第154回国会 参議院憲法調査会公聴会 第1号


平成十四年二月二十日(水曜日)
   午前九時開会
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   委員の異動
 二月十九日
    辞任         補欠選任
     大塚 耕平君     山根 隆治君
 二月二十日
    辞任         補欠選任
     山根 隆治君     岩本  司君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         上杉 光弘君
    幹 事
                市川 一朗君
                加藤 紀文君
                谷川 秀善君
                野沢 太三君
                江田 五月君
                高橋 千秋君
                魚住裕一郎君
                小泉 親司君
                平野 貞夫君
    委 員
                愛知 治郎君
                荒井 正吾君
                木村  仁君
                近藤  剛君
                斉藤 滋宣君
                桜井  新君
                陣内 孝雄君
                世耕 弘成君
                中島 啓雄君
                中曽根弘文君
                服部三男雄君
                福島啓史郎君
                松田 岩夫君
                松山 政司君
                岩本  司君
                川橋 幸子君
                北澤 俊美君
                小林  元君
                角田 義一君
                直嶋 正行君
                堀  利和君
                松井 孝治君
                山根 隆治君
                高野 博師君
                山口那津男君
                山下 栄一君
                宮本 岳志君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                田名部匡省君
                松岡滿壽男君
                大脇 雅子君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       桐山 正敏君
   公述人
       専修大学法学部
       教授       隅野 隆徳君
       弁護士      早川 忠孝君
       日本婦人有権者
       同盟事務局員   本田 年子君
       自治体問題研究
       所・研究担当常
       務理事      池上 洋通君
       埼玉県議会議員  舩津 徳英君
       中国短期大学幼
       児教育科専任講
       師        松井 圭三君
       ジャーナリスト  山本 節子君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (国民主権と国の機構
  ―国会の在り方と二院制
  ―地方自治と地方分権の在り方)
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○会長(上杉光弘君) ただいまから憲法調査会公聴会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、「国民主権と国の機構」のうち、「国会の在り方と二院制」及び「地方自治と地方分権の在り方」につきまして、お手元の名簿の七名の公述人の方々から御意見を伺います。
  午前は、「国会の在り方と二院制」につきまして、専修大学法学部教授隅野隆徳君、弁護士早川忠孝君及び日本婦人有権者同盟事務局員本田年子君、以上三名の公述人の方々に御出席いただいております。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本調査会は、平成十三年当初から「国民主権と国の機構」について鋭意調査を進めているところでございます。
 本日は、「国民とともに議論をする」という本調査会の基本方針を踏まえ、これからの国会の在り方、二院制の中で参議院が果たすべき役割などについて、幅広く忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の調査に資してまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、まず公述人の方々からお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきます。
 なお、公述人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず隅野公述人お願いいたします。隅野公述人。
○公述人(隅野隆徳君) 隅野と申します。憲法学を研究している者としまして、その立場から意見を述べさせていただきます。
 国会は、主権者である国民の直接の代表機関として、その在り方について理論上も実務上も様々な問題が検討されてきました。
 例えば、それを事項として列挙しますと、国民代表制と選挙制、国権の最高機関性、立法機関としての位置、議院内閣制として内閣との関係、特に当初は解散権の問題、また今日では内閣権限の強化による国会の審議権の形骸化の問題、あるいはまた国政調査権の在り方の問題。また、司法、裁判所との関係では、違憲とされた法令への国会の対応、特に問題になりましたのが刑法の尊属殺規定の問題です。また、弾劾裁判所の在り方の問題等々があります。
 そのうちで、二院制に関し、参議院の位置と役割を国民との関係を中心にして考察したいと思います。
 国会の在り方の中で、参議院改革問題は日本国憲法の施行以来いろいろな形で取り上げられてきました。今、その五十数年の歴史を概観することも一定の意味があるのではないかと考えます。日本国憲法の制定過程で、GHQ案の一院制案を国会議員の公選制を条件に衆議院、参議院の二院制になった経緯がありますが、それも今日でも参考になります。
 また、一九五〇年代から六〇年代には、当時の改憲論とも結び付きまして、参議院議員の選出方法として間接選挙制案や推薦制案も登場しました。しかし、現在では公選制による国民代表機関として参議院は定着していると言えます。また、一九七一年以降、参議院での与野党伯仲の時期に、参議院の運営面の改革として参議院の独自性確保のためということで、議長、副議長の党籍離脱、参議院から国務大臣等を出さないように自粛すること、あるいは党議拘束の緩和等の提唱がされ、また具体化がされました。
 一九八〇年に衆参同時選挙があり、自民党が圧勝した下で、一九八二年に参議院の全国区制が廃止され、比例代表制の拘束名簿式が導入されて政党本位の選挙になったということは、参議院にとっての大きな転機と言えると思います。
 一九八〇年代後半以降、連立政権の登場とともに参議院と衆議院との関係が特に問題となり、その中でも、一九九八年七月の参議院通常選挙で自民党が言わば大敗をしたことを契機に、衆議院、参議院各院の党派構成において与野党間に言わばねじれ現象が生じました。それが国会運営の上で衆議院、参議院両院における絶対多数議席の確保を専ら追求するような形で連立政権が形成されるということにもなって、社会的にも問題にされています。
 この間、なお、一九八六年に参議院に独自に設置された調査会が長期的、総合的観点から一定の成果を上げ、また常任委員会の再編成の取組など、参議院自体での改革の進展が注目されます。
 これらの歴史的経験を踏まえ、また将来を展望して、以下、次の三点につき言及したいと思います。
 第一に、憲法四十三条一項に基づき参議院が全国民の代表機関であるという性格は尊重され、また発展されるべきことが指摘できます。
 二院制における第二院の在り方としては、世界的に見ても、一つには貴族院型、例として明治憲法の例、第二に連邦型、例としてアメリカ、第三に民主的な第二院型、例としてフランスの第三及び第四共和制、この三つに大別されます。日本の参議院がその第三の型に属することは周知のとおりです。
 そして、第二院の存在理由としては、歴史的に、貴族院型から連邦型若しくは第二院型へ移行したことに伴い、以下の二点が指摘されます。
 第一に、下院での性急な行為や、場合によっては過誤の是正、回避という任務、第二に、民意を確実に反映させるということが指摘されます。参考までに指摘すれば、歴史的にも長い経験を持つイギリスの貴族院も、現在、世襲貴族議員の権限制限と公選制への移行過程にあることが注目されます。
 日本国憲法において、内閣総理大臣の指名で衆議院が優越すること、また衆議院にのみ内閣の不信任権があること、他方、参議院には解散がなく、議員は六年の長期の任期を持ち、そして三年ごとに定期的選挙によって民意が表明され、そのことは、他方で衆議院の解散及び総選挙が言わば政治的な性格を強く持って行われることと相まって、参議院独自の重要な役割をしていると言えます。総体として、日本国憲法の二院制は妥当な基本制度になっていると言えると思います。
 しかし、現憲法の運用上の制度においては多くの問題点があると言えます。例えば、つい最近のことでは、二〇〇〇年に参議院比例区選挙の拘束名簿式を非拘束式に変更したことが、国民としてみれば十分審議されないで強行された嫌いを指摘せざるを得ません。
 しかし、それ以上に参議院選挙区選挙において議員定数が過度に不均衡であるということが多く指摘されます。また、その点で最高裁判決も幾つか出ておりますが、参議院の選挙区選挙での言わば地域代表的性格を人口比例原則に対して強調する側面もあるということが問題として指摘できます。そのことに国会自身が依拠するとすれば、それは一層また問題であると言うことができます。
 問題は、何よりも国民の意思の議席への公正な反映のための選挙制度を追求するということが大事であると思います。そして、その点で、十八歳選挙権を日本では認めておりませんが、これは今日の世界的な趨勢から見ると大変立ち後れているということで重大な問題と言えましょう。また、女性の国会議員が日本では諸国に比べると少ないということが指摘できます。もしそのような選挙制度があるとすれば、あるいはそういう役割を果たしているとすれば、それは大きな問題であると言うことができると思います。
 また、衆議院、参議院の議員選挙に共通して、国民の選挙運動の自由に対して大幅な法的規制があるということが言えますし、この点での改善が早急に求められていると言えます。
 例えば、戸別訪問の禁止とか文書図画活動の大幅な規制と言うことができます。とりわけ戸別訪問というのは、今日では欧米諸国では普通のことであって、日本の歴史で見ると、明治憲法下、一九二五年に普通選挙制が導入され、同時に治安維持法が導入されたときにこの戸別訪問禁止が導入されたというもので、それが今日に引き続いているということは大きな問題です。
 それらに見られることとして、国民を言わば愚民視するということが指摘されます。国民を、やはり主権者として自覚を持たせるような制度を選挙制なりあるいは公職選挙法の上で保障していくということが何よりも重要ではないかと思います。
 次に、第二に、国会における慎重な審議の保障によって国民の知る権利と国民の政治的判断への貢献が国会においては特に必要であり、しかもその点で特に参議院の役割が重要であると言えます。衆議院が、内閣形成の主導権を持つだけに、言わば政治の論理、数の論理に左右されるということはある面でやむを得ないとしましても、参議院は政権形成から一定の距離を置くということは重要な意味があります。
 したがって、憲法学界でも指摘されてきましたように、例えば参議院は国務大臣等を送らないということとか、あるいはまた長期的視野に立った政策立案と行政・内閣監視をすること、そして少数勢力や少数意見の審議を尊重し保障していくということ、そして国民への情報公開、国民世論との交流の開拓によって参議院の独自性を追求するということが重要ではないかと考えます。
 その過程で、参議院の言わば政党化を否定したり若しくは消極的にとらえる意見があります。しかし、それは今日では非現実的であると言えるのではないかと思います。議会政治が政党政治となることは必然的であると言うことができますし、問題はむしろ政党政治の内容と質のいかんにあると言うことができます。
 とりわけ、今日では国民における無党派層が増加しているという状況に対して、政党の体質を改善し民主化していくこと、また政党が選挙政策への対応の積極的な姿勢を追求していくことが一層求められていると言えると思います。
 第三に、衆議院、参議院間の与野党議席数の言わばねじれ現象問題との関係で、日本国憲法五十九条二項による参議院の言わば厚い壁が問題になっています。
 参議院で法案を否決した場合、法律案再審議の要件として衆議院で三分の二を必要とするという規定は、それは憲法学としてとらえてみると、衆議院の過度の優越を抑え、国会における慎重審議と国民の意思の公正な反映を保障するものと言えます。その点で、現憲法は、参議院の役割を衆議院に対し単純に劣った位置、劣位に置いているとは言えません。
 そのことに関し、衆議院と参議院の関係を権限上明確に役割分担させ、場合によっては両者を拮抗関係に置くことを主張する考えもあります。それは、改憲論などにおいても今日見られるところです。例えば、内閣総理大臣の指名権を衆議院に限定するとか、あるいは条約承認権を参議院に特定させるなどの考え方です。しかし、日本国憲法の規定するところでは、衆議院の基本的優位の下で参議院が衆議院の是正もしくは補充の任務を果たすという構図が設定され、それをいかに運用、展開していくかが重要であると考えます。
 国民の直接選挙によって構成される衆議院と参議院は、国民の言わば流動的で多角的な意見ないしは利益を衆参ともに相互に補完、協力して具体化させ、総体的な国民意思として形成、実現する任務を負っていると言えます。その点で憲法学説上は若干の意見の差はあることは明らかですが、しかし基本的な認識、把握では共通していると言えます。
 以上で終わります。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、早川公述人にお願いいたします。早川公述人。
○公述人(早川忠孝君) 早川でございます。
 私は、現在のままの参議院がこのまま続いていけば、いずれ参議院は要らないという、そういう世論が大きくなるのではないかというふうに考えております。そういう意味で、今日は衆議院の予算委員会で、まあ言ってみればワイドショー的な国民の関心が寄せられておりますけれども、実はこの参議院の役割こそがこういった国家の重要な課題についての審議をするという意味での本当に大事な存在であるということを強く認識をしております。
 お手元に配付しておりますレジュメで御説明を申し上げたいと思います。
 まず第一に、我が国の憲法についてでありますけれども、我が国の憲法、世界に誇れる先進的な新しい憲法だと、こういう認識がいまだに国民の間には強いかと思います。しかしながら、比較憲法の立場からいって欠陥憲法であるというふうに主張される学者の先生もおられます。
 日本の歴史を振り返って考えますと、まさに昭和二十一年、五十六年前、二月の十三日にマッカーサーの憲法草案が日本国側に交付されました。ポツダム宣言を受諾してから、ちょうど六か月後に英文での憲法の草案を受領したわけであります。それから約一か月足らずのうちに日本側で憲法改正草案を作りました。三月の六日でございます。六日六晩で作られたというこのマッカーサー憲法草案ですけれども、今から考えますと、相当内容的には優れていたものがあったと思います。
 その憲法草案では、我が国の国会の在り方については一院制が提唱されておりました。当時の我が国の帝国議会は貴族院と衆議院の二院でありました。この衆議院は、実は前年度に解散をされていまして、およそ国会としての機能を果たしていない、その間に我が国の憲法が作られる、そういう作業が始まっておりました。貴族院という二院制の伝統を持っている我が国の憲法学者としては、あるいは当時の当局者としては一院制よりも二院制の方がふさわしいということで、当時の松本烝治国務大臣は二院制を主張しました。
 この二院制の機能は、職能代表制あるいは勅選の議員でもって選ぶという、そういった直接選挙によらない二院制を提示いたしました。しかしながら、これは日本国の民主化を図るというその大きな流れの中では一蹴されました。結局、二院制を採用するに至りましたけれども、しかし第二院である参議院は公選によることとなりました。
 四月に帝国憲法改正案が内閣から国民に知らされました。その三月から四月までの約一か月間の間にどのような検討作業があったかといいますと、当時の占領軍の総司令部との間に四回にわたる読会を開催し、英文で示された草案について、これを日本流に受け入れるとしてどういう制度がふさわしいかということの検討会を開催いたしました。
 しかし、残念ながらこの二院制の内容については、当時の帝国議会あるいは有識者の間でもどういう制度にしたらよろしいのかという案ができ上がりませんでした。共産党もあるいは当時の社会党も一院制が望ましいという主張をされておりました。二院制を主張される方々は、この第二院である参議院は職能代表的な機能を果たさなければならない、このように主張をされました。
 第一院である衆議院と第二院である参議院、この二院の構成は決まりました。しかし、その具体的な組織をどうするかについては、実は帝国議会が開催されてからも内容が全く詰まっておりませんでした。
 衆議院は四月十日、選挙がありました。六月になってから帝国議会の審議が始まったわけであります。しかし、この衆議院選挙、実はかつての翼賛選挙で当選した衆議院議員が約九〇%公職追放になって、全くこれまでの日本を支えた主要な議員が議席を得られないと。貴族院の中でも、公職追放になって、勅選で議員を追加補充するという、そういういびつな構成での帝国議会の審議が行われたわけであります。
 衆議院で附帯決議がなされました。お手元のレジュメの中に資料として、日本国憲法で参議院制度が採用されるに至った歴史的経過を記述してまいりました。詳しくはこの資料を見ていただきたいと思います。
 八つの参議院についての組織あるいは選挙についての提案が検討をされました。しかし、職能代表的な参議院にするということについては技術的に大変不可能であるということから、実は日本国憲法についての審議がすべて終わった後に、参議院の組織についての参議院議員選挙法案要綱が決定に至っております。すなわち、十月の七日に、貴族院本会議での修正可決を経て衆議院に回付された後、衆議院本会議で日本国憲法が可決、成立をしております。その後の十月の二十二日に、臨時法制調査会総会で参議院議員選挙法案要綱が決定をされたわけであります。衆議院特別委員会における附帯決議とは全く抵触するような内容の参議院になったわけであります。
 ビートたけしさんが、衆議院と参議院が全く同じことを決めるのであれば、そんな参議院は要らないと述べていたことがあります。正にこれからの参議院の在り方が問われているところだと思います。
 そこで、これからの参議院はどうあるべきか。
 私自身、かつて二回衆議院選挙に立候補し、参議院選挙にも立候補させていただきました。日本の選挙制度は大変ハードルが高うございます。特に、参議院の場合は一人一人の有権者と参議院議員候補者との間では大きな溝があります。だれも、どんな人が候補者であるか、どういう活動をしているのか、これから何をしようとしているか、そういう情報を自ら積極的に得ようとしない、そういう風土の中で参議院選挙が行われております。
 私は、日本国憲法の検討の際に、参議院を正に良識の府にするという、こういう理想を持っておられた方々のためにも、本来的に参議院がその役割を果たすようにしていかなければならない。
 そのためにどうしたらよろしいか。
 選挙を経験しますと、やはりあらゆる選挙は政党の助けがなければ全く遂行することが不可能であります。選挙がある以上は政党がせざるを得ない。国民の代表である衆議院と参議院が全く同じような構成になり、同じような役割を果たしていくことになりかねないのであります。
 どういうふうにこれを克服するか。
 第一に、間接選挙の方法を採用することはいかがかということであります。
 世界では一院制の国が二院制の国よりも倍あると報告されたことがございます。もちろん、先進二十一か国の中では二院制がほとんどであります。しかし、国民の意思を素直に代表するという意味では一院制がより望ましいのではないかと言われております。二頭立ての馬車を考えていただきたいと思います。国民の意思を代表する第一院と第二院が右と左に走ってしまえば、国家の運営は一歩も進まなくなってしまいます。
 大きな欠陥を内蔵するこの二院制を変えていくためには、私は変則的二院制あるいは二層制の国会制度を導入してはいかがかと考えております。それは、職域の代表であり、訂正します、職能の代表であり、あるいは地域の代表であり、あるいは真に衆議院の様々な暴走を抑止する機能を持った第二院である参議院を構成しなければならない。それにふさわしい各種の専門家を参議院の場に次から次へと採用していただきたい。そのためには、場合によっては国民の直接の選挙で選ばれる衆議院で参議院の候補者を選んでいくというような二層制にしてはいかがかと考えるのであります。
 任期が、参議院の場合には六年というふうに衆議院よりもはるかに長く、かつ身分保障もより優位なものが保障されております。参議院議員のこの身分保障は、当然、国民に対する責務の大きさと対応するものでなければならないと考えるのであります。国民に対する責務、すなわち参議院議員の一人一人が、国家のために、国民のために何をなすべきかということを明確に認識しておかなければならないと思うのであります。
 私は、日本に憲法裁判所がないということは、憲法に従った行政あるいは立法、隅々までの憲法を行き渡らせる、そういう制度的な保障がないのではないかというふうに考えております。
 フランスでも、またイギリスでも、憲法裁判所あるいは憲法院という考え方が採用されております。イギリスの場合には、貴族院の中に約十五名の憲法裁判所を貴族院議員で構成する、こういう制度がございます。連邦の大統領等の経験者等をメンバーとするフランスの憲法院構想も、正に個々の法令あるいは通達等について予防的な憲法審査をすることができる。司法の場で憲法との抵触関係を審査する、そういった個別的な具体的な憲法審査でなく、抽象的な憲法審査が必要なのではないかというふうに考えております。
 そのためには、立法機関の中に憲法に対しての抵触関係を審議する専門的な機関を設けることが正に良識の府である参議院に最もふさわしい職責ではないかというふうに考えております。そのために大事なことは、政党支配から自由になった参議院を構成することではないかと考えております。
 今、改革の動きが大きく、大きな流れを作っております。この改革の流れを本格的なものにするために、私は、参議院がいわゆる抵抗の府ではない、チェックの府ではない、提言の府である、国民のために何をなすべきかということを専門的に、安定的に、継続的に審議し衆議院に提起するような、そういう機関に変質をしていただきたいと思うのであります。
 改革が求められております。今改革が必要なのは、国民がそれを求めているからであります。そしてまた、改革を実現するためにはスピードが求められているのであります。我が国の憲法審議が始まって六か月以内で日本国憲法が成立しました。憲法調査会、六年間、憲法調査会はたしか五年間の存続期間と聞いておりますけれども、もっと早く日本国憲法についての問題点を調査し、これからの日本の歩むべき道を是非ともお示しいただきたいのであります。
 参議院の先生方が自らの立場のありようを見詰め直して、ひょっとしたら自分たちの存在の基盤を揺るがすことになるかもしれないけれども、しかし、これからの日本のためにどうあるべきかということを是非御提言いただきたい。明治維新と同じことが今我々に求められているのではないかと思います。
 以上で発言を終わります。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、本田公述人にお願いいたします。本田公述人。
○公述人(本田年子君) 本田です。よろしくお願いいたします。
 最初にお断りしておきたいのですが、私は専門家でも研究者でもありません。一般有権者ですから、多少的外れなことやあるいは口の悪いところがありますが、御容赦願いたいと思います。
 さて、第二院である参議院は、本来、数の衆議院に対して理の府として数や力の論理に拘束されない参議院の独自性があり、その独自の役割や機能があるはずです。
 しかし、参議院の現状は、衆議院のカーボンコピーと言われたり、参議院無用論まで出ています。私たち一般有権者の間でも、参議院が政党化し、多くの議員が党利党略で動いていることや、衆議院で落選した人がつなぎに参議院に回ったり、あるいは任期中にも補選で衆議院にくら替えしたりすることなど、また、民意を尊重してはっきり物を言ってくれる無所属の議員がほとんどいないことなどで、参議院は一体何しているのか、今の参議院には独自性がない、参議院の存在の必要すら感じられないと言っている人がたくさんいます。ましてや、参議院については、選挙で当選したタレントと言われる人や有名人の議員に親しみを感じる程度しか関心を持っていない人も更にたくさんいるのです。
 また、次のことを言うのはちょっと気が引けるんですけれども、町の声としてお聞きいただきたいと思います。
 参議院が衆議院でのごちゃごちゃした政党間の対立をそのまま引き継いで、余り審議もしないで衆議院と同じように決めてしまったり、議会中居眠りをしている議員の姿を見ると、自分たちはささいな収入を得るために毎日汗水垂らして一生懸命働いている、そしてその上がっちり税金を取られている、その税金の中から高額な議員歳費が使われていると思うと、もうやっていられない気持ちになると言っている人も結構います。
 このような批判はともかくとしまして、参議院に関心を持たない有権者がたくさんいることは、まず、参議院選挙で有権者が参政権をどの程度行使しているか、また行使した一票がどのように生かされているか、あるいは生かされていないかを見れば分かると思います。
 ここ十年間の参議院選挙の投票率を見ますと、一九九二年の第十六回が五〇・七%、十七回は半分も行かない四四・五%です。十八回が五八・八%、そして昨年七月の第十九回が五六・四%となっています。投票率は低く、これらの平均は五二・六%です。棄権している人が平均四七・四%もいて、半数近くの人が選挙に行っていないのです。
 次に、私たち有権者が行使した一票が生かされているのか、自分たちの意思を代表してくれる代表をどの程度この参議院に送り出しているでしょうか。
 お手元に配付してあります資料をごらんいただきたいと思います。資料の中に資料1、2、3と振ってありますが、資料1は第十九回、資料2は第十八回の参議院選挙の結果分析ですが、各党の得票率とそれから支持率。この支持率というのは、各党の得票数を全有権者数で割って求めた割合ですが、それと議席率を一覧表にしたもの、それからその一覧表を目で見て分かるように図にしたものです。あとは、当選された方々の選挙区における得票数と支持率とを一覧表にしたものです。
 まず、十九回参議院選挙の資料として資料1の2でそれをごらんいただきたいんですが、選挙区を見ますと、当日有権者の数は一億百二十三万六千二十九人、これを一〇〇%としまして、そのうち投票に行った有権者は、つまり投票率は五六・四%です。そのうち、自分が、投票に行った人のうち、自分が投票した候補者が当選したという有権者は、生きた票ですね、これが三三・六%。つまり、この人たちが代表を送り出せた有権者です。そして、投票した候補者が落選してしまった有権者、死票ですね、これが二二・八%。この人たちは代表を送り出せなかった有権者です。そして、それから投票に行かなかった有権者がいます。この棄権率が四三・六%。この人たちは代表を送り出さなかった有権者です。つまり、わずか三三・六%の有権者が自分の意思を反映してくれる代表を参議院に送り出したのみで、有権者の六六・四%は代表を送り出していません。十八回のときはもっと低く、二二・七五%の有権者が代表を送り出しただけです。
 次に、各党の議席率についてですが、たった三三・六%の有権者で支持されて当選した人たちの政党への議席配分を見ますと、自由民主党はわずか二二%の有権者の支持で定数七十三人中四十五人が当選し、議席率は六一・六%も占めています。民主党は七・五%の支持で十八人当選し、議席率二四・七%となっており、議席率は大政党に有利な結果をもたらしています。あと、公明党が五人、自由党は二人、無所属二人、共産党一人となっています。
 この結果では、有権者の意思は正しく反映されていないばかりか、私はゆがめられているとさえ言えると思います。いかがでしょうか。
 こうした有権者の一票を生かせない選挙結果が多くの有権者に、自分が一票入れたからといって大勢が変わるわけではないとの気持ちにさせてしまっているのです。政治に関心を持たず、お任せ主義で、選挙に行かない有権者が悪いという声もあります。確かにそれもそうです。しかし、私は、それ以上に、党利党略で改正されたと言われている選挙制度に問題があると思っています。
 第一院の衆院をチェックする機能を持つ第二院としての参議院は、第一院とは異なる時期やあるいは異なる選挙方法で議員が選ばれ、有権者の多様な意思を公平に代表するはずではなかったのでしょうか。しかし、理の府であるべき参議院の選挙制度は、政党中心の数の衆議院の選挙制度と余り変わっていないのです。
 例えば、参議院の選挙区においては、四十七ある選挙中、一人区が半数以上の二十七選挙区もあります。これは、大政党に有利と言われている衆議院の小選挙区制と余り変わりはありません。比例区では、議席の配分方法が単純に比例配分ではなく、やはり衆議院と同じく大政党に有利となるドント式が採用されています。これではまるで、兄弟たちの間でケーキを分けるとき、いつも力のある大きいお兄ちゃんが一番大きくて一番おいしいところを取ってしまうような、大政党のいいとこ取りの感じが私たち有権者にしますが、議員の皆さんはいかがお考えでしょうか。
 また、比例区では政党しか候補者を立てることができません。一九八二年に全国区制を比例区にして参議院まで政党本位の選挙方法にしたわけです。かつて、全国区制のころ、私たち女性や若者たちが市川房枝さんを私たちの代表として、カンパを出し合い、いわゆる手弁当で、「出たい人より出したい人を」を合い言葉に参議院に推し出したことがあります。現在の比例制度では、私たち有権者は、政党に所属させなければ、所属しなければ、自分たちが出したいと思う人を立候補させることができないのです。
 有権者が選挙への参加を狭められ、参政権を生かせないことはこの選挙の在り方ばかりではありません。参議院の議員定数が長年不均衡状態で放置されていることも、憲法が私たち一人一人に平等に保障している参政権にかかわる重大な問題となっています。
 御参考までに、資料としまして、四十年前の一九六二年に越山康弁護士が参議院の定数是正訴訟を我が国で初めて行い、以後今日まで他の弁護士らとともに続けてこられ、日本婦人有権者同盟会員らも原告やあるいは補助参加人として参加してきました訴訟年表を資料3としてお配りしてありますので、御参考にしてください。
 次に、参議院が第二院としての精神に反しないよう二院制の形骸化を阻止するために、そして参議院に対する有権者の関心と期待を増すために、私はまず、参議院の選挙区制度、定数是正を含めて、選挙区制とそれから定数是正も含めまして、有権者の意思が正しく公平に反映できるよう改正することを訴えます。このことは憲法を改正しなくてもできることです。
 それから、参議院がいわゆる政党のエゴに振り回されないでその独自性の役割、機能を果たすために、政党を離れた議員が多い方が良いとも思っています。できれば参議院から大臣を出さない方が良いとも思います。
 参議院は、動きの激しいいわゆる動の、動きの衆議院に対し、冷静である静の府であってほしいのです。衆議院のように絶えず躍動しているというか、悪く言えばごちゃごちゃごたごたした目まぐるしい状態ではなく、参議院の議員は有権者から六年という長い期間を託されたのですから、物事をじっくり見据え、深く考え、慎重に審議していただきたいのです。また、可能な限り自分の選挙区だけではなくもっと町に出てより広く国民の声を、汗水垂らしている人たちのたくさんの声を聞いてそのニーズにこたえるように責務を果たしてください。
 特に、民主政治の基本的ルールである選挙制度の問題、未来を託す子供たちの教育問題、だれもが安心して暮らせるための平和の問題、私たちみんなが人間としての尊厳を保ち、生きていくための基本的人権にかかわる問題を、参議院が衆議院より率先して公正公平の立場でしっかりと取り組んでくれることをお願いしたいのです。
 私は、一有権者として、二院制を取る我が国の衆参両院がそれぞれの自律性を保ち、その上で、国権の最高機関である国会が法制定、法政策において国民の意思、民意を広く正しく反映してくださることを、かつ、議会制民主政治確立のために邁進されることを心から期待いたします。
 御清聴ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 以上で公述人の方々の御意見の陳述は終わりました。
 この際、十分間休憩いたします。
   午前九時四十九分休憩
     ─────・─────
   午前十時一分開会
○会長(上杉光弘君) 時間が参りましたので、ただいまから憲法調査会公聴会を再開いたします。
 休憩前に引き続きまして、日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 これより公述人に対する質疑に入ります。福島啓史郎君。
 質疑のある方は順次御発言願います。
○福島啓史郎君 自由民主党の福島啓史郎であります。
 まず、本日は本当に誠に御多忙のところ、この日本国憲法に関する調査としまして、今回、国会の在り方と二院制につきまして貴重な御意見をいただきました隅野隆徳さん、また早川忠孝さん、また本田年子さん、御三方の公述人の皆さんにはまず御礼を申し上げます。
 さて、公述人御三方に共通した御質問でございますが、御質問いたしたいと思います。
 この二院制の問題、国会の在り方と二院制の問題につきましては、伝統のある民主主義国といいますか、かつ多数の人口を持っております国では一般的には二院制が取られているのが現状なわけでございます。もちろん、新興国等におきまして一院制の動きがあるというのは先ほど早川公述人も言われたわけでございますが、しかし、現時点で見ますと、伝統のある民主主義国、あるいは多数であって、かつ多数の人口を有する国では一般に二院制が取られているというのが現状だと思います。
 それで、一般に二院制の場合の二院といいますか上院といいますか、の求められている機能といたしまして、一つは、多様な民意を反映させていくということ、もう一つは、慎重といいますか、抑制と均衡が求められるということ、慎重な審議、つまり抑制と均衡が求められるということ、三番目には、継続と安定性が求められているということ、四番目には、その裏返しとしまして長期展望を持った審議が行われるという機能が求められているということが一般的に言われております。
 かつ、我が国の場合、憲法といたしましてこのことはどういうふうに規定されているかといいますと、まず一つは、衆議院と参議院の違いといたしまして、ともに憲法上、両議院は四十三条におきまして「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」というふうになっております。つまり、選挙された議員で、つまり選挙が前提にされているということでございます。それで、違いは何かといいますと、四十五条で、衆議院の任期は四年とする、ただし解散があるということでございます。解散があればその期間満了前に終了するということで、四年でかつ解散があるというのが衆議院でございます。他方、参議院の場合は、四十六条でもちまして、四年より長い六年ということで、三年ごとに半数を改選するということになっております。要するに、六年で解散がないということでございます。そのことが言わば、何といいますか、積極性、積極的な書き方になっているわけでございますが。
 もう一つ、権限の面で、消極的な書き方にはなっておりますが、衆議院の優先と普通言われておりますけれども、法律の制定、これは憲法の五十九条でございます。五十九条によれば、御案内のように両院で可決したときに法律となるわけでございますが、再議で、違った場合には再議権があるわけでございます。その場合には、衆議院が可決した法案と異なった議決を参議院がした場合には衆議院の出席議員の三分の二の多数でもって可決するということ、法律の制定。また、六十条では予算でございます。衆議院の先議と、それからこれも、異なった場合には、衆議院の議決を国会の議決とするということになっております。また、六十一条、これは条約でございます。条約締結権につきましても同様に、予算と同じ扱いになっております。衆議院と異なった場合あるいは三十日以内に議決しないときには衆議院の議決が国会の議決になっているということでございます。
 またもう一つ、六十七条の内閣総理大臣の指名でございます。これも、異なった場合には、あるいは十日以内に指名をしない場合には衆議院の議決を国会の議決とするということで、衆議院の優先という規定には、書き方にはなっておりますけれども、逆に言えば、先ほども言いました選挙の年数及び解散のあるなしと併せて読めば、正に冒頭申しました多様な民意の反映あるいは抑制と均衡、継続、安定、長期展望という点を規定しているのがこの権限ではないかと。
 つまり、ダイナミックな動きに対しましては衆議院の審議が優先するわけでございますけれども、先ほど言いました抑制と均衡、あるいは継続、安定、長期展望というような観点から、長期の解散のない六年で、かつ基本的には法律の制定を両院で、両院での議決を要するということでもって権限を規定することによって担保しているというふうに考えるわけでございます。
 それでお聞きしたい質問でございますが、そうした二院制が持っております機能と、それから今の憲法上の権限につきまして、現行の機能及び権限が妥当、つまり引き続き維持すべきものかどうか、これにつきまして、まず御三方の御意見をお伺いしたいと思います。
○会長(上杉光弘君) それでは、御三方の公述人についてでありますから、隅野隆徳君からお願いいたします。
○公述人(隅野隆徳君) 今の御指摘のように、日本国憲法は、衆議院と参議院について一定の共通性と違いというものを出しております。基本的には、私は、この日本国憲法の規定をなお基本にして運用していけばよろしいというふうに思っております。
 今までは、どちらかというと、日本の社会が七〇年代後半ぐらいまでは比較的安定していたこともあって、衆議院と参議院が比較的同質で構成されていたということがありましたが、八〇年代以降、日本の社会が変動過程に入るということもあって、衆議院と参議院に一定の違いが選挙制度の問題を含めて現れてきたと。そこに、先ほど私が公述しましたところにも若干触れました、衆議院と参議院の相互関係をどうとらえるかということが問題になってきたかと思います。
 その場合に、基本的には、四十三条で直接公選で両議院が構成されているということでありますが、国民は必ずしも一つの意見だけでない、あるいは一つの利益だけを国会議員に負託する、あるいは政党に負託するということではないと思うんです。かなり国民の利益あるいは国民の判断というものも多面的、多元的であるし、そして場合によっては流動的であると。それが、選挙制度がそれに対応していれば衆議院と参議院に別の側面で、別の角度で代表が現れると。それがまた、国として国民意思を形成する場合に、衆議院だけでなく、参議院を通じてでも国民のそういう多面性、多元性というものを反映して、総じて二つの院によって、議院によって国民意思、国民利益を統合し、形成していくということがふさわしいのではないかと思います。
 現在は、ある意味では、五十九条の二項の問題を指摘しましたように、一定程度衆議院と参議院の対抗関係というのもありますが、基本はやはり国民に奉仕する国民の代表機関として、その国民意思、国民の利益をいかに統合し、形成していくかということで、相互に衆議院と参議院がチェック・アンド・バランスを取り、しかし、基本的にはやはり二つの組織を対等に置くわけにはいかずに、衆議院を優越させると、これは一般的に世界的に歴史的な方向ですから。そういうことで、そうであるとすれば、参議院はどのようにしてその国民の利益、意見を吸収し、反映させるかという、そこに努力を払われるのがよろしいのではないかと思っております。
 以上です。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 早川公述人、お願いします。
○公述人(早川忠孝君) レジュメの方に書いておきました、第二院が政党化する場合には、国民はいずれ一院制を志向するだろうと。一九五〇年にニュージーランド、五三年デンマーク、七〇年スウェーデンが二院制から一院制に変わりました。
 現在の二院制の問題は、ある意味で参議院が強過ぎる点に問題がある。国民の代表である、直接選挙で選ばれる衆議院と同じように、二院も、参議院も選挙によって選ばれるということになりますと、そのバランスが非常に難しくなる。
 私は、衆議院の優越を認めるという意味では、現行憲法の考え方は正しいと思います。しかし、参議院については、例えば憲法改正というこれからの作業を考えてまいりますと、衆議院か参議院のいずれかで三分の一の議席さえ反対政党が確保すれば、たとえ国民の過半数が憲法改正が必要であるというふうに考えても憲法改正の手続を踏むことができないという、非常に改革のスピードが問われている現時点においては大きな問題を抱えていると思います。
 さらに、オレンジ共済事件というのがございました。刑事事件で有罪となり、国民の大多数が速やかに参議院議員の職を辞してもらいたいというそういう要望があるにかかわらず六年間の議席を全うをしてしまうという、その制度的な問題が現在の憲法には内在をしております。国民の意思でもって、国会議員のそれぞれの職責の遂行についてチェックするようなシステムが何としても必要であろうと。そういう意味では、現在の国会議員の在り方についても考えなければならない。
 そしてまた、これからは様々な意味での行政改革あるいは国会改革が必要とされていると思います。合理化であり、経費の節減であります。いかにして国民が納得するような議会システムを維持するかということを考えますと、衆議院のように、解散を控え常に国民の目を意識していなければならない衆議院、第一院と、それから継続、安定、慎重、抑制かつ重要な国家の基本問題について提言をしなければならないこの第二院、それぞれの議員に対する処遇の在り方、国会議員の秘書の処遇の在り方、すべて見直しが必要ではないかというふうに考えております。
 そういう意味で、現在の国会制度そのものに対しての見直しを是非とも進めていかなければならないというふうに考えております。
 以上です。
○会長(上杉光弘君) 本田公述人、お願いします。
○公述人(本田年子君) 私は、現憲法を運用して二院制の持つ機能、役割をやっぱり果たすということは大切なことだと思っています。そして、むしろ現在、この機能が二院制として、二院制の機能が果たされていない現実が問題ではないかと思います。
 特に、代表、有権者の代表として議員になられている方々と、それから一般私たち有権者との間の乖離というんですか、それが非常に有権者の無関心ということで表れているんですが、そうしたことの問題をもっと両方が突き詰めて考え、そして接近して、国民の方も二院制を育て上げるような雰囲気にしていかなきゃいけないとは思っていますし、それから議員の方々たちもやはり民意を反映してくださるような努力をしてほしいというふうに思っています。
 難しいことは分かりませんので、そういう国民の気持ちを訴えまして、そして現状の、現憲法の範囲でみんなで努力していったらいいと思います。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
○福島啓史郎君 隅野公述人にお尋ねいたします。
 先ほどの両院制の場合の機能なり権限なりというのは、これは、必ず機能、権限問題は組織なり選挙方法と密接に関連しているわけでございます。
 それで、先ほども紹介ありましたように、イギリスの貴族世襲任命制、またアメリカの連邦制におきます直接選挙、それからドイツにおきます各州の首相なり閣僚を任命するという任命制、それからフランスの場合には地方議会議員によります間接選挙でございます。ただ、直接選挙を取っていない国はないわけではないわけでございまして、イタリアの場合には両院とも直接選挙を行っているわけでございます。
 ただ、イタリアの場合、上院は被選挙権が四十歳以上、また選挙権は二十五歳以上ということで、下院の場合の被選挙権二十五歳以上、選挙権十八歳以上というふうに比較しますと、高齢者といいますか、要するに社会的に安定した層に言わば被選挙権を与え、また選挙権も下院よりも上げているということでございます。イタリアの場合、公選制による議員に加えまして、大統領による任命及び大統領経験者を任命するという職権上の議員ということで若干名があるわけでございます。
 そうした、各国によって上院の選挙方法は違っているわけでございますが、我が国の場合、両方とも直接選挙ということになっているわけでございますが、それについて、各国と比較して、特にイタリアの直接選挙の仕組みと比較して我が国の直接選挙の仕組みにつきまして改善すべき点があるのかどうか、あるいはどういう点を改善すればよいのか、お考えをお聞きしたいと思います。
○公述人(隅野隆徳君) 上院の在り方については、各国の歴史なりあるいは社会的な、政治的条件によっていろいろと違っているかと思います。
 その中で、私が今回公述をするに当たって若干調べた中に、一九九七年の五月に日本の参議院の議長の下で世界の上院議長会議が開かれたということを知りまして、大変参考になりました。しかも、共同声明を出して、一九九七年、平成九年の五月二十一日に採択されて、しかも、そこに参加した国はアルゼンチン、オーストラリア等々で、いずれも公選制、上院において公選制を取っている、その上院議長の会議で、しかも、日本の参議院の五十周年ということで、東京で開かれたということで意味があるように思います。
 お尋ねのイタリアのこと自身について、私は十分研究していないものですから詳しいことは指摘できないところですが、確かに日本の戦後においても間接選挙あるいは複選制というような考え方があって、そこでは、やはり何よりも日本国憲法の四十三条の全国民を代表する選挙された議員で両議院が構成、組織するというこの規定との関連で問題になり、解釈論として、全国民を代表する選挙された議員ということの中に間接選挙が入るのかどうかということが議論されました。しかし、やはり全国民を代表する選挙された議員というのは国民の直接選挙によるということが学界でも圧倒的でしたし、また社会的にも、また国会でもそれが共通の認識になってそういう間接選挙というのは葬られていったというふうに思います。
 その後も、先ほども若干触れましたように、日本の改憲論の中に若干それが登場することもありますが、しかしもはや主流にはなり得ていないんではないかと。やはり、国民が直接選挙して、国民の利益、国民の意思を代表に負託するということが歴史の方向としては目指すものであって、日本もその段階に来ている。それは何といっても、日本の明治憲法における貴族院のその経験、反省によっていると言うことができると思います。
 確かにフランスなりイタリアなんかで大統領の指名、任命ということで一部の有識者を入れるということがあっても、どうしてもそれは政治的な観点が入ってくると。それならば、国民、主権者である国民自身の判断で、選挙によってそれを、代表者を出すということの方がより民主的であるということが、日本の歴史を通じて、また社会的にも判断されてきたことではないかと思います。
 その点で、先ほども触れましたように、イギリスの貴族院が世襲貴族あるいは一代貴族という形でいろいろな、千名近くの構成がありますが、その中で、世襲貴族は登院停止、投票権停止、剥奪ということとなり、一代貴族が構成になっていますが、しかし、今、イギリスの社会で議論になっているのは、上院は直接選挙の方向に向かうべきだというのがいろいろ新聞等で議論されているところです。しかも、欧州連合というのが、御存じのようにヨーロッパの、最初は西欧諸国から、現在は東欧、中欧諸国を含めて進んでいるわけですが、これが経済面から出発したものの、現在では政治的な統合というところに進み、ヨーロッパ議会ができて、ここでは比例代表選挙ということが原則になっています。長くイギリスはそこで小選挙区制を取っていたんですが、方向としてはヨーロッパ諸国に倣って比例代表にしていくということに踏み出したというところが注目されます。
 イタリアの問題について直接お答えできなくて大変失礼ですが、以上です。
○福島啓史郎君 時間の関係で、これで終わります。ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 直嶋正行君。
○直嶋正行君 民主党の直嶋です。
 今日、早朝から私どものために三人の公述人の皆様、わざわざ来ていただきまして、大変参考になるお話、ありがとうございました。まずお礼を申し上げたいと思います。
 それから、実はこの憲法調査会で私、フリー討議のときに、是非、参議院の在り方について、憲法との関係をこの参議院の憲法調査会において議論をしていただきたいというお願いを以前に申し上げた経緯がございます。そういう意味で今日は、今日のこの公述人の皆さんの御意見も踏まえて、今後、参議院として是非建設的な議論をしていただければ有り難いと。これは、会長始め幹事の皆さんにお願いを申し上げておきたいと思います。
 それで、まず最初に、お三方から大変有益なお話伺ったんですが、隅野先生と本田さんにまず最初にお伺いしたいんですが、隅野先生のお話の中では、参議院の衆議院に対する是正、補完というのを一体的に見るべきだと、こういうお話がございました。それで、そのときに定数のお話もあったんですが、現行の衆議院の小選挙区比例代表並立制というのを前提にした場合に、参議院における選挙制度としてどのような制度が望ましいとお考えなのか。お考え、お持ちでしたら是非お聞かせをいただきたい。
 それから、本田さんも、大変これは私もお話を伺いまして共鳴をする、あるいは問題意識を共有する点多いんですが、国民の特に参画意識、政治に対する参画意識との関係で、これは選挙制度がすべてではないと思うんですが、具体的な選挙制度についてお考え、参議院の選挙制度ということでお考えお持ちでしたら、お伺いしたいと思います。
○公述人(隅野隆徳君) 私の公述では、参議院のあるべき、あるいは現在の選挙制度そのものについて直接の言及はそれほどできませんでした、時間の関係もありまして。参議院で国民の民意を公正に反映させる選挙制度の追求が望ましいということで終わっていました。
 参議院のこれまでの経験というのは、全国区制、そして比例代表制の拘束名簿式、そして現在の比例代表制の非拘束式というこの三つがあると。もちろん、地方区及び選挙区はあります。特に参議院の特色として、この全国区若しくは比例選挙というところが、人数は五十名あるいはそれを若干オーバーという形で少ないものの、参議院の特色ということで当初から注目されていたと思います。若干そのことについて、簡単に述べさせていただきます。
 全国区の場合にはいろいろ、当初緑風会から、緑風会が衰微して、そして職能代表的にあるいは労働組合代表というような側面が強くなり政党化されたという面と、しかしまた他方で、先ほどの御指摘もありましたように無所属で、あるいはタレント候補が出られる素地、地盤であったということも重要であると思います。
 全国区の廃止の一つの根拠に、全国区ですとお金が掛かる、あるいは投票する選挙民は選択しにくいということが言われました。しかし、これは別の角度から見ると、お金が掛からなくて、しかも選択しやすい制度でもあったと言うことができます。つまり、規定の選挙費用でこの全国区から当選できた人もいるし、あるいは非常に少数勢力が全国区を通じて初めて代表を出せたということがあって、その点、学界でもなおその全国区の良さと、しかも相対的に比例代表にも共通するような、国民の意見、利益が多面的に代表できたというメリットがあったと思います。
 その点で比例代表制の拘束名簿式、この点は一昨年に改正されたわけですが、比例代表制が国民の意思、利益の民主的な反映ということは一般的に言えます。それは現実に八三年から、一九八三年から実施されて、それなりにこの機能、役割を果たしてきたと思いますが、一つ重要な問題点は、これもよく指摘されますように、無所属候補が直接には立候補できない、あるいはいろいろな差別を受けるという点です。
 もちろん、ミニ政党という形で、つまり十人の候補者を立てるということでそこをカバーはしているわけですが、しかし供託金が倍額されるとかいろいろな形で、あるいは政見放送が無所属の場合ですと限定されるというようなことで、相対的には、無所属あるいは政党に所属しない自由というのも日本国憲法の下では結社の自由の下でありますから、政党を、ミニ政党であれ無所属政党であれ、組織したくないという部分も、層もあるわけですから、そういう人たちにとっては、比例代表制が現在の非拘束式も含めて政党要件の形で無所属あるいは無党派の利益を限定しているというところが大きな問題点であると思います。これは、何も比例代表制で、拘束式であれ非拘束式であれ、無所属で個人立候補をするということが論理的に不可能であるというわけではないと思います。
 ですから、もう少しそこを、日本の民主主義の発展からすれば、比例代表制の点で改善を図っていくということが重要かと思います。拘束式か非拘束式かというのは一つの重要な選択肢であると思います。それは、何といっても日本の政党の発展度ということと結び付くと思います。
 つまり、ヨーロッパでも、ドイツ、フランスとイギリスでは政党のとらえ方が違っていて、ドイツ、フランスですと、やはり政党を単位として比較的拘束名簿式なんですが、しかしその代わりに政党が責任を持つから、それに対する法的規制というのが入ってきます。他方、イギリスの場合には、やはり個人が、政党であっても候補者個人を選択するということを好むものですから、個人主義が進んでいるものですから、そういう点でそれはまた政党の法的規制を好まないということと結び付くかと思います。
 そんなことで、日本の政党の発展度をどういうふうに世界の中で位置付けるかというのはこれまた大問題ですが、拘束式から非拘束式にしたというのは一つの選択肢としてあり得ると思います。
 それ以上にやはり問題は日本の選挙制度で、衆議院が小選挙区制であり、小選挙区制が基本になっておるし、そして参議院でも、選挙区選挙、元の地方区の場合には、これもどなたか指摘されていましたように、実質的にはかなりの部分が小選挙区的な役割をしている。三年ごとの選挙で、少数県、少数住民のところ、府県の場合には、やはり一人の代議員を選出するということになって、実質上、二十数県の場合に小選挙区的な役割をしている。
 小選挙区というのは、もちろん政権の安定というところでは重要な役割をして、国際的にも……
○直嶋正行君 済みません。ちょっと持ち時間に関係があるものですから、申し訳ありません、できるだけ手短にひとつお願いいたします。
○公述人(隅野隆徳君) はい、分かりました。失礼しました。
 そんなことで、小選挙区制は、やはり民意の反映かあるいは政権の安定かという点では、政権の安定というところでは、しかも死票が多いということで限定があります。参議院の場合には、やはり選挙区選挙をもう少し、府県のグループなりブロックなりを構成して、もう少し民意の、少数意見の反映ができるような、そういう選挙区選挙ということも考えられるのではないかと思っております。
 失礼しました。
○会長(上杉光弘君) 委員長からも申し上げたいと思いますが、それぞれ各委員は持ち時間がございまして、その中で議論をしようと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
○公述人(本田年子君) 私も、具体的にこういう制度にした方がいいというはっきりしたことは言えませんが、参議院のまず大きな問題は、有権者の意思が、多様な意思が反映しないという点で比例区が問題だと思うんです。やっぱり政党選挙、日本の選挙の場合は、地域、選挙区代表あるいは政党代表というような選挙、その色が濃いと思うんです。
 それで、現在、インターネットなども発達しまして、いろんな問題を全国で取り組んでいる人たちがたくさんいまして、そして、そういう人たちが政党を支持していないというか、どの政党も支持していない人たちもたくさんいます。そういう人たちが自分たちの代表を送り出したいというときにできない比例制度には反対し、全国区制のころの方がよかったのではないかなというような気はいたします。
 それから、配分方法なんですけれども、単純に比例で、単純な比例で配分していきますと、大政党の配分される数が減って配分されない政党にまで行くという状態に、計算するとなりますので、今のドント式はどうかと思っています。
 それから、定数の問題ですけれども、定数も非常に不均衡な状態が、選挙制度にもかかわってくると思いますし、それから先ほど申し上げましたように有権者の参政権の権利というんですか、それが平等ではないという点から、やはり定数の是正、これは偶数配分になっているというところにも問題があると思います。偶数配分は別に憲法で決まっているわけではありませんので、こういうところにも改善できるんではないかと私は思います。
 それから、選挙運動に関しても政党には割と有利で、無所属の議員には認められていない選挙運動というのもありますので、そういう点も考えていただきたいと、そういうふうに思っています。
 以上です。
○直嶋正行君 続きまして、早川公述人にお尋ねしたいんですが、なかなか面白い提言といいますか、いろいろいただいておりまして、ありがとうございます。
 それで、ただ、例えば早川さんのこのレジュメと先ほどのお話お聞きしたあれで申し上げますと、例えば参議院を衆議院の暴走を防ぐための監視機構にする、あるいは憲法裁判所にすると、こういうような御提言いただいているんですが、もうちょっとこれを踏み込んで御見解をお伺いしたいのは、そういういろんな機能を参議院に持たせたときの立法機関としての参議院の、例えば審議の仕方とか在り方とか、こういうことに関してはどうなんでしょう。何か御見解お持ちでしたらお聞きしたいと思うんですが。
○公述人(早川忠孝君) 参議院については、やはり慎重に、継続的に、安定的に審議するという大きな役割があると思います。
 しかし、衆議院が解散で民意を常に国政の場に反映するという役割を持っている点からすると、どちらかというと法案審議あるいは予算、条約の審議等については、当然衆議院を優越させなければ、これは全く平等の権限を参議院に与えてしまえばほとんど意味がなくなる。
 かつて貴族院と衆議院、帝国議会ではそういう構成でありましたけれども、貴族院と衆議院が全く同一の権限を行使したというがために、衆議院で議決した法案が二度貴族院で否決されるというような経験があって、貴族院を廃止したいとか貴族院を変えたいというそういうことがかつて日本の古い歴史の中であったわけであります。そういう点から考えますと、これからの参議院というのは、やはりその専門性を生かすべきであるというふうに考えております。
 さて、そこで職能代表制のことで、実はイタリアでどうだという話があって、日本国で職能代表制を採用するかどうかということで議論があったときに、イタリアの場合にはかなり職能的な基盤が出てきていると。しかしながら、日本の場合にはそういう素地がないということから、日本の場合に二院制でそういった職能代表的な機能を果たすことは不可能ではないかという議論がかつてあったわけであります。これは私のレジュメの中にも入っております。
 そういうことから、全く新しいスタイルの参議院制度を考えなければならないということになったわけでありますけれども、しかし、国会の審議の中では残念ながらどういうふうに参議院をするかについては提案ができなかったということであります。現在まで試行錯誤してきたというのが参議院の現状ではないかと思います。
 そういう意味では、参議院の議長の様々な審議会、私的諮問機関等の提言というのは非常に方向性を示す有力な案であろうかと思っております。私の一つの案は、これからの参議院あるいは国会の在り方を考えていただくための一つの検討材料、これまでだれも議論をしてこなかったことについて新たな石を投げてみたということでございます。
○直嶋正行君 あと一つ、隅野先生にお伺いしたいんですが、大体この参議院の役割等について議論をしますと、先ほどのお三方の公述人の中にも、お話にもありましたが、例えば参議院は大臣の指名を受けない、あるいは首班指名は行わない、それと並んで、必ず出てくるもう一つが、政党に属さない個人中心のハウスにするというお話、ことが多いんですが、先ほどたしか隅野先生お話しの中で、現実にそれはなかなか難しいことなんだと、政党に属さずにやる、あるいは政党政治の枠から離れるというのはなかなか現実に難しいというような御趣旨のお話をされたと思うんですが、この辺、ちょっと一般的な議論と少し御見解が違うようなんで、もう少しお話を伺わさせていただければと思いますが。
○公述人(隅野隆徳君) 私の公述時間の関係で十分展開できなかった点が、おわびします。
 社会的に政党が国民と議会との中間項として媒介的な役割をするというのは一般的に見られることで、議会、国会がある以上、もちろん無所属の余地はあるけれども、政党が重要な役割を果たすというのは必然的なことであるだろうと。しかし、二院制である以上、特に上院の役割としてそこを、間をどう結び付け、あるいは展開するのかということが問われると思うんです。
 一九八二年に比例代表制を参議院で取ったというのは、一つの発展方向であるというふうに思っております。しかし、問題は、参議院が現実には大臣を出す、あるいは政務次官を出すというようなことで政治に深くかかわることが多いわけですが、そこのところを衆議院とやはり一歩距離を置いて、これもほぼ共通して指摘されますように、長期的なあるいは国民的な視野に立って政策立案あるいは調査ということを遂行できないか。現実政治はもちろん、そういうふうな理論あるいは希望、理念どおりに動くわけではないということも確かです。しかし、論理的に、理論的にはやはり衆議院が政治の場であるということと参議院との違いをどこに出すかというところが問題になるかと思います。
 よく言われますように、衆議院は数の政治の論理であり、参議院は理性の府だというふうに言われますが、それは余りにも単純化したテーゼだと思うんです。衆議院であっても理性的な判断が問われるわけで、逆に参議院がそうすると数の論理が全く意味が、排除されるべきかというとそうではない。組織であれば当然、数によって多数決で処理せざるを得ない場面があります。しかし、その言葉が単純化してはなりませんが、やはり一つの特徴は出している面があるんではないかというふうに思っています。
 十分展開できずに申し訳ありませんが、以上です。
○直嶋正行君 終わります。
 ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 高野博師君。
○高野博師君 今日は、三人の公述人の方々に貴重な御意見をいただきましてありがとうございます。
 現在、国会改革も国会において議論されているんですが、衆参両院の在り方あるいは二院制の在り方、そういう本質論についてその議論を欠いたまま改革をやるのはいかがかなと私は思っております。
 現在のこの選挙制度によって、衆参とも同じような選挙制度、そして同じような政党の議席の割合が出ているということがあって、衆参両院とも政党の論理あるいは数の論理が支配的になっている、そして加えて、法案の審議の仕方も同じようになっていると。
 二院制の本来の意義からすれば、参議院のアイデンティティーというのは、もう皆さん意見述べられたように、衆議院の抑制、補完、是正にある、そして理性の府であるべきだと、こういう議論なんですが、国会改革については大きく二つに分けられると思います。一つは、早川公述人のように、憲法改正を前提にしているのかどうかということ、あるいは現憲法の枠内で改革をやるのかどうか、これは隅野さん、本田さんのような考え方だと思いますが、結局この改革の大半の部分は選挙制度に帰着するんではないかなと私は思っております。
 しかし、今のままであっても、両院の役割分担がうまく機能すれば二院制の存在意義は十分あるのではないかというふうに思っておりまして、これも、解散のある衆議院は迅速性あるいは手続や技術性を要する法案に優先性を持たせる、参議院は国家の基本的なあるいは長期的、専門的な問題に落ち着いて慎重に審議すると、こういうことはよく言われるわけですが、分野とかテーマについて片方だけに優先権を持たせるというのはいかがかなと思っております。
 例えば、私は例えば外交問題、安保問題について国家安全基本法のような、こういうものは参議院が優先してやる、しかしテロ特措法とかこういうものは衆議院に優先させる、教育の問題について言えば、教育基本法のようなものは参議院がじっくりと慎重に審議をする、そのほかの予算の定員等については衆議院が優先権を持たせる、こういう役割分担も内容に従って国会運営の慣行の中で定着させていくことが重要ではないかと、そういう意見を持っておりますが、隅野公述人には、この役割分担の在り方について簡単にお伺いしたいと思います。
 それから、早川公述人には、憲法改正を前提としているんですが、参議院は間接選挙によって選ぶ、すなわち衆議院が選ぶ形、各職能、各分野、いろんな様々な代表の方を選ぶと。しかし、その場合には、衆議院が政党の論理に支配されているものですから、それはどうやってその政党の論理に支配されない選び方ができるのかどうか。
 それから、憲法裁判所に代わるようなものを、憲法院のようなものをこの参議院の中に置くというのは、本来、憲法判断というのは司法権に属するものですから、これを立法府の中に設置するのは適当ではないと私は思うんですが、これについての御意見があればお伺いしたい。
 それから、本田公述人につきましては、国民の、有権者の民意がより反映するようにすべきだという意見なんですが、このいただきました資料の中で、棄権する人も含めて大半の、六十数%の人が代表を送り出していないという言い方をされているんですが、棄権をするというのも一つの政治的な意思表示の表し方だと言えないこともないと思うんですが、大政党に有利な制度には問題があると思いますが、本当に一票が生かされるというのは、選挙のときに選ぶだけではなくて、選んだその代表者、議員あるいは政党がその公約を果たしたかどうか、あるいは期待にこたえたかどうかというところまで見極める必要があるのかなと思うんですが、その辺についての御意見があればお伺いしたいと思います。
○会長(上杉光弘君) 隅野公述人からお願いいたします。
○公述人(隅野隆徳君) 衆議院と参議院の役割分担についてどうかというところに限定してお答えいたします。
 基本的には、やはり二院制としてどちらかだけで独立の任務を分担させるということはやはり良くないだろうと。二院制である以上、両院ともに意見を聞き、意思表示をして決めていくということが原則であるだろうと思うんです。つまり、その基礎になるのは、国民は、先ほど言いましたように、今日ですといろいろな利益、いろいろな立場、いろいろな意見というのがあり得るわけです。二票の選択の場合に、同じ政党、同じ所属の候補というわけではない、分裂した投票行動もあり得ると思うんです。
 そういう多面的な利益、多様な意見ということを、衆議院と参議院がうまくそこをキャッチでき、反映できるということであれば、例えば内閣総理大臣の指名であれば、あるいは条約の審議あるいは決算権の行使という場合であっても、それぞれ国民から負託されているその国民代表というその任務を衆議院も参議院もそれぞれ果たして、それでこの日本の国民の共通の意思、共通の利益ということを形成するのが望ましいのではないかというふうに思っています。
 どちらか、もちろん、先ほど言いましたように、二つの院があれば、どちらに優先権を与えるかということは組織上処理せざるを得ない。それを日本国憲法は衆議院の優先ということでやり、しかし、法律、法案の参議院否決の場合には先ほど触れた五十九条のような処理をしているわけですが、どちらか一方にのみその任務を遂行させる、それで日本の国民のあるいは国民の意思が十分反映できるかというと、今はそうではないと。やはり、二院がそれぞれの立場、それぞれの角度から検討して初めて、日本の国民意思、利益というものは形成していくことが望ましいというふうに思っております。
○公述人(早川忠孝君) まず、憲法改正を前提としてということでありますけれども、現在の憲法、確かに私は三つほど改善しなきゃならないということがあると思います。それは、一つは、憲法改正手続条項が大きな問題がある。さらに、憲法裁判所機能がない。最高裁判所の裁判官に対する国民審査制が導入されておりますけれども、現実的な運用としては非常に使い勝手が悪い。もちろん前文の問題、九条の問題もありますけれども、その統治システムの中での欠陥というのを内蔵している憲法であるというふうに考えております。
 そこで、憲法をどう考えるかということにつきましては、むしろ我々がこれから新しい憲法を作るとしたらどういうふうな憲法が望ましいかという、そういう臨み方が一番物事をクリアに理解できるよすがになるのではないかというふうに考えております。
 そこで、衆議院と参議院の問題でありますけれども、私は、参議院が正に衆議院に対しての抑止的な、あるいは補完的な、場合によっては国政を推進するためのそういう補佐的な役割を果たせるようになるにはどうしたらいいかということで、間接選挙、そしてまた内閣が推薦するというのでは任命制になって大変おかしなことになる、やはり国民の民意に基礎を置かなければならないという意味では、現在では衆議院というそういう場があるからこれを活用しなければならないのではないかというふうに考えて、提案したわけであります。
 そこで、衆議院と参議院との関係で、衆議院がもし参議院の候補者についての選考過程に介在するようになった場合には、その党派性をどういうふうに脱却したらよろしいかと。これは、これからのいわゆる国家公務員の中の局長以上の職に従事する者について国会が承認するとか、あるいは公正取引委員会その他、様々なこれからの国民のために必要な機関のポストに就く人たちを国会の審議で選んでいくという場合に、当然それぞれの候補者は党派から自由でなければならない。選挙する側もそういったことを前提として正に国民のために役に立つ、公益に資する公務員を選んでいくんだと、こういうシステムにしなければならないのではないかと。そのために、候補者のリストを集める。各種の裁判官の選任が、正に裁判所の推薦により、そしてまた内閣が承認しあるいは国会で承認するという、そういう手続の中に組み込まれてまいります。私は、決して衆議院で参議院の候補者を選ぶということがあったとしても必ずしも政党支配になってしまうというわけではないのではないかと、六年間の任期があるということは牽制作用、チェック作用、さらに提言機能を見付けることができるのではないかというふうに思っています。
 次に、憲法院構想については、これは司法の役割ではないかというお話がありました。私もそのように思います。
 しかしながら、現実に立法作業の中で内閣の法制局が果たしている役割は、一体あれは何だと。憲法との抵触関係を内閣の内部ですべて決めていると。法制局がオーケーしなければ国会に提案をされないと。もちろん議員立法についてはそうではありませんけれども、しかし、主として内閣が提案するのは内閣法制局の審査の下に入っているという、こういった国会の立法機関についての立法作用についての機能をあらかじめ抑制するようなことについては、果たしてどうであろうかと。
 そういう意味で、参議院の場にそういった専門的な知識、経験、識見を有した方々が構成するそういった憲法裁判所、あるいは憲法院的な機能を持つ立法機関の中のチェック機関、こういったものを設ければよろしいのではないか。もちろん個別の事件についての司法審査は通常の三審制の裁判所に当然あるわけですから、立法機関の中の立法作用あるいは行政作用についてのチェック機能としての参議院の憲法院的機能と司法の場の司法裁判所の憲法審査と、これはまた別々に成立し得るのではないかというふうに考えております。
 以上です。
○公述人(本田年子君) 民意が反映されて一票が生かされているか、あるいはその生かされた一票というか代表を送り出して、そしてその代表の公約を果たして有権者が見守っているかという点ですけれども、私は、お配りしました資料は、一番最初は私たち有権者がどれだけの意思で自分たちの代表を国会へ送り出しているのかということから調べ始めまして、有権者の方が反省しなきゃいけないという材料、そういう気持ちでこの資料を作ったわけなんですが、結果的には、これを作りまして、いや本当に選挙制度が私たち民意を反映していない選挙制度になっているんだなと。
 それから、現在の選挙そのものが、どっちかというと人気投票的な面もありまして、本当に民意を反映して代表を送り出す選挙になっていないのではないかという疑問も沸いてきました。
 それから、選挙期間中のあのマスコミの取り上げ方も、どの候補が、あるいはどの党が勝った負けたの、まるで競馬の予想みたいのような報道しかしていないというところにも非常に不満があります。
 それで、有権者が、自分たちの一票を生かして、そしてそういう選挙ができたなら公約を代表者たちが、あるいは政党が果たしているかどうか見守ると思うんです。ところが今の選挙は、どちらかというと人気投票的な面もありますので、そうなると好きな人を入れる、あるいは格好いいから入れるという程度で、後はもうその人は国会で何をしようが、どういう発言をしようが見守らないという有権者も多いと思います。
 このことは、私たち有権者も本当にみんなで考え反省しなければなりませんけれども、こういう方向にしてしまっている現状を、やはり国会の中の先生方から改善していく方法を考えていただきたいと思っています。
○高野博師君 どうぞ、時間ですので、終わります。
○会長(上杉光弘君) 小泉親司君。
○小泉親司君 日本共産党の小泉でございます。
 今日は、公述人の皆さん、お忙しいところ足をお運びいただきましてありがとうございます。
 今回のテーマは、国会の在り方と二院制というテーマでありますが、このテーマでありますと、いわゆる衆議院と参議院の関係、二院制の問題ばかりにとどまらないで、国会と内閣の関係、それから国民主権というテーマでこれまでやってまいりましたが、その国民主権の重要な根幹であります選挙制度の問題、こういう問題が大変重要な問題というふうになるというふうに考えております。
 その意味で、初めにお伺いしたいのは、憲法では周知のとおり国権の最高機関を国会だということを位置付けておりますが、昨今の状況を見ますと大変内閣の権限を強化するという動きが大変強まっている。特に、最近の一つの重要な例でいきますと、テロ特措法などでは国会の審議を大変形骸化するような動きまでありまして、この内閣の権限強化と国権の最高機関たる国会の関係をどういうふうにすべきかというのが大変重要なテーマとして浮かび上がっているというふうに思います。
 その点で、まず隅野公述人にお尋ねしたいのは、この内閣の権限強化と国民主権との関係についてどのようにお考えかという問題をお聞きしたいと思います。
 それとの関係で、やはり現在、小泉内閣の下では首相公選制の懇談会が作られておりまして、この首相公選制は、私どもは大変内閣の権限強化につながるという点で問題があるというふうに指摘してまいりましたが、以前の政府に設置されました憲法調査会の報告書でも、一九六四年に、首相公選制は独裁制の危険性を内包しているという報告が出されているほどであります。
 この点で併せて、内閣の権限強化と国会との関係と併せまして、首相公選制についても隅野公述人に御意見をお伺いしたいと思います。
○公述人(隅野隆徳君) 内閣権限の強化、それが国会審議権を弱化させ、更には国民主権にどのように影響しているのかということは一つの重要な問題かと思います。
 これは、直接的には言わば一九九九年に成立、制定されました中央省庁再編法、あるいは同時に内閣府設置法というところが根拠になって内閣府、内閣官房、同時に総理大臣権限が強化されているということでありますが、もう少し歴史的には、日本の戦後で、やはり一九八〇年代に第二臨時行政調査会というのが設置されて、そこで二十一世紀構想というのが打ち出された。日本が新たな福祉社会へということで、福祉国家論をむしろ削減、減少し、他方で軍事国家、軍事大国化という方向が打ち出されていった。そこに起点があるかと思います。
 その辺は、つまり内閣権限強化というのは一九九〇年代にPKO協力法あるいは周辺事態法という形で日本の自衛隊の海外派兵への素地が法的に作られていくと。軍事大国化、自衛隊の海外派兵ということと非常に深く結びついているかと思います。
 直接的には内閣権限の強化に大きな役割をしたのが、一九九七年の十二月に行政改革会議が最終報告書を出します。これが中央省庁再編の根拠になっているかと思いますが、憲法論で言いますと、憲法の七十三条の一号に内閣の職権として、「法律を誠実に執行し、国務を総理すること。」とあります。この「国務を総理する」というところに非常に力点を置いた立論で、憲法論から言うとかなり問題な議論だという批判が強いところです。
 つまり、内閣は行政権のみならず高度の統治作用として総合戦略とかあるいは総合調整作用を持つということで、それが内閣府、首相権限強化ということになります。
 しかし、七十三条一号は、基本は法律の誠実な執行であって、国務を総理するというのも、憲法解釈論でいえば、憲法学では行政権の行使、行政権を統括するということにとらえられているのに、そこが独り歩きしていくというところに大きな問題があるんではないかと思います。
 なお、首相公選論も、これまた御存じのように一九六〇年代に登場して今日またそこが息を吹き返していますが、日本国憲法自身は、御存じのように六十七条で、総理大臣は国会議員の中から、この衆参で指名するという形になっていますから、直接的には首相公選というのは憲法を改正せざるを得ないという問題があります。
 もちろん、そこの亜流として、例えばある政党の総裁を、委員長の選挙に当たって、政党内の選出に当たって、それに国民の意思を反映させるというような形での首相公選につながるような道も考えられなくはありません。
 しかし、厳密に首相公選ということになると日本国憲法を変えざるを得ない。しかも今御指摘にありましたように、歴史的にはプレビシットということで、人民投票ということで、特にフランスの歴史なんかでは上からの操作によって、つまり国民を操作して、特に今日ですと情報宣伝なんかで操作して、それによって自分の政治的位置を取るということに使われる危険性があります。
 日本の首相が直接選挙になった場合に、例えば天皇との関係がどうなのかとか、いろいろな憲法論が成り立ちますが、日本国憲法からは厳密な意味での首相公選は認められないし、憲法改正ということに結び付くであろうというふうに思っています。
 以上です。
○小泉親司君 次に、選挙制度の問題について本田公述人にお尋ねしたいと思います。
 大変データを駆使してお話しになって、大変説得力のあるもので、私どもも大変共感できる内容がございます。
 そこで、先ほども同僚委員からあるべき選挙制度の在り方については御質問が出ましたので、私一つだけお尋ねしたいのは、このデータでもありますように、前回の選挙は非拘束名簿方式でございました、比例代表はですね。前々回は拘束式でありました。この点について、現在の非拘束の方式について、先ほど隅野公述人の冒頭の発言でも、大変審議が十分尽くされなかったという嫌いがあるというふうな御指摘もありましたが、実際に行われた選挙の実態からしましてどういうふうなデータがあるのか。現在の非拘束名簿方式について、本田公述人としてはどのようなお考えをお持ちなのか、この点について一言だけお尋ねさせていただきます。
○公述人(本田年子君) 私も詳しくはまだ調べていないんですけれども、今回、非拘束になりまして、棄権した人、無効票ですね、無効票が前回よりもかなり多かったということは、やはり迷っているというか、国民に理解できなかったんではないかというふうには考えています。
 それ以上、ちょっとよくまだ調べていないので分からないんですが。
○小泉親司君 次に、いわゆる二院制の問題も含めました参議院の改革の問題ですが、一昨年の四月に「参議院の将来像に関する意見書」というのが出されております。これは御承知かどうかはあれですが、例えば有識者懇談会の報告書を見ますと、参議院の「将来の課題として、参議院の代表制の性格を見直す。 今後、地方分権が推進されることを前提とすれば、参議院を「全国民の代表」ではなく、一定の地域と関連し、これを単位とする地域代表的な性格のものにしてはどうか。」というふうな意見があります。
 この点について、隅野公述人と早川公述人から、こういう点について、いわゆる参議院を全国民の代表ではなく地域代表的な性格にするというふうな意見についてどのようにお考えになっているのか、お尋ねをさせていただきます。
○公述人(隅野隆徳君) 今回、御報告するに当たって、この二〇〇〇年に出されました堀江湛座長による「参議院の将来像に関する意見書」というのを読ませていただきました。
 端的に言って、かなり問題な提言であるというふうに思っています。といいますのは、近代の憲法、近代国家において、国民代表というのが、封建社会における地域代表あるいは階層利益、階級利益の代表というものを超えて、そこを払拭して国民代表ということになった、そこの関連です。つまり、現実には選挙によって地域から選ばれるものの、その地域だけではなくて全国民の観点で、全国民の利益で国会議員が、議会が行動し、判断するということが近代国家においては大事だと思うんです。
 確かに、日本の最高裁判決でも、参議院の地方区選挙あるいは選挙区選挙について各府県の地域代表的な性格を無視できないという指摘がありますが、しかし内容的に、過疎の県について人数を、国会議員を出せばその過疎の利益が守れるのかということではないと思うんです。過疎の問題、過疎過密の問題は、やはり日本全体で、全国民の観点で判断し、対応を検討しないとならないであろうと。
 他方、地域代表という場合には、この報告書がどの程度地方分権の推進を判断しているのかというところにもよります。つまり、地方分権をもっと推進して、連邦制に近い、かなり独立した地方自治体というものにするんならばまた別ですが、しかし日本で地方分権といっても、例えば裁判権を各府県に認めるような、そこまでの地方分権とは考えていないだろうと。この点で、連邦制は当然、各連邦が裁判権、場合によっては軍隊まで認めるわけです。ついでながら、日本の徳川期の場合には裁判権が大きな大名に、藩にはありました。しかし、明治以降は中央集権化されましたが。
 今日問題にされている地方分権というのは、その司法権までも、裁判権までも各自治体に、各府県に認めるというところには容易に行かないだろうと、理論的には考えられるわけですが。そうであるとすると、地域代表ということだけを強調すると、全国民の代表、国民全体の観点での判断、対応ということがおろそかになり、近代国家のあるべき姿から離れていくのではないかということで、この提言にはかなり批判的です。
 以上です。
○公述人(早川忠孝君) まず、地域代表の点でありますけれども、実はマッカーサー草案に対しての日本案の中では、参議院は、地域別又は職能別に選挙された議員及び内閣が両議院の議員より成る委員会の決議により任命する議員をもって構成すると、こういう提案をいたしました。しかし、これは、直接選挙制度を採用しようとする総司令部に対しては全く通用しない、一蹴をされたわけであります。
 そういう経過の中で、それでは地域代表的なものをこれからどう考えるか。私は、一つの方向性としては十分成り立ち得るものだと思います。
 ただ、お手元のレジュメの方にも書いておきましたが、この連邦国家の場合には国民議会とは別に州政府の代表等からなる第二院を組織すると。こういった連邦参議院とか、あるいは参議院、元老院というそういう名称で呼ばれる第二院があります。ドイツとかスイス、オーストリア、オーストラリア、インド、あるいはかつてのアメリカもこれに該当するのではないかと思いますが、日本の場合には連邦国家ではありません。
 もちろん、徳川幕府から直ちにあの段階で国民議会を構成するとすれば、ひょっとしたら連邦制の議会も各藩あるいは各州の代表者をもって構成する議会というのがあり得たかもしれません。しかし、近代化を図る明治維新以後の日本においては、完全に一つの民族、一つの文化、一つの歴史の下に新しい日本国家が形成されてきたというふうに理解しておりますので、そういう意味では地域代表をもって当然に参議院の議員とするということは難しいのではないかと。
 これが地方分権との関係で道州制を採用し、各道州の代表をもって参議院を構成するということはどうかということも十分考えられます。しかし、現実に各都道府県の知事、これはほとんどが東京周辺の大学を終えた人々がその都道府県の知事、代表者になっている、各議会の代表者も大体同じような経過、経歴を持っているということからすると、やはり日本の場合に各地域が中央政府と別に独立をするということはちょっとあり得ない、またそういった地域もかなり狭いというふうに考えております。
 そういう意味では、地域代表的な性格を有した人を国民の代表の一部に取り入れるというそういった折衷的な考え方が望ましいのではないかというふうに考えております。すなわち、各都道府県の行政の長の中の代表者あるいは各都道府県の議会の代表者の中で一定の数の方々に参議院の中に入っていただく、こういうふうな制度でもって各地方のそれぞれの意見を国民全体の意見の中に切磋琢磨するということで導入することは一つの考え方ではないかというふうに思っております。
 以上です。
○小泉親司君 ありがとうございました。
 終わります。
○会長(上杉光弘君) 松岡滿壽男君。
○松岡滿壽男君 公述人のお三人の方、大変御苦労さまでございます。
 無所属の会の松岡滿壽男です。
 先ほど来、皆さん方のお話の中に、無所属がある面でいろんな選挙その他で不利な立場にあるということでありますが、私も、隣の田名部先生も選挙区から無所属で出てまいっておるわけでありまして、国会は一人一人ではとても活躍できないんですよね。仕方ないものですから、無所属の会で八人で今やっておるんですけれども、それでも一応五十年前に決めたルールがありまして、十人以上でないといわゆる会派として認められないという仕組みになっておりまして、自由党さんと一緒になりまして、十五人で今、国会改革連絡会というものを作りまして、略称で国連でございますが、頑張っておるところでございます。
 先ほど来、もうすべて議論は出尽くしておると思うんですけれども、昨日レジュメを読んでおりましたら、ちょうど今日御欠席の北上リグさんのあれを読ませていただいていますと、議会と政府の分離の問題を取り上げているんですね。地方自治体は、全部都道府県、市町村は直接選挙で選ばれて知事、首長になっておりますね。ところが、国会の場合は議院内閣制ということで、国会で総理大臣を選ぶというシステムであります。それを、やはり議院内閣制そのものが腐敗の温床になっているという指摘を北上さんがしておられるわけですけれども、この制度そのもの、今の国会の議院内閣制そのものについて、お三人の方々に御意見を伺ってみたいというふうに思うんですが、よろしくお願いします。
○会長(上杉光弘君) 御三方からですね。
 じゃ、隅野公述人。
○公述人(隅野隆徳君) この議院内閣制の在り方ということはまた大きな問題で、それは他方で大統領制とも関連して問題になります。
 というのは、一九八〇年代に、名前を言って恐縮ですが、中曽根内閣のときに大統領制的首相論ということが言われたことがあります。学界でもいろいろ議論になりました。つまり、その当時の発言で、首相の発言で、日本の首相はアメリカ的な大統領制的な要素とイギリスの議院内閣制的な首相の要素と両方あるということでしたが、どちらかというと志向としてはアメリカ大統領制に近いと、接近するということで批判もされたわけです。
 大統領制の場合には、アメリカに典型的に見られますように、国民が直接選挙する、つまり独任機関というふうに言われて、しかも議会に対して責任を取らない。他方、議院内閣制の場合には、内閣という形を取って、しかも議会に対して連帯責任、内閣が連帯責任を取るということで、内閣の信任を失えば内閣は総辞職するあるいは解散するということになって、大統領制と議院内閣制というのは一応大きく区別されます。
 大統領制といっても、アメリカの場合には間接選挙がいまだに基本に生きているわけで、なお民主主義の不徹底な面があって問題を持っていると言ってよいでしょう。大統領制になるためには、政党の発展とか地域の発展とか、いろいろな要素が必要になるかと思います。日本の場合に、やはり国民の、特に八〇年代以降、多様な、多元化した利益、意見というものを基盤にすると、それを一人の大統領に、あるいは一人の首相、公選される首相に集結できるかという問題があります。
 今、御指摘のように、日本の憲法では地方自治体ではプレジデンシャルシステムということで首長制を取っていて、議会と直接選挙される知事、その両頭立てということを取っていて、しかし日本国憲法は中央では議院内閣制を取るというかなり賢明な選択をしたというふうに思います。
 もっとも、日本の地方自治体がそのプレジデンシャルシステムとして十分機能してきたかどうかということはまた大きな問題で、これは恐らく午後の課題になるかと思います。日本の場合、やはり多元化した多様な国民の利益、意思というものはやはり議会において、国会においていったんまとめられ、この離合集散を経て一人の総理大臣を選び、内閣が組織されるということの方が日本の場合に賢明であるだろうというふうに思います。
 また、歴史的に見ても、大統領制を取るといっても議院内閣制を基盤にするフランス的な要素、フランスの場合にはどちらかというと大統領制の方が強い面もありますが、歴史的なその後の展開では議院内閣制もかなり成長してきているということもあって、大統領制かあるいは首相公選か議院内閣制かというのは、その歴史、社会、そしてその方向付けということで大変議論の呼ぶところかと思います。
 以上です。
○公述人(早川忠孝君) 大統領制を取るか議院内閣制を取るかというこの選択でありますけれども、国民の代表である国会議員と国民の代表である大統領のこの二つの調整をどうするかという問題があろうかと思います。
 すなわち、現在の議院内閣制であれば、内閣に対する不信任という、そういった権限が国会議員にあります。これがもし大統領制になった場合に、国民が直接選んだ大統領を議会が不信任してよろしいかということになろうかと思います。あわせて、大統領が、現在の議院内閣制のように、それでは不信任決議があったときに国会を解散する、衆議院を解散するという、そういったことが許されるかという問題があります。
 これまで五十五年の経験を見ますと、日本の場合の議院内閣制は相当程度定着をしている。翻って、地方の場合にはどうなっているか。大阪とかあるいはその他の自治体の首長をどうやって有権者が選択していったかということを考えますと、やはり大事な外交とか防衛とか様々な課題を抱えている国政の場においては、国民の多様な意見を適切に反映できるようなシステムがより望ましいのではないかと。そういう意味では、現在の議院内閣制を基本にした形での新しいシステム作りを考えていった方がいいのではないかというふうに考えております。
 以上です。
○公述人(本田年子君) 私は、いいとも悪いとも分かりませんので言えませんが、しかし、現在、民意を反映されていない、政党色の強い国会ですから、そのことに問題があると思っていますので、答えになりませんが、はっきり言えません。
○松岡滿壽男君 ありがとうございました。
 隅野先生、三十数年前に参議院改革三原則というのを河野謙三さんが言われて、それは、正副議長は党籍を離脱すると。それともう一つは、大臣、政務次官を参議院から出さない。これは行政のチェック機関ということを念頭に置いておられると思うんですね。それから、党議拘束を緩やかにする。これは政党化を進めないという前提だと思うんですけれども。そこで、それに尽きると私は思っているんですけれども、法律を、憲法を変えないでやる以上は、現実方法として。
 そこで、先ほど五十九条の話を先生おっしゃいました。私も、おととしですか、去年ですか、小渕さんと予算委員会で、党議拘束を緩やかにして、参議院で否決されたって五十九条で衆議院に持って帰れば、三分の二以上あれば可決されるんじゃないですかという話をしましたら、やっぱりスーパーマジョリティーという言葉を使われましたね。だから非常にこれは重いと。そうなるとやはり、イギリス辺りは一般的マジョリティーで、二分の一なんですよね、お持ち帰りのときは。
 この問題について、それではどのようにこの問題を対応すればいいのか、お考えをお聞かせいただきたいというふうに思うんですが。
○公述人(隅野隆徳君) 五十九条の問題というのは、近年になって具体的な問題として衆参の関係で議論になり、学界でも今議論が進んでいるところと言った方がよろしいかと思います。
 それにもかかわらず、これは八〇年代の初めぐらいから、たしか自民党の改憲案の中には、五十九条の二項の問題を懸念して、これを、三分の二を過半数にするという提言もたしか中間報告で出していたかと思います。しかし、現実の問題になってみて、しかも現実の衆参での議会政治というのを見て、やはり私は、先ほども申しましたように、五十九条二項をいかに運用していくかということで衆議院と参議院が合意に達すると。
 つまり、衆議院が可決して参議院が否決する、そうした場合に五十九条の三項、四項で両院の協議会が開くということになっていて、それも、たしか一九九三年から九四年にかけての政治改革のときに問題になり、私からすれば、五十九年の、一月、二月に掛けて奇妙な形でこの両議院協議会が決着したというふうに思って、批判的に見ているんですが、五十九条は、両院協議会も置き、しかもその上で、五十九条二項の再議決の要件としての衆議院での三分の二以上の多数ということにしている。
 確かに、三分の二というのは厚い壁、重い要件であるということは明らかです。それにもかかわらず、衆議院が、なぜ参議院で否決されたのか、法案が否決されたのか、その背景に国民の意見、利益がどういうふうにあったのかということを反省するということを求め、それでも必要であれば、衆議院が三分の二の多数での可決という厳しい要件にしたんだろうというふうに思っています。
 イギリスの場合に過半数ということをお話しになられましたが、イギリスの場合には三読会制ということで、御承知のように、かなり慎重な審議をしているということがあるものですから、それと結び付けて考える必要があるかと思います。
 日本の場合に、繰り返すようですが、まとめ的に、五十九条の問題が出てきたというのは、まだ八〇年代、現実には九〇年代に入ってのことで、ここは是非衆議院、参議院それぞれに知恵を出して、やはり基礎に国民の意見、利益ということを踏まえて、この五十九条の適用、運用を御検討いただければ幸いと思っています。
 以上です。
○松岡滿壽男君 本田先生、先ほど道州制のお話がございましたが──早川先生、済みません。今度、地方制度調査会でも道州制の議論とそれから税源移譲の問題、この二つが大きなテーマになってきておるんですけれども、与党三党でも三千三百を取りあえず千にしたい、小沢さん辺りは三百ぐらいの市にしていく、そうしないと生き残りもできないし、国、地方を通じて四百四十万公務員がいるわけですから、これは制度を変えないとうまく回っていかないと思うんです。百二十年前ぐらいにいわゆる今の都道府県ができて、随分広域化しておりますね、交通手段も変わってきている、通信手段も。そういう中で、やはり都道府県の壁を破って九つか十ぐらいの州にしてしまうという方向性もいろんな議論をされておりますね。スリムで効率的な仕組みにしていかなきゃいかぬ。
 そういう中で、この前、私ども憲法調査会でドイツ、イギリスに行ってきたんですけれども、ドイツは連邦参議院というのがあります。それからイギリスも、成文憲法を作った段階ではドイツ型を目指したいということを言っていますし、大体二院制を取っているところは貴族制度のところと連邦制が主なんですよね。そういうことから考えると、参議院のあるべき論としては、当然、道州制に変わったときに地域代表、いわゆる職能とか比例代表はもう廃止して、地域代表に限定する、ドイツ方式ですね。そういう方向性が考えられるわけですけれども、これにつきまして具体的な御見解があれば、ちょっと伺わせていただきたいと思います。
○会長(上杉光弘君) どなたへお聞きを。
○松岡滿壽男君 早川先生です。
○会長(上杉光弘君) 早川公述人、時間が参っておりますので、要約でお願いいたします。
○公述人(早川忠孝君) はい、分かりました。
 私もかつて自治省という役所に奉職をしておりまして、地方自治の問題、非常に関心を持っております。そこで、今の道州制の議論でありますけれども、これはやはり国民の一つの求める方向だろうというふうに理解をしています。まして、そういう自治体を、基礎的な自治体を三千三百、三千二百三十二から千、あるいはもっと少なくするという方向性も、これも正しいというふうに思います。
 しかし、そうはいいますけれども、連邦制でそれぞれが例えば司法権を持つとか、あるいは当然参議院に代表を出すという、もうそれだけしか参議院の代表はいないということになると、余りにも機能が弱いんではないかというふうに思いますので、それは考えなければいけないというふうに思っております。
 以上です。
○松岡滿壽男君 ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 大脇雅子君。
○大脇雅子君 社会民主党の大脇雅子でございます。
 今日は非常に鋭い多角的な視点からの御意見をいただきまして、ありがとうございました。
 さて、様々な参議院の独自性の問題や機能の問題が議論される中で、私は基本的には参議院議員の個人の自主性とか自律性の確立ということが非常に大きな課題ではないかと思います。
 先ほど党議拘束の問題が出ましたけれども、諸外国のいろいろな例を見ましても、時代の流れはそういう党議拘束を離れたクロスボーティングということが様々議論がされ、クロスボーティングのための議員連盟などできましたが、休会中みたいな状況で今あります。
 衆議院のカーボンコピーと言われている参議院の状況について、私はこれがかなり大きな意味を持つのではないかと思っておりますので、三人の方々に、党議拘束を離れた言わば個人の自覚に基づいた投票行動というものについて、その可能性と将来について、何か御意見ございましたら、お尋ねしたいと思います。
○公述人(隅野隆徳君) 党議拘束が上院、特に現実に参議院でどうあるべきかというのは、また非常に重要な、また難しい問題かと思います。
 先ほど御指摘もありましたように、一九七一年の河野謙三議長の下でそういう方向が打ち出され、また参議院自身努力されてきたかと思います。
 ただ、ここで理論的に考えるべきは、参議院においても基本的には政党政治、政党を母体にした選挙ということは基本になるし、それにどう無所属が参加できるようにするかということが重要なんですが、そうであるとすれば、政党を母体にして党議拘束というのはどういう意味を持つかと。つまり、これも選挙民に対して、国民に対して、やはり選挙というのは選挙政策を出すと。それに国民の承認を得るということが重要かと思うんです。
 今日ですと、選挙というのが、ただ候補者を選ぶだけではなくて、同時に政策を、とりわけ基本政策は選挙民が選択するというマンデートの理論というのがヨーロッパでは普通に浸透しているわけです。つまり、ただ人を選ぶ、代表を出すのではなくて、同時にその代表がいかなる政策を国政に持っていき行動するかということまで国民が選択するということが重要になってきます。
 そうであるとすると、選出された代議員が、国会議員が個人で行動するという余地と同時に、やはり基本的には政党なりグループなりが国民に公約した選挙政策、それに基づいてどういうふうに行動するのか、判断するのかということが問われるだろうというふうに思います。だから、党議拘束一般が解除できるということにはならないだろうというふうに思っております。
 簡単ですが、以上です。
○公述人(早川忠孝君) ただいまの参議院議員について党議拘束を外すと、私はこれは当然の方向ではないかというふうに理解をしております。
 政党との関係でありますけれども、政党は基本的には選挙でもって勝利するための組織体という性格を持っております。参議院議員があくまでも衆議院をチェックするための機能を第一にしなければならないということからすると、そういった選挙からなるべく遠い存在にした方が正に国民の利益を実現するような良識の府としての仕事をできるようになるのではないかと。
 そのためには、やはり参議院議員の行動基準、倫理基準、何のために国政の一院、第二院である参議院でそれぞれの業務を行うかといったことを明確に意識する、そのための何らかの参議院議員に関する倫理とか行動基準を確立すれば、ひょっとしたら党議拘束から自由になっていくかもしれないと、こういうふうに考えております。
○公述人(本田年子君) 私、党議拘束がどのくらい厳しいかということがちょっと分かりませんのでお答えにならないかもしれませんけれども、やはり私たち有権者は、投票した人に代表を託したのですから、その人の考えることやその人の政策を実行してほしいと思っていますので、なるべくなら党議拘束というものはなくて、その人の自律性というものをやはり大切にしてほしいとは思っております。
○大脇雅子君 ありがとうございました。
 私どもは日常的に、党議拘束といいましても、やはり非常にテーマが多様でございますし、非常に問題の発生が流動的でございますから、非常にその点、個人としてどのように良心に従って行動するかということは日常に様々悩むところでございます。御意見ありがとうございました。
 さて、私がこちらに参りまして非常に疑問に思っておりますのは、やはり立法府が立法を全部つかさどるというふうに考えてまいりましたが、こちらに参りますと内閣の立法がほとんど、七〇%、八〇%を占めまして、当今、議員立法が活性化してまいりましたけれども、なかなか衆参の議員立法というものは内閣の提出される立法に比べまして非常に、質的にも必ずしも高いとは言えないと思いますし、数も非常に少ない、そして成立率も低いということがございます。
 私は、そこが行政府の、本来ならば法の執行というのが主たる権限である行政府が非常に肥大化をしていて、国民主権というものが非常に虐げられているというか、非常に弱くなっている原因ではないかと思っておりますが、この議員立法の活性化につきまして何か御意見がございましたら、お三方にお伺いしたいと思います。
○公述人(隅野隆徳君) 非常に重要な御指摘かと思います。日本の場合に、議員立法、国会議員が発案する議員立法というのが相対的には非常に低い、逆に、内閣あるいは各省庁の実質的に作成する法案が成立する度合いが多いというところは現実に大きな問題です。
 その場合に、普通の法律作成と同時に、法律によらないで、しかも重要な方向付け、実質的に法律的な役割をしているという二つの面が重視されるかと思います。一つは計画行政という点と、もう一つは軍事立法の、軍事委任立法の問題です。
 計画行政については、国土総合開発法なんかにありますように、四全総とか三全総とかいう、計画が国土総合開発法に基づいて内閣によって作成される、それの国会承認はほとんどなされないと。その下位法規が法律として作成される。しかし、その下位法規は計画に、国土総合開発計画、内閣が作った計画に枠付けられて微調整でしかあり得ないというところに大きな問題があります。諸外国ですと、計画自身を立法によって処理するということがあるだけに、日本の場合に、明治以来のこととも関連して大きな問題を持っていると思います。
 もう一つは、軍事委任立法がこれからいよいよ増えていくかと思います。
 今までのPKO協力法とかあるいは周辺事態法の中にも委任立法の根拠法、その展開というのが現実に進んでいるところですが、特に有事法制と言われている中に、例えば自衛隊法の百三条の関係で、国民の権利、自由に大きくかかわるような領域が委任立法によって、つまり国会で十分審議され、国民の利益との関連で検討される以前に委任立法で作成、運用されていくということがあって、日本の憲法の平和主義からすれば大きな矛盾で、批判されなければならないかと思っています。
 以上です。
○公述人(早川忠孝君) 議員立法を充実させるという意味では議員のおっしゃるとおりだと思いますが、しかし行政の内部で様々な既存の法律システムについての不具合というのが分かってまいります。そうしますと、法律を運用する場からの提言に基づいて内閣が法律案を提出するというのは、これは十分あってしかるべきである。特に、議院内閣制を取っている場合には国会議員の中から首相が指名され、そしてまた各大臣が選任をされているわけでありますので、その人を得れば正に内閣の中でも十分の立法提言作用が果たすことができると。
 しかし、そうはいいましても、衆議院でも参議院でも、十分のスタッフを確保し総合的に調整を果たした上で議員立法するということはあり得ることですし、最近の経済再生のために、例えば民事再生法等の様々な法律ができてまいりました。これは法律実務に携わる弁護士として、非常にスピードが速い改正作業がなされてきた、正に求められている作業が国会で現実に行われてきたんだというふうに思っております。かつて、法務省が中心となり法制審議会等の審議を従前の同じようなやり方で経過していれば、恐らく民事再生法等の法律が三年ないし四年遅れただろうというふうに言われておりますけれども、非常にスピードが速くなっているという意味では国会も内閣もそれぞれに役割を果たしている部分が多くなったというふうに私は評価しておりますので、議員立法も充実しなきゃいけない。
 それから、内閣等が自らの行政の執行の中で抱えている問題について、例えば参議院がこういった専門的な審議機関で既存の法律を見直しをし、提言をするという作業はあって当然だというふうに思います。
○公述人(本田年子君) 私たち一般有権者は、内閣立法がこんなに多いということがなぜなんだろうと、そういうふうに思っております。議員立法が活性化していない面は、議員の方が怠けているんじゃないかなんと言う人もいますし、そういうような感じで受けているので、その点、皆様方でお考えいただきたいと思います。
○大脇雅子君 あと一分なんですけれども、やはり民主主義というのは数が決定的でございまして、多数決で決まるということが当然なんですけれども、やはり少数意見の保障ということは非常に重大で、例えば選挙制度で、フランスなんかは女性をフィフティー・フィフティーに候補者をするというような法律ができたりしております。そういうクオータ制のような考え方の導入について本田委員に一言お伺いいたしまして、質問を終わります。
○公述人(本田年子君) 今の選挙制度では非常にお金も掛かりますし、女性が、一人区の多いような状態では女性はやはり出にくいですよね。女性というか新人の方も出にくいと思います。そういう点で、女性はマイナーな立場にいるなというふうに思っております。当然、改善していただきたいと思います。
○会長(上杉光弘君) 大脇委員、よろしいですか。
○大脇雅子君 はい、結構です。
○会長(上杉光弘君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言申し上げます。
 公述人の方々には長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 お述べいただいた御意見につきましては今後の調査の参考にさせていただきたいと存じます。
 午後二時に再開することとして、休憩いたします。
   午前十一時五十一分休憩
     ─────・─────
   午後二時開会
○会長(上杉光弘君) ただいまから憲法調査会公聴会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日、午後は、「地方自治と地方分権の在り方」につきまして、自治体問題研究所・研究担当常務理事池上洋通君、埼玉県議会議員舩津徳英君、中国短期大学幼児教育科専任講師松井圭三君及びジャーナリスト山本節子君、以上四名の公述人の方々に御出席いただいております。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 本調査会は、平成十三年当初から「国民主権と国の機構」について鋭意調査を進めているところでございます。
 本日は、「国民とともに議論をする」という本調査会の基本方針を踏まえ、これからの地方自治と地方分権の在り方、最近話題となっている住民投票、市町村合併などについて幅広く忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の調査に資してまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、公述人の方々からお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきます。
 なお、公述人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず池上公述人お願いいたします。池上公述人。
○公述人(池上洋通君) 池上でございます。
 本日は、大変貴重な機会を与えていただきまして、心から感謝申し上げます。
 私は、「地方自治と地方分権の在り方」ということでレジュメを用意させていただきましたので、ごらんいただきながらお話を聞いてくださればと思います。
 組立てとしましては、日本国憲法の地方自治規定の先駆性ということについて触れた後、地方分権改革における国と地方自治体の関係の在り方ということについて述べたいと思います。そしてさらに、今日、地方自治の最も現場で大きなテーマになっております市町村合併政策について所見を述べたいというふうに思っております。そして最後に、時間が許されますと、住民投票についても触れたいと、こんなふうに考えております。
 最初に、日本国憲法の地方自治規定の先駆性についてでございますが、このたびいただきました参議院憲法調査会会議録を拝見しておりましたら、平成十二年四月十九日に行われたこの会の中で、木村仁さんが大変積極的な評価をなさっている地方自治の本旨という規定についてのお話が載せられておりましたが、私もここに書かれていると同じように、我が国の憲法の地方自治規定の中で特に地方自治の本旨の規定は大変先駆的なものであったというふうに高く評価をしている立場であります。
 そして、九十二条の地方自治の基本理念、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」というこの基本理念に基づいて地方自治というものは展開されなければならない、こういうふうに考えておるわけであります。
 申し上げるまでもなく、このやはり同じ会議録の後ろの方の資料にも出てくるのでありますが、地方自治の本旨は住民自治の原則と団体自治の原則とによって成り立っているということは、今日、言わば国の国会答弁等においても明白なところでありますが、私どもはどんな場面でもこの二つの原則を実現するための地方自治でなければならないというふうに考えております。
 九十三条で住民自治の原則をうたい、九十四条で団体自治の原則をうたい、さらに九十五条で特別法の立法と国、地方公共団体の対等性と私どもが理解をしております憲法の条項がございまして、ここに今日も注目されております住民投票の規定も設けられているわけであります。
 昨今の憲法研究の一つの到達点に、我が国の憲法はそれまでに作られた先進的な憲法、我々の国の憲法より前に作られた、日本国憲法より前に作られた憲法のうちでも最初に地方自治を章として掲げた憲法であるということが確認をされるようになっておりまして、その点でも日本国憲法の地方自治規定の先駆性は明らかだと考えております。
 そこで、住民自治の原則でありますが、議事機関としての議会の設置をうたっていること、それから長、議会議員の直接公選ということをうたっている、つまり代議制としての住民自治を掲げ、首長制としての住民自治を掲げると、こういうふうなことになっているように私どもは理解をしておるところであります。
 さらに、代議制ばかりではなしに、我が国の地方自治法は大変特徴的に、請願を初めとして、解職、議会解散、条例の改廃等についての直接請求あるいは住民監査という直接民主主義の制度を持っている点で、私たちはヨーロッパの地方自治制度と比較しても遜色のない優れた住民自治の規定を持つ法制度であると理解をしてまいりました。
 さらに、団体自治の原則につきましては、自主立法権、自主行政権、自主財政権ということが明記されておりまして、更に現実の行政運営において、あるいはまた議会運営において自主組織権も与えられているというふうに理解をしてきたところであります。
 さらにまた、特定の自治体に適用する特別法云々の規定でございますが、特定の自治体に適用する特別法を立法するときに、その立法手続を明確にして、法の下での平等をうたった憲法十四条との整合性をきちんとしていること。それから二つ目に、国と自治体間の対等性について留意していること。それから三番目に、住民投票によって決着すべしという考え方ですね。特別法の立法は、議会の同意ではなしに、住民投票によって決着するという考え方を持つことによって住民自治及び住民参加を貫徹している、そうした体系になっていると考えております。
 さて、そうしたことを踏まえて、近年、地方分権改革ということで国と地方自治体の関係の在り方について議論されてきたところであります。私は、実は一九九五年に地方分権推進法が立法されるときに参議院に呼ばれまして、参議院の委員会でその審議の一画に加わらせていただきまして、参考人として意見を述べる機会を得ました。さらに、一九九九年の八月にいわゆる地方分権一括法が成立を見るときに、今度は衆議院に委員会に呼ばれまして、四人の研究者の一人として地方分権一括法について所見を述べさせていただいたところでございます。
 そうした経験から、幾つかの点を申し述べてみたいと思います。
 まず第一番目に、改正地方自治法における積極的側面として私どもが確認をしているのは、第一番目に機関委任事務制度を全廃したこと、そしてそのことによって条例制定権を大きく広げたことであります。そして二つ目に、国の法令制定、行政の政策活動における地方自治の本旨と自治体の自主性の配慮等の原則というものを新しい地方自治法に明確にうたったことであります。
 私は、この二点が大変今日的で重要であると考えておるわけでありますが、そこに現在の地方自治法についての抜き書きを幾つか掲げておきました。
 地方公共団体の目的として、住民の福祉の増進を図ることを基本とするのだと。また、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を担うんだ、こういうことが明確であります。さらにまた、国の位置として、国が行うべき国際社会における国家としての存立にかかわる事務を始めとして幾つかの事務を明確に掲げ、それ以外の事務についてはすべてできる限り地方公共団体にゆだねることを基本とするんだということを明確にしています。さらに、そればかりではなしに、地方公共団体との間で適切に役割を分担するとともに、地方公共団体に関する制度の策定及び実施に当たって地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならないと明確に規定をしました。
 また、国の立法による原則についても次のように定めておりまして、地方自治法第二条第十一項でございますが、「地方公共団体に関する法令の規定は、地方自治の本旨に基づき、かつ、国と地方公共団体との適切な役割分担を踏まえたものでなければならない。」、立法行為に対して明確な規定を設けました。
 そしてまた、国の行政活動における原則としまして、同じく十二項に、「地方公共団体に関する法令の規定は、地方自治の本旨に基づいて、かつ、国と地方公共団体との適切な役割分担を踏まえて、これを解釈し、及び運用するようにしなければならない。」と明記しまして、国の行政活動において地方分権ないしは地方自治の本旨を侵すようなことがあってはならないということを明確にうたっているところであります。
 さらに、自治事務に対しては特別な配慮の原則をうたいまして、同じく十三項に、「法律又はこれに基づく政令により地方公共団体が処理することとされる事務が自治事務である場合においては、国は、地方公共団体が地域の特性に応じて当該事務を処理することができるよう特に配慮しなければならない。」という特別配慮の規定を自治事務に対して設けているわけであります。
 しかしながら、同時に、改正地方自治法における関与の問題がございまして、幾つかの点を挙げなければならないのですが、本日は消極的側面を持っているのだということを一言申し上げておきたいと思います。
 なお、この地方分権改革において今日重大な問題として直面しております問題に税財源制度の改正の緊急性がございまして、これを一刻も早く実現を見ること、これなしに地方分権改革の実質的な展開はできないというのが、現場におる市町村、都道府県の人々も含めた私どもの実感であり、要望でございます。
 さてそれで、そうしたことを踏まえまして私が昨今の動きの中で最も心を痛めておりますのは、市町村合併政策をめぐる問題であります。市町村合併特例法と通称されております法律がございまして、今日、市町村合併政策が推進されておるわけでありますが、幾つかの重大な問題をここにははらんでおります。
 第一番目は、市町村合併と申しますのは、私のレジュメの四ページをごらんいただきたいのでありますが、本来、市町村が適正な規模になるために行うものであります。地方自治法は、第二条第十五項で「地方公共団体は、常にその組織及び運営の合理化に努めるとともに、他の地方公共団体に協力を求めてその規模の適正化を図らなければならない。」という言わば適正規模論というものを打ち出しておるわけでありまして、そして、それに基づいて地方自治法の第七条で市町村の廃置分合という規定を設けています。
 廃置分合という考え方は、明治二十一年の市制町村制以来のものでございますが、これは、市町村は適正な規模にするために分割、分立、合体、編入という、つまり、大き過ぎると考えたら小さくする、小さ過ぎると考えたら大きく大きくするということを原則にした、そうした規模の適正化を行うという原則に立っているもののはずでありますが、市町村合併特例法は合併についてのみ規定を設けている法律でございます。
 だとすると、分割、分立を望む住民の声はどうなるのかという点から考えますと、市町村合併特例法のみをもって規模の適正化論を語るのはおかしいのではないかというのが立法上の私の第一の疑問であります。
 それから、第二番目に大変重要だと思っておりますのは、結果として、この市町村合併特例法だけがございますので、市町村の段階でいろいろな議論をして、賛成・反対論を議論しようとすると、賛成、推進の側に立って国が乗り込んでくるという事態になっています。これは果たして分権改革から見て正しい在り方なのかということでございまして、これは私は大変ゆがんだ合併政策ではなかろうかということを率直に指摘せざるを得ません。
 四ページの一番下に、昨年の八月三十日に出された市町村合併支援プランの概要の第一のところに国の分掌として次のように載っているんです。「政府としては、地方分権の成果を生かし、基礎的自治体である市町村の行政サービスを維持・向上させていくために、行政改革大綱に則り、市町村の合併の特例に関する法律の期限である平成十七年三月までに十分な成果が上げられるよう、自主的な市町村の合併を強力に促進する必要がある。」。これはとても日本語としては成り立たないと私などは思うのでありますが、こういう政策になっているんですね。これは、先ほど申し上げました地方自治法が新たに規定をした特に自治事務に対する特別な配慮という観点から考えても、自治事務中の自治事務である市町村合併政策に対して大変ゆがんだ物言いではないだろうかということを率直に申し上げなければなりません。
 そういう意味で、私は、今特に市町村合併をめぐって起きております現場の混乱に向き合っている、私はこのところ、毎月十四、五回の講演を全国各地でこなしておるのですが、ほとんどすべて市町村合併の議論です。議会や当局が次々私を呼んでおりまして、本当に言わば議員さんの涙を見ることさえあるわけでありまして、なぜこんな混乱を持ち込んでいるのか、許し難い気持ちを持つときがございます。是非こうした機会に、憲法、地方自治の原点に基づく以外の分権の発展はあり得ないということを申し上げておきたいと思います。
 以上で発言とさせていただきます。
 ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、舩津公述人にお願いいたします。舩津公述人。
○公述人(舩津徳英君) 御紹介をいただきました舩津といいます。どうぞよろしくお願いいたします。
 限られた時間でありますので、私の方でレジュメを用意させていただきました。ほかの方と違ってちょっと簡単でありまして恐縮しておりますけれども、そのレジュメにのっとってお話を進めさせていただきたい。また、私の記事が市民新聞、地元の新聞に載っておりますので、また後でごらんになっていただければ有り難いというふうに思います。
 私は、憲法にこの地方自治や分権、わずかな条文しかありません。しかし、そんな中で多くの市町村や都道府県が住民のために一生懸命事業を進めておる、そういうことを踏まえて、是非力のある地方自治ができますようにお願いをしたいという気持ちでお話を進めさせていただきたいというふうに思います。
 私は、永田町から見た地方自治あるいは市町村というのは、どうも金太郎あめのように、どこで切っても、輪切りにしても、同じように平均化していくように思えてならないわけであります。地域によって文化や伝統、そして考え方も経済情勢も違うわけでありますので、是非それぞれの現場のこともお考えをいただきたいというふうに思います。
 最初に、自己紹介と我が鳩ケ谷市の状況でありますけれども、私は市役所職員として十二年間地元の市役所に勤めて、そしておやじが、また祖父が町会議員、市会議員をやっておりましたので、後を継いで三代目でやらせていただいております。そんな中で、我が鳩ケ谷市は、実は戦後、隣の川口と合併しておったのを振り切って、振り切ってというのはおかしいんですが、住民投票を戦後先駆けて実施して、そして分離、独立を果たしてまいりました。ですから、私が子供のときから、おやじから、うちのおやじは合併派でありました。大きな市とくっ付いていなければなかなか財政もうまくいかないし、なかなか事業もできないということで、合併だとかあるいは独立だと、そんなあらしの中で子供時代を過ごして、そして市役所職員として、また実際に政治をやらせていただいております。
 私も祖父や父親と一緒に、やっぱり合併した方がいいんではなかろうか、そんな気持ちでずっと過ごしてまいりました。しかし、どうも小さな市、私の市は五万六千人で六・二二平方キロメートルであります。隣の川口は実は四十五万人以上の大きな市でありまして、地理的にも財政的にも約十倍の規模であります。その二つの市が合併の話をしますと、大体、面倒を見よう、おたくのところは金がないから面倒を見てあげるよと、そんな話になってしまうわけであります。
 そうなりますと、やっぱり国といえども、あるいは地域といえども人間が主体でありますから、やっぱりそんなにばかにされてまでお世話になってどうなのかなと。できるのであれば、自分のところで頑張ってやれるのであれば頑張っていきたいという疑問を実は何年か前に持ったわけであります。それを、時を同じくして、明治維新後三回目の市町村合併のあらしの中であえて多少異論を唱えてみたいという気持ちで今日頑張っております。
 そんな大きなことを言うつもりはありません。私は市役所職員で、末端の事務、会計課というのがありまして決算書をつくったり、あるいは体育課という課があって駅伝競走とかスキーの集いとか、そんな住民に一番身近なことをやってまいりました。ですから、大きなことを言えるはずもないし、言うつもりもありません。ですけれども、国と地方公共団体、そしてそこに民間というのが書いてありませんけれども、どうもこのごろごっちゃになっているような気がするんですね。
 例えば、明治維新後、日本が欧米に追い付け追い越せとやったときには、国は殖産興業だとか富国強兵、大きな目的のために頑張ったし、そして地方は地方で一生懸命、食べていくのに精一杯でありましたけれども、頑張ったわけであります。そして、その中で民間企業や民間の人がその範囲内で頑張ってきたわけでありますけれども、どうもそれがソ連が崩壊したことによって私はこのごろそれがごちゃごちゃしているのではなかろうかなというふうな気がするわけであります。
 例えば、大きければいいということであれば、私は、国の話でありますけれども、中国かアメリカに合併すればいいのかなと。そういう話にはなかなか乗ってこないのでありますが、実は、都道府県のレベルで、もう七年前になりますけれども、我が埼玉県知事、土屋義彦知事に東京都と合併したらいかがでしょうかと提案をしたわけであります。
 なぜかといいますと、実は、東京を中心にして、埼玉県、神奈川県、千葉県というのは実は生活の場であって、そして大きく見ると東京に通勤、通学をしておる、一つの巨大な東京圏を維持、作っておるわけであります。非常に矛盾があるわけでありまして、どの辺に矛盾があるかといいますと、実は一般会計の中にその四つの県が占める教育費の割合というのが非常に高いんですね。約三割、神奈川県が平成十三年度は三五%ですから、日本で一、二位を争う教育費。ところが、一方で東京は一〇%ちょっとしか、日本で一番教育費の予算の割合が少ないわけであります。
 ですから、生活の面倒を私どもの県が見て、そして生きのいい人たちを東京に送って東京が維持されているのかななんて私は思いましたので知事に申し上げましたところ、東京の下請じゃないんだということなんですね。ですから、都道府県の再編というのもなかなかうまくいかない、そんな中で市町村の再編ばかりが先行しているのかななんというふうに思うわけであります。
 そして、いろんなことを申し上げたいんですが、なかなか時間がありませんので漏れてしまうことがあると思いますけれども、「行政が効率を追求する事の限界」というのは、実は先ほど申し上げましたとおり、国であれば、日本じゅうに鉄道網を通すとか、あるいは通信網を通すとか郵便網を作るとかできるんですね。市町村や都道府県は、そこまではいかないけれども、小さな道路だとか公園を造って社会資本の整備をしておる。その道路だとか通信網を使って、丸井だとか、そごうはちょっといけないんですが、そういう企業がもうけて税金だとか社会保険で流れておって社会が成立していたと。ですから、国だとかあるいは地方公共団体が効率ばかりを追求するのはどこか無理があるのではなかろうかという非常に疑問を持つわけであります。その効率や合理的なところから求める余りの今、市町村あるいは都道府県の見直しになっているのかなというふうな疑問を持つわけであります。
 四番目の「市町村は身近な存在」というところでありますけれども、都会だと余り感じないんですが、田舎の方に行きますと、大きなことを、国がやるようなことでも役場に行って結構相談に行くんですよね、役場に行って。役場は非常に身近な存在であります。ですから、国や都道府県や市町村、その三つの在り方の中で、身近な市町村というのは一体どういう規模で、そしてどういう存在であるかというのは、いま一度お考えをいただきたいというふうに思うんですね。
 例えば、私どもの市は、きじばと作業所という障害者の方の作業所を作っております。そういうことは恐らく、かゆいところに手が届くようなことは都道府県や国は特にできないのではなかろうか。あるいは、小学校も中学校も市町村の中にあって、もちろん県もお金を出しております。しかし、市町村がいろんなことを、小学校、中学校あるいは保育所をやっておるわけでありまして、身近な市町村ということをぜひもう一度認識をしていただきたいというふうに思うわけであります。
 そして、よく出てくるのはお金のことなんですよね。国はやっぱり非常に大きな力があって、税務署も持っているし、そしてお金自体も、紙幣自体も発行できるわけであります。ですけれども、私が市町村の職員として事務に携わっておりますと、どうも同じようなことをして無駄があるんではなかろうか。
 例えば、市町村住民税課というのがあって申告は受け付けるわけであります。そして、県には、都道府県、県税事務所があって、県税事務所ははっきり言って遊んでいるんですよね。そして、国は税務署がある。であれば法人税や所得税はどこか一か所、一番暇そうだと言うと怒られちゃうんですが、都道府県の県税事務所が、あるいは政令指定都市の立場で税務署を運営して、そして一定の率によって国や市町村に分ければ私は合理的ではなかろうかと。恐らく国は放さないでしょうけれども、私はそんなふうな気持ちを持つわけであります。
 そして、今一番目立つのが政令指定都市であります。七十万になれば、前は百万でありますけれども、政令指定都市になれば大きなことができますよ、だからどうですかと。もちろんそれはそれで私はいいと思うんですけれども、しかし、戦後あるいは戦前から長いこと経て、都道府県や政令市、市町村の中に大きな矛盾があります。六十万か七十万で県を維持しているところと、三百数十万人の市と、これは私が申すまでもなく大きな矛盾ではなかろうか。
 ですから、政令市というのは名実ともに県から独立をして、例えば県会議員もやめた方がいい。そして県から独立して、そして正に県と同じようにしていくべきではなかろうかというふうに思うんです。だとすると、神奈川県が横浜、川崎、そして湘南市ができると、恐らく残りの神奈川県というのは抜け殻になってしまうと思うんですね。そこで正に一つの都道府県レベルの再編につながっていくのではなかろうか。今、非常に中途半端な状況ではなかろうかというふうに思うわけであります。
 そして今、政令市が、私ども埼玉県でもさいたま市というのが百三万人、昨年の五月にできました。いよいよ政令市に向けて事務手続やいろんなことをやっておりますけれども、どうも大きな市になると民意が酌めない。区の政治をするわけでありますけれども、区役所というのはお分かりのとおり、東京以外は職員であります。ですから、もう少し住民のチェック機能や、あるいは提案機能、例えば評議員とか代議員とか、そういう住民の代表を置いて、そして一定の予算の運営をさせたり、あるいはチェックをさせていくべきではなかろうか。そうでなければ、正に大きくするだけの一方通行で、私は先ほど申し上げました身近な町役場、そしてみんなのよりどころである市町村の役割というのが、大きくするだけでは果たせないんではなかろうかというふうに思うわけであります。
 いろいろ申し上げたいことは、あと二、三分ありますから最後の八番のまとめに入らせていただきますけれども、どうも市町村は国や県に物が言えないんですね。お金がない、だから小さなところはだめだと。
 私は、実は鳩ヶ谷市は地下鉄七号線が昨年できまして、お金は確かにないです。駅の周辺整備をしたり区画整理をしたり、そしてダイオキシンの対策のために今までのごみ焼却場を直す、そのお金がありません。ですから、広域行政、そして広域合併につながっていくというのも分かるんですけれども、であれば、じゃ地下鉄七号線のトンネルやプラットホームに税金を掛けさせていただきたい。
 先生方は多分お分かりだと思いますけれども、実は国鉄が解体して分割・民営になって税金の課税対象になったわけであります。ですから、当然地下鉄のトンネルも課税対象であります。県の方で計算していただいたら、実は埼玉県を走る部分で十五億円ほど、私どもの市に二億五千万円のお金が入るんですね。ですから、鳩ヶ谷市、川口市、浦和の議員の方に頼んで、そして県でも実はその税金を掛けるようにお願いをしたわけでありますけれども、いずれの首長さんも度胸がないんですね。なかなか請求書を発行するだけの度胸がなくて、国の方の法律で、附則で非課税になりました。
 主張することをしないでお金がないないという、これもやっぱりおかしな話でありますけれども、住民の側に立って、市町村の住民のために頑張っていかなきゃいけない、そしていけるような是非御配慮を先生方にお願いを申し上げまして、言葉が整いませんけれども、私の話とさせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、松井公述人にお願いいたします。松井公述人。
○公述人(松井圭三君) 皆さん、こんにちは。
 私は、中国短期大学幼児教育科専任講師の松井圭三と申します。現在、社会福祉系の教員をしています。私自身は、以前、自治体、またシルバー人材センターで長年と勤めてまいりまして、私が考えております地方自治、地方分権について思ったことを述べさせていただきます。
 まず最初に、現在、政府、自治体に対して国民の不信感がかなり蔓延しております。その原因は、今の不況を始めとする一連の政策の失敗が原因だと思います。これに加えまして、政治の不正とか汚職が政治不信に拍車を掛けておりまして、まず地方自治・分権を考えた場合、政治の国民的信頼を得ることがまず何よりも重要でないかというように考えております。
 資料一をごらんください。手元にありますですね。これは朝日の記事なんですけれども、今の政治に不満を持っている方は八〇%を超えておりまして、将来の生活に不安を感じている人も大半であります。経済不況とか社会保障、収入や仕事等について国民が悩んでいることが分かると思います。ですから、政治が国民から頼りにされ、また信頼されることがまず大切でないかと思います。
 資料が古いんで、内閣府が去年九月に実施しました国民生活に関する調査でも同様に六五・一%の国民の方が何らかの不安を持っているということですので、まずは政治が何らかの対策、方策を立てないといけないというふうに思っております。
 それから、私たちが忘れてならないことは、現在の政治、つまり議会の登場に際しての歴史的認識です。地方自治を考えた場合、住民の参加の権利はお上から与えられたものではありません。私たちの先人が命を懸けて議会を作る努力をしてきました。資料二にありますとおり、これは高校の参考書の資料なんですが、にありますように、自由民権運動を展開しながら民主主義の基盤を作ってきました。地方自治・分権を考える場合、その歴史の原点を忘れてはならないのではないかなというふうに思っております。また、民主主義はお上から与えられたものではなく、先人が汗と努力と命を懸けてかち取ってきたことを、私たちはこのテーマを考える前にいま一度考える必要があるのではないかと思っています。
 では、本題に入りまして、地方分権における一連の政策においての私見ということで、福祉関係についてと、あと地方公務員関係、また地方議会関係について思ったことを述べさせていただきます。
 まず、福祉政策ですけれども、戦後五十数年、基本的には中央集権体制で決定、実施されてきておりました。しかし、八〇年代半ば以降、社会福祉は、生活保護事務を除きまして、団体委任事務として規定されるようになりました。これは、社会福祉の費用を国の負担から地方の負担、住民の負担となったことを意味しております。
 また、九〇年代になりますと、少子高齢化等が顕著になりまして、国も新たな福祉政策を展開しております。九〇年の福祉八法改正とかゴールドプラン、新ゴールドプラン、介護保険政策はその政策の一つでありまして、これは地方分権の施策と言えるのではないかと思います。
 そこで、資料三をごらんください。これは社会福祉施設の措置費の負担割合なんですけれども、そもそも国は、八五年五月に国の補助金等の整理及び合理化並びに臨時特例に関する法律、いわゆる補助金一括法を制定、施行しまして、機関委任事務から団体委任事務へ権限移譲いたしました。老人福祉、児童福祉、身体障害者福祉、知的障害者福祉等が団体委任事務となりまして、国の負担割合は十分の八から十分の五に引き下げられました。機関委任事務の生活保護も十分の八から七割へ、八九年以降は四分の三の負担になっております。このことは地方負担増とか利用者の負担増を招きまして、当時は社会福祉の後退といった反対論もありました。
 八六年十二月に地方公共団体の執行機関が国の機関として行う事務の整理及び合理化に関する法律を制定しまして、地方分権化へ我が国も歩み始めましたが、ここで問題提起したいのは、憲法二十五条の生存権規定による福祉国家の観点によるナショナルミニマムの保障、つまり国民の福祉の最低生活基準を国が保障したりしまして、また、それ以外は地方に任せるという従来の理念をどう考えるのかとか、また、現在でも十分な生存権保障が未熟な我が国におきまして、地方又は住民に負担していただくことがいいのかどうか。一方、スウェーデンのエーデル改革にありますように、地方分権を完全に進めまして、市町村に権限、財源を移譲しまして地域住民の自主性にすべてを任せてしまうのか。私自身はこの二つの論点を提起したいと思います。端的に言えば、社会福祉は国と地方自治体、どちらが実質の主体なのかというのをもう少し国民的に議論をすべきではないかというふうに思っております。
 いずれにしましても、地方分権推進法や地方分権推進一括法の施策の中で機関委任事務は法定受託事務、自治事務となりまして社会福祉事務も大きく変わってきましたが、実質は、指導基準等を細かく作ったり、また補助金とか監査体制といったような地方分権を阻む要因が多々あります。これらの問題も含めて、国民的議論が必要でないかなというふうに思っています。
 国にお願いしたいことがあるんですが、資料四をごらんください。福祉事務所の資料があるんですけれども、任用資格というのがありまして、社会福祉主事、知的障害者福祉司、身体障害者福祉司等といった任用資格があります。今日では福祉専門職は一般的には社会福祉士というのがありますが、社会福祉士の国家資格はありません。福祉事務所の専門職の資格としても社会福祉士の資格はありません。この社会福祉士資格を除外しまして考えた場合、六八年から地方交付税によりまして福祉五法を専門に担当する現業員の増員措置が講じられながら、これらの任用資格を持つマンパワーも福祉事務所に配属されていないことが、皆さん、資料を見るとお分かりになろうかと思います。
 資料四の一番下を見てください。一つ例に取りますと、査察指導員、現業員の有資格率の状況ですが、年々低下傾向にありまして、福祉の専門性が発揮されているとは言えません。今日の住民のニーズは多様化、複雑化しておりまして、地方分権推進委員会が言っています資格の必置規制は社会福祉の場合は難しいのではないかというふうに私自身は思っております。むしろ、国が社会的規制を何らかの方法で取る必要があるのではないかなというふうに思っています。逆に、保育所と幼稚園のように、保幼一元化が地方におきましては住民のニーズであるのに、国が規制しまして、地域の独自の福祉政策が展開できないことはやはり問題があるのではないかと、このような規制は撤廃すべきであるというふうに考えています。したがいまして、地方分権を考えた場合、社会的規制をすべきものとすべきでないものを細かく精査する必要があるのではないかというように思っております。
 最後に、地方分権推進委員会の最終報告ですが、国庫補助金は真に必要な分野に限定しまして、その財源を地方一般財源に振り替えていくべきであるとか、包括交付年金化、統合補助金の大幅な拡充とありますが、特に地方交付税を包括交付金化することについては基本的には賛成ですが、地方交付税は私たち住民にとって極めて不明瞭です。例えば、ゴールドプラン等の介護基盤整備はこの交付税で賄われてきました。しかし、首長の考え方で道路や橋の公共事業に使われてしまうこともあります。ゆえに情報公開が何といっても必要だと思います。国も二〇〇一年より情報公開法を施行しまして、地方自治体も条例制定をしておりますが、まだまだ不十分です。
 資料五をごらんください。国にお願いしたいのは、情報公開法の対象に地方自治体や裁判所も含めていただきたい。また、救済制度は完備しておりますけれども、提訴する場合、全国の八地裁しか規定されておりません。今日の高齢化を考えた場合、是非都道府県に一つの機関で提訴できる仕組みが必要ではないかなというふうに思っています。
 次に、地方公共団体の自治立法権を考えた場合、その自治体の職員、議員の機能は重要です。ここでは主に二つを取り上げたいと思います。
 まず、地方公務員改革ですが、まず公務員の意識改革が必要です。人事や処遇を前提に公務員の研修制度を実施していくことが大事ではないかと思います。民間企業に一年間研修するといった例はどうでしょうか。私も地方公務員の経験がありますが、コスト意識は全く役所では培われませんでした。また、年功序列、終身雇用のために安楽した雰囲気が蔓延しております。職員の任期制、民間からの大幅な採用増、職員に対しての住民による信任投票を提起したいと思います。
 この職員に対しての住民の信任投票ですが、例えば、四年に一度の統一地方選挙の際に、地域住民が最高裁の国民審査のように公務員にペケ印を付けるとか、また各課ごとに目安箱を設けまして、そしてその内容等を職員の処遇に影響するような制度を作ったらどうかというふうに考えております。もちろん職員の情報公開等は徹底的に行う必要があります。そうすれば公務員も襟を正しまして、緊張の中で職務を遂行できるのではないでしょうか。
 それから、だれもが参加できる地方議会ということで、地域住民による地域住民の福祉向上のための地方議会の役割は重要です。
 法令的には、二十歳以上の地域住民には選挙権、二十五歳以上の地域住民には被選挙権が与えられていますが、しかし、現実には地方議会の議員になる人は一部の職業に偏っております。本来一番多数のサラリーマンはほとんど議員になっていません。というより、サラリーマンでは議員候補になれないシステムになっています。
 例えば、労働基準法とか就業規則の中に公民権行使の規定というのがありますが、この制度を知っている人はどのくらいいるでしょうか。今日の不況下におきまして、選挙に出るので有休を企業に請求すると真っ先にリストラの対象になるのではないかなというふうに思っています。現実には、労働基準法や就業規則に関して、使用者、また私たちもやっぱり関心が薄かったのではないかと思います。したがいまして、労働基準法であるとか就業規則を企業等に遵守させることも必要なことだと思っています。
 そして、サラリーマンが現職のまま議員等に立候補できるシステムを作ることが必要です。この場合、例えば選挙に出る場合ですが、選挙事務所等も必要になります。借家の場合、往々にして大家の反対がありまして、選挙に出れない場合があります。
 私自身も、大学院生のときに市議会議員の立候補しようと思いまして政治活動をしたことがありました。しかし、自分のアパートを事務所にしようとしたところ大家の反対がありまして、アパートを転々としました。しかし、どの大家も事務所にすることに反対しまして、結局どのアパートも借りることができず、選挙に立候補できなかった経験があります。大家が反対した理由ですが、近所に議員がおりまして、部屋を貸すと私自身を支援しているといったように見られるということでした。
 このように、地方政治にだれでも参加できる環境というのはやっぱりないのではないでしょうか。だれでも首長、議員等に立候補できる制度、供託金の減額、貸与、だれでも利用できる選挙事務所等、課題は山積です。
 最後に、民主主義の原点として主張したいのですが、資料六をごらんください。外国人の地方参政権です。在日朝鮮・韓国人に対して、九五年、最高裁は、外国人の場合、その意思を地方行政に反映するために、法律によって首長や議員の選挙権を与える措置を講じることは憲法上禁止されていないという判決がありましたが、真の地方自治を考えた場合は、やはり一日も早く外国人の地方参政権を認めるべきです。
 結びとしまして、何といっても、地方自治・分権を考えた場合は、やはり教育が何といっても重要です。そして、教育なくして地方自治・分権なしと言わざるを得ません。
 特に今、小中学校における地方自治・分権に関する教育は重要です。現在の社会科教育を改革しまして充実させることが必要なのではないでしょうか。また、高校におきましても、現代社会という科目がありますが、ほとんどの高校生はこの科目は勉強しておりますが、地方自治・分権分野の政治経済の科目は任意選択となっております。必須科目にして、自治、分権に対しての教育を小中同様に行う必要があります。そのためには、教員の資質向上や研修体制の充実等、教育する側の環境整備も重要であることは言うまでもありません。
 加えまして、今日の生涯教育の中、地方自治・分権を学習できる社会教育体制を整備しまして、住民一人一人の学習によりまして意識改革を行わない限り真の地方自治・分権は実現は困難であるというふうに私は申し上げまして、私の発表を終わらせていただきます。
 拝聴ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、山本公述人にお願いいたします。山本公述人。
○公述人(山本節子君) 御紹介いただきました山本と申します。
 私はお手元にあるレジュメに沿ってお話をさせていただきたいと思いますけれども、私の話の論点、目的というのは、今いろんな方がお話しされたんですけれども、実際は市町村の地方自治というのはもう解体寸前にある、壊滅させられている、それを仕掛けているのはどこだというと中央官庁なんですね。それを具体的な事例を基に私はこういう本をまとめました。官僚のテクニックというのは物すごく巧妙で分からないんですよね。国会議員の皆さんたちも恐らくその根っこに何があるかというのは分からないと思いますけれども、その辺のことを取材してきちっと著していますので、それを基にお話ししていきたいと思います。
 ほとんど知られていないことなんですけれども、一番から行きますが、「市町村の自治権を奪う「ごみ処理の広域化計画」」としました。ほとんど知られていませんけれども、市町村のごみ処理というのはもう全部壊滅状態にあります。なぜかといいますと、一九九七年に厚生省が出しました二つの通知があるんですけれども、一つは、簡単に言うとガイドライン通知、ダイオキシン・ガイドラインと言うんですけれども、これが一月。五月にはごみ処理の広域化について、これを広域化通達と言いますけれども、この二つの通達で市町村に新しくダイオキシンを削減できるような装置を作りなさい、なるべくごみの焼却施設は集約化しなさいという命令を出したんですね。
 それは、神奈川県、私が住んでいるのは神奈川県なんで神奈川県の場合を言いますけれども、神奈川県は、九七年度中、つまり九八年の三月までに市町村を全部ブロック分けにしたごみ処理の広域化計画というのを作りました。いや応なく、そこのブロックに分けさせられた市町村は、ブロック協議会を作ってごみを集約処理しようというふうに話を持っていっているわけなんです。そうやって進められているんですけれども、この実態というのは、市町村の村民、町民、県民にも市民にもだれにもきちっとした説明もないし、ほとんどの人はまだ自分たちのごみがどこかほかのところに持っていかれるというようなことも知らないんですね。
 このダイオキシン通達の中身というのは、ここに書いたので後で読んでいただければいいんですけれども、基本的にダイオキシンを削減させるために二十四時間連続稼働させなさい、最低の焼却炉の大きさが三百トン以上だと。三百トン以上といったら、横浜市のごみが、区でやるんですけれども、それが六百トンとかで、物すごい巨大な炉なんですね。私の住んでいる鎌倉市ではもうせいぜい三十か五十か、そのぐらいなんですけれども、そういう巨大なものを一か所に決めて作る。そのために、プラスチックなんかを全部圧縮してこん包する、あるいはRDFを作る。全部ごみ処理を、仕組みをこれまでと全然変えてしまうようなことなんですね。その間に、余熱はちゃんと利用するためにごみ発電をやりなさい、後は焼却灰とかばいじんは、灰溶融炉と言うんですけれども、そこで溶かし固めて路盤材にリサイクルするからそれでいいんだというような、こういう計画なんです。
 この広域化計画の背景になったのは、その前に出てきたダイオキシンの問題なんですね。所沢市とか大阪府の能勢町なんかでいろんな事件が報道されたので皆さんも御存じでしょうけれども、あの事件報道も非常に仕掛けられたものでして、実際の事件はそれより随分昔から出てきているんですけれども、あの時点で非常に集中されて報道されたというところが、なかなかやってくれたなという感じがあります。
 違憲性の問題なんですけれども、これを通達行政でやっているというのが非常に私としてはもうまずいんじゃないかと、法律に反する、憲法にも反するんじゃないかと思います。通達は、御存じのように、元々法律の解釈あるいは法定事業の実施の際の注意とか手続でした。それがいつの間にか、通達というのは国会に出さなくてもいいものですから、行政と、行政というか官僚と、あとは企業との中で通達行政というのを別個に作っちゃったんですね。
 日本の法律というのは、法体系、二つありまして、一つは法定事業なんですよ。法定事業は、一応法律に書かれて、すべてが法律で決まっている。補助金の枠とか額まで決まっているんですけれども、それは大体の場合ペーパープランだけにされていて、実際は通達事業で、法定事業よりもはるかに巨額なお金が動いているという仕組みがあります。
 しかも、通達事業のまずいところは、五か年計画とか七か年計画という長期計画なんですね。長期計画が、どこでお金が決まるかというと閣議決定だけなんですよ。閣議決定一つでその間の総額がばんと決まって、あとは少しずつ年ごとに割り振られてやってしまうということなんです。こういう在り方自体が憲法に規定された住民の権利を侵すということで、私はこれ、違憲だということを言い続けています。
 それで、先ほども話が出ましたけれども、地方分権一括法の後というのは、通達行政、通達事業というのは明確に違法ということになりました。違法になったんだけど、これはまだ生き残っているのは皆さん御存じですか。今は、技術的な、ちょっとここ間違えたんですけれども、支援というか、技術的な助言という形で相変わらず走り続けているんですよ。技術的な助言であっても、それを聞かないといけない。国から県に対する、あるいは県から市町村に対する行政命令というのが今でもすごく生き続けて、これが先ほど言ったような、市町村が物を言えない、補助金で市町村を縛っているという仕組みがあるわけなんです。
 計画内容の違憲性は、後で読んでいただければ分かるんですけれども、ごみ処理、一般廃棄物という市町村の処理するごみというのは、廃掃法と地方自治法で明確にこれは市町村の自治事務、固有事務であることをいうことは規定されています。ところが、おととしになりますが、厚生省は廃掃法を改正しましてこの権利を取り上げちゃったですね。権利を取り上げて、今、県に渡しているんです。県が、それまでの産業廃棄物の処理計画だけでなくて、産廃と一廃の合わせた廃棄物処理計画を作ることにした。実質的な一般処理に関する自治事務の剥奪なんですけれども、これについて余り文句が出たという話は聞いていませんが、物すごく大きな変化です。それで、そこには今度廃棄物行政に国も出資できるようになって、その末に今の小泉内閣の臨海部再開発という発想が出てくるんですけれども、非常に深いものがあると思います。
 こうやって、ごみ処理の広域化によって現に市町村が自治事務を奪われていると。どうしてそこまでするのかということなんですけれども、広域化計画というのは、廃棄物の関連業界による業界のための、仕事を自分のところに誘導する計画なんですね。
 ここに一つ、財界だよりじゃなくて「財団だより」という本がありますけれども、それを作っているのが、元厚生省のOBが天下っている財団法人廃棄物研究財団というのがありますけれども、ガイドラインも広域化計画もここが作った。元厚生省のOBに取材して話を聞いたら、それは確かにうちが作りましたけれどもとばらしているんで間違いないんですが。ここが作って、新しい施設の統廃合にかかわる利権、あるいは認証制度も全部ここが一手に引き受けているんです。
 それで、中小に、この新しい広域化政策に対して中小に話が回ってくるチャンスというのはありません。もう全部大手が握っちゃっているんですね。これも基本的に全部大手の財団です。ですから、こういう形の計画内容は違法だ、違法がまかり通っているということで。
 あとは、じゃ新しいガス化溶融炉だの灰溶融炉がきちっとダイオキシンが無害化できればいいんじゃないかという話もあるかもしれませんけれども、これは無害化されるという証拠はないんです。ここに私が、質問主意書を出したところに返ってきた、小泉純一郎さんから返ってきた返事がありますけれども、ダイオキシン等の挙動については、定義も明らかではなく云々、お示しすることは困難である。要するに、広域化政策で出て、作りなさいと義務付けている施設の安全性というのは、あとは有効性は全く証明されていないんです。こういうものを押し付けている。
 それで、その後更に恐らく汚染が広がるでしょう。汚染が広がるのも彼らは計算しているんですね。汚染が広がったら次にまたもうけの種になって、何のもうけがあるかというと、土壌クリーニングだとか水質クリーニングだとかも、その辺も全部話が進んでいるんですよ。実際は、もう第二のエイズ問題とか第三のBSE問題になりかねないというか、もうそこ、入り始めているんで、非常に重大な問題だと思います。
 三番はちょっと時間がないのでパスしますが、二番、「国に直結する「広域連合」」で、広域連合についてお話しします。
 先ほど広域行政というお話がちらっとありましたけれども、市町村合併と正面からいったようなのはみんな失敗しています。日本の町村会というのはたしか、市町村合併、国の押し付けに対して反対の意見声明を出していると思いますけれども、この市町村合併はうまくいかないというのもよく分かっていて、実際は何でやっているかというと、国は一九九五年に地方自治法を改正しまして、広域連合というものを、組織を施行しました。
 広域連合は一体どういうところかというと、変なところなんですね。一般的に市町村の組合というふうになっていますけれども、市町村の組合とは違うんです。なぜかというと、広域連合の構成員というのは、そこに住む住民、それで、その広域連合の議員というのはどうやって選ぶかというと、日本にはないんですけれども、間接選挙で選ぶとか書いてあるんですよ。間接選挙ないしは直接選挙で選ぶ。あとは直接請求の権利がある。これを裏読みすると、これは新しい自治体なんですね。しかも、この広域連合には国から真っすぐに補助金が入る。県を飛ばして直接入るんです。なぜなら、広域連合は国の権限の受皿にならなきゃいけないと。国の権限を移譲できない広域連合は立ててはいけないという定めまであるんです。
 何を言いたいかというと、広域連合は国の直轄自治体なんですよ。直轄自治体であるからには、そこに住んでいる住民に諮らんかいと思うんですけれども、これは全く諮られていません。私のところにも日本全国からいろんなメールが寄せられるんですけれども、ある朝、新聞を見て初めて広域連合なんという名前を聞いた、これはどういうことですか、山本さんが書いていることですかといって、それで慌て出すというのがほとんどなんですね。
 ですから、だれも知らないうちに、何だか知らないけれども、広域連合ができてしまったらそれは市町村の事務はその時点で消えるんですよ。広域連合が介護保険のことをやるとなってできたら、広域連合設立と同時に市町村の介護保険の窓口は完全に消えます。ごみ処理の窓口も全部消えます。
 こんなおかしいものを何で自治法に作ったんだというのをこの一番に書いてあるので、後でお読みになってください。
 それで、二番に行きますが、「市町村の「組合」、実は新たな広域自治体」というのを今申し上げましたが、広域連合のまずいところは、これは事業を実施しなければいけないんですね。広域連合というのは、作った途端に事業を施行、実行する、何というのですか、義務が生じるんですよ。だから、非常に、じゃ、あのばかな事業をやめさせたいと思っている市民にとっては非常にやばい組織なんで、こういうことをあれして、こういう施設を作って、組織を作って、私たちの自治権というのは少しずつ奪われているというのが現実です。
 現在、既に、介護保険が一番多いんですけれども、日本全国で八十近くの広域連合が設立されています。そこは、大体一番多いのが、全県を覆っているのが三重県と長野県なんですね。三重県はいかにもという感じがありますけれども、三重県は一応取材に行きましたので、非常に国と直結した知事がいらっしゃるところで、まあもっともだなという気もしますけれども、その意味するところは非常に大きいということになります。
 それで、三番、「国と直結、先は民営化」としましたけれども、広域連合は実は発足しても非常に職員の数が少ないんですよ。
 去年の八月、私が住んでいる鎌倉では、三浦半島広域連合が設立の寸前まで行って急にやめちゃいました。なぜかというと、ごみ処理を広域化でやった方がお金も掛かる、ダイオキシンも余計出る、それで、ものは非常に危ないというようなことが分かったからなんですけれども、それを更に追っ掛けていくと、実は、十五人の職員で七十六万人のごみ処理なんかできない、どうするんだと言ったら、結局、民間委託ですということをばらしちゃったのね。民間委託でそれを先行するような事例もたくさんできてまして、それがあちこちの市町村のごみ行政をどんどんどんどんおかしくしています。
 私の住んでいる鎌倉市でもごみの半減政策というのをやっていたんですけれども、広域化が出だしてこれを急に取りやめました。それを先日発表しましたけれども。そういうことがあります。
 三番に行きます。「水面下で進行中の「市町村行政の民営化」」。
 一番で、「産官学で進む行政解体の実態」と書いてありますが、産官学というのはさっきお示し、示したような廃棄物研究財団に集まっているたくさんの企業、あとは、数日前に早稲田がごみを再資源化するテクニックを作って、それでもって起業、起業というのは、インディケーターズですね、インキュベーターって企業の創設の方の起業なんですけれども、百社の会社を作るみたいなことを打ち上げましたけれども、それも含めて産官学の話合いはかなり密接に練られているなというのが私の観測です。
 これは後で読んでいただければいいんですけれども、一番困るのは、こういうふうに産官学でやられてしまうと、常に実態が先行するんですよ。実態が先行して、私たちが新聞記事でいろんなものを見るときはもう大体終わりの状態になっている。法律はどうするかって、法律は、大きくまとめておいて後で法律を改正する、あるいは法律を、基本計画を作るのをちょっとずらして、実態を溶かし込んだ基本計画を作る。こんなことされたら市民は全く付いていけません。でも、現に動いているのがこういうような新しい立法のテクニックで、これは非常にまずいということになりますのであれして、皆さんたちももうちょっとその辺のところに目を配っていただきたいと思います。
 平成、二月、今年の二月の六日、日経新聞が神奈川県がごみ処理を全面民営化するという発表を出しました。とんでもない話なんですが。そこに加わっていたのがこれなんですね。地球環境戦略研究機関というところなんですが、ここと神奈川県と大体大手の企業の四十社が入っている環境技術研究会で全部やって、そこが何をするかというと、現行の行政の枠組みを全部忘れた形でやるっていうんで、要するに法律を変えましょうというところなんですよ。それがどんどん進んでいるというのがとても危ないんですが、ここで出てきているのが森島昭夫さんなんですね、中央環境審議会の会長でいらっしゃる。それが、IGESというんですけれども、IGESの理事長でもいらっしゃる。
 ですから、いろんな形でいろんな人脈を使って物すごくがっちり組み込まれているのが日本の廃棄物対策のこれからで、それはどこを向いているかというと、産業界のための廃棄物処理なんですね。全然発生抑制はしない。いずれ日本で処理できなくなったものはどうするかというと、東南アジアに送る。そういう話になっています。
 御存じかどうか知りませんけれども、去年の九月十一日のあのWTCビルの爆破事件がありましたね。私はあれは爆破事件と思っていますのでこういう呼び方するんですけれども。あそこの瓦れきが今どこにあるか皆さん御存じですかね。あの瓦れきは皆インドとか東南アジアに行っているんですよ。それで、ネットで環境の問題やっている運動家たちは大騒ぎしているけれども、公的なことは一切コメントしない。
 ごみというのは非常に私たちの目に触れにくいんです。でも、ごみ問題というのは自治権そのものなので、ここにある深いことをちょっともう一度皆さん方で話し合って、広域連合の遂行にちょっとストップを掛けていただきたいと、私は今日はそれを申し上げたくてここに来ました。
 ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 以上で公述人の方々の御意見の陳述は終わりました。
 この際、十分間休憩いたします。
   午後三時四分休憩
     ─────・─────
   午後三時十三分開会
○会長(上杉光弘君) それでは、ただいまから憲法調査会公聴会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 これより公述人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
 なお、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔にお願いいたします。木村仁君。
○木村仁君 公述人におかれましては、それぞれ非常にビビッドな議論を展開していただきまして、誠にありがとうございます。私も力を込めて議論したいところでございますが、今日は質問者でありますし、時間もございませんので、端的にそれぞれ尋ねさせていただきますので、よろしくお願いをいただきたいと存じます。
 まず、池上公述人にお尋ねいたします。
 私も、政府がリレーシンポジウムを開いたり合併支援プランを作ったりして、一生懸命合併の機運を醸成しようとしておりましたけれども、これは恐らくなかなかうまくいかないだろうと思っておりました。しかし、ここ一年ばかりのところ、非常に各市町村とも熱心に合併について勉強するようになって、そして既に二千以上の市町村が何らかの形で具体的な合併を考えていると。そういうことでありますと、これは上からの締め付けとかなんとかいうこともさることながら、やっぱり国民全体の中に、もう今の市町村では駄目だよと、もう少し大きくなろうやという気持ちがあるから市町村長や議員があれだけビビッドに対応しているんではないかと思うんですが、そこら辺りの御認識はいかがでございましょうか。
○公述人(池上洋通君) 率直に申し上げますと二点ございまして、第一点は、特に小規模市町村におきましては、合併はできるならしたくないが、財政問題などで、特に地方交付税の制度改革などを口にされるとなかなかきちんと言わば反論ができないなと、こういう雰囲気が率直なところだと私は受け止めております。これが第一番目です。
 それから第二番目に、もう一つ、これはかなり正面からの反論的な意見でございますが、元々農林業地域といいますのは、農林業が広大な面積を必要とする産業ですから人口密度が低いことが当然である、したがって小規模市町村を消してしまうような合併を推進すれば農林業地域における地方自治はゼロになるのではないか、こういう正面からの批判がございまして、私はこれも実にもっともなことだというふうに考えておるところでございます。
 大体、毎月かなりの数、私出掛けて市町村合併の議論に参加しておりますが、そのうちの二分の一ぐらいが議会あるいは行政当局が招くものでありますが、そういうところで首長さん方の率直な御意見をお伺いしますと、先ほど申し上げましたように、大半の方ができるならしたくないがどうしたらいいだろうかということでございますね。それは、この間、先日出ました朝日新聞の世論調査、全市町村の二〇%ぐらいが合併しようかなと言っているといった辺りのところに実は如実に表れているのではないだろうか、少なくとも八割は今のところする気はないということが実際のところなんじゃないでしょうか。
 以上でございます。
○木村仁君 現時点で二〇%が合併を考えていることは、私は大変なことだと思うんです。本当はもっと少ないはずだと思うんですけれども、だから、それは結構でございます。
 私どもが、地方分権を推進するために地方に権限を移譲しようと、こういうことを問い掛けると、中央官庁の方々は必ず受皿論を持ち出してきて、力がないところにどうして権限を移せますかと、こういうあれになるから、したがって地方公共団体全体としてももう少し力を付けようと。そのためには規模を大きくすること、分割もありますが、大きくすることが必要ではないかと。こういう議論からすべてのものを中央から地方への流れを支えるためにこの合併議論というのが起こってきたと私は認識しておりますが、その点についてはいかがお考えになりますか。
○公述人(池上洋通君) その点につきましては、これはなかなか価値観の差があるのでございますが、私はやっぱり歴史的に考えてみる必要があると思うのです。
 昭和の大合併の折に八千人をめどにして合併計画を立てました。あの背景にありましたのは、シャウプ勧告と神戸委員会があったと思うんですけれども、そうしたレベルで考えられたのは八千人という数字でございまして、その一つのめどに新制中学校を経営できる広さはどうだろうかということがあったやに学んでおりますが、そうした目標を明示して、今日何をもって分権の成果が上がる単位と見るかということについては、現場の姿に立ってきちんとした議論が必要であると思います。
 私は、忘れることができませんのは、先ほど一言申し上げましたが、九五年、一九九五年に地方分権推進法ができたときに、参議院において御議論の中へ参加させていただいたときに、ある議員さんが、私自身は市町村の規模は五千五百人が適当であると思うがどうだろうかということを私どもに問い掛けられたことがございました。私は、五千五百人が適当かどうかについては自信がなかったので明確にお答えすることは避けたのでございますが、つまり今日でも言わば市町村の規模については多様な認識があるということが前提でございますし、また特に注意しなければなりませんのは、先ほど言いましたように産業計画、農林業含む産業計画と密接に結び付いておりますので、そうした風土、歴史、産業の力、蓄積というものに立ってお互いが考え合うことが特に必要ではないだろうかというのが私の認識でございます。
○木村仁君 もう少しお聞きしたいんですけれども時間がございませんので、舩津公述人に一つお尋ねいたします。
 地方自治体、鳩ヶ谷は分離をしたと。これは多分戦時中に合併したのを戦後特例によって住民投票で分割を認めたと、その過程だったと思いますが、御尊父がおっしゃられるとおり余りにも小さいのではないでしょうか。いかがでございますか。
○公述人(舩津徳英君) 正直に申し上げれば、小さいといえば小さいわけであります。しかし、小さいがゆえにアトホームで、前の市長は、今日は息子さんの市会議員もおいでになっておりますけれども、狭いけれども楽しい我が家と。私も生まれ育って非常にアトホームで親しみを感じた市でありました。
○木村仁君 私は、福島県のいわき市の合併に深くかかわりました。今、そこの市長さんが私の同僚の参議院議員でございますが、時々参りますが、あそこは、大きいけれども楽しい我が家と言う。そういうこともあると思うんです。
 それは冗談で、申し訳ございませんが、政令指定市の問題について、ノー・タックセーション・ウイズアウト・リプレゼンテーションと、代表なくして課税なしと、こういうことでありますから、今課税されている、都道府県税を課税されている政令指定市から議員をなくすということは不可能だと思います。しかし、逆にノー・リプレゼンテーション・ウイズアウト・タックセーションなら、納税なければ代表なしという議論であれば、特別市というものを作って、そして県から独立させてもいいじゃないかと。
 そして、それがほとんどの地域が政令指定市になって、残った零細な町村だけ県が補完行政をやっているという姿が、実は私はそれが理想だと考えておりますが、そうすると、その中の小さな自治をどうするかというと、政令指定市の中の行政区をもう少し議会でも作るかなと。議会作ったら大変ですから、私はそれは抽せんで議員を作ったらいいと思っておりますが、しょっちゅう替えてですね。そういうことでありますと、そういった工夫をしていけば鳩ヶ谷市もひとつ政令指定市になろうという意向になるんでしょうか。
○会長(上杉光弘君) どなたにお尋ねですか。
○木村仁君 済みません。舩津……
○公述人(舩津徳英君) 必ずしも大きくなることを反対しているんではないんです。ただ一方通行で、大きくなりなさい、金もないだろう、ごみの処理もできないだろう、そういうことにやっぱり少し反発してみたい。というのは、そこに住んでいる地域、地域に住んでいる歴史も伝統も、そして戦後、戦争終わってマッカーサーが来て、そして民主主義だ民主主義だと言って、お上に逆らうことはできないところをいち早く先駆けて住民投票をやって、わずかな差でありましたけれども、もう私どもの町はこうやって小さくてもやっていこうという、その意思を尊重していくことも一つの大きな地方自治、地方分権の表れではないかというふうに思います。
○木村仁君 駅ができるそうでございますが、恐らく鳩ヶ谷市が小さいながら独立して頑張っているから駅ができるのかもしれませんから、私はそういう頑張りはひとつ大いに頑張っていただきたいと思っています。
 時間がございませんので済みませんが、松井公述人にお願いします。
 介護保険制度を議論するときに、これはとても市町村単位ではやっていけないと、県なりあるいはもう少し広い地域でやるべきではないかという議論が与党の中でも大変強うございました。しかし、当時の厚生省は頑として、介護保険制度つまり福祉の本体は市町村でやるということを言って市町村になったわけですね。したがって、市町村は非常に苦労をして、それこそ連合を使ったり、あるいは一部県に委託したり、あるいは一部事務組合でやったり、いろんな形で実施しているんでありますけれども、その基本的な考え方、そしてその後の一連の実態をごらんになって、御感想をいただきたいと思います。
○公述人(松井圭三君) まず介護保険ですが、市町村が主体ということで、何といいますか、保険者になっておりますが、ただ現実のところ、介護保険法ので以外の中身というのは、全部厚生労働省令で規定されていまして、中央ががんじがらめにしておるわけですね。ですから、先ほどもお話ししましたとおり、真に地方分権をするなら、もう市町村にすべてを任せるということをやればいいと思っていますが、現実のところは、ほとんどは、何といいますか、実質は中央が握って、ただ仕事だけを地方にやらせるような感じがいたします。
○木村仁君 多分、市町村の処理能力ということがあると思います。そうすると、財源措置を十分にして市町村が独自にきちっとやれるような体制を取る。もう一つは合併で力を付けるということはありますが、ということでありますが、もし介護保険問題等を中心に福祉について財源移譲をするとすれば何税を考えられますか。簡単にひとつお願いします。
○公述人(松井圭三君) 基本的にはやはり住民税だと思います。
○木村仁君 住民税の増税になるんでしょうかね。はい。分かりました。それで結構です。
 山本公述人には、ちょっと恐らく議論はかみ合わないと思いますが、広域連合というのは一部事務組合、それから複合事務組合の延長として、正に先ほど申し上げました受皿議論があったときに何とか権限をきちっと取れる形を、連合の形、フェデラルな組織を作りたいというので、成田頼明先生等が中心になって、学者の方々が一生懸命考えてお作りになった。直接選挙というのは、実は規約を丁寧に書けば一部事務組合でもできるわけですね。ですから、あくまで市町村自身が困った場合の連合、フェデラルな共同処理のシステムというのを作れたのであって、山本公述人が言われる厚生省のあしき意図によって中央直結になっているということは、そういう御認識があるのかもしれませんけれども、私はちょっと違うんですけれども、そこ辺り、もう少し突っ込んで考えてみられる御用意はございませんか。
○公述人(山本節子君) 私の本を読んでいただければ物すごく論点を明確に、しかも具体的な事例を挙げて出していますので、その木村先生のおっしゃることにはもう真っ向から反対せざるを得ないんですが、実際的にじゃ直接組合、一部事務組合が直接請求権を規約の改正でできるんだったら、じゃ何でごみも一部事務組合でやらないのかということになりませんか。それ、逆にお聞きしたいですね。
○木村仁君 一部事務組合でやっているのも五、六百、六百以上あります。連合でやっているのは七十一ですかね、それくらいでございます。
 もう議論はできませんので、最後に池上公述人に返って私の思いをちょっと。
 憲法の地方公共団体の条例の規定のところに、実はマッカーサー憲法草案では、地域住民は法律の範囲内で自らの憲章、チャーターを策定する権限を奪わるることなかるべしと書かれているんです。それは日本の公務員はまだ時期尚早と見て、これを条例という規定に大変巧みにやってしまった。私はそのチャーター、つまり例えば議員の定数でも、あれ上限を決めたことに私は物すごく遺憾なんですけれども、ああいうものを全部チャーターで決めて、そして住民投票で自分たちの自治体の姿を作るということを憲法に書きたいと思っておるんですが、そうすると、憲法改正論者じゃないでしょうからあれですけれども、それは別として、いかがでしょうか、そういうこと。
○公述人(池上洋通君) 今、全国の自治体で取り組み始めていることの一つに、条例制定権が一般化したことによりまして、基本条例を作って自らの法体系を作るという動きがございます。私は、基本条例を作る、それを例えば憲章と名付ける条例があるいは作られるかもしれませんけれども、そうしたことも含めて現行憲法の範囲内でこたえることができる、こんなふうに考えております。
 ただ、今御指摘のように私もその点は大変積極的な意味を持っているというふうに考える立場でございますので、基本条例を含めた法務の実務をどうするか、その場合に将来にわたって地方自治体の司法のような役割をどうするのかという議論が出てこようかと思いますが、今日の現行憲法の中で積極的な対応が求められる点ではないだろうか、このように考えておるところです。
○木村仁君 もうちょっと時間があるようでございますので、松井公述人に、二つ簡単にお答えいただきたいと思います。
 だれもができる地方議員というのは非常に大切だと思います。現在もそういう方いらっしゃいます。ある大きな会社の給料をもらいながら議員もやっているという方がおられます。そうすると、二重の所得を取って大変結構な話であります。だから、ここ辺りはひとつ調整して、県会議員ぐらいになるとなかなかそれはやっぱり夜だけの議会で済まそうというわけにもまいりませんから、そういうときには実は判例で、首にしていいという判例も出ているものだからあれなんですけれども、調整して、常識的な形にして、そしてある程度は休める。まあ大体市町村であれば夜、議会をやるというような形はどうだろうかなと思いますが、それはいかがですか。
○公述人(松井圭三君) 私、先ほどの発表では、これはまず議員になる前の公民権行使の話をいたしました。もちろん、なってからは兼職というのは難しいと思いますので、これはまた別の議論でして、私が今申しましたのは、出るときに、立候補する場合は公民権行使という規定があるからだれもが出れるという。当選すれば議員になればいいわけであって、辞めればいいわけですね、元の仕事はですね。ただ、出るときに仕事を辞めないといけない、公民権行使という規定がありながら辞めないと出られないというシステムがどうかということです。
○木村仁君 もう一分ぐらいありますので。
 それは可能だと思うんです。市町村の議会の選挙は七日ですから、有給休暇の範囲内で十分できるんじゃないでしょうか。そういうことをひとつお考えいただいて、以上でございます。
○会長(上杉光弘君) 公述人からの答弁はいいんですか。
○木村仁君 お答えあれば、時間があれば。
○公述人(松井圭三君) 基本的には、やはり有休を取るというのは非常に難しいです、中小企業。大企業は別でしょうけれども、ほとんどの国民は労働者ですし、中小企業で働いていますので、このような今の不況状況で有給休暇を請求するということはちょっと難しいと思います。
 以上です。
○木村仁君 以上です。
○会長(上杉光弘君) 小林元君。
○小林元君 民主党・新緑風会の小林元です。
 本日は、池上公述人、そしてまた松井公述人、舩津公述人、山本公述人から大変法理論的に、あるいは地方自治の現場からの御意見をいただきまして本当にありがとうございました。
 先ほどもお触れになりましたけれども、九十二条で地方自治の本旨に基づいて組織、運営について法律で決めると、こういうふうになっているわけでございます。しかし、この憲法を制定した当時というのはどちらかといえば中央集権、地方分権というものを現在のように考えてはいなかった。もちろん、アメリカで現実に道州制といいますか、そういうことですから地方分権というものを見て定めたんだろうというふうにも思えるわけでございます。
 しかし、時代は流れ、変わりまして、今や地方分権の時代になり、そして先ほど来もお触れになりましたように自治法も改正される、地方分権一括推進法も通ったというような状況でございます。そういうところで、いわゆる地方自治の本旨に照らして、先ほど来お話があったことは必ずしも十分その本旨に照らしてしっかりしている、やっているというような状態にまでは行っていないんではないかというふうに受け止めてお聞きをしていたんでございます。
 例えば、池上公述人から自治事務に対しても国の関与というものが残っていると、山本公述人からは広域行政を通じて国の介入というものが非常にあるんではないか。そして、そうは言いましても中央から地方へといういわゆる地方分権の流れというものは、これはだれも止めることができないというのが現実だというふうに思っているわけでございます。
 そういうことで、この地方自治の本旨、大変すばらしいといいますか弾力的な言葉で、どちらから見てもバラ色に見えるような言葉でございますが、これについて、先ほど池上公述人からは明確な御説明がありましたのであれでございますが、御三方から、この地方自治の本旨に基づいてという方向でこの議論を進めるということについてどのようにお考えになっておられますか、お答えいただきたいと思います。
○会長(上杉光弘君) 御三方ですか。
○小林元君 はい。池上さん以外の方です。
○会長(上杉光弘君) 以外の御三方ですか。はい、分かりました。
○公述人(舩津徳英君) 非常に難しい御質問ですけれども、私は、地方分権はもちろん有り難い話であります。権限が都道府県からそして市町村に来て、住民の側に立っていろんなことがやっていける。しかし、一方でやっぱり国の強力な引っ張りがなければ、日本の国家だとか大きなことがどうやってやれるかなというような疑問を持つわけであります。
 ですから、先ほど時間があればもう少しお話をしたかったのでありますけれども、やっぱりこれから環境の問題やあるいは高齢化の問題は、恐らく国を挙げてやっていかなければ解決できないというふうに思うんですよね。例えば、地球温暖化、二酸化炭素、あるいは市町村レベルですと、本当につい何日か前でありますけれども、介護疲れで五十代の方が自殺をなさったりしているのを目の当たりに見ると、なかなか地方分権といいながら、そういう二十一世紀、日本が抱えるいろんな矛盾や大きなことを市町村でやれるのかなというふうに思うんですね。
 ですから、その辺のところを明確にしていただいて、国がやれることはどうなんだと、そしてその中で、身近な市町村やあるいはある程度権限の持った都道府県やあるいは政令市が何をやっていくのか是非もう一回お考えになっていただいて、何でもかんでも一方通行で市町村がやるんだと、そして介護保険やあるいは大きな大規模なごみ焼却場もやるんだと、それで権限も上げる、できなければ再編成しなさいというのは、余りに行き過ぎているんではなかろうかというふうに思います。
 しかし、考え方として、地方自治そして地方分権、市町村の役割を大きくしていただけるというのは有り難いわけでありまして、是非、お金の最後は話にいつもなるんですけれども、知事にうちの市にもう少しお金下さい、言いたくはないんですけれども、ありませんのでお願いに上がります。ですから、国がもしそういうお考えであれば、税務署を都道府県と政令市にやらせていただいて、県税事務所が実際のところ余り役を果たしておりません。そして一定の率で国へ納めて、そしてその範囲内で市町村と分け合えばいいのかなというふうに思います。是非、お金を伴った、財源を伴った地方分権を、地方自治を考えていただきたいというふうに思います。それであれば非常に有り難いです。
 以上です。
○公述人(松井圭三君) 地方自治の本旨ということでちょっと難しい質問なんですが、教科書論でいえば、団体自治とか事務自治とかいう言葉がありますけれども、私自身は、やはり権限、財源を地域に下ろして、そして市役所、市町村ですべてが解決できるという地域社会ですね。現在のところは、中央が先ほどお話ししましたとおり権限を持っていましたり、また補助金等の権限があるゆえに、市町村がなかなか独自の施策ができないということです。
 ですから、地域住民が主体になりまして自分たちの町をどうするのかということを考えて、そして権限、財源を下ろしていただいて住民の人たちが政治をやっていくということが地方自治の本旨じゃないかなというふうに思っております。
 以上です。
○公述人(山本節子君) 地方自治の本旨というのは私は住民主権そのものだと思います。そのことでいえば、ごみの処理というのを地方自治法も廃掃法も規定しているように、ごみというのはそこの地域に住む人たちが一番よく知っているわけですね。一般廃棄物というのがそういうものなんです。ところが、このごみ処理の広域化というのは、産廃の処理を一廃と一緒くたにして、しかも公費でやるという仕組みがあるので、それに反対しているんですけれども。
 問題になっているというのは、すべてのことを経済政策の中でごっちゃになってやられているわけなんですね。今、地方分権の流れは多分だれも止められないということをおっしゃっていますが、それは表面上はそうです。でも、何でここで地方分権の流れが急に強くなってきたかというと、私の観測があるんですけれども、それは背後にグローバル化があるからなんですよ。
 それで、今回のごみ処理の広域化のことも、はっきりさっきも申し上げましたけれども、正に違憲、違法の代物だと思うんですね。幾ら何でも日本の官僚の頭ではちょっとこういうことは考えられないんじゃないか、後ろに何かあるなというのが私の観測なんですけれども、非常に入り組んでいまして、地方分権の流れの裏には実際こういうことが進んでいるよというのは、実は私以上に、そういういきなり広域の焼却炉ができると、それでびっくり仰天した地域の人たちは一番よく知っているんです。
 その地域の人は、そこの市町村に行ったって何にも回答分かんない。第一、分かんないのね、広域化計画が何たるやか。それで、しようがないから県に行きます。県は言葉を濁して全部それを市町村に振ります。両方でキャッチボールしている間に訳分かんなくなっちゃうんですよ。それで、しようがないから環境省に行くと、環境省は、うちは知らないと言ってさっきの財団のあれを教えたりするんですけれども。
 要するに、だれも責任取らないのね。責任は取らないんだけれども、地方分権の旗の下で中央集権が今物すごい進んでいる。私は、その危惧感を持っていて、この危惧感には自信があります。ちょっとお答え、余りなっていないかもしれないけれども。
 住民主権で、その住民主権が今奪われ掛けている実態があるということを申し上げておきます。
○小林元君 今もお話がありましたけれども、この財政、財源問題というんですか、これまで地方分権の推進、こういうことになりますと、権限を移譲するということがずっと行われてきました。しかし、残念ながら地方分権推進委員会でも財源の移譲については先送りといいますか、現在も検討はしておりますけれども、なかなか結論が出ないと。ましてや、この国の財政状況の中でそんなに簡単にできるのかという議論もあるようでございますけれども。
 そうはいいましても、先ほど池上公述人からもありましたけれども、やはり権限だけあるいは仕事だけがあって財源もない、そしてまた山本公述人からもお話がありましたが、補助金というものを通じていろいろプレッシャーがかかってくるというような状況になると、どうもこれは地方分権とは別なものになっていくんではないかという危惧もあるんですけれども。
 その辺でやはり、その財源、税財源制度の改正といいますか改革といいますか、そういうものが伴って、そしてまた皆さんからもお話が出ましたように交付税の問題あるいは統合補助金の問題、いろいろありますけれども、その辺についてもう少し具体的なお考えがあれば。あるいは、憲法では、地方自治の本旨に基づいて組織、運営を定めると、こうなっておりますが、財源の方は何にも触れていないんですね。その辺を十分補完していく必要があるのかなとも思っておりますが、その辺についてお聞かせをいただきたい。四人の方にお願いします。
○会長(上杉光弘君) どなたにお尋ね。
○小林元君 四人に。
○公述人(池上洋通君) 財源の問題については御指摘のとおりでございまして、ここでは二点だけ明確に申し上げておきたいと思います。
 第一点目は、今お話ございましたように、地方分権改革に伴う事務移譲に見合う財源がないまま地方自治体に事務が移譲されていった。このことが今日、現場における困難を拡大をしておるわけでありまして、国の財政危機とは異なる地方財政危機の要因になっていることは明らかです。その点からいいますと、一刻も早く税財源制度の見直しを図るべしというのが現場の切実な声であることを率直に申し上げておきたいというふうに思います。これは、実を言いますと、地方自治体の自立を促す上でも非常に大切なのでありまして、補助金の形などで国がお金を渡していくこれまでのやり方を改めない限り、本来の意味の分権は成り立ちません。地方自治体が本来の意味で自立していくためには明確な財源の制度が必要だということが第一点であります。
 それから第二点目でありますが、今問題になっているのは、特に小規模市町村でおびえております問題に地方交付税の削減問題がございます。
 地方交付税の削減問題について、私どもは今の流れについては明確に批判を持っておりますが、地方交付税の会計が借金をしなければならない事態にあることは明白ですけれども、この問題を絡めて、何か言えばそれが小規模市町村の責任であるかのように言うのはいかがなものであるかと思うんです。
 元々、地方交付税は、どんなに小規模な市町村であっても独立した団体であることを保障するための制度でありますから、もし地方交付税を削減するのであれば、むしろ財政力の高いところから削減するべきなのであって、言わば小規模市町村から始めるのはいかがなものかということを併せて申し上げておきたいと思います。
 さらに、この点に関して、去る十一月二日に行われました経済財政諮問会議の地方財政についてのやり取りを議事録で読んでいきますと、片山総務大臣が、言わば地方交付税の見直しのようなことは、その前段として税財源の移譲ということが行われてからの順序ではないだろうかという御発言をなさっているところでありまして、私も全くそのとおりだと思うんです。税財源の移譲も明確にしないで地方交付税を削減するなどということがあってはならないというのが私の率直な意見であります。
 以上です。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
    ─────────────
○会長(上杉光弘君) 公聴会の審議の途中でございますが、この際、御紹介いたします。
 本日、モンゴル国国家大会議議長御一行が参議院を訪問されまして、ただいま本調査会公聴会の傍聴にお見えになりました。
 御起立の上、拍手をもって歓迎の意を表したいと存じます。
   〔総員起立、拍手〕
○会長(上杉光弘君) 御着席ください。
    ─────────────
○会長(上杉光弘君) 引き続き、公聴会の質疑を続けさせていただきます。
○公述人(舩津徳英君) 私は、小さな市町村から立脚して考えさせていただければ、国は是非平準化に努めていただきたい。
 先ほども東京都と、そして神奈川県、千葉県、埼玉県の状況を話させていただきましたけれども、実は東京というのは人も情報もお金も全部集まるわけであります。しかし、その東京を運営しているのは実は人間でありまして、私ども埼玉県から毎日百二、三十万人の人が行っておるから私は東京都が成り立つのであるだろうと。しかし、その一方で、その住民の生活の面倒を見ておる結果、埼玉県の一般会計に占める教育費の割合が三分の一、しかし、一方の東京都は一〇%ちょっとでやっていけるということは非常に不公平を感じております。
 そしてまた、私どもの市を取り巻く川口市、戸田市、蕨市は、善くも悪くも実はギャンブル収入が非常にありまして、オートレースやボートレースがあります。ですから、よくよく財政状況を分析すると、そのばくちのテラ銭で潤っておるというのが実情であります。
 私どもはそういうお金がなかなか入ってきませんので、それをやっぱり国がいったん吸い上げて、そして善くも悪くも配分をし直していかなければ、私は市民一人、町民一人、そしてまた一世帯は一世帯だろうと。末端の市町村というのは、市民一人、そして一世帯が夢と誇りを、そして暮らしていけるのが地方自治ではなかろうかというふうに思います。
 ですから、国は是非、地方交付税やあるいは補助金は平準化という意味で是非財源の配分をお願いしたいというふうに思います。
 以上です。
○公述人(松井圭三君) 財源論のお話ですけれども、基本的に国税というのは、何といいますか、国民から税金を東京へ集めて、そしてその税を地方へ分配するということでしたね。しかし、端的に言いまして、課税権が国にあるので、先ほどの公述人も言われたとおり、私も、地方へ課税権を下ろす、国税を減らして地方税を増やしていくという方がいいのではないかなと思っています。
 以上です。
○公述人(山本節子君) 納税者の立場で申し上げますと、私たちの、自分たちが住んでいる市町村が一番大事なんですね。ですから、自治法でも基礎自治体という名付け方があるんです。基礎自治体が集まって国ができているんで、国があって基礎自治体があるわけじゃないんです。何か、そこを何かここの永田町にいる人たちはみんな間違っているんじゃないかという気がするんですけれども。
 じゃ、地方財源のことを言うんだったら、私の考えとしては今のような源泉徴収のシステムを全部やめちまえということになるんですけれども。全部、もうすべての国民がすべて申告式にする。それで、それを集めるのは全部市町村だと。市町村が必要なだけ取って、余ったのをちょこっと国にも上げましょうと。これだったら国は変な企業と一体化した事業なんかできなくて、非常にクリーンでガラス張りな政治ができるんじゃないかと思っています。
 とにかく、すべてのことが中央集権で集まるとそこは腐敗するというのは歴史が証明しているので、私は是非、源泉徴収制度をやめて申告制度にして実態的に自治権を高めなさいということを申し上げたいと思います。
○小林元君 時間がなくなりましたけれども、最後に一点だけ。
 皆さんいろいろ市町村合併のお話が出ました。これについてお聞きしようと思ったんですが、少し飛びまして、舩津公述人、小さな、小さいながらも楽しい我が家と、こういう話がありました。今の流れはどうも小さい家では大変だろうというような方向が出ておりまして、三百とか千とかいろいろ議論はありますけれども、自治体が、基礎自治体がだんだん少なくなっていくというような傾向にはあるんではないかと。そこを否定されると困るんですが、そういう中で、いわば県、中二階、この二段階、二層制になっておりますが、県の存在というものはどうなのか。もっと一歩進んで、地方分権といいますか、進める意味で、道州制というのはドイツとかアメリカでやっておりますが、そういうものについて現場ではどのようにお考えになっているか。簡潔でも結構でございますので、よろしくお願いします。
○公述人(舩津徳英君) 狭いけれども楽しい我が家。確かに住んでいると、同級生も大体市内、小さなところですからたくさんいるし、親戚もいるし、非常に、けんかするとなかなか住みづらいんですが、とても楽しいというふうに思います。大きくなるとそれじゃ、私は非常に疑問に思うんですが、じゃ横浜市や川崎やあるいは大阪がいいかというと、東洋経済社とか、データパック見ますと、決して財政構造は良くないし、四苦八苦しているのも事実なんですね。一番効率のいいのは二十万とか三十万、あるいは十万人ぐらいの規模の市が一番効率がいいというのは統計上明らかになっておるわけであります。
 そして、道州制というのは、恐らく鳥取県や島根県、非常に人口が少なくて、でもいつもいろんな研究から住みやすい地区に必ず挙がってくるのはそういうところなんでありますけれども、そういうところの矛盾を解消するために、一方で横浜や東京のような大きなところもその矛盾を解決するために道州制というのが出てきたんだというふうに思います。しかし、なかなか道州制が日本の今の地方自治、地方行政に合うかというと、なかなか難しい面があるんではなかろうか。
 ですから、国が今、市町村合併を進めて、そしてそんな中で都道府県が実はなかなか意味のない、目立たない、住民から遠い、それでいて結構仕事、補助金とかやっておりますけれども、中途半端になっております。ですから、県が、今日も埼玉県が発行した市町村合併推進要綱というのを持ってきましたけれども、国に乗っかって太鼓たたいているんですよね。
 でも私は、この市町村合併は、あるいは政令市は、都道府県の立場が台なしになるのが本当の姿ではなかろうか。もっと真剣になって、ですから、神奈川県が今度湘南市というのができれば、残った部分は解散するか吸収されるかして、そのぐらいの都道府県が真剣味を出さなければいけないんではなかろうか。そこで初めて道州制が必要なのか、なじむのか。私は、都道府県と政令市の再編で、その下に区と、住民の自治ができる区と市町村でよろしいかというふうに思いますけれども、そんなふうに思います。
○小林元君 ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 山口那津男君。
○山口那津男君 公明党の山口那津男でございます。
 公述人の皆さんには、貴重な、実際的な現場からの御意見を賜りまして、ありがとうございました。それぞれにお尋ねをしてまいりたいと思います。
 まず、池上公述人に伺いますけれども、住民投票の意義について、これは合併の問題に絡むことだけではなくて、その有用性とか意義とかあるいは法体系上の位置付けとか、その辺についてのお考えをお聞かせいただければと思います。
○公述人(池上洋通君) 私のレジュメの五ページに「住民投票について」という、最後にわずかな行でございますが、書き出しがございます。その最初に「憲法九十五条と住民投票論の新段階」というふうに書かせていただきました。
 申し上げるまでもなく、先ほど御説明しましたように、九十五条において特別法の立法に当たっての住民投票の規定がございます。私は、今日行われております住民投票につきまして、憲法九十五条の思想を受け継いでいるものがあるという認識であります。
 例えば、原子力発電所の立地をめぐって行われております住民投票がございますが、あれは原子力基本法等に基づく国のエネルギー政策に対する住民の意思表示という性格を持っております。つまり、すべての市町村に原子力発電所を設けるということが一般法として規定しておるならばともかく、国の持っているエネルギー政策を特定の自治体において実現するという形で原子力発電所の立地計画が立てられていく。だとするならば、特別法を制定する際、つまりある特定の法を特定の自治体に対して適用するのと同じなのではないだろうか、ならば住民投票で決着すべしというふうになっていると私は受け止めているわけでありまして、その意味では、今日行われております特に原子力発電所をめぐる、原子力発電所の立地をめぐる住民投票には憲法上の重大な意義があると私はかねてから考えておりました。つまり、憲法の示しております特別法の立法についての住民投票に相当する意義を持つ住民投票ではないだろうかという理解であります。
 同じように、現在議論されております市町村合併についても、市町村合併特例法という文字どおりの特別法をそれぞれの市町村に適用するか否かの選択を住民に迫るわけでありまして、その点から考えますならば、この決着は住民投票において行うべしと私は考えております。
 つまり、憲法九十五条が求めております住民投票の理念といいますのは、そういう意味では今日新しい段階に立って我々が理解をしなければならないものというのが私のまず意見でございます。
 もう一点だけ申し上げます。
 では、地方議会を無視する、あるいはまた軽視することになるのではないかという議論が盛んに一方で行われるのでありますが、それは二つの点で違うのではないかと考えております。
 それは、第一点では、地方議会の条例制定をもって行う住民投票なのでありまして、地方議会を軽視することにはならないのではないか、これが第一点であります。
 それから、もう一点重要なのは、住民自治というものを私どもの地方自治法は直接請求などを含めた直接民主主義の規定をももって保障しようとしているのでありまして、それを積極的に私たちがそれぞれの自治体において実現するということからいうならば、適切な住民投票の実施というのは当然考えられなければならない、こんなふうに思っているところでございます。
 以上でございます。
○山口那津男君 ありがとうございました。
 山本公述人にお伺いいたします。
 広域連合についての否定的な見解をお述べになりましたけれども、この広域的な事務処理の必要性、ニーズが仮にあるとお考えであれば、その事務処理のためにはどのような在り方が望ましいというふうに考えていらっしゃいますか。
○公述人(山本節子君) 広域的な事務処理のニーズというのは、先ほども申し上げましたけれども、基礎自治体というのは、さっき二十万とおっしゃったあれがありますけれども、私も大体二十万からせいぜい行って三十万ぐらいが、非常に市町村として環境的にも完結できて、顔が見える、地元に密着したあれができるんですね、行政ができると思います。
 そういうちょうどいいサイズのものがあったら、ちょっと小さい市町村は別に今はあれしませんが、普通その適正なサイズであれば広域的な行政の必要性というのはそれほど出てこないんです。むしろ広域行政によってマイナスが出てくる場合がある。例えば、ごみ処理によったらその運搬の輸送路が長くなるですとか、結局大きなものを作らなければいけないとか、そういうことなんです。
 ですから、私は広域連合の在り方そのものは、そういう考えはあるかもしれないけれども、じゃなぜ市民に知らせないのというところに来る、行き着くんですよね。市民は全然知りませんけれども、このごみ処理の広域化計画、そこにまた戻っちゃいますが、一部事務組合でできるんです。でも、一部事務組合ではやらなかった。それどころか、今は一部事務組合で六百とこちらの先生はさっきおっしゃって教えてくださいましたが、その六百も全部広域連合に入れちゃうんですよ。広域連合に入れちゃう。
 ですから、広域的なニーズっていうのは、今一番産業界がどこが欲しているかというと自動車ですね。自動車リサイクル法というのがもう今大体秒読みでできるということになっていますけれども、この自動車業界に対して物すごくすばらしい法律がこのごみ処理の広域化計画と、あと改正廃掃法なんです。
 広域的なニーズがどこから出てくるかと、そこを挙げたら、あと自動車業界、それこそごみを、有毒廃棄物をたくさん出すところって出てくると思います。市町村に住んでいる私たち一般住民にとって広域行政のニーズというのはほとんどないと思います。それは確かめてごらんになったらいいと思います。
○山口那津男君 山本公述人にもう一つ伺いますけれども、ごみの処理で広域処理をしたところが民間にその処理を預けまして、そして別な自治体にその一般廃棄物が捨て置かれて、そして置かれていかれた自治体は困っていると、こういう事件があるわけですけれども、こういった問題の処理について御感想があればお伺いしたいと思います。
○公述人(山本節子君) そういう問題は山ほどあります。そこのごみが本当にどこから来てどこで生まれたかというと、これは探してみると全然分からないんですよ。
 今、一番問題になっているのは、先ほども言いましたけれども、一般廃棄物は激減しているんです、激減しているんですよ、特にバブルの崩壊以後は。ところが、横浜なんか非常に微妙な数字を出していまして、何だか横浜だけは一般廃棄物が増えているんです。増えているというのは産廃なんですけれどもね。ですから、どこでそのごみが発生しているかというと、恐らく事業系一廃と呼ばれている事業系のごみが多分かなりの量を横浜市の場合はそれが引き受けているんだと思いますけれども。
 それで、そういうところで処理し切れなかった部分、当然ながら横浜市みたいに三百万都市になりますと、自分の事業所ではできない部分があって、それを恐らくある程度民間に委託している部分もあるでしょうね。現にあります。それはあの廃掃法も認めているんですけれども、ところがそれを裏付けようとすると、全部墨塗りで何にも出てこないんですよ。真っ黒です。
 後ろに今日はちょっと私の公述を聞きたいというので、市民運動の人、大分来ていますけれども、その人たちは物すごいたくさんの情報公開請求して出させたんですけれども、ほとんど肝心なところは書いていない。あるいは、何十枚も何百枚も全部同じことが書いてある。訳の分からないことをやっているんです。
 ですから、一番私がここで言いたいのは、どこから出たごみで一体だれがどれだけのごみをどこに出しているかをやっぱりきちっと把握しなきゃいけない。把握ができていないところで何かあそこのごみがここに来てたって騒ぐというのは、またちょっと違うんじゃないかと思うんです。
 それで、もうちょっと更に言いますと、去年の、おととしのあの改正廃掃法は恐ろしい改正というか改悪をしてしまいまして、御存じのように法律には施行令と施行規則があります。施行規則になると、法律とはちょっと違って非常に具体的な細かいことの定めが出ているんですね。そこにフォームとか何かも全部そこにあるんですけれども、そこで産業廃棄物の排出業者に対する指導が全部削除されました。それまではたくさん産廃を出している業者は名前とそれで排出の責任者、運搬経由とかいろんな細かい情報を全部県に出さなきゃいけなかったんです。それをたった一言「削除」という言葉ですべての情報はもう出さなくてよくなっちゃっているんですね。こういうことをやっていながら表ではごみを削減するなんて、非常にごまかしもいいところなんですが。
 ですから、私たちは、住民としては、県も市もそうなんですが、全く今の産廃の出どころはわかりません。でも、それに気が付いた自治体もありまして、千葉県では、皆さん御存じかもしれませんけれども、二月の六日の朝日新聞の夕刊に、千葉県は特別の条例を出して産廃で法律の規定のない産廃もちゃんと報告させることにしたと報道されました。これはやっぱり、それは幾ら何でもまずいだろうという正しい判断が働いたからだと思います。ちょっと答えが微妙にずれたかもしれないけれども。
○山口那津男君 松井公述人に伺います。
 外国人の地方参政権、これについては国会議員の一部には根強い反対論もあるわけですけれども、地方自治の実態から見て、この必要性について再度どのようにお考えになるか、お述べいただきたいと思います。
○公述人(松井圭三君) 先ほども発表しましたとおり、市町村の住民が主体ということですので、外国人の方も地域に住んでいるわけですから、基本的には政治参加するシステムを作らなきゃいけないということですので、選挙権は与えないといけないということが一つです。それから、先ほど、憲法にもありますとおり、最高裁ではそれを認めるような判決もありました。また、議員さんも、公明党ですが、自民党と公明党の中の話の中にも参政権を与えるといったようなことが何かあったように読んだことがあるんですが、やはり一日も早く実行しないといけないと思っております。
○山口那津男君 一言ずつ伺いますけれども、司法権は国が独占をしているわけであります。しかし、実際には簡易裁判所が統合されたり、あるいは弁護士や法律実務家が都市部に偏在している、こういう実情があります。
 そこでこの自治体にも、こういう裁判権には限りませんけれども、ある程度の紛争解決機関を作るような、そういう仕事というものも考える必要があるのかどうかについて、一言ずつで結構ですので簡潔にお述べいただきたいと思います。
○公述人(池上洋通君) 私は、今後の地方自治体においてはそうした司法的な権能を持つ部分を何らかの形で設ける必要があるだろうと思っています。憲法九十三条の、その場合九十三条第二項、「地方公共団体の長、その議会の議員及び」の次にある、「法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」規定がございますが、これを活用することによって、例えば監査委員の公選制を実現する。そして、監査委員の権限を大きくすることを通じて何ができるかといったふうな議論は大いにすべきであるというふうに考えております。
○公述人(舩津徳英君) 私は、日本は三権分立でありますから、市町村がこれ以上介護保険やごみのこと以外にそこまでやっていくとなかなか難しいだろうと。ですから、簡易裁判所や家庭裁判所をもうちょっと数を多くして、また時間の効率を図る方が私は大事だというふうに思います。
○公述人(松井圭三君) 紛争解決機関は、やはり地域に作るべきだと思います。だれもが、裁判というのはやっぱりお金も要りますし、時間も掛かります。ですから、市民としては、やはり話を聞いていただきたい、また知っていただきたいという気持ちも強いので、やはり地域にこういった機関を作るべきだと思っております。
 以上です。
○公述人(山本節子君) 紛争解決機関なんですけれども、紛争を解決する機関というのは、司法に任せたら間違いなんだと私は思います。三権分立とはいっても、司法も、私自身も行政訴訟を大分起こしているので裁判官だとか弁護士の生態というのはつぶさに見ているんですけれども、ちょっと、ううん、どうかなというのがありまして、結局、地域で、地域の問題は地域なんですよ。ですから、やっぱり市町村にきちっと任せる。
 それで、何だかんだ言っても、じゃ司法改革の部分にまで踏み込んで話してしまいますけれども、日本は憲法裁判所がありませんよね。行政裁判所もありませんよね。行政裁判所で本当に中立的なところを作ったら、市民運動なんというのは、反対運動とか何かはもう激減すると思いますよ。全く話を聞く耳が、持っているところがなくて物すごい腐敗です。行政自体も、ちょっといろんな御意見が出ていますけれども、市町村行政というのはもう本当に、本当にしようもなくてというところなんですよ。
 だから、私は、自分の仕事としていろんな恥部だとか問題点をばんばん提起して、本当に住民に投げ掛けて、住民を巻き込んで考えさせる、要するにそこに住んでいる人たちの知的レベルを上げるというのが第一歩だと思います。そこを怠って何かいろんなものを一杯作ったって、絶対役に立たないと思います。それが私の意見です。
○山口那津男君 以上です。
○会長(上杉光弘君) 宮本岳志君。
○宮本岳志君 本日は、四人の公述人の皆さん、誠にありがとうございます。日本共産党の宮本岳志です。
 まず、池上公述人にお伺いをいたします。
 先ほどのお話の中で改正地方自治法の積極面について触れられた後、改正地方自治法における消極的側面ということもお書きになっておられましたけれども、時間の関係上飛ばされたように思うんですけれども、少しこの点にかかわってお話しいただけることがございましたら、お話しいただきたいと思います。
○公述人(池上洋通君) 私のレジュメの三ページのところに、三ページのちょうど真ん中の辺りに「(6)改正地方自治法における消極的側面」ということについて二行にわたって書き出しをいたしております。
 第一番目は国による関与規定の問題点でございます。
 先ほど申し上げましたように、特に自治事務に対しては特別の配慮が必要であるということを第二条第十三項で規定している地方自治法でありますが、この地方自治法の中に盛られている関与規定のうちには、自治事務に対してかなり厳しい、一般的な関与が行うことができるというふうになっている部分がございます。
 しかし、特に私が重要だと、重大だと考えておりますのは、これはこの改正地方自治法がかかった国会でも盛んに議論になった点でございますけれども、特別な場合といえば特別な場合ではありますが、自治事務に対して代執行、国によるあるいは県による、市町村に対しては県によるも含む代執行までできるという規定が実は盛り込まれている点であります。自治事務に対して代執行ができるというのは余りにも権力的過ぎるということで、これは繰り返し議論になったはずのところでございますが、実際の法規定はそのまま言わば今日なっているわけでありまして、私は今後の地方自治法の改正問題で是非このことは正面から考えていただきたいと考えております。
 これは代執行に限らずでありまして、許可、認可等々の本来法定受託事務にのみ適用されると分類をされております関与の規定が、事情によってはかくかくしかじかという言い方ですべて自治事務に適用できるという法体系になっています。これは必ず禍根を残すと私は思っておりまして、この点をまず率直に申し上げておきたいと思います。
 それから、第二番目にここに書き出しておりますのは、先ほども木村委員さんの方からお話がございましたが、議員定数の上限法定ですね。
 これは、私は、議員定数について、本来の地方分権を考えるのであるならば規定すべきではないと、地方自治法が。といいますのは、議員定数といいますのは自治事務中の自治事務の一つのはずなんです。ですから、そういう意味で申し上げますと、議員定数の規定を置くこともさることながら、上限を決めるという、この今日の在り方については大変私は問題があると。少なくとも基準値を置いて増やすことも減らすこともできるんだということでなければ、何のための分権であろうかということに当然なるわけでありまして、私はこれは非常に重大だと考えております。
 といいますのは、実は本当に地方分権をやろうとしますと、当然条例をもって執行するわけでありまして、法治の仕組みが前提でありますから、優れた条例を作ろうと思いますと、地方議会の力を低くしてそんなことが実現できるはずがありません。ところが全国的傾向を見ますと、議員定数の削減をもって良しとする流れが非常に強まっているんですね。私、これは危ないと思っているんです。こんなことを広げてしまえば、立法する能力を地方自治体は次々失っていく。しかも、それが今日、市町村合併と重なっておりまして、信じ難い削減計画になってきているんです。これはもう大変まずいことだというふうに率直に考えているところであります。
○宮本岳志君 ありがとうございます。
 もう一問、池上公述人にお伺いしたいんですが、先ほど来の議論で、政令指定都市の県からの独立というような議論もございました。都道府県の空洞化というようなことも議論の中に出されてきております。
 我が国の地方自治制度は二層制という原則を持っているというふうに考えるんですけれども、この点についてどのようにお考えになるかということと、もう一つは、山本公述人の方から広域連合の問題点について御指摘がありました。この点について池上公述人はどのようにお考えになるか、お願いいたします。
○公述人(池上洋通君) 最初に、大都市の問題について一言申し上げたいと思います。
 私は、先ほども御発言がございましたが、大都市につきましては、先ほどお話にありましたように、特に政令指定都市に典型に見られることで申し上げますと、今日、行政区と言われているところにすべて政治的権限を与えるべしというのが私の意見でございます。つまり、議会を持って、しかもその議会はでき得るならば選挙制度によるもの、選挙制度による議会をきちっと構成をして、住民が政治的に参加のできる、行政の参加だけでは駄目なのでありまして、政治的に参加をできる仕組みを明確に作るべきであるというふうに考えております。
 といいますのは、横浜市、川崎市、様々の政令指定都市に、私、ほとんどすべての政令指定都市で研究会をこれまで経験をしておるのでありますが、行政の当局者の皆さんと共同の研究会などをやってみますと、結局出てくるところは何かといいますと、住民の力をどう結集できるかということに本当にエネルギーを注いでいるわけであります。そうだとするならば、今日の言わば行政区と呼ばれるものに思い切って言わば民主的な力を与えるということが基本ではなかろうかと率直に思います。そうしたことを考える中で、先ほど御意見ございましたが、県との関係をどうするかというふうに考えるべきではないだろうかと思っています。
 それからもう一点、二層制のことですが、これは、先ほどお話しのありました道州制とも多少かかわると思いますので、そのことも視野に入れて一言申し上げたいと思います。
 私たちの国の地方自治制度の中で最も優れていると私などは考えておりますのはこの二層制の原理でございまして、特に、これも先ほど言及がございましたが、補完性の原則というものを私たちが考えるときに非常に重要な意味を持っていると考えております。
 つまり、市町村が様々な条件の下でなし得ない住民サービス、しかもそれは、欠かすことのできない住民サービスをどうするかという問題は絶えず出てくる問題なのでありまして、それをどのように補完をし、補完といいますのは代執行と違いまして、言わば市町村を優先するという考え方に立ちまして、これシャウプ勧告の思想でありますが、市町村を優先するという原則に日本の地方自治は明確に立っておりますから、そうしたものの上に補完をしていく。都道府県がそれを補完する、都道府県が補完できないものは国が補完をするという原則に立っておるわけでありますけれども、そういう意味では、特に地方自治における言わば補完の原則が有効であるそうした仕組みは都道府県制度においてどうであるか、広域地方自治体においてどうであるかという観点にしっかり立つべきであるというふうに考えておるわけであります。
 これは、このことが明確にならない限り、市町村の自立をどんなに叫んでもあいまいなまま終わることは明らかでありますので、そうしたことを明確にしたい。何か大きな言わば自治体を作っていくと都道府県は要らなくなって道州制だというふうな話が盛んに出てくるのですが、そんな簡単なものではありません。
 例えば、アメリカ合衆国は我が国の二倍の人口でありますけれども、州は五十州であります。ということは、仮にアメリカと同じ平均人口の道州制を導入するといたしますと、今の日本の都道府県を二つずつくっ付けて州にしてしまえばいいわけでありまして、そういうことなのかということを本気になって考えなきゃいけないときだと私は思うんですね。
 そういう意味でいいますと、私は理論的に道州制を論じることは反対だというふうな立場ではございませんけれども、現実の市町村の政治と行政、そして都道府県が果たすべき市町村に対する補完の丁寧な組立てを考えるならば、今日の都道府県のレベル、大きさが適切であるというのが私の率直な思いであります。
 以上です。
○宮本岳志君 舩津参考人にお伺いいたします。
 合併に異論ありという勇気ある発言をされておられますけれども、市町村の規模についてどういう規模が適正かは、それは住民自身が決めるものだというふうに私どもも考えております。先ほど池上参考人も別の方の質疑の中で述べられましたが、私どもは、少なくとも合併に当たっては住民投票が必要なのではないかと。鳩ヶ谷で住民投票を行って、これは分離といいますか、市を作ったという経験にも照らして、合併に当たっては住民投票が必要なのではないかという考えについてどのようにお感じになるでしょうか。
○公述人(舩津徳英君) 合併にはいろんな歴史的、文化的、地域的なものがありますから、そこに住んでいる方々の住民投票が必要だと思います。
○宮本岳志君 今、実は当院に地方自治法の改正案というものが出されておりますけれども、住民投票については合併を促進する方向での住民投票だけを規定しておりまして、私どもは、いずれにせよ住民の投票を最終的にすべての場合において実施するという修正案を今準備をしているところでございます。
 それで、次に、松井公述人にお伺いをいたします。
 先ほどのお話の中で、憲法二十五条のナショナルミニマムの保障という話がございました。これは国の責任だというふうに私どもは考えるわけです。国の責任ということを考える場合に、それは財政的保障を伴うものでなければならないことは言うまでもないと思うんですね。先ほど福祉施設費への国費負担が減らされたという話も資料で出されておりましたけれども、この点についてどのようにお考えになるかをお聞かせいただけますか。
○公述人(松井圭三君) 憲法二十五条の生存権というのは国の、本当の最低生活、これは国が保障するということですので、基本的にはもう国が国民の最低生活を守らぬといけませんから、制度とかお金とかいうことを、やっぱり何といいますか、国が準備しないといけないと。
 ただ、今、地方分権という流れですので、憲法の二十五条の、国だけではなくて地方自治体という意味もとらえまして、地方自治体に例えば事務を移譲するのであれば権限、財源を移譲しないといけないんじゃないかということですね。
 それから、先ほどの措置割合、措置の費用負担の割合がだんだん少なくなっておるということなんですが、基本的にはあれですね、地域に、つまり市町村また都道府県に税財源を移譲しないとやはり住民の負担になるので、中途半端な感じですか、中央集権なのか地方分権なのかよく分からないような感じがいたしますね。
○宮本岳志君 山本公述人にお伺いいたします。
 通達行政について批判をされたくだりの中で、公共事業の推進役になっている五か年や七か年の長期計画にお触れになっておられます。
 我が党は、六百三十兆円の規模で行われようとしている公共事業基本計画、これに基づく長期計画が無駄な公共事業の推進役になってきたということを一貫して批判をしてまいりました。また、それが政官財の癒着によって進められてきたこと、そしてそれが地方財政危機の原因になっているということも指摘をしてきたところでございますけれども、この点について山本公述人のお考えをお聞かせいただいて、私の質疑を終わりたいと思います。
○公述人(山本節子君) 通達行政は今の日本の官僚システムがやっている一番根本的なところなんです。
 それで、私はこの本の前に「土地開発公社」という本を出しまして、土地問題から政治とか経済とかのシステムに入っていますから、非常にいろんな緻密なあれを積み重ねて推論しているんですけれども、そこで絶対切り崩せない部分があるんですね。それがどこかというと、産業と金融界の連合体なんですよ。基本的にいろんな公共事業のアイデアを企業が持ってきますね。企業が持ってきて、それを受けてシンクタンク、今シンクタンクとかが物すごく、ちょっとのさばっているという、余り表現は良くないんですけれども、すごく大きくなっていろいろ問題をこれから起こすかもしれませんけれども、それと一緒になって、いかにももっともらしい五か年計画、七か年計画を作り出すわけなんです。
 さっき言ったように、閣議決定で非常に大ざっぱに、これから何年かの間に何兆円という感じでばさっばさっと決めてしまう。そこは全然国会、関係ありませんよね。非常に簡単なんです。それは、持ってきた人間のところに全部事業が返っていく、それがあらゆる省庁が絡んでいるし、あらゆる産業界が絡んでいるんです。そこで、もちろん金融界も非常に暗躍しますし、ですから、こういう形で通達行政をこのままにしておくというのはもう腐敗のもとをそのままにしておくようなものですので、通達をどうしても、じゃ、やめられないというのだったらば、金銭的な、あるいは補助金の支出を伴うような行政は一切やめるように持っていかないと、そこのところでどんどん自治権まで奪われるような今現在状態になっていますから、ますますまずいことになると思います。
 かといって、先ほども話しましたけれども、これはグローバル化の流れの中で来ていますので、この流れというのはすぐに止めるというのはもう無理だと思います。それで、恐らく国会議員の先生たち束になって掛かっても、衆議院のあれでもそのとおりなので、のらりくらりと逃げられて全然実質は分からないでしょう。
 それで、一つの省庁に、建設省にも聞きましたけれども、みんな縦割りですから、その通達行政のすごい国としての実態をつかんでいるところはどこもないんですね。そこにばんばんお金が流れている。
 私は、先ほど申し上げませんでしたけれども、時間がなくて、ここで私のこの問題に対する提言を取りあえずまとめてきたので、五点ほどまとめてきたので、ちょっと聞いておいてください。いいですか、お答えに代える感じで。
 一つは、国が基本方針ですとか国の基本計画を作るというような場面がすごく多くなりました。ですから、日本の官僚は法の設計システムを完璧に変えているんですね。その法の設計システムのその新しさというのは何かみんなまだ分かっていないと思います、私も含めて。ですが、ここではっきり言えるのは、そこには国民の権利というのは一言も書いていないわけ。私は、九五年ぐらいから物すごく続いている、行政法がどんどん書き換えられましたけれども、その行政法の書換えに基づいて物すごくそういう疑問を持っているんですけれども、国の方針あるいは国の計画には必ず納税者あるいは国民の権利ということを明記してほしい、これが一つ。
 二つ目、このグローバル化で行く行く行政の民営化も私は避けられないと思います。もう今更騒いでも遅いんで、みんなでき上がっちゃっているわけですから、駄目なんですよ。それで、そこで行われる事業というのは、でもあくまでも公共事業であることには変わりありませんので、納税者は憲法による、憲法の基本的人権としての知る権利を、代わりに公共事業を行う企業に対して持っていますから、その知る権利に基づいて情報公開条例をちゃんと策定させなさいと。それをやってほしい、それを義務付けてほしい、説明責任も果たしてほしい、こういうことです。
 三番目に、事業計画とか実施計画、山ほど計画があります。もうどこに何がお金が使われてどうなっているのかは、あとは知らぬ顔なんですけれども、これは、さっきシャウプ勧告なんという話が出ましたけれども、欧米ではみんないろんな計画とか勧告に名前が付くんですよね、策定者の。日本もそれやりませんかという感じで、策定者の名前をきちっと作って、例えば野上計画とか、ああいうふうに、常に、責任者がもういなくなって、異動しても追えるようなシステムを作っておくことが必要じゃないかなと思います。
 四番目、今後は産官学でいろんな形の話し合いが行われると思います。先ほど述べました、神奈川県がIGESとか技術研究会と一緒にやっている会合、それは必ず住民に開かれたものにしてほしい。もういい加減にやぶの中でやるのはやめてほしいということを言っておきたいと思います。
 それから五番目には、先ほどちょろっと触れましたけれども、行政裁判所ないし憲法裁判所を作ってほしい。憲法裁判所があったらば今回のあの廃掃法の改正、地方自治法の改正、これは本当に違憲ですよ。何でこんなものが通ったのかというのは内閣行政局まで大分ぎゃんぎゃん言いましたけれども、お答えはないのでどうしようもないんです。そういう法律を、法治国家にしたいんだったら、やっぱり行政裁判所ないしは憲法裁判所は必須です。それがまだないというのは非常に恥ずかしい。
 以上です。
○宮本岳志君 ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 田名部匡省君。
○田名部匡省君 最後になりますと大分もう皆さんの意見も分かりましたが、池上公述人にお伺いしますが、合併については八〇%ぐらい反対が多いと、こういうお話でした。
 私も、あれは昨年の四月に地方分権一括法が施行された。その中でも、今度、何年まででしたか、合併すると助成金がもらえると。(「平成十七年」と呼ぶ者あり)平成十七年ですか。私の地域でも今もう一生懸命になってやっているんです。ただ、町村長が相談に来まして、どうもこのあめとむちみたいなやり方というのは、僕はこれどんなものだろうなと。何かそれまでにやらないとお金を上げませんよというやり方は、地元に帰ってこれを見ているとこんなばかにされた話はないなという気になっちゃうんです。
 今、皆さんのお話を伺って、私は青森県です、大都会の話なものですから、なかなか埼玉だ神奈川だと言ってもぴんとこないんですね。今それでも合併しようとして、それは、こんなに少子化、高齢化が進んでいくと。もうどんどん減っているんですよ、下北半島を見ても津軽半島を見ても、介護の問題から何から、税から。軒並み地方自治体が赤字財政で、もう破綻状態なんです。しかも、病院を持って、これがまた大赤字。
 そういうことを考えて、国がこれだけ借金して、一人六百何十万だというような借金をし、地方も借金をすると。このままほっておいたら一体どうなるかなという気がいたしまして、私は、税とか財源というのは大事なことなので、そういう観点からいくとどうお考えになるかということをひとつお伺いしたいと思います。
○公述人(池上洋通君) 全く現場に参りますと、おっしゃるとおり本当に涙が出るというか、胸が熱くなるような御苦労を皆さんなさっています。これは本当にそうなんです。私も実はかつて役所の職員だったのでよく分かるのでありますが、本当にそうなんですね。
 そして、全国を回っていますと、特に市町村の政治、行政のどこでも共通の課題になっておりますのは、高齢者の課題をどうするか、子育て、教育をどうするか、地域産業をどうするか、そして今お話のありましたごみ、環境問題にどう向き合うかと、この四つなんですね、どこへ行っても悩んでおりますのは。
 実は、高齢者のことも子育てのこともそうですが、率直に申しますと、よく少子高齢化と申しますが、だれでも高齢者が増えてきたことを問題にする方はいらっしゃらないわけです、これはおめでたいことですから。本来、長寿が私たちの願いでしたので、これは良かったなということです。問題なのは、子供が減っていることなんですね、将来の社会構造から見ても。
 私は不思議でなりませんのは、実は子供を産んでいく、女性が子供を生涯出生するのは、数字、統計的に低いところはみんな都会なんです。何で私、都市化が進むと少子高齢化に対応するといって都市化都市化、大規模になるというのは私全然分からないんですね。
 例えば、今大体一・三五ぐらいが生涯出生数でありますが、東京都においては既に一・〇を割りまして、杉並区の例で言うと〇・八です、今、生涯出生数は。つまり、都市化したところほど少子化が激しいのでありまして、何で大きなくくりをして都市化を進めると少子高齢化に対応できると説明できるのか私は全く分からないですね。それは違うのではないかということなんです。
 つまり、そういう問題ではなくて、言わば、先ほどちょっと申し上げましたが、地域産業のことで、例えば本当に二十一世紀社会で農林業、食糧政策をどうするつもりなのか、我が国で。そうしたことを無視して、現在ただいま財政が困難だからくくるというようなことをどんどんやっていったら、一体、そこに住む人もいなくなるような農林業地域がわあっと出てくることはもう明白なんですね。だって、都市的なところと農村、農林業的なところが一緒になったところで、昭和の大合併以後の経験では農林業地域からあっという間に人がいなくなるんです。物すごい過疎化です。
 そういう経験に基づいて考えても、今言われているようなことが本当に言わば国家百年の計に責任を持つ観点なのかと私は率直に申し上げたいんです。
 しかも、子育てのことも高齢者のこともそうでありますが、結局それを解決するのは地域社会そのものなんです。どんなに介護保険をやっても、介護保険のサービスで一人のお年寄りのときに出掛けていくのは一日に一時間かそこらです。残りの二十三時間は家族と地域社会が面倒を見ているんです。ですから、そういうことを考えれば考えるほど、地域の共同体の力というものを本気になって自治の力として豊かにしない限り、これはもう絶対解決できないです。
 子育ても全く同じ。子育てについても、私は大学では教育学部で教えていますけれども、子育てのことを考えますと、本気になって地域社会でどの子も我が子というふうな関係を復活しない限り今の困難は解決できません。
 そういうことから申し上げますと、私は、くくりをどんどん大きくしていくような今の発想で、しかも基礎的自治体というのは単に自治体にとって基礎ではなくて国家の基礎ですから、そうしたところがきちんと本当に胸を開き合って共同体意識を持たないでどうやって安定した国家が作れるのかということも含めて率直な思いを持っております。
 以上です。
○田名部匡省君 ありがとうございました。
 舩津公述人にお伺いしますが、埼玉なんてもう大都会ですよね。私の方へ来ると、例えば三戸郡という十か町村あるんですが、みんな山に分かれて住んでいるわけですね。合併合併言われても、山を越えて向こうと一緒になれと言って、なかなか難しい。そうすると、今、私の八戸市の隣に百石、六戸、下田町というのが三つあるんです。ここはもう三つだけで一緒になりたいと言っているわけです。
 だから、お伺いしたいのは、私は、地域の実情に応じてもう任せると。どことどう一緒になろうが、これは嫁さんと婿さんの関係で、嫌なところと一緒になれと言ったって、人数だけでくくるというのはどだい無理な話。そして、やってみてだんだん税収が落ち込んで、これはもう大変だなと思えば、やってみてよかったらそこから広がってくると思うんです。経験したことないことをやれやれ言って、いつまでにやらぬとお金はやらぬよなんということは、もうこれは気分悪い話でしてね。
 そこで、皆さんの方はどうでしょう。少子化になっても、そういう規模を少し広くして、役所もスリムにしてやろうなんという発想にはなっていかないんでしょうか。
○公述人(舩津徳英君) 市町村の規模というのは、もう先生お話しのとおり、地方に行くと、山合いだとかあるいは海辺のところで、もう全くそこで独立してやっていられるところもあると思うんですね。そこを過疎になったからといって、どことどこをくっ付けるのも難しいし、あるいは三つのところが隣り合っていてやっていこうという、それはそれでよろしいかというふうに思うんですね。そこにまさに民主主義だし住民自治ではなかろうかというふうに思うんです。それを頭から否定するつもりはないんです。
 ただ、私は、東京や埼玉や神奈川、この県境、都境あるいは市町村境というのは人為的に作られたものであります。私どもの町も、昔は足立の国、武蔵の国足立郡。それが二つに割れて東京都とそれから埼玉県に編入されたわけであります。そういうことを繰り返して今日の姿になったわけでありまして、昔は、江戸城を出た将軍が日光に行く途中に、赤羽でお茶を飲んで、川を渡って鳩ヶ谷でそしてお茶を飲んで、浦和の大門で一泊したと。非常に伝統があります。その伝統があるがゆえに、何で隣の男に世話にならなきゃいけないのか、これもやっぱり住民感情として事実あるわけなんですね。そこを国が金が六百何十兆円、もう大変だ、どうするんだと言われましても、それはその市町村の現場でどうにもなるような話ではないんでありまして、税制だとか新しい産業を起こすとか、いろんなことを組み合わせてやっていただきたいと、私の方からお願いをしたいわけであります。
 そういう地域の実情を無視して、正に永田町は金太郎あめで市町村あるいは都道府県の再編をしようというふうにしているのはいかがなものかなというふうに思うわけであります。
 以上です。
○田名部匡省君 ありがとうございました。
 次に、松井公述人にお伺いしますが、先ほどの話の中でスウェーデンのようにという、レジュメも拝見しましてね。私も、完全に地方分権を実施すると、もちろん財源も与えると。今、分権はやりましたけれども財源を与えていないと言ってみんな騒いでいるんですね。私は、今日は自民党の諸君もおりますけれども、暮れになると陳情にぞろぞろぞろぞろ、まあ飛行機賃とホテル代掛けて、これ税金ですよ、みんな。もう来るなというんですよ。財源を渡せという運動に来いって。もう十何年前に自治省で調べたそうですよ、あの暮れの陳情のお金がどれだけ掛かっているかと。当時で二千万掛かっているという。今なら大変なものでしょう、恐らく。それもみんな役所に言われて仕方なしに来ている人もおるでしょうし、そういう意味を考えると、やっぱり財源をもう完全に移譲して、そこは調整しなきゃならぬところありますよ、もう本当にやれないところにはそれなりのことをしていかなきゃならぬ。
 そういうことを考えてみて、この不満を解消するということはどうされることが一番いいのか、ちょっとお伺いしたいと思うんです。
○公述人(松井圭三君) 先ほどの話はエーデル改革と申しまして、いわゆる市町村、コミューンですね、日本で言う市町村に高齢者福祉の権限、財源を移譲したということですね。保健、福祉を統合化してコストの削減、また住民とすれば身近なところで福祉サービスを受けるというようなことをやったわけですが、基本的にはすべて、先ほど議員さんがおっしゃったように地域ですべて片付けば問題がないんですから、ですから、住民の方が住民投票するなりしてやはり自分たちで治めていくということをやる必要があると思いますね。
 今申しました、議員さん今言いましたとおり、国がやはり平成の大合併やないですが、補助金等を一つの何といいますか、えさというんじゃないですけれども、補助金を一つのあれにしまして合併を中央集権でやっていくことに対してはやや疑問を持っております。
○田名部匡省君 最後に、山本公述人にお伺いしますけれども、私はかつて農林水産大臣をやらせていただきました。ウルグアイ・ラウンドの大変なときでしたが、そのときにも、どうやってやるかというときに、地域の実情に応じてというのを法律に一項入れなさいと、それから企業的感覚でと。これ農業政策の中ですから、大変抵抗されましたが、とうとうそれはやり通しちゃった。
 それは、一つの法律で雪の降る北海道や北東北、雪の降らない九州や沖縄の方と法律一本でできっこないというのでそれをやったんですよ。山ばっかりのところもあれば平地もあればということで私はそうやったんです。
 そういうことを考えて一番大事なのは何かなというと、情報公開をきちっとやると。これがないと一体今何をやっているか分からないということになると思うんです。
 先ほども三重県の北川知事のことのお話をちょっと何か触れたような気がしたんですけれども、私も北川知事を呼んで話聞きました、彼は私の後輩でしたから。大変よくやっていますよ、情報公開評価システム、もう徹底してやったんです、彼は。そして、バランスシートもやって、補助金を一律全部カットしたというぐらい彼はやった話を聞いて、もう国も地方自治体もみんなこうならなければならぬなという気持ちを持っているんです。
 これについてのお考えをいただければありがたい。
○公述人(山本節子君) ちょっと二点に分けてなんですが……
○会長(上杉光弘君) 山本公述人、時間が来ていますので、要点のみお願いします。
○公述人(山本節子君) 簡潔に、はい。
 北川さんについては、それはお相手が田名部さんだったから、そう何でももうすばらしかったんだと思いますけれども、何の肩書もない私なんかがひょこっと行って情報公開とかなったら、それはすごいものなんですよ。やっぱりそれは相手によるという実情があります。
 それと、あと、幸いそちらの方からウルグアイ・ラウンドの話が出ましたけれども、先ほどから私は何回かグローバル化の話をしていますけれども、これWTOの全面実施とかグローバル化の導入を見越した法律の作り方なんですよね。ですから、ふたを開けてみないと本当に何にもわからない部分があるって。私たちが見ているのは、明らかに地方分権の流れではあることは確かです。
 ただ、実態を見るとそうではない。いろんなものがもう今、この十年間が特にそうなんですけれども、一九八〇、具体的に言うと冷戦構造が終わってからなんですけれども、物すごく動き出していまして、私たちが目に見えている、目に触れるものはそこだけの話で、実際なところは、先ほど言ったような通達行政だの何だの、いろんなぐちゃぐちゃに固まり合った産官学の鉄の連合体がありまして、そこで進められていて、もうこの話は全く元に戻ることはないだろうと、さっき出ましたけれども、私も地方分権なんて言っているんですけれども、地方分権が進んでいる話です。
 それから、さっきも何回か、私、神奈川県の県民なので、気になるのでちょっと言っておきますけれども、道州制はまあちょっとできないだろうというお話もありましたが、実際は神奈川県と川崎市と横浜市の一県二市で広域化の協議会ができています。これはもう何年にもわたって協議を続けている。そこを今情報公開しようとしていますけれども、表立って口頭で聞いたって、そんなものはありませんと逃げるだけなんですけれども。
 ですから、この神奈川県を環境省というか中央省庁は全国のモデル都市として広域連合を立ち上げて、全国のモデルにしたいわけですから、神奈川県が一番このかぎを握っているんですけれども、道州制をやっぱり視野に入れているんです。道州制プラス広域連合でお話が進んでいるんじゃないかなと思っています。ここにそのチャートがありますけれども、そのチャートなんか見ても、それは疑い、疑うことはできないと思います。
○田名部匡省君 終わります。
○会長(上杉光弘君) 大脇雅子君。
○大脇雅子君 社会民主党の大脇です。
 今いろいろお話をお聞きいたしますと、ルールなき合併とか、市町村の合併とか広域化ということが推し進められていて、参考人の方々は原則として反対という御意見を伺いました。
 地方分権法ができまして、本来ならば個性を持った地方自治体というものが生まれて、そして日本の国が非常に活性化し、豊富化していくということが期待されているわけであります。
 この間、アメリカに私ども憲法調査会行きまして、オークランド市に行きましたときに、市議会が夜行われていて、そして市民がだれでも出てきて、市の行政の人たちに様々な立法提案をするというユニークな政策を取っているところを知りまして、やはり地方分権の本質的な部分というのは、条例の制定、そして住民投票というものがそれに結び合ってそしてそれができていくと思うんですが、それには公務員や議会の在り方が変わっていかなければいけないと思うんです。そういう萌芽というものが今地方自治の現場で起きているのかどうかということを池上公述人と舩津公述人にお尋ねをしたいと思います。
○公述人(池上洋通君) 今、私が少なくともこの間体験しております流れで申し上げますと、かつてない言わば地方自治、特に参加の意識でございますね、住民参加の意識は歴史上最高なんじゃないでしょうか。これは、私は大変日本の地方自治の展望を考える上で、そういう意味では大変力強くというか、心強く思っている点であります。
 実は、国の市町村合併政策を見ておりまして一番問題だと思いますのは、つまり市町村、特に小規模市町村は力がないと決めて掛かる考え方ですね。住民の中にもあるんです。町、村が合併して市になると昇格なんと言うんですね。どこにも決めていないのに、法律に。そういう考え方ですね。何か言わば小さな自治体を低く見る考え方がずっとあるんですけれども、そういう時代はもう終わらなければならないですね。
 実際に調べてみますと、今日、高齢者政策でも子育て・教育政策なども含めまして、我が国の市町村の政策をリードしているのはむしろ三万人未満の自治体がほとんどです。そういう意味では、もうちょっと私たち自身も含めて国自身が物の見方を考えなければならない、変えなければならないというふうに思うんです。
 このことに関連して一つだけ付け加えさせていただきますと、一昨年の四月八日にNHKのBS第一放送で「BS討論」という番組に出させていただきました。テーマは市町村合併。そのとき、石原信雄さんが私などと一緒に四人で討論会をやったのでありましたが、その討論会の後半で、七十分間にわたる討論でしたけれども、生放送だったものですからいろいろ自由に語れたのでありますが、後半において石原さんは私どもの話をじっと耳を傾けながら、中山間地域の合併はやめた方がいいですねとおっしゃったんですね。そして、それに続いて、では島嶼はどうかといったら、島はどうかといったら島もやめた方がいいという議論になりまして、そうすると、もしそれが正しいとなると、今言われている小規模市町村の大半はそれなのでありまして、今の流れはおしまいということなんですね。
 私は、まじめに討論すれば当然そうなると思うんです。現実問題として当たり前なんですね。私、石原さんについては役所にいたときから、石原さんのこんな地方交付税というテキストで学んできた者でありますから、大変尊敬をしている地方自治の先達だというふうに思っておりますけれども、さすがだとそのとき思いました。つまり、本当にそれぞれの地域における地方自治というものが自律的に根付こうと思うならば、そこの自然風土や歴史に立脚するほかはない、それは明白でありますので、そのことは付け加えておきます。
○公述人(舩津徳英君) 先生の御質問でありますけれども、夜、市議会が行われていると。私も市議会議員当時、もしお金の問題でしたら議員を少なくして、だったら増やして夜とか日曜日やったらどうでしょうかと。私は、一番はやっぱり質が問われているんではなかろうかというふうに思うんですね。やっぱり住民の代表として、自治会長のような、給料をもらわなくても本当に真剣にやっていける人がどのぐらい出ていけるのか、そういうことが問われているんではなかろうか。
 そして、日本人は特に地方自治の分野で特に考えるとおとなしいのかな。やっぱりお上の御意向でこうしなさいと言われると、その範囲内でしか考えられない。それはそれでしようがないんですけれども、是非、小さな市町村の立場から御理解をいただければ、市町村が、小さな市町村が何ができるかということから入っていただきたい。
 ところが、国は何をやらせるか、何をやらせるかということで介護保険やごみのことやいろんな、今は景気のことや、そういうことをお考えになっているようですが、しかし市町村で何ができるかという実情に合わせてお考えをいただきたい。
 そこで、条例の制定とか住民の投票というのは、私どもの市や、あるいは小さな力のないところは正直言って国のあるいは県の圧力で恐れおののいていると。だから住民投票をやらなきゃいけない。それに反するようなことを言えば、あなたは勇気があるとか、あるいは、じゃどうするんだ、そんなことを問われるんですが、しかし良くも悪くも非常に大きなうねりは感じる、現場で感じるところであります。
○大脇雅子君 是非頑張っていただきたいと思います。
 ともかく、今まで明治維新から中央集権ということでやってきた日本は、やはり地方分権法ができても、地方自治体を平準化しようとかあるいは金太郎あめ的に統一しようとかという傾向は厳然として皆さんのお話を聞いてもあると思います。
 松井さんは福祉の現場で働いていらっしゃるわけですけれども、とりわけ教育の現場で何が起きているのかということについてお話しいただけたらと思いますが、ここのところですね、教育とか福祉の現場で起きていることをお話しいただけると有り難いと思います。
○公述人(松井圭三君) 私どもの学校は、保育士養成と、それから保育士の資格を取って一年勉強しまして介護福祉士が取れる学科があります。
 一言言いますと、まず保育の方なんですが、今少子化ということもありまして、子供さんが今どんどん少なくなっておりますね。ただし、都会においては待機児童が三万人以上おるということなんですが、岡山はどちらかといいますと地方都市ですので、学生さんが勉強しても、卒業しても保育の現場に以前と比べるとなかなか就職できないと。就職できたとしても臨時採用であるとかパート採用が多くなっているということが一つ言えますね。
 もう一つは、介護福祉士の方なんですが、議員さんもお分かりのとおり、今どんどん養成校を作っておりまして、介護福祉士の養成施設は、もう本当、企業のような感じで学生を取り合っているという現状がありますね。ですから、中には定員を割れている学校もたくさんありますし、また教育が非常に質が低いという学校もありますですね。
 また、就職におきましても、ゴールドプラン21が今実行されておりまして介護基盤を整備しておりますけれども、しかしなかなか広がっておりません。それから、現在の働き方が、労働力の流動化ということがありまして、パート、アルバイト、介護の方もそうなんですけれども、就職に関しましては不安定労働になっている現状がありまして、志ある学生がたくさん入ってくるんだけれども挫折する学生もいるということをお伝えしたいと思います。
○大脇雅子君 ありがとうございました。
 山本さんにお尋ねをいたします。
 私も弁護士の時代は、ジプシー弁護団と言われるように、ごみの焼却場建設反対であちこち働いた経験がございますので、言わば広域連合の下でのごみ焼却場というのはもう既にそのころから始まっていて、やはり、おっしゃるように、自分のところで出たものは自分のところで処理をするということが原則であろうというふうに思って、先ほど五つの原則をおっしゃいましたが、私は、行政裁判所と憲法裁判所を特別に作るということには反対でございますが、それ以外は確かに御卓見だと思いました。ただ、こういう流れというものが必然化しますと、やっぱり住民運動が広域化しグローバル化するということがそれに対峙できないとこの流れは止まらないと思います。
 是非伺いたいのは、そうした動きの中で、住民運動というもの、そして住民投票条例から、住民投票から条例化への動きというものは今現場で勢いが出ているのか、あるいは出ていないのか、その点について是非お話を伺って、私の質問を終わりたいと思います。
○公述人(山本節子君) よく分かりました。
 さきのお話で、広域連合でごみ焼却をしているというのは、恐らくそれは一部事務組合であろうと思います。広域連合で新設炉で焼却して処理しているというところはまだ今のところはございませんので。
 それで、住民運動が広域化しないとというお話でしたが、これが日本の場合は非常に後れておりまして、私は、しようがないから先ほども御紹介したような本を書いて、勉強本として出したんですけれども、何だか知らないけれどもみんなダイオキシンに持っていかれちゃったんですよ。さっきもちらっと言いましたけれども、あれは官僚が、ここまで言っちゃっていいのかなと思うんだけれども、かなり情報統制していまして、一挙に出す。それでこの新しい計画を通しやすくするという下で仕組まれたことではないかと思いますけれども。
 それまでごみ運動をやっているところはごまんとあるんですよ。たくさんあるんだけれども、みんな一斉にダイオキシンに振られました。ダイオキシンに振られるとどういうことになるかというと、もう行き着くところはもう結局技術論争なんですよ。技術論争で、何でこれが法的にいけないか何だとか、そこには全然目が行かなくなる。そのために、日本の住民運動は、広域化計画という物すごく重要なものがあって、それが市町村のごみ行政を大きく変えるんだよと、そこに気が付くのが遅れました。本当に遅れて、動き出したのは、私が一昨年インターネットであれを出したころからなんです。
 インターネットで署名を集めて、それを持ってその当時の川口環境大臣に面会を求めました。川口さんは全然会ってくれないで、外務大臣に出世なさいましたけれども。それで、その後、実は今日はここに来る前に、せっかく交通費を使うんだからと思って、大木さん、新しい環境大臣にも面会してこの問題を訴えたいと思って行ったんですけれども、やっぱり秘書課の方で、もう秘書室の中にも入れないという感じで断られました。何せひどいのは、普通どなたでも下さるんですが、こういう名刺さえも下さらないということで逃げ回っています。
 それで、非常にここについては私たちががたがた言うのはまずいらしくて、実は今日持ってきたと思ったんですけれども、市民運動の中にもちょっと悪いのがいまして、悪いリーダーがいまして、さっき弁護士のあれがありましたけれども、この問題を国策と言ったり、あるいは違法性があったりと、そういうことを言うのはよくない、それは間違った市民運動だと、すばらしいアドバイスを下さった弁護士がいるんですよ。ここでは名前は言いませんけれども。全く、だから違法性とか何かついちゃいけないというふうに、結構名前のある人なんで、そこの市民運動は全部ダイオキシンの方に行っちゃったんですね。それどころか、私が言っている改正廃掃法の問題だとか何か、全部それはあなたの思い込みとか言って無視したというのがあります。
 そのほかにも、もうやたらにこのダイオキシン問題にだけこう引っ張ろう、あとはガス化溶融炉ばっかりに引っ張ろうという動きがありまして、物の本質を日本の市民運動は残念ながら見えていません。海外の場合は、物すごくそこが法律的なところから市民運動も来ますので、その落差というのがとても大きいんですね。
○大脇雅子君 ダイオキシンの技術論に入るということは、もうやはり運動としては非常に問題があります。もう既に十数年前、そういう議論はいたしたことがございますので、やっぱり人格権の侵害として住民自身の本質に反するんだということで、是非これからも頑張っていただくようにお願いをしたいと思います。
 どうもありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言申し上げます。
 公述人の方々には長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 お述べいただいた御意見につきましては今後の調査の参考にさせていただきたいと存じます。ありがとうございました。
 本日は以上をもちまして公聴会を散会いたします。
   午後五時四分散会

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