第151回国会 参議院憲法調査会 第5号


平成十三年四月四日(水曜日)
   午後零時五十四分開会
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   委員の異動
 三月十四日
    辞任         補欠選任   
     木俣 佳丈君     吉田 之久君
 四月三日
    辞任         補欠選任   
     吉田 之久君     柳田  稔君
     佐藤 道夫君     島袋 宗康君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         上杉 光弘君
    幹 事
                海老原義彦君
                武見 敬三君
                野沢 太三君
                野間  赳君
                江田 五月君
                堀  利和君
                山下 栄一君
                小泉 親司君
                大脇 雅子君
    委 員
                岩城 光英君
                木村  仁君
                久世 公堯君
                陣内 孝雄君
                世耕 弘成君
                中川 義雄君
                中島 啓雄君
                中曽根弘文君
                森田 次夫君
                脇  雅史君
                小川 敏夫君
                川橋 幸子君
                久保  亘君
                寺崎 昭久君
                直嶋 正行君
                簗瀬  進君
                柳田  稔君
                魚住裕一郎君
                大森 礼子君
                高野 博師君
                橋本  敦君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                福島 瑞穂君
                水野 誠一君
                平野 貞夫君
                島袋 宗康君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       大島 稔彦君
   参考人
       上智大学名誉教
       授        渡部 昇一君
       法政大学法学部
       教授       江橋  崇君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (国民主権と国の機構)
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○会長(上杉光弘君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
  日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、国民主権と国の機構について参考人の御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、上智大学名誉教授の渡部昇一参考人、法政大学法学部教授の江橋崇参考人に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 参考人の方々から忌憚のない御意見を承りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
 本日の議事の進め方でございますが、渡部参考人、江橋参考人の順にお一人二十分程度ずつ御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず渡部参考人からお願いいたします。渡部参考人。
○参考人(渡部昇一君) 日本国憲法は明治に最初にできたわけでありますが、あの憲法はそれなりによかったと思うのでありますけれども、その後の危険に対する歯どめが不十分だったと考えるものであります。
 明治憲法のもとで日本は有色人種で最初の近代国家をつくることに成功いたしまして、そして日露戦争以後も決して日本は軍国主義に向かわずに、むしろ大正民主主義と言われるような、言論が非常に重要な、そして第三次桂内閣のごとき、演説会のみによって内閣が交代するというような民主的な方向に向かっておりました。また参政権も、どんどん税金の納める金額が下がりまして、遂に普選、普通選挙法まで、大正のところに行っております。さらに、軍備縮小の方にも日露戦争の以後、特に第一次大戦後進んでおりまして、大した多くもない陸軍も四個師団もつぶし、戦艦「土佐」などもつくりかけのをやめておるのであります。
 ところが、その憲法は、その後の世界の、ロシア革命以後の世界全体に起こりました社会主義化に対する歯どめが十分でなかったというのが私の考えでございます。
 それで、もし今の憲法が将来修正を受けたりすることがあるならば、私はこの点だけ一つはっきり変えてもらいたいと思うのであります。その他の点については、いろんな専門家がおっしゃることでありますし、私も本も書いていますけれども、繰り返さずにたった一つだけ、ほかの先生方が余りおっしゃらないだろうということを一つ述べておきたいと思います。
 それは第二十九条の財産権でありますが、「財産権は、これを侵してはならない。」と言って、その次は、「公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と、このようにありますね。ところが、三十条になりますと、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」と、こう書いてあります。ですから、二十九条では「財産権は、これを侵してはならない。」と私有財産を保護する規定がありながら、次の三十条では、「法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」としてあります。
 これは極めて危険な並列でございまして、万一、私有財産を否定するがごとき政党が政権をとったとすれば、憲法を変えることなく、相続税だろうが所得税だろうが、極端に言えば九九%することも可能であります。ですから、私は、もし新しい憲法に改正されるとするならば、必ず税金の上限を定めてほしいと思うのであります。
 私が今考えている税金の上限というのは、相続税は、これを廃止する。それから遺留分は、これを廃棄して一〇〇%遺言状のとおりにする。そして、第三に所得税の上限を一〇%あるいは一二%にする。この三つぐらいを上限として盛り込むことが必要なのではないかと思うのであります。
 と申しますのは、万一、明治憲法に税金の上限というようなことがありましたら、日本は昭和十年代に国家社会主義に向かうようなことはあり得なかったと思うのであります。明治時代の明治憲法には国家社会主義の出現を予想する力がもちろんありませんでした。また、国際共産主義をも予想する力がありませんでした。したがって、私有財産の守り方について極めて不明瞭でございました。
 それで、昭和十二年に日華事変が勃発しますと、その後日本の全法律体系は国家社会主義になりました。ですから、最初、昭和十二年のころ、盧溝橋だとか、あるいは上海あたりで戦火が起こりましたときは、日本軍はああいう局地戦の弾薬、武器にも事欠くぐらいの備蓄しかありませんでした。ところが、次から次へと、特に昭和十三年以来法律を変えていきまして、完全に社会主義体制、配給制度まで行きますと、恐ろしく一時的な力が出まして、何万台もの飛行機もつくる力が出ました。これは、もしも税金の歯どめがあったならば当然慎重になったはずであり、社会主義国に共感を持ってヒトラーやムソリーニと同盟せよなどという国民世論も起こらなかったし、また政府もそんなことをしなかっただろうと思うわけであります。
 私は、かつて一時政府税調委員になったことがあります。そのときに、税調の委員長にこういう質問をいたしました。今の税制の根幹には財産を分配するという、そういう思想があるのではないですか、こういう質問をいたしました。そうしたら、委員長は大変お困りになって、随分長い沈黙が続いたのでありますが、最後にその思想があると思いますということを言われました。事実、日本では相続税の上限が七〇%になっております。これは、SPD、社会党ですね、ドイツでは社会党と称する党が政権を握っているにもかかわらず、ドイツでは二十数%が上限であるということに比べても著しい社会主義的ガラガラポンの思想であります。
 それで、私はその財産のすべてを分けてしまうという思想が税制にあるとするならば、それは憲法違反ではないだろうかなどと申し上げたことがありました。私は、憲法というものは何を守るかといえば、一番は国民の生命、財産というわけで、生命と財産はほとんど同じぐらいに並べられてしかるべきであると思うのです。事実、このためにアメリカの独立も起こったわけですし、またイギリスの議会制度もできたわけで、我々は大体その流れの中の議会制度を持っておるわけでありますから、生命、財産を特にはっきり重んずるという項目が明確に示されなければならないと思います。
 それが今の二十九条の規定が三十条でどうにもできるようになっておりましたのでは、一たび世の中が変わりまして、またどこかで社会主義風が吹きますと、九九%の財産税、九九%の所得税というのも理論的には可能であるような憲法になっていることを忘れてはならないと思うのであります。
 それに、今特に私は緊急だと思いますのは、これはいろんな歴史観があると思いますが、十九世紀の後半から二十世紀の最後の十年ぐらいにかけて世界史を見ますと、いろんな見方があると思いますが、一つの見方は私有財産に対する考え方の闘争史であったとも言えると思うのです。私有財産を廃止するとか、その相続権を奪うとか、そういうのが実際そういうスローガンのもとにできた国家もございます。ところが、それとは反対の古い考えを持った国家もあります。
 そして、その決着は今から約十年前に世界の人の目の前で明確についたと思うのです。私有財産をとうとばない国、私有財産を廃止した国は、失われたものが、私有財産のみならずすべてがなくなる。文化もなければ、もちろん文化の伝承もなくなる。文化の伝承というのは大体個人の家庭においてなされるわけでありますが、それもなくなる。それどころか、市民としてのステータスまでなくなる。そして、旧ソ連のごときは、金の埋蔵量世界一、石油もアラビアぐらいはあったと思うんですが、それから森林資源、土地資源、無限にありながらも、行き詰まって崩壊した後を見れば、残ったのは強大なる官僚組織と二流の武器だけで、あとはすっからかんの何もなくなっていたというのが大ざっぱな見方だと思います。
 日本は、明治憲法のもとで栄えて、そして日露戦争に勝ち、第一次戦争でも勝った方につきながらも決して軍国主義には向かわなかったにもかかわらず、その後世界にロシア革命以後の社会主義、いろんな種類の社会主義が出て、それに足が引っ張られたのが私の知っている日本の悲劇であります。
 そして、今日見るような、日本は現在でも製造業は世界一強いことは明らかでありまして、輸出の黒字も十五兆か十三兆ぐらいの間だと思います。二位のドイツだって五兆にはならないぐらい強い。にもかかわらず不景気なのは何かと申しますと、これはやはり金融がおかしいこと、それから相続が不安のために日本の国の富の九十数%をつくっていると言われている中小企業の人たち、特に成功した中小企業の人たちは、成功した途端に後ろ向きになってしまうのであります。これ以上仕事をやって成功しても税金がどうなるかわからない、それから事業を継がせるのがどうなるのかわからない、それでこの辺でやっておくかと、どこか緩んでくるんですね。これが全体として非常に大きいと思うのです。ところが、失敗しているような人たちは、これは相続の心配もありませんので、赤字を出している中小企業の方はのほほんとしているというような妙な形になっております。
 ですから、相続税は撤廃するよ、そして遺留分もなくするよと言えば、全国の成功している中小企業もまだ余り成功していない中小企業も奮い立つはずでありまして、これが日本の元気のもとになることはまた明らかであります。
 それにまた、今急いでそれをやりませんと非常に日本は危険なことになるという一つの理由は、ブッシュ政権は、今から一月ぐらい前でしょうか、十年以内に相続税をゼロにするなどということを言いました。紆余曲折はあるでしょうけれども、恐らくその方向に行くと思いますね。そうすると、日本でも大金持ち、大きな能力のある人、これは国際企業に関係あります。この人たちがアメリカの国籍を取るであろうことはほとんど確実ですね。そうしますと、日本に残されたのはほかの人の税金にぶら下がろうという人が大多数になってしまう危険があります。あのアメリカですらも相続税を、あれだけ金持ちがいると言われるアメリカでも相続税をゼロにするというような時代に、日本が社会主義的な相続思想を維持したのではとてもやっていけないと思うのであります。
 憲法については、いろいろ種々申したいことがございますが、一つだけ税制について申し上げました。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、江橋参考人にお願いいたします。江橋参考人。
○参考人(江橋崇君) 江橋でございます。
 一応書いてきたものを用意しましたけれども、それをそのまま読み上げるのではなくて、もう少し話し言葉にして御説明したいと思います。
 初めに書いておきましたけれども、アメリカでは一般に裁判官はジャッジと呼ばれる中で、連邦最高裁判所の裁判官だけがジャスティスと呼ばれております。ジャッジというものは憲法やそのほかの法に基づいて人を裁く仕事であるのに対して、連邦最高裁判所は、判例法の国ですから、連邦裁判所の裁判官が語ったことが法になる、つまり彼らは社会のあるべき正義を語り法を語る口になるということだと思います。
 現在、衆参両議院に設置されましたこの憲法調査会も、憲法を解釈し、それに基づいて法をあれこれと議論する場ではなくして、二十一世紀の日本社会においてどのような法、憲法が必要なのか、何が社会の法と正義になるべきなのかという、すぐれて憲法政策的な議論をなさる場所かと思います。私もこれまでの毎回の参考人と同じく、そういうつもりでこれから陳述いたします。皆様のお役に立てば幸いです。
 まず、本日のテーマが国民主権と国の機構ということですが、私は改めて国民主権て何だろうと考え直してみました。その結果は、これまで言われているような意味での国民主権というのはもう歴史的使命を終えたということであります。
 もともと国民主権という物の考え方は、ヨーロッパでもどこの国でも君主主権に対抗する言葉として考え出されてきたように思われます。日本でも、したがって戦前の大日本帝国の天皇が主権者であったそういう国の政治のあり方、国の形を改めるキーワードとして国民主権という言葉が投ぜられたのだと思っております。幸いなことに、その意味での君主主権か国民主権かということに関して言えば、日本国内の世論と、それと連合国側の厳しい監視もあって、戦後の日本の天皇制は戦前の天皇制の復活ではなくして全く新しい象徴天皇制という方向に移行し、とりわけ現在の天皇及び皇后の結婚したあのミッチーブーム、御成婚のころからいわゆる象徴天皇制というものが安定して国民に広く支持されてきたと思います。
 したがって、主権者としての天皇の地位を否定するかどうかという論点から言えば、もう国民主権だから象徴天皇制は君主主権ではないんだからというようなことを今さら言ってもほとんど意味がない。そして、この意味で君主主権と国民主権との対抗関係などというものはもう世界各国とも憲法学者はほとんど相手にしていない議論になっているかと思います。
 それにかわって、最近では日本の憲法学でもごく一部に、日本国憲法に国民主権と書いてあるのを、これを人民主権的な意味合いに再解釈しよう、そうするとこれから先、日本の民主主義がもう少し前に進むのではないかと、私は国民主権のリユース学派と呼んでいますが、リユースしようという主張があります。あるいは、来週ここに呼ばれることが予定されている辻村教授もその有力な一人かと思いますが。
 私は、あの議論は基本的には自分の言いたいことを人民主権と言い直しているだけの議論だと思っております。そういった意味において、国民主権とか人民主権という言葉が使われることによって日本の国、これからの国の政治がよくなるとか、あるいは憲法問題に新しいレベルが開かれるということは余り期待できない。そういった意味では、歴史的な使命を終えつつある言葉と思っております。
 しかし、そう言ってしまいますと私の話は終わってしまいますので、もう少し続けなければいけません。
 もともと、日本国憲法でなぜ国民主権ということが言われたのかといえば、帝国憲法の原理を否定しようということだったと思います。その際の一番大きな眼目が天皇主権であったことはもちろんそのとおりなんですが、実は大日本帝国憲法にはもちろんそのほかにもさまざまな問題がありました。今、渡部参考人のお話しになったこともその一部かと思いますが、さらに、例えば軍部が独走する、あるいは植民地に日本の憲法秩序が及ばない、そのほかいろんな問題があるかと思います。したがって、日本国憲法で国民主権というのを唱えた場合には、そういったさまざまな問題、官僚主導型であるとかいろんなことがありますが、そういう事柄に対してもう少し国民が市民中心の、市民が主人公になる政治でいこうという大きな約束事が国民主権だったのではないかと思っております。
 私としては、国民主権を、何年憲法のどこではこういう意味であるという憲法解釈的な、あるいは授業的なことはここではお話ししたくありません。ここで皆様に申し上げたいのは、国民主権という言葉の中で市民が主人公になる政治というものが戦後は考えられてきたんだと、そのことは基本的に私は支持できる、正しいことだと思っております。
 もう一つ国民主権論をめぐって厄介なのは、アメリカ軍による占領中に国民主権の憲法ができたというこのパラドキシカルな事態をどう説明するかであります。答えは私は簡単だと思っております。
 日本の憲法及び憲法学者は、国民主権というのを一晩で成立するものだと考えていたわけです。もう少し美しい言葉で言えば、革命によって一挙に国民主権になると思っていたわけなんです。一挙に国民主権になるというふうに考えると、昭和二十一年十一月三日に公布された日本国憲法には国民主権と書いてあるわけですから、どこかの時点で一晩のうちに国民主権が成立したと言わなければいけない。もちろんそんな日はないわけであります。日本は市民革命をしていません。古い指導者、支配者が、最近もテレビでよく出てきている国々のように、飛行機に乗って亡命していく、国民がみんな万歳を言いながら大統領官邸を占拠する、こんなことは日本では決して起きないし、起きてもいないわけであります。したがって、問題なのは、そういう革命で一晩のうちに政権が交代するということがないのに日本国憲法にいつの間にか国民主権となってしまった、これをどう説明するかであります。
 東京大学の丸山真男先生が初め言い出し、後に憲法学者の宮沢俊義先生によって体系化されてきたのがいわゆる八・一五革命説、つまり、日本がアメリカに降伏しポツダム宣言を受諾した瞬間に日本は国民主権になったのだという説であります。私は、それは間違いだと思っております。
 ポツダム宣言を受諾し、いやポツダム宣言をしたのは日本側の思惑でして、アメリカ側は無条件降伏でありました。ポツダム宣言は天皇の主権を制限していませんが、無条件降伏になれば天皇の主権は制限、剥奪されるわけであります。そして、日本は無条件降伏したのでありまして、その無条件降伏した瞬間に天皇の主権者である地位はなくなったと私も思っていますが、そのことが直ちに国民主権原理の確立を見たことに直結するというのは間違いでありまして、昭和二十年八月に起きたのは天皇主権からGHQ主権に移ったということだと思っております。したがって、そこはもうフラットに認めた方がいいというのが最近、憲法の学会の中でも出てきている議論かと思います。
 そして、その中で、昭和二十一年十一月三日、昭和二十二年五月三日に施行された日本国憲法において、国民主権というものがようやく予告された、いわば大綱的プログラムとしては決められたわけですが、当時は何といってもGHQの超憲法的権力というものが日本に君臨していたわけですから、実際に国民主権になったのは私はむしろサンフランシスコ平和条約以降と思います。サンフランシスコ平和条約の一条b項に、お書きしたものの三ページの下に書いておきましたけれども、「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。」という、この際、私の議論にとっては多少都合のいい、全面的に都合のいいわけでもないですが、多少都合のいい部分がございます。
 つまり、日本における国民主権というのは、まずその前の主権者である天皇が昭和二十年に滅び、天皇の主権が滅び、天皇は滅びていませんけれども、天皇の主権が滅び、昭和二十一年十一月三日に公布された日本国憲法によって国民主権ということがいわば予告され、そして昭和二十七年四月、サンフランシスコ条約の発効とともに占領軍が撤退し、日本が国民主権を持つようになったと、そういうふうにフラットに考えればいいことだと思っております。昔は、こういうことを言うと、それは押しつけ憲法に何か城を明け渡すこととか、いろんなややこしい政治的思惑があってはっきり言えなかったんですが、今となってみればこの辺はすらっと言ってもいいことではないかと思っております。
 さて、問題はその先でありまして、日本国憲法が国民主権を採用したのが、革命で一晩で権力がかわったということの追加的な承認ではなくて、一つのプログラムだとしたら一体何だったのかと。先ほど申し上げたとおり、市民が主人公になる政治を行うんだというのが日本国憲法の基本的な約束事だったろうと思っております。私は、その内容を七つにこの際取り上げてまとめてみました。
 一つに、レジュメにも書いて、レジュメというか書いたものにも載せておきましたけれども、五ページ目の後ろの方から載せておきましたけれども、まず天皇主権を克服する。これは既にお話ししたとおり、オーケーでありました。
 二つ目に、戦前の日本が非常に中央集権的な官僚システムによってどこかに国民全体を引っ張っていくものだったということの反省として、地方分権ということが唱えられました。
 日本国憲法ができた当時には、後に最高裁判所の裁判官になった田中二郎さんなどは、当時、東大の新進の行政法の教授でしたけれども、日本国憲法の五大原理といって、その一つに地方自治と入れたぐらい重要な原則だと考えられていた、まさに国民主権の基本的な構成要素だと考えられていたにもかかわらず、実際にはその後、地方自治は不振で、中央集権的な国家の再建と産業界の再建が進む中で一たびは地方自治は非常に弱いものになってきたし、憲法学者の憲法の説明の中でも、地方自治なんて及ばない、条文が後ろの方にあることもあって授業では扱わないというケースが多かったように思います。
 それに対して、一九七〇年代以降、まさに日本の市民が、市民自身が革新自治体、途中からはまさに革新が取れて自治体になってきましたけれども、あるいは市民自治の憲法理論、地方の時代、そういったことを強調し主張する中で日本国民自身が地方分権というものをつくってきた。そして、その試みの中で一九九〇年代になって分権推進委員会ができ、その答申をまって地方分権推進一括法が国会で通過し、国と自治体の関係が上下の関係ではなくて対等協力の関係だと言われるようになり、また、憲法六十五条で「行政権は、内閣に属する。」という規定がありますので、かつては地方自治も含めてすべてのことは内閣に源があるんだと言われていましたが、そうではないと。憲法六十五条は、国の行政権は内閣に属するというだけであって、地方自治体の部分については別だと。むしろ、九十二条以下の地方自治の問題だと。国会で橋本首相によって唱えられるような、そういう時代になった。つまり、国と自治体、国と地方の分権、あるいは中央集権的な国家構造の改革というものには約五十年かかってここまで来たのかと思っています。
 同じような意味で、三番目に官僚制度の統制の問題もあります。これについてもまさに行革のテーマでありまして、最近というよりことしの一月一日からの省庁再編成に伴って、一応、内閣あるいは内閣総理大臣の指導性を維持するというところまで話は進んできましたけれども、まだまだ官僚機構による日本の指導というものを改めていくのは、まだ道遠いところがあるかと思っております。
 四番目に、これは通常は国民主権の問題としては議論してないんですけれども、女性の問題を私は考えております。日本国憲法は、確かに表面上は男女の同権を唱えた憲法でありました。その意味において女性もまた主権者の一員になったのでありますが、実際には、日本国において発生したのは、男性の優位と性別役割分業に基礎を置いた男性社会だったと思います。それに対して女性が、本当に自分たちが、市民が主役の政治であるならば自分たちも主役になるのだと言って政治の場における男女の同権を追求し始めたのは、どう早く見ても一九七五年のメキシコ会議以降、いやどう早く見てもと言っては申しわけないですね、戦前の、市川房枝さんたちの戦前からの伝統があるのでそれを無視したら怒られちゃいますが、広く一般的に言われるようになったのはとりわけ一九九〇年代に入ってからであったかと思います。
 そして日本は、この立ちおくれが世界各国に例を見ない国会及び地方議会における女性議員の比率の低さということになってあらわれてきているわけであります。今、男女共同参画社会基本法とともに女性のメーンストリーミング、つまり女性も政治の主役として中心にあって決定に参画するということが唱えられるようになってきたという意味で、今我々は、やっと男性だけの国民主権から女性も交えた国民主権へ転換しつつある時期だと言えるかと思います。同じようなことが障害者に関しても言えますし、子供に関しても言えますし、であります。ちょっと時間の関係もあるのでそこは飛ばしてしまいますが。
 もう一つ、私は、戦後の国民主権が克服しなければいけない課題は、戦前の国家が帝国であったということ、その帝国を改めるということだったと思います。つまり、植民地支配の問題であります。
 残念なことに、戦後の日本では、市民が主役になるという場合に、戦前をどう清算するのかということがきちんと行われていなかったために、今日に至るまでなお戦争責任の問題はもやもやしていますし、日本にずっと生活していた在日韓国・朝鮮人の人々に対する差別、これまた非常に厳しく加えられてきたと思います。そういった意味においては、私は、すべての市民が日本国、日本列島上に生活の本拠を得て頑張っているならば、国籍とか人種とかそういうものにかかわりなくすべての人が主人公になれる政治体制をつくるということは、この面でもまだまだかと思っております。
 さて、私はまだまだだという課題をぞろぞろと並べるつもりではないのであります。繰り返しますが、国民主権ということは憲法で一応決められたとしても、それが一体何なのかということは実は判然としていなかった。それに対して、サンフランシスコ平和条約で日本が独立してから以降、日本の市民は、みずからが実際に生活の場で困った、嫌な思いをした、あるいはよくあるべきだと考えた、さまざまな理由からみずから当事者として市民が主役になる政治を追求してきた、その成果に我々は今注目しておく必要があるだろうということなのであります。
 日本の高度成長は、確かに産業界と官僚界によって主導されました。高度成長が終わった一九七〇年代以降、日本は世界の最先端の経済力を持つようになったわけでして、もはやどこかの国に追いつけ追い越せというモデルはない、そういう時代になりました。そのときに、モデル勉強再現型を得意とする官僚が日本の政治、日本の行政を主導してもどうもうまくいかない。これからは、むしろ産業界あるいは労働界あるいはその他市民各界の実際に生活している現場において、人々が何を考え何を苦労しているのかというところを緻密に拾い出してくるという現場重視型の政治が必要であり、それは官僚によっては担い切れなくて、むしろ現場の人々によって担われてきたんだと。もし、日本の戦後の憲法実践というものが国民主権の観点から価値があるとするならば、そういう人々の営みにこそ価値があるんだと私は申し上げたいのであります。
 時間が大変短くなっておりますが、レジュメに書いておきました十二ページの憲法改正の問題について、一言だけ触れさせていただきたいと思います。
 国民主権と考えた場合、やはり一つの大きな論点は憲法改正がどうあるべきかということであろうかと思います。御承知のとおり、戦後の日本は、この点について改憲論と護憲論の思想の激突を繰り返してきましたために、実際に政治の場で憲法問題をどう考えていったらいいかということについての議論は甚だ少なかったように思っております。
 私は、この際、皆様に特に御注目いただきたいのが、プラス改憲と書いておきましたけれども、ほかの人によると増憲、憲法を増すというふうに書いている人もいます。これは何かというと、アメリカ型の憲法改正のあり方であります。アメリカは、憲法を改正するときには本文には手をつけない。時代が変わったりあるいは問題が変わったりして困った場合、その後ろに条文を新たにつけていく。例えば、南北戦争が終わって奴隷解放がついたとか、そういうことであります。本文は歴史的産物であり、歴史に責任を持つという意味からもこれを消さない、後の時代に出てきた知恵は後ろに足していく、これがアメリカ型の増加型改正という考え方、アメンドメント方式であります。
 日本国憲法はアメリカの進駐軍のつくった憲法ですから、九十六条に出てくる改正の部分についてはアメンドメントという英訳の言葉が与えられております。そして、実際の条文を見ると、十三ページ目に書いておきましたけれども、九十六条二項では、憲法改正が国民投票の過半数で可決された場合に、「天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」と決まっております。
 この「一体を成すもの」というのがくせ者でありまして、憲法全部をひっくり返してしまうという全面改正の場合は一体じゃないですよね、かわるものですから一体はなさない。あるいは、憲法を部分的に改正する場合も、その前の条文がなくなって新しいものがかわりにはめ込まれるわけですから、これも一体とは言わない。「一体を成す」というのは、前のものが全部残っていて後から継ぎ足すから一体なのであります。つまり、もともと日本憲法はどちらかというとアメリカ型の改憲を考えていた。
 したがって、日本国憲法ができたときには、日本国憲法の改正の形は三つだと普通、憲法の教科書に書いてありました。全面改正と部分改正と増加型改正であると。本則は増加型改正だけれども、このようなものは日本の政治風土に合わない、立法文化に合わない、法文化に合わないというのが佐藤功教授の見解でありました。したがって、だんだんその扱いが小さくなってきて、最近、怠け者の私たち中堅、若手の憲法学者は、九十六条に進むときに、憲法改正は全面改正と部分改正と二つであると言って、増加型改正は書かないというのが普通でありました。
 それはなぜかというと、アメリカは何やっているんだろうね、古いものをちっともなくさないでと思っていたわけであります。しかしながら、よくよく考えてみると、例えばフランスは今でも第四共和制の憲法を直し直し使っている。ドイツだって、東西ドイツが統一されたときには新しい憲法をつくることができなくてボン基本法を直し直し使っている。イギリスなんかもっとすごいところでありまして、つい二、三十年前にやっとマグナカルタがなくなったと言われていまして、それまで一二一五年の鎌倉時代のマグナカルタが現行法としての価値を持っていた。今でも一六八九年の権利の章典、日本でいえば元禄時代の生類憐みの令のころにつくられたものが今でも法律として使われているのがイギリスであります。つまり、立憲主義の先進的な国々というのは古いものを大事にする。そう簡単に全面改正といってどこかの駅前の再開発みたいなことはしないということであります。
 なぜだろう、これが実は戦後、日本ではわからなかったのでありますが、やっぱり戦後五十年、このように憲法の実践を経てくると、皆様がそうでありますように、一党一派が独裁的に憲法を改正するなら何でもできるけれども、そうでないとするならば、やっぱり与野党みんな集まっていろいろ知恵を出してやっていこう、そうなったら余り全部改正しようといっても無理だと。今の憲法がいいという人もいれば、いけないという人もいれば、ここはいい、形だけ変えろとか、もう一回国民投票だけやらせろとか、いろんな意見があるときにどうすればいいのかといえば、やはり今の日本国憲法をきちんと残した上で、足りない部分を足していくというようなところが具体的に政治的な落としどころではないんですかというのが私の考えであります。
 こういうことに気がつけるようになるのに五十年かかった。逆に言うと、日本は、日本国憲法ができたときにはアメンドメント方式とかイギリス型とかフランス型とかよくわからなかったけれども、五十年やってきて、与野党何度も激突して憲法問題の処理に困りながらやってきてみると、なかなかだなと、足して二で割るみたいな話になっちゃいますけれども、日本国憲法を残しておいて与野党の合意ができるところから順次足していけばいいじゃないということにあろうかと思っております。
 そういった意味において、私は国民主権というものは、何かぼんと一晩にして大きく変わるということではなくて、やはり市民が中心になって、市民中心の、市民の市民による市民のための政治を実現していくこと、その一環としてまさに民主主義の成熟度が問われる憲法改正問題にきちんと取り組むことだというふうに思っております。
 以上です。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。世耕弘成君。
○世耕弘成君 自由民主党の世耕弘成でございます。
 御指示と慣例に従いまして、座ったまま質問をさせていただきます。
 いろいろきょう、両参考人に御質問を考えてきていたんですけれども、渡部参考人の方から特に税制、その中でも相続税に絞ってお話をいただきましたので、まずこの件についてちょっと質問をしたいと思います。
 私は、基本的には渡部参考人の考え方に全く賛成でございます。特に、伝統文化の継承という視点から相続税というものはやっぱり考え直さなければいけないと思います。私自身、東京や大阪の都心部で極めて町の景観を構成しているような立派な住居が壊されて小さな建て売り住宅に変わっていったり、マンションに変わっていく風景を見ると非常に心が痛みます。あるいは、中小企業の経営者、知人の方々でもやはり相続税の問題で家族への継承が考えられないということで、事業の展開の意欲をなくしている方々を私も現実にたくさん存じ上げております。
 そしてまた、憲法と直接関係してこないかもわかりませんが、相続税を下げる、あるいは渡部先生のおっしゃるように廃止をするということは、これは景気対策上も非常に効果があると思いますし、先生も著書で書かれておられましたけれども、イギリスのサッチャーさんが、お金持ちを幾らいじめても貧困に苦しむ人が楽になるわけではないと、それは私もけだし名言だと思っております。また、相続税というのは、税全体の中で考えても額としては非常に小さい、どちらかというと、あってもなくてもいいぐらいの規模ではないかと思います。
 そしてまた、私も毎年年末に税制の議論をするときに、財務省の人たちといろいろ議論をするわけですけれども、財務省の人たちに言わせれば、大型のかなり高額の相続税を払っている人というのは毎年亡くなった人の五%ぐらいにしかすぎないんだということを言うわけですけれども、それも結局は遺留分とかそういったのをフル活用して、節税の工夫をした結果の数%でございまして、結果としてやはり土地が分割され、家族の伝統が継承されないというのは、この問題は全然解消されていないんだと思っております。
 しかし一方で、この問題というのは、もう一つ憲法的な視点からはやはり平等といったものに絡んでくると思うんです。
 私は、実は人間の平等というものの考え方も渡部参考人とかなり近いんではないかと思っていますが、私はやはり戦後日本の民主主義というのは、ある意味、行き過ぎた平等主義がはびこってきたんではないかと思っています。ですから、私自身、政治家としての一つのテーマとしては、やはり頑張った人が大きく報われる社会、そして頑張らなかった人はほどほどにしか報われない社会、そして事情があって頑張れなかった人にはもちろん救いの手を差し伸べる、これが私の政治家としての目指すべき社会だと思っているんですね。
 わかりやすく言えば、機会は平等に与えるけれども、それによって生じる結果については不平等があってもこれは仕方がないというのが、私はある程度目標としている社会のつもりでいるんですけれども、この相続税の問題を考えるとき私は非常にいつも悩みますのは、実は相続税を例えば渡部参考人がおっしゃるように廃止をしてしまった場合に、機会に不平等が生じるんではないかという思いを私自身非常に持っております。親から数億円の財産を相続できる人とそうじゃない人というのは、これはある意味、人生のスタートにおいて不平等が生じてしまうんじゃないかという私自身懸念を持っております。
 そこで、お二人にお伺いをしていきたいんですが、まず江橋参考人には、本日、渡部参考人が展開された相続税に関する議論について基本的にどういうお考えを持っておられるかということ、そして渡部参考人には、相続税の廃止が機会の不平等に通じるんではないかという懸念に関してはどういうお考えを持っているか。逆に言うと、私的にはもうお知恵をおかりしたいというところもあるんですけれども、ちょっとお願いをしたいと思います。
○参考人(渡部昇一君) 平等主義というのは大変美しい言葉でございまして、ダンテだったと思いますが、地獄への道は善意をもって舗装されているというのがあったと思いますが、平等主義というのは私は地獄へ至る道だと思っております。
 というのは、我々が知っております宗教の偉い人、キリストでもいいし、マホメットでもいいし、釈迦でもいいんですが、この世における平等は決して口にしませんでした。死んだ後まで含めての神の前の平等とかそういうことであります。
 ところが、釈迦もキリストも言わなかった平等を唱えた人もおります。そして、それを実行した人もおります。そこの国はどうなったか。釈迦もキリストも言わなかったことを言うというのは、しゃれみたいなものですけれども、これは悪魔です。ですから、マルクス、レーニンのつくった国ではいかなる粛清が行われましたか、毛沢東の時代の中国ではどのぐらいの粛清が行われましたか、ポル・ポトのもとでカンボジアはほとんど三分の一ぐらいの人が平等の名のもとで殺されております。文化革命のときは、ほとんどインテリ階級を絶滅させる意図さえありました。インテリとそうでない人は不平等だからであります。したがって、我々の歴史的なここ五十年くらいあるいは百年ぐらいの知識だけでも平等を唱えた国はいずれも地獄になっております。
 これに反しまして、ハイエックという、これはノーベル経済学賞をもらった方ですが、この人ははっきり言っております。金持ちがたくさんいるような社会こそが貧乏人の自由の保障であると言っております。金持ちがいないという建前の国では、その統治機構のいいところにいる人以外は、職業を変えることもそこから逃げることもできません。職を失うことは、即死ぬことかあるいは流刑地に流されることか、そういうことになってしまうわけであります。ところが、金持ちがたくさんいるところですと、こっちの会社が気に食わなきゃあっちへ行くし、あるときは金持ちの家の掃除をしたって食えるわけであります。ところが、貧乏人、金持ちがいないという建前ですと、ちょっとした掃除をしたぐらいではとても食えません。
 今、アメリカは最近のバブルで大変貧富の差が大きくなったと指摘する人がおりますが、私の知っている限り、アメリカから移民が逃げ出したということは聞いておりません。私の子供たちも、アメリカで大分長く住んだのが二人もいますが、いずれもうちから指示したわけじゃないので貧しい生活だったと思いますが、非常に暮らしやすかったと言っております。ところが、平等を建前とした国からアメリカに来てもいいよと言ったら、これは何千万単位で逃げ出すに決まっております。ですから、平等というのはきれいな言葉であって、これは地獄へ至る道であると考えた方がむしろ私は間違いないと思います。
 教室でもそうなんですね。教育でも平等というと何かいいみたいなんです。ところが、クラスで平等といったら、できない子に合わせるよりしようがないんです。運動競技で平等といったら、一番駆けっこの遅いやつに合わせることしかしようがない。それでいいのかということになります。ですから、私は、平等というものは極めて危険な言葉であります。
 私の個人の経験から言いますと、戦前の日本はまだ貧乏が非常に多い時代でございました。山形県というのは、「おしん」の舞台にもなるように貧乏人と言ったら山形をテーマにするような土地でありますが、当時、旧制中学を出まして成績がよくて金がない子が進学できなかったということはむしろまれです。というのは、当時の田舎の金持ちたちは奨学金をつくりまして旧制中学でなかなかいいと。そして、軍隊の学校とか師範学校はただですけれども、そうでなくて、しかも親が貧乏な家は大体ほとんど一〇〇%近く進学しております。
 アメリカでも無数のグラントがあるんですね。無数の金持ちが、それこそロックフェラーみたいな大きいのじゃなくて、ほとんどごく小さい人が多少のお金がたまりますと、自分の卒業した大学とか何かの専門の教授にグラントとして託するんですね。だから、ちょっとでも成績がよければグラントが出まして、アメリカの高校で少しでも成績がよくて大学に行けないなんということは考えられません。
 したがって、私は、国家が平等を唱えるよりは、むしろ私有財産を保障してやって全員にやった方がいいというのが、これは歴史の厳たる事実であると思います。
○参考人(江橋崇君) ただいまの世耕議員のおっしゃった相続税の問題点については、相当の部分が私も同じように考えております。現在の日本の相続制度及び税制一般に多々問題があることは、そのとおりだと思います。
 先ほどお話の中で、都市における由緒ある建物が例えば壊されるという話がありましたけれども、あれは今の日本の相続税制度が金納になっていて、しかし、とてもじゃないけれども土地の値段が高いですからお金で払えない。そうなると、物納だということになるわけです。物納になると、物納で国に納めるべき土地は、債権の関係がきれいになっているだけじゃなくて、土地そのものがきれいになっていなきゃいけない。上物は全部取っ払えということで、ああいう文化的価値はある、財産的価値はないにしても、文化的には非常にあるというものが次々と壊されていく。
 私の知っている人でも、丹精込めて梅林をつくって、やっと実もなるようになったし、花も近所の人が楽しんでくれるようになったその梅林を、おじいさんが死んだために、根っこから全部切らなきゃ物納として認めないというケースもありまして、やはりその辺の金納及び金納に準ずる物納という制度でいいのか。ボランティアとしての貢献とか、あるいはNGOに対する寄附金なども含めて税制のあり方全般を考えていかなきゃいけない面が多いし、その中で、相続税についても多々問題があることがそのとおりだと思います。
 ただ、もし相続税の問題に手をつけるにしたら、二つだけは考えていただきたい。
 一つは、現在、日本では相続財産をめぐって親族間の非常に醜い争い、いわゆる家庭内暴力事件が多々起きていて、高齢者は息子、娘にけ飛ばされ、判こを出さなきゃ飯をやらないとかなんとかでむちゃむちゃされているわけでありまして、これで相続税を廃止して、財産が大きいぞとなったらますます虐待事件が激増すると思われますので、高齢者の人権を保護するシステムを早急にお考えいただきたい。
 もう一つは、世耕議員がおっしゃったとおり、子供たちが生まれた瞬間にもはや大きなハンディキャップがついてしまう。戦後の日本の社会が開かれている中で、優秀な国立大学に貧乏人の子供、私たちも含めて貧乏人の子供が行けたというのは大変よかったと思っていますが、今や東京大学法学部の父兄の年間所得は日本一、金持ちじゃなきゃ東大法学部に行けないという時代になりつつあるわけで、これにさらに相続税を廃止して貧富の差、自由競争原理だと言われたら、子供たち、生まれたばかりの子供たちはどうしようもないわけですから、渡部参考人もおっしゃっていましたとおり、広く例えば教育の機会等々に対する門戸が開放される。
 高齢者の人権と子供の人権を守るという二つだけは、幾ら何でも最初にお考えいただきたいということをつけ加えた上で、世耕議員のお話に基本的には今申し上げた意味で賛成するところが多々ございます。
○世耕弘成君 両参考人、ありがとうございました。渡部参考人からも、そして江橋参考人からも言及がありましたが、必ずしも相続税をなくす、大幅に減らすことが機会の不平等につながらない、工夫の余地がある、戦前の特に例が非常に参考になったと思います。
 また今、高齢者の人権保護の話をいただきました。私の近くでも相続でいろいろ苦しんでいる方もいらっしゃいますけれども、やはり何か家族の権威というか、そういったものがある家は余りもめていないなという気もしておりまして、今、改めてそういったことも考えさせられたんですが、もう時間もなくなってまいりましたので、一つだけお伺いしたいと思うんです。
 渡部参考人にお伺いしたいと思いますが、日本の総理大臣には、これは特に今の森総理のことを言っているわけではなくて、余りに権威がないんではないか。やはりリーダーシップを、率いていくための権威がないんじゃないか。これは非常に私、懸念を持っているんです。
 例えば、最近の中国と米軍機の接触の事故が起こったときのブッシュ大統領の対応を見ていても、非常に粛々と記者会見を行って、新聞記者なんかも近寄らせないぐらいの雰囲気の威厳のもとで事態の収拾を図っている。ああいうところを見ていて、日本の総理大臣は一方でああいうことが起こったら、恐らく番記者と称する人たちに囲まれてもみくちゃにされて、立ち話でイエスかノーかということを言わされていくんだと思うんですけれども、そういう中でどうして日本の総理大臣にはこんなに権威がないんだろうと。ここ、もう歴代ずっとそうだと思います。
 このことが、私自身非常に悩んでいまして、そのことが私自身、もう首相公選制という形で直接国民から投票をされて権威づけをするしか今のこの状況を抜け出す道はないんじゃないかというところまで思い詰めているわけですけれども、渡部参考人にその辺のちょっとお考えを伺ってみたいと思います。
○参考人(渡部昇一君) 首相公選論であるということですか。
○世耕弘成君 はい、私自身はそうなんですけれども。
○参考人(渡部昇一君) 私は、必ずしもその必要はなくてもできるはずだと思うのであります。番記者制度が権威を損なうようであったら、それを廃止すればよろしいんです。
○世耕弘成君 わかりました。以上です。
○会長(上杉光弘君) 堀利和君。
○堀利和君 民主党・新緑風会の堀利和でございます。よろしくお願いいたします。
 江橋参考人にまずお伺いしたいと思います。
 君主主権、国民主権、人民あるいは民主主権と言ってもいいと思いますけれども、私はこの流れについても賛成といいますか、同じ考えだと思います。
 そこで、やはり国民主権としての現憲法のもとで、恐らく参考人は、十分市民主権、市民の主役というのが生かされていない、約束されていながら生かされていないというように指摘されたのかなと私なりに理解したんですけれども、そこで一つは、市民という概念といいますか、なかなかわかるようでわかりにくい概念かなと思いますので、その市民という概念をどのように考えたらいいのか、まずお伺いしたいと思います。
○参考人(江橋崇君) 市民というのは、まさに普通の人という意味で私はここでは使っております。日本列島上で生活をしている人が、とりあえずここで私が日本の市民と呼んでいる人たちであります。
 そして、市民社会という言葉を使うときがありますが、市民社会と言った場合には、もう少し積極的に何か公徳心を持って社会のために活動している、あるいは社会貢献している人々やそのグループを市民社会というふうに呼ぶかと思いますが、少なくともただ普通に市民と呼んでいるときは、そんな活動をしているどうこうじゃなくて、まさに一億二千万の市民というふうに考えております。
○堀利和君 そこで、最近、地球市民という言葉も使われてもおりますし、EUの統合という壮大なる実験を見ましても、国民主権なり国民国家というまさに国境を越えて主権というものも変わりつつある。特に二十一世紀は情報社会、国際社会でもありますから、そういう意味で、今御説明になったように日本の市民、一億二千万の市民ということと、国際的なレベルあるいは地球、グローバルなレベルでの市民ということについて、もう少し突っ込んでお伺いしたいと思います。
○参考人(江橋崇君) 日本の市民は、同時に国際社会というか地球市民でもあるかと思います。
 それで、今回のような政治とか政治的な権利にかかわる場合で私は一番基準になるべきなのは、EUでよく言われたとおり、人々はその自分の生活する場において政治的決定にかかわる権利があるという考え方だと思います。したがいまして、地域の問題については、その市民は地域の住民として政治的決定にかかわることができるはずだし、国家レベルで決めなければいけないこと、あるいは国家義務で負うべき義務については国家の市民として対応すべきだし、地球環境問題等々については地球市民として声を上げるべきだと。
 ただ、地球市民と言った場合には、ではその地球市民が地球的な決定にどうかかわる権利があるのかというと、今のところまだそういうものはなくて、国家あるいは国家によって媒介されるか、あるいは自分たちがNGOをつくったりして発言していくかという非常にあいまいな形しかないのが現実でありますけれども、地球規模問題にかかわるときは地球市民なんだというふうに考えております。
○堀利和君 そうしますと、市民という概念をめぐって少しお話をさせていただいているわけですけれども、国民という一つの概念に対して市民という概念が想定されると思いますが、そこの想定のところでは、ある意味で非常に分権化と、地域という意味での市民という、自立した市民というのがあると思うんですね。もう一つは、先ほど来から問題になっているように地球市民という極めて地球規模で国際的な、グローバルの意味での市民ということがあると思うんです。
 そうしますと、政治決定なり政治システムにおいての決定権を見た場合、地域レベルでの市民と、グローバル、国際化の市民という場合の市民というのは、私はある意味で憲法、法体系とは別な概念といいますか、ある意味で政治的といいますか、社会的、そういう一つの運動といいますか、という概念なのかなというふうにも思うんですね。
 そうしますと、市民が主役、市民の、人民の主権ということである場合に、最高法規の憲法とのかかわりはどういうふうに考えたらいいんだろうかなと思うんですけれども、その辺はいかがでしょうか。
○参考人(江橋崇君) 市民という非常にあいまいな言い方で表現して申しわけないと思いますけれども、具体的な法律のレベルに行けば、例えば憲法で地方自治の条文に行けば住民という言葉に市民を置きかえなければいけないし、あるいは多くの場所では国民という言葉に置きかえてもよい。あるいは、憲法の前文のように人民という言葉が出てくるところではやっぱりその人民がすなわち市民になる。
 場合によって人民と呼ばれ国民と呼ばれ住民と呼ばれている、そういうものをいわば共通して呼んでいるのが私がここで言っている市民でありますので、国のレベルの問題を考えるときは市民と言わずに国民と言えばそのとおりですし、自治体のことを言うときは住民と言えといえばまたそのとおりかとも思いますけれども、共通する言葉として市民という言葉で全部押し切っております。
○堀利和君 御案内だと思うんですけれども、NPO法の制定の過程で、当初、市民活動ということで市民という文言が法律の題名なりで使われたわけですけれども、参議院に来てから、市民というのはふさわしくないということで非営利活動ということで変わったわけなんですね。私の感覚では市民でいいんじゃないかと思うんですが、その辺については江橋参考人はどのようにお考えでしょうか。
○参考人(江橋崇君) 最初に申し上げましたとおり、余りここで個別の具体的な制度を憲法に基づいて説明する会ではないと思いますので、ちょっと簡単にさせていただきたいと思いますけれども、先ほどちょっと申し上げておりましたとおり、市民が社会、公共の利益を考えて、自分たちが自発的にボランティアとして頑張ろうじゃないかといって頑張っている場合を、そういう人々のグループを市民社会と呼ぶように思っております。というよりは、英語でシビルソサエティーと言っていまして、それを市民社会と訳しているのでありまして、そういったことからすると、あの法律は市民活動の方がよかったんじゃないか。何しろ、シビルソサエティーを特定非営利法人活動というふうに日本語に訳すのはいかにも変でありますので、やはり市民活動と言った方が素直であるように、私も市民活動で、特定非営利と言わなくてよかったとは思っております。国際的にもその方が通用力があると思っております。
○堀利和君 ありがとうございます。
 そこで、少し話を、話題を変えますけれども、国民主権、国の機構というテーマでございまして、そういう観点からいいますと、先ほど戦後補償の問題も出ましたけれども、歴史的に見ましても、まさに市民参加の政治といいますか、国づくりというふうに考えたときに、外国籍を持った方、いわゆる永住外国人の参政権、これはまさに今国会でも論議になっているわけですし、国民的にも論議になっていると思いますけれども、具体的に、我が国の今論議になっている永住外国人の参政権の問題について御意見をちょっとお伺いしたいと思います。
○参考人(江橋崇君) 私は、きょう、国民主権との関係で在日の人に対する差別の関係で地方参政権の問題を取り上げたのは、御案内のとおり、昭和二十年十二月の衆議院議員選挙法の改正以前は、日本の内地にいる在日韓国・朝鮮人の方々には選挙権が国政選挙も含めて与えられていたし、在日出身の衆議院議員の方もいらっしゃった。そして、事柄のよしあしは別としていえば、植民地、朝鮮及び台湾にも選挙法を施行して選挙するんだという構えも当時はあったわけであります。
 したがって、昭和二十年十二月に起きた事態は、私は昭和二十年八月、まさに天皇主権が崩壊し、これから自分たちが新しい国をつくっていこうというときに、日本にいた多くの人々から昭和二十年十二月の段階で選挙権を奪ったことだというふうに思っております。したがって、在日に対する選挙権というものは、付与ではなくして回復だと考えております。
○堀利和君 それでは、渡部参考人にお伺いしたいと思いますけれども、憲法二十九条、三十条の私有財産の問題、納税の問題、お話をお聞きしまして、二つ質問させていただきます。あわせてお答えといいますか、御意見を伺いたいと思います。
 一つは、税というものを通して国民の所得配分という機能があると思います。もちろん、ここには平等とは何かという議論があると思いますけれども、税においては所得配分という重要な機能があると思いますけれども、これについてどうお考えかということと、三十条の「法律の定めるところにより、」ということですから、私どもは誇りを持っておりますけれども、国会議員は国民の代表として選ばれた者ですから、この立法府において国民の代表として民主主義の手続で選ばれた者が言うなれば税金の税率も決めるということですから、あらかじめ上限というふうな、決定しなければならないほど二十一世紀の日本の国民は未成熟なんだろうかなと疑問を持ちますけれども、そういう意味でどのようにお考えか、お伺いしたいと思います。
○参考人(渡部昇一君) 所得配分は、国家の私有財産権に対する余計なおせっかいであります。そんなことは考える必要はないと思っております。所得配分じゃなくて、食べられない人に最低生活は保障するとか、そういうことでやればいいのであって、そもそも所得に手を出そうというのは、これは国家社会主義的発想です。
 それから、法律の上限を決める必要がないというのは、まさに憲法だから決めなきゃいけない。上限の下のもとではどう決めてもいいんですけれども、国民から信託された議員を信用することは当然でありますけれども、その信用だってどう流れるかわからないから憲法という大きな枠を国民が合意して決めているという建前だと思うんです。それは政府が決めればどう何を決めたっていいんだといったら、それこそヒトラーの法律の決め方と同じです。ヒトラーは全部合法的にやりました。そういうことがないように枠を決めようというのが憲法の精神だと思っています。
○堀利和君 この二十一世紀、民主主義社会、民主主義において、ヒトラーの再来とかそういうやっぱり御心配はされるんでしょうか。
○参考人(渡部昇一君) はい、します。その心配は常にいたした方がよろしいと思っています。
○堀利和君 以上です。
○会長(上杉光弘君) よろしいですか。
 それでは、高野博師君。
○高野博師君 最初に、渡部参考人に憲法改正についてお伺いしたいと思うんです。
 先生の論文の「「憲法」が国を滅ぼす」とか、幾つか読ませていただいたんですが、憲法改正そのものが大変難しい今の憲法の規定になっているんですが、今現在の日本が抱えているいろんな政治、経済、社会、教育、さまざまな問題の根底に憲法があるんではないかというのが私の考えなんです。まさに憲法はコンスティチューションということで、体質の問題があるんではないかと思うんですが、今の日本の憲法は不磨の大典に近い硬直性があるという、これは先生も指摘されているのであります。
 そこで一つ、改正という次元ではなくて、私は法律の専門じゃないんですが、憲法制定議会ということについてちょっとお伺いしたいんです。
 実は、先般、ベネズエラの国会議員が来まして、自分は元憲法制定議会の議員だったということで若干議論をしたんですが、九九年の四月に国民投票をして憲法制定議会を開くという決定をした。これは国民の八八%の支持を得たと。そこで、約半年以上かけて議論をした上で憲法制定になったんですが、なぜ憲法を改正したかといいますと、ベネズエラは二百年近い民主主義の国なんですが、市民参加型の民主主義にする必要があると。その中でも特に司法の分野では、司法の重要なポストが政争の具になっている、これが腐敗、汚職の原因にもなっている、したがって公正な裁判をするためにも憲法も変える必要があると。全体として国民の人心を一新するという、そういう効果もねらってやったというようなことであります。
 日本の場合に、今さまざまな問題がある。改正ではなくて憲法制定議会というふうなことをやる場合には、何を根拠にして、当然今の憲法を根拠にできないわけですが、そうするとやっぱり国民投票というのがその根拠になるのかどうか、その辺をちょっとお伺いしたいと思います。国民主権ということであれば、当然それは国民の大多数の意思としてそういうことをやれということになるのかどうか、その辺についてお伺いいたします。
○会長(上杉光弘君) 参考人お二方にですか。
○高野博師君 渡部参考人に。
○参考人(渡部昇一君) 今日のいろんな問題が憲法に由来することは当然だと思います。私は、憲法は江橋参考人がおっしゃったように本当はもっと自由に継ぎ足していく方がいいのではないかと思っている者です。
 というのは、アメリカの憲法というのはこれは今、世界の成文憲法では一番古いわけでありますが、あのアメリカの憲法でも、つくってから三年ぐらいたったら言論の自由と宗教の自由を書き忘れて継ぎ足したという、お笑いみたいなお話があります。
 ですから、日本国憲法も、占領下という倉卒の間に、しかも司令部の素人が数人集まって一週間前後でつくったというんですから、やはりこれは時代とともに変えなきゃいけないところが出てくると思います。その変え方の問題だと思うので、もしもそうでしたら、憲法改正条項だけを変える国民議会でもいいんじゃないかなと考えたりしております。
○高野博師君 では、ちょっと同じ質問で恐縮ですが、江橋先生いかがでしょうか、この憲法制定議会について。
○参考人(江橋崇君) 憲法制定議会をつくるという……
○高野博師君 ただ、根拠として国民投票でそういうことがやれるのかどうか、法的に。
○参考人(江橋崇君) 現在の憲法では、憲法改正の発議権は国会にありまして、衆参両院の総員の三分の二以上の賛成がないと発議できないので、そういう何か国会の会期を今回は憲法改正の会期として集中的に審議するぞということなんでしょうか。それだったら、もちろん可能だと思いますけれども。
○高野博師君 いや、憲法制定議会は、新たに議員を別に選んで憲法を制定するためだけの議会をつくるということ。これは幾つかの国でそういう前例はたくさんあると思うんですが、それは日本の場合は今の憲法上からいうとほとんど不可能だと思うんですが、それを国民投票というような形でやることができるのかどうか。
○参考人(江橋崇君) もちろん、今の憲法を改正して、それを国民投票にかけて、その後憲法の改正の問題に関してはこういう専門の憲法議会をつくってこれをとり行うというふうに決めることは全く可能だと私は思います。その点は、だから渡部参考人のおっしゃったこともそういうことかもしれません。
 ただ、今この段階で何か決めて国民投票にかけるというのはそれはとても不可能なことなので、やはり今は現行憲法に定められている改正の手順に従って改正を進める以外にはあり得ないことだというふうには思います。
 おっしゃることは、議会の中に憲法問題に関する特別委員会を設定するということであるとすれば、それはもちろん可能なことだと思います。
○高野博師君 それでは、江橋参考人に、永住外国人の地方参政権の問題、先ほども御質問がありましたが、これについてお伺いしたいんです。
 外国人に地方参政権を認めるというのは、憲法違反だという説があるんです。それは、特に国民主権との関係で参政権というのは日本国民に与えられた権利だということなんですが、そうであるならば国籍条項を緩和して、そして日本国籍をとらせて地方参政権を認めたらどうかという議論なんですが、先ほどの先生のお話の中で、国民主権というのは君主主権に対抗する概念としてもう既に歴史的な使命を終えたと、したがって市民が主人公になる政治という、その市民の中には当然外国人も入ってくると思うんです。
 そこで、在日朝鮮人あるいは韓国人だけではなくて、これからの少子高齢化の中で日本がもっと外国人を受け入れる必要が出てくるのではないかと、私はそう見ているんですが、そういうことも含めて、一般に永住を決めた外国人に地方参政権を認めるというのは、これは憲法違反ではないというところを明確に教えていただきたいんです。その場合に、被選挙権についてはどうなのか。
○参考人(江橋崇君) 私は、今、先生のおっしゃったことで、一般的にはそういう意見もありますが、私は逆でして、在日韓国・朝鮮人の人から選挙権を奪っている状態が憲法違反だと思っているものであります。
 その根拠も、法律理論的にもいろいろありますけれども、一番単純に考えて現実の社会のことを考えてみれば、私たちはもう既に在日韓国・朝鮮人の人々と一つの社会を形成しているわけでありまして、さまざまな社会的な機能についてほとんどそれを共有しているわけであります。
 例えば、地方自治体に外国籍の公務員の人がいますけれども、あの人たちについてはいわゆる国籍条項の絡みがあるから、本当はこの仕事とこの仕事とこの仕事はさせてはいけないというふうにはなっているんですけれども、実際の現場をごらんになればおわかりになりますように、人手不足の自治体でそんなことを言っていられませんから、一々、あなたは外国籍だからこの仕事はやらなくて帰っていいけれども、ほかの人は残業しなさいなんというぐあいにはいかなくて、それこそ選挙事務の票の数えに至るまで在日の公務員にもさせているわけでありまして、実際にはもう日本社会は右から左までみんな在日と一緒にやっているような社会だと思います。
 したがって、そういう社会において、事参政権の問題と、先ほど来申し上げております生活の場で生活の問題に関してみんなで決めていく地方自治体の参政権とか、あるいはそのうち公務員になって地域に尽くしたいと思っている人の就職の機会を奪うとか、そういうレベルの話はもうおやめになった方がいいと思っております。
 それと、先ほどおっしゃられたとおり、二十一世紀の東アジアを考えた場合、多くの国において労働力の流動化はさらに進む。とりわけ、日本でも既に起きていますように、IT革命後のそういう情報関連の企業においては多国籍入り乱れるわけでありまして、むしろこれから先は、外国人に好まれる、外国人を差別していないということを売りにするようでないと優秀な外国人に来てもらえない。既に隣の韓国は、そういった意味で外国人を差別しませんということを積極的に売り出している国でありまして、例えばそういう国との競争関係一つ考えても、これまでのような排外的な態度ではうまくやっていけないんじゃないかと思っております。
 それと、被選挙権のことですけれども、被選挙権につきましては、先ほど申し上げましたとおり、実は日本国民の被選挙権も相当おかしなことになっておりますので、私はこの際、前に少年法改正のときにあるいは民主党からそういう案が出たかと思いますけれども、十八歳以上の人間に選挙権と被選挙権を認める、あるいは十七歳という説もあり得るかもしれませんが、それを基本にもう一回被選挙権については整理し直さなきゃいけない。
 二十五歳になれば衆議院議員になれるけれども、内閣総理大臣になれるけれども、都道府県知事には三十歳になるまで立候補できない。それは内閣総理大臣の方が偉いというのも変なんですけれども、でも変ですよね、やっぱり。内閣総理大臣になれるけれども都道府県知事にはなれない、二十六、二十七、二十八の人は。早稲田大学の乙武君は、被選挙権がないから、衆議院議員になって大臣にはなれないけれども、任命制で、内閣総理大臣が人気取りで、乙武君、厚生大臣と言えばなれる。これも変な話でありまして、被選挙権、つまり国の政治に主体的にかかわってくるその資格についてはもう一度トータルに整理し直す必要があり、その中で外国人の被選挙権もお考え直しいただければと思います。
○高野博師君 ありがとうございました。
 時間ですので、終わります。
○会長(上杉光弘君) 小泉親司君。
○小泉親司君 日本共産党の小泉でございます。
 まず初めに、江橋先生にお伺いをさせていただきたいと思います。
 先ほどお話にありましたように、国民主権の立場で市民が主人公になる政治という形でとらえられていると。私たちも国民が主人公になる政治をつくろうというふうに主張をしておりますが、そこで幾つかお聞きしたいのは、先生が、市民が主人公になる政治の中で七つの成果といいますか、前進面を挙げられておられます。
 ただ、当時、つまり憲法が制定されたときには、国民主権が明記されてあったにもかかわらず、革命的じゃないと。確かにそういう側面はあるんですが、実際、国民主権が徐々にやはり多くの国民に浸透していったということが、やはり幾つか先生が御指摘になったような中身があると思うんですが、その中身自体についても、例えば障害者の問題について言えば、アメリカなどは障害者の権利ということを非常に明記している。それから、先ほど問題になりました在日外国人の参政権の問題でもまた課題が残る。
 先生としては、その国民主権を本当に実効あらしめる、市民が主人公になる政治をつくるためにはどういう点が残された課題として残っておられるのか、その点をまずお聞きをしたいというふうに思います。
○参考人(江橋崇君) 物の考え方として、日本国憲法に国民主権と書いたから戦後これまでうまくできたんだというふうにお考えになるか、あるいは何か日本国憲法の国民主権とは余り自分はかかわりがなかったけれども頑張ったんだというふうになるか、両方あるように思います。
 市民運動、どちらかというと、ラジカルな市民運動は憲法と関係なしに闘うとか言って闘ってきて、結果的には何か市民主役をつくってきたようにも思いますし、逆にまた、憲法に国民主権と書いてあるんだからこれを完全実施化しようとして取り組んできた市民運動があったということもそのとおりだと思います。両方ありまして、いずれにせよ市民がおいおいつくってきたのが国民主権の内実だと思っております。
 そして、残された課題ということになりますと実に多くありまして、ここでとてもすべてを述べるわけにはいかないんですけれども、いずれにせよ、私は先ほど堀議員のときにもちょっとお話ししかけたんですけれども、NGOの問題がありまして、市民活動という言葉が最近よく使われますけれども、市民活動の大きな特色というのは、市民が市民のまま政治に発言していく。これまでですと、やっぱり市民も最後は権力をとってというのか、与党にならなければ政策が実現できないとかとよく議員の方もおっしゃいますけれども、私は、市民も自分たちが例えば選挙に出て議会の議員になったり、首長になって権力をとらなきゃ自分たちの考えが実現できないというのではなくて、一九七〇年代以降は、市民が市民のままで自分たちの政策を提案し実現してもらおうという意味で非常にフラットな改革の主体になり得たと思うんです。
 そういった意味において、私は、障害者の場合も女性の場合も子供の場合も、何もその人たちが私を市長にしてくださいとか自分を議員にしてくださいではなくて、市民のままでいいんだからこの政策を実現してくださいという意味で、政策中心に提案型で政治の主役になることができた。そういう傾向をもっと推し進めることが極めて重要なんだというふうに思っております。
○小泉親司君 もう一問、江橋参考人にお尋ねしますが、江橋さんがお書きになっている本の中で、いわゆる議会制民主主義の問題で、ここでも、きょうお述べになったことでも触れられておりますが、官僚と族議員の問題、審議会政治の問題、これを指摘されておられます。
 例えば、議会の問題では、政府・与党が提出した法案が一〇〇%通過する議会は立法府として機能不全に陥っている病の症状ではないかという御指摘をされておられますが、この点でどういうふうな議会政治の改革が必要だというふうにお考えになっておられるんでしょうか。
○参考人(江橋崇君) 法律のみならず、予算も一〇〇%通ってしまう国会になったかと思いますけれども。
 私、いろんな問題があると思うんですが、一つ具体的に非常に注目しているのは、現在まさに参議院に上程されようとしているDV防止法のような法律だと思います。あの法律の場合は、参議院の議員の方々が、まさに全党派といったらいいでしょうか集まって、そこでその法案を提出する準備をなされている。参議院議員が議員としての本来持っている法律の提案権というものをしっかりと行使なさって成果を得るのかと思うと、私はそこに一つの、今後国会が議院として機能を回復していく一つの道があると思います。
 それともう一つは、私は、国政調査権にかかわる法律を改正していただきたいと思っておりまして、国政調査権に関する法律は、とかく行政府のことを尊重して非常に及び腰でつくられていますけれども、法律ですから国会がその気になればどんどん、それこそさっきの渡部参考人のあれじゃないですが、どんどんできるわけですから、国政調査にかかわる法律を強化して、国政に対する監視、国政調査の部分を強化する。立法の部分に関して言えば、自分たちが立法者として参議院の法制局とか、そういうところも駆使して実際に立法していくという、その二つの大きな作業が行われれば大変活性化した議院になると思われます。
○小泉親司君 江橋さんは、先ほどの発言の中でアメリカの例を引き合いに出されて、プラス増憲ですか、プラス改憲ですか、ということを主張されておられました。
 私たち、実はアメリカにこの前調査に行ってまいりました。アメリカ憲法と日本の憲法というのは、私もこの調査の中で勉強させられたんですが、例えばアメリカの憲法の場合は、日本のように主権は国民に存するということは明記されていないわけですね。今度の大統領選挙の問題でも非常に物議を醸した。さらに、先ほど渡部参考人も言われておられましたけれども、いわゆる基本的人権、日本国憲法の場合は、これは江橋先生の最も専門的な中身、領域でありまするけれども、基本的人権が十一条からきちんと明記されている。しかし、アメリカの憲法については、御承知のとおり一番初めの、いわゆる修正憲法でない初めの憲法はいわゆる統治機構の論理で人権条項がなかった、そのために十項目の修正憲法が加えられた。
 しかし、私たち調査しまして非常に痛感をしたのは、アメリカ憲法の場合は日本と同じように硬性憲法なわけですね、なかなか改正がしがたいと。よって修正憲法でやっているけれども、現行ではなかなかもう硬性憲法的な実態が続いていて改正自体ができない。だから、この前、大統領選挙で名をはせましたオコナー最高裁判事らと懇談したときも、オコナーさんが言っておられたのは、アメリカの場合は大変硬性憲法なので、新しい権利、つまりプライバシーとか環境権とか、こういう問題については新しい立法で対処する、憲法に基づく、そういう方策でやっぱりやる必要があるんだというような見解を大変強く主張されておりましたが、その点については江橋参考人はどのようにお考えでございますか。
○参考人(江橋崇君) 憲法が硬性憲法であるということと実社会の利害が複雑に絡み合っていてという二つが結局は、憲法改正、減らす形の憲法改正がしにくいから後ろに足していくということになるんだろうと思います。
 私は、よく憲法の改正の議論を洋服を着がえるように着がえろとおっしゃる議員の先生もいらっしゃいますけれども、そう簡単なものじゃなくて、憲法というのはやっぱり家程度には大事なもので、家も手狭になったり古くなってきたら修理したり建て増ししたりして、どうしようもなかったら建て直すかもしれないけれども、最初から建て直すというのはおかしい。アメリカは、政治の知恵としてやっぱり修理型だと思います。
 おっしゃったことですけれども、最近でいうと、台湾がやっぱり増加型改憲であろうかと思います。台湾は、北京との関係もありますから、憲法改正なんというそんな火薬庫に火をつけるようなことはできないという、まさに硬性憲法であるゆえに政治的な状況の中でも憲法問題をいじくれないとなると、やっぱり独立することじゃなくて、中華民国憲法を維持しつつ、どうしても現実の政治で対応しなきゃいけない部分については増加型で、何とか補修してだましだまし動かしていこうという形になるという意味で、やっぱりそういった意味で、環境がかたい、憲法改正にかたいところでの知恵として発達してきたものだと思いまして、日本もまさにかたい国だと思っております。
○小泉親司君 渡部参考人にお尋ねしますが、先ほど渡部参考人は憲法改正の問題について、改正条項だけを改定するのがいいというふうにおっしゃいました。実際、この本の中でもそのことを、「そろそろ憲法を変えてみようか」という本の中でもお書きになっておられます。
 そのところで、例えばそれによってアメリカ並みに憲法修正が容易になるようにするという、そうすれば現行憲法を改定しつつ新しい事態、新しい時代に対応していけるというふうに言われておりますけれども、私たちが調査したアメリカ憲法の点については先ほどお話ししたとおりのことで、実際にはやはりこの硬性憲法自体、アメリカ自体も今、憲法修正というのが大変困難な状況になっていると。つまり、憲法上硬性憲法の性格を持っているというふうなことなので、この認識というのは私はちょっと今の実態とは異にするように思いますが、その点、参考人はいかがお考えでございますか。
○参考人(渡部昇一君) アメリカでもドイツでもどんどん変えております。難しいかもしれませんが、現実上、数年に一度追加条項をやっていますので。実際はやっています。
○小泉親司君 その点はちょっと認識が違うと思いますので、事実が、感じが違うと思いますので、その点だけ指摘しまして、時間が参りましたので終わります。
○会長(上杉光弘君) 福島瑞穂君。
○福島瑞穂君 社民党の福島瑞穂です。きょうはどうもありがとうございます。
 国民主権といった場合に、男女平等の問題は本当にリンクすると思います。私も、日本国憲法下に生きていきたいか大日本帝国憲法下に生きていきたいかといえば、間違いなく日本国憲法下に生きていきたいわけで、それがなければ投票権もなく、国会議員にも明らかになれなかったというふうに思っております。
 それで、両参考人にお聞きいたします。国民主権と男女平等といった場合、男女平等あるいは女性の政治参加についてどうお思いでしょうか。
 まず、渡部参考人、いかがでしょうか。
○参考人(渡部昇一君) 現在のような状況であれば、もちろん男女平等であります。
 ただ、明治憲法の時代は男子には徴兵というとてつもない義務が課されておりました。女性には徴兵の義務はありませんでした。徴兵の義務がいかに重かったかは、その時代に生きてみない人にはわからない。私の姉なんかも女に生まれてよかったと言っています、兵隊にならなくていいから。そういうことがありました。また、骨の髄まで民主主義国家でありますスイスは、これは国民皆兵、皆兵といっても男だけですが、皆兵でありますので、御存じのように、つい数年前か十年前ぐらいまでは女性には投票権がありませんでした。
 ですから、明治憲法その他を男女平等で言うのは、徴兵権を考えないと不完全であると思います。現在のような状況でしたら、男女平等は結構でございます。
○福島瑞穂君 男性に徴兵制があるのは、本当に命の危険を冒す、あるいは大変気の毒なので、男女平等の観点から、男性にも徴兵制はしくべきでないという男性擁護論者なのでございますが、江橋参考人、男女平等と国民主権についてお願いいたします。
○参考人(江橋崇君) 御承知のとおり、日本の婦人参政権は昭和二十年十二月の衆議院議員選挙法改正で実現いたしまして、当時、進駐軍等々に女性の保守的な票を掘り起こしたいという希望もあったとかいう裏話もついておりますけれども。したがって、日本国憲法によって初めて婦人参政権が認められたのではない、むしろ日本国憲法をつくる制定議会に婦人の代議士も随分いたということもありますので。
 それがよかったか悪かったかという問題、私はやっぱりまずかったんじゃないかなというふうに思っているところがあります。つまり、日本国憲法をつくって、その中で本当の意味で男女平等というか男女がともに政治的な問題に、重要な問題にかかわってくるという政治制度をつくるのではなくして、そのちょっと前に占領軍によって法律の改正が命じられて、それがもう実現されてしまっていた。つまり、さまざまな改革、憲法の制定によって市民が主人公である政治をつくっていくというその改革の一部が先取りされてしまっていたというために、何となく憲法ができてもうハッピーに男女平等が実現されたかのようなことになって、その後の民法改正等々も一段落したら、後は実際には男性優位の日本社会になってしまったんだというふうに思っております。
 そしてその結果として、今日、日本では何しろ国会議員及び地方議会議員における女性の比率は非常に低いわけでありまして、女性の比率を高めればそれだけでいいという問題でもないとも言うかもしれませんが、あるいはここでフランスなどの例を引き合いに出すのは余りにも通俗的かもしれません。やはり私は、女性にもっと政治の中心的な問題において活躍してもらわなければ、日本の持っているヒューマンリソースが半分しか生かされていないというふうな思いを持っております。
 したがって、日本国憲法に一応書いてあるけれども、全然実現しないという部分について、それを何とか頑張って実現しなければいけないという福島議員のお考えは、基本的に賛成であります。
○福島瑞穂君 ありがとうございます。
 江橋参考人にお聞きをいたします。
 日本の伝統文化を憲法に反映すべきだという意見について、どうお考えでしょうか。
○参考人(江橋崇君) 伝統文化を反映させること、一般には全然異論もないし、むしろ賛成でありますけれども、ただ、いわゆる日本の伝統文化として言われているものというのは、日本の伝統文化のごく一部で、その人が使いたいと思っているものだけを突っ込んでいるだけだと思っています。
○福島瑞穂君 次に、地方分権について江橋参考人にお聞きをいたします。
 地方分権と国民主権ということについて、もうちょっと突っ込んでお話しください。
○参考人(江橋崇君) 最近の分権推進一括法によって、初めて国の行政権と自治体の行政権が対等協力の関係だと言われていますけれども、あれは画期的なことだったと思います。画期的なことであるだけでなくて、あそこにたどり着くまでに約三十年間、我々は、地方の時代、分権、地方自治、自治権の尊重ということで大いに頑張ってきたつもりであります。
 結局のところ、国民主権という言葉ですべてを割り切ってしまうのは非常に問題が多いのでありまして、また、国民主権という言葉は何でもかんでも入っちゃうところがありますので、むしろ言われているとおり、例えば女性の政治参画とかあるいは子供の権利の保障とかということと同じように、地方分権の推進という形で実質的に市民が主人公になる政治が実現されるべきだと。政治の課題とされていることの多くは、生活の場における共同利益をどうやって維持していくかということでありますから、その意味において私は、地方自治体に大幅な権限と財源が移譲され、各地域が創意と工夫を持って地域の発展に尽くしていくというのがあるべき日本国憲法下の姿だと思っております。
○福島瑞穂君 国民主権を一人一人が主人公と考えた場合に、NGOの役割も大変大きいと思いますが、これについての位置づけを江橋参考人、お願いします。
○参考人(江橋崇君) 先ほども申し上げたんですけれども、NGOというのは大変おもしろいところでありまして、それまでの一九六〇年代ぐらいまでの社会運動は、結局、社会運動で最後は自分たちが権力を握らなきゃ世の中を変えられないよというところがあったと思いますけれども、それ以降のNGOというのは何かそこのところの勢いがないというか、権力への志向性がないというか、自分たちが生活者として生活を続けたままで、しかし世の中をよくしたいという。
 そういった意味からすると、その以前の社会運動からしたら随分お人よしというか、調子がいいというふうに思われたと思いますけれども、しかしそうではないのであって、やっぱり二十一世紀の社会において、とりわけ政治的な問題について、権力とか、そういうふうに抑えつけるとか抑圧とかということじゃなくて、やっぱり提案と討議をして物を決めていく。最近では、私たちの業界ではオランダ・モデルといったオランダの政治的実験が非常に高く評価されていますけれども、あそこの国なども、やっぱり政府と自治体と企業と労働運動と市民運動とが一つのテーブルに着いてお互いに提案し合っていろんな問題を決めていく、その際には、理解と説得、合意と協定ということが到達すべき点として共通に認識されている。
 そういった意味で、権力に近寄らないグループが政治の場で発言するようになったということ、これは実は憲法には書いていないことなので全く新しいことだと思うんですけれども、そういった意味において、私は、二十一世紀の公共の物事の処理の仕方というものにおいては、NGOということに特に注目しておかなければいけないのではないかなというふうに思っております。
○福島瑞穂君 NGOと、NGOに対する法的な支援や、権力という言い方はかたいかもしれませんが、国、地方公共団体の位置づけというものはどうお考えでしょうか。
○参考人(江橋崇君) NGOは、何しろ自主的に自分たちのボランタリーな活動をするのがNGOでありますから、国とか自治体はその活動を整備する、基盤を整備する、環境を整える、あるいは税法上の優遇措置をとる、あるいはNGOに対する寄附金は国の税金、自治体の税金にかえたものとしてみなすことができるというように活性化していくことが一番基本なんだろうと思います。
 それで、それ以上、育成とか言うのはおこがましい。現実にはNGOの方がはるかに現場に近くて、社会の抱えている問題の最前線でそれに触れているわけですから、むしろNGOの活動を自由にできるように支援するというふうにとどまるべきなんだろうと思っています。
○福島瑞穂君 先ほど、植民地支配と戦争の清算の話がありました。それについて、今後どのように考えたらよいのでしょうか。
○参考人(江橋崇君) 何か次々と面接試験のようにいろいろと聞かれるので。いや、しかし議題は極めて深刻な議題でありますけれども。
 先ほど申し上げましたとおり、一つには戦争責任の問題をきちんと処理する。これまたサンフランシスコ平和条約で日本が独立したときに、国民主権も再確認されたけれども、東京裁判も含めて、戦後の、戦後処理の問題と日本の戦争責任の問題も承認して日本は独立を回復しているわけですから、そのことはゆめ忘れることはできないというのが一つ。
 もう一つは、やはり私たちが外国の人と話してどうしてもわかってもらえないのが在日三世という。三世というのは何だねと言うから、いや、いつを起点にして何々法でこうなってああなってこうなって、それの子供のまた子供とか言ったら、わからぬと言われました。いわゆる在日韓国・朝鮮人に関する日本の法的な処遇というものは、国際水準から見るとわからぬというのが基本的だろうと。このようなものではやっぱりいけないのであって、本来ならば日本が終戦後に在日の人々に国籍選択権を認めるべきだったんだと思いますけれども、そこのボタンのかけ違いが大きかったと思いますけれども、今日でも遅くはないので、在日韓国・朝鮮人の人権を保障するという形で、その意味での戦争責任も貫徹すべきだと私は思っております。そのためには、やっぱり地方参政権と国籍条項の撤廃というものを急ぐべきだと政策的には思っております。
○福島瑞穂君 御両人、どうもありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 水野誠一君。
○水野誠一君 ありがとうございます。
 先ほど堀幹事の方から、NPO法案についての名称の問題というお話が出まして、これは、ちょうどあれは自社さ政権のときで私たちは、私はそのころさきがけにおりましたんですが、まさに衆議院から市民活動という名称で来たものを参議院段階でどうしても市民活動という言葉はなじまないと、非常にその当時自民党から強い反対が出てその名称を非営利法人という名称に変えたと、こんな経緯がありまして、私もその場でその動きをまさに当事者として扱ってきたわけでありますが、そのときに、やはり市民という言葉に対する一部の方々のアレルギーというのはすごく強いなと大変びっくりした経験がございます。
 そういう意味では、市民という言葉に明確な定義と、それから市民という言葉に市民権を与えないとこれはいけないんじゃないかなとそのとき思ってきたわけでありますが、最近、地方自治の場からまさに市民というものの実態といいますか、パワーが明確にあらわれ始めてきていると。地方自治体の首長選挙というところで最近次から次に出てきているのが、市民パワーというものが実際に国の政治とは違う一つの行き方というものを提示してきていると、こういうふうに考えております。
 そこで、一つ伺いたいのでありますが、今も何人かの委員から話題になっております地方自治の問題。これは、先ほど江橋先生から、分権推進一括法というものが制定されたことによって国と自治体の上下の関係ではなくて対等関係だということが明確になったということで、これは評価できるというお話があったわけでありまして、まさに私もこの点は非常に重要な点だと思うんですが、江橋先生が言われておりますアメンドメント、つまり増憲的な対応をして憲法をもう少し書きかえていく、つけ加えていくというときに、この地方自治の問題あるいは国と地方との役割分担ということをもしか何か書き加えるとすればどんな点なんでしょうか。この点についてお尋ねしたいと思います。
○参考人(江橋崇君) 増憲の具体的中身の提案について、ここでどこまでお話ししていいのかよくわからないんですけれども、お求めですので簡単に申し上げますと、まず私は、最近でいえば北海道のニセコ町でつくられたようなチャーター、地方自治に関し自治体自身が憲章をつくって、その憲章をもとに地方自治を展開していくのが基本の姿になるべきなんだろうと思います。
 日本の場合は、とてもそこまでさせたら地方自治体なんかに何もできやしないよとかひどいことになるよということもあって、地方自治法以下のたがが非常に強くはまっているかと思いますけれども、もう少し自治体の方でみずからの条例で物をつくれるようにしていただきたい。
 二つ目に、分権推進一括法ができたときに言われたことは、これからの地方自治は首長と議会が車の両輪だと。それだけ地方自治体の議会に対する強い大きな権限が与えられていたように思います。それなのに、実際を見てみますと、先ほど国会がひどいみたいな話を、私の昔書いたものを読まれてしまいましたけれども、地方議会の場合はもっとひどいのでありまして、およそ議員が物を提案するとかそういう能力がほとんどないケースが非常に多いわけでありまして、何とか地方議会を活性化させる、あるいは地方議会が大事だというようなことをうたうような条文があってもいいんではないかと。でないと、今の憲法の地方自治の条文では、何か法律の範囲内で首長が中心になってつくっていて議会は議決機関でみたいなことにおさまっていますけれども、そうじゃなくて、地方は自分たちでつくるんだ、チャーターをつくって自分たちできちんとつくれと、そしてその際には首長と議会とが車の両輪で、それを、地域のことですから市民、市民グループがしっかりと周りを取り巻いている、そして必要な場合は直接民主制的なコントロールを及ぼすという、そういう構造をもう少しはっきりとお書きいただければ。
 そしてもう一つ、地方自治体の方から言わせれば財政自主権について書いてくれと言うと思いますけれども、そこのところの問題もあるかと思いますけれども、そこのあたりがはっきりとしてくればいいのかなというふうには思います。
○水野誠一君 今の関連でもう一つお尋ねしたいと思うんですが、今おっしゃるとおり、首長の権限というものと国の首相の権限というものが実は違うということがあるわけでございますが、これはある意味において国と地方が二重のシステム、違う二つの異なったシステムによって動いているという感じがするわけなんですが、この点というのは実際何か問題があるんでしょうか。それとも、それはまさに全く違うシステムとして両立できるものとお考えなんでしょうか。この点はいかがでございましょうか。
○参考人(江橋崇君) 地方分権が進んでも、実際に分権推進一括法が進んでも、実際には国の省庁の権限と自治体の権限というのがぶつかって、道路の問題、川の問題、あらゆるところでぶつかっているように思います。
 その問題があるのと、もう一つは、国と自治体との間でぶつかった場合の第三者機関の問題で、当初、分権推進委員会では、国と自治体の双方から中立な部分の第三者委員会をつくって、そこが国と自治体の権限紛争は裁定すべきだということを言ったところ、結局国の方のお役人が、憲法六十五条で国の行政権は内閣に属しているんだから、内閣がそんな第三者機関の言うことを聞いて行政権を行使したりしなかったりということ、それは憲法違反だということで、結局諮問委員会どまりにさせられてしまったということがありまして、あの辺、依然としてやはり私は内閣というか国、霞ケ関の方は地方をコントロールしようという考え方は強い。
 もう少し地方自治体にすべて自由にしていくように任せていかないと、世の中はきちんと進んでいかないというふうに思っております。
○水野誠一君 渡部先生に伺いたいと思うんですが、先生のお立場だと、日本国憲法というのは、私の見方なんですが、私の見方といいますか私が拝見していると、根本的に日本国憲法というのは書きかえなきゃいけないんじゃないかというようなお立場かなと思っておりましたら、先ほど江橋先生の増憲論といいますか増憲という考え方をお受けになって、書き加える増憲ということでもというようなことをちょっとおっしゃったような気がしたんですが、増憲という考え方について、渡部先生、いかがお考えなのか。あるいは日本国憲法ということに特定して考えたときには、やはりその増憲というような考え方では不十分とお思いになっているのか。その点についてお尋ねいたします。
○参考人(渡部昇一君) 私は、日本国憲法は本当は無効宣言するのが筋だと思っている者です。というのは、日本はサンフランシスコ条約で独立を回復したときに、独立憲法として新しい憲法を制定すべきであった。その書いている条項は今ある憲法と同じでも構わないのですけれども、日本人がつくったという憲法でないと私は困るというのが基本的な立場でありますが、現実には非常に難しいので、いっそのことイギリス式に無憲法国家という筋もあるのではないかと昔書いたことがあります。
 さらに、現実的になれば、修正条項だけを変えて、変えていくという手もあるであろうと。あるいはもっと別にすれば、占領下に制定された法律を全部無効にして、どうしても必要なものは再制定すると。そうして日本人の気持ちが変わってから憲法の改正の方に進むのもあるだろうと。
 非常にたくさんの筋道を考えておりまして、増憲は私の憲法改正の一つの選択肢にすぎません。
○水野誠一君 ありがとうございました。
 江橋先生にもう一つお尋ねしたいんですが、先生は先ほど参政権、これは選挙権も被選挙権も含めて年齢をもっと下げてもいいんじゃないかというお話がございました。ドイツなんかは十七歳というお話もあったんですが、片方では、日本で最近言われている十七歳の犯罪というようなことも含めて、非常に今このあたりの年齢の問題というのは大きく取り上げられてきているわけですが、逆に、これは先生のお考えでは、こういう若年者にこういった義務と権利というものを与えることによって成長していく、つまりそういった年齢の成熟化ということ、成長ということが促せるというふうにお考えなんでしょうか。
 そのあたりについて、先生の個人的なお考えで結構でございますが、お尋ねしたいと思います。
○参考人(江橋崇君) 私は、少年法の改正のときに、少年法の改正よりももっと前に、やっぱり十七、十八、十九の若者たちに対して権利を認めて、社会の一員としての自覚を促すべきだと思っておりました。
 私は大学に勤めておりまして、私の教えている憲法の授業などでは、一年生、二年生ですので十八、十九、二十でありまして、授業をしながらいつも思うんですけれども、結局この子供たちは選挙権ないんだよなと、何か非常にもったいないという気がしていまして、もし選挙権があれば、何党のだれに入れろというようなことはもちろん言いませんけれども、選挙の日には選挙に行けとか、あるいは君らもう選挙近いんだからもう少しここを勉強しろとかいろいろ言えるなと思いまして、そういった意味で私は、いつまでも子供扱いしないで大人扱いするということが大事なんじゃないかと思っております。
○水野誠一君 ありがとうございました。
 終わります。
○会長(上杉光弘君) 平野貞夫君。
○平野貞夫君 自由党の平野と申します。
 最初に、渡部先生にお尋ねしますが、事前に配付されました資料の中に、先生の論文で「「憲法」が国を滅ぼす」という「諸君」の題が紹介されているんですが、これは現日本国憲法のことなんですか、一般的な憲法のことでございましょうか。
○参考人(渡部昇一君) それは、タイトルは雑誌社がつけるので必ずしも、内容は私の書いたもので判断してもらうより仕方がありません。
○平野貞夫君 私もおととし、「ボイス」に憲法の論文を書きましたところ、「「憲法」栄えて「国」滅ぶ」という題をつけられまして非常に誤解を受けたんですが、やはり私はそのときに本当の憲法政治は日本で行われていないということを書いたつもりなんですが、本当に雑誌社のネーミングというのは問題だと思っています。これは感想で一つ。
 それから、渡部先生にもう一つ教えていただきたいんですが、先生は日本国憲法の最初は明治憲法だということを冒頭おっしゃられたんですが、私は、憲法文化論的に見まして最初の日本国憲法は聖徳太子の十七条憲法にありと、我々がやっぱり憲法を議論するときにそこから腰を据えて学ばなきゃだめだと、こういう思いなんですが、御意見をお聞きします。
○参考人(渡部昇一君) 私は英語の学者なものですから、憲法という言葉、コンスティチューションというのをもとの意味、体質というもので解釈しますと、日本では五回憲法改正があったということを書いております。
 一回目は、仏教を朝廷が受け入れたということですね。日本国はずっと神道の国だったはずなのに仏教まで入れた、皇室まで。これも大変な体質の変化であります。
 第二回目は、頼朝の幕府でありまして、実際の政権が天皇のいるところから離れたところに行ってしまったと。これは大きなことであります。
 第三が貞永式目で、これは主権在民ということをはっきり言って、気に食わない天皇はかえるということまで書いてあるのです。
 それ以後ずっと武家法で明治まで来て、明治憲法で四回目、そして敗戦憲法で五回目と、こう言っております。
○平野貞夫君 最近、アメリカとかオーストラリアで、聖徳太子の十七条憲法から大化の改新は世界の五大改革の一つだったという、そういう研究もなさっているようでございまして、私らも決して笑い話でなくて、日本のよきそういう歴史というものを、これは憲法調査会でも議論する一つのテーマじゃないかと思っております。
 そこで、江橋先生にお尋ねしますが、この日本というのがやっぱり憲法問題を中心に大変いろいろ議論があって、おかしな国というふうに言われておりますが、実はヨーロッパでもアメリカでも、政治のあり方、人間社会のあり方、新しい共同体というのはどうあるべきかという、政治の理念とか人間の生き方、社会のあり方というのがやはり根本的に問われていると、日本だけじゃないと思います。
 それで、非常に私は過激なことを申し上げますが、近代啓蒙主義によるいわゆる憲法、今の日本国憲法もそうなんですけれども、これはできないことを仮定して、それを制度化してテーゼ化したり、あるいはドグマ、ある意味では自由、平等、平和、民主なんというのは、これは現実に不可能なことなんですよ。それを意図的にテーゼ化して、それに実現させていこうという、こういうことで憲法というのは構成されているんじゃないかという思いを持っていますが、いかがなものでございましょうか。
○参考人(江橋崇君) 自由とか平等とか、そういう価値が全面的に実現されていない、あるいはできないのではないかとおっしゃれば、できているということは恐らく言えないと思います。
 ただ、まさにこれは不自由に対する自由、不平等に対する平等という形で磨き上げられてきた概念であったと思います。
 そして、今にして思えば大した自由じゃない、今にして思えば大した平等じゃないと思っていても、当時自由ということを唱えた人たちはこれが自由なんだと思い、その自由のために自分は闘って死んでもいいというふうに思ったと思います。そういった意味において、自由とか平等というのはできないことを言っているだけじゃなくて、これが自分たちにとって大事なことなんだという実感を人々に与えた言葉だというふうに思っております。
 それは、最近でいうと、例えば在日の人たちの指紋押捺の問題がありました。一九八〇年代になって、あれは人権と差別の問題だという形で一気に燎原の火のように広がって、今日のように御承知のとおり指紋押捺廃止にわずか二十年でなったわけでありますけれども、ではどうだったかというと、戦後、五〇年代からずっと指紋押捺の制度は続いていたわけであります。ただ、指紋押捺というのは嫌だなというふうに在日の人たちが思っていた場合に、それが差別の問題だ、あるいは人権侵害だ、国際人権規約で保障している人権の侵害なんだという言葉が出されたときに一気にその火が燃え広がったということは、やっぱりあのときには差別とか人権侵害という言葉が人の心をとらえる価値があったんだろうと思います。
 また、世俗な話でさらに引き続いてしまいますと、世俗と言うと怒られちゃいますけれども、嫌煙権。嫌煙権という言葉は唱えられて半年で日本じゅうに広まりました。嫌煙権とは嫌という字もあって何か日本語としては余り美しくないこともあって、もう少し穏やかな言葉をと言われたにもかかわらず、嫌煙権はあっという間に広まってしまったというのは、やっぱり嫌煙権という言葉が出てきたときに、それまで実はたばこの煙で嫌だな、困ったな、自分の体、健康が不安だなと思っていた多くの人々がこれだというふうにいわば人々の心をつかまえたと。だから、言葉は人心を得たとき力になるということだと思うんです。
 自由とか平等という言葉もそうでありまして、具体的に例えば農奴がどうしたとかプロレタリアートがどうしたという、こういうふうにいろんな問題があるときに、それに対して自由でいこう、平等を回復しようといったときに、そうだと人々が奮い立つ、私はそれを闘う言葉と思っていますけれども、そういう闘う言葉だったんだろうと思います。
○平野貞夫君 そういう意味で、江橋先生が国民主権を市民が主人公になる政治というふうにそこをダイナミックに概念づけられている、定義づけられているということは、ある意味では非常に正しいことであり、立派なことだと思います。
 自由党は国民が主人公になる政治というのをテーマにしておるんですが、そこで私は、産業社会の時代は一種の自由、平等が闘う言葉であってもいいかもわかりませんが、情報文化社会に移行している、もうなっているわけですが、そこではやっぱりちょっとダイナミックな先生のような発想が必要じゃないかという、こういう私は評価をするわけでございます。
 そこで、江橋先生にひとつお聞きしたいのは、先ほど来いろいろ議論になっております市民という概念なんですね。先生は市民社会をシビルソサエティーといってこれは公的意識を持ったものをいうんだという、市民を普通の人と、こういうふうに言っているわけですが、私は市民もやっぱり公的意識を持った人というふうに理解すべきじゃないかという意見ですが、いかがでございましょうか。
○参考人(江橋崇君) 私が市民社会と言った場合は社会という言葉が、日本だと社会というと何か人々が一緒にいると社会という感じですけれども、やっぱりソサエティーという言葉には何か共通の目的を持った能動的なグループという意味合いがあるように思うんです。
 ですから、市民と社会とが結びつくと、やっぱり公徳心を持って世の中のために何とか貢献しようと思っていわば私利私欲をある程度離れて頑張る、そういう市民集団という意味なので、市民社会というのはおっしゃるとおり非常に公共的なものだと思うんです。ただ、それから切り離された市民というだけの言葉ですと、私はだれでも市民というふうに考えちゃっていまして、申しわけございません。
○平野貞夫君 私は四十数年前、法政大学でシビルパワーという言葉を、これはいわゆる公的権力だ、いわゆる市民側の権力じゃなくて、シビルパワーといえば国家権力だというふうに訳すべきだいうことを教わったことを記憶しております。
 ですから、シビルとかという、本当のヨーロッパのデモクラシーのところでは公的意識を持った普通の人といいますか、そういう概念でないと、やっぱり情報文化社会、これからの国家機構あるいはデモクラシーというのはうまく機能しないんじゃないかと、こういう意見でございます。
 御意見がございましたらおっしゃっていただいて、終わります。
○参考人(江橋崇君) その御趣旨は全く賛成でして、私はヨーロッパにおいてそうであるだけでなくして、日本でも例えば江戸時代に大坂で、大坂の町人たちの間で町人儒学というのが発生していますけれども、あの町人儒学の人たちは士農工商という身分制度で四番目に位置づけられていた商業を扱う自分たちであっても、泥棒まがいのものでなくて社会の公共のためにきちんと尽くせるんだ。そういった意味において、産業活動あるいは経済活動、まずは経世済民ですから、世をはかって人々を救う活動なわけで、経世済民活動を通じて、あるいはそれに伴う今日で言うメセナ活動みたいなものを通じて社会のために尽くすんだというふうに言い切った、極めて私は尊敬すべき伝統が日本にもあると思います。
 ですから、市民というか実際に生きている一人一人の人間が、自分の立場の中でやっぱり社会、公共のためにきちんと尽くすんだという意欲を持つべきだと思います。残念ながら、日本で世論調査をすると、若者の間でそういう意識を持っている人は四%とかいう、もうどうしようもない数が出たりしますけれども、そういった意味において、私はやっぱり、私の言う一億二千万だれでも市民が、先生のおっしゃる公徳心を持っている市民というふうにどうやったら意識が啓発されていくのか、改革されていくのかというところに大きな課題があるという点では、全くそのとおりだと思います。
○会長(上杉光弘君) 島袋宗康君。
○島袋宗康君 二院クラブ・自由連合の島袋です。
 渡部先生にちょっとお伺いいたします。
 資料によって先生が書かれたものを拝見いたしますと、日本国憲法はマッカーサーに押しつけられたいわゆる自主憲法草案に基づいて、言論統制を受けていたGHQによる占領下で定められたものであるから、国民の総意に基づいて定められたものではないとの御見解のように思われます。当時の帝国議会における審議を経たというその経過と帝国議会の審議の位置づけについては、どのように解しておられますか。
 また、マッカーサー率いるGHQが日本を占領したのは日本がポツダム宣言を受諾した結果でありますが、同宣言は軍国主義的助言者と日本国民を区別した上で、日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべしと十項で言っている。そして第十二項で、日本国民の自由に表明する意思に従い、平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立せらるるにおいては、占領軍は撤収せらるべしとも言っております。
 したがって、GHQの占領行政と日本国憲法制定に至る一連の経過は、国際法にのっとったものと言えるのではありませんか。GHQが戦時国際法にあるハーグ陸戦条約等、国際法の常識や学説を全く無視したとの御見解に立っておられますけれども、当時の日本がこのポツダム宣言を受諾して敗戦に至り、被占領と日本国憲法の制定に至ったという事実とその法的な意味についてはどのように御見解を持っておられるか、ちょっとお尋ねします。
○参考人(渡部昇一君) マッカーサーは、国際法に違反して日本国憲法を制定させました、と私は思っております。
 そして、日本国憲法の制定の間、占領軍及び憲法に関して一切の批判が禁じられておったということを御存じないとは思いません。そしてまた、当時のマッカーサーの日本観というのは、戦時プロパガンダ的日本観であったと思っております。そもそも、日本に対する考え方が全然違う。日本は、さっきも申しましたように、明治憲法によって日露戦争に勝ちながらも、その後は民主的な方向に向いておったんです。軍縮もしておるんです。それがなぜそうでなくなったか。
 そしてアメリカは、当時のマッカーサーは日本を侵略国と規定して東京裁判をさせましたけれども、彼はアメリカへ帰ってから、アメリカの軍事、外交をつかさどる最高唯一のと言ってもいい公の場で、この前の戦争に日本が入ったのは主として自衛のためであった、セキュリティーのためであったと断言しております。残念ながら、これは日本のマスコミで大きく報道されたことはありません。朝日新聞の縮刷版でもこの辺は省かれております。しかし、私はこれは原文を、当時のニューヨーク・タイムズに全文が出ているんですが、持っております。
 ですから、マッカーサーが否定したようなことをなぜ日本の国会議員の方が今なお振り回して日本が侵略国家であるとかなんとか言っているのか、私は非常に理解に苦しむことであって、いまだもってマッカーサーのマインドコントロールにかかっている方がいらっしゃるという見解を持っております。
○島袋宗康君 江橋参考人にお伺いします。
 江橋先生は、日本国憲法の基本原則である議会制民主主義が形骸化している点について書いておられます。議会による国政コントロール装置が機能不全に陥っている点を幾つか指摘されております、国政検査権であるとか議院内閣制であるとか。
 そこで、まず、議院内閣制の機能を活性化させるために、内閣総理大臣がかわった時点で常に総選挙を実施して主権者である国民の意思を問うという慣例なり仕組みなりを確立する方法はないものかどうかという点について、御意見を伺いたいと思います。
 もう一点は、主権者である国民の大多数が国政の関心を失い、自分たちの代表を選ぶための選挙に参加し積極的な意思表示を行わないという現状を改善する方策について、何かお考えがありましたらお聞かせ願いたいと思います。
○参考人(江橋崇君) 前者の、内閣が交代した場合に民意を問うて内閣の支持を確認するということは、私は本来、衆議院の解散制度に予定されていた重要な一つの柱だったと思っております。以前は随分そのことも議論されておりましたけれども、何しろ一九九〇年代になってくるくると一つの議員の任期の間に五回内閣がかわるとか四回かわるとかという時代が続きますので、そういうことがうまく機能しなくなっていって、したがって内閣の成立を国民にきちんと意思を問うということがうまくいかなくなっていたということが私は五人の密室劇による森内閣の創造を生み出したと、極めて残念なことだと思っております。
 それともう一つ、国民主権の空洞化と言ったらいいんでしょうか、国民主権だと言っているのに肝心かなめの国民が、市民が選挙に行かないではないかとおっしゃる点は全くそのとおりだと思っております。
 ただ、一つ言えるのは、市民は自分の支持政党を選んで、その支持政党の人を投票しに行くという昔のような選挙ではもうなくなっちゃったんじゃないか。今から二回ぐらい前の選挙のときから、有権者が投票所で投票ボックスに入ってからの滞在時間が妙に長い。それはつまり、実際に投票用紙に鉛筆を持って名前を書こうというときになお迷っている、そういう主権者が非常にふえている。出口調査をすると、何々党に入れましたというのはわかっているけれども、だれに入れたかというと名前が言えないとか、あるいは何とかさんの推している人とかというふうに、非常に候補者とか政党とかというものが有権者一人一人の心の中にくっきりと刻み込まれていなくなってきちゃったのではないか。どちらかというとワンイシューみたいな、このポイントについてこうだとかというところで投票している。
 これを堕落と見るのか、それとも成熟と見るのかというのは両面ありまして、御承知のとおり、今や日本の各政党とも、選挙の日にワンポイントイシューで雲霞のように十数%の無党派層があらわれたら我が党の政権はつぶれるとか、みんなそう思っているわけでありまして、そういう意味で、ワンポイントイシューで出てくるかもしれないし、ふだんは余り出てこないという有権者が出てきたことは、私は余りいいことでもないと思うんですけれども、そう簡単に国民主権原理が空洞化しちゃって日本の前途は真っ暗だとも見えない。むしろ、ワンポイントイシューでも出てきてもいいかなと思っている人たちが実際に投票所に足を運んでくれるような政策とか候補者を用意することが各党の選挙における仕事であるし、そこがきちんといけばやっぱり国民主権、市民が主役になって物事を決めていく選挙になるだろうと思っております。
○島袋宗康君 時間ですので、終わります。
○会長(上杉光弘君) 時間が参りましたので、本日の質疑はこの程度といたします。
 参考人の方々には大変貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 次回の調査会は四月十八日午後一時に開会することとし、本日はこれにて散会いたします。
   午後三時散会

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