第164回国会 参議院憲法調査会 第3号


平成十八年四月二十六日(水曜日)
   午後一時開会
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   委員の異動
 四月二十五日
    辞任         補欠選任
     藤末 健三君      白 眞勲君
 四月二十六日
    辞任         補欠選任
     近藤 正道君      渕上 貞雄君
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  出席者は左のとおり。
    会長          関谷 勝嗣君
    幹事
                岡田 直樹君
                武見 敬三君
                若林 正俊君
                高嶋 良充君
                ツルネン マルテイ君
                簗瀬 進君
    委員
                秋元 司君
                浅野 勝人君
                河合 常則君
                北川 イッセイ君
                佐藤 泰三君
                中川 義雄君
                福島啓史郎君
                藤井 基之君
                森元 恒雄君
                山本 順三君
                犬塚 直史君
                江田 五月君
                佐藤 道夫君
                内藤 正光君
                白 眞勲君
                広田 一君
                福山 哲郎君
                藤本 祐司君
                前川 清成君
                松岡 徹君
                水岡 俊一君
                魚住 裕一郎君
                白浜 一良君
                山下 栄一君
                仁比 聡平君
                渕上 貞雄君
                田村 秀昭君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       小林 秀行君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (憲法改正等国民投票制度の主要論点)
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○会長(関谷勝嗣君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、憲法改正等国民投票制度の主要論点に関する各会派の意見陳述を踏まえ、二時間程度、委員相互間の意見交換を行いたいと存じます。
 まず、各会派からそれぞれ十分程度御意見をお述べいただきたいと存じます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、御意見のある方は順次御発言願います。岡田直樹君。
○岡田直樹君 自由民主党の岡田直樹でございます。
 前回表明されました国民投票法制に関する各党の御意見を踏まえながら、論点を絞って私の意見を申し上げたいと思います。
 第一に、国民投票法制を早期に制定することの必要性であります。前回も、国民投票法制は急ぐべきではない、あるいはつくるべきではないと、こういう御意見もございましたが、私はもはやこれ以上先延ばしすることは許されないというふうに考えております。
 近代憲法には様々な国民の権利が規定をされておりますが、そのうち最も根本的なものは、主権者である国民自らが憲法を定め、あるいは改める権利であると思います。これを憲法制定権力なんと言うと非常に難しいので、簡単に憲法を作る権利と呼びたいと思います。あるいは国の形を決める権利と言ってもよいかもしれません。しかし、日本国民は歴史上いまだ一度もこの権利を行使したことはないし、また行使したくても行使できなかったのであります。
 戦前の日本では国民に憲法を作る権利はありませんでした。御承知のとおり、帝国憲法を起草したのは伊藤博文始め明治の元老や官僚でありました。帝国憲法は当時主権者であった天皇から国民に対して下しおかれたものなのであります。また、帝国憲法七十三条には憲法改正の規定もありましたが、それは勅命によって発議をされ、帝国議会が議決をするものでありました。国民は直接関与できませんでした。そして、戦後、日本国憲法の制定は、形式上この帝国憲法七十三条による改正でありますが、実際にはアメリカの意思と力によるものであったことは周知の事実であります。
 戦後、この日本国憲法九十六条において初めて憲法改正の最終の決定は国民投票によるものとされました。そして、新たに主権者となった国民が初めて憲法を作る権利を手にしたわけであります。
 ところが、せっかく国民投票の規定がありながら、この六十年間国民投票のルールである手続法が制定されませんでした。これは事実上、国民から憲法を作る権利を奪ってきたことになり、国民主権の大切な一部分が侵害されてきたと言っても過言ではないと思います。
 先輩各位に対して大変失礼でありますが、国会はこれまで憲法九十六条をないがしろにしてきたと言わざるを得ないように思います。立法不作為による憲法違反と言えるかどうかは分かりません。しかし、国会は怠慢のそしりを免れないと思います。どうせ六十年も放置してきたのだからもうしばらくはいいだろうと、こういうふうなわけにはまいらないと思います。
 以上、憲法改正の是非を論ずることとは別に、手続法たる国民投票法制を早急に整備し、国民が本来持っているはずの憲法を作る権利を実際に行使できるようにしなければならないということをまず申し上げたいと思います。
 第二に、国民投票法制を憲法改正の国民投票に絞るか、あるいはそのほかの国政の重要問題も対象とする一般的国民投票をも同時に導入するかという論点がございます。私は、この二つの国民投票は次元を異にするものでありまして、二段構えで進める必要があると考えております。
 地方自治はある程度直接民主制を取り入れておりますが、これと異なって、日本の国政は原則として代議制、そして間接民主制であります。このことは、憲法前文に「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」とあるとおりでございまして、また国会を国の唯一の立法機関としていることもその表れであると思います。
 その中で、しかし、憲法は一つだけ大きな例外を設けました。それが先ほどから申し上げております九十六条でありまして、憲法を定めるあるいは改めるという国の根幹にかかわる意思決定は、最終的に国民自ら行うべきものとしたのであります。その裏を返せば、それ以外は原則として間接民主制を取る、これが日本国憲法の原則だと思います。
 ちなみに、少し余談になりますけれども、去年の総選挙で、小泉総理はほとんど一つのことしか言いませんでした。郵政民営化であります。私は、当時、総理の全国遊説の前座を務めておりましたので覚えておりますが、総理の演説の九〇%は郵政民営化是か非か、これだけでありました。そして、総理は決まり文句のようにこう言っておられた。国会が郵政民営化にノーと言ったんです、だから私は衆議院を解散して郵政民営化イエスかノーか、このことを国民の皆さんに直接お聞きをしたいと思って解散をしたんだと、こういうことを繰り返し言っておりました。結果は自民党の勝利になり、郵政民営化が実現しましたけれども、こうした単一のテーマを定めた国民投票的総選挙、こうしたものが本当に良いのかどうか、私にもはっきり分からないのであります。そして、皆様にも賛否両論あることと思います。
 また、一歩進んで、国会や国民が発議する形で、国政の重要問題について一般的国民投票を行うことも検討に値するとは思います。しかし、幾ら拘束力を持たない諮問的な国民投票といっても、その結果は国会の判断に大きな影響を及ぼすでしょう。したがって、一般的国民投票の導入は、国会を国の唯一の立法機関とする日本国憲法の原則を実質的に変更するものでありまして、法律の制定だけでは足りない問題、それ自体が憲法改正を必要とする問題ではないかと考えます。
 繰り返し申しますが、私は一般的国民投票を一概に否定するものではありません。前回、簗瀬先生は、直接民主主義の二十一世紀的な発動の姿、こういうふうにおっしゃいました。このことに共鳴するところもあるんですけれども、しかし、二つの国民投票を一挙に導入するというのは少し無理があるのではないかな、こう思うものであります。
 手順を踏んで、まず憲法改正国民投票法制を整備し、しかる後に一般的国民投票を書き込む憲法改正の是非について問うのが筋道と考えるものであります。そのほか、投票権者は何歳以上にするとか、あるいは投票運動やメディアの規制をどうするとか、投票の方式は一括がよいか個別がよいかとか、何をもって過半数とするかとか、いろいろ詰めなければならない論点はたくさんあると思いますが、これらは、党派を超えて大いに論議することによって十分に公正中立な法制をつくることができると、こう確信をいたしております。
 最後に、私は今の日本国憲法はおおむね良い憲法であると思っております。国民主権、基本的人権、平和主義、こうした人類普遍の理念というものをしっかり受け継いでいかねばならないと思います。
 しかし、人間がつくるものに完全無欠なものはございません。そして、制定から六十年を経て、時代に合わなくなった部分も見られるわけであります。こうした部分を改め、自らが生きる時代に即したより良き憲法を作る権利が国民にあるということを再確認したいと思います。そして、憲法九十六条の本旨に基づき、速やかに国民投票法制を整備することこそ、国会が長年果たさずにきた責任であり、私たちはもはやこの責任を回避することはできないんだと、こういうふうに申し上げまして、私の意見の表明を終わりたいと存じます。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、高嶋良充君。
○高嶋良充君 私は、各会派から提出されました主要論点の中でも、総論的な論点について、他党との違いも含めて意見を表明をさせていただきたいと思います。
 まず、先ほど岡田委員からも述べられました憲法改正国民投票制の要否、いわゆるそもそも論から述べたいというふうに思います。
 民主党は、憲法改正国民投票制度そのものについては必要であるというのが原則的な立場でございます。その理由は、憲法制定権の担い手である国民がその権利を行使する制度を整備をするということは、国民の主権を回復をし、真の国民主権を具体化することであるというふうに考えているからであります。
 じゃ、いつ制定すべきなのかという問題であります。
 自民党、さらに先ほどの岡田委員からは、速やかに制定すべきとの意見が述べられておりますけれども、私は、国民的議論の成熟度という面からは慎重であるべきだというふうに考えております。平成十七年の十月十三日の衆議院憲法調査特別委員会において、高橋正俊参考人は、国民投票法が国家の基本法であることからすれば、十分な時間的余裕を持って直近の政治状況に惑わされずに制定することが理想であると、このように述べておられますが、私も同感でございます。
 既に政権党から具体的な憲法改正草案が公表、提示されているという状況の下で、本当に中立公正な国民投票法を制定することができるのかどうか疑問であると言わざるを得ません。今必要なことは、直近の政治状況に惑わされないためにも、憲法改正論議と国民投票法の議論を明確に切り離して行うべきであります。
 前回の調査会で自民党の若林幹事からも、憲法を変える、変えないという議論とは切り離して、憲法改正についての意見の違いを超えて、公正中立な改正手続のルールとして制定すべきであると述べられました。であるならば、政権党である自民党は、新憲法草案なるものを白紙に戻すくらいの配慮が必要なのではないかと思っているわけであります。
 さらに、投票法に対する国民の関心がまだまだ低い、国民的議論が成熟をしていないという状況の下では、衆議院で言われているような今国会で成立をさせるとか、本年中に成立とかの期限の特定はもってのほかであると思っております。
 いずれにしても、今一番大切なことは、国民的議論を高めることであります。そのためにも、十分に時間的な余裕を持って本調査会で引き続き慎重に調査を行うべきであると考えております。
 第二に、憲法改正の限界論についてであります。
 衆議院の憲法調査会において自民党は、現憲法の良いところを堅持しつつ、全面改正という形式によって新憲法を制定することは憲法九十六条の許容するところではないかと主張をされていますが、私どもは、憲法改正権は憲法自身によって設けられた権限であるから、改正の範囲には限界があると考えています。
 九十六条二項には、改正憲法をこの憲法と一体を成すものとして公布することが定められています。この規定が現行憲法の存在を前提としていることは明らかであり、全面改正は認められないと考えています。憲法改正の限界は憲法の同一性が保たれるか否かであります。現行憲法の基本理念である国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、これらを変更する憲法改正は行うべきではありませんし、また、他の規定よりも上位にあると思われるものは改正できないと考えています。
 憲法改正に限界があるとしているのは、日本だけに限りません。ヨーロッパでも、軍部による独裁、圧制を経験した国においては、改正に限界があることを記している国もございます。また、憲法改正の限界を超えた改正については、裁判所による無効判決の原因となるものにすべきではないかとも考えております。
 第三に、国民投票法案の対象範囲についてであります。
 国民投票制度を適用させる範囲について、今回は、憲法改正時の国民投票制度に限定すべきであるというのが自民党の考えのようでありますが、民主党は、前回の調査会で簗瀬幹事が申し上げたとおり、国政の問題に関する一般投票も規定すべきであると考えています。
 国政における重要な問題に関して国会がその旨を議決した場合は、憲法改正国民投票とは別に、国民投票に付することができる法制をつくるべきであると考えています。例えば、皇室典範の改正について、象徴天皇制が国民の総意に基づいていることからも、国民投票に付してもよいテーマであるはずであります。また、欧州の国民投票制度の調査によれば、各国は憲法改正の場合以外にも直接民主制の手法を限定的ではありますが採用していることは、本調査会の海外調査でも明らかになっているとおりであります。
 第四に、投票権者の範囲についてであります。
 今日までの論点として、第一は、国政選挙と一致させ二十歳とすべきとの意見、第二は、国政選挙と一致させるべきであるが十八歳にすべきとの意見、第三は、国政選挙と必ずしも一致させる必要はなく十八歳とすべきとの意見、第四は、最近自公で合意されたと言われる、当面は二十歳以上とするが年限を切って国政選挙の選挙年齢と一緒に十八歳に引き下げるべきとの意見がございます。
 民主党は第三の考え方に立ち、投票年齢はあくまで十八歳以上あるいはそれよりも若い世代の国民とすべきであると考えています。その理由は、国政選挙と国民投票は本質的に異なっていることから、投票者の範囲も当然ながら異なってもよく、憲法改正国民投票は二十一世紀の国の形を決める大変重要な国民の意思表示であることから、幅広く多くの国民に投票へ参加してもらうことが重要であるとの考え方からであります。このため、投票権者は原則十八歳以上とし、例えば未成年者の人権にかかわる憲法改正の場合など、国民投票に付する憲法改正又は案件の内容に応じ、両議院の議決によって年齢要件を下げることができるようにすべきであると考えています。
 なお、自公で合意された当面二十歳以上の考え方の要因には、年齢は国政選挙と一致させるべきとの理由が大きいと思われます。しかし、自民党は、国政選挙と憲法改正国民投票とは同時実施すべきではないとの御意見のようでもあり、そうであるならば、国政選挙と同年齢にこだわる必要はないと考えます。また、前回の調査会で若林幹事は、選挙権者と投票権者の範囲が異なれば、コストや名簿調製等実務的に困難であると述べられています。そうであるならば、この機会に選挙年齢も十八歳に引き下げることが一番良い問題解決の方法ではないでしょうか。
 既に民主党は、国政選挙の選挙権の年齢を二十歳以上から十八歳以上に引き下げることをマニフェスト等で主張していることを申し添えておきたいと思います。
 以上が私の意見でございます。後ほど同僚委員からも意見が述べられると思いますが、手続法といえども国家の基本にかかわる重要な法制度であり、拙速は避け慎重に、そして国民とともに論議を尽くしていくことを申し上げ、意見表明といたします。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、白浜一良君。
○白浜一良君 公明党の白浜一良でございます。
 先週、様々な角度から国民投票に関する論点を整理をされまして、今日は私どもの考えを何点かお話を申し上げたいと思います。
 まず一点目でございますけれども、原則論を述べたいと思います。
 これはもう度々主張されていますように、憲法九十六条に憲法改正の規定があるわけでございますから、当然その規定に基づいてどのように国民投票に付するのかという手続法が必要なのは、これは当然の理でございます。そういう意味で、五年間の本院憲法調査会で議論をしていた経緯もございますし、また憲法制定以来六十年近くたつわけでございますから、憲法改正に関する国民の関心も非常に高まっておることもございますし、そういう意味で速やかに論点を整理して成立を期すべきだということが私どもの考え方でございます。
 また同時に、一般的な国民投票を主張される方もいらっしゃいますけれども、我々が議題にしているのは、これは憲法の九十六条の規定に伴う国民投票をどうするかということ、これが喫緊の課題でございまして、私どもはそういう面で、憲法改正手続に伴う国民投票の在り方を成案を得べきだということをまず原則論として主張しておきたいと思います。
 それから二点目に、今もお話ございましたが、国民投票の投票権者の問題でございます。
 これもいろいろ議論をいたしましたけれども、結局選挙人名簿を使う以外にないというのが一つの結論なんです。幅広く国民の参加を求めるべきだというのは、これはもう当然の理念でございます。しかしながら、一方で、いわゆるそういう投票権者の名簿を常に作成しなきゃならないという実務上のコスト、そういうことを考えますと、幅広く国民の参加が必要だということは、これは当然前提といたしまして、現実的には選挙人名簿を使わざるを得ないということが一つの結論だということなんです。
 二十歳以上か十八歳以上かということはよく議論されるんですが、それは公選法上の問題でございまして、国民投票をどうするかという場で私どもは議論すべきことじゃないと。選挙権は我が党も、それは十八歳以上にすべきだという主張は我が党もございます。しかし、国民投票をどうするかという、この場においてそういう公選法上の規定まで議論する必要はないんじゃないかと。それはそれとして、選挙制度の在り方として考えればいいということで、結論的には投票権者は選挙人名簿を使わざるを得ないんじゃないかということが私どもの考え方だということを主張しておきたいと思います。
 それから三点目に、憲法改正の発議があったとして、それをどのように国民に周知、広報するかということでございますが、これも各党いろいろ御議論があるわけでございますけれども、私は国会の中においてそういう委員会なり協議会なりを設けるべきだとは思いますけれども、その構成に関しては、当然、発議された内容に関して賛成、反対の立場はあるのは、もうそれは当たり前の話でございますが、通常の委員会がいわゆる議院運営委員会で設置をされるような、そういうルールに基づいて委員の数は決めるべきだということを主張しておきたいと思います。
 それから四点目でございますが、いわゆるどのような投票をするかということでございますが、私どもは加憲論という立場を取っております。現憲法は戦後日本の社会において国民の中に定着しているという立場に立っております。ですから、全面改正という、そういう憲法改正の考え方ではございません。ですから、現憲法の中で新しい要素をどのように加えていくかと。時代とともに必要なこともございます。そういう面で加憲論という立場を取っていること。例えば、新しい人権という、そういう項目もございましょう。また、最近、大変地方主権とか地方分権とか言われますけれども、新しい時代に即応した地方自治の在り方、もう少し明確に記すべきじゃないかと、こういう考えもございますし、そういった面での新しい時代に即応したそういう項目を加えるという、そういう立場でもございますので、投票に関しましては個別投票であるべきだというふうな考え方でございます。
 それから五点目に、投票の方式でございますが、これもいろんな考えがございますけれども、これは国民の皆様の明確な意思を求めることがこの投票の中では大事でございまして、賛成か反対かと、その意思表示をしていただくということが大事でございます。そういう意味でいいますと、意思表示のないものは無効である、そういう判断に立った方が正しいというふうに考えているわけで、そういう前提に立てば、マル・バツ式にするのか選択式にするのか、まあいろんな方法はあると思いますが、いずれにいたしましても、明確な国民の皆さんの意思を求める、そういう投票の形態であるべきだというふうに考えているわけでございます。
 それから最後に、六点目に申し上げたいのは、いわゆる国民投票運動の規制の問題なんです。
 これはもう、規制はできるだけない方がいい、できるだけ緩やかな方がいいというのは、これはもう当然原則だとは思いますけれども、だけれども、いわゆる特定の公務員をどうするかということは何らかの規制が必要じゃないかと、このように思うわけでございます。
 よく言われますが、大体、選挙管理委員の方は運動しませんよね。国民投票運動なんでいいんじゃないかという考え方もあるかも分かりませんが、やっぱり特定の公務員の方はある一定の規制を設けるべきじゃないか。どこからどこまでというのは議論があると思いますが、そういうふうに思いますし、また、教員、公務員の地位を利用しての極端な運動ですね。あんまりこれ厳密に考えると運動ができなくなりますので、それは緩やかであってもいいと思うんですが、極端に地位を利用したような恣意的な運動というのは、それは抑制的であるべきじゃないかということで、中身はこれから議論すべきだと思いますが、基本的な考え方は私どもはそのように考えていると。
 大きな問題点、六点にわたって述べさせていただきましたけれども、以上で意見の開陳を終わりたいと思います。
○会長(関谷勝嗣君) 仁比聡平君。
○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。
 現在、国民投票法が制定されていないことが怠慢である、あるいは立法不作為であると言われる世論状況にはないということ、また自民党の新憲法草案など改憲への政治日程が具体的に掲げられる中で公正中立な手続のみの議論はあり得ないこと、また当調査会の調査が衆議院憲法特別委員会理事懇談会に呼応する形で進められることは、調査会本来の任務と在り方に反して許されないという我が党の立場は前回強く申し上げたとおりでございます。
 それを敷衍する意味で、憲法九十六条は国民投票に何を求めているのかという観点から私の意見を申し上げたいと思います。
 代表民主制と政治不信の高まりの中で、直接民主制に対する期待が広がっています。九〇年代以降、全国で原発やごみ処理場、吉野川可動堰計画、基地建設や米軍再編、あるいは市町村合併などについて住民投票でその地方議会や首長の決定と異なる結果が出され、首長や地方議会多数派の政策が変更されることが相次いでいます。住民投票条例を制定する自治体も増えております。
 しかし、いずれの住民投票も具体的事業の是非について単一の争点が問われるものであること、また、その効果が自治体首長や地方議会に対する諮問的なものである点において、憲法九十六条が規定する国民投票とは本来の性質を異にするということを我々は認識しなければならないと思います。
 国民投票に問うことなく解釈改憲によって立憲主義を壊してきたのは正に改憲派であって、そのねらいは、解釈改憲によってはどうしても乗り越えられない限界が依然として非常に大きく、その意味で、九条二項の歯止めを取り払おう、解釈改憲を打破して明文改憲を行おうという強い衝動にあります。
 国民投票から逃げ続けてきた改憲派が、今、国民自身の手によって初めて憲法を定めるのだという理由のキャンペーンで新憲法制定を主張することに、私はある種の欺瞞を感じます。もし憲法改正が国民投票なしになされ得るものであるならば、このようなことが語られるわけはないのではないでしょうか。
 憲法九十六条は、国民投票を憲法改正の成立要件としております。憲法改正の成立要件として、特別多数による国会の議決だけでなく国民投票による承認が置かれているのは、憲法改正を発議する国会の意思とは別に、その上に主権者である国民の意思が優位すると考えられているからであります。したがって、主権者である国民の意思は、国会の議決とは別に自由につくられ、国会とは異なる決定を行うことが十分に保障されなければなりません。それが憲法九十六条の直接の要請であると考えます。
 ここで決定的に重要なことは、主権者国民の意思決定、すなわち国民投票に至る一人一人の国民の意思形成の過程で十分な討論が行われることであり、そういった意味での国民投票運動の徹底した自由と十分な保障が憲法上求められているというところにあると思います。
 憲法あるいは憲法改正が扱う問題は、気分や衝動に左右されることもあり得る人気投票ではありません。単に一人の個人だけにかかわるものではなく、その個人を含む社会の成員全員に共通の問題であり、投票する国民が態度決定をするに当たっては、その判断理由が問われることになります。もちろん、その判断理由を自覚すること、あるいは表明することが他者によって義務付けられることがあってはなりません。それは、内心の自由の問題です。しかし、一人の個人だけでなく、社会の成員全員にかかわる共通の問題についての表決が、つまるところ一人一人の有権者の選択によって定まる場合、投票者が自由で十分な討論、すなわち個人の選択と投票理由についての他者との応答関係、納得してもらったり同意してもらったりする関係から離れた、利害だけに基づく投票となることのないよう憲法は要請していると考えるべきです。そして、どんな人でも、自らの判断理由を自覚した、その人ならではの判断をするためには他の人々と討論することが欠かせないのであります。
 個々の投票権者は、最終的には投票所で秘密投票に臨みますが、それまでの過程では、発議された提案にかかわる十分な情報に接し、様々な見解と出合い、意見交換することが保障されなければなりません。
 このように考えるとき、憲法上、国民投票を国会による憲法改正の発議を追認する制度あるいはそのような効果を持つような制度にしては断じてならないこともまた明らかだと思います。
 また、九十六条を論じるならば、今日の国民主権の現実的な行使の在り方、その抑圧、制限の実態を徹底して検証し是正することこそ求められているのではないでしょうか。
 国民投票における自由で十分な討論の保障の要請を考えるとき、公務員法や刑法その他によって国民の表現の自由、政治活動の自由、市民的・政治的自由が現実に侵害され抑圧されていることを正面からとらえ、正さなければならないと思います。国民投票制度の調査といいながら、国民投票運動の制限、規制やメディア規制の是非、過半数要件や一括投票の是非、投票権者の範囲などが論点とされているのは、結局、私が申し上げてきたような、自由で十分な討論の要請に目を背けているからではないのでしょうか。
 まず改憲ありきという動機に基づくからこそ、憲法改正のためにはどうしても国民投票が必要だから、言わば改憲発議を国民に追認させることができるよう、本来国民主権の直接行使であるにもかかわらず、国民投票運動に様々な規制を掛ける、そんなやり方は断じてやめるべきだと強く申し上げ、私の発言といたします。
 ありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 渕上貞雄君。
○渕上貞雄君 社会民主党の渕上貞雄でございます。
 国民投票制度を論ずるには、我々は、まず大前提として、憲法の意義、役割についての認識を共有しておくべきだと思っています。
 憲法は何のために存在するのか。国家権力を制限する行為規範として存在するものであり、国民の行為規範として存在するものではありません。これが近代立憲主義の立場です。日本の憲法も近代立憲主義に立脚したものです。この憲法を国民の行為規範に変えるべきだという主張が出ていますが、とんでもないことです。こういう人たちには、是非、近代憲法の成立、成り立ちについて、近代立憲主義について一から学習をしていただきたい、そのように思っています。
 次に、この憲法調査会においてただいまのように国民投票制度についての議論を行っているところですが、私どもは、そもそも国民投票を論ずる時期ではない、国民投票制度は必要ないと考えております。なぜなら、憲法九条の改正が声高に叫ばれ、自民党が新憲法草案を発表していることなどに端的に表れていますように、憲法改正と国民投票制度は切り離して議論することができる状況にはないからであります。しかし、現行憲法には、それを変えなければ政治や行政運営が停滞するというような制度的疲労が起きているわけでもありません。
 世論調査を見ても、国民の多くは国民投票制について知らないと答えています。知っていると答えた人でも、その四分の三以上が国民投票制度は必要ない、急いでつくらなくてもよいと答えています。また、憲法についても、特に九条については改正の必要性を感じておりません。
 国民投票制度の議論については、国会と国民の間に大きな乖離があると言わざるを得ません。国民投票制度が焦点とされ、議論されているのは、自民党の新憲法草案など九条改憲の議論に強く影響されているためだと考えております。
 国民投票制度がなかったことは不作為行為だという主張については、何度も反論をしておかなければなりません。
 国民投票制度が存在をしなかったのは、国民が憲法改正を望まなかったからであり、今日まで国民投票制度が必要だという世論が起こらなかったからであります。しかも、国民投票制度が存在をしないということによって、国民が過去においても被害を受けたり、現在被害を受けたりしているわけでもありません。不作為行為とは、アスベストやハンセン病のように行政の怠慢によって取り返しの付かない被害が出ている場合のことをいうのであります。
 次に、憲法改正には限界が厳然として存在するということであります。
 憲法前文は、国民主権を明確にし、これは人類普遍の原理であり、我々はこれに反する一切の憲法、法令及び勅旨を排除することを明らかにうたい上げています。この前文を受け、憲法第九十六条では、憲法改正について承認を得たときはこの憲法と一体を成すものとして直ちにこれを公布するとされているものであり、現行憲法を否定する憲法の改正を断固として排除しているのであります。これを否定しようという主張は革命かクーデターと同様の主張であり、絶対に受け入れることはできません。
 自衛軍の保持と海外での武力の行使を可能とする自民党新憲法草案は、国民主権、基本的人権、平和主義という現憲法の根本理念の中で、わけても平和主義を否定するものであり、九十六条に明文されているところ、現憲法の一体性を認めることはできません。実質的にも形式的にも改憲の限界を超え、憲法九十六条が規定している改正の領域を超えている全面改正や新憲法の制定は、憲法九十六条の改正手続ではできないということを強調しておきたいと思います。
 終わります。
○会長(関谷勝嗣君) 各会派を一巡して御発言をいただきましたが、他に御意見のある方は挙手をお願いいたします。
 なお、一回の発言時間は五分程度でお願いをいたします。
 それでは、山本順三君。
○山本順三君 自由民主党山本順三でございます。
 四月五日の憲法調査会幹事懇談会で、各党から憲法改正等国民投票制度の主要論点に関するメモというのが出され、共産党以外の各党から出された。そして、それをベースにして、先般、四月十九日に各派それぞれ意見を述べたところでございまして、そういった論点に従って何点か重立った点について私の意見を述べさせていただきたいと思います。
 まず、先ほど来お話がありますけれども、国民投票法制の早期制定の必要性というところであります。
 このことにつきまして、今ほど、国民投票制度というものを知らない、世論調査の結果が出て、知らない人が多いというようなお話がございました。過去をさかのぼって、憲法を改正しようということが具体的に国民の中で同意を得られたのは、まだまだ最近の事例であろうかと思います。ということは、それまでは憲法改正というものが幅広く国民の同意を得られるところまではなかなか行ってなかったのかな。当然それに連動した形で国民投票制度、これを一般の国民の皆様方が関心を持つ、これ、はずもないというのが現状であろうと思うんです。
 皆さんも御案内のとおり、憲法九十六条に、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」ということが明記をされているわけでありますから、今世論調査等々でも憲法改正の必要性というものに対する同意というものが幅広くこれ広がってきた昨今でございますので、そういったことを勘案しながら、この九十六条に明記されておる国民投票、この法制化というものは極めて必要性があるし、それは急がれるものである、このように私どもは思っておるところでございます。
 それからもう一点、国民投票制度が対象とするその範囲でありますけれども、これについては様々な意見がございまして、この憲法改正にだけ限定するものなのか、あるいはまた様々な意思決定をするために国民投票制度全般においてこの国民投票というもの、これを位置付けていくのかというような議論があるわけでございますけれども、私個人的には、この国民投票制度というものは憲法改正にしっかり絞って、そして他の重要な国政問題を対象にするということとは切り離して考えるべきではないだろうか、このように思っております。
 それから、今ほども大分いろいろ議論が出ましたけれども、投票権者の範囲であります。
 特に年齢の問題が、二十歳なのか十八歳なのか、あるいはもっと幅広く、それぞれの会派でいろいろな御意見があろうかと思います。
 ただ、私、一つだけ感じておりますことは、憲法という正に国の骨格を定めるその国民投票の投票者の範囲と、それから政策等々を中心として人なり政党を選んでいこうとする選挙とその投票者の範囲というものが違っていいんだろうか、あるいは、もしできるだけ幅広くするのが国民投票の場合よいというふうに考えるならばそれはどの程度の幅なのかというのは、これはまだこれから大いに議論をしていってしかるべきだと、このようには思っております。
 ただ、憲法改正というものを考えていくための人間個人個人の知見と、それからまた政策を考えていく上での人間個人個人の知見と、それを比較することができるのかどうなのかなということの心配もあろうかと思います。私の個人的な考え方としては、あくまでも、選挙とそれから国民投票と、当面は二十歳ということで限定をして、いずれ選挙に対しての、公職選挙法等々の改正によって十八歳への引下げがある場合にはその時点で考えていくべきではないだろうかと、このように思っております。
 最後にもう一点だけ申し上げます。
 情報提供についてでありますけれども、これは、国民に様々な情報というものを提供していくことは非常に必要でございますし、また十分な周知期間の確保というものは必要かと思います。我々は六十日ないし百八十日ということでございますけれども、今のこの情報化時代でありますから、日数で限定するのがいいのかどうかということもございまして、いずれ、発議者、国会による広報活動の在り方の中で具体的な広報の内容についての議論が出てこようかと思いますけれども、より有効な広報対応ができるようなそういう機関というものを設置することが一つと。
 もう一つは、何といっても報道機関。やはり我々は、報道機関、マスメディアから様々な情報を得るということが一番早い、スピーディーな情報の得方でありますから、そういった意味では、この報道機関から正確な情報を得られるようなシステムをつくると。
 そのためには、やはり若干の規制というもの、上からの規制ではなくて報道機関自らの自主規制というものを具体的に明記していく必要があるんではないだろうかと。報道に関する基準の策定、あるいは報道に関する学識経験を有する者を構成員とする機関の設置等々、そういったものを明確化した上で、報道機関のいわゆる報道の力というものも情報提供という意味で大いに活用していくような、そんな手法を考えていければ大変有効ではないかと、このように思っております。
 以上でございます。
○会長(関谷勝嗣君) 江田五月君。
○江田五月君 今日、私は発言の予定をしていなかったんですが、同僚議員の御発言に触発をされまして、若干の意見を申し上げます。
 国民投票制度の整備の必要、これは私たち民主党も当然だと思っております。現在の憲法は改正というものを予定し、第九章改正、そして第九十六条に改正の規定を置いているわけで、規定がありながらその制度ができていないというのは、やはりこれはいびつなことだと言わなければならない。
 そして、その改正の制度は、じゃ、どうやってつくるかというと、特別の国民投票又は選挙の際に行われる投票となっていますが、これは選挙の投票とは違って、やはり発議された憲法の内容に賛成かどうかを尋ねるわけですから、別の制度であると。しかし、その制度は、じゃ、どうやってつくるかというと、やはりこれは法律で作るほかないので、国民投票法というものを作らなきゃいけないと、これはそのとおりだと思っております。
 ただ、ここで考えなきゃいけないのは、この国民投票法というのは憲法の改正と極めて密接な関係を持っているということですね。
 簗瀬委員は準憲法的規範と言われましたかね、そういう言い方もあると思いますが、この九十六条の規定というのは、これは極めて面白い規定でありまして、この規定ができる経過についての学者の説などもいろいろあるようですが、今日はそれについては触れませんが、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会がこれを発議すると。これは、普通の法律のルールに従って、ただその要件が三分の二に上がっているというだけではないんですね。各議院がそれぞれ三分の二で同じ案を議決をして国会が発議をするということにならなきゃいけない。衆議院と参議院と内容の違うものを三分の二で議決をしてみても、それでは発議ができない。そういう特殊な性格の構造になっているわけで、したがって、憲法改正の発議は、内容を決めるに当たって、衆議院、参議院両方が、どういう方法であるかは別として、いろいろと知恵を絞りながら一つの案に到達しなければできないという、そういう性格になっているわけです。
 そういうものの発議をするときの法制度というのをどうやってつくるかということですから、この法制度も普通の法律と同じように、例えば内閣が提出をする、衆議院で可決をされる、参議院に来て、仮に参議院が否決をすると衆議院が三分の二で可決をして成立させると、そのようなやり方でこの国民投票法というものを作っても、うまくその後動くはずがないじゃないですか。
 したがって、私どもはやはり、この国民投票法についても、その内容の合意を得る方法というのは、これはよく考えていかなきゃいけない、衆参両方がこれをやろうと、作ろうという意思を持った議員が英知を絞って一つの案に集約させていくという努力がないといけないと思っております。
 そういう意味で、この経過の中で内閣が案を出すというようなこともちょっと議論されたことがありますが、これがさたやみになったことは大変有り難いことだと思っておりますが、今与党の方が与党だけでも早期に成立をさせようというような動きがもし仮にあるとするのなら、これは大変遺憾なことであって、そのようなことをやるならば憲法改正に対して大きな障害になると、この警告を私どもはしておかなければいけないと思っております。
 ですから、早期という、早期がどういう意味で、六十年たっているんですから、まあ二、三年も早期のうちに入るというなら、それは分からぬわけじゃありませんが、この通常国会の中でというような早期はいささか早期に過ぎるというように私は思っているところで、十分な議論をしていきたいと。私どももそういう意味でこの論点メモをちゃんと出しているわけでありまして、また、みんなの議論の中から結論を得るという意味で私たちは、この国民投票制度については大綱までで止めている、憲法改正についても提言までで止めている、この私どもの自制心というものをひとつ是非御理解をいただきたいと思っております。
 時間が余りありませんが、あと一、二点だけ。
 この数年の議論の中で憲法についての理解は私ども随分成熟をしてきたと思っておりまして、憲法をどう変えるかといういろんな議論はありますが、憲法の三原則というものは定着をし、これは貴重なものであって、これからも堅持をするというそういう合意ができているわけですから、私はそういう合意の下に憲法改正の議論もタブーなく大いに進めていければいいと思っております。
 ただ、投票権者ですが、先ほど選挙人名簿がやはり基本になるのではないかというお話がございました。それも一つの考え方かと思いますが、例えば三か月居住要件というようなものが憲法改正の国民投票に要るのかどうかですね。これは、やはり日本国民であれば二か月であろうが一か月であろうが、昨日転居してきた者であろうが、みんなそれは国民投票の投票権というのは持っていて当然ではないかと思いますし、また、例えば在監者なども、これは議員を選ぶ投票については確かにいろんな制約が免れないと思いますが、憲法改正の投票まで在監者は投票権がないんだという必要があるのかどうかというようなことを考えますと、やはりおのずから公職選挙法の選挙人名簿によるということではやはり足りない部分があると。そこで私は、これは、憲法改正の国民投票については、公職選挙法の選挙人名簿をもっともっと補充して豊かな制度につくるべきものではないかと思っております。
 そのほか、各論点については既に私どもの簗瀬委員が前回問題提起をしておりますし、今日また高嶋委員の方からも発言ございましたので、そちらにすべて譲ります。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 福島啓史郎君。
○福島啓史郎君 自由民主党の福島啓史郎であります。
 この憲法改正国民投票制度につきまして、主要論点につきまして、先日の議論、また今日の議論を踏まえまして申し上げたいと思います。
 まず、今、江田委員も言われましたけれども、私は憲法改正規定があるにもかかわらずその法的な手続法がないというのは、私は立法府として責任を全うしていないと言わざるを得ないと思います。したがって、憲法改正議論をリアリティーのあるものとするためにも、速やかにこの国民投票法、手続法を整備すべきであるというふうに考えます。これが第一点目でございます。
 それから第二点目の議論は、憲法改正は全面改正ができるかできないかというのが先ほど来議論がありました。同一性を損なう改正はできないという意見が出ていたわけでございますけれども、私はそういう考えは取りません。なぜならば、もしそういう考えを取れば、その憲法といいますのは、正にクーデター等超憲法的な事態でなければ改正できないということになるわけでございます。かつ、現実にこの現在の憲法も明治憲法、大日本帝国憲法の改正手続によって改正がなされているわけでございますので、同一性を損なう改正ができないという議論は私は取り得ないものだというふうに考えておるところでございます。
 三番目に、これも議論になっております国民投票制度の対象でございます。
 憲法改正に限定するかどうかということでございますが、私はこれは、日本は代議民主制度を私は日本の民主主義として採用しているというふうに考えるわけでございます。その点が、ヨーロッパ、スイス等の直接民主主義を伝統とする国と違うわけでございます。今回正に論点となっておりますのは憲法改正でございますので、憲法改正の手続法としての国民投票法を作るべきであると、したがってその対象も憲法改正に限定すべきであるというふうに考えます。
 四番目に選挙権の問題、この投票制度の選挙権の問題でございます。
 私は、基本的には公選法上の国政選挙と同じふうに考えるべきだと。基本的にといいますのは、先ほど来出ておりました住居期間あるいは公民権停止、そういった場合に排除する必要があるかどうかというのは私は議論はあると思いますけれども、しかし、基本的には国政選挙の選挙権と国民投票法の選挙権は一致すべきであると。なぜならば、それを違える私は意味がないと思うんですね。それは、もしそうであれば、国民投票で権利を与えられた人を国政選挙では奪うことになるわけでございますから、それを奪う合理的な理由は私はないというふうに思うわけでございます。
 五番目に、この国民投票をする場合には、国民に広くその内容を周知すべきだと思います。そのためには、メディア規制は必要最小限に限定すると同時に、国の予算等を取って、あるいはメディアの、何といいますか、無償の協力によってこの改正内容、国民投票の対象となっているものにつきまして国民に周知を図るべきであるというふうに思うわけでございます。
 最後に、私はこの憲法改正の言わば国民投票の対象であります憲法改正といいますのは、私は項目ごとに限定をするという考え方がありますけれども、私は基本的には一本の憲法改正についての賛否を問うというふうにすべきだと思います。そうでなければ、ある部分については合意をしある部分については国民の賛成を得られなかったという場合、どういう改正をするかということが私はまた問題になるというふうに思うわけでございます。ですから、国民に問うのは全体としての憲法改正についての賛否を問うというふうに考えるべきではないかというふうに思います。
 以上でございます。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、白眞勲君。
○白眞勲君 民主党・新緑風会の白眞勲でございます。
 先ほどから議論になっております憲法改正国民投票制度における、速やかにこの制度を確立すべきだという御意見に対しまして一言申し上げたいというふうに思うわけなんですけれども、そもそもこの憲法改正論議が、私は、別に合意ができたわけでこういった議論になったわけではなくて、憲法改正論議が盛り上がってきた観点からこういう国民投票制度というものに対して注目を浴びてきたという部分があるんではないのかなというふうに思っておりまして、そういう観点からすると、私たち民主党としましては別にこの国民投票法というんでしょうかね、制度を反対する立場ではありません。
 しかしながら、今までの立法府の怠慢というような観点から私たちは申し上げたくはないわけでして、今までは別に憲法を改正するというような話というのはほとんどなかったわけですから。逆に言えば、それを、こういった国民投票制度を一生懸命国会の場で議論をすると、ほかに大切なことが一杯あるのに、そっちの方をやる方がよっぽど怠慢なのかなとも思えなくはないわけでして、そういう観点からすると、そんなに怠慢というほどではないんじゃないのかなというのが私の感覚でございます。
 速やかにというふうに自民党の皆さんよくおっしゃっているわけなんですけれども、私は、速やかにというのも、やはりこの憲法改正という、憲法という極めて大きな意味合いのある、国の在り方を規定するようなそういう制度において、そんなに慌てふためいてやることもないんじゃないかなというふうに思うわけでして、人間というのは熱くなったり冷めたり、夫婦関係も熱くなったり冷めたりということもあるわけですから、ゆっくりとじっくりと議論をしていくことによって、いいものを国民が納得する形でつくっていく必要性が私はあるんだと、そういうふうに思っております。速やかにやろうというよりは、早くやろうというよりは、よほどやはりきちっとやっていくことによって、いわゆる何というんでしょうね、投票率というんでしょうか、も高くしていくという必要性もあるわけですから、国民的な論議もそこからやはり深めていくのも必要なんじゃないかなというふうに思っております。
 それともう一点、国民投票制度の対象とする範囲を憲法改正案にするかとか、あるいは重要な国家的政策課題も含めるかということについて、岡田委員が正に郵政民営化の例を出されたわけでして、郵政民営化の例でいいますと、郵政民営化に反対する政党に投票する人と、郵政民営化に賛成する投票、投票数ということにすると郵政民営化反対派の方が多かったような感じが私はしているわけでして、そういう観点からすると、岡田委員のおっしゃっているものというのは極めて重要な私は示唆をしているんではないのかなと思っております。
 本当の意味での重要な、国民にじかに問うということになると、郵政民営化をもしそういう形に、国民投票制度に仮にかけたとしたら、これは否決されちゃっていたわけですよ。そういう観点からすると、何かもう少しこの件についてみんなでじっくりと議論を深めていく、そういう観点からするとさっきの話になってきて、速やかにというのはどうなんだろうかなというふうにも思うわけでございます。
 それと、メディアの規制についてなんですけれども、やはり郵政民営化の例が端的な例でして、自民党さんの方から豊富な話題を一杯メディアに提供した観点もあったんじゃないかなと思うんで、刺客とかなんとかとかいろんな話があって、本当にメディアジャックされたような雰囲気もあったと。そういうことからすると、今度、憲法改正も何かまるで、何ですか郵政民営化と一緒で、改革ですか改革じゃないですかと一緒のような感じで、改正ですか改正じゃないですか、あなたはどっちですかみたいな、そういう論点になってしまうという部分におけると、やはりきちっと正しい情報というのを国民に示すという観点からも、規制というのはどうなのかなと思うけれども、まあ自主規制というか、そういったものをうまく誘導していくシステムというのはやはり必要なんじゃないのかなというふうに感じております。
 以上でございます。
○会長(関谷勝嗣君) 次に、秋元司君。
○秋元司君 自由民主党の秋元司でございます。
 憲法改正等又は国民投票制度に関する件の論点として、何点か意見を言わせていただきたいと思います。
 まず、基本的に私は、この国民投票における範囲でありますが、基本的にはこの国というのは間接民主制度を取っているわけでありまして、そういった点から申しますと、この国民投票というこの制度につきましては、やはりこの憲法改正というものについてのみ私は限定されるべきだと思っております。
 そして、強いて言うならば、この国民投票というこの言葉、これだけは、言葉だけは今現在あるわけでありますが、先ほど何人かの委員の先生方からお話がありましたとおり、憲法条文には、憲法を改正する場合は国民投票におけるというしっかりとした条文があるにもかかわらず、今現在この国においては国民投票法というものがないわけでありますから、そういったものについて今回やはり早期に私は設けるべきだと。
 今お話にありましたとおり、今までなかった、初めて憲法改正という話になってきてこの国民投票法というものが議論されてきた、これはもう私はおっしゃるとおりでありまして、今までは、今までといいましてもここ、少なくてもこの十年間ぐらいは、十年前まではこの憲法改正ということ自体が余り国民において議論されなかった。しかし、この最近の国際情勢の変化、そしてまた我が国が国際社会における役割ということを議論する中に、どうしてもこの憲法というものに触れなければならないことも出てきているし、そしてまた、新たに時代が変わる中で、環境の問題であるだとか、そしてまたプライバシーの問題であるだとか、いろんな様々な議論が出てくる中に、やはりこの憲法というものも一度しっかり我々日本人の国民みんなで作り上げていこうじゃないか、そういったことの中で世論が高まってきて今日のような話になってきているわけでありますから、そういったことから関しまして、私は早期にこの国民投票法というのを直ちに私は作るべき必要性があると感じております。
 また、この投票権者の年齢の件も先ほどから議論になっておりますが、私はこれ最近、子供に関する権利ということで、各地方自治体が子供の権利条例というのを、あちこちで条例ができているということも耳にしておりますけれども、それはそれとしてある意味尊重できる部分もあるかもしれませんが、しかし、この憲法という、又は国の方針をどうするかというものを決める場合においては、やはり社会の構成員、少なくても保護者がいるというよりは、独立して自らの意思でしっかり考えられるという意味においては、やはりこの成人イコール二十歳というのが一つの私は目安になっていくんじゃないかと思いますし、これは公職選挙法にも規定されているのと同様の私は方策を取っていくのがベストじゃないかと思っております。
 また、私は不正の運動に対する規定の問題であると同時に、また無効云々という話でありますけれども、これは私は国民投票における無効の云々というのは非常に難しい問題であると思っております。
 普通の国会議員であれ地方議員であれ首長であれ、現在、公選法に規定されている選挙であれば、当然、もし不正を働いたならば、最終的には立候補している人間が当選無効とか、又はそれなりの罰則規定があって彼らが、立候補者が消えるということになりますから、ある意味公正性は保たれる点はあるわけでありますけれども、この国民投票につきましては、じゃ例えば、一部やった者勝ちの世界で、ある意味、不正行為を働いて集団的に動いたグループがあったとしたとすれば、じゃ、その何票ぐらいが無効なのかというのは非常に難しい判断になりまして、一応、我が党で出している案としては、それなりに裁判を行って、それによって裁判所が判断を下すというふうになっているわけでありますけれども、すべてを本当、裁判所に預けてもいいのかどうかなという私は個人的には疑問点もありまして、この辺が非常に難しいのかなと思いますけれども、しかし、ある意味前に進めていかなくちゃならないという意味においては、やはりある程度こういった運動に対する規制というものをしっかり明記をし、そして運動の制限というものをしっかり明記をし、そして必要あらばちゃんと罰するということを私はしっかりすべきであると思っております。
 同時に、メディアの規制につきましても、先ほど郵政の民営化云々の話もありましたが、私はそこについてはある意味同感と思うところもありまして、メディアがどういう報道をするか。これは非常に私は難しいところを持っていると思っていまして、ですからこそメディアに対する自主規制を促していくということは、自主規制をしてもらうということはある意味私は必要性を感じておりますが、場合によって、メディアが自主規制をしないということならば、それなりのことを私は考えていく将来的には必要性もあるんじゃないかなというふうに思っております。
 最後になりますが、やはり私は、この法案をだらだら国会で一応議論しましたということじゃなく、やはり議論したならば結論を出していく、これが私は一つの道であると思っておりますので、やはり今国会でやるかどうかということはそれぞれの政治判断によると思いますが、やはり早期というこの言葉に私はこだわっていきたいと思う中に、早いうちにこの法律案をしっかりと国会の場で仕上げる。そのときにはこの国民投票法案そのものが余り政争の具となることなく、できるならば多くの各政党が一致する形でいくのも一つの案だと思いますし、場合によっては、これはこれで一つの判断をする中に党派を超えまして大きな議論をしていくというのも一つの手じゃないかと思っております。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 簗瀬進君。
○簗瀬進君 前回に引き続き発言の機会を与えていただきましてどうもありがとうございました。
 私は、手続法の議論が始まって以来、どうも更に、特に自民党さんと民主党の間の差が更に広まっているような実は感触を持っております。
 というのも、今も例えば我が国は代議制民主主義の国である、あるいは我が国は政治的に間接民主主義の国なんだ、こういうふうに、これを所与の前提として考えていらっしゃるわけでございますけれども、よくよく考えてみると、我が国を代議制民主主義にしている、例えば国会に立法権を与えている、その国会が法律によって、公職選挙法によって選ばれた議員によって構成される、だれが決めたんだ、これは憲法でございます。正に憲法が前提になって、憲法の授権の下に法規範が生まれてくる、あるいは国会が生まれてくる、あるいは選挙の姿が生まれてくる。
 正にそのように考えてみますと、言うならば憲法規範と通常の法規範は根本的に違っておって、憲法というのはむしろ親ガメ、その上に乗っている国会とか、あるいは公職選挙法とか、あるいはそこで作られる法律とか、これは子ガメでございます。子ガメの決め方、例えば公職選挙法をそのまま親ガメの決め方に当てはめてこようというのはどうも私は本末転倒なんではないのかなと。
 正にそういう意味では、我が党がこの国民投票法の議論をする際に、一般的な直接民主主義の発動手続の一般法を作ろうと、こういうふうに考える、そしてその一つのパターンとして憲法改正があり、またこれから大変重要な国政問題については直接民主主義的に国民の意見を直接聞いていかなければならないとした国政問題国民投票を考えるというのは、これは正に論理的な帰結としてそうなるわけでございますし、例えば投票権の範囲について、あるいは投票運動の規制について、あるいはマスコミ等の対応、そういうこの国民投票をする際の様々な諸制度が、実は直接民主主義的な国民の権限をできるだけ発動をしようと、その仕方を考えると、ということについての一般法を作るということで論理的に落ちてきて例えば十八歳、あるいは案件によってはそれよりも低い年齢と、できるだけ広く考えようと。
 これは公職選挙法で前提にされないまた別の、公職選挙法が間接民主主義、いわゆる親ガメの上に乗っている子ガメの範疇の話だったら、その親ガメの部分の決め方については、それはそれで別のものとしてしっかりと考えていきましょう、こういうふうな考え方になってくるのかなと、こういうふうに思っておるわけでございまして、そういう意味では、なかなかこの問題、国民投票法の中に憲法改正手続だけにするのか、国政問題国民投票含めるのかというのはかなり重要な、民主主義の基本についてどう考えるのかという、そういう基本的な考え方につながっている非常に重要な関連性を持っているなと、こういうふうな意識を持っております。
 それからもう一点、今日は岡田委員、それから白委員の御両者から昨年の選挙の意味がございました。そこで私は、昨年のあの小泉さんがおやりになった郵政選挙というようなもの、これを御自身は国民投票的だとおっしゃっていた部分がかなり私は一種のみそでございまして、これは政権の選択と政策の選択を意図的に混同させていると、こういうふうに評価をした方がいいんではないのかなと思っております。
 昨年の参考人、一橋大学の只野先生でございましたが、御記憶にあると思いますけれども、フランスのプレビシットという、そういう例を挙げておられました。これはどういうことかといいますと、政策の選択に名をかりて政権の信任投票をしてしまうと、これがフランスで行われているプレビシットという現象だと、こういうふうな話でございまして、正にこれは、小泉さんが選挙の前におやりになったことは、郵政というそういう政策の選択を国民に訴え掛けているようでいながら、実のところは政権の信任を求めたと、こういうことだと思います。
 実際、じゃ具体的な政策の細部について国民にしっかりと語られる、そういう制度的な保障があったかというと、これは全くないわけでございまして、そういう意味では、国民投票と、それから国政選挙を極めてうまい具合に混同させてしまって選挙に勝ったんだと。そして、その後、選挙の後に行ったことは、今度は逆プレビシットでございます。
 実は、選挙は政権の選択であるにもかかわらず、これを政策を承認をされたものという形で、これまたもう一回すり替えてくる。そして、今度は、圧倒的に郵政法案を今度は再可決させていくと。正にそういうふうなプレビシットと逆プレビシットを選挙の前後でうまい具合に巧みにやって一種の流れをつくったということは、これは大変端倪すべからざる政治の技だとは思いますけれども、逆から言えば、国政の、いわゆる政権の選択と政策の選択を非常に混同させて国民に訴えることによる危険性、問題性というようなものが見事に現された一種の政治的現象だったんではないのかなと。だからこそ、しっかりとその辺が整理された形での新しい国民投票制、これをつくっていくべきだと、このように考えておる次第でございます。
 以上です。
○会長(関谷勝嗣君) 若林正俊君。
○若林正俊君 ただいま簗瀬委員の方から、民主党の国民投票制度についての考えと我が党の考えとの間に、時がたつにつれて少し開きが出てきたんじゃないかというような前提でいろいろお話ございました。私は、逆に、この問題が提起され始めてから、かなりいろんな事項が整理されて詰まってきたように思うんです。しかし、基本的には、今問題にされました一般的な重要事項、国民投票制度の中に憲法改正を位置付けていくのか、憲法改正自身を独立した国民の意思を問う形としての国民投票制度にするのかという、その点についてかなり基本的な違いが埋まっていないと、このように思うのでございます。
 私も、先般、十九日の日に申し上げておりますが、直接民主主義的な要素を取り入れていこうとするその考え方については今後の検討課題だというふうな認識は持っておりますけれども、しかし、その直接民主主義的な手法を政治の判断に当たって取り入れていくかどうかというのは正に憲法改正そのものなんじゃないかと。憲法改正、現行憲法の中に直接民主的な要素をどこまで入れていくのかと、国会はそういう意思をどこまで尊重するのかといったようなことは憲法の中で決めていかなきゃいけないことで、憲法改正の内容を議論する際にそういう議論をすべきものであって、今我々は、現行憲法の下における九十六条の改正手続法についてどのように立法していくかということが我々に課せられた今課題だというふうに思いますから、そこはやはり分けて、まず現行憲法下における手続法をきっちりと定め、そして、憲法改正の内容として直接民主主義的な要素というものをどのように取り入れていくのか、それは唯一の立法機関である国会の権能、責任との間がどういう関係に立つのかというのは、憲法改正の内容の問題として議論すべきではないかと、こんなふうに考えておりますので、一言申し添えたいと思います。
○会長(関谷勝嗣君) 岡田直樹君。
○岡田直樹君 二度目の発言の機会いただきまして、ありがとうございます。短くお話ししたいと思います。
 先ほど白先生から、速やかよりもきっちりとというお話がありまして、私も全く同感でありまして、きっちりとというのは当然のことだと思います。しかし、余り時間を掛ければいいというものでもなくて、その意味で、きっちりと速やかにというのが私の真意でございます。
 簗瀬先生、先ほど、だんだんと乖離が出てきているんじゃないかとおっしゃいました。私は、すり寄るつもりはありませんけれども、それほど大きな乖離はないように思うわけなんです。
 日本国憲法が人類普遍の理念として高く掲げておる三つの原則を始め、憲法の骨格というものを大事にしながら、しかしこの時代に応じたものに変えていきたい、改めていきたいというのが我々の望みであります。
 そして、先ほど郵政の例も言及をいただきましたけれども、私、自民党員として、小泉総理・総裁を批判することはなかなか難しいわけでありますし、勝って幸いだったと思うんですけれども、しかし私は、あの郵政選挙、ああいう正に政権選択と政策選択をある意味では意識的に混同させる戦術といいますか、そういったものに一種の危うさというものを感じたわけであります。ここまで言ってしまっていいんでしょうか。
 しかし、そこは直接民主制というものに常に伴う危険性だと思うんです、このことは。一般的国民投票制度を実施する場合に、必ずこうした危険性、ある意味ではムードに流されたり、偶然によって左右をされたりということは常に付きまとうと思うので、この意味で我々は、一般的国民投票制度の導入については少しく慎重であるべしと、こういう考え方を申し上げておるわけで、二十一世紀的な直接民主主義の発動という、簗瀬先生のお考えというのは私どもは尊重していかなくちゃいけない、こんなふうに思っている次第であります。
 どうもありがとうございました。
○会長(関谷勝嗣君) 他に御発言ございましょうか。
 それでは、他に御発言もないようですから、本日の意見交換はこの程度といたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後二時二十三分散会

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