第163回国会 参議院憲法調査会 第3号


平成十七年十月十九日(水曜日)
   午後零時四十分開会
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   委員の異動
 十月十二日
    辞任         補欠選任
     岩本  司君     鈴木  寛君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         関谷 勝嗣君
    幹 事
                荒井 正吾君
                武見 敬三君
                舛添 要一君
                若林 正俊君
                高嶋 良充君
            ツルネン マルテイ君
                簗瀬  進君
                山下 栄一君
    委 員
                秋元  司君
                浅野 勝人君
                岡田 直樹君
                柏村 武昭君
                河合 常則君
               北川イッセイ君
                佐藤 泰三君
                松村 龍二君
                三浦 一水君
                森元 恒雄君
                山下 英利君
                山本 順三君
                犬塚 直史君
                江田 五月君
                佐藤 道夫君
                鈴木  寛君
                内藤 正光君
                広田  一君
                福山 哲郎君
                藤末 健三君
                藤本 祐司君
                前川 清成君
                松岡  徹君
                水岡 俊一君
                山本 孝史君
                魚住裕一郎君
                白浜 一良君
                浜田 昌良君
                山口那津男君
                仁比 聡平君
                吉川 春子君
                近藤 正道君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       桐山 正敏君
   参考人
       専修大学名誉教授 隅野 隆徳君
       一橋大学大学院
       法学研究科教授  只野 雅人君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (主に国民投票制度について)
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○会長(関谷勝嗣君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、「主に国民投票制度について」、専修大学名誉教授隅野隆徳参考人及び一橋大学大学院法学研究科教授只野雅人参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。調査会を代表いたしまして、厚くお礼を申し上げます。
 忌憚のない御意見を賜り、今後の調査に生かしてまいりたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
 議事の進め方でございますが、隅野参考人、只野参考人の順にお一人三十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず隅野参考人にお願いをいたします。よろしくお願いします。
○参考人(隅野隆徳君) 本日は、発言の機会を与えていただきましてありがとうございます。
 最初に、レジュメについて一か所訂正させていただきます。
 一ページ目の大きな柱Ⅱの①のローマ数字の2のところに、イタリア憲法百三十八条二項という意味でありますが、これを次の3の任意的国民投票制のスウェーデン統治法典の前に入れていただければというふうに思います。恐縮ですが、イタリア憲法を次のスウェーデン統治法典の前に入れていただくということでお願いいたします。
 それでは、レジュメに従いまして発言させていただきます。
 初めに、今日の日本の政治状況で憲法改正問題が議論されているということは存じておりますが、しかし、それについて、憲法九十六条に基づく憲法改正国民投票法等を国会が早急に制定することについては、一個人として疑問を持っております。というのは、何よりも、日本の今日における憲法改正の動きが一般国民の下から沸き起こるものでないという点で疑問を持っているということで、ただし、今回は法論理の問題を中心に考察を進めさせていただきます。
 次に、柱Ⅱ、欧米諸国の憲法改正規定と国民主権原理ということです。
 近代憲法におきまして、憲法を取り巻く状況の変化に応じて、可変性、憲法改正ということと同時に、憲法の場合は最高法規として継続性、安定性の要請があります。それゆえに、憲法改正手続の適正さ、慎重さとか公平性、そういうものの要請と、基本的には憲法制定権者である国民の意見の表明、反映という要請があるように思います。
 欧米諸国の憲法規定における改正、憲法改正の扱いにつきましてはいろいろな分類法がありますが、二〇〇三年四月三日の衆議院憲法調査会小委員会で高見勝利教授が報告をしたそれが参考になるかと思います。つまり、憲法改正の最終的な決定主体がだれであるかということに注目して分類していますが、そこを若干私なりに検討をしていきます。第一に国民であり、第二に議会であり、第三に特別の会議として憲法制定会議あるいは憲法会議、コンベンションというものをつくるということです。第四には連邦国家制の場合にその支邦、ラントなりカントンなりというものを主体とするということです。
 今日では、第一と第二が中心に置かれます。
 まず第一のレフェレンダム、国民投票による憲法改正ということです。この点で最も徹底した取組をしてきたのが、第一の柱にある住民発案権と義務的国民投票制を持っているものとしてアメリカの諸州の憲法、例えば一七八〇年のマサチューセッツ州の憲法なり、その後多くの州憲法があります。それから、スイス連邦憲法、これは一八四八年に作られておるものです。
 それから第二として、特定の場合に義務的な国民投票制、レフェレンダムを作るという、取り組むというものです。フランスが、一九五八年、第五共和制憲法の八十九条の二項に、政府なり議員の発議で国会が取り組み、そして国民投票にかけるというものです。
 第三に、任意的な国民投票制ということで、国会議員等の要請があって国民投票、レフェレンダムが取り組まれるというもので、イタリアの憲法、一九四七年の憲法の百三十八条二項などが当たります。それから、スウェーデン統治法典。スウェーデンは統一成文憲法典がありませんから、その中の基本になる統治法典が一九七九年に、十五条に定めているというものです。
 それから第二に、議会による憲法改正、これが近代憲法の歴史の中では早くから取り組まれてきておりますが、しかし、方向としては、今日、今触れました第一のところが主流になってきています。
 議会による憲法改正、この点では、表決数を加重する、普通過半数であるのを多くは三分の二にするというもので、一番典型的には、議会完結で取り組んでいるのが現在のドイツ憲法、一九四九年の七十九条ということになります。ただし、七十九条には改正対象の限定というのが三項にあります。
 それから、フランス憲法はレフェレンダムも取りますが、一九五八年憲法の八十九条三項に、大統領が両院合同会議を設定する場合には五分の三の投票で、議会で済むというものです。
 それから、(ロ)としまして、議会での再議決、イタリア一九四七年憲法ですと、最初にその発議の改正案が提起され、その一定期間後、少なくとも三か月後に再度同じ議会が取り組むというものです。その間に選挙をして議会の構成を変えて臨むというもので、そこには書いてありませんが、よくベルギー・デラウェア方式、アメリカのデラウェア州の憲法と一八三一年のベルギー憲法の規定などがありますが、物事を明確にするために特にそこには触れてありません。
 それから③と④、憲法制定会議あるいは連邦国家の取組としては、アメリカ合衆国憲法の五条があります。各州の取組あるいは憲法会議を設定するというようなものであります。それから、ソ連崩壊後のロシア連邦憲法、一九九三年の百三十五条三項は、連邦の各邦もかかわりますが、新憲法草案全体にわたる場合には憲法制定会議か国民投票かを択一的に取り組めるというものです。
 それらについてもう少し理論的な根拠として見ますと、第一のレフェレンダムによる場合は、そこに憲法制定権力、憲法改正権、立法権というフランス革命以来の理論を挙げてあります。歴史なり自然法なりによって国民若しくは人民が憲法制定権力を持つということで、プボアールコンスティチュアンというものがありますが、それが憲法制定会議などによって成文憲法に盛り込まれますが、その中に憲法改正権の規定が設定されます。これは後のフランスの憲法学者のビュルドーの言葉で、制度化された憲法制定権力、プボアール・コンスティチュアン・アンスティチュエという表現をされているように、憲法制定権力が成文憲法の上に具体化されているものというので憲法改正権を位置付けます。これが立法権、普通の議会よりも上位に位置付けられると。つまり、立法権はプボアールコンスティチュエ、つくられた権力ということで、憲法制定権力によって議会なり内閣なりあるいは裁判所なりが設定されるというものですが、憲法改正権というのはその立法権よりも上にあるものということで改正権の重要性が指摘されるということになります。
 それに対して、議会が重視されるところは、フランスとドイツで若干異なります。フランスの場合、特に十九世紀の後半の第三共和制では、立法権優位の思想と代表民主制のフィクション、擬制により、憲法制定権力を立法権と同視する傾向がある。言わば立法権を高めていると、立法権優位というところが現れています。
 他方、ドイツでは、一八五〇年のプロイセン憲法以来、憲法は立法の方法で改正されるという規定を持ち、君主制の原理あるいは法実証主義の影響の下に、憲法改正権は立法権と同視された、これがワイマール憲法あるいは現在のドイツ憲法にも引き継がれているもので、それが議会完結型というものになります。言わば憲法改正権がより低められていると、フランスと対していえばそういう位置付けになるかと思います。
 これらを踏まえて、次に第三の柱として、憲法改正国民投票制の問題を考えます。
 この点、国民投票による憲法改正決定の方式は、実はフランス革命以来論ぜられてきた人民主権説、ジャン・ジャック・ルソーなんかに思想的な根拠がありますが、それの人民主権説の思想的、政治的基盤の上に展開すると言うことができます。その背景としては、普通選挙制が実施される、あるいは下院の上院に対する優位、あるいは第一次大戦後は直接民主制が諸国憲法に導入されるというような背景があります。
 ここでは、ですから人民の諸個人の主権的権利の保障ということが重視されます。そういうところを徹底しているのがアメリカ諸州の憲法、スイス連邦憲法ということで、国民発案、イニシアチブも定められています。
 この点で、順序がちょっと前後しますが、第四の柱の最後にレフェレンダムとプレビシットという項目を挙げてあります。これは、詳しくは次の只野参考人の方から述べられるかと思いますが、フランスの歴史ではナポレオン一世、三世の歴史的経験の反省からプレビシットということが位置付けられています。つまり、権力者とその統治を正当化するための人気投票、あるいは信任投票をプレビシットといって、通常のレフェレンダム、国民投票と区別して警戒を強めてきたというものです。つまり、フランスは中央集権が強い国ですが、そういう中で国民の支持ということを逆に権力支配の根拠にするということで、それは直接民主制の言わば負の遺産ということで、今日でも注目されているところです。それらを踏まえまして、ですから、国民投票になる場合にプレビシットにならないようにするにはどうしたらよいかということも視野に入れておく必要があるかと思います。
 今度はレジュメの二枚目に、ごらんいただきたいと思います。以下には、日本国憲法との関係での法的問題点を、主な点をピックアップしたいと思います。
 まず、日本国憲法九十六条の関連で、いろいろな問題点がありますが、時間の関係で、その上から三番目の衆議院と参議院の両院協議会の問題ということです。
 これは、日本国憲法の、普通の国政の運用ですと、衆議院の優越、参議院がそれに従うという側面があるわけですが、しかし、それについての規定である五十九条、六十条、六十一条の規定を、憲法改正の、九十六条の間の分野にどうかかわるかということです。
 憲法九十六条の理解としては、衆議院と参議院は対等、平等であるということになりますと、五十九条、六十条、六十一条にある衆議院優越に基づく両院協議会というのは憲法九十六条の改正、憲法改正の場合にはふさわしくないのではないかということが学説では議論されています。
 次に、改憲発議の方式ということで、投票方法の問題にもなります。つまり、憲法の改正点が複数にわたるとき、各条文又は各項目ごとの提案か、全体を一括して提案するかということです。つまり、この点が、それに対応する発議の方式あるいは投票方法は国会の裁量にゆだねられるかというと必ずしもそうではないのではないかと。つまり、主権者たる国民の側がどのように判断すべきかということを中心に考えるべきで、この点ではアメリカの諸州の憲法ではセパレーティブ・ボート・システムということで、個別投票方式というのが多くの州憲法で定められています。例えば、ミシシッピ州の憲法十五条というようなところにそういう明確な規定があります。また、プレビシットの関係でも、国民が一括提案方式ですと判断しにくいということになりますと、権力の正当化の根拠にもなり得るということで警戒しなければならない点かと思います。
 次に、国民投票に関連してですが、ここはいろいろございますが、時間の関係で、三番目の国民投票で過半数の賛成かどうかと、賛成をどうとらえるかというものです。この点は、学説ではそこに三つ挙げましたような諸説があります。有権者総数の過半数か、国民投票への投票総数の過半数か、有効投票総数の過半数かということです。
 ここでもいろいろな立場がありますが、白票を含めてこれを単純に無効として計算外に置くのではなくて、それを含めて投票総数として、そこに積極的な憲法改正賛成の意思表示を含めて過半数というとらえ方が妥当なのではないかというのが、近年では学説では多くなってきていると言えるかと思います。
 また、最低投票総数、国民投票の成立要件の問題があります。つまり、投票率が一般に棄権率が高いということであると、それの過半数で決するという場合には、例えば有権者の半数は最低の得票という設定をすることもあります。こういう点では、新しい、先ほどちょっと触れました一九九三年のロシア憲法の百三十五条の三項では、憲法の明文に、国民投票で半数を超える選挙人が参加して、その過半数に基づいて選挙人の賛成意思と見るという規定がございます。
 次に、国民投票運動に対する規制という問題です。ここも重要なポイントになると思います。つまり、国民の憲法改正権行使に当たっては、国政選挙における参加の場合以上に国民は知る権利なり表現の自由の保障が必要になるということです。そうでないと、国民主権の原則、保障、それと結び付く憲法改正権というものに矛盾するだけではなく、その国民投票がむしろ権力側の正当化の根拠として、あるいは正当化の場として作用し、プレビシットであるという批判を受ける危険性があるということです。
 この点では、日本の場合、公職選挙法もいろいろな憲法問題を生んでいますが、憲法改正国民投票に当たって、例えば裁判官、検察官、警察官というような特定公務員等の運動をどう位置付けるか、あるいは一般公務員や教育者の職務上の地位利用による運動をどうとらえるのか。日本の場合、よく言われますように、一般公務員は二十四時間公務員という、ちょっと労働法上世界でも異例なとらえ方をしているということで、あるいは教育者の場合であれば、教育の自由、学問の自由ということの保障との関係はどうであるかという問題です。
 それから、定住外国人等の運動をどうとらえるのかと。今日、国際化社会、とりわけ日本は韓国、中国、台湾という人たちに対する歴史的な、社会的な問題を踏まえているだけに、その定住外国人の役割をどう評価するかということが重要な問題になるかと思います。
 それから、マスコミ、放送機関に対する規制ということでも、虚偽報道などで規制をすることによってかえって萎縮的な効果をもたらされる危険はないかということです。先ほど述べましたように、マスコミあるいは放送機関であれば、国民の知る権利への奉仕、表現の自由ということで、最もここはその自由が保障されるべき場ではないかというふうに思います。
 それから次に、国民投票の手続や効力等について投票人からの訴訟提起の問題ということがあります。提訴機関あるいは一審の裁判管轄をどのようにするのか、一つだけに限定するのか、いろいろ日本各所に設定するのか。こういう点については、憲法改正という基本問題についての国民の裁判を受ける権利、司法審査ということの保障が理論的には重要な問題かと思います。
 最後に、第四の柱としまして、憲法改正における議会の位置ということで若干触れさせていただきます。
 憲法改正権の限界問題ということが、無限界説、限界説ということで、明治憲法の改正時に問題になり、その後、学界でも議論されてきました。この点では、近代憲法の基本原理あるいはその立憲主義ということについて、それが改正の対象外であるというのが一般に憲法学説としては多くあります。その中で、国民主権、基本的人権の保障というところが改正権の限界に位置するということはほとんど一致する点ですが、問題は平和主義の点です。とりわけ九条一項、二項、九条二項が日本国憲法の特色とされるわけです。
 この点では諸説ありますが、一つの考え方として、今日、国際法で戦争違法化が進展している、あるいは戦争による地球環境の破壊というものの世界的な規制ということが進んでいる、また、日本国憲法では憲法前文第二項に全世界の国民の平和に生きる権利の保障ということがうたわれ、それが国際的にも評価され、それの根拠として九条二項があるということ、また、現実問題として日本がアジア諸国との関係で戦後補償問題がいまだに解決していないという問題、そしてそこに自衛隊の海外派兵なり海外での武力行使という問題が提起されてきているということを考えますと、そこに九条二項が日本国憲法の今日においては改正権の限界であるという学説も十分な根拠があるというふうに思っております。
 憲法改正の対象として一部改正と全部改正という問題がありますが、形式的な分類ですが、何よりも内容上の問題を限界問題と結び付けて重視する必要があるかと思います。
 最後に、憲法改正条項の改正問題ということが学説上もいろいろ議論されております。
 この点では、先ほど一ページ目に述べましたように、憲法改正規定というのは、憲法制定権力と一体的であるために基本的には改正対象にならないということが言えるかと思います。また、国民投票規定を選択的にするということは国民主権の規制となり、大きな問題を含むのではないかというふうに思います。
 また、国民投票規定を義務的なものとして残しても、議会での発議要件を過半数にして通常の立法権と同じレベルにするということは大きな問題があるのではないか。つまり、近代憲法の特質である議会での発議要件を加重させるということが少数意見の保障であり、それが人権保障の尊重ということに結び付き、それがまた近代憲法の硬性憲法、硬い憲法、リジッドコンスティチューションという立場と結び付くものだけに、そこを重視する必要があるのではないかというふうに思います。
 さらに、その実質的な効果の問題として、議会での発議要件を加重させることは議会での少数勢力、少数意見の尊重となり、議会での審議を充実させ、国民投票にした場合もそれをプレビシットとさせない大きな保障になるのではないかというふうに思います。
 以上で発言を終わらせていただきます。ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 次に、只野参考人にお願いいたします。よろしくお願いします。
○参考人(只野雅人君) 只野でございます。本日はお招きいただきまして、どうもありがとうございました。
 ただいま隅野参考人の方から総論的なお話がございましたが、本日、私にはフランスの話を中心に国民投票について話をしてほしいというふうに要望いただいておりますので、特にフランスとの比較ということを意識しながらお話を進めさせていただきたいと思っております。
 この国民投票の問題ですが、既にいろんな論点があるということが指摘されております。投票の方式から始まって運動まで様々な技術的な、テクニカルな論点がたくさんあるわけですが、しかし、一見非常にテクニカルに見えますけれども、憲法原理とかかわる問題がそこにはあるのではないかということをまず最初に申し上げておきたいというふうに思います。
 先ほど隅野参考人からもお話がございましたけれども、憲法改正といいますのは制度化された憲法制定権力であると、よくこういう言い方がされます。つまり、主権者である国民の主権的な意思が表明される場と、こういう性格を持っているわけです。したがいまして、一見テクニカルに見える問題につきましても、国民主権から、それほど明確ではないかもしれませんが、大枠である種の要請が働くと、こう考えるのが恐らく自然であろうというふうに思うわけです。
 そういたしますと、主権的な意思表明の在り方としてどういう手続がふさわしいのかということを十分見極める必要があるのではないかと、これが私がこの問題を考える上での基本的な視点ということになります。その上でフランスをどう見るかということになるわけですが、フランスといいますのは、言うまでもなく国民主権の母国でございますので、そこでの経験、国民投票についても豊富な経験がございますので、当然いろいろ参考になるところはあるだろうというふうに考えるわけです。
 ただ、比較に当たりましては幾つか留意すべき点もあるだろうというふうに考えております。一つは、一口に国民主権を具体化するといいましても、これ、いろいろな具体化の仕方があり得るわけです。したがいまして、それぞれの実定憲法がどういう形でその具体化を図っているのかということの違いは踏まえる必要があるであろうと。例えば、フランスでこう規定されているので日本でもというふうに単純にいかない部分が一つあるのではないかというふうに思うところです。
 それからいま一つ、例えば民主主義の在り方をめぐっても、あるいは国民投票ということをめぐりましても、そのバックボーンにあります政治文化ですとか、歴史的なあるいは社会的な文脈の違いということも踏まえる必要があるだろうというふうに感じるわけです。そういった点に留意した上で、国民主権の具体化ということから考えて何が参照されるべきかということを見極めていく必要があるのだろうと、そんなふうに考えております。
 次に、レジュメに沿ってお話を進めてまいりたいと思いますが、レジュメの後ろに簡単な資料がございます。フランスの憲法、特に国民投票に関する条文、それから現在の憲法ですね、一九五八年に制定されておりますけれども、その下での国民投票の結果と、ごく簡単なものでございますけれども資料がございますので、ごらんいただきながら話を聞いていただけましたらというふうに思います。
 先ほど隅野参考人の方からもお話がございましたけれども、現在の第五共和制憲法、一九五八年に制定されておりますけれども、この憲法自体が国民投票によって承認されるという形で誕生しております。細かな経緯はここでは省略させていただきますけれども、その表の一番上にある国民投票、これによって憲法自体が誕生していると、こういう出自を持っているわけです。
 国民主権の母国ですので、当然国民投票に好意的であるという印象を持たれるかもしれませんが、先ほどこれもお話があったところですが、歴史的に見てみますと必ずしもそうでない部分がございます。特に、ナポレオン・ボナパルト、それからおいのルイ・ナポレオンという二人のナポレオンが、自らの帝政を正当化するために国民投票を行ったというのは広く知られる事実であります。
 それから、十九世紀から二十世紀の初めにかけてのフランスというのは議会中心主義が全面的に開花した時期でして、国民を代表するがゆえに議会は主権者であると、こういう言い方がなされることもあったわけですが、主権者という意味は、ちょっと言葉が過ぎるところはありますが、他の国家機関に対して議会が優位するということだけではなくて、議会が国家意思の形成を独占する、これは直接民主主義的な手法を排除するということも意味するわけです。
 そういった経緯を経た上で、第二次大戦後、第四共和制の憲法ができる際に国民投票が用いられると、こういうことになりました。現在の憲法も同じように国民投票を経て成立をしているわけです。
 今度は、そのでき上がりました憲法の中で憲法改正、それから国民投票がどう位置付けられているのかという点に移ってまいりたいというふうに思います。
 レジュメの後ろの条文をごらんになりながら話を聞いていただけましたらというふうに思うんですが、現行のフランス憲法では八十九条で憲法改正についての手続が規定されております。
 まず改正の発議権ですが、これは政府又は国会議員にあると、こういう規定になっております。日本についても発議権、例えば政府に発議権があるのかということが議論されておりますけれども、フランスの場合は明文でこの点の規定があると。逆に言いますと、日本の場合特に規定がないということをどう考えるかということになってくるかと思いますが、いずれにしましても政府又は議員が発議をすると、その上で両院一致の議決を経た上で国民投票が行われると、これが憲法改正の一つのルートということになります。
 ただ、第三項をごらんいただきますと分かるように、これには例外がございまして、政府が発案をした場合、両院一致の議決を経た上で両院合同会議を開催するというやり方もございます。国会の両院の議員が一堂に会して憲法改正について表決をすると、五分の三以上ですね、有効投票の五分の三以上の賛成があった場合には改正案が可決されると、こういう形になっております。
 実際どう運用されているかということなんですけれども、第五共和制下で十九回、これまで憲法改正が行われておりまして、このうち十八回が八十九条による改正ですが、国民投票を利用したのはこのうち実は一回だけ、非常に例外的なんですね。
 そうしますと、国民主権の下でも国民投票を経ない改正は可能ではないかという感想をお持ちになられるかもしれませんが、私はむしろ逆であろうと。つまり、国民投票が持っている重みというのがここからよくうかがわれるんではないかというふうに思います。後から若干お話をいたしますけれども、議会と国民の判断が食い違う、あるいは国民投票にかけた案件が否定されるという経験をフランス自身何度かしております。それだけに、その国民投票の持っている重みというのが逆にここからうかがわれるのではないかというふうに思うわけです。
 これが八十九条ということになりますけれども、実はもう一つ、やや変則的ですが、別の憲法改正の手法も存在しております。これがその上に挙げました憲法の十一条ということになります。
 これ、条文見ていただきますと分かるように、憲法改正ということはどこにも直接は言及されておりません。ただ、下線を引きました公権力の組織に関する法律案、ここには憲法が含まれると、これいささか解釈としては疑義が残るところでありますけれども、そういった解釈に基づいて、憲法十一条に基づく国民投票を通じた憲法改正というのが二度試みられております。こちらの手法を取りますと、言わば議会の頭越しに直接国民に訴え掛けをすることができると、こういうことになるわけです。一度は一九六二年、これは大統領直接公選制の導入という非常に重要な国民投票だったわけですが、ここでは十一条を通じて憲法改正が可決されておりますが、他方、一九六九年、こちらも第二院に関する非常に重要な憲法改正だったんですが、につきましては十一条による国民投票が否決されると、こういう結果になっております。
 この六九年の国民投票については幾つか留意すべき点があるというふうに思いますので、これはまた後ほど少しお話をしてみたいというふうに思います。
 以上が憲法の規定でありますけれども、次に、もう少し詳しくその国民投票の手続について、時間の許す限りでお話をさせていただこうというふうに思います。
 まず、国民投票の前段階としまして、両院による同一の文言での議決ということが要請されております。これも先ほどお話があったところでありますけれども、両院の対等性というものが求められていると、こういうことです。
 フランスの二院制というのは日本とはちょっと異なっておりまして、第二院が間接選挙で選ばれ、結果として第二院の方が憲法上の権限は弱い、言わば不対等型の二院制ということになりますが、ここでは両院同一の文言で可決されるということが言われている。恐らく、これは日本についても同じことが言えるんだろうというふうに思うわけです。
 それから、実際の審議は通常の立法手続と同じように進められているということのようです。議会の議決を経た上で次に国民投票ということになるわけですが、この国民投票に当たって非常に重要な役割を果たしておりますのが憲法裁判所である憲法院ということになります。これは条文を引いていないんですが、憲法の六十条に規定がありまして、その憲法院が手続の適法性の監視、それから結果の公表を行うと、こういうことになっております。
 実は、現在の憲法では、この国民投票に限らず、選挙についてもこの憲法院が監視を行うという仕組みが整えられております。従来は、議会の自律性を保つということで、その当選した議員の身分確認は議会自身が行っていたわけですが、いろいろ政治的な濫用というようなこともあって、現行憲法では憲法裁判所がそれを担当すると、こういう仕組みになっているわけです。例えば、レファレンダム以外にも大統領選挙についての適法性監視ということが行われていますし、それから国会議員選挙についても選挙争訟の裁定、これは通常の裁判所ではなくて憲法院が行うと、こういう形になります。
 いずれにしましても、独立機関によるコントロールが行われていると、これは非常に重要な点であろうというふうに考えるわけです。日本の場合ですと、恐らく裁判所による事後的なコントロールを考えることになるのかもしれませんが、その独立性のある機関が十分なコントロールを行うということ、これは非常に重要なことだろうというふうに感じるわけです。
 それから、投票実施の細則ですけれども、これは投票ごとにアドホックに大統領のデクレ、命令によって規定されるということになっています。デクレを制定するに当たっては必ず憲法院の意見を徴する、憲法院に諮問をすると、こういうことが義務付けられております。
 ほかにも細かいところがあるんですが、若干細かいところは省略させていただきまして、次に、実際にどういう形でデクレの中身が決まっているのかということについても御紹介をしてみたいというふうに思います。
 これ、投票ごとに違うものがありますので、どれを取り上げるかということになるんですが、一番最近のフランスの国民投票、これは御承知のようにEU憲法をめぐる国民投票、今年の五月に行われておりますが、だったわけです。これ、憲法改正ではございませんけれども、憲法改正に準じるような非常に重要な国民投票ですので、このデクレ、中身について少し簡単に御紹介するということでお話しさせていただくことにいたします。
 まず、国民投票の投票の方式ですけれども、これは事柄の性質上、賛成か反対かいずれかの票を投じると、こういう形になります。これ、国民投票の性格上、そうならざるを得ないということだろうと思うんですが。
 運動期間の定めというのがフランスの場合必ずあります。基本的に、運動の規定は選挙法をベースに作られているようですけれども、今回の場合ですと二週間弱ですね、若干二週間に欠ける程度の運動期間を置くと。それから、この期間については、投票を目的にしたような商業広告をプレスに出すということが禁止されていると。ここは若干私は問題があるかなというふうに感じているところなんですけれども、こんな規定がございます。
 それからもう一つ、非常に注目されると思いますのは、政党ですとか政治団体による運動への参加ということが認められているという点であります。後でこれを若干お話をしようと思っているんですが、選挙運動の場合と異なりまして、候補者主体の運動が国民投票では行われるわけではありません。フランスの場合ですと、しかしそこに政党や政治団体が参加をするということが規定されていると。
 これ、一定の要件がございまして、一つは、五名以上国会議員を有していて政党助成の届出をしていると。これは日本の政党助成とよく似た要件ですが、もう一つが、直近の欧州議会選挙で五%以上得票していると、こういう要件です。欧州議会選挙というのは比例代表で行われていますので、割と細かな世論のニュアンスが得票率に表れやすいということになろうかと思いますが、結果的に、それほど多くはないんですが、八つの組織ですね、今回ですと、が運動への参加をしているということになります。
 この組織に対してどういうことが認められるかというと、例えば、公設の掲示板を利用するということができるようになる、それからもう一つ非常に重要だと思いますのが、テレビとかラジオといった電波を通じた意見表明の場が保障される、こういうことになります。
 これは事務局の方で御準備された資料の中にも少し詳しい規定がございましたけれども、一応そのテレビ、ラジオ、各百四十分という枠があって、各組織に最低十分枠を割り当てた上で、あとは議員数とか得票数に応じて残りの枠を配分していくと、こういう仕組みになっております。その公平さへの配慮というのは一つフランスの選挙法の特徴かなというふうに思っているんですけれども、実際の割当てを見てみますと、秒単位の非常に細かな割当てですね、厳密な割当てというのが行われています。
 それから、一部の運動手段ですね、文書による運動とか集会の開催等については、一定の限度でその運動費用の償還というのが行われていると。つまり、世論の多様性にも配慮したような、まあ規制もあるわけですが、運動が一方では準備されているということになろうかと思います。
 それからもう一つ、これはむしろ理論的な問題ということになるかもしれませんが、国民投票の例えばその中身について、裁判所がどこまで判断できるのかという問題があるわけです。違憲の憲法改正というのは言葉として少しおかしな感じがいたしますけれども、例えば内容的に重大な問題のある憲法改正が行われた場合、その憲法改正の当否について憲法裁判所が判断できるのかと、こういうことが問題になっておりますが、結論的に申しますと、やはり判断は難しいというふうに憲法院は考えていると、またそういう判決が出ているということになります。ただ、運動の手続の面については、先ほど申しましたように、かなり厳格なコントロールが行われているということになるわけです。
 大体これが制度の概要ということになりますけれども、次に、実際に国民投票がどういう形で運用されているのか、それから、どういう問題を生じてきたのかということにつきましても、若干御紹介をしてみたいというふうに思います。
 直近の国民投票、これは先ほど申しましたように、憲法改正の国民投票ではございませんで、EU憲法条約の批准をめぐる国民投票でしたけれども、非常にこれはインパクトの大きな投票ですので、まずこの話を少しさせていただくことにいたしますと、二〇〇四年の秋、憲法条約が批准された後、憲法裁判所が違憲判決を出しています。違憲状態では条約の批准ができませんので、まずはその憲法を改正した上で、十一条の手続によって条約を国民投票にかけるということが行われたわけです。
 その投票に先行して行われました憲法改正ですが、これは国民投票ではなくて両院合同会議で行われております。結果御紹介しますと、細かい数字を挙げますが、投票者が八百九十二名、これは両院合同ですので九百名弱になります。有効投票が七百九十六、約八百ですね、賛成が七百三十、反対が六十六と、棄権が百票ぐらいありますけれども、有効投票に限って言いますと九割以上が賛成をすると。その改正を踏まえた上で今度は憲法条約を国民投票にかけると、こういうことになったわけです。
 結果は御承知のとおりでして、反対が約五五%、かなり大きな差が付きました。議会レベルで行われましたのは憲法改正、国民投票にかかったのは条約案ですので、それぞれ違うものが問われてはいるわけですが、しかし議会内の判断と国民投票のずれというのは非常に大きかったと。これは非常に印象的な点だったというふうに思います。
 ほかにもこれまで国民投票いろいろ行われておりまして、幾つか気になる点がございますので、これもごく簡単にですがお話をさせていただくと、一つは、先ほどやはり隅野参考人の方からお話がありましたが、プレビシットとレファレンダムという問題がございます。
 プレビシットという言葉はいろんな意味で使われるんですが、特にフランスでは、これは本来の目的から逸脱したような国民投票の利用、これをプレビシットと呼ぶような伝統がございます。典型的には、ナポレオンが行ったような自らの権力を正当化するような国民投票、あるいは議会の頭越しに、その権力者が自らの信任と国民投票を結び付けて人民に訴え掛けると、こんなものが大体プレビシットというふうに呼ばれるわけです。
 第五共和制憲法の下では、特にドゴールが政権を取っていた時代、行われた二度の国民投票が特にプレビシットの関係では問題になるところだろうと思うんですね。これは、先ほどお話をしましたように、いずれも憲法十一条という、恐らく本来は憲法改正を想定していなかったであろう条文を使って、憲法改正を議会の頭越しに行うという形で国民投票が行われているわけです。ただ、結果はといいますと、一度目は可決されているんですが、二度目は否決されて、結局ドゴールは結果的に辞任をするということになったわけです。
 これ、いろんな点で考えさせられる問題を含んでいるように思うんですけれども、何がプレビシットで何がレファレンダムかという区別、これは実際にはなかなか難しいところがあるわけです。
 どういう形で、どういうタイミングで、何を国民投票にかけるかと。これはやはり政治判断によるところもありますので明確な区別をするというのは非常に難しいところはあるんですが、しかし特に留意されるべき点というふうに私が感じていますのは、一つは、個人への信任と投票はやはり区別されるべきだろうと。例えば、首相が自らの信任を国民投票にかけるということは避けられるべきだろうと。国民投票には国民投票で問うべき内容があるんだろうということであります。それからもう一つは、やはり国民投票を取り巻く議論の場を確保する、特に公正な運動の在り方を確保するということが非常に重要な意味を持っているように思われます。
 それからもう一つ、この六九年の国民投票につきましては問題がございまして、国民投票で問われたのは大きくは二点、これ憲法改正だったわけですが、一つは第二院の改革、それからもう一つが地方制度の改正だったわけです。ところが、第二院の地位を非常に大きく変えるという国民投票でしたので、関連する条文が非常に多い。これ、議会の審議手続から、場合によると憲法改正の手続まで影響が及んでくるわけです。そこに地方制度改革に関するものがかぶってくる。全部で二十か条以上。恐らくは、一つとは言えない複数の論点が組み合わされた形で国民投票が行われたということになると思うんですね。結果は否決ということでありましたけれども、これは日本で国民投票を組織する上でもいろいろと考えさせられる問題ではないだろうかと。後でまた、これも簡単に触れてみたいというふうに思います。
 それからもう一つ、国民投票をめぐりましては投票率という問題があるわけです。
 資料の方をごらんいただきますと、二〇〇〇年に行われた大統領任期の短縮に関する国民投票ですね、これが非常に顕著なんですが、棄権が約七割に上っております。比較的テクニカルと感じられる問題について行われたということが一つ背景にあるような感じはするんですけれども、特に日本との関係で申しますと、やはり問題の重要性をきちんと認識した上で議論を行うような、例えば先ほど申した運動の在り方を考えるとか、それから、これも先ほどお話がありましたけれども、例えば投票を有効にするための最低の得票率というようなものを考えるかどうか、こういったことが恐らく検討課題としては出てくるのかなというふうに思います。
 以上、ずっとフランスの話をさせていただいたんですけれども、最後に、それらを踏まえまして、若干日本の国民投票についても私なりに考えるところがございますので、ごくごく大まかにその辺りの話をさせていただいて、私の発言を終わらしていただくことにいたします。
 最初にも申しましたように、憲法改正の国民投票というのは主権者の国民の意思が表明される、こういう場でありますので、当然、憲法からしましても、意思表明の正確さであるとかあるいは正しさ、こういったものが非常に強く要請されるであろうというふうに思うわけです。
 事柄の性質上、国民投票というのは賛成か反対かという形、二者択一で意思表示をせざるを得ないわけです。確かに、主権者の意思は一つであると言ってしまえば言えるわけですが、当然その中には多様なニュアンスや多様な意見が存在しております。それらを取りまとめて二者択一の回答をしてもらう、で、国民の意思を決めると、こういうことになりますので、とりわけその決定に至る前の段階での十分な、例えば国会での審議ですとか、あるいは国会だけに限らず世論全体での討議の場、討議の空間を十分に確保するということが恐らくその国民投票を組織するに当たっては憲法からも非常に強く要請されている点であろう。これは別段明文があるわけではございませんけれども、私は非常にそういう点を強調してみたいというふうに思っております。
 それを踏まえた上で国民投票というものを考えた場合、どうなるか。これ、細かな点についてお話をしますと非常に長くなりますので、私なりに特に重要であるというふうに考える点、二点に絞ってお話をさせていただくことにいたします。
 一点目、これも先ほどお話があった点なんですが、国民投票に例えば複数の条文の改正をかけるような場合、一括した投票をするのか、それとも言わば論点別、テーマ別に国民の意思を問うのかと、一括か論点別かという問題がございます。
 例えば、憲法の基本原理自体を修正するような言わば全面的な改正が行われる場合、これは恐らく、事柄の性質上、一括で投票するということになるのだろうというふうに思いますけれども、しかし、そういった全面的な改正をそもそも改正というカテゴリーでとらえるのが適切かどうかという問題が私はあるように思っております。例えば日本国憲法の制定がそうであったように、むしろそれは実質的には新憲法の制定というふうに考えるべき問題であろうというふうに思うわけです。
 ですから、恐らく、改正の枠の中で憲法が想定しているものを考えるとすると、部分的な改正を考えるというのが通常であろうというふうに思うわけです。この部分的な改正につきましては、繰り返しますけれども、できるだけ正確に、それからできるだけ真正な形で民意が表明されると、正しい形で民意が表明されるということについて十分な配慮をする必要があるだろうということになりますので、原則は、やはり異なる問題については異なる形で判断をすることを可能にすると、これが憲法からの要請であるというふうに言って差し支えないのではないかというふうに思っております。また、そうしますと、恐らく一度に問える問題の量とか数についてもおのずから一定の限定はあるんだろうというふうに思うわけです。
 ただ、実際に立法化するということを考えますと、どういうふうに条文を書き起こすかというのもなかなか難しいところがありますが、実際に何が論点別なのかという判断、なかなか難しいところがあるだろうというふうに思うわけです。無理に分けると体系性が損なわれるということがあるかもしれませんし、人によっては、何が論点別かということで当然判断が分かれてくる可能性はある。例えば、統治機構について一定の改正をするということになりますと、特にこの点は難しい部分があるだろうというふうには思っております。
 しかし、困難だから一括でいいではないかということになるかというと、そうではない。やはり、憲法の要請というものを踏まえますと、可能な限りきちんとした判断ができるような仕分をしていくシステムを考える、あるいはそういう形での発議をお考えいただくと、これが非常に重要な点ではないかというふうに思うわけです。
 それからもう一点、特に最後に強調しておきたいというふうに思いますのが、投票をめぐる運動の在り方であります。これ既に幾つかの案が公表されているようでありますけれども、恐らく、フランスもそうですが、基本的には選挙運動をモデルにしながら投票運動を考えていくということになるのだろうというふうに思います。
 そのモデルになる日本の公職選挙法ですけれども、これあえて誤解を恐れずに申し上げると、基本的には選挙法が認めた運動手段のみを認めると、こういう非常に厳格なシステムになっていると、こんな印象を私持っております。背景にはいろんな事情があるだろうと思うんですね。特に、個々の候補者が当選を争うということになりますので不正とか買収を防止するという配慮もあるでしょうし、他方で財政力による不平等を緩和するというところで候補者間の公平を図るというような視点がそこには含まれていると、これは承知しているわけですが。しかし、非常にある意味厳正な運動が行われる反面として、一律平等に不自由な運動になっていると、こういう評価があるというのは恐らく御承知のところだろうと思います。
 ただ、そうは申しましても、選挙運動の場合にはたくさんの候補者が出てまいりますので、おのずから様々な意見がその選挙運動の中では表れてくる、様々な立場が選挙運動の中で主張されてくると、こういうことになるわけです。
 ところが、国民投票をめぐる運動はどうかというふうに申しますと、選挙の場合とは違って候補者はいないわけです。だれが主体かというと、あえて言えば国民が主体だということになるだろうと。もちろん、政党がそこでは大きな役割を果たすことにはなるでしょうけれども、国民全体を含んだ形での運動ということになってまいります。
 しかも、候補者が当選を争うというような個人的な利害がかかわる運動ではありませんし、全国的な規模で、しかも非常に幅広い問題がそこでは問われることになりますので、やはり基本的にはできるだけ自由な運動を考えるという点に留意すると。これが恐らく、憲法からいきましても非常に重要な点だろうというふうに思うわけです。
 ただ他方、非常に気になりますのは、憲法改正の発議というのは両院の三分の二でなされますので、そもそもその発議の段階で反対意見が非常に少ないだろうということが想定されるわけです。ただ、先ほど申しましたように、主権者国民、意思は一つだと申しましても、非常に多様なニュアンスや多様な意見がその中には存在しております。そうしますと、自由な運動をベースにしながら最低限多様性を確保するような措置というのが考えられてもよいのではないかと、こんなふうに思うわけです。
 先ほどちょっと御紹介しましたフランスの制度というのは、なかなか参考になるところがあるだろうというふうに思うんですね。新聞ですとか例えば電波の利用について、最低限、これは恐らく国会に議席を持っている政党が中心になると思いますが、例えばフランスの場合ですと、得票率というようなものも勘案して、割と幅広くいろんな組織の声を拾い上げるという制度をつくっておりますので、そういったことも加味するということが恐らく求められるのではないかと、こんな感じがいたします。投票の公営化ということになるわけです。公営化というのは、反面において自由を規制するという側面も併せ持ちますけれども、基本的には自由な運動をベースにした中で最低線多様性を確保するような措置を組み合わせていくということが恐らく重要になってくるのではないかと、これは私、常々考えているところでございます。
 ちょうど時間が参りましたので、私の話は以上にさせていただきたいと思います。
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終了いたしました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
 なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問かお述べをください。また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔にお願いをいたします。
 では、荒井正吾君。
○荒井正吾君 自由民主党の荒井正吾と申します。
 両先生に同じ質問を続けてさせていただきます。
 私は、民主党の前川先生と同じ奈良の出身でございます。十七条憲法が千二百年前に生まれたところでございますが、日本は十七条憲法のほか、明治憲法と日本国憲法、三つしかございませんので、憲法と名の付くのは。十七条憲法では、和をもって貴しとなすとか意見を尊重しろという、参議院の性格を表したような憲法でございます。
 ところで、十七条憲法、明治憲法、日本国憲法とも、当時の海外の政治思想の大きな影響を受けていた憲法のように思います。その間できた貞永式目でございますとか武家諸法度とかは、どういう訳か憲法の名が付いていない。また、三憲法とも国民投票ということはないと、国家意思の決定に人民が関与した形跡がないわけでございます。
 今回は、憲法改正についての国民投票の議論でございますが、フランスの例を見ましても、条約その他にも国民投票が導入されておりますのも見ますと、国民投票の在り方あるいは我が国の民主主義の在り方ということにも少々思いが行くわけでございます。
 そのような観点で、最初でございますので、手続面の詳細よりも考え方について両先生触れておられますので、そのような点を中心に伺わさせていただきたいと思います。
 まず最初に、民主主義でございますので、国民の意思に基づくというところは確定されているんですが、どのように基づくのか。端的には、代表者によって民主主義を行うのか、直接民主主義に行うのか。代表制によりますと選挙は人を選ぶ選挙になる、直接民主主義だと政策を選ぶ。最近の郵政民営化の選挙は国民投票的総選挙だと言うような人もおられますし、先ほどのプレビシットというような説明聞くと、何か似ているのかなという気がしないでもないんですけれども。
 そのような事例が思い浮かびますので、まず第一問で両先生にお伺いしたいのは、今の民主主義の特に我が国の今後の在り方として、直接民主制あるいは国民投票をより広く適用するのが発展的か、代表制をより効率的にする方がいいのか、どちらがいいか。あるいは、その理論的根拠あるいは実際的な考え方ということを簡単に聞かせていただければ有り難いですが、まず隅野先生からお願い申し上げます。
○参考人(隅野隆徳君) どうもありがとうございます。
 この点は、近代憲法の歴史とともにいろいろと議論が発展してきたように思います。というのは、フランス革命なり、あるいはアメリカの独立革命なり、この時期は人民に憲法制定権力がある、人民に主権があるということで、一番明確なのは憲法制定会議、コンベンションという形を取ったわけです。
 これは私のレジュメの一枚目のⅡの柱の③のところに「特別の会議=憲法制定会議」とありますが、これがアメリカの諸州の憲法なり、あるいはスイス辺りでも使われているわけですが、つまり、普通の選挙ですと、代表者を選ぶのにいろいろな課題があります、日常から国政一般の問題。しかし、憲法制定あるいは改正という場合には、その問題に限定して、他方、政党なり候補者なりはそれに対応する政策を掲げて国民に臨むと。それゆえに憲法制定会議は特別な意味を持ち、そこで作られた憲法によって議会、内閣、裁判所がつくられるということで、普通の代表民主制とは憲法制定あるいは憲法改正というのを異なって位置付けているという例が一つの特徴かと思います。
○参考人(只野雅人君) じゃ、私の方からも簡単にお答えをさせていただきたいと思います。
 直接民主制と代表民主制をどう考えるかというお話、これはいろいろ議論があるわけです。
 例えば、まず直接民主主義の方から考えてみますと、先ほどフランスの例をちょっと申し上げましたけれども、恐らく議会だけで審議をしていれば憲法条約通っていたんだろうというふうに思うんですね。国民投票で否決されたということですから、やはり議会の民意とそれから実際の民意との開きというものが常に存在している。そういうことになりますと、重要な問題については国民自身が直接決定するということの重要性は私は否定できないというふうに思っております。
 ただ、他方で、直接民主主義にもやはり限界はあるだろうと。これも先ほど申し上げたところですけれども、性格上、イエスかノーかという形で二者択一の答えしかできない。したがって、世論の中にある多様なニュアンスというものをそこで酌み取ることが難しい。ということになりますと、やはりこれは議会の中でできるだけ多様なニュアンスを反映するような仕組みを考えながら討議をして、あるいは調整をして政策をつくっていくと、そういう形で民意との一致を図っていくという必要性も否定できないだろうというふうに思うわけです。
 したがいまして、重要なのは、両者をどう組み合わせていくか。特に重要な問題については国民投票を考えながらも、他方で代表民主制の在り方を常に見直していくということが重要なのかなと。
 非常に一般的なお話になりますけれども、そんなふうに考えております。
○荒井正吾君 ありがとうございます。
 両制度と両思想の併用ということかもしれませんが、今回の郵政民営化は、先ほどの両先生の言葉でありましたのを引用いたしますと、議会の頭越しに国民に意を問うたという表現が適すのかどうか分かりませんが、プレビシットの考え方が、まあ、おれを信任しろというのか、政策を選べというのかが混同していたかもしれないというふうに思うわけでございます。
 前回の選挙についての両先生の御感想を簡単に言っていただければと、憲法学的な関心を少々言っていただければと。
○参考人(隅野隆徳君) それでは、今回の郵政民営化法案について、参議院での本会議での否決、それに対する衆議院の解散というところは、憲法論としてもいろいろな問題があるように思います。参議院は本来解散のないところですから、そこの意思表示に対して、法案に対する意思表示に対する内閣側のそれに対する対抗措置という点で果たして憲法制度上妥当であるのかというところは一つ問題になるかと思います。
 そして、内容としても、今ちょっと質問者の方からお話がございましたように、今日の国政選挙、衆議院の総選挙ですと、いろいろな課題があるにもかかわらず、比較的内閣の側は一つのテーマに限定して、それからの波及ということで取り組んだということで、そこがあえて言うとプレビシット的な要素がなくもないというふうに感ぜられるところですが、他方、国民の側が、あるいはほかの政党なりほかの候補者なりがどう臨んだかというところもまた重要なところで、選挙ですから、一方で問う方、そしてそれにこたえる方というその両者の関係があって、幾つかの要素、ファクターを挙げて検討しないとならないかと思います。
 以上です。
○参考人(只野雅人君) 私の方からも簡単に申し上げます。
 幾つか感じていることがあるんですが、一つは参議院の役割ということであります。
 憲法が二院制を取っている以上、当然両院の議決が食い違うということはあり得るわけです。その場合どういう対応をするかということになりますと、通常は両院協議会ですり合わせを図ると、こういうことになろうかと思うんですね。そのプロセスを飛ばして選挙に訴えるのが良かったかどうか、憲法の運用として正しかったかどうかということは一つ疑問として持っております。
 特に、参議院につきましては再議決の要件が高過ぎるんだということが言われたりしますけれども、私、感じておりますのは、あえて高いハードルを設定することで両院に対話を強いていると、こういう側面があるんではないか。これは本来積極的に評価されていいような感じがするんですが、参議院の位置付けをめぐる問題というのが一つあろうかと。
 それからもう一点は、先ほど申し上げたことを繰り返すことになりますけれども、郵政民営化という形で、場合によると内閣の信任を重ね合わせるような形で非常に単純化した選択が迫られたという側面が今回はあるだろうと。だから、民意が明確に表明されたのだという評価があるかもしれませんが、一言で民営化といいましても、いろんなものがあり得るわけです。それから、民営化についてそれぞれ抱いているイメージも異なるでしょうし、当然、国政にはそれ以外の争点もたくさんある。にもかかわらず、二者択一を迫るような形で選挙が行われたというのが良かったのかどうか。
 これは正に代表民主制の存在意義ともかかわってくる話だというふうに思うんですけれども、むしろ世論の中にある多様な意見なりニュアンスをくみ上げるということにもっと配慮があってもよいのかなというふうに感じております。
○荒井正吾君 ありがとうございました。
 プレビシットという言葉とか、両先生の意見が選挙の前にもっとテレビに登場していれば選挙の結果も多少影響があったかもしれない、いいか悪いかは別にしまして。
 それで、今、参議院の意義、代表民主制ということでございますが、聞くところによりますと、デンマークでは二院制を廃止してその代わり国民投票制を入れたという話も憲法改正聞くんですが、そうすると、第二院は国民投票に代替される、あるいは諮問的国民投票ということも可能かもしれないんですが、国家意思を国民投票では拘束しないが、非常に大きな意義を持つというような国民投票制もあるかもしれない。しかし、それは二院制と代替できるかもしれないという例もあると思いますが、国民投票と二院制というのは代替できるのかどうかという点について、これは只野先生にお聞きしたいと思います。
○参考人(只野雅人君) 国民投票で第二院の役割を代替できないかと、こういうお話ですけれども、よく言われますのは、二院制を取っている国というのはやはり一定以上の人口規模を持つと増えてくると、こういうことであります。
 デンマークの場合、比較的人口規模が小さい国だと思うんですけれども、やはり人口規模が大きくなってきますと、どうしても一つの議院だけですべての民意をくみ上げるということが難しいと、恐らく経験的に言うとそれが示されているんだろうというふうに思うわけです。
 したがいまして、これ国家の規模がどのぐらいかということにもよりますけれども、一般的には国民投票だけで代議員の役割を代替するということは難しいだろうというふうに考えます。
○荒井正吾君 時間が参りましたので最後の質問をさせていただきますが、国民投票にかけるべき事項、あるいはかけた方がいいという事項が憲法改正だけかどうか。フランスの例ですと、大変大事な条約はかかっておるように思います。同じように、EU条約の方を思いますと、例えば東アジア共同体の大きな国家主権を制限するような条約に入るかどうかとなれば、国民投票の法が整備されててもいいような発想がするわけでございますが。これ両先生にお聞きしますが、憲法のほかにも国民投票に適している事項があると思われますか。その場合はどのようなことでしょうか。
 それと、国民主権というのが、先ほど、ソブレニティナショナールというのは、ちょっと訳が、元のフランスで解釈されているのと、ちょっとぴんとこないといいますか、逆の意味の主権在民的な意味にも聞こえるんですが、政治思想的に考えて国民投票に適している事項というのが特にお考えのことがありましたら、お聞かせ願いたいと思います。
○会長(関谷勝嗣君) それでは、隅野参考人、お願いいたします。
○参考人(隅野隆徳君) 国民投票につきましては、日本国憲法でも御存じのように九十五条に地方自治体での住民投票という規定はあるわけで、それが必ずしも十分よく作用していないというところはあるかと思います。地方自治体でいろいろ住民投票というのを条例で制定しているのは御存じのとおりです。
 日本では、国政一般にかかわるところでどういう国民投票があるのかという点については、今ちょっと答弁を差し控えさせていただきます。
○参考人(只野雅人君) 今、東アジア共同体というような話がございましたが、例えば主権の制限にかかわるような事柄について国民投票を実施するというのは、確かに私、重要な意味を持っているというふうに考えます。
 ほかに何があるかというと挙げるのは難しいんですが、ただ他方で、日本国憲法の場合には法律や条約については制定や批准の手続が決まっておりますので、恐らく現行の憲法の枠内であれば、先ほどちょっとお話がありました諮問的な国民投票を考えると、こういうことになるのだろうと思います。これは、実際に地方では住民投票という形で行われておりますけれども、これも賛否両論あるわけですが、言わばグランドデザインについて国民に意思を問うた上で、詳細については例えば議会で議論をしていくというようなことも考えられますので、特に重要な事柄については国民投票、例えば諮問的な国民投票というのは考えられるのかなというふうに思っております。
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 続きまして、福山哲郎君。
○福山哲郎君 民主党・新緑風会の福山哲郎でございます。隅野参考人、只野参考人におかれましては、貴重な御意見をちょうだいいたしましてありがとうございます。慣例によりまして、座らせていただきながら質問させていただきます。よろしくお願いいたします。
 憲法改正の問題は、国会が発議をして国民投票にかけるという面においての国民投票制度に今大変注目が集まっておりまして、その議論も、今日両参考人の先生方からお話を伺いまして、いろいろ考えなければいけないことがあると思うんですが。
 少し考えなければいけないと思っているのは、実は国会法との関係でございまして、隅野参考人の論文にも若干触れられておられましたが、国民投票制度の前に国会法の改正という二段階の構えがあると思っています。特に、国会が発議をするのは両議院の三分の二という文言があるわけですけれども、じゃ実際に国会に憲法改正案を発案をするときの要件をどのようにするのかと。例えば、今我々でいいますと参議院は十人以上の議員が集まれば議案を提出ができるわけですが、じゃ国民にかけるのは両議院の三分の二という議論の中で、国会に憲法改正案を発案するときに一体どのぐらいの数の要件で憲法改正案を国会に提出をするのか、これ非常に問題点で、どのぐらいのハードルにするのかという点が必要だと思います。
 更に申し上げれば、細かいことを言うようですが、例えば国会に提出をされて、委員会で議論をされている憲法改正案が議決をするときに、我々は憲法五十六条の二項による議事の可決ということで、出席議員の過半数で議案は本会議に上程されるわけですね。しかし、国民に発議するのに三分の二以上の数が要るのに、じゃ国会の委員会で議論をするときに過半数の議決で本当にいいのかと。
 こういう実は憲法改正をするときにはまず国会法の改正をきちっと議論をしていかないと、なかなか発議の後の国民投票とのバランス、制度上の設計の問題でなかなかうまくいかないという点があると私は思っておりまして、隅野参考人におかれましては何か御意見や、今私が申し上げた二つの提案の問題と議決の問題について何か御意見があれば賜りたいと思います。
○参考人(隅野隆徳君) 御質問ありがとうございます。
 この点はほかの欧米諸国でも、憲法規定に盛り込まれている場合もあるし、そうでない場合もあるということがあります。
 それともう一つ、国際的な視野で見た一つの問題点は、先ほど、私のレジュメの一ページの下のところにありますように、国民の発案権というのがアメリカの諸州あるいはスイスのカントンなどにはあるわけです。つまり、これも例えば五万人とか十万人の住民、州民の提案がある場合には、そこで一般的な提案の場合もあるし、あるいはちゃんと条文をそろえた成案として発案するという両者もあって、前者の場合には国会でそれを案文化するという手続もあるようです。
 日本の場合にそういうところをどう位置付けるのかということも、実は人民主権という視野からすれば全く視野から外してよいとは言えない、そういうこともどうとらえるのかと、世界から見れば一つの問題点になると思います。
 それから、現在の国会法の関係でいえば、確かに予算案とか予算関係の法案提出とかそれについての発議の、発議というか法案の提案者というところの人数要件があるように思いますが、憲法の場合にそこを具体的にどういう数字が適当かというのはすぐ思い当たりませんが、余り高いレベルで、予算を伴う法案よりも高いレベルでやった場合に、少数意見の、あるいは少数勢力の場合の意見はどうなのかと。つまり、憲法改正問題という場合にはかなり長期的な、将来的な構想が絡んでいるものですから、少数意見必ずしも否定されるべきというふうにはならないと思いますから、そこのところで余り高い人数規制をするということがよいのかどうか。確かに、全く一人でよいというふうにはならないと思いますが、そこの勘案が一つの問題点かと思います。
○福山哲郎君 只野参考人は何か御意見ございますでしょうか。
○参考人(只野雅人君) 今の話なんですが、憲法から一義的に決まってくるということでは恐らくないんだろうというふうに思います。
 今のお話にもありましたように、余りハードルを上げ過ぎますと自由な発議ができないという問題が出てまいりますが、他方で、先ほどのお話にもありましたように、最終的に三分の二で議決がなされるということを考えますと、それなりの発議要件といいますか、人数があって発議ができるという仕組みを整える方が合理的かなという感じもいたします。
 委員会については、通常は過半数で議決がなされるということですので、恐らくそういう形にはなるんだろうというふうには思いますが、ただ、もちろん本会議では三分の二ということになりますので、それを配慮した形で議論や議決が行われていくんだろうというふうに考えます。
○福山哲郎君 続いて、フランスのことについてちょっと只野参考人にお伺いしたいんですが、先ほど御説明をいただいた、EU憲法条約の批准に対して否決をされたと。これは先ほど若干御説明いただきましたが、大統領の発議なんですね。別に、かけてもかけなくてもどちらでもよかったわけですよね。十一条でいうと、大統領が国民投票を発議をするという話になると、若干私なんかが懸念するのは、濫用はないのかと。
 先ほど先生は非常にそこは重要視されて、重たいというふうにおっしゃられましたが、我々としては、制度上、濫用の危険性はないのかということと、今回シラク大統領が、別にかけなくてもいいのに国民投票にかけて否決をされたと、こういう何というか政治的なあやみたいなものというのは制度上フランスでよくある話なのか。ここの部分をちょっとお伺いをしたいということと。
 あともう一点は、我々は、前回の憲法調査会でも簗瀬議員から、憲法改正以外の国民的な政策課題についても国民投票制度を導入をしたいというふうに思っているわけですが、そのときの何というか発議の条件というのは憲法改正ぐらい重たいものにするべきなのか、こういうフランスのように大統領が発議をすればという話になるのか。先ほどの話を若干引用して申し上げれば、わざわざ衆議院解散しなくても、そういう制度があれば、小泉総理は国民投票にかけておけば、それで郵政の民営化がどうかという議論はできたわけですね、国民投票的にはと。ですから、その点について只野参考人、もし何か御示唆をいただければと思います。
○参考人(只野雅人君) まず、最初のフランスの話なんですけれども、確かに十一条を使いますと議会の頭越しに国民投票にかけることができるということで、例えば過去やはり憲法改正なんかをめぐって、恐らく濫用という評価をしてよかったと思うんですが、という点があるということは踏まえておく必要があると思うんですね。
 通常の憲法改正の場合には両院の議決が必要ですので、やはりそこでかなりの議論が行われるだろうと。国会の議論はオープンですので、やはり世論を含めた議論というものが提供されるだろうというふうに思います。ですから、やはり議会での審議の重要性ということは改めて強調をされるべきかなと、こういう感じがするわけです。
 ただ、今回のように、EU憲法条約のように非常に重要な問題については、十一条のような規定があるのであればやはり国民投票にかけるというのはそれなりに筋の通った話だったのかなと、こういう感じはいたします。ですから、むしろ世論を説得するプロセスに問題があったのではないかという感じがするわけです。
 それから、日本について、例えば国民投票を導入する場合、発議要件などをどうするかということなんですけれども、実際には恐らく非常に重要な問題に絞って行われることになると思いますので、少なくとも過半数以上ということは必要だろうと思うんですね。三分の二が必要かどうかというのはちょっと議論の余地のあるところだろうと思います。
 ただ、恐らく現行憲法を前提にしますと、これ諮問的な国民投票ということになるんですが、幾つかやはり留意すべき点というのがあるだろうと思っておりまして、一つは、今お話をしたように、やはり議会での審議の場がきちんと確保されているかどうか。いったん、諮問的であっても国民投票で民意が表明されますと、それを覆すということは非常に難しくなりますので、その審議の問題。それからもう一つは、適切な民意の表明ができるような設問を考えるといった点も多分非常に重要だろうと思うんですね。それから、場合によりますと、非常にある意味、議会の責任放棄につながるような利用の仕方というのも懸念されないわけではない。
 ですから、諮問的国民投票って非常に私重要だとは思うんですけれども、そのテーマの選定含めて手続などについては、やはり憲法改正に劣らず慎重な審議や検討は必要だろうというふうに思っております。
○福山哲郎君 今のことに関係してなんですが、そのフランスの場合には十一条でも憲法改正が二度国民投票にかかったとおっしゃられましたけれども、そうすると国民投票にかかる場合に、その憲法改正の場合には議会の同意が要るとしても、そこから先の要件は同じ条件だというふうに考えていいわけですね、国民投票にかけられてからの、何というか要件というか条件は。
○参考人(只野雅人君) 国民投票の場合にはその都度デクレで中身が決まってきますけれども、恐らくは大体共通したものがあるんだろうというふうに思います。今回はEU憲法条約のみ確認しましたので、過去のものをきちんと見ているわけではないんですが、基本的なところは大体同じになってくるだろうというふうに思います。
○福山哲郎君 もう時間がありませんので、両参考人に、済みません、共通の質問を二つだけして、簡単にお答えをいただければと思います。
 一つは、投票する側の年齢の問題ですが、我々は十八歳以上、若しくは義務教育課程修了者にも条件によってはという議論をされていますが、国民投票ができる有権者の年齢をどのようにお二人の参考人の方は考えられているかということと、それから、先ほどお話がありましたように、投票率の問題でございまして、フランスの先ほどの例で見ると七割の方が棄権をしていると。賛成が七〇%といいながら七割が棄権しているということは、実態でいうと国民の五分の一しか賛成をしていないわけですね。その投票率みたいなものに対して何か条件を付けるとか、何%以上とか、条件を付けるような例も漏れ聞きますが、その件についてどのように考えられるか。
 二点について簡単にお二人の参考人にお答えをいただいて、私の質問は終わりたいと思います。
○会長(関谷勝嗣君) それでは、隅野参考人からお願いいたします。
○参考人(隅野隆徳君) 第一点は、やはり十八歳以上というのは最低であるというふうに思います。世界のG8の諸国は一般に普通選挙権が十八歳以上であるということとも関係します。
 第二点は、先ほどもちょっと触れましたが、やはり有権者の過半数を最低の投票率というふうに設定することが日本の憲法状況、将来の憲法の安定のためには不可欠であろうというふうに思っています。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 只野参考人、お願いします。
○参考人(只野雅人君) まず、投票年齢なんですけれども、私も国際比較から見まして十八歳というのには十分合理性があるだろうというふうに思います。ただ、憲法では、選挙の際に国民投票を行うということも言及していますので、恐らく併せて選挙権それ自体についても見直しをする必要があるだろうと。できれば両方併せて十八歳という設定をするのが一番合理的ではないかというふうに思います。
 それから、最低得票率ですけれども、やはりこれ国民投票、憲法改正国民投票の重要性ということを考えますと、今、隅野参考人からお話がありましたように、どこかで線を引くとすればやはり過半数というものが考えられていいんではないかと。他の投票ではかなり低めのものが設定される場合もありますけれども、この件に関しては過半数というのが一つの線かなというふうに思っております。(「何の過半数」と呼ぶ者あり)
○会長(関谷勝嗣君) 今質問がございましたが、過半数は何の過半数かという簗瀬さんからの質問ございましたが、有権者ですか、投票者数ですか。
○参考人(只野雅人君) 五〇%の投票率があると、こういうことでございます。
○会長(関谷勝嗣君) おおむねで五〇%だそうです。
○福山哲郎君 会長、ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 それでは、続きまして、山下栄一君。
○山下栄一君 ちょっと時間限られていますので、たくさん質問できませんけれども。
 先ほど、荒井委員の郵政民営化法案に対する小泉首相の解散して国民に問い掛けたという話と国民投票制度との関係の話は非常に大事な話だと思いました。ぎくっとしたような面もありましたけれども、勇気ある発言だったなと思うんですけれども。
 この国民投票という大きな国政に直結するような、判断を問うような、そういうことを日本の国内では戦後余り経験したことがないので、今回の郵政に対する衆議院選挙というのは非常に大きな参考になったかもしれないなというふうに感じた次第でございます。
 小泉さんが十九世紀の二人の大統領、二人のナポレオンの手法に学んでやったのかどうかよく分かりませんけれども、これはやっぱり国民がそれをどう受け止めて、実際プレビシット的になってしまったのかどうかというふうなことについて検証もしながら、様々な国民への周知にも、初めほとんど関心のないところから相当関心を持って投票したということもありますし、特に若い世代は、今まで余り投票に行く気がしなかったけれども、今回は自分も参加できるんだという国民参加の意識が高揚して、今まで一回も行ったことがないけれども初めて行った人の私も直接話を聞いたことがありますけれども、そういうふうに考えましたときに、国民への周知の在り方というようなことも含めて、今回の衆議院選挙というのは非常に検証に値することだったのではないかと。間接民主政治における国民投票制度の有効性とか正当性とか、民主主義の正当性とか含めて、非常に大きな問題提起をした衆議院選挙だったのだなということを改めて感じました。
 こういうところからこの九十六条問題は、国民投票法の在り方というのは議論したら分かりやすいんじゃないかなというようなことを感じた次第でございます。
 それで、この憲法九十六条なんですけれども、先ほど福山さんおっしゃったように、国会審議の手続にかかわることと国民投票にかかわる二つの手続の改正が必要な問題点、そういうテーマだというふうに思うわけですが、それと同時に、公布の方式ですね。国民投票終わってからの、承認された後の公布の方式としまして、憲法に「天皇は、国民の名で、」と書いてあるわけですけれども、「この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」と。
 「この憲法と一体を成すものとして、」という解釈なんですけれども、これは本来全面改正ということを想定していない規定ぶりなのかなというふうに思うわけで、先ほど参考人の方からも、可変性、変えるということもあるけれども、継続性、安定性ということを前提にした憲法改正手続だというふうなお話もあったと思いますけれども、「この憲法と一体を成すものとして、」というのは余り全面改正を想定していないと、そして基本的には今の憲法条項を基本にしながら改正するんだったら付け加えていくと、補強方式というか増補方式といいますか、そういうことを前提にした規定なのではないかという、そういう議論もありますけれども、このことについての御見解をお二人からお聞きしたいと思います。
○参考人(隅野隆徳君) 御質問ありがとうございます。
 お話しのように、九十六条の一体を成すものとしてというところのとらえ方については諸説あるんですが、一つのものとしては、これがアメリカの連邦憲法のように修正方式だというとらえ方もあります。つまり、アメリカの連邦憲法の場合は、御存じのように一七八八年に本文条文は定められて、その後人権条項なんかが追加されていく、それを修正条項、アメンドメントというふうに言うわけですが、ですから、本体は変わらずに、それが大統領選挙なんかは部分的に変えられていく面があるんですが、日本国憲法九十六条もそういう意味合いを持っているんだという説もあります、必ずしもそれが学説一般に通用するわけではありませんが。
 あるいはまた他方、日本国憲法の前文の第一項の最後に、人類普遍の原理に基づくものである、我らはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除すると。だから、ここを根拠にして憲法改正の限界があると、限界説の根拠をここに置く説も有力にあります。つまり、そこに、一切の憲法というのは、単に明治憲法を排除しただけではなくて、将来の憲法改正でも人類普遍の原理を侵害するものであってはならないということとして憲法前文を根拠に置くものもあります。多くは九十六条の改正権の内在的な限界ということで、先ほど述べましたプボアールコンスティチュアン、憲法制定権力、そこを委託された改正条項ということから、その日本国憲法の基本原理自身は維持されていくものだというふうにとらえている学説が多いかと思います。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 続いて、只野参考人、お願いします。
○参考人(只野雅人君) ただいまお話をいただいたことに尽きるような感じもするんですけれども、いわゆる加憲方式というんでしょうか、新しい条文を付け加えていくという方式は当然やり方としてはあり得ると思うんですが、「この憲法と一体を成すものとして、」というものが、それのみを念頭に置いているということでは必ずしもないんだろうと。場合によると条文を入れ替えるという方が明確な場合もあろうかと思いますし、それでより一体性が明らかになるということもありますので、まあそれは選択の問題だろうと、こういう感じがいたします。
 それから、限界についてなんですが、これもいろいろ議論があるところですけれども、確かに、「この憲法と一体を成すものとして、」というのを根拠にする考え方もありますが、私は、それよりは、その規定を待たずとも、ほかのところからその限界があるという議論は導けるのかなと。今幾つか御紹介があったのであえて付け加えることはいたしませんが、そんなふうに考えております。
○山下栄一君 本当、もう時間がないんですけれども。これ、国会が発議して国民にこの国民投票制度で問い掛ける場合の問い掛け方とか、また周知期間とかいうのは非常に難しい問題だなというふうなことを感じました。憲法になじみが余りないままで今日まで来ているようにも思いますし、学校教育でも中学生ぐらいから憲法に対する教育は始まりますけれども、余り深まらないままに大学まで卒業して社会に出ていくというようなことは普通だと思うんですね。そういうお国柄の中で国民投票によって憲法改正を問い掛けるというのは、確かに非常に困難な難しい問題だなということを改めて今日は感じたんですけれども、お二人、ちょっともう時間がありませんけれども、憲法教育、大学でやっておられて、学生も何年か変遷が、意識の変革があると思いますけれども、憲法に対する関心、若い世代のですね、どういうふうにお考えになっておられるか、ちょっとお聞きして終わりたいと思います。
○参考人(隅野隆徳君) 学生あるいは若い年代の諸君と話をしていると、憲法に接することは少ない層も多いんですが、しかしいろいろ憲法問題をこの日本国憲法の規定とも結び付けて話していけば理解し納得し、また勇気も出てくるということを感じております。
 総じて、やはり憲法を通じて日常生活なり国政なりを考えるという、そういう発想が、おっしゃるように憲法教育なりいろいろな場で社会教育を含めて取り組んでいくことが重要かなというふうに思っております。
 以上です。
○参考人(只野雅人君) なかなか簡単にお答えするのが難しいんですけれども、若い世代が憲法にどう関心を持っているかというお話ですが、結構人によって異なるところはあると思うんですね。私の印象では、関心を持っている人間というのは結構多いんではないかという感じはいたします。ただ、それほど明確な問題意識としてあるわけではないというところも他方ではあって、実際に憲法の話なんかをしていく中で、ああ、そうですねということで漠然と持っていた関心が深まっていくと、そういうところがあるのかなというふうに思っております。
 ですから、何といいますか、素地というか潜在的なものはありますので、上手に関心を引き出していくような訴え方といいますか、教育の仕方というのは確かに大事かなというふうに思います。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、吉川春子君。
○吉川春子君 日本共産党の吉川春子です。今日はどうもありがとうございます。
 最初に隅野参考人にお伺いいたしますが、レジュメの一番最初に、今日の日本の政治状況において、日本国憲法九十六条に基づく憲法改正国民投票法等を国会が早急に制定することについては疑問を持っていると書かれておりまして、その後の御発言で、この国民の下の方から出た問題ではないんだというふうにおっしゃいましたけれども、この点についてもう少しちょっと御意見を伺わせていただきたいと思います。
○参考人(隅野隆徳君) 御質問をありがとうございます。
 この点はいろいろ多面的にわたっていると思いますが、確かに一つは、今日九条を中心として憲法改正の動きがあることは存じておるんですが、やはりまだ国民からすれば一部のもの、しかも政府なり与党なり財界なり、あるいは場合によってはアメリカの統治層、そういうところから来ているもので、一般国民から本当に内発的に出ているものでないというところが一番痛感するところです。
 第二に、しかも、先ほども最後の方で述べましたが、九条の関係ではアジア諸国に対する戦後補償問題も未解決であると。そのときに海外での自衛隊派兵あるいは戦争行為というような問題が出てきているところに大きな矛盾を感じておりまして、むしろ今の憲法を全面的に維持していくということが引き続き今日の日本の課題ではないかというふうに思っています。
 そして、三番目には、衆議院の選挙制が一九九四年に小選挙区比例代表並立制になりまして、ここに、特に衆議院の場合、国会議席と民意との乖離がいろんな場面に出てきていると、今度の郵政民営化法案の場合にもその一端は出ているように思います。
 そして、第四には、国政選挙で憲法改正問題が政党や候補者の直接的中心テーマとなっていない、それに対する国民が反応しようがない状況もあるのではないかというふうに思っています。
 以上です。
○吉川春子君 ありがとうございました。
 私も先生の御意見に同調する点が非常に多いのですが、ただ、世論調査、アンケート調査をいたしますと、憲法改正をすべきだという声も結構多いんですね。まあ九条については改正しない方がいいという意見が圧倒的に多いということは承知していますが、一般的に改憲すべしという意見がどうも最近増えてきたなという感じがしますが、その点については先生はどのようにお考えでいらっしゃいますか。
○参考人(隅野隆徳君) この点もいろいろな事項、何を改正すべきかというのがしばしば世論調査で問題になります。
 その一つに、新しい人権、例えばプライバシー権や知る権利、環境権なんかを導入すべきだというふうに言ったり、あるいは議会制、特に地方自治の在り方をもう少し改善すべきであるというふうに言ったりしますが、この辺、憲法研究者としてみると、本当に憲法改正問題に結び付くのかと、むしろ立法事項で処理できる、あるいは裁判でも処理できるという分野がかなり多いわけですが、その辺の教育なり周知徹底、そこが十分なされていない。逆に、そこは政権担当者からすると、イデオロギー的に世論操作で利用できる、プレビシット的に作用し得るという危険性ともなっているのではないかというふうに思います。
○吉川春子君 ありがとうございました。
 只野参考人にお伺いいたします。
 先ほど来の郵政民営化、参議院での否決、続いて解散・総選挙の議論、大変興味深く、また学問的にも、こういうふうに見るのかという点で啓発されました。
 それで、人気投票的なことというのは常に避けられないわけなんですけれども、フランスで、いろいろ二人のナポレオンの問題とか触れられましたけれども、いろんな困難な歴史も経てきているわけですけれども、こういうものをもう制度的に避けるというか、まあ全くは避けられないとしても、その弊害を少なくするというか、そういう点があればお示しいただきたいと思います。
○参考人(只野雅人君) 弊害を防ぐのは、実はやはりなかなか難しいところがあると思うんですね。
 今日、幾つかの点に絞ってお話ししましたように、例えば手続とか運動をどう組織していくかというのは多分重要だろうと思います。ただ、やはり一番重要だと思いますのは、主権者の側がどういう受け止め方をして、どういう判断をするかということなのかなというふうに感じているところもございます。例えば、ドゴールの話ちょっといたしましたけれども、六九年には、ドゴールが信任を懸けて行った国民投票を否決したりしているわけですね。ですから、やはり主権者の側の意識というのが非常にそこでは重要なんだろうと、こんな感じはするわけです。
 それからもう一つは、やはり繰り返すことになりますけれども、最終的にはイエス、ノーという形で表決をすることになりますので、それに先立っての議論なり世論を含んだ討議の在り方をきちんと考える、これも非常に重要だろうと思うんですね。そうなりますと、例えば議会の選挙制度なども含めて本当は考えるべき点が随分たくさんあるのかなというふうに思っております。
○吉川春子君 当調査会で首相公選制が是か非かという議論もかつてされたんですけれども、私これも人気投票制になるような気がして大変危険だなと思って、もちろん改憲に反対ですから首相公選制にも反対なんですけれども、そういう側面があるかなと思って議論に参加したことがあります。
 それで、私は国民投票法案について今やるべきではないという立場なんですが、ここは憲法調査会なので純粋にちょっと解釈論的にお二人の先生に伺いたいんですけれども、発議権ですね、フランスでは首相にも大統領にもあると。改憲の発議権ということが、さっき御説明になりましたけれども、日本は解釈論的に考えるとどうなんでしょうか。
○参考人(隅野隆徳君) この点は先ほど飛ばしてしまいましたが、とりわけ内閣の憲法改正案提出権というところの問題になります。この点には肯定論も否定論もあるんですが、やはり否定説が学説では有力だというふうに言えると思います。
 というのは、内閣で行政の執行者といった場合に、他方で憲法九十九条の憲法尊重擁護義務が掛かっているということで、それにもかかわらず内閣がこの改正案を提出するというと、そこを正に増長していくということで世論操作をし得るというふうに思います。
 他方、内閣が提案することはそれでは一切不可能かというと、御存じのように内閣、閣僚、大臣は国会議員が多くを占めますから、そこで議員提案ということで提出できるわけで、やはりそういう意味で、日本国憲法は国会議員の提案、発議というところが基本に置かれてしかるべきであろうというふうに思っております。
○参考人(只野雅人君) 先ほどもちょっと申し上げたことなんですが、フランスの場合、確かに政府にも発議権があるということですが、しかし、これ憲法に規定があるわけです。
 憲法の規定だけを根拠にすべて議論し尽くすことはできませんが、日本の場合には、国会が、しかも三分の二で発議をするという規定のみをあえて置いているということの意味はやはり重要ではないかと。ですから、国会にのみ発議権があるというふうに解釈することには十分理由があるというふうに考えております。
○吉川春子君 ありがとうございました。
 終わります。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、近藤正道君。
○近藤正道君 社民党・護憲連合の近藤正道でございます。
 隅野参考人、只野参考人、今日は本当にありがとうございました。たくさんの有益な御示唆をいただきまして、感謝を申し上げます。
 最初に、隅野参考人にお尋ねをしたいと思いますが、今ほどもお話がありましたけれども、憲法改正の条件、国民の下からの声がまだ上がってきていないではないか、条件が成就していないんではないかというお話もありましたし、また憲法改正の限界の問題に触れて、国民主権と基本的人権の尊重、これが言わば限界の一つのポイントであるということは定着をしておりますが、もう一つの平和主義、とりわけ九条の一項のみならず二項についても、これが限界に値するという考え方にも十分尊重に値すると、こういうお話がありました。
 こうなりますと、かなり憲法の改正をめぐっての議論はこれから様々な論議を経なければならないんだなと、こういうふうに改めて思ったわけでありますが、いずれにいたしましても、今、九十六条の条文があるにもかかわらず国民投票の制度がないということについて、これは立法の不作為ではないかという指摘がかなりなされております。この立法不作為について隅野参考人はどのような御所見をお持ちなのか、お聞かせをいただきたいと思います。
○参考人(隅野隆徳君) 御質問ありがとうございます。
 確かに、立法不作為論というのが議論されていることは存じております。ただ、立法不作為論というのは、御存じのように、裁判などで問題になっている場合には、人権が侵害されているあるいは人権が十分に行使できない、そういうときにその立法を制定するあるいは改正を阻止するというようなことが問題になってきたわけで、例えば、御存じのように、身体障害者についての在宅投票制を一律廃止してしまったという北海道の例、それに対する訴訟、それからまたハンセン病訴訟での人権、そういうところでは正に人権侵害が、やむにやまれず、それを、国会が立法不作為を是正するということを裁判で求めたわけです。
 しかし、日本国憲法の場合に、九十六条で国民投票法なりあるいは国会法がそれに対応してないということが、本当に国民の憲法改正権あるいは人権保障、国民生活を侵害しているのかというと、決してそうではないだろうと。そこが正に今、下から国民がこの憲法改正を求めているという状況でないということに結び付くのではないかというふうに思います。
 以上です。
○近藤正道君 只野参考人にお尋ねをいたしますが、隅野参考人もそうだったんですが、国民投票制度、レファレンダムの中に、プレビシットというんでしょうかね、この概念が中にあるというか、それとは別に、この概念が非常にやっぱり意味があるんだという話をフランスの経験を交えてお話しになりまして、大変私は示唆に富んだお話をお伺いしました。
 それで、憲法改正の国民投票なんですが、プレビシットにならないようにレファレンダムの原理原則はしっかりと貫徹させなければならない、こういうふうに思っておるんですが、プレビシットにならないようにするために、国民投票制度をこれから考える場合にどこの点を気を付けなければならないのか、少し骨太にお話しいただければ有り難いと思いますが。
○参考人(只野雅人君) そうですね、これは今日お話ししたことをまた繰り返すことになるんですけれども、一つは、やはり投票手続のようなものをきちんとつくるということは非常に重要だろうと思うんですね。
 先ほどちょっとフランスの話をしまして、例えば電波の利用について公平さということが重視されているという話をしましたが、電波が利用され出した当初は必ずしもそうではなかったというようなことがあるわけです。ですから、そういった点含めて、投票の手続の在り方をまずきちんと考えるということは非常に重要かなというふうに思っております。ただ、それ以外の部分につきましては、何がレファレンダムかプレビシットかという仕分が実は非常に難しいことはあるわけです。
 そういたしますと、一つはやはり国会での審議というのが非常に重要だろうと。何が問題なのかということを国会の審議を通じて明らかにしていくということが非常に重要だろうというふうに思いますし、先ほど御質問のときもお答えしましたけれども、国民の側がそれをどう受け止めるか、それが受け止められて、きちんとその国民の意思ができるようなシステムをつくっておくということが重要だろうという話にもなってくるだろうというふうに思っております。なかなか、ちょっと簡単にお答えしにくいところなんですけれども。
○近藤正道君 投票手続をしっかりつくっておくと、こういうことでありますが、先ほど只野参考人の話の中に、フランスの例で国民投票デクレの話がありました。この話は、私常々、国民投票の手続、手法、やり方等については、あらかじめ定めておくやり方と、国民投票の都度同時にセットで決めて、その都度決めていくというやり方と二つあるというふうに思うんです。
 私は、国民投票デクレというのは、その都度やり方を決めるやり方かな、一般的に言われているやり方はそうではなくて、もう一般的に手続を決めておくやり方、この二つのやり方があるんではないかというふうに思うんですが、この国の憲法九十六条は、どちらの方式をより望ましいというふうに解釈的に予定しているのか、それぞれメリット、デメリットはどこにあるのか、教えていただきたいと思いますが。
○参考人(只野雅人君) 制度上はどちらを取ることも多分可能だろうと思うんですね。それなりに議論が深まって、いいものができるということであれば、常設的な投票制度をつくるという選択肢はもちろんあり得ると思います。ただ、投票によって若干問われる中身が違ってくるということになりますと、ある程度柔軟に対応していく必要があるだろうと。そういう点で、その都度手続を定めるということも考え得るのかなという感じはしています。どちらがいいか、なかなか一概には申し上げにくいところはあるんですけれども。
 ただ、さっきちょっと御質問がありましたけれども、常設の投票制度がなければ立法不作為になるという話では確かにないと思うんですね。憲法改正、三分の二の発議が必要ですので、それが可能であれば恐らくその前提として国民投票をつくるということはさほど難しくないというふうに思いますし、フランスでも現にアドホックにやっているところがありますので、一概にどちらとも言えないというところかなというふうに思っておりますけれども。
○近藤正道君 フランスは、国民投票デクレということで、その都度手続、方式を決めてやっているようでありますが、そうすると、フランスのようなところでは国民投票制度を決めなくても立法不作為などという問題はそもそも起こらぬわけですか。
○参考人(只野雅人君) 私は特に問題ないというふうに思っております。ただ、もちろん国民投票の積み重ねがありますので、手続をその都度つくることにそれほど大きな困難はないということはあるのかもしれません。
○近藤正道君 終わります。
○会長(関谷勝嗣君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言申し上げます。
 参考人の方々には大変貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後二時四十四分散会

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