはっきり国会で言っているんですよ。聞けば、私が聞いてもそういうことを言うと思います。私は余り恥ずかしい答弁を引き出しても仕方がないと思ってまだ今日まで聞いていないんですけれどもね。
 こういう問題について先生方どうでしょうか、憲法、立場から見てしようがないと、現実と憲法は違うんだと、それが日本なんだというお考えなのか、やっぱりこれは憲法違反で、としか考えようがございません、何とか現実を改めるべきでしょうということ、どちらなんでしょうか。結論だけでもいいんですけれどもね。
○参考人(中村睦男君) この八十九条の問題は、確かに今、佐藤委員おっしゃったように、戦後初期には厳格な解釈がなされてきたと思いますけれども、現在、それは学会、学説でも緩やかに解釈するようになっております。
 それは特に、憲法八十九条のほかに二十六条の教育を受ける権利があるんだという条項から、私立学校に行っている学生も適正な授業料で教育を受ける権利がある、したがって八十九条を例えば二十六条と総合的に解釈して、緩やかに解釈しても憲法違反でないんだという、例えばそういう考えもかなり有力になっていますので、全体としては下級審、最高裁の判例はないですが、下級審の判例も含めまして緩やかに解釈されるようになっていると思います。
○佐藤道夫君 何かありますか。
○参考人(成田憲彦君) 私は憲法学者ではございませんので八十九条の具体的な解釈の問題は控えさせていただきますが、ただ、一般的に憲法解釈の問題について私が感じていることを申し上げますが……
○佐藤道夫君 簡単でいいですよ、簡単で。
○参考人(成田憲彦君) はい。
 ドイツの解釈と日本の解釈は正反対なんです。日本は、こういうふうにやってはだめだと書いていないからやっていいんだということですが、ドイツは、文字どおり書かれているようにやらないと趣旨が異なってくるから書かれているようにやらなければだめだと。これが立憲主義の基本的な考え方で、やはり日本も立憲主義というものを学ぶべきだと私は思っております。
○佐藤道夫君 最後に。
 実は私、中村先生の御自身の考えを承りたかったんです。学会がこうで、緩やかに解して、もらうものもらって、憲法違反でも何でもいいわと、そういういいかげんな解釈じゃなくて、あなた自身がこの問題をどう考えるのかと、そういうことをお聞きしたかったんですよ。いかがでしょうか。
○参考人(中村睦男君) 今のようなことを私、論文で書いていますので、私の意見です。
○佐藤道夫君 本当ですか。
○参考人(中村睦男君) はい。
○佐藤道夫君 信じがたいな、あなたのような方がね、へえ。
 これは大事な話なんです。私、最初に言ったでしょう、憲法を改正する必要があるなら改正して、それからの問題なので、建前は建前としてそのままにしておいて裏で金を取っていると、そういうことが日本の今までのやり方だったんです。もはや二十一世紀ですから、これからいい憲法をつくってみたって同じことをまた繰り返される、こういう規定があちこちに結構あるんですよ、そういうことをまず議論をして、それから憲法改正の問題にぶち当たっていくというのが学者としての、あるいは国会議員としての務めではないのかと、こういう感じがしてこの問題を取り上げたのでありますが、若干失礼な言葉があったとすればおわび申し上げます。
 以上でございます。
○会長(上杉光弘君) 時間が参りましたので、本日の質疑はこの程度といたします。
 参考人の方々には大変貴重な御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時散会

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