第150回国会 参議院憲法調査会 第2号


平成十二年十一月二十七日(月曜日)
   午後一時開会
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   委員の異動
 十一月十五日
    辞任         補欠選任   
     石田 美栄君     吉田 之久君
 十一月二十四日
    辞任         補欠選任   
     岩井 國臣君     斉藤 滋宣君
     世耕 弘成君     山下 英利君
     野間  赳君     日出 英輔君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         村上 正邦君
    幹 事
                亀谷 博昭君
                鴻池 祥肇君
                武見 敬三君
                江田 五月君
                堀  利和君
                魚住裕一郎君
                小泉 親司君
                大脇 雅子君
    委 員
                阿南 一成君
                岩城 光英君
                木村  仁君
                北岡 秀二君
                久世 公堯君
                斉藤 滋宣君
                清水 達雄君
                陣内 孝雄君
                谷川 秀善君
                中島 眞人君
                日出 英輔君
                松田 岩夫君
                山下 英利君
                小川 敏夫君
                川橋 幸子君
                北澤 俊美君
                菅川 健二君
                寺崎 昭久君
                直嶋 正行君
                簗瀬  進君
                吉田 之久君
                大森 礼子君
                高野 博師君
                福本 潤一君
                橋本  敦君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                福島 瑞穂君
                水野 誠一君
                平野 貞夫君
                佐藤 道夫君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       大島 稔彦君
   参考人
       元上智大学教授  加藤 周一君
       評論家      内田 健三君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
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○会長(村上正邦君) ただいまから、定刻になりましたので、憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、日本国憲法について、文明論・歴史論等も含めた広い視野から、参考人の御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、元上智大学の教授でいらっしゃいました加藤周一参考人及び評論家の内田健三参考人に御出席をいただいております。
 この際、参考人の先生方に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、大変御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 参考人の先生から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いを申し上げます。
 本日の議事の進め方でございますが、加藤参考人、内田参考人の順にお一人二十分程度ずつ御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず加藤参考人からお願いをいたします。加藤参考人。
○参考人(加藤周一君) 今、議長から御指名をいただいた加藤でございます。およそ二十分ぐらい憲法についての私の意見あるいは感想を申し上げたいと思います。
 私がきょうお話しするのは、憲法の精神というか、大きな原則についてであります。個々の問題については、二十分間でもありますし、細かい技術的な問題には立ち入りません。
 憲法の精神というか原則は、非常に大きな特徴が三つあって、一つは平和主義ですね、具体的には憲法前文及び第九条と関係していると思いますが。それから二番目は、国民主権、それが第二点ですね。それから第三は、人権の尊重ということだと思います。その三点が非常に大きな原則的な問題で、憲法の全体に浸透していると思うんですが、したがって、相互の関連もありますけれども、明治憲法と比較したときは、今申し上げた三つの点で、平和主義とそれから国民主権と人権尊重ということは明治憲法と現行憲法との一番大きな違いだろうと思いますね。
 それから、外国の憲法と比べた場合、殊に民主主義的な国の現在の憲法という点では、目立つのは第二点と三点、国民主権というのが圧倒的な多数の場合にそうですね。それから、人権尊重ということも入っています。ただ、平和主義は、それが徹底した形で、日本国憲法において徹底した形では外国にないですね。少なくともほとんど全くないですね。特徴だと思います。
 ですから、明治憲法との比較による現憲法の特徴は今申し上げた三点全部、それから外国の憲法と比較した場合、非常に目立つ独特な点は平和主義であります。殊に軍備放棄を含むところの平和主義ですね。
 この憲法の成立の事情に関しては、これは占領下につくられたものですから、戦争直後の占領下で二つの目的が最初あった、つくられたときは。第一は、戦争直後ですから日本を非軍事化する、それで非武装化するということですね。第二点は、同時に民主化です。その二つの点で憲法はつくられたというふうに言えると思うんですね。
 その第一の非軍事化という点は、占領軍側の戦争の原因に関する意見と密接に絡んでいます。
 その第一は、もちろん武装解除するということが第一点ですが、つまり軍備放棄ですね。しかし、それだけではなくて、戦争の背景になったのは国家神道だという考えが占領軍にあって、したがって政教分離ということを非常に強調していますね。
 それからもう一つは、経済的な背景については財閥解体と農地改革です。そういうことは、日本の非武装化ということと密接に絡んでいる。しかし同時に、民主化とも絡んでいるんですね。だから、民主化と戦争放棄、この武装解除ということは占領軍の考えの中で密接に絡んだものだったと思います。
 ですから、そういうことが、占領政策としてはそういう憲法をつくるということであったわけですが、それでそれは押しつけと言えば押しつけなんですね、言葉の問題ですが。しかし、それは必ずしも日本側がそれを歓迎しなかったということでないので、例えば平和主義は、人権尊重は非常に日本側が自発的にそれを受け入れたということがあると思いますが、成立事情の細かいことにはここでは触れません。しかし、根本的にはそういうことだと思いますね。
 その後で、占領政策に変更があって変わってきますから、それで同時に改正の方角へ向かって、憲法を変える方角へ向かっての占領軍側、殊に米国からの圧力が強くなったと思うんですね。ですから、その押しつけ議論というのは、一言で申し上げますと、憲法を押しつけられたという議論だと憲法改正を押しつけられているわけ。だから、もし押しつけが嫌だったら憲法改正をしないことがつまり現時点での押しつけに対する抵抗ですね。ですから、その両方一緒にまとまって憲法は押しつけであって同時に憲法改正は押しつけでないという議論をとられても、その二つは関連していると思います。
 そこで、きょう私が少し細かく入りたいと思うのは憲法第九条です。なぜならば、単に明治憲法との比較においてではなくて、ほかの国の憲法との比較においても非常にユニークというか、特徴的なのが平和主義ですから、だからその平和主義の内容は第九条でも殊に強調されている点、あるいは具体化されている点だと思います。
 この第九条の武装放棄を含むところの平和主義というのは、私はこれを先取りの考え方、先取りの憲法だというふうに言っていいんじゃないかと思うんです。
 第二次大戦後の世界の動きは、第二次大戦前もですね、本当は第一次大戦から始まっていると思いますが、だんだんに戦争を、国際協定や条約やあるいは国際法に該当するような、最初は国際連盟、後は国際連合の原則としても戦争を制限していこうということがだんだんに強くなって、これは世界の一般的傾向だと思います。第一次大戦の場合はほとんど野放しで、それから第一次大戦後でも第二次大戦前にはかなり強く、少しずつ出てきていますけれども、全体としてはまだ戦争の制限というのが少なかったと思うんですね。第二次大戦後になるとそれが大変強くなってくるんです。
 だから、一般に戦争は非合法である、やらない方がよろしいという考え方が非常に強くなって、皆さんが十分に御承知のように、国連が正当化している戦争は二つしかないんですね。一つは、自衛というので正当防衛に該当する場合ですね、その国が直接に武器攻撃を受けた場合に反撃するという。それから第二は、国連の安全保障理事会の委任があった場合には軍事行動をとることができるというのが二つだと思います。それが国連による正当化された武器使用の二つの場合だと思うんです。それ以外は、もし国連憲章を現在有効であるところの国際法理に妥当するものと考えれば、そのほかの戦争は非合法ということになります。それはかなり強い戦争の制限ということになると思うんですね。それが例外ではあるわけです。
 しかし、平和維持のためには抑止力という考え方、だから軍備は使わないための軍備ということで、抑止力という考え方ができます。平和維持のための抑止力は正当化されるということですね。
 それから四番目は、人権とかそれから人道的目的のためには、場合によってというのは、国連の安全保障理事会の委託があれば武器を使用することが正当化されるという考え方ですね。それは、いわゆる国際的責任の問題にも絡んでくると思います。
 大体四つ、例外的である。そのほかの戦争は除外されるという方角に動いてきている、世界は。もっと先まで行くと、除外例を設けないで、そもそも交戦権を放棄して、したがって軍事力全面を放棄するというのが日本の憲法だと思います。
 そうすると、大ざっぱにいきまして三つの段階があると思うんです。第一の段階はコントロールがないという。第二は、戦争をいろんな手段で制限するけれども例外を設けているんですね、今申し上げたような。それで第三は、例外と考えないで全面的に戦争放棄という立場をとれば日本国憲法ということになります。
 ですから、世界の戦争に対する態度、その発展の歴史的過程の流れでいうと非常に先に進んでいるんですね。まだそういう国が日本以外にないから、だからそういう意味で先取りというふうに言えるんじゃないかと思います。
 そこで、今申し上げた点には、しかし問題点があると思うんですね。ということは、つまり日本国憲法がなぜ例外条件を設けなかったかというと、例外条件に疑問点がかなりあるからだと思います。
 それで、その第一の点は自衛ということなんですが、自衛の定義は非常にあいまいなんですね。それは、政治情勢もそうですが、地域についてもあいまいで、要するに自衛という概念は非常に茫漠とした概念なんですね。近代になってから今まで戦われた多くの戦争は、ほとんど、非常に多くは自衛の名のもとに行われているわけですよ。ですから、自衛のためは例外だというと例外がどこまでも拡大する可能性を含んでいるわけなんで、それが弱点ですね、自衛論の議論の。
 日本憲法よりも先に自衛のために武器を用いることに決定的に反対したのは多分ガンジーだと思いますね。ガンジーは、英国植民地であったときのインディアで、守るため、独立を獲得するための手段として武器放棄をしているわけですね。しかし、抵抗を放棄したわけじゃないんで、非合法の抵抗も含めてただ武器を用いないということだったと思います。これは原則、それから倫理的な問題にも絡むところの原則が一つの根拠ですが、しかしそれだけではなくて、大変現実的な政策でもあったんですね。
 もしインドが第二次大戦の前に武器を用いる独立運動をすれば、武力がシンメトリカルじゃない、つまり英国の武力は非常に強大ですから、だからむしろ英国による武力の使用を誘発することになってしまうんですね。それで、結果は目に見えておるわけで、ですから、現実的な政策としてガンジーが考えたのは、単に倫理的な正当化じゃなくて、武器を使わないということはそうじゃなくて、最も現実的な目的合理性のある政策だったからそれをとったという面を含んでいます。これは大変示唆的な問題じゃないかと思うんですね。
 日本の場合には、自衛の問題は、もう一つは一般に地上のある国が武装をしていないと侵略されるとかされないとかという議論はほとんど内容がないと思うんですよ。意味をなさないと思うんですね。そういう一般論はできないわけですね。例えば、米国の場合と今の日本の場合、それからイスラエルの場合、あるいはパレスチナの場合は国がないんですから、まだ、ですからそういう場合とでは余りにも条件が違うわけですね。
 ですから、一般論をすることは非常に困難だと思いますから、別の言い方をすれば、具体的に自衛の問題を論じるには想定される攻撃、つまり日本に対する攻撃が想定されなければ非現実的、単なるアカデミックな問題になってしまうんですね。だから、政治問題にしようとすると、具体的にどういう可能な敵があるかということ、あるいは侵略者が考えられるかということです。初めに考えられたのは、第二次大戦後は冷戦のコンテクストの中でソ連と中国ですね。そして、それは政府だけではなくて日本の言論界、ジャーナリズムでも非常にしばしば言われたでしょう。敵は、ソ連と中国の脅威に備えるということだったと思いますね。
 そこで、日米安保条約とか軍事的な日本側の再軍備とかいろいろなことが起こったわけですが、最初に落ちたのは中国だと思います。一九七二年に、あの田中内閣のときに、日本が北京を承認してそして友好条約をつくりますと、そうすると中国の脅威という話は消えたんですね。政府側の議論の中からも消えましたけれども、日本のジャーナリズムの中からはかき消すように消えた。
 だから、中国の脅威なるものは、日本の再軍備が進んだから、あるいは安保条約の運転がより有効になったから中国の脅威が消えたんじゃないでしょう。一晩では消えないですから、そういうのはね。そうではなくて、日中条約ができたからなんですね。外交的な手段とそれによって生じるところの政治的状況が二国間関係というものにいかに決定的な影響を及ぼすかということです。脅威がなければ自衛の問題はかなりアカデミックな問題になる。
 その次はソ連。そこでソ連が可能な脅威だったんですが、分解してしまってソ連がなくなって冷戦の終わりということになると、ソ連の脅威というのはなくなりました。そして、それも非常に早く消えたですね。
 その三番目の候補者として北朝鮮、朝鮮人民共和国、そしてそれは中国よりも小さい、ソ連よりも少し小さい国でしょう。そして、それの脅威という話ですが、これもことしになってから南北朝鮮間の会談ができると非常に怪しくなってくるんですね、その軍事的脅威は。
 そういうわけですから、自衛の問題というのは、日本において徹底的に武装しなければ日本の安全が守れないという議論は非常に弱くなっているんじゃないかと思います。
 その二番目は、自衛ではなくて国連の安全保障理事会によるマンデート、委託決議があったときに武力を使うということですが、これは実際的にそういう武力介入が効果があったかどうかというのは大体大いに疑問なんですね。第二次大戦後にそういうふうなこと、うまくいった場合もあると思いますが、まずくいった場合の方が多いと思います。殊に大規模な軍事介入は成功していない、目的を十分に達していないと思います。
 例えば、第一のは湾岸戦争ですね。第二はコソボのユーゴスラビア爆撃ですが、湾岸戦争は国連の委託があってやった戦争ですから、それでイラクはクウェートに侵入していますから非合法ですね。それは国際法違反であって、それに対して国連の安全保障理事会の委託があって介入したんですから、それは合法的介入というふうに言えると思います。ただ、どういう目的を達成するための戦争だったかというと、それはイラク懲罰という以外に余りないんですよね。クウェートからの撤退は必ずしもあれほどの大戦争をしなくても既にほとんど成就されていたわけで、ですから、どういう目的を湾岸戦争が達成したかという点からいえば、大変疑わしいと思います。
 ユーゴスラビア爆撃の場合は、私がさっき申し上げたように、現在の国連憲章によって正当化されている戦争行為ではないですね。ですから、その意味では非合法ということになるわけなんですね。結果はどうかというと、あのときの最大の目的はコソボからの難民を救うということだったんですね。難民の数は爆撃の前よりも後の方がふえています。だから、必ずしもその目的を達成していない。
 そういうわけで、国連の安全保障理事会の委託があれば戦争が正当化されるというのは疑わしいですね。そういう意味で、国際的責任を果たすことが直ちに国連マンデートのある戦いに参加するということを意味しないと思います。
 それから三番目は抑止ですが、抑止というのはこれは今に始まったことではないので、戦後には冷戦下で核武装の競争があったときにそういう言葉がはやりましたけれども、実はその抑止という考え方は非常に昔からあるんですね。もし平和を望むならば戦争の準備をしろというのはローマからあるわけなんで、これはラテン語の格言ですが、抑止という考え方はずっと歴史を一貫しているわけですね。中国でも戦国時代がたびたびあって、やはり抑止という考え方、孫子にも出てきますけれども、だけれども実際には戦争が行われたわけですね。
 抑止が戦争を抑止した例はない、残念ですが非常に少ないです。いつの時代にも戦争があって、そして抑止理論はいつの時代にも盛んに言われていたことなんですから、だからほとんど経験的には証明されたに近い。抑止によって平和を維持するというのは幻想ですね、今まで二千年間なかったんだから、そういうことは。では、抑止なるものは何を抑止したかというと、それは戦争反対の言論を抑止したんですよ、戦争を抑止したんじゃなくて。抑止理論がきいているのは、言論の抑止であって戦争の抑止ではないです。
 それから四番目は、人権のためということですね。これは二つの難点があるんですね。
 一つは、やはりさっきちょっとコソボに触れたように、人道的目的で武力を使った場合に、実際に……
○会長(村上正邦君) どうぞ区切りのいいところで。
○参考人(加藤周一君) 時間で、ちょっと飛ばしますが、一つは目的を達成しない場合が多いということですね。
 それから二番目は、現在行われている人道的目的のための介入というのは、シンメトリーがないと思うんです、シンメトリーがない。というのは、どこでも人道的な非常に悪い状態が生じた場合には軍事介入をするというのではなくて、あるときにはし、あるときにはしないんですよね。目的として掲げているのは人道的目的だけれども、実際に戦争行為が行われるか行われないかというのはそれだけでないということは明らかなんですね。
 ですから、そういう意味でどれも余り説得的じゃないんですね。あるいは逆の言葉で言えば、日本の武装放棄、武器を使わないという政策に反論するためには、今申し上げたような戦争正当化の議論というのは弱点が多いと思います。
 それで、日本に関してもう一言申し上げておきたいと思うんですが、現実には日本の再武装があるわけですね。自衛隊があって、強い軍事力があって、そして憲法と矛盾しているじゃないかという議論が当然あると思うんです。しかし第一に、一般的に言えば、法律は現実と矛盾しているから法律があるんです。もし矛盾がなければ、だからほとんど現実と法律との乖離は法律のレーゾンデートルです。泥棒がいなければ刑法は要らないんだから。しかし、それは一般論です。
 特に今の第九条に関しては、今まで申し上げたことがある程度それを説明していると思いますが、これはいわゆる解釈改憲で、政策をとってだんだんに軍備が増大したから現実と離れたんですね、そうでしょう。だから現在の問題は、憲法を現実に近づけるか現実を憲法に近づけるか、どっちかということになると思う。それが根本的な仕方ですね。
 今までの私のお話ししたことで、ちょっとはしょりますが、結論は、今後の日本の行き先としては、先取りの憲法は世界で早く徹底した平和主義をとったから先取りというだけではなくて、日本の将来にとって有効な政策を憲法が先取りしているというふうに私は考えます。ですから、変えるよりも変えない方がいい。なぜならば、憲法にあらわれていることを実現することが日本の将来を開くのであって、憲法を変えて現在の現実に近づけることが将来を開くんじゃないんですね。
 その状況はほとんど米国憲法のシビルライツに似ていますね。人種の平等をうたっているわけだから、米国憲法は。ところが、差別は非常に強かった。憲法を変えてそれを現実に合わせたんじゃなくて、憲法に現実を合わせようとしたのがシビルライツです。そして、その成果はかなり大きかった、六〇年代から七〇年代にかけて。ですから、日本国憲法の場合にも同じような構造があると私は考えます。
 ありがとうございました。
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
 内田参考人にお願いをいたします。内田参考人。
○参考人(内田健三君) 内田でございます。
 ただいまは、加藤周一先生から大文明論と申しますか、非常にスケールの大きなお話があったと思います。実は私は加藤先生の門下生でございまして、もう二十年近くになりますか、その前二十年ぐらい加藤塾で教えを受けていた者でございます。
 さて、きょうは私の話は加藤さんのお話とは全く違うというか、私は五十年近く政治ジャーナリストでございます。日本の戦後の政治のウオッチャーとして活動してまいりました。その見地からきょうは極めてナウな、現実的な問題について考えを申し上げたいと思います。
 憲法は一九四七年に公布されまして、もう五十三年たったわけであります。私は、憲法を千古不磨の大典などというのは思い込みが強過ぎるのではないかという意見でございまして、千古不磨の大典といったのは明治憲法でございますが、明治憲法は五十六年をもって敗戦時に終わりました。その終戦の翌々年に現在の日本国憲法というものができましたから、今日は既に五十三年を経過しているわけであります。
 憲法というものに寿命があるかどうか、これはわかりませんが、結果論でありますが、私は日本憲法について改憲論というものが出始めているのは、そういう意味からいえばごく当然のことかなというふうに思っております。
 改憲だ護憲だというすさまじい対立の数十年は既に終わったと。これは国際情勢という問題もあります。国民感情、国民の意識の変化ということもあります。今やその点は非常に自由に考えた方がいいのではないか。その点から論憲という言葉がちょうど中間の言葉としてございますが、私は、論憲、大いに結構であるというのが私の基本的な立場でございます。
 さて、日本の憲法は五十年たちましたが、この間に非常に大きな変化が一つありました。
 つまり、一九四六、七年、敗戦後の憲法論議、制定の経過というものについては、アメリカの押しつけ憲法であるとか、いやいや日本国民の伝統的な考え方がここでやっと日の目を見たんだということとかいろいろありますけれども、この制定経過についてはさまざまな議論がにぎやかに展開をされてきておりますが、私がきょうちょっと申し上げたいのは、この憲法が十年たったときに岸内閣のもとで政府の憲法調査会というものがつくられました。これの論議の経過というものをよく私どもは参考として見た方がいいのではないかという考え方を一つまず申し上げます。
 たまたま私は、この岸憲法調査会はまだ若い記者時代に担当記者になりまして、これが何と七年間論議をしたんですね。昭和三十二年にできまして、岸内閣が三十五年、あの安保闘争によって倒れますが、その間の三年間、ずっとこの調査会制定以来担当をいたしました。三十五年に、あの安保闘争の後に池田内閣ができました。池田内閣が四年間でありまして、やがて佐藤内閣、これは一九六四年でありますが、佐藤内閣ができたとき、その直後にようやく答申案ができました。
 これは、前後七年間の大調査会であったわけであります。しかも政府の調査会であった。そしてふれ込みは、岸さんが、この憲法は占領下にできた憲法である、こういう憲法をいつまでも持っていてはいけないということで、改憲調査会として発足をしたわけであります。
 しかし、七年間やりましたあげくの佐藤内閣が出しました答申案、結論というものは、これは全く改憲とかあるいは護憲とかいう論議を超えて、両者が出し合ったいろんな意見を並べた、併記した答申案でありまして、これは恐らく調査会をつくられた岸さんの本意では全くなかった。しかし、私は、それは当時の日本の状況から見れば当然であったというふうに思います。
 私自身、若い記者でございまして、憲法を議論するのはいいよと、議論するのはいいが、岸さんが、これは個人の問題になりますが、岸さんという人がこの憲法を改正したいということで思い立った調査会はおかしいのではないかというのが記者自身の胸のうちにあった考えでございます。そのことが取材にどこまで影響したか、それは何ということはないんですけれども、私はそのことが、この調査会を七年後には何のためにやった議論かわからぬと言ってもいいような結論になった理由であると思います。
 私がなぜその岸調査会に反対したかと申しますと、これは言うまでもなく、戦中戦後における岸さんの政治行動というものが、私はこの方がこの戦後にできた憲法というものを大改革するという、大改正をするという資格はないのではないかというのが基本にありましたためにそういうことになりました。結論もそう、世論もそう見たと言っていいかと思います。しかし、このときに起こった変化というものは、今日まで非常に岸調査会のいわば後遺症というものは私は残っているというふうに思います。
 岸調査会がどうしてその本来のねらいを達せられなかったかといえば、これは日本の国情が変わったからであります。日本の国民の意識が変わったからであります。言うまでもなく、それは六〇年安保を境にして池田内閣が登場いたしまして、この池田さんは、要するに所得倍増計画という、とにかくもう安保問題あるいは憲法問題で何だかんだ議論するようなときは過ぎたではないかと。新安保条約はもうできてしまっているし、そのもとで我々はこれから、この焼け野が原であった十年を経て、これからどうやって日本を再建するかという、そこからお互い国民仲よく、イデオロギー闘争はもういいかげんにして、そして汗水垂らして、あるいは友情を持って働こうじゃないか、これが所得倍増計画でありました。
 これは岸さんの弟さんである佐藤さんも、憲法には中途半端といいますか、ある種の結論をつけて終わって、そして池田さんの後を引き継いだ後は、御存じのように池田・佐藤時代と言われる十二年にわたる日本の国運を担われたわけでありまして、その間になされたことは経済発展であると。国民が豊かになろう、こういうことであって、それは成功をした。あるいは、それが十二年だけであったのか、後の田中政権あるいは三角大福と言われる時代まで続いたかと思いますが、そういうことが、私は、この敗戦後の憲法制定の次に十五年ぐらいたったところで大きな動きがあったということをこの際もう一度思い出してみる必要があると思います。
 次の日本の転機は中曽根内閣の登場であったと私は思います。これは一九八二年ですね。八二年ですから、四五年の敗戦からもう三十年ぐらいたつというときであります、三十数年たつ。この中曽根さんが総理になられたときに、おれは戦後政治の総決算をしたいということを旗印に掲げられた。これは私は非常に大きな意味を持ったと思います。当時私は、その中曽根さんについて、これはジャーナリストですから具体的な名前を挙げてあれこれ申しますが、中曽根さんというのはやっぱり少し危ないところのある政治家ではないかと、こういうふうな、一口で言えばそういう印象を持った。すばらしい人だけれども、どうもそういう思想的にもあるいは政治的にもどうかなという感じを絶えず持っておりました。
 ところが、この方が戦後政治の総決算と言われたとき、私はこれはいきなり憲法改正かなと直観をしましたけれども、それは私の考えが浅はかであって、私は中曽根政治の五年というのは、つまり戦後の十年から池田・佐藤の十二年、その次に第三期を画した非常に大きな政治であったというふうに思います。
 それは、なさったことが、今お書きになったものもありますが、おれは憲法改正をしようなんということでこの言葉を使ったんではないんだと。要するに、数十年を経て日本もどうやら一つの限界に来ていると。そこで、この日本の政治を変えようということでなさったのが土光政治臨調であります。そして、あるいは教育問題で臨時教育審議会というものをつくられた。
 この土光臨調は、言うまでもなく、もはや成長の限界というか、高度成長の限界に来た日本をどうやったら立て直せるか、新しい政治にできるかということでありまして、これは一つはもちろん小さな政府を志向するという行財政の改革であったわけで、そしてまた、これは憲法という問題は忘れておられたわけではない、意識の大底にはあるわけですが、その前に教育のあり方というものに目をつけられた。
 これはそれからもはや十五、六年たっておるわけですが、今日もいつもいわば政治の亜流の政権がと言うと悪いんですが、またぞろ小さな政府を志向する、あるいは教育改革が基本だ、教育がなってないよというふうなことを言っておりますが、私はそれは一九八二年の段階では非常に大きな見識であったなと今にして思っております。
 そういうことから発展させますと、私は、土光臨調の後を引き継ぎました政治臨調という、今二十一世紀臨調というふうに名前を変えておりますが、この仕事をこの十年来続けておりますのも、結局は中曽根改革の引き継ぎなのかなと。これは特に、中曽根さんが起用された臨調の中で亀井正夫さんという方が国鉄の民営・分割をなさった。私は、これは土光臨調、非常に大きな働きはしましたが、成果として唯一世界にも誇れるのは国鉄の民営・分割であるというふうに思っておりますので、その会長である亀井正夫さんを担いでと申しますか中心にして、今なお日本の二十一世紀の改革というものはどうあるべきかということを今、毎日のように議論をしておるわけでありまして、私は、以上のような憲法制定の当時と、それから十五年たった後の岸憲法調査会というもののいわば失敗といいますか、竜頭蛇尾に終わったということと、そして新たに中曽根時代になっての改革論というものをよく研究する必要があるなと。
 これは何と申しますか、私は、政治はやはり十年先、二十年先を見通した変革というものをしなければならないものであると。すぐれたリーダーというものはそういう先見性といいますか、あるいは歴史を踏まえた展望というものを持つべきものであるというふうに思っておりますので、きょう、とにかくこの調査会に出て話をしろと言われますと、私はやはりこの五十年の歴史というものをよく点検する必要があるのではないか、そしてそれを踏まえて、ここまで来たこの段階の改革というものは何であるのかということを議論すべきであると。
 幸い、この国会で久しぶりに設けられました憲法調査会というものは、超党派の会であり、しかも改憲であるとか護憲であるとかイデオロギーの角突き合いをする調査会ではないよという合意のもとに出発しているのでありますから、その本来の趣旨を徹底して委員の皆さんがおやりになることが私ども国民のためにもありがたいことであるというふうに存じているわけであります。
 まず、冒頭にはこれだけのことを申し上げておきたいと存じます。
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
 質疑に入ります。
 御発言の際には、まず所属会派名をおっしゃっていただくようにお願いをいたします。
 それでは、あらかじめ質疑の希望が提出されておりますので、順次指名をいたします。
 木村仁委員。二十分どうぞ。
○木村仁君 自由民主党の木村仁でございます。
 加藤参考人、内田参考人、両先生におかれましては大変示唆に富むお話をいただきまして、大変ありがとうございました。
 私はまず、現時点における憲法改正に関する両先生の御感触、御認識を簡単にお伺いしておきたいと思います。
 実は、この憲法調査会の初期の段階で、学生とともに語る憲法調査会という会議がありました。約二十人の学生さんがここに来て議論をされたわけでありますが、その基礎となった応募原稿と申しますか、論文が百七十七通あったそうでございます。私どもの同僚議員であります世耕弘成さんがこの中身を調べて、その八〇%は憲法改正に賛成の意見であったと、こういうことでございました。
 最近の世論調査でも大変、憲法を改正してよろしい、あるいはすべきだという意見が多く、まあ改正した方がいいというものまで加えると六〇%、七〇%という回答が出てくるのが普通でございます。
 また、憲法のどこを改正するかということでありますが、従来はもうほとんど九条改革に議論が集中しておりました。しかし、最近のアンケートでは、これは自由民主党がやったアンケート調査で比較的中正に行われたと私は思いますが、順番でいきますと、わかりやすい現代的文体に改める、四八・四%、重要な問題について国民投票を実施できるようにする、四四・三%、総理大臣を国民が直接選挙するようにする、四三・三%、プライバシーの保護規定を設ける、三四・七%、情報公開の規定を設ける、三三・七%、PKFの参加の憲法上の疑義をなくす、三三・三%、大規模な危機に対処できるようにする、三一・九%、国民にも憲法改正の提案権を与える、三一・三%、国民が環境を守るための規定を設ける、二九・五%、地方分権を推進できる規定を設ける、二六・五%、これが十位までの問題でありまして、今や国民が非常に幅広く憲法を見直したい、憲法を改正していいじゃないかという議論になってきておるのではないかと思います。
 後藤田正晴先生の本を読んでおりましたら、憲法改正はもう戦前の世代はやるな、二〇一〇年ごろに新しい、若い人たちだけでやったらいいということで、この方は努力をして自民党の理念と綱領から憲法改正というのを削って憲法問題について国民と広く論議をしたい、こういうことに変えた方でありますが、私は実は二〇一〇年は遅過ぎると、もうちょっと早く。
 と申しますのは、私は昭和九年生まれ、小学校には一日も行かなかった唯一の学年でございます。国民学校で入って国民学校を卒業し、そして昭和二十二年に新制中学の第一回入学生、そしてその五月に新憲法が施行になったという世代でございまして、私どもも新しい二十一世紀の憲法改正のためにはどんどん発言をしていきたい、私どもの思いも憲法改正に入れていきたいと思っております。そのためには二〇一〇年では遅い、こういうことでございますが、加藤先生、内田先生、それぞれ現時点における国民の認識等を踏まえながら、憲法改正についてどのような感触をお持ちか、お聞かせいただきたいと思います。
○参考人(加藤周一君) 今、世論調査の結果をおっしゃいましたが、非常に大事な要素だと思いますね。憲法を変えた方がいいか変えない方がいいかということに大事な要素だと思います。しかしそれは、世論調査の結果は必要条件であって十分条件じゃないと思いますね。
 もう一つの条件は、国民の間で非常に広い、それで長い間にわたる安定した価値観、あるいは価値のシステムと言った方がいいかもしれないが、そういうものが憲法にどこまで表現されているかということになると思うんですね。それは必ずしも世論調査の結果だけではないんじゃないか。もしコンセンサスが、だからどこの社会にもあるわけです、特定の価値体系が必要なわけでしょう。その価値体系と憲法との関係を検討するというのがそれはもう一つの観点だと思いますね。二つの観点から憲法の問題が検討されるんじゃないかというふうに思います。
○参考人(内田健三君) 私は別な角度からですが、この世論調査が非常にばらつきというかバラエティーを持ってきているということは非常にいいことだと。これは若い学生の調査のようでありますが、いろんな形の世論調査が出ております。
 やはり今までの私が申したような五十年の経過から、九条問題というのは上位に属しますけれども、もはや九条問題だけが五〇%を超えて独走するというような調査結果は出なくなった。これはやはり国民の意識、政治意識というものが非常に豊かになり多様化しているということを示しているのではないかと。個々の項目については、私、木村さんは地方分権という問題を恐らく一番頭に置いていらっしゃると思いますが、これについても私の意見も後ほど申し上げたいと思いますが、結構な結果が出ていると、大いに議論を闘わすべき段階、まさに論憲のときが来ているというふうに思います。
 もう一つ、後藤田先生の引用がありました。実はこの後藤田先生の本、私どもが去年の六月に出した本がございます。と申しますのは、それは後藤田先生にインタビューをいたしました。私と、この前ここにも意見を述べに来られたと聞いておりますが、東大教授の佐々木毅さんと、それから今第一線のナンバーワン的な記者、朝日の早野透君と三人で半年間にわたってインタビューをしましたのをまとめて出した本であります。
 私はこの本を通じて、後藤田さんの見識と申しますか、大変感銘を受けたのでありますが、その中でおっしゃった言葉がまさに今、木村さんのおっしゃった、おれたちはこの前の戦争というもの、特に九条に関して言いますと、前の戦争に深くかかわった人間である、ある意味では加害者である、それからアジアにはたくさんの被害者がいる、この加害者、被害者がいる間はどうもいろんな怨念などがこもるから憲法改正ということは軽々に言わぬがよろしい、恐らくあと十年、二〇一〇年ごろになったら、おれも死んでしまうし被害者だった人たちも死ぬだろう、そのころになって冷静に憲法というものを考えたらどうだろうと、こういう御意見でありました。
 私も木村さんと同じで、ちょっと十年、議論ばかりでいったのでは、これは議論くたびれ、議論倒れしてしまうんじゃないかなという気もいたしますが、とにかく二十一世紀に向けてのこの憲法論議というものは非常に重要な課題であるというふうに存じております。
○木村仁君 私も先ほど申し上げたような世代として新しい憲法をつくっていきたいという意欲を持っているわけでございまして、昭和三十年代の政府の憲法調査会において憲法が改正されなかったことはむしろ幸いであったと、そう思っております。私どもは、戦争を始めたことにも戦争に負けたことにも全く責任のない世代で、なおかつ、また、憲法が押しつけられたとか押しつけられたものでないとか、そういう議論にもほとんど関心がございません。私どもは今の憲法を五十年愛してまいりましたけれども、そろそろ改正の時期に来ている、そしてそれはやはりもうこの四、五年のうちに具体的にかからなければならないと考えているわけでございます。余り意見を言っちゃいけませんけれども。
 そこで、憲法改正手続に関する問題について内田先生に御指導いただきたいと思いますが、憲法九十六条第一項は、憲法改正は両院の総議員の三分の二以上の賛成で国会が発議し、国民投票に対してその過半数の賛成で成立する、こういう大変厳しい改正の規定になっております。この問題はマッカーサー憲法草案の段階で大議論があったのだそうで、まず国会の三分の二以上による提案、四分の三以上の賛成による可決という手続も提示されていたそうでございますが、ケーディス氏はこれらに対して極めて強く反対して、これは論理的には後世の国民の自由意思を奪うことになる、また憲法を保護するためにこのような制限をつけるのはよくない、こういう議論をしたそうでございます。当時、GHQ内には、十年間は少なくとも日本に憲法改正はさせないという議論があったのだと聞いております。
 実は、鳩山内閣は、この三分の二という関門を突破できないものですから、何とかして三分の二をとりたいということで小選挙区を発想したというのが当時の実情ではなかったかと思います。
 私が注目したいのは、三分の二の条項と国民投票というのがセットになっているということ。私は、この国民投票というのは非常に重要なすばらしい制度であると思います。そして逆に、三分の二というのはちょっと規制が強過ぎるのではないか、こういうふうに思います。
 確かに、ボンの基本法は三分の二です。それからアメリカも両院の三分の二で憲法改正ができます。その三分の二の関門をクリアして、ドイツでは戦後四十三回、アメリカでは建国後十七の重要な改正をしているわけでありますが、これはそもそも憲法は改正していいものだという国民的コンセンサスがある国では三分の二というのはいいと思うんですけれども、これから我々が議論していく際に三分の二というこの関門は、ぎりぎりの政治的対決を議論していくような問題については非常に私は民主主義としてはおかしい制度である、こういうふうに思います。
 例えば、議員を追放するというようなときは三分の二、これは理解できます。しかし、本当にそういったぎりぎりの政治的な議論をするときに、現状を変えさせないという人の意見が現状を変えたいという人の意見の二倍の重みを持っているということは、日本の実情では非常に不合理ではないかという気がいたしております。
 今、一票の重みということで訴訟まで起こっておりますけれども、こういう意味では一票の重みというのがこの国会の中で明らかに違っているというのはおかしいのではないか。だから、むしろ一対一で、二分の一で発想して、しかし国民の英知にかけるという意味で国民投票をするということをやるのがいいのじゃないか。
 そういう意味で、私は少なくとも、これはもう冗談と思って聞いていただきたいんですけれども、第一次の改正はこの三分の二を二分の一に改め、そして国民の投票を守ると、こういうことではないかなという、イコールフッティングで議論をしたいなという気がいたしますが、内田先生、ちょっと余りにもひどい議論でございましょうか。
○参考人(内田健三君) 私は今の木村先生のお話は大体よくわかると申し上げたいんですね。
 私はどうも、やっぱり私どもの憲法論の中にはいまだに明治憲法の影響といいますか威力が頭の隅っこに残っておるんではないか。つまり、あれは明治天皇の欽定憲法であります。お上がつくってくださった憲法であると。しかも、戦後、不磨の大典と、ちょうちん、鳴り物入りではやし立てられて、その末路は何であったかといえば、敗戦で終わったのではない、その前十年、もはや軍部の支配下にあったような憲法になってしまっていたということを考えますと、余り憲法をかたくいつまでも持っている方がいいんだよという方にウエートを置き過ぎるのはどうかな、それが一つであります。
 それからもう一つは、これは両院の調査会のどなたたちでありますか、欧米の視察に行かれたとき、私、そのもとをちょっと見損なっておるんですが、ローマにいらしたときにあの「ローマ人の物語」を書かれた塩野七生さん、これはもう大変な傑作でありますが、ローマ数千年の歴史を踏まえた方がこの憲法調査会の委員に対するアドバイスとしては、皆さん、九条もいいでしょう、新しい環境権とか地方分権とかいろいろあるでしょう、だけれども、まずその入り口にある改正規定というものをもうちょっと緩やかなものにしたらどうでしょうかというアドバイスがあったやに聞いております。ここにあるいは聞かれた方がおられるのかもしれませんが、私はさすがに数千年を見ている塩野七生さんの御議論だなと感じたことをつけ加えます。
○木村仁君 時間がございませんので、申しわけございませんが、もう一問だけ内田参考人に。
 と申しますのは、内田先生は、かつていわゆる行革審の中で地方分権特例制度、パイロット自治体を提案されておりますので、恐らく地方自治の第八章については格別の御関心がおありになると思ってお聞きするわけでございますが、金森徳次郎氏の「憲法遺言」、これ遺言と書いてイゲンと読むんですかね、「憲法遺言」に、「憲法を読んでみて、何度読んでもわからない規定が固まっているのは地方自治の章である。」、こういうふうに書いておられます。
 マッカーサー憲法草案の第八十七条の中に、「住民ハ」「彼等自身ノ憲章ヲ作成スル権限ヲ奪ハルルコト無カルヘシ。」という規定があったんです。これは「憲章ヲ」と書いてあります。英語ではチャーターであります。これを実に巧みに法制局が条例に改めております。バイローズでございます。チャーターというのは地域住民がかなりな自治権を持って自分たちの政治形態を決める。例えば首長制にするか、委員会制にするかというようなことまで決める権限を与えているのがアメリカのチャーターです。恐らくマッカーサー司令部はそういうことを、考えを持っていたんでしょうけれども、日本では時期尚早だということで、実に巧みだと思いますが、条例に改めて、「法律の範囲内で条例を制定することができる。」と改めております。
 私は、憲法改正があるときにはぜひこの第八章を、金森徳次郎様がおっしゃられるように、わかりにくいものばかりでなくて、はっきりと改正したいし、そしてできればこのチャーター的な、憲章的なものを地域に権限として与える、連邦制に近い地方自治制度というものをつくりたいな、これを一つ夢に持っているわけでございますが、時間がございませんので簡単になってしまいますけれども、御所見をお伺いしたいと思います。
○参考人(内田健三君) お答えしますが、私も地方分権というものをもう少し推進していかなきゃいけないというふうに思っておりまして、今の御意見には大体において賛成でございます。
 ただ、この問題はいろいろと入り込みますと、第一、中央政府あり府県制あり市町村制あり、まことに複雑にでき上がっているものでありまして、これをもしもう少し分権を強めた連邦制にするというようなのは私はいかがかと思っておりまして、引き合いに出しちゃ悪いんですが、今度のアメリカの大統領選挙における各州が、これは国の成り立ちが違いますから、アメリカは州をもって出発をしたわけでありまして、それが合衆国をつくっているという国柄の違いが基本的にありますけれども、しかしあの開票作業が全く原始的なものもあれば最近の投票制というようなものもあって、それがあのフロリダ州というところに集約されて、一月も二月も結果が決まらないなんというようなことは、これはどんな分権の行き過ぎなのか。これは日本の中央集権で来たものはやっぱりもうちょっと分権制を強めなきゃいけませんけれども、妙な例が出てきたなとこのごろ考えておるのでありますが、基本的には分権を推進すべしと。
 ただし、そのときに、あの審議会でも私は議論いたしましたが、一体、府県制というものが今や時代おくれではないのか。そうしますと、道州制あるいはブロック制という主張が有力知事の中にもありますけれども、さてブロック制、九州府とか四国府とかいうことにして、それの権限なりをどういうふうに規定するかというのは大変難しい問題であります。少なくとも私はもう長く、市町村三千三百は何とかして千にと言ってきました。これは当時、異論をなさったリーダーの中には、三百でいいという過激な論、あるいは五百にしろという御議論が当時からありますけれども、まあとりあえずは千かなというようなことを考えましたが、最近、実際問題としてもまず千にというような議論が今高まっているように思いますが、いずれにしても、地方分権というものを推進しなきゃいけない、そのためにはこの憲法条項というものは何らかの形で緩和するというか、しなきゃいけないなというふうに思っておりまして、全く賛成でございます。
○会長(村上正邦君) 時間が参りました。
○木村仁君 以上でございます。
 ありがとうございました。
○会長(村上正邦君) 川橋幸子委員。二十分です、持ち時間。
○川橋幸子君 民主党・新緑風会という会派に所属しております川橋幸子と申します。いいお話を伺いまして、ありがとうございました。
 お二人の参考人の先生方に、加藤先生、内田先生の順番で、二十分の時間をいただいておりますので、質問をさせていただきたいと思います。
 まず、加藤先生のお話でございますが、きょうは大変私は啓蒙される部分が多かったと思っております。平和主義、民主主義、それから人権の尊重というんでしょうか、人権主義、この三つの憲法の価値、憲法の精神というものを出されまして、今の日本国憲法は明治憲法とは三点において異なる、欧米の他国の憲法に比べて平和主義が非常に大きな特徴を持っていて、この十九世紀、二十世紀の歴史の流れをたどると、むしろ日本にとってはこの平和主義というのが非常に現実的な憲法の精神的価値になっている、こういうお話を伺ったところでございます。特に、日本にとっては大変現実的な平和主義なんだと、そこのところに私はきょうは感銘を覚えました。これは、質問の前段の私の感じたところを先生に申し上げさせていただいたわけでございます。
 さて、こうした憲法でございますけれども、日本国憲法の場合は、この平和主義については新し過ぎるとか、非現実的だとか、もっと日本の現実に合わせて変えた方がいいという、こういうお話がずっと来てはおったわけでございますけれども、むしろ現実的なんだというお話で私は同感いたしますが、どうも現実的なんだというそこの意味が日本の人々、日本の国民にはなかなか理解できないところがあるわけでございます。
 そのときにいつも私は思いますのは、この三つの平和主義、民主主義、人権の尊重、この一番根本にある個人の尊厳、人の尊厳というんでしょうか、そういう部分が非常に、憲法というのはまず個人が尊重されるというこういう社会契約の中でできてくるものが憲法秩序であって憲法価値なんだと、そこのところの三つの日本の憲法の特徴の一番ベースにあるこの尊厳が理解されていないように思います。
 少し前置きが長くなりましたが、なぜそう言いますかと申し上げますと、前回の参考人の意見聴取のときに、人、市民、国民というこの三つの使い分けがここで議論されました。先生のお書きになられました八九年の「憲法は押しつけられたか」という文章を拝見しましたら、その中にもピープル、これを国民と訳すのか人民と訳すのかというその違いが書かれておりました。しかも、国民と訳すか人、市民と訳すかというときには、いつも全体の頭の上にある国家というものがネーションなのかステーツなのかというこの揺れ動きの中ではっきり理解されていないように思います。
 漠然とした質問で大変申しわけございませんが、日本国憲法の一番ベースにあるこの尊厳の問題、この尊厳といったときには、人、市民、国民、国家というものの関係をどのように考えればいいのか、御示唆いただければありがたいと思います。
○参考人(加藤周一君) どのように考えるかといってもいろんな面があると思いますけれども、ちょっと難しいところがあるとは思うんですけれども、市民という言葉は出てこないんですよね。憲法の中には市民ということは強調していないわけで、私は、人と市民との関係というのは、市民の一つの定義の仕方は、政治、社会の問題に参加するときに、参加が市民にすると思うんです、個人の。だから、つまり一人でもってそっと暮らしていれば人であるけれども、個人であるけれども市民でなくて、社会的に、社会の方角に参加すればそれは市民になるんだと思うんです。国家は市民の集合が民主的な社会、民主的な国家というふうに思うんですね。
 ですから、いきなり国家と人との関係じゃなくて、日本国に住んでいる人すべてと国家との関係じゃなくて、市民と国との関係というふうになると思うんです。人と国家との中間に市民があるんじゃないか。だから、市民にならなければ国家との関係が出てこないというふうに言ってもいいんじゃないかなというふうに思うんですけれども。それで、日本の伝統は、初めは徳川幕府でしょう、その次は明治憲法で、明治国家で、明治国家の場合も上からですね、欽定憲法と内田さんおっしゃったけれども、まさにそうなんですね。
 だから、私が大事なのは国民主権だと言ったけれども、国民主権というのはそれを市民化することですよね。それは大転換なんで、今いろいろ改正の話が出た、時がたったから改正した方がいいということもあるし、それから改正手続をもっといろいろ考えた方がいいという、説得的な議論だと思いますけれども、ただ、改正って、何を変えるか、どういう方角に持っていくのかということが大きな問題だと思いますね。
 私は、共有されている基本的価値をどの程度に反映しているかということは、ある意味では世論調査の結果よりもっと大事だと思うんですよ。それはまさにそういうことで、人と国家との関係は、国家主体じゃなくて市民の集合が国家なんだという考え方、それを憲法は反映しているのか反映していないのかという、大事な問題のところですね。それから平和主義がその一つで、武器に対する態度、軍隊に対する態度ですね、そういう基本的な価値だと思うんです。
 だから、そういう意味で人と国家との、どういうふうにしたら変えるかとか今変えた方がいいかどうかという問題よりももっと基本的な問題は、みんなが賛成するであろうような基本的な価値、国が人を治めるんじゃなくて、国は人の道具だという考え方、市民の道具だという考え方、それを変えるのか変えないかということ、それを憲法が反映していなければ変える必要があるし、それから反映していれば変えない方がいいと思うんですね。
○川橋幸子君 大変大きな問題をぶつけましたけれども、先生、わかりやすくお答えいただきましてありがとうございました。そこで、今度は少しお答えしやすいように小さな問題にさせていただきます。
 先ほどドイツの基本法、憲法に当たる基本法ですが、四十数回改正されている。アメリカも七回ですか、改正されている。さて、日本の憲法は五十年間一回も改正されたことがないという、こういうお話があるわけでございますが、私もドイツにおける憲法改正につきましては国会図書館の方から資料をもらいまして、どんな改正があったのかということを調べてもらって、資料をもらいました。そうしましたら、簡単に言いますと、ドイツの基本法の改正が頻繁に行われるのは、連邦制であるので、連邦と州との関係にまたがるような、我が国でしたら普通法律や規則で対応できるようなそういう必然的な改正が多いという、そういう部分が書かれておりました。それから加えて、人間の尊厳とか国民主権といいますか人民主権といいますか、そういう国の基本精神にかかわる部分については改正は許されないとはっきりドイツの基本法には書かれているわけでございます。
 それから、アメリカの方はまだ資料はもらっておりませんけれども、私が得ている情報では、アメリカも連邦国家でございますが、むしろ男女平等というような条項が入っておらないわけでございます。それで、アメリカの女性たちはウーマンリブの後にイコール・ライツ・アメンドメント、ERAという運動を起こしておりますが、まだ三分の二の州の批准が得られていないということで実現されていない。
 それから、意外やフランスでございますが、フランスが最近に行った憲法改正にパリテというのがございます。ここの部分は、個の尊厳と男女の平等というものを両立させるために、わかりやすく言うと、選挙のときの候補者に男女同数を立てることを政党の義務として、それを守らない場合には政党交付金が減額されていくと。減額される部分は後の政党法の細かい規定でございますが、そんな法律改正が行われているわけでございます。
 さて、伺いたいのは、平和主義とおっしゃった、それは日本国憲法の非常に重要な基本原則であるとすると、ドイツのようにこの部分は変えることができるのかどうなのか。そもそも、日本国憲法のアイデンティティーをみずから否定するような憲法改正というのが許されるんだろうかという、その点でございます。
○会長(村上正邦君) 加藤参考人ですか。
○川橋幸子君 加藤先生にお伺いします。
○参考人(加藤周一君) 今の御質問の中に男女平等のことを含めてですか。
○川橋幸子君 済みません。それじゃ、日本の平和主義は日本国憲法の改正によって変えられるかどうか、その部分だけで結構でございます。
○参考人(加藤周一君) 男女平等に関しては、第二次大戦後に起こった社会的変化の中で非常に大きなものだと思いますね。それは方角が非常にはっきり出ていると思います。参政権だけをとってももう非常にはっきりした方角が出ているんで、だから問題は、それを日本社会でもってどれだけ実現していくかということだと思いますね。
 ドイツの憲法に関しては、日本とドイツとの違いの一つは、ドイツはヨーロッパの一部、ヨーロッパの中に組み込まれているんですね。日本はどこにも組み込まれていないわけですよ。それが非常に大きな違いだと。
 だから、例えば、ドイツの国軍の、ユーゴスラビアでドイツ軍を使うか使わないかというような問題でも、それをヨーロッパの枠の中で言っているわけですね、ドイツ側は。ところが、日本の場合にはそういうことがないですから、どこにも組み込まれていないわけで、安保条約があるだけでしょう。だから、もし第九条を変えて、それでもっとはっきりとした軍備、再軍備の方角へ進んでいくとすれば、それは安保条約の枠の中でそうなるのか独立なのかということが出てくると思いますね。どちらの場合にも、安保条約の枠の中で日本がもっと軍備を増進させることにアジアの国は大抵懐疑的だと思いますね。なぜ懐疑的かということは明らかだと思いますけれども。
 それから、独立して、米国から独立して日本が軍備するということになればもっと反応が強いと思いますよ。どうして強いかというと、それは軍備を増強する前にやることをやっていないから。ということは、つまり信頼関係を築いていないからだと思いますね。戦後のドイツ、政治というよりも社会全体だと思うけれども、戦後のドイツ社会と日本との違いの一つは過去に対する態度の違いでしょうね。だから、その周囲の国との関係が違うわけで。
 ということで、だから日本の場合はおっしゃるように、九条を変えるともっと自由に軍備ができる、それから軍隊を使うことができるようになる。そうすると、そのときそれを一体安保の枠の中でするのかしないのか、どっちにしても反応は非常に強い。今はつまりそういうことをするための準備ができていないと思います、私は。それはドイツとの違いですよ。
 だから、日本の場合には手を触れるのは非常に危険だと思いますね。外交的にはまずい手なんだろうと思うんですね。プラスがなくてマイナスだけが多くなると。
○川橋幸子君 結局、その問題も法律論というよりも、日本が置かれている、アジアの中で置かれている状況、あるいはアメリカとの状況、そういう現実的な状況の中で九条を変えるのが得策かどうか、そう考えた方がいいと、そのように理解させていただいてよろしいでしょうか。
 はい。それじゃ、済みません、残された時間が五分ぐらいでございます。内田先生にお伺いしたいと思います。余り大きな問題を、加藤先生の方にお答えしにくい問題を投げかけ過ぎまして時間を使いまして、内田先生にお聞きしたいことがいっぱいあったんですが、一問だけ伺わせていただきたいと思います。
 「この国のかたち」という司馬遼太郎の言葉が、非常に憲法改正と密接につなげて私たち理解しておりますし、世の中でも論じられていると思います。二十一世紀に向けてこの日本というこの国の形をどうするんだろうか、この日本の国のアイデンティティーはどうしていけばいいんだろうか、そういう問題意識から憲法改正を考えてまいりますと、やはり環境権があった方がいい、知る権利があった方がいい、統治機構を改めた方がいいと、このような議論が出てまいります。先ほどの平和主義とか人権とか民主主義とかという価値観の問題ではなくて、日本がどういう政策的な選択をするのが日本らしいのかという、その政策選択の意味の中で出てきているように思います。
 ということで、この国の形ということを言いますと、割合、やっぱり憲法は足りないところが多いんだから改憲した方がいいというふうに傾きがちでございますけれども、私はどうもこの国の形というのは別に憲法を変えなくても、むしろさまざまな法律でもってやっていかなければいけない部分、やっていける部分がたくさんある。例えば、個の尊厳とか男女の平等にいたしましても、私は労働の分野で長いこと仕事をしておりましたけれども、今の労働市場の中での女性の賃金の問題、あるいはパートタイマーとフルタイマーとの賃金格差の大きな問題等々を考えますと、むしろこの国の形を政策論的に考えるのは法律の分野で考えていく方が、もっともっと憲法を使いこなしてやっていくことが必要なんじゃないかという、そちらの方の意見に立っておりますけれども、内田先生、やっぱり日本の将来ビジョンを考えられた場合に、この国の形と思われたときに、憲法のここだけは変えた方がいい、この部分は……
○会長(村上正邦君) お答えする時間がなくなりますよ。
○川橋幸子君 はい、済みません。
 ということで、もうくどく申し上げなくてもおわかりいただけたかと思いますが、その主要な論点をお教えいただきたいと思います。
○参考人(内田健三君) これは難しいお話でありまして、私は何も、何もかも憲法に盛っていかなきゃならぬということはないと思っていまして、それは、この憲法全体がどうしてもここは我慢ならないから変えようというところまでこの御議論が行けばその上で変えればいいことであって、憲法の条章を一々ああだこうだ言っていじくり回すことには反対ですね。不磨の大典ということはあり得ないけれども、そうかといって憲法の条章を何かちょっと不都合なことが起こればすぐ変えるというようなことではなくて、それはやはり憲法の範囲内において法律でどこまで是正できることであるかということを考えていくのが第一義的な問題だと思っております。
 また、国の形の問題は最後にちょっと申し上げたいことがございますが。
○川橋幸子君 まだ二分ぐらいありますので、この国の形について続けてお答えいただければありがたいと思います。内田先生にお答えいただければと思います。
○参考人(内田健三君) また次に回します。終わりにいたします。
○川橋幸子君 そうでございますか。
○会長(村上正邦君) 終わりがあるかないか、どうぞ二分ぐらい残っておりますから、この際。──よろしいですか。
○川橋幸子君 では、加藤先生、お答えいただけますか。この国の形と憲法の関係でお願いいたします。
○参考人(加藤周一君) 将来に向かってといったって、私はいいかげんな年寄りだから余り、もっと若い人が二十一世紀の心配をするのだと思いますが、二十一世紀に向かっては、いきなり日本が世界に貢献するとかそういうことよりも、恐らくそれが実際に有効にできるためには、東北アジアでの平和とか、政治的安定とか、経済的繁栄とか、そういうことが大事だろうと思いますね。
 ちょうどドイツが何とかしてヨーロッパ統一をつくってヨーロッパを通じて世界でしょう。日本はやはり東北アジアを通じて世界ということになると思います。だから中国とか韓国と日本との友好関係というのが恐らくかぎになるんじゃないかと思うんです。それは政治的問題ですね。
 そのことと憲法との関係は、少なくとも現在の状態で第九条をいじりますと、憲法改正の中でそれが問題になるわけだから、それをいじるとその反応はマイナスだと思う。だから、もし政治的目標が東北アジアの安定が一番重要な目的であるとすれば、二十一世紀に向かって、そうすれば九条を変えることはすごく慎重でなければならないと思うんです。
○川橋幸子君 どうもありがとうございました。
○会長(村上正邦君) 福本潤一委員。持ち時間十五分になりました。
○福本潤一君 公明党の福本潤一でございます。
 きょうは、日本を代表する哲学者だと私は思っておりますけれども、加藤周一先生が来られて、文明論・歴史論も含めた広い観点からお話しいただきましたので、その大先生に対しての質問に沿えるかどうかわかりませんけれども、私なりに質問させていただきますと、先ほど、過去の歴史の結果、三原則、平和主義というのができた、ユニークな法律であるというふうに言われました。
 最近、憲法学者が出した本によりますと、百七十八の成文憲法の中で、今や平和憲法、百二十四の国の現行憲法にもう既に入っているという現状になっております。
 それで、解釈改憲も含めて第九条全文、かなり変更も解釈的には行われているような実情はございますけれども、哲学的に考えたときに、過去のそういう戦争、反省に基づいて行われるという形と、若い世代がよく言っておりましたけれども、八〇%の人が憲法改正賛成になっておる、未来世代、理想、ビジョンを考えた上で逆にフィードバックして現在にという形での憲法の考え方、論憲ができ得るのかどうかというのをお伺いさせていただければと思いますが。
○参考人(加藤周一君) 私は、今の世界が静かにだんだんに武器の有効性、つまり世界に起こっている国内及び国外の、殊に国外の問題は世界全体の問題で、武器を用いて解決できるものは少なくなる傾向が非常に強いと思うんですよ。ですから、相対的に言えば武装の効果は下がっていると思うんです。経済力が非常に大事だし、そのほか政治的な、文化的な力は大事ですが、それに比べて問題解決手段としての武器の力は下がっていると思います。それが天下の形勢だと思う。
 その意味で私が考えるのは、日本の憲法は先取りだというわけです。だから現実的だということ、今こそ現実的、あしたはもっと現実的になるんじゃないだろうかというのが私の意見なんです。
○福本潤一君 そういう意味では、哲学的に見てユニーク、先取りということもあると思います。
 抑止という形では現実には効果ないといたしましても、脅威というものが具体的に、日本では時々反戦論議または防衛論議するときに仮想敵国とかいう形で論議をいたしますし、脅威が消えるのは平和友好条約等々を結んだときだという御認識があられるようでございますけれども、今回の中国の場合はそういう形で脅威が今消えているような状態、今後、北東アジア、日朝または日ロの友好条約関係を結んでいくことによって個々の脅威が消えていく段階が具体的には来るんだという御認識だと思うんです。
 今、日本はやはり日米安保の関係の、まあ日米同盟のような関係性が具体的にはございますので、日米がそういう同盟を結んだ関係の中で現在日米安保がある。そうすると、仮想敵国は具体的には日米、冷戦構造の中でなくなったにもかかわらずそれが存在する。じゃ、仮想敵国というのは具体的には何と考えて、脅威として考えてその条約が結ばれているかというのが再定義し直されなければいけないような段階に来ているような気がするんですけれども、その点について加藤参考人にお伺いさせていただければ。
○参考人(加藤周一君) そうですね。だから、日米の軍事同盟というものは相手がないんですね。少なくとも日本の安全、東北アジアの安全という点からいうと相手がないんですよね。ですから、もっと一般的にアジア全体のアメリカ合衆国のプレゼンスを強めるということだと思いますけれどもね。
 そういう意味で、現実的なのは、むしろ日米安保条約そのものが、それから米軍の東北アジアにおける存在そのものがどの程度安全に寄与しているのか疑わしいと思うんです。それは強敵がなくなったからだと思うんですが、今のお話の中で脅威が成立するのは条約だけだと私は言っているんじゃないので、その現実的な背景は第一に意図ですよ。
 つまり、日本を攻撃しても、あるいは東北アジアで戦争を起こしてもどういうプラスがあってどういうマイナスがあるか。必ずプラス、マイナスがあるでしょう。だから、そのプラス、マイナスでもって利益の方が大きいと考えるべき説得的な現象が、理由があるかどうかということが第一の問題です。もしマイナスの方が大きければ戦争しないという仮定ですよね。それから第二は、たとえ侵略が成功しても、利益があるとしても、それを行うだけの手段があるかどうかという二つの点だと思うんです。
 それで、ソ連は問題だと思いますけれども、ある時期に少なくともソ連はかなりの程度に膨張主義をとっていたから、だから利益があると考える可能性があったんです。そして、日本を侵略する手段を持っていたでしょう。そして今はない、どっちも。それから、中国には初めからないと思います、両方とも。ちょっと合理的に考えられる利益は小さくて、損失は非常に大きいから、だからそういうことをする国はないと思うんです。しかも、手段を十分に持っていない。
○福本潤一君 ありがとうございました。
 中国が別に仮想敵国になっているわけじゃないわけですけれども、日米安保は存在するという現実があるわけですね。そういう中で、国連主義、世界の安全をゆだねるときに国連尊重主義をとっていくと、どちらかというとアメリカによる安保ではなかろうかという現実が、具体的には日米同盟と日米安保とは別個にあると思うんですね。
 こういう中で、国連というものの存在の意義、ここのところを加藤先生にお伺いさせていただければと。
○参考人(加藤周一君) ちょっと今のお話だと米国が一つのように聞こえるけれども、アメリカはこう考えるということはちょっと意味をなさないと思うんです。アメリカの中でたくさんの意見が割れているし、極端に言えば、政府の中でも国防省とそれから国務省との間に意見等かなり違うんです。安保条約に関しては、少数意見ですが無用であるという考え方も強くありますね。
 それから、もっと極端なところは、米国の中では核兵器を一方的に放棄した方がいいという考えすらあるんです。それは、そういうことを言っているのは評論家じゃないですよ。そういうことを言っているのは、政府ではないけれども評論家ではない。ポール・ニッツェという人がいて、冷戦のときに核兵器軍縮交渉をした米国の一番の主任ですよ、米国代表みたいな人。恐らく核戦略に関しての米国におけるエキスパートの最大の一人だと思います。彼は、核兵器は冷戦が終わった現在の状況では役に立たないと、米国を脅かしている以外の何の意味もないから核兵器をやめろということを言っているんです。それはまだ少数意見だけれども、ただ米国のいいところは、少数意見がある日多数意見になることですね。
○福本潤一君 国内でも米国では論議が分かれていますから、急に現実的な話で、加藤参考人から見られて、今、日本の閉塞的な状況も含めてあるときに、日本の求められている総理像といいますか、そういうのをどういうふうにお考えかを現実的なお話で聞かせていただければと思いますが。
○参考人(加藤周一君) 日本の何でしょうか。
○福本潤一君 トップリーダー、総理大臣の、こういう像が望ましいという、日本の今の政治状況の中で。
○参考人(加藤周一君) 総理大臣……。
○福本潤一君 はい。
○参考人(加藤周一君) いや、私は憲法に関する意見を陳述する参考人として呼ばれたので、総理大臣を選択するあるいは改正するための参考人ではありませんから、ちょっとその問題はお答えしない。
○会長(村上正邦君) それはむしろ内田参考人の方が得意な分野じゃないでしょうか。
○福本潤一君 そういう理想像として聞きたかったわけですけれども、では内田参考人の方に、今のテーマではなくて、きょう、今、ブッシュが二百七十一人フロリダで獲得したと。アメリカ大統領の選挙の方の話を聞かせていただこうと思うんですが。
 民主主義と選挙という意味では、今回の大統領選挙、非常に大きな問題点が浮き彫りにされたと思うわけですけれども、道州制とかそういう問題があるから起こったという以上に、これだけ拮抗していますと、もう大統領制も、一斉に選挙投票しての段階で〇・五%以内だったら本当に微妙なところが起こったりして、今回の結果、次の選挙までもやもやとしたものが続きながら四年間新しい大統領のもとに行われるという状態が起こっていると思いますけれども、その選挙と民主主義の関係をこういう形でとらえ直す必要があるような視点から考えていただいて、選挙の限界というものも含めてお話しいただければと思いますが。
○参考人(内田健三君) 今御指名があったのは、恐らく私が現実政治を見ているという見地からどう考えるかということだと思うんですが、私はやっぱりこれはアメリカンデモクラシーの非常に大きな限界というか、これはこの後アメリカの中でどれほどの議論、論議が起こってきて政治システムを変えようという話に発展するか、私は非常にアメリカンデモクラシーの弱点が暴露されたというふうに思いますね。
 それは、日本の総理選びじゃありませんが、どっちもどっちだというブッシュとゴアの限界といえばそれまでの話ですが、そうではなくて、やっぱり選挙のシステムというものがもうアメリカが国を建てて以来ああいうやり方で来ているのが非常に大きな壁にぶつかっているんじゃないか。ですから、ここで論議が起こらないのがおかしいぐらいの状況だというふうに思います。
 特に、パンチが見えるとか見えないとか、ああいう末梢的なことで数百票を争う、勝った方が全アメリカの大統領になるということ自体もうナンセンスじゃないかというような感じがしていまして、これはアメリカの問題ですが、これから非常に大きな論議を起こすべきだし、それが起こらなくてこれはこういうものなんだというんじゃ、私はアメリカに対して絶望的にならざるを得ないというような感じがしております。
○福本潤一君 まだありますか。
○会長(村上正邦君) あと一分ございますが。
○福本潤一君 では、日本で首相公選制を行う形でいく方向性というものについてどうお考えか、これをお伺いしたいと思います。
○参考人(内田健三君) この問題はまた後で機会があるかと思っていたんですが、私は、今の政治が、皆さんがいらっしゃる前で言うのはなんですが、国民は絶望的になっていますよ、本当に。それはだれが勝っただれが負けたなんという問題じゃないんで、ではといって野党を見れば野党もどうもなっていない。こういう非常な絶望感が広がっているというのはこれは日本のデモクラシーにとって大変な事態だというふうに思っていまして、だからこれをどこから打開していくのかというところに来たな、まさに世紀末だなという感じがいたします。
 また後ほどちょっとこの問題は。
○福本潤一君 どうもありがとうございました。
○会長(村上正邦君) 時間になりました。
 小泉親司幹事。十五分です。
○小泉親司君 日本共産党の小泉親司でございます。
 きょうは大変貴重な意見をいただきまして、本当にありがとうございます。お疲れのところだと思いますが、二、三質問をさせていただきたいと思います。
 まず初めに、加藤参考人にお尋ねいたします。
 ちょっと大局的な話ですが、先ほど参考人の御意見をお聞きしていて大変感銘を受けておりましたけれども、やはり二十世紀は、戦前はいわば天皇制のもとでの侵略戦争の時代、戦後は日本国憲法のもとでの大変平和な恒久平和が進んでいる時代、二十世紀はやっぱり二つの問題があったというふうに思います。
   〔会長退席、会長代理江田五月君着席〕
 私たちは二十一世紀に向けてどういう道を進むべきか。先ほどもお話をお聞きして、私たちは九条の戦争放棄及び戦力不保持、こういう原則はやはり二十一世紀の時代にも脈々と生き続けるし、その点では大変先駆的な、私、中身を持っているんじゃないかというふうに思います。特に、一九二八年の不戦条約を初め、四五年の国際連合の結成、こうしたもとで戦争違法化という流れがこの二十世紀の大変大きな流れだったというふうに思いますし、これはやはり二十一世紀にも受け継がれるべきだし、当然そういう時代が二十一世紀には進んでいくというふうに考えておりますが、その点、まず加藤参考人の御意見をお聞きしたいというふうに思います。
○参考人(加藤周一君) 明治維新のときの日本の国民の社会、政府の目標は富国強兵だったんですね。同時に実行できないので、まず強兵をして、二十世紀の前半の日本は要するに強兵ですよね。初めは大成功、そしてだんだん失敗して最後は敗戦になったわけですね。それが前半で、後半は富国強兵の今度は強兵がだめだったので富国に変わったと思うんですよ。その富国の条件として武装放棄がかなりの程度働いたと思います。それが第二。後半期の二十世紀だと思うんです。
 ところが、少なくとも無限に経済を拡大することが国民的な目標であって、いつまでもそれを続けることはできないということになったわけでしょう、二十世紀の終わりに。ですから、二十一世紀は軍国が目的ではなくて、それは一度既に失敗しているわけですね。それから、ただ富国というのを、経済的な力を大きくすればするほどいいんだという、それだけではもたないということもわかったわけでしょう。そうすると、第三は、やはりもっと別の目標がもし、目標なしでいくか、もしあるとすればそれは富国でもない、軍国でもなくて富国でもないということになる。そうすると、やはり広い意味で文化的な力だと思うんですね。
 そして、そのためには、富国が軍国を否定したように、第九条があったから富国が成り立ったんだから、文化的な日本というのはもっと強く第九条を必要とするだろうと思いますよ。つまり、精神的な、戦争をしない平和主義に徹底することでアイデンティティーの根拠になると思うんですね。それで、それなしに日本が本当に文化的な力を発揮できるとは思わない。だから、非常に大事だと思いますね、それ。
○会長代理(江田五月君) ちょっと内田参考人が席を外していらっしゃいますが、よろしいですか。
○小泉親司君 はい。
○会長代理(江田五月君) では、どうぞ。
○小泉親司君 加藤参考人は、先ほど三つの要素、平和主義、国民主権、人権、この三つの要素に相互の関連があるというふうに追加しておっしゃっておられます。私も、確かにこの問題は相互の関連があって、先ほど参考人も明治憲法との比較の問題でお話をされていたのは、やはり明治の憲法下での日本というのは、侵略戦争とそれから絶対主義的天皇制下の専制支配といいますかそういうものと、そのもとで人権が抑圧されてきた、国民の人権が無視されてきたという時代が続いてきたんじゃないかというふうに思います。
 先ほど参考人は九条について、この点に関してお話をされましたけれども、私もその九条についてはまた後ほどお尋ねしますが、このいわゆる九条のことをお話しされて、結論としては改正しない方がいいというふうに最後の結論としておっしゃいましたけれども、この三つの要素はやはりかたく結びついているもので、そのもとではやはり憲法九条を改正しないという立場になると必然的に残りの二つの要素というものも大変深く関連してくるんじゃないかというふうに私は考えておりますが、その点の相互の関連とおっしゃった意味というのはどういうところにあるのか、お尋ねしたいと思います。
○参考人(加藤周一君) 国民主権というのは民主主義の根拠でしょう。民が、人民が主であるということですから、主権であるということで、国民主権は民主主義ですね。軍隊は大抵の国が持っているわけで、日本も持っていたわけですが、軍隊というのは最も非民主的な組織なんですよ。だから不要だということにならないですよ、必ずしも。それは短絡だと思いますよ。別の検討は必要だけれども、とにかく民主主義的な組織ではないわけね、政府の中で。
 官僚組織の中で最も非民主的なのは軍隊ですよ。なぜなら、秘密が必要だということもありますね。それから、戦争は最も大規模な国家権力による人権の破壊ですよ。ですから、関係は非常に密接なわけ。平和主義はいわば人権を尊重するために非常に大事な前提なんですね。そしてまた、平和主義は民主主義を保障するために非常に大事な条件なんですよ。なぜならば、軍隊なしに戦争できないから。それで、軍隊というのは最も非民主主義的な組織ですからね。だから、その三つのものは関連しているので、だから平和主義は大事であるというふうに私は言ったんですね。
   〔会長代理江田五月君退席、会長着席〕
 ただ、問題は、反論は恐らく、安全はそれじゃどうするんだという議論だと思いますが、その安全は今特にないと思うんです。軍隊がないことで日本の安全は脅かされていないと思います。さっき言ったように、脅威は外に候補者がないから。
○小泉親司君 次に、加藤参考人と内田参考人に、同じ質問で恐縮でございますが、お答えをいただきたいと思いますが、先ほど加藤参考人は九条について先取りだとおっしゃられた。加藤参考人がお書きになっていた「時代を読む」の中にも同じ文章がありまして、「日本の憲法は、」「国際的な理想の、あるいは世界が未来へ向かって進んでいく道の先取り」だと。「主権の制限があるから、憲法を改正して主権を回復しろという建て前で行くのは、むしろ後ろ向きで、戦争のある世界への逆戻りだ」と、こういうふうにおっしゃっておられます。
 私、この点では大変感銘を受けましたが、単なる九条がこの憲法において先駆的だ、先取りだというばかりではなくて、やはり人権、特に基本的人権の問題も大変日本の憲法の場合は非常に先進的な内容を持っているんじゃないかというふうに思うんです。
 例えば、社会福祉の問題についても日本国憲法は明確に規定をして、二項では、社会福祉に対しては国がこの向上、増進に努めなければならないというように書いてある。きちんと明記してある憲法というのも、なかなか世界と比較してもないような内容を持っているというふうに思います。
 この委員会でも人権という問題が非常に今議論になっておりまして、先ほど同僚委員からもいろんな御意見が出たと思いますが、私はこの日本国憲法の中に明記されている人権というものは大変普遍的なもので、当委員会ではこの問題が議論になって、ある方は、人権と称するたぐいの西洋的な人権思想は我が国の古来の伝統にはなかった、普遍的な思想ではないということをおっしゃられた方もおられますが、私は、この基本的人権というのは普遍的なものであって、これはやはりきちんとこの憲法で受け継がれていくべき中身だというふうに考えておるんですが、まず加藤参考人に、続いて、同じ質問で恐縮でございますが、内田参考人にお尋ねしたいというふうに思います。
○参考人(加藤周一君) それは、基本的人権を最高の価値としてかつ普遍的な価値として認めるかどうかということは信念の問題ですね。だから、それを実証的にこういう証拠があるからこうでなきゃならないということは言えないと思うんですね。しかし、もし現在の世界でもって生きている、現在の世界の形勢から言えば、人権は最も広く認められている価値だろうと思いますね。
 それから、その人権というときの人は個人なんですね。歴史的には、ヨーロッパで個人の権利として人権という考えが出てくるわけですよ。ところが、日本の社会はもともとその個人的な価値観の伝統を強く持っていないから、だから、ちょっと違和感があるということはあると思うんですね。それも一つです。実際問題として違和感があるのはなぜかというと、それは日本は個人主義的伝統社会じゃないから、日本に限らないけれども。しかし、そのことは人権が普遍的価値であるということの反論にはならないと思いますね、違和感があっても。
 それで、ヨーロッパ人がつくったということは確かにそうなんです。ヨーロッパ人のつくったものの中には普遍的なものがあるわけですね。だから、人権はその一つだと思います、価値観の上では。もう一つは、例えばユークリッド幾何学ですよ。ユークリッド幾何学はギリシャ人がつくったからアジアで通用しないということはないんです。
○参考人(内田健三君) 福沢諭吉先生が、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」、これは今、加藤さんのお話のようにもう人類すべてに共通する概念だというふうに思っています。
 要らぬことを言えば、私はこの加藤周一先生というのは昭和の福沢みたいな存在ではないかなとかねてから敬服しておりまして、今の人権の問題、あるいは軍隊というものに対する見方、基本的にはおっしゃるとおりだなというふうに思っております。
 以上でございます。
○小泉親司君 最後にお尋ねしますが、今、九条改憲論ということで自衛隊を認知しようというようなことが言われておりますが、私自身この間いろんな書物を読んでみますと、例えば元上智の教授でありましたダグラス・ラミスさんが「憲法と戦争」などで書いておられる本なんかによりますと、日本の自衛隊というのは戦後海外で一度も人を殺したことがない軍隊だというふうな指摘もされて、やはりこういうものはしっかりと守らなくちゃいけないということを大変強く強調されておられます。
 私、最近のどうも動向等だと、例えば普通の国だとか、それから日米ガイドラインでありますとか、自衛隊の国軍化と集団的自衛権の改正といいますか、そういうどうも侵略に対処する個別的自衛権というよりは、どちらかというと他国との軍事同盟に関する戦争行動みたいなのが大変強くなっている傾向があるんじゃないかと。ここに九条の改憲というものの大変主眼が置かれているんじゃないかということを大変危惧しておるところなんですが、その点、普通の国になって集団的自衛権を持てばいいんだという議論について、加藤参考人、最後に御意見がございましたらお願いをして、質問を終わります。
○参考人(加藤周一君) 第九条に関しては、やはり日本国が過去に犯した過ちが、軍隊と結びついて軍事的な冒険の中から出てきたわけですね。ですから、そのことを考慮した方がいいと思いますね。そのことを考慮しないで第九条を論ずるわけにはいかないんですね。ですから、日本が軍備を放棄するというのは、例外を排して非常に厳しい条件をつけているのは、憲法が第九条で厳しく軍備を制限しているのは、それはそういうことがあるからなので当然だと思いますね。それを今軽々しく変えれば、さっきも申し上げたように反応は激しいでしょう。
 それから、いわゆる自衛のための軍隊のときに、議論の中に、細かい話ですが、九条は二項から成っているでしょう。それで、前項の目的を達成するためにというのが原文ですね。その前項の目的を達成するためにという文句を条件と考えるから、だから日本は軍隊を持たないとなっていった。だから、前項の目的を達成するための軍隊を持たないけれども、前項の目的を達成することと関係のない、すなわち具体的には自衛のための軍隊は持ってもいいというのが解釈の一つの可能性なわけですね。
 そこは、私はちょっと無理な議論だと思いますね。論理上も少し無理だと思うんですよね。だから、憲法を現実に近づけようということでそういう解釈が成り立っているので、その無理だと思う理由は、論理的にもためにというのは条件にもとれるし条件でなくもとれるわけね。だから、それを条件にとるためには、それを条件と考えるためには、そのための理由がなきゃならない。そのための理由は提供されていないから、だからその論理は弱いと思うんです。しかし、それはその九条解釈の問題で、いわゆる解釈改憲の論理は弱いというふうに私は考えるわけですね、そのために。
 ただ、それはそういうわけで、ですから、どっちにしてもその九条を変えて、今まではそういう苦しい解釈であるが、だけれども、とにかくそれは日本の軍備の程度及びその活用の範囲について、活用の仕方について一種の歯どめ、枠をかけてきたんですね。だんだんに軍備は大きくなっているけれども、しかし劇的に大きくならないのは例えば九条があるからだというふうな。
 その九条を変えますと、その歯どめがとれるわけですね。それは普通の国になるわけです、そういう意味で。それは現在の状態では条件が整っていないと思うのは、さっき申し上げたように、日本の犯した過ちは大きくて、そしてそれに対する対応は十分にできていない、だから地盤ができていない。そこで現在の時点でいきなり九条を変えればそれは反応は非常に激しいと思いますね。それで、そういう激しい反応を挑発することは日本国の利益でないと思うんです。
 だから、私は倫理的問題を言っているんじゃなくて、政治に倫理的問題を持ち込まない方がいいと思うんですね、むしろ。だから、全く利害関係からいって、国益からいえば、国益にとってマイナスが大きいと思います。だから、変えない方がいいと思います。
○小泉親司君 ありがとうございました。
○会長(村上正邦君) 大脇雅子幹事。持ち時間は十五分です。
○大脇雅子君 両先生は、きょうはとても私たちの心にしみる御意見をいただきまして、ありがとうございました。
 加藤先生にお尋ねをしたいのですが、先生は国民の中で安定した価値観あるいはコンセンサス、そうした価値体系と憲法の関係を検討しなければならないとおっしゃいました。日本の歴史あるいは戦後においてもこの基本的な価値の体系、国民の中に定着している、そういったものについてもう少し詳しく御説明していただけますでしょうか。
○参考人(加藤周一君) 先ほど申し上げた憲法については平和主義とそれから国民主権と人権のことを言ったわけですが、私が基本的な価値というのは、一つは人権ですよね。それは日本の文化的伝統の間に違和感があって、しかし五十年間に次第にその力が強くなって浸透してきていると思うんですね。今の日本の、何というか、自覚的な議論の中では人権の尊重を普遍的な価値として認めない人が少なくなっているんだと思うんです。だから、それは一般の、いきなり大衆の統計的な世論調査の結果じゃなくて、例えば皆さんのような議員の中ではそれは恐らく非常に広範なコンセンサスだと思うんですね。
 それから、もう一つの価値と言ったのは国民主権ということで、国民主権ということは民主主義の基本でしょう。だから、それもその反対者は非常に少ないんじゃないかと思うんですね。だから、それも普遍的な価値です。民主主義は一つの価値であり、それから人権の尊重が価値である。先ほども申し上げましたように、平和主義と結びついているんですね。だから、平和主義も基本的な価値の前提だというふうに考えることができると思うんですよ。
 ですから、その三者の表現としての憲法を、たとえですよ、たとえ、町の人全体に対して統計をとったら、そうしたら変えた方がいいと言う人が多くてもそれは簡単にその問題に触れるべきじゃない、そのことを問題にすべきだと思いますね。ですから、日本は代議制になっているわけでしょう、代議制になっている。だから、いきなりすべてのことを直接投票でやらない。直接デモクラシーじゃないのはそういうことがあるからなんで、それこそは代議制の問題だと思うんですね。代議士の皆さんの中ではそれは常識になっているだろうと思うんです。だからそれは基本的価値ですよね。
 そして、その直接民主制は小さい方がいいんです。だからスイスのカントンみたいなところではそれは直接民主制がいい。それは非常に小さいから、単位が。だけれども、ある程度以上大きくなったら今のような問題が出てくるわけですね。だって、新聞も読んでなくてテレビをろくに見てない人、ニュースをほとんど知らない人が入ってくるでしょう、全国民ということになれば。それと代議士さんの意見とはそれは区別した方がいいので、そのために代議制があるのだから。
 それから、その代議制の危機がアメリカに起こっているんじゃないですか、ついでだから言いますけれども。アメリカの問題は、あれは大統領の選挙人選挙だから、そしてそのやり方は、主題じゃないから簡単に言いますけれども、南北戦争の遺産ですよ。それは選挙の票がくっついていないときは疑問が出ないけれども、くっついていると今のように問題が出てくるわけ。それは南北戦争がもうなくなっているんだから時代錯誤ですよね、アメリカの制度は。
○大脇雅子君 ありがとうございました。
 憲法九条を改正すべきだという議論の基本、主たる大きな議論というのは、日本も普通の国並みに国際貢献をすべきだという議論が唱えられているわけです。この改憲の理由としての国際貢献論と、そして、日本はどういう国際貢献をこれからすべきだという点について、加藤参考人の御意見を承りたいと思います。
○参考人(加藤周一君) 日本の国際貢献論というのは、国際貢献のために憲法を改正してもっと自由な、例えば海外派兵を可能にした方がいいという議論は私には非常に倒錯的に見えるんですね。もしその国際貢献が本当に目的だったら、そして本当にそれに熱心だったら、軍隊と関係のない国際貢献の手段というのは非常にたくさんあるんですね。
 例えば、環境問題は別に軍隊を派兵する必要はないですよね。世界的な大きな問題、CO2の問題が最近問題になっているでしょう。それは軍事的な解決手段はないわけです。それから、急性伝染病の問題もそうです。それから、抗生物質の耐性の増加という問題がありますけれども、それも伝染病に関係するんですが、それも直接には軍隊と全然関係ないですよ。そういう多くの問題、殊に大きな問題は南北問題の貧富の差の拡大ということがあって、そこから起こってくる多くの問題があります。それも軍隊によって解決はできないですよね、南北問題。貧乏な国の人は皆殺しにしちゃうというなら話は別ですが、そうでない限りは、ちょっと爆撃すると南北問題が、格差が小さくなるということはないですね。それから教育問題が非常に大きいですね。教育は、世界的にいって非常に大きな問題があって、文盲の問題があるでしょう。それは軍隊によって解決できない。
 だから、要するに軍事的手段によって解決できない問題は非常に多いんですね。そこに全部手を打って、殊に日本国が技術力があってそれから経済力がある、その二つの強力な技術的水準とそれから強力な経済力があって、そこで手を打った後で、それでも軍事的な手段に訴えなければ容易に解決できないような問題が出たときのことに議論が進んでいけば、はるかに説得力が強いと思うんですね。しかし、そういうことがそう議論にならなくていきなり国際貢献というと直ちに軍隊ということになるのは、全くそれは勇み足というか、そういう感じがするので非現実的だと思います。それが一つの理由です。だから、国際的な問題の大部分は、九〇%は軍事力と全然関係ない。だから、国際貢献はそこでしたらよろしいでしょうということになる。
 それから二番目の論点は、それでも軍隊を使わないと解決できないような問題があるかもしれないということになったとき、そのときにはその国の主権との問題が出てきて、そしてそれは国際的機関が決定した場合に、そして目的が人道的、人権の擁護である場合、普遍的価値の擁護である場合には介入を認めようという議論があるわけでしょう。それは国際貢献ですよね。だけれども、人権の破壊を、だれが破壊しているか、どの程度に破壊されているかということをだれが決めるのかという問題ですよ。それは国際機関でないと公平にはいかないわけでしょう。それは国連の安全保障理事会ですね。国連安全保障理事会でさえも、拒否権はありますし、その中での影響力が御承知のように非常に違うわけだから、だから必ずしも公平な意見とは言えないですね。
 だけれども、いわんやそれがなくて、安全保障理事会を通さないで、相談もしないでいきなり軍事力を使う。そのとき、人権の擁護が目標ですよ、公然と言われている目的です。だけれども、だれがそれを認めるんですか。軍事力の当事者自身が決めるんですか。もしそれが正しければ、日本の中国侵略のときに日本政府は何と言ったかというと、それは東洋永遠の平和のためにと言ったんです。それで、人権を擁護する、人権という言葉は使わなかったけれども、人道的目的でもって中国の貧しい人たちを救うために日本国は中国大陸に入っていったんです。
 だから、ほとんどすべての戦争は、もし戦争当事者が人権の破壊を認めるんだったら、判断するんだったら、ほとんどすべての戦争はその理由によって正当化されてしまうんですね。ですから、国際貢献のために軍事力というのは勇み足だと思います。それより先にすることがもっとたくさんある。たとえする場合でも非常に慎重であるべきだと思います。その慎重さは今のところ見られないんです。
○大脇雅子君 内田先生にお尋ねをしたいのですが、先生は新構想研究会などをやられて、小さな政府というようなことを議論されておりますが、私は、日本のいわゆる国民主権の具体的なあり方としての三権分立というのは非常に現在アンバランスではないかと。本来立法に携わるべき国会がほとんど行政府の立法を追認する形になっている。司法は予算的にも非常に小さくて統治行為の判断をしないというようなことになって非常に制限的で、行政が非常に肥大している。これはまさに明治を引きずっている私は国の形だと思うんですが、これをどう変えたらいいのかという点について御意見があるでしょうか。内田先生どうぞ。
○参考人(内田健三君) 難しい御質問をなさるが、それは、私は、この五十年の政治がこういうところまで今来ているということであって、今国会議員としておっしゃるが、それは国会のまず責任であると言わざるを得ませんし、それから司法の問題はこのごろ改革の動きがいろいろ出ておりますが、これもどうも利益団体が角突き合わせているようなところがあって、私は確たる改革の成果が上げられるのかなと思ったりしております。
 まず、国会のことを申しますと、これはまだあとお二人ほど御質問があるので、私時間をとらせておいていただきたいと思っているんですが、村上大委員長を目の前にしてですけれども、一体参議院というのは何であるかということをもう少しこの調査会、これは参議院の調査会ですから御議論あってしかるべしだと。私も随分長い間、参院改革論というのとおつき合いをしてきましたけれども、これもほかの仕組みと同じでまさに世紀末的だなと。この昨今数カ月の動きを見ながら、どこの党がどう悪いとかなんとかいうことを超えて、両院というものは何のためにあるのかというようなことを、これはもちろん行政府との関係もございます。参議院はいち早く改革をこの十数年やってこられたことは認めておりますけれども、なかなかもってこの両院制をうまく運用する、さらにそれと政府との、行政府との関係をどうするかというのはいや難しい問題だなというふうに思っておりますが、後ほどまた触れたいと存じます。
○大脇雅子君 加藤先生に、今の質問をどのようにお考えになりますか。時間は少しでございますけれども、簡単にコメントいただけたらありがたいと思います。
 日本の三権分立のあり方、国民主権のあり方が、非常に行政が肥大をしている、あとの国会とか司法が非常に軽い形で行われていることについて、私はやはり構造的な民主主義の弊害というのはそういうところからも生まれてくるんじゃないかというふうに思っているので、コメントいただけたらありがたいと思います。
○参考人(加藤周一君) 私は、その問題は二つの面があると思います。一つは、一面は、一般的傾向が日本にもあらわれている、それは極端にあらわれているというふうに思います。それは、一番いい例はアメリカ合衆国だと思うんですが、第二次大戦前まではアメリカの中央政府というのは非常に小さかったんですね。それから軍隊さえも連邦軍は小さくて州兵が主体だったわけです。それで、第一次大戦のときから変わってきて、第二次大戦は極端に、非常にワシントンの官僚組織が増大する。
 それは一般的な傾向だとは思いますが、それで、それは日本にも出ているということなんですが、ただし米国の場合もそうですが、ヨーロッパのある種の国、例えばフランスやイギリスの場合もそうだと思いますが、伝統的な十九世紀型の本当に議会が非常に強い、歴史が長い国は、官僚機構が増大してもそれはバランスして、一種のバランスが生じるわけですよ。
 日本の場合にはそうでないですね。前史は、戦争中、一九三〇年代には議会の力は非常に弱くなったでしょう。それで政党は解散させられたですよね、最後は。それから、ジャーナリズムも言論の自由なかったでしょう。そういう状況で戦争に入っていって、それで戦後に復活したわけですが、戦前と戦中と戦後を通じて次第に増大していったのは官僚機構だけなんですよ。それから、人間さえも、人物さえもかなり変わってないですよね、そのまま継続して。ですから、日本の場合はアメリカや西ヨーロッパの場合とちょっと違って、官僚機構が強くなったときにそのカウンターバランス、つり合いをとる議会の力、個人の力なんて弱いわけです、比較的。ですから、同じ傾向ではあるけれども、日本では極端な形で出ていると思います。
 ですから、日本の場合にはやはり民主主義をまだつくる過程であって、もっと進めなきゃいけないと思うんです。しかし、戦後の歴史は民主主義的な活動がどんどん強くなっているというんじゃなくて、一番よく考えても大体変わらない、悪く考えれば少し下がっているぐらいな感じだと思います。これは非常に重大な問題。だから、これから二十一世紀は民主主義をつくる時代であって、日本に民主主義があるわけじゃないんですよ。それは官僚機構の方が非常に強いからだと思います。
○大脇雅子君 ありがとうございました。
○会長(村上正邦君) 時間になりました。
 平野貞夫委員。十五分です。
○平野貞夫君 自由党の平野貞夫と申します。
 私は、過去四十年の間に政治関係の文書で二つ感動して読んだ本がございます。昭和四十年代に内田先生のお書きになった「戦後日本の保守政治」という本でございます。それから、五十年代の初めでございましたか、加藤先生がお書きになった「日本文学史序説 上」。私は、これは文学史の本でしたが、これは政治思想、日本の政治文化の本としてとらえまして、大変刺激を受け、啓発を受けました。日本の政治学会が文学史で日本文化が解明されるということを非常に不思議に思ったんですが、この本に啓発された記憶がございます。きょうは、お二人の先生に御質問できるのを非常に、私は神の恵みだと思っております。
 そこで、加藤先生にまずお尋ねしますが、確かに、憲法九条先取り論でございます。それから日本国憲法の文化を代表するものだと思います。それから先生がおっしゃった、憲法を現実に合わせるな、憲法に現実を合わせろ、この「を」と「に」の使い方、非常に難しいんですが、それもそのとおりだと思います。それから、これからはやはり武力を使う問題解決はやめるべきだと。その機能が低下しているということもよくわかります。しかし、この九条の問題は実は憲法を現実に合わせる問題でなくて、憲法をつくった帝国議会の最後の国会で問題になっていることだと思います。
 と申しますのは、御承知の南原東大総長が貴族院の国会で、第九条を高く評価した上で、吉田総理に、しかし日本が国連に入るときに問題になるんではないかと。日本は大東亜戦争の責任、過ち、これを反省するのが当然だと、それからいえば、国連に入るときにはその反省、責任を踏まえて、国連をなるべく機能できるように整備することに日本が一番努力すべきじゃないか。そして、その上で国連に警察機能といいますか、国連常設軍と言ってもいいと思いますが、こういうものができた場合には率先してそれに加わって、積極的に世界の平和の維持、あるいは困った人の助け、人道的な活動に大いに参加すべきでないかということを、南原東大総長はそのころ吉田首相に尋ねました。それで、国連に参入したときに憲法を改正するのかあるいはこの憲法で対応するのかということを詰めておりますが、吉田首相は何も言わずに、金森憲法大臣も答弁し切れないままの問題になっております。したがいまして、私は、この問題は現在の問題じゃなくて憲法制定のときからの問題だと思っております。
 自由党は普通の国論とか憲法改正あるいは新しい憲法をつくるということに非常に積極的でございますので、とかく誤解されやすいんですが、私どもはこの南原先生の九条整備論を今主張しているわけでございます。決して普通の国じゃございません。
 確かに国連の機能に限界はございます。しかし、国連しかないと思います。国連をよくしていくしかないと思います。先生おっしゃったように、アメリカだって国連に対する評価も違いますし各国いろいろ違いますが、そういう私たちは憲法九条を変えようというのではございません。より九条の精神を整備しようという意見でございますが、このことについて御意見賜れば大変ありがたいと思います。
○参考人(加藤周一君) 今の御意見の方はほとんど賛成なんですが、ただ条件つきでね、賛成なんですが、その国連軍というものに参加する道を開くべきだとおっしゃっているわけでしょう。それはそのとおりだと思いますね。私もそう思いますね。
 ただし、その国連軍は今まではないわけですね。だから、国連軍ができるような条件をつくらなきゃ、国連軍が本当に機能するときは国連が世界政府に近づいているときでしょう。だから、ある段階でもって、どこから世界政府などと言えないけれども、世界政府の方角へ向かって国連が動いているときに、ある段階で国連軍が成り立つというふうに考えるとすれば、動いていなきゃしようがないと思うんですよね。現在のところは条件が全くない。
 だから、それはどういうことかということで、ただ、おっしゃるように国連以外に国際的機関はない。だから、あれをできるだけよくするより手がないというのも賛成だし、それから、もし世界政府の方角へ動いていった段階で国連軍ができるだろうと、そのとき日本はそこに軍隊を入れることは大いに考えるべき問題だと、それも賛成です。ただ、現在の段階としてははるかに遠いですよね、それは。遠い先の話としてはおっしゃることにはほとんど全部賛成だけれども、ただ現在の段階としてはちょっとそれは離れていると思いますね。そういうことです。
○平野貞夫君 その現在の段階で離れているということもよくわかります。特に、私が今申し上げたことは理想論かもわかりませんが、やはり日本国民があの戦争を経たやっぱり反省として希求しなければならない問題だと思っておりますが、ただ、私ここで非常に先生と意見が多分合うんじゃないかと思うんですが、確かに今はそれを早くやると危ないという気持ちはいたします。それは、そういう理想の時期に距離があるというんじゃなくて、果たして日本の国がデモクラシー、民主主義の国かどうかという、そこにむしろ危うさがあると思います。先ほど先生は、二十一世紀は日本で民主主義を育てる世紀だと、まことに私これ本当に至当だと思っております。
 そこで、多少生臭くなるかもわかりませんが、先生のこの「日本文学史序説 上」で、日本文化というのを分析されて、新しいものが古いものにつけ加わる、いわゆる建て増し文化、古いものが取れないんだという、旅館の建て増しのような構造になるんだという指摘、その結果、極端な二重構造になる。それから、土着の世界観が普遍的な外来文化を日本化するんだと、こういう御指摘。非常にこういう日本の政治を分析するのにも、日本の国会運営をやるのに非常に参考になるだろう、示唆なんでございますが、その上に僕は、日本人というのはつまみ食いの天才じゃないかと思っていますが、都合のいいところだけをとってくるという。
 それを考えた場合に、例えば総理大臣がやめるときに事前に医師団の発表とか診断書を出すというのは、これは世界の普遍的原理ですよ。それから、内閣不信任案に賛成するという人が党を離脱するのは、これは普遍的原理ですよ、政党政治の。ところが、これが日本人が、当事者がわからないんですね。それから、日本の学者さんたちも厳しく批判しない。
 私は、本当にこの日本のデモクラシーの定着というものについて非常に悲観しております。物すごく悲観しております。そういうものが非常に何といいますか普遍的にできるようになれば、私は九条の整備も大丈夫だと、しても大丈夫だと思うんですが、なかなか少数意見が多数意見にならない、そういう国だと思っております。
 ますますそれが戦後悪くなっている。最近ますます二十一世紀を迎えて悪くなっていると思います。私はそういう印象を持っておりますが、これは加藤先生と内田先生、両方にお伺いしますが、日本のデモクラシーは大変なことになっていると、世紀末だと。私は非常に悲観を持って、これはもうひょっとしたら市民革命をもう一回やり直さにゃいかぬ、明治維新をもう一回やり直さにゃいかぬかというような感じを持っていますが、御意見をいただければ大変ありがたいのでございます。
○参考人(加藤周一君) 必ずしもその議会内のことを私はよく知りませんけれども、一般に日本社会の全体について言えば、戦後五十年間に平等主義はある種の形で浸透したと思うんです。自由は、個人の自由というかあるいはその少数派の自由ですね、は私は浸透していないと思います。
 ですから、私はあるときそういう論文を書いたことがあるんですが、日本社会は自由なき平等主義だということなんですね。それで、その場合は平等主義の方は機会の平等じゃなくてみんなが同じことをするという意味での平等主義、だからコンフォーミズムと非常に限りなく近づくということですね。
 それから、少数意見はなかなか多数派にならないと今おっしゃったけれども、だけれども、多数派にならないどころか少数意見というものは不幸だと思っているわけでしょう、みんな。だからなるべく早く説得してみんなに一致させるか、それでも一致しなければ貝殻追放でしょう。だから、大変少数意見は嫌いなんですよね。それは、少なくともアングロサクソンの国の集会とは非常に強い対照ですね。それは、民主主義の線じゃなくて民主主義からそれていく線だと思いますね。
 まあ、今の軍備のことからいえば、そういう条件のもとで軍備をやるということは、今私は問題にしなかったけれども、もう一つは軍隊というのは必ず戦争のときは敵と戦うんだけれども、自分がしかけたにしても攻められたにしても、平和なときは国内での人民の弾圧ですよね。それをしない場合もあるけれども、場合によったらする。だから、米国でさえもケント・ステートであの学生を撃ったのは州兵ですからね、軍隊ですから。ですから、軍隊というのは危険なものですよ、それはもちろんどこだって。
 だから、日本の場合それを、さっきもお話ししたような民主主義的な伝統がそれをバランスすればまたそうしてどうにかやっていくわけだけれども、そのバランスの力が弱ければその危険は大きくなるわけね。だから、その意味でも軍備を急がない方がいいということですね。
○参考人(内田健三君) 私は、ちょっと議題を離れるかもしれません、御質問を離れるかもしれませんが、あと、佐藤先生のお尋ねがございます。そのときにもまたお答えすべきことはお答えしようと思いますけれども、私はやや総括的なことをこのあたりで申し上げておきたいと思います。
 きょうは、加藤先生が来られまして、いわば天の高みから地球を見るというような天眼鏡的なお話がございました。私は、それに対して地をはう虫眼鏡みたいな現場主義をとっておりますので、そういうお話と、おのずからお答えあるいは申し上げることが分業になったかと思います。
 私は、ここでやや奇妙な突然の話ですが、私はかねがね四十年周期説という論を持っておりまして、それは司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」という有名な小説に啓発をされたということがあり、また実はこの会の初めにお話ししました、中曽根さんが総理になられたときに戦後政治の総決算と言われたと申しましたが、そのとき同時に三十八年周期説というのを言っておられるんですね。
 それはどういうことかといいますと、これは司馬さんの本が下敷きですけれども、日本の明治以来の百三十年の歴史を分類すると、一八六八年の明治維新、ここから始まると、近代日本が。私は、どうもこれは、きょうは天皇制の問題は出ませんでしたが、天皇制を変えるつもりはありませんが、年号制というのはどうも私はうまくないなと思っておりまして、つまり明治、大正、昭和、平成、私は昭和の五十数年を生きてきましたから昭和まではついていけるんですが、平成何年が千九百何年なのかというのがいつもこんがらがるんですね。だからもう西暦で統一した方がいいのになという全くの私見を持っておりますが。
 とにかく、一八六八年の明治維新から一九〇五年までが三十八年間なんです。この時代のことを「坂の上の雲」という小説で書かれました。つまり、秋山兄弟あるいは正岡子規という明治の初めに生まれた青年が、日本は坂の上を目指して上っていけば、あの上には白い雲があって、日本の前途は希望に満ちているという、坂の上の雲を目指してこの三青年が上っていったという小説であります。
 それは、一九〇五年は日露戦争でありまして、確かに日露戦争で日本は頂上をきわめたと申しますか、近代国家としてあのロシアをやっつけたと、こういうことでありますけれども、そこから司馬さんのその説が始まっておりまして、あと、一九〇五年から四五年までは、これは坂の下の沼を目指して日本が転げ落ちていった時期であると、これが第二期であります。説明を要しません、軍人の日本に、軍閥の日本になってしまったと、こういうことであります。
 そこで、一九四五年に敗戦、焼け野が原になった日本が、もう一度やり直そうということでまた坂を上り始めたと。しかし、そのときにはもう、富国強兵と言ったが、実は明治の日本、敗戦までの日本は、強兵ばかりのやり方をして焼け野が原になった。そこで今度は、もう富国強兵の強兵は捨てよう、富国でいこうということで、先ほど申しました吉田さん以来、池田、佐藤さんが後を継いで、坂の上の雲、それは経済大国である、国民の経済が豊かになる世の中であるということで上ってきたと。
 四十年は一九八五年であります。八五年というときには中曽根総理が出てきておりました。その中曽根さんが、戦後政治の総決算だよ、もう上り坂だけの日本ではいけなくなってきたよということで、たまたまその中曽根さんがなられたときが日露戦争までの三十八年と同じ、総理になられたのは一九八二年、三年でありますから、また三十八年、そこで三十八年説というのをおっしゃったんですね。私は、まあ三十八年でも四十年でもいいじゃないか、丸めて四十年、四十年周期説を今もとっております。
 と申しますのは、人生五十年と申しました。あるいは半世紀、二分の一世紀が五十年であります。それから、三十年がワンジェネレーションと申します。だから、三十年あるいは五十年、間をとって四十年というのが歴史の変わり目だなということで、中曽根さんが権力の絶頂におられたこの一九八五年から四十年間というものが日本の近代第四期だなという説であります。
 中曽根さんがそのときに四十年先がどうなると思われたのかということはわかりません、御本人に聞かないとわかりません。ただ、歴史は変わり目であるなということは、あの歴史観の強い、私はトップリーダーの人たちは歴史観がない人はだめだと思っています。これが私の政治家判断の唯一の基準でありますが、そういうことからいえば、中曽根という人は、好き嫌いある人は多いと思いますが、やっぱり歴史観を持った政治家であると。その方がおっしゃったときの二〇二五年というのが、私はやっぱり次の日本の目印だというふうに思っておるんです。
 今、二〇〇〇年であります。新世紀が来ますけれども、私はそういう考え方で今御紹介しました二十一世紀臨調、民間の改革の運動を今やっておるわけでありますが、その二十一世紀臨調のところで各界の方たちと今毎日のように議論をしておりますが、そこで期せずして一致するのは、二〇〇〇年に日本が明治の第一期あるいは戦後の第三期に匹敵する力を回復することは難しいと。二〇一〇年がどん底かもしれないという見方が多いのであります。あと十年です。
 これは、例えば少子化の極致の年であるとか、エネルギーがどうなっているかとか、いろんな問題がございますが、とにかく二〇一〇年というものが当面の努力目標だなと。そして、何とかして次の四十年の二〇二五年までには日本という国をもう一度坂の上の雲に上れるようなところに持っていきたいなというのが今私どもがいろいろ勉強している説でございまして、きょうは場所違いかもしれませんが、私は、この説を御紹介いたしましたのは、この国の形という言葉がこれも司馬さんが使われてはやっております、一体この国の形をどうするのかということは、ここにきょう出席をされた参議院議員の方々がしょっておられる非常に大きな課題だというふうに思うものですから、あえて御紹介させていただいたわけであります。
 地をはう虫眼鏡の現場主義の人間でございますけれども、どうもきょうは大変高邁な御意見があれこれ出たものですから、一言申し上げたいと存じます。
 佐藤さんに失礼をいたしましたが、よろしくお願いいたします。
○会長(村上正邦君) ありがとうございます。
 まだまだお話をお聞きしたいのでございます。ただ、きょうは四時から、各党会派一斉に議員総会、本会議が待っているものですから、大変残された時間、十五分、佐藤先生の質問が残っております。時間ぎりぎり、ひとつ精いっぱい、それこそ高邁な議論をお待ち申し上げております。
 なお、内田先生、私から先ほど、この憲法調査会で、これは参議院なんだからもう少し憲法の中における二院制のことについて議論を期待していると、こういうお話もございましたが、年明け、通常国会には、やはりあるべき参議院を目指して、その中で憲法はいかにあるべきか、こういうことに集中的に議論をお願いしたいということを、調査会長から先ほど幹事会において御要望をさせていただいたところでございます。
 国民の皆さんに期待された参議院のあるべき姿を私どもはこの参議院選挙で打ち出していければと、こう思っておりますことを申し添えておきます。
 佐藤道夫委員。
○佐藤道夫君 二院クラブの佐藤であります。
 今私が言おうとしていたことを実は会長が勝手に言ってしまいまして、私は高邁な議論は避けまして、参議院のあり方ということについてお二方の、両参考人の率直な意見を承りたいという考えでございます。論がたまたま参議院の無用論、廃止論に及んでも結構でございますので、どうか率直な御意見を承りたいということをあらかじめ申し上げておきたいと思います。
 言うまでもないことですけれども、憲法は二院制を採用している。一院が衆議院、二院が参議院で、一院と二院との間には画然とした格差がある、これは憲法上明らかな格差である、こう考えてもよろしいわけでございます。政治の中心は一院の衆議院、しからば二院の参議院は何をやるのかと。率直に申し上げますと、要すれば一院の行き過ぎをたしなめる、誤りを正す、足らざるを補う、監視機構、補佐機構、こういうふうに理解してもよろしいかと私は思うわけであります。
 ここにおられる議員の方々は別ですけれども、ほかの議員の方々と話し合っておりますと、参議院と衆議院との間に画然とした格差があるのは我慢できない、どういうふうに改革をすれば肩を並べていくことができるのか、それが実現不可能ならば自分は機会を見て衆議院に転籍したい、こういうことを言いまして、現実にどんどん変わっていっている、それが現実であります。
 なぜこんなことになっているのかと。彼ら、彼らと言っては失礼でございますが、その人たちの話を聞いておりますと、こういうやり方こういうやり方をすれば衆議院と参議院は肩を並べて国権の最高機関として力を発揮することができる、こういう意見でありますが、私、それは別に皮肉じゃないんですけれども、あなたの意見を聞いていると実は参議院無用論をやっているとしか思えない。参議院と衆議院が肩を並べて同じような権限を発揮するようになれば、一つの国に二つ同じものは要らないわけですから、どっちかを廃止する、言うまでもなく参議院を廃止しよう、こういうことになるわけでありまして、やっぱり憲法上想定している衆議院、参議院の役割ということを頭に置いてそれぞれが特色を発揮していく。政治の中心は衆議院だということを参議院議員としては肝に銘じて考えていくべきではないか。当たり前と言えば当たり前のことではあるわけです。
 そこで第一の大きい問題は、憲法上、衆参両院議員は選挙で選ばれる、こういうことになっております。選挙ということになりますと、どうしても政党に頼らざるを得ない。特に参議院に比例代表制というのを、めちゃくちゃな制度だと言ってもいいんですけれども、あれは政党政治そのものなんですね。なぜあんなものが持ち込まれたのかよくわからないんでありますけれども、それが持ち込まれて、衆議院と参議院がほぼ同じような選挙制度になっていれば、どうしても政党の力に頼らざるを得ない。それから生まれてくる結果も同じであろうと。衆議院、参議院それぞれで幾つかの政党が位を構えておりまして、同じようなことを、一院である衆議院が決まれば、それを承って参議院はああそうしましょうということで結論を出していく。もうむだとしか言いようがない、こういう状況では。
 一体、選挙で選ぶという憲法の規定を再度考慮する余地はないのか。私は大いにあるんじゃないかと。戦前の貴族院はともかくといたしまして、選挙以外のやり方で公正な参議院の構成を考えていくということについて、まずもって御意見を承れればと思います。お二方からお願いします。
○参考人(加藤周一君) よくお答えできないですね。私の知識はもう非常に限られているので、だからどういうふうにしたらいいかということは、とてもそれは私から特別なあれはないですね。
 だけれども、今おっしゃったことは非常によくわかりましたけれども、何を言われているのか、それは確かにそういう印象は受けますね。しかし、どうしたらいいのかということは、私からはちょっと今、格別の意見ないです。
○会長(村上正邦君) これはむしろ内田参考人の専門分野に入ろうかと思いますので。
○参考人(内田健三君) 私から申し上げるのは、これは実は日本国憲法制定のときの大問題でありまして、マッカーサー占領軍は、例えば天皇元首制はやめろと、象徴、シンボル。それから同じように、憲法九条問題にも深くかかわったわけでありますが、ただ一つ日本側が要求して通ったのは両院制なんです。
 アメリカは、一院でいいじゃないかと。つまり、二院制があるというのは、イギリスは貴族制を残そうとしたし、アメリカは地方分権だから地方代表ということで上院をつくったんだ、だから日本にはそんなものは要らぬだろうと言われたとき、当時これは貴族院の人たちが頑張ったわけですね。いやいや、明治憲法のもとで貴族院というのはうんと偉いんだということで二院制を残したということがございますが、その日本の憲法ができた後は、非常に日本の政治家は順応力があって、貴族院というものが参議院になったと。しかし、参議院は良識の府であるという特別な立場で衆議院の俗悪なる連中を監視、監督、指導することができるんだということで、政党を離れた緑風会というようなものが中心になって十年やったんです。
 ところが、保守合同になって、大自民党ができ、中社会党ができて、次第に政党に圧迫されて、結局は衆議院のエピゴーネンみたいなものに、カーボンコピーみたいなものになってしまったという経過がございますから、私自身も何とかして参議院の良識性というか、あるいは指導監督、衆議院をたしなめるような院ができないかということで、村上先生はよく御存じですが、二、三十年来、まず河野謙三さんが改革運動を起こし、改革を進められ、それから歴代議長が大変、懇談会をつくっておやりになりました。私のときは藤田さんが、途中で亡くなられましたが、藤田議長、あるいはその後は今埼玉県知事の、というようなことがやられるというようなことで、ごく最近も調査会ができておりましたけれども、どうも出る調査会の結論が参院にお気に召さないというか御採用にならない。これはいろんな事情がありますけれども……
○佐藤道夫君 簡単で結構ですよ。
○参考人(内田健三君) 時間がありませんね。申しわけありません。
 というようなことがありまして、私は二院制を何とかして権威を回復したい、参議院の独自性というものをつくり出したい。これは今も念願でございますが、そういう問題です。
○佐藤道夫君 率直に申し上げまして、選挙にかわるいい方法があるかということをお尋ねしたんですけれども、それはそれといたしまして、次は、制度改革が難しい、こういうことになれば、運用の話といたしまして私考えている幾つかの点を申し述べます。
 まず、参議院議員は大臣にならない。当たり前のことだと思うんです。一院の政党政治を監視していく、それがあの中に入ってしまったのではミイラ取りがミイラになる。この前は官房長官が参議院から出ておりまして、私は何を考えているんだろうかと、率直に言いましてね。そういう感じもしたわけです。その辺もあわせてと思います。
 それから、党議拘束はいかなる場合もしないということぐらいは、これは申し合わせでできるんじゃないかと。
 それから、任期も二期十二年ぐらいにしたらどうだろうかと。良識も長くなればもう出し尽くしますからね。いいかげんなところでわしは引退だと。二期十二年ぐらいがいいんじゃないか、こういう感じがしておるわけであります。
 それからもう一つは、これは実現不可能と思いますけれども、今、衆参両議院の間で最低年齢が違っておりますね、五歳。これを参議院は思い切って引き上げて五十歳以上にするわけですよ。どうか若い人は衆議院で頑張ってください、そして多少疲れたらこちらでお受けいたしますと。そういうことで私は実現可能なことではないかと。これは憲法の要請ではないと私は思いますけれども、法律でいいんじゃないかと。
 ついでながら申し上げますけれども、今、首長さんは延々と五期、十期、むちゃくちゃだと言いたくなるぐらい長い施政をしいておりますけれども、あれだってアメリカの大統領に倣って二期八年、その間やるべきことはやりなさい、当たり前のことじゃないかと。なぜ三期、五期、十期とやらないと何もやれないのかと、おかしいと思います。
 ですから、そういうのは今、選挙で大分たたかれてはおりますけれども、はっきり規定の上でそれをしたらどうかと。これに対して、いや、憲法違反だと、立候補は皆の自由だと、こういう意見があるんですよ。内閣法制局もたしかそんな意見だったと。こんなばかげたことは私はないと思いますよ。
 アメリカの憲法を引き写したものですから、アメリカは二期八年でオーケーだと、こう言っているわけでしょう。何でそんなことが憲法上違反になるのかと、こういう感じすらしておるわけで、以上の点につきましてちょっと御両人からお願いできればと思います。
○会長(村上正邦君) 内田参考人からまいりましょうか。
○参考人(内田健三君) いや、今、話の途中でしたが、実は私ども、懇談会で推薦制はどうだと、職域推薦制、弁護士会であるとか何会であるとかというのをやろうよという提案を十数年前にいたしましたが、当時の大法制局長官林修三先生から言下にそんなのは憲法違反だとやられまして、だものですから、以来、私はやっぱりこれは憲法にかかわることは非常に大なる制度ですから、ちょっと問題提起をしたわけです。
 私は、工夫は今おっしゃった幾つかのことがあり得ると思っていますし、どうか参議院はやっぱり一歩高みに上がって、衆議院の元気のいい人たちをたしなめる役割をしてほしい。それは年齢の問題もありましょう、あるいは選出母体の問題もありましょう、選出の地域の広い狭いとか、あるいは定員の問題も私はあると思います。ひとつぜひ御検討をいただきたいと思います。
○会長(村上正邦君) 加藤参考人、何かございますか。
○参考人(加藤周一君) いや、どうも難しいですね。それは、今、制度をどういうふうにしたらいいかという話でしょう。だから、それはちょっと私にはこういうふうにしたらよろしかろうという私の意見はありませんね。
○会長(村上正邦君) 佐藤委員。
○佐藤道夫君 いや、もう終わります。
○会長(村上正邦君) よろしゅうございますか。
 残念ながら、ちょうど時間も参りましたので、本日の質疑はこの程度といたします。
 参考人の先生方には大変貴重な御意見をお述べいただきまして、かつてこの調査会でこれほど熱のこもった、そしてまた意見の尽くし得ない議論ができましたのも両参考人のおかげだと、調査会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げさせていただきたいと思っております。大変ありがとうございました。また次の機会にはぜひお願いをしたい、こう思っております。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時五十三分散会

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