第162回国会 参議院憲法調査会 第2号


平成十七年二月九日(水曜日)
   午後一時開会
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   委員の異動
 一月二十一日
    辞任         補欠選任
     矢野 哲朗君     田村耕太郎君
 二月三日
    辞任         補欠選任
     魚住裕一郎君     山本  保君
 二月七日
    辞任         補欠選任
     山本  保君     魚住裕一郎君
 二月八日
    辞任         補欠選任
     松岡  徹君     尾立 源幸君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         関谷 勝嗣君
    幹 事
                愛知 治郎君
                荒井 正吾君
                武見 敬三君
                舛添 要一君
                若林 正俊君
                鈴木  寛君
                簗瀬  進君
                若林 秀樹君
                山下 栄一君
    委 員
                秋元  司君
                浅野 勝人君
                岡田 直樹君
                河合 常則君
               北川イッセイ君
                国井 正幸君
                佐藤 泰三君
                桜井  新君
                田村耕太郎君
                藤野 公孝君
                松村 龍二君
                三浦 一水君
                森元 恒雄君
                山下 英利君
                山本 順三君
                江田 五月君
                尾立 源幸君
                喜納 昌吉君
                郡司  彰君
                佐藤 道夫君
                田名部匡省君
                高嶋 良充君
                富岡由紀夫君
                那谷屋正義君
                前川 清成君
                松井 孝治君
                松下 新平君
                魚住裕一郎君
                白浜 一良君
                山口那津男君
                仁比 聡平君
                吉川 春子君
                田  英夫君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       桐山 正敏君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (統治システムとその相互関係)
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○会長(関谷勝嗣君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 「統治システムとその相互関係」について、委員相互間の意見交換を行います。
 まず初めに、各会派から一名ずつ、それぞれ十五分以内で御意見をお述べいただきたいと存じます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、御意見のある方は順次御発言願います。山下英利君。
○山下英利君 自由民主党の山下英利でございます。
 今日は、統治システムとその相互関係についてということで意見陳述の機会をお与えいただきまして、誠にありがとうございます。
 この統治システムについての意見陳述をまずさせていただくにつきまして、私は、現在の立憲主義下におけるこの自由を守るためという、この不可欠な手段として、この権力の分立ということをはっきりさせなければいけないと、そのように私は思っております。
 そうした中で、議院内閣制の枠内での三権分立、権力の分立であるということがまず私は前提になろうと、そのように思っております。すなわち、行政府の役割がますます増大していく中で、いろいろ議論をされておりますが、結果としてこの三権における行政府の優位性、これが論じられてきているわけでありまして、今現状、これが正に日本が官僚国家と言われるそのゆえんではないかなと思っております。こういった行政府の優位性が起こってしまったことに対して、やはりこれは議員立法がますます増えてくるという、流れを変えていく、そういったことが一つこの権力を分立させる大きなポイントではないかなと、そのように思っております。すなわち、よく言われる行政国家現象というものに対して国会の行政コントロールの強化が求められている点でございます。
 また、この行政府とそれから立法府の大多数を同じ政党が担っているという、いわゆる実質的に一体化しているということも、一つ立法府による行政府の抑制機能がなくなってきているという点ではなかろうかなと、そのように思います。
 そして、またさらに、この立法府とそれから行政府との実質的な一体化といった現象において、これは今度は司法府に対して政策に対するいわゆる合憲性あるいは違法的審査の役割、これが一般から期待をされていると。
 そのような流れの中で、今、正にこれからの課題といたしまして、中央政府と地方政府の間のこの役割の分担というところもこれから議論をされていかなければいけないのではないかなと、そのように思います。すなわち、中央と地方の権限、地方分権といった流れの中で、権力の分立、あるいはその中においては地方議会と地方行政との関係、そういったものの役割についても論じられなければいけないと、そのように思っておるわけでございます。
 したがって、この統治システムということに対しまして、まず大きな基本的なところによりますと、いわゆる米国における大統領制と、あるいは日本におけるこの議院内閣制、よく論じられるわけでありますけれども、まあそれぞれの国の状況、また制度の違いといったものが基本になっております関係から、これを二つを論じながらどちらがいいとか悪いとか、そういった話では私はないと思っておりますが、基本的に言って、議院内閣制の場合にはいわゆる行政、立法、この二つの権力を別の機関にゆだねているわけですが、結果としてこれを共同をさせていくということ、いわゆる議院と内閣の協力関係ということを前提とした制度でありますから、そういった意味におきましては行政府が立法府の信任をまず要件としている、そしてそれがこの多数党を要するに媒介としているという流れの中で、先ほども申し上げたように行政府の優位性というものが起こってしまったと。
 そういった点を考えますと、今現状、ますます統治能力のスピード化、いわゆる改善を言われている中で、首相の権限の強化であるとかあるいは内閣機能の強化である、そういったことを論ぜられるときに、行政の当事者である内閣の立場を一層明確に憲法上明らかにして、そして国民に対して責任を取らせる体制を作ることが必要ではないかな、私はそのように思っております。
 したがって、いわゆる内閣の場合におきましては、これは民主主義のルールということではなくて、内閣が全員一致制ということを取っております関係、これは内閣の一体性であり、かつ連帯責任である、そういった意味合いからこれは必要なことであると私は思っております。
 それとともに、大統領制と違いまして、いわゆる大統領制の場合には全く大統領と議会とが分離をされております。したがって、立法権というものもいわゆるこれは議会にあり、そして多数派の一致によって多極共存型の政治が行われる環境があるというところが大統領制をしいているところの大きな違いだと私は思っております。したがって、今まだ現状、現状といいますか、日本におきましては、そういった多数派の一致というところをやはりこの立法府のいわゆる行政に対する牽制の中でどうして生かしていくかというのも大きなポイントではないかなと、そのように思っております。
 したがって、これからそれぞれの権力に、三権における問題点、個別の問題点について少し述べさせていただきたいと思っております。
 先ほど申し上げましたように、議院内閣制の枠内での三権分立といった形の中で、立法権、いわゆる立法権とそれから行政権の間の関係、これにつきましてまず最初に論じさせていただきたいと思います。
 議院内閣制の中で、議会が行政に対するチェック機関、あるいは議会が行政を引っ張っていく、そういった使命を果たすことが時においては難しくなってくる、そういった場合において、議会というもの、いわゆる立法府が行政に対してどういう立場を取り得るのかということがあろうかと思います。国会の内閣に対するチェックの実効性を図るにはどうするべきかといった議論の中で、参議院におきまして、参議院改革協議会においていわゆる決算という問題も、これは行政における予算の考え方に対する立法府の牽制と、抑制といった意味ではあり得るのかなと、そういうふうに思っております。
 したがって、この国会の内閣に対するチェックの実効性という意味からいきまして、これは衆議院、参議院両方併せた意味での立法府ということもありますけれども、またその中におきましても、参議院と衆議院の役割の分担ということも大変必要なことではないか。これにつきましては二院制の小委員会における議論の方に譲らせていただきたいと、そういうふうに思っておりますけれども、やはり国会がどういったそのチェック機能を持つかというところにおきまして、やはり監査の部分と、要するに行政をチェックする監査ということに置き換えてみれば、いわゆる参議院の決算という今の話も出てくるのかなと。それから、正に会計検査院の国会ないしは参議院への附属化を含めた機構の充実というような議論も出てくるわけでございます。
 また、一方、国会においての野党の役割というものについてもいろいろ意見のあるところであります。また、これは、やはり多数決の原理に対して少数派による活用の道を開くべきというふうな考え方、これをどのように取り入れていくかということがございます。
 しかし、一方では、我が国におきましても、一人でも質問主意書提出で調査・資料・証言請求が可能という状況ではありますけれども、これが行き過ぎますと、やはり政治的濫用の可能性ということが言われているわけで、やはりそれに対する歯止めは必要ではありますけれども、そういった少数派というものに対する国会での機能の活用というのは、やはり立法府が行政に対してしっかりとした立場を維持するためには私は必要ではないかなと、そのように思っておるところであります。
 そして、一方では、先ほど申し上げたようなスピード化というような点がありました。統治能力のいわゆる改善といった面においては、やはり立法府からの政治任用による行政府と立法府の協力関係、これ、共同体制、これは欠くことのできないものではないかなと、そのように思っておるところであります。
 したがって、与党が今事前審査制というような立場を取っている中で、この政治任用によっていかに行政府と立法府の間の共同体制がしっかり取れるようになるかということが、この政治の、法律に対する流れのシステムを変えていく、あるいは充実させる部分においては大きなポイントだと思います。
 そしてまた、もう一つ申し上げるならば、いわゆる内閣総理大臣の機能強化と、そういった議論もされているところであります。首相権限をますます強化し、そしてスピード化、統治能力の改善を図ると。内閣機能の強化、首相権限の強化といったところが盛んに議論をされているところですが、やはり機能強化のための首相公選制の主張というものも一時ありました。しかし、そうではなくて、やはり首相あるいは政党を選ぶということを国民が実感をするという必要があろうかと思います。
 大事なことは、やはり政権が不安定にならないと、安定した政権の中でしっかりとした政治システムが、統治システムが行われるというところかと私は思っておりますので、総選挙でいわゆる政党を選ぶという考え方はこの一つの方向性を満たしているんだと、そのように思っております。その際に、政党を選ぶということが、やはり総理大臣をだれにするかということと併せて考えられるならば、それによって国民は投票行動を考えていただけるというふうに思います。
 そして、次に、行政権と立法権の関係につきまして私の意見を申し上げさせていただきます。
 やはり、衆議院の解散という問題につきまして議論がされているところですが、私は、内閣の自由な意思決定というものからこの衆議院の解散、これを現状の規定ということで明確化してよろしいんではないかなと、そのように思います。しかし一方、立法府から行政に対する、行政権に対する抑制、牽制という意味におきましては、いわゆる国政調査権あるいは裁判官の弾劾といったような制度が盛り込まれているわけであります。
 しかし、私がこの場でちょっと申し上げさせていただきたいのは、憲法の最終的な違憲解釈権をどこが持つのかというところであります。いわゆる最高裁判所が持つというふうな形にはなっているんでありますが、参議院が機能を有すべきではないかという議論も一部では出てきているところであります。
 これは、言ってみれば、米国型のいわゆる具体的な審査制度、国民の権利を保障するという意味におきましては、現状では最高裁判所のいわゆるこの憲法に対する対応というものに対して不満の残るところでありますし、したがって、今の現状の状況におきましては、内閣の法制局がこの具体的な審査ということで違憲についての検討をしていると。いや、しかし一方では、また欧州型で申し上げますと、法令の憲法適合性の自体の審査をしていくという抽象的な審査制度を考える。すなわち、憲法保障という点を考えれば、最高裁が実際には司法裁判所としての役割であって、この憲法に関しての憲法判断をするという場合においては憲法裁判所を設置をすると、そういうふうな考え方もあろうかと思います。
 内閣法制局が事実上の公的な公権の解釈機関であるということに関して、実質的にはこうだということに対しては、これは改善をしなければいけないというふうに思います。したがって、この司法裁判所と憲法裁判所と、そういう在り方の論議とともに、いわゆる現行の制度であれば、内閣法制局とそれから立法府の法制局との見解が分かれたときに終審裁判所へゆだねるという過程を明確にする必要があろうかと思っております。
 その他もろもろございますが、時間の関係でちょっと申し上げることができません。しかし、実際にその違憲の審査権の行使について、これは司法権と行政権という関係ともダブってくるわけですけれども、やはり司法と行政との間の憲法に関する論議というもの、これに対して司法がどういうふうにかかわっていくのかと、立法府と行政との憲法に対するかかわりに対して司法がどういうふうにかかわってくるのかというところは大きなポイントだと私は思っております。
 以上でございます。
○会長(関谷勝嗣君) 簗瀬進君。
○簗瀬進君 民主党の参議院議員簗瀬進でございます。
 統治システムとその相互関係に関する私の考え方を以下述べさせていただきたいと思います。
 与えられた時間はたった十五分というようなことでございまして、お手元に発言の要旨をレジュメとして配付させていただきました。時間が来てしまった部分は後でその部分を見て補充をしていただければと思います。
 まず第一番目でございます。統治の目的の明確化が重要であるということをまず述べたいと思います。
 私は、そういう観点で前文が大変重要な意義を持っていると思います。統治のシステムというのは、統治の目的を実現をするための装置でございます。統治の目的が明確に宣言をされることこそ憲法の第一番目の重要なポイントだと思っております。憲法前文は、そういう意味で、統治システムの目的、何のために統治システムがあるのかということを明確に宣言したものでなければならないと考えます。
 そこで、その前文の具体的な内容に盛り込むべき私なりの考え方を述べさせていただきたいと思います。
 現憲法に高らかに宣言されている国民主権、基本的人権の尊重、普遍的平和主義、これは当然新しい憲法でも継承すべきであります。その上で、日本国と日本国民の目指すべき未来の目標や理想、すなわちナショナルゴールを明確に前文において宣言すべきであります。
 ナショナルゴールとしては、第一番目に平和創造、あるいは核廃絶。私は、核の抑止力、これはある意味で人間の性悪説的な考え方に基づいた安全保障概念だと思いますけれども、これを我が国が先頭に立って乗り越えていくと、そんな大きな理想を前文に掲げるべきなのではないかと思います。
 第二番目に、我が国は正に知的創造によって今後とも我が国の国民の幸福を増していくと、それは間違いのない方向だと思います。そういう意味では、知的創造立国ということについても前文に明らかにしておくべきではないかと思う次第であります。
 そして、もう一つ、過去の歴史の反省に立ちながら、我が国の地政学上の限界性についても前文にきちんと明記をしておくべきなのではないのかなと思います。
 まず第一番目に、どんなに我が国が逆立ちをしても石油は自給できません。また、核の資源も持っていないわけであります。すなわち、エネルギーが第三者に依存をしているという、そういう地政学的な限界を持っている。また、あの大変な諸外国に迷惑を掛けた戦争の歴史という負の遺産を持っている。これもある意味では歴史の重要なポイントだと思います。そして、これからは米国と中国という大きな超大国のはざまで我が国は生きていかなければならない。そういう意味での米中のはざま、あるいは極東に置かれた我が国の位置関係、そういう地政学的な限界性というようなものもしっかりと前文の中に明記をしながら、我が国の今後を考えるようにすべきだと思っております。
 次に、天皇制について私の若干の見解を述べたいと思います。
 私は、法の支配の貫徹の見地から、象徴天皇制の更なる明確化が重要だと思っております。天皇が日本国の象徴であり、日本国民の統合の象徴であること、さらに、その地位が日本国民の総意に基づくものであること、これについてはその趣旨を十分に尊重しつつ承継をしていくべきだと思います。
 ただ、問題にしなければならないのは、現憲法上の象徴概念のある種の混乱であります。
 現憲法では、四条一項によって天皇の国政に関する権能を明文で否定をしております。しかし、一方で内閣総理大臣あるいは司法のトップの最高裁判所長官は天皇が任命をするという、天皇に形式的な任命権を付与しております。また、天皇は国会を召集するという形になっております。実質的な権限は否定をしつつも、形式的な任命権を天皇に与えている、このような一種の概念の混乱というのは、天皇主権を国民主権に変えるという大激変、これに対するある意味で激変緩和の措置であったと思います。そんな歴史的な所産であったとして、私はこの規定は十分に歴史的には評価できるのではないのかなと思っております。
 しかし、憲法はすべての法体系の源であります。したがって、でき得る限り明晰なものでなければならない、それが我が国における法の支配を貫徹するための基本のポイントだと思います。
 この観点から、国民主権の徹底化と同時に、象徴天皇制の意義を更に純化するためにも、天皇規定を再検討をすべきなのではないでしょうか。このことは女性天皇を判断する際の基本的な前提でもあると考えます。
 三番目に、地球規模の文明史的な転換点への対応ということについて触れてみたいと思います。
 コンピューターというすごいツールが、地球あるいは人間社会全体を変えております。コミュニケーション革命、IT革命が多くの文明史的な変化を私たちに与えている。例えば、個人の情報発信機会が大変極大化することができました。また、その結果として、個人の政治参加の意欲を急激に拡大をし、そして過剰なレベルまで達するに至っております。その結果として、既存の政治システムがこのような参加の意欲を受け入れないということによってもたらされる疎外感、それから発生する急激な政治に対する忌避感、こういうようなものが非常にゆゆしい問題になってくるであろうと思います。そういう意味では、統治システムの可及的速やかな変革がこのコミュニケーション革命への対処として非常に重要になってくると考えるべきであります。
 それとも当然絡んでくるわけでありますけれども、国家概念が著しく変わってきているということを我々は極めて重要なポイントとして認識をすべきだと思います。経済あるいは通貨、もう一瞬のうちにマネーは世界を飛び回る。そういう意味では、地球規模の国境を越えた緊密な経済ができ上がってしまいました。国境は事実上消滅をしたと言ってもいいと思います。そして、そういう過程の中で、国家集合体としての新しい国家の統治システムを検討するという余地も入れなければなりません。また、テロへの国際的な対処、あるいは国際的な災害、公害、疾病等への対処等も非常に重要なポイントになってくると思います。
 こういう観点に立って、四番目に、統治システムについての新たな重要な課題を指摘をしなければならないと思います。
 第一番目に、正にこの個人の政治参加の意思が極めて高められている、そういうコミュニケーション革命に対応するところで、私は、間接民主主義から原則的には直接民主主義へと転換をしていく、そういうことを考えるべきだと思っております。国民主権の徹底化と言ってもいいであろうと思います。まず、立法権においては、国民投票制度をしっかりと位置付けていくべきであります。
 また、第二番目に、行政権、これは首相公選制を前面に考えるべきだと思います。司法権、これは国民主権に立脚した司法の再構成が必要となると思います。また、国家概念、先ほども山下委員もお触れになっておりましたけれども、国家の、内部的には国と地方の権限の再配分、また対外的にはEU構想に対応したようなAU構想への懸け橋、展望というようなものを今度の憲法改正でも視野に置くべきなのではないかと思います。
 次に、国会と国民による立法権の共有。
 先ほど国民投票制度、立法権のお話をさせていただきました。現在の憲法では立法権を国会が独占をいたしております。このような国会が立法権を独占をする時代から、国民と国会が立法権を共有する時代、これの制度整備を考えるべきなのではないのかなと思います。
 例えば国民発議。憲法、法律の制定、改廃について国民が発議をし、国民投票で決定をする。また、国民票決。国会が既に決めた憲法あるいは法律についての制定、改廃の権限を国民が持つ。また、国民拒否。既に発効している法律の効力停止。国民票決は、国会が決めた憲法、法律についての制定、改廃ということでありますから、国民が提案をすることができるということでございます。
 以上、国民発議、国民票決、国民拒否等の国民投票を正面から位置付けるような制度をしっかりと考えていくべきなのではないかと思います。
 三番目には、行政権限の原則、これを今までは国が原則的に行政権限を持ち、地方に分けてやっていると、こういう体制でございましたけれども、これをこの原則例外を逆転をすべきだと思います。
 地方が原則的な行政権限を持つ。そして、国は国でなければできない行政権限、例えば条約とかあるいは安全保障とか、そのような国のみが行える、行わなければならない権限を制限的に持つ。こういうふうに国と地方の在り方の原則例外を逆転をすべきだと思います。そして、道州制を前提にした分権連邦国家というようなものをしっかりと構想をすべきであると思っております。
 次に、議院内閣制から首相公選制への移行というようなものを私は考えるべきだと思っております。
 まず第一番目に、我が国の議院内閣制の実態あるいは評価であります。
 新憲法、旧憲法変わらずに存続をしたのは、強固な官僚制度でございました。この新旧憲法の下で継続をした官僚制度の強固な岩盤は、日本の政治をゆがめ続けていると私は思っております。
 いっとき、戦後の一時期、この官僚支配からの脱却が一つの政治の主流になったこともあったわけでございますけれども、歴史的に言ってみると、一九四八年の七月に吉田自由党への官僚一斉入党ということがございました。佐藤栄作、池田勇人等の名立たる官僚出身の政治家が一斉にこのときに入党をしたわけでございます。それ以来、政策面、人材面での官僚と与党政党との間の緊密な合体関係ができ上がってしまいました。そして、政官癒着の制度的な裏付けとして議院内閣制が実は機能するようになっていったと私は考えます。議院内閣制は、そういう意味では官僚支配を結果として温存し、増幅をし続けている、このように考えるべきなのではないでしょうか。
 さらに、第二番目に、現在の議院内閣制でもある意味では付け焼き刃的な運営が行われております。
 小泉政権に特に顕著なのが、法案提出についての与党との調整不足であります。法案提出について内閣と与党との間に連携を欠けば、本来であるならば、議院内閣制の趣旨からいえば、これは総辞職をしなければならないはずであります。
 しかし、結果として、政府対与党の対立の場合、勢い報道の焦点は内部対立に行き、結果として野党の存在は大変希薄化をいたしてまいります。このことが意図的に行われると、国民の争点への理解もぼかされるといった弊害になってまいりますし、野党は党勢拡大のチャンスを失い、最終的に名目だけの改革で終わってしまう。
 そういう考えの下に、私は首相公選制を新しい日本の枠組みとして政治の体制として取り入れるべきだと思っております。導入についての反対論は、国民の判断力への疑念、独裁化の危険、天皇制との整合性、分裂政府の場合の対応、失政の場合の罷免策等でありますけれども、いずれも本質的な欠陥ではないと思います。
 国民主権の徹底化の見地から、そして官僚政治から根本的に脱却する、そういう観点から、議院内閣制をやめて首相公選制に変革をすべきだと思っております。アメリカ的な多極共存型の政治を私は目指すべきだと思います。行政府としっかりと遮断された中で初めて立法府、すなわち国会の機能が充実、拡大をしていくのではないかと考えます。
 最後に、国民主権の見地からの司法権の強化について。
 詳細はこのメモを見ていただくことにいたしまして、どんなにすばらしい憲法を作っても、政治の側が好き勝手に解釈改憲をし、憲法秩序の破壊が不断に行われるようでは意味がございません。法の支配を実効化するためにも、現在の謙抑的な裁判所の姿勢というのは改めていかなければならない。正に裁判員制度もそんな観点で大変大きな意味を持っているわけであります。
 そういう中で、裁判所に民主的な基盤を与えるということが非常に重要になってくるわけでございます。
 現行憲法では、裁判官の任命権者は天皇あるいは内閣であります。そして、就任に当たって民主的な基盤を欠いております。これが、例えば統治行為の論理の中で、裁判所は民主的な基盤を持たないから判断を差し控えるということになっていく。私は、そういう意味では、行政裁判における裁判所の硬直的な対応などから、裁判所は自分たちの味方というより役所の味方なのではという国民の疑念を増幅し続けている。このような体制を改めていきまして、最高裁判所の長官、判事の任命のみならず、裁判官の任命自体についても国会の関与をさせていくべきだと思いますし、行政訴訟の改革もしっかりとやっていく。違憲の疑いの強い内閣の異議権については一刻も早く削除すべきだと考えます。
 以上でございます。ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、山下栄一君。
○山下栄一君 統治システムの相互関係がテーマでございますけれども、今もお話ございましたが、この憲法の前文の統治システム、統治機構の基本原則、これは非常に、幾ら強調しても強調し過ぎることはないというふうに思います。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」と、これは人類普遍の原理であるという高らかな宣言については、更に確認をすべきことであるというふうに思っております。
 先ほどもお話もございましたですけれども、行政の肥大、実質的な官僚支配の仕組み、これについての様々な改革の試みがあるわけでございますけれども、基本的な行政の仕組みというのは戦前と体質的に変わらない部分が非常に多いと。形は戦後大きく変わったわけですけれども、体質はまだ色濃く残存しているという、そういうことを痛切に国会活動を通して感じております。
 そういう観点から、特に縦割り行政の弊害、これは特に行政コスト、行政の無駄、また非常に責任を取らない、課題を先送りするという、そういう官僚政治の悪弊がいまだになかなか解消されないというところに現れているのではないかというふうに思うわけでございます。
 省庁再編に当たりまして、内閣府の位置付けが非常に、まあ法文上は高くなったというふうに思うわけですけれども、これも実質的にはこれからの課題だというふうに思います。内閣府は各省庁と横並びではなくて一段高い立場にあるという、それが、国家行政組織法には内閣府はなくて、内閣府設置法という別の法律でそういう立場を与えられているというわけでございますけれども、これを更に生かすような形で、省庁横断的な分野の企画立案、また総合調整の役割を内閣府が発揮できる、そのような実績を積み上げていく必要があると、このように感じております。
 また、内閣総理大臣のリーダーシップ、行政の分担管理の原則が内閣法三条にあって、それは憲法の要請するところであるのかという、縦割りを超える内閣全体としての組織としての機能強化と同時に、その総理大臣のリーダーシップも高める、そういう考え方も大事ではないかというふうに思っております。
 憲法七十二条の解釈もそうでございますけれども、内閣総理大臣は内閣を代表してとありまして、並びに行政各部を指揮監督すると。この行政各部を指揮監督するのは、内閣を代表してという、そういう修飾語が付いているというのが基本的な解釈ですけれども、このような解釈でいいのかという、そういうことがあるというふうに思いまして、この分担管理の原則の方が更に強くなっておることが縦割り型の、なかなか克服できない、そういう背景にあるというふうに思うわけです。この閣議をかけて決定した方針に基づかないと指揮監督できないという内閣法六条、これも改正も含めて検討する余地があるのではないかというふうに思います。
 武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律、いわゆる国民保護法では、こういう今までの考え方を一歩超えた、自ら、総務大臣を指揮しというふうな規定が、この国民保護法六十条二項にあるわけですけれども、非常に例外的にこういうことが最近具体的に法令化しておるわけですけれども、内閣総理大臣のリーダーシップを強化するということ、これ大事な観点ではないかなというふうに思っております。これは党の考え方というより私個人の考え方でございます。
 首相公選制についても、先ほど来お話がございますけれども、党の考え方は非常に消極的でございます。まず、政治的能力とは関係なく、国民に人気のある者が選出されてしまう。また、議会とは無関係に選出された場合や議会多数派と異なる政党に所属する者が選出された場合には、議会の意思と公選首相の意思が衝突し、政治のシステムの停滞、権能停滞状態に陥る可能性があると。また、公選首相が国民の支持を背景に暴走することが非常に懸念されるというふうなことを党ではいろいろ議論しておるわけですけれども、首相公選制については弊害の方が現段階では大きいのではないかと、こういう考え方でございます。
 独立行政委員会について一言申し上げたいというふうに思います。
 独立行政委員会、これは戦前にはなかった組織、組織なかったわけですけれども、これが非常に期待されている時代もございましたが、今は存在が薄くなってきておるのではないかというふうに思っております。
 専門性を生かした、また行政の分野によっては政治的中立性を求められるような、そういう分野があると。で、そういう分野については、行政組織から、いわゆる内閣本体からは距離を置く、職権行使の独立性、委員の身分保障、また準司法的、準立法的権限を持つこの独立行政委員会を生かす形で、もう一度この組織の使命といいますか、を確認する必要があるのではないかということをしきりに思うわけです。
 会計検査院が独立行政委員会ではないかというふうに、とらえ方もありますけれども、私は、これ、憲法機関として第四権的な組織であるということを大事にした、そのような権限の強化を図るべきではないかということを感じております。
 国家公務員法における人事院、これも今公務員改革の中で非常に人事院が技術的な、そういう機関に低めようというふうな動きがあると感じますけれども、これ、昭和二十二年にできた国家公務員法における人事院の役割というのは、特に、全体の奉仕者、公務員は全体の奉仕者、また中立的な観点から公務員の諸君は仕事しなきゃならないという、そういう意味で、それを担保するための人事院の役割は非常に大事だと。これも独立行政委員会のいい面をもっと機能を強化するような、そのような人事院でなきゃならないというふうに思います。
 内閣府設置法には、公正取引委員会、国家公安委員会、また行政組織法上は、いわゆる三条委員会と言われる公害等調整委員会、公安審査委員会、中央労働委員会、船員労働委員会等があるわけですけれども、これ全部、独立行政委員会というふうに位置付けられておりますけれども、それぞれの根拠法が分かれておるわけでございます。
 私は、特に教育、教育行政につきましては独立行政委員会的な位置付けが非常に大事ではないかということを非常に感じております。
 今非常に教育分野が大きな課題になってきておりますけれども、これが官僚主導、政治主導ということに陥らないような形にするためにも、独立行政委員会として、文部科学省のような内閣の一員として大臣も出すという形ではなくて、内閣から距離を置いた独立行政委員会的な、また地方における教育委員会的なものを中央においても考える、そういうことが非常に今求められておるのではないかと。
 家庭教育の在り方、また社会教育、この分野においても非常に、何といいますかね、家庭、家族が崩壊しておる中で、その家庭のことまで政治、行政が立ち入ろうとする動きがあるわけですけれども、私は非常にこういうことについて神経質に、慎重にやるべきだというふうに思うわけですけれども、学校教育につきましても、近来、学校制度が大きく破綻し掛かっておるわけですけれども、本来、人を育てる、また学ぶということ、人格の形成に直接かかわるこの教育行政については、内閣から距離を置く仕組み、すなわち独立行政委員会的なそういうことを志向するという考え方も大事ではないかというふうに思っております。
 あと、司法と行政、行政と司法の件ですけれども、これも今も簗瀬委員からもお話があったと思いますけれども、実質、裁判官と内閣各部と、各省庁との人事交流があるというふうに感じております。法務省辺りは特にそうですけれども、法務省以外にも外務省、国税庁その他、行政と司法との人事交流については、これは私は非常に消極的であった方がいいと、このように思います。
 司法の行政化、先ほど御指摘がございましたけれども、こういうことについては厳しく見ていく必要があるのではないかと。と同時に、内閣による裁判官の任命につきましても、形式的に内閣が指名する、また任命するということになっているのかも分かりませんけれども、国会の関与をやはりこの裁判官の任命についても考えていく必要がある。これは前にも指摘いたしましたけれども、そのように感じます。
 行政訴訟法、司法から見た行政権の統制、これも非常に敷居が高くて、行政裁判ですね、行政訴訟、非常に国民から見たら非常に使いにくい、そういうことがずっと続いてきたと思います。やっと昨年でしたか、この行政訴訟法の改正が行われたわけですけれども、これも本来一九六二年にスタートした行政事件訴訟法、ほとんど見直しされないままに今日まで来た、これも非常に行政優位の、国民主権の考え方に立った行政訴訟法になっておるのかという、そういう厳しい批判が、やっと風穴空けられたわけですけれども昨年は、まだまだ課題がたくさん残っているというふうに思います。行政訴訟法におけるだれが費用負担するのか、非常に国民から見ると使いにくいといいますか、行政を訴えにくいといいますかね、このことにつきましても改革の余地がまだまだあるというふうに思うわけでございます。
 限られた時間で特に行政における立法府の監視のことは余り指摘できませんでしたけれども、行政肥大また官僚支配が色濃い日本の現状に当たって、憲法に果たす役割は非常に大きいという観点からお話し申し上げました。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 仁比聡平君。
○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。
 申し上げるまでもなく、我が国憲法の統治機構の基本は三権分立にあり、三権の抑制、均衡により権力の濫用を防ぎ、立憲主義と法の支配の目的を達しようとするものであります。そして、統治システムの根源は国民主権原理にあり、市民が平等に選挙その他の方法で政治に参加をし、国の政治の基本的方向を決定するという在り方の内容を豊かにしていくことが憲法を考える際の基本に据えられなければなりません。
 ところが、我が国の政治の現実のありようがこの憲法の求める国民主権、立憲民主制、議会制民主主義の要請にこたえてきたかについては、大きな疑問が指摘をされてきました。とりわけ、近年の各選挙での投票率の著しい低下に現れているとりわけ若い世代、無党派層での政治不信は、一部の論者が言うような政治的無関心ではなく、現在の現実の政治に対する積極的不信にほかならないことは、これもまた多くの方面から指摘をされています。ここには、現実の政治のありようが正に国民主権を阻害していることが表れているのにほかならないのではないでしょうか。
 私は、今日の意見陳述で特に三つの問題を指摘をさせていただきたいと思っています。
 第一は、内閣の在り方についてです。
 本来、内閣は、一方で国民を代表する国会の支持の下に形成をされ、国民が何を求めているかを知り得る立場にあります。他方で、現実の行政に携わり、様々な情報に接している行政組織の頂点にあり、その情報を基に国政が必要とする政策を集約し得る立場にあります。この二点のゆえに現代政治は内閣を軸に展開をされております。
 しかし、現実の内閣がこのような期待される本来の機能を果たし得ておらず、その原因が、国民の意思が民主的政治過程を通じて内閣に正しく反映をされていないという側面と、官僚主義の弊害の下、行政組織がうまく機能をしていないという側面、その両方に原因があることを私は重く見なければならないと思います。
 九〇年代の行政改革論議に先立って、ある政治学、行政学の研究者は次のように指摘をいたしました。日本の首相の権限が弱いのは決して制度のせいではない、内閣や首相を取り巻く法制度は英国とそれほど変わりはない、首相の権限を弱くしているのは政治的な慣習である、年に一度は内閣改造があり、大臣に実力が付かないため、官僚の影響力が強くなり、行政の縦割りが内閣に持ち込まれる、首相の閣僚任免権が政治的慣習により限定をされているため、閣僚の首相に対する忠誠心が弱いと、この研究者は指摘をしています。正に、戦後自民党政治の派閥政治、政官業癒着政治という政治的慣習こそがこの弊害を生み出してきたとの端的な指摘ではないでしょうか。
 ところが、この根本問題にメスを入れず、内閣機能の強化を中心とした九〇年代の括弧付き行政改革とその後の小泉政治は、この問題を解決するどころか、政官業癒着と縦割り行政の弊害に加えて、民主的政治過程における国民意思の反映という民主政治の根本的な要請を軽んじ、憲法との矛盾を更に拡大をするものになっています。
 国会と国民の現実の暮らしや思いを軽んずる真のねらいがどこにあるか、これは首相のリーダーシップ強化の一環として設置をされた経済財政諮問会議を始めとする政府審議会の構成を見れば明らかであると思います。経済財政諮問会議のほか、企業活動の障害となる規制を取り払うことを提言をしてきた総合規制改革会議、リストラ支援の産業競争力会議など、金融、財政、産業、規制緩和、労働分野などの主要な審議会に日経連、経済同友会首脳を始めとした財界人が会長ほかの主要メンバーとして参加をし、網の目のように多数の審議会を兼任をして国家機構全体を財界、大企業自らの利益実現のために最大限利用してきたことを指摘をしなければなりません。審議会が答申を提出をすれば、これがまるで既に決定をされた政策であるかのように扱われ、国の政策立案がまるで財界によって決定されるような状況があります。
 このようなトップダウンによって、国民生活や健全な経済発展と矛盾する膨大な悪法、あるいは我が国の平和主義を侵害する数々の悪法が国会に押し付けられ、国会の形骸化を作り出すやり方は、我が国憲法の議院内閣制が本来予定するところではないと考えます。
 第二に指摘をすべきは、国会審議の形骸化の問題です。
 憲法が定める議院内閣制の在り方の重要な柱の一つは、国会による内閣に対する民主的コントロールです。立法作用はもちろんのこと、今国会で当面の焦点となっている政治と金の問題をめぐる証人喚問の実現を始めとした国政調査権の行使、議員の質問と答弁を中心とした国会審議の活性化、そこでの野党少数会派の尊重こそ議会制民主主義と議院内閣制の本来の姿だと思います。
 この点にかかわって、私は、審議を形骸化させている重要な一つの要因として、首相の国会への出席率の激減の事実を皆さんに御紹介をしたいと思います。
 本院の予算委員会、委員部を通じて調査をいたしましたところ、参議院予算委員会の総括質疑は、一九九九年までは七日間行われていましたが、二〇〇〇年以来昨年までわずか二日間とされ、そして九九年までは五十時間前後だった首相の出席時間は、十四、五時間と三割を切って大幅に減少をしています。小泉政権の三年間を見ると、一般質疑への出席は全くなく、集中質疑が行われてもせいぜい一日か二日で首相の出席は十時間程度、締めくくり総括質疑にも三、四時間の出席にとどまっています。結局、本予算の審議について首相の出席は三年間の平均で二十七・三時間しかありません。九九年、平成十一年の七十九時間、これと比べるとわずか三分の一、九五年から九九年の五年間の平均六十五・二時間と比べても半分以下、四割に激減をしているのです。
 これは、二〇〇〇年から本格実施をされた党首討論に関連をして首相の国会審議出席についての申合せが合意をされたためです。予算委員会の首相出席を各党一巡の基本的質疑に限り、予算委員会以外への出席は重要かつ広範な内容を有する議案、いわゆる重要広範議案に限るというもので、我が党は国会審議の形骸化になるとして厳しく反対をしましたが、その後の経過は我が党の指摘を現実化し、国会審議をゆがめていることを明らかにしているのではないでしょうか。
 加えて、予算委員会の審議日程は、平成六年までの平均十七日間に比べ、この三年間は平均十三・一日に減らされてしまっています。これが国会審議の形骸化に拍車を掛けています。国会審議の活性化につながると鳴り物入りで始まった党首討論も満足に開かれていません。これも、その週の本会議や委員会に首相が出席したら党首討論は開かないという身勝手な申合せが口実にされています。
 首相が国会に出席して答弁をするのは、議院内閣制のかなめと言ってよい憲法上の責務であると思います。まして、深刻な財政危機と不況打開、社会保障、相次ぐ自然災害への対策など、首相が国民に説明をすべき国政上の重要課題が山積をしています。にもかかわらず、このような国会論戦の形骸化が小泉政権下で常態化をしていることが国会の民主的統制を不十分なものとし、国民にとって政治不信に拍車を掛けているのではないでしょうか。
 さらに、重大なのは、このように限られた国会への出席の中で、首相を始めとした閣僚の答弁が、それ自体、国会に対する連帯責任を誠意を持って尽くすべきという議院内閣制の憲法上の要請を踏みにじるものになっていることです。
 二〇〇三年の通常国会を終えて、新聞各紙は小泉内閣の暴言をそろって厳しく指摘をいたしました。朝日新聞は、「荒れる「小泉語」「急所」突かれ、つい問題発言」との記事で、自民党幹部さえ昔なら審議が何日も止まったと漏らす問題発言、良く言えばアピール優先、悪くすると言いっ放しでいいという姿勢と指摘をし、毎日新聞は、「「明瞭」から「放言」「詭弁」にコイズミ語」と題して、小泉首相は今国会で度々説明不足や論理矛盾をさらけ出した、的を外した小泉語は閣僚や自民党幹部らの放言にも波及し、政治家の言語水準全体を押し下げている印象すらある、小泉政権発足後、政界の言語は深謀遠慮より短絡が好まれるようになったとして、そこに表れている慢心、開き直り、焦りを厳しく指摘をしています。この常態化が小泉内閣なかんずく首相の答弁の特徴であることは、今や公知の事実であると言っていいかと思います。
 このような答弁態度は、国会と国民を軽んじる不誠実さにおいて厳しくただされなければなりませんが、さらに、国会における、すなわち主権者国民に対する説明責任を尽くさず、それによって内閣自ら行っている政治決断の真意、本質をごまかし、国会における政治的争点の鮮明化の機能、世論形成機能を失わせ、結局、国民的合意なしに国の基本的在り方にかかわる転換を強行する政治手法となっていることが憲法上の議院内閣制の在り方を大きくゆがめているのではないでしょうか。
 例えば、イラクに派兵された自衛隊が殺される可能性はないとは言えない、戦って相手を殺す場合がないかといえばこれもないとは言えないと平然と言ってのける態度には、専守防衛の本来の建前を大きく踏み越え、世界の中の日米同盟路線の中で、我が国どころか安保条約の規定も超えて、遠く中東の地で自衛隊が殺し殺されるかもしれない事態を論理的な思考をあえて飛び越えて政治決断を行うという、民主主義にあってはならない態度が表れていると思います。
 このような答弁は、議院内閣制の本来の在り方を踏みにじり、議会制民主主義を形骸化をさせ、首相が本来高度に負っている憲法擁護義務を否定するものであります。
 第三の問題は、企業献金、団体献金による財界、団体による政治のコントロールの問題です。
 繰り返される政治と金の問題は、財布を握った財界の政治コントロールが国民主権の否定にほかならないことを浮き彫りにしてまいりました。今国会での審議を見て泥仕合と評する向きがありますが、私は、決してそうではなく、企業・団体献金がどれほど政治をゆがめ、また政界に巣くっているかを浮き彫りにしたものと考えます。
 以上に見るような内閣の権限強化や首相のリーダーシップ、国会の形骸化、これを国内外の情勢の変化に即応する迅速な政治的意思決定と論ずる向きがありますが、実は民主的政治過程の侵害にほかならないのではないでしょうか。
 求められているのは、国会の審議の活性化による民主的統制の強化、政策決定過程からの情報公開と国民参加であり、企業・団体献金の禁止に踏み出すことにほかならないことを強く指摘をして、意見の陳述とさせていただきます。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 田英夫君。
○田英夫君 統治システムを考える前に、この日本国憲法の根本的な性格といいましょうか、を考えてみたいと思います。
 日本国憲法は、単に日本という国の在り方を規定しているだけではなくて、その成立の過程の中で人類の未来を考えるという性格を持っているということです。つまり、あの敗戦の体験の中で、特に広島、長崎の悲惨な、悲惨極まる体験の中で、多くの日本人が二度と再び戦争をしてはならないと感じたその原点がこの憲法の性格を決めていると思います。つまり、二度と再び戦争をしないという決意をどうしたら実現できるのか。
 それは、当時の首相であった幣原喜重郎さんの言葉で明らかでありますが、戦争をしないためにはどうしたらいいか、それは武器を持たないことだ、しかし非武装などと言ったら狂気のさたと言われるかもしれない、しかしよくよく考えれば非武装と人間が殺し合う戦争とどちらが狂気のさただろうかと、こう述懐をしておられますが、本当に今、世界の中で、自分の国を考えるだけでなくて、人類という問題を考えて、もしこのまま核兵器が存在をするこの世界で戦争をし続けていくならば人類は消滅してしまうのではないかと、そういう危機感を持った私ども日本が作ったのが現在の憲法だと思います。
 それは必然的に、自ら日本に、日本という国に一つの責任を課している。それは、今なお戦争をしている世界に向かって、戦争をなくすことを提唱し、そしてそれを実行に移さしていくという、そうした責任を持っていると思います。日本という国を本当に豊かで平和なものとして運営をしていくと同時に、世界を本当に平和な戦争のない世界にしていくというその責任をも持っていると。このことを考えないと、一つの統治システムということを取ってみても、今の状態では到底世界のことなどを考えられるような体制にないと。
 今、小泉総理が国会に臨んで何をやろうとしておられるのか。それは、単に日本の問題だけではなくて、世界の問題をもやる指導者でなければならないという、そういう自覚が果たしておありになるだろうかということを心配します。
 世界の平和を本当に守っていくためには、あのイラク戦争で多くの人々が、世界の人々が指摘したように、核兵器、生物化学兵器という大量破壊兵器の問題、これに対して、最近、日本がその廃絶のために何の役割をやったでしょうか。そういう役割を果たせる体制に日本の統治システムはなっているだろうか、このことを考えなけりゃいけないんじゃないでしょうか。
 直接的に日本がこうした憲法を作る原因になった核兵器というもの、これを一つ取ってみても、日本が最近この数十年の間に、世界に向かって核兵器をなくそうじゃないかという具体的な提案をし、行動をしたことがあったでしょうか。それがなければ、この日本国憲法を持つ日本の統治システムが円滑にうまく行われているとは言えない。それどころか、国内の統治でさえ、今、行き先不明のような状態にある。
 核兵器をなくすには、今、世界の動きの中で、不平等なこの条約、そして口では核兵器をなくすと言いながら、むしろ核を拡大しているアメリカを中心とする核保有国の態度をこのまま放置したら、本当に人類が消滅するような核兵器が依然として持ち続けられると。こういう状態をどうするかを考えることが日本の統治の中の大きな部分じゃないでしょうか。このことをまず申し上げておきたいと思います。
 そして具体的には、日本を中心にして、ほんのわずかな、地球全体を考えればほんのわずかな地域でしかない北東アジアに核のない世界を作るということから始めたらいいんじゃないでしょうか。それは、南北朝鮮とモンゴルと、たった四つの国ですが、その四つの国には核兵器がないと、いわゆる非核地帯だという条約をどうして結ぼうとしないんでしょうか。これは決して難しいことではない。
 今、北朝鮮の核保有が問題になっています。この問題は、緊急に北朝鮮に意思を翻してもらわなければならない。しかし、彼らはわずか十数年前、一九九二年に、お互いにもっと対立、現在よりはもっと対立していた南北が核廃絶という合意をしておる、南北の間で。そういう経験を持っている国と国なんですよ。日本は非核三原則があります。モンゴルは一九九二年に自ら非核国家であると宣言をしている。それを一九九八年には国連総会で承認をしてもらっている。この四つの国は、いずれも核を持たないという意思を表示したことがある共通点があります。それを四つ結び付けて、そこを非核地帯とすることによって世界に大きな衝撃を与えるでしょう。
 南半球は既に全陸地が非核地帯になっていますよ。それはだれがやったんですか。日本がやったんじゃない、彼らが自分の手でやった。メキシコが中心になって中南米非核地帯条約を作り、あるいはニュージーランドや南の島々の国で南太平洋非核地帯条約を作った。ASEANも作った。アフリカも作った。
 北半球にはまだないんですよ。これが日本が持つべき役割を果たしていない証拠の一つですよ。せめて、この北東アジアに非核地帯を作ることの中心的な役割を小泉さんは果たすべきじゃないですか。
 あと、統治システムの具体的な問題について後に発言をさせていただきたいと思います。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 以上で意見陳述は終了いたしました。
 それでは、ただいまの意見陳述に対し、一時間程度、意見交換を行いたいと存じます。
 委員の一回の発言時間は五分以内でお願いをいたします。
 御発言は着席のままで結構でございます。
 なお、まず最初に各会派一巡するよう指名いたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
 まず、岡田直樹君。
○岡田直樹君 ありがとうございます。自由民主党の岡田直樹でございます。
 今日のテーマの統治システムを広く見れば地方政府も含まれると思いますので、本来、地方自治のテーマのときに申し上げた方が良かったかもしれませんが、私はしばらく県議会にもおりましたので、最近よく言われる都道府県知事の権力の肥大化という問題について少し申し上げ、その後で首相公選制の是非についても一言述べたいと思っております。
 御承知のとおり、地方では知事の権威は絶大であります。私の石川県ではいまだに知事様と言う人が多くて、国会の先生なんてのは目じゃないというような感じであります。戦前の地方長官としての権威にプラスして、戦後、直接公選制による大統領的な権威が加わりまして、大変強いわけであります。そして、国会議員と違って県庁には何千人ものスタッフがおりますし、知事は公務という名において、公費を使ってと言うと語弊があるかもしれませんけれども、日々選挙運動をやっておるようなものであります。予算、人事権を握り、また警察権さえ左右する知事は、よほどの不祥事でもない限り新人に対して圧倒的に有利であり、したがって多選が多くなるわけであります。
 この知事をチェックすべき県議会は極めて弱体でありまして、どこの県でも知事選は各党相乗りになりやすく、たとえいっとき対決したとしても、すぐにオール知事与党に戻ってしまう。東京の石原知事とか長野の田中知事といったカリスマ知事だけではなくて、いわゆる改革派知事も含めて、同じく唯我独尊に陥る危険性を常にはらんでおると思います。
 私の地元石川県を例に挙げますと、ついおとといの話でありますが、輪島塗で知られます輪島市という町がありまして、そこの議長が辞任を表明いたしました。これは、隣接する二つの町との法定合併協議会の設置案を市議会が否決したわけであります。そうしましたら、石川県知事が、輪島市議会は非常に住民不在の対応を取ったと、こう批判をいたしました。これに対して市議会議長が、恐る恐るでありますけれども、何も知事さんがそこまで言わなくても、それは越権行為でねえかと、こう言った。すると、知事は、越権行為とは何事かと怒ったわけであります。そして、これ以上県と対立を続けることは輪島市にとって好ましくないということで、議長が責任を取って辞任をするという、何か殿様が腹を立てて家来の首が飛んだような話のように思えるわけです。地方分権といっても、何か民主的なことのようにばかり思いますけれども、その実は知事という現代の殿様のようなものを生み出している側面があるんじゃないかと、こう思うわけであります。
 三位一体の改革が進んでいきますと、ますます知事は強くなります。これに対してバランスを取るときは、県議会の提案権を拡大するなど権限を強化しなくちゃいかぬ。それと同時に、知事の多選制限ということは是非検討をすべき課題であると思います。知事の多選禁止は職業選択の自由を損のうと、こうおっしゃる方もありますけれども、私は全然無関係なことであると思っております。
 これに比べて国の場合、首相にリーダーシップがあるのかないのかよく分かりませんけれども、国にあっても国民投票による純然たる首相公選ということは、これは行政府の権力肥大につながるおそれがあると思っております。首相のリーダーシップや政権基盤の強化ということは大事でありますけれども、行政府の長はやはり立法府から選ばれるというこの我々が今持っておる原則は崩すべきではないのではないかと思っています。そして、各党が国会議員の中から首相候補を選ぶ、そして、しかる後に国民の投票によって首相公選を行うということは一つの有力な案になり得るだろうと、こういうふうに思っております。
 以上でございます。ありがとうございます。
○会長(関谷勝嗣君) 前川清成君。
○前川清成君 民主党の前川清成です。
 統治システムとその相互関係に関して意見陳述の機会を与えられましたが、基本的な視座として、私は、法と正義が社会の隅々にまで行き渡った自由で公正な社会を実現し、そこに暮らしたいと願っています。
 もちろん、ここに言う法は、形式的に国会による立法であれば足りるという法治主義における法ではなく、法の支配における法、すなわち実質的に国民の基本的人権を擁護するルールとしての法を指します。
 かかる視座から、違憲立法審査権と裁判官任用システムに関して申し上げます。
 戦後六十年間に最高裁による法令違憲の判決がわずか六件という現状、憲法によって保障される基本的人権は国民の代表機関である国会が制定した法律によっても侵害されてはならないこと、その意味で、憲法こそが自由の基本法であることにかんがみれば憲法保障は極めて重要であり、違憲立法審査権が活性化する方策を検討することには、多くの委員同様に私も賛成です。
 しかし、その方策として抽象的違憲審査制度を創設すべきであるとの意見に私は反対です。なぜならば、政治部門に憲法裁判所を設けることは、法制局の上に屋上屋を重ねるにすぎないことに加え、何よりも政治、とりわけそのときの政治勢力からの強い影響を受けることは否定できず、そこにおける判決は公正な第三者による判断という裁判の本質を失っています。
 憲法判断に対する政治からの圧力を排除するためには司法裁判所に限って違憲審査権の行使を認めるべきでしょうが、最高裁に抽象的違憲審査権限を付与したとしても、裁判官の任命権と予算編成権が内閣に存する以上、最高裁の政治部門に対する過度の気配りは改められるはずもなく、結局、最高裁は政治部門の憲法判断に合憲というお墨付きを与え追認する機関に堕することは火を見るより明らかです。伊藤正己元最高裁判事も、官僚裁判官制度の日本において積極的な憲法判断を望んでみても無い物ねだりだと述べておられます。
 また、そもそも、具体的事件を離れて法令そのものの憲法適合性を判断したとき、真実、社会の実態を反映した判断が可能か疑問です。例えば、尊属殺重罰規定の違憲判決は、実の父親に十年間以上性的関係を強要し続けられ、かつ実の父親の子供さえ出産していたという被告人の置かれた悲惨な状況を抜きにして理解することが可能でしょうか。
 それゆえに私は、現行の付随的審査制度を維持することが適当であると考えています。その上で、下級裁判所も含めて司法裁判所における違憲立法審査権を活性化し、憲法保障を実効あらしめるためには、現行の官僚裁判官制度、キャリアシステムに替えて法曹一元制度を導入するしかないと確信をしています。
 法曹一元制度は、英米法系の各国で採用されている裁判官任用システムであり、在野法曹、すなわち弁護士の中から任期を定めて裁判官を採用し、任期が満了したならば裁判官は再び市民の中へ戻っていくという制度です。この制度においてこそ、裁判官は、自らの出世や昇給、保身にきゅうきゅうとすることなく、法と自らの良心にのみ従った判断が可能になります。
 下級裁判所、とりわけ高裁での違憲判決は、定年間近の裁判長によって下されることが多いという現実に照らしても、ヒラメ裁判官、すなわち市民生活や社会の実態を顧みることなく上だけを見て自らの出世にきゅうきゅうとする官僚裁判官こそが、違憲立法審査権の活性化を妨げていると言わざるを得ません。
 なお、法曹一元制度の導入は憲法改正を待つこともなく直ちに可能であり、むしろ現行憲法第八十条第一項の「裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。」という文言に照らせば、現行憲法も法曹一元制度を予定していることを付言いたしまして、私の意見を終わります。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 山口那津男君。
○山口那津男君 公明党の山口那津男でございます。
 統治システムの相互関係を考えるに当たりまして、論点は多岐にわたりますので、私自身がそれぞれの統治機構とかかわった経験から感想を申し上げたいと思います。
 まず、議員になる前に私は弁護士をいたしておりました。司法権の一員であったわけでありますが、これは法を執行する立場での限界というものを強く感じました。
 一つは、立法府に求める役割を感じたということであります。裁判という土俵で仕事をするわけでありますけれども、その法令が必ずしも立法事実や立法趣旨・目的、あるいは重要な点について見解の分かれる場合のその解釈や運用の在り方、これらについて本来は立法府でもっと幅の広い議論をしていただきたいわけでありますが、それが十分でなく、立法府の論議が資料として使えないと、こういう限界でありました。
 それからもう一つは、社会の動向に対して、やはり法を執行する立場で、その法の欠缺あるいは法の改正を待たなければならない問題については、やはりこれも限界を感じたということであります。行政や立法がもっとそういう動向、社会の変化に対して迅速な働きを期待をせざるを得ないということでありました。
 それから次に、政務次官として行政権の中で感じたことがありました。
 ここでは、やはり議院内閣制、現行のこの機能が必ずしも十分に発揮されないということでありました。特に、やはり与党が内閣、行政権をもっとコントロールする、強い結束と力を発揮すべき場合に、それがなかなかできない状態が生じることがあります。また、片や内閣あるいは内閣総理大臣の姿勢によって与党との連携がうまくいかない、行政権が独走的になりがちである、こういう問題もあります。いずれにしても、これはどこの政党が与党になったとしても、与党そして内閣いずれの姿勢によってもこの議院内閣制の機能というものが非常にぶれるということであります。
 先ほど同僚議員から知事さんの御指摘がありましたけれども、私は、首相公選制や大統領制を論ずることも大事でありますけれども、もっと現行のこの議院内閣制の本来のあるべき姿というものをもっともっと模索する必要があるということを感じたわけであります。
 そこで、いずれにいたしましても、この民主主義の機能というものを十全に発揮するためには、それぞれの立場でもっと改革が必要だろうと思っております。
 今、参議院議員として感じていることを申し上げたいと思います。
 行政評価・監視の機能、これをもっと高めるべきである、強化すべきであると思います。
 今、予算や決算という財政、税金を使う、こういう視点からのコントロールというものもなされておりまして、その点で参議院は独自性を持っているわけでありますけれども、しかしお金に絡む問題ばかりではありません。予算関連ではない法律というもの、様々ありますし、諸制度があるわけであります。また、各省庁横断的な政策目標というものもありまして、それぞれが個々の政策を持っている。そして、それは国の機関ばかりでなく地方自治体も相まって大きな一つの政策目標を追求しているという場面もあるわけでありますが、それらの政策の評価というものは、これは決算、予算だけではとらえ切れない。つまり、その政策目標に対する手段の在り方、これらを広い見地から見ていく必要があると思います。
 本来、これは国会そのものに期待されているところだろうと思いますけれども、具体的な手段としては、例えば総務省の行政評価局というのがありますけれども、まあ自らのことは評価をしにくいということもあるでしょうし、また自治体に対する評価というものも遠慮を感じるということもあるでありましょう。ですから、ここで、一つは行政内部での統制を強めるという意味で、独立行政機関を活用するという視点が必要でありますし、また国会の中にもっとそういう機能を高める、それは組織的にも今の委員会等の運用の面でもそれを検討する必要があるだろうと思っております。
 それから、公正取引委員会という現実の独立行政機関があるわけでありますけれども、これも、例えば官製談合と言われるような問題について、国の機関ばかりではなくて、やはり地方自治体とのかかわりが重視されなければなりませんが、これについても、今の制度ではやはりその機能を十分に発揮し切れていない。これらをどう解決していくべきかということも考えていかなければなりません。
 そうした国、地方を通じてのその議会の持つ民主的統制の在り方、これらも非常に重要な課題だと思っております。
 以上、それぞれの場面で感じることを述べさせていただきました。
 終わります。
○会長(関谷勝嗣君) 吉川春子君。
○吉川春子君 日本共産党の吉川春子です。
 日本国憲法は、近代憲法の例によって基本的人権保護のために権力分立制を取っていますが、特徴的なのは国民の意思が直接反映される国会を国権の最高機関と位置付けていることです。これに対し、今言われている改憲論の多くは内閣の権限強化を主張しており、結果として国会の弱体化がもたらされることになります。立法府である国会の強化、内閣監視機能の強化こそ現実の課題だと思います。
 そのために、第一に議員立法の活性化、第二に審議会政治の大幅改善が必要だと考えます。
 従来から、いわゆる審議会政治が問題になっています。内閣提出の法律案、いわゆる閣法は、内閣の方針を審議会に託し、そこでほとんど方向を決めてしまうこと、また、政府、与党間で議論がし尽くされ、国会では一日も早く法律を成立させることばかり求められるとしたら、国会審議は形骸化され、立法府の役割は果たせません。
 特に、審議会メンバーは財界出身者が多く、労働者、庶民、弱者の代表は相対的に大変少ないと思います。そして、財界の方々が中心に座って財界寄りの政策決定が行われているというのが現状だと思います。例えば、財界関係者が会長に就いている審議会は、平成十六年版審議会総覧、平成十六年四月一日現在によりますと、産業構造審議会、交通政策審議会、これはいずれもトヨタ自動車会長が務めておられますけれども、合わせて十九の審議会で財界出身者が会長を務めています。
 私にとって忘れられないのは、九五年の制定されたパート法の施行十年目、政府は法改正について、まず研究会、そして審議会に検討を委託しましたけれども、財界は最後まで法改正に強く反対し、パート、正規労働者の法律による均等待遇を行うことは否定され、結果として行政指導の指針の改正にとどまりました。千二百万人もパート労働者がおり、均等待遇を求める声が相次ぎ、研究会報告でも均等待遇の法改正を示唆する方向が出ていたにもかかわらず、政府が法案を提出しませんでした。野党でパート議連を作り、法案要綱を作り、また我が党はパート法改正案を対案として提出いたしましたが、これは委員会にも付託されなかったのです。これでは、国会に法案が出る前に経済界の声に従って法案を提出しなかった。これは法案を提出しなかった一例です。
 国会で否決されたのならいざ知らず、法律さえも出されず、審議会の財界代表の意見に結果として従うことは、国会軽視、立法権形骸化と言わざるを得ません。
 同時に問題なのは、国会自身が、閣法は通そうとしますが、議員立法は付託さえしない例が多いという、こういう問題を改めなくてはならないと思います。撤回されたと言われていますが、自民党改憲草案大綱たたき台に、法案は国会議員しか提出できないという一項目がありますけれども、これは私は必ずしも改憲の必要はないと思うわけです。内閣の法案提出権は違憲という有力な学説もあるのです。国会が、日本国憲法の定める国権の最高機関として十分機能させること、そして基本的人権の保護をさせるため、日本の将来を過たないためにどうしても必要だと思います。
 衆参を問わず、国会の改革を真剣に考えるときであることを述べて、発言といたします。
○会長(関谷勝嗣君) 田英夫君。
○田英夫君 先ほどは大変世界のお話をしましたが、一転して、最近起こっている問題と絡んで統治システムの問題を考えてみたいと思います。
 それは、一つはNHKと朝日の問題ですが、これはいろいろな問題をはらんでいますけれども、その一つはNHKという電波媒体と朝日新聞という活字媒体の問題です。
 で、その中で特に問題なのは電波を使うというこの放送の問題。
 今、日本では無線局を作ろうとする者は総務大臣、以前の郵政大臣ですね、の許可を受けなければならないという、これが電波法第四条に規定されています。つまり、新聞を作るということは、お金があって人員がいて用意があって、出そうと思えばだれでも出せる、つまり自由に活字媒体というものはできるわけですけれども、電波というのは一体だれのものかと。放送局のものではなくて、これは国民の共有物だということになりますから、それでは電波を使いたい者はだれの許しを得たら電波を使って放送局を作ることができるのかということを考えなければならない。それは正に行政の問題になってくるわけですが、今、日本ではそれが総務大臣の許可を受けなければならないということになっています。統治のシステムの中で、そのやり方でいいのかと。
 実は、世界の先進国の中でこのようなシステムになっているところはありません。欧米は皆、国民の所有物である電波を使うには国民の許可を得なければならないという原理に立って、例えばアメリカは連邦通信委員会、FCCと言っておりますが、がその権限を持っているということで円滑に動いている。
 日本の場合は、NHKを始めとして郵政大臣のお許しを得なければ放送局を作れない。ということは、どうなりますか。郵政大臣あるいは総務大臣という、正に権力の側がその権限を握っているというところに今の日本の過ちがあると思います。
 ですから、この間、NHKと朝日の言い分はどちらが正しいかまだ分かりませんけれども、少なくともNHKがその問題を取り上げて特別番組をやったり、ニュースの中で延々と自分たちの主張を繰り返し放送していることは、あれは間違いですよ。そのことを郵政大臣は注意しなければいけないと私は思っています。
 もう一つ、全く別の問題ですが、昨年の暮れに小さく報道されましたが、自民党の中谷さんの指示で、陸上自衛隊の二佐の人が、憲法改正をする場合に制服組として何を期待するかと、何を入れてほしいかということを出せと言われたのに答えて、四つのことを是非入れてほしいと言っている中に特別裁判所というのがありますね。まあ、軍隊にしろというのも入って、当然のといえば当然の、制服組としての当然の要求なんですが、特別裁判所というのは軍法会議ですね。それは戦争をするに当たっては軍法会議がなくちゃ困るという、それもよく分かりますよ。
 これは、昔、軍法会議がありました。そして五・一五事件のときに話せば分かると言って、犬養首相を撃ってしまったその海軍中尉、軍法会議にかけられて死刑になったはずの人が、戦後、忽然として現れました。私は新聞記者としてその御本人に会ったら、彼は満州へ行っていましたと、生きて帰ってきたんですね。
 まあ、それはそれとして、そういうことがあっていいのか。軍法会議というようなものが今、日本に作られていいのかという問題になります。本当に三権と言われる一つである司法の中に軍法会議が忽然として現れたら、一体どうなりますか。それは幾ら何でも国民の多くの方がおかしいぞと思われる。私どもは、軍隊というものを持つことがおかしいぞと感じる神経を持っていないといけないんだなと感じています。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 各会派を一巡して御発言をいただきましたが、他に御意見のある方は挙手を願います。
 浅野勝人君。
○浅野勝人君 過日、ある新聞の社説にこういう記事がありました。世界の二院制の中で、日本の参議院は典型的な設計ミスであったと。その最大の理由は、衆議院と対等な、ほぼ対等な権限を持っている。衆議院の優越性といっても、せいぜい条約及び予算案の自然成立くらいで、全く対等の権限を持っているのは、これは世界にも余り例を見ない。議論、法案の処理について非能率な形になっているという趣旨の社説があって、私は実はびっくりいたしました。
 細かいまだ精査をしておりませんけれども、その中での最大の指摘は、参議院には解散がないと。多くの場合は、二院の場合、イタリアのように両院が同時に解散をして出直すというような形なら理解ができなくもないけれども、六年間、その間に衆議院が何回解散あろうとも参議院はないと。こういう形で権限が対等なのは適当ではないのではないかと。むしろ、多くの国が採用しているように、一院は任命制にして、むしろ法案の処理などについては直接選挙で選ばれている院に任せて、諮問的な意見を言うにとどめることの方が世界の多くの例であるというような指摘でありました。
 私は、これは一流新聞の主張としては誠に驚きで、二院制の中での直接選挙制というのは、憲法論議の中で維持していかなければならない重要な点だと思っております。私は、たまたま委員長と同じように衆参両院の選挙を経験しておりますし、衆参両院の議員を体験している人間として、やはり参議院の直接選挙制度というのは議院内閣制を支える根幹であると確信をいたします。
 そして、その直接選挙の中から生まれている二院制が、参議院が、上院が下院と対等の権限を持つ中で一つのテーマに対して様々な角度から論議をする在り方というのは、一見、一見、参議院のことをカーボンコピーなどと陰口を言われますけれども、それは、それはむしろ慎重に物事を決めていく上で間違いのない、今は参議院の権限がしっかりしていることが国益に沿う道だと確信をいたします。
 もし仮に回付案に対して衆議院が三分の二の賛成が要るというのであれば、それらの細かいところでの、細かいところでのそれぞれの院の独自性を尊重することは構わないと思いますけれども、二院制に基づく議院内閣制を新しい憲法の中でも堅持していく中で、参議院の選挙の、直接選挙を必ず維持して、両院が対等の権限を持ちながら内外の重要課題に対して対等の議論をし、国民の前にその内容を評価をいただいていくということだけは堅持すべきだと思っています。
 そういう意味の中から、首相公選制については議院内閣制との兼ね合いをもう少し慎重に議論を重ねた上で結論を出すテーマで、首相公選制のいい側面はありますけれども、議院内閣制との間の中ではこれはむしろ今のような間接、首相の選び方としては間接選挙で、議員に、国会議員に責任を持たすやり方の方が今後の我が国の議会制に適応すると考えております。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 他に御発言はございませんか。
 秋元司君。
○秋元司君 自由民主党の秋元司でございます。
 私は、この首相公選制、これについて少し議論をさせていただきたいと思います。
 まず、この首相公選制の議論というのが常にあるわけでありますが、直近では、過去にあった話としては、我が自由民主党の中の総裁として小渕総理が当時この自由民主党の総裁に立候補した。その後には当然現在のシステムとして首班指名が行われ、最終的には総理大臣になったということがありました。
 当然これは、党内部のまずは選挙でありますから、広く国民全体の皆さんが党の総裁選挙に参加をするということはないわけでありますけれども、やはり党の総裁イコールそれが内閣総理大臣につながるという原則の中では、マスコミ、国民が、だれが党の総裁になっていくか、非常に注目を浴びるわけであります。
 その中で、当時、マスコミ、当時の立候補者としては旧小渕総理、そして梶山さん、又は小泉純一郎さん、こういった方が立候補したわけでありますけれども、当時のマスコミの世論では圧倒的に小泉さんが有力視だと言われていましたけれども、結果ふたを開けてみれば、人気投票を考え、結果ふたを開けてみれば、永田町で選挙をやると当然小渕総理が総理大臣になった。
 そういう中で国民から批判されたことは、永田町と国民との温度差があるということが議論される中に首相公選制というのが常に言われていたわけでありますけれども、今現在の状況を見ますと、当然我が自由民主党の総裁には小泉さんが総理になっているわけでありまして、この現象はまさしくマスコミが、だれが総理になるかという議論をする中で、だれが総裁になるかと議論をする中で、圧倒的な小泉さんの支持がある、それがイコール多くの国会議員の心を動かして、最終的にはマスコミが選んだ、国民が選んだ人を必然的に国会議員が推す形になって、圧倒的な支持率をもって小泉政権が誕生したという次第でありますから、そうなりますと、一瞬、一見これは首相公選制になっているように見えるわけであります。
 ここで一つ確認しておかなくちゃいけないのは、日本における衆議院の制度そのもの、実はこれは深く議論を詰めれば、これは大統領選挙になった場合における、いわゆる大統領予備軍みたいなものであって、衆議院選挙というのは予備選に近い。私はそんなように思うわけでありまして、まだまだ日本の国民には、今自分の地元の衆議院議員を選ぶ選挙がイコール自分たちの首相を選ぶ選挙だというふうにはまだまだ意識改革がなされていないんじゃないかな、そんな気がする中に、先ほど同僚議員の話もありましたけれども、議院内閣制というこの制度そのものをもう少し国民がしっかり意識をし、そしてこの議院内閣制の確立というものをもっともっと我々も努力していかなくちゃならないんじゃないかなという気がするわけであります。
 そういう中で、最終的にそれぞれ政党が議論を出し合った中でこの首相の公選制というものはどうあるべきかと議論するべきであって、もう少し国民がそれぞれ自覚を持って自分たちの一票というものがどういう影響を及ぼすか、そこまで議論する中で最終的に首相公選制にすべきだと、そう思っている次第であります。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 舛添要一君。
○舛添要一君 皆さん方から様々な議論をいただきましたけれども、私は、一、二論点を申し上げたいと思うんです。
 一つは、いわゆる制度論的に見た観点と現実の運用ということでございます。
 例えば日本の内閣総理大臣というのは、例えば大統領制の大統領よりも弱いのか強いのか。一見弱いようにありますけれども、極めてこれは強力な権限を持っていますし、現実に今の小泉内閣を見ても分かるように、相当強力な内閣としての権限を持っているので、運用の側面においては違ったことが出てくる。
 それで、例えば我が参議院ですけれども、建前上はというか、それは首相の指名、予算、外交、これは憲法上衆議院優越ということになっています。しかし、現実に衆議院と参議院がどっちが強いんですかという話になったときに、今の状況、各政党の議席の配分を含めてのそういうことから見ますと、私は、今の参議院は極めて強い。例えば自民党の中の力関係で見たときに、郵政の民営化ということを考えたときに、参議院がノーと言えば止まってしまうわけですから、これを例えば憲法が想定していたかどうかと。
 そういうことは現実の運用と制度の話は非常に違ってきますので、憲法でどこまで定めるかということなんですけれども、私は、余り細かく定めない、非常にシンプルであっていいし、運用の幅があって、最終的には日本国民のためにいい政治ができればいいわけですから、そういう観点から、先ほど共産党の同僚がおっしゃった、内閣の現実の機能については私は若干異論がございます。
 それから二番目、これは岡田委員からもあった話なんですけれども、実を言うと、最終的にこの国の形を憲法ということを考えるときどうするのかと。幕末、明治維新の帝国主義の時代に、明治維新国家ができたときにはどうしても中央集権でやらないとほかのアジア諸国のように植民地化されると。そういうことがありましたから、強力な中央集権国家を形成さしたわけですけれども、例えば今、地方の時代と言う。で、そのベクトルを逆方向に、地方分権ということに持っていったときに、今の中央と地方の在り方をどうするのか。
 知事さんが偉過ぎて困るということを先ほど岡田委員はおっしゃったんですけれども、実はその偉過ぎるというか、そういうことの一つのその制度上のもとはどこにあるかというと、これは首長さんが直接選挙制で選ばれるからであります。そして今、国会議員で成功しなかった野党の、成功しなかったと言ったら失礼ですけれども、野心を遂げられなかった方々が、地方の知事さんになられたり、政令指定都市の市長さんになられたりして大変権限を振るわれて、まあ個人的な野心も満足されているかもしれません。しかし、そうすると、日本の中央政府、つまりこの国会で決まったことと地方の政治との方向がずれてくる。それをどういうふうに調整するんだろうかという非常に大きな問題がございます。
 で、最終的にこの国の形をどうするのか。もし地方分権という形で明治国家と逆のベクトルにやるならば、少なくとも今のその都道府県、市町村という制度では問題があるなと。そうすると、道州制を導入するのかどうなのか。実を言うと、この統治システムを考えるときに、やっぱり中央と地方の関係というのを相当厳しく見ていかないといけないというふうに思います。
 例えば、私が長く滞在していましたフランスは、国会議員と市長さんとか、いろんな兼職ができる。じゃ、なぜ兼職するんですかと。国会議員が例えば何とか市の市長さんをやっていると。それは、中央と地方のパイプを上手につなぐための一つの知恵だと。ある意味で中央集権を進める形になるわけですけれども、しかし、そういう中で、州という制度を新しく入れることによってかなり州というレベルでの地方分権が進んでいっている。で、我が国も、今のこの憲法の範囲を超えて、この国全体の統治システム、中央、地方を含めてどうするのかということを極めて慎重に考えないといけないと思います。
 で、当たり前のことですけれども、この国会は、二院制であって、議院内閣制であります。そうすると必ず、非常にポピュリズム的な観点から、内閣総理大臣というのは我々が直接選んでいないと。直接選べないで、国会議員が、間接選挙で選ばれたような人の言うことを聞けるかというような暴論が片一方で出てきます。
 ですから、その意味で、直接選ばれた市町村長さん、知事さんが、レジティマシーという正統性の観点からは、ポピュリズム的に言うと非常に高くなってきている。こういうものの調整をどうするのか。アメリカのように、国政も地方の制度も完全なこの大統領制的な直接選挙制的な取り方をやると整合性が保たれますけれども、今言ったように、いろんな意味でこの戦後六十年間行われてきた統治のシステムというのはもう一遍根本的に見直す必要があるなと、そういう感想を抱いております。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 他に御発言もないようですから、意見交換はこの程度といたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後二時五十三分散会

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