第159回国会 参議院憲法調査会二院制と参議院の在り方に関する小委員会 第1号


平成十六年三月十二日(金曜日)
   午後一時開会
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平成十六年二月十八日憲法調査会長において本小
委員を左のとおり指名した。
                岩井 國臣君
                武見 敬三君
                福島啓史郎君
                保坂 三蔵君
                舛添 要一君
                松村 龍二君
                山崎  力君
                川橋 幸子君
                鈴木  寛君
                平野 貞夫君
                松井 孝治君
                山本  保君
                吉川 春子君
                田  英夫君
                岩本 荘太君
同日憲法調査会長は左の者を小委員長に指名した 。
                保坂 三蔵君
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   小委員の異動
 三月十二日
    辞任         補欠選任
     松村 龍二君     藤野 公孝君
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  出席者は左のとおり。
    小委員長        保坂 三蔵君
    小委員
                岩井 國臣君
                武見 敬三君
                福島啓史郎君
                藤野 公孝君
                舛添 要一君
                山崎  力君
                川橋 幸子君
                鈴木  寛君
                平野 貞夫君
                松井 孝治君
                山本  保君
                吉川 春子君
                田  英夫君
                岩本 荘太君
    憲法調査会会長     上杉 光弘君
    憲法調査会会長代理   若林 秀樹君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       桐山 正敏君
   参考人
       国立国会図書館
       調査及び立法考
       査局政治議会調
       査室主任
       北海道大学名誉
       教授       高見 勝利君
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  本日の会議に付した案件
○二院制と参議院の在り方に関する件
 (二院制と参議院の在り方をめぐる論点)
    ─────────────
○小委員長(保坂三蔵君) ただいまから憲法調査会二院制と参議院の在り方に関する小委員会を開会いたします。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 このたび小委員長に選任されました保坂三蔵でございます。
 小委員会の運営に当たりましては、小委員の皆様方の御指導と御協力を賜り、公正かつ円満に進めてまいりたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
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○小委員長(保坂三蔵君) 二院制と参議院の在り方に関する件を議題といたします。
 本日は、二院制と参議院の在り方をめぐる論点について、国立国会図書館調査及び立法考査局政治議会調査室主任、北海道大学名誉教授高見勝利参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 議事の進め方でございますが、まず高見参考人に四十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各小委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、小委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 なお、本日は親会の上杉会長にも御臨席を賜っております。
 それでは、高見参考人、お願いいたします。高見参考人。
○参考人(高見勝利君) 本日は、意見を述べる機会をお与えいただきまして、ありがとうございます。お役に立つかどうか分かりませんけれども、どうかよろしくお願いいたします。
 それでは、早速、二院制と参議院の在り方をめぐる論点につきまして、その概要を述べることにいたします。
 ここで論点というのは、専ら憲法上の論点を考えております。そこで、この憲法上の論点を明確にする方法として、仮に憲法の二院制と参議院制度に手を加えるとして、その場合に生じ得るであろう憲法上の問題点を拾い上げる形で論点となるものを摘示してみることにいたします。
 しかし、それだけでは規範的な現実との接点がありませんので、その場合にも、現行憲法や外国の憲法制度をにらみながら、問題となり得る諸点にも触れることにいたします。また、その過程で、問題の背景を明らかにするために、現行憲法が二院制を採用し、参議院制度を設けた趣旨、目的等、憲法制定時の議論ないし発想に必要な限りで立ち戻ることにいたします。
 なお、第二院ないし参議院の意義、役割、その権限、組織は相互に密接に関連しておりますので、その相互関連性にも留意しながら、参議院の憲法上の権限及び組織の在り方に関する論点の指摘を試みることにいたします。
 以上のように話を限定いたしますと、ここで紹介できる論点は憲法にかかわる多くの問題点のうちの一部にとどまることになるわけでありますけれども、この点はお許しいただきたいと思います。
 これからお話しする内容は、大略次のようなものであります。
 最初に、現行の二院制から思い切って一院制に移行するといたしまして、その場合に憲法上考えておくべき基本的な論点を指摘することにいたします。
 次に、二院制を維持する場合でありますが、一九四六年二月ないし三月の時点にさかのぼって、二院制導入を決断した松本烝治の見解に即しながら、参議院の存在意義ないし役割について確認しておくことにいたします。
 以上のことを前提に、本日の私に課せられた本題ということになりますが、現行の参議院制度に対して理論的に考えられ得る幾つかの変更を加えた場合に浮上する論点、及び現行制度を前提とした場合の問題点ないし論点の指摘を試みることにいたします。
 すなわち、第一に、参議院の権限を現状よりも縮減するとして、その場合に権限の縮小と議院の民主的正当性ないし選出方法との関係をどう考えるかという問題であります。
 第二に、逆に、参議院の権限を現状より強化して衆議院と対等化した場合に浮上する問題についてであります。
 第三に、憲法で参議院の地域的な、地域代表的な性格を明確にした場合、投票価値の平等という憲法上の要請との調整をどうするかという問題であります。
 それから第四に、議員の選出ないし選挙の方法に関連して、本年一月十四日の大法廷判決で最高裁判所が憲法上の要請だというふうにいたしました投票価値の平等を、現行制度の枠内で果たして実現することが可能かどうかという問題でございます。
 第五に、現行の権限、組織の枠組みを基本的に維持した上で、参議院の独自性を高める方式として、実際の運用に期待すべきところが大変大きいのではないかという、そういった問題でございます。
 それから最後に、憲法上、参議院に対して衆議院にはない特別の権限を付与する場合の問題でございます。
 以上の諸点について、以下、それぞれの要点のみをお話しすることで進めてまいりたいと思います。
 まず、一院制の問題でありますけれども、一院制案については、現在、衆参両院を対等に統合し新しい一院制の国会を作るといった、二院制から一院制への移行の手順に関する提案はなされておりますけれども、しかし一院制それ自体の具体的な内容は、憲法で定める国会の組織はもとより、その統治の仕組みの全体にまで波及する大きな問題でもあるからでしょうか、今のところまだ十分には詰められていないようであります。
 そこで、ここでは、一院制の内容はともかくといたしまして、ただ単に二院制を一院制に切り替えるとして、その際、憲法上留意すべき点として次の三点に絞って指摘しておくことにいたします。
 まず第一に指摘しておきたいのは、一院制議会における少数派の権利をどう確保、保障するかという問題であります。
 一院制というと、直ちに少数派ないし少数者の権利あるいは利益ということを連想するのは、民主政治が多数派専制に陥ることの危険性を指摘しましたトックビルでありますとか、あるいは、人々のどのような集団であれ、ほかのだれの同意も求めず、一時的であっても彼らが意のままに支配することはあってはならないというふうに説きましたミルのような、そういった考え方に近いからかもしれませんけれども、そうでなくとも、一院制といえば少数者と連想するのは、一院制の国会審議において多数派がその数の力に任せて少数意見を無視し強引に突き進むという事態が比較的容易に想定し得るからでありましょう。一院制の国会では後に第二院が控えていないだけに、こうした事態は少数派とそれを支持する国民にとってより深刻であります。
 そこで、憲法で一院制を制度化しようとする場合には、多数決原則により運用される民主政治において、容易に傷付きやすい少数派の意見表明ないし審議権をどのように確保するかということは真剣に考えておくべき論点の一つであります。二院制の場合には、仮に第一院において与野党間の対立で混乱し審議ゼロといった事態が生じたとしても、第二院において傷付いた少数派の権利、利益が少なからず治癒ないし修復され得る保障はあるのでありますけれども、一院制の場合にはその可能性は皆無とも言えるからであります。
 なお、これに関連して、第二次世界大戦後、二院制から一院制に移行した北欧のある国において、少数派が議長に対して最終議決まで一定の期間を据え置くよう求める権限でありますとか、法律案が最終可決された場合でも少数派が議長に対して国民投票に付するよう要求する権限を憲法で保障している点が注目されます。また、一定数の議員が、議会から独立した公正な審査機関に対して、憲法上疑義があると考える法律の憲法適合性について申し立て、その審査機関が、国会の議決から審署、公布までのごく限られた期間でございますけれども、この期間に当該法律の憲法上の疑義について決着を付けるといった制度の採否も、多数派主導の一院制議会の立法に対する憲法的統制の手段として一つの論点になるのではないかと思うのであります。
 第二の問題は、解散権の濫用にわたる行使の可能性について、これをどう封じるかということでございます。
 現行の二院制の下でも、任期満了前に議員の資格を奪う解散権は衆議院議員にとって脅威であるわけですけれども、他方、この憲法上の権限を実際に保持する内閣総理大臣にとっては、国会を中心とした国政運営上の最強の武器、いわゆる伝家の宝刀であることは言うまでもないわけであります。一院制の国会では、もとよりその会議体を構成する全議員がもろにこの強力な武器と向かい合うことになるのであります。特に我が国の場合には、現行憲法の下で、一九五二年八月の第二回衆議院解散以来、憲法七条によって内閣に実質的な解散決定権が存するとの慣行が成立し、内閣を率いる総理大臣による自由な解散権行使が事実上容認された形になっております。したがって、一院制への移行を考えるに当たっては、この解散権が濫用にわたらないように憲法上何らかの工夫を施す必要がありはしないかということもまた重要な論点として浮上してくるのであります。
 申すまでもなく、解散制度は本来、解散に続く総選挙によって主権者たる国民の審判を仰ぐという、すぐれて民主的な機能を有する制度であります。それゆえ、解散権の行使につきましては、国民の最終判断を求めるにふさわしい理由、構図がなければならないものとされております。その典型例は、内閣と国会とが国政の在り方や法案等の取扱いをめぐってのっぴきならない状態、すなわちデッドロックに陥った場合に、国政の停滞を打開すべく、国会が内閣不信任を決議し、内閣が総辞職か解散かの選択を迫られる場合でありましょう。これは、現行憲法の六十九条が想定する事態でありまして、一院制を採用した場合でも、そこで議院内閣制の統治システムが前提とされている限り、憲法六十九条に相当するような規定は不可欠でありましょう。
 もちろん、それ以外にも、国民に対して最終判断を求める必要がある場合として、例えば内閣の重要法案や予算案が国会で否決された場合でありますとか、政界再編等で内閣の性格が基本的に変化した場合でありますとか、又は総選挙の争点とはならなかった重大な政治課題に新たに対処しなければならなくなった場合でありますとか、内閣がその基本政策を根本的に変更する場合などが考えられるでありましょう。
 そこで、このような解散の趣旨、目的からいたしまして、国民の判断を仰ぐ一定の合理性があると認められるものを憲法で限定列挙して、解散権行使が恣意にわたることを防ぐ方策を事前に講じておくべきかどうか、これも一つの論点になり得るものと思うのであります。
 なお、一院制の国会が解散され、総選挙となり、国会が存在しない間に緊急に国会の議決を必要とする事態が生じた場合に、現行の参議院の緊急集会制度のような国会全体の機能を代行する制度をどうすべきかということも解散制度との関連で一つの論点となり得るものと思われます。
 第三に、これが最後でございますけれども、現行憲法の下での一院制への移行は、憲法九十六条一項の改正、すなわち国会による憲法改正案の発議について、衆参各議院の総議員の云々、三分の二とありますけれども、云々から、それから一院たる国会議員の総議員の云々への手続変更を伴うことについての理論的な問題につきましても十分に考えておく必要があるということであります。これは、そもそも憲法改正規定の改正は可能かという、古くて新しい憲法上の基本問題に触れることになるからであります。
 学説は、これを可能とするものから不能とするものまで種々に分かれておりますが、有力説は、憲法改正規定の改正は憲法の同一性を損なうもの、言わば自殺行為であって、法的に不可能である、不能であるとするか、それとも、憲法改正の根拠となっている憲法制定権力そのものに重大な修正が加えられない範囲のものならば一定程度、許容され得るとするかのいずれかを取っております。
 そこで、仮に後者の説に立って、憲法改正規定である第九十六条の改正が一定の範囲で許容されるとした場合であっても、九十六条の発議要件の緩和はどこまで許されるのか、一院化に伴う発議要件の大幅な緩和は憲法の許容する範囲内のものかどうかといった点につきましても十分に詰めて考えておくべきものと思われるのであります。
 以上が、二院制から一院制に移行すべきものとした場合の憲法上検討を要する点であります。
 そこで、次に、現在の二院制を維持すべきだとした場合の論点についてでありますけれども、その場合でも、そもそも参議院の意義、役割をどう考えるべきかということが改めて問われることになると思うのであります。特に、国民主権原理、民主主義原則の下において、第二院の権限や組織はどうあるべきかということが問題となるわけであります。これは、我が国だけではなく、二院制議会を採用するすべての民主国が抱えている難問であります。もとより我が国の場合、総司令部案に示されていた一院制案を拒否し、日本政府が二院制の採用に踏み切ったときからこの難問を抱え込むことになったのであります。
 二院制採用の経緯につきましては、ここで改めて紹介する余裕はありませんけれども、日本側が、制度としては簡明なシンプルな一院制ではなくてあえて二院制を採用した理由につきましては、参議院の意義を、役割をどう考えるかというこの本題とも関連いたしますので、その要点を次に紹介しておくことにいたします。
 いわゆる三月二日案とも言われております最初の日本案は、三月四日、総司令部に提出されますけれども、それには松本烝治の書いた説明書が添えられておりました。そして、この説明書の中で松本は、総司令部案の一院制ではなくてあえて二院制としたのは、「世界多数国ノ例ニ倣フ」とか、貴族院の伝統を墨守するとかいった、そういった理由からではなくて、それは「不当ナル多数圧制」の「抑止」と「行過ギタル偏倚」の「制止」にあるというのであります。すなわち、議会政治は、「動モスレハ多数党ノ専制ヲ生シ多数党ノ政策ハ時ニハ一党ノ利害ニ専念スル弊アルハ従来幾多ノ実例ノ示ス所」であるといたしまして、そこで日本案のように二院制を採用すれば、衆議院多数派の「横暴ナル提案」は「或ル程度」参議院において、これを「抑制シ得ル」だけではなくて、こうした抑制機関の存在自体が多数党をしてもとよりその横暴を戒慎させる機能を生み出すことになるというのであります。なお、二院制採用の背景として、松本が「左右何レニ向テモ過激ニ偏倚」する国民性、「軽シク時ノ勢力ニ阿附スル事大性雷同性」を指摘している点もここでは留意しておきたいと思うのであります。
 そこで、松本の言う参議院の抑制機能はいかにあるべきかということが更に問題となります。フランス大革命のときに活躍したアベ・シェーエスの言葉として、第二院は何の役に立つのか、もしそれが第一院に一致するならば無用であり、もしそれが反対するならば有害だとの名言が伝えられております。
 このひそみに倣って申しますと、参議院の抑制機能が希薄であると参議院無用論が浮上するわけでありますし、逆にそれが過剰でありますと、有害論が登場するということになるわけであります。この無害、無用、有害論が的を射たものであるといたしますと、一体その中間にあってどの程度の抑制機能を働かせることが参議院に期待されているのかということが大変重要な問題となってまいります。
 この点につきまして、松本はさきの説明書の中で、現行憲法五十九条二項の前身に当たる規定において、三会期連続して衆議院で可決された法律案は、その最初の議事から二年を経過したとき、参議院の議決の有無にかかわらず、法律として成立するものとして参議院に対して遅延権しか認めていないというのは、それによって参議院が衆議院に対し反省を促すの機能を発揮せしむるにとどめようと考えたからだと論じております。これは、後の再考の府といった考え方に連なるものであろうかと思うのであります。
 しかし、今から考えると、抑制機能と反省機能との距離は相当大きいものがあります。それは距離というよりはむしろ乖離とも言えるものであって、その溝を埋めることは容易なことではありません。
 というのは、参議院の意義、役割が衆議院に対して反省を促すことにあるならば、当初の日本案のように、遅延権ないし停止的拒否権として規定するのが妥当であったはずだと考えられるからであります。しかし、総司令部との調整の結果、この規定は、衆議院が可決し、参議院で否決された法律案は、衆議院の出席議員の「三分ノ二以上ノ多数」による再議決によって成立させることができるものに変更されたわけであります。しかも、このとき同時に、参議院の構成につきましても、衆議院と同様、「国民ニ依リ選挙セラレ全国民ヲ代表スル議員ヲ以テ組織ス」とされたのであります。その結果、参議院は、当初考えられていた反省の府から、民主的で強力な抑制の府へと一挙にその地位を高めることになったのであります。
 このように、憲法制定当初から強い参議院として機能し得ることが憲法において実定化されていたのであります。そして、いわゆる五五年体制崩壊後、多党化の時代に入って以降、この国民の直接選挙に基礎を置く強い参議院の存在感が増大し、以前にも増して我が国における議院内閣制の運用の実際を大きく規定していることは改めて指摘するまでもないことであります。
 以上の点を確認した上で、参議院の権限を変動させた場合、その組織の在り方等に関して生じ得る論点について、以下、摘示してみることにいたします。
 参議院の権限の在り方が議論されるとき、まず何よりも、先ほどの憲法五十九条二項の再議決要件は厳格に過ぎるので、その要件を緩和すべきではないかということが問題視されます。すなわち、現行の三分の二以上の多数では、衆議院による再議決は実際問題としてはほぼ不可能であり、事実上、参議院に絶対的拒否権を認めたも同然であるので、この再議決要件を過半数に改め、参議院に対しては単なる停止的拒否権ないし遅延権を認めるにとどめるべきだとする主張であります。
 この主張に従って、憲法五十九条二項を改正し、参議院の立法に関与する権限を相当程度削減する方向に向かった場合には、その削減の程度に応じて、参議院議員の選出の方法、すなわち衆議院議員と同等の国民による直接選挙による選出法も見直す必要が生じてくるのではないかということであります。それは、権威ないし権限と正当性は表裏一体の関係にあって、参議院の権限の強さもまたその構成員の民主的正当性の強度に対応していると考えるからであります。したがって、権限削減論は選出法の見直しとセットで論じられるべきものであります。
 その場合、憲法四十三条の選挙は必ず国民による直接選挙でなければならないものかどうか、若干の含みを持った規定ではないのかといったことが差し当たり解釈上問題となるものと思われます。さらに、参議院の議決が衆議院で三分の二の特別多数によって覆される憲法上の根拠につきまして、それが六年任期、三年ごと半数改選制という、四年任期で解散もあり得る衆議院議員と比較した場合の身分的安定性にひとまず見合ったものだといたしますと、再議決要件の緩和は参議院議員の任期の延長といった問題に発展することにもなるでありましょう。そして、この議論をずっと先まで推し進め、参議院のもろもろの権限を限りなく縮減する方向に向かったならば、最後はその人的構成につきましても、任命制の終身議員といったところまで行き着くことになるでありましょう。
 もし、今ここでこのような任命・終身制の構成に帰着したといたしまして、そのとき参議院が保持しているであろう権限というのは、恐らく政治的にはほとんど意味のないものにまで縮減されているということになるでありましょう。そうだとしますと、この非政治化された参議院という機関について、そもそもそれが憲法で規定すべき事項であるかどうかということは疑わしいということになってしまうわけであります。言うまでもなく、憲法の目的は、国家統治にかかわるすぐれて政治的な権限につきまして、これを特定の国家機関に授権し、その授権を通じてその権限行使の在り方に制限を加えるということにあるからであります。
 次に、これとは反対に、参議院の権限を拡充強化し、衆議院と対等のものとした場合に浮上する論点について考えてみることにいたします。
 これは、さきの主張とは全く逆に、憲法五十九条だけではなく、議決の価値について衆議院の優越を定める他の条項、すなわち憲法六十条、六十一条、六十七条などについても、すべてこれを改め、衆参対等にすべきだという主張であります。衆議院と同様に参議院にも内閣不信任制度や解散制度を導入すべきだといった提言には、こうした衆参の間の優劣関係の対等化がその前提として含意されているものと思われます。この場合において、さらに民主的正当性や内閣の答責性ないし政治責任の観点から、議員の任期、定数なども衆参両院の間でそろえるべきだといった主張もなされることになるでありましょう。
 そして、こうした両院対等化の主張が憲法で具体化された場合、そこでは次のような論点が浮上するものと思われます。
 まず第一に、権限が全く対等の両院の間で意思の不一致が生じた場合、その調整をどうするのか。第二に、一院のみが内閣不信任を決議した場合でも、内閣は責任を取って総辞職すべきものとされるのか。第三に、内閣が総辞職をするとして、その場合、内閣と信頼関係を保持する他院の立場はどうなるのか。第四に、内閣が解散権を行使するとして、信任関係にある他院の同時解散もあり得るのか。第五に、同時解散があり得るとして、その理論的根拠は何か。第六に、信任関係を失った一院のみが解散された場合、新たに選挙で選ばれた議員の任期は前任議員の残任期間ということでよいのか。こういった衆参両院と内閣との三者関係において解決しなければならない様々な問題が続出するということになるでありましょう。
 ここで視点を変えまして、参議院の権限の在り方というよりも、むしろその構成の在り方、選出の仕方から参議院の性格、その果たすべき役割といったものを考えてみた場合に浮かび上がってくる論点を指摘してみることにいたします。
 これは、参議院について憲法で地域代表的な性格を明記した場合であります。最高裁判所は、定数不均衡訴訟における一連の判決の中で、現行の都道府県を単位とする参議院の選挙区選挙は地域代表的要素を有するものだとしております。
 ただ、それが憲法に根拠を有するかということになりますと、裁判官の間でも意見が分かれておりますが、本年一月十四日の大法廷判決について申しますと、そこでは、多数意見にくみした四人の裁判官と反対意見を述べた六人の裁判官の都合十人の裁判官が、都道府県代表制は立法政策上の考慮事項にとどまるものであって、投票価値の平等のように、憲法で直接保障されたものとは解されないとしております。これは、憲法起草過程で、三月二日案に、「衆議院ハ選挙セラレタル議員」、「参議院ハ地域別」「ニ依リ選挙セラレタル議員等」「ヲ以テ組織ス」とあったものが、総司令部折衝後の三月五日案では、衆参の区別なく、「国会ハ国民ニ依リ選挙セラレ国民全体ヲ代表スル議員ヲ以テ組織ス。」とされたことを踏まえたものであろうかと思われます。すなわち、「地域」という文言が憲法規定として明記されなかった結果、参議院が地域代表としての役割ないし性格を持つものとしても、それは憲法に直接根拠を置くものではなくて、単なる法律上の考慮事項にとどまるものとなったと解されるからであります。
 そこで、現時点で改めて参議院の意義、役割、そしてその組織、権能の在り方を根底から考えてみようといたしますと、今日の地方分権化の流れの中で、憲法上、参議院を地方を代表する議院、例えば地方院、道州院、連邦院とでも称するものとして位置付け、それに適した権能を付与し、その構成の仕方を工夫するといったことも考えられるでありましょう。そして、この場合、参議院の地域代表的構成と投票価値の平等とは、同じ憲法の平面で少なからずその調整が求められることになるのであります。そして、その限りで、投票価値の平等の要請は一定の譲歩を余儀なくされることになるのであります。そこでは、二つの憲法上の要請をどのような形で折り合わせるのかが新たな争点となるはずであります。
 さて、さきの一月十四日の最高裁大法廷判決との関連で、いま一つ、現行選挙制度の枠内において都道府県を単位とする参議院選挙制度を維持することが可能かどうかという点が問題となります。
 今度の大法廷判決の特徴として、十五人の裁判官のうち十一人もが異口同音に現行制度の抜本的な見直しを立法府に対して示唆している点を挙げることができようかと思います。すなわち、さきに述べた十人の裁判官は、現行の偶数配分制と現行の議員定数を維持することを前提として投票価値の平等を実現しようとするならば、都道府県を唯一の単位とする制度の在り方自体を変更しなければならなくなることは自明であると説いております。しかも、それに加えて、立法府の裁量権を広く認める従来の判例枠組みに従う五人の多数意見にくみした裁判官の一人もまた、制度の枠組み自体の改正をも視野に入れた抜本的な検討が必要だと指摘しているのであります。
 ただ、投票価値の平等が、違憲とされる判断基準につきましては、多数意見にくみした四裁判官は、参議院制度創設当初の選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の格差、すなわち一対二・六二の数値から余りにも懸け離れた格差が生じている現行の定数配分は違憲の疑いがあるとするわけであります。しかし、違憲判断の基準となる明確な数値については、これは明示していないのであります。
 これに対して、違憲判断にくみした六裁判官は、投票価値の平等について、一対一ないし一対二未満を判断基準とすべきだと明示しております。これは、いかなる場合であれ、一人が実質的に二票分以上を行使する結果になるということは憲法の平等原則からして許容されるものではないとする考え方に基づくものでありまして、極めて合理的で、常識的にもよく理解し得る考え方であろうかと思います。
 また、多数意見中の五人意見にくみした裁判官の一人は、数値の上だけで一概に決めて掛かるべきではなく、要は、格差の在り方が全体として見て看過し得ないほど著しく不平等な状態になっていれば違憲だというふうに語っております。これは、考え方の点では多数意見中の四人意見と本質的な違いはありません。そういう意味では、四対五という言われ方はしているわけですけれども、四対四なのか四対五なのか分からないような、そういった判断枠組みになっているかと思います。
 このように、十一人の裁判官の間で、違憲判断の基準につきましてその考え方に若干の違いがあるわけでありますけれども、都道府県を唯一の単位とする選挙制度の在り方の見直しを示唆している点では共通しております。これは、現行制度を前提に、従来行われた幾つかの配分方式を用いて定数再配分を試みたといたしましても、一票の格差をほとんど縮小させることができないか、若しくは、仮に格差を三倍ないし二倍に抑えることができたとしても、その場合には二百近い、又は二百五十にも達する選挙区定数が必要となり、定数を大幅に増やすか、総定数のうち比例議席定数から相当数を補充するかしなければ、制度自体を維持することができないからであります。
 最高裁は、恐らくこうした理解、認識に基づいて、立法府に対して早急に現行制度の在り方の変更をも視野に入れた制度の見直しに着手するように示唆しているものと思われるのであります。
 次に、現行憲法の運用として参議院の理念を追求する場合に浮上する問題点であります。
 これは、現在の参議院の権限、組織の大枠を維持したまま、そのまま維持した上で、すなわち現行の、憲法規定は現行のままで抑制、補完、均衡といった参議院の果たすべき役割を追求するという、そういう選択を行った場合に、どのような憲法問題が浮かび上がってくるかということであります。
 言うまでもなく、衆参両院の間の関係や国会と内閣との間の関係は、本来、法的規制になじみにくい部分が多くて、憲法で一定の関係を定めたとしても、当該規定の下で長年にわたって形成される慣行にまつところが大きいのであります。しかも、こうした政治部門におけるもろもろの関係は、高度に政治的な性格を有する領域に属する問題でありまして、違憲審査権を有する裁判所も容易には踏み込み得ないところであります。したがって、そこでは当事者間で形成されるいわゆる憲法慣習あるいは憲法習律といったものの果たす役割が大変、果たす役割に期待されるところが極めて大きいわけであります。
 このような視点から、参議院の将来像を考える有識者懇談会の意見書に示された参議院の特色をより一層発揮するための改革のうちで、憲法規定の改正を要するとされた諸案につきまして、改めてこれを見てみますと、再議決要件の緩和につきましては憲法五十九条二項の改正、議事定足数の廃止につきましても憲法五十六条一項の「議事を開き」の文言の削除、さらにいわゆる地方院につきましても憲法で明文規定を置くことが必要であります。
 しかし、首相指名の不行使でありますとか、弾劾裁判所の構成の仕方でありますとか、特定議案の優先審議の問題でありますとか、さらに通年会期化でありますとか、あるいは会期不継続の原則の廃止などのこういったたぐいの提言というのは、明文憲法、明文改正に及ばなくとも、両院間における協議若しくはルールの形成、又は参議院独自の努力によって、実質的に所期の目的を達成することができる性質のものではないかと考えるわけであります。この領域では、憲法運用の妙にまつところが極めて大きいものと思うわけです。
 最後に、衆議院とは異なる役割や独自性を発揮させるために、参議院に対して何らかの特別の権限を付与すべきだとする提言につきまして一言述べておきたいと思います。
 この問題は、結局のところ、参議院の役割ないし独自性を何に求めるか、その役割ないし独自性を発揮するにふさわしい人材をどのようにして調達するかという問題、すなわち役割、権限と組織の在り方を相互にどう関係付けるかという最初の問題設定に立ち戻ることになるわけであります。そして、そこで新たに付与される権限に応じて、参議院の意義、役割が言わば再定義され、その新たな役割、権限を果たす上で適切な組織、選出の方法が考案されるべきであるということになるものと思われます。
 以上で私の陳述を終わります。
 御清聴ありがとうございました。
○小委員長(保坂三蔵君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終了いたしました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
 また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。
 福島啓史郎君。
○福島啓史郎君 参議院の福島啓史郎でございます。
 高見参考人にお伺いしたいわけでございますが、まず第一の質問は、二院制と選挙制度なり選挙母体との関連であります。
 現在の主要国の二院制を取っている国を見ますと、連邦制であるか、あるいはその二院、その第二院が間接選挙であるかと、そのどちらかの国が大多数であって、連邦制でもなく、また間接選挙ではなくて直接選挙を取っている国は、日本のほかはイタリア、スペインに限られているというふうに私は見るわけでございますが、この点についての現状認識についてはいかがお考えでしょうか。
○参考人(高見勝利君) イタリア、スペイン、そうです。それから、オーストラリアなどもそうであるかと思いますが……
○福島啓史郎君 オーストラリアは連邦制です。
○参考人(高見勝利君) あっ、連邦制。失礼しました。連邦制除いてですね。
○福島啓史郎君 もう一度繰り返しますと、連邦制でもなく、間接選挙でなくて直接選挙、連邦制でなく直接選挙を取っているのは、日本のほか、イタリア、スペインではないかと思うわけですが、その現状認識についてはいかがでしょうか。
○参考人(高見勝利君) イタリア、スペインはそのとおりだと思います。
○福島啓史郎君 ほかの国、連邦制ではなくて直接選挙を取っている国というのは、イタリア、スペインのほかにどこか、どういう国があるか御存じでしょうか。
○参考人(高見勝利君) ちょっと手元に資料がございませんので、調べてみないと分かりません。
○福島啓史郎君 それで、ということは、私は、この二院制と連邦制、ないしその選挙の仕組み、つまり直接選挙か間接選挙かというのはこれは密接な関連があるんじゃないかと思うわけでございます。
 それで、次にちょっと高見参考人にお伺いしたい点は、一院制から二院制に移っている国、逆に、先ほど説明にもありましたが、北欧のように二院制から一院制に移行した国、それぞれどういう理由で移っているか、主要な国について御見解をお持ちであればお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(高見勝利君) まず、一院制から二院制に移った国でありますけれども、これはかなりの国が移っておりますけれども、例えば戦後で申しますと、一九五〇年代にニュージーランドでありますとかデンマークが二院制から一院制に移行いたしました。それから、新興の独立国家につきましても、一院制を採用する国が相次ぎましたし、増加いたしました。そのことはさきにお渡ししました基礎資料の中にも示してあるかと思いますが。
 その理由でありますけれども、これは国によって様々でございます。例えば、スペインの場合ですけれども、これは一九二三年にリベラ将軍が権力を握ったときに上院制が消滅いたしまして、その後、フランコ政権の下でも二院制は設けられなかったわけですが、しかしながら一九七六年に民主国家になったときに地方への権限が相当移譲されまして、それとの関連で上院が再興されたということでございます。
 それから、そういったことがございまして、それからまた、資料には示しておきませんでしたけれども、フィリピンで申しますと、これは、マルコス政権が倒れたときに二院制に復帰したということでございます。
 それから、チェコでございますが、これは元々は上院制を持っていたわけですけれども、社会主義の時代になりまして一院制になりまして、しかしながらその後、連邦制になるに伴って二院制が再興されたという、こういうことになります。
 そういうことを考えてみますと、要するに独裁政治から民主政治へ移行した場合でありますとか、あるいは社会主義から転換した場合でありますとか、あるいは新しい国家をつくるときに連邦制を導入した場合でありますとか、こういうときに一院制から二院制へという、そういった動きというのがあろうかと思います。
 それから、二院制から一院制でありますけれども、これは幾つか戦後例がございますけれども、北欧の場合ですと、例えば一番典型的なのはスウェーデンでございますが、この場合には、元々二院制で開いておりましたけれども、合同会議という方式を取っておりまして、合同会議というのは一院と二院、両院の間の壁を破って委員会的にほとんど合同してやってしまうわけですね。その長年の慣行がございまして、結局のところは一院制の方に移行していったというふうな動きがございます。それからまた、一種のねじれ現象が生じたときに、やはり思い切ってそのときに一院制に移行する、そういった動機ないし経緯があろうかと思います。
 以上です。
○福島啓史郎君 それで、最初に言われた二院制から一院制に移行する場合の憲法上の問題点、三点ばかり挙げておられるわけでございますけれども、私は、そのうちの第一点の少数派の権利をどう確保、保障するか、これは重要な問題だと思います。確かに、二院制が持っております反省、何といいますか、抑制、そういったチェック・アンド・バランスの機能というのは、正に少数派の権利をどう確保、保障するかとも密接な関連を持っていると思うわけでございます。
 ただ、第二点、第三点として言われました、第二点の解散権の濫用、それから第三点の憲法改正の問題につきましては、私は異なる意見を持っております。
 まず、解散権の制約につきましては、私、結局はこの解散権の制約の問題は、立法的な問題というよりも、やっぱりまず高度に政治的な、行政府におきます高度に行政判断に基づく、行政上の判断、政治上の判断に基づくものではないかと思うわけでございます。であるがゆえに、例えば英国などにおきましても、解散権を憲法、これは英国は成文憲法ありませんけれども、解散権が制約されているとは解されていないということもそういうことではないかと思うわけでございます。
 また、もう一つの憲法改正の限界といいますか、立法者の、憲法制定時の立法者の意思を超える改正はできないということにつきましては、仮にそういうふうに解釈すれば憲法改正そのものが私はできなくなる。いずれにしましても、憲法改正するときには改正手続によらざるを得ないものはないと思うわけでございまして、そういう意味では、そういうふうに狭く解する必要はないのであって、手続として憲法改正の手続を、手続規定に従うということによってのみ憲法改正がなされるとするならば、そうした立法者の云々の限界はないものというふうに私は考えるべきだと思うわけでございますが、この二つの点についての御見解はいかがでしょうか。
○参考人(高見勝利君) まず、前者の方の解散権の濫用の問題でございますけれども、これはもちろん現行二院制を取っている場合でありましても問題の性質は同じでありまして、一院制になる場合の、しかしながら一つの考慮事項として考えておかれてはどうかということで、論点として出したわけです。
 確かに、委員のおっしゃいますように、私も解散権を法律というか憲法でルール化するということは相当に難しい問題であろうかと思います。したがいまして、基本的には、何と申しますか、憲法上の慣行と申しますか、一種やはりそれぞれ解散については理由というかコーズがなければいけないということを、そのコーズというものをはっきりさせていけば一つのルール的なものというのはできるのではないかということで、これまで憲法上の学説等で主張されていることを幾つか御紹介したという程度でございます。
 いずれにいたしましても、解散権の問題というのは、しかしながらやはり濫用に渡らないような、そういった仕組みということを一度やはりどこかで考えておかれた方がよろしいのではないかという趣旨でございます。
 それから、二番目の、九十六条の改正規定の改正という形を一院制に移行する場合にはどうしても取らざるを得ないことになりますので、その点をどう考えるかということでございますけれども、これはもちろん、だから解釈というか、九十六条の手続の改正というのは全くできないのかということでございますけれども、全く、論理的に全くできないという考え方というのも非常に有力にございますけれども、仮にできるといたしましても、しかしながらそれはどこまでできるのかということについてやはり考えていくべきであろうということであります。
 例えば、その中で幾つか提案がございますけれども、例えば両議院で三分の二以上の多数決があれば国民投票に付さなくていいというような形を取るといたしますと、この場合ですと、つまり、これは憲法改正が国民投票と申しますか、憲法改正権というのは国民が握っているわけであります。したがって、その場合には、手続的にやはり限界があるだろうということになるわけですね。
 その場合に、一院をじゃ二院、両院でその議決が三分の二がなければ議案が提出、発案できないということについてどう考えるかということでございますけれども、この場合かなり、どう考えるか、考え方としては分かれ得ると思います。
 つまり、そもそも国会の発議ということでありますから、それを国会の発議という、発議を、つまり一院であれ発議の形を取るわけですからそれで問題ないだろうと。つまり、国民の最終的な決定権まで奪っているわけではないから問題ないだろうという考え方もあるかと思いますが、しかしながら憲法は、つまり国会の発議についてやはり非常に慎重な手続を取らせているんだというのが、これが国民の意思だということ、つまり憲法九十六条の趣旨なんだというふうに考えますと、そう簡単にはいかないと、そういう議論でございます。
○福島啓史郎君 学説上のお考え方としては分かるわけでございますが、私は、政治の現実としては、そうした考えはむしろ過去の意思決定、過去の憲法改正をしたときの意思が将来を拘束する、永久に拘束することになると思うんですね。改正規定を改正できないとすれば、永久的にそれを保持しなきゃならないということになりかねないわけでございまして、そのことは改正規定の改正も私は立法府にゆだねられているものだというふうに考えます。これは見解の相違でございますから、特に御答弁要りません。
 次にお伺いしたい点は、日本国憲法の制定時の議論でございます。
 GHQが一院制だと言っていたのに対しまして、日本側は二院制にこだわったわけでございます。私は、そのときには確かに抑制、補完、均衡ということを言っておりますが、やっぱり私は、その背景には、例えば貴族院のような上院を頭に置いていた、あるいはイギリスにおきます上院というものを頭に置いていたということではないかと。私は、明文のものはありませんけれども、多分そういうものが頭の中にあったんじゃないかと。
 また、そのことが選挙だということを言われたときに、地方の代表だということを主張し、しかしそれは否定をされて今のような規定、つまり衆議院、参議院、参議院も衆議院と同様に国民の選挙で選ぶということになったわけで、その点について言えば、当時の、何といいますか、日本側の立法者の意識としては、意識の、何といいますか、基礎としては、貴族院ないし上院のようなものが頭の中にあったんではないかと思われるわけでございますが、その点についてはどういうふうにお考えでしょうか。
○参考人(高見勝利君) これは、だれに注目しながらその当時の人たちの考え方を見るかということでも変わってくるかと思いますが、もちろん、いろいろな考え方が、見方が当時渦巻いておりまして、貴族院というものを念頭に置きながら、これを第二院というか、として考えていくという立場もございますし、それから、もちろん日本の貴族院を考える場合にも、戦前からイギリスの貴族院というのが一つのモデルになっておりましたから、そういったものを念頭に置きながらということもあったかと思います。
 ただ、今回この準備のために、先ほど読み上げました松本烝治の書かれたこの説明書でございますけれども、これは、松本は、要するに一番大きなこれを書いた動機というのは、GHQの草案に一院制であったわけですよね。それは御承知のように二院制に切り替えたわけです。ですから、GHQ草案から日本案への一番の大きな変換が、転換がこの一院制から二院制にあったわけです。ですから、大変力を入れて、なぜ日本政府は今二院制を取るべきだというふうに考えているのかということについて非常に詳しい説明をしているわけです。
 その中では、いわゆる貴族院との連続性とか、あるいは連邦制を取っているかとかということは何も言っていないわけです。そうではなくて、つまり一院制を取った場合、先ほど申しましたようないろいろな問題があると。だから、第二院というものの存在が必要だと。これは、したがってその頭の中には、つまり民主主義の下で一院制をしいた場合の多数派の支配ということに対してどういう防御策というか、を憲法でセットしていかなきゃいけないかという、その議論であったんですね。それが非常に重要だということで御紹介申し上げたわけです。ですから、もちろん松本以外にいろんな議論があったということはおっしゃるとおりでございます。
○福島啓史郎君 正に、私は二院制を、機能する二院制を、有効に機能する二院制というのを考えたとき、その二院がそれぞれ違った選挙母体なり選挙の仕組みを持つ、持たなければ、正にこの二院制が本来持っております抑制、補完、均衡といった機能は果たせない、逆のマイナスの面が出てくるんじゃないかと思うわけでございます。
 そうした考え方で、例えばこれは衆議院の選挙制度の見直しの際に議論の一つにもなりました梶山私案、これは衆議院は小選挙区のみ、参議院は比例代表のみということで、選挙制度と区分された形でもって二院制を考えた私案が出ているわけでございますが、そうした二院制のそれぞれが直接選挙ということであれば、違った選挙制度を持つべきだ、選挙母体を持つべきだと、その一つの例としての梶山私案を今申し上げたわけでございますが、そうした考え方についてはどういうふうにお考えでしょうか。
○参考人(高見勝利君) 私も基本的に、選挙のやり方というのは衆議院と参議院で変えなければやはり違った構成というのはできないんだろうというふうに基本的に考えております。その点ではおっしゃるとおりでございます。
○福島啓史郎君 例えば、梶山私案のような感じ、つまり衆議院は小選挙区制のみ、参議院は比例代表のみというような考え方についてはいかがでしょうか。
○参考人(高見勝利君) 衆議院は小選挙区ということでもよろしいかと思うんですけれども、参議院を比例代表制ということにしていいのかどうかということについては、これはどういった比例代表制にするかということで決まってくるかと思います。やはり、参議院の場合には、できるだけ政党政治的なというか、政党が中心となって選挙を行って議員出してくるという形よりも、むしろ、やはりできるだけ、同じ比例で選挙するにしても人が選べるような、そういった、つまり個人というか個性が選べるような、そういった選挙制度の比例代表の仕組みということであるならば賛成というか、非常にいいんではないかなというふうに考えております。
○福島啓史郎君 今、高見参考人言われましたように、私も参議院、その場合の参議院の比例代表といいますのは、全国比例代表ないし、そこでの個人を選ぶような選挙というものが考えられるんじゃないかと思います。
 それで、次の質問でございますが、二院制の持っているメリット、優れた点と、それから一院制の持っておりますスピード感あるいは意思決定を迅速に行い、かつ国民の意思をその時々において反映させていくという仕組みを、両方のメリットを持つものとして、例えばノルウェーで一・五院制、一・五院制というのがあるわけでございます。それについて、ノルウェーの制度についてどういうふうに評価しておられますか。
○参考人(高見勝利君) ノルウェーの制度でございますけれども、これは一・五院制という意味、一カ二分の一というふうにも私の資料でも書きましたけれども、基本的には一院制というふうに考えてよろしいかと思います。
 ただ、御承知のように、要するに選挙は一本でございまして、選挙で選ばれてきた人たちについて、最初の議会で互選によって四分の一を上院議員に張り付けて、残り四分の三が下院議員として残ると。残るというか、選ばれるということでございます。
 これは動機はどういうことかと申しますと、要するに議会における慎重審議ということではあるわけなんですけれども、ただ、実際の中身の運営を見ておりますと、要するに一院制そのものでございまして、二つに院は分けておりますが、実際には常任委員会というのが中心、活動の中心になっております。この常任委員会というのは両院にまたがった形で、両院にまたがった形で組織されているわけです。でありますので、ほとんどというか、両院の間で意思の不一致ということはあり得ないわけですし、そういう意味では完全に一院制を二つに分けて機能させているという、そういう制度でございます。
 なぜ、じゃそういうことになっているのかということでございますが、これはなかなかその実情は私どももつかみにくいところがございまして、言えることは、やっぱり北欧諸国は一院制が中心でございますので、その辺の流れの中でこういうものができているのかという感じがいたしますけれども、じゃ、なぜ二部会制なのかということなんですが、やはり二院制を取るということの一つの大きな動機というのは、やはり立法権というのは、先ほどから申しておりますけれども、できるだけ動きを、何というかな、ある意味で迅速というのは一つのメリットであるんですけれども、そうでなくて、立法権というのは大変強力というか一番強力な権限でございます。したがって、これを何とか少しでもブレーキが掛けられるというか、つまり慎重な審議というのがその一つの表れであると思うんですけれども、そのためには一種権力を分離する考え方をそこの中に取り入れて、やはりその立法府を分かつということで少しでも権力のそういう動きというものを慎重にさせるという、そういった動機というのがやはりその中に読み取れるんではないかということでございます。
○福島啓史郎君 時間が参りましたので終わりますが、今言いましたノルウェーの制度なんかも参考になるかと思います。
 以上で終わります。
○小委員長(保坂三蔵君) どうもありがとうございました。
 平野貞夫君。
○平野貞夫君 高見参考人には御苦労さんでございます。肩書が二つございまして、この国会図書館の調立の、調査室の主任という肩書と北海道大学名誉教授という肩書でございますが、私はその北海道大学名誉教授という肩書に質問します。ですから、図書館にとらわれますと御自分の意見がちょっとブレーキ掛かりますので、率直にひとつ、個人の御意見を教えていただきたいと思います。
 まず第一は、一九七〇年代の前後、先生のお話のように、ヨーロッパで二院制を一院制に移行させる現象、あるいは二院制を残しても二院の権限を縮小して、二院制の一院的運用といいますか、そういう現象が起こりました。はやったという言い方をしてもいいと思いますんですが、日本側でも非常に注目しました。私どもは、貴族がなくなった社会、それから社会の複雑化に伴う国会審議の効率化が大きな背景であったんじゃないかというふうに理解しておりました。それから三十数年過ぎたんですが、最近の傾向というのは、先進国で一院制と二院制、あるいはその絡みの運営、運用の仕方、何か特徴的なものはあるでしょうか。
○参考人(高見勝利君) 九〇年代以降というか半ば以降をちょっと取ってみますと、一院制から二院制へというもう一つの動きというか、少し出ているという感じがしなくもないんですね。この動機というのはちょっとよく分かりませんけれども、やはり効率一本ではうまくいかないというか、むしろやはり民主主義ということを考えますと、一院だけで代表できる民意ということと、やっぱりそれ以外の形で、何らかの形で民意を吸収して、それを国政、あるいはとりわけ立法等に反映させていくという、そういった考え方が他方であるのかなという印象は持つわけですけれども。
 それからもう一つは、二院制の中での動きということでございますが、これはやはり地方の権限、権力が非常に強く一般になっております、これは御承知のとおりだと思うんですけれども。そういう中で、やはり第二院の機能、役割というのが大変非常に強くなってきている、そういう傾向というのを最近非常に感じるわけです。
○平野貞夫君 ありがとうございます。
 日本でも一九七五年前後、昭和四十八年、四十年代の末期ごろから、この二院制の在り方というのが非常に大きな論議になりまして、私、当時、衆議院の事務局にいまして三十三年ぐらい勤務したんですが、当時、衆議院の前尾議長の秘書をやっておりまして、参議院では河野議長さんがいらっしゃって、この二人で一院がいいか二院がいいかというのを大論争をやったことを記憶しております。
 当時、やはり経済成長が限界に来て様々な成長政策の弊害を調整する時期でございまして、佐藤内閣の末期、田中、三木内閣というふうに続くわけでございますが、当時、例えば国鉄運賃法とか健康保険料を値上げする法案とか、それから防衛二法というような法案が物すごく参議院で停滞しまして、大体一つの法案を成立させるのに二年掛かったんです。非常に参議院の力が強うございました。別に参議院が与野党逆転しているわけじゃないんですが。そこで、政府側は大変政策の転換に苦慮したわけでございます。国鉄なんかが破綻した一つの理由に、やっぱり適切な運賃の値上げというのは社会状況に応じて必要なものですから。そういうことが一つの原因でした。
 そこで、前尾議長が、参議院が当時の自民党の会派を派閥化して政局作る、参議院の自民党を抑えた方が総理大臣になれるという時代でございまして、参議院議長さんが非常に強い、閣僚のポストを五つぐらい持っていた時代なんですが。参議院が国政の、政局作って国政の邪魔をするといって非常に前尾さんが公言しまして、河野さんが怒りまして、参議院は衆議院のコピーじゃないんだということで大げんかになったんです。
 そこで、前尾さんは与野党の国対委員長を連れてヨーロッパの二院制、一院制を調査に行きました。その結果、帰国後、一院制にしろとは言わぬけれども、やっぱり憲法制定時の参議院の本来の良識の姿に戻るべきだという論を張りまして、またこれ河野さんが怒りまして、河野さんは、憲法の基本は両院平等だと、例外的に予算とか法律とかそういったもので衆議院の優位を認めているんだと、こういう論になって、前尾議長は、違うと、憲法は根っこから不平等なんだと、衆議院有利にできているんだと。これがまた憲法論争で両院議長がやるものですから大変我々もいろいろ巻き込まれて困ったんですが。
 この日本国憲法の現在の参議院の基本的性格ですが、河野議長の論と前尾議長の論と、どう思われますか。
○参考人(高見勝利君) 大変難しいし、どちらとも言えると言えば、どちらとも言えるわけなんですけれども、それはどういうことかと申しますと、私の先ほどの陳述の中では、最初から非常に強い参議院というか、を、ですからそういう意味ではほぼ対等に近い、まあ対等ですね、ほぼ対等な、そういった考え方を取っているんではないかということ。これはそういう意味では河野議長の考え方を、言ってみればこれは原意と申しますか、憲法を作ったときの基本的な流れの中から申しますとそうであったろうということをお話ししたわけなんですけれども、にもかかわらずですね、にもかかわらず、しかしながら衆議院の優越という形で憲法の規定があって、しかも、法律はともかくといたしまして、予算とか条約あるいは首相の指名等につきましては、衆議院の意思がそのまま通る形に、比較的、ハードルが非常に低く設定されているわけですね。
 そういうこともございまして、しかも、それがどういうことかと申しますと、それなりにというか、それなりに例えば、当初ですよ、当初、参議院は緑風会が非常に強く影響力を持っておりまして、是々非々というような考え方を取っていたろうと思うんですけれども、政党と政党の間のぶつかり合いという形でなくて、つまり、でありませんでしたので、そういう意味では非常に高い、高いというか、非常に強い参議院というのは見えてこなかった時期だったと思うんですね。
 それがやはり、二大政党制というか五五年体制が成立し、しかも中で多党化が進んでいって参議院が非常に力を持つようになったと。それはなぜかと申しますと、やはり憲法五十九条で大変法律について高いハードルを設けられている。ですからこれは、政党の状況がどういうふうに変わっていくかということで強くもなり弱くもなるというふうにやはり考えるべきであって、どっちかというふうに決めて掛かるわけにいかない問題ではないかということでございます。
○平野貞夫君 そういうことで、私、河野議長に呼ばれて、余計なことを前尾議長に言うなと、もう仲直りしようということで二人が赤坂の料亭で食事しまして、正式の文書にはなっていませんが、手を打ったわけなんです。
 手を打った内容が非常に参考になると思いますが、一つは、河野さんからの意見で、日本のように人口が一億人以上いて価値観が非常に多様化して、しかも社会の中が非常に複雑な国ではやはり民主政治を担保するためには二院制がどうしても必要だと。ここ日本で一院制言うのは、これはやっぱり常識に外れると。前尾さん、それでよろしいですなということで、いや、それはそうだと、河野先生はそう、河野議長がそうおっしゃって、それから前尾さんの方は、第一院は国民を代表して政権を選択すると、そして利害調整すると、第二院はやはり良識を代表するその仕組みを、選び方を変えなきゃ駄目じゃないかと、そして、その第二院というのはやっぱり政府と第一院を大所高所から指導するような人材が構成員になるべきだと。
 まあこんなことで、二人が意見一致して、もう議論するのはやめようということになったんですが、ここの河野議長の、これ全部制度化するにはこれは憲法改正が要ると思いますが、その河野議長の、日本のように一億人以上の人間がいて、価値観の多元化、社会の複雑化、様々な利害調整が非常に困難な問題があるところでは一院制を主張するのはナンセンスであると、やはり二院制でなければ駄目だと。もちろん二院制の仕組みは別なんですが、この論理は私はやっぱり今でも非常に大事な論理じゃないかと思うんですが、その点についての御意見を聞かせていただきたいと思います。
○参考人(高見勝利君) 私もそのとおりだと思っております。
 やはり、一院、二院制というか、二院制、第二院の存在理由というのをどこへ求めていくかということで、例えば理性の府でありますとか良識の府といったことが、これはもう二十世紀の頭から語られておりますけれども、でもそれをどうやって組織するかということになると物すごい難しい問題で、どういう形でそれじゃそういった選挙制度を作れるのかと、あるいはそういった、そもそも社会の中に母体があるのかどうかということまで考えますと、やはり民主主義で、しかも両方とも公選によって選ばれてくる、そういう組織体ですよね。その中で、先ほど申しました前尾議長の言われるようなそういった使い分けというのはなかなか難しいだろうということが一つでございます。
 それと、やはり河野議長の方の説得力があるところは、やはり民主主義の世の中で、しかも社会の中が非常に多様な価値観なり考え方がある。それをやはり一院だけですくい上げていくというのは非常に無理がある。そういう意味では、二つのパイプを作っておいて、それでそれを国政の場に反映していくというのは非常に合理的なという考え方で説得力があるというふうに私は思っております。
○平野貞夫君 分かりました。
 私、個人的な意見なんですが、特に昨今、衆議院の議論が程度が悪くなった、ここ二、三年。参議院はなかなか頑張っておると思いますよ、いろいろあるんですが。例えば、イラク特措法なんというのは、衆議院のあの議論は何ですか。それから、心神者救済法という法務委員会でやったあの法律なんか、もう衆議院ではすらっと修正してきているんですよ。私は自由党だったんですけれども、衆議院では賛成だったけれども、反対したんですよ、あれを、参議院では。
 まあこれ、実際の、現実の政治のそういったものとの兼ね合いなんですが、とてもじゃないがまだまだ二院制の必要性はあると思うんですが、今日はちょうど会長さんもいらして、あっ、いなかったんだ。総理とか某野党の代表が一院制を誘導するような発言をするのは僕はけしからぬと思っていますよ。まあそれは、理念とか歴史観を言うならいいですよ。一院制言うなということじゃないんですよ。これは、二院制の在り方を議論し始めたときに、しかも思い付きの話を国民世論を作るような言い方で言うことは、私は政治家としての資質の問題だと怒っているんですよ、二人に、あの二人に。
 それで、これ以上何か言うようでしたら、軽率な発言するようでしたら、憲法調査会に来てもらおうじゃないですか、二人とも。会長に、小委員長、伝えておいてください。
 そこで、ちょっと残り時間で実務的なことをお尋ねしますが、私も事務局の実務担当として非常に苦労したところあるんですが、例の憲法六十条ですか、予算の自然成立の話なんですが、三月の五日に参議院に送付されて、御承知のように三十日以内に結論を出さなければ自然成立するという憲法の規定になっておるんですが、仮に二十九日目に衆議院と違った議決した場合、修正なり否決をした場合、当然両院協議会が開かれるわけですが、両院協議会が開かれている間に三十日が過ぎた場合、これは自然成立とするのかしないのかというのは、これ実は結論決まっていないんですよね。これはある種の憲法の欠陥かもしれませんが、ちょっとそのことについて、国会図書館の立場は言いにくいでしょうが、北海道大学の立場で。
○参考人(高見勝利君) これは難しい法律問題で、いつから……。ちょっと、ちょっと今事実関係でございますけれども、両院協議会を二十九日に、二十九日。三月五日に……
○平野貞夫君 まあ日にちはともかくとして、日にちはともかくとして、要するに自然成立する三十日以前に参議院が異なった議決をして、それで、両院協議会を開くようになったと。それで両院協議会を開いている間に三十日過ぎたというときに、なかなか話が付かなくて、その予算は自然成立するかしないかという。
○小委員長(保坂三蔵君) 参考人、よろしゅうございますか。
 はい、どうぞ。
○参考人(高見勝利君) ちょっとこういうケースについて考えてみたことも余りございませんので、遠慮をさせていただきます。
○平野貞夫君 実は、平成元年に参議院が与野党逆転したときに、ここの問題を我々は想定したわけなんです。
 衆議院と参議院の法制局は、異なった議決をすればもう自然成立はないという意見なんですよ。これ、公式に会議録で書いているのは、委員会で発言しておるんです。ところが、意地悪いのがいて、永遠に両院協議会で結論を出さなかったら予算は成立しないと言う。それを補完する規定が、明治憲法のように、ないわけなんですよね。私はそのときに委員部長だったんですが、両院法制局がそういう見解出すなら、私は、予算委員会の運営に、運営もたぬと、こう言いましたら、じゃ解釈変えようということになりましてね。そういう問題が起こったら前の解釈を変更するという段取りまでできていたんですが、幸い、当時の参議院野党が賢明で、そういう事件は起こらなかったんです。そのくらい、何というか、日本国憲法というのはうまくできていないんですよ。問題なんですよ。
 これは憲法五十九条の法律案の再議決の問題、様々な法律上の解釈の異説がございます。まあ自分ばかりしゃべっちゃいけませんが、そういう問題があるということをひとつ御承知おきいただきたいということと、それからもう一つ、高見先生に御記憶がありましたら答えていただきたいんですが、一院制のGHQの案に対して日本が二院制要求したと。日本、そのときの憲法の制定の問題は、やっぱり天皇制度をどうするかということに非常にウエートがいって、二院制にしたときのやっぱり細かな議論を詰めていないんですね、はっきり言って。そういう点があったんじゃないかということ。だから、憲法六十条とか五十九条の問題があるんだということと、それからもう一つは、憲法改正が非常にしにくい規定にしたのは、あれは一院制のつもりだったからですよね。だから、二院制にしたら憲法改正手続というのは変えておかなきゃならぬわけですよ。そういう一つの問題点があったというふうに、私は昭和三十六年ごろの内閣の憲法調査会の間接的な仕事を、事務局から情報を提供する議論の中で聞いたんですが、その点についてもし御承知おきのことがありましたら、お答えいただければと思います。
○参考人(高見勝利君) 確かに、一院制から二院制に切り替えたということもございまして、その関係でかなり両院関係について短期間に詰めていかなければいけないということでございまして、例えば五十九条の両院協議会の制度についても後から入ってきたというふうなことで、その結果、五十九条の二項、三項の解釈の問題というのがかなり複雑になってきたという、そういった事情がございますから、おっしゃるとおりだと思います。
 それから、憲法改正の手続規定について申しますと、これは確かに二院制にしたがために非常に厳しくなったんですね。一院制で三分の二ならばそんなに難しい発議案件ではないわけですよね。ただ、それにつきましては私も少し調べたことがございまして、それは当時の想定問答集がございまして、それを読んでおりますと、何かこれは厳し過ぎるのではないかという想定、そういう想定問答立てておりまして、それに対して、いやそうじゃないんだと、やはりそれぐらいのハードルを越えなければ憲法改正やっていけないんだという、そういう趣旨の答弁準備はしていたようでございます。
○平野貞夫君 ありがとうございました。
○小委員長(保坂三蔵君) 山本保君。
○山本保君 公明党の山本保です。どうぞよろしくお願いします。
 それでは、私はなかなかそういう難しいといいますか専門的なことは分かりませんので、最初にちょっとざっくばらんにといいますか、もし、お答えしていただきたいなと思っているんですね。
 それは、今日のお話を伺いまして、二院制の意味を考える場合に、少なくとも、例えばその機能、役割でありますとか、国民から選ばれたその正当性でありますとか、こういうものを考えなくてはならないというお話だったと思っております。
 そういうこと、私も全くそのとおりだと思いますが、その点で見ますと、今回のといいますか一月の最高裁の判決でございます。これは言うならば投票価値の平等という、先生、今日おっしゃいましたけれども、この視点のみを取り上げて憲法違反であると、こう言っておるのかなというような気もしておりまして、私、申し訳ございませんが、今判決を詳しく検討もしておりませんので、もし、そこをお聞きしたいんですね。こういうことだけで憲法違反であるという、こういう判決というのは私はどうもちょっと全く一面的にとらえているのではないかなと。別に、判決を批判しちゃいかぬのでしょうね、政治家は。別に構いませんわな。
 ですから、高見先生も今日は、今、平野委員からも学者としてお答えいただきたいというお話ありまして、私も全く同じことでございますけれども、今回の最高裁の判決、しかもそのうち多数、多くの裁判官が、現在のこの定数は、今の、今回の選挙のものは憲法違反のおそれがある若しくはそういうものであると。しかもそれは、今お話あったように、国民の意見を平等に代表すべきであるという点からいっておかしい。しかしながら、この議論には、もっと参議院はどういうものであるのか、その機能そしてその選ばれ方、こういうものが全部必要だということ、繰り返しましたけれども、この辺について先生、ちょっとお教えいただければと思います。
○参考人(高見勝利君) 一月十四日の大法廷判決をどう読むかという、そういう御質問であろうかと思います。それに関連して、最高裁判所は一体参議院のあるべき姿についてどう考えているのかという、そういったことであろうかと思いますが。
 まず、最高裁の大法廷判決をどう読むかということでございますけれども、多数意見が二つに割れまして、従来ならば多数意見というのは一枚岩でいくわけなんですけれども、今回、九人の裁判官のうちの五人の裁判官が従来の考え方で、従来の考え方というのは、立法府の方は非常に広い裁量権を持っているんであって、まだ違憲という形で判断を下す時点ではないという考え方であろうかと思います。それに対して、じゃその反対意見の方は、既に六人の裁判官が一票の価値ということを考えた場合に違憲であるという考え方を非常にはっきり打ち出しているわけですね。残るところはこの四人の裁判官、その多数意見に回りました四人の裁判官たちの考え方でございます。この人たちは、従来の最高裁判所の判断枠組みでは駄目なんだということを言い出したわけですね。ここが非常に大きな特徴でございます。
 そのために、非常に抜本的な制度の見直しが必要だという意見が出てくるのは、この四人の裁判官と、それとあと六人の反対意見の、このつまり十人の裁判官がそういう考え方を今もしている。そういう意味では、最高裁判所の今多数意見が九対六に分かれていると申しましたけれども、実際のところは五対四対六と。しかも、その五と四の考え方の間にはかなり近いものがあるというふうに考えていった方がよろしいかと思います。
 しかも、この四人の裁判官の考え方ですけれども、これは、従来、立法府に対して非常に広い裁量権があるというふうに裁判所は認めてきたけれども、これ、そのこと自体はこの四人の裁判官たちも基本的には同じなわけです。ただ、その場合に、立法府が何もしなくてもいいというそういう選択肢はないはずであって、制度の趣旨に従ってその制度を実現するということを立法府として義務付けられているんだと、しかもそれは憲法上義務付けられている、そういう要請であって、そのことについては裁判所としても、外から見ていてもし何もしていないんだったら、やはりこれは立法の怠慢であるから違憲というふうに言いますと、そういう態度を示しているわけですね。
 その場合、何をじゃ皆考えるかというと、それは一票の価値について非常に著しい差が生じてきている、しかも、幾ら試算してみてももはや今の定数の枠内できっちり収まりそうにない、そういった事態に立ち入っている、それについて一体国会の方でどういう動きがあるのか、もしこれから先そういう何も動きをしないんだったら、次の段階で我々は違憲というふうに踏み切るにやぶさかではないと、そういう考え方を示しているわけですね。
 じゃ、その場合になぜ、じゃなぜ、じゃ参議院はどうあるべきか、あるいはどういった形でその定数問題あるいはその選挙制度を考えるべきかということでありますけれども、これは立法府が考える問題であって、裁判所として、つまり司法部としては立ち入る権限もないし立ち入るべきではないというふうに考えると、こういう判断を示しております。
○山本保君 やはり、そのとき、もちろん、少し、もう少しそれについてお聞きしたいんですけれども、元々、先ほどお話ありましたように、この憲法ができたときから言うなら平等ではなかった。それについては、今日先生お話があったように、いろんな機能、役割というものが期待されていたというふうに現行法では考えられると思うんですね。そういうときに、どうして単純にこの投票の価値が違うということだけで問題であるという判断が出るのかが私ちょっと分からないんですけれども、どうでしょうか。
○参考人(高見勝利君) これは大変本当に重要なポイントをつかれていると思いますけれども、憲法四十三条で、国会議員というのは全国民の代表、選挙された全国民の代表者であるわけですよね。その場合に、選挙で選ばれるということでございますけれども、その選挙で選ばれる際に、国民が投票権を行使して、選挙権を行使して選ばれてくるわけであります。その間に、国民が選挙をするときに、その一票の間に一体差があっていいのかどうかという、つまり、それでなければ、つまり民主主義というか、国民の代表者であるという、つまりそういう民主制というか正当性を担保している最低限の条件として、やはりひとしく国民から選ばれていなければいけないはずであると。そこの最初の出発点のところが非常におかしくなっている。これは参議院も衆議院も違わないわけですね、つまり全国の代表である以上ね。
 ですから、その基本的な枠組みを、つまり憲法四十三条というのは衆議院議員、参議院議員両方にかぶってくるんだというのが憲法上の建前である、憲法上の立場であると。その枠内で、つまり一人一票というところにその価値的なもので基本的に差があってはいけないということを前提にして憲法は選挙制度の採用ということを国会に対してゆだねているはずだと、そこのところが裁判所の言いたいところでありまして、したがって立法府はその枠内でやはり知恵を絞って制度を工夫しろと、こういう趣旨だと思います。
○山本保君 今のところで、それを次にお聞きします。
 今日のお発言の中で、レジュメでは七ページでありますけれども、ちょうど先生が今おっしゃった四十三条のところの選挙、これが直接選挙でなければならないのかどうか、それ以外も若干の含みを持った規定ではないのかと、こういうふうに今日お話しになられました。この意味について、もう少し詳しく教えていただきたいと思います。
○参考人(高見勝利君) これは解釈上、国民による選挙ということになっているわけですけれども、これは直接選挙でなくてはいけないか、あるいは例えば間接選挙といったようなことまで読めるのかという問題であるかと思います。これは、代表的なコンメンタールというか、宮沢俊義先生なんかの書かれたものですと、間接選挙までは許されるというふうに書いてあります。
 これはどういうことかと申しますと、やはり憲法を作るときの議論の中でもGHQとの間のやり取りでありまして、要するに両方とも公選にしなければいけないというふうに向こうが、向こうというかGHQの方が言ってきたわけですよね。それに対して、それでは同じ選挙制度になってしまうじゃないかと。つまり、衆議院と参議院の間で差が付けられなくなってしまって困るではないかという、そういうことを言ったわけですね。そのときに、両方というか、両方の間で出てきた議論というのは、じゃ、間接選挙ぐらいならいいんじゃない、間接選挙までは四十三条の下でいいんではないのという、そういう議論があったわけです。多分それを踏まえた議論だと思いますが。
 ただ、やはり民主主義という観点から考えていけば、やはり間接選挙というのは、そういう意味ではどうしても薄まるわけですから、それを参議院の構成ということを考えた場合にどう考えるかということだと思います。
○山本保君 ありがとうございます。
 最後にもう一つお聞きしたいんです。
 今までのお話で先生のお立場というかお考えが大体分かってきたつもりでございますけれども、一つ念押し的に聞きたいんですが、先生、今日お話しになった中に、五五年体制の後で強い参議院になっていて、これは評価されているのではないかという趣旨のことをお話しになられました。これは具体的に先生はどういう点を取られて今の参議院は強い参議院になっているかというふうにお思いで、またどのように評価されておられますか。
○参考人(高見勝利君) 評価というか、私としては、客観的にというか、少なくとも観察したところ、非常に強い参議院になっているという、そういう趣旨でございます。というのは、それはやはり参議院まで含めた形で党派構成しなければ政権が構成できないというところでございます。
○小委員長(保坂三蔵君) よろしいですか。
○山本保君 はい。じゃ、それで結構です。ありがとうございました。
○小委員長(保坂三蔵君) 吉川春子君。
○吉川春子君 共産党の吉川春子です。今日はありがとうございます。大変参考になりました。
 私も参議院議員を二十年以上やっておりまして、日本の二院制というものがなかなか制度として考え抜かれていて、また運用も、実際自分がその中に入ってやっている感じでは、いろいろな問題点はあるにしても、民主政治を支えるという制度として機能しているんじゃないかということを日々考えているわけです。
 それで、憲法改正のとき、終戦後の憲法改正のときの松本意見というのに私は大変驚きまして、議会政治というのは、ややもすれば多数党の専制を生じ、多数党の政策は、時には一党の利益に専する弊害あるけれども、二院制の採用によってそれを、ある程度その横暴を抑えることもできるんだと。こういう意図の下に二院制を導入するということは、貴族院残したかったからだなどというような次元とは大変違うものだということを今日勉強したんですが。
 今、日本の制度は議院内閣制ですよね。議院内閣制の下で仮に一院制を取ったとすると、もう更に弊害が増えるのではないかという感じがいたしますし、また副大臣とか大臣政務官というものを導入しまして、それによって国会議員が政府に移るということが三年ぐらい前から行われているわけなんですけれども、そういうことを考えて、国権の最高機関たる国会、で三権分立ということを考えたときに、やっぱり行政府を更に強化してしまうのではないかと、行政府の力をですね。そういうようなことを考えるんですが、その点について先生のお考えはいかがでしょうか。
○参考人(高見勝利君) おっしゃるとおり、一院制で議院内閣制という形を取った場合には、これは一院議会を構成する多数政党がそのまま内閣を組織する。そういう意味では、何というか、この間というか、九〇年代以降語られてきた政官関係と申しますか、つまり政治が優位してリーダーシップを持って強力な政治を実現していくという、そういう行革の理念からいきますと非常にそれが実現された形態ということになるのかもしれませんが、その中にあってというか、それだからこそ、それに対する一定の歯止めと申しますか、それに対応するようなそういう措置ということを同時に考えていかないといけないということに、一院制になった場合には当然、今日お話ししたような様々なことの手当てと申しますか、考え方があり得るであろうということをお話ししたわけですけれども、おっしゃるとおり、非常に強くなるということは当然のことだと、それを前提にした議論です。
○吉川春子君 私は二院制を維持すべきと、そのためにも憲法改正をすべきでないという立場で、自分の個人的な信条も党の考えもそうなんです。
 そういう前提でお伺いしているわけですけれども、憲法四十一条が「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」と、こういうふうに定めているわけですけれども、一院制になったときの国権の最高機関である国会との関係ではどういうふうにお考えですか。
○参考人(高見勝利君) ちょっと御質問の趣旨が理解しかねるわけですけれども、国権の最高機関という言葉で国会の地位ということを示すということ、性格付けを行っているわけでありまして、それ自体は一院制であれ二院制であれ、基本的には異ならない。つまり、国民を直接に言わば代表して、国民の代表者によって構成されているがゆえに最高の機関であるということでございますので、国民の代表者で組織している限りは、一院制であれ二院制であれ、憲法上は最高機関ということには変わりはないというふうに考えておりますけれども。
○吉川春子君 つまり、今、国権の最高機関は国会と憲法が言う割にはやっぱり行政が非常に強力になっておりまして、国会の力というものが十分に内閣をチェックする力を発揮し得ていないんじゃないかというふうに私考えておりまして、そういう場合に二院から一院になった場合、余計、行政府に対するチェックということが弱まるおそれがあるのではないか、そういう趣旨の質問だったんですが、いかがでしょうか。
○参考人(高見勝利君) それは、おっしゃるような形で、今の議院内閣制の下であっても、つまり衆議院に基礎を置きながら、しかしながら参議院がそれに対して正鵠を得ながら、いわゆる行政に対するチェックを加えながら行われている、そういう下であっても、非常に官僚というか官の力が強い、行政の力が強いわけで、それに対して、一院制になって参議院というか第二院のチェック機能というのがなくなればますますひどくなるのではないかということでございます。そういった趣旨かと思うんですけれども、それは、理屈からいえばそういった形で機能するということが十分に考えられるということであろうかと思います。
○吉川春子君 また違った質問なんですけれども、一月十四日の最高裁の判決に絡んで、参議院におきましても一票の格差をどう是正するかという各党協議もスタートしているわけなんですけれども、その一票の価値の平等というものが、自然権というか基本的人権なのか、それとも法律によって付与されたものなのか、その点についてお伺いしたいと思います。
 私は、もう平等というところからきて一人が二票を持たないということを考えるときに、一票の格差をきちっと是正するということが基本的人権を守るという立場からも非常に重要だと思うんです。その点についてはどういうふうにお考えでしょうか。
○参考人(高見勝利君) その点ということは、質問ではなくて確認なんですけれども、その点というのは、要するに、平等権というか、自然権がどうかということですか。
○吉川春子君 そうそう、そうです。
○参考人(高見勝利君) 分かりました。
 投票の価値と申しますか、選挙権というのはそもそも参政権ですけれども、参政権というのは自然権ではございません、私の定義から申しますと。自然権というのは、言わばロジカルに申しますと国家以前と申しますか、国家という政治社会を構成する以前に持っている、国民が持っている、国民と申しますか人々が持っている、そういった非常に貴重な権利、人権を指して言っているわけでございます。したがって、国家を組織して言わば政治社会を作り上げた上で初めて選挙権というものが、概念が出てくるわけでございますので、そういう意味では自然権というふうに選挙権は考えられないわけですね。
 そうしますと、投票価値の平等というんですか、選挙の平等という考え方というのも、当然それは国家なり社会ということを前提とした上で、その国家が守っていくべきそういった価値ということになるわけで、自然権という形にはならないと思います。
○吉川春子君 そうすると、人間はすべて平等とか、差別されないとか、男女は平等とか、そういう意味での平等と、その一票の価値の平等と選挙権の平等ということとは少し考えが違うんだという御説明だったと思うんですけれども、なぜこういう質問をしたかと申しますと、やっぱり参議院の選挙制度といいますか、参議院議員をどういう形で選ぶかということにも絡んでくるんですけれども、先ほどの参議院の権限の強さというのは議員の民主的選出に対応するんだということの説明がありまして、私もそれは非常に同感いたします。
 民主的に選出する国会議員、参議院議員を選出するというその選挙制度の限界というのはどういうところなのかな。例えば、アメリカのような各州二名ずつというような形での配分も、まあ民主的じゃないという意味じゃないんですけれども、そういう形になりますと、例えば東京都で二名、一番人口の少ない、鳥取県ですかね、今は、でも二名という形になったときに、すごく、もちろんこれは憲法改正を伴うもので、そういうことを前提にして聞いているんですけれども、そういうときに、非常に国民の基本的人権というか参政権もちょっとアンバランスになるんじゃないか。
 そういう点で私は、選挙制度についても、どこまででもできるというんじゃなくて、そういう点での限界があるかなという思いがするんですが、先生はいかがお考えですか。
○参考人(高見勝利君) 例えばというか、私の先ほどの御報告の中でお話ししました点とも絡むわけなんですけれども、憲法で地域代表としての性格というか役割というものを参議院が担っていくということになりますと、地域の代表ということで組織されていくということになるわけですね。その限りで、代表、選び方というのは割とはっきりしてくるわけなんですけれども、その場合に、じゃ選挙の平等というか、投票における価値という意味での一票の価値の平等というのは一体どうなるのかという話かと思います。
 その点は、先ほどちょっとせめぎ合いということを申しましたけれども、これは一つ前提が付いております。というのは、地域から選ばれてきてもやはり国民の代表者であることに変わりないという、そういう前提に立っております。つまり、完全にその地域の利益を代弁してくるんだということではなくて、地域の代表であっても、国会で立法府を構成する一員である以上はやはり国民の代表者であるということが前提になっております。国民の代表者であるということになりますと、やはりきっちりと申しますか、ひとしく国民から選ばれていなければいけないわけでありまして、国民の間の投票においてやはり大きな差があってはならないわけですね。
 ただ、それが地域の代表であるということとの兼ね合いで、今の制度、現行制度から見るとやはり少しは違った考え方というのがその中に入ってくるのかなということであります。
○吉川春子君 最後に。
 簡単な質問なんですが、参議院は要らないといって、世論調査の結果でそういう見解が出てくるときいつも私は大変悲しい思いをするんですが、それはどういうところから出てくるとお考えでしょうか。
○参考人(高見勝利君) さっき、ちょっとシェーエスの言葉を引用しました、これはしばしば引用される言葉なんですけれども。そこで、同じことをするならば、つまり同じ考え方を持つならば、これは無用だという言い方をしていますよね。ですから、参議院無用論が出てくる一つの大きな理由というのは、やはり衆議院と余り違ったことをしていないという、そういった認識が仮に社会の中にあるとすれば、それがやはり出てきているということではないかと思います。
 仮に、非常に違ったことをしていると、これは非常に有害というふうにシェーエスの場合言うわけですよね。有害であるというのは、これは評価の違いでありまして、そういう形で違ったことを、違った結論を出す、あるいは違った考え方を示すというのは、むしろ立場を変えて言えば非常に有用であるということになるわけですね。ですから、有害論に対しては多分無用論は出てこないと思うんですけれども、無用論が出てくるというのはやはり、余り違ったことをしていないんではないかという、そういった社会の中での評価というのが仮にある場合に、それが出てきているというふうに私は考えます。
○吉川春子君 終わります。
○小委員長(保坂三蔵君) 田英夫君。
○田英夫君 私は、一院制か二院制かという選択をする場合に、民族性とかあるいは地理的な条件というのを考えるべきではないかと思っていたんですが、先ほどのお話の中で松本烝治さんが、日本人の自己批判みたいなものですが、事大性と雷同性とかいうものを言われたというのは御紹介があります。大変興味を持ったんですけれども、韓国の人には悪いですけれども、今韓国で大変な事態になっているわけですね。一院制で大統領弾劾などということが出てきて政治が止まってしまうというような事態になって、日本人と韓国、朝鮮民族というか、ある意味では非常に似ていると思いますよ、かっとするたちですから。
 そういうことも含めて考えますと、日本は、やはり松本さんが二院制を主張されたということは大変良かったんじゃないかと。ただ、その場合には、参議院はいわゆる良識の府だという状態が保たれないと全く意味がないと思うんですね。どうしたらその良識の府という状態が保たれるのかということを考えると、やはり私は、選挙制度が非常に重要な要素になるんじゃないかと思います。
 というのは、この参議院が発足して以来、選挙制度は、最初は全国区と地方区、それが比例区と地方区になりました。その比例区が拘束名簿式から非拘束名簿式という変化をして、それだけ現在に至るまで選挙制度は変わっているわけですけれども、私は、全く個人的に現在の選挙制度は参議院の良識の府ということを考えたときに最悪の制度だと思っています。
 参議院が発足して間もなく、緑風会が第一党になっていたわけですが、そのころ私はたまたま政治部記者で、参議院クラブを担当したことがあって、本当に緑風会というものの存在が正に良識の府にふさわしいということを何度か体験をいたしました。そういうことからすると、現在の選挙制度、そして現在の参議院ということについて、率直にひとつ御批判をいただきたいと思います。
○参考人(高見勝利君) 参議院を良識の府として役割付け、構成していくということの難しさであろうかと思います。
 これは、選挙制度をどう工夫してもというか、少なくとも今の直接公選、直接選挙の形で国民から選ばれてくる体制を取る限り、やはり緑風会は希有の、例外でありまして、やはり敗戦直後にたまたまというか、参議院の全国区という新しい制度ができて、そのときに最初に当選してきた人たちで、しかも当時まだ政党自体が戦後立ち直りが十分果たしていなくて、しかも衆議院選挙を始めとして様々な、地方自治体も選挙を全部やりましたから、政党の方で言わば、それからしかもパージもございました。そういうことも含めまして、政党の方で人材がまず確保できなかったということですね。
 その結果、非常に参議院の方に、しかも参議院という新しい制度で、しかも良識の府というふうな役割が非常に最初の時期から与えられたものですから、そういう人たちが集まって組織できたわけですけれども、しかしながら、その後の通常選挙の結果を見てまいりますと、やはり政党が立ち直るに応じて緑風会というのが勢力を落としていって、十数年で消滅してしまうという運命をたどったわけですよね。
 これは、やはり今の憲法の下での選挙制度の枠内でやっている分には、やはり避け難い運命であるというふうに思うわけですね。だから、選挙制度でやはりよほど政党単位ではなくて個人を選ぶ、そういう選挙制度が工夫できない限り、しかも国民が参議院というのは良識の府としてそういった役割を果たしてほしいんだというそういう願いを持って一票を投じる、その人に対して投ずることができるような、そういった工夫がなされない限り、やはりなかなか難しい問題であるというふうに考えます。
○田英夫君 私も、選挙制度を本当にこういう制度ならいいということを思い付かないんで、非常にそこが問題なんですけれども、やはり大原則は政党を選ぶんじゃなくて人を選べる、そういう参議院の選挙制度でなければならないのではないかと。
 私も今、特定の政党に属しながらこういうことを申し上げるのはおかしな話ですが、参議院が政党化してしまって、衆議院と同じような選挙制度を取っているというところに非常に問題があるんじゃないかと思ってはいます。しかし、じゃ、どういう選挙制度がいいのかということになりますと非常に難しいと思いますが、緑風会におられた、保守も革新という、そのイデオロギーでいえばそういう方々が混在をしておられましたけれども、いわゆる全国区というものがその選出の母体になっていたということは事実であります。もちろん地方区の方もおられましたけれども、そういう意味で、理想的な選挙制度というのはなかなか難しいということは私もよく理解しているつもりです。
 もう一つ、先ほど言われました、二院制で、参議院が例えば否決した場合、両院協議会に諮って、そして衆議院の三分の二条項というのがあるわけですから、非常にまたこれは厳しいと。
 私が体験したのでは、衆議院の現在の小選挙区比例代表並立制という制度がかかったときに、衆議院は通過してきて、参議院で否決をいたしました。両院協議会という形になって、しかし、実際には時の政府の細川総理と第一党の河野自民党総裁とが話し合って、結局この案は成立をしてしまった。私は、実は参議院の中で社会党は賛成をしていた案件であったにもかかわらず、十七人の仲間とともにこれを反対票を入れて、否決の一つの動機を作ってしまったために社会党の会派から除名になりました。
 そういう体験がありますが、それだけ一生懸命に、否決をした方がこれはいいと思ったからこそやったんですが、結果としては一種の談合のようなことで成立してしまったということを非常に今でも不満でありますが、いわゆる二院制が取られる以上は、衆議院の行き過ぎを参議院が抑える、法案でいえば否決をするということの処理、その後の処理の問題というのは本当に、今の憲法のとおりであるならばこれは本当に衆議院が厳しいということは事実ですが、どういうふうにお考えになりますか。
○参考人(高見勝利君) 今の憲法の場合には五十九条の定めがございまして、憲法の五十九条の第一項を見ますと、法律案というのは両院で可決したときに法律になるわけでございます。第二項でそれに対して例外がございまして、参議院で異なった議決をした場合、まあ異なった議決というのは否決した場合あるいは修正可決した場合も含みますけれども、この法律案というのは衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で可決した場合には法律となるという定めになっているわけです。第三項で、先ほどちょっと申しましたけれども、衆議院が、これは第二項で参議院が異なった議決をした場合でございますけれども、衆議院が両院協議会の開会を求めることを妨げないという形で任意的に両院協議会を開くこともできるという、こういう形で両院の間の意見の調整ということがなされる体制を取っているわけでございます。
 両院協議会というのはかなり形骸化というか、以前からそうでございますけれども、もう結論は最初から見えているということでございますので、結局のところ、これはなかなか普通の場合には三分の二ということにはいかないわけでありますので、参議院がその限りで非常に強い権限を持っているということが実際ございます。
 ですから、この問題を考える場合に、参議院がやはり立法権としてどういう形でチェック機能を果たしていくのが、ずばり抑制機能を果たしていくのが妥当なのかという話になってくると思います。憲法は非常に強い立法権を参議院に与えているというのが今の状態でございます。
 ですから、考え方の一つとしては、やはりこの三の二の要件ではなくて、やはり停止的な拒否権あるいは遅延権といったような形で一定期間の留保を置きながら、一定期間の期間を置きながら、しかしながら衆議院の方が再可決、自分の意思で可決して通していくというような、そういった仕組みというのは一つ考えられるだろうと。
 それからもう一つは、両院協議会というのをもっと実質化してやっていくというのがむしろ実際的かなというふうな考え方に立ちます。つまり、今のように結論出た、つまり衆議院の方は賛成、それから参議院の方は反対という形で、委員、協議委員を十名ずつ派遣して、そこで協議するという形では実質協議にならないわけですから、そこら辺の協議会の持ち方というのが一つ工夫の余地があるだろうというふうに考えます。
○田英夫君 終わります。
○小委員長(保坂三蔵君) 岩本荘太君。
○岩本荘太君 無所属の会の岩本荘太でございます。
 いろいろ勉強させていただきましてありがとうございました。もう聞けば聞くほど何か迷路に入っていくような感じで、私の質問は必ずしも論理立っておりませんが、その辺はひとつ、いろいろと今日聞いた中での感想といいますか、そういう面でお聞きしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 どうもこの参議院の在り方論のよってくるといいますか、こういうことを検討しなきゃいかぬというのは、やはり私なりに考えましたら、これは参議院の独自性が非常に見えにくいということにあるというふうにこれは思うわけでございますけれども、皆さんも同じかもしれませんが。それを私なりに解釈しますと、やはり同じ機能を持っている、やることが同じだというところに大きな問題があるんじゃないかな、問題といいますか問題の根源があるんじゃないかなというような感じがするわけです。
 そんな中で、大きな機能といえば、先ほどから出ておりますように、首班指名、予算、それから条約、さらには法律ですね。これは同じ機能であっても一応これ全部について衆議院の優越が定められているわけですけれども、その中で特に首班指名、予算、条約というのは、これは参議院の、両院協議会の存在というのは、存在というか、それがうまく機能すれば別ですけれども、大体がこれは衆議院の思いどおりにいくと。特に予算に至っては参議院が決めなくても決まっちゃうという状況なわけですね。
 それから法律については、これは逆に、まあ三分の二条項ですけれども、実質、拒否権と同じような機能を持つと。この四つのうちの最初の三つと法律の一つと、これは大分性格が違うと思うんですが、衆議院で決まったものでほぼ決まるというこの首班指名、予算、条約で、これを参議院でこういうことをいろいろ議論するという意義といいますか意味というのは、参考人はどういうふうにお考えになっておられますか。
○参考人(高見勝利君) 参議院の役割として補完機能というふうなことを言われますけれども、やはり衆議院で必ずしも十分な議論がされていないようなところ、あるいはその見落としているところ、あるいは衆議院で議論したけれども、やはりその後いろいろな問題が出てきているということで、やはり国民の中から様々な意見というのは当然出てくるわけですから、そういったものを受けて、やはり参議院がしっかり受け止めて、その議論、予算にしろ、あるいは条約にしても、これは首班指名はちょっと話は別になりますけれども、議論していくと、そういうことではないかというふうに考えておりますけれども。
○岩本荘太君 そういう御意見は確かにそうだと思うんですけれども、ただ、議論をした場合、衆議院で足らざるところの議論をした場合、議論にすることによって結論が変わってもいいはずなんですね。しかし、今のこの三つについてはほとんど変わる要素がないというところで議論をするということが、何か、何のためにというような感じがあるんですが、これはもうこれ以上御質問してもちょっと答えづらいかもしれませんので、もうこれ以上言うことやめますけれども、そういう同じ機能を持つ中で、先ほどから出ておりました憲法制定時から参議院の意義をいろいろと指摘されて、当時の松本大臣もいろいろ言われたと、先ほどの御説明ですが。
 私なりにちょっと調べてみたら、これは原文じゃないんですけれども、一九四六年二月にGHQのマッカーサー草案で一院制として持ってきたときの理由が、一つは、アメリカの合衆国制とも違い国の成り立ちが簡明であると。一つは、貴族制度は廃止されたから貴族院を設ける必要はないと。もう一つは、どちらの院の権限が優越するかについて争いが生ずる心配があるということを言われたと私は聞いておりますが、それに対して松本大臣は、先ほどから言われていますとおり、一院のみだとある党が多数を得たら逆の極に進むおそれがあると。それから、第二院があれば政府の政策に安定性と継続性が持たせられると。
 これは、その後の第九十回の帝国議会、憲法議会で金森徳次郎国務大臣も同じようなことを言っておりますけれども、申し上げますと、一院の専断に対してこれを抑制することと、それから衆議院の慎重さを欠く審議に対し、これを補完すること、さらには世論の帰着についての判断を的確にすること、先ほど言われたこととほぼ同じだと思うんですが、こういうふうに最初のときにスタートして目指そうとした方向に今必ずしも行っているかというところが一つ大きな問題ではないかなと。
 ということは、このときにどうして、先ほど天皇制の問題が大きかったからこういう問題はそれほど審議されなかったというような御指摘もあったかもしれませんが、その辺で、こういう参議院が独自性を見せるというものの、法整備といいますか、そういうものが一つ欠けていたような感じがするんですね。
 それともう一つは、今のものでも、今の憲法でも全然今とは別の方向性というのは出てくるはずですよね。先ほど言いましたように、法律は全く拒否権と同じような権限をもたらされているわけですから。ところが、実際はそれは、これ政治の世界の常なんでしょうけれども、参議院でいつもひっくり返されたらかなわぬ。したがって、そこで党議拘束といいますか、そういうものの力といいますか、衆議院と参議院が同じように決定するように政党が物すごく前に出てきたというような感じを私は受けるんですが、そこに衆議院と違った視点をとか、判断を持たなきゃいけないその参議院としての性格が出てきていないというような感じがしてならないんですが。
 そうした場合に、一つの議論として、例えば政党法を作って、衆議院、参議院と同じ党でも別々のことを言ってもいいじゃないかと、別々の決定をしてもいいじゃない、できるようなふうにする法律ができないかとか、それから、場合によっては、選挙制度のうちでしょうけれども、任期を例えば一期にするなり二期にするなり限定するというような考え方も非常に独自性としては出てくるような気がするんですが、政党法については何か結社の自由に触れるというようなお話を聞きましたし、任期を限定させるというのは、これ知事なんかでよく最近言われておりますけれども、これも何か基本的人権に反するんじゃないかというような説を聞いているんですが、そういう参議院と衆議院が同じ党であっても、まあこれは自由なんでしょうけれども、別の決定ができるような、こういう縛りというものは、やはり法律の中ではこれちょっと無理なものなんですか。その辺をちょっと御見解をお聞きしたいと思うんですが。
○参考人(高見勝利君) 政党法を作ってそういった機能を果たさせるということなんですけれども、これ、法律でやるべき問題かどうかというのは一つ基本的にあると思うんです。
 もちろん、憲法でその政党というのを置いた場合にどういう規制が掛かってくるのかと。今、結社の自由との関係でいろいろの難しい議論ございますけれども、それを除いても、やはり衆議院と参議院の間で、政党あるいは会派の組織、機能というのをどういうふうに役割分担していくべきなのかということは、これはやはり参議院の方が衆議院とは違った選び方をして、そこで人的な構成を変えていかなければなかなか難しい話かなというふうに思っておりまして、法律的な議論にどこまでなじむのかというふうに思いますけれども。
○岩本荘太君 次の質問に移らせていただきますけれども、今のこの参議院の制度の中で、私は一番、一番と言ったら言い過ぎかもしれませんけれども、いわゆる独自性が発揮できやすい、させられやすいというのが選挙制度じゃないかと、今のままでもですね。
 一つは、選挙区の広さ。これは、今の衆議院は小選挙区と比例ですけれども、比例にしても、あれ、根っこは小選挙区の支持なわけですよね、重複の場合ですけれども。だから、そういう、本当の衆議院というのは小さいといいますか、小選挙区が根っこになっている。参議院の方は小さい方であっても県になっている、更に全国になっている。その辺で民意というものが多少違って出てくるんじゃないのかなというような意味で、この一つの意味があると、今の制度は。だから、これをどういうふうにくくったらいいのか。もっと広げたらいいのか、あるいは比例制の問題も含め、比例代表の問題も含めて、全国がいいのか地域がいいのかですね。あるいは、県を、その場合には県を取っ外してやるとか、そういうようなものをやれば選択の違いが私は出てくるんだと思うんですね。
 それからもう一つは、時期の問題ですね。これは当たり前のことですけれども、衆議院は、内閣が解散権ですか、持っておりますから、野党が幾ら解散しようと思ってもできない、しかし与党、内閣は解散できると。しかし、参議院の場合は、これはもう与党も野党もなく決まっているわけですから、したがって、こんなことを言ったら言い過ぎかもしれませんけれども、衆議院の場合は与党が都合のいいときに解散もできると。しかし、参議院の場合は、そういう都合は関係ない。そのときの世の中の流れの中で解散が行われると。したがって、選択も少し違ってくるというところがこれは一つの違いじゃないかなと、大きいかどうか分かりませんけれども。
 その辺の、こういうところは一つの参議院と衆議院の違いといいますか、参議院の独自性といいますか、という一つの有効なケースと考えてよろしいものでしょうか。
○参考人(高見勝利君) 今の制度、つまり、先ほど最高裁判所の今年の一月十四日の判決のお話を御紹介したし、また今日の会でも議論が出ましたけれども、今の都道府県の枠でやはり緊急に考えなければいけない問題というか、少なくとも裁判所の方が、最高裁判所の方が立法府に対して示唆している重要なポイントというのは、やはり現在の都道府県というこの枠内での選挙制度というのはやはりそれでいいのかというか、つまり一票の価値ということを考えた場合それでいいのかということを言っているわけですね。
 ですから、もちろん衆議院と比べた場合に確かに機能が違っているというのはおっしゃるとおりでございますけれども、しかしながら、その枠そのもので果たして今、もっと別の投票価値の平等という憲法上の大要請、大きな要請ですね、基本的な要請、しかもそれ自体が今、憲法がというか、喫緊に要求していることだというふうに裁判所は判断しているわけですので、それに対してどういったものが必要なのかということについてやはりもう少し考えていかなければいけないし、しかし、その今の形での機能、衆議院と参議院との間で選び方が、広さ、あるいはその規模が違うから違った機能をしている、違った人たちが選ばれてきていいんだろうというふうには多分ならないだろうというふうに思います。
 それから、任期の点でございますけれども、これは確かに参議院の場合には六年ということで安定しているわけでありまして、その点はおっしゃるとおりというふうに考えておりますけれども。
○岩本荘太君 終わります。ありがとうございました。
○小委員長(保坂三蔵君) ありがとうございました。
 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 速記を止めてください。
   〔速記中止〕
○小委員長(保坂三蔵君) 速記を起こしてください。
 ただいまの参考人質疑を踏まえて、四十分程度、小委員相互間の意見交換を行いたいと存じます。
 なお、今後の小委員会の進め方に関する意見をお述べいただいても結構でございます。
 また、小委員の一回の発言時間は五分程度でお願いいたします。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、御意見のある方は挙手をお願いいたします。
 武見敬三君。
○武見敬三君 では、僣越でございますが、まず最初に私の見解を述べさせていただきたいと思います。
 参考人との意見の交換の中でも、特に二院としての機能として、松本烝治氏の意見としての抑制機能といったことがこの参議院に二院としての期待が持たれてきている、そこが出発点であったと、こういうようなことが確認されてきたのではないかと思います。しかし、実際には、その衆議院に対する抑制機能というものを参議院が果たして本当に持ち得たのかという点については、むしろ国民世論の間では非常に大きな疑問を持たれるようになってきているということは事実であって、それを象徴化するのが参議院は衆議院のカーボンコピーであると、こういうふうに言われてきていると。
 では、なぜそういうカーボンコピー化してきたのかということを言えば、明らかに政党政治というものがやはりその骨格にどうしてもある。すなわち、衆議院における政党制というものが、これが参議院にまで波及をしてきて、そしてその政党政治というものの中で法案審議を進めるという立場の与党と野党という対立の構図がそのまんまその政党の機能の延長として参議院で働いてしまって、その結果として、衆議院と参議院というものが異なった機能を持ち得なくしているというふうにみなされてくるんじゃないかと思います。
 では、そういう機能というものを何とか確保しようということになれば、そうした政党政治の枠組みから外れた新たな参議院の機能というものを、参議院の脱政党化ということを通じて果たして確保することができるかということを考えなきゃいけないという議論になってくるようにも思います。そうすると、脱政党化というような、そういった選挙制度というものを参議院の選挙制度として確立することが本当にできるのかという、そういう現実論がそこには必ず出てくることになるかと思います。
 実際に、参議院の選挙区というのは、衆議院に比べてその規模が拡大されてきているわけであります。そうすると、選挙区の基盤が広がれば広がるほど、組織基盤というものがより広く求められてくることになるわけであります。そうすると政党は、様々なその経済活動、社会活動をしている組織、業界、団体、労働組合といったような、そういった団体と結合をして、そういった諸団体の持つ社会的な基盤あるいは社会的な機能というものを、それを政治基盤化するということを必ずやる。これによって、社会的基盤あるいは社会的機能としての組織、団体というものが政治化して、そして政治基盤となり、選挙マシンとなると、こういう形がずっとつながって出てきた。そういうことが今度は、時代が重ね合わせる、過ぎることによって、そういった組織、団体がマシンとして、選挙マシンとして徐々に以前ほどは機能しなくなってくるという、そういう問題も現実に生じてきていると。
 しかも、また他方で、そういう様々な日本の戦後社会の中で築かれてきたこういった組織、団体というものが、これから二十一世紀、将来に向けて日本という国を再び活性化させて、そしてその人、物、金、情報が国境を行き交うグローバライゼーションの中で改めて適用し得るような社会構造に改めて転換していくというような様々な新たな未来志向の要因を考えたときに、場合によっては矛盾する存在にもなってきている。
 そういう状況下において、あらゆる面でこういった社会を構造的に改革しなければならないという大きな動きと、そういう政治基盤としてのそれぞれの社会的機能を持った組織、団体というものが正に実はミスマッチしてきているような状況があらゆる政党の中で現実に起きてきているというような感じがしないでもない。
 そうすると、そういう日本の国の未来を見据えたあるべき姿と、そして現実のこの日本の国の中の政治構造というものをもう一回私どもはきちんと客観的に分析をし直して、そしてそれをどういうふうに再構築していくかというような議論を改めてしていきませんと、こういった制度の議論をしていくことだけではなかなかこの二院制の在り方についての結論が出てこないんじゃないかなという、そういう率直な感想を今日の意見交換を通じて私、感じたということを最初に申し上げておきたいと思います。
 以上です。
○小委員長(保坂三蔵君) ありがとうございました。
 松井孝治君。
○松井孝治君 松井孝治でございます。
 私の感想は、その参議院の存在理由と言われている、今、武見先生もおっしゃいましたけれども、抑制、均衡であるとか補完というような機能が本来は期待されているにもかかわらず、私も率直に言って、現状において国民の方々からそういう機能を発揮しているというふうになかなか見られていないという認識を持っております。
 では、本来期待されている機能というものは、じゃ、衆議院において果たされているのか、あるいは政府において有効に発揮されているのかというと、私は決してそういうことではないと思うんです。
 今、三位一体の改革ということで地方行財政の改革が行われています。しかし、本来、地域間における財政基盤の違いというものは当然ある。それに対してしかるべき財政調整が行われているかということになれば、こういう機能は十分に行われていない。じゃ、それは政府の中で、あるいは国会も含めて、どこがその機能を担っているかといえば、今であれば総務省の財政局の一部局がその機能を担っているということになっているわけですが、これが、十分なあるいは適切な形で財源調整が行われていないということは恐らく与野党を通じた共通認識ではないか。
 例えばドイツであれば、そういう地域間の財政調整という機能を連邦参議院、まあ上院というんでしょうか、が担っている。そういうことを、本来そのそういう機能、地域間の財政調整という機能は非常に大きな機能、それを日本の中では行政機関の一部局が担っている。あるいは、憲法調査会本体の方でも議論が出ているように、この日本国憲法の解釈というものについて政府の一部局が有権解釈を出している。その内閣法制局に、これは与野党を含めて政府としての解釈を依存しているというような実態がある。
 そこら辺についてはやはりもう少し、先ほどメンバーからも議論がありましたが、本来国権の最高機関としてしかるべき調整をしなければいけない問題について十分な機能を発現していない、したがってそれはどこかで国会としてそういう機能を持たなければいけない。それこそが正に二院制の理由、存在理由と言われているような抑制、均衡。
 私も決算委員会のメンバーですから、参議院の決算重視という方向性が出ていることはこれは結構なことですが、しかし、それにしても本来の決算調査機能というものがこの参議院あるいは国会で十分に持てているのか。霞が関を中心とした行政府において、予算をとにかく積み上げていく、それが十分に執行できているかのチェック能力、あるいは政策評価能力が、国会に本当に十分な人的あるいは情報収集能力もあるかどうかということになってくれば、これはいささか心もとない。会計検査院の機能にしても、憲法機関としての権威はあるんでしょうけれども、本当にその十分会計検査院が機能を発揮しているかということについては、恐らく国民の間にも、あるいは行政府の中にも疑問視する声が多いわけであります。
 そういう意味で、二院制の存在理由と言われるような抑制、均衡、あるいは補完とか補正というような機能について、私は、それは本来参議院が果たすべき役割というものがまだまだ発現していないんじゃないか。そのために、これは平成十二年にも参議院の在り方が、私などは議席をまだ得る前でございますが、議論されていることというのは、非常に、もう一度この小委員会で議論をしてみてはどうか。中長期的な問題について、例えば基本法は参議院優先する、あるいはその極致は憲法でありまして、国家の基本法としての在り方あるいはその解釈について参議院が議論をするということも考えられるでしょうし、地方間の、その意味では地方分権の問題であるとか地域間の格差をどう是正していくのか、あるいは財源調整するなどということも参議院の主要な機能の一つとして位置付けて、同時に今の方向性で出ているように、決算や行政評価機能をきっちりと、霞が関に負けないだけの十分な人的パワーを参議院に集めて、参議院がきちっと抑制、あるいはチェックの院としての機能を果たすべきという方向性は、恐らくは私は、この小委員会で議論していけば、これは与野党の壁を越えてそういう参議院の在り方についてきちんとした方向性が出せるんではないか。
 そのことを正に、これは各会派が憲法の在り方について今議論をしているわけですから、そこに織り込んでいくというような形で、これこそ余り長期を掛けずに、できればこの会期中に大きな方向性について是非この小委員会あるいは憲法調査会本体において議論を迅速に進めていただくことを私としては強く希望いたします。
 以上でございます。
○小委員長(保坂三蔵君) ありがとうございました。
 そのほかに。
 どうぞ、山本保君。
○山本保君 今日、議論をした上で、またお話しさせていただきます、済みませんが。
 今日は非常に私も勉強になりました。元々参議院というのは身分制議会の名残じゃないかななんて思っておりまして、不勉強でですね。いや、だから駄目だという意味じゃないですね。古い文化とか伝統というのがありますから、身分制だから駄目だとかいう意味ではないんですけれども。しかし、憲法ができたときに、そういう議論じゃない、正に現代でも我々がぐっと考えなくちゃいけないようなことが議論されていたということを知りまして、大変また自分の責任の重さを感じております。
 それで、今日の、委員長の方からは、これ、今後の議論についてもということでしたから、ちょっとそれとも絡むと思うんですが、今日お話伺っていて、やっぱり二つの方法があるんだなという気がしたんですね、改革についてですね。一つはやはり、今日も私も質問しましたように、判例、判決がこの前出たような、正に一票の格差とかこういう時点で考えている。これはもちろん選び方が、今日お話がありましたように、我々の正当性といいますか、代表者としての正当性を意味するとか、あとは選ばれ方の枠組みによって、よく言われるような職域ですか、いろんな地域代表であるとか職業団体、各団体の代表であるとかいうことの議論があったと思いますけれども、その選ばれ方によって参議院の機能というのが決定されていくことは間違いないんですけれども、しかしながら、私としては、この方法というのは、この路線、何というんですかね、この考え方というのは、どうもやはり形式論になってしまうんではないかななんという気がしてなりません。
 それで、今日自分の感じましたことは、もう一つの方法があるだろうと。これは今日の高見参考人からも、現行憲法の運用としてと、運用として理念を追求していくというところがありました。お聞きしていて、なるほどと。今、両先生方の今日のお話も大体そういうことだと思うんですけれども、良識の府としてという昔の言葉ですけれども、それからまた今日出ましたように、衆議院の抑制でありますとか均衡、バランスというようなことですね、そういう機能、これが、これをもっときちんと追求していくということは、だからこそ、それをやれば格差はどうでもいいという、そういう意味ではもちろんありませんけれども、それに付与した形でといいますか、それと並行して当然やっていくべきだ、先行すべきかななんというふうに思うわけです。
 そうしますと、今ちょうど我が院で議長のところで、二院制でなくて、定数の問題ですか、そういうのがちょうど議論されておるようですから、そうなりますと、私どものこの小委員会の今後は、そちらの方よりは、私二番目に申し上げたようなこの機能、我々独自で、まず今のままで、この中で、この枠内で参議院らしく進めていくにはどうしたらいいのかという議論を、やはりこれを重視して進めていくべきではないかなということを一つ感じたということを最初に申し上げまして、もう一つは──まだいいですか、まだ五分たってないので、もうちょっといいですね。
 先ほど平野先生からもお話ありました。私も最近といいますか、自分がなって、最初野党でしたけれども与党にしていただいて、大変参議院というのは仕事をしているんじゃないかなという気がしておる。
 私などは特にNPO法を作るときに野党でしたんですけれども、実は当時、自民党の国対であられた片山先生と実は内緒で最後の最後まで詰めをやりまして、最後の段階にあの大修正というか、のが成ったんですね。ところがなかなか、それであったんですけれども、それと今の意味を考えますと、意味といいますか、余り知られていないんですね。
 だから、やっぱりもっともう少しマスコミ報道とか、我々のPRが足らないかもしれませんけれども、いろんな形で私自身も地元では出して、発信しているつもりなんですけれども、ほとんど取り上げられませんし理解されないと。もっと言えば、党自体もそうなのかもしれない。もっと独自の議員の活動をもっともっとアピールしていくべきじゃないかななんていうことも思います。
 ですから、例えば、あと具体的な、ちょっとこれは先走った話で、例えば参議院は必ず修正案を出すとか、又は必ずそうでなくても具体的な附帯事項、今のように衆議院に何か色付けたようなものじゃなくて、全く別のものをきちんとやはり調査室、法制局考えて、我々も一緒になってきちんとしたものを出すというようなものも大事だなと思いますし、それに関連して言いますと、例えば私もその修正案なんかやったときの感覚ですが、修正案を出す何か手続というものないんじゃないかと思いました。何か突然、議事録だけ見ていますと、突然修正案が出てくるんですよね。最後の最後まで全然修正案のことは黙っておいて、それで原案のあれが終わった瞬間に修正案が提出されて、はいと決まって、あれ、何でそんなこんな修正案が成ったのかなんていうのは全く残ってないですよね。そこに、やっぱり昔から修正なんていうのは議会が本当にやるんじゃないんだというものにでき上がっているんじゃないかなという気がしてしようがないんですよ。もっと修正案を出すルールというのをもっときちんとして、もっと早くからみんなの意見が本当に修正案にこう結集、集まっていくような対応をしたらどうかなというようなことも思いました。
 以上でございます。
○小委員長(保坂三蔵君) ありがとうございました。
 そのほか、どなたかどうぞ。
 吉川春子君。
○吉川春子君 私は、国際的な動向として二院制から一院制への動きが一時増えたことがあったんですけれども、今日伺ったら、やっぱり二院制が民主主義を強固にするということで見直されてきて、独裁国がそうじゃなくなったときには二院制取るとか、そういう国の例が幾つか挙げられているということで、やっぱり二院制というのは民主政治とは切って切り離せないものなのかなという印象を一つ持ちました。
 それからもう一つは、二院制が権力の分立という非常に根本的な問題でやっぱり一定の役割を果たす地位にあるということも感じました。これは対行政府、立法府対行政府という関係だけではなくて、立法府自体の巨大化というか、そういうものについても二院ということでバランスを取るという、そういう役割があるんだということを今日、参考人の提案を聞きまして非常に興味深く思いました。
 それで、今もお話がありましたように、最高裁の判決で、国会は、特に参議院は一票の格差を早急に是正せよという課題を負っているわけでございまして、この協議も始まっているんですが、これが実に今日のお話では選挙制度との関係もかなり複雑だし、しかしそうはいっても一人で二票持つというようなことはあってはならないので緊急に是正しなきゃならないし、そういう中で二院制がいかにあるべきかということも当然議論として絡んでくるということで、この小委員会と、それから各党協議会との、何というんですか、同時並行でやられているわけで、その動きも見ながら両方がうまくいくようにしていかなくてはならないかなというふうに思います。
 それで、やっぱり二院制の問題点、課題などについて今日幾つか具体的に提起されましたので、そういう一つ一つの問題について深めていく必要があるかなというふうに思うのと、それから、制度はこうなっているけれども運用が実際はそのとおりになっていないという面、憲法にはかなりそういう問題が付きまとうんですけれども、そういう制度だけではなくて運用の面と両方あるのではないかというふうに思いまして、やっぱりこれらの問題について各党の協議の下に実りある議論を今後進めていっていただきたいと、いきたいというふうに思いました。
 以上です。
○小委員長(保坂三蔵君) ありがとうございます。
 川橋幸子君。
○川橋幸子君 川橋幸子と申します。
 二期十二年のもう終わりの方に来ているわけでございますけれども、私の率直な、もう体験的な実感として、ここだけは何とかしなければ、参議院の独自性も、補完、均衡、抑制の機能もへったくれもないような、ちょっと言葉が、へったくれなんて悪いでしょうか、多分お分かりいただけると思います。制度だとか法律以前の問題として、やはり両院にまたがる政党の拘束。それは重要法案、あるいは政策、国民の選択を二分するようなそういう課題でしたら党議拘束、政党としてのアイデンティティーを国民に訴えるという意味で党議拘束というのはあるのだと思いますけれども、それ以外の様々なこと。むしろ参議院というのは政党よりも議員個人が選ばれたバックグラウンドの様々な意見を代弁するというんでしょうか、信託を受けて活動するとなって、個人の存在をより補完機能の中に含めることができるとすれば、そこに可能性があるのだとすれば、私はあるような気がするのです。
 日本の政治というのは、出て見ていますと、やっぱり産業界ですとか、労働組合もそうでしょう、それから様々な業界団体があるわけですが、そういう中間団体の意見は上がりやすいですけれども、一人一人の、そういう中間団体から離れた一個人としての意見、一個人が自由に集いを作って、NPO、NGOのそうしたグループから上がってくる意見というものはなかなか国政の場合に反映しにくいと。個人の意見が反映しにくいようなものが国会の、今の国会の私は問題じゃないかと思うとすると、むしろその受皿を参議院が受け持つとすれば、それは最重要課題、国論を二分するような問題は別にいたしまして、様々な国民生活上の問題については両院にまたがる拘束を、政党の拘束をまず解き放つことから始めないと、両院にまたがっていたのでは結論が同じになるのは全く初めから分かっているわけですね。そうした場合に、国民の目から見れば、同じことを繰り返して同じ結論になるのなら一院でよいと、そういう結論に至るのではないかということを、十二年もいてこういう非常にナイーブな感想にしかたどり着けなかったと言われればそれまででございますけれども、この点はとっても重要なことではないかと思いまして、むしろ議長のところでの改革協議会は政党の中で話し合われるという形取られるようでしたら、そういうところで運用上の問題として、参議院の在り方の問題として、政党が参議院にはどこまで拘束、制限を持つべきかという、このことをしっかり議論していただきたいというのが私の非常に単純で体験的な感想で、意見でございます。ありがとうございました。
○小委員長(保坂三蔵君) ありがとうございました。
 鈴木寛君。
○鈴木寛君 是非、この調査会で一つの視点を持っていただきたいということで発言をさせていただきます。
 私が申し上げたいことは、やっぱりいろんな角度、方面から代表民主制というものが危機にさらされているんだと思います。それは、いわゆる官の独走、暴走を止められない、あるいは官から攻め込まれているということについては松井委員からお話がございました。山本委員もそういう御発言だったと思います。それから、武見委員あるいは川橋委員からお話がありましたのは、やっぱり政党というものから代表民主制が脅かされていると。そして、私がお話を申し上げたいのは、三つ目、実は今民主主義の危機の中で我々が絶対に注目をしなければいけない話というのは、選挙というものが市民、有権者から愛想を尽かされているという、正にそれが投票率の低下ということに象徴されているんだと思います。そういったいろんな観点からこの代表民主制というものが危機になっているわけであります。
 もちろん、その中で代表民主制と直接民主制をどういうふうな役割分担と機能分担と、そしてむしろ機能連携とということが正に憲法上の中心的な課題だというふうに思います。しかし、今俗に言われている、非常に参議院がコピーライトであるから、国会の議事が効率的でないからという観点からのみ一院制にしていくということは、この代表民主制の危機を加速することはあれ、本来の民主主義のありよう、健全なその発展という観点からはむしろ大いに問題があるのではないかと。
 要は、今でも選挙というものが多様な人々の多様な価値観、多様な意見というものを集約をし切れていないという問題、それが衆議院、あるいはむしろ、その多様性がどんどんどんどんユニホームになっていく、単一化されていくという方向に流れていくということは、実は市民、有権者からすれば、より選挙というものが自分たちの民意というものを反映してくれる制度からどんどんどんどん遠ざかっていくということになるということについても我々は留意をしなければいけないのかということを申し添えたいと思います。
 以上です。
○小委員長(保坂三蔵君) ありがとうございます。
 藤野公孝君。
○藤野公孝君 自由民主党の藤野公孝でございます。
 一言だけ、心配というか、感づいていることを申し述べたいと思うんですが、先般の予算委員会の質疑の中でもございましたのですが、小泉総理から、この問題について質問されたこの答弁の中に、要するに参議院を廃止するのではないんだよ、新しい新国民議会のようなものを作るんだ、地方自治体の議会等においても一院制で何ら問題はない、一つも問題が起こっているとは思わないと、こういうような意見があったんですが、私はそこは別に首相を批判したくて言うんじゃなくて、一つのそういう物の見方ということで言うわけでありますが、何ですか、国民生活あるいは市民生活、そういうものの福祉とかいうものを課題とした行政での、みんな仲良くバランス取ってやっていこうという話でありましたら効率良くそういうことで意見まとめていけばよろしい。しかし、国政となると、内政プラスアルファ、やはり一番大きな国政の根幹である外交とか防衛とかというところまで広げた議論をするときに、これをそのまま内政の延長でいくと正に大政翼賛会の議論と同じことになると私は思いますので、別に首相批判では全くございませんが、一つの物の見方の代表として言ったんでございまして、一言だけ、感想だけ述べておきます。
○小委員長(保坂三蔵君) ありがとうございました。
 そのほか御発言ございませんでしょうか。上杉会長、ございますか。
○会長(上杉光弘君) いや、別に私は最初から言わぬ方がいいんでしょう。
○小委員長(保坂三蔵君) それでは、取りまとめとして若林会長代理、御発言願います。
○会長代理(若林秀樹君) 分かりました。
 私も某野党の代表、一院制を言った代表に文句を言った一人でありまして、やはり発言する場と中身は気を付けなきゃいけないんではないか、正にさっき言った見識がやっぱり問われる部分ではないかなというふうに思います。
 いよいよ二院制、参院制の在り方を調査する小委員会がスタートしたという意味で、私はこの憲法調査会の非常に大きなテーマではないかなと思っております。存在する、自分が自らの存在を否定するというのは非常に難しいというのは分かりますけれども、私はやっぱり参議院だからこそ責任ある議論ができるんではないかなというふうに思っておりますんで、時間は余りありませんけれども、積極的に議論に加わっていきたいなというふうに思っております。
 民主党の新緑風会の中でも今二院制の在り方について議論をしているところであります。その中の議論を若干紹介しますと、やはり参議院というのは、今後、道州制、民主党は道州制を言っているんですが、地方分権の中で地域代表という性格というのはやっぱり残るんではないだろうか。そして、やはり中長期的な視点でやっぱり議論できる能力が集まったやっぱり集団としての良識の府としての役割という二つの側面は私はあるんではないか。
 そういう意味で、やっぱり衆議院と参議院は対等であるけれども、役割と権限はやっぱり根本的に違うものにしていかなきゃいけないんではないかということでありまして、そういう意味じゃ、衆参のめり張りを大いにやっぱり付けるべきではないかと。そういう意味では、参議院における政策評価、行政監視、正に決算の重視であり、条約審査的なものはやっぱり参議院の役割としてあるべきではないかな。
 そういう意味で、取り入れる分野とやっぱり吐き出す分野を、これ明確にしないと、何でもかんでも取り入れることはやっぱりできませんので、その辺のめり張り、極端に言えば、もう予算審査はしないとか簡便にするとか、そういうことも大胆にやっていかないといけないんではないかなというふうに思っております。
 そういう意味で、やっぱり中長期的な視点に立って審議すべきという面では、やっぱり調査会的な問題も今後ともやっぱり必要なんではないかなというふうに思っています。
 最終的には、選挙制度にも絡むんですけれども、やはり、衆議院との違いを言うべきでは、やはりそのめり張りを付けるべきでは、もう少し本会議中心の小規模院というんでしょうか、その定数はいろいろあろうかと思いますけれども、そういう形でのいわゆる常任委員会とは別に本会議を中心にやっていくような形もあるんではないかという意見も出たところであります。
 いずれにせよこれからの議論でありますが、今後の進め方に当たっては、専門家を呼ぶという意味では、余りもう憲法学者はいいんではないか。ある意味での事実関係については今日、大分勉強できたんではないかなと思いますので、幅広い意見という意味では、ジャーナリストとかあるいは市民グループ、そしてまた、比較政治という意味で、さっきノルウェーですかね、おっしゃられた、そういう北欧の国とか、既にもう二院制が、本当の意味で二院制が機能している国を一回勉強してきて、その中で学ぶ点というのは私はあるんじゃないかというふうに思いますので、そんなところも勉強したいなという感じはしております。
 そしてまた、さっき出ましたけれども、やはり一個人と政党と国会の関係、どうあるべきかと、そんなところも勉強してみたいなと思っております。
 以上であります。
○小委員長(保坂三蔵君) 最後にまた、会長。
○会長(上杉光弘君) 言わないと思ったけれども。
 今後の議論の進め方としまして、私はずっと今日、最初から聞いておりまして、つくづく思いました。それは三つ僕は申し上げておきたいと思います。これは、議論の進め方として私の考え方を申し上げておきます。
 一つは、格差の問題についての法的な判断が一つあると思うんです。それはこの前の判決の際に議論されて、今日、参考人からも言われたことです。
 もう一つは、政治的判断が私はあると思うんですね。選挙のたびにそういうことが言われないように、アメリカ的にするのかヨーロッパ的にするのかという、まあ外国にとっては上院ですけれども我が国にとっては参議院ですが、参議院としてのそういう法的な判断あるいは政治的な判断、そういうものは議論の対象として当然これは避けて通れないものが一つあると。
 それから二つ目には、二院制の下での参議院の在り方でございますが、まあ衆議院のカーボンコピーと言われておるのが参議院のこの言われ方になっておるんだが、なぜカーボンコピーと言われるのか、その原因というか、その言われておることについての追求というのは議論の中で是非これは取り進めていただきたいと、こういうことを考えております。
 それからもう一つは、これは避けて通れない課題が一つあると思うんですが、それは、参議院の選挙の在り方と定数の問題はこれは避けて通れない課題ではないのかと、こう思っています。
 権威ある良識の府としての参議院の、衆議院が出過ぎたものがあればこれを抑制し、足らざるものがあればこれを補い、そしてバランスの取れたものにするという参議院の役割というものを基本的なものとしてにらみながら、こういう視点というものも含めて議論をして取りまとめをこの小委員会でしていただければ私は大変有り難いと。ここで取りまとめられたものは、将来の国の形をも含めた、私は憲法調査会の会長としてしっかり皆さんに御理解いただきたいと思うのは、国の形を決めるものは憲法でございます。その憲法の議論の中にも非常に影響を及ぼし、その方向付けにもなるような集約した議論を保坂委員長の手元で各党が、党利党略じゃなくて、党の壁を乗り越えて遠慮のない意見をひとつ集約をしていただきますように私からはお願いをいたしておきたいと思います。
 以上であります。
○小委員長(保坂三蔵君) ありがとうございました。
 特に最後に上杉会長並びに若林会長代理からもお取りまとめいただきまして、感謝に堪えません。
 他に御発言はございませんか。他に御発言もないようですから、本日の意見交換はこの程度といたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時四十七分散会

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