第163回国会 参議院憲法調査会 第4号


平成十七年十月二十六日(水曜日)
   午後零時四十分開会
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         関谷 勝嗣君
    幹 事
                荒井 正吾君
                武見 敬三君
                舛添 要一君
                若林 正俊君
                高嶋 良充君
            ツルネン マルテイ君
                簗瀬  進君
                山下 栄一君
    委 員
                秋元  司君
                浅野 勝人君
                岡田 直樹君
                柏村 武昭君
               北川イッセイ君
                国井 正幸君
                佐藤 泰三君
                櫻井  新君
                藤野 公孝君
                松村 龍二君
                三浦 一水君
                山下 英利君
                山本 順三君
                犬塚 直史君
                江田 五月君
                佐藤 道夫君
                鈴木  寛君
                内藤 正光君
                広田  一君
                福山 哲郎君
                藤末 健三君
                藤本 祐司君
                前川 清成君
                松岡  徹君
                水岡 俊一君
                山本 孝史君
                魚住裕一郎君
                白浜 一良君
                浜田 昌良君
                山口那津男君
                仁比 聡平君
                吉川 春子君
                近藤 正道君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       桐山 正敏君
   参考人
       朝日新聞外報部
       長        大野 博人君
       読売新聞東京本
       社国際部次長   土生 修一君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (EUにおける国民投票制度について)
    ─────────────
○会長(関谷勝嗣君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、「EUにおける国民投票制度について」、朝日新聞外報部長大野博人参考人及び読売新聞東京本社国際部次長土生修一参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。
 忌憚のない御意見を賜り、今後の調査に生かしてまいりたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、大野参考人、土生参考人の順にお一人三十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず大野参考人にお願いいたします。大野参考人。
○参考人(大野博人君) こんにちは。ただいま御紹介いただきました朝日新聞の外報部の大野です。よろしくお願いいたします。今日はお招きいただきましてありがとうございます。
 私は、パリに合計で七年ほど駐在いたしまして、主にフランスやEUについての記事を書いてまいりました。ただ、特に学識があるわけではありませんので、したがって、今日は現場で見たことあるいは感じたことに基づいたお話をさせていただきたいというふうに考えております。
 まず、EU憲法と国民投票というのがテーマですので、まずEU関連の国民投票について、ある混乱といいますか、私自身も取材したどたばた劇といいますか、の話から始めたいと思います。
 これの舞台はアイルランドでありまして、およそ四年前の二〇〇一年の六月、アイルランドで国民投票、レフェレンダムがありました。このときにレフェレンダムで問われたのは、欧州連合、EUのニース条約という条約の批准に賛成するか反対するかということだったわけですが、このニース条約といいますのは、EUの基本的な制度にかかわる条約でして、当時EUは東ヨーロッパの国々から十か国がもうすぐ入ってくると、こういう段階でありました。こうした国が入ってくると、加盟国はそのときの十五か国から一挙に二十五か国に増えると、こういうときでした。
 こうした国が入ってきますと、EUとして政策などを決める際に、それまでのどちらかというとコンセンサスを大事にしているようなやり方では参加国が多いだけにもたもたして何も決められないということになってきますので、そういう懸念がありましたので、意思決定の仕組みをより効果的で実質的なものに改善する必要に迫られていました。その改革を盛り込んだのがニース条約なわけです。
 南フランスのニースであった首脳会議で合意できたのでニース条約というふうに言うんですが、このときの首脳会議は専ら、非常に、私も取材していたんですが、深夜まで議論がもつれ込みまして行方が定まらずに、私自身、夜通し書いた原稿を何度も書き直すという経験をしたことを覚えております。
 それでも、とにかくその首脳会議では、いろいろな妥協の末に合意にこぎ着けて、一応ニース条約ができました。
 そのニース条約を実際にEU全体の有効な決まりにするには、各国が批准を終えなければならないわけです。当時の加盟十五か国がすべて批准しないといけないわけですが、このうちアイルランドを除く十四か国は議会で批准をすればよかったと。それは、もちろんその予想どおり順調に批准を十四か国は終えたわけです。これは当然でして、その各国の首脳はそれぞれの国に帰れば大抵は議会に与党勢力を擁しているわけでして、議会に諮って失敗することというのは余りないわけです。ところが、アイルランドだけは憲法上国民投票が必要でした。これが話を非常にややこしくしてしまったわけです。というのは、その国民投票の結果がノーというふうに出てしまったからであります。
 先ほど申しましたように、そのニース条約には、EUの拡大に備えた制度改革が盛り込まれていますが、全加盟国が批准しなければ条約は発効いたしません。このままではアイルランド一国がEU拡大の足を引っ張ると、こういう事態になってしまいました。
 アイルランド政府やEUはとても焦ったわけですが、どうしたかといいますと、何と、同じ内容の国民投票を一年余り後の二〇〇二年の十月にもう一度やり直したわけです。質問は一回目と全く同じ、ニース条約批准に賛成か反対かと、こういうことだったわけですね。それでも、不思議なことに、二回目は一回目と違ってイエスが上回ったわけです。アイルランドはめでたくニース条約を批准できたわけですが、一回目のノーで危機感を募らせた政府とかあるいはアイルランドの財界が大々的な批准キャンペーンをしたことが功を奏したというふうに言われています。
 アイルランドの場合、一回目、ノーと出た一回目の国民投票の実施に特に問題があったわけではありません。投票率はかなり低かったんですが、大掛かりな不正があったわけでもありませんし、投票結果は法的に有効なわけです。この問題について民意はちゃんと示されたと言えるわけなんです。
 じゃ、どうして同じ内容の国民投票を一年余り後にもう一度やったんでしょうか。もちろんこれは、一回目の結果がアイルランド政府やEUの期待に反していたからなわけですね。でもこれは、よく考えると非常に変な話でありまして、これについて二回目にダブリンで取材をしたときに聞いた、批准に反対する人たちのリーダーのような人がいたんですが、この人は非常に怒っていまして、こういうふうに言っていました。我々国民はできの悪い学生か、これではまるで点数の足りなかった学生、赤点を取った学生に追試をしているみたいじゃないかと、こういうふうに怒ったわけですね。国民は、要するに、正しい答えを出すまで何回もやり直しをさせられているというわけですね。
 私、個人的には、批准に反対した人たちの主張、批准反対の理由というのはやや無理があるところもあったんじゃないかという気はするんですが、どっちにしても民意は民意でして、いったん民意が示されるとそれに従うのが民主的な政府の基本的な姿勢でなければならないわけですが、この反対派の幹部は、政府やEUが先に結論、この場合ニース条約の批准ということですが、を決めていて、国民がそれに従わなければならないとすれば、国民投票なんというのはただのゴム印にすぎないと、こういうふうに嘆いていました。確かに、それはそのとおりとしか言いようがないところもあるわけであります。
 実は、アイルランドでも、もし議会で批准の是非を決めていれば、一回目のときから百六十二対四くらいの圧倒的な差で難なく批准が承認されただろうというふうに言われていたんですね。逆に、議会で批准したほかの国、十四か国でも、もし国民投票をしていればゴーサインが出たかどうか非常に怪しいというふうに言われていました。
 さて、今年、フランスとオランダで、御承知のように国民投票でEU憲法についてノンという答えが出たわけですね。
 このEU憲法というのは、今お話ししましたアイルランドでもめたニース条約の言わば後継に当たる条約なんですけれども、苦労して発効させたニース条約ですけれども、それでも大世帯となったEUの統合を進めるのはまだまだ難しいということで、もっとEUを進歩させるために考え出されたのがEU憲法なわけですね。ところが、そのEU憲法でも、また国民投票でストップが掛けられた。これもニース条約と同様、議会で批准の承認ができる国の幾つかは既にゴーサインを出しています。ところが、フランスとオランダは国民投票だった。議会はいいというのに国民は嫌だという、このまた同じ構造が繰り返されたわけです。EUについては、どうも国民とその国民が選んだはずの議員たちの間で大きな溝があると言わざるを得ないように思います。
 国民投票は代表民主制を補完して民意を政治に反映する仕組みだというふうに言われるわけですが、市民が選ぶ議員で構成される議会と市民自身が示す声とは必ずしもぴったり重なるわけではないと思うんですね。これほどまで懸け離れてしまうことをどう考えればいいんだろうかと。
 何でそんなこと起きるのか、それを考える前に、まず、何でこんな苦労をしてまでEUはニース条約だの憲法だのを作ろうとしているのかを考えてみたいと思います。
 それにはまず、そもそもEU憲法とは何か考えなければいけません。憲法と呼ばれますが、先ほど申し上げたように、これはEU加盟国間の条約です。EUの諸制度を定めるべく幾つも作られた条約を発展的にまとめたものと言ってもいいかもしれません。ですから、日本国憲法というような意味での一つの国の憲法とは少々異なるわけですが、それにEU憲法が発効しても加盟各国がそれぞれの憲法を廃棄するわけではありません。
 ただ、それでも憲法と呼ぼうとするだけのかなり踏み込んだ内容を備えたものであることもまた事実でして、普通の国の場合とちょっと意味は違ってきちゃうわけですが、プレジデントとかあるいは外務大臣というようなポストを設置することにもしたりしています。いずれにしても、二十五か国に及ぶ国があえて憲法と呼んではばからないような条約を共有しようというのは、考えようによっては途方もないことだと言ってもいいかもしれません。アジアではちょっと考えられないような事態です。
 では、なぜそんな途方もないものをEUは共有しようとしているのかと。EUというと、日本では経済圏とか市場という色合いが、イメージが強いように思うんですが、市場を今一緒にしたわけですし、それから、まだすべての国が参加しているわけではないにしても、通貨も同じにしている。しかしながら、今EUが大きな力を注いでいるのは、実は政治統合の方だというふうに思います。
 政治統合は何かといいますと、欧州が市場として、経済圏として一体になるというだけでなく、共同体としても一体になろうとしているということを表していると言っていいんじゃないかと思います。この場合、市場が経済を可能にする空間だというふうに考えられるとすれば、共同体というのは政治、あるいは更に言えば民主主義を可能にする空間だというふうに考えてもいいんじゃないかと思います。
 経済統合、市場統合だけでも結構なことなのに、どうしてEUは更にその先を目指すのか。例えば、単一通貨ユーロの導入なんですが、手に取って見ることができるのは、二〇〇二年の正月から導入されたわけです。これは、お金を統一してビジネスや何かが便利になったというだけでは済まない大きな意味を持っています。これができたことは加盟国が通貨主権を放棄することでもありますし、通貨主権を放棄すればそれだけでは済まない効果がまたあります。
 つまり、ユーロが安定した通貨であるためには、各国が放漫財政に陥らないように一定の規律を守らなければいけないわけですが、そのために財政安定協定という約束が各国の財政に縛りを掛けるようになります。そうすると、各国政府は自分の都合だけで予算を組めなくなってしまいます。そこに縛りが掛かれば、お金の掛かる政策すべてが大きな影響を受けるわけですね。各国がそんな具合になるとすれば、各国に代わって全体を調整する役割をEUが担わなければいけない。
 それに、ユーロだけではなくて、EUは様々な分野でいろんな政策を打ち出して、それを加盟国政府や市民が従わなければいけない規則ですとかあるいは指令の形で出しているわけですが、それによって各国でどういうことが起きているかといいますと、例えばフランスではEUの規則や指令に合わせるために作られる国内法が最近の法律の六、七割に上るという推計もあります。つまり、EUは既に市民が住んでいるその国以上にそこでの市民生活にかなり深く関与していると、こういう実態があるわけです。その一方で、当然ながら、その動きと並行して加盟各国の国の政治、国政ですね、これの影が次第に薄くなりつつある。EUに権限が移れば移るほど各加盟国の権限は小さくなるというのは必然的な現象とも言えるわけですが、そういうことが起きている。
 となると、欧州レベルでの政治的な意思決定の仕組みはますます効果的で民主的でなければいけないということになるわけです。ところが、EUには民主的な意思決定システムが必ずしもちゃんと整備されているわけではない。確かに、EU加盟国は民主的な国ばかりなんですが、EU自体は直接欧州市民の民意を反映するチャンネルを十分備えているとは今のところ言い難いわけですね。大づかみに言うと、各国政府は民主的だけれどもEU自体はそうでもなくて、市民が直接コントロールをしているというふうにはなかなかいかないと。ですから、市民が幾ら選挙のたびに、国政選挙のたびに意思を表示しても、それが政策に跳ね返ってこない、こういうことが起きるわけですね。
 となると、EUは民主的な仕組みをもっと整備することが急務になってきます。そこで考え出されたのがニース条約であったり、さらに今注目されているEU憲法であったりするわけですね。
 EUにもそれなりに民主的な仕組みがないわけではありませんで、例えば欧州議会というものがあります。欧州市民が直接選挙で選ぶ七百三十二人の議員で構成されているわけですが、ただ、権限を、これも拡大しつつあるんですが、まだちゃんとした立法権があるというふうには言い切れませんし、それから最高の意思決定機関というふうには言えないわけです。
 一番の意思決定機関は、じゃ、どこだろうかというと、それは加盟各国の首脳と欧州委員会委員長で構成する欧州理事会、EUサミットですとか、あるいは加盟各国の閣僚で構成する閣僚理事会ということになります。しかし、各国の代表から成る機関ではあるんですが、そのメンバーはEUの為政者として公選を経てそのポストに就いているわけではないわけです。つまり、欧州市民がEUのために直接選んだ人ではなくて、各国政府から来た代表の集まりがより大きな権限を持っているというふうに言えると思います。
 これはフランスなんかでこのことについて次のような比喩がよく使われるんですが、つまり、二院制の一般的なイメージをモデルにちょっと考えてみようと思うんですが、下院議員というのは市民一人一人が同じ重みを持った一票を投じて選ぶのに対して、上院というのは、人口のばらつきがあっても州ですとか県ですとかといった各地方平等な権利を認めて、同じ数ずつ選ばれた議員から構成されると。下院が市民一人一人の平等の権利を基礎にして議員を選んでいるのに対して、上院というのは市民一人一人ではなくて、各地方という集団一つ一つの平等を基礎にして構成されていると、こういうふうに一般的なイメージでいうとなると思うんですが、こうした二院制の場合、市民一人一人の権利の平等を基礎にした下院の方により強い権限が与えられているんですが。
 ところが、このイメージからすると、EUではこうした構図が逆転しているというふうに言えるわけです。つまり、市民一人一人が直接選んだ議員で構成される欧州議会ではなくて、各国の代表が集まって話し合う欧州理事会や閣僚理事会の方が強い権限を持っていると、こういうことになっておるわけですね。ここにその民意が反映されにくい問題点の一つがあります。
 各国首脳や閣僚の話合いでは、民意を反映するというより各国の利害をめぐる綱引きに終始しがちなんですが、各国の政治家やそのエリートたちの駆け引き、妥協などが積み重なっていきますと、欧州市民が本当に望んでいることと懸け離れた結果になることが少なくありません。一般の市民感情がどこかに置き忘れになってしまうということになるわけです。
 その結果何が起きるかといいますと、もちろん市民はそれに対して批判を加えることができないので不満がたまると。その結果、ニース条約をめぐるアイルランドでの国民投票ですとか、EU憲法批准のためのフランスやオランダの国民投票で反発が表現されるということになるわけですね。
 ブリュッセル、EUの中心であるブリュッセルに集まる各国の政治家や官僚といったエリートが民意の批判を視野に入れないまま様々な政策を打ち出してしまうと。その内容が理にかなっている場合も少なくはないわけですが、しかし一般市民にすれば蚊帳の外に置かれたまま物事が決められるということになってしまう。つまり、EUレベルの政策はしばしば民意を置き去りにしたまま進められてしまうと。気が付くと民意と大きく懸け離れている、で、いら立ちが市民の側には募る、こういうことになるわけですね。たまに国民投票なんという直接民意を問う機会があると、その不満が一気に噴き出してあっさりと否定されると。
 こういう状態をヨーロッパでは民主主義の赤字というふうに呼びます。民意を適切に政策に反映するべきチャンネルが詰まっている状態と言っていいかと思うんですが、民意が適切な政策になって跳ね返ってこない、そのまま言ってみれば不良債権化してしまう、こういう状態と言ってもいいかと思います。民意が適切な政策にならないということはどの国でもあることではあるんですが、しかし、EUというのは民主的なシステムを整えなければいけない、仕組みを整えなければいけないということを非常に意識しておりますので、この民主主義の赤字というものに対する問題意識が非常に鋭いというふうに言っていいんではないかと思います。
 では、この民主主義の赤字を解消するのに、欧州議会ですね、これを普通の下院のように権限を強化してはどうかと。だけれども、話はそれほど簡単ではない。どうしてかといいますと、これにはヨーロッパ人というアイデンティティーとかあるいは帰属意識というべきものがまだヨーロッパでは実際は希薄だということが大きな問題として立ちはだかっているわけです。
 どういうことかといいますと、これについては、フランスの左派の政治家で欧州統合に批判的、左派ですが批判的で、左のナショナリストなんて呼ばれている元内相のジャンピエール・シュベヌマンという人がインタビューしたときに説明してくれたんですが、こういうことなわけですね。
 民主主義が機能するためには、多数決というシステムを導入しただけでは駄目だと。多数決で物事を決めたときに、負けた側、つまり少数派が多数派の意見を受け入れることができなければならないと。ところが、帰属意識を共有しない人たちの間ではこれができない、こういうふうに言うわけですね。
 例えば、欧州議会である政策の賛否がそれぞれの議員の政治的な考えというより国籍によって割れた場合、多数決は効果的でしょうか。恐らく、負けた議員の出身国はその決定に従うのを嫌がるんじゃないかと思われるわけですね。これが、例えばナショナリズムのような帰属意識を共有する人たちの間ではそうした事態は起こりにくい。
 というのは、普通の民主主義国では、有権者は、自分が投票しなかった政党が選挙に勝って政権を取っても、それを自国の政府というふうにみなします。反対した者も、自分は反対だったけれども、私たち国民みんなで決めたことだから仕方がないというふうに考えます。例えば、日本でこの間も総選挙があったわけですが、自民党が勝った。このときに、自民党の主張に反対でほかの政党に投票した人でも、選挙の結果を受け入れないということは考えられない。同じ日本人同士で選挙をして決めたのだから、自分の思いどおりにいかなくても仕方がないというふうに当然なるわけですね。これは当たり前のようなことに見えますが、これが帰属意識を共有しない人たちの間で選挙をするとどういうことになるかといいますと、結果をみんなが受け入れるということがなかなか難しい。
 例えば、たまたまイラクで国民投票で憲法案が承認されたわけですが、イラク人という帰属意識より、例えばクルド人だとかシーア派だとかスンニ派だとかいうそういう帰属意識、アイデンティティーの方が強いとすれば、負けたときに選挙結果を受け入れられるかどうか、これはなかなか難問だと思います。それで、受け入れなくて従わないばかりか、例えば結果を受け入れない、受け入れたくないというグループがテロですとかゲリラを始めれば、民主主義は崩壊してしまうわけですね。
 言い換えると、民主主義がきちんと機能するには人々が同じ社会に属する仲間だという帰属意識を共有することが必要なんですが、近代社会ではそれはナショナリズムという感情だったりもするわけですが、私たちという感じ、私たちみんなという感じの共有があるかどうか、これが非常に重要なわけですね。
 しかしながら、ヨーロッパ人というのはそういう私たちという帰属意識になっているか、あるいは、今はまだにしても、そういうのになり得るのかという問題があるわけですが、シュベヌマン氏は、そういう意識がないことはないにしても、ドイツ人やフランス人というアイデンティティーのように強くなるにはまだまだ相当の時間が掛かると、そういうアイデンティティーがない間は民主主義は恐らく機能しないというのが彼の意見ではあるわけですね。だから、民主主義というのは依然として国民国家という枠組みの中でしか機能しないだろうというのが彼の主張です。
 それはそれなりに説得的なんですが、さはさりながら、さっき申し上げましたように、EUというのはもう市場や通貨が一緒になってきてしまっている、今更政治統合を進めないわけにはいかないということになっているわけです。言わば車の両輪でして、経済だけだと前に進めないような状態になっている。じゃ、近代的な民主主義国家が前提としていた国民とかネーションとかあるいはナショナリズムのような帰属意識が薄いところでどうやって民主主義を成立させればいいか、これが欧州の直面しているジレンマだというふうに考えていいかと思います。国民国家モデルの民主主義が基本にしている国民という帰属意識を共有する社会集団はない、だけど民主主義をやらなきゃいけない。ですから、欧州議会を普通の国の下院のようにして済むほど話は簡単にはいかないわけですね。
 どうするかといいますと、確かに下院の権限を今より強化するべきではあるでしょうし、実際に物事は少しずつそういうふうに進んではいるんですが、しかしそれを待っていては必要な改革が進まない。とすれば、欧州理事会とか閣僚理事会での意思決定の仕組みに改革するより仕方がない。そこで、何とか民主主義を確立しようと思うと、EUは同時に二種類の平等を実現しなければいけないということになります。一つは市民一人一人の平等、もう一つは各国の平等。
 EUに対して欧州市民は、個人として、それぞれ個人として私に平等の権利が与えられているかどうかというふうに問うわけですが、それと同時に、ドイツ人としての私たち、フランス人としての私たち、あるいはルクセンブルク人としての私たちに平等の権利が与えられているかというふうな問い掛けもするわけです。つまり、私にとっての平等と私たちにとっての平等と、この二つを両方満足させないといけない。これは結構難題なわけですね。
 もし各国の平等だけを考えるとすると、人口が多くても少なくても一票ですね。これを市民一人一人の権利という視点から見ると、例えば人口の多いドイツ市民一人が持つ一票の重みというのは、人口が一番少ないマルタ市民に比べて二百六分の一しかなくなってしまう。大国にとっては魅力がないわけでして、結局物事は政府間の交渉で決めることになってしまう。だとすると同じことでして、各国政府は国益調整に終始して、市民生活に密着する問題を遅れなく解決するのはなかなか難しくなる。アメリカと張り合えるような極を形成するのも難しいと。逆に、一人一票の重みの平等というのを厳格に実現すると、各国市民の国籍という点から見ると、人口四十万人のマルタというのは、人口八千二百五十三万人のドイツの前ではもうほとんど無に等しいわけですね。
 この問題を調整するためにEUで採用されてきたのが持ち票方式といいまして、閣僚理事会で何かを決めるときに人口の多い国の持ち票を増やすという方式です。加重特定多数決制とも呼ばれているんですけれども、今使っているニース条約だと、全体で三百二十一票として、ドイツとかフランス、イギリスなど大きな国は二十九票、小さいルクセンブルクなんか四票というふうに配分して、可決に必要なのは二百三十二票というふうに決めています。
 しかし、これでも市民の平等という目から見るとかなりアンバランスで、人口でドイツはマルタの二百六倍ですけれども、持ち票は十倍弱にしかならないわけですね。そもそも持ち票の配分というのは論理的な意味があるわけではないので、単に各国の駆け引きの結果です。で、それじゃというんで、憲法草案にはこんな方式が盛り込まれています。
 つまり、欧州理事会、主に閣僚理事会で、閣僚理事会の多数決の際の持ち票は一国一票とします。ただ、可決するには、そこで五五%の国が賛成するだけでなくて、賛成国の人口の合計がEU全体の六五%を超えなければならないという方式なんですね。今のニース条約でも似たような思想が盛り込まれているんですが、EU憲法でさらに二つの平等に何とか折り合いを付けようという感が一層はっきりと打ち出されたというふうに思います。
 ただ、憲法草案に盛り込まれた方式でも、二つの平等がちゃんと解決しているかというと必ずしもそうではなくて、どうしてかといいますと、この方式ですと、各国国民は丸ごと閣僚理事会に出る自分の閣僚の意見というものの賛同者というふうにみなされるわけでして、フランス人ならフランスの閣僚、ギリシャ人ならギリシャの閣僚と同じ意見を持っているというふうにみなされるわけです。つまり、一つの意見に塗りつぶされた固まりとしてしか市民は出てこないと。一人一人の平等に配慮しているようでいて、個人の意見の違いという肝心の点が置き去りになっているわけですね。ですから、まだEUの民主主義というのは完成から遠いわけですが、依然として、ですから建設中というふうに言えるのではないかと思います。
 ただ、いずれにしてもEUが目指しているのは、その政治的な目的というのは、国民というその帰属意識を土台にした民主主義を備えた近代的な国民国家、それを超えてなお民主的な共同体を築こうと、こういうところにあるんだと思います。これは地球上まだどこにも存在したことのないような前衛的な試みだと言っていいんじゃないかと思います。
 それで、最後に、以上に見てきたことを簡単にまとめますとこうなります。
 つまり、EUは民主的な制度が未整備で、そのために民意が政策に反映しにくい。民主主義の赤字が増大していると。だから、たまに国民投票があると、そこでEUへの反発が噴き出す。民主主義の赤字を少しでも解消し、より民主的な効果的な組織にするための憲法を作ろうとしているんだけれども、ところがこの試みもまた市民がEUへの不満をぶつける標的になりやすいと。こういう非常に厄介なジレンマの中にEUはあるんじゃないかというふうに思います。
 それでも、例えば国民投票で、今後に難題を抱えることになったフランスとオランダなんですけれども、フランスではEU憲法の批准の是非を国民投票にかけずに議会で承認してしまうという選択肢もあったわけです。また、オランダでも議会で承認してもよかったわけです。そればかりか、オランダの場合は国民投票には法的な拘束力がありません。しかし、あえて国民投票をやってその結果を尊重するという方針で臨んだわけですね。アイルランドの経験に照らすまでもなく、例えばフランス政府も既に国民投票で冷やりとさせられた経験を持っていて、一九九二年、通貨統合、ユーロの導入に伴う条約で、国民投票は賛成が五一%で反対が四九%という非常に際どい結果だったわけです。
 政治家にとって、あるいは国の指導者にとって国民投票というのはある意味でかなり厄介な制度というふうに言えるかもしれない。欧州の指導者はそれを非常によく分かっています。にもかかわらず実施する国があると。議会で承認しても構わないのに、また議会で承認すれば予想外の問題を抱えるリスクもないのに、あえて国民投票で是非を問う。そこにはもちろん政治的な計算もあるわけですが、しかしEUという全く新しい共同体の民主主義に正統性を付与するにはできる限り直接市民に問うべきであろうと、こういう判断ですとか覚悟があるように私は感じました。
 以上で私の報告を、時間も来ましたので終わらせていただきたいと思います。
 どうもありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 次に、土生参考人にお願いいたします。土生参考人。
○参考人(土生修一君) 読売新聞国際部の土生と申します。よろしくお願いします。
 私、先月初めに四年四か月のロンドンの勤務を終えて戻ってまいりました。九〇年代の真ん中にローマに三年少しおりましたので、都合七年半ほどヨーロッパ大陸とイギリスにおりました。
 それで、今日のテーマのEU憲法なんですが、今年の五月のパリの投票結果が発表されたときには、その前後パリにおりました。びっくりしたのは、テレビをつけると毎日討論会をやっていて、賛成派と反対派がパンフレットを持ってちょうちょうはっしやっていると。町へ出るとウイとノンのポスターがべたべた張ってあって、結果が決まった日、たしかバスチーユ広場でしたかね、若い人たちが、恐らくいわゆる左の人たちだと思うんですが、もう大騒ぎをしていると。
 要するに、長い間ヨーロッパでEUの取材をしていますと、取材の現場というのがほとんど会議場、年に四回EUの首脳会議というのがあるんですが、大体そこで物が決まる。僕ら取材する側も、昔はまだ場所が転々としていたんですが、今はもうブリュッセルであって、ブリュッセルのEU本部の地下で何かパンをかじりながら取材をするのが大体普通のEU取材というふうになっているんですが、これだけ普通の人たちがEUの問題で熱狂しているというところを少なくとも私は初めて見ました。
 やっぱりこれは、憲法そのものに対する関心というよりも、これまで自分たちがよく分からないままに、例えばイギリス人、イギリスは別ですね、ドイツ人とイタリア人がもう財布を開ければ同じお金を使っているわけですよね。それだけ変化が起きたのに、それが何か、その変化を自分たちがつくった手ごたえがないまま来ていると。そういう長年のやっぱり一種の不満が背景に一つあったような気がします。その不満を爆発させる装置になったのが国民投票ということは言えると思います。
 いかに関心が低いかという例で、先ほど大野さんが、二〇〇二年十月のニース条約の国民投票、つまり同じ問題で一年前にノーだったものが一年たったらイエスになったあの選挙なんですが、私もそのときダブリンに行っていて、終わった後にプレスルームにいると、地元のアイルランドタイムズだか何か、地元の新聞記者が来て、何人だと。日本人だと言うと、日本人が何でこういう問題に関心があるんだと聞くので、ロンドンに駐在していて、EUも日本にとっては関心があるんだというふうに言いました。じゃ、ニース条約についてどう思うかというふうに聞かれて、こっちもよくちゃんと読んでいなかったので、あなた方、当事者の国民自体がよく知らないものを私もよく分からないと、そう答えたら、次の日の新聞を見て、見出しを見てびっくりしたんですが、有権者の無知に、たしか、驚き、外国人記者語るみたいな形で載っていて、いや、そういうつもりで言ったわけじゃないんですが、つまり、やっぱりそこにいる人たち、そこにいる新聞記者も、どうも分かっていないまま投票しているんじゃないかというような気が聞く側にあったので、私の答えがそういう形で新聞に載っていると。
 今年の二月、スペインで国民投票があって、これはイエスだったんですが、この直前の世論調査は五人中四人が見たことないと、読んだことないと。これはどうやってそれでイエス、ノーが分かるのかよく分からないんですが、それから比べると、フランスはもちろんそういう経験があったので、大量のパンフレットを作ってこういうことですよというふうに周知徹底させました。
 今度は関心が高いから、じゃ理解されたかということになると、これはちょっとクエスチョンマークで、つまり、何で反対したかという理由の一番たしかフランスで多かったのは、つまり仕事がなくなるということですね。あのときたしかはやっていたのは、工場を移転、それからポーランドの水道工というか配管工でしたかね、というのが一種の流行語になっていて、どういうことかというと、つまりEUが憲法の結果、統合が進むと、東欧の、東ヨーロッパの人たちの労賃が安いのでフランスにある工場がみんなあっちに行ってしまうと。そうすると、今フランスで働いている人たちは職を失う、その代わりに今度はポーランドに代表される東にいる安い労働力の人たちが一斉にパリにやってきて、今度は単に工場がなくなるだけではなくて、そういう仕事を今度は奪ってしまうと、ゆえに反対だと、こういうのが一番反対の理由で多かったんです。
 ところが、このEU憲法というのはこれまでの条約の集大成で、今までゼロだったものをEU憲法作ったわけではなくて、今まであった基本条約の上に、つまりプラス付けて出したんです。職がなくなるという、いわゆる市場を自由化して人と物を交流させるというのは、もう九二年のマーストリヒト条約のときに条約の中に入っているわけです。つまり、雇用不安を抱える人たちが今回の憲法にノーを言っても、その雇用が、労働力が動いていくという流れはもう既に決まったことなので、この憲法にノーを言えばそれが止まるかというと、それとはちょっと別の問題なような気がします。
 じゃ、この憲法の中で一番重要だった、一番問題になったのはどこかというと、先ほど大野さんもおっしゃいましたように、持ち票というのが決まっていて、要するに理事会で決定をするときにそれぞれの国が何票持っているかというところが一番ポイントで、ニース条約、一つ前の基本条約ですけれども、このときにポーランドとスペインに少しおまけをして票を上げたんですね。で、これでちょっと決まらなくなるので、この票を少しEU憲法で下げてあります。当然、スペインとポーランドからすれば自分たちの意見が通りにくくなるわけですから、これに反対します。
 だから、元々このEU憲法をなぜ作ったかというと、十五が二十五になって多数決、要するにそれまでの原則が全会一致だった、全会一致ではとても決まらないので、その多数決をやる分野を広げて、なおかつ決めやすいようにしましょうと、こういうことです。ただし、それをやると今までの発言力が増える国と減る国がある。減る国が反対する、ここが一番もめたところで、作る側として。
 二〇〇三年でしたかね、十二月の首脳会談でちょうどイタリアが議長国で、そのときにひょっとしたらEU憲法決まるかなというときに、ポーランドがもちろん大反対したんです。そのとき、たしか一週間前にポーランドの首相がヘリコプターの事故か何かで大けがしたんですが、ここで黙っていると通されてしまうというんで、たしか車いすに乗ったままブリュッセルに来て、それで絶対反対だといって、そのときはたしか合意ができないまま流れてしまいました。それほど作る人たちの大きな関心はどうして決定するかというところだったんですが、実際にかけてみると、そこは余り争点にならなくて、もう既に決まっている中身についての不満だったわけです。
 だから、よく言われるのは、ゆえに、今回のノー、ノンというのは、憲法それ自体ではなくて、これまでEUが歩んできた統合そのものに関して不安がある、このまま行くんじゃないかと、そういう形でのノーであったということをまず押さえていただきたいというのが現地にいた感想です。
 それで、これはちょっと話が外れるようなあれなんですが、まあ一種の名称問題というそのことですが、そういう意味では、今回の憲法も、別に憲法という名前を付けなくて、条約で早い話がよかったわけです。
 じゃ、なぜ憲法という名前を付けたかというと、それは、やっぱり二十一世紀になって、元々このEUというのがフランスとドイツをもう二度とけんかさせないということで始まったのが一つの大きな目的で、それはもうほぼ達成したと。経済統合という理由からももうユーロができたと。だから、ある程度所期のEU統合の目的が達成されて、じゃ次は何かと。これも先ほど大野さん御指摘のように、これから先は政治統合に向かうと。そのためには、単に新しい条約ですと、議事進行のための新しい条約を作りましょうというだけではなくて、憲法という名前にして一つの意思といいますか、これから政治統合に向かうという欧州全体の決意表明のような象徴的な意味を込めて憲法と付けた。もちろん、これはドイツが主張して、イギリスはかなり抵抗していましたけど、それで憲法という名前を付けたと。
 これも、もし条約という名前であのまま行っていればそのまま決まったかもしれません。だから、それだけやっぱり憲法という名前に重みを置いて付けたんですが、逆に、これが選ぶ側からすると、中身は条約なんですが、包み紙が憲法という包み紙になっているので、恐らく実態以上に何か大きなものが決まっていくというイメージが一つあったような気がします。
 これは、EU憲法というのはコンスティチューショナルトリーティーで、あくまでも日本語で言うと憲法的条約で、もう条約なわけですから、いわゆる僕らが思う憲法、憲法というのは国を前提にして統治機構等々を規制する法ですが、EUにはそんな単一の国民も、いわゆる従来の意味での国民も領土もないわけですから、そういう意味では厳密に言うと憲法じゃないわけですが、そういう一種の象徴的な意味での憲法という名前を付けた。それが逆に裏目に出て、何か実態以上なイメージをみんなで与えてしまったというところが一つの今回のノーの裏側にあるような気がします。
 ついでに言うと、なかなかEUというのは複雑なんで、僕ら日本のメディアも報道するのに苦労するんですが、用語でEU大統領と、EU憲法ができると今度は欧州大統領というのができるんだということで、これは割に分かりやすいので、テレビ、新聞などによくEU大統領などを内容とするEU憲法がという書き方がされていますけど、このEU大統領というのは何だろうと思ってよく見ると、これはプレジデント、欧州理事会の議長のことなんです。つまり、欧州理事会というのは今の首脳会議、これは半年ごとにぐるぐる回って、今はイギリスのブレアがやっていますけど、要するに、今までは首脳会議のホスト国の首脳が半年間議長を務めて、また次というふうに輪番制で回っていくものを、それをやめて、首脳会議で議長を選んで、その議長は二年半ずっとそこにいると。権限自体はほとんど変わりません。
 つまり、任期を二年半に、五倍に延ばして首脳会議が選出するということで、別に今まで全くなかったのがEU大統領というふうになったわけじゃなくて、英語的には両方ともプレジデントなので、このことについては、日本の新聞見ると、大統領が新設されると、いや、これは本当に欧州合衆国ができるのかなというイメージがありますが、このこと自体は、先ほどの争点からいくと現地ではほとんど争点になっていません。だから、そういうことはやっぱり、まあこれは僕らのあれですが、翻訳ということが日本の側で読むときに現地と違うイメージができてくる一つのあれだと思います。
 ちょっと手前みそですが、読売は議長とまだ孤軍奮闘で使っているんですが、これも将来、これは分かりにくいと、何度も、僕らも向こうで書いていて、東京本社から、いや、これは大統領の方が分かりやすいと言われたんですが、でも、確かに分かりやすいんですが、そして将来確かにそれが大統領的な権限を、つまり同じ人が二年半やる、再選も可能で五年やる、五年やると今半年ですから二倍の十倍ですか、十倍延びるわけですから、そうすると、当然、今紙の上の権限が同じでも、だんだんその人が力を持ってくる可能性もあります。だから、将来的には大統領的なものに変化するかもしれませんけれども、現時点ではあくまでも議長であるという認識の方が実態に近いような私は気がしています。
 次に、この名称から離れて内容なんですが、この内容というのも、このEU憲法がなぜ否決されたかというときによく言われるのは、つまりEUが一つの国のようになってしまうと、それぞれの主権国家のつまり主権の部分がなくなると。
 雇用と同じように、例えばオランダの例は、移民をこれ以上増やしたくない、それから、オランダはフランスやドイツに比べれば小さな国なので、欧州が一つの国のようになってしまうと自分がのみ込まれてしまうと、だから主権を譲り渡したくないというのが一つのオランダでの反対理由だったんですが。
 これもこのEU憲法をよく読んでみると、最初の方に、ちょっと今手元にあれなんですが、基本的には、加盟国が自分たちで解決できない問題があったときに初めてEUがそこに乗り出してくると。だから、原則は主権国家がやりますよと、でもそれぞれがやってもうまくいかない分野がありますねと、じゃその場合にはEUがやりましょうと。そのときに決めたEUの法律はそれぞれの国の法律よりも上ですよと。ただし、適用される分野はそれぞれの加盟国ができないところですよと。
 これ、普通に素直に読めば、やっぱり基本は主権国家というのがベースで、いわゆる欧州統合には、常に、連邦派、つまり欧州合衆国を目指そうという人たちと、いや、主権国家の連合でいいと、国家連合の方がいいという国家連合派と連邦派の二つがあるんですが。一般的にEU憲法と言われたときに、それが欧州連合への道ゆえに反対という人たちもいるんですけれども、ここの憲法自体をよく読んでみると、どうも少なくとも最初の方に書いてあることは、主権国家の方の尊重の方が強いような気がします。
 あのときに、合意が成立したときにブレアの記者会見というのが首脳会談の後にやって、そこ見ていたんですけれども、ブレアは非常に御機嫌で、なぜ御機嫌かといえば、イギリスというのは特に主権を大陸に譲るというのに非常に敏感ですから、当然反対も、当時はまだ国民投票をする予定でしたから、そこには非常に敏感になっていました。なぜ御機嫌かというと、要するに、今度の憲法はこれでつまり今後の統合に対するブレーキなんだと、要するに、ようやくこれでブレーキが掛かると。ところが、一般的にはそれはアクセルだというふうに思われているんだけれども、ブレアとしては、これはブレーキだからこれで安心してイギリスでもオーケーもらえるというような言い方をしていました。つまりそれほど、同じEU憲法、中身は一緒なんですが、ある人、あるいはある解釈からするとそれがアクセルに見えるし、ある立場から見るとそれがブレーキに見えると。それぞれ誤解しているかというと、確かにお互いにそういう部分があって、それは本当にそれこそ運用次第みたいなところがあります。
 これは極めて分かりにくい。だからここもやっぱり、単に今まで偉い人たちだけが決めていたので分かりにくいという要素だけではなくて、このEU憲法それ自体にその二つの要素が一緒に入っていて、一種のあいまいさがあるのでなかなか普通の人は付いていけないと。そうすると、自分にとって不利なところに反応して、そこで態度を決めてしまうということがやっぱりこのEU憲法の中に入っているような気がします。
 あともう一つ付け加えると、さっきの主権国家というところからいくと、つまりさっきの大統領と言われる欧州理事会ですが、これはいわゆる各国の首脳がつくるところで、よく言われるのは、ブリュッセルにEU官僚、EU本部があって、一番EUに対する反発は、自分たちのことをブリュッセルにいる官僚が決めていると、そこに対する反発で、EU憲法も要するにそういうブリュッセルの人たちがまた強くなるんだろうというのがまたこれも一般的なイメージです。
 ところが、これはもうEU憲法をよく見てみると、先ほど言いましたように、議長を常任化する、権限自体は強くないけれども、実態として強くなる可能性を秘めているわけですね。あと何か補助金か何かの予算の権限をいわゆる欧州委員会、つまり行政府から欧州理事会、首脳会議の方に移すということも憲法の中に書いてあります。
 ということは、首脳会議の力を今よりも少し強めてあります。相対的に言うとブリュッセルの力がちょっと落ちているわけで、そういう意味からも、一般的に言われるEU憲法を作るということが、必ずしもEUが強くなってそれぞれの加盟国の主権が落ちるということには必ずこれもつながりません。それもまた裏返しがあるので、じゃ逆だというふうに言い切れないところが難しさなんですけれども、事ほどさように、相反するものが一つの憲法と言われる条約の中に入っているという複雑さを御理解いただければ、今後の何かの折に参考になるんではと思っております。
 それであと、今後の見通しというふうに触れたいと思いますが、これで一通り、今もうだれかが言っていましたけれども、これでいわゆるEU憲法自体はもう冷凍庫の中に入っていると。終わっては、死んではいないけれども、あのまま要するに冷凍庫の中に今保管してある。だから、どこかの時点で解凍するか、あるいはまた違うものを作るか、ここがこれからのどうなるかですが、当面フランスで、フランスというのは、ジスカールデスタンが起草したわけですから、代表になって。起草した代表者がいる国がノーと言ったわけですから、これはちょっとすぐというわけにはいきません。二〇〇七年にフランスの大統領選挙がありますので、少なくともそこまではちょっと動きようがないです。だから、そこまではもう冷凍庫のドアは閉まったままで、動くとしたら二〇〇七年以降と、こうなります。
 フランス自体の世論調査を見ると、EUに憲法は必要かという問いに対しては、七割ぐらいの人がイエスだと言っていますので、しかも、さっき言いましたように、反対の一番大きな理由が仕事がなくなるということなわけですよね。そうすると、経済的な条件が好転して、EU憲法に投じても自分の職が大丈夫だということになれば、これはまた違う結果が出るような気がします。だから、大統領が替わる、経済状況が変わるというような条件が重なれば、二〇〇七年以降ですが、今度はイエスになる可能性も高くなるような気がします。
 そのときにどこが問題になるかというと、やはりイギリスです。
 本来は、今回もイギリスが、僕はロンドンにいたので毎日イギリスの新聞を読んでいますけれども、そのときにワーストシナリオだと言われたのは、全部が賛成してイギリスだけがノーと言うと。そうすると、EU憲法がつぶれたのはイギリスのせいだというふうに言われて、イギリスだけが悪者になる。
 かつ、イギリスはユーロに入っていませんから、じゃ、そのときにどうするかと。今のEU憲法を見てみると、要するに一か国でもノーと言っても、欧州理事会、首脳会議を開いて、さあ、どうしようかと検討してオーケーをすることもできるというふうに条項があります。フランスはさすがにさっき言ったように主人公ですから、主人公がノーと言ったものを、これをイエスと言うわけには、ちょっと無理ですけれども、イギリスの場合はユーロに入っていない。だから、そのときのシナリオは、イギリスはユーロに入っていないので加盟国としては半人前だと、だからあなたのところだけノーを言ったけれども、半人前のあなたのおかげで我々がストップするわけにはいかないと。イギリスだけ仲間外れにして前に行くと、こういうシナリオが流れていて、イギリス的にはこれが一番最悪だと言われていました。
 そういう意味では、イギリス・ブレアはもちろん残念だと言う。フランスがノーと言った後にブレアは残念だと言っていましたが、本音のところは、これで少なくとも一番最悪の自分だけが統合を邪魔したという悪者にならなくて済んだと。しかも、もうこれで国民投票も凍結してしまいましたから、そういう意味では、これをラッキーと呼んでいいのかどうかはあれですが。
 ただ、これがまた二〇〇七年以降に、さっき言ったように状況が変わってフランスがイエスというふうになる時点になっても、イギリス自体の条件は変わりません。イギリスは幾ら景気が良くなろうが悪くなろうが、やはりEU全体に入るって、そのEU憲法に入って今後統合が進んでいくことについて、普通の人たちは、イギリス人というのはやっぱり半分ヨーロッパですけれども、そうじゃないところもありますから、これはいわゆる一年や二年、あるいは十年たってもそういう条件は変わりませんから、もう一度今度はEU憲法の復活のプロセスになったときにやっぱりかぎを握るのはイギリスだというふうに思っております。
 ただ、もう最後ですが、やっぱりヨーロッパは、このヨーロッパ統合というのは動きが遅くて、つまり僕らメディアからいくと、僕らのメディアのシャッタースピードというのは、新聞だと朝夕刊を出していますからシャッタースピードがかなり速いカメラで写しています。そうすると、EU統合って遅いから、何度撮っても止まっているようにどうしても見えてしまう。動いているときはけんかをしているときだから、いつもけんかしているように見えるんですが。
 ただ、長いスパンで見ると、そういうふうに、今やイタリア人とドイツ人とフランス人は同じお金を使っているし、それから日常的ないろんな決まり事はほとんどEUの法律で決まっているということで、なかなかメディアがその動きをとらえにくい現象のような気が実際に記事を書く側から見ての実感なんです。
 やっぱりすごいなと思うのは、国力が同じ国が、主要国国力が同じで、独、仏、英、イタリアもほぼその人口とかいうところで同じ国力だと、だから昔はひょっとしたら、つまりけんかしてみないとどっちが勝つか分からない、だからもめたときにやっぱり戦争への誘惑というか、勝つかもしれないというところで戦争を何回もやった。
 でも、同じ条件だから、逆に国力が同じだからこそ一緒になれると、一緒に組みやすいと。片一方が大き過ぎると小さな方はのみ込まれてしまいますから、いわゆる対等合併ができないわけですよね。だから、そういう戦争の原因になった、同じ国力が似ているということを、第二次大戦が終わって逆手に使って、今度は統合のエンジンに変える。
 その戦争の原因になった石炭、エネルギーの取り合いというのも、そういう戦争の原因になった、エネルギーが原因になったのだったらば、それを共同管理すればいいということになって、EU統合の最初は石炭と鉄鉱を一緒に管理するということになったと。だから、戦争の原因をそのまま逆手に取って、しかもそれを五十年以上掛けて右に行ったり左に行ったりジグザグしながらも、気付いてみるとかなり前に行っているというのがやっぱりヨーロッパ的なすごさといいますか、見ていてそういうのが実感です。
 そのヨーロッパというのはなかなか複雑で、ニュース的にも小さいですし、戦争をやっているわけでもないですし、日本に対する影響力も実態的なところはそんなに大きくないですが、複雑怪奇ゆえに取っ付きにくい。でも同時に、複雑怪奇ゆえに参考になるといいますか、付き合っても飽きない相手といいますか、そういう意味では是非、地味な地域ではありますが、非常に栄養分が詰まっているような気がいたします。そういう意味では、この複雑怪奇であるゆえの面白さみたいなのが少しでも伝わったら私としては非常にうれしいことです。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終了いたしました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
 なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問かお述べください。また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔にお願いいたします。
 それでは、藤野公孝君。
○藤野公孝君 自由民主党、藤野公孝でございます。
 大野参考人、土生参考人、興味深い話、どうもありがとうございます。お二方に三問ずつ、御質問というか御確認も含めてお尋ねいたします。
 まず、大野参考人にお伺いします。
 今日、私、実はEU憲法もさることながら、EUにおける国民投票制度という面についてもあるかと思いまして、ちょっと聞きたいことがあったので、それを一つ加えたいと思うんですが。いわゆる公職選挙法によると、日本だと例えば二十歳から投票権があると、こういうことですが、欧州における国民投票の場合にこれを例えば十八歳まで広げるとか、そういう意味での拡大というようなものについて、どういう実態かというのを、お知りになっている範囲で結構ですから、いや、全く公職選挙法と同じかどうかという意味で聞いているんですけれども、それをお教え願いたい。
 それから第二番目は、このEU憲法についてでございます。
 なぜフランスがああいう国民投票に踏み切ったか今両先生からもお話があったんですが、逆にシラクさんの側から立てば、失政というか、経済的ないろんな停滞等を含めていろいろ問題がある中で逆にフランスが統合を推進しているという、まあ格好いいフランスというか、その指導力というのを国民がサポートしてくれないかなという期待感もあったのかとは思うんですけれども、ただ単に国民の不満がそれを受け付けなかったということなのかどうか。少し御感想があれば、なぜ国会でやらないで国民投票にあえて打って出たかというところを、まあ面白おかしくでも結構ですけれども、もうちょっと迫力あって、何か御説明いただけたら有り難いと思います。
 それから三番目が、帰属意識という問題という中に、このペーパーの中に、四のところなんですが、国民という意識の希薄なところに民主主義を成立させるジレンマと、こう書いてあるんですが、私は、国民という意識の希薄、とても思えないんですね。国民というか、例えばフランス人という意識なんかめちゃくちゃ強いんで、その正に欧州人というアイデンティティーがもうないだけじゃないのかという気がするんですけれども、その辺のところを、私の聞き違いであれば、読み違いであれば教えていただきたいんですが。
 欧州に行って、欧州人が分かるのは、空港でパスポートなんかのときに並ぶときぐらいにしか余り意識することのない、あるいはユーロを使うときぐらいしか意識しないんじゃないかぐらいに思っているんですけれども、その辺について、私自身、国民という意識の希薄というのがよく分からない。あんながりがりの国民の意識を持っているんじゃないかという気がするんですが、ちょっとその辺、誤解があれば教えていただきたいというのが三点目でございます。
 それから、土生参考人に、同じようにEUにおける国民投票制度そのものについてですが、もしイギリスでの体験で、英国王室に対してこの国民投票権があるかないか、御承知でしたら教えていただきたいというのが第一点でございます。
 それから、EU憲法につきましては、要するにここの三のところの文章の中で、将来、状況によっては連邦化を推進させる可能性も内包しているということが書いてあるんですが、私はこれが出てきた途端に破裂すると思っているので、極端にはジスカールデスタンも米国憲法をベースにしてやっておる、だから治まっている。でも、先生は将来的にはとおっしゃる、そこの根拠を教えていただきたいんです。
 それから三番目は、長期的にはEU憲法の成立の可能性は高いというんですが、これは全部国民投票でも高いんでしょうか。これ、議会でやればすぐにでも全部賛成しそうな感じもあるんですけれども、手法が変わるということであれば必ずしも長期的でなくてもあり得るかなと思うんですけれども、この長期的にはの中には、国民投票でだんだんそういう、何というんですかね、感じになっていくから長期的だというような感じなのか、見通しで結構ですから。
 以上、雑駁でございますけれども、それぞれ三点ずつお願いいたします。
○会長(関谷勝嗣君) それでは、大野参考人からお願いいたします。
○参考人(大野博人君) どうも御質問ありがとうございます。
 まず一点目の国民投票制ですけれども、これはEU全体で共通の何か国民投票についての制度があるわけではありませんで、各国ですので、申し訳ありませんが、私もそう詳しくは知識がありません。ただ、国民投票制そのものも、例えば確かにドイツはなかったと思いますし、ですので、これはもうEU全体でというより各国になってくるというふうに思っております。
 それから、その前に、一番最後の御質問で、私のレジュメがちょっと言葉足らずで申し訳なかったんですが、国民という意識の希薄なところにというのは、要するにこの場合、国民ではなくてヨーロッパ人という帰属意識の希薄なところにということでありまして、先生がおっしゃるとおり、国民という意識が強ければ民主主義というのは割と、そういう帰属意識の共有が強ければ民主主義というのは割と行いやすいわけですが、ヨーロッパという、ヨーロッパ全域となりますと、ヨーロッパ人という、言ってみれば一種の国民みたいな意識ですが、そういうものが希薄ですのでなかなか民主主義を成立させるのが難しいと、こういうつもりで書いたものでありました。
 それから、二番目の、なぜフランスが国民投票に踏み切ったかということなんですが、国民投票でも何とかなりそうだという予想があったのと、やはり国民投票で支持を得られれば議会以上に自分の決定の権威が高まるという面がありますので、それでシラク大統領は踏み切ったんだと思います。シラク大統領はこういう、何というんですか、言葉があれですが、山っ気が多少ある人でありまして、以前も議会で多数派を確保するために、自分では多数派を確保できると思って解散をして負けてしまうということもやったりもしています。ですから、政治的な計算は僕が先ほど申し上げましたようにもちろんあると思います。EUに自分が出てくるときも、国民投票で支持を得たというのを背負っていけばそれだけ権威も高まるという計算は当然あったんだろうというふうに考えております。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 土生参考人、お願いします。
○参考人(土生修一君) 最初の、英王室にあるかというお尋ねだったんですが、最後の国民投票はもう十五年か二十年ぐらい前で、普通の公職選挙法、ちょっと申し訳ありません、少なくとも、でも選挙のときにチャールズ皇太子が投票するようなところをニュースでは報じたことを見たことはありません。ただ、選挙権どうなっているかは、ちょっと申し訳ありませんが、存じておりません。
 二つ目の連邦化ということですが、これはまたさっきの複雑だということに話は戻りますが、ある意味でもう既に連邦、連邦といえばもう連邦なんですよ。要するに、連邦かどうかというのはマルかペケかではなくて、その連邦という一種の色合いが強くなるか弱くなるかということだと思うんです。
 先ほど言ったように、例えば牛乳の表示とか添加物をどれぐらい入れていいかというのはもうEUで決めて、全部それをやっております。よく言われるのは、例えばアメリカ合衆国というのはそれぞれの州で日常の細かいことを決めて、外交や安保、防衛、ここはワシントンが決めると、それでアメリカ合衆国と。
 もう今、つまり今あるヨーロッパ、これをあえて合衆国と呼べば、それは逆で、細かい日常の暮らしに関する規則はブリュッセルでつまり決めて、安保や外交というところはそれぞれの国で決めていると。そういう意味では、ちょうどアメリカ合衆国と逆の形の合衆制になっているわけなんです。
 それから、そういう意味で、これから少しずつ、今度はそういう安保や軍事というところにEUとして一つの意思決定をしていくということがいろんな、例えばアメリカがもっと強くなれば対抗的にヨーロッパはまとまろうとしますし、そういうことがあればそういうアメリカ的な連邦へ向かう可能性が、大きな状況の変化があればそういう可能性は内包しているというふうに思っております。
 あとは、最後の方は憲法が承認されるかどうかということなんですが、これも先ほど言いましたように、二〇〇七年のフランス、それから、いわゆる憲法という名前を今度は付けるかどうかというところから議論が始まると思いますけれども、要するにキーポイントは多数決のやり方ですから、それほどこれ自体は難しくないと思うんですよね。
 今、ニース条約というのがたしか二〇〇九年までカバーしていますから、時間は二〇〇九年まであると。それまでにもし憲法という名前で通らなければ、そこだけピックアップして、そこだけまた条約という名前でやるかもしれません。そういう意味では、今否決されたものがずっとこのまま冷凍庫に置かれているとは思えません。二〇〇九年までに何らかの結論を付けなきゃいけないことだと思います。
○藤野公孝君 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 藤末健三君。
○藤末健三君 民主党・新緑風会の藤末でございます。大野先生、あと土生先生、本当に貴重な話をありがとうございました。
 まず、大野先生にお聞きしたいことが一点ございまして、アイルランドの国民投票で、一回国民投票で否決されたものが、そして次の年全く同じ内容で可決されたと。そのときに、私が聞いている話ですと、政府がすごいキャンペーンを繰り広げて民意をひっくり返したということを何か本で読んだことがあるんですが、日本でも同じようなことが考えられると思うんですよ。憲法の議論が起きたときに、一回国民投票で否決されたものが、政府がキャンペーンをしてまた国民の意向を変えるということがあり得るんじゃないかと思うんですけれども、政府のキャンペーンに対する規制みたいなものがないかどうかというのが一つちょっとお聞かせいただきたいと思います。
 そしてまた、アイルランドの場合に、強引に政権が、これはニース条約ですか、を通したわけですけれども、次の選挙でその政権は何か洗礼を受けたかどうかということ。
 そして三点目に、政党の役割、政党がどのような役割を果たしたかというのをちょっと教えていただきたいと思います。
 また同様に、フランスについて土生先生に、欧州憲法が議論されたときに国民投票に対して政府がキャンペーンを行ったかどうか、規制があったかどうかということ、そしてそのときの政党の役割が何があったかということをお聞かせいただければと思います。
 よろしくお願いいたします。
○参考人(大野博人君) まず最初の政府のキャンペーンの規制ですが、特段何か私は聞いた覚えがなくて、土生さんのお話の中にも出てくるんですが、基本的に、一般に市民がニース条約でもEU憲法でも内容を余り分からないまま国民投票になるということが多いものですから、キャンペーンというと、恐らくニース条約ならニース条約の内容を周知徹底させようという努力はしていたようです。そのこと自体に特に規制があったというふうには聞いていないです。
 それから二点目のニース条約などで選挙の洗礼を受けたかどうか、ちょっと記憶になくて申し訳ないんですが、多分それは特になかったような、これが問題になったことはないような気がします。
 それから三番目の政党の役割ですが、これはアイルランドの場合でも、先ほど申し上げましたとおり、議会であれば圧倒的な多数で可決される予定だったわけですね。ですから、主要な政党は基本的にEUの統合に賛成していると。
 これはアイルランドだけではなくて一般に言えるかと思うんですが、フランスでもそうですが、いわゆる右とか左とかという政党の分け方で別にEUの統合についての賛否が分かれているわけではありませんで、保守的な政党であっても革新的な政党であってもメーンストリームは大体EU統合は基本的には支持する。むしろ、フランスなんかで言いますと、極右とか極左と呼ばれるような政党の方がEUに対して非常に懐疑的であったり、あるいは主要政党の中でもどちらかというと割と少数派、その政党の中の少数派がEUに対して懐疑的であったりというふうに色分けができるのかなというふうに思います。
 以上です。
○参考人(土生修一君) 最初に規制の問題ですが、これは恐らく大野さんの方がフランスの専門家なのでお詳しいと思いますが、規制があるようなことは存じておりませんので。まあ普通の選挙、しかもPRとしては少なくともあの当時、パリの町を歩けばもう本当に大統領選挙と同じ、シラク大統領が大統領になったときに私もイタリアから応援に行っていましたけど、それほど違わない風景で、そういう意味ではPRは非常に熱心で、しかもあれはたしか何百万部のパンフレットを刷っていますから、そういう意味ではもう空前絶後のPRだったと思いますし、選挙違反といっても、何か買収するわけにもいきませんし、何か特別規制があって、かつ何かそういうことで違反行為が問題になったということは記憶にありません。
 政党の役割ですが、これは今、大野さんおっしゃったように、主要政党が全部賛成しているわけで、だから普通に考えるとなぜというふうになるんですが。しかも、昨年たしかフランスの社会党は党大会か何かで決議をして、これはイエスになっているわけなんです。党大会でイエスで、みんな社会党関係者はほっとして、これでもう大丈夫だというふうに思っていましたので、そこでつまり主要政党の側は油断があったといえば油断があったのかもしれません。
 だから、そういう意味では、今回の結果というのは、つまり主要政党が立場が違って両方とも同じイエスをPRしてもそれでも届かないという、これはもうちょっと分析をしないとなぜかというのは、先ほど言ったように原因は一杯あるんですけれども、そういう意味では政党の国民にアピールする力の限界といいますかが露呈したという例では極めてまれなケースだと思います。
○藤末健三君 お二人の先生にお聞きしたいんですけど、そうすると政党が、大部分の政党が同じ意見を持った場合には国民投票というのは意味がなくなる形になるんじゃないかと思うんですよ、ラバースタンプということをおっしゃっていましたけど、大野先生が。ですから、政府が、そして政党、大部分の政党が同じ意見だった場合には、一回国民投票でひっくり返されても政府がきちんと国民投票の対象の中身を説明するという名目でキャンペーンができるわけですよね、まず一つは。そして、通るまで繰り返すことができるわけじゃないですか、そうすると。
 そうすると、そういう国民投票の意義がなくなるようなことに対する安全弁はないんですか。ちょっと教えていただきたいんですが、もし御存じでしたら。
○参考人(大野博人君) 安全弁……
○藤末健三君 安全弁というか、国民投票の存在意義がもうなくなってくると思うんですよ、そうなると。ですから、例えば我が国で憲法の議論が起きますと、二大政党が同じことを言い出したときに、ずっと国民投票を通るまでかけますよという話になったときに、国民投票って何なんですかという話になると思うんですよね、我が国の場合を考えますと。というところにちょっと少し何かヒントをいただければというふうに思っておりますが。
○参考人(大野博人君) 確かに、おっしゃるとおり、さっき申し上げたみたいに、これじゃ赤点を取った学生に対する追試だという、追試みたいなものだという不満は当然あるわけでして、それを何回も何回も繰り返せば、じゃ何のために国民投票をやるのかというのは当然疑問は出てくると思うわけですよね。ですから、それだとただの世論調査と変わらないんじゃないのかということにもなりかねない。ですから、同じ国民投票を繰り返すというのは本来はおかしな話だと私は思います。
 ただ、だけれども、実際に民意と議会の意向とが違うという現実がある限りは、それを何とかせざるを得ない。それで、EUのニース条約とか憲法の場合でいえば、それは議会といいますか、エリートの側から一般市民の側に対してアピール、キャンペーンという形で繰り返して意見を一致させようという努力が行われたわけですよね。しかし、内容によっては、ひょっとすると国民投票の結果を見て政党の方が考えを変えるということもあるかもしれないですよね。
 ですから、それはやってみないと何とも言えないところがあるんですが、一つ大きな問題は、先ほども申しましたように、EUの各国の中では政党、いまだに右とか左とかという言い方で色分けしたりすることあるわけですが、実際は多くの国ではそういう大きな政党はほとんど中道化していて、それほど政策に大きな違いはない。最も大きな違いがある点、政治家の間で最も大きな違いがあるのは、EU統合に対してどういう姿勢を取るかで割と大きく分かれるわけですが、EU統合に対する姿勢の、何ていうんですかね、分かれ具合と政党の分かれ具合とが一致しないわけですね。そこが割と問題となって矛盾を生んじゃうところがつまりあるんじゃないかと思うんです。
 右には右、右と呼ばれる政党には右と呼ばれる政党でEUに反対する人がいる、左にもいる。ところが、彼らが一緒になることはない。賛成派についても同じようなことが言える。ですから、話が一段とややこしくなって、EUに話題がなると政党自体が迷走することがあるというふうに言えるんじゃないかと思います。
○参考人(土生修一君) 今の話を引き受ければ、だから、政党ごとにEUに対するイエス、ノーがはっきりしないので、だからシングルイシューの国民投票をやるという選択肢が生まれてくると思うんですよね。これがもう政党ごとやれば、選挙でやればそれで済んじゃうわけですけれども、なぜ国民投票をやるかという一つの理由は、違う、同じ政党の中に、イギリスでもそうですけれども、保守党の中に統合派と主権派がいると。そうすると、要するに総選挙で選んでもそれがEUに対する民意かどうかが判定できないので、国民投票でシングルイシューでやると。そういう意味では、EUに関しては国民投票のたった一つについてイエス、ノーを問うというのは存在意義があると思うんですよ。
 もう一つは、じゃ、意義がないんじゃないか、要するに議会が国民投票の結果を無視してもう一回やればというお尋ねでしたが、確かにアイルランドの例は正にその例でしたけれども、例えば今回のフランスの例はノーを言ったおかげでこれだけ、つまりもう憲法選択が今ストップしているわけですよね。オランダの例は、オランダの国民投票というのは法的拘束力がないわけですから、事実上の国がやっている世論調査みたいな、極言すれば。でも、オランダのノーというのも、あれフランスだけじゃなくて、オランダで続いてノーと言うことがやっぱり今のこういう状況を生んでいるわけですから、逆に言うと、この二回の国民投票というのは、これまで国民投票ってどうせという雰囲気だったですけれども、そういう意味では今回のフランス、オランダの例は国民投票というのも法律的なバックがなくてもこれだけ力があるということをみんなに見せたという意味あるような気がしますが。
○藤末健三君 どうもありがとうございます。
 あともう一つ、直接には欧州憲章とは関係ないんですけれども、今経済と政治の、何というか、統合をやろうとされているわけですけれども、もう一つ安全保障面、軍の関係あると思うんですよ、NATOの関係が。
 私が思うに、ちょっと素人なんですが、ちょっと位相がずれているんじゃないかなというふうに思えるんですけれども、経済そして政治、そして最後に安全保障、軍備というものを統合するという動きについて、ちょっともしよろしければ教えていただきたいというのが一点と、もう一つ、済みません、EUに対する負担の差というのが今出ていると思うんですよ。ドイツは非常に国民一人当たりの負担が大きく、あと貧しい東欧だと票は一杯持っているけれども負担は小さいというような多分このずれが出ていると思いますが、そこに対する不満はないのかというのをちょっと教えていただければと思います。
 両先生から、もしよろしければ簡単にお願いします。
○参考人(大野博人君) 先ほど土生さんのお話にもありましたとおり、外交とか安保とかというのは、やはり国家主権がまだ非常に強いので、それはそんなに、進めようとはしているけれどもそれほど進んでいるわけでは、ほかの分野に比べるとそこまではという段階だと思います。
 それと負担の問題ですが、これはもちろん不満はあります。当然ありまして、これも先ほど申しましたが、帰属意識の共有のなさというのがあるわけでして、例えば同じ日本の中であれば、税金をたくさん払って、その税金で例えばある一定の地域の振興に使われたとしても我々は同じ日本人の間でのことなんだからそれは当然だと思いますが、例えばドイツのお金持ちがたくさん税金を出して、その税金がほかの地域に、例えばほかの国の振興に使われた場合受け入れられるかというと、やっぱりやや抵抗が強いわけですね、同じ一国の中であるよりか。ですから、そういう心理でもって、なぜうちはこんなに払わなきゃいけないのかみたいなものは常にあります。あると思います。
○会長(関谷勝嗣君) 土生参考人、いかがですか。
○参考人(土生修一君) 軍の問題は、これは非常に複雑で長く掛かるんですが、一つだけ言うと、去年でしたか、要するに欧州軍という発想があって、発想ではなくて既にそれは、去年だったかな、ボスニアにずっとNATOがいたんですが、これをNATO軍の代わりに欧州軍が今駐留しています。つまり、要するに、アメリカのいない欧州だけでつくった軍隊が今ボスニアに駐留しています。
 だから、余り目立った動きじゃないですけれども、アメリカはそういう動きに対してずっと警戒的でしたけど、極めて地域を限定して、アメリカにとって余り直接的な関係がなくて、そこはじゃ自分でやりなさいというところに実際に欧州軍という旗立てて、そういう軍隊が既に、非常に小さいですけど今もう存在していますので、これがさっきの欧州という時間の幅で芽が大きくなるか、ずっと芽のままなのかというのはまだ今の時点では何とも言えませんけど、もう既に芽としては存在しているということです。
 もう一つの負担金の問題は、確かにずっと宿題として残っています。オランダの反対の理由の多くも、オランダは一人当たり非常にお金を出していて、こんなにお金出しているのになぜというところも大きな反対の理由だったので、これはまだ未解決でずっと引きずっている問題です。
○藤末健三君 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、山口那津男君。
○山口那津男君 公明党の山口那津男です。
 お二人の先生には、国民投票の欧州における具体的な事例を体験したお立場から非常に臨場感のあるお話を伺えて大変参考になりました。
 今、日本では憲法改正をめぐって、その国民投票制度というものも議論になっているわけでありますが、これを仮に日本の国民に問うとした場合には、一つは統治機構の問題と、それから憲法九条に関していえば安全保障的な側面と言ってもいいと思います。そして、もう一つは基本的人権のジャンルと、いろいろ大きな分野があるわけですね。
 ヨーロッパの実例を聞いている限りでは、個々の国民に対する基本的人権がどうのこうのと、そういう問われ方はしていない。また、安全保障の問題についてもこれは直接問われることもないように思います。主として政治あるいは統治の仕組み、これに対する問い掛けのように思えるわけですね。
 そうした場合に、果たしてどれだけ個々の人々が強い関心と正確な理解を持って国民投票に臨んでいるかというところがよく分からないところがあるわけですね。その点についてどのように実感をされていらっしゃるでしょうか。簡潔にお答えいただきたいと思いますが、どうでしょう。
○参考人(大野博人君) これはやっぱり、要するに有権者がどれほど分かっているかということだと思うんですけれども、EU憲法の場合で、今恐らく、手元にないんですが、フランス語だと二百ページ近くになると思います。それをまとめて問うているわけでして、とても読んだ人はほとんどいないというのが実情だと思います。ですから、それをそしゃくした報道だとかあるいは政党なりのキャンペーンですとか、そういうものでエッセンスだけをせめて見ているかということになると思うんですね。
 更に言えば、とはいっても話が非常にややこしいですから、サマリーだけ聞いてもよく分からない。そうすると、自分が日ごろ抱いている政治的不満の方に傾斜した形で選択をするということになったんではないかなというふうに私は思います。
○参考人(土生修一君) 私もほぼ同意見ですが、その権利の問題については、これはもう九二年のときにマーストリヒト条約が欧州市民権ということでうたわれているので、今回のEU憲法で改めてそういうところが、たしか私の理解ではほとんど権利のようなところには、ただEU全体で法人格を上げると、法人格を持つというところは新しいところですけど、個々人の権利としてはもう欧州市民権。
 だから、変な話ですけど、ドイツ人がローマに住んでいると、そうするとローマの市会議員の選挙にもそのドイツ人は立候補できますし、ローマ市会議員の選挙にドイツの国籍の人がローマに住んでいれば投票できると。そういう地方自治体レベルでは欧州市民権としてもう十年以上前に条文で書かれているので、そういう意味でも余り権利的なところが新しく付加されていないので、そこが余り議論にならなかった一つの理由だと思います。
○山口那津男君 そこで、その投票の対象といいますか議案といいますか、これに対するキャンペーンを張って、例えばアイルランドでは二回やって、二回目の方がその周知徹底が進んだと、そして結果が変わったと、こういうお話だったようでありますけれども、この周知を図るための担い手というのはいろいろあると思うんですね。政府が積極的にやるということもあるでしょうし、政党が担う、あるいは個々の議員が担う、あるいはメディアが担う、いろいろあると思うんですが、それらが十分に発揮されて、何というか、全体的な総合的な理解がなされた上で投票結果が出ているのか。それとも、かなりすれ違い、ずれがあったまま投票に至っているのか。その辺の実感はいかがでしょうか。
○参考人(大野博人君) アイルランドのケースでいいますと、いずれにしても、まあ憲法もそうなんですが、ニース条約も相当複雑です。ですから、そのものをきちんと理解する、だれもが理解するということは余りちょっと考えられないわけですね。ただ、政府だけ、まあ政府だけじゃなくて主要政党もそれから財界も相当バックアップしたみたいですし、EU自体もそれに協力していたようですから、それで非常にイメージをポジティブに変えていくというふうな手法で何とかイエスに切り替えられたんじゃないかなというふうに思います。
 私は残念ながら、ダブリンで二回の国民投票は取材しましたが、その間はパリに駐在して詳しく見ることはできませんでしたので、この程度のことしか申し上げられませんが、そういうことだろうと思いました。
○参考人(土生修一君) そうですね、やっぱり複雑なので間にだれか通訳が入る必要があって、その通訳に当たるのが政府なり政党あるいはいろんな活動団体のPR活動だと思うんですけど、さっき言ったように、こっちから見れば黒、あっちから見れば白ですから、自分たちの立場でそれを通訳して流すわけですから、なかなか、どういいますか、それぞれは別にうそを言っているわけじゃないんですけど、どこに焦点を当てるかで随分その通訳の結果が変わってくるような性質の憲法だと思うんですよね。だから、PRがもし足りてても、じゃそれがいわゆる理解につながるかというと、これはこれでまた難しくて、しかも一番そのあんこのところが非常にややこしい、決定する持ち票の配分とか、もう普通の人はとてもじゃないけど付き合っている暇ないようなことですから、その一番核のところが一番複雑だということが一番やっぱりネックになっているような気がします。
○山口那津男君 国民投票をやった国において否決された例も出てきた中で、国民投票をやらなかった国、やらなかった加盟国から国民投票を求めるような動きというのはいろいろ出てきているんでしょうか。お二方、いかがでしょうか、それぞれ。
○会長(関谷勝嗣君) それでは、土生参考人。
○参考人(土生修一君) たしかドイツではかなり早々と議会でオーケー出して、あれは先にオーケー出したところは、後でフランス、オランダを見て、そこにある市民団体とか反対している人たちがうちでもやるべきだったという声はたしか出ています。
 ただ、その後、もうすぐに凍結状態になったのでその動きはそのまま止まっていると思いますが、これは次回、さっきも御指摘ありましたけど、今回国民投票というものが影響力があるということをヨーロッパの人がみんな知りましたから、次回もう一回出てきたときには、恐らく今回議会でオーケーを出したところも、うちも国民投票やりたいという声は絶対出てくると思います。
○参考人(大野博人君) 私は、フランスやオランダの国民投票のころはもう既に東京に戻ってきたので余りよくは分からないんですが、ただ、いずれにしても、さっき土生さんもおっしゃっていましたように、政党と市民レベルとで意見が違う、EUの場合は常に意見が違ってきますから、我々の声を聞いてほしいというふうな要望というのは潜在的にはいつもあるのではないかなというふうに思います。
○山口那津男君 最後になりますが、安全保障についての枠組みというものも、NATOもありますし西欧同盟のような動きもありますし、いろんな動きがあるけれども、いずれにしても拡大をしようと、ヨーロッパ的な統合を求めようと、こういう動きがあると思うんですね。
 安全保障でやっぱりアメリカとフランスの立場というのが経済的な面でちょっと違う特色があると思いますが、いずれ、いずれ安全保障の問題と経済の問題その他、政治の問題を含めてパッケージで民意を問うというような時代が来るでしょうか。また、そういうものが仮に来た場合に、より正しい理解に基づいた意思決定というのはできるようになっていくものでしょうか。感想で結構です。
○参考人(土生修一君) これはやっぱり、まず時間が掛かると思います。そのパッケージというのが憲法という形を取るのか、もう少し、つまり既成事実を積み上げていく形を取るのか。つまり、個々の、さっき私が言いましたように、例えば欧州軍という小さな芽がある、それの動きとか、それがあるところまで行ったときに初めて何とか、欧州的に言うと、余り、何かのアイデアがあって、それをまとめてどうですかというふうにすぐ聞く形にはならないと思うんですよね。しかも、二十五か国も加盟がありますから。だから、パッケージで一括して欧州安保どうでしょうという形の問い方というのは、少なくともこの予見される近い将来にはちょっとあり得ないような気がします。
○参考人(大野博人君) 私も同じような意見でして、基本的に非常に時間が掛かる話だと思います、特に安全保障が絡む場合はですね。それと、安全保障について言えば、ただ単に欧州、EU各国がどういう意思を持つかだけではなくて、その時々の国際情勢で何が起きるかによって相当影響を受けると思いますので、そういう出来事をきっかけにしつつ、前に進んだり少し後に戻ったりという形で動いていくんではないかなというふうに思います。
○山口那津男君 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、仁比聡平君。
○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。どうも、お二人の参考人、ありがとうございます。
 EU憲法条約をめぐる国民投票というのが、我々の中でといいますか、大変注目をされているというその理由の一つは、恐らく国民代表あるいは首脳、あるいは政党ですね、これらがおおむね一致をした方向を求めたにもかかわらず、実際に投票やったら主権者は全く別の判断なりあるいは投票行動をしたと。そこにはつまり、別の力学やダイナミズムが働いているんではないだろうかというような問題意識なのかと思うんですね。
 それで、ならばどんな力学が働いたのかというようなちょっと問題意識でお二人にお伺いしたいんですけれども、まず大野参考人に、先ほど土生参考人の方から、しかし誤解も多かったというお話がございました。例えてということで出されたのが、フランスで仕事がなくなるという、この思いがよく出たということなんですが、私もよく不勉強ではあるんですけれども、欧州のその市場化の中で、例えばEUエネルギー市場自由化指令とか、〇七年にはエネルギー市場は完全に自由化するというような方向があって、それが規制緩和の中で雇用が現実に削減をされているということがあるんだと思うんですね。そういった政策、そして結果、これに対するノンというのが示されたのではないかという指摘があると思うんです。
 そういう意味では、大野参考人のおっしゃる民主主義の赤字というお話が、この雇用やあるいは市場化経済、自由主義的な経済というところについて示されたのではないかというような見方についてはどんなふうに思われますか。
○参考人(大野博人君) EUの統合というのは、そもそも最初はもう二度と戦争をやらないような世の中にしたいということが大きかったわけですが、最近はやはり日本であるとかアメリカに負けない力を持ちたいというのも相当大きな動機になってきています。
 それで、ごく大ざっぱに言ってどういうことが起きているかといいますと、欧州というのはどちらかというとアメリカなどに比べると仲良し社会だったわけですね、福祉なんかが。それをもう少し競争社会の要素を入れていかなければいけない。というのが、そういう流れがずっと続いてきたわけですね。ですから、おっしゃるように規制緩和もありましたし、そういう従来の仲良し社会から競争社会的な要素が増えていくと、こういうのがずっと続いてきたと思います。アメリカのようになってしまうというわけではないですけれども、今までよりかは競争社会の要素を入れようとしている。そういうことに対する不安というのは基本的にはずっとあります。ですから、それが、そのEUのことが問い掛けられるたびに市民がそれを反発として表現するということはあったと思います。
 ただ、じゃ、EUがその仲良し社会から競争社会の要素を取り入れていくということにこの欧州憲法、EU憲法自体が重大な意味を持つのかというと必ずしもそうではなくて、それは今まで徐々に進んできていることでして、憲法でそれが一気に進むというわけではないと私は思います。
○仁比聡平君 ありがとうございました。
 土生参考人にお伺いしたいんですけれども、EUに憲法は必要なんだという欧州人といいますか、という方々が七割は超えているというお話がございました。つまり、圧倒的多数の欧州人が欧州の統合を求めているというのは、それは私もそのとおりなんだろうなと思うんですね。
 その欧州の統合を求めるということと、どのような欧州を目指すのかということ、先ほどのお話の流れでいいますと、現実に進んでいるその自由主義的な、あるいは市場万能主義的な欧州でいいのかどうかという、そういう中身の問題というのがこれは別物で、今回の国民投票でフランスの皆さんはそこを討論し熱狂し、あるいはそれぞれの関心によって選択をしたのではないかというような感じを今日お二人のお話を伺って思ったんですが、いかがでしょうか。
○参考人(土生修一君) まず一つ、その憲法が必要だというのは、この欧州全体ではなくてフランス人に対する世論調査で七五%という結果が出ています。同じ世論調査、これ欧州委員会の世論調査ですけれども、このフランス人に今回の国民投票について何を判断材料にしますかという問いに対して、欧州統合の在り方だと答えた人が三二%で、憲法そのものというのは一八%しかいなかったんですよね。
 だから、やっぱりこれはその憲法それ自体というよりも、これまでの統合、その統合というのは何かというと、やっぱり今言われているのは社会的欧州という、ある種高福祉で長い有給休暇が取れて高い生活水準を維持すると。やっぱりこの暮らしを守りたいという人たちと、いや、それは競争を入れないとその暮らしが維持できないんだという人たちが出てきて、ちょうど今その二つがせめぎ合っている、それに対する問いですよね。
 だから、しかも、これさっき言ったように、去年の今だと、全然、それが六、四ぐらいだったわけですから、やっぱりそこの真ん中の人たちが揺れていて、どっちにしようかと。それが二か月ぐらいで世論調査がひっくり返ったりする。だから、やっぱりそれはもう確固としたイエス、ノーの人たちの真ん中にいる人たちがやっぱりかなり迷っていて、確かに今のようなスタイルを守りたいけど、でも今のようなことがずうっと続くのかなというのが、やっぱり答えがうまく出せなくて迷っている人たちが真ん中にたくさんいると。今回はそれが不安というふうに言っちゃいましたけど、これが何かの拍子にイエスの方に行く可能性もあると思います。だから、非常にそういう意味では断固としたノーというよりもためらいながらのノーのような、現地でそういう気がしました。
○仁比聡平君 ありがとうございます。
 ちょっと時間がもうありませんので、ちょっと最後に大野参考人に。
 先ほどのお話の中でちょっと印象的だったのは、今更政治統合を進めないわけにはいかないとか、あるいは待っていては必要な改革が進まないというようなお言葉が大変印象的だったんですけれども、結局、その政治統合は、進められようとしている政治統合は何のためなのかということでもあると思うんですね。
 今ちょっと経済の問題で伺いましたけれども、先ほどちょっとお話のあった安全保障をめぐって、特にイラク戦争に対する態度がこれは欧州では大きく分かれた、あるいは割れたわけですが、フランス、特にフランスはドイツとともにアメリカの方向にはこれはノーを言うという形なわけですけれども、こういった外交、軍事の問題というのが今度の国民投票の中で国民的に議論をされたなり、あるいはそんな情報に接していらっしゃるかどうか、そんなような関係でお気付きの点がありましたら。
○参考人(大野博人君) 私は現場にフランスのときはいませんでしたが、恐らく外交とか安保というのはそんな話題になってないと思います。むしろ、もっとEUの中の問題で投票行動を決めたんじゃないかというふうに思います。
 それと、先ほどおっしゃっていた今更政治統合は止められないというのはどういう意味かといいますと、つまり、先ほど申し上げたみたいに経済的に相当密接な状態が既にありますので、政治をきちんとしていかないことには、ある意味でマーケットだけが先に何もかも支配するような状態になりかねない。きちんと政治がコントロールする状態を築かないといけない。それは、言い換えれば民主主義、EU規模での民主主義が必要だというふうな考え方になっているんだというふうに思います。
○仁比聡平君 終わります。
○会長(関谷勝嗣君) 近藤正道君。
○近藤正道君 社民党・護憲連合の近藤正道でございます。
 貴重な御意見、ありがとうございました。戦争のない社会を目指してエネルギーの共同管理から今日にまで至ったEUの歴史、五十年ぐらい掛かっているわけですよね。日本あるいは北東アジアとの違いを改めて思い知らされた感じがいたします。
 私は三つほどお聞きをしたいというふうに思うんですが、まず一点目は運動のやり方なんですが、お二人にお聞きしたいと思います。
 フランスの国民投票のことなんですけれども、お二人の参考人とも、フランスでいわゆる選挙、人を選ぶ、地方議員でもあれ、あるいは大統領であれ、人を選ぶ選挙を見ておられたと思うんですが、それと言わば政策、それも基本的な政策を決める今回の国民投票、どこが一番違うと。共通のところと違う点があるというふうに思うんですが、人を選ぶ選挙と国の基本的な方向をイエスかノーかで決める、この選挙と、まあ運動というんでしょうか、あるいはこれも国民投票、一番の違いは、そばにおられて、見られて、どこだというふうにお思いになられますか。お二人にお尋ねしたいんですが。
○参考人(大野博人君) 先ほども申し上げたように、フランスの国民投票のときは私は現場におりませんでしたので、なかなか比べるのは難しいんですが、アイルランドのときは国民投票のとき現場におりました。
 そのときも感じたことではありますが、やはり政策を選ぶという方が抽象性が非常に高いですから、具体的に対立候補、顔のポスターなんかを見ても、別に顔じゃないですので、やっぱり抽象性が高くて、人を選ぶ選挙であれば感じがいいとか悪いだけで選んじゃうという場合もあるのかもしれませんが、それができない。それだけに余計、何というんですかね、投票率が最初は低かったというのもそこにあるんじゃないかと思います。多分、言えば、何かぴんとこないと、そういう感情がどこかにあったんじゃないかなというふうに思います。
○参考人(土生修一君) そうですね、やっぱりそれは選ぶ側は人を選ぶという方があれでしょうけれども、ただ一つ言えるのは、私もフランスの場合は投票の二日ぐらい前に入ったので、フランス自体をよく、選挙制度を知りませんけれども、ただ、欧州の場合は、例えばイギリスは小選挙区なので、例えばイギリスの例だと、選挙をするときにその選挙区の候補者を選んでいるという意識が余り有権者側になくて、要するに労働党、保守党、自由民主党と、元々その政策があって党で、もちろん党首のイメージというのはありますけれども、小選挙区制を取っているところは割に人を選ぶという要素、党首を選ぶという方があれだと思うんですが、そういう意味でいけば、国民投票も日本人が経験するよりは違和感がないかなという気もしました。
 人か政策かというふうにかっちり分かれてないようなところがありましたんで、そこはどうですかね、盛り上がりというところでは影響あるんでしょうけれども、ちょっと選挙制度の違いがそれぞれの国によってありますので、少なくとも小選挙区のところはそれほど違和感がないし、例えばイタリアなんかはもっと頻繁に国民投票をやっていますから、やっぱりその頻度とその国の選挙制度で随分その受取方が違ってくるんじゃないかと思いますけれども。
○近藤正道君 ありがとうございました。
 二つ目なんですけれども、圧倒的に政党のほとんどが、フランスの国民投票の例なんですが、圧倒的に賛成と、そして国民投票に入る。しかし、テレビは毎日のように討論をやっている。街頭へ出れば両派がしのぎを削って宣伝戦をやっていると。
 私のイメージだと、それだけほとんどの政党が賛成ということであれば、テレビだって圧倒的に賛成派が論陣を張っているんではないか、街頭だって圧倒的に政党が大動員して賛成の論陣が張られるんではないか。ところが、テレビも街頭でも両派がしのぎを削っているというその意味がよく分からない。
 組織の上では圧倒的に賛成派が多いのに、論争では言わば拮抗しているイメージを土生参考人は先ほど語られたんですが、どうしてそうなるんですか。あるいは、それは平等に論戦の場を保障しているような何かシステムか何かあるんですか。
○参考人(土生修一君) 鋭い質問ですね。これは本当に印象としか言いようがないんですが、投票の二、三日前に行ってテレビを見た段階では、ここに司会者がいて、両わきに二人か三人ずつ賛成反対がいて、それで要するに両方ともちょうちょうはっしやっているという感じ。それが一つだけじゃなくて、チャンネルを変えてもどこでもやっていましたし、ポスターの量も、数えたわけじゃないですけれども、少なくともパリの中心部で全部イエス、それはウイが多かったかというと、そうでもなかったような気がしますね。
 だから、それはちょっとまだそれこそ取材をしないと分からないんですけれども、イメージとしては拮抗していた。それが、規則があるのかどうかというのはちょっと私は存じません。
○近藤正道君 三点目の質問でありますが、フランスの国民投票のことをお聞きしますが、マスコミがいろいろ国民投票の結果を事前に予測していたというふうに思うんですが、予測の中身と、予測とその結果は合致していたのかどうか、外れたのか、そこをお聞きしたいというふうに思っています。
 それともう一つは、このEU憲法、かなりの論点があるけれども、先ほど失業の問題が一番争点だったと、あるいは農民が非常に将来について悲観的だったという話、農民が反対の立場に立ったということを言うんですけれども、多分そのことについてマスコミがいろんな報道をされたと思うんですけれども、そのことについて虚偽だとかやり過ぎだとか、そういう議論というものは起こらなかったかどうか、お聞かせをいただきたいと思います。土生参考人にお伺いします。
○参考人(土生修一君) マスコミの予測は、やはりあれですよね、最初はとにかくもう賛成ということだったですけれども、世論調査で三月か四月に逆転してから、ただ、直前の予想でも僅差でノーというところの方がたしか多かったような気がしますけれども、だから、そういう意味でいけば、結果はマスコミの予想よりもノーが多かった。だから、そういう意味では意外。しかも一年前はその逆でしたから。だから、マスコミの予想も、そういう意味では結果はある程度当たりましたけれども、差としてはもっとノーが多かったという意外感はあったんじゃないですかね。
 あとは、失業……
○近藤正道君 虚偽報道。
○参考人(土生修一君) いや、これはどうですかね。もう結果自体の衝撃が大きかったので、報道自体、後からも、私も住んでいるのはイギリスなので、その後戻っちゃいましたので、イギリスの新聞を通してしか分かりませんけれども、報道自体の問題点が何かあったようなことは、今思い出す限りは記憶にありません。
○近藤正道君 終わります。
○会長(関谷勝嗣君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言申し上げます。
 参考人の方々には大変貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後二時三十八分散会

ページトップへ