第156回国会 参議院憲法調査会 第7号


平成十五年五月十四日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         野沢 太三君
    幹 事
                市川 一朗君
                谷川 秀善君
                若林 正俊君
                堀  利和君
                峰崎 直樹君
                山下 栄一君
                小泉 親司君
                平野 貞夫君
    委 員
                愛知 治郎君
                荒井 正吾君
                景山俊太郎君
                近藤  剛君
                桜井  新君
                椎名 一保君
                中島 啓雄君
                中曽根弘文君
                福島啓史郎君
                舛添 要一君
                松田 岩夫君
                松山 政司君
                伊藤 基隆君
                江田 五月君
                川橋 幸子君
                木俣 佳丈君
                高橋 千秋君
            ツルネン マルテイ君
                角田 義一君
                松井 孝治君
                若林 秀樹君
                魚住裕一郎君
                高野 博師君
                山口那津男君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                松岡滿壽男君
                大脇 雅子君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       桐山 正敏君
   参考人
       東京大学名誉教
       授        坂本 義和君
       元国連事務次長  明石  康君
       神戸大学大学院
       法学研究科教授  五百旗頭真君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (平和主義と安全保障
   ―憲法前文と第九条)
    ─────────────
○会長(野沢太三君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、「平和主義と安全保障」のうち、「憲法前文と第九条」について、東京大学名誉教授の坂本義和参考人、元国連事務次長の明石康参考人及び神戸大学大学院法学研究科教授の五百旗頭真参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 忌憚のない御意見を承り、今後の調査に生かしてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、坂本参考人、明石参考人、五百旗頭参考人の順にお一人二十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず坂本参考人にお願いいたします。坂本参考人。
○参考人(坂本義和君) 本日は参考人として意見を述べる機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
 私の申し上げることはレジュメに大体書いてございますので、少し早口になるかもしれません、お聞き苦しいかもしれませんが、私の考えを述べさせていただきたいと思います。
 過去半世紀の平和憲法についての論議は、それぞれの時点での国際政治状況と密接に連関しながら政府と国民の切実な願いと厳しい選択として行われてきたのでありまして、憲法の文言の解釈や立法者の意思の解釈、憲法制定過程の歴史の解釈はそれぞれに重要でありますが、そうした解釈論は真空の中で行われてきたのではありません。
 この当然のことを申しますのは、今日、平和憲法をどう考えるかは今日の国際状況と切り離して議論することはできないと私は考えるからでございます。そのことを明らかにするために、まず、この半世紀余りの憲法論議の国際政治的文脈を極めて圧縮して述べさせていただきたいと思います。
 第一期は、一九四六年から始まる憲法制定期でありまして、ここで、第一に、侵略戦争の否定としての平和主義、特に自衛戦争を含めた戦争の放棄と一切の軍備の不所持、第二に、軍部主導の軍国主義の否定としての民主主義、主権在民、特に基本的人権の確立という基本原則が政府と国民のほぼコンセンサスとして打ち出されたと思います。
 第二期は、一九五〇年の朝鮮戦争の前後から約四十年続く東西冷戦の時期でありまして、ここで、第一に、全面核戦争の危機の高まりは戦争観の革命をもたらし、核時代の第三次大戦は防衛戦争、侵略戦争を問わず人類の破滅を意味する、その意味で一切の戦争を放棄するという憲法の原点が極めて現実的であるという、そういう認識が深められ、また広く共有されました。
 他方、米ソ二極間の戦争に巻き込まれることを拒否あるいはちゅうちょする国民の意思は、ほぼ三つの相互に対立する選択肢という形を取ることになりました。
 一つは、非武装中立と護憲と国連中心という議論。二つは、自主憲法と再武装という議論です。前者は国際主義、後者は民族主義の違いがありますが、米国とは距離を置いて別個の道を探るという点では類似している点がございます。三つ目は、日米安保、軽武装、憲法も自衛隊もという選択で、国民の過半数を占めました。この三つの立場が様々な状況の中で三つどもえをなして冷戦下の日本の憲法論議の土俵を設定してきたと思います。
 これに対して、一九九〇年前後の冷戦の終結は、それまでの議論の前提そのものを崩すことになりました。
 第一に、全面核戦争のおそれが激減し、第二には、二極構造が米国の一極優位へと激変いたしました。その反面で、日本地域ではなくて、日本と離れた地域での局地戦争である湾岸戦争や様々な民族紛争、そこにおける大量虐殺などに日本はどう対応するのか、そして冷戦期にほとんど機能しなかった国連安保理事会が活性化する中で憲法と国連憲章をどう関連させるのかという、それまでの憲法論議ではほとんど想定されなかった事態に当面しまして、PKOとか多国籍軍をめぐる議論が混乱を見せたと思います。
 ところが、この議論が次第に整理されていく方向に動いていたときに、さらに国際状況は一転しまして、同時多発テロ以後の第四期となります。第三期には、米国は国連を利用し、その反射的効果として国連が活性化したのに対し、今日では、米国は国連に対立して単独行動主義を取り、国権の発動としての戦争を肯定し、先制攻撃戦略を公言し、戦争違法化への国際法の長年の積み重ねを無視するという、日本国憲法の平和主義、戦争放棄、国際主義とは正面から対立する方針を採用しております。
 また、これと対決するテロリズムは、これは非対称的な戦術などと言われますが、国際的な正統性を欠くという点では単独行動主義もテロリズムも共通しております。さらに、この二つはどちらも各国の一国単位の対応だけでは対処できない問題であるという意味でも共通しております。
 しかし、他面で、冷戦終結後、この第四期を含めて、世界には国境を越えたもう一つの重要な動きがあります。それは、国際面と国内面、双方で民主主義あるいは平等の権利の主張がこれまでの歴史にないほど普遍化し、世界化しつつあるという現実であります。それが今日の世界世論の広範な対米批判の素地となっております。したがって、米国も国連中心あるいは国連重視は拒否しましても、国連無視はできないし、またそれは不利益でもあるという現状があると思います。
 さらに、今日の国連は、世界的、地球的な問題解決のために、これまでになく市民社会、国際市民組織の重要性を認め、それとの分業と協力を重視しております。したがって、米国の単独行動主義とテロリズムという厳しい現実と取り組むためには、国際政府組織と国際市民組織とを強化すること、つまりその両者の正統性と実効性を強化するということが緊急の課題であり、今日、我々が日本の憲法について議論する際にも、この課題と、そして今日の厳しい国際政治状況とに照らして、日本はどうあるべきか、何をなし得るかという視点が極めて重要であると私は考えます。
 以上述べましたことから明らかなように、憲法を考える場合に、不変の、つまり変わらない、また変えるべきでない基本原理と、具体的な国際、国内の状況認識との双方を踏まえる必要がありますが、そうした観点に立って、以下に憲法について私見を八点ほど述べたいと思います。
 一、個人の自衛権は自然権であり、したがって個人の自衛権の集合としての国の自衛権も条文以前の自然権であると私は考えます。
 憲法十三条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と述べております。言うまでもなく、基本的人権は憲法が認めたから存在するのではなくて、憲法に先行して存在するがゆえに、政府がこれを尊重、保障する義務を負うことを規定するのが憲法であります。十三条のモデルである米国の独立宣言の一句は、生命、自由及び幸福追求は奪い難い天賦の権利であるということは自明の真理であると信ずるとうたっておりますが、この天賦とかあるいは自明の真理という言葉は人による立法に先行する自然権であることを意味しております。同時に、国の自衛権が個人の自然権に基づくということは、その反面で、政府が提示し決定する自衛の行動や政策への協力を拒否するのも個人の自然権であることを意味します。特に、日本国憲法はその前文で、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し、ここに主権が国民に存在することを宣言し、この憲法を確定すると述べております。軍事主導の否定としての主権在民と基本的人権と冒頭で憲法制定期について述べましたが、それに当たると思います。
 したがって、国の軍事政策への非協力は、個人の自然権としての基本的人権であり、自然権としての国の自衛権と裏腹を成すものとして認めなければならないと思います。それを許容するのが自由民主主義の下での公共性であり、公共の福祉であると私は考えます。
 二、私は、こうした意味での自衛権とは、国の領土、領海、領空の防衛目的に限った自衛力を持つ権利を認めるのが当然だというふうに考えております。自衛力とは、言わば壁あるいは万里の長城でありまして、領域を越えて攻撃や侵略を行う、そういう能力はありませんが、領域を侵犯する者が簡単にそれを排除、破壊できないような障害を作る能力を指しております。
 三、九条二項は、「前項の目的を達するため、」の戦力不保持を言っているのであって、厳密な防衛目的の自衛力の保持や行使を禁じておりませんので、私はこの点で改憲の必要はないと思っております。
 四、戦力保持を憲法上可能にするために二項を削除するという改憲論がありますが、二項を削除するだけでは戦力の性格が無限定になりますので、もし二項を改めるのであれば、保持する戦力は厳密に専守防衛の目的と能力に限られることを明文で規定すべきであると思います。
 冷戦のさなかの一九七〇年代、八〇年代のヨーロッパで、国家間の軍備競争を防止し、平和共存を促進するために取るべき防衛政策として各国が防衛的防衛、ちょっと変な言い方なんですが、これはディフェンシブディフェンスと言っておりましたが、あるいは非挑発的防衛、ノンプロバカティブディフェンス、つまり日本語で言えば専守防衛の政策を取るべきだという議論がなされました。それは、東西緊張の緩和を目的とするだけではなくて、ヨーロッパ内部の国々の、ヨーロッパ統合を促進する方策としても議論されたのであります。
 専守防衛の概念を、例えば武器の性能などに即して明確に定義して線を引くのは容易でないのは当然でありますが、テクニカルにはあいまいな境界、領域を残しながらも、専守防衛を基本的な政策の指針として、その方向に努力を積み重ねること自体が国際緊張緩和の上で持つ政治的効果は大きいと思います。
 五、専守防衛を憲法に規定することは、本来は憲法は集団的自衛になじまないのでありますけれども、仮に日米安保条約のような集団的自衛体制を認めるにしても、専守防衛の規定というものは、その集団的自衛体制の実際の適用について日本の個別的自衛と不可分の限度にとどめる憲法上及び外交政策上の歯止めになると思います。このことは、前述しましたように、今日の米国の単独行動主義や先制攻撃容認にかんがみて特に留意すべき点であると思います。
 またさらに、靖国神社参拝問題、歴史教科書問題、従軍慰安婦問題などを契機にアジア諸国民の日本不信は、表には口には出さなくても繰り返し再燃してきている感情でありまして、この事実は軽視できないと思います。
 この点からも、日本が、単なる言葉ではなくて専守防衛を憲法上の原則とするならば、そうした行為そのものが日本への信頼を築くのに寄与すると思います。
 六、日本国憲法がいわゆる一国平和主義ではなくて国際平和への責務を負うことは、これは自国のことのみに専念してはならないという前文に明らかであると思います。
 七、その場合、何が国際的責務であるか、いかなる責務を負うべきかという問題を生じますが、特にそれが専守防衛の域を超える場合には、国連決議と国際法に基づいて判断し、国際的な正統性と合法性を満たすことが不可欠であります。
 言うまでもなく、およそ政治的決定には正統性と実効性が欠かせないのでありますけれども、国連は固有の強制力も経済力も持っておりませんから実効性に欠けるのはやむを得ないのであって、国連が果たし得る、また果たしている機能は何よりも正統化機能であると私は考えております。実に多様な利害や価値観あるいは国際認識を持った政府代表が折衝や討論を重ねてたどり着く決議は、ある問題についての国際社会の大方の一致点を示すものでありまして、それは国内で折衝や討論を通じて最終的には多数決で行う決定とほぼ似た正統性を持ちます。国連の決議は常に正しいとは言えないとしても、また決議をどう実行するかについては日本の自主的な判断が認められるにしても、国連の決議がない、国連の決議となり得ない、あるいは国連決議に反する政策は正統性を欠くと考えなければならず、その意味で国連決議による正統化は不可欠の必要条件であると思います。
 こうした意味で、日本が負う国際的責務は、国連の狭義、広義の平和維持活動への国際基準の武装部隊参加を含みます。ただ、それには戦闘目的とは異なる任務と技能を持ついわゆる別組織の充実が必要であると思います。それは、一部自衛隊と重なるでしょうが、民生の復興目的に適した警察、医療、社会経済的インフラの建設、開発や教育の支援などの役割を担う人材のプールと訓練の組織であります。
 八、一九九〇年代から国連で唱道され、今日では世界に妥当する判断基準として広く受け入れられており、小渕内閣でも採用されました人間の安全保障というこの目標の実現のための人道支援は、開発、人権、環境を含む平和の構築に不可欠でありますが、今申しました別組織は、こうした広義の平和に寄与する組織でもあります。と同時に、いわゆるNGOはこの分野で政府とは違った形で大きな役割を果たしておりますが、日本のNGOは、欧米に比べて財政的基盤が弱く、国際的支援能力の点で劣っております。そこで、その自律性を損なわない方式で政府の財政的な支援で基金を創設し、また別組織とNGOの役割分担と協力の体制を強めることを私は国民的なプロジェクトとしてもっと本腰を入れて実行すべきであると思っております。
 日の丸を世界各地でデモンストレートする、そして日本の存在を示すということが目的ではなくて、平和構築と人道支援というこの普遍的な価値の実現のイニシアチブを取ることを通じて日本の国際的なプレゼンスを高め、日本のアイデンティティーを確立していくというのが日本国憲法の精神を生かす道であると私は考えておりまして、最後に付言した次第でございます。
 以上でございます。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次に、明石参考人にお願いいたします。明石参考人。
○参考人(明石康君) ありがとうございます。
 今日は大変に、ここにお招きいただいて、光栄と存じております。
 二人の碩学に囲まれて、国連の実務を担当してきた立場から率直に私の意見を述べさせていただきたいと思います。
 私は、国連の邦人職員の第一号として国連に入りまして、約四十年間にわたってそこで仕事をしてきました。特に、日本人であると、また日本国憲法というものを持った国民として、まあ悪びれることもなく、また特に肩に力を入れることもなく仕事をしてこれたと思います。そういった私の考え方の背景には、日本国憲法と国連憲章というのは基本的に同じ理念に立っているという信念があったのではないかと思います。
 私は、国連に入る直前に、一九五六年十二月十八日でしたけれども、重光外相の国連加盟演説を聞いておったわけでありますけれども、そのことについて私が岩波新書に書いた一節をちょっと読ませていただければと思います。
 重光演説が人を感動させたのは、それが戦後日本人の精神史をしっかり踏まえて大胆かつ率直に国連に対処する日本の立場を訴えたためだと思う。日本人の平和に対する希求が敗戦という言語に絶する苦しい体験に根差していることや、戦争の惨禍をなめた国民が今までの国家主義や軍国主義に代わる新しい国際関係の理想を求めていることは疑いのないところだった。日本国憲法の前文がいかに翻訳臭さを残したものであれ、世界の平和を愛する国々の公正と信義に信頼し、共存の理想にすべてを掛けて生きようという国民の決意は何の無理もなく、そのまま、我らの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の災害から将来の世代を救おうという国連憲章の精神に一直線につながっていくものに思われた。
 ちょっと飛びまして、戦争と武力の行使を放棄した国民としては、自国の安全を守り、国際平和を維持する道として国連を強化していかなければならないことは当然のことだったというようなことを書いております。
 この重光さんの演説は、英語としてはやや訥々としておりましたけれども、非常に格調の高いものだったと思います。しかし、それを考えてみますと、肯定的な側面としては人類の未来を先取りしているそういう高い理想主義がそこにありますけれども、当時の日本としてはアメリカの手厚い庇護により国際政治の、権力政治の荒波から隔離されていると、そういうことからくる厳しい権力政治への無知というような否定的な側面もあったと思います。そういったような考え方は、日米安保条約の第十条、つまり国連による安全と平和の体制ができるまでのつなぎとしてこういう条約があるんだというふうな考え方にもあるいはつながっておるのかもしれません。
 とにかく日本は国連加盟を申請して四年半ほど待たされ、その間ソ連による拒否権が三回も行使されましたので、国連に入るということは日本国民の本当に大きな悲願でありましたし、そのプロセスにおいて国連というものがやや美化され神格化されていったということもあると思います。
 しかし、最近はそれと逆に、イラク戦争に関連する国連への失望から、国連というのは何もできないんだというような考えとか、安保理の常任理事国になれないという挫折感から一種の閉鎖的な国粋主義みたいなものが出てきて、何で国連に一九・六%も分担金を払うんだというふうな議論も最近はよく聞こえます。
 国連の分担金というのは基本的には支払能力に基づいておりますので、いずれは、日本のGDPは世界との対比において次第に少なくなってきておりますので、数年すれば一五%くらいになるのは見えておるのでありますし、また、国連の分担金委員会とか第五委員会の審議を経た上で決まっておることでありますから、一方的に我が国が分担金を削減するというふうなことは、我々が批判するアメリカの一国主義につながる日本的一国主義ということになりはしないかという感じもいたします。絶対額でいいますと、国民一人当たり六百円ちょっとしか払っていない勘定になります。平和のためにそれくらいの額しか払っていないということを記憶すべきではないかと思います。
 とにかく、国連に加盟してから我が国は、国連第一主義と、それからアメリカとの同盟関係、それからアジア諸国との協調ということを外交の三原則として掲げてきたわけでありますけれども、加盟した五年後には、国連第一主義というものよりもアメリカとの協調が第一であるというふうに外交青書の中で解釈を変えていきました。
 国連というのは、いろんな意味で日本にとっては重要な存在であり、看板でもあったんですけれども、日本の外交政策が非常に国論が割れてジレンマに当面したようなときに、一つの隠れみのとして国連による決定というようなものを求める傾向もあったと思います。例えば、中国代表権の問題について国論が分かれたときは、正に国連に祝福されるようなときには、我が国も政策を変えるというふうにして政策当事者は説明をしました。
 それから、憲法前文でありますけれども、そこを流れておるのは基本的に平和主義であり国際主義であると思います。名誉という言葉が前文には二度も出てきます。最初には、「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」という、そういう信念が述べられております。私は、こういう名誉ある地位を占めるという基本的な決意を変える必要は毛頭ないと思いますけれども、ともすれば、その中にはやや過度な理想主義があるというふうにも解釈されないことはありません。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼するという言葉が出てきますけれども、果たして今の厳しい国際状況の中でそういうものに信頼して、全面的に信頼を寄せていいのであろうかということは問われてしかるべきでしょうし、政治道徳の原則は普遍的なものであるというような言葉に関しても、それはそうかもしれませんけれども、各国の行動を見ている限り、必ずしもそういう理念に合致しているとは思われないという面もございます。
 昨年の六月に、官房長官が私的懇談会として国際平和協力懇談会を作りまして、私は座長としての役目を仰せ付かりまして、十二月の十八日に我々の四十から成る提言を小泉総理と福田官房長官に提出いたしました。
 その中で我々が一致してコンセンサスとして強調したのは、我が国はもっと積極的に平和定着のためいろいろ活動していいのではないかと。我が国のODAも、高過ぎるなんというような批判もありますけれども、決してそうではなくて、それを有効に活用する、平和のために使う道はいろいろあるのではないかと。
 それから、我が国はお金とか機材を提供するだけではなくて、国際的に活躍する人材、若い人の中ではそういう人たちは多くなっていますけれども、こういう人材の育成をもっともっと組織的にやるべきだというふうなことを強調しております。
 その中ではいろんなことを言っておりますけれども、一九九二年にPKO協力法が通りまして、カンボジアPKOに参加して十年が過ぎたわけですけれども、この参加のための五原則というものも、余り硬直した形で解釈せずに、これを柔軟な見地から見直すべきであろうと。
 また、平和執行というふうな、国連憲章の第七章にうたっておるような行動に日本は参加しないと、従来どおりのPKOにとどめるということではなくて、ある条件の下では多国籍軍への参加も考えるべきであろうと。ただし、そのためには二つの条件を満たさなくてはいけない。その一つは国連決議があること、それは安保理決議であることもあるでしょうし総会決議であることもあると思います。それからもう一つは、我が国の参加は後方支援にとどめるべきであろうと。医療とか通信とか運輸、そういったような面にとどめるべきであろうということを我々のコンセンサスとしてまとめました。
 憲法九条のことになりますけれども、私はもちろん九条の第一項は問題ないと思います。問題になるのは第二項でありますけれども、戦力と交戦権を否定しておるということで、これは解釈によって運用していくべきなのか、きれいさっぱりと削除すべきなのか、意見の分かれるところだと思います。削除した方が論理的にはすっきりしていいとも思われますけれども、これは坂本教授も今言われたんですけれども、我々はそれにつけても近隣諸国、中国とか韓国を含む近隣諸国との信頼関係を損なわないように配慮しながら、誤解がないような形で削除すべきであろうと思います。
 この国際平和協力懇談会は、憲法前文は引用し、それに基づいておりますけれども、九条には触れませんでした。というのは、不毛な議論をそこで行うよりは、具体的な問題についての合意を求め、課題を探すことが重要だと我々は考えたものですから、そういう議論に集中しました。
 それから、この九条との関連で、自衛権の問題、個別的並びに集団的自衛権の問題がよく語られますけれども、これに関しましては、国連憲章の五十一条にそういう自衛のための固有の権利という言葉が使われております。この固有の権利と日本語に訳されている言葉は、英語ではインヒアレントライトとなっておって、日本語よりも重い意味があると思います。今、坂本さんが言われたような、自然権としての自衛権という意味が含まれておると思います。
 一九二八年にケロッグ・ブライアン不戦条約というのが結ばれましたけれども、それの立て役者であったアメリカの当時の国務長官は、何でケロッグ・ブライアン条約の中に自衛権の規定をしなかったのかという質問に対して、自衛権というのはもうどの国でも持っているということが自明のことであるから、あえてそれを不戦条約の中に入れなかったのだということを言っております。これはグッドリッジとハンブローという人の書いた国連憲章についての最も権威のある本の中に出てきます。
 この国連憲章五十一条というのは、実は国連憲章を作成する過程では出てきませんでした。やっと、一九四五年の春から夏にかけて開かれたサンフランシスコの条約の中に突如として規定されたわけですけれども、ラテンアメリカ諸国が作った米州機構を考える上で、一九四五年の三月にチャパルテペック会議というのがメキシコで開かれました。そこで、やっぱりラテンアメリカの安全保障の体制を国連にひっかき回されては困るというふうな問題意識がありまして、アメリカの当時の上院議員であったバンデンバーグさん辺りがそれに賛成して、結局そういう懸念を五十一条に盛り込むことになりました。
 国連という普遍的な安全保障体制が拒否権その他によって機能しなくなった場合の一つの安全弁として、セーフティーネットとして五十一条というのが付け加えられたわけでありまして、国連の体制の基本はあくまでも五十一条以外の第六章、第七章に盛り込まれておる規定であると言えると思います。しかしながら、冷戦が始まりまして米ソの対立が起き、結局この五十一条がNATOとか、またそれに対抗するワルシャワ条約の法的な根拠とされたわけであります。そういうことで、冷戦時代には非常に広範に適用されることになりました。
 しかし、このさっき触れましたグッドリッジとハンブローの本の中では、国連を作るときに、やっぱり核兵器というものが出てきたということが、国連にはまだ国連憲章を作る段階では予想されなかったのではないかということが言われております。
 つまり、五十一条の自衛権の発動というのは、武力攻撃があった場合に安保理が行動を取るまでの期間において加盟国はそういう権利を持つということでありますから、武力攻撃の存在が前提でありますけれども、核兵器を使った攻撃が行われるならば、もうそれに対する防御手段はないというふうに見られることから、五十一条の規定は、核時代においては既に時代後れの規定ではないかという懸念が出て、生まれてきました。
 また、例の九・一一以来、テロリズムの出現に関連して、テロという見えない敵に対しては相手から攻撃を受けるまで待ってはいられない、したがって先制攻撃の権利というものが語られるというふうなことになってきました。
 そういうことで、五十一条というのは新しくいろんな意味で語られ、脚光を浴びておるわけですけれども、やはり国際連盟を作り、国連を作っていった人類の歴史を見ますと、自衛権というものが我が国を含めいろんな国々によって濫用されておった、それに対する国際社会の大きな歯止めとして自衛権の制限ということが考えられるようになったということを我々は忘れてはいけないと思います。自衛権の拡大解釈をどのようにして戒め、制約するかというのは、今のようにブッシュ政権が突出した形で過剰な、過剰に見える自信を持っているような時代においては、そういうことが語られる必要はあると思います。
 私は国連に対する過剰な信頼とか幻想を持つことも危険だと思いますし、また、かといって国連は何もできないと全くの国連無用論に立つのも極めて危険だと思います。国連というのは人類が今の段階で持つ国際社会の世論を反映する一番のバロメーターでありますし、国際社会におけるルール作りというのは、余り効率的ではありませんけれども、やはり国連を通じて一歩一歩そういうことが行われてきております。
 国連はうまく機能することもあるし、そうでないこともあるわけでありまして、それは国連憲章に欠陥があるというよりは、結局、国連を支えておるのは国連を構成する加盟国であるということから出てくるんだと思います。国連を生かすも殺すも加盟国の決意にかかわっております。特に、安保理の常任理事国を構成する大国の意思に掛かっておるわけであります。
 私が国連に入る直前に、一九五六年の秋にハンガリー問題とスエズ運河の危機がありました。スエズ危機に際しては、国連は非常に有効に緊急国連平和軍を作って対処できました。ハンガリーにおけるソ連軍介入に関しては、国連は非難決議を繰り返すだけで有効な行動が取れませんでした。
 結局、そういうことで、国連はうまくいくこと、栄光のときもあるし、失意に沈んでしまうときもあるということであろうと思います。国連を粘り強く一歩一歩育てていくというような問題意識が我が国の場合、極めて必要だと思います。
 その意味で、カナダの国連外交というのは非常に参考になるんじゃないかと思います。アメリカとの同盟関係については、我が国よりももっと幅の広い根強いものがあると思いますけれども、国連に関しましては、アメリカと一線を画して行動しております。人権の問題、軍縮の問題、アフリカの開発の問題、こういったようなことでカナダはイニシアチブを取りましたし、またここ数年の間にも対人地雷の廃止の問題、国際刑事裁判所の設立の問題、環境の問題、こういったようなものではアメリカに明らかに批判的な行動を取ってきております。
 そういうことで、我々は同盟関係というものと国連重視というものを何とかかんとか調和させるように努力し、二国間の関係、地域的な関係、多国間の関係、また地球的な外交というものを重層的に展開していくしかほかはないのではないかと思います。
 ありがとうございます。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次に、五百旗頭参考人にお願いいたします。五百旗頭参考人。
○参考人(五百旗頭真君) ありがとうございます。
 二人の尊敬する大先輩であり賢者である方とともにお招きいただき、大変光栄に存じております。
 私は歴史家でありますので、この第九条にまつわる歴史を振り返りながら議論をしたいと思います。ただ、歴史の話やり始めますと一晩掛かっても尽きないほどございますので、幸い配付していただきました参考資料にそうした歴史的経緯はかなり詳しく明快に書いておりますので、詳しくはそちらを御参照いただいて、結論的なところをかいつまんで申し上げたいと思います。
 まず第一に、第九条は、自衛を含むすべての戦争放棄という徹底した平和主義を装いつつ、その実、自衛戦争を可能にするよう工夫を凝らした条項である。これは出生の経緯として資料的に明らかになってまいりました。
 マッカーサー三原則というのを一九四六年二月三日に民政局の幹部に渡されたわけですが、その第二原則は平和条項でありまして、その中で、マッカーサー自身かホイットニーが書いたのか、どちらであるかは筆跡上明らかではありませんが、国際紛争解決の手段としての戦争だけではなくて、自国の生存のための戦争をも放棄すると、明白に侵略戦争と自衛戦争の双方を放棄するということをマッカーサーがこれだけは譲ってはならない三つの原則の一つとして下賜したわけであります。
 しかるに、それを受け取りましたケーディス民政局次長は、七つの分科会を作って各条項を一週間余りで用意いたしましたけれども、この第九条になるものについては分科会に任せていてもらちが明かないと判断いたしまして、彼自身がこれを条文化いたしました。
 その中で、マッカーサーの指示であった侵略だけではなくて自国の生存のためのという、その自衛戦争の部分を削除するんですね。軍人でありながら上司の指示に逆らって修正を加えたわけでありますが、このことを私はクリントン大統領が当選したその日にマサチューセッツ州のケーディスさんの住んでいる自宅で二日間にわたるインタビューをして詳細に聞き、確認いたしました。
 その話では、もし勝者が敗者に対しての自衛権すら奪うという憲法を強いた場合、そのことが占領終結後、速やかに重大な欠陥として受け止められ、憲法全体が廃止されるという危険を冒すのではないか、国際情勢を見れば、必ずしも、この徹底した自衛権すら返上するという決定を国際環境が祝福するとは必ずしも信じ難い、であるならば、より持続可能なものにするために自衛の部分は外した方がいいというわけで、侵略戦争のみを放棄するものに第一項を書き改めたわけですね。それについて上に上げましたところ、マッカーサーと上司であるホイットニー民政局長はそれを了承したというところで、GHQのトップ三人においては既に了解がなされた。しかし、日本側はそのようには考えませんで、徹底した平和主義、自衛の戦争すらも放棄したものと、それでなければ許されないというふうな認識を広く持ったわけであります。
 そう思うのも無理がないのは、マッカーサーもまた、自衛権すら放棄するような徹底した平和主義の憲法的表明が望ましいという判断も持っていたわけですね。だからこそ、彼は初めのメモに書いたわけですね。なぜならば、侵略戦争を重ねて敗戦を招き、世界に信用を失った日本が国際的な祝福を受けて復帰すると、それをマッカーサーはリードしたいわけですが、国際的信用を回復するために、特に当時、日本政府と国民が広く望んでいた天皇制の存続ということを含む日本の国際復帰ということを可能にするためには、徹底した平和主義が望ましい、国際社会が最終的に何を嫌がるかといえば、もう一度日本が刃物を持った侵略的な存在として世界に襲い掛かることであって、その危険は全くないということを示すことが日本に対する寛大な処置を可能にするんだという判断をしていたわけで、そのためには、あたかも自衛権すら放棄したというほどの平和主義に読めることは差し支えない、むしろ望ましい政治的意味がある。しかしながら、それでは実際にはやれないので、厳密に読んでいけば自衛は可能にする、侵略だけを厳密に言えば否定しているというふうにも読める、そうした工夫を凝らした条項であった、そういうふうに読める可能性をいわゆる芦田修正はより鮮明にしたと。そういうふうなことを参考資料の中に書いておりますので、見ていただければ恐縮、幸いであります。
 三番目でありますが、日本政府自身、解釈をかなり振幅させましたけれども、鳩山内閣以降、第九条が侵略戦争を否定し自衛戦争を許容するものであるという解釈で、日本政府に関する限り一貫しております。社会はそうではなくて、革新陣営、その中心である社会党は、村山内閣まで自衛隊が違憲であるというふうにしてきたことは御承知のとおりであります。その日本政府が自衛戦争を許容しつつ侵略戦争を否定するという解釈を取ってきた路線というのは、冷戦下の日本が国際安全保障の大きな部分は米国に依存しつつ経済国家として復興し発展すると、それに没頭するという段階に適合的な対外政策であったと言えようかと思います。
 さて、冷戦が終わりまして、冷戦終結期に起こりました湾岸戦争は、日本は一九七五年にG7サミットに加わりましたし、冷戦終結時には世界のGNPの一五%を一国で占有する、世界に二百余りの国があるというのに一国で一五%を占有するというとんでもない経済大国となっていたわけですが、そのようなグローバルな経済国家となった日本に、侵略か自衛かの二分法を超えた国際安全保障への関与を問う意味を持ったと思います。
 敗戦国であり社会更生中であるとき、あるいは貧乏な国際的影響力を持ち得ない存在であるときには国際的な安全保障への貢献ということは余り問われない。しかしながら、こういうグローバルな経済大国であるということから、自分自身の自衛かあるいは侵略戦争かということを超えて、ある国が侵略戦争を行った場合、国際安全保障問題についてどう考えるのかと、これがどう考えるのかということがまず第一であり、続いてそれにどのような役割を引き受けるのかということが問題になったわけですが、日本は侵略か自衛かという憲法神学の議論に没頭していて、それに対する答えを機敏に打ち出すことができなかった。
 しかし、その苦い経験から、こちらに明石さんがおられますが、平和維持のためであれば国連の下でのPKOに地域的限定なく自衛隊を派遣し得ると。カンボジアPKOが最初の大きな営みとして行われたのは御承知のとおりであります。さらに、九・一一テロ攻撃後、テロの脅威に対して極東周辺地域を超えた自衛隊の後方支援活動が行われるようになったことは体験してきたところであります。
 さらに、本日の朝刊を見ますと、有事法制ということが実現することになった。ようやく有事に際して国民を守る枠組みというのが制度化されることになったことは、大変、遅かったですけれども、なされるべきことがなされたと、国会の努力に敬意を表したいと思います。
 以上のように展開してまいりまして、少しまとめますと、安全保障、軍事活動は大きく二つのカテゴリーがある。一つは自衛権にかかわるものであり、他は国際安全保障への参画にかかわるものである。
 自衛権については、個別的自衛権と呼ばれる日本自身の国土、国民への防衛にかかわるもの。これについて、有事法制によって、超法規的決断という違法行為を犯すことなく合法的に危機に対処する法制が作られることになったのは喜ばしいことであります。それから集団的自衛権。米軍への攻撃が日本とその周辺で行われた場合に、これを共同対処するということでありますが、日米安保条約にはこの地域的な限定が付いておりまして、そのようなことが行われた場合には、集団的自衛権が権利としてあるが行使しないというのではなく、行使されるということが不可避であるというふうに考えます。日本の安全を全うするために来ているアメリカ軍がこの地域で何かをされた場合、これは日本としてはできませんということであれば、安保条約そのものを損なうことになるだろうと思います。
 それから、他方の国際安全保障の側面でありますけれども、これについては今申し上げましたように、テロのような無差別大量殺りくが行われたことに対する国際的な他国の行動への後方支援が行われること、そしてPKOが行われ、実施されてきたわけであります。
 対処をする場合に、私のような歴史を比較して見る者からいたしますと、憲法改正論あるいは立法論を議論しているときにも、日本人は、憲法及び法的枠組みからそれを神聖な規範として協議する好みが非常に強いです。大事なことは、実態を見据えて何をなすべきかということについて理にかなった対処法を考えることではないかと思います。そのためには、まず国際環境とその変化を認識するということが第一に極めて重要であります。そして第二に、日本の安全と福利のために望ましい方策ということを考える。そして同時に、三番目に、国内的、国際的な正統性というものを十分に考慮すると。
 日本の法規というのはそのような国内的正統性の一部をなすものだと思いますけれども、それを余りにも絶対枠組みとして考えるために、実際を十分に見て効果的な対処法を考えるというイマージナティブな考察ということが非常に弱い。したがって、一度でき上がった法制度というのを変えることは著しく困難でありますが、私は、歴史家として、もし明治憲法を大正デモクラシー時代に変える力が日本政治にあれば、日本は滅びなかったであろうと思っております。法規、前例に縛られて、できないできないというふうに金縛りになることを脱却しなければ、新しい時代の国民的な利益と幸福を切り開くことは難しいと思っております。
 そこで、どういうふうに第九条を変えるかという問題でありますが、第九条以前の集団的自衛権という問題について、これは解釈、適用だけで済む問題でありますが、集団的自衛権を発動するかどうかという場合に二つの問題が混同されている。慎重な考慮をもって適用するということが非常に大事だと一方で強調しなければなりません。しかし、それを必要な場合行使するということは同時に確保されていなければならないと思います。
 これは、状況の中で、正統性のレベルの高さ、例えば極端なことを言えば、アメリカが挑発して行動したという場合に、日本は御一緒する義理はありません。しかしながら、日本とアメリカに対する重大な攻撃が行われたというときに、法規主義に立ってそれはできないとか解釈が違うなどと言っていては国民的な生存、安全を損なうということになりますので、日本は賢慮をもって慎重に適用すると。そして、極めて世界のいかなる国よりも平和主義的な志向性が強いと。これを大事にしながら、二人の先輩の先生がおっしゃったとおりしながら、しかし必要な場合には行動するということが必要であると考えております。
 二番目に、国際安全保障の方でありますが、簡単に言えば、国連憲章にありますように、加盟国は侵略戦争はしない、万一だれかがそれを侵したならば加盟国みんなでそれを抑えるというのが基本的な考え方でありますが、それが侵略だけではなくて著しい人権の侵害、ジェノサイドのようなもの、テロのような無差別殺りくのようなこと、それに対してもやはり適用されるというのが国際的な認識の変化だと思います。
 アメリカの一国主義の危険ということは、私もこの一年間ハーバード大学におりまして分からないではありませんが、しかしながら、安全を守るということの国際対処の深化と、必要ということもあると。今アメリカという国は非常に試行錯誤というか、あえて試みるという性格の強いところです。日本人は継続と安定を非常に大事にしますが、アメリカの場合には変化を好みます。新しい試みを非常に大事にします。プラグマティックであって、そのときにはやや極端に見えるんですが、やがて、変化が制度化されているだけに、また政治文化も変化を好むだけに、それが欠陥があると思ったら、四年後、八年後に違う、逆の方へ振るんですね。
 そういう意味で、アメリカはもう国連を捨てたなどと考えるのは短見でありまして、現在は国連では間に合わなかった安全のために激烈な行動に見えることをやっている。しかし、アメリカ人は目の血走った狂人集団であると考えると絶対違います。極めて多様であって自由な議論が行われているから、自律的な復元力を持った社会であるというふうに考えておかなければならないと思います。
 ともあれ、そういうふうな侵略やジェノサイドが行われた場合に、日本はその国際的対処に我が事として参画すると、これがまず非常に大事な姿勢だと思います。
 日本は、その軍事対処への直接参加には極めて慎重であります。しかしながら、事の重大性、それが世界にとって、日本にとって、日本の安全にとってどれほど重大であるかという問題、それから事の経緯から判断される正統性、あるいはやられる側からすれば可罰性の明瞭さ、重大さ、そうしたことを判断して、日本は直接軍事行動にも場合によっては参加し得るというふうにすべきではないかと思います。
 特に私がそういうふうに言いますのは、御承知のような朝鮮半島の情勢が押し詰まってまいりました。私は大局的にはもうとっくに勝負があったと思っておりますが、北朝鮮を支持する国は一国もないわけで、大局は決まっているんですが、十対零で終盤を迎えながら、何をしでかすか分からないという妙な状況であります。
 北朝鮮も米国もある種の瀬戸際政策を用いる面があると。もしアメリカが外科手術的な基地の爆撃というふうなことを行いますと、金正日の政権は屈服するか戦争かというふうなところへ追い込まれます。
 もし戦争になった場合に、日本はそこで何をすべきかというのは大変難しい事態になります。湾岸戦争の比ではありません。日本の安全そのものが次に自動的に上がってくるからでありまして、その場合に、後方支援は当然でありますが、戦争の起こり方にもよりますけれども、後方支援は当然として、自衛隊派遣の要請がアメリカや韓国政府から行われるかどうか、恐らくまだ行われることはないだろうと思います。でも、行われたらどうするのか。
 そういう問題はやや蓋然性が少ないとして、その場合に日本がどうしてもやらなきゃいけないのは邦人、外国人、被災者の救出活動ではないかと思います。これについて本格的な訓練、準備、少なくとも知的準備があるのかどうか、極めて重大な備えであろうと思います。
 ともあれ、第九条の修正案といたしましては、先輩の先生方と余り違わないんですが、第一項を残して第二項を削除する。代わって第二項、つまり第一項によって侵略戦争は否定し、自衛戦争はオーケーであるということが既に含意されております。したがって、第一項を残せば、自衛戦争、侵略戦争の否定ということが出ておりますので、第二項には国際安全保障に日本が参画すること、今申し上げましたような日本は平和的な手段の極みまで求める、そういう国柄であると。しかしながら、必要な場合、国際的な安全、平和秩序のために諸国とともに協力して貢献するということを第二項に入れるべきではないかと思います。
 前文については申しませんでしたけれども、よい日本語で、国民の安全と国際の安全、その平和的達成を望むが、あらゆる努力をするんだということをうたえばいいのではないかと思っております。
 どうもありがとうございました。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終了いたしました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
 なお、質疑の際は、最初にどなたに質問するかお述べください。また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。
 松田岩夫君。
○松田岩夫君 お三方の先生、本当に今日はありがとうございました。三人の碩学に、たかだか一時間ということで誠に恐縮でございました。二十分時間をいただきましたので、少しだけ御質問させていただきます。
 まず、お三方とも憲法、特に九条と戦後社会、戦後の日本といったような点についてそれぞれお触れになられました。
 五百旗頭参考人にまずお聞きいたしますが、いただきました資料の「日本の安全保障観はいかに推移したか」というのも読まさせていただきました。ただいまの御発言をお聞きして、正直、この制定当初からお調べになっていただくと、既に自衛戦争はもちろんのこと、国際安全保障上の共同行動への参加といったことについても意図されていたということが明確であると。それにもかかわらず、政府・与党ばかり、与党の解釈も非常に限られたもので、そういったことから過去五十年、長い歴史の回り道をしてきたといったことが書かれております。私も非常にその感を深くしておるわけであります。
 短い自分の経験から言いましても、正直、九二年のあのPKO法案審議の際、有名な歴史的な牛歩戦術といったようなものが行われたわけでありますが、今お触れになりましたように、この長い間の懸案でありました有事法整備といったものについて野党第一党との間で共同でそれを作り上げることができたと、この大きな変化といいますか、それなりにまた今御評価をいただく御発言もありました。まだまだ至らぬ点はあると思いますけれども、この過去五十年の憲法、平和主義、国際主義といったような点にかかわる国論といったものが、こうして政治の世界でも本当にだんだんだんだん収れんされながら、大変な努力が積み重なってきているなということをお三方の話を聞きながらしみじみ感じさせていただいたわけでありますが、そういう過去の我々のこの経験を踏まえて学ぶべきことは何かということで、これまた五百旗頭先生から、まず実態をよく見ろ、国際環境をよく考えろ、そして何が必要かということをよくまず判断することが第一だと。それに引換え我々は、その正統性とか、その正統性の根拠の一つになる法規、法律といったものにこだわり過ぎているのではないかといったようなニュアンスのお話もお聞きいたしました。お答えもいただいたのかと存じますが。
 しかしまた、この点について坂本参考人の、これは今日お話しになりませんでしたけれども、せっかくでしたので書物も幾つか読まさせていただきました。そういう中には、特に「相対化の時代」という書物の中で先生は、この戦後の反戦、反再軍備といった平和主義の市民運動が戦後の日本に民主主義が根付くことを可能にした、こうした平和主義の市民運動がなければ戦後の日本にも軍事政権や強権体制が生まれていたかもしれないと。ちょっとここは私の歴史認識と大分違うのでございますけれども、いずれにいたしましても、こういう評価もなさっておられます。時間がありませんので、坂本先生には後ほどこの点も踏まえて御質問させていただきますが。
 第一問は、五百旗頭先生に、我々は過去、長い歴史の回り道といったことを二度と起こさないために、もう一度簡単に何を学ぶべきかお述べいただけたらと存じます。
○参考人(五百旗頭真君) 御質問ありがとうございます。
 既に松田議員の質問の中に返事が組み込まれていたので改めて申し上げるほどのこともございませんが、「歴史の教訓」という本がアメリカのアーネスト・メイ教授が書いております。その場合に、しばしば最近の激烈なる歴史的事実、国民的衝撃を受けた事実に大きく動かされるというのが今までの歴史の教訓の学び方であったというふうに書かれております。アメリカ自身の外交への反省として書いているんですが。
 我々の場合、あの戦争の時代、余りにも戦争にいそしんだ。そして、ついに全面破綻を来す。自ら戦争を仕掛けて敗北したという場合は、言うなら救いがないわけですね。正統性の面でも、そして勝敗という面でも救われない。そういう中で、剣をすきに持ち替えて戦後日本が平和的な生き方を求めたということは、基本的に間違っていない。間違っていないんですが、アーネスト・メイも言うとおり、最近の激烈な体験から、極端に振ると。日本でいえば、あつものに懲りてなますを吹くという言い方をいたしますが、およそ軍事にかかわることはすべていけない、危険があるから、それをもし認めたら次にこの危険が生ずるじゃないかという論法がすごく力を持っていたんですね。
 しかし、もしそんなことを言えば、交通事故がこんなに多い、外へ出れば車にはねられる危険がある、だから出るべきではない。時々水を飲んだらおなかを壊すことがある、だから水を飲んではならない。それは完全な論法の間違いなんですね。悪い水を飲まないようにこういうふうに注意をして飲むというのが答えでありますし、交通事故に遭う危険があるからこういう点に留意をしてこういう仕方で外を歩けと言うべきであるところを、あの激烈な経験ゆえに、いかなる安全保障にも関与してはならない、積極的な国際行動は危ない、そういうふうな目を我々が持ちましたし、また、周辺諸国からの猜疑心も強く、そういうふうな行動を取ってきた。
 しかしながら、大事なことは、過去のネガティブな行動は特に相手国に非常に長い恨みを残しますが、いい行動の蓄積がそれを中和していくんだということですね。戦後日本は平和的発展を遂げ、民主化を遂げ、そして途上国に援助をしてまいりました。その蓄積というのが、言うならば静かなる和解を築いている。
 そういう状況で我々は今、大事なことは、実態をよく見て、その中で何をなすべきか、何をなすことが長期的にも望ましいかということを考えていくことだと思うんですね。いかなる安全保障にもかかわらないということではなくて、日本にも、国際安全保障は地域の秩序にもプラスになるということを積極的に行動していくことだと、それが我々の取るべき教訓の得方だと思っております。
○松田岩夫君 ありがとうございました。
 後ほどまた五百旗頭参考人に時間があれば戻らさせていただきますが、時間の関係で次に明石参考人にお伺いいたします。
 過去四十年にわたる国連の経験から、非常に貴重なお話をありがとうございました。
 そこで、幾つかあるんですけれども、一つだけ最初に、まず国連と日本とのかかわり方、特に先生おっしゃいましたように、非常にあこがれる面と、いやそうではないという面と両面ある中で、カナダの例などをお話しになりながらお話しになりました。
 外交三原則そのものの中のウエートからいけば、私個人はやはり日米安保同盟というものが基本だろうと、今日の、今の実態をよく見ろということからいけばそういうことになるんじゃないかと思いますが、しかしまた、いろんな意味で日本の果たす役割が国連の場で非常に大きいと思います。
 その関連で、例えば国連改革という話が最近は消えてしまいました。しかし、今の新しい状況の中で、もう一つ後で御質問できたらと思うんですが、先生が関係された国際協力懇談会の御答申も踏まえて、日本の果たすべき役割の大きさというものは非常にあると思うんですが、そうであればあるほど、国連というものの機能を一層十全にさせて、そういった中で、日本が本当に国民的コンセンサスを得る中で、一層国際安全保障活動にも専念していくという意味では非常に大きい役割を、私は国連というものをどう我々が今後理解していくかであると思うんです。
 そういう観点から、ちょっと御発言、補足していただけたらと存じます。
○参考人(明石康君) ありがとうございます。
 国連は、できましてからもう既に五十八年、そろそろ六十年になるわけであります。二世代を経験することになるわけです。ところが、基本的には国連は大きな改革をしてまいりませんでした。安保理事会と経済社会理事会は一度改革し、多少構成を拡大しました。しかし、小規模な手直しに終わったということは言えると思います。
 安保理に関して申し上げると、安保理の構成は、十一か国からただいま十五か国になっておりますけれども、常任理事国の数は五か国と、アメリカ、イギリス、フランス、当時は旧ソ連、現在のロシア、それから中国、この五か国にとどまっております。これに比べますと、国連加盟国の数は百九十一ということで、当初の発足時の四倍近くに拡大しておるわけです。開発途上国の数、非同盟諸国の数も増えました。
 そういうことで、国連は改革すべき時期に来ているということは、我が国のみならず、いろんな国から言われております。しかし、それぞれの国の思惑が違っておって、なかなか改革案というのを一つにまとめることは容易ではありません。
 我が国も、自分の思うところを同志を増やしながらコンセンサスを目指して改革の機運を盛り上げていくという作戦を粘り強く取っていくことが必要だと思います。例えば、我が国の常任理事国を目指す願望でありますけれども、私は、我が国は常任理事国になるべきだと思いますし、いずれはなるであろうと思います。しかし、それにはなかなか時間が掛かり、紆余曲折があるだろうと思います。
 私は、当初の作戦は、日本だけが常任理事国になろうということでやってきたことがあるいは間違いであったと思います。例えばアジアの大国であり、開発途上国であるインドと組んでそういう機運を盛り上げていくべきではなかったかと思いますし、現在五つある常任理事国の中で、日本の常任理事国化に旗幟を鮮明にしておらないのは中国一つだけでありますけれども、対中外交ももっと活発にやり、中国の賛同を得べく働き掛けることも大事だと思います。
 とにかく実績を積むことによって、我が国がなりたいから安保理事会の常任理事国になるのではなくて、日本を安保理事会の常任理事国にしないとおかしいではないか、国連自体の活性化にそれが必要ではないかという声がほうはいとして巻き上がってくるように我々は仕向けるべきであろうと思います。その意味では、多面的に国連活動に貢献していくという姿勢は崩すべきではないと思います。
 我が国の国連で果たすべき役割ということに関する松田先生の御質問に対しましては、私は日本の役割は極めて大きいだろうと思います。
 よく日本の国際的貢献という言葉が使われますけれども、私は実はこの貢献という言葉にちょっと引っ掛かっておりまして、貢献というと何かおためごかしに、やってあげるという響きがございます。ところが、私は、やっぱり現在のグローバル化した世界において日本が当然果たすべき役割、責務という観点から日本のなすべきことを考えていくことが至当なのであって、村の鎮守の神様のお祭りのときに寄附金を出すか出さないかというふうなのんびりした問題ではないのではないかと思います。そういう意味では、我が国がやっぱり鮮明な一つの世界観というビジョンを作り上げ、それに基づいて国連をどういうふうに活用するかということを考えるべきだと思います。
 私は、国連の神格化というものが今まであったので、これは問題であると申し上げましたけれども、国連にお祈りしておっても平和は来ないんですね。ぼたもちのように落ちてはきません。やはり我々が国連において具体的にどういうことをやるかということを突き詰めて具体的に考えるべきなのであって、そういう意味では、国連というものは使いがいのある、現在、そういう構成上、組織上の問題がありますけれども、にもかかわらず、いろいろ使いがいのある外交の非常に重要な一手段であるというふうに考えることが必要だと思います。
 最近のアメリカの国連外交を見てみますと、五百旗頭先生からもお話がありまして、私も全く先生と同感でありますけれども、アメリカという国はこういう国だと、こういう政策を取っているのはけしからぬとか賛成だとかいうのではなくて、非常にすそ野の広い、多様な考えを持った人が多くいる国でありますし、国連研究も、ほかの国の追随を許さないすばらしいものをアメリカのシンクタンクがいろいろ、ないしは大学その他が出しております。
 そういうことで、実は一九五〇年の朝鮮戦争のときも、国連のにしきの御旗をアメリカはうまく取り付けて朝鮮戦争を有利に戦うことができました。一九九一年の湾岸戦争のときも、安保理のにしきの御旗をうまく取って国論を統一し、戦争を成功裏に進めました。今回は、決議一四四一までは取ることができたわけですけれども、結局安保理決議をまた更にもう一つ獲得するということには成功しませんでした。
 そういうことで、国務省と国防省とのいろんなぎすぎすした関係も伝えられておりますけれども、アメリカ外交は本来の形においてはもっと国連をうまく活用できたんじゃないかと私は思うんです。ところが、アメリカ自身が一部に国連軽視、無視の議論があって、それは南部出身の保守派の上院議員の影響力もあるんですけれども、国連分担金を長い間払わなかったり、そういう無理難題を吹っ掛けることがありまして、包括的核実験禁止条約も参加しない、国際刑事裁判所の設立にも背を向ける、京都議定書もこれを批准しない、生物兵器についての検証条項が交渉の上やっとできたにもかかわらずこれにも参加しないというようなことは、私はアメリカ自身の長期的な国益にとっても恐らくマイナスであろうと思います。
 そういうことで我々は、国連を万能視することなく、過剰に美化することなく、しかもしぶとくこれを日本外交のために、私はカナダの例を挙げましたけれども、カナダのように知恵を絞って国連における我が国のイメージを上げ、また国連を通じてより広い国際的なそういう共同戦線を張っていくということがもっともっと行われていいと思います。
 安保理改革にもう一度戻りますと、今度のイラク戦争でドイツがああいうような行動を取りましたので、私は、日本とドイツは安保理の常任理事国の資格を少なくともGDPその他から見て十分に備えておると思っておりましたけれども、アメリカの世論は恐らくそれをここ二、三年は許すことはないでありましょう。また、安保理の決定が容易ではなかったということで、アメリカは安保理拡大に対する熱意を一時失ったかもしれません。
 また、長期的に見た場合に、ヨーロッパ連合、EUが、フランス、イギリスのほかに三票持つというのもおかしいではないかという声は出てくると思うんです。EUとして一票でいいではないかという声も出てくると思います。
 しかしながら、私は、GDPから見ればフランスとイギリスは我が国の半分くらいですけれども、なかなかやっぱり旧植民地国家として大変に豊かな国際的な知識も情報も分析能力も持っておりますし、国連でのイギリスとかフランスの外交には鮮やかなものがございます。そういうことで、腐ってもタイと言うとちょっと語弊がありますけれども、フランスとイギリスの外交というものは私は重要なものであると思います。
 そういうことで、アメリカにも安保理を余り拡大すると動きにくくなるという懸念がありますけれども、粘り強くアメリカを説得し、また日本を常任理事国に加えるのを嫌がる中国を説得していくと、そういうことで国連における多数派工作をますます進める。そのためには、ODAをうまく使うということも必要でしょうし、多面的に人権外交、軍縮外交、開発政策、環境問題、そういったような問題に率先して取り組むということが必要だと思いますし、私自身、最近、スリランカの平和定着の問題で政府代表として多少働いておりますけれども、こういうアジアの一角において民族紛争が起きても、それがその火の粉がいつ我が国に掛かってこないとも限りませんので、小泉総理が提唱し、川口外務大臣が実施しておる平和を定着させる外交、つまり、平和が来てからODAを使うのではなくて、まだ脆弱な平和を本物の平和にするために我が国が率先して出ていくと。
 今までの安全第一主義、石橋をたたいてもなかなか渡らない外交ではなくて、より積極的な外交。それには失敗のリスクも当然出てくると思いますけれども、多少の危険を冒しても平和のために努力するという新しいスタンスを見せるならば、私は、国連における日本の地位というものは将来拡大するでありましょうし、日本の役割に対する認識も内外ともに大きくなると思います。
○会長(野沢太三君) 参考人の方々に申し上げます。
 時間が限られておりますので、答弁を簡潔にひとつお願いいたします。
○松田岩夫君 ありがとうございました。
 誠に済みません。坂本碩学のお教えをいただきたかったんですが、私がいただきました時間が来まして、これで私の質問を終了させていただきます。
 本当にありがとうございました。
○会長(野沢太三君) 若林秀樹君。
○若林秀樹君 民主党の若林でございます。大変参考になる御説明、ありがとうございました。
 まず、坂本参考人にお伺いしたいと思います。
 ちょっと前段ですけれども、先ほど松田議員がおっしゃられましたように、昨日から今日にかけて、有事関連法案について、ある意味では与野党の合意を見たということは私は画期的なことではないかなというふうに思っています。これまで有事に関して議論することさえタブー視されたことが、ようやくこの段階に至ってお互いに歩み寄って、やっぱりあるべき姿をどうするべきかということをやっぱりお互いに議論したということが良かったんではないかなと。これはあくまで小さな一歩かもしれませんけれども、私は、新しい分野に踏み込む、また大きな一歩ではなかったかなというふうに思っております。
 これまで、やはり戦後我が国の安全保障を米国にゆだねたことによって、我が国の安全保障を主体的に考えてこなかったツケが今日に至っているんではないか。経済的には豊かになりましたけれども、それによってやっぱり失ったものがやはり同時に多いんではないかな、そんな観点から幾つかお伺いしたいなというふうに思っております。
 まず、坂本参考人でございますが、我が国の、日本の責務としての国際貢献についてお伺いしたいと思います。
 坂本参考人は、憲法の前文で十分ではないかというお話がありました。私はちょっと分からないのは、その憲法前文と個々の条文との関係なんですが、憲法前文というのはあくまである意味での政治宣言的な意味合いが強くて、法的な性格は持ちながらも法的な根拠がどこまで持てるのかということに対しては、私は、日本の責務、我が国の貢献ということをきちっとやっぱり条文化するということがやっぱり必要ではないかなというふうに思います。
 そういう意味では、少し今の我が国の憲法を考えますと、そういう意味での国際的な安全保障における関与という部分が具体的な条文に盛り込まれる必要があるんではないかなというふうに思いますが、その辺、坂本参考人にまずお伺いしたいなというふうに思います。
○参考人(坂本義和君) 私も国際貢献という言葉は余り使いませんが、国際的な責任ということを条文化するということ自身は私は別に異論がございませんが、その場合の国際とは何を意味するかというのは、戦後日本の歴史を見てみますと、そう簡単ではない。現に、対米協力が優先するのか、国連を重視するのが優先するのかという、その非常に一種のジレンマに当面しておりますですね。
 だから、国際という言葉が一体何を意味するのかということをはっきりしませんと、そのいわゆる集団的自衛権というものを認める方向に行くのか、それとも多国間、いわゆるマルチラテラリズムですね、多国間の協力という国連的な国際機構というものに協力するというのか、そこの区別がはっきりしていれば、私はおっしゃることに別に異論はございません。
○若林秀樹君 ありがとうございました。
 では、その今おっしゃられたところに関連して、明石参考人にお伺いしたいと思います。
 今、対米重視なのか、国連との関係を重視すべきなのかというお話がありました。もう既にお答えになっていると思うんですけれども、やっぱり国連中心主義というのは、私はこれからも我が国外交のやっぱり基本ではないかなというふうに思っております。しかし、一方、我が国の安全保障を考えた場合に、我が国の視点から見たときにどうこの考え方として整理すべきなのかということについて、これまで四十年間国連で活躍された明石参考人の実務を基にした経験をお伺いしたいと思います。
 私は、今回の我が国のイラクへの対応を見ましても、やはり安保理がそれなりの国の思惑で動かざるを得ない。そして一方で、やっぱり拒否権を持った常任理事国が現実にやっぱり存在すると。その中で、国連中心主義をうたいながらも、最後の最後までの我が国の安全保障をそこにゆだねるということに対してはどうなのかということは、一方ではやっぱり議論すべきところがあるんじゃないかなと。
 その辺について、我が国から見た場合にどういうふうに考え方をこれを整理していいか、ちょっとお伺いしたいなというふうに思います。
○参考人(明石康君) ありがとうございます。
 私は、国連尊重といいますか、国連主義というものは我が国の外交の幾つかの少数の柱の一つであり続けるべきだと思います。しかし、国連第一主義が看板になってしまっては困りますし、また外交の実態は必ずしも国連中心主義とは同じではありませんでした。
 そういうことで、基本的な我が国の憲法の精神に立ちながら、その理念と国連の理念との合致点を求めながら執拗に行動していくことが必要であり、その一致点と合致点というのはたくさん探せばあり得るのだと思います。
 そういうことで、我が国の広義の国益というものと、国連を強化していく、国連を活用するという二つのそういう問題意識をできるだけ一致させるようにしながら行動していくのがいいのではないかと思います。
○若林秀樹君 ありがとうございます。
 そういう意味では、できる限り国連の動きに対して一致するように我が国としても積極的に働き掛け、一致するように努力をしていくと。ただ、最終的な判断においては必ずしもそれに従うかどうかという部分においては、最後の安全保障においては、そこは留保すべき点がやっぱりあるという御意見だったというふうにお伺いしますが、もし違うんであればお答えいただきたいと思います。
○参考人(明石康君) 若林先生のそういう御了解でよろしいと思います。
 できるだけ国連のそういう意向、意思、決議を尊重しつつも、例えば国連総会決議というのは勧告でありまして、安保理決議と違いまして拘束力があるものではありませんので、安保理の場合も先ほど申し上げた五十一条の自衛権というのは一つの例外規定ということになりますので、国家、本当に国家のバイタルな利益に関することに関しては安保理決議がない場合でも我が国が、ないしは我が国がアメリカと韓国と協調しながら行動するということは当然あり得ることだと思うんですね。
 ですから、国連のお墨付きはあればあるにこしたことはないけれども、それがなければ全く行動できないということでも困る事態があり得るというふうに思います。
○若林秀樹君 ありがとうございます。
 それでは、五百旗頭参考人にお伺いしたいなというふうに思っているところでございます。
 憲法九条における自衛権を認めるものか、戦略、戦争を放棄するものか、その辺のお話がありまして、先ほどケーディス修正等のお話を伺いました。非常に今回いろいろ資料を読んで、そのときのやっぱり政治の空気なり置かれた状況が非常に手に取るようにというとちょっと大げさですけれども、非常に分かるような気がして、結果的に今回の歴史を作った一番大きな原点ではないかなという感じがしております。
 そこで、ケーディス修正というものが自衛権の、自衛権というものを認めながらも、明確にそこにあえて明示的表現にしなかったということが私はその後の運命をたどる大きな要因を作ったんではないか、それによってやっぱりその時々の情勢の変化によって逆に日本政府がそれを使うことができたなという感じはしております。
 そのときに、その自衛権といった場合に、歴史学者として集団的自衛権という考え方がケーディス側の頭の中にそれはあったのかどうか。これは推測になると思いますけれども、これまでの歴史を研究された五百旗頭参考人としてどう思われるか、その辺についてちょっと、私の少し興味かもしれませんけれども、お伺いしたいなというふうに思います。
○参考人(五百旗頭真君) ありがとうございます。
 大変そういう踏み込んだ歴史のひだにまで御関心を持たれて、御同慶の至りでございます。
 ケーディスの段階では既に国連憲章というのが問題になっておりました。で、参考資料にも書きましたように、幣原首相も、それから憲法の日本側の起草責任者で当初ありました松本烝治国務大臣も、それから金森国務大臣、これは国会において憲法制定の答弁に立った人でありますが、その人たちは皆、国連憲章を意識し、その中で国連憲章が語るところの、侵略行動を制止し処罰する国連加盟国による共同行動、それに日本がもしこのような第九条を持ったら参加できなくなるじゃないか、そうすると国連加盟を阻害するのではないか、十全に義務を果たし得る憲法にしておかなきゃいけないんじゃないかということを気にしたようですね。
 その上で、しかし日本の場合には、言うならば大きなとがのあった当時存在であって、そのような、国連が全体としてやる安全保障行動への参加云々というのはまだ早い、それよりもまず十分に平和志向に生まれ変わったということを示す必要があるという判断を総司令部側でも基調としたというふうに推されますし、ケーディスが意識していたということは間違いなくインタビューで確認しましたけれども、しかし、にもかかわらず、平和的というのはマッカーサーが特に重視をし、そして吉田首相は、それに沿うことが、この苦難の亡国という、国を失った社会がもう一度よみがえるときの国際的信任、国際的なある種の共感、親和性がなければもう一度立ち上がれないわけですね。
 それをやるために、言わば外交条約的な意味を持ってこの憲法を作る必要があるというわけで、その瞬間には殊更に平和主義的でなきゃいけない。そのためには、国連加盟の際の条件としてマイナスになるかどうかということは、今の時点ではそこまで突き詰める段階ではないというので、これをあえてのみ込んだというふうに見ております。
○若林秀樹君 その関連でもう一回、五百旗頭参考人にお伺いしたいというふうに思いますけれども、やはり九条というその解釈をめぐって様々な議論がこれまでにありました。今お伺いしても、二条については削除すべきだ、いや今でいいんだというお話もありますし、冷戦時代は様々な憲法学者が、自衛隊さえ違憲だという解釈が現実的にはあったわけですね。
 やっぱり運命的にそういう不明朗にしたというのは、その時点での判断かもしれませんけれども、これだけやっぱり解釈によって、その時代によって変わるというそのこと自体が私は問題ではないかと思いますし、国内外から分かるような、我が国安全保障上の政策の基本をきっちり変えるという意味では、九条はやっぱり変える、分かりやすく。その精神は変えずに、分かりやすくやっぱり変える必要があるのかなと思いますが、その辺、御見解をお伺いしたいと思います。
○参考人(五百旗頭真君) 御見識だと思います。
 大きく見ますと、あの敗戦の瞬間に日本が、国際的及び国民的でもありますが、信任を取り戻すために、あれほどの徹底した、ある意味で自衛権まで疑われるような、そういうものを作ったことは全く間違っていたとも言えないと思うんです。いずれにせよ、そのような能力の持ちようもない状況でした。そして、独立し、冷戦下において日米安保条約の下での経済国家としての発展、平和的発展というのを基調に置いたその選択も間違っていないですし、そのような下で自衛力以上の能力を持ったり、あるいは国際関与を持とうとすることがまずは意味がない、合理的ではないと思われる時代を歩んできたわけですね。
 と申しますのは、冷戦期というのは米ソという二超大国が極度に突出していて、それに対して他の国がどういう軍備を持つかというのは非常に、もうほとんどネグリジブルである。そういう場合に、一方のアメリカとの同盟関係を結んで大きなところは押さえにするという判断は間違っていないわけで、その意味で、冷戦下はおおむねそれで大きな問題はなかった。
 しかし、冷戦が終わりまして、一方で一極突出ということがありますけれども、他方で、それぞれの国が自らの安全保障に対して、つまり西と東の二つのグループの中でというんではなくて、独自に安全保障をもっと真剣に考えなきゃいけない状況が生まれ、それが九〇年代の相次ぐ危機の我々が体験してきたところですよね。朝鮮半島もあれば台湾海峡もあり、湾岸もありと。そういう状況において、我々は今、あの今までの経緯をたどって、おかしなところはあったがそれなりに状況との適合性もあったというのを過去にしたわけですね。
 したがって、今そのような過去の解釈に縛られて動くのではなくて、自ら主体的に、この状況の中ですっきりした憲法に作り変えるという御意向は誠に御見識で、私も同様に考えております。
○若林秀樹君 ありがとうございます。
 時間的にもしかしたら最後になるかもしれませんけれども、明石参考人にお伺いしたいと思います。
 PKO法ができて昨年でちょうど十年という節目を迎えるに当たりました。これまで様々な紆余曲折を経て、幾つかの法改正を経て今日に至っているんですが、明石参考人から見てのこの十年間の我が国のPKOに対する評価をお伺いしたいと思います。そして、将来的な課題として、五原則の改定も含めましてどうあるべきかということを残りの時間、十分に時間ありますのでお話しいただければ、といっても三分ぐらいですかね。
 よろしくお願いを申し上げます。
○参考人(明石康君) ありがとうございます。
 私は、一九九二年春、この参議院のPKO特別委員会で参考人としてお話をする機会がありました。PKO協力法ができまして自衛隊の一個大隊がカンボジアに、私が国連から最高責任者として行っておりましたけれども、来てくれたということは本当に涙が出るくらいうれしいことでした。
 当時、若葉マークの自衛隊一個大隊でありましたけれども、その後十年を経て、ゴラン高原、モザンビーク、それからゴマにおける人道支援その他を経験し、自衛隊は昨年東チモールに行きまして、これまた一個大隊の単位として参りまして、大変いい仕事をしていると思います。
 十年を経まして、着実に成長をしてきていると思います。しかしながら、それでいいかといいますと、私は十分ではないと思います。
 我が国と同じく若葉マークで発足したドイツでございますけれども、ドイツはカンボジアに野戦病院を一つ作りました。設備なんかは大変良かったんですけれども、ドイツの医者はマラリアなんという病気はどういう病気かその診断ができませんでした。そういうような状態で発足したんですけれども、今や一万人以上のドイツの兵が、我が国のように国連憲章第六条のいわゆる伝統的なPKO活動に従事するのみならず、第七条の平和に対する脅威を防止するための実力を持った国連のそういう一翼を担った兵力を出しております。アフガニスタンの国際治安支援部隊の指揮をオランダとともにドイツが握っております。それから、中央アジアのジョルジアその他にも出しております。ボスニア、コソボその他にも出しております。
 そういうことで、私は、我が国はいいところまで来ているけれども、ドイツにちょっと水を空けられたなという感じを持っております。
 もちろん、我が国とドイツを安易に比較することはできません。ドイツはEUの押しも押されぬメンバーですし、NATOのメンバーでもありますし、近隣諸国の和解というのもこれに成功しました。我が国が余り活発に国際的に動くと、お隣の中国その他から疑念を持って見られかねません。そういうことで、近隣諸国との外交、信頼醸成もきちんとやりつつ、国連の広がっていく活動範囲に我が国も適応するように活動範囲を広げる必要があります。
 そんなことで、昨年の十二月に総理と官房長官に提出した国際平和協力懇談会の四十の提言をごらんになれば、我々がこういう問題、単に自衛隊の問題のみならず、文民警察官のもっと活発な、これに関しては坂本先生が提唱されるように、もう警察として別組織の、国際活動のための組織を作るべきだということを言っておりますし、何よりも、NGOを始め若い非常に優れた人たちが、二十代の本当にいたいけな女性であっても、本当に世界の隅々まで行って青年協力隊その他として活躍しておると。しかし、日本へ帰ってくると仕事がない。こういう人たちは本当に残念なことなので、こういう人材をもっと長期的な観点から育成していくと。外務省から青年協力隊に、NGOから国連にというふうな多彩なキャリア活動とか経験を経て、この人たちが伸びていくようでないと、欧米の本当にプロのNGOと対抗できるはずもございません。
 そんなことで、やるべきことはたくさんあるのではないかということで、是非ともこの参議院議員であられる皆様方に、日本のこれからの国際活動はどうあるべきかということに関して、十年前の状況を踏まえつつ、また更に第一歩を踏み出していただきたいというふうに考えております。
○若林秀樹君 質問を終わります。
 どうもありがとうございました。
○会長(野沢太三君) 高野博師君。
○高野博師君 それでは最初に、坂本参考人にお伺いをいたします。
 先生が書かれた「テロと「文明」の政治学」という論文を読ませていただきまして、大変興味深く読ませていただきまして、自分の思索も若干深めることができました。それで、あの論文はイラク戦争の前に書かれたと思うんですが、先生の考え方からしますと、今回、日本がイラク戦争において取った対応というのは先生から見て正しかったのかどうか。あの論文で言いますと、イスラム諸国からの信頼感を失って、日本の外交資産である中立性の価値が低減したというふうにとらえておられるのかどうか、まずお伺いいたします。
○参考人(坂本義和君) イスラムあるいはアラブ諸国との関係では明らかに中立性が減ったということは間違いないと思います。これはもうイラクや何かでも、何か、日本はアメリカと一緒なのかというのが庶民のレベルでも言われているということですから、それが減ったことは間違いないと思います。
 それだけでよろしいんでしょうか。
○高野博師君 はい、結構です。
 それでは、国際的責務を果たすために別組織を作るべきだというお考えですが、この別組織は、日の丸のデモンストレーションとか、あるいは常任理事国の席を獲得するためとか、そういう考えではなくて、日本の市民が、日本のアイデンティティーあるいは国際的なプレゼンスということを考えた上で、人類の一員としてあるいは人間として何をなすべきかと、そういうことを淡々と自主的にやるべきだという、こういうお考えなんですが、私も大変賛成なんですが、現実的にこれを作るのがそう簡単ではないと思うんですが、例えば規模はどのぐらいにすべきなのか、あるいは日本自身が有事に遭ったときに、この別部隊というのは何か役割が担うのかどうか、あるいは自衛隊とのデマケ、こういうのがきちんといくのかどうか、その辺はどうお考えでしょうか。
○参考人(坂本義和君) 別組織と申しました趣旨は、自衛隊とは本質的に目的が違うと。自衛隊はやはり戦闘集団じゃなければいけないわけで、軍隊というのはそういうものだと思うんですね。ですから、現在、自衛隊あるいはほかの国の軍隊がPKOや国連の一環としてしている仕事は本来の軍隊の仕事ではない。ですから、この間イラクで、アメリカの兵隊が博物館を守ってくれなかったとか、あるいはいろんな、何ですか、治安が非常に悪いときに、軍人は、我々は警察じゃないのだから治安の維持の責任はないというふうに言ったというのは、これは私は軍隊としては理解できることです。
 ですけれども、現地のニーズから言うと、やはり治安を維持するとか、あるいは食料をちゃんと確保するとか、そういうことが必要になってくるとなりますと、それは軍隊とは違う任務を果たさなければいけない。それは、ですから、やはり準備をしておく必要がある。今度のアメリカのイラクでのいろいろな問題というのはいかにも準備不足であって、つまり、軍事的にサダム政権を倒せばそこで勝利宣言ができると思い過ぎていたんではないでしょうか。ところが、その後に起こる問題というのは十分準備できていなくて、いまだに責任者を決めるのにもごたごたする。
 これは日本占領なんかに比べますと非常に違いますね。日本の場合は、とにかく五年ぐらい前からもういろんな議論が始まっていて、準備して、要するに民政というものを担当する組織を準備していたわけですが、私が別組織と言っていますものも広い意味での、民政という言葉がいいかどうか分かりませんが、いわゆる人道支援、広い意味の人道支援というものを担当する組織、それは十分に充実していく必要がある。
 今、明石さんからもおっしゃいましたように、今、日本でも、例えばJICAとか海外青年協力隊等いろいろありますが、もう少しこれを全体として再構成して、しかも目的をもっとはっきりさせる。そして、財源とか人材の確保についてももう少しきちんと詰めをして、私がさっき言いましたように、いわゆるナショナルプロジェクトである、これは要するに国民的なプロジェクトなんだという形でその組織を充実していくということをやることは十分可能だと思います。私は、財源の点からいっても、人材の点からいっても、日本には十分あると思います。
 ですから、規模をどうするかというようなお話は、とにかくニーズに応じて作っていきながらまた考えればいい問題であって、初めに定員をどうするかなどということは、私は余りこだわらなくていいのではないかというふうに考えております。
○高野博師君 ありがとうございます。
 時間の都合で、明石参考人にお伺いしたいと思います。
 この憲法九条が日本人の平和観に与えた影響というのは、私はある程度あるんではないかと見ておりまして、それは、敗戦のショックで、その復興の過程の中で東西の冷戦があった、アメリカの傘の下で経済的な発展、繁栄を享受してきた。そういう経緯の中で、冷戦時代の国内の安保、安全保障の議論というのは、憲法九条をめぐって自衛隊が違憲かどうかと、延々とこれを何十年もやってきたんですが、そういう中で、日本人というのは、国際社会の中でも、日本人の平和観というのは若干違っているんではないか。
 この平和というのは、積極的に大変な努力をして獲得し、そしてまた、平和を維持するためにも相当のエネルギーが要るという、そういうことを理解し、あるいは学んでこなかったんではないかと。ある意味で、思考停止に陥ったんではないかと思いまして、平和というのは自然に何もしなくても与えられるもの、あるいは戦争なんて起こり得ないものと、そういう平和観というのを作ってしまったんではないかと。
 一国平和主義というのは正にこの、憲法九条を私は否定的に見ているんではありませんが、高く評価していてこれは堅持すべきだという考えなんですが、しかし、この九条をめぐってのいろんな国内的な議論あるいはとらえ方、それがその平和観に相当影響を与えたんではないかと。そして、最近になって北朝鮮の問題、イラクの戦争、あるいはテロの問題、こういう現実が起きてきたときに、冷戦後、その反動として先生がおっしゃっているような閉鎖的な国粋主義の、あるいは一部現れてきていると、そういう面があるのではないかと。
 そういう意味で、憲法九条の問題でないかもしれませんが、私は憲法そのもの、あるいは憲法九条というのがそういう影響を与えているんではないかと見ているんですが、明石参考人はどうお考えでしょうか。
○参考人(明石康君) ありがとうございます。
 私は、高野先生の今の御質問の背後にあるお考えに同感でございます。平和というものを我々は、これを静止的に、消極的に受け止めるのではなくて、能動的に、弾力的に受け止める必要があるのだと思います。戦後は、この憲法第九条の護符の陰に隠れて、九条九条と言っておれば我が国が平和であり得るという、そういう錯覚があったのではないかと思います。
 私は、憲法前文と九条第一項の精神はそのままでありたいと思いますし、五百旗頭先生の言うように、一歩進めて国際平和のためにどういう役割を果たすべきかということに関する一般的な条項があってもよろしいとは思いますけれども、今までの九条、何かをしないということではなくて、それでは何をすれば平和が支えられるのか、強固になるのか。平和というのは何も戦争のない状態を言うのではなくてそれ以上のものでないといけないわけですから、平和の持つ経済的、社会的、文化的な背景とか、そういうものにも思いを寄せながら日本の役割を我々は探っていく必要があるのではないかと思います。
○高野博師君 ありがとうございます。
 それでは最後に、五百旗頭参考人にお伺いいたします。
 この数年に日本の安全保障に関する議論も相当盛んになってきまして、ガイドラインができ、周辺事態対処法もでき、テロ特措法ができ、そして今、有事法制と。この後は集団的自衛権の行使の議論が恐らく盛んになるんだろうと。それが、憲法改正、九条が改正が必要かどうかは別にしまして、もし九条が改正になると何か呪縛から解かれたように憲法改正論議も含めて大きな変化をしていくんではないかという私は感じを持っておりますが、いい方向に変わっていけばいいんでありますが、間違った方向に行かないためにも、歴史家として歴史的な視点からこれだけはやってはいけないと、日本は、こういうものが何かあればそれは是非教えていただきたい。
 それから、このやっぱり日本の憲法が日本人の歴史観に与えた影響も大きいんではないかと思うんです。それは、もっとダイナミックな歴史観、大局的な歴史観あるいは国際感覚というのは日本人は元々持っていたんではないかと思うんですが、先ほど先生がおっしゃったように、法的な枠組み、法的な制度、これに縛られて、あるいは前例に縛られて、これはできないあれはできない、こういう思考法になってしまったと。これは、元々日本という国民性にそういうものがあったとは私は思っていないんですが、その辺で、この憲法が日本人の歴史観に与えた影響というものがあるんであれば、それは、それも教えていただきたいと思います。
 以上です。
○参考人(五百旗頭真君) ありがとうございます。
 集団的自衛権、これは最終的には高度な政策判断の問題だと思います。法制的にこれを縛るのではなくて、国際的な共感を維持しながら共同で国際的なチャレンジに対応していくという姿勢を取りながら、極めて平和主義的、軍事の発動に最も慎重な国でありながら必要な場合には判断すると、そういう自ら実態を見詰める中で判断する能力というのが非常に大事であると。第九条についても、否定形においてではなくて、国際的な役割、責務を担っていく、そして日本国民の安全を図るという筋に沿って考えるわけですが、その際、高野議員が聞かれたのは、これだけはしてはいけない、その縛りは何かという点であります。
 それは、私は第九条の第一項だと思っております。侵略戦争はしないと。逆に言えば、自衛の戦争はするし、第二項を修正して私のように付け加えるかどうか、あるいは前文の中で一般的に語るかどうかは別といたしまして、国際的な安全保障に資する行動を取ると。
 大事なことは、日本人は三百年近い鎖国経験があって、日本への回帰というのを周期的にムードとして向かうときがあるんですね。それ以前の戦国時代は対外関与もありましたし、非常に西洋はまだ遠かったですけれども。そして、日本国内における信長や秀吉や家康の繰り広げます安全保障と外交のドラマというのは、国際的に見ても極めて水準の高いものであったと思います。ですが、幸いにも平和を得まして、二百六十年の徳川体制の中で、そのような雄略というんですかね、ダイナミズムの中で自分を再定義し、その中に活路を見いだしつつ秩序を作るとか、そういうことは許されなくなったんですね。非常に細かいところまでしきたり化された。それに慣れたためにそのような振幅が行われると。
 明治以降、日本はもう一度ダイナミックな国際関係の中で身を処する、どう生きるかということで、大久保利通や伊藤博文や、あるいはその後、原敬などが展開いたしました外交というのはそう水準の低いものではない。しかしながら、疲れるというんですか、もう国際、例えば欧州情勢不可解なりという言葉を発して総辞職した総理がおりましたですけれども、ダイナミックな動きに対して自閉症に戻りたくなる衝動というのがないわけではないと。国際認識を最後まで持って見詰めて、その上で理にかなった対処法というよりは、もう隣国、反韓、反中、反米で、もう日本は日本でいくんだという気分に振れるところがあるんですね。
 それが実は危ないところであって、その意味で、国際的な共感を持って、日本の安全と国益、それを国際的な共同利益と結び付けてやっていくと、そういう観点というのを失わなければ、それに沿ったダイナミックな構想力があれば第九条を廃しても問題ではない。第九条を廃しても、第一項が残っておりましたら、世界の国でだれ一人とがめ立てする資格のある国はありません。その点では心配ないと思います。
○高野博師君 ありがとうございました。
 終わります。
○会長(野沢太三君) 吉岡吉典君。
○吉岡吉典君 日本共産党の吉岡です。お三人の参考人、今日はありがとうございました。
 最初に、明石参考人にお伺いしたいと思います。明石参考人にまずお伺いします。
 国連についてですけれども、二つお伺いします。
 まず第一には、国連がもう六十年近く前に創設されたときに、世界はこれをどういう受取方をしたんだろうかということが私の一つの関心です。というのは、この第二次世界大戦が終わったときに世界は歓呼の声を上げたということは映画等でもいろいろ見てきましたけれども、国連ができたときに世界はどういう雰囲気でこれを見たかということは、これはいろいろ文書を見るけれども、見付かりません。それで、国連に長く働いてこられた明石参考人、御存じじゃないかと思いまして。
 というのは、横田喜三郎さんが国連創設直後、二十二年に出された「国際連合の研究」ですか、これでは、国連は人類のホープだという言葉で期待を述べておられる。それから、国連創設五十周年記念論文の中では、国際法学者の一人は、原始、国連は太陽であった、国連憲章が戦後世界を照らす灼熱の理念だったという言葉で国連について書いておられる。そういう強い期待が出た国連ができたときに、どう人々は受け取ったんだろうかという点、何かお分かりになっていることがあったら、まず教えていただきたいと思います。
○参考人(明石康君) ただいまの吉岡先生の御質問ですけれども、国連ができたときには、もちろん第二次大戦のような戦争が二度と起こらないようにという人類全体の大きな希求を背景にできたわけですから、一般的には大きく歓迎されました。
 その中でも、特にアメリカでは非常に国連の誕生というのを喜びまして、ルーズベルト大統領、これが四五年の四月十二日に亡くなったんですけれども、ルーズベルト大統領、これに引き継ぐトルーマン大統領、これは国連ができることによって、今までのような醜い国際政治上の権力政治とかやり取りがなくなるだろうというような、ややちょっと理想に走った見方さえしたわけですね。アメリカに比べますと、イギリスとか当時のソ連の見方はもっと冷静であったと思います。国連に期待を掛けつつも、やはり在来の国際政治が全面的になくなることはないというふうな落ち着いた見方であったと思います。
 国連ができたときは、開発途上国とかアジア、アフリカの国々はまだ独立していなかった国が多かったものですから、それが六〇年代、七〇年代になりますと、国連は何も欧米先進国だけのものではなくて我々新興国の貧しい国々の味方でもあるというふうな新しい見方が生まれてきました。と同時に、アメリカのような国々は国連の総会辺りでいろいろいじめられるようになってきましたので、国連についてはもっとさめた見方に変わっていきまして、今度はもっと居心地のいい安保理事会を大事にしようというふうな見方に変わっていきました。
 そういうことで、それぞれの国の国連観はやや違いますし、また一定の国であっても、その時期によって国連の見方は変わってきているというふうに言えると思います。
○吉岡吉典君 もう一問、明石参考人にお伺いします。今後の国連の在り方の問題です。
 私は、今論議にもなってきましたけれども、国連無力論あるいは国連不要論というのが世界を支配するようになるとは思っておりません。やはり、国連の意義というのはやはりある時期には重視されるようになると思いますし、私は、イラク問題での安保理事会の長いあの論議自体が、国連による国際問題の解決ということを世界に強く印象付けることにもなったと思っております。
 ですけれども、今後の国連というのは一体どういう機能を持った国連にということになるのか。国連憲章を作った国連創設時に理想として掲げた集団安全保障体制としての国連なのか、もう憲章で書いたような集団安全保障機能を果たす国連ではなく、もうちょっと違ったことが考えられるか。例えば、私は、国連憲章の精神に沿えば、今論議になった自衛戦争とか自衛権というふうな問題についても、基本は国連による集団安全保障で、例外として自衛権の行使も認めるというのが憲章五十一条の精神だったと思いますけれども、そういう国連憲章の考え方でなく、各国が基本的な自衛は行いながら、同時に国連としての何らかの役割を果たすというような方向に向かうのかどうなのか。
 私自身は、やっぱり今の憲章どおりとは考えません、それはPKOなど新しいものもあるわけですから。しかし、国連はやはり創設された理想である集団安全保障機能を果たす、国連に向かって世界が努力すべきだと今も思っておりますけれども、明石参考人、その点はどのようにお考えになるでしょうか。
○参考人(明石康君) ありがとうございます。
 今の吉岡先生の御質問に対する答えは、先生の御質問の中に含まれているような気がいたします。
 吉岡委員のおっしゃったように、国連のこれからの機能というのは非常に多面的であろうと思います。
 私は、ここに二人の高名な国際政治学者に挟まれておるわけですけれども、今日おられる二人が国際政治学者であって国際法学者でないということに私は注目したいと思います。国際法学者の国連観というのは、何となく国連憲章に基づいた解釈みたいなのが中心になる傾向があるのではないかと思いますけれども、国連というのは国際政治学的に見ると、非常にダイナミックな変化しつつある一つの加盟国政府が作り上げた共同体でありまして、その時々に応じて違った在り方、活動の仕方を示します。大変に大きな輝かしい成果を示すこともあるし、惨めな挫折に終わってしまうこともあります。
 私は挫折という言葉を使って失敗という言葉を使わないんでありますけれども、一時的なそういう挫折に当面することはしょっちゅうあるわけです。山があり谷があり、そういう多くのジグザグコースを経てきているし、全体としては循環的に少しずつ強くなってきているのが国連ではないかと思います。
 今、いろいろ二人の先生から御指摘のように、アメリカが突出しておりますので国連も今までになかったような新しい問題を抱えていると思います。アメリカと国連との関係はちょっと大きなすき間ができておりますけれども、これから多少修復されていくんじゃないかと。アメリカも国連を必要とし、国連もまたアメリカという大国がないとにらみが利かない面がございます。そういうことで、国連だけの国連による安全保障ということではなくて、それぞれが自衛権を使い、また二国間の関係、地域協力、そういったようなものと一緒に国連を活用していくというふうになっていくであろうと思います。
 三年前、紀元二〇〇〇年に国連はミレニアム総会というのを開きまして、二十一世紀における国連像というものをかなり大胆に描きました。私は、大体そのミレニアム総会が採択したミレニアム宣言の線で、紆余曲折はあるでしょうけれども、国連もそういう方向に行くでしょうし、それは国連の創成期のやや単純な機構よりはもっともっと複雑でダイナミックなものであろうと思いますし、我が国もしたがって国連外交を行うに当たっては新しい知恵とか新しい決意が必要でしょうし、とにかくその場合無用なのは、国連をやたらに、これを一つのはっきりと決められた、与えられたものとして、棚から落ちてくるぼたもちとしてではなくて、日本それ自体がほかの国と協力しながら主体性を持って作っていく、そういう機構として考えることが大事ではないかと思います。
○吉岡吉典君 坂本参考人にお伺いしたいんですが、いろいろあるんですけれども時間の関係で一つ、先ほどもお話しになりました別組織の問題ですね。
 私どもも、日本国憲法の平和原則に基づく日本の国際的貢献というか、国際的役割をどう果たすかということはいろいろ論議してきたものと、共通の問題提起だと思います。自衛隊というのは、憲法との関係がどうかという問題と同時に、自衛隊法で定められた自衛隊の目的があるわけで、そういう点からも私は何でも自衛隊を派遣すればいいということにはならない、しかし人的貢献はそれ自体として必要だと。それを憲法に合致する形でどうやるかというものとしての別組織であって、それは民間人とかNGOというふうなことではなく、自衛隊とは性格が違う、目的も違うけれども、国が作った組織として国際的に派遣していくと、そういうものだというふうに取っていいかどうか、ちょっと説明をお願いしたいと思いますけれども。
○参考人(坂本義和君) おっしゃるとおりです。
 国によっては国際協力省とか海外協力省という官庁が存在しているところも幾つかありますが、私は、そういうものに力点を置いたものがどういうレベルの役所ができるのかというのもまたいろいろあると思いますが、基本的には、国の機関としての、先ほどからお話が出ていますような広い意味の平和、人道の分野での責任を果たすのに適した組織を作る、既にあるものをその中にまた統合するということだと思います。
○吉岡吉典君 分かりました。
 五百旗頭参考人にお伺いします。
 先生にも、私、たくさん本読ませてもらっておりますのでお伺いしたいことたくさんありますけれども、今日は一点だけ。それは先生の憲法構想ですね。私は必ずしも賛成ではありませんけれども、先生の一つの提案ですけれども。
 その前に、私は、いつも日本の自衛隊の海外での役割ということを考える場合に、アジア諸国のかなり厳しい反応というのを考慮せざるを得ないと、それは過去の戦争の清算が諸外国からまだ完全に行われたと見られていないという問題、そこへ持ってきて日本の自衛隊が海外に出掛けることについてのかなり厳しい意見がある、そういうことを私どもは日本の安全保障政策、国際的役割をどういう形で果たすかという場合にもかなり考慮しなくちゃいかぬということを、神経質になり過ぎているかどうか考えるわけですけれども、時間の関係もあったと思いますけれども、先生のお話の中でそういう点、ちょっと補っていただいたらと思います。
○参考人(五百旗頭真君) 大変重大な重い問題だと思います。
 憲法、これからの合理的な日本の国際的役割の中に安全保障上の任務が含まれるべきであるとしても、そのことがアジア諸国に過去ゆえになおもたらす問題ということは非常に難しい重大な問題だと思います。
 痛め付けられた側の重さ。例えば私は、五年ほど前からでしょうか、神戸大学のゼミ生を連れて、それまでは国内観光旅行を中心にしていたんですが、アジア近隣諸国を訪ねて、去年はアメリカになっちゃったですけれども、アジア諸国を訪ねて学生同士の討論セミナーをやることにした。第一回目をソウル大学に選びました。そのときのソウル大学生の過去に対する厳しい糾弾というのは、日本人の学生はたじたじというものがありましたですね。にもかかわらず、二時間半を三時間に延ばして討論した後、若い者同士は非常に厚い友情を持つんですね。随分きついやり取りをしたのに。非常にそれに私は霊感を覚えましたし、中国行った場合にも、かなり最近の日本の安全保障論調、勇ましい面もあって、それを受けたゼミ生があることを言い放ったら、北京の学生が、私のおばあさんは日本人に殺されたという具体的な話から始めて、そうすると、しいんですよね。そういうのが実はまだかなり近い身近な自分の肉親として届く範囲にあるということは決して軽くない。
 大事なことは、法的な問題を処理した、例えば中国については賠償を放棄するということを国交回復のときに先方はおっしゃった。だけれども、日本は戦後の賠償という形で行われなかった場合には経済協力を行うと、これは準賠償と呼んだりしていますが、何らかの意味で被害は及ぼしたけれども賠償という仕方が適当でないような国に対しては、準賠償というふうな通称もありますが、経済協力を劣らない額をやっているわけですね。中国の場合にも非常に大きな額を続けてきたと。
 大事なことは、戦後、日本が平和的な発展を遂げ、民主化を遂げ、そして途上国に対して協力する姿勢を取ってきた。これは特に七〇年代の、七四年に田中角栄首相が東南アジアへ行ったときの暴動には、戦後日本への信任といいますか、自前の信任がいかにないかということ、いろんな事情で起こったんですが、なおかつそれを表したと思うんですが、その三年後にいわゆる福田ドクトリンというものをマニラにおいて福田首相が出して、その辺りからアジアとの地域的な協力ということに積極的な姿勢を示して、その翌年から三年間でODAを倍増し、その後五年間でまた倍増しというふうに協力する。
 大事なことは、もっと大きなのは貿易関係であり、直接投資であり、しかしそれに単なる商売を超えたODAというのを添えて日本はアジアとのプラスサムの関係を持って、それが二十年以上続いた、そのことが非常に大事であって、過去に対して真っ当な認識を持つことが大事です。
 過去の歴史をもう一度呼び戻して我々作り替えることはできません。しかし、過去について、これは心ないことであった、済まないと思っているという、そういう姿勢を取る、認識を持つことが大事で、それがないと不信感が高じます。それを持った上で、大事なことは、ポジティブなプラスサムの関係を築いて、それを積み重ねていくことだと。七〇年代の後半からはそれが行われて、九七年の東アジア経済危機に際して、日本自身は経済的にどん底であったにもかかわらず、皆さんは緊急の支援をアジア諸国になさった、そのことがやはり小さくない意味を持っております。
 というわけで、私はあの侵略戦争の傷というののマイナスと、そして戦後、特に七〇年代の半ば以降に日本が行ってきた強い円の下でのアジア発展への協力ということがプラマイゼロからいささかプラスに転じつつある状況にあると思います。そのような関係を築いていくことが大変大事で、それがありますので、例えばインド洋までテロ特措法に基づいて自衛艦を派遣するというときにアジア近隣諸国に叫び声が起こったかというと、そうではないですね。余り、これはいささか憂慮するという物静かな注文というか懸念は表明されても、反対という声は起こらなかったと。そこまでプラマイゼロからプラスになってきて、普通になってきている。
 であるならば、これから大事なことは、日米安保条約はますます大事にすべきでありますが、それと二者択一と考えるんではなくて、アジア諸国との協力、安全保障問題でも、例えば海賊だとか、地域の安全、平和に関することであるならば、その国、中国であれ、韓国であれ、東南アジア諸国であれ、そういう国とも軍事的な協力を憶せずにやっていく、それをやれば日本人が血走った軍国主義者である、目が血走った軍国主義者などという誤解は全く解けてしまうと。一緒にポジティブな協力関係を具体的にやっていくことだというふうに思っております。
○会長(野沢太三君) 平野貞夫君。
○平野貞夫君 私は、参議院の国会改革連絡会、通称国連と言っておるんですが、そこに属していまして、ここには自由党と無所属の会の二つのグループで結成しているところでございます。私は自由党に属しておりますので、主に自由党の考えを申し上げたいと思います。
 三人の先生方のお話あるいは著書等を勉強させていただきまして、自由党の安全保障、憲法九条の議論に非常に共通点といいますか、むしろ私たちが学んだ部分がございます。私たちは、ほかの党に比べまして早くから、平成十二年の十二月に「新しい憲法を創る基本方針」というものを発表しておりまして、この憲法調査会の場にはまだそれを出しておりませんが、余り突出するといかぬと思いまして機会があるときに個別に話をしているわけなんでございますが、骨格は三点ございまして、現行第九条の理念を継承するということが、継承、発展させるということが一つでございます。
 もう一つは、日本の安全保障の基本を一つは国連のやっぱり集団安全保障体制の整備に置き、そして国連が決定したあらゆる活動に積極的に参加すべきだ、そして日本が率先して国連警察機構を創設したり、あるいはPKOの訓練センターとか、そういうものは日本も率先して誘致すべきだと、それが二点でございまして、三点目の自衛権の行使については、限定的に解釈すべきで、日本が侵略を受けて、国民の生命及び財産が侵される場合にのみ武力による阻止することとして、それ以外の場合には、個別的であれ集団的であれ、自衛権の名の下に武力による威嚇又はその行使は一切行わないことを憲法に書こうと、この三点が要旨でございます。
 ただ、各政党の中で一番国連中心主義といいますか、これを、決して国連を神格化しているわけじゃございませんが、非常に強く言ったものですから、先般のイラク問題での国連の機能の問題、私は機能喪失とか崩壊とかということは言いたくはありません、そうでないと思っていますが、について、いろいろほかからの批判もございまして、国連中心主義やめろというような批判が結構ございまして、率直に言って私個人は悩んでいるところでございます。
 そこで、三人の先生方にそれぞれ教えていただきたいのは、私は、今回のイラク問題の国連機能の様々な問題の一つはそれは米国の態度であったということは分かるんですが、もう一つあったと思います。それは、各国、特に常任理事国の政府を構成している、権力を持っている人たちがそれぞれの国の市民運動に突き動かされたと。特に二月十五日の世界規模の一千万人以上のデモ、市民デモ、これがむしろ国連の安保理の合意とか機能を非常に複雑にしたと。逆に言えば、簡単に言えば、市民の運動が、切なる反戦運動が国連の機能をさせなかったともいう見方ができるんじゃないかと思うんです。
 そういう意味で、今までにない、やっぱり国際政治のこの基盤が変わったんじゃないかと。もちろん、アメリカの先制攻撃という理論もあるんですが、一方で、非常に世界市民が国連の在り方なり平和の持ち方について極めて鋭い問題意識を持ち始めた、それを各首脳たちが影響を受けたといいますか、コントロールしにくくなったと、自分らの思うように。そういうところに新しいその国際政治構造の変化というものを感ずるんですが、その点についてお三人の先生方の御所見をいただきたいと思います。
 最初に、坂本先生からお願いします。
○参考人(坂本義和君) 世界的な世論というものの比重が非常に大きくなってきているということは私も先ほど申しましたけれども、一方で、権力、世界の権力がアメリカに集中して、他方でテロリズムという形で権力あるいは暴力が拡散するというのが現在の言わば暴力のパターンだと思うんですね。そういうのに対して、じゃどうしたらいいかというときに、もう一つ我々が目を付けることができるのは、国際的に民主主義とかあるいは人権とか、そういう市民を基盤にした世界というものを考えていく素地がだんだんでき上がってきていると、これは国境を越えてできているわけです。これは私は、冷戦が終わったことの非常に大きなプラスの一つだったと思うんですが。ですから、それは十分にこれからも決して絶えることがないだろうと思います。
 そして、国連のことなんですが、これは時間がありませんので余り申しませんが、私は、国連というものを余り実体化して、何か国連という物があるという考え方は取りません。私自身、国連機関で二年ほど働いたことがあるんですが、一体国連って何だろうかと思うぐらい、実に多様な人たちがいろんな利害を持って、価値観も違います、文化も違う、言葉も違う、そういう人たちが集まってきて、結局は自分の国の利益を持ち込んでくるというのの、何といいますか、せめぎ合いをやっている場所なんですね。それを超えた国連というのは一体どこにあるんだろうかというのをいつも見ていまして、どうもそれは私にはよく見えませんでした。
 そうではなくて、今日申しましたけれども、それぞれの問題について、そういうせめぎ合いをしながら、そこである種の一致点というものを見付けていくそのプロセス、あるいはその力学というものが国連と呼ばれるものであって、ですから明石さんがおっしゃいましたように、国連それ自身というものが何かをするのではなくて、結局はそれぞれの加盟国がどういう行動を取るかということでそのときの国連の在り方が決まっていくというふうに考えるべきであって、国連は、そういう意味では私は反映、世界の政治、経済の現状を反映する場所だという以上に余り固有の何か実体があるという考え方はしない方がいいんじゃないかというふうに思っております。
 ただ、その場合に国連の問題は、そこに集まってきているのは政府代表なんですね。実にいろんな、今百九十を超える政府代表が集まっていますが、しかしその中の、よく分かりませんが、いろいろな見方がありますが、半分以上はいわゆる民主主義の国とは言えない。そうすると、そこで言っている政府はだれを代表しているのかという問題が当然起こります。
 それからもう一つは、民主主義の国であっても政権に代表されていない意見というものはあるわけですね。それは国連に必ずしも出てこない。そうしますと、政府間組織としての国連と、それから世界の言わば民衆といいますか、あるいは市民といいますか、そういう人たちの意見というのはかなり食い違っているところがどうしても出てくるわけです。そのことが、今後国連を強めていくときにどういうチャネルで結び付けられていくのかということは一つ重要な点だと思います。
 今日、国連改革ということは主として安保理とかそういう話がありまして、これも私、もちろん重要だと思いますが、もう一つは、やはり国連というものをもう少し市民と結び付けるチャネルというものができるということだと思うんですね。これは御承知のとおり、EU、ヨーロッパ連合で、初めは政府間機構だったわけです、EUというのは。しかし、だんだんヨーロッパ議会というものができて、そして直接選挙をするようにまで現在はなってきております。もちろん世界の直接選挙って考えられないかもしれませんが、方向としてはそうでなければ、国際組織というものと民主主義というものがずれるという問題は課題が残るだろうと思います。
○参考人(明石康君) ありがとうございます。
 確かに、今、坂本先生おっしゃったように、これから国家とか政府の意見以外に、国民の世論、そういったようなものが国連に反映されることは徐々に増えていくだろうと思います。しかし、基本的に国連というのはいまだに政府間の組織でありますので、そういったような政府の意見とそれ以外のいろいろな流れがこれからどういう方向に集約されていくのか、なかなか見通しが付きません。
 これまた民主主義というのは、私は現在ある政治制度の中で一番優れたものであるとは思いますけれども、これ自体、多くの開発途上国なんかでいろいろな在り方を示しておりまして、私自身スリランカ問題に関係して、和平をめぐる政府と野党、首相と大統領との確執、それから世論の一つの現れ方であると言えるかもしれませんけれども、マスコミの果たすプラスの役割、またマイナスの役割、そういうものをいろいろ考えさせられております。
 そういうことで、市民の声が反映されるようになるということは、一般的には歓迎していいことでありましょうけれども、これが平和の方向に必ずしも動くものではないということもある程度肝に銘じておくべきだと思いますし、その意味でも本当に良識のある世論というものは必要でしょうし、マスコミというのが、非常に複雑な国際政局を単純化しないで、ゆがめないで伝えるということも非常に大事になってきていると思います。
 国連という組織が、かなりいろいろな利害関係のまつわっておる、渦巻いておる組織であって、それを余り一つの実体的なものとして考えるべきでないという坂本先生の御指摘はそのとおりであろうと思います。
○参考人(五百旗頭真君) ただいまの平野議員の問題提起を大変興味深く伺いました。と申しますのは、自由党さんは非常にクリエーティブな構想力を持って、こういう国際外交問題、提起してこられた。
 注目しておりましたが、気になっていた点が正に今提起された点でありまして、国連中心主義というのに、ある境界線をそこに掛けちゃおうというふうな傾向が見えて、それがちょっと難しいんじゃないかと。神様が作っているわけじゃなくて、人間が押し合いへし合いしながらやっているところに基準をゆだねるということができるんだろうかという疑念を実はかねがね感じておりましたので、率直にこのような問題提起されたことを大変興味深く承ったわけです。
 その疑念と申しますのは、既にお二人の先生がおっしゃったとおり、国連は実体ではない。坂本先生は、国連というのは自国の利益を持ち込んでせめぎ合う場だと、これは見事な定義だと思います。御自身の経験を通してそういうふうに定義された。明石先生も同じようにお考えだと。私もこの点全く同感で、今日の三人で一番一致するのはその点ではないかというふうに思います。
 そうでありますと、それを基準に、既に外交三原則の中で国連中心主義とかあるいは国連第一主義、これはある意味で少しのどかな願望を反映し過ぎたものだったというふうに思います。といって、もう国連は終わりだ、駄目だというんではなくて、私は、国連尊重というふうに、日本外交はしっかりとそれを踏まえるべきだと思います。
 しかし、その一つの基準にゆだねるということは非常に良くなくて、幾つもの外交原則とか基本方針を組み合わせて、重層的に組み合わせてこそ日本外交は安定した展開をできるんだと思います。
 もちろん、日米同盟が非常に重要です。日米同盟について非常に深刻なことを是非政治指導をなさる皆さんに考えていただきたいんですが、これほどアメリカの力が圧倒的になった場合、同盟関係というのは一体どうなるのか。何らかの双務性とか対等性とかいうことは、戦後、日本ずっとないことが、ある種の心のうずきで反米論の源泉になってまいりましたが、今や日本だけじゃなくてヨーロッパもそうなっちゃって、アメリカが突き抜け過ぎた。そういう国との同盟関係というのはいかにあるべきか、私はこれは極めて重要な問題だと思います。
 私は、役割分担ということを重視すべきであろうと一つに思います。アメリカ、軍事的にはもうこれはアメリカにはだれも寄り付けない、しかしながら軍事で事が済むのではなくて、その後の再建ということになれば、日本のような国の役割は大きい。アフガンのときに、アメリカが軍事をやったけれども、小泉首相は賢明にもいち早く、復興について日本も一緒にやるということを言って、東京で緒方貞子さんを共同議長とする復興会議を開いた。
 これは非常に大事な役割分担で、ともすれば湾岸危機のときのように、違いがあると非難になるんですよ。日本はともに血を流すガッツがないのかというふうなことで殺伐たる関係になるんです。そうじゃなくて、役割をたがえながら、それをお互いに敬意を払って大事にし合うと、この関係がなければ決してもたないと。それが幸いにもアフガンの場合にできたし、イラクの場合にももっとしっかりとやってもらいたいと。危険を冒すことを恐れる余り、いささか腰が重過ぎるというふうに思います。平和のために、国づくりのためにであれば多少の危険を冒しても踏み込んでいくという政治指導が必要ではないかというふうに思います。
 それからもう一つ、日米のこういう落差の大きな関係で大事なことは、内側から影響力を持つということだと思うんですね。
 これほどアメリカが強くなると当然反発ができる、世界的に反発がある、一千万のデモというお話になるわけですが、しかしそれを受けてドイツ、フランス、ロシアのように大陸国家が言わば抵抗、合従して抵抗する。そういう行き方と、もう一つ、アメリカと行動をともにして内側に入りながら影響力を残すという選択がブレアさんの、イギリスのやったやり方であって、独りブレアさんではなくて、これはイギリスのほとんど百年にわたる伝統ですね。第一次大戦、第二次大戦という生存の危機に際してイギリスはこの手法を取って、時にはやせ我慢で苦しかったけれども、アメリカという力を自国の国益のために使って最後生存を得たわけですね。そういう伝統に立った行き方、これは海洋国家がこのたびまるで打ちそろってなったと。スペイン、それからデンマーク、オランダ、かつて海の支配をしたことのある国々、そしてこちらの方で日本とかオーストラリアとかいう海洋国家がアメリカと行動をともにしながら内側からの影響力を持とうとした。
 こうしたことが大きな落差のある日米関係に処するヒントではないかと思っておりますし、それから明石先生のおっしゃったカナダというのは、私は、これはカナダ一つではなくて、カナダとかオーストラリアとか、あるいは北欧の国々、それから近隣諸国の韓国とか、つまり核を持とうとしない先進社会ですね、民主主義であり先進社会である、そういう国々との連携というのをひとつ日本外交のもう一つの軸として、補助線として形成すべきではないかと。そういう国との協力が、核大国がせめぎ合うP5というのとは別に、国際社会をどう形成するかと。香しい知性を持ち、社会を持っている人たちがそこで一つの声を持つということを形成すべきだというふうに思っておりますし、もちろんアジア諸国との関係は大事である、そういうのの大きなフォーラムとして国連という場を上手に使っていくというのがいいんだというふうに思っております。
○会長(野沢太三君) 大脇雅子君。
○大脇雅子君 今日は御三人の参考人の方、大変貴重な意見をありがとうございました。
 さて、私はまず坂本先生にお尋ねをいたしたいと思います。
   〔会長退席、会長代理峰崎直樹君着席〕
 先生は、第四期の特質の問題として、国際政府組織のほかに国際市民組織、NGOの正統性と実効性の強化が非常に重要だというふうに指摘されました。これをもう少し具体的に説明をしていただきたいというのと、先生は改憲は必要ないというお立場でございますと、いわゆる日本の憲法秩序の現代的な意義といいますか、言ってみれば国家のビジョンですね、どのような国家を今の時代にイメージされるのか、先生の構想を伺わせていただきたいと思います。
○参考人(坂本義和君) どうもありがとうございます。
 まず第一点ですが、これは先ほど申しましたけれども、民主主義というものが世界的に正統性を持つようになったのは第二次大戦が終わって、それから冷戦が終わってやっとできたことです。ですから、これは、我々は民主主義というのはもう当たり前のように考えていますけれども、これが普遍的に認められるようになったのはそんなに前のことではありません。それ以外の国では民主主義でない体制というものが正しいのだという国々がずっと続いていたわけですが、それが次々に変わっていく、あるいは倒れていくというところから、それぞれの国の民主化の推進力になった市民というものが世界で、世界という社会の基礎を共有するような状態になっているのが現在だと思います。
 そして、現在では、もちろん経済的ないろんなこともありますが、特に私はインターネットの影響というのが非常に大きいと思うんです。私も、一瞬にして、南アフリカの人であろうとネパールの人であろうと、どこの人、友人でもすぐ連絡が取れるという、そういうのは昔の、何といいますか、庶民には考えられなかったことなんですが、そういう意味でも国境を越えた市民の連帯というものが強まっていく技術的な条件というものも満たされてきている、政治的だけではなくて、というふうに思いますし、これは長い歴史で見た場合には私は非常に大きな出来事だとは思っております。
 それから、第二点は日本のビジョンということですが、これは、実は私さっきから何度も申しております、言葉は貧弱なんですが、別組織のことと関係がありまして、殊に今、先ほどちょっと明石さんも触れられましたが、日本の若者の中には、国家の枠を越えて何か意味のあることをしたいと、そして世界で起こっている貧困とか戦争とか、そういうものが自分の身にしみるような痛みというものを感じる、そういう若者というものも随分増えてきております。
 これはやはり、情報が国家の枠を越えて流れていく、そういう時代に育った若者のプラスの面だと思うんですが、その人たちに、一体、今我々は何をしたらいいのかということを考えるときに、先ほどからも申しておりますように、日本という国にとらわれない、それから安保理事会とかそういうことにもとらわれない、むしろ、世界の普通の人々が平和に、あるいは貧困なしに健康で、そして人間らしく生きる、そういう世界というものを作るために自分は何をできるのかということの手掛かりを非常に求めていると思います。不幸にして今の日本の国家はまだそれによくこたえていないと思うんですね。それが私は、その別組織というようなものを一つの手掛かりとして申し上げていることなんですが。
 ですから、その考え方自身は私はもう今の憲法の中に入っていると思いますので、その憲法の打ち出したビジョンというものを今具体化するときにどういうことが必要なのかということを考えますと、くどいようですが、私はもう少し国が主体になったそういう普遍的な価値を実現するための組織作り、そして人材と資金の供与、提供というものを本気になって考えないと、そうでないと私は、非常に不幸ですが、日本の存在感というのは今減っています、世界の中で。もう経済がうまくいかなければ、日本の存在感というのはどんどん減っているわけですね。
   〔会長代理峰崎直樹君退席、会長着席〕
 そういう中で、別に日の丸を見せる必要はありませんが、日本人が世界のために貢献していると、働いているということが目に見える形で実行されていく、それが私はビジョンというものを具体化していく道ではないかというふうに思っております。
○大脇雅子君 ありがとうございました。
 明石先生にお尋ねしたいんですが、先生は長い間国連で実に有効なお働きをなさったと思うわけですが、今のアメリカの一極支配と言われるような時代に、日本の国連外交というのはこれからどのようにすべきであるのかという点について御助言をいただけたらと思います。
 特に、国連の道義的な権威をどう取り戻すかということが非常に大きい課題だと思うわけですが、核の廃絶等に対して積極的なイニシアチブは持っていたと思うんですが、これからの国連外交、非常に今回のイラクの問題でもあいまいであったような感じがいたしますが、御助言をいただけたらと思います。
○参考人(明石康君) ありがとうございます。
 大脇先生の御質問に対しては、五百旗頭先生のおっしゃられた核を持たない先進諸国の協調というのが一つ大きく参考になるんじゃないかと思っております。
 国連において、アメリカの役割というのはいい意味でも悪い意味でも非常に大きいわけですけれども、これを国際社会全体の利益という観点から、時によってはアメリカと協力し、時によってはアメリカに反省を促し、アメリカのエネルギーとバイタリティーを国際社会全体が建設的だと思うチャネルに流し込むように努力するというふうなことについて、アメリカと同盟ないしは友好関係を持ちつつも国際社会の在り方について必ずしもアメリカと同意しない国々が、アメリカの中にもいろんな考え方の人がおりますから、アメリカを単に批判するのではなくて、そのイシューごとの同盟関係といいますか、そういうものを作っていくということも考慮に値すると思います。
 核のことについて大脇先生触れられましたけれども、私は、現在のNPT体制、核不拡散体制というのは大変大きな危機に当面していると思います。
 三年前の核不拡散の再検討会議は破局になると思われたんですけれども、ともかく最終段階で収拾されて救われたわけですけれども、二年後に予想されるこの次の再検討会議はそんなにうまくいかないだろうと思います。
 インドとパキスタンというNPT体制の外で核保有国になった国がありますし、北朝鮮はまた別途の問題を提起しているわけですし、またイスラエルという核保有宣言は出しておりませんけれども、また核実験もやっておりませんけれども、かなりの数の核兵器を持っておると思われる国が現出しております。
 そういう中で、アメリカは、そういう核を持つ国を増やさないためのNPT体制であり、包括的核実験禁止条約をやっと作ったわけですけれども、それには参加しないと言っておりますし、ジュネーブの国連軍縮委員会もうまく機能しておりませんし、成果も見せておりません。
 こういう中で、日本だけが行動しても迫力がそんなにないという場合に、同じような問題意識を共有し、現実的な感覚を持ちつつも現状に深い憂慮を持っている国というものが一緒になって、政府間の協議も大事ですけれども、それと並行的に、またないしはその前に、いわゆるセカンドトラックの民間の有識者、研究者、学者、そういう人たちの知恵を何とか糾合することができれば、それは国連の再活性化にもつながると思います。
 そういったような問題がたくさんあるわけで、それを丹念にすくい上げながら協調できる国を糾合し、アメリカと対決するのではなくて、アメリカの中の同憂の士を増やしていくというような非常に根気の要る仕事ですけれども、そういうようなことも大事ではないかと思います。
○大脇雅子君 ありがとうございました。
 五百旗頭先生にお尋ねをさせていただきたいと思います。
 今、やはり軍事力の使用が紛争解決に果たして有効だろうかという疑問が、事実上、声が大きくなってきていて、一つはもう一つの道を探ったらどうだろうかという傾向があると思うんですが、先生は憲法九条の専守防衛は、これは守るんだと言われておりますが、一方でそうした有事法制だとか国際の安全保障へのかかわり方ですね。その点について、武力によるもの、あるいは非軍事的なものによるもの、いろいろあると思うんですが、先生のお考えはこの関係をどのようにとらえていらっしゃるんでしょうか。
○参考人(五百旗頭真君) ありがとうございます。
 衆議院に比べて参議院は割と平等に時間を割り振られているとは思うんですが、七番目に大脇議員が質問されるとなると、今までのと違った質問をしようと思われるのは大変だろうというふうに拝察いたしますし、答えようかなと思って、今までもうあれ言ったかなというふうにこちらも思う点がありますけれども。
 大変根本的な問題を提起していただいたと思います。軍事力の使用が紛争解決に有効かというふうに言うならば、非軍事的なアプローチが問題解決に有効かというふうに他方は考えるんでしょうね。
 私は、繰り返しになりますけれども、戦後日本の生き方というのは、あの戦争を経験した者として平和的なアプローチを非常に重視すると。それに、戦後日本社会というのは、ほとんどのリソースが非軍事、平和的な、主として経済側面に投入されております。ここにいる三人というのは社会のやや変わった人種で、圧倒的多数は、我々の学生たちはビジネスの世界に入っていくと、そういう経済国家であり、シビリアンパワーであり、教え子のうちに自衛隊に入った人というのは幸か不幸かまだいないですね。というふうな体質を持った戦後日本、これを資産として、良き遺産として今後も活用すべきだと思うんですね。
 だからこそ、明石先生のなさっているスリランカの問題、紛争、平和解決後に安心して入っていくんじゃなくて、平和を定着させるために、まだ柔らかい段階で多少危険を冒しても我々はその地域の再建に貢献すると。
 非常に大事なことは、アメリカがどんなに軍事力を持っていようとも認識を誤ればこれはおしまいです。認識を誤れば、パワーがあって絶対値が大きければ大きいほど弊害も大きいわけですね。ベトナム戦争のような破綻というのはあれかもしれない。アメリカの場合、国内からも反対運動が起こって、ある時点でブレーキが掛かりましたけれども、戦前の日中戦争とはその点違いますけれども、しかし大変な間違いを犯すと、今の軍事力で間違えばもっと大きいですね。
 そういうことを考えますと、友人である日本が助言すべきところというのは非常に大きいと思うんですね。アジアを中心に地域の内側から理解していると、そのノウハウを持っているということが何物にも増して大事だと思うんですね。それを持って、アメリカが時に、アメリカも随分情報を、断然持っていますけれども、しかしながらその情報が的確に生かされるかどうかは意外に怪しいものであって、どんなに巨大な国の立派な政府の大統領といっても二十四時間しか持たないことは一緒で、そこで耳に入れられることの限界があり偏向がありというのは変わらない。
 そういう中で友好国が、特にアジアの問題、太平洋の向こう側に、アメリカにとって向こう側にある問題についてはどう動かすかという場合に日本の意向が無視できないと。我々は、日米同盟の下でそういう立場をも持っているということを自覚して、その的確な内部理解を持ってアメリカを修正したりリードしたり、そういうことが非常に大事だと思うんですね。
 そういう意味で、軍事的解決にたちまち傾斜するんじゃなくて、しかし私は他方で、多分、大脇議員とは違うのは、軍事的なオプションは絶対にないというふうにはできない。もし近隣諸国が暴発してとんでもないことをやり出したときに、我々は殺されようとも軍事力は行使しませんというふうな選択は国民の生存に対する不誠実だと思いますので、オプションとしては残しているが、政策としてはそれに最も慎重であるというアプローチを取るべきであろうと思っております。
○会長(野沢太三君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言申し上げます。
 参考人の方々には大変貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 速記を止めてください。
   〔速記中止〕
○会長(野沢太三君) 速記を起こしてください。
 ただいまの参考人質疑を踏まえて、一時間程度、委員相互間の意見交換を行いたいと存じます。
 委員の一回の発言時間は五分以内でお願いいたします。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、御意見のある方は挙手をお願いいたします。荒井正吾君。
○荒井正吾君 自民党の荒井正吾でございます。
 一番バッターで失礼いたしますが、後の方が言いやすいように若干稚拙な言論になるかと思いますが、前回と今回、憲法学者さん、国際政治学者さんの意見を聞きまして大変参考になりました。両者の意見が異なっているようにも思いました。というのは、憲法条文から現実を見るのか、現実から憲法を見るのかというような立場の違いもあるように思いました。
 私は、世界の安全保障構造が我が国の憲法解釈、かつ運用にどのように反映すべきか、むしろ現実から憲法を見る方の立場によって所論を述べてみたいと思います。
 第一番目は、世界の安全保障への寄与に対する我が国自衛隊の使用については許容すべきではないかと思います。
 例えば、PKOに我が国自衛隊を積極的に派遣すべきではないかと思います。そのため、憲法解釈上、憲法が容認しているという解釈あるいは政治判断の確立が必要でないかと思います。
 治安が悪い、あるいは危険なところへ戦闘目的ではない治安活動を目的とした自衛隊のような野営能力、自活能力あるいは防御能力、攻撃に反発する能力を持った組織の派遣は必要だと思います。そのことが憲法の前文に書かれております平和への貢献の一つの対応になるものとも思います。その際、派遣対象とその目的の明確化、例えば国連の認定、あるいはその他の場合というふうに明確化が必要であろうかと思います。
 もう一つは、武器使用のルールの確立が必要であろうかと思います。
 危険な地域に行くわけでございますので、国際基準に沿った現実性のある、あるいは比例性の原則を、武器使用の比例原則を発揮させた武器使用の原則が必要でないかと思います。
 もう一つは、そのための自衛隊の訓練が必要ではないかと思います。
 それは、武器の使用の訓練というよりも、他国の言語を学ぶとか、外国の当地の文化あるいは歴史を学ぶ、自衛隊のソフトウエアを強化すべき点があるんじゃないかと思います。
 第二点目は、憲法と自衛権、あるいは自衛権行使、さらには憲法条文と日米安全保障条約との調和という点でございます。
 我が国の安全保障のために自衛権を持ち、あるいは自衛のための戦いをするというのは憲法が当然許容していると解釈いたします。さらに、我が国の自衛力では不十分な場合、日米安保条約に依存するというのも、我が国の政治の選択として正しい選択ではないかと思います。ただ一面、相互条約でありますので、一方的に守ってもらうというだけではなしに、米国の安全保障に協力をするという面が出てくることは否定できません。その際、その範囲についての議論は更に深める必要があろうかと思います。
 現実の話として、最近想定される脅威、例えば核の脅威、その他の脅威に対して、現実には米国と一体的なオペレーションが必要だということも併せて念頭に置くべきことだと思います。我が国の自衛隊のみの統合的運用はなかなかうまくいかない現実があるように承知しております。例えば、海上自衛隊はアメリカ海軍と、航空自衛隊はアメリカ空軍とより密接なシステムのリンクがあり、情報のネットワークも、それぞれのネットワークは強固で我が国の自衛隊同士の連携がむしろ不十分だという実情を十分承知すべきじゃないかと思います。そのため、米国との戦争はできない、あるいは米国の協調なしに自衛隊のオペレーションはできないというような事実があるということでございます。
 さらに、自衛隊と米軍の現実の活動を法の範囲内に置くべきだということでございます。非現実な法体系の下では、いざというときには超法規的に行動してでも国を守るという憂国の情に駆られた大変危険な思想が現場にある程度存在していることは事実でございます。軍隊の活動に法のフレームを掛け、法の逸脱に対しては法を適用するということは現在大変必要なことでございます。
 そのためには、一つには、自衛隊の交戦規定を確立する必要があろうかと思います。どのような場合にどのように武器を使っていいのかということを、法的な規制を確立すべきだと思います。
 現在、警察の場合は警察比例の原則が適用されて、懲役三年以上の罪あるいは正当防衛、緊急避難の場合にのみ武器使用が許可され、それを逸脱する場合は殺人罪が適用されるわけでございますが、軍隊の場合にはどのような武器の使用が許容されるかという原則の確立が必要かと思います。それが他国への我が国軍隊の存在への安心感を与える一つの根拠になると思います。
 三つ目の問題点は、自衛のための戦争は許容されるといっても、どこまで許容されるのか。我が国の自衛権の行使の態様について憲法上の明確な規定、特にやってはいけないことの規定が必要だというふうに考えます。例えば、核兵器の非保有、非使用原則を明示する、あるいは侵略戦争はしない、軍事能力の民主的コントロールルールの確立といったようなことが必要でないかと思います。
 侵略戦争をしないといった場合、過去の我が国の戦争が侵略か自衛か、過去の責任を自ら問う作業が必要だという点も触れておきたいと思います。
 最後に、また四つ目の論点でございますが、危機管理のための自衛隊の使用というのは憲法が許容しているという判断を確立し、その内容を深度化すべきでないかと思っております。
 我が国の安全の脅威は、大規模明確な、明瞭な武器が、他国からの武力行使だけでなく、テロあるいは麻薬・覚せい剤密輸、密漁、密入国のように我が国民の健康、治安、資源を脅かすいろんな脅威がございます。また、情報社会におけるサイバーテロあるいは最近の感染症の侵入など、我が国の安全あるいは社会基盤を脅かす活動が想定されます。
 それに対して、従来は警察、犯罪に対する警察が活用され、軍隊の活動は戦争に限られておりましたが、軍隊の持つ能力を活用してこのような安全保障の脅威にも対応すべきだというふうに考えます。特に、このようなリスクを事前に予防し、リスクが発生したときの危険、危機を除去するためには、軍隊の持つ情報収集あるいは分析能力あるいは情報提供能力、更には危機の除去能力を活用するため、軍隊の警察化、あるいは軍隊とその他の危機管理当局との連携を十分図るべきだと思います。ノンミリタリーセキュリティーというフィールドがあるわけでございますので、軍の組織を平時の安全保障に使うことを更に検討すべきだと思います。
○会長(野沢太三君) 時間が来ておりますので、おまとめください。
○荒井正吾君 以上が私の所論でございます。以上をもって発表を終わらせていただきます。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 木俣佳丈君。
○木俣佳丈君 ありがとうございます。
 民主党・新緑風会の木俣佳丈でございます。今日は、貴重な時間をいただきましたことを大変感謝いたします。
 まず、今日の表題でございますが、ちょっと今日もずっと見ておりまして、「平和主義と安全保障」ということでありますが、これは違う次元の、異次元のことが並んでおるんじゃないかなというふうに見ております。
 平和主義というのは理念の話でありまして、安全保障というのはシステムの話であると。ですから、並べるならば、平和主義に基づく安全保障であるとか、又は平和外交と安全保障とか、こういう話ではないかなということを初めにちょっと御指摘さしていただきたいと思いますが。
 この平和というのは、やはり明石さんが言われたような、戦争がない状態ということだけではないというのが非常にいいポイントではないかと。つまりは、昨週も私も京セラの稲盛さんがワシントンで発表されたものを読んで大変感銘いたしましたけれども、やはり紛争の、又はいろんな事件の、事故の元はやはり貧困にある。ハブとハブノット、持つ者と持たない者がやはり存在している。
 まあ、古い、新しい話でありますが、南北問題を始めとするこういったものが根本にあるということを我々は再度認識しなければいけないということを考え、そしてさらには、先ほど参考人の皆様方からお話がありましたような、一昨年のナイン・イレブン、九・一一以降の、いわゆる国家対国家の戦争というものから、又は紛争というものから、やはり個人又はグループと国家というこういった紛争、又はテロという名前ではありますけれども、大規模な人災というものが発生している。つまりは、国民国家ができたいわゆるウエストファリア条約以来、国対国の戦争ということを定義したわけでありますが、この戦争というものの定義すら変えなければいけないという国際環境がある、こういうこと。
 さらには、この戦争が終わって以来、国連体制又はブレトンウッズ体制というものができておるわけでありますけれども、これが十分に機能しているかどうかという問題提起もあったかと思っております。つまりは、我々は平和を維持するということと、又は平和でないところを平和にしていく、こういった作業を繰り返していかなければなかなかこの平和主義というものが守られないということを痛感いたしました。
 ちょっとあちらこちらへ行ってしまいますけれども、私も戦後二十年たって生まれた者として、この日本国憲法の前文、ある意味ですばらしい理念が書いてあるという気持ちもあるわけでありますけれども、この四行、このほんの四行目でございますが、政府の行為によって再び戦争の災いが起こることのないようにすることを決意しということで書いてございます。やはり、ここにありますように、政府というものが、私が常々思っておりましたのが、日本国政府というものがすなわち悪であるということから始まっているようにしか私にとっては読めません。こういった憲法は、これは私個人の考えでありますけれども、速やかに変えていくということは大変必要ではないかと私は思っておる立場でございます。
 国際関係又は安全保障、平和主義ということで考えた場合に、何人かの方から御指摘がありましたように、我が国はやはり軍事ということではなくて民生面での大いなる国際貢献ということをやってまいりましたし、そしてまた、これからもやらなければならないというのが私の考え方の前提にあります。経済がだんだん弱くなってという明石参考人のお話がございましたが、私は、これからも経済の繁栄はなければならない、こういうことを思っておりますが、しかしながら、我々が忘れてきた、吉田茂さんが、戦争で負けて外交で勝った国はある、このような意見を述べられてきたわけでありますが、我々は果たして外交で勝ったのだろうかということを再度考えなければいけない。外交で勝ちながら、精神面で極めて脆弱な国民を持ってしまった、国民になってしまった、こういうことをやはり我々は反省しなければならないんではないかと思っております。
 さらには、我々日本が、この二十一世紀、正に平和そして平和構築、こういったものに対して、こういったことに対して、いわゆる経済面、つまり市場主義で測れない大変重要な価値にもっともっと重きを置かなければいけない。すなわち、文化であるとか外交であるとか、こういった貢献が更に増し加わらねばならないというふうに私は思っております。特に、明石国連元事務次長がおっしゃったような、若者たちの国際貢献、ケネディが提唱したような平和部隊というものがございましたけれども、やはり現在、青年協力隊への応募というのは年々増えておりまして、十人に一人しか合格しないというような状況もある。これをやはりもっともっと増やしていくとか、こういう貢献が必要ではないか。
 さらには、防衛面でありますけれども、今、日米安保の再定義ということで今再定義がされたわけでありますけれども、まだまだ片務性が非常に強いということからしても、ドイツを見習いながら、四つのパターンが同盟関係というのはあると思いますけれども、対等な英仏というものに対して、ドイツはNATOの域内、ユーゴでは域外まで出ましたが、域内での軍事的な寄与、そしてロジスティックスの後方支援をする日米関係、そしてまた保護国の四つの関係の中で、三番目に位置するのが現在の日本だと思いますが、少なくともドイツと同様な、第二番目のステージまではやはり今回の有事法制も併せて変えていくことが、結局はその基地の縮小ということにつながるんではないかと思っております。
 若干まとまりませんが。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 時間の方ですが、五分程度ということをひとつよろしくお願いいたします。
 それでは、愛知治郎君、次願います。
○愛知治郎君 自由民主党の愛知治郎でございます。
 私、先日の調査会においても、自分の考え、短かったんですけれども、この憲法は改正すべきじゃないかという考えを申し上げさせていただきました。その考え方を前提にお話をさせていただきたいと思います。
 現実的な平和というのはやはりしっかりと守っていかなくちゃいけない、そのために取り得る手段、憲法をしっかり改正して、議論をして改正すべきだというふうに考えておるんですが、その前に、言葉はちょっと適切かどうか分からないんですけれども、この国が平和ぼけ状態であるということを言われて久しいというふうに私自身は感じております。
 また、その中で、その言葉はちょっと御容赦いただいて、その平和ぼけ状態の中で、私自身、同世代、育ってまいりました。現実的にその感覚が染み付いているのかもしれませんが、しかし、少なくとも、先ほど委員から、高野委員からちょっとその言葉がありましたけれども、平和というものは、黙っていて、その状態で、ただ与えられてその状態になるものでは決してない、積極的にたゆまぬ努力をして獲得していくものであるというような趣旨の発言をされていましたが、私自身その思いは全く同様に考えております。そして、我々としてもそのたゆまぬ努力をしなければならないと。しかしながら、現実的には、国民の意識ですね、大部分の方々、これは若い世代も、いろんな世代共通して言えると思うんですが、その意識をしっかり持っているかと言われれば、ちょっと足りないのではないかと、私自身は非常に危機感を感じております。
 この状態というのが、先ほど九条というものが果たした役割というのをいろいろ議論はなされておりましたが、一面では、九条があったからこの状態があるのか、若しくは今までの議論の経緯、歴史的なものの議論の結果としてこの状態があるのかは分かりませんが、少なくとも改善していかなければならないという意識を私自身は持っております。
 また、前回もお話ししましたけれども、国際的に不安定な状況が起こり得る時代でもございます。この国自身しっかりと平和を構築していくためにも、守っていくためにもそれなりの実質的な力を保有しなければならないということも、またこれも事実であろうと考えております。
 アメリカに関しても、これは本当に怖いんですけれども、アメリカが完全な機能不全に陥るという可能性はゼロではないということが、私自身は少なくとも考えております。同時多発テロというのは、大統領をねらったものであり、国防総省をねらったものであり、経済の中枢をねらったものであった。完全にアメリカを機能不全に陥れるための手段を取ったということもこれは事実ですので、最悪の事態を想定して日本がしっかりと自国を守っていくための体制というのは今から議論をして、そのための法整備なり憲法を論じていかなければならないというふうに感じております。
 もう一つの現実なんですけれども、国内の問題ですが、よく普通の国になるべきだという話をされる方がおられます。私自身は絶対普通の国になるという必要はないとは思うんですが、それ以前に国として存在する前提となるべきものというのは有さなくちゃいけないだろうと。普通の国じゃなくてもいいけれども、国として当たり前の、まともな国というか、その前提というのは必要であろうというふうに考えております。その現状、ねじれた状況、異常な状況があったおかげでこの国自体、日本国自体を否定するという事態が現実にあるということは非常に私自身遺憾に思う次第であります。
 また、若い世代、子供たちがこの状態で自分たちが信じるもの、信ずるべきものというのを失ってしまっている、不安に思っている現状というのも改善しなくてはならないと感じております。
 以上でございます。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次に、吉岡吉典君。
○吉岡吉典君 我が国の安全保障は国連憲章と日本国憲法を基本としなければならないと、今日の論議を通じても私は強く感じております。その根本は、武力による威嚇、武力の行使もない、認められないということを原則とすることであり、不法者が現れた場合には、これは国連の集団措置によって解決すること、そして自衛という問題はその例外というのが国連憲章の規定としていることであるということを踏まえるべきだと思います。
 こういう見地というのは決して党派的な特殊なものではなく、戦後世界の一員として当然のことだと思います。それは、細川首相の諮問機関として作られた防衛問題懇談会の答申、「二十一世紀へ向けての展望」でも、「戦後日本の再出発に当たって、われわれは、外には国際連合憲章、内には憲法によって、新しい国家の基本方針の枠組みを与えられた。」といっていることにも表れております。
 冷戦は国連憲章の目指した戦後世界をゆがめ、東西の軍事同盟による軍事対決が続きました。このとき、日本が国連憲章と憲法に沿って取るべき道は何であったか。いかなる軍事同盟にも加わらない非同盟中立の道であるべきであったと私は思います。中立の道は憲法制定に際して我が党が提案していた道でもあります。
 しかし、日本は国連憲章の精神にも憲法にも反して日米軍事同盟を締結し、政府自身がアメリカが行う戦争に中立の立場は取れないという同盟関係を強めてきました。しかし、ソ連の崩壊、ワルシャワ条約の消滅によって世界の対立構造に大きな変化が生まれました。国連憲章が目指した世界実現への新たな希望が生まれております。
 それは、一九九一年のロンドン・サミットの政治宣言で、我々は今や国際連合にとってその創立者の公約と理想を完全に実現するための条件が整っているものと信ずると宣言したことにも示されております。
 前記防衛問題懇談会の答申でも、集団安全保障の機構として五十年前創設された国際連合は、今ようやくその本来の機能に目覚めつつあると言っております。
 イラク戦争をめぐって国連無力論がありますが、国連は、国際紛争を平和的手段によって解決することを求める憲章の精神に沿って、なお査察の努力の継続による解決を求め、米英の武力行使にお墨付きを与えなかったのであり、無力を示したのではありません。イラク戦争は、国連憲章に沿って国連中心の平和と安全ということをかつてなく大きく世界に提起することになったのです。それに逆らったのが米英であり、日本はその米英を支持したのです。これは、国連憲章と日本国憲法に反するものであると言わねばなりません。
 日本国憲法について言えば、ソ連崩壊後の世界で、二十一世紀の世界が進むべき世界の平和のシンボルとして世界から広く注目され始めていることを強調しておかなければなりません。
 世界は、イラク戦争や朝鮮半島をめぐる緊張がある一方、国連憲章が目指した国際紛争を平和的手段によって解決する世界、武力による威嚇又は武力の行使のない世界、さらに、日本国憲法九条を世界に生かし、戦争のない世界、武器なき世界を目指しての動きを始めていると私は思います。
 吉田首相は、五十七年前の一九四六年六月二十四日の衆議院本会議で、戦争のない国を創造する先駆けとして世界の平和に貢献する決意を表明しました。今こそその決意の実行が求められていると思います。日本国憲法九条を持っていることを誇りとすることができる世界に向かう動きが始まっていると思います。
 その際、日本国民が考えなければならないことの一つとして、憲法制定の際表明された侵略戦争への日本の反省がまだ終わっていないとアジア諸国が見ていること、アジアが完全に日本を許すに至っていないことであります。
 今日はその問題が主題ではありませんので、日本とアジア諸国が心の通い合う関係となるためには、日本が戦争を美化したり合理化したりすることをやめ、その清算を一層徹底させることが必要だということを指摘するにとどめて、私の発言を終わります。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 続いて、近藤剛君、お願いします。
○近藤剛君 自由民主党の近藤剛でございます。
 今日も、前回の調査会に引き続きまして、平和主義と安全保障の問題につき意見を申し述べます。
 前回は、制定過程にありましていろいろな事情はあったにせよ、日本国憲法第九条が結果として持つ極めて悲劇的なあいまいさと、国際社会の現実と大きく遊離した空想的な前文が我が国の独立回復後も半世紀にわたり我が国における防衛政策にかかわる議論に及ぼしてきた深刻な負の効果につき意見を申し上げ、速やかなる憲法改正の必要性を指摘させていただきました。
 今日は、主として日本国憲法の第九条の解釈にかかわるこれまでの神学論争が、我が国の安全保障政策がよって立つ大前提とも言える日米安全保障関係と世界の平和と安定に向けた我が国の姿勢を大きくゆがめてきたその実態面の負の効果につき意見を申し述べます。
 日本国憲法第九条の解釈にかかわる神学論争の主なる争点は、初期の段階にありましては、第一に自衛権の有無、第二に自衛隊の合憲性の二点にありました。冷戦の発生とその終結、国内にあっては、九四年の村山政権の誕生をもって、少なくもこれら二点に関する論争はおおむね終結を見たと考えます。
 いまだに決着を見いだしていない大きな争点の一つは、自衛権の範囲についてであります。
 我が国が自然権として、あるいは国連憲章の言う国家固有の権利として持つ自衛権は集団的自衛権を含むのか、また自衛権行使に備えて我が国がどの程度の能力を保持すべきか、あるいは保持できるのかなどがその主な具体的内容であります。
 集団的自衛権につきましては、我が国がそれを有することについては、少なくとも国際法上は明らかであります。サンフランシスコ平和条約の第五条、国連憲章の第五十一条、日米安全保障条約の前文などは、すべて国際的に固有の権利として我が国が集団的自衛権を持つことを明示的に認めており、我が国はそれに同意し、署名し、批准をしているわけであります。
 ところが、この集団的自衛権に関連し、我が国政府の立場は、一九八〇年以来の政府見解によりますと、集団的自衛権は、持ってはいるが、それを行使することは憲法に違反するというものであります。持ってはいるが、行使できない。正にこれぞ神学的解釈の極みであります。
 このような無理な解釈は、国際通念上、到底理解され得るとは考えられず、それが国際政治の実態から余りにも遊離しているがために、無理が無理を呼び、新たな神学論争を生む不毛な結果となっている事実は、誠に悲しむべきことであります。
 例えば、後方地域支援と後方支援は実体面において一体どこが違うのか、またそのような解釈で実際の有事にあっての日米安全保障条約の共同危険対処が本当に可能と本気で考えているのか。まずは、これまでの政府見解の抜本的な見直しが急がれるゆえんの一例であります。
 しかし、基本的には、このような多様な解釈と不毛の議論を生み続ける日本国憲法の改正こそが必要であります。これからの我が調査会において、平和主義と安全保障の問題が今申し上げた視点も踏まえ優先的に取り扱われることを期待し、私の発言を終わります。
 ありがとうございました。
○会長(野沢太三君) 続いて、椎名君。その後、大脇さんね。
○椎名一保君 御指名いただきましてありがとうございます。
 私も、近藤委員同様、前回この調査会におきまして、自衛隊の存在、自衛隊が合憲であるということを改めて日本国民が社会通念上認知できるように憲法九条を改正すべきだという意見を申し述べさせていただきました。
 本日は、前文などに掲げられております平和主義と第九条をめぐる様々な問題のうちでも、最近最もしばしば問題となっております集団的自衛権について発言をしたいと思います。
 日本国憲法は前文で平和主義を掲げております。ただいま近藤委員の意見にもございましたけれども、この平和主義の真に意味するところは、いわゆる一国平和主義ではなく、むしろ平和の構築に向けて我が国が積極的に国際社会にかかわり貢献していくべきであるとする積極的平和主義であると考えます。そのことは、憲法前文が、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とし、このことは普遍的なものであり、これに従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であり、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」としていることからも明らかであります。
 したがって、我が国は世界の平和の構築に向けて、国連の諸活動や、あるいはこのような目的を同じくする諸国による共同の取組や活動に対して積極的に参加し協力していくべきであると考えます。
 ところが、我が国がこのような活動をしようとする際に多くの場合障害となるのが集団的自衛権についての内閣法制局による解釈であります。国際化が進展し、また科学技術の発達により核などの大量破壊兵器が存在するようになった現在の世界では、もはや一国のみで自国の防衛を全うすることは困難であり、価値観を同じくし、密接な関係にある他国と同盟関係を結んで、お互いそれぞれの国を守ることが必要になっております。
 我が国も米国と日米安保条約を結んでおります。そして、この日米安保条約では、ただいま御発言がありましたとおり、その前文で我が国が集団的自衛権を保有することを明記し、また第五条では、「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」としております。
 内閣法制局の解釈では、この日本施政権下における共同危険処理の防衛行動はあくまでも個別的自衛権の発動であって、集団的自衛権の行使とは考えないとしております。内閣法制局は、集団的自衛権について、我が国は、国際法上、集団的自衛権を有していることは主権国家である以上当然であるが、憲法九条の下で許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、集団的自衛権を行使することはその範囲を超えるものであって、憲法上許されないとしております。すなわち、我が国は集団的自衛権を保有しているが、憲法上その行使はできないとしております。
 しかし、このような集団的自衛権の行使は一律にすべて認められないとする内閣法制局の解釈は甚だ疑問であり、早急に改める必要があると考えます。
 その理由は、まず第一に、集団的自衛権も自国を守るために行使する権利であり、主権国家である以上、自然権としてこのような権利を保持し、かつ行使できるのは当然であること。
 第二に、個別的自衛権ならば行使でき、集団的自衛権ならば行使できないとの内閣法制局の解釈は、必要最小限度という制約から必然的に出てくるものではなく、また、必要最小限度という概念自体も時代に応じて変化するものであり、今日の時代には集団的自衛権の行使を認める必要性が高くなっていること。
 また第三に、集団的自衛権は個別的自衛権を全うするために出てきた概念であり、いずれも自衛権の一部として同根一体であり、日本国憲法上においても両者を区別する表現はございません。にもかかわらず、個別的自衛権については行使を認め、集団的自衛権については行使できないとするのは矛盾であること。
 さらに第四に、先ほどもございましたが、保有するが行使できない権利などというものは論理的に矛盾しており、保有している権利は使ってこそ意味があり、使えない権利とは、保有していないに等しいということでございます。これは集団的自衛権についての国際的常識からも著しく懸け離れており、国内でしか通用しない特殊日本的な解釈であると考えます。
 したがって、このような集団的自衛権についての内閣法制局の解釈は早急に改められるべきであると考えます。
 そもそも、今日の時代は一国だけで防衛機能を十分に果たすことのできる時代ではございません。にもかかわらず、事あるごとに集団的自衛権をめぐる内閣法制局の憲法解釈が問題となり、我が国の平和と安全の確保と国際平和への積極的な貢献に支障が生じるような事態がしばしば起きております。そのような状況にかんがみれば、むしろこの際、解釈上の疑義が生じないように憲法九条を改正して、集団自衛権の行使についても必要最小限度で認められるようにするべきであると考えます。
 ありがとうございました。
○会長(野沢太三君) では、続いて大脇君。最後、舛添君、お願いしますね。
○大脇雅子君 アメリカでの九・一一同時多発テロを契機に、ブッシュ大統領は、アフガン攻撃、イラク戦争と、武力による先制攻撃に踏み切り、フセイン政権は倒れ、戦後問題が今、世界の関心を集めております。
 改めて確認する必要があることは、昨今の武力行使による紛争と問題解決によって、武力による平和の構築は大きな問題があることが明らかになりました。
 多数の死者だけでなく、負傷者を含め、武力行使による犠牲者の実態が明らかになりました。劣化ウラン弾によって放射能に汚染された戦車の下で遊ぶ子供たちの将来の白血病の発病が心配であります。また第二に、建物とかあるいは生産組織等社会資本の消失は巨大であり、また復興に要する費用等経済的な損失も余りにも大きな額であるということが知らしめられました。
 憲法九条を持つ我が国におきましては、武力や実力による紛争の問題解決ではなく、国際協調の下で外交努力による問題解決を宣言している平和憲法の意味を改めて確認する必要があります。
 二十一世紀における世界の在り方、国家、民族、人種等を超えて、人類が不断の努力を通じて到達すべき世界を先駆的に明確に示した憲法九条と前文は、正に歴史的意義を有していると確信いたします。憲法前文と第九条の下での日本のイニシアチブによる武力によらない平和構想を模索すべき時期に来ているということを訴えたいと思います。
 私は、この憲法の掲げた理想を実現する具体的な方法としては、国際連合の枠組みの下での平和貢献、平和建設を改めて強調したいと思います。
 特に、日本が外交上イニシアチブを取るべき問題は、核の廃絶と軍縮であります。
 先ほど、明石参考人は、国際的、建設的なチャネルにアメリカを流し込んでいく方途として二つの有効な提案をされました。それは、イシューごとの同盟関係を作っていくということ、そして、並行的にセカンドトラックとして民間の学者の知恵を糾合して、協調できる国とともにアメリカと対決をせず対話をしていく道を説かれました。
 その意味では、日本の外交は核の廃絶と軍縮について更なる具体的な行動を提起すべきであろうと思います。
 兵器は消費するために作られており、廃棄を予定していず、兵器の廃棄それ自身、環境汚染の源泉となるということであります。反人道的な兵器、大量破壊兵器、化学兵器等、防衛的な兵器に向けての軍縮プロセスが透明化の下で進まなければならないと思います。そして究極には、武器の製造禁止、武器の輸出の禁止に向けて努力すべきであります。
 また、カントは、「永遠の平和のために」の下で、常備軍は時とともに全廃されなければならない、なぜなら、常備軍はいつでも武装して出撃する準備を整えていることによってほかの諸国を絶えず戦争の脅威にさらしていると述べています。
 軍隊の再編が必要であり、このところ、国防を第一義務とする軍隊から、災害や消防あるいは環境保護の副次的な機能を持たせるべきだという議論の流れに着目しなければならないと思います。
 また、坂本参考人が、もう一つのプロジェクトとして市民的な平和活動のプロジェクトを提案されたということは大きなサジェスチョンになるのではないかと思いました。とりわけ、紛争の早期警報を察知し、紛争の予防をすること、そして、紛争の段階的緩和から暴力を廃絶していくための平和の外交を我が国は展開する必要があるのではないかと思いました。選挙監視とか難民救援の訓練を行い、救済の技術を持ったもう一つのプロジェクトというものを日本国家が積極的に作り上げていくことこそ、憲法九条と前文の具現化であるということを痛感いたしました。
 私の意見陳述といたします。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 じゃ、舛添要一君。
○舛添要一君 まず第一に、憲法九条の改正については、憲法九条の二項、これを改正すべきであると考えます。
 具体的には、自衛のため及び国際協力のための実力部隊を保持することができると、それを積極的に明言すべきだというふうに思います。
 それから次に、第二点として申し上げたいのは、憲法前文の国際協調主義、平和主義、これを具体的に書いた項目が憲法の中にない。これ自体、憲法前文を、前文を認めるとしても非常に欠陥な憲法であるというふうに思っています。
 つまり、章立てとして国際協力とか国際協調という項目があるべきであって、その中に、具体的に今、各委員がおっしゃったようないろんな、国連におけるPKOを含めて、活動できるということを明言しておくことが憲法自体の構造からいっても必要だというふうに思います。そうでないと、憲法の前文の平和主義に対して、要するに、戦争を放棄しますよという非常に消極的な対応しかなくて、積極的にどういう国際協調主義で日本国民がやるのかという条項が全くない。これは前文の理想にかかわってみても、理想から見ても非常に問題があると思いますから、ここは是非新たな章立てをやって国際協力とか国際協調ということを具体的に明記すべきだと、そういうふうに思います。
 それから三番目に、今日の坂本参考人始め皆さん方おっしゃったように、憲法というのも、信仰の中で出てきているわけじゃなくて、国際的な変化の中で出てきている。戦後半世紀以上たった今日、国際社会も変化しました。これは坂本参考人が四段階に分けておっしゃった。そのとおりでありますけれども、またもう一つ、戦争で灰じんに帰した我が国の昭和二十年八月十五日の姿と、今日、世界第二位のGNPを誇る経済大国になった姿と見ると、国力の大きな変化があります。こういう変化をどういうふうに吸収するかということが憲法上も非常に重要なわけであります。
 片一方で、国際協調ということを考えますと、日本は、G7、サミットの参加国で八大国の一つであります。そして、我々は今、国際連合の安全保障理事会の常任理事国になる、そういう理想を掲げて、これは憲法の理想の実現でもあります。そういうときに、憲法の中に国際協調という項目が全くない。何を基準にして常任理事国になるのか、何を基準として国際的な協力をやるのか、これはやはり明記しておかないと、今のような憲法上の不備というものがあらゆる、この国会における議論をも錯綜させてしまっているわけです。それは集団的自衛権についてもそうでありますし、結局、なし崩し的に、周辺事態法がある、PKO法がある、そしてテロ特措法がある、今回のイラクについて、場合によってはイラクに関する法律を作る。
 しかし、その日本国の法律の根幹にある憲法のどの条文を基にしてそういうことをやるのかということでありますから、私は、この辺りで、憲法の前文の国際協調主義を生かすとすればするほど、新たなるそういう国際協力という項目を作って、そしてできるだけ多くの政党の御賛同をいただいて、消極的に戦争放棄だけで言うんではなくて積極的に我々が国際協調をうたう、そして、できれば安全保障理事会の常任理事国になって核の廃絶とか我々が理想とするそういう社会、国際社会を作るための努力を展開していきたい、そういうふうに考えております。
 以上です。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 ほかに御意見はありませんか。他に御発言もないようですから、本日の意見交換はこの程度といたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時五十分散会

ページトップへ