第156回国会 参議院憲法調査会 第9号


平成十五年七月十六日(水曜日)
   午後一時一分開会
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   委員の異動
 七月十五日
    辞任         補欠選任
     木俣 佳丈君     小川 勝也君
     角田 義一君     福山 哲郎君
     松井 孝治君     榛葉賀津也君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         野沢 太三君
    幹 事
                市川 一朗君
                武見 敬三君
                谷川 秀善君
                若林 正俊君
                堀  利和君
                峰崎 直樹君
                山下 栄一君
                小泉 親司君
                平野 貞夫君
    委 員
                愛知 治郎君
                荒井 正吾君
                景山俊太郎君
                亀井 郁夫君
                近藤  剛君
                桜井  新君
                椎名 一保君
                世耕 弘成君
                常田 享詳君
                中島 啓雄君
                中曽根弘文君
                福島啓史郎君
                舛添 要一君
                松田 岩夫君
                松山 政司君
                江田 五月君
                小川 勝也君
                川橋 幸子君
                榛葉賀津也君
                高橋 千秋君
            ツルネン マルテイ君
                福山 哲郎君
                若林 秀樹君
                山口那津男君
                宮本 岳志君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                松岡滿壽男君
                大脇 雅子君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       桐山 正敏君
   参考人
       元内閣安全保障
       室長       佐々 淳行君
       早稲田大学法学
       部教授      水島 朝穂君
       同志社大学法学
       部助教授     村田 晃嗣君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (平和主義と安全保障
   ―憲法と緊急・非常事態法制)
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○会長(野沢太三君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、「平和主義と安全保障」のうち、「憲法と緊急・非常事態法制」について、元内閣安全保障室長の佐々淳行参考人、早稲田大学法学部教授の水島朝穂参考人及び同志社大学法学部助教授の村田晃嗣参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 忌憚のない御意見を承り、今後の調査に生かしてまいりたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、佐々参考人、水島参考人、村田参考人の順にお一人二十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの御質疑に答えていただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず佐々参考人にお願いいたします。佐々参考人。
○参考人(佐々淳行君) 本日はお招きいただきまして、大変光栄に存じます。
 憲法と緊急事態対処法令というのが私のいただきましたテーマでございまして、二十分間、基本的な問題提起をさせていただき、あと細かい問題は後の質疑応答でできる限りお答えいたしたいと考えております。お手元にチャートみたいなのをお配りしてございますので、それを御参考にしながらお聞きいただきたいと存じます。
 私、昭和二十五年、東京大学法学部、旧制に入学をいたしまして、憲法の先生は宮沢俊義先生でいらっしゃいました。そして、宮沢先生のみがほとんどあのときの憲法そのものでございまして、宮沢俊義学説以外、法制局見解もなければ政府統一見解も国会決議も何にもないという状態で始まった、昭和二十五年の話をいたします。
 その講義を伺っておりまして私、疑問に思いましたのは、憲法第九条、これと憲法第九十八条の二項、九十八条の二項と申しますのは、九十八条というのが、第一項が憲法は最高法規であると書いてございますが、これに反するいかなる法律も政令も閣議決定も効力を有さないと書いてあります。そして第二項が、日本国政府が締結した条約と確立された国際慣行は、誠実にこれを遵守すると書いてあるんですね。
 それで、講義を伺っております間、あのころまだ朝鮮戦争が始まる直前だったと思いますけれども、日本国は当然、マッカーサー、GHQの占領下にございまして、主権国家ではございませんでした。オキュパイド・ジャパンというのが国際社会における名称でございまして、占領下の日本、そして、いわゆる国家非常大権のようなものはマッカーサー元帥が握っておる、こういう状況のときに憲法の講義が行われました。
 私、伺っておりまして、いつかある日、日本が独立をするであろう日が来るだろう、そうして条約を結ぶ日もあるだろう、そうすると、憲法九十八条の一項、憲法、最高機関だよと言っている一項と、国際条約はこれを誠実に遵守するというのがぶつかる日が来るんじゃないかと疑問を持ちました。更に大きく言うと、憲法九条と九十八条の二項、これがぶつかるんじゃないのかなと。手を挙げて質問をいたしました、条約と憲法とどちらが上位なんですかと。そうしたら、君は大変不勉強である、憲法と条約は同格である、というのが今でも明確に覚えている宮沢先生のお答えでございました。
 あのときの抽象論としてはそれでよろしいんでございます。日本は、条約一つも持っておりません、独立主権国家でないんだからね。九条と九十八条二項。国連のメンバーでもございませんでした。だから、これはそれなりに法学部の憲法の答案としては同格であると書けば良かったわけでありますけれども、だんだんだんだん安全保障行政三十五年有余やりまして、その後もやっておりまして、これで五十年たちまして、やっぱり心配していたとおり九条と九十八条二項がぶつかり始めている。
 九十八条の中でも、九十八条二項の結んだ条約、国連憲章という条約、これも国際条約でございますから、これに加盟をしておる国連憲章第四十二条、例えば、国連警察軍による、各国が兵力を出し合って侵略国に対する陸海空、武力による制裁を行うと書いてある。これに対しては、それぞれ挙兵義務を加盟国は負っておると。これと日米安保条約とがまたぶつかってきちゃうと。こういうような、果たせるかな、私の心配しておったような九条対九十八条、これが衝突をし始めておるということが今日の問題点の第一でございます。
 すなわち、憲法は、御承知のように昭和二十二年の五月の三日に制定、公布をされたわけでありますが、その前の年の二十一年の十一月の三日にはもうほとんど完成しておったと。終戦後、一年と二か月ぐらいで国家基本法である憲法ができ上がり、しかもこれが憲法改正手続、九十六条によって、国会の衆議院三分の二、参議院三分の二、更に国民投票の過半数の同意、それが駄目な場合には最寄りの国政選挙において国民投票に代わるものを行うと、こういうことになっておりますね。これが憲法九十七条、改正手続なんでございますけれども。
 国連は、できたときには日本は、国連は御承知、昭和四十五年の六月にでき上がっておるわけですが、我が国は沖縄でもって神風特攻隊の壮絶なる戦争をまだやっておるんですね。だから、六月二十三日に沖縄戦終わりますけれども、当然のことながら日本は国連憲章上、敵性国家という位置付けになりました。敵性国家条項、御存じのとおり、枢軸国、日独伊と、それにブルガリア、ハンガリア、ルーマニア、かわいそうにフィンランド。フィンランドのマンネルハイムがスターリンの侵略に対抗するためにドイツと組んだために、これは敵性国家になったんですね。この七か国の敵性国家というのは、国連憲章上、依然として日本の国際的な地位であると。
 そして、日本は、本来ならば危機管理、非常事態対処法令というものを憲法の下でもってちゃんと順序正しく作りゃよかったのでございますけれども、お手元に「日本の防衛戦略における法令等時系列の混乱」という紙が一枚ございますが、これが言わんとしていることは、憲法が一番最初にできてしまいましたねと、そして二十二年の五月の三日に施行されまして、サンフランシスコ平和条約ができたのが二十六年の九月の八日でございます。この間、五十周年記念やっておりました。そして、二十七年の四月二十八日に施行されて独立国になるわけでございますが、このサンフランシスコ平和条約、これはこの段階でまだ日本は国連に加盟を許されておりません。直ちに国連加盟の申請を岡崎勝男外務大臣の名前で行ったのが二十七年の六月二十三日でございますが、ソ連の拒否を受けて、常任理事国の拒否権行使でもってこれは加盟できなかった。
 そして、国連のメンバーにならないうちに朝鮮戦争等がございまして、自衛力を持たなきゃいけないと。警察予備隊ができて、保安隊になって、そして二十九年の六月九日、防衛庁設置法、自衛隊法ができます。ついでに申し上げますと、もう一つの危機管理法である警察法もこのときに成立をしております。しかし、成立の過程は、乱闘国会、そして単独採決でございます。こういう状況で通った。すなわち、自衛隊法というのが憲法のずうっと後になってできております。そして、国連に加盟をしたのが昭和三十一年の十二月十八日でございます。したがって、時系列が逆立ちをしておると。
 日米安保条約に至っては、昭和三十五年の六月二十三日でございますから、これがいわゆる日米安保条約、この前に、サンフランシスコ平和条約のときに旧安保条約というのができております。これは、言うまでもなく、駐留権だけを認めた、日本防衛義務を負っていないという暫定措置だったわけでありますけれども。この国際条約というのが、九十八条の二項、これを遵守しなきゃいけないという国連の加盟が昭和三十一年であり、安保条約が三十五年であると。そして、自衛隊法は二十九年。
 本来ならば、この独立が回復されたサンフランシスコ平和条約の時点において憲法改正考えなきゃいけなかったんだと私は思っております。
 中曽根康弘元総理、当時青年将校でいらしたはずなので、私は、総理時代に、なぜあの独立回復したときに憲法改正をお考えにならなかったんですかと、青年将校としていかがでしたと。いや、当時はとてもそんなことを言える状況じゃなかった、そして独立回復のうれしさに紛れて、それはまた現実の問題じゃなかったから、みんな余り議論しなかったよと、こうおっしゃっておられました。
 それでは次に、三十一年の十二月十八日、国連加盟が許されたときに、岡崎勝男メモというのをごらんになるとお分かりになりますけれども、バイ・オール・ミーンズで加盟国の義務を果たすと。そういう、岡崎勝男は日本国政府を代表してそれを誓約すると言っているんですね。
 これは、もしもそれを、誓約を実行いたしますと、四十二条で軍事行動を、例えばアフガニスタンに対して行う、イラクに対して行う。典型的なやつがあのイラクの湾岸戦争でございますけれども、このときは常任理事会は、ソ連がゴルバチョフ、賛成でございますかね、トウ小平が棄権。これで初めて、常任理事国五か国の賛成若しくは棄権でもって四十二条制裁というのが初めて行われて、二十八多国籍参加しました。本来ならば、あのときに我が国も九十八条の一項と二項の矛盾というのを解決しておかなきゃいけなかったんだけれども、憲法九条を盾に、資金援助によってのみこれに対処をしたと、こういう経緯があるわけでございます。
 したがって、国連という言葉は憲法の前文から最後まで全部読みましても一文字も出てこない。国連というのは想定外だったんですね、憲法ができたときには。そうして、本来ならば三十一年にきちんと国連を組み入れた憲法改正なり解釈の統一なりしておくべきだったやつを、それも先送りしてしまって、この二十一世紀に入ってから、もう正に九条対九十八条二項、これがバッティングをしておると。九十八条二項の中で、国連優先なのか日米安保優先なのかという、そういう議論まで始まっておると。
 こういう混乱が始まったのは、そもそも、私は昭和二十五年の宮沢俊義解釈から始まっちゃっているのかなと。同格ではないんですね。御承知のように三つございます、この学説は。同格論というのは確かにございます。それから憲法上位論というのが、我が国法制局であるとか、あるいは内閣、これはやっぱり国内法優先という立場に立っておりますので、憲法優先論でございます。外務省は、どちらかというと条約優先論と。だから、同格なのか、条約優先なのか、あるいは憲法優先なのかということをそろそろ決めないといけない。どういう形で決めるかはこれから御審議をいただくということになるんだと思いますけれども。
 そういう大きな矛盾が、国連という言葉が全然ないところから、国際協力を行うに当たって今度は、別表にチャートを付けてございます、国連憲章、一番上に第七章のことが書いてございます。第七章は三十九条から始まっております、四十条からここに書いてありますけれども。三十九条が調停だとか和解だとか、そういう平和解決のための交渉とか調停ですよね。四十条、紛争拡大防止のための暫定措置と書いてございます。この四十条というのがPKOの根拠であるとデクエヤル事務総長は申しましたよね。
 そして、四十一条が非軍事的な制裁。これは、外交制裁、経済制裁、文化制裁、郵便物届けないとか、飛行機行かないとか、こういうのが第四十一条、非軍事制裁でございまして、四十二条が陸海空、武力による軍事制裁でございまして、四十三条は兵力使用の協定でございます。これは、国連事務局長とそれぞれの政府が個別折衝をすると書いてございます。
 そして、兵種といいますかね、どういう貢献の仕方をするか。コンバタントとノンコンバタントとございます。コンバタントというのは戦闘行動です。ノンコンバタントというのは非戦闘行動、これは非軍事的な協力とまた違う概念なんですね。軍事行動の中における非戦闘任務、後方支援だとか医療だとか輸送だとか通信だとか情報だとか、これがノンコンバタントということになっております。これのどれでやるのということを四十三条でそれぞれ個別折衝をすることになっている。日本は、だから湾岸戦争のときには経済援助、軍事費を持ちましょうと百三十億ドル出したわけですね。そういう協力をあの際は選んだと。
 五十一条が個別的、集団的自衛権。こういう国連憲章の条文のうち、武力の行使というのを認めておるのは四十二条と五十一条だけなんであります。この二つ、武力の行使と武器の使用というのを憲法あるいは法律解釈上きちんと分けなきゃいけないんだけれども、今や日本はめちゃくちゃになっておる。湾岸のときも、十二・七ミリ機関銃一丁持っていくのは武器の使用であって、二丁持っていくと武力の行使になるという信じられないような政府見解でもって十二・七ミリを一丁持っていったという、こういう議論なんですね。
 今またイラク特別支援法でもってどうするのという話になっちゃっている。自爆テロで体当たりしてくるやつを六四式小銃で止まりますかと。だから、もう少し火力の大きいものを持っていかないと任務を果たせませんよと。任務を果たせないどころか、犠牲者が出ちゃいますよ、犠牲者の殉職者に対する弔慰金の制度確立していますかというと全然できていないんですから、死なないことを前提に出すわけですね。非戦闘地域なんというのはありゃせぬですけれども、非戦闘地域に出すから殉職者は出ないという楽観的な前提でもって現在の法律は進行しております。もう二十三日には可決されるんでしょうけれども。
 これに対して私は大変懐疑的でありまして、殉職者に対する、倍額払うんだとか五割増しだとか言っているけれども、戦死するのは曹士ですよ。曹士というのは基本給せいぜい三十万か四十万でしょう。それを五割増しやったって四十五万じゃないですか。それから、退職金の倍やると言ったって、退職金、三年ぐらいしか勤務していないんだからもうせいぜい二百万か三百万でしょう。そうじゃなくて、何千万という、警察官に準じた、総理の弔慰金も加味したものを決める。現在のところ、総理の弔慰金、警察官、消防官には出ますけれども、自衛官には出ません。これを何とかきちんとしてから出さないといけないと私は思っておりますが、いずれにせよ、武器の使用というのは武力の行使でない、警察活動であると、こういうことを一応解釈上きちんとする必要があるんじゃないかなと思っております。
 そこで、憲法が何を受けているかというと、五十一条を受けたのが憲法九条と解されます。これは、個別的自衛権、戦争は放棄する、侵略戦争はやらない、集団自衛権はやらない、だけれども個別的な自衛権だけは行使しますという芦田解釈その他によってこれが現在の防衛政策として確定をしておりますね。そして、集団自衛権はこれを行使しないと。
 自衛隊法にこれが下りております。自衛隊法第三条の任務、直接、間接の侵略に対処するということと、必要に応じ公共の秩序維持のために武器の使用をいたします、これが治安出動と海上警備行動と領空侵犯、これであることは後で御質問があれば詳しく説明します。そして七十六条で防衛出動、これは総理が下令をいたしまして、八十八条で武力の行使が許されます。
 武力の行使と武器の使用はどこが違うかというと、刑事責任ありません。武力の行使は国家の主権行為でありますので、国家が責任を負うということでもって、個人の責任を問う刑法は適用になりません。そういう意味で、物を破壊しても器物毀棄罪にならない、敵兵を殺傷しても殺人にならないというのが武力の行使でありまして、武器の使用の場合は警察官職務執行法の基本に準じて過剰防衛だとかなんとかがあると刑事責任が、警察官が負わなきゃいけない。それが武器の使用と武力の行使の最大の違いでございます。
 そこで、自衛隊法第三条はこの五十一条から来た任務は受けておるんですね。そして、これ以外の、九十八条二項、国際連合の警察活動に伴う武器の使用に関する、これを受皿となっている条文は自衛隊法にもどこにもございません。だから、しようがないから何始めたかというと、国際緊急援助隊法から始まりますPKO法、周辺事態法、テロ特措法、そして武力攻撃事態対処法、今日審議しているイラク支援法と、こういう時限立法、しかも特別法で基本法をいじることなく次々と作ってきちゃったと、こういうやり方。これでまた北朝鮮対策法というのをお作りになる気なんですか、北朝鮮で事態が起これば。
 これは、そういう問題が起こるたびに特別法を作っていくというやり方はそろそろ限界でございます。対決法案であった時代、これは確かに妥協の産物でたくさんへんてこりんな法律ができました。だけれども、先般の有事法制で九〇%の国会議員が賛成をしたと。こういうふうに大きく、ナイン・イレブンあるいは北朝鮮、ノドン、核開発の問題でもって大きく政治・軍事情勢が変わっているわけでありますから、この機会にやはりこの国家基本法というものを考え直す必要があるんではないかなと。
 そして、内閣総理大臣の権限というもの、これもう一度考え直す必要があるんではないかなと。非常大権を現在の憲法はだれにも与えておりません。内閣総理大臣にも非常大権ございません。憲法上は六十六条から六十八条ぐらいで行政のトップであると書いてございますけれども、昭和二十二年法律第五号、これはマッカーサー時代に作った内閣法、これの四条、六条、これをごらんいただきますと、最高の行政の意思決定機関は合議体であるところの閣議であると。そうして、閣議は、六十八条、連帯責任論でもって、法制局の有権解釈だと、一人閣僚が反対をすると成立をしないと、こういう体制になっております。
 したがって、この憲法と緊急事態法を考えるには幾つかの道があると思います。それこそ憲法改正、九条を改正するという、一番これ声高にこのごろ起こってきた議論、昔からある議論でございます。二番目は、明治憲法を新憲法で廃止してしまった最後の条文、明治憲法はこれを廃止するという形で新憲法を制定するという考え方がございましょう。三番目は、憲法はそのままにしておいて、その下の内閣法を変えることによって非常事態対処権限を民主的集中ということで、ある時間、ある条件を限って内閣総理大臣に与えるという、これは国家安全保障基本法とか危機管理基本法とかいろんな言い方を私しておりますけれども、これで対処するか。
 提出してございます資料の中に、私は、憲法改正をあきらめてしまって国家危機管理法でいこうという幾つかの論文かがその中に入っております。こんな膨大な資料の中に、見ましたら私のも入っていて、これを全部読んでから出席せよという御指示だったんですけれども、自分のだけ読んで出てきたんですけれども、その中に提案をしておるそういう第三の選択肢もあると。
 こういうことで、今日の大きな問題点、まだまだございます。八十九条の、靖国神社に公的資金出しちゃいけないというのは分かりますよ。だけれども、どうして慈善、教育、博愛の、公的資金を投入しちゃいけないとこう言っておきながら、私学助成法というので三千五百億円も出しておる。これは違憲・合法なんですよ。赤十字社というのはベネボレンスでしょう。ベネボレンスには補助金出しちゃいけないんだけれども、赤十字社設置法で出していますでしょう。そして、その肝心なNGOだけ国費出しちゃいけないということになっていて、NPO法でカバーしたんだけれども、大蔵省が頑張っちゃって免税しませんからね、お金集まらりゃしないです。ですから、このNPOに対してODAの一%でも割いて、その奉仕の精神と時間と体は若者たちに、あるいはボランティアたちに提供してもらって、お金は国が持つと、こういう体制を憲法八十九条の改正によってやらないといけないんではないかなと。
 二十九条も大問題でございます。公的社会福祉のためには、公的な公共の福祉のために私権を制限することができる、ただし補償せよと書いてございますが、これが空文になっておることが、成田空港の第二滑走路ができないという現状、これでお分かりだと思います。
 幾つかの問題ございますけれども、また後の討議の機会に意見を開陳させていただきたいと思いますが、基本的には、国連という規定が憲法に全くない憲法である、それから非常事態対処の大権、非常大権をだれも持っていない憲法である、この二つの点を指摘して終わりたいと思います。
 御清聴ありがとうございました。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次に、水島参考人にお願いいたします。水島参考人。
○参考人(水島朝穂君) お手元に資料がございまして、私の資料は十八ページからでございます。それと、事務局からの指定どおり、A4一枚に私の話の筋をまとめてございますので、それに即してお話し申し上げます。
 本調査会において参考人として発言するに当たり、冒頭に一言申し上げます。
 国会法百二条の六で、「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行う」という立場に立つのであれば、憲法九条の規範とそれに反する憲法現実との矛盾を安易な規範変更によって解決するのではなくて、長期的な視野に立って、違憲の憲法現実を違憲でない方向に近づける地道な努力をしてこそ、これは真の現実主義ではないか、こう私は考えておりまして、日本国憲法前文、九条の積極的な平和主義を高く評価する私の立場からすれば、軍を含む執行権力に例外的な権力集中を図る緊急事態法制、あるいは憲法そのものに緊急権条項を導入する一切の試みに対して基本的に批判的な姿勢を取っております。こうした立場から、私は与えられた課題について意見を述べたいと思います。
 このテーマは、講学上、大学の授業では国家緊急権の問題として論じます。国家緊急権は、執行権に一時的に権力を集中する権能を意味します。それは裸の権力行使を正当化される専制国家や独裁国家では問題になりません。立憲主義を取る国においてこそ実益を持ちます。一般論ですけれども、立憲主義の秩序の中で緊急事態と向き合う仕組みをどのようにデッサンするか、これは立憲主義を取る国においては非常に重要なテーマと言うことができます。
 緊急事態は、戦争や外部からの武力攻撃を典型的なものとする対外的緊急事態と、大規模災害、内乱、ゼネストなどの国内内乱を内容とする対内的緊急事態とに二分する方法や、時には大規模災害を独立させる三分類法などがあります。ただ、緊急権は、それがいったん憲法秩序にビルトインされますと、常に濫用の危険を伴い、立憲秩序そのものを傷付け、時には葬りかねない劇薬としての性格を持つことは、各国の、あるいは歴史上様々な局面における実例が示すところであります。
 講学上、憲法的な緊急権、制度的な緊急権と超憲法的な緊急権、不文の国家緊急権とを区別する場合がありますが、ここ国会の場では、私は、いわゆる憲法の定めがなくても例外権能の行使を正当化する不文の緊急権の議論には立ち入る必要はないと考えております。
 そこで、日本国憲法はこのような国家緊急権とどう向き合ったか。端的に言えば、日本国憲法は緊急権について、あるいは緊急事態について何も書いていません。端的に言えば、緊急権に対して沈黙をしています。そのことの意味を、憲法の欠缺、欠けていること、あるいは不備というのではなくして、日本国憲法が大日本帝国憲法とその運用実例に対する歴史的反省の上に立って制定されたことを忘れてはならないと考えております。
 御承知のとおり、帝国憲法の緊急権システムは、緊急命令権八条、戒厳宣告権十四条、天皇非常大権三十一条、緊急財政処分七十条という形で憲法上の明文規定を持ち、立法レベルでも包括的な緊急システムを持っていました。それが危機の克服に役に立ったどころか、新たな危機を作り出す装置として機能し、戦争への道を進んだことは歴史の示すところであります。このような帝国憲法の歴史的経験は、間違いなく日本国憲法が緊急権に対してネガティブな姿勢を取るに至った背景にあると考えております。
 欠缺ないし不備かという点でいえば、このような不備というふうな考え方を取るのではなくして、私は、日本国憲法が緊急権に沈黙している意味は、憲法前文及び九条の徹底した平和主義との関係抜きには理解できないだろうと思っております。
 つまり、軍事的手段を対外関係において選択しないことを明示した九条の下では、対外的緊急事態に対して軍事的な手段を含む包括的な権能を国に与える仕組みは想定されていないだけでなく、積極的に否定されていると解せます。憲法七十六条二項の特別裁判所の禁止、これは軍法会議の禁止、十八条の意に反する苦役の禁止、当然、徴兵制その他の役務義務の禁止は、対外的緊急事態の様々なバリエーションの仕組みの否定に連動いたします。
 このような日本の仕組みというのは、では、各国には様々な緊急権の仕組みがあるではないか、日本だけが異常ではないかと指摘がございます。
 私は、お手元の事務局が整理してくれた大変詳しい各国条文にメンションすることはいたしませんが、ただ、戦争と大規模災害を一律に対応して包括的な権能を与えた場合も、どのようなマイナス効果を生んできたかということについて各国それぞれ歴史的段階において多くの教訓を積み重ねてきました。各国がどのような緊急権システムを取るかは、それぞれの国の歴史的背景を無視できません。条文だけを並べて日本も同様のものを新たに導入しようというのは、言わば条文フェティシズムとも言うべき姿勢であり、緊急権濫用の歴史と現実を見据えた主体的な姿勢を欠くものと言わざるを得ません。
 世界的に見れば、冷戦崩壊後、緊急権の規定を見直し、憲法から除く動きさえあります。例えば、フランス第五共和制憲法十六条は大変広範な大統領の非常措置権を認めていますけれども、御承知のとおり、六一年のアルジェリア危機の際に濫用されました。ドゴール大統領は、内乱が終息した後、五か月も非常権限を解除しませんでした。八六年、ミッテラン大統領はこの十六条の見直しの検討をしようとしたことがありました。
 私は、専門がドイツの憲法ですので、ドイツに即して考えると同時に、最近、韓国の学者との共同研究の成果を踏まえて、韓国の緊急権の問題についても触れたいと思います。
 十九世紀、ドイツにおける国家緊急権の歴史は、その制限の試みと濫用の交錯によって特徴付けられると著名なドイツ法学者が言いました。ドイツは、御承知のワイマール憲法の教訓が重要であります。大統領の非常措置権、これを言わば、一番の問題は、緊急事態の認定権と緊急事態の執行権が同一の機関に集中した場合、言わばそれをチェックすることができないということであります。もちろん、ワイマール憲法四十八条五項にはそれを統制する法律が想定されていました。しかし、それはついに制定されませんでした。のみならず、ワイマール憲法四十八条二項には、集会の自由など七つの基本権の停止条項がありました。そして、最高では一九三二年に六十件の緊急命令が乱発されて、最終的にはこのワイマール憲法は自己自らの弱点によって崩壊していったのであります。これは緊急権システムの重要な失敗例であります。
 このようなワイマール憲法の教訓から、一九四九年のドイツ連邦共和国基本法は、軍及び緊急事態に関する規定を一切持っておりませんでした。先ほどのお話にあった日本と同様、ドイツも占領下、しかも三か国占領軍の下で、大変細かい条文上のあれこれの指示まで受けながらアデナウアーはドイツ基本法を作っていきました。その過程でも、この軍に関する規定は当初は置いておりませんでした。その背景には、ヘレンキムゼー草案と呼ばれるドイツ基本法の最初の草案にあったワイマール憲法のような緊急権規定を削除したことにも表れるように、その憲法の立ち上がりにおいて緊急権に対するネガティブな評価が基礎にあったことは明らかであります。
 ドイツが緊急事態に対する包括的な規定を導入するのは、制定から十九年たつ一九六八年、第十七回目の憲法改正であります。この基本法改正によって、私の計算するところ、約三分の一の憲法の条文に緊急事態の影響が及びました。そして、そのような緊急事態法を称して緊急事態憲法という場合があります。そして、日本の論者たちも、日本の憲法を改正しようという人々も、この緊急事態法、ドイツの緊急事態法をモデルにしながら、それを言わば導入する根拠に使ってきました。
 しかし、私は、九九年にあるドイツの左派、社会民主党系の論客が、当時、これに対する徹底した批判の立場に立った論陣を張った人物が、それから三十年たって、実はこれは我々の勝利だったんだということを学会で報告した記事をお手元の論文で紹介をいたしました。この「世界の「有事法制」を診る」という論文で紹介したこのドイツの言わば緊急事態法制反対の論客は、言わば緊急事態法というものが通過し、憲法は改正されたけれども、そこにこのシステムが濫用されず動かないようにする様々な安全装置を言わばビルトインしていったんだということを述べたわけであります。
 日本と違って、ドイツの場合、大変野党が重要な役回りをいたします。つまり、基本法の──失礼いたしました。これは今のコンテクストで言いますと、憲法の改正に当たって言わばそれぞれ、言わば三分の二を取りませんとですね、そういう意味です。三分の二を取りませんと基本法の改正ができませんので、必ず最も対抗的な野党の言い分を聞かなくてはいけません。したがって、社会民主党の言い分をキリスト教民主同盟はたくさん聞かなきゃいけなかったわけであります。そして、最終的に大連立政権となって、圧倒的多数の政権の下でこの緊急事態憲法が作られました。
 ところが、この三十年後のこの学者の告白によれば、そのプロセスで、そこに、お手元に書いたような三つの安全装置を巧みに組み込んでいきました。
 一つは、ワイマール憲法がやったように、緊急事態の認定と判定を同じ人物、すなわち総理大臣に置かないように、ぎりぎりまで議会に緊急事態の認定権を留保したのであります。そして、もしもソビエトのミサイルが飛んできたら議会なんか一々集まっていられぬだろうというのに対して、あらかじめ連邦議会から三十二人、参議院から十六人の四十八人をポケベルを持たせて選んでおいて、君、ボンの近くにいてねということにしておいて、補助員まで付けておいて、そして、アールワインというワイン通で有名な赤ワインの里、バートノイエンアールというブドウ畑の下に地下六十メートルの核シェルターがありまして、そこに集まって、議会が認定をして、緊急事態を認定するわけです。つまり、その四十八人で議会認定とみなすということをこの憲法に組み込みました。
 お手元の資料の三十四ページにある写真は、私が、この核シェルターが廃棄される直前、この中に政府の許可を得て入って撮ってきた写真でございまして、この核シェルターは三千人が、政府関係者が入ることのできる機関ですけれども、今は使われておりません。ある政府機関研究者にベルリンにも作ったんですかと言ったら、にやりと笑って、もう必要はないだろうと言っておりましたので、今、ドイツは核シェルターをベルリンの議会の地下には持っていないと思います。
 いずれにいたしましても、冷戦崩壊後、非常に大きな変化が起こってまいりました。
 二つ目の大きな安全装置は、防衛事態と差し迫った緊迫事態においても、市民に何らかの義務を課す場合、それは連邦議会の投票の三分の二を要求したことであります。つまり、憲法改正に匹敵するような三分の二というのを常に議会に与えたこと、これが執行権の暴走を困難にしたというふうに評価されております。
 そして三つ目の安全装置が、当然、社会民主党の主張を反映して、労働者のストライキ権やゼネストなどは緊急事態にカウントしないんだ、つまり対内的緊急事態という概念を草案から除いたことであります。現に、八十七a条四項という規定がありますけれども、これはかなり限定化されたものであります。
 つまり、まとめて言えば、ドイツの場合、緊急事態憲法を作るに当たって、大変鋭い緊張関係の中で、緊急事態においても議会の権限を最後まで留保した工夫と、その言わば努力が見られるのであります。
 同様に、韓国の憲法はどうでしょうか。
 韓国の場合、四八年の憲法制定から八七年の憲法まで、ある韓国の学者によれば緊急権濫用の歴史と言われております。
 とりわけ、八〇年十月以降、言わば非常措置権が、戒厳が濫用されて、議会以外の国家再建最高会議が二年七か月で千十五件も法律を制定するという言わば非常事態の日常化が現出しました。最終的に、一九八七年の憲法は非常に限定された、制限された言わば緊急権しか持たないことになりました。そして、かつて持っていたような、言わば国家の安全に脅威を受けるおそれであるとかあるいは交戦状態に準ずる非常事態といった文言をすべて削除し、非常にシンプルな緊急権発動要件にいたしました。
 私は、この間、韓国の若い憲法学者、三八六世代と呼ばれる若い憲法学者と、韓国と日本の緊急事態法と治安法制の共同研究を、文部科学省からお金をもらいまして共同研究をしてまいりました。そしてその結果、韓国側の若い研究学者たちが、権威主義的体制の韓国の下で憲法に緊急権を入れたことによってどれだけ濫用されたかということについて鋭い指摘をしてまいりました。そして、言わば条文上あるいは何らかの形で緊急権を条文に入れた方がチェックしやすいんだという議論に対しては、韓国の若い学者は、それは全くの楽観主義である、様々な制度や裁判制度や、そういうもののチェックシステムがきちっとできない限り、そして国会の統制がきちっとできない限り、憲法に緊急権の条文を入れたとしても、それは濫用されない保証はないんだということを韓国の学者が言いました。
 そして、武力攻撃事態法案などの制定過程を韓国の学者に見させると、あれは余りにも楽観的であると。例えば、三条四項だったと記憶しておりますが、基本的人権の保障を例えば二重にわたって尊重尊重、特にこれも尊重という人権尊重をうたった場合、これこそ楽観主義の極致であって、そのことが言わばこの武力事態攻撃法案の致命的な弱点を治癒するものでないということについては、私と韓国の学者はその点では見事に一致しました。
 もちろん、韓国の学者は軍隊を必要とする立場ですから、憲法九条の評価では対立します。しかし、憲法を日本が改正して緊急権を入れるのにどうだと聞いたとき、彼らは全員一致で反対をいたします。つまり、日本にそれをチェックする能力があるのかというのが彼らの意見であります。
 私は、濫用された歴史へのまなざし、緊急権がどのように歴史的に濫用されたかということについて韓国の学者が書いた、私の本に収めてくれた宋教授の論文をそこに収めてございます。是非ごらんいただきたいと思います。
 日本の緊急権の論議に求められているものについて入ります。
 私は、先ほども議論があったように、様々な緊張がこのアジア周辺にあることは否定いたしません。しかし現在、単独行動主義に走る特定の大国との軍事的協力関係を過度に重視して、戦後日本の歴代政府の憲法解釈からいっても到底正当化できないような、他国の領域内における我が国武装組織の武力行使を行うおそれすらある法案が現在本院でも議論されているとき、私は是非とも軸足をアジアに置いて、アジア諸国との関係においてとりわけ安全保障の問題を言わば軍事一極的な形で処理することにならないように、特に参議院の見識を求めるものであります。
 とりわけ、憲法は国の顔であります。このような緊急権の条項を憲法に入れた場合、それが念のため、備えあればというレベルであっても、それがアジア諸国や対外的に過去の歴史を引きずる諸国に対しどのようなメッセージを発するかは明らかであります。私は、緊急権条項を入れることの付随的効果をそのように考えるだけでなく、現在のシステムの下における様々な問題についても、この際指摘をしたいと思います。
 お手元のレジュメにある幾つかの論点についてはこれ以上立ち入れませんが、とりわけ大災害といわゆる武力攻撃事態のような戦争事態とを区別する視点が重要であります。緊急事態というものを一般的に否定する人間はいません。どのような緊急事態の内容に対し、どのように対処することが最も効果的であるかということについて、憲法は沈黙しているのではなくて特定の方向を遮断していると私は考えています。その特定の方向とは、言わば軍事力を用いた危機克服であります。
 したがって、軍事力を用いないあらゆる可能性を憲法は危機克服の一つの方向として示唆していると考えています。その方向に立法府が、立法やあるいは自治体との協力、あるいは市民の協力の中でそういった対応を作っていくべきであって、阪神大震災後、例えば緊急消防援助隊など自治体レベルにおける様々な工夫や自治体レベルの努力などから、様々な言わば地震に対する向き合い方があの以前に比べれば大きく前進したことは明らかです。
 もちろん、十分とは言いません。しかし、憲法に災害対処と戦争と内乱のようなものを一緒くたにした緊急事態条項を持ったからといって、それを運用する政府がそれを的確に運用できる保証はありません。
 とりわけ、韓国とドイツの場合、憲法裁判所を持っております。憲法裁判所は緊急事態でも機能することは、それぞれ憲法に明記されております。とりわけ韓国憲法裁判所が九六年に出した判決は、緊急事態においてもこれは統治行為にならない、国民の人権が問題になったときは審査できるという判例がございます。つまり、韓国とドイツの場合でいえば、そういう形の司法救済の道が残されています。日本にはそれが期待できるか、甚だ私は悲観的でございます。
 それともう一つ。国際人権規約やヨーロッパ人権条約には、緊急事態におけるいわゆるデロゲーション条項と呼ばれる例外条項があります。しかし、このことを指摘して、日本も当然のように緊急事態法の問題では作るべきだという議論にはなりません。これは、ヨーロッパ人権裁判所やそういった、今、ドイツやあるいは韓国と同様に、司法的救済の道と一体になっているからこそそういった言わばチェックの可能性があるわけであります。日本の場合、そのようなチェックシステムとともに、そういったセットの議論がなされているかどうかという点については、甚だ疑問とせざるを得ません。
 最後に、憲法に緊急事態条項を安易に設けるべきではないというのが私の差し当たりの結論でございますけれども、しかし予想し得る事態を、どういうふうに向き合うかということに対しては幾つかの方法があります。
 例えば、予測し得る事態を全部憲法に書き込むこと、包括的な緊急事態憲法を作る道もあります。しかし、これはだれも考え付かない、実際不可能な道であります。他方、権力が濫用されないために憲法に緊急事態条項を導入して、それによってチェックすべきだという、先ほど指摘した点があります。これは一理あります。
 しかし、逆に問いたいのは、このような緊急事態条項を持つ国々が、それぞれの悩ましい体験に基づいてそれぞれの見直しや、場合によっては限定化の道を検討していること。とりわけ、韓国のそのような若い世代の憲法学者などの議論に耳を傾けて、言わばどこの国でもあるから日本もという議論はそろそろ卒業すべきではないかというのが私の意見であります。
 今、憲法改正の問題として登場している様々な議論、大規模テロや内乱事態にどう対応するかという議論にこの問題を故意に引き付けるよりは、第二院としての参議院がより高い見識を発揮して、憲法九条を持つ日本が、なぜこのタイミング、この時点において、今、世界から見られているような武力行使を海外において行う方向に踏み出そうとするのか、その点に対し是非慎重なる見識を発揮していただきたい。
 とりわけ参議院は、第二院として言わばそういった議論に対してより長期的な視野から議論をする、そういう院として期待されております。本調査会は、とりわけ参議院としての第二院の存在意義とその誇りに懸けて、そうした方向について慎重の上にも慎重な御議論をいただくことを最後に期待して、私の発言を終わります。
 ありがとうございました。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次に、村田参考人にお願いいたします。村田参考人。
○参考人(村田晃嗣君) ありがとうございます。
 本日は、お招きいただきまして光栄に存じます。
 本日のテーマは緊急事態法制ということでございますが、今般、国会で有事関連三法が既に成立をしておりますが、ここでおっしゃる緊急事態法制というのは有事法制よりも広い概念であろうというふうに存じますが、それでも、今般、有事三法案が既に成立をしたということは私は大変結構なことではないかというふうに存じます。
 もちろん、有事関連法につきましては、国民保護法制、国民の基本的人権を含む問題などがまだ未解決のまま残っておりますから、そうした問題が今後どのようにクリアされるのかという今後の課題というものが非常に大きいかと思いますけれども、しかし、日本を取り巻く国際環境、とりわけ朝鮮半島の緊張の高まりということを考えますと、今国会でも日本が有事法制を成立できなかったということになれば、実際はできたから結構なわけですが、できなかったということになれば、それが対外的にどういう外交的メッセージとして伝わるかということを考えますと、今国会で有事法制が与野党の多数の賛成で成立したことは、日本の対外的なメッセージとして私は大いに意味のあったことじゃないかというふうに思うわけであります。
 さらに、今般の有事法制ももちろん百点満点のものではございませんけれども、しかし、それまでは武力攻撃の事態については、せいぜい自衛隊法の八十八条で、事態に対して合理的な範囲で対処するという極めて漠然とした規定しかなかったことを考えますと、今般の有事法制が整備されたということは大変大きな進歩ではないかというふうに思っているわけであります。
 例えば、安全保障や法律に百点満点ということはございません。したがって、完璧主義に陥ると私ども過ちを犯すと思いますけれども、日米防衛協力のための指針、いわゆるガイドラインのときにも、最初にガイドラインが作られました一九七八年には、これは専ら日本有事の研究しかできなかったわけでして、広い意味での極東有事の研究には全く着手できなかったわけであります。
 そういう意味では本来のミッションを果たすものではなかったですけれども、しかし、七八年にガイドラインができ、その後の日米の防衛協力が進んだということが、九七年に周辺事態を含めたより包括的なガイドラインの改正につながる大きな前提を整備していたわけでありまして、有事法制も今のものが完璧でないから無意味だということにはならず、これは必要に応じて更にいいものに改正をしていけばよいわけですから、そういう大きなグラウンドができたというふうにまず考えるべきではなかろうかというふうに私は考えております。
 それから、既に佐々参考人のお話あるいは資料の中にも出てまいりましたけれども、私は、有事とか、あるいはより広い意味での緊急事態の政府の意思決定、迅速性、それから正当性を確保するという意味で、総理大臣の職務権限の代行といいますか、あるいは指揮権というのかもしれませんけれども、順位というものをより明確に法的に定める必要があるというふうに存じております。
 これは内閣法の問題かもしれませんし、あるいは国家行政組織法の問題かもしれませんけれども、今のところは各内閣が成立したところで総理の職務代行権というものがその都度定められているように存じますが、例えばアメリカの場合でしたら、御承知のとおり、大統領、副大統領、そして下院議長以下、大統領の職務の代行権限の順番が非常に緻密に決まっているわけでありますし、大統領が一般教書演説で連邦議会を訪れるようなときには、大統領の職務権限の継承者の一人が必ず場を外すというような配慮までされているわけであります。そういう意味で、この総理大臣の、自衛隊の最高指揮者である総理の職務権限の代行について法的な整備を進める必要があるのではないかというふうに私は存じております。
 今般の武力攻撃事態対処法でも、有事に際して対策本部が作られて、総理が本部長におなりになって、閣僚がすべてメンバーになり、総理以外の閣僚一人が副本部長になるということまでは定められております。恐らく、私が想像するところでは、総理が本部長になられた場合、副本部長は内閣官房長官がおなりになる可能性が非常に高いと思いますけれども、しかしながら、内閣官房長官というのは、例えば有事というのは想定できないことが起こるような事態なわけですから、首相官邸が攻撃を受けたとか、あるいはこの国会議事堂が攻撃を受けたというような場合、総理大臣と一緒に死んでいる可能性の一番高い閣僚が内閣官房長官でありまして、そういう意味では総理と内閣官房長官だけというのでは不十分であって、総理の権限の継承というものを更に緻密に検討する必要があるのではないかというふうに存じております。
 その点で申しますと、これは実は私、先般有事法制の特別委員会で本院の福井の公聴会にお招きいただきまして、そのときにも申し上げたことなのですけれども、私、甚だ残念に思いますのは、先生方がいらっしゃる国会議員の議員会館の入口に金属探知器が設置されたのが九・一一のテロの後だというふうに私は聞き及んでおりまして、これは甚だ危機意識に欠けることではないかというふうに思っているわけであります。
 別に国会議員の生命が我々一般国民より大事というのではなくて、国会議員は国民の信託を受けて政治を全うする責任があるのであって、その国会議員のいる議員会館に金属探知器が他国であのような大規模テロが起こるまで置かれていなかったというのは、これは国会議員の怠慢と私は言わざるを得ないと思います。
 そのように私、その福井の公聴会のときに申し上げましたところ、そこに御出席のある委員の先生方から驚くべきことを伺いまして、金属探知器は置かれたけれども、今でも国会議員と秘書は通らなくてよいと。それでは金属探知器が置かれた意味はこれは全くないのでありまして、しかも、私、お招きいただきながらこのようなことを申し上げるのは甚だ恐縮でございますが、本日、私は参考人としてここまでやってくるまでにも金属探知器を通る必要はございませんでした。ちょっとした東京の都心の高層ビルのオフィス街に行こうと思ったら、入口で金属探知器を通らないと行けないというようなことは多々あるわけでありまして、高層ビルのオフィス街、オフィスのところへ行く方が国会議事堂の中に入るより警備が厳重だということでは、これは全く本末転倒と言わざるを得ないのであって、そもそも国会議員の危機意識というものについてかなり見直していただかなければならないのではないかということを私はあえて申し上げたいというふうに存じます。
 それから、これも有事法制の話の中で出てまいりまして、そして緊急事態とも関連するかと思いますけれども、民主党の御提案で、危機管理庁の設置というものについて検討するということが有事法制に盛り込まれております。
 私は、この危機管理庁を設置するということについて何ら原理的にこれに反対するものではないのですけれども、恐らくこれはアメリカのあのFEMAと言われる組織、緊急事態管理庁というのでしょうか、連邦緊急事態管理庁というのでしょうか、FEMAをモデルにしてお考えになっているのではないかというふうに思うのですけれども、アメリカの場合は、アメリカ合衆国軍が基本的には外に出て戦う外征部隊であるということを前提にして、連邦制を取るアメリカでFEMAのような組織がある。我が国の場合は、自衛隊は全く逆でございまして、外に出て戦うことは想定されず、国民の間でも自衛隊に対する信頼感が一番高いのは国内での大規模災害等々での自衛隊の活動ということであって、アメリカとはそういう意味で随分前提が違う。
 そういう中で、アメリカのFEMAのようなものを模倣して危機管理庁というものを作ることが果たしてこの危機管理体制の前進に役に立つかということは、制度論を超えて具体的、慎重に御検討いただく必要があるのではないかと思うんです。防衛庁があり、警察があり、その他様々な中央官庁がある。さらには地方自治体がある。これが有事なり緊急事態のときに有機的に協力をしていくと、これは大変大事なことですけれども、危機管理庁のような組織を作ることは、もしかしたら、防衛庁と警察庁とその他の中央官庁にプラスアルファ、屋上屋を架して、更に官僚的な縄張争いを激化させるだけになるかもしれない。
 問題は、制度ではなくて、日本の政治文化であり官僚文化の問題ではないかというふうに私は思っておりまして、危機管理庁を作ることは反対というわけではありませんけれども、もしお作りになるとするならば、単なる制度論にとどまらない踏み込んだ議論を是非していただきたいというふうに存じております。
 この調査会での大きなテーマは「平和主義と安全保障」ということだそうでございますから、もう少し広く安全保障の問題について若干私見を申し述べさせていただきますけれども、冷戦が終わりましてから日本は、それも今日、佐々参考人が大変緻密な資料を御用意くださっておりますが、冷戦後にも我が国は多くの安全保障関係の法律を制定してまいりました。九二年のPKO法、それから周辺事態法、さらにはテロ対策特別措置法、そして先般の有事法制と、次々にそれまでであれば考えられないような重要な立法がこの十年ほどの間に成立してきたわけであります。
 私は、それは大変大きな進歩、前進であるというふうに思っておりますけれども、残念ながらそうした立法はその都度の国際環境の必要性に迫られて、極めて短期間に、限定的な目的で個別の立法が積み重ねられていったという傾向があるのではないかというふうに思うわけです。したがいまして、憲法との整合性の問題というような大きな問題については、問題を回避するような形になっているところがなくはない。それは、このイラク特別支援法案ですか、今御審議になっている法案についても、非戦闘地域なのか戦闘地域なのか、戦闘地域なら武力行使と一体化でできないというような話や、PKOの武器使用基準の問題というような根本問題はその都度手を付けないままといいますか、後回しにしながら、その時々の必要性に応じて重要な立法を重ねてきた。
 もちろん、国際政治においてタイミングというのは極めて重要でありますから、タイムリーに法律を作るということは大事でありますけれども、冷戦終えん以来十年以上たって、今、やはり日本は広い意味での日本の安全保障をどう考えるのかというグランドピクチャーをといいますか、大きな戦略的枠組みを明示すべきではないかと。個別の立法でその都度対応するというのではなくて、憲法とそうした個別の立法をつなぐ安全保障基本法というような、我が国の安全保障政策の全体像を示す立法を考案する、そういう必要性があるのではないかというふうに私は思っております。
 そして、憲法の中で大変問題になります集団的自衛権の行使の問題につきましても、私は政府の現在の解釈に反対でございまして、集団的自衛権を保持しているけれども行使できないというのは、少なくとも私には納得のできない議論でありますけれども、この集団的自衛権の内閣法制局の解釈を国会はどうお考えになるのか、国権の最高機関である国会はどうお考えになるのかということを、例えば安全保障基本法のような法律をお作りになって、その一項目の中で国権の最高機関としての権威ある解釈をお示しになるということも私は一つの方途ではないか。少なくとも、内閣法制局というような一官僚機関に憲法の解釈をゆだねるのでなくて、国会自身が九条の集団的自衛権の行使の問題についての御見解をお示しになるというようなことがもし可能であれば、今後の安全保障に関する立法がよりスムーズに、あるいは整合的にできてくるのではないかというふうに私は思っているわけであります。
 もちろん、憲法にいたしましても、あるいは法律にいたしましても、制度にいたしましても、繰り返しますが、一〇〇%ということは存在いたしません。したがいまして、水島参考人が御指摘になりましたように、権力の濫用という問題は常に潜在的にあるわけであります。しかし、他方で、法整備ができていなかったり制度ができていなかったときの不備といいますか、そのときの被害、マイナス面というのがあるのであって、問題は、それをてんびんに掛けたときにどちらが深刻な問題であるかということをバランスよく検討していくことであろうというふうに考えております。
 九・一一のテロ以降、あるいはイラク戦争以降明らかになったこと、国際政治上、日本の安全保障と密接にかかわり、明らかになったことについて若干お話し申し上げたいと思いますが。
 一つは、私、やはりアメリカの力の優越というものが極めて明瞭になったと。事軍事力に関して言うならば、世界の軍事費の四〇%をアメリカ一国が支出している事態であり、軍事技術については、もうこれは他の追随を許さない圧倒的な優越をアメリカが今持っているという中で、確かに日米同盟も過去において非常に難しい問題を抱えてまいりましたが、実は日本だけではなくて、アメリカと韓国、あるいはアメリカとヨーロッパといった世界じゅうのアメリカの同盟国がこの巨大な軍事大国との同盟関係をどう維持していくのかという問題で悩んでいるのであって、日米同盟の課題や困難というのは実は私どもだけの固有の問題ではなくて、今の国際政治の普遍的な問題であると。この日米同盟とどう向き合っていくのかというのが、今後ますます難しい、そして重要な問題になるだろうというふうに存じております。
 さらに、国連についてでございますけれども、今回のイラク戦争をめぐって国連が、一部にはあたかも、国連かあるいはアメリカかというような短絡的な議論がなされましたが、そもそも国連かアメリカかという選択肢はあり得ないのであって、アメリカが国連の安保理常任理事国である以上、アメリカの意向に全く反した国連安保理決議は通らないのであって、今回のケースでも、国連かアメリカかではなくて、国連は意思決定ができなかった、安保理は意思決定ができなかったということになろうかと思いますけれども。
 しかしながら、私がいささかこの国連に関して危惧いたしますところは、国連というのは安全保障理事会だけではございませんで、ユネスコやユニセフ、WHOといった専門機関を抱えた非常に幅広い活動をしている機関であり、そして世界で一番大きな国際機関であることは言うまでもありませんが、このイラク戦争で国連安保理がうまく機能しなかったということをもって国連無用論というようなものが日本の一部で広がっていくとすれば、それは私はゆゆしきことではなかろうかと。
 国連中心主義と日本がしばしば言うところのものが具体的に何を意味するのか、私にはそれほど定かではありませんが、国連を過度に賛美するかと思えば、国連が一つの事例で失敗したかと思うと、今度は国連無用論のような議論が出てくるという、この極論から極論に走るというのは、日本の言論界がまだまだ成熟をしていないところであって、この国連をどのように世界の安全保障、そして日本の安全保障のために活用していくのか、国連の足らざるところをどのように補っていくのかという非常に機能的で多元的、複眼的な国連に対する見方が今求められているのではなかろうかというふうに存じます。
 そして、「平和主義と安全保障」というテーマでございますので、最後にこの平和主義ということについて一言だけ申し上げますが、戦後日本で平和ということはしばしば語られてまいりまして、企業の名前にも平和と、平和産業とか平和物産とか、さらにはパチンコ屋にも平和という名前が付きますし、たばこにもピースというのがございますから、戦後日本は平和というのを、言葉を極めて安売りして乱用してきたわけでありますけれども、しかし本当に日本人が、戦後の日本人が考える平和主義というのは一体何なのであるかと。
 もちろん、平和が単に戦争がないという状態を指すことではないことは言うまでもありませんけれども、平和そのものは私は国家の目標にはならないと思います、あるいは外交の目標にはならない。平和を超えて日本が、日本の国と社会が国際社会のために、あるいは人類のために一体何を果たそうとしているのかという、平和の向こうにあるものを議論しなければ、平和主義は単なる現状維持あるいは事なかれ主義に堕する可能性が非常に高くて、戦後日本はしばしばその平和の向こうにある目標を語ることなしに、そして平和に伴うリスクについて考えることなしに平和について語る傾向が非常に多かったのではないかと。
 この憲法をめぐる平和主義と安全保障の問題を御議論いただく中でも、日本の平和主義というのが本当に何を意味するのかと、日本がどこに向かおうとしているのかということについて、言葉を超えた深い御議論をいただければ大変有り難いことだというふうに存じております。
 少し時間が早いですが、これで終わらせていただきます。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終了いたしました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
 なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問かお述べください。また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。
 福島啓史郎君。
○福島啓史郎君 自由民主党の福島啓史郎でございます。
 本日はお三人の参考人の方、お忙しいところ、また貴重な御意見、大変ありがとうございました。以下、お三人の方に順次御質問したいと思います。
 まず、佐々参考人に対しましてお聞きしたいと思います。
 私、今回の有事法制につきまして、先日参議院の公聴会で横須賀に行ったわけでございますが、特に与野党の大多数でもって成立を図ったということを非常に評価する意見が多かったわけでございますが、佐々参考人におかれましては、今回の有事法制の評価をどういうふうに考えておられるか、お聞きしたいと思います。
○参考人(佐々淳行君) お答えいたします。
 私、実は昭和五十二年、この有事法制第一分類を着手した防衛庁審議官でございまして、五月十五日、九〇%の賛成で有事法制が通過したとき感慨無量でございました。内閣安全保障室長のときにも第三分類をやりました。
 その意味で、大きな転機はやっぱり九月十一日と北朝鮮、ノドン、核開発、拉致問題だったと考えております。ある意味では、有事法制、いわゆる武力事態対処法だけが通ってしまったことは甚だ残念に思っております。
 実は、時間がなくて今回申し上げられませんでしたけれども、二十世紀の危機というのは、戦争と革命だったんですよね。それで、日本国憲法の中にもちゃんと、内閣総理大臣は警察法七十一条、緊急事態の布告でもって非常事態に対処できますよね。それから防衛庁、侵略に対しては七十六条でできるんだけれども、A、B、C、D、E、Fという新しく起こっておる国民生活直撃型の危機管理システムというのは今の憲法でないんですね。
 Aというのは原子力です、あの東海村考えましょう。Bはバイオロジー、この間は狂牛病があったし、SARSもありました。Cはケミストリー、サリン事件でございますし、コンピューターでございますし、カルトでございます。Dはディザスター、神戸大震災。Eは、エコノミーなんだけれども、このごろはエネルギーになってきちゃったんですね、電力危機ということで。Fはファイナンス、これはもう下手すると、ファイナンスと。
 こういう状況で、A、B、C、D、E、Fをやろうとしている国民保護法、これが乗り遅れちゃったというのは大変残念でございます。これはこの秋に必ずやっていただけると有り難いと考えております。
○福島啓史郎君 続きまして、引き続き佐々参考人にお聞きしたいわけでございますが、憲法に非常事態に関する規定を置く。これにつきましては、昭和三十二年に内閣に設置されました憲法調査会の中で議論がされまして、昭和三十八年に調査会の十七人の委員から意見が出されております。その中で、多数意見は、憲法の中に何らかの非常事態に関する規定を設けるべきだという意見が多数を占めているわけでございます。
 その理由としまして、要するに、非常事態に対処する措置は、成文憲法の下におきましては憲法に明文の規定がなければ許されないということ、また、法的あるいは理論的に仮に憲法がなくても行い得るとしましても、一時、超法規的に行い得るとしましても、憲法上の根拠を欠く場合には現実政治の問題としてそれを実施することは不可能だということ、また、権力濫用を、危険を防止するためにも明文な規定が要るということを根拠としているわけでございますが、佐々参考人におきましては、こうした緊急あるいは非常事態に関する規定を憲法に置くことの必要性、及びどういうことを、どういう規定を設けるべきであるか、これについてのお考えをお聞かせいただきます。
○参考人(佐々淳行君) 基本的人権との関係で非常に難しい規定になります。
 したがって、私個人の意見、あえて申し上げますれば、憲法は現状のままとして、国家非常事態対処法、危機管理基本法、何でもよろしい、これに国民保護法的なものも織り込んで、A、B、C、D対策全部織り込む。こういうものでもって、内閣法さえ、第四条で、総理、指揮命令権がない、あるいは予算執行権がない、人事権がないという状況、これを非常事態に際しては例外的に措置をすると。内閣法の改正によってみんな生きてくるのかなと。
 憲法改正、三分の二というのは、言うべくして困難であろうと。まして一番問題なのは、国民の過半数の同意なんですよ。これは国民投票法を前提としてこの条文を作ったんだと思うんだけれども、国民投票法できておりませんよね、地方の投票はできるんだけれども。それで、これを新たに作るとなると、これまた大変なことになっちゃうし、最寄りの国政選挙においてと言うけれども、投票率が五〇%切っている国で二六%取ればいいんですか、そうすると国民の四分の一強じゃないですかと。これはどうも国民の同意というものの確認が非常に難しいので、私はどうも間に合わないんじゃないかと、今の二十一世紀のいろんな危機に対してね。
 憲法改正が間に合わないのならば、国家危機管理法で対処すべきであると私は考えております。
○福島啓史郎君 引き続き佐々参考人にお聞きしたいわけでございますが、次善の策として、憲法の改正ができない時点におきましては、基本法制を作るのがベターだというお考えだと思います。
 自由民主党としましては、憲法改正手続法の案を作っておりまして、今与党協議にかけている段階でございます。与党協議が終われば国会に提出して成立を図りたいと、手続法の成立を図りたいというふうに思っております。
 御質問は、国連との関係が憲法上ないということを先ほど言われましたけれども、私は、憲法の中ではっきりと国連との関係を規定している憲法はそうないんだろうと思います。といいますのは、やっぱり憲法は国内の、国内といいますか、国内で定める最高法規でございますから、明文の国連憲章との規定を定めたものはないと思うわけでございますが、その点についてはどういうお考えをお持ちですか。
○参考人(佐々淳行君) 私は、実はアルカイーダの同時多発テロのときに意見を申し上げましたのは、憲法前文を読もうと。憲法前文の中に確かにその精神があると感じられる部分は、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と、隷従とか専制とか貧困とか、これを永遠に追放しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う、これなのかなと。あるいは、日本はもとより、いかなる国も自国のことのみに専念して他国のことを考えない国であってはならないと書いてあります。これがやはり国連主義に無理やり結び付ければ、前文かなと考えております。
○福島啓史郎君 最後に佐々参考人にお聞きしたいわけでございますが、武器使用基準ですね。
 今回のイラク新法におきましても議論になっているところでございますが、私は、武器使用基準につきまして自衛隊法上二つのカテゴリーがあって、片やいわゆる武力集団として本来使用するということを前提にした法制と、それから他方、緊急事態、つまり緊急避難あるいは正当防衛の場合のみ免責されるという、そういうカテゴリーと二つあるわけでございますが、私は、武力集団としての自衛隊が派遣される以上、その武器使用は当然のことながらそうした、つまり防衛出動と同じようなカテゴリーの中で武器使用を認めるべきだと思うわけでございますが、その点についてはいかがでしょうか。
○参考人(佐々淳行君) おっしゃるとおりでありまして、武力の行使を認めているのは国連憲章でもさっき申しましたように四十二条と五十一条と二つしかないんですね。それ以外のPKOなんかは武器の使用なんです。武器の使用というのは警察執行務であると。日本の自衛隊法の武器使用の最大の問題点は、警察予備隊として発足したものだから武器使用規定を警察官職務執行法第七条を準用しちゃったんです。これはやっぱり切り離さなきゃいけません。警察と自衛隊というのは明らかに任務が違いますので。そして、自衛隊武器使用法とか使用規定とか、明確なる武力の行使と区別した武器の使用、これをきちんと作るということが今一番大事なことではないかと。そして、その許された範囲内で武器の使用をすると、そういう前提でイラクに派遣をすると、こういうことであろうかと考えております。
○福島啓史郎君 次に、水島参考人にお聞きしたいわけでございますが、水島参考人は現在の憲法上、緊急権あるいは緊急事態に関する規定がないのは憲法の沈黙だというふうに陳述されたわけでございますが、私は、あるいは沈黙かも分かりません、私は憲法の欠缺だと思うわけですね。それはなぜなれば、憲法制定時には占領軍というのがいたわけでございますから、およそこういう緊急事態というのを想定する必要がなかったということ。
 また、先ほどドイツの説明ありました。私は、戦後間もなく十数年たって、ドイツにおきましては緊急事態のための規定を設ける憲法改正を行ったということから見まして、私はこれは憲法の欠缺だと思うわけでございますが、これについてはいかがでしょうか。
○参考人(水島朝穂君) 憲法の欠缺説というのはそれなりにビスマルク時代から議論があるんですが、そこに、これをここに立ち入りませんで、日本国憲法との問題だけに限定してお答えいたしますと、私は、日本国憲法が、一九四六年段階における一つの大きな国際的な平和意思と、それから広島、長崎の言わば体験というものをそこで結晶化した一つの産物であって、歴史的産物と考えておりまして、そこには緊急権に対するネガティブな評価が沈殿、すなわち含まれていたと解しておりまして、ドイツの憲法は四九年五月二十三日、すなわち冷戦が始まっておりまして、その意味では明らかにドイツと日本では微妙な制定時におけるずれがございます。
 その意味でいきますと、ドイツの憲法におけるいわゆる国連に対してのメンションは、先ほどの御質問とのかかわりでは、第二十四条に総合的集団安全保障体制という言葉がドイツの場合はありまして、これが一つのドイツの場合は海外展開の場合の大きなキーワードになります。
 日本の場合にはそれが、確かに先ほどから御議論あるみたいに、あいまいな形になっています。しかし私は、戦後五十年のこのいわゆる平和主義の実践というのは憲法の欠缺ではなくて、むしろ逆に、先ほど申し上げた四六年段階の言わば人類が到達した一つの平和意思の結晶であると考えていまして、欠缺とは考えてございません。
○福島啓史郎君 引き続き水島参考人にお聞きしたいわけでございますが、今の我が国周辺諸国との間で一番緊張が高まっておりますのは、御案内のように北朝鮮、つまり拉致という国家テロを行い、かつ核開発を進めているという北朝鮮との関係をどういうふうに安全を図っていくか、日本の国の安全を図っていくかということだと思います。
 それで、水島参考人は、周辺諸国との多国的協調によってこの北朝鮮との関係を解決していこうというお考えのようでございますけれども、そのためにはやっぱり武器といいますか防衛力といいますか、やはり自分の国は自分で守るという、そうした備えといいますか準備といいますか、そうした能力を備えた上でないと多国間調整もうまくいかないと思うわけでございますが、その点についてのお考えはどうでしょうか。
○参考人(水島朝穂君) いわゆる二十世紀における軍事的な手段、国家が主人公だった時代に比べますと、二十一世紀は言わば非国家的なアクター、すなわち一方ではテロ、一方では国家からNGOとかそういう主体が登場します。その中における手段としては、むしろ軍事力的な手段から、次第に非軍事的な手段が正に主流になってまいります。
 私の考え方でいえば、日本という国は憲法で軍事力の行使、武力の行使は放棄しています。しかし、国際的な警察力というものが将来的に、国連が客観的に機能を開始した場合、それは保障になっていくだろうということでありまして、その意味では、現段階におけるちょうど過渡期において、日本は武力を持つべきだと今選択が、武力を行使すべきだというぎりぎりの選択がアメリカから来ています。
 私は、今、日本が攻められたらどうするかという議論は全くのリアリティーがないと考えています。
 私は韓国に行きまして、三十八度線の下で韓国の学者と交流しながら、軍人にも会いましたし政治家にも会いましたが、彼らこそリアリティーを持っておりまして、韓国は戦争になったら滅びるんだということで、つまり戦争以外のあらゆる方法に全力を尽くしています。もちろん、韓国軍というのは軍隊として完備しておりますけれども、日本までがそういう方向に一歩進めると、この地域、北東アジアにおけるバランスが崩れてくる。
 したがって、日本は憲法を理由にして、言わば非軍事的な立場に徹することによってアメリカとの関係を維持しつつ、一方でこの危険な問題に対処する。
 危険とは何かといえば、北朝鮮が暴走する可能性をどう遮断するか、これが私も課題だと考えておりまして、現在、様々な試みというのは、あえて言えば暴走を挑発していると。つまり、端的に言えば、北朝鮮という国を、今突然悪者になった、あるいは突然独裁国家になったんじゃなくて、あれはその設立の当初からそういう国であります。
 したがいまして、そういう国の向き合い方に最も注目している韓国のそういう声に私は耳を傾けつつ、韓国との連携が日本は必要だろうと思います。
○福島啓史郎君 私は、水島参考人が今言われました、韓国の軍事力はリアリティーがあって日本の軍事力はリアリティーがないというのは同意できないところであります。ただ、最後の、北朝鮮という国はそういう国で最初からあったということについては、私も正に同意する点であります。
 次に、村田参考人にお聞きしたいわけでございますが、村田参考人は、先般成立いたしました有事法制につきましては非常に高く評価をされているわけでございますが、そこで言われました対外的なメッセージと、それから有事法制を更にいいものにしていくための改善点につきまして、お話をお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(村田晃嗣君) ありがとうございます。
 高く評価、基本的に私は評価しておりますけれども、ただ国民保護法制の問題につきましても今後の課題ということになっておりますから、この有事法制の最終的評価というのは一連の骨格が固まるまではまだできないものだというふうに存じておりますけれども、対外的メッセージということについて申しますと、与野党が、主要な与野党が国会で、国会議員の九〇%ですか、の賛成でこのような法律が今般通ったということは、我が国が有事という問題についてこれまでとは違って真剣な取組を見せているという対外的メッセージに私は十分なるものだと思いますし、逆に、北朝鮮の核開発疑惑がこれだけ言われ、そして拉致問題がこれだけ大きな社会的な問題になっている中で、国会が今回も有事法制を通さなかったということになれば、日本は国内的な政争のためにこのような基本的な法整備もできないと。極めてマイナスであって、そのネガティブな政治的メッセージは非常に大きかっただろうというふうに思っております。
 それから、今後の整備ということで申しますと、御指摘申し上げましたような国民保護法制の緻密な詰めでありますとか、それから危機管理庁云々というような問題について今後国会で御議論をいただきたいところだというふうに思います。
 ただ、私は法律学者ではございませんで、政治学者はずさんな思考をするのが常でございますからなんですが、私に言わせれば、有事とか緊急事態とかいうのは、そもそも我々の予想を超えたことが次々と起こるような事態であって、そのような事態にどう対処するかということについて余りにも緻密な法律論的な詰めを行っても、実際の場合、多くは役に立たないのではなかろうかというふうに思います。
 ある種の柔軟性、基本的人権を守る枠組みとともにある種の柔軟性を担保しなければ、法律論だけではこのように極めて政治的判断を要する法律は本当には動かないのではないかというふうに思っております。
○福島啓史郎君 村田参考人は、憲法の集団的自衛権の行使問題につきましては、要するに憲法解釈であるからそれは国会でもって有権解釈をする、つまり法律をもって制定すればいいではないかという御主張をされておられるわけでございます。
 私は、その主張、私もかつてそういうことを言ったこともあるわけでございますが、分かるわけでございますが、より国民の何といいますか理解あるいは支持を受けるためには、やはり憲法上明記する、それで、かつ同時に個別法でもって集団的自衛権の範囲なり形態なりを定めるというのが私は望ましいと思うわけでございますが、この点についてはいかがでしょうか。
○参考人(村田晃嗣君) 私も先生の御意見と異なるものではありませんで、国会が立法によって集団的自衛権に関する有権解釈をするということと憲法を改正するということは私は矛盾しないと思うんですね。
 ただ、私がそういうふうに申し上げましたのは、私は今の内閣法制局の九条に関する解釈は間違っているというふうに思っておりますので、法制局の解釈が間違っているものを憲法を改正して正す必要はないと。その解釈が間違っていると私は思っておるものですから、今の憲法でも集団的自衛権の行使を禁ずるようには私は必ずしも解釈できないというふうに思っておりますので、その点について国会がまずクリアになさると。その上でさらに憲法九条、九条と申しましても九条を改正しろと言う人たちが改正しろと言っているのは九条の第二項でございますけれども、憲法九条の第二項について国民の誤解のないような形で国会が改正を提案されるということは私は賛成でございまして、私が申し上げたことと矛盾することではないというふうに存じております。
○福島啓史郎君 最後に、村田参考人、時間がないわけでございますが、危機管理庁につきまして知恵が必要だと。私も、日本の一番の問題の一つは、官僚制の縦割り、縄張争いというのが一番問題だと思います。したがって、それを統合する、その機能を統合する、あるいはそれを統合する常駐の機関を設けるということが必要だと思うわけでございますが、その点についてはどうですか。
 危機管理庁の問題でございます。
○参考人(村田晃嗣君) 危機管理庁のようなものが必要だとお考えだということでございますか。
 ですから、私は組織を作ったからといって政策の調整がうまくいくというふうには必ずしも思いません。例えば、危機管理庁を作ったときに危機管理庁の職員の採用はどうするのかというときに、これも防衛庁と警察庁とそれから外務省とあるいは地方公共団体からの出向だというようなことになりますと、そういう出向者の混合団体である危機管理庁が果たして各中央省庁をコーディネートするような役割が果たせるかどうかといいますと、私は、それこそ過去の経験に照らして、それほどうまくいかないのでないかなという気もいたします、そうでないかもしれませんけれども。
 とにかく、私はこれを作ることに反対ではありませんけれども、作るとするならば、これがうまくいくようなやり方というのをじっくり御検討いただかなければならないというふうに思っております。
○福島啓史郎君 そのポイントは正に常駐であり、かつ権限を、あるいは機能移譲ではないかと思うわけであります。
 時間が参りましたので、お三方の参考人の方には大変どうもありがとうございました。
 以上で終わります。
○会長(野沢太三君) 福山哲郎君。
○福山哲郎君 民主党・新緑風会の福山哲郎でございます。
 参考人の先生方におかれましては、お忙しいところ貴重なお時間と御意見を賜りましてありがとうございます。よろしくお願い申し上げます。
 実は、私は村田先生とは同じ学びやで学びまして、同世代でございまして、同世代の国際政治学者として御活躍をされていることを大変うれしく思っておりまして、今日、村田参考人が来られるということも踏まえて今日は質問させていただきたいというふうに思います。
 まず村田参考人にお伺いをいたしたいというふうに思います。
 先ほど有事法制の評価をされましたが、国民保護法制がまだ決まっていないのでその評価はまだはっきりとはできないと、ただ全体としては良かったのではないかという評価でしたが、その重要な国民保護法制に当たって留意する点とか、我々がこれから国会で国民保護法制の議論をするに当たって考えなければいけない点というのはどのような点をお考えになられているのか。例えばで言うと、大規模な武力攻撃事態よりも例えば不審船の問題とかサイバーテロの問題とか化学兵器の問題とか、そちらの方が私はより可能性としては今の状況からして高くなっているというふうに思っておりまして、そういった点についてまず御意見をいただければと思います。
○参考人(村田晃嗣君) ありがとうございます。
 実は大変難しい問題でございますけれども、先ほど申し上げましたように、私は有事というのは想定し得ない事態が起こることが基本的に有事だというふうに思っておりますので、極めて厳密な法規定の網の目を作っても、多くの場合はそれはうまくいかないであろうというふうに思っております。しかしながら、言論の自由、思想信条の自由というようなことは今回の法律でも例示されたと思いますけれども、そういうどのような事態でも侵してはならない基本的人権というものをどう担保していくかということは極めて重要なことだというふうに思っておりますし、それからおっしゃるようなサイバーテロであるとか不審船の問題とかいうのも、確かに可能性といいますか、蓋然性としてはそういう危機の方が高いかと思いますけれども、今般の法整備によって、そういった問題に今後対処していくときのある種のそれは応用問題として用いられる枠組みというのが整備されつつあるのではないかというふうに思います。
 ただ、私は、一つ幸いだと思いましたのは、今回の有事法制の議論で、それこそ佐々参考人が有事法制の問題で第一線でやっておられたころには、有事法制と言うだけで何か極めて危険で反動的なものであるというようなネガティブなイメージが展開されたように思いますけれども、例えば今回の法律でも、いわゆる罰則規定というのは、私が記憶しているところでは六か月以下の懲役又は三十万円以下の罰金でございましたか、というような罰則規定しか含まれていないのであって、それも深刻であるといえば深刻であるかもしれませんが、しかし、このようなものを一部の人たちが言うように国家総動員法の復活であるとか治安維持法の回帰であるとかいうふうに論ずるのは正にアナクロニズムであって、そういう議論はもう国民には受け入れられなくなってきているというのは国民意識の大きな変化だというふうに思っております。
○福山哲郎君 ありがとうございます。
 また、村田先生は、改憲論の議論の中で、押し付け憲法だから改憲するべきだという議論に対して、戦後生まれの世代として、修憲、改憲等も含めて議論をされておられますが、憲法改正の議論に対する村田先生のお考えを御披瀝いただけますでしょうか。
○参考人(村田晃嗣君) ありがとうございます。
 憲法が制定されました経緯については、今後も歴史家や政治学者あるいは憲法学者が実証的に研究を進めていくべきことであろうと思いますが、私は憲法を改正する必要があるというふうに思っておりまして、今の憲法には不備がそれこそ幾つかあるように思っておりますけれども、しかし、憲法を改正する理由としてアメリカ合衆国に占領下に押し付けられたからという議論は、私はやや後ろ向きの議論であって、そのような議論でこれから二十一世紀を生きていく、そして、もし憲法が改正されたならば、その改正憲法の下で生きていくであろう若い人たちにアピールする力は私は非常に弱いのではないかというふうに思っております。
 それから、私は憲法に問題点が幾つかあるというふうに思いますが、しかし、この憲法が基本的に示した基本的な人権であるとかいう大きな理念は戦後日本の政治のバックボーンになってきたのであって、憲法がその原点において無効であるという議論は戦後の民主主義政治の発展を否定する議論につながるのではないかというふうに思っております。つまり、憲法は戦後日本の民主主義の発展に大いに寄与してきたし、国民の多くは今の憲法を受け入れてきたけれども、しかし、国際環境と国内環境の変化によってそれが部分的に必ずしも有効に機能しなくなっているところがあって、それについて前向きに改憲を考えるというのが私のスタンスでございまして、憲法の出自における正当性を問うということは、生産的、未来志向の改憲論ではないというふうに私は考えております。
○福山哲郎君 三つ目の質問なんですが、村田先生はアメリカの政策決定というかアメリカ内部の政策過程についていろんな論文等著作を出されているんですが、今回の大量破壊兵器が見付からない状況の中で、CIAの長官等があれは虚偽の報告だったというような話が出ていますが、こういった一連の状況についてはどのような感想というか、何か御意見をお持ちでしたらばお教えいただけますでしょうか。
○参考人(村田晃嗣君) ありがとうございます。
 大量破壊兵器がいまだに発見されていないということは確かに大変問題であると私も存じておりまして、イギリスでもブレア首相の支持率が低下をしておりますし、それからアメリカでも、イラクの占領統治が長引くにつれてブッシュ大統領の支持率が九・一一の前にほぼ戻ったというような報道がなされておりますし、御指摘のような情報レベルでの誤りというようなことが今指摘されているわけでありまして、これは懸念されるところであります。
 ただ、私は、開戦前にフランスが査察の延長を主張しておりましたけれども、あのフランスでさえ四か月の査察の延長を当初は主張しておりまして、後に一か月にそれを短縮いたしましたからフランスが主張した査察の延長期間に何の論理的根拠もなかったことは明らかなんですけれども、フランスでさえ四か月というふうに言っておりました。
 それで、まだ戦闘終結の宣言が発せられてから四か月がたっていない。私は、大量破壊兵器が出てこないということを断定するのはやはりまだ早いと、引き続き大量破壊兵器の発見に努めるべきであるというふうに思っております。これについては少し息の長い活動、調査が必要ではないかというふうに思います。
 これは、へ理屈をこねるようで恐縮でございますけれども、大量破壊兵器が見付かるということはありますけれども、大量破壊兵器が見付からないということは理屈の上ではないわけです。つまり、大量破壊兵器が見付からないというのはまだ見付かっていない状況が続いているということでありまして、まだ見付かっていないということが大量破壊兵器がなかったということの証明にはこれは必ずしもならないんですね。
 ですから、引き続きこの発見に努めなければならないというふうに思いますが、ただ、その大量破壊兵器が仮にあと半年とか一年にわたって発見されなかったとして、その場合、米英が取った軍事行動の正当性がどれだけ低下するかというと、それはやはり私は低下すると思うんです。大量破壊兵器というのを大きな理由にいたしましたから、それがいつまでたっても見付からないということはかなり信頼性が揺らぐと思いますけれども、しかし、イラクが本当に大量破壊兵器を持っていたかどうかということよりも、イラクがこれまで大量破壊兵器の国際的な査察に対して極めて非協力な態度を通してきたということが一つの問題としてあるということは指摘しなければなりません。
 それから、イラクのフセイン体制が、恐らく意図的に大量破壊兵器を自分たちが持っているのか持っていないのか分からないあいまいな状況を作り出していて、そのようなあいまいな状況の中で近隣諸国、サウジアラビアやあるいはクウェートに対して、自分たちが大量兵器を持っているかもしれないぞという前提である種の威嚇を行い、そして国内の少数民族に対しては、やはりこの体制が大量破壊兵器を持っているかもしれないぞというあいまいな状況の下で少数民族に対する、あるいは反体制派に対する威嚇を行ってきていて、しかし、持っていると明らかになれば懲罰を受けますから、持っているとも持っていないとも分からないあいまいな状況を意図的にイラクが作り出してきたと、そのような状況にアメリカやイギリスがもはや耐えることはできないというのが今回の武力行使であったというふうに思いますので、大量破壊兵器が長期的に全く見付からなかったとすれば、私はそれは見付かる方が大変好ましいと思いますけれども、しかし、そのことによって米英の行動の正当性が全くなくなるというふうに私は考えてはおりません。
 以上でございます。
○福山哲郎君 ありがとうございます。
 佐々参考人にお伺いをさせていただきます。
 実は同様の質問なんですが、日本で危機管理の専門家としてずっとやっておられた佐々先生から見て、国民保護法制について重要なポイントというのはどのように考えられているかということと、先ほど先生がおっしゃられましたその危機管理基本法なるものは、今回の有事法三法プラス国民保護法制ができても、先生の言われるA、B、C、Dにはまだ全くそこは足りなくて、それの上位として危機管理基本法なるものが必要だとお考えなのか、その必要な場合には一体どういう論拠が一番その危機管理法の肝になる点なのかというような点を、もし、教えていただければと思います。
○参考人(佐々淳行君) 実は、大変時間がなくて言えなかった問題を御質問いただきましてありがとうございました。
 まあ、広義の安全保障という議論をいたして、今、防衛の問題がずっとここまで来たわけでございますね。広義の意味での防衛と治安と二つあるんです。そして、政治あるいは行政の最高の任務は国民の身体、生命、財産の保護であると、これは皆さん共通の認識だと思います。そこへ持っていくための防衛の問題の議論は進みまして、周辺事態法というのは、安保条約第六条、日本は攻撃されないけれども、韓国攻撃されたという状況でしょう。これがこの間先にできちゃって、ようやく今度、日本が第五条、安保条約第五条事態、日本が攻撃されたときのができました。
 そういう意味で、防衛問題がようやく進み出したんですが、今御質問のA、B、C、D、E、F対策というのは、実は皆さん御記憶だと思うんですけれども、それぞれ何かあると時限立法的な、限定的な妥協の産物としての特別法ができているんですよ。
 例えばハイジャック問題、これ、だれもやってなかったんですけれども、昭和四十五年の三月三十日のよど号でもって突然六月で、二か月でハイジャック防止法、二十年の懲役ですよね、これができています。
 それから、火炎瓶テロも、全然爆発物でないというのでこれ駄目だったんだけれども、火炎びん取締法できるでしょう。そして、今度は爆発物取締罰則というのが取り残されているんです。太政官布告ですから、これは。これでもって、あの例の大爆弾事件を全部これでやっていたという、海外犯のやれないという、これ大きな欠陥がございます。
 それから、A、BのBは、厚生労働省が伝染病の問題は自分の任務だとようやく自覚をし始めたという段階でありますけれども、まだ完全な体制できておりません。
 それから、C、ケミストリーの方のサリン、これも罪にならなかったんだけれども、サリン特別法というのを慌てて作りまして、無期懲役まで入りました。
 そして、Cのもう一つ、コンピューター。これも不正アクセス防止法という法律ができているんですよ。アクセスという外来語をとうとう日本語にできなくて、アクセスという言葉が法制局で法律用語になっちゃった珍しい例なんですけれども、不正アクセス防止法というのができています。これは科学技術庁担当だったのが、今、文部科学省でございまして、警察には捜査官二十名しかおりません。これ、とてもどうにもならない。
 更に言いますと、Cのもう一つ、カルト。これに対しては、破防法駄目だということになって、新団体規制法と言われておりまするところの、大量殺人を犯した団体の視察に関する法律というのができているんですね。ところが、これはオウムと東アジア反日武装戦線と、そして連合赤軍と、この三つしか対象にならぬのです。だから、白装束出てくると困っちゃうわけですね。これもやっぱり欠陥でございます。
 そして、だんだんだんだん国民保護法という概念で、今度は空襲警報だれが出すの、避難誘導だれが出すの、緊急治療だれが出すのと、だんだんだんだん大きな概念が固まりつつあるところなんですが、そこには既に特別立法でもって時限立法をやったりなんかして、皆さん気が付かないうちにたくさんできているんです。これも全部後追いです。何かあると慌てて作るということで、しかも不完全なものでございます。
 今度は、国民保護法のときには、これを包括的に、役所の任務分担もきちっと決めて、例えば今の、十二歳の少年、児童社会復帰支援施設というんでしょう。どこにあるのかだれも知らないんですね。それで、そこはだれが所管しているんだと大騒ぎになっちゃって、法務省、全然関係ないんですよね。これは厚生労働省なんです。それで、四十日間の観察やって、三か月以内で何とか教育してまた元へ戻すというんでしょう。百日ぐらいするとあの少年出てきちゃうんですよね。
 これもやっぱり触法少年の収容施設というものを作らないかぬ。これの担当をやっぱり法務省の矯正行政の一環に入れなきゃいかぬという大きな改正がございます。こういうものをまず今度の国民保護法で全部やっていただきたい。
 それで、だれが担当するかと。さっきから議論出ておりましたけれども、危機管理庁というのを作りますと私の経験では屋上屋を重ねることに相なると思います。おっしゃったとおり、警察庁だとか法務省だとか、出てくる出身母体決まっているんですからね。それで、自分の省庁の省益図っちゃうからね。そのためにわざわざ昭和六十一年に中曽根総理、後藤田正晴さんが内閣五室長制というのを作ったんです。その中の一つが成長してきて、今、内閣危機管理監、さらかんになっています。機能していません。
 これを強化することによって、指揮権はやっぱり内閣法十二条、官房長官が総合調整権を持っていますから、内閣官房長官の下の内閣危機管理監にやらせると。危機管理庁を新たに作ってどこに置くんだとまた大騒ぎになりますから、今の存在している危機管理監を活用すること、これが国民保護法と、今までできちゃったそのA、B、C、D対策のこの法律とドッキングさせて国民保護の万全を期すると、これが治安だと思います。治安は私は最大の社会福祉であると信じております。
○福山哲郎君 済みません。先生、今、僕が聞き落としたのかもしれないんですが、今の御議論は、国民保護法制の中に今いろいろ言われたことを入れ込めというお話なのか、今の国民保護法制の議論というのはある意味でいうと有事三法案に関連して議論が出てきているわけですが、そこの別の枠組みとして危機管理法の中、危機管理法と国民保護法制を一緒にして今の御議論を入れ込めという議論なのか、どちらなんでしょうか。
○参考人(佐々淳行君) 分かりやすく言いますと、船を想定をいたしますと、いわゆる有事法制というのは国民保護的な新しい危機に対する対策を含むと、特に民主党なんかその御主張が強かったわけですね。私はそれを評価しておったんですけれども、諸般の事情から船の前半が浸水しちゃったと、あと残っていますと、これの浸水の可能性も高いです。
 この浸水のときに、防衛と治安という観点からA、B、C、D対策を全部ここへ織り込んで、既存の法律を全部引用していくわけですよ、今度の保護法の中で。この部分は例えばサリン特別法の第何条、これを引用するとか適用するとか。こうやってドッキングをして、そして任務分担をはっきりさせて、指揮官はやっぱり内閣に持っていくと。内閣機能強化、組織だけできちゃったんですよ、組織だけできちゃったんだけれども、精神が伴わない、指揮系統ばらばら。それで、指揮権は内閣法を改正していないから全然ありません。内閣総理大臣に指示権が出ただけね。これをもう一度きちんと作り直しましょうと、これが私の提言であって、この秋に是非国会でこれをおやりいただきたいと思っているわけです。
○福山哲郎君 もうほとんど時間がなくなりましたので、水島先生、緊急権の濫用について大変御懸念をお持ちなのは大変理解をしましたし、私もそこは同意をするところですが、さはさりとて緊急権は必要で、そうなるとその濫用を防止するために日本ではチェック機能が働かないのではないかというような御意見があったと思うんですが、さはさりとて装置としてはどのようなものが有効だとお考えか、それだけお教えいただけますでしょうか。
○参考人(水島朝穂君) 先ほどから、自衛権の問題は法律でできるとか、集団的自衛権の行使は法律とか、緊急権を法律でという御議論ございましたが、やはり緊急権という国家権力の全体を言わば臨時的に編成する、そういう権能は憲法に定めるべきであります。したがって、本当にそれを入れるのであるならば、憲法改正の問題として正面から提起するのが筋であります、私の立場。
 ただし、現段階における憲法に緊急権条項を入れる必要もないし、他の様々な危機の類型、先ほどから議論ありますけれども、そういうのは現行法でできる部分もあるし、むしろ現行法を改める部分その他は、もし時間があればしゃべりたいですけれども、お尋ねのポイントについてはそういうことでございます。
○福山哲郎君 ありがとうございました。
○会長(野沢太三君) 時間ですね。
 山口那津男君。
○山口那津男君 公明党の山口那津男でございます。
 今日は、三人の参考人の皆様には貴重な御意見を賜りまして、本当にありがとうございました。
 まず初めに、佐々参考人にお伺いしたいと思います。
 冒頭、憲法と国連憲章との関係についてお若いころ問題意識をお持ちになったと、こういう話でありました。当時の、昭和二十年代に司法試験の論文の問題として憲法と条約の関係を述べよと、こういう出題がなされまして、当時の空気を反映した出題だったのかなと、今改めて思うわけであります。そして、その時代に私は生まれたわけでありまして、世代のギャップというものもまた感じているわけであります。
 そんな中で、この国民保護法制がこれから整備されようとしているわけでありますが、この緊急事態にどう対応するかという課題というのは、緊急なるがゆえに国民の権利や利益が侵害されそうになる、それをまた別な利益を犠牲にしてまでも救済する必要があると。その手段として、この憲法の定める統治機構や基本的人権の保障の原則を修正したり、あるいは制約をしたりしながらこれに対応しようというのがこの緊急対応の基本的な方向性だろうと思うんですね。そんな中で、この国民保護法制をこれから整備するに当たって、この基本的人権の尊重ということは原則としてうたわれているわけでありますが、しかし具体的に詰めていくとそれは一様ではないだろうというふうに思っております。
 この制約の限界というようなものがあるのかどうか、また法律でそれを事細かに決め切れるものであるか、もしそうでないとすればどの程度までこれを許したり決めたりすることができるものであるのか、この辺の基本的なお考えをお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(佐々淳行君) 司法試験、昭和二十年代は同格と書かないと駄目だったんです、宮沢俊義さんですからね。そして、観念論でやっている間は同格論で通るんですけれども、今やだんだんだんだん問題が集約されてきて、その九条と九十八条二項、条約と憲法というのは重大な問題になってきたんですね。
 それで、その緊急権をどうするかという問題でございます、基本的人権どういうことかということでありますが、まず防衛という観点からいきますと、民族の生存権というもの、そして国民という治安の関係から見ますと、生命、身体、財産の保護、この二つが最高の使命であろうと。そして、基本的人権とそれじゃ緊急権とどう調和するんだと。私は、憲法二十九条の援用で、今の憲法の中にそれがあると考えております。
 それは、最大多数の最大幸福、国民の、公共の福祉のためには私権が制限されることがある、ただし補償をすると、これですね。だから、緊急行動の場合も、後に補償を伴う、土地を使用したら後、補償するとか原状回復するとか、こういうこと、織り込まれますけれども、二十九条で解釈するのかなと。
 生存権と、生命権といいますか、これが人権の中の最高順位にあるので、これを守る場合にはある程度の基本的人権の他の部分の制限あり得ると、こういう解釈を私はしております。
○山口那津男君 今のお話の中で二十九条が引用されましたけれども、私は、この補償に代えられる、つまり補償をもって救済できる人権と、またそうでない人権というのもあるだろうと思います。特に、精神的な自由にかかわる人権というものはまた別な考え方を取る必要があると思いますが、これについてはまた時間の制約もありますから別に譲りたいと思います。
 もう一つ、佐々参考人にお伺いします。
 村田参考人の方から、緊急時の職務代行者の順位、こういうものをきちんと決めておかないと、いざ本当のときに混乱するおそれがあると、こういう御指摘がありました。私は、これは極めてもっともなことだろうと思います。
 また一方で、今回、武力事態攻撃法制を審議している渦中に、今の閣僚、閣議の構成メンバーあるいは安全保障会議の構成メンバー、このメンバーが過半数海外に出て不在であったということが二日ほどありました。今の内閣にその点での危機意識というのは極めて乏しいんだろうと私は思っております。
 ですから、この職務代行者の順位等をきちんと決めるということと、あとは、少なくとも意思決定のためにはある程度の構成メンバーが常に合議できるような体制をしいておくというようなことで、その辺はルールをきちんと定めるべきであると、こう思っておるんですが、長い御経験の中からどのようにお考えでしょうか。
○参考人(佐々淳行君) もう全く大事なことでございまして、自分はレジュメに入れておきながら時間がなくて申せませんでした。その点、村田参考人が補っていただいてありがとうございました。
 これは、サクセッションアクトのことなんですね、アメリカの場合ね。それが九月十一日に物すごく機能しているんですね。ブッシュいませんでしたから、フロリダにいたんだから。それから、チェイニーは入院していましたよね。それから、コーリン・パウエルは南アフリカに行っていたんです。それで、ラムズフェルドが直ちに代行しているんですね。もう会議も何にもしないですぐ代行すると、これはサクセッションアクトに書いてあるから。
 日本の場合は、この内閣が危機意識が薄いだけじゃなくて、大事なことが起こったとき、閣僚というのはいないものなんです。五月の四日、文民警察官が殉職したとき、二十四名の閣僚のうち十名外遊していたんですからね、連休だから。そういう意味で、継承順位をその内閣ごとに副総理をきちんと、内閣法に基づく副総理を決めている方もいらっしゃるんですが、何となく、典型的な例が、小渕さんがお倒れになったときの二十時間ばかりの空白、あれを、お決めになった五人というのは今どうなっています。全く法律上権限のない方が内閣総理大臣をお決めになっているんですね。
 こういうインチキな継承順位というのは、私は国を滅ぼすと思っている。だから、きちんとナンバーツーは官房長官であるなら官房長官である、外務大臣が三番目になるというような、皆さん合意の上で決めておく。またそれを変えりゃいいんですから、閣議決定で変えりゃいいんですから、この必要が絶対にあると思います。
 サクセッションアクト、これは、実は水島参考人も偶然同じことに触れているんですけれども、マリエンタールの話、出ましたよね。これは、永久施設ございまして、あれは国内戦争を想定しているわけよ。そこへ入るのは決まっているんですよ。決まっていまして、その人たちが入ると裁判所までできちゃうんですよ。裁判官から何から、平常勤務を三千人ぐらい入って地下政府ができちゃうんです。それで、しかも各閣僚は全員交代でもって総理代行の訓練をやります、はい総理倒れちゃった、通産大臣、おまえ指揮しろという。ドイツのシュミット、社民党、これをやっていったんです。
 それから、もう一つ非常に参考になる問題としては、外務省は、例えば大使が倒れると公使、公使倒れると参事官とか、指揮権継承順位が日本海軍と同じような決まり方しています。海外でいろんな暴動ありました。要するに、香港暴動とか何やかんやある。官補なんですよ。外交官試験を受かった官補が、我々先輩がいても指揮を取るということになっているんです。それならそれでいいんです。秀頼を助けてやればいいんですから。我々老臣、宿将は助けてやればいいんですから。
 いずれにせよ、指揮権の継承順位というのをきちんと定めるということ、それからそのうちの一人は、例えば閣僚が一人いないと言いましたでしょう。核攻撃受けたときに備えて、国会開催中は閣僚の一人、だれがどこにいなくなっているのか秘密なんですから、国家秘密。こういうところまでいかなくてもいいから、やはり継承順位を決めるというのを何かの、閣議決定でもいいですから、毎回やるようにすると。
 イギリスのウオーキャビネットというのが大変参考になると思います。サッチャーのときに、ウオーキャビネットというから戦時内閣でまた作り替えたのかなと思ったら、そうじゃないんですね。今の閣僚の中でフォークランド紛争に関係のあるやつだけで決めていくんですね。それで、防衛庁長官が反対をしたら罷免しちゃって、そしてウオーキャビネット、ウオーキャビネットといってやっています。今度もやっていましたけれども。このシステムがいいんじゃないでしょうか。失礼ですけれども、その際には環境庁長官とか、余り関係のない人はちょっとどいていただいて、基幹のメンバーでもって意思決定をすると、こういう内閣のルールを作ったらいかがかなと思います。
○山口那津男君 次に、村田参考人に伺います。
 平和主義が単なる現状維持の平和ではならないと。その先にある目標といいますか、それについてもっと議論すべきであると。これは私も大いに共感するところがあります。
 そこで、これを具体的にどういうことを目標にすべきか、議論すべきかということ。例えば、日本の国益とは何かとかあるいは国際社会の利益と調和するような生き方を望むべきであるとか、いろいろ議論はあり得ると思うんですが、参考人として、この議論の対象、内容についてお考えあればお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(村田晃嗣君) ありがとうございます。
 私自身が提起した問題でありますが、これは実は答えるのは非常に難しいのでありまして、大変なことですが、例えば今、山口先生、国益という言葉を使われました。最近、国益という言葉が使われることが非常に多くなったと思うんですね。昔に比べまして国益という言葉が割と忌憚なく使われるようになった。そのことはもちろん私は悪いことじゃないというふうに思いますけれども、国益を考えるときに私どもが避けなければならないことは、狭い日本一国だけの国益を考える傾向に陥ってはいけないと。今日のように極めて相互依存の発達した複雑な国際社会の中で、ほとんどの資源を海外に頼り、そして国際的な交流の中で日本が生きている。日本ほど開かれた国益といいますか、国際社会とつながった国益を考えないといけない国はないのであって、そういう意味で、私どもが日本一国の国益があるかのように考えれば、それは幻想であると。そういう開かれた国益というのを考えていかなければならない。
 それから、国際連合の話も少し申しましたけれども、国際連合の問題にいたしましても、例えば敵国条項の問題も確かに大きな問題ですし安保理改革も重要な問題ですけれども、日本の利害と直接つながらない国連の広い意味での改革といいますか、事務局の改革あるいは信託統治理事会をどうするのかというような、そういう広い国連改革のような問題、国際機関のありようの問題についても日本が積極的に具体的な提案を国際社会に対して投げ掛けていくというような努力は引き続きなされなければならない。開かれた国際社会の中での日本と。
 そのときに、日本がその国力に見合った、あるいは地理的条件から求められる役割があれば、それは率先して果たすべきであって、例えば今、私、国連のことを申し上げまして、国連無用論に陥ってはならないと先ほども申し上げましたけれども、しかし、逆に国連だけが国際社会の権威の源泉かのような議論に陥って、国連決議がないから何かができない、アメリカの単独行動主義ということがしばしば批判されますけれども、私はそういうのは、日本の主体的判断を国連にゆだねて、日本の単独非行動主義だと思うんですね。そういう何かをしないエクスキューズに国連を使うというようなことはあってはならず、国力と置かれた地理的環境に呼応した責任を果たす覚悟を持ちながら自国の国益を国際社会の中で考えていく努力が必要だというふうに考えております。
○山口那津男君 次に、水島参考人に伺います。
 緊急事態というのは、何も武力攻撃を受けた場合だけに限らないと思います。先生は、その緊急対応の対象としてどのような類型があると、大きな類型があるとお考えか。で、それぞれの類型に対して、憲法ないしは法令でどのように対処していくのが望ましいとお考えになるか。これをお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(水島朝穂君) 私は、いわゆる戦争事態ないしは対外的な武力行使のようなことを想定する九条の禁ずるいわゆる緊急事態法制を作ること及びそのための緊急権条項に対しては、先ほどから申し上げているような批判的な観点を持っています。
 そのような事態をどう作らないかという角度から行うこと、これが正に重大な問題であります。しかし、大規模災害や様々な想定される、様々なそういう、いわゆる先ほどから出ているような周辺諸国とのトラブル、それはあります。しかし、それを言わば一義的に包括的に内閣あるいは緊急権といったもので対応する時代は終わったんだろうと。
 私は、各国が様々な形でいわゆるその緊急権条項の見直しなどが動いてきたのは、例えばスイスが五月十八日に、いわゆるレフェレンダムで民間防衛というシェルターで作ってきたあれを改めまして、民間防衛から住民保護という法案をレフェレンダムで通しました。それが、シェルター義務の緩和とか国民の負担を減らす方向で五月十八日に通ったんですけれども、これはもう正にスイスがシェルターを作って潜る必要がないという認識の下に変えていったと思うんですが。
 つまり、先ほどから出ている議論でいえば、国民保護と呼ばれる中身、私は国民保護法制というのは今の武力攻撃事態と一体であるから批判的ですけれども、住民保護という観点に読み替える必要があると。今、国民保護という形でなぜ国民のよろいを着る必要があるのか、むしろ地方自治法的な観点でいえば、むしろ外国人が地域住民として存在している、そういう人たちの保護をどうするかという観点から、災害であるとか犯罪であるとか様々なそういう類型を下から立ち上げればいいんであって、国家が上から緊急権によってそういうものに対処するという発想は私は終わったという考え方を持っております。
○山口那津男君 ありがとうございました。
 終わります。
○会長(野沢太三君) よろしいですか。
 吉川春子君。
○吉川春子君 日本共産党の吉川春子です。
 三人の参考人の方々に感謝申し上げます。
 まず、三人の参考人の皆さんに共通した質問ですけれども、国連憲章、日本国憲法は戦争、すなわち武力行使は禁止しています。世界は、国連が本来の機能を果たし、日本国憲法が目指す方向に進んでいるのではないかと私は考えております。我が党は、憲法上緊急事態対処があることは認めておりますけれども、福田元総理も戦争は万々々が一と限りなく起きないという表現を使っております。また、緊急事態は突然起こるというものでもないと思います。なぜ、予想外の危機に備えなければならないのでしょうか。危機回避の平和外交こそ必要ではないかと思うのですが、その点についてのお考えを順次お聞かせいただきたいと思います。
○会長(野沢太三君) それでは、佐々参考人からお願いしましょうか。
○参考人(佐々淳行君) ウィリアム・ブキャナンという学者さんがおられまして、ブキャナンだと思ったな、間違ったら後で訂正します。世界の戦争の歴史研究している方がいらっしゃいまして、そして、人類の歴史が記録をされるような文字になってから三千四百二十一年と二〇〇〇年に言いましたから、今二十四年ぐらいでしょうか、三千何百年かたっている間に戦争が全くなかった年というのは二百六十八年であると。戦後、八月十五日、昭和二十年以後、戦争、至るところで起こっております。百件を超える軍事紛争が起こっておって、そして戦争がなかったのは二十八年という説を発表しておられます、これが当たっているかどうかは別といたしまして。むしろ、日本がこの五十年以上平和であるということは世界の中では正に奇跡に近い幸いなことであると、こういう認識を私は持っております。
 したがいまして、今の御認識とは私は逆でありまして、いわゆる大国間の軍事紛争、いわゆる戦争、二十世紀型の戦争は遠のきましたけれども、地域紛争的な意味での局地紛争、軍事紛争、民族紛争、こういうものはこれから至るところで起こるであろうと、そういう意味で認識を、私は違う認識を持っております。
○参考人(水島朝穂君) 一六四八年にウェストファリア講和条約ができて、言わば国家が暴力を独占した。そして、一九四五年に言わば国連の暴力独占というのが起こる。先ほどからおっしゃっているような形で、国連は全く理想化すべきでないと言いながらも、世界はあのとき五十一か国で作った国連を今百九十一にまで増やして、実は国際的な法の支配という仕組みを作ろうとしている。したがって、武力行使を単独でやったりとか、どんな大国であってもそれをその疑いだけで、相手が例えば持っていないことを証明できなければ攻撃するなどという議論がもしまかり通れば、人類は一六四八年の前に逆走すると私は考えておりまして、その意味でいえば、日本は主体的にアメリカとの距離を取りながら、やはり日本は国連との関係できちっとした国際的な法の支配というのを守るべきだという立場を持っています。
 その観点から、日本が例えば軍事力を持たないという憲法をここで捨てるのか、それともそうでないのかという観点で私は憲法を改正すべきでないし、むしろ自衛隊などを災害的な救助隊などの方向に純化していく、つまり軍隊でない方向に純化していくということを指摘しておりまして、その意味からしますと、共産党が近年、自衛隊活用論という形で万々々が一には備えるということは大変残念でございます。
○会長(野沢太三君) 村田参考人、お願いします。
○参考人(村田晃嗣君) ありがとうございます。
 私は、国際政治を考えるときに非常に危険な一つの考え方は二者択一に陥ることであろうと思います。外交か軍事力かという二者択一に陥ってはならない。つまり、答えは外交も軍事力もであろうと思います。
 確かに、御指摘のように、大国間の大きな戦争が起こる可能性が低下してきたということはそのとおりですし、非国家主体の暴力の可能性が高まってきたという傾向も言うまでもないことであります。しかしながら、そのことは国家間戦争が起こらないということを意味するわけではない。また、外交が常に成功するわけではないことは常識の範囲であって、その外交が破綻したときの担保をどう行うかということも我々は考えておかなければならないことであります。
 したがって、外交に比重を置くということは私は大変重要なことだと思いますけれども、外交か軍事力かという二者択一では話は進まないであろうというふうに思います。
 あるいは、それから、有事というのは何も突発事態ではないという御指摘でございましたが、それは突発事態ではない有事もあるし、突発事態の有事もあると。それも二者択一で考えるべきではないというふうに思います。
 また、国連か日米同盟かというような私は二者択一も間違っているというふうに思っておりまして、日米同盟でなければ果たせない役割と国連が有効に果たせる役割というのはそれぞれあるのであって、そのどちらかを選ぶという問題ではなかろうと。
 私は、しかしながら、国連を尊重しなければ世界がウェストファリア体制の時代に戻ってしまうというふうには全然考えませんで、それもかなり飛躍した議論であって、国際法と国際機関が様々な形でたとえ大国であろうと部分的にも拘束していることは間違いない。だって、今回のイラクの問題をめぐっても、アメリカが安保理決議を取ろうとして最後まで頑張ったわけでありまして、あれほどの超絶した大国を国際連合の安全保障理事会は相当期間拘束したわけです。そういう意味では、国連が大国を拘束する側面ももちろんある。しかしながら、国連が完全にアメリカの意に反したことをアメリカに押し付けることができるというふうに考えるのは力の現実を無視した議論であろうと思います。
 したがって、国連や国際法は緩やかに超大国をも規定している。しかしながら、超大国が必要に応じてそうした枠組みを超えることもあり得る。それがいいか悪いかという規範論とは別の問題として、現実としては、国際秩序というのは、国際法や国際機関とともに、国家間の力関係、そして非国家主体の重層的な組合せで成っているのであって、どれか一つだけで国際政治を説明しようというのは愚かな試みであろうというふうに私は思っております。
○吉川春子君 水島参考人にお伺いいたします。
 我が党は、共産党が政権与党になって、もしも万が一なんですが、急迫不正の主権侵害があったとき、あるいは大規模災害があったときに必要に迫られた場合には存在している自衛隊を国民の安全のために活用するという立場です。今お触れになりましたね。
 そこで伺いますが、自衛隊法は緊急・非常事態法制であるわけです。有事のとき自衛隊はどう動くか、詳細な規定が設けられていると私は考えます。防衛庁自身が、有事における自衛隊の任務遂行に必要な法制の骨幹、骨の幹と書くんですけれども、骨幹は現行の自衛隊法により既に整備されているということを何度かあちこちでおっしゃっているわけですけれども、これでは対応できない緊急事態の可能性があるのでしょうか。どういう御認識ですか。その点について伺います。
○参考人(水島朝穂君) 私は、自衛隊法七十六条あるいは七十八条、命令による治安出動、つまり対内的緊急事態、対外的緊急事態の大体のカテゴリーは現行自衛隊法等に含まれていると考えておりまして、警察法、先ほどおっしゃった七十一条を見れば、既存のいわゆる緊急事態の当然入るようなエッセンスというのは、現行法にかなりこれは整備されていると。もちろんそれがどう動くかはともかくとして、規定としては整備されていると思います。
 今回の武力攻撃事態法案というものが、つまり、その前の九八年の周辺事態法とともに、次第にいわゆる想定されている、いうところの有事の想定が、日本があらかじめ攻められ日本国土防衛戦争という形で国民に権利義務を制限して行うようなものから、次第にやはり対外的に自衛隊が海外展開している中でそういうふうな必要性が出てくる、そういう、いうところの有事に私は変わりつつあって、そういう流れの中で、今回の武力攻撃事態法案の中で、民主党さんも含めて最後まで追及していた、あのいわゆる予測されるに至った事態というものの流動的移行の問題がこれから大きく問われてくると思いまして、言わば日本が攻められないのに、言わば何らかの形で周辺諸国にアメリカが軍事介入したとき、それに対する相手国のいうところの自衛権行使に対する反撃として日本が言わば有事を引き出すような格好で関与してくる、こういう形の言わば軍事介入型有事法制の危険性というものを認識していまして、そういう観点から批判をしてまいりました。
○吉川春子君 佐々参考人にお伺いいたしますけれども、ブッシュ大統領はイラクに対して先制攻撃を行ったわけですが、日本の自衛隊が先制攻撃を行った同盟国を支援することは憲法上可能であると、どういう形にせよ支援するということは憲法上可能であるとお考えでしょうか。
○参考人(佐々淳行君) 解釈の違いだと思います。アメリカの単独武力攻撃で、先制攻撃という解釈をすれば、自衛隊はこれに参加をすることはできませんし、すべきでないと思います。
 しかしながら、この国連決議によるイラク制裁、そしてこれによって、あのときには二十八多国籍軍も参加をした国連決議があって、その国連の加盟国として各国、二十八国が参加したとき、日本は参加しませんでしたよね。その後、実は停戦協定なんです、シーズファイアと言っているんであって、皆さんお忘れのようなんですけれども、一九九八年でございましたか、あのブレアの前です、メージャーとクリントン。何と民主党のクリントンとメージャーと組んで三日間の猛烈な爆撃やっているんですね。六百五十機参加をして四百五十発巡航ミサイルを撃ち込むという、物すごい軍事行動を取っているんです。このときには国連の各国、一応これを黙認しているんですね。というのは、シーズファイア、撃ち方やめと言っているのに、十七回、違反したといってやったわけです。
 今度のブッシュの攻撃も、根拠としては国連決議があって、念のため一四四一の同意を取り付けて更にやったと、こういう外交努力を続けたその最終結果としてやったと、こういうことでありますので、この前のクリントンのときのあの批判というのは、皆さん全然忘れちゃって言わないんですけれども、クリントンのやったことと同じことであります。その時点においては、自衛隊、もちろん参加しておりません。
 今度のイラクに対する武力攻撃は終結宣言をしておりますので、現在起こっているのは治安問題ですね。そして、人道上の支援というPKO法の改正案の条文に基づいて、軍事行動ではなくて、国連の要請、一四四三でしたかね、ちょっと正確に──別の、イラクを復興支援せよという国連決議がございまして、これに基づく人道支援としてやっているんですね。したがいまして、今回の仮にイラク支援法で派遣することになりましても、その根拠法規が、武力行使をお手伝いするというものではなくて人道支援の条文を使いますので、趣旨が違うと思います。
○吉川春子君 水島参考人にお伺いします。
 もう時間が二分ぐらいしかなくなったんですけれども、九条二項の交戦権行使の規定は、幅広い意味での武力行使が、あるあらゆる場合を通じて完全に放棄されたと「註解日本国憲法」で書かれていますけれども、イラクの占領への支援は交戦権の行使に当たるのではないか、この点についてのお考えをお聞かせください。
○参考人(水島朝穂君) イラクの占領統治というものが先ほどから千四百八十三号決議に基づく人道復興支援だといいましても、基本的にそのいわゆる中身はアメリカによる武力行使全般を正当化したものであると私は解しておりません。したがって、そこに、例えばアメリカの占領軍のコアの部分に自衛隊が関与して、そこにおいて何らかの形で武器使用が束ねられて行われて、かつて池田長官はそうおっしゃいましたが、そう行われた場合、その場合、武力行使という形に私はなります。そうなった場合、当然、日本は戦後初めて九条二項違反の事態になると、こう考えております。
○吉川春子君 終わります。
○会長(野沢太三君) 平野貞夫君。
○平野貞夫君 参議院には国会改革連絡会という会派がございまして、毎回これ申し上げておるんですけれども、皆さんは初めてでございますので、自由党と無所属の会という政党といいますかグループで作っている会派でございます。私は自由党に所属している者で、平野と申します。
 お三人の参考人の先生方にまずお聞きしますが、現在、国会に安全保障基本法、それから非常事態対処基本法という法案が提出されておるんですよ。これを、その事実をお三人の先生方、御承知でしょうか、御承知でないでしょうか。ちょっとお答えいただけないでしょうか。
○参考人(佐々淳行君) 議員立法で出ていると承知しておりますけれども、政府は出しておりません。
○参考人(水島朝穂君) 議員立法として存じ上げております。
○参考人(村田晃嗣君) 右に同じでございます。
○平野貞夫君 ありがとうございます。
 ひょっと、御存じないかと思って、自由党が衆議院にこの二つの法律を議員立法として出しております。
 実は、私、高知の生まれでございまして、高知には大勢の俳句を作る人がおりまして、私、六月にグループで、ある俳句を投句したんでございます。できの悪い俳句なんですが、「梅雨入りや有事立法みな違憲」という、違憲というのは憲法違反という。ところが、この俳句が何と入選して驚いておるんですが、それは、昨年のテロ法から出てくる、次々とした有事立法といいますか、軍事立法に対する私やっぱり国民の反応だと思っております。
 ところが私、共産党や社民党と同じ理由で違憲と言っているわけじゃございませんでして、私は、憲法の今までの運用あるいは、憲法は変わっていませんから、憲法の理念や精神の中で何がやれるか、新しい状況に対して、何はやってはいけないかということを決めずに、ずるずるずるずると昭和の初期のように事態に流されて特殊な立法を制定し続けているこの国会に私は非常に怒りを持って作った俳句でございまして、別に共産党あるいは社民党と同じスタンスじゃございませんですが、おかげさまでその安全保障基本法については随分政府側も、石破防衛庁長官とかあるいは福田官房長官も、恒久法を作ろうという意見を国会の答弁でするようになったんですが。
 これは佐々参考人と村田参考人にお聞きしますが、私どもは安全保障政策の全般にわたる基本的な考え方を安全保障基本法として作るべきだという意見なんですが、出しているものはそういう内容なんですが、どうも今の政府の方針ですと、自衛隊を海外に派遣する恒久法を作ろうという発想のようなものでございます、発想のようだというふうに答弁から伺います。そんなものではちょっと余計おかしくなるんじゃないかと思うんですが、佐々参考人と村田参考人の御意見を拝聴したいと思います。
○参考人(佐々淳行君) 自衛隊のための武力攻撃事態対処法というのが先行をした、これに対して国民保護法、これが遅れておるということに対する国民のいら立ち、それがあると私は思います。国民保護法の方が先ではないのかという、ある意味では民主党の御意見でしたかね、それから自由党が基本法を作れとおっしゃっているという考え方、中身についてはうんと詰めなきゃいけません。
 やはり、さっき申し上げた民族の生存権という、これを守るための防衛と、国民の身体、生命、財産の保護という治安を最上の社会福祉とするという考え方、これをドッキングした包括的な法律を基本法として作るべきであると私は考えております。
○参考人(村田晃嗣君) ありがとうございます。
 私も佐々参考人がおっしゃったのと全く同意見でございまして、安全保障基本法というものをもし制定する機会があるとすれば、それは我が国の安全保障政策の大きな枠組みを、国連のPKOの問題などを含めて非常に広範な枠組みの法律を作るべきであって、自衛隊の海外派遣云々に限定された立法であってはならないというふうに存じております。
○平野貞夫君 ありがとうございます。
 ここは憲法調査会という機関でございますが、いずれ今の憲法では、私は、もう既に限界が来ているわけですけれども、これは国がもたなくなると思います。
 しかし、今の情勢の中でこれは憲法を改正するといってもなかなか至難な業でございます。国内的な事情もありますが、やはり少なくとも東アジアの一定の安定というものがなければ、やはりいい憲法は作れないというのは私の考え方でございますが、その間、やはり残念ながら憲法を補完する形での基本法はどうしても要るという意見なんですが。
 そこで、水島参考人にお尋ねしますが、私どもは緊急事態というより非常事態という言葉を使っております。そして、私たち自由党の提案しています非常事態対処基本法の一番の眼目は、もちろん国民の生命、財産、それから自由ということを保障することですが、基本的人権の保護のためにこの非常事態対処基本法が要るという認識をしておるんです。
 先生の御意見を聞いてみますと、非常に進まれた、国家にはそんなものは要らないんだという意見のように私は取ったんですが、これは直接侵略、間接侵略だけじゃなくて、テロリスト、それから、もちろん災害、騒乱、そういうものによる生命、財産とか諸権利の被害、それから資源とか国民経済、そういったもののやっぱり非常事態、要するに通常の危機管理では、危機管理体制によっては対処できない困難な事態というのはまだまだ発生し得る、特にこの東アジアでは発生し得る可能性が高いと思うんですが、その辺についての御意見を聞かせてください。
○参考人(水島朝穂君) 私、整理すると二点、お答えしたいと思います。
 一点は、安全保障基本法ないし非常事態を規定した基本法という形で憲法を補完するという言わば立法の作法についてであります。つまり、私は、基本法といったからといって、皆さんは立法府でございますから当然三分の二は必要ございません。出席議員の過半数で議決する通常の立法、法律でございます。したがって、基本法といっても普通の軽犯罪法と同じ法律のランクでございます。
 したがって、そういう意味でいうと、基本法という言い方を使うことによって憲法の機能を代わるような形でいくのは、これはいわゆる法律の整合性からいって私は問題であります。
 ただ、いわゆる教育基本法とかいろいろな基本法がありまして、いろいろ呼び名が増えてまいりましたけれども、そこに安全保障も加えるべきだというお考えですね。そういう形で、つまり憲法が改正できないからやろうというのは私は筋が違って、やはり非常事態とか緊急事態という問題は、憲法の仕組み、立憲主義の仕組みを変えるわけですから、これは基本的には憲法改正の議論でやるべきなんですね。
 ですから、その意味でいえば、そういう基本法という形を法律で使うということには疑問です。
 二点目は、では具体的に、例えば今、A、B、C、D、E、Fという大変レトリックの天才佐々さんらしい言葉で分かりやすいんでありますけれども、実は軍事的な非常事態と呼ばれる中身と例えばテロリストと呼ばれるものの中にも様々な形態がありまして、例えば私、韓国に行きまして対テロ部隊の大佐と話しましたけれども、北朝鮮の対南進攻能力は統計的に落ちているという認識を彼は持っていまして、その意味でいうと、それが日本にやってきて様々なところで原発に手りゅう弾をぶち込むという議論が出ますけれども、私はそういう想定の下で立法やあるいはそういう仕組みを作るべきでない。危機のありようというのは整理をして、私も、例えば火災とかあるいは大規模災害とか原子力事故、これは当然対処しなきゃいけない。それに対してはそれぞれの立法やそれぞれの仕組み、場合によってはさっきから出ているような内閣の臨時的な編成もあり得るだろうけれども、それをあえて緊急事態というくくりで作ることに実は問題を感じておりまして、国民保護法制も実は武力攻撃事態とセットで議論されていますから、どっちが先かという問題ではなくて、私は切り離して、内容に即して整理して議論すべきだという立場でございます。
 したがいまして、そうでございます。
○平野貞夫君 ちょっと認識の相違かも分かりませんが、私は、この非常事態対処基本法というのは最大の国民保護システムだと思っています。それから、現実のやっぱり政治の責任を持つということは、想定されるあらゆる事態に対する可能な対応をできる仕組みを作るのが私は政治の責任だと思っております。
 それからもう一つは、私一番今心配していますのは、現在の不況も含めまして、あるいはこの社会の停滞、それから犯罪の凶悪さ、若年化、こういう事態は、工業社会から情報化社会へ言わば文明が転換している大混乱期だと思います、現在は。いわゆるテロリズムも僕はそういう一種の第三次産業革命の中で起こる大混乱だと、混迷期だと思っています。ですから、通常の危機管理じゃいかない。
 やはり国の責任として、政治の責任として可能な限り国民の自由と国民の権利、生命、財産だけじゃなくて、これを守るための仕組みというのは、憲法は、現在の憲法でも、私どもはもちろんその基本法の中にも日本国憲法の精神に基づいてと、日本国憲法の平和主義、国際協調主義の理念に基づいてという枠の中で考えておるんですが、これはやはり現在我が国で一番必要な、国の安定のため、発展のために必要な仕組みじゃないかと思うんですが、その点についてもう一回、水島参考人の。
○参考人(水島朝穂君) 国民保護という形で、例えば大地震が起こったとき、日本は今非常に国際化して外国人もいますし、場合によっては日本が敵対しようとしている国の人々も今在住で大勢いらっしゃいます。私たちは、そういう人たちを一々国民ですか、そうでないですかといってそれぞれ救助隊が分けるはずがありません。当然のように、責任を持ってその住民の安全を守るという形で政治も動くし、行政も動きます。
 しかし、考え方のところで国民保護法制というのが私は一番大きなミステークをしていると思いますのは、武力攻撃事態法という仕組みの中にそれを言わば入れようと、無理に入れようとしているわけですね。国民保護法制という言葉に反対する人はいません。
 しかし、それを私は、スイスがやったように住民保護というふうに読み替えながら、もっと自治体の権限や警察の権限や消防の権限やそういうところを言わば地方に分散させつつ中央の役割をきちっと明確にする、そういう立法提言であれば賛成します。しかし、現在の議論は、あくまでもアメリカの議論に余りにも過度にすり寄り過ぎてはいないかというのが私の危惧でございますから、平野委員がおっしゃるような問題意識のところではつながる部分はあるというふうに考えております。
○平野貞夫君 私も、アメリカの言うなりになるということは反対でございまして、先日も予算委員会のテレビ中継で、ネオコンは民主主義の形をした新しいファシズムだということを公言している人間でございますので。
 ただ、私、今の政府の国民保護法のやり方は必ずしも賛同しておりません。別の考え方でやっております。
 そんなことで、相当やっぱり人間の心が不安定になって何するか分からぬ時代になっておると、そのための整備は必要だということを申し上げて、時間でございますので終わります。
○会長(野沢太三君) 大脇雅子君。
○大脇雅子君 参考人の方々には貴重な御意見をどうもありがとうございます。議論も非常に刺激的で、いろいろな問題点を考えさせられております。
   〔会長退席、幹事若林正俊君着席〕
 まず、水島先生にお尋ねしたいのですが、国家が暴力を独占し、あるいは国家が主人公の時代は去って、二十一世紀はNPOその他のアクターが非常に重視されて、軍事力よりも非軍事力というのがむしろ重視される時代になったと言われました。
 私もそうした考え方に賛同したいと思うのですが、ただ、非軍事力といった場合に、非常にそのリアリティーがなかなか説得できないというところがありまして、非軍事力による世界秩序と申しますか、世界の構成といいますか、在り方、ビジョンというふうなものはどのように先生は描いておられるのでしょうか。
○参考人(水島朝穂君) 先ほど、いわゆるウェストファリア講和条約に逆走するという、それほど単純、しかねないという趣旨で言わば言ったんであって、現実の国家の枠組みは現実のリアルな認識は私も持っておりまして、その意味では、アメリカが安全保障理事会で言わば決議を取れなかった事態が国連を顕在化していると私も考えておりますから、あるいは様々な反戦運動の力とか、そういうものがいろいろな形で今、一つで動いている時代じゃないですね、冷戦期のような国家と国家できれいに分けられている時代ではない。
 であるがゆえに、私は、冷戦時代に、例えばPKOの活動や地味な活動が、実は冷戦後、非常にいわゆるこわもての紛争介入型のような、ガリ提案のような形の動きで失敗したりしながら、最終的には大国によってかなり武力を使った紛争のいわゆる仕切りなり、いわゆる抑止というのが生まれてきました。
 しかし、私は、近年、いわゆる紛争介入型NGOなども存在しまして、いわゆる紛争が始まっちゃったらもう軍事力しかないという議論に対しては、むしろそういうところに国連が介入したり、そういう紛争介入型のきちっとしたNGOが入ったりしながら、そこに言わば調停をしたり話合いを持ったりといういろいろな可能性を今国連も研究していまして、ルワンダの紛争のいわゆる教訓のレポートなんかにもかなりそういうものがあるわけですね。
 ですから、紛争が起こればすぐ軍事的なオプションが必要だという議論には私はくみしないと同時に、今の非常に厳しい国際関係の中で、例えば国連の厳格ないわゆる統制の下でのそういう警察的な機能といったものが将来的に生まれていった場合には、そういうものというのは検討に値するだろうと考えている一人ですけれども。
 ただ、それを今の日本の例えば恒久法のような議論にスライドさせることに批判的な立場を取るのは、先ほどから出ている、国連か同盟かという議論じゃないんだ、両方大事だという議論を、私は逆の形でいえば、国連というものの集団安全保障というものの方向をどう育てていくかというのが大事でありまして、その中でいえば地域的な集団安全保障、例えばヨーロッパではOSCEのような五十三か国の言わばそういう仕組みができていますから、NATOという軍事同盟型というのは次第に影が薄くなっているんですね。その自己主張がコソボ空爆だったと、私、当時ドイツにいて思ったんですけれども。
 そういう意味でいうと、アジア地域にどうOSCE的なものを作るかというのがこれは中期的な相当大きな課題になるし、それができる手前までに、少なくとも韓国や、それから中国や日本というところの地域的な枠組みを作っていく、その中で日本の果たす役割を明確にしていく。これが私は日本の安全保障の道であって、今自衛隊を直ちに廃止しろとか解体だという議論は当然にはくみしませんが、規範的には違反ですけれども、そういうふうなものではありませんけれども、そのプロセスの中で、今アメリカの同盟型の方に余りにも過度に肩入れする仕組みは今述べた前者の側を言わば生かせない、そういう意味ではマイナスに働くだろうと、そういう認識でございます。
○大脇雅子君 ありがとうございます。
 国民保護法制が先送りをされて有事法制が通ったということについては、私も非常に問題であるという現状認識でおりまして、確かに、武力事態法とか、あるいは有事法制との関連で国民の保護法制が考えられるよりはもっと重要な課題であろうというふうに思うわけです。
 佐々先生にお尋ねをいたしたいのですが、治安は最大の社会保障という先生のお考えというものに私は少し付いていけないところがございまして、それじゃ治安を主体とした国民の生命と生活、安全ということになれば、言わば第二次世界大戦のときに発生した人権規定の抑圧みたいなもの、あるいは権力の濫用というようなものとの関係は保護法制の中ではどんなふうに考えていらっしゃるのでしょうか。
○参考人(佐々淳行君) 済みません、ちょっと記憶の間違い、記憶をたどりまして、さっきお答えを、吉川委員に対してウィリアム・ブキャナンと申しましたが、ウィリアム・デュランでございました。訂正をお願いします。
 今の御質問、それと同時に、これは山口委員も、あるいは平野委員へのお答えにもなるんだろうと思うんでありますけれども、やっぱり独立というのが失われた状態というのは我々経験しているわけです、昭和二十年に。これはどんなに惨めなものかということ、それから幾多の事件でもって命が失われたときの悲しさというか悲惨さというものも私も経験しております。
   〔幹事若林正俊君退席、会長着席〕
 したがって、国の生存権、独立を守ること、それから人間の命を守ること、これが最大の社会福祉であると申し上げたのは、それに、そのために治安維持法を復活せよとかなんとかいうことと全く関係ございません。警察力をもっと数を増やしてくださいと言っているんです。交番が満杯になっていないで、十四か所もこそ泥に入られるなんてみっともない状態を何とかしてくださいと言っているわけです。
 そこで、これがお答えになるとすれば、外交がと吉川委員おっしゃいました。我が国が持っている物すごい安全保障上の外交的な武器というのはODAなんですよね。ODA一兆円、これインスペクション、検査しちゃいけないという、あるいはNGO、これに国の予算を投入していけば、これに参加をするボランティアたちというのはいるんですね。ドイツやアメリカもみんなそうですけれども、あご足を国が持って時間と勤労奉仕を提供する、これがあるべき姿で、しかももう一つ大きい問題は難民対策なんです。難民の問題に日本が貢献をすることによって地域紛争解決に平和的に貢献するということができます。
 私がさっきから申し上げている安全保障基本法というのは、このODAだとかNGOだとか、それから難民対策含んでおります。それで、発想がでか過ぎるではないかということになったら、まず安全保障大綱というものを作るべきなんじゃないかと。だから、今の例えば少年非行の問題どこに位置付けるのか。大きなあれを作ってその中に入れていく。そして、やはり国民が今一番望んでおるのは、やはり北朝鮮からの軍事脅威で生存、我々の、大丈夫なのかと。それから、犯罪者によって自分の子供たちが殺されるんじゃないかとか、こういう生命の恐怖というのが今この平和大国日本に生まれ始めていると、私はそういう感触を持っております。
 したがいまして、何か治安の、治安は大切だよと言うと治安維持法じゃないかと、こういうふうにお考えいただかないように、私のは実務的な体験に基づいて、被害者たちの悲しみというのを見ていますから、それを何とかしたいと思っているという意味で治安は最大の社会福祉だと申し上げております。
○大脇雅子君 水島先生と村田先生にお尋ねをしたいんですが、まあ日本ではヨーロッパの人権裁判所のようなものがなくて、やはり有事法制や武力事態法制や今回のイラクの問題に関しても、一般的に国民が、じゃそういうときになったときどうやって人権が守られるのかということであろうと思います。
 水島先生は司法救済の道を一つのチェックシステムとして先ほど言われまして、私も非常に、なるほどそういう道もあるのかというふうに思いました。それで村田先生の方は、平和の向こうにあるものを考えていくという視点から、国連に対しても複眼的な見方をと言われましたが、そうした人権擁護と有事・緊急事態法制あるいは有事法制と人権の保護という関係についてどのように考えられるのかお尋ねします。
○参考人(水島朝穂君) ヨーロッパ人権条約の十五条に緊急事態の規定があるということを先ほど申し上げて、日本にはそういうような司法統制の道がないからという議論をした背景は、実は九六年のヨーロッパ人権裁判所の判決がありまして、トルコ政府が緊急事態においてクルド労働者党を言わば司法にかけないで十四日間勾留したのに対し、ヨーロッパ人権裁判所が言わばそれを違法としたケースがありまして、つまり緊急事態であっても言わばそういうようなものをチェックする仕組みがあるんですね、司法的に、ヨーロッパには。
 アジアにはもちろんすぐにはできるはずもないし、日本国内に最高裁判所は統治行為論で恐らくそれは逃げるだろう。そう考えたときに、日本でそういうふうなシステムを作っていくとき、必ずそのチェックシステムとは一体でなきゃいけない。しかし、私は今の議論というのはそういうものは言わば全くないということを危惧として表明したんであって、裁判所が緊急事態の救済主体になるという意味で申し上げたのではございません。
○参考人(村田晃嗣君) ありがとうございます。
 私は、そのヨーロッパの人権裁判所等々の活動についてはつまびらかに存じませんので、何かお答え申し上げることはできませんが、安全保障と人権というのが時として矛盾をはらむ関係であるということは古くからの問題であって、緊急事態や有事に際して人権をどこまで守っていけるのかということはこれは大変大事な問題で、今後とも考えていかなければならないことであろうというふうに思います。
 ただし、安全保障の大枠が守れなければ我々の生命、財産、物理的な生命、財産が脅かされるということであって、安全保障が基本的人権に矛盾する局面はあるにしろ、安全保障が前提にならなければ実は基本的人権も守られないという関係にもあるのだろうというふうに思います。
 それから、もちろんヨーロッパその他他国から我々が学ぶべき点があるとすれば大いに参考にし、学ぶ必要はあろうかというふうに存じますけれども、例えば安全保障に関して申しますと、ヨーロッパが今日置かれている国際環境と北東アジアの日本が置かれている環境は根本的に違うのでありまして、ヨーロッパでは冷戦の終えん後ソ連の軍事的脅威がなくなって、少なくとも西ヨーロッパの先進国は大国による軍事的な武力攻撃を受ける可能性が非常に低下したと。ところが、北東アジアでは北朝鮮の軍事的脅威というのが依然として存在し、中国と台湾海峡を挟んでの問題というのも存在をしておりまして、そういう地政学的な条件の相違ということを考慮をせずにヨーロッパでの出来事を北東アジアに当てはめるというのには、私はやや無理があるように存じます。
○大脇雅子君 今の村田先生の御意見に対して、水島先生、それから佐々先生はどのように思われるでしょうか。
○参考人(水島朝穂君) 基本的人権と安全の関係というのは、ドイツで今、安全を求める基本権という議論が憲法学者は出していまして、私の先生のイーゼンゼー・ボン大学教授なんかは、それを安全保護義務、国家保護義務という議論であります。例えば、組織犯罪からどう国家は個人を守ってくれるんだ、これは基本権じゃないかと、こういう議論ですね。この議論と実は日本の今の議論というのは非常に重なり合うし、佐々さんがさっきから言っている議論というのは非常に重なり合いまして、憲法学者、研究者としても、つまり国家と個人との関係にどういう形の言わば人権という議論を立てたときに問題があるかということは結構新しい議論として今出ているんですね。
 そういうときに、私は、基本的に憲法における人権の核心は国家からの自由というものがあります。したがって、ここが侵されるということはもう一番の大問題ですけれども、犯罪であるとか組織犯罪とか、そういう中間的にそういう担い手が出たとき、それとどう向き合うかというのは、これはそれ自体として重要であります。
 したがって、人権を守るために緊急事態が必要だという議論が非常に国民の支持を得やすいんですけれども、緊急事態という手段は最終的に、例えばそれは国民の人権を侵す毒薬で、劇薬でもある。したがって、そこのどのような手段が必要かという議論のときに、私は、先ほどから言っているような、そういった事態を細かく分けて、包括的なそういう権限を持つような議論として、つまり緊急権の議論としてやるべきでないという立場を持っていまして、人権保障のための様々な手段をとりわけ犯罪とかそういうものにやることは全く当然でありまして、そういう点では佐々さんと共感する部分もあるわけでありまして、そこを整理して議論できていないところに今の議論の私は混乱があるという考えを持っています。
○参考人(佐々淳行君) ありがとうございました。
 そういう大変私が主張しておることは、基本的人権というのにも、あそこに憲法に一杯書いてございますね、優先順位なんです。やっぱり最高は生きることなんですね、生きていること。
 それで、例えば、移動の自由、居住の自由がありますね。いろんな、言論の自由もございます。どうそれを順番付けていくかというのが政治の良識の問題、社会の良識の問題であって、例えば非常事態が発生したときに、移動の制限をいたしますよね。おれは移動する自由があるんだと言ったって、危険な地域から排除しないと、規制ラインを引かないと非常に生命が脅かされるというときは、やっぱりさっき言った憲法二十九条、公共の福祉、最大多数の最大幸福のためには破壊消防をやりますよと、家も壊しますよと、これは財産権の侵害になりますけれども保障しますよと、こういう発想で人命の保護、これを最優先にするという基本人権感覚を持たないと私はいかぬと思います。
 それから、ある意味では、国家と地方自治体という問題があるんです。今の地方自治体、今の危機管理法令というのは全部地方自治体なんです。消防法というのは、三千三百の地方自治体、それも市町村長の権限になっているんですね、権限と責任になっている。それでいいんでしょうかと。安全保障、ブレークダウンして国民の生命、身体、財産の保護ということになると、突然国家がいなくなるんです。そして、地方自治体にどんどんどんどん責任が重くなっていく。そして、例えば東海村でもって原子力事故があったと、放射線が出てきたと、村上さんという東海村村長の責任になるんですね、避難は。これはおかしいです。
 そういう意味で、国と地方自治体の危機管理のすみ分けをしなきゃいけない。国が何かやると全部人権侵害だという発想というのはもはや通用しない。地方自治体がそれをやれるかというと、できない部分があります。その意味で、さっき申し上げたA、B、C、D、E、Fの危機に対して、戦争でも革命でもないんだけれども、それを地方自治体なりなんなり総力を挙げて対応する、その主力になるのはやっぱり警察、消防、自衛隊、海上保安庁ですよ。この組織された実力部隊が国家的に危機管理をやらないとどうにもならない。アメリカの場合には何かあると連邦が出てきます、大統領の指揮の下に。日本の場合は逆に阪神大震災があると国が下がっちゃうんですよ、それで地方だ地方だという。国と地方自治体のすみ分け、危機管理のすみ分けという問題もございます。
 それで、基本的人権には順番、優先順位を付けて考えましょうと、こういうことであります。
○大脇雅子君 ありがとうございました。私は……
○会長(野沢太三君) 大脇さん、時間が参っておりますのでまとめてください。
○大脇雅子君 はい。安全保障基本法を制定するよりも平和的生存権保障基本法というものを構想したりしているものですから、またいろいろ勉強させていただきたいと思います。
 ありがとうございました。
○会長(野沢太三君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言申し上げます。
 参考人の方々には大変貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 速記を止めてください。
   〔速記中止〕
○会長(野沢太三君) 速記を起こしてください。
 ただいまの参考人質疑を踏まえて、一時間程度、委員相互間の意見交換を行いたいと存じます。
 委員の一回の発言時間は五分以内でお願いいたします。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、御意見のある方は挙手をお願いいたします。
 近藤君。
○近藤剛君 ありがとうございます。自由民主党の近藤剛でございます。今日の討議テーマであります「憲法と緊急・非常事態法制」についての所感を若干申し述べたいと思います。
 今国会におきまして、昨年四月に内閣から提案されていましたいわゆる有事関連三法案がようやく修正の上、可決、成立をいたしました。これにより、我が国におきましても、当面、武力攻撃事態への対応を中心にしつつ、大戦後初めて国家として緊急又は非常事態に対応するための法的枠組みを整備する本格的なプロセスが開始されることになったのであります。一九七八年七月に福田内閣において有事法制研究を進める旨の決定がなされて以来、実に二十五年を経てのことでありました。
 大戦後、半世紀以上にわたり、我が国が自衛隊法、警察法、消防法あるいは災害対策基本法などの断片的規定を除きまして、国家として当然に有すべき体系的な緊急・非常事態法制を欠いたまま、国の安全と国民の生命と財産を大過なく守り得たことは、冷戦構造という人類史上初めて経験した特異な国際安全保障上の環境と、その下での日米安全保障条約の存在があったとはいえ、誠に幸運であったと言わざるを得ません。
 半世紀以上の長期にわたり、世界第二の経済大国にまで発展し得た我が国にあって、安全保障政策の分野に関する限り当然のことが措置されることもなく、場合によっては議論することさえもつい最近に至るまでタブーとされてきたのはなぜか。その根本的原因の一つとしては、日本国憲法の持つ重大な欠陥を指摘しなければならぬと思うのであります。
 近代人類社会にあって国家の果たすべき最低限の義務は、国の安全と国民の生命と財産を守ることであります。しかるに、驚くべきことに、日本国憲法は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」として、そのような国家としての最低限の義務を事実上放てきしたのであります。その結果、一切の戦力を放棄し、緊急事態に対する一切の規定を憲法の条文から結果として排除することにより、国家にとっての脅威や非常時への備えにつき想定することすらも否定したのであります。
 敗戦直後の占領下にあった我が国にとり、このような憲法を制定せざるを得なかった事情は十分に理解すべきであろうとは考えますが、独立達成後も我々は五十年以上にわたり現実の世界への対応をほとんどなし得なかった事実は批判されてしかるべきであろうかと思います。
 今こそ国際政治の現状をしっかりと踏まえ、国としての備えに遺漏なきを期すことは、国民に対する政治の当然の責務であります。そのため、このたびようやく着手した有事法制の整備を速やかに進めるとともに、当調査会におきましても、九条のみならず、緊急非常事態にあっての権限や立法措置などを明記することも含めて、二十一世紀の日本にふさわしい新憲法の在り方につき具体的な検討が真摯になされることを切に期待したいと考えております。
 ありがとうございました。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 ツルネンマルテイ君、続いて川橋君、お願いします。
○ツルネンマルテイ君 民主党のツルネンマルテイです。
 私は、今日の参考人の発言に対してではなく、先週の参考人の志方俊之先生の日本の安全保障に対するアメリカと日本の役割分担について、私にとって非常に興味深い発言がありました。それに対する私のコメントと提案を簡単に話をしたいと思います。
 もちろん、志方先生は、皆さん御存じのように、今は大学の先生ですけれども、以前は日本の防衛にはアメリカでも日本でも深くかかわった方ですから、その言っていることはもちろん私も賛同できます。しかし、そのあとは、先生の恐らくそれに対する考え方と私のは幾らか違うんじゃないかなと思っています。先生は、その役割に、日本とアメリカの役割について次のようにレジュメに書いてあります。米国が矛、我が国が盾の役割を分担すると先週は話しました。
 この矛と盾というのは非常に面白いことで、これをもちろん合わせればこれは矛盾という意味になります。私も矛盾という言葉は前から分かっていましたけれども、この矛と盾とどうこれは合うかということは非常に面白いんだから、辞典を引いてその矛盾の由来をちょっと調べてみました。皆様はもちろん調べなくても分かっていると思います。話を聞くと、日本の小学校でもこの説明がよく出るそうです。
 こういうふうに書いてあります。楚の国に矛と盾を売る者がいて、自分の矛はどんな盾をも破ることができ、自分の盾はどんな矛をも防ぐことができると誇っていたが、人におまえの矛でおまえの盾を突いたらどうかと言われて答えられなかったという故事に基づく説明があるんですね。
 ここから私は自分の意見ですけれども、もし日本の安全保障に対する役割がこういうふうなことで例えることができたら、アメリカの方はどっちかというと矛の方、日本は専守防衛というか盾の方の役割。しかし、このことに限っては、これは矛盾と考えない方がいいんじゃないかなと私は思っています。それでも、今のところ、少なくとも当面はそれでもいいんじゃないか、それはうまく両方の役割を果たすことができるんじゃないかなと私は考えています。
 それで、志方先生はさらに、アメリカの役割なしでは日本はほとんど日本の防衛が成り立たない、万が一日本が攻撃された場合は自衛隊の能力だけでは日本は無防備の状態になっている、全くそのとおりだと私は思っています。例えば、日本の防衛に欠かせない戦略情報の収集能力とか、軍事技術の基本的な部分とか、エネルギー輸送路の保護とか防衛というのはほとんどのところでアメリカに依存している、頼っているという状況は事実ですね。しかし、それかといって、私たちはすべてのことではアメリカの意見に従う必要がないと私は思っています。やはりアメリカも、私たちにはそういう役割分担があるとしていても、対等なパートナーとしては日本ははっきり自分の意見を言ってもいいんじゃないかなということ。
 特に、外交とか国際貢献に関して、余り時間がありませんから、私は、例えばイラクの戦争に対しては、もしどうしても、今はイラク法が恐らく成立するでしょうし、そして日本の自衛隊が派遣するだろう。もし、それはやむを得ない場合は、せめて向こうでの役割を果たすためには、これは民主党の意見ではなくて私の意見ですけれども、まず派遣する前には、日本は戦争そのものを支持したことはこれは誤りであった、それをはっきり反省して、アメリカに付いていって支持したんですけれども、これは駄目だった。しかし、その後は、今犠牲者になったその復興支援のためにはやはり自衛隊も必要ですから、そういうことを反省しながら送ったら、これは、日本はその自分たちの役割をこういう関係の中でももっと世界が認められているような方向で伝えることができるんじゃないかなと思います。
 時間が短いですから、これしかできませんけれども、以上です。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 川橋幸子君。
○川橋幸子君 私もツルネンさんと同じ民主党・新緑風会の議員でございます。
 日本国憲法と緊急事態法制との関係の今日は大変興味深い参考人の意見と議論を伺っているわけですが、それを伺った上で、私はかねてより、日本国憲法は自衛権があって集団的自衛権なし、これが日本国憲法の在り方、形だと思っておりまして、それでよいのだという持論に自信を持ったといいますか、この考え方でいいという、そういう自分自身の考え方にむしろ今日は自信を得たというような感じがいたします。
 佐々先生、それから水島先生、村田先生、それぞれ少しずつニュアンスは違いますけれども、佐々先生の場合も、最後には、何というんでしょうか、緊急事態、様々な法制をもっと緻密に構築して日本国民の生命、財産の保護に当たるべきと、とはおっしゃいますけれども、最後には、ODAとかNGOとか難民対策とか、こういう幅広い平和構築のことをおっしゃっておられたわけでございますし、水島先生の場合は、非常に文学的な表現でございましたが、日本国憲法の沈黙の意味を問うと、その沈黙というのがどれだけ大きな価値を持っているのか、韓国の例も引きながら、あるいはドイツの例も引きながら、日本国憲法が、この二十一世紀にどういう社会を日本人自身がこの憲法を駆使して形作ろうとしているのか、そこを問うような言葉が沈黙という言葉だったのではないかと思っております。
 ただ、村田先生の方は、やはり世代の差なんでしょうか、違いなんでしょうか、比較的、憲法改正は必要ないけれども、集団的自衛権なしというのは、これは内閣法制局の見解なんだから政府見解を変えればいいではないかという、そういう持論でいらっしゃったように思いますが、この点につきましても、私は、内閣法制局の見解と言われますけれども、それは時の政府が任命された法制局の長官であるわけでございまして、何も事務方の官僚の意見ではない。これは議院内閣制の中で政権与党が選択している解釈だというふうに思いまして、どうも内閣法制局が差し出がましく政治を飛び越えて判断するという言い方についてはいつも疑念を持つものでございます。
 世代間の差というときには、どうしてもこの歴史認識というものが付きまとうのでしょうか。もう私は過去の人間で、未来志向で、おまえは御先祖様、遺跡と言われているような感じがしなくもございませんけれども、やはり歴史としても、過去を直視しない限り、日本のこれからの社会、生きていく道、過去よりもなお険しいかもしれない。エネルギー資源もない、そういう国がこの国際社会の中で安定して平和な社会を保つには、なおもっと知恵が必要な時期に来ているのではないかと思いますので、是非その若い世代の方々にも、未来志向というものは過去を考えなくてもいい、いつまでも謝れば、いつまでも謝っているのだという、その感情的な問題ではないことを私は理解していただけないものかということをこの場でも、若い同僚議員がいらっしゃいますのでお訴えさせていただきたいと思います。
 いずれにしても、やはり外交というのは選択肢をたくさん持っていることが必要なんで、アメリカとの関係につきましても、今日はどの参考人も、三人ともが、米国との同盟かあるいは国連かという非常に単純な二者択一の図式ではないことを強調されておったわけでございます。選択肢を持つ、アジアの、アジアという地理的条件もよく考える。
 今回のODA大綱の改正の中には国益国益という言葉が非常に強く出てくるわけでございますけれども、この国益につきましても、一国だけの国益を考えるべきではないという、そういう三人の参考人の御主張でございまして、国際社会の中での日本の国益、それは国際社会の中で平和で協調しながら相互に平和に生きていくと、そういう環境を作り出すことの国益の方を私は今日の御意見の中から強く感じたということで、大体五分でございましょうか、もっと申し上げたいこともございますけれども、私の意見でございますので、御拝聴ありがとうございました。
 以上でございます。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 吉川春子君。
○吉川春子君 ありがとうございます。
 先ほど参考人も指摘されておりましたが、世界では戦争、地域紛争が頻発していて、日本は五十年以上、六十年近く戦争に巻き込まれてこなかった。これは、そのことは事実でございますが、それを今後どういうふうにしていくかということで、私は、やはり原因は憲法九条そして憲法前文、そしてこの平和の精神に貫かれた、例えば財政規定に至るまで平和の精神に貫かれたこの憲法によって日本は戦争に巻き込まれずに六十年近く来たというふうに私は考えております。
 したがって、この憲法の平和理念を守っていくことが、今後も日本が国際紛争あるいは戦争に巻き込まれない非常に重要な道ではないかというふうに考えております。ですから、決して、憲法に欠陥があるとか、そういうふうには考えていないということを表明したいと思います。そして、同時に今、日本、まあ特に政府といいましょうか、欠けているものは、あの第二次世界大戦、侵略戦争に対する反省、それを表す行為ではないかということを私、思います。
 と申しますのは、去年の二月にインドネシアへ参りました。今年の二月に韓国へ参りました。そして、そこでいわゆる慰安婦問題で野党の提出している法案をいろんな方に説明したときに、私が日本にいて知らなかった反日感情、非常に日本に対する強い、あの戦争に対する反省を問う声があるということを肌で感じたわけです。多くの国民は、日本は経済大国になってアジアの諸国から尊敬されていると考えていると思いますし、またそういう面もあるんですけれども、同時に、あの戦争に対してきちっと責任を問わない日本に対する激しい感情もいまだにアジア諸国の皆様にはあるということも認識しなくてはならないと思います。にもかかわらず、植民地政策に対して肯定的な発言、あるいは創氏改名に対して肯定的な発言など政治家の無責任な発言が後を絶たず、中国、韓国あるいは諸国の怒りを買っているということは大変遺憾だと思います。
 私は、緊急事態を起こさせない外交努力、そしてその他の努力というのが非常に重要だと思いますけれども、まず日本がこういう過去の戦争に対する反省の気持ち、行為、そのことをしっかりと表明することが、アジアにおける日本の地位を高め、尊敬を集める、そしてこれが大きな安全保障の一つになるのではないかというふうに考えております。
 そういう立場から、私たちは本当にすばらしい憲法を今持っていると思いますし、この憲法を守っていきたいということを党としても個人としても考えていることを申し上げまして、発言を終わります。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 市川一朗君。
○市川一朗君 今日の三人の先生方のお話の中で、佐々さんが出されました憲法第九十八条の問題には大変私も長年非常に関心を持っているテーマでありまして、これは非常に重要な問題ではないかなというふうに思います。
 今、日本の憲法は大いに尊重すべきだという御指摘ございました。もちろんそういうことも踏まえた上ででございますが、要するに我が国の今の日本の憲法は、戦後、正に国際社会の中で「名誉ある地位を占めたい」という前文の姿勢の中で全体の構成ができております。その中で、九十八条第二項というのは、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」という条文になっております。
 そういう段階の中で、じゃ国連憲章とかそういったものと日本国憲法とが完全に合致すればいいわけですが、合致しない場合、それはあえて矛盾といいますか、そういう場合にどうするかという場合の今までの政府の公式答弁と言っていいんでしょうね、考え方は、佐々さんのあれですと、国会及び内閣法制局が憲法上位説で、外務省は条約上位説となっておりますから、この場合、政府というのはどこを指すことになるのかよく分かりませんが、一般的に私が理解しているものでいくと、あくまでも憲法による制約があると、こういうことであります。したがって、当然、集団的自衛権の問題とか、そういった問題も含めて我が国の行動にはいろいろ限界があると。
 九条の、憲法九条の議論をしていくと、その辺は素直に分かる面もないわけじゃないんですけれども、したがって、憲法九条を改正すべきかどうかという議論をすべきかもしれませんが、ただ、少なくとも、今のこういう建前でいきますと、日本国は、九十八条第二項で言っている日本国が締結した条約及び確立された国際法規を誠実に遵守できない部分があるわけですね。どうしても憲法の制約で、それ以上はできないという部分が出てくるわけです。
 これはもう元々そういう憲法の性格があったわけですが、私、今日、佐々先生に改めてその点を指摘されまして、我々憲法調査会として議論していくときに、これからますます国際関係複雑になってくると思いますし、いろいろと事態によって動いてくるだろうと。そのときに日本という国が、いわゆる日本人は割かし恒久の平和とか不磨の大典とかというのが好きですから、国民全体の感覚からすると、それでもやはりこういう憲法を持っている以上はここまでが限界ですと言って主張するのが日本の正しい在り方じゃないかと、そういう考えを持っている国民の方も非常に多いのではないかと思いますが。
 しかし、本当の意味で国際社会で名誉ある地位を占めるためには、国際社会がこういこうというふうに合意したものについて誠実にそれを遵守し、実行できるような国家でなければ本当の意味の国際社会における主体的地位は占められないのではないかと、そういったことを今日は、佐々さんを通じてでありますが、指摘されたというふうに思っておりまして、この憲法調査会の今後の論議を進めていく中で、この今日のテーマに関する一つの大きな問題点なのではないかというふうに思いましたので、一言発言させていただきました。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 ほかに御意見はございますか。
 中島啓雄君。
○中島啓雄君 今の市川さんもおっしゃいましたが、集団的安全保障というか、そういう今後の国際的な平和と安全への貢献を日本がどうやっていくかというのは非常に重要な視点ではないかと思います。
 佐々先生が、サンフランシスコ条約締結時あるいは国連加盟時に憲法を改正すべきではなかったかとおっしゃるのは一つの卓見だと思いますし、まあ幸いにして日本が憲法改正を、明快なる議論をしないで過ごしてこられたというのは、一つは、日本は四囲を海に囲まれておりますから国境が見えないんですね。
 私、ドイツに、まだベルリンの壁が崩れる前に西ドイツに滞在をしておりましたが、そのときに東ドイツの国境というのを見る機会がございましたけれども、その場合、何百メーターかの無人地帯があって、両側が鉄条網で囲まれていて、五百メーター置きぐらいに望楼があって、犬が、番犬が走り回っていると、こういう非常に厳しい現実を眺めて、やっぱり国境というのは大変厳しいものだなと思ったのが一つと。
 それから、ドイツの場合は一九四九年に基本法ができたんですが、一九五五年にNATOに加盟すると同時に再軍備ということで国防軍を創設したと、こういう経緯があるわけですが、日本の場合は、要するに集団的安全保障というのがアメリカとの関係はございましたけれども、東アジアのいろいろな政治情勢の関係で、東アジアとしてのNATOに代わるような集団安全保障体制がなかったということで、まあたまたまそういう機会がなかったと、こういうことではないかと思います。
 そういう意味で、自衛隊なり今後の国防軍という組織は、自分の国は自分で守るんだと、国の独立と平和というものは自分で守るんだというのはこれは当然の話であると思いますし、今後の国際平和という面では、やっぱり集団的安全保障なり平和、国際平和への貢献、あるいは人道支援といった面を積極的にやっていくことが必要ではないかと思います。
 それからもう一つは、緊急事態といいますか、テロとか災害に対してどうするかと、これも国際支援の問題があると思います。そういう意味で、今後の法律改正なりなんなりの議論というのはこういうところから出発するのではないかと思っております。
 それから、ドイツなりEUの最近の動向を見てみますと、ドイツの憲法は一九五五年の改正、その前から入っているんだと思いますが、侵略戦争は憲法上禁止をされているという、一つの重要なポイントだと思いますし、もう一つ、EUが最近EU憲法を作ろうということが出ておりますが、その中に近隣諸国との友好繁栄条項ということでEUの周辺の諸国との安全、平和を維持していくという条項が入っているというようなことを参考にしながら、特に東アジアとの関係では、この間の有事法制でも必ずしも積極的に賛成の反応があったわけではないので、そういう意味からも、今の自衛隊のような組織を東アジアの平和と安全に貢献していくんだと、侵略戦争は決してやりませんと、近隣諸国と平和を維持していきますという一つの証左の道具としても使っていくことが有効ではないかという気がいたします。
 以上でございます。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 大脇雅子君。
○大脇雅子君 私は、政治ないしは政治の最も基底に添えられるべきことは、やはり市民の楽しみや苦しみあるいは悲しみやうれしみなどの日常の生活、人間の営みをどうやって安定的に保護するかということにあるのだろうと思います。
 外的な侵略という形を取る戦争とか、あるいは内的な紛争とか、突然起きる災害というのは、人間にとって身に起きて初めてその過酷さが知らされるものであり、ある意味では内容を予想できないというところに悲劇的な要素を持つものではないかと思います。
 水島参考人が、やはり沈黙、憲法の中にそういう緊急事態法制がないということの沈黙は、むしろ法の欠陥ではなくて、平和主義と積極的にリンクしていくべきものだと言われたことは、私は非常に示唆に富むものだと思います。二十一世紀は、軍事力にも増して非軍事の力というものが言わば法治、法律によって治める、こうした形を理想型としてシステム化されるべきだというふうに考えます。具体的には予防外交とか信頼醸成とか多国間協議等、そういった非軍事の力をやはり日本の法体制の中でシステム化していくということが大事であろうと思います。
 しかし、非常事態や緊急事態への備えというものがなくて民主主義は成り立つかという議論がある中で、やはり立憲主義の劇薬としてのこうした非常事態法制ないしは緊急事態法制というものを私どもは今、既に有事法制が成立し、国民保護法制がしかれていない現状において、どのようにとらえるべきかといろいろ苦悩するわけです。
 私は今、国民保護法制のない有事法制というのは立憲主義の致死量にも増した劇薬的な意味を持っていると考えているものですが、さて、それに対応するのには、まず民主主義を回復する基礎的な力を我々はどこまで持つのかということと、そして、そういう非常事態法制で必然的に制約される人権の制限というものを、どうやって保護法制の中に人権の回復条項を内的なものとして組み込む法制を作り得るのかということであろうと思います。これは、現行法の整備とともに、国際条約における様々な条文や国際慣行というものが参考になろうと思います。
 帝国憲法において、三十一条は、戦時又は国家事変の場合においては天皇の大権の施行を妨ぐることなしと定めてあらゆる法制がしかれたということを考えた場合、やはり住民の保護あるいは市民の保護法制というもので、人権の擁護条項というもの、そして引き起こす人権侵害の危険について私どもはきっかりとした立場を取らなければならないと思います。
 現に言われている保護法制というのは、国の地方に対する大きな権力とか、あるいは空襲警報とか、あるいは警戒警報とか避難をどうするかというような現象的なものに議論が集約していることを大変危惧をするものであります。
 終わります。
○若林正俊君 憲法と緊急・非常事態法制のことについて参考人からいろいろ御意見伺いましたが、私は、やっぱり水島さんが言うようなサイレント、沈黙しているということに評価をするというのはいささかいかがであろうかというふうに思います。
 我々詰めなければならないのは、どこまでが憲法上許され、どこまでが憲法で禁止されているかということについて、いろんな事態を想定しながら考えなきゃならないと思うんですけれども、一つは、やはり緊急事態のときの行政上の長として内閣総理大臣がその権限を行使するとした場合、あるいは内閣総理大臣が欠けた場合にあらかじめ指名した者がやるというようなことを法制上整備するとした場合に、国会との関係をどうするかということについて、これはどこまで権限を与えるかということと非常に関係があると思うんですね。
 国会の場合は、今規定があって参議院だけでやるような場合がありますけれども、仮に衆議院が解散しているときにこの緊急事態が起こったと。例えば大災害が起こった、衆議院解散中に起こったときはどうするんだというようなことについて、これは法律だけで対応できるのか、あるいは憲法で手当てをしておかなきゃいけないのかといったような政府と国会との関係、そのときの国会の、それをチェックするのにどういうチェックの仕組みが必要かという問題が一つあると思います。
 もう一つは基本的人権との関係ですが、公共の福祉の名の下にどこまでが制限が許されるのか、それで十分なのか、例えば検閲の問題とかいろいろあると思うんですね。だからそういう意味で、個々の持っている憲法で今保障されている権利と、緊急事態のときのその制約というものをやはりもっとしっかりと詰めて、法律で対応可能なものと、やっぱり憲法で、憲法の中にはっきりとその根拠を明らかにして、そのような権利行使を制限するというようなことをしっかりしなきゃいけない問題があるような気がします。
 それからもう一つ、三番目は地方自治との関係です。地方自治を、都道府県あるいは市町村の地方公共団体に対する国の緊急事態における国家としての制約、地方自治の制約というのはどこまで許されるのか。そして、それは法的な根拠を必要とする場合に、その法の根拠というものを憲法に求めておかなければいけないのではないか。そんな問題がやはり、かなり諸外国の立法例と併せて、我々もいろいろな事態を想定して検討をしておかなきゃいけないんじゃないかなという気が私はいたしました。
 以上です。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 他に御発言はございませんか。他に御発言もないようですから、本日の意見交換はこの程度といたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時二十分散会

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