第156回国会 参議院憲法調査会 第4号


平成十五年三月十二日(水曜日)
   午後一時一分開会
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  出席者は左のとおり。
    会 長
                野沢 太三君
    幹 事
                市川 一朗君
                武見 敬三君
                若林 正俊君
                堀  利和君
                峰崎 直樹君
                山下 栄一君
                小泉 親司君
                平野 貞夫君
    委 員
                愛知 治郎君
                亀井 郁夫君
                近藤  剛君
                桜井  新君
                椎名 一保君
                世耕 弘成君
                常田 享詳君
                中島 啓雄君
                舛添 要一君
                松田 岩夫君
                松山 政司君
                伊藤 基隆君
                江田 五月君
                川橋 幸子君
                木俣 佳丈君
                高橋 千秋君
            ツルネン マルテイ君
                角田 義一君
                松井 孝治君
                若林 秀樹君
                魚住裕一郎君
                高野 博師君
                山口那津男君
                宮本 岳志君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                松岡滿壽男君
                大脇 雅子君
   事務局側
       憲法調査会事務局長
                桐山 正敏君
   参考人
       社団法人北海道ウタリ協会副理事長
                秋辺 得平君
       川崎市代表人権オンブズパーソン
                目々澤富子君
       全国労働組合総連合常任幹事・女性局長
                中嶋 晴代君
       弁護士      東澤  靖君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (基本的人権)
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○会長(野沢太三君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、「基本的人権」について、参考人の方々から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 御出席をいただいております参考人は、社団法人北海道ウタリ協会副理事長秋辺得平君、川崎市代表人権オンブズパーソン目々澤富子君、全国労働組合総連合常任幹事・女性局長中嶋晴代君及び弁護士東澤靖君でございます。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 忌憚のない御意見を承り、今後の調査に生かしてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、秋辺参考人、目々澤参考人、中嶋参考人、東澤参考人の順にお一人十五分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず秋辺参考人にお願いいたします。秋辺参考人。
○参考人(秋辺得平君) 秋辺得平でございます。
 アイヌ民族の立場から憲法調査会で発言できることを是非願っていたことですので、念願がかなって大変感謝をいたしております。イヤイライケレ、ありがとうございます。
 本日は、憲法は私たちアイヌ民族にとって何であったのか、また憲法に私たちアイヌ民族は何を望むのかということを視点に話をさせていただきたいと思います。お手元に配らせていただきました資料も交えて進めたいと思います。
 なお、資料の中に私のレジュメがありますが、七ページのもので、それぞれのペーパーの左側に①から⑭まで小見出しメモを書いてありますので、後ほど説明をさせていただきます。
 このレジュメどおりに話をしたいところなんですが、とても十五分間でできるものではありませんので、これらは要約をさせていただくのと、また、私自身の出自やアイヌ文化と歴史の一端を述べながらまとめをさせていただきたいと存じます。
 初めに、アイヌ民族の誇りということについて述べたいと思います。
 アイヌ民族にとって、誇りというものは現在全くなくなってしまうのではないかと思われる危機的な状態にあります。歴史的に日本の列島の北へ北へと追い詰められ、第二次大戦後の敗戦によって千島や樺太からも引き揚げさせられ、ついに北海道にその主たる居住地を持たざるを得ない状況になっております。
 アイヌモシリと呼ぶアイヌの居住地、これは非常に広大な領地でありました。豊富であった海産資源、鉱物資源、森林資源、動植物資源のほとんどを奪われてしまいました。もちろん、土地もすべて国有化されて、後に和人たちにこれが配られ、この土地もなくし、挙げ句の果てにアイヌ語を始め伝統文化もほとんど奪われてしまった状態にあります。
 そして、豊かであった精神文化さえも和人文化にほとんど置き換えられて、今や心や誇りさえも失い掛けていると言っていいかと思います。何としてもこれらを食い止めなければならないと考えております。
 私、今日は民族衣装を着用しております。ここに一枚の写真がありますが、(写真を示す)ちょっと小さくて皆さんには見えないかもしれませんが、昨年十月の五日に私の娘が結婚したときに、結婚披露宴で私はこの民族衣装を着用しました。一般的に、北海道においてアイヌの関係者が日常和人と交わる冠婚葬祭、通過儀礼などのこういった儀式にアイヌの民族衣装を着用するということはほとんど例を見ません。間違いなく一般の和人と同じような服装で出るということですが、私は娘の結婚披露宴にこの民族衣装を誇りを持って着用して出ました。もちろん周りの親戚から抵抗はございましたけれども、私自身はプライドを持っております。
 私自身、国連に行って先住民族の問題で参加する場合であっても、国際交流で各地に出掛ける場合であってもこの民族衣装を着用いたします。しかし、北海道では日常の正装として用いるということはほとんどありません。それが伝統的なアイヌを中心とした儀式であったり、あるいはアイヌ文化を披露するような施設であったりすれば、そういうところでは着用することはあっても、日常生活ではあり得ないということであります。これら民族衣装を当たり前に着るということの誇り、それをアイヌ自身に取り戻さなければならないというふうに考えております。
 このように日本語でしゃべっておりますけれども、私自身アイヌ語による教育は全く受けておりません。祖父母はアイヌ語を母語としておりましたけれども、明治政府以来、アイヌ語は事実上禁止されましたから、私の親もアイヌ語は話せませんでした。しかし最近、アイヌ語を復活しようという動きの中で、私も少しはアイヌ語を話すことができます。
 ごあいさつだけ手短にアイヌ語でさせていただきます。
 イランカラプテ ニシパウタラ カッケマクタラ カニアナクネ アキベトクヘイクネ アイヌモシリ ハルトリコタンタ エホラリ アキベフクジ エカシ エカシ サンテクエカシイキリ トクヘイクネルエネ タントアナクネ ケンポウチョウサカイ オッタ オリパクトゥラクコクハゥエクス エヌヤンナ
 お分かりになったでしょうか。
 「こんにちは、御参会の皆さん。私はアイヌの国春採という村の上手に住んでいた秋辺福治という長老の血筋を今に持つ者であります。今日は、憲法調査会で慎みを持って発言をさせていただきますので、お聞きください。」という、私も丸暗記をしながら話すアイヌ語でございます。
 お手元の資料の中に二点の地図を用意させていただきました。一枚は北海道を含む千島列島全体の地図でございます。A4の用紙でございますが、北海道といわゆる北方四島と言われるところが網掛けがしてございまして、南樺太と含めて漢字で地名が書かれております。それから、択捉島以北、破線で国境を示しておりますけれども、ウルップ島以北は全部片仮名表記の島の名前になっています。
 そのウルップ島に床丹という漢字文字が二文字あります。ここが私の生まれたところでございます。私は釧路のアイヌでありますけれども、祖父母などが千島で働いておりました。農林省のお雇いで島の密漁監視員という仕事をしていたために、私は千島で生まれました。この島の名前はことごとくアイヌ語でございます。もちろん北海道もサハリン南部もアイヌ語の地名が付けられております。
 もう一枚の地図をごらんいただきたいと思いますが、これは国後島の地図でございまして、北方四島のアイヌ語地名ノートというものでございますが、ごらんのとおり、びっしりと片仮名でアイヌ語の地名が書かれています。千島、南樺太、北海道、東北はもちろんのこと、この関東辺りまでもアイヌ語の地名に由来するものがたくさんございます。つまり、アイヌがそれほど広い地域に居住していたという証拠にほかなりません。
 アイヌ語の地名というのはそれぞれ意味を持っております。この国後島という島の名前も、日本の国の後ろにあるからという意味ではございません。アイヌ語ではクンネシリと言って、真っ黒に見える島という意味で、この国後島は、千島列島の中でも針葉樹林に覆われた、沖合から見ると真っ黒に見える島であるために、クンネシリと呼んだんです。それを漢字を当てはめて、国の後ろの島、国後と呼んでいるわけであります。ちなみに、この東京にも幾つもアイヌ語に由来する地名がありますが、時間がありませんので省かせていただきますけれども、アイヌ民族の先住していたというこの動かし難い証拠なんでありますけれども。
 さて、アイヌ民族の誇りということでもう一つ資料を、これは皆さんには行っておりませんが、私、今日持ってまいりました。(資料を示す)これは歴史的なポスターなんです。何が歴史的なものかといいますと、これは国が初めてアイヌ民族と記したポスターなんです。
 日本政府は、一貫してアイヌ民族の存在を認めませんでした。しかし、九七年、平成九年にアイヌ文化振興法、おかげさまで成立をいたしました。その後、作られたポスターでございます。その標語が「アイヌ民族の誇りが尊重される社会を」と記されております。つまり、アイヌ民族の誇りは尊重されていないということになるわけであります。わざわざこういう標語を付けなければならないほどアイヌ文化、アイヌの誇りは今打ちのめされている状態にあるということが言えるかと思います。
 東京が江戸と呼ばれた時代、私、たまたま泊まっておりますホテルのパンフレットに、江戸は太田道灌が江戸城を築いて四百年前にこの町が興った、それまでは小さな町であったと。その町を開いたのは徳川家康で、征夷大将軍という最後の大将軍であったと思われます。
 征夷大将軍とは何か。聖徳太子以来、阿倍比羅夫、坂上田村麻呂、アイヌをやっつけるための軍隊の総大将という意味であります。したがって、七世紀以来、関東、東北、この一円に住んでいた蝦夷をやっつけるために何十万という大軍を率いてやってきた、それが征夷大将軍であります。
 中国の後漢書にはアイヌのことが登場します。しかし、日本の古事記、日本書紀は、天皇の都合によってしょっちゅう書き換えられたために歴史書としてはどうもあいまいであるということで余り信用されておりません。しかし、外側の中国の歴史書などには割に正確に書かれております。この日本列島の六割以上のところに、かつてアイヌ民族の先祖が住んでいたということが分かっております。
 北海道に追い詰められて、一四五七年のコシャマイン戦争、一六六九年のシャクシャイン戦争、一七八九年フランス革命のときのクナシリ・メナシ戦争、アイヌは我慢に我慢を重ねて、ついには爆発をして和人軍と戦いますが、常にだまし討ちに遭って、最後は力ずくでねじ伏せられてきたという近世の蝦夷地支配の歴史、近代の北海道開拓という名前の植民地政策。そして、戦後の民主主義という時代と言いながらもアイヌ政策はお粗末な限りであったという。
 日本の歴史を顧みますと、アイヌ民族とのかかわりを抜きにその歴史は語ることはできませんけれども、実際には、公の教育でもそういったアイヌとの関係についてきちんと歴史教育はなされておりません。
 私自身、高校まで歴史を学びましたけれども、歴史観は余りにも問題が多いと言わざるを得ません。国民の総意で呼び戻そう北方領土という資料がここに二つございまして、これも皆さんのお手元には行っておりませんけれども、ここにあります北方領土とは何かと。日本人の先祖が発見し、開拓した、間宮林蔵、松浦武四郎、近藤重蔵などの探検家たちが探検して発見したなどと言っているんですね。でも、実際はその移動の交通手段、食糧の確保、道案内、すべてアイヌ民族がやったものであり、アイヌ抜きに北方探検などあり得るはずがないんです。しかし、日本政府が出している北方領土に関する資料にはアイヌのアの字も出てきません。見事に歴史を隠ぺいしているわけであります。
 千島全島と南樺太を含めて、本当の意味での北方領土返還運動ということを国は本気で取り組むべきだと考えております。
 レジュメの①から⑭までの資料でございますけれども、ここには私どもの先輩でありました萱野茂参議院議員、今はお辞めになっておりますけれども、おかげさまをもちまして、村山内閣のときにアイヌ文化振興法が成立させていただきました。
 一ページには、アイヌ民族の自決権と国内外の状況ということで、かつて私どもの理事長であった野村義一が国連の総会で、アイヌ民族の自決権は要求する、要求はするが、国民的統一と日本の領土の保全を脅かすものではない、自然との共存及び話合いによる平和というアイヌの哲学に沿って、独立は求めない中での民族自決を基本とした高度な自治を求めると述べております。
 現在の国際人権法とアイヌ民族に関するものでも、人種差別撤廃条約に関して日本政府のこれに対する認識というものは極めてあいまいなものであり、大変な誤りが多いということが指摘されます。単一民族幻想からの脱却を私たちは求めたいというふうに考えております。
 しかし、日本政府は、アイヌ民族とは何なのか、歴史の隠ぺいどころかアイヌの人口調査さえも一度として行ったことがありません。すべて北海道庁の生活実態調査という名の調査にのみ頼っております。それさえもタンチョウヅルの生息調査の数百万円の予算よりも更に少ない予算しか、しかも七年に一度だけという、これが調査と言えるのかというようなことしかいたしておりません。アイヌ民族の問題は北海道のローカルのことだろうと、局地主義ということが日本政府の中にはいまだにぬぐい去れないでおります。しかし、政府も少しずつ変化はしてきておりますけれども、いまだ多くの問題点を持っております。
 おもしろいことに戦前の、いわゆる近代のアイヌの人口、これにかかわる法律、条約というものは実は、資料の五ページにございますけれども、少しかかわりがございます。戦後よりも戦前の方が、帝国主義時代であったにもかかわらず、オットセイ条約などの国際条約ではアイヌの存在を日本政府は認めておりました。あるいは、北海道旧土人保護法という名前の、差別法ではありますけれども、この法律によってもアイヌの存在を政府は認めておりました。さらに、国内では最近、二風谷ダムの司法判決におきまして、アイヌの先住民族としての認知を司法は行っております。しかし、相変わらず公教育におけるアイヌ民族に関する教育機会というものはほとんどないと言っていいかと思います。
 人権擁護ということでいえば、最近、人権通報機関の設置等の必要性ということが当然のように言われ始めております。私どもアイヌ民族も、このことについては是非にと願うものであります。
 日本人主義といいましょうか、マジョリティーである和人が日本人なのか、日本民族なのか、大和民族なのか、その名称さえもあいまいであるということも指摘をしておかなければならないと思います。
 アイヌ民族の人権に関する法律というものが、今後も文化だけに偏ったアイヌ文化振興法、それを改正をしていただいて、アイヌ民族の自決権を含む、アイヌ民族の自決権というのはほかから許諾されるものではありません。当たり前の権利であります。この日本という国は、今こそアイヌを含む内なる国際化が急務である、そのためには法整備はどうしても必要ではないのかというふうに考えております。
 アイヌ語という世界的な叙事詩、アイヌ語は世界的な叙事詩であるユーカラなどの優れた文学を生みました。私自身はアイヌ学への目覚めは成人してからでありまして、それもほとんどアイヌの長老から様々なことを教わりました。驚くべきアイヌ文化の質の高さを数々学んでまいりました。今日は時間がありませんので事細かに申し上げられませんけれども、世界的な評価の高いアイヌの工芸美術、そして自然界に対する哲学に私は心躍ったものでございます。
 御存じのように、今や国際化の時代で、グローバリゼーションは進みこそすれ、国家的枠組みへの後退というのはもう起き得ないだろうと。経済も政治も文化も、すべて国家を越えて、個々の人間の権利として流動していく二十一世紀だろうというふうに認識をいたしております。
 そもそもアイヌの考えでは、国境というものは本来なくて当たり前。しかし、これらのことについてもいまだきちんとした理解は多くの人には持たれておりません。アイヌ民族は歴史上も常に周辺の諸民族と当たり前のように共生してまいりました。互いに異なるとして尊重し合い、異民族理解、異文化理解の思想を持っておりました。これこそが二十一世紀の人類の目標であるべきだろうと思います。日本という国の在り方を問うべきキーワードではないかと考えております。
 アイヌ民族から、法治国家日本の真の民主憲法というものがどうあるべきかを問い掛けたいというふうに考えております。少数ではありますが、その広大な地域に住んだアイヌ民族が、民族として生きる法律の整備をアイヌという当事者を加えて審議する場を設けていただくということを強く希望いたします。
 イヤイライケレ、ありがとうございました。
 以上でございます。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次に、目々澤参考人にお願いいたします。目々澤参考人。
○参考人(目々澤富子君) 川崎市人権オンブズパーソンの目々澤でございます。本日は、川崎市の人権オンブズパーソン制度と子供の権利についてお話しさせていただく機会を与えていただき、ありがとうございます。
 川崎市が人権オンブズパーソン制度を導入しましたのは、昨年、平成十四年の四月ですが、まずそこに至る経過を触れさせていただきたいと思います。
 子どもの権利条約は、一九八九年に国連で採択され、日本におきましても平成六年、九四年に批准されました。この条約の理念を子供の生活の場である地域に根差したものとするために、川崎市では、子供の権利について、学識経験者、関係団体の代表者、学校関係者、市民、そして何よりも子供たち自身も加わりまして、種々の議論を重ねて、平成十二年に川崎市子どもの権利に関する条例が成立いたしました。
 こうした議論の背景としましては、川崎市の基本構想に人権の尊重があらゆる施策の基本であるという川崎市基本理念がございます。川崎市では、九〇年、平成二年に、市政に関する苦情を簡易迅速に処理して、市民の権利、利益を擁護するために、市から独立した第三者的機関として川崎市市民オンブズマンが設置されております。
 子どもの権利条例の検討過程では、子供の権利が侵害されたときに相談や救済に当たる機関として市民オンブズマンと同様にオンブズマン機能、簡単に言いますと、行政から独立した第三者的立場に立って自己の見識と信念に基づいて事案の解決を図るという、そういうようなものを持った子供のオンブズパーソンの構想がありました。
 また一方で、川崎市では、男女共同参画社会基本法を受けまして検討されておりました男女平等に関する条例の検討過程におきましても、男女平等にかかわる人権侵害があったときに相談や救済に当たる機関として男女平等オンブッドが同様の位置付けを持つものとして構想されておりました。
 このような人権という特定の分野を扱うオンブズマン、そのような専門オンブズマンとして、二〇〇一年に、六月に成立したのが川崎市人権オンブズパーソン条例でございまして、それに基づいて川崎市人権オンブズパーソンが設置されました。
 次に、この制度の概要について述べさせていただきます。
 人権オンブズパーソンは、子供の権利の侵害と男女平等にかかわる人権侵害を管轄として、相談者や救済の申立人にまず寄り添いながら、その救済に当たります。なお、この場合、子供というものは子どもの権利条例によって十八歳未満とされております。また、子供の権利といいますのは、子どもの権利条例に定められたもののみではありませんで、憲法とか子どもの権利条約などで保障された子供の権利全般を含むものとされております。
 人権オンブズパーソン制度では、現行の裁判制度等に比べまして、市民にとってより身近な場所で、簡易な手続により無料で利用できる制度として、行政から独立した第三者性を持った機関として設置されております。したがって、アクセスの方法も、口頭、文書、ファクスなど、どれでもよいこととして、また相談は匿名でもできることとしております。
 また、相談の曜日ですが、相談時間についても通常の市役所の開庁時間とは別に定められておりまして、市民の利便性を高めるように配慮しております。
 人権オンブズパーソンの相談を受ける体制ですが、オンブズパーソンが二名、それからオンブズパーソンの調査等の補佐をする専門調査員が四名、ほかに庶務のための事務職が三名おります。
 人権オンブズパーソンは条例によって設置されてはおりますが、特に権限や強制力を与えられているわけではありません。何らかの強制力を用いることは、お互いの権利を尊重し合うという人権本来のありようについての市民の理解を深めることにはならず、また、いずれかの市民に強制的にやるということでは被害者意識が残ったりしますので、かえっていわゆる二次被害の発生につながりかねないとも考えるからであります。
 市民から相談を受けた場合には、まず相談者自身が自力で解決が図れるようにエンパワーメントするために助言や支援を行います。これは子供の場合も男女の場合も同様です。で、相談者の支援やアドバイスだけでは解決が困難であるというふうに判断した場合、救済の申立てをしてもらいまして、関係者等の調査を行ったり、あっせんなどの調整を図って解決を目指します。このような場合でも、先ほど申しましたように、オンブズパーソンは調査や調整について特に権限があるわけではありませんので、あくまでも関係者等の相手方の理解と協調を得るような形で働き掛けをしながら活動を行っております。
 こうした活動を通して事案の解決に当たるには、オンブズパーソンと、市はもとより国とか他の自治体あるいはNGO、NPOなどの民間団体との緊密な連携関係が必須のものとなります。例えば、虐待を受けている子供について、親子の分離を図る必要があると判断すれば、児童相談所長の持つ権限を使ってもらう必要が生じてきます。また、市が人権侵害を行っている場合などについては、是正措置を取るよう勧告したり、制度改善のために意見を表明したりすることができます。こうした人権オンブズパーソンの活動を通して、人権が尊重される地域社会づくりに資することがこの制度の目的であります。
 次に、子供の人権の現状、特にこの制度の運用に現実に携わっている者といたしまして、実際の事案に即応しながら、子供の置かれている状況についてお話ししたいと思います。
 二〇〇二年、去年の五月から人権オンブズパーソンは具体的に受付を始めまして現実の活動を始めたわけですけれども、その相談の件数それから救済申立ての現状につきましては、レジュメにありますように、約九か月間で子供の関係三百三十七件、それから男女平等の関係が二百十七件ございます。それから、救済申立ての件数としては、子供の関係が十四件、男女の平等関係が十件ございます。現実には、このほかにも双方に含まれないようなものが時々入ってまいりますが、それらについても、それに即した情報を提供できるようになるべく努力をするという対応をしております。
 人権オンブズパーソンは市から独立した機関と申してきましたが、そうであることによって、例えば市立学校でのいじめとか教師の暴力などがあった場合にも、子供たちが友達とか教師とか学校に気兼ねなく安心して相談できるということにつながっていると考えています。そのことは、データから見ましても、二〇〇一年度、平成十三年度に川崎市の児童相談所二か所に寄せられた子供本人からの相談が一%にも満たない一方で、オンブズパーソンへの子供本人からの相談は、制度開始当初よりも多少また下がって、また上がる傾向も見せてはいるんですが、一月末現在で三四%あるという数字に表れていると思います。こうしたことがいわゆるオンブズマン機能を持った機関のメリットではないかと考えております。
 人権オンブズパーソンの活動を始めたころの印象としましては、オンブズパーソンに寄せられたこうした子供たちからの相談は、これまでどこへ寄せられていたのだろうかという疑問がありました。川崎市には、児童相談所のほかにも教育委員会の指導課や総合教育センターなど子供が相談できる窓口があります。しかしながら、そうした窓口でも、子供本人からの相談というものは非常に少ないというふうに聞いております。また、子供本人からの相談というのは、夕方以降とか土曜日あるいは夏休みというのは比較的少ない傾向が見られます。
 子供本人からの電話で、初めは非常に元気のない声で電話を掛けてきた子供が、アドバイスをして電話を切るころには明るい声が返ってくるということもよくあります。子供には身近で安心して相談できる相手が必要なのだという実感をしております。
 ただ、それだけではありませんで、私どものところでは、子供の気持ちを十分に聞くとともに、どうするか具体的にアドバイスをし、それでうまくいかなければ、また電話をしてねと、必ずつなぎます。まず、子供に自分でやってみることを支援し、難しかったらいつでも助けに行くことを伝えるのです。
 実際にあった事例を幾つか御紹介したいと思います。
 まず最初の事例といたしましては、雨の夜に我が子を虐待しそうで怖いという電話が掛かってまいりました。夫が出張のときは不安が募って、つい我が子を虐待してしまう、今晩も夫が不在なので非常に不安だという電話でした。
 それで、私たちとしては、すぐにタクシーでお母さんと子供を迎えに行きまして、それで連れてきて面談したんですが、子供は、母親が不安に思っている以上には、むしろ母親に安心して抱かれておりました。それを見て、これは母親と子供を分離するのはかえって良くないというふうに判断したのですが、かといって戻すというわけにはいきませんので、市の施設に一晩、母親と子供を一緒に保護してもらいました。その後、本人の承諾を得た上で、母親と子供の住んでいる近くに住む主任児童委員と保健所の保健婦、保健師とでサポート体制を組んでもらいました。
 この事件では、オンブズパーソンの果たすコーディネーターとしての役割と、他の機関との連携関係の重要さ、社会資源の活用の重要性を学びました。
 次に、公立中学校のいじめによる救済申立て事件では、被害者に対するいじめだけではなく、授業中にロケット花火や爆竹が爆発し、安心して授業に集中できないという申立てがありました。
 このような事件では、加害者側に無理に謝罪をさせても解決しません。むしろ、加害者とされる子供たちが抱えている問題や不満を理解し、自分を大切にしてほしいというメッセージや社会ルールの厳しさを伝えることで加害者とされる子供たちと信頼関係を築き、そして救済できれば、それにより被害者も救済されるのではないかと考えてきました。
 この事件では、学校を通じて加害者とされる子供たちの親に集まってもらい、オンブズパーソンの考え方を説明し、納得してもらいました。その後、夏休み中に子供たちを刑事裁判の法廷傍聴に連れていきました。いまだ継続中ではありますが、大きな荒れは収まっているようです。
 このような事例では、当事者の子供たちや保護者に直接接触し、働き掛けることが不可欠です。その直接な働き掛けが実現できたのも、このオンブズパーソン制度が、行政が設置しかつ行政から独立した第三者機関だったからではないかと思います。
 次に御紹介する事例は、ある意味では典型例ではないかと思います。
 子供が小学校の同じクラスの子供たちのいじめで不登校になりました。学校の初期の対応に問題があり、親は学校に対して強く怒りを感じ、裁判に訴えても学校の責任を追及したいとのことでした。一方で、本人も親も転校を希望して、転校先の校長に頼んでいたのですが、今の学校でも対応策を講ずるのでもう少し様子を見たらどうかという話になり、子供は三学期が始まっても転校もできず、不登校の状態が続いておりました。このころ、親の怒りは訴訟までも念頭に置いた学校に対する責任追及に向けられておりました。
 このように、親の怒りが学校との間で身動きが取れなくなってしまうことが間々あります。子供の成長発達権は、日々刻々と侵害されておりました。子供は在籍校に登校することに強い拒絶反応を示していましたので、一刻も早く子供が生き生きとした登校ができるよう、転校先の校長や親に強く働き掛け、早急に転校を実現させました。
 侵害された子供の人権を回復するために、子供と学校や教師との関係を修復し、良好な教育環境に子供を戻さなければなりません。しかし、訴訟は双方の関係の修復を図るものではありません。損害賠償請求や責任追及をする場であって、新たな信頼関係が創設されることはまず考えられないからです。いじめによる救済は、基本的には、司法的救済ではなく非司法的救済が基本であると思います。
 本件でも、アドバイスとして、子供の気持ちを優先すること、親や学校など、大人の思惑や感情的争いが子供の気持ちを無視すると取り返しの付かない結果になる危険性があることを話しました。その後、子供は元気に登校しているという連絡を受けました。
 最後に、やはりいじめの事例ですが、施設で起きたものを挙げてみたいと思います。
 川崎市が設置して、施設に入所した子供たちには施設で、養護施設ですが、施設での生活について記した子どもの権利・責任ノートを配付しております。そのノートの中に、相談したいことがあれば書いてポストに入れるようにということで人権オンブズパーソンをあて先としたはがきがとじ込んであります。
 このはがきを使って、民間の施設の中で大きな子供からいじめられているという訴えが届きました。オンブズパーソンは、その施設に川崎市によって措置されたすべての子供たちと面談をいたしまして、実情を調査しました。
 年長の子供によっていじめが行われ、しかもそれが世代間に引き継がれている、つまり年少のときにいじめられた子供が年長になって今度は年少の子供をいじめるという実態が判明いたしました。
 オンブズパーソンは施設側に、いじめられている子供の心のケアといじめている子供の人間関係の改善を図るように要請し、そのために施設職員の研修の実施と川崎市の児童相談所と必要な連携を取ることを要請いたしました。そして、この要請を受けた改善状況を報告してもらった後にその確認をさせていただくことにいたしました。この施設は民間の施設ですので、オンブズパーソンのこうした調査、要請はすべて相手側の理解と協調によって可能となったものであります。
 最後に、子供の人権の課題ですが、現実に約十か月活動した中から見えてきた課題を幾つか述べさせていただきます。
 まず一点目は、子供自身から声を上げてもらい、本当に子供にとって救済になるような手法を確立していくことが挙げられます。
 次には、子供たちにいかに気楽に相談してもらうかということで、人権オンブズパーソン制度のスタート時点では、川崎市内のすべての幼稚園、保育園、小中高校の子供たちと教職員に人権オンブズパーソンの電話番号、相談曜日、相談時間等を記入したカードを配付いたしました。次年度からは子供の相談電話にフリーダイヤルを増設する予定です。これにつきましては、一年間やりながら、途中から切れてしまった子供たちの電話を何回か経験しておりまして、私たちの方から子供だけでもせめてフリーダイヤルという形で要求しておりましたら、これが認められるということになりました。
 それから、これは先ほどから申し上げておりますが、他の関係機関、団体とのより緊密な連携関係の強化を図り、社会資源の活用を図っていくことが挙げられます。
 また、公立学校に対する教育委員会のような機関が存在していない私立学校で生じた場合、どのような有効な対処方法があるかという点もあります。今まで救済申立てというのは私立幼稚園の事例だけでしたが、最近、私立中学の相談もありました。今後どう動けるか、幼稚園よりもより大きな障害に直面する可能性があります。今後の課題というのが、それらがこれからの課題になろうかというふうに思います。
 以上で陳述、終わらせていただきます。ありがとうございました。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次に、中嶋参考人にお願いいたします。中嶋参考人。
○参考人(中嶋晴代君) 全国労働組合総連合の中嶋でございます。発言の機会をいただきましてありがとうございます。
 本日は、憲法の基本的人権に関して、女性労働者の実態から見た日本国憲法ということでお話をさせていただきます。
 戦前は御存じのように家制度の下で女性は全く無権利でした。日本国憲法の施行に際しましてとりわけ歓迎されたのは第九条の戦争の放棄、そして第十三条の個人の尊重、第十四条の法の下の平等、第二十四条の両性の平等などだと言われています。女は結婚したら退職することが当然とされた当時の社会で働き続けたいと願った女性たちは、結婚退職制や出産退職制、二十五歳や三十歳定年制に対して、法の下の平等を宣言した憲法第十四条をよりどころに一九六〇年代に各地で裁判闘争や職場の取組を進めました。
 さらに、一九七五年の国際女性年を契機として我が国でも男女平等を目指す運動が大きく広がり、女性に対する差別撤廃条約の批准と雇用機会均等法の制定がなされ、賃金や昇進、昇格差別の是正の取組が進みました。こうした平等を目指す取組の中で、日本国憲法は大きなよりどころであり、道しるべでした。
 憲法の施行から半世紀以上経た現在の職場の実態を見てみたいと思います。女性労働者は雇用者総数の四割になりましたが、男女差別は随所に残されています。
 参考資料の八ページの資料一に全労連女性部の「わたしの証言」を載せてございます。昇格差別で同年齢の男性と比べて年三百万円以上もの差、女性は昇任に男性の倍の期間が掛かり仕事を教えた男性が先に昇任、コース別人事で女性は原則として一般職採用のみ、そうした実態がたくさん記されています。
 九ページの政府資料からも分かるように、パートを除く女性の一般労働者の所定内給与は男性の六五・五%です。パートを含むと五〇%にすぎません。欧米諸国と比べても格差が大きく、国連からも是正を求められています。その背景には教育訓練や配置、昇進の差別があり、二〇〇〇年の管理職に占める女性の割合は、係長相当職一一・九%、課長相当職五・五%、部長相当職三・二%で、改善されたとはいえ極めて少数です。
 しかし、不当な差別に泣き寝入りしないと立ち上がる女性が増え、その勇気が歴史を前進させています。
 昨年、芝信用金庫男女差別是正裁判が、最高裁において、東京高裁の判決を超える画期的な内容で勝利解決しました。住友ミセス差別裁判も大阪高裁で勝利和解しました。
 芝信用金庫の実態を具体的に見てみたいと思います。
 金庫は、女性を短期使い捨ての労働力として扱い、ベテラン女性職員も紙幣と硬貨の勘定や運搬、またコピー取り、来客のお茶くみなどに配置をして、平に据え置きました。
 十ページの資料五で一目瞭然のように、一九八八年時点で、十三名の元原告の同期の多くは副参事、現在の課長以上に昇格しておりますが、年収の差は副参事と比べると百八十万円前後、参事とは三百万円にもなっていました。当時、副参事以上の者は、男性二百二十七人に対し、女性はたった一人でした。東京高裁判決で認められた差額賃金は、多い人で一千九百八十七万円余り、そして月額差額賃金が九万円にも及んでいます。こうした数字は否定できない残酷な差別を雄弁に物語って余りあります。
 職場における女性差別は人間の尊厳に対する侮辱であり、人権の侵害です。原告らは、こうした屈辱をこれ以上許せないと、一九八七年に提訴に踏み切りました。解決までには実に十五年が掛かっております。
 また、金庫は、組合分裂を図り、従業員組合の組合員に対して三十四年にもわたる卑劣な不当労働行為、人権じゅうりんを続けました。
 七〇年代には、支店長や代理の参加の下に、女性も含め、殴るけるなどの集団暴行が繰り返されました。こうした暴行事件。
 そして、原告らの再三の配転要求にもかかわらず、金庫は硬貨、硬貨というのは大変重うございますけれども、その運搬業務を命じています。そして、妊娠した九人の女性組合員は、流産五件、死産一件、早産一件、切迫流産での入院が六件にも及ぶ大変つらい体験をしています。
 こんな非人間的な仕打ちは断じて許されません。憲法が保障している団結権や思想、良心の自由の侵害でもあります。
 暴力を告訴したら、十七名が解雇をされ、職場復帰まで四年半の闘いを強いられました。筆舌に尽くし難い暴言やいじめ、無視、冠婚葬祭や懇親会、お土産のお菓子も原告の机には配られなかったといいます。今回の和解で、昇格と賃金格差是正がされたことと同時に、職場でのいじめがなくなり、飲み会に誘われたことはうれしいと原告は語っています。
 時間の関係で御紹介できませんが、日本を代表するような企業も含め、平等概念も人権感覚もないことに本当に唖然とするような事件が少なからずあります。不当解雇や出向、配転、昇進、賃金差別などに対し、人間の尊厳を懸けて職場に憲法を生かす取組が展開されています。人権侵害は、労働者本人のみならず家族の暮らしをも深く侵害しています。
 憲法第二十七条は勤労の権利と義務を定めています。
 今、我が国の雇用をめぐる状況は大変厳しいものがあります。完全失業者は過去最高を記録し、不良債権の最終処理を加速すれば更に多数の倒産と失業者が見込まれています。国はリストラ支援をやめ、雇用拡大を図るべきです。
 また、財界や政府は、多様なニーズに応じた働き方と称して正規労働者を有期雇用で低賃金のパートや臨時・派遣労働者などに転換する雇用の流動化政策を進めています。
 十一ページの資料で明らかなように、正規労働者は一九九七年から二〇〇一年の四年間に百七十万人減少する一方、非正規がその代替として二百万人も増大しています。女性はパートなど非正規労働者が既に半分になっています。二〇〇一年の女性パート労働者の賃金は平均時給八百九十円で、一般女性労働者の六六・四%、しかも資料七で明らかなように格差は年々拡大をしています。パートの一時金支給は四一・六%、退職金支給は九・一%にすぎません。女性の再就職の大半はパートであり、若者も働きたくとも仕事がない、仕事があってもパートや非正規となっているのが実態です。パートで働くという選択肢があることは当然です。しかし、賃金抑制のために女性を安上がりの労働力として使い捨てにするのではなく、パートや臨時労働者などの均等待遇の実現が急務だと思います。
 また、公務職場で働く非常勤職員、賃金職員などは法のはざまで劣悪な実態に置かれています。国や自治体は早急に必要な人員を定数で確保すべきです。とりわけILOからも再三改善が勧告されております国立病院・療養所の九千人にも及ぶ賃金職員について、二〇〇四年四月の独立行政法人移行に当たり、その雇用の継続と正職員化を図ることは国の責務ではないでしょうか。
 失業者が増大している一方で、職場ではリストラ、合理化の下で人手が足りずに時間外労働は増えています。月百時間を超える残業の果てに、女性を含む過労死や過労自殺も後を絶ちません。子育て中の夫婦が、取りあえず妻が子供を迎えに行き、食事を食べさせ、そして遅くなって帰宅した夫と交代してまた職場に戻り、日付が変わるまで残業をする、こんな働き方が証言に載せてございますけれども、こうした働き方をしなければならない我が国はやはりおかしいというふうに思います。人間らしく働くためのルールの確立が求められています。
 こうした実態を改善し、女性も男性も人間らしく生き、働くために、今改めて憲法に光を当てることが重要です。二十一世紀は男性も女性も仕事と家庭を両立できる男女平等な社会が目指されています。憲法第十三条の個人の尊厳、そして生命や自由、幸福追求の権利が尊重されること、十四条のうたう差別されない社会、二十五条の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、二十七条の勤労の権利と義務、二十八条の団結権などが保障される社会を実現しなければなりません。
 憲法の理念はILOが掲げる条約の理念とも相通ずるものです。我が国はILO条約のうち全体の四分の一の四十六しか批准をしていません。優先的基本条約とされている第百十一号雇用及び職業における差別待遇に関する条約や、八時間労働制をうたった第一号条約、第百七十五号パートタイム労働条約などを始め各条約を批准し、国内法を整備することが求められています。
 憲法の理念を生かすにはそれを具体化する法律が必要です。しかし、憲法の理念に逆行すると言わざるを得ない法律もあります。政府が三月七日に閣議決定し、国会に提出した労働基準法や労働者派遣法改正法案は極めて問題が多いと思います。労働基準法に使用者は労働者を解雇できると明記することはますます違法な解雇をしやすくし、有期労働契約の拡大は長年の女性たちの取組で姿を消した若年定年制の復活ともなります。企画業務型の裁量労働制を規制緩和してホワイトカラー全体に広げるならば、サービス残業を合法化し、過労死の拡大に道を開くことが懸念されます。
 サービス残業をなくせという取組で厚生労働省が通達を出し、二〇〇一年四月から一年半で、監督署の是正勧告等により、六百十三社が七万人余りの労働者に実に八十一億三千八百十八万円の未払残業代を支払いました。
 今必要なのは、サービス残業の根絶や労働時間を短縮し、人員増と併せて男性も女性も人間らしく働くルールを確立することです。正当な理由のない解雇はできないとし、有期雇用や派遣労働はあくまで例外、限定的なものにすべきであり、パートや臨時労働者の労働条件の改善、均等待遇の実現こそが求められています。
 また、司法制度改革で弁護士報酬の敗訴者負担制度を導入する方向が検討されています。これは第三十二条の裁判を受ける権利を侵害するものにならないでしょうか。憲法第二十八条の勤労者の団結権の重みを改めて痛感しております。
 参考資料の十二ページに、「パート・臨時などではたらくみんなの実態アンケート」を載せてございます。これは、組合員六千三百六十九名、組合未加入者七千九百六十三名から回答があったものですが、今日の日本では、組合がないと労働者はいかに無権利に置かれるかということを明白に示しています。組合未加入者は有給休暇さえ半分しか取れず、雇用保険も半分しか加入していません。明らかな法律違反です。使用者は組合を嫌悪するのではなく、団結権は基本的人権であると認識をし、不当労働行為はやめるべきです。
 九十七条の基本的人権の本質、そして十二条の自由と権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない、こうした規定を踏まえて、職場に暮らしの中に憲法を生かし輝かせるために私たちも努力していくことを申し上げて、発言を終わります。
 ありがとうございました。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次に、東澤参考人にお願いいたします。東澤参考人。
○参考人(東澤靖君) 御指名いただきました東澤です。
 私は、一九八六年から弁護士として外国人の権利をめぐる事件に取り組んでまいりました。いわゆる外国人労働者が増大した、急増した時期には、外国人労働者弁護団というものの結成に参加したこともあります。また、現在も人種差別など、外国人の権利にかかわる事件を担当しております。そのような立場から、本日は、憲法の下での外国人の権利、実際の運用の発展、国際人権条約の役割、そして人種差別の撤廃などの新しい課題についてお話しさせていただきます。
 日本の憲法の下で、外国人について権利性質説という考え方が判例、学説上定着していることは御存じのことと思います。これは権利の性質上、日本国民だけに認められるべき権利、例えば国政選挙権などを除いては憲法上の権利は外国人にも等しく保障されるという解釈です。その意味では、憲法上の権利を享受することについて外国人は、本来何ら欠けるところはないはずです。しかしながら、最高裁判所の判例は、こうした原則に対して幾つかの例外をこれまで設けてきました。
 その一つが一九七八年に出されたマクリーン事件判決というものです。これは政治活動を理由にビザの更新を認められなかった外国人に対して、最高裁が、外国人に対する憲法の基本的人権の保障は外国人在留制度の枠内で与えられているにすぎないとして、その訴えを退けました。言い換えれば、政治活動の自由は認めるが、それを理由に法務省が外国人を日本から追い出すことは許されるというものでした。
 もう一つの例外は、外国人に対する政府による社会保障等の差別に関するものでした。難民条約を批准する前の国民年金法あるいは戦傷病者等援護法、恩給法などには国籍条項というものがありまして、外国人は排除されておりました。これによって在日コリアンなどの定住外国人は社会保障などから一律に排除されていたものです。こうした国籍条項による排除が憲法十四条一項の平等原則に違反するのではないかという多くの訴えに対し、最高裁判所は、そのような権利を外国人に与えるかどうかは国会、立法の裁量による、あるいは不合理な差別ではないという理由で退けてきました。何が合理的で何が不合理かという基準は、現在に至るまで明確なものは示されておりません。
 このように、外国人にも憲法上の権利は保障されるという原則はあるのですけれども、最高裁が設けてきた二つの大きな例外によってその保障は不確実なものとされてきました。そのような例外は現在に至るまで続いております。例えば、マクリーン事件判決の法理は、指紋押捺拒否をめぐる事件においても同じように適用されてきました。指紋押捺拒否を理由に再入国を拒否されたり、あるいは在留期間を短縮されたりというような当時の法務省の扱いに対して、最高裁はマクリーン事件判決を引いてそれを合法なものとしました。あるいは、最近の外国人の生存権、とりわけ在留資格を持たない外国人の社会保障の権利などについても、国民保険の適用あるいは生活保護の適用などについて、これは不合理な差別ではない、立法裁量の問題であるというような判断を維持しております。
 このような憲法的な状況の中で、一九八〇年代後半、日本は外国人労働者の大波を受けることになりました。外国人労働者の大半は在留資格を持たず、あるいは在留期間を徒過したまま日本に滞在しているという状況にあり、そうした人々の権利は極めて危ういものでした。つまり、外国人の権利は在留資格制度の中でのみ認められるというマクリーン事件判決の考え方がありますので、この考え方が外国人労働者に対しては極めて過酷に適用されたのであります。
 外国人労働者が急増していった労働現場では、賃金のピンはね、不払、こうしたことは日常茶飯事でした。あるいは事情の知らない外国人をタコ部屋に押し込める、あるいはパスポートを取り上げて強制労働を強いるというような事態が横行いたしました。外国人労働者は、様々な人権侵害を受けても、強制退去を恐れて公に救済を求めるということはなかなかしませんでした。さらに、公に救済を求めても、救済を受ける前に入管当局に発覚し、強制退去を受けるという事態がありました。
 当時、きつい、汚い、危険の三K労働と言われた外国人労働者において最も深刻だったのは、実は労働災害の多発です。安全教育も受けず、言葉も通じず、防止措置も受けず、多くの外国人労働者が労働災害に遭って体の一部あるいは命すらも失ってしまうということが多数発生いたしました。しかも、雇用主が外国人労働者の無知や在留資格のないことを利用して労災の申請をしないという労災隠しがこれもまた多発しておりました。
 私がほかの弁護士とともに外国人労働者弁護団を結成して被害の救済を始めたのは正にそのような時期です。外国人労働者の人権救済を求める市民、ジャーナリスト、そして弁護士たち、そうした活動の中で事態は少しずつ変わっていきました。
 当時の労働省は、当初は、外国人が労働事件について被害を受けた場合に、その権利を保護するよりもまず入管当局に通報しなければいけないという通達を当初出しておりました。しかしながら、外国人労働者に対する余りの権利侵害の多さに労働省はその運用を変えました。そして、労働基準法や労災保険法は在留資格に関係なく適用される。さらには、労働監督行政としては、まずは法違反の是正や権利救済に努める。そして、原則として入管当局に対する通報は行わないという立場を取るに至りました。ここではマクリーン事件の判決の考え方とは異なり、外国人の権利の保障が在留資格制度に優先することもあるのだという実務の運用ができていったわけであります。
 そのような例をもう一つお話しさせていただきます。それは家族関係や子供の保護という観点での外国人の権利の発展です。
 在留資格を持たないまま日本に滞在し始めた外国人労働者も、摘発を免れて長期間日本に滞在し、日本人と結婚して家族を作る、そうした例も増えてきました。その中で、外国人の抱える問題も、在留や労働問題にとどまらず、家族、教育、住居、社会保障など広がりを見せるようになっていきました。
 その中で、早くも九〇年代初めには、日本人と結婚した外国人には、たとえこれまで在留資格がなくとも法務大臣が在留特別許可を与えるという運用が定着してきました。そのような例は、日本人との結婚に限らず、永住資格を持つ外国人との結婚あるいは定住資格を持つ外国人との結婚に拡大していきました。さらには、一九九六年には、入国管理局は、外国人が日本人と離婚したり未婚のままであっても、日本人の実子を扶養する親である場合には定住者の在留資格を認めていくというような扱いを取り始めました。
 さらには、最近のことでございますけれども、一九九九年、在留資格を持たないまま長期間日本に滞在してきた外国人同士の家族が在留特別許可を求めて一斉に集団で入管に出頭するという事件がありました。当初は無謀と思われたこの行動に対しても、入国管理局は子供の外国人あるいはその両親に対して在留特別許可を認めざるを得ませんでした。
 このような出来事が物語っているのは、在留資格制度によっては奪うことのできない外国人の基本的な権利がそこには存在するということです。家族がばらばらに引き離されない権利、あるいは子供の最善の利益を図る義務、そうしたものは在留資格制度に優先するという考え方が実務の中で定着していったわけであります。
 そのようなことは日本の憲法では細かく明確には書かれていません。しかし、日本がこれまで批准してきた国際人権規約や子どもの権利条約といった人権条約の中にそうした詳細なものが書かれております。そのような国際人権基準が、国境を越えた通用性と豊富な国際的な先例を持って、憲法を補完していくための法としてその存在感を増しつつあります。特に、日本の憲法は、自由権以外の権利、例えば社会権やあるいは家族の権利、子供の権利、そうしたものについては数少ない規定しか持っておりません。それを補うために、国際人権条約というのは権利の種類とそしてその解釈のための豊富なカタログを持っております。
 しかしながら、他方で、日本の国際人権条約に対する履行状況については、国連の様々な委員会から十分履行がなされていないという懸念がしばしば表明されております。日本の行政、立法、そしてとりわけ司法において人権条約がきちんと適用されていないという批判が引き続き存在しているということです。
 さて、残された時間で、私は、最近、事件や訴訟が増加している外国人に対する人種差別について述べたいと思います。
 憲法十四条一項は人種による差別を禁じております。しかし、これまで日本では人種という問題は余り自覚されてまいりませんでした。従来、在日コリアンやアイヌの人々に対する民族差別、あるいは部落差別という事件や訴訟は存在しました。しかし、それらは人種差別という形では認識されてきませんでした。そのような事情が最近になって変わってきております。そして、人種差別ということが社会において、そして法廷において語られるようになってきております。
 その原因は二つあると思います。一つは、八〇年代以降、日本社会が多数の外国人を迎えるようになる中で、その反作用としての人種差別の問題が発生したと、発生せざるを得なかったということであります。そしてもう一つは、一九九六年に人種差別撤廃条約が日本で発効したことによって、人種差別に対する日本の社会の意識が高まってきたということだと思います。
 特に、人種差別撤廃条約は、単に公的機関による人種差別を禁止しているだけではなくて、私人間の人種差別を禁止して、それをなくしていく義務を公的な機関、国や地方自治体に負わせている点に特徴があります。さらに、経済のグローバル化、WTO体制という中で、内外人を平等に取り扱うということは、人権問題であると同時に、国際経済の基本的なルールとなりつつあります。
 そのような環境の中で、人種差別に関する判決が最近になって相次いで出されています。資料にも含めておきましたけれども、その中では、憲法と並んで人種差別撤廃条約が大きな役割を与えられています。
 最初に人種差別撤廃条約が問題とされたのは、一九九九年十月十二日に出された静岡地方裁判所浜松支部の判決です。この事件で裁判所は、外国人の入店は固くお断りしますと張り紙を示して外国人を追い出そうとした宝石店の行為を、人種差別であり不法行為であるとして損害賠償を命じました。
 その後も、永住資格を持たない外国人の住宅ローン申請を受け付けない銀行の取扱い、外国人の入浴を一律に拒否する公衆浴場、外国人による賃貸物件の問い合わせに対し、執拗に皮膚の色を問いただした不動産仲介業者の入居差別行為などが人種差別ではないかと訴訟が提起されました。
 そして、入浴拒否に対しては、昨年十一月十一日に札幌地方裁判所が人種差別であるとして損害賠償を命じる判決をいたしました。また、不動産仲介業者の行為に対しては、今年の一月十四日にさいたま地方裁判所が、肌の色を直接問うという極めて明白な人格的利益侵害行為であるとして、損害賠償を命ずる判決を出しています。
 その意味で、人種差別を行った者に対して損害賠償が命じられるというのはほぼ定まった判例になりつつあります。しかし、人種差別については、単にそれを行った業者に賠償を命じればよいのかということについては、そうではないというふうに考えます。むしろ、国や地方自治体が未然に防止するための積極的な措置を取る必要はあるのではないかということが問題になるわけです。
 先ほどの事件でも、例えば小樽市の入浴拒否、これは一九九三年ごろから存在し、小樽市もそのことは認識していたことが訴訟の中で明らかになっております。埼玉県における入居差別においても、これは一九九八年ごろから、外国人から埼玉県に対して、入居差別をなくしてほしいという要望が繰り返し寄せられていました。
 被告とされた業者は、自分たちだけではどうしようもない、例えば外国人の入浴を認めると日本人の客が来なくなるとか、あるいは大家さんが肌の色の濃い外国人には部屋を貸したくないから困る、そういった事情をこういった業者たちは訴訟で主張していました。
 何が人種差別であるのか、なぜ人種差別はなくさなければならないのか、このことは日本の社会が緊急に学んでいく必要があることですし、そのために国や地方自治体の果たすべき役割は大きいと言わざるを得ません。
 さて、私の話をまとめると以下のようになります。
 第一に、憲法は外国人の権利について特別のことを規定しているわけではありませんけれども、通説的な理解の下で基本的人権を確保することには何の支障もないということです。しかし、第二に、そのような憲法の本来の姿が、最高裁判所を始めとする判例によって不当に制約されているという残念な現状があります。そして第三に、そうした判例にもかかわらず、外国人労働者問題を経験する中で、在留資格制度によっても奪うことのできない権利というものが認められてきました。それには国際人権条約が大きな役割を果たしてきましたし、その活用によって憲法を補完していくことが十分できるということであります。最後に、外国人の権利、とりわけ最近新たに問題化している人種差別に対応するためには、憲法や条約のみならず、国や地方自治体が積極的な措置を取っていかなければならないということがあります。
 このように、外国人の権利は、憲法の新しい側面そして課題を提起してきたのだということを訴えて、私の陳述を終わらせていただきます。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終了いたしました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
 なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問かお述べください。また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。
 中島啓雄君。
○中島啓雄君 自由民主党の中島啓雄でございます。
 本日は、四人の参考人の先生方から大変貴重なお話を聞かせていただきまして、誠にありがとうございました。
 まず、秋辺参考人にお伺いしたいと思いますが、アイヌの問題、大変現実に即したお話を伺いましたが、憲法上はその法の下の平等とか個人の尊重とか健康で文化的な生活とか、いろいろいいことは書いてあるわけですが、現実問題として、アイヌの方々の民族の誇りとか自決を促すような実態論においてはまだまだ不足をしているんだと、こういう御主張だろうと思います。先ごろできたアイヌ新法と称するものも、どちらかといえば文化振興と伝統の尊重というようなことで、必ずしも民族の誇りというところまで踏み込んでいないような気がいたします。
 私、実は去年ニュージーランドに参りまして、マオリの実態を少し聞かせていただくチャンスがございましたが、マオリ族の伝統なり民族の誇りというものをもっと強調するために、公用語もニュージーランドは英語とマオリ語なんですね。学校もマオリの学校があり、マオリの集会所がありというようなことで、非常に先進的な取組をやっておると思うんですが、そんなことも含めて、今後、民族としての生きるための法整備が必要だとおっしゃいましたが、もう少し具体的にどういった法整備が必要なのか、教えていただければ有り難いと思いますが。
○参考人(秋辺得平君) マオリのことでいいますと、マオリの場合は更に国会議員も一定の枠を持っております。現在、マオリ特定枠が四議席、そのほかに通常の選挙で選出された議員もおります。公教育では、もちろんマオリの伝統文化、マオリ語の教育もしております。
 それから、アイヌの場合は、元々、アイヌ文化振興法ができる基となりました私ども北海道ウタリ協会がこうしてほしいという法律を求めたのには、この国会議員を始めとする地方議員の特定枠を欲しいということを述べておりました。しかし、これはその審議過程の中で憲法に抵触するおそれがあるという法律学者の考え方によって、これは否定されました。したがって、憲法、日本国憲法ではアイヌ民族という少数民族が特定枠の議席を持つということは完全に否定されてしまったということになりました。
 これは是非、憲法を変えてでも、アイヌ民族を受け入れるということをしていただかないと、アイヌ民族という立場からは、日本国民として到底ともに生きていくという素地は出てこないということは言えると思いますので、これは、現憲法下でその法整備が可能であるならば是非お願いしたいし、また教育についても、先ほど申し述べましたように、アイヌ民族自身がアイヌのことについて学ぶ制度は日本には教育制度としては存在しません。しかしこれは、教育基本法なりの改正によって可能であるならば、そう求めたい。
 それから、アイヌ文化振興法がなぜほんの少ししかアイヌに影響を与えていないのかというその背景は、実は北海道庁が実態調査しましたその内容からも分かるんですが、アイヌ文化を伝承し、アイヌ文化をこれから受け継いでいくという素地を持つ人というのは、アイヌの人口の一割にも満たないんです。
 なぜならば、アイヌの人口の六割方は農林漁業などの一次産業に従事する人たちであって、日常、アイヌということの文化に触れる機会はほとんどありません。そのほか、賃金労働など含めるいわゆる労働者も一、二割程度おりまして、この人たちも日常、アイヌ文化を伝承するとか、そういうことには全く関知していないわけです。したがって、この法律ができたときには、アイヌの人口の九割を超える人たちが、自分たちには直接関係のない法律であるという認識を持ちました。
 したがいまして、アイヌ文化振興法は、早急に教育、仕事、それから産業、アイヌが普通に現在暮らしている暮らしの生活権そのもの全体を保障するような法律に変えていただきたいという点を望んでおります。
○中島啓雄君 それでは、目々澤参考人にお尋ねいたしたいと思いますが、川崎市の人権オンブズパーソンとして大変先進的な事項に取り組んでおられて、いろいろ今例示的なお話も伺ったわけでございますが、制度的には児童の権利条約というようなものもあって、人権、子供の人権の尊重ということも、尊重されなければならないということになっているわけですが、児童の権利条約、批准はいたしましたけれども、国内法的には特段の整備は必要ないということでそのままになっております。
 そういう意味で、子供の人権の問題というのは一つ一つ地道に取り組んでいくんで、何か法律を整備したらそれで済むという問題ではないと思いますが、何か今後、法整備についての御意見があるかどうか。
 それからもう一つ、法務局には子どもの人権一一〇番というのがあるわけですが、私、その活動の内容を詳しくは存じませんけれども、それとの関連で、何か子どもの人権一一〇番と連携をするとか、何かそれを役立てるというようなことがあるのかどうか、教えていただければ有り難いと思います。
○参考人(目々澤富子君) 法律の整備の関係ですけれども、私たちがやっている男女の平等に関する方では、男女共同参画社会基本法というものがありまして、それの関連で、やはり自治体が様々な形の予算を組んで実施をするという形になりました。
 子供の人権については、やはり私は必要だと思います。私たちが今まで経験した中に、非常に深刻に子供たちは様々な形で権利が侵害されているわけですけれども、それが、じゃ、どこが担ったかという、必ず担うべきところは必要だと思うのですが、現実には一番地域に密着した市町村長というレベルで私たちのような機関を設置するというのは非常に重要なことだと思います。ただ、それについても、やはり国の側で例えば子供についての基本法というものがもしあれば、やはり自治体に対する影響力といいますか、そういう形で、様々な形で予算が作られてという形での浸透というものが図られるだろうと思います。
 本当に、現実には子供たちは、かなりいわゆるわがままに、わがままだとかいろいろ言われていますが、そんなことは全くありません。非常にやはり様々な形で侵害された状態の中に置かれていて、それが現実には放置されているに近いんではないかというふうに感じております。ですから、是非国の側から基本法を作ることによって、そのような子供の人権が保障される社会が実現される方向に是非やっていただきたいなというふうに思います。
 それから、法務局の話ですが、私たちも最初に法務局にもあいさつに行ったりもいたしました。ただ、子供自身からの声が届いているかといいますと、やはり何かほとんどないというふうに聞いております。これは教育委員会もそうですが、教育委員会の方に届いた声も、やはり親の怒りの方から届いておりまして、子供の声が直接届いているというふうにはなかなか聞いておりません。私たちの、民間の活動団体、人権侵害についての啓発団体、CAPという団体とか、そういうところとはかかわりを持ってはいるんですが、法務局との関係が特にそれを利用して充実できるかというと、特定にそんな形で考えているわけではありませんで、むしろ様々な形でNGOとかNPOとか、それから社会にある様々な社会資源を利用しながらという形で現実には対応しております。
○中島啓雄君 もう一つ、目々澤参考人にアイデアがあったら教えていただきたいんですが、要するに子供のいじめとか不登校とか、あるいは神戸であったような凶悪犯罪とか、そういうような、子供が、自分も人権を尊重されなければならないけれども、他人の人権も尊重しなければならないという概念が不足しているんではないかと。
 そういう意味で、他人を思いやる心掛けとかしつけとか、そういうのがちょっと教育の現場や何かでも不足しているんじゃないかなと思いますが、その辺について今後何か参考になるヒントでもあれば教えていただきたいと思います。
○参考人(目々澤富子君) 実は、他人の気持ちを思いやるということは非常に難しいものです。
 私たちのところであるものですが、子供同士のいじめというのは、扱い方をうまくしませんと加害者側が逆に被害者意識に転換しやすいという側面がございます。ですから、学校の側の初期対応がまずいことによって、被害者側の意識が非常に、親が非常に怒りが強くなりますと、親の行動は直接的に向かうんですね、加害者あるいは親の方に。そうしますと、それによって加害者側の方が逆に非常に被害者意識を持ちまして二次被害が発生するということがあります。
 特に子供たち、小学校の低学年ぐらいの子供たちのことで最近も相談を受けたものあるんですが、それですごくよく理解したのは、やはり人の気持ちを理解することの難しさだと思います。その相談を受けた子供さんのやはり置かれた状況というのは、私が想像しただけでもとても悲惨ないたたまれない状況だったんですが、その相手方の加害者のクラスの人たちの親の意識というものは全くそのようなものとはおよそ懸け離れたものでして、いかにその子が大変だったかということを伝えるだけでも精一杯という状況にありました。人の痛みを簡単に理解するという言葉、よく言われる言葉ですが、それは大変難しいことだと思います。一つ一つの事件の中で、その子がどんなにつらい思いをしたかということをやはりきちっと学校の現場で伝えていくと、なかなか広報的な形でそう簡単に伝わるものではないかなという思いはいたします。
○中島啓雄君 ありがとうございました。
 それでは、中嶋参考人にお尋ねをいたしたいと思いますが、男女の平等という、同権ということが定められてからもう随分たつわけでありますが、実態は何かなかなか伴わないというお話がるるございました。
 最近でも、男女共同参画社会基本法とか男女雇用機会均等法とか、いろいろな法律は整備されつつあるんですが、問題はやっぱり現実の社会、現実の会社において古い感覚の管理職の頭を切り替えていくということが非常に肝要ではないかと思いますので、そういう意味で、古い頭を切り替える何かアイデアがあるのかどうか。法律を作ればそれでいいというわけでもないでしょうが、何かヒントがあれば教えていただきたいと思います。
○参考人(中嶋晴代君) 男女平等そのものは、雇用の場だけではなくて、家庭だとか社会だとか様々な場が必要だというふうに思います。
 一つには、やはり均等法ができてもう十七年にもなろうとしておりますけれども、とりわけ中小零細企業には、その趣旨を含めてまだきちんと徹底し切れていない、使用者がそのこと自体を知らない、そういう事態も少なくありません。そうした中で、雇用の場というところで言わせていただくならば、均等室でそれらを所掌しておりますけれども、自治体にとっては三名とか非常に少ない人数でやっているところもございます。是非増員とそして啓発、そうした作業が必要だろうというふうに思いますし、それから男性も含めて子育てや介護にかかわれる実態を作っていくということがやはり重要なんじゃないかと思うんですね。
 ただ、意識だけといってもなかなか、もちろん家父長的な物の考え方とか家庭における平等も含めまして、まだまだ民主主義は玄関までという実態も少なくございませんけれども、そういう意識の啓発とともに、やはり実態としてもそうした家庭のこととか、男性が例えば育児休業が取れるような風土といいましょうか職場の実態、それは権利も含めてでございますが、そうしたものが必要ではないかというふうに思います。
○中島啓雄君 ありがとうございました。
 それでは、東澤参考人にお伺いしたいと思いますが、外国人の人権の問題というのは、よく考えてみると、おっしゃるように大変重要な問題であるけれどもなかなか扱いが難しいと、憲法の人権規定をそのままストレートに適用できないというので。マクリーン事件というのは、これはいろいろ議論のあるところだと思います。ただ、外国人の入国を認めるかどうかとか、在留を認めるかという問題には、最近のようにテロが盛んになってきますと保安上の必要性からもある程度規制をせざるを得ないというような問題が出てくるんじゃないかと。その辺の限界というのは非常に難しいと思うんですが、外国の法制なども含めて、入国権なり定住権という問題についての今後の在り方というようなもののヒントを教えていただけると。
 もう一つは、不法入国者の問題。これも、単純に言えば、不法に入国したんだから見付かったら強制送還ですよと、これは一見正しいわけですね。しかし、その裏にはいろいろ様々な個人個人の事情があり人権の問題もあるということなんで、これも今後の法制への参考ということも含めて、何かヒントがあれば教えていただければと思います。
○参考人(東澤靖君) お答えします。
 まず、入国の規制あるいは在留を規制するという問題を、例えば保安上の観点から考えることと権利の問題をどう考えるのかということが一つあると思います。この場合には、私は、今まで入国管理をすることと権利という問題がある意味で一緒くたで扱われてきたということに問題があるというふうに私は考えております。例えば入国、外国人が入国する際に対してどのような規制をするか。例えば、量的な規制とかあるいは保安上の規制をする、これは、それはそれぞれの国々がやらざるを得ないことだとは思います。
 しかし、いったん入ってしまった外国人、そしてそこで生活を始めてしまった外国人、あるいは日本で生活する中で様々な人権侵害を受けた外国人、この人たちをどう処遇するのか。その権利問題を解決しないまま、ただ追い返してしまうのか、あるいは一定の権利救済の道を取った上で、その上で、在留資格もない場合には出ていかざるを得ないという扱いにするのかというのをやはり区別して考えるべきではないかと思います。
 ともすると、入出国の問題はこれは国家の自由裁量だということで、入ってしまった外国人の権利問題をどうするかでもこれも自由裁量だという形で一緒くたで議論されることがありましたけれども、それをきちんと区別することによって、入国管理をきちんとやり、なおかつ外国人の権利も最低限のものは確保していくという扱いが可能になっていくのではないかというふうに考えます。
 それと、あと、いわゆる不法入国と呼ばれる方、これがちまたには本当に、例えば船でどんどんどんどん芝浦の港辺りに着いて入ってくる場合と、あと、入るときは一応正規に観光ビザなどで入ってきているけれども、そのまま居着いてしまう場合と、両者を総称して使われることがありますけれども、今、前者の問題で考えれば、やはり入国手続を受けない外国人に対する規制というのは、それはやはりきちんと押さえるべきものだというふうに考えております。
 それで、答えは同じになりますけれども、入った後、どうその外国人を扱うのか。例えば難民の問題もあります。その問題は一応入国の規制とは分けて考えることが可能ではないかというふうに考えております。
○中島啓雄君 ありがとうございます。
○会長(野沢太三君) ツルネンマルテイ君。
○ツルネンマルテイ君 参考人の皆さん、今日は本当に御苦労さまです。
 あらかじめいただいた参考資料、そして、今日の話は私たちにとっても本当に参考になっていると思います。それぞれのテーマは違うんですけれども、大きなテーマで考えれば、やはり今日は人権擁護ということには絞られているかと思います。
 私も聞きたいことはたくさんありますけれども、時間が限られていますから、どっちかというと、それに絞ってそれぞれに質問をさせていただきます。
 最初は、目々澤参考人に川崎市の人権オンブズマン制度についてちょっと幾つかの簡単な確認のような質問ですけれども、まず本当にすばらしい試みだと私も思っています。
 さっきの話にもありましたように、あるいはよく御存じのことですけれども、かなり以前から日本では市民オンブズマンという制度、ボランティアのNPOのような制度がはやっていますけれども、こういう行政の方で制定されたオンブズマン制度は、恐らく全国でも川崎は一番、初めてじゃないかなと思っています。だから、これは一日も早く全国に普及されることを私も願っています。
 その中で、まず一番目の質問は、このオンブズパーソンという言葉が片仮名ですね。私は、日本語にはこんなにどんどん片仮名は入ってくるの余り好まないんですね。もっと日本語らしい言葉があればいいかなと思っています。
 それで、資料を読んでみると、この準備の条例を作っている間にも二年間にわたっていろんな検討委員会で二百回くらい会議を開いたと書いてありますが、その中でこのネーミングについては全然問題にならなかったんですか。オンブズパーソンでいいか、あるいは日本語の何か提案があったんですか。まずこれは一番目の質問です。
○参考人(目々澤富子君) 私は、実は制定過程にはかかわってはおらなかったんですが、川崎には市民オンブズマンというのが既に存在しておりました。統合的オンブズマン制度ということで、私たちのこの新オンブズパーソンも部局としては市民オンブズマンの中に含まれた形を取っております。
 ただ、オンブズパーソンというネーミングについては、確かに子供たち、この間、私も会ったときに、これはどういう意味ですかということを聞かれまして、ちょっとどんな説明をしていいかなというふうに戸惑った覚えはあります。
 一応、前からオンブッドとかオンブズパーソンという名前そのものについては、もっと片仮名ではなくて日本語でという議論は登場しなかったんではないかという感じはします。それは、やはり既に市民オンブズマンというのが存在しておりまして、それとの統合的な関係の中でこの制度を考えていたということもあるんではないかというふうに思っています。
○ツルネンマルテイ君 もちろん名前よりも中身は大切だと私も思っていますけれども、余り知られていないと思うんですけれども、このオンブズという言葉がスウェーデン語であって、もう既に二百年くらい前からスウェーデンでは国の職員に対してかなり権威があるシステムで、国の職員、官僚をチェックする、それに勧告をする制度だったんですね。日本にこれは入ってきたときは市民オンブズマンのところになったんですね。まあ、これはそれでいいんですけれども。
 それで、さっき、市民オンブズマン制度は川崎にも前からあった。それで、今はこれに人権オンブズマンという行政の制度が、行政が作った制度が入って、この二つの間にさっき、いろんな連携があると思うんですけれども、市民の中ではこれに対して戸惑いとか混乱がないんですか、その二つの制度の役割に対してですね。
○参考人(目々澤富子君) 元々、市民オンブズマンは行政監視の方ですので、行政の人権侵害という部分と、それから私たちの学校における人権侵害については重複する部分はあります。ですから、市民は、基本的にはどちらに選んでも、どちらからでも申立てができることにはなってはいるんですが、今の段階で、現実に私たちが十か月活動したわけですけれども、その段階の中で、特に市民がどちらにして迷ったということは、まず余りほとんどありませんでした。
 私たちの方に来た部分につきましては、御説明させながら、趣旨に従って、本当に行政の処置みたいなものに絞られるようなものについては市民オンブズマンという制度を御紹介したことはありますが、混乱があるというふうには余り考えてはおりません。現実にはそれほどないんじゃないかなというふうに思っています。
○ツルネンマルテイ君 それを聞いて安心していますけれども、さらに今日のレジュメの中でも、この九か月の間に、これまだ目々澤参考人に続けて聞きますけれども、既に子供の相談件数が三百三十七件あると書いてあるんですね。実際にはこれは在日外国人たちにも、その子供たちも対象になっているんですね。この三百三十七件の中には在日外国人たちの子供さんもいますか。あるいは、いたらどのくらいいるんですか。もし分かったら教えてください。
○参考人(目々澤富子君) 相談の中で、特に在日外国人の方の相談、子供の方では電話相談で、在日というよりは、お父さんあるいはお母さん、どちらかが外国人で、それを理由にいじめを受けたというような電話相談は幾つかございました。男女の方には外国籍の方のも少しですがございます。それは、今お聞きになった子供の方であれば、今の段階ではございません。
○ツルネンマルテイ君 もちろん、こういうシステムがあるということはなかなか外国人たちの方までは知り渡らないというのも一つの問題あると思います。でも、そこまでも開いているということは非常にうれしいことです。
 ここで、次には、秋辺参考人に質問させていただきます。
 さっきの話の中にも、あるいは質問の中にも既に話がありましたように、このアイヌ文化、新しい法律は主にアイヌの文化を振興するためのものであって、例えばその中には人権擁護について、私も読んでいますけれども、触れてないんですね。で、うれしいことには、附帯決議の方には人権擁護のことも触れているんですね。例えば、国際条約とかを守るようにとか、それに関連のある施策を講ずるように努めることと書いてあるんですね。
 そこで私は、これは提案でもあるんですけれども、そのような、せめて附帯決議の中にあることを生かすために、さっき私は川崎の人権オンブズマン制度について話しましたけれども、仮にアイヌ人権オンブズパーソンというのを作ったら、それに対してどういうふうに考えですか。
○参考人(秋辺得平君) 大変面白い提案だと思います。私どもアイヌ自身だけではなくて、かなりの市民活動家の中にもアイヌ民族の問題に深い関心を持っておられる方がおりますし、また、国連などでの私ども先住民族の世界宣言出すための作業部会にも、東京を中心に活動している市民外交センターというNGOも参加をしてくださっております。
 ですから、こういった今までかかわりを持ってきたそうしたNGOなどとの相談もしながら、御提案のことについては、早速自分たちの組織の中でこういう話がありましたよということを伝えて検討したいというふうに考えます。
○ツルネンマルテイ君 なぜ私はこういうことを提案するか、聞くかというと、もういろんなところで明らかになっているのは、この人権侵害の場合は、今まではどっちかというと、その救済は、やはり裁判所による救済しかないんですね。でも、裁判所に持ち出すと時間が掛かる。そして、その問題はすぐ解決できない。だから、こういうオンブズパーソン、人権オンブズパーソンという制度があれば、もっと簡単にその救済にも役に立つんじゃないか、これは私の提案で、それを後で皆さんと相談してくださるんなら非常にうれしいことです。
 次には、東澤参考人に外国人たちの人権問題について、私もこの顔では分かるように元外国人ですから、在日外国人としても日本で長い間生活したわけです、今は日本人ですけれども。私にとってもずっと昔からかかわっている問題であります。さっきの話の中では、憲法そのものははっきり在日外国人たちを排除しているわけではないんだが、やはり問題があります。私は、さっきの話の中から一つそういう問題をちょっと提起して、これを東澤参考人がどう思っているか、ちょっと聞かせてください。
 在日外国人たちの子供たちの数が非常に増えていますね。それで、日本の学校に行かせている親もいれば、そういうその国の学校、日本にもある、様々ですね。
 でも、この憲法には、この教育、義務教育について、御存じのように、第二十六条には次のようなことが書いてあります。「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」。ここ、すべての国民というのは、あくまでも日本人を指していると思います、英語ではこれはザ・ピープルになっていますけれども。
 このこともあって、残念ながら、例えば日系ブラジル人の在日の子供たち、三万人ぐらい日本に生活していると言われています。その何と三分の一、一万人ぐらいはどこの学校にも通っていないんですね。つまり、その親には日本で、日本の憲法によって、あるいは日本の法律によってその子供たちには教育を、義務教育を受けさせる義務がないんですから、非常にあいまいになっていますね。
 もしここで、例えば憲法改正、私は基本としては憲法改正も日本ではいろんなところで必要だと個人的に考えていますけれども、仮にここで憲法改正をした場合は、このすべての国民というのを、例えばすべての人々とか、まあザ・ピープルというふうなことがあって、あるいは何人とかというふうになったらこの問題の解決になるんじゃないか。
 これを、東澤参考人がこの問題をどう思っているんでしょうか。
○参考人(東澤靖君) お答えいたします。
 今言われました憲法二十七条の問題については、この教育の権利と義務は、日本国民に限られずに日本に居住している子供に及ぶものだというふうには考えられていると思います。そして、実際に、これは自治体によって若干の相違はありますけれども、たとえ外国人の子供ではあっても、就学年齢に達すれば就学通知が来て、それに対して学校に入ることができますよというような連絡は来ていると思います。
 ただ、問題は、今言った日系ブラジル人の方々、あるいはほかにも残留帰国、中国から帰国された方々の子供たちとか、必ずしも日本語が十分理解できない、日本語での教育を受けることがなかなかできないという場合に、そういった子供たちにどう教育を受ける権利を保障していくのかということが一つ問題になっていると思います。
 そのような問題については、例えば今、民族学校あるいはアメリカンスクールなど、インターナショナルスクールなどが学校教育法上の学校として認められるかどうかというのが一つの問題になっておりますけれども、様々な形態での学校であっても、それは民族学校も含みますし、インターナショナルスクールでもありますし、子供にとって一番いい形での教育を受けられる機関がこの憲法の下で保障されているんではないかという考え方がきちんと確立していく必要があると思います。
 そのことは、国連の規約人権委員会などからは、日本政府に対して一九九八年に勧告文が出されていることでもあります。あるいは、子どもの権利条約でも、子供の最善の利益というものが一番の最大の基準ですので、そういったものに沿っていくのであれば、その子供たちが一番教育を受けやすい形での学校施設にアクセスする権利を保障していく必要があると思います。
 そういった意味では、今の憲法の下でもそういう外国人の子供たちが教育を受ける権利というものは認められていくんではないかというふうに考えております。
○ツルネンマルテイ君 確かに、これもいろんなところで、パネルディスカッションでも私もこういうのを、ディスカッションに参加しているんですけれども、そのとき、ちょっと東澤参考人と違った意見というのは、このさっき言った二十六条に対して、その権利が確かにある、そして日本の学校にお願いする場合はほとんどの、例外はありますけれども、大体その学校は引き受けるとかということはあるんですけれども、その義務というのは、親に必ず自分の子供を義務教育を受けさせるということはあるいは知られていないが、そこはこの憲法の二十六条を見る限りは、これは外国人たちは含まれていない。
 もう一回、この憲法の二十六条に対しての、すべての国民という言葉について、もう一回ちょっと意見を願います。
○参考人(東澤靖君) 先ほど二十七条と言いましたのは二十六条の誤りです。
 二十六条の下でも、これは必ずしも国籍に限らず、その自治体の住民にいる子供たちに対しては、その住民が例えば外国人登録をされている場合には、就学年齢に達すれば自治体から通知が行くシステムになっていると思います。それは、憲法上の下では、国籍に限らず、子供の立場、教育を受ける権利があるし、親たちはその教育を受けさせる義務があるということはやはり憲法から導き出されることではないかというふうに考えております。
 ただ、実際上、親たちがそれを知らないために、あるいは外国人登録がなされないためにそれが実施されていないという問題はあります。しかし、それは運用を変えることによって、やはり憲法二十六条の趣旨をきちんと親たちに理解させる、そのために自治体などが努力をするということによって解決していける問題だというふうに考えております。
○ツルネンマルテイ君 分かりました。
 いわゆる余りその制度は機能されていない、そういう一万人の子供たちも学校に行っていないというのは、もちろんいろんなほかの問題もあります。
 そこで、やはりこの人権オンブズ制度について、これを在日外国人たちのためにも用意したらどうでしょうか。これに対してどういうふうに考えますか。
○参考人(東澤靖君) 人権オンブズマン制度は非常に可能性を秘めた制度だというふうに思います。
 特に外国人の場合には、彼ら独特のそれぞれに抱えた悩みがあります。それは、日本への文化の適応や、あるいは新しいところで家族を形成していくために抱える様々な問題、それは必ずしも、日本人が抱える問題とは違う問題であることがあります。
 そうした方々のために、ひとつ、監督官庁が分かれている下で、そこを横断的に問題点を探って、そして様々な指導をしていけるシステム、機関というものは有効に機能し得ると思います。
 ただ、問題は、その人権オンブズマン制度が国レベルで直ちにできるのかとか、あるいは地方自治体から始めるべきなのか、そういった方法論については様々な議論があると思いますけれども、基本的には、早期の救済を受けるという意味では機能し得る制度だというふうに考えます。
○ツルネンマルテイ君 質問終わります。
○会長(野沢太三君) 高野博師君。
○高野博師君 四人の参考人には貴重な御意見をありがとうございます。
 全員の方に質問できるかどうか分かりませんが、最初に秋辺参考人にお伺いをいたします。
 大変印象的なお話を伺いまして、アイヌ民族が誇りが持てなくなってしまう危機的な状況にあるということで、大変心が痛むお話であります。
 アイヌの言葉が禁止されてきたということでありますが、地球上にある言語のうち、この百年間で十万、たしか十万以上の言葉は消滅するだろうと、こう言われておりまして、これはグローバル化等の影響があるんだと思いますが、言葉が消滅するということは、それを使っている民族の文化とか歴史とか、これも消滅するということであろうと思いますが、私は、文化の多様性あるいは民族の多様性というのは貴重な人類の重要な財産ではないかと思うんですが、それが危機的な状況にあるんだと思います。
 ちなみに、生物の多様性という観点から見ますと、毎日百種類以上の生物がこの地球上から消滅しているということで、いろんな意味で地球が単純化していってしまうということについて私は懸念をしております。
 人権という観点から見ますと、日本の歴史におけるアイヌ民族の位置付けというのは、在日朝鮮人、中国人と同様、あるいはそれ以上に差別され排除されてきたのではないかと思います。すべての社会はその社会が何を排除するかによって定義されると、こう言われるんですが、日本社会に存在する一般的な差別意識というのは大変根深いものがあるんではないかと、こう思っております。
 そこで、アイヌの少数民族として認められたのが一九九一年だということであります。これももう驚くべき事実だと思いますが、憲法との関連でいいますと、このアイヌ民族あるいは少数民族という位置付けを日本の憲法上に明確にすべきかと思うんですが、その場合には、人種差別撤廃条約等もありますので、これらの観点から、どういう形で憲法上、あるいは憲法でなければ日本人とは何かとか日本国民とは何かというような定義の中で位置付けるということが必要かと思うんですが、その点はどのようにお考えでしょうか。
○参考人(秋辺得平君) まず最初に、アイヌ文化の危機的状況についてちょっと触れさせていただきますが。
 私どもは、アイヌの文学については相当な収録作業があって、音などのテープでのもの、映像、あるいは文字による記録も相当されておりますから、アイヌ文学は現在の私どもに手に負えないほど相当なものが記録されております。これらを手元に引き寄せるという作業は膨大なものであろうと思いますので、この意味ではなくなるということはないと思います。また、伝統的な儀礼や儀式も実際に年に何度かそれぞれの地域で行われておりまして、これも、祈り言葉などはアイヌ語でございますので、これもなくなるということはないと思います。同じように、歌や踊りを伝承している保存団体も二十近くございまして、これらも、過去後ろ指さされながらも細々とこれを受け継いできております。また、伝統工芸、美術、芸術に関してもそこそこの活動を展開をいたしておりますし、あるいは食文化の再生とか環境の問題の提言に関しての思想的なあるいは哲学的な、アイヌの言わば文化の知恵のようなものについても今掘り起こし作業が進んでいます。
 ただ、唯一、アイヌ語を日常的に話す、あるいはアイヌの伝統的な生活習慣を日常的にこなすというその場面が、もう危機的状況というよりもほとんど、一〇〇%ないに等しいというところなので、これらのつながりが非常に困難を来すであろうと。だから、今の法律だけではとても対処できるものではないというふうに考えます。
 御質問の憲法に関しては、私どもは当初から、もちろん憲法も法律も、それから戸籍制度も名字を付けられることさえも、すべて押し付けられたわけでして、どれも私どもが賛成したためしは一度もないわけです。もうとにかく一方的に押し付けられたということなわけですから。
 少なくとも憲法に関して、法の番人なわけですから、これはまあ日本人とか日本民族とかいうその日本人のあいまいさの除去も当然必要でしょうけれども、もう国際化時代の中で日本国憲法がその国に住む人間をどう規定するかということは、アイヌを一つの例に取りながら内なる国際化と、そして先ほど来在日の外国人の問題も含めた外からの国際化と、その両方をとらえた居住する人々という概念を日本国憲法はきちんと持つべきではないか。そうすることで、今後の国際化の中でも、国内のアイヌに対する問題や、あるいは場合によっては沖縄の問題やあるいは在日コリアンや、そういった人たちをも包含して改正することが可能ではないかというふうに考え方を持っております。
○高野博師君 ありがとうございました。
 それでは、目々澤参考人に子どもの権利条約に関して一つだけお伺いいたします。
 この子どもの権利条約については行政側が大変、まあ大変といいますか、ある意味では消極的なところがありまして、しかも縦割り行政の弊害もかなりありまして、例えば児童福祉法だったら厚生労働省だ、少年法だったら警察、法務省、それから学校教育法については文部科学省、全体の窓口みたいのを外務省がやっていると。ばらばらでありまして、私は、先ほど参考人がおっしゃったように子どもの権利基本法という法律をきちんと作った上で、そして、子供・女性省とは言わなくても、内閣府の中に子供局、少なくとも子供室ぐらいのものを作って包括的にこの子どもの権利条約に実効性をあらしめるという措置が必要ではないかと思っております。
 しかし、なかなかその辺は動かないんですが、この川崎市のように条例を作って子どもの権利条約の精神、哲学、これを具体化していくというのは、それはそれで大変意味が大きいと私は思っておりますが、この子供の権利が尊重される社会を作っていくという意味で、自治体が積極的にやるということも私は進めていきたいと思うんですが、この川崎市の子どもの権利に関する条例ができて三年ぐらいでしょうか、この間にオンブズパーソン制度でいろんな子供が安心して相談できるという、こういう機関を設けたのはこれまた大きな意味があると思うんですが、この条例を作ってから、川崎市の子供の人権状況、いじめの問題あるいは不登校、そういう、具体的にこれは改善されてきているという何かデータみたいのはあるんでしょうか。
 もしそういうものがあれば、これは是非こういう条例を各市に作るように推進したいと思っておりますが、いかがでしょうか。
○参考人(目々澤富子君) まず、条例前の状況のデータ把握も存在しないと思うんですね。その後どう改善したかというデータ的なもの、いじめの改善がどうかという、ちょっと私は、そういうものが存在するということはちょっと知らないです。ただ、子どもの権利条例がたとえできたとしても宣言的なものではやはり意味がないと思います。現実に侵害されたときに救済制度というのが付いていなければ、現実に子供の権利は救済されないというふうに思うんですね。
 そういう意味で、子供の権利侵害の現場に当たっている者としましては、非常に中に入って調整するということ、子供の気持ち、それから保護者の気持ち、学校の気持ちを丁寧に聞くということ、そういうことを通じてでなければ子供の権利は救済されませんし、子供の権利を侵害された人の気持ちというのはどうなのかということは、そういう実践の中でしか伝えられないというふうに思うんですね。
 ですから、私たちはまだスタートして十か月ですが、そういうものがあるのだ、例えば最近、三月ですけれども、川崎市は私たちの存在をいろんな形で広報していただいています。
 例えばセクシュアルハラスメントにつきましても、小学校の低学年、高学年向けにストップ・ザ・セクハラという形でパンフレットを出しまして、それからフリーダイヤルを載っけてあります。フリーダイヤルについては、やはり子供がアクセスするのに非常に、カード若しくはお金が必要だったということはかなり高い壁になっておりましたので、使いやすいという形では非常に大切なポイントでした。
 ですから、これから、この制度があるということをすべての子供たち、子供はいろんなところで育っておりますので、親に言えないこと、あるいは親から逃げたい子、様々な子供がいますが、だれでもが安心して簡単にここに相談できるのだということをどんどん意識として浸透していけば変わってくるんではないかなというふうには思っています。
○高野博師君 それでは、東澤参考人にお伺いいたしますが、外国人労働者の権利の保障の問題なんですが、私は今、FTAというか、WTO、FTO、東アジアでの自由貿易圏といいますか自由貿易協定を進めるべきだ、促進すべきだということを言っておるんですが、これができたときに、あるいはできるに際しては、もう人、物、金の移動がこれも自由になるわけですから、特に人が自由に入ってくるときに、日本の場合のこの社会の閉鎖性、これが非常にネックになるんではないか、あるいは人権意識の低さ、人種差別、これが障害になるんではないかと思っておりますが、外国人というだけでもういろんなところで差別があるわけで、先ほど先生がおっしゃったように、おふろに入れない、外国人お断りと、こういうことが日常的に起きている。
 これは、共生という観点からも、あるいは人間の尊厳という、あるいは外国人の人権、こういうことからも、法的にもきちんと改善すべきだと思いますし、意識もやっぱり変わらなくちゃいけないということで、ほかのアジアの外国は非常に民族多様性ありますので、そういう差別というのは余りないんだろう、受け入れやすい社会だと思うんですが、日本はそうではないと。そこで、どういうふうに対応していったらいいのか。
 先ほどの子どもの権利条約にしても、裁判官も余り知らない。これが適用された例もない。子どもの権利条約についてももっともっと国民に広報し、子供も大人も行政も裁判官もこれの重要性というのを認識すべきだと思うんですが、それは一例としまして、外国人労働者に関するいろんな法的な規制緩和をする、あるいは新しい法制度を作るということは非常に重要ではないかと思うんですが、若干抽象的な言い方ですが、先生のお考えあるいは意見をお伺いしたいと思います。
○参考人(東澤靖君) それでは、人種差別の問題についてお答えいたします。
 実は、人種差別撤廃条約が一九九五年に国会で承認されたときに、政府の方からは、この条約を批准するに当たっては特に国内の立法を変える必要はないと、今ある法律で十分この条約上の義務は対応できるんだというようなことが答弁されていたかと思います。
 実際、私たちがこの人種差別事件にぶつかったときに、やはりこれを訴訟に持っていかざるを得ないというのは、国内でその人種差別の問題を扱うシステムが残念ながら存在していない、実際にはシステムとして存在していないからです。
 先ほど、政府が言ったように、もう既に国内の制度は人種差別撤廃条約を受け入れるに十分なんだというふうになっているけれども、結局は使う手段がなくて、やはり裁判という手段に訴えざるを得ないというところで訴訟がたくさん起きているということがあります。
 しかしながら、今、私、小樽の入浴拒否事件の控訴審の代理人を務めておりますけれども、自治体、小樽市が訴訟を起こされたときに小樽市が例えば言っていることというのは、自分たちに条例を作れと言われても、果たしてこの人種差別を禁止するような条例というのは作っていいのかどうなのか、罰則を設けていいとかどうなのか、どういうふうな指導をする権限を持ったらいいのかどうなのか、そういったものは自分たちの自治体だけじゃ判断はできないと。やはり国の中で、国の立法として一つのこの人種差別をなくすためにどうしていったらいいのかという基本的な法律というものはやっぱりないと自分たちは対応できないというようなことを言っていました。
 ですから、それが答えになるかどうか分かりませんけれども、やはりこの人種差別の問題、差別的取扱いをなくすという問題を扱うためには、国民の啓発の意味でも、あるいは実際に救済という意味でも、やはり国家的な法律が、人種差別禁止法とでも言いましょうか、そういったものが必要とされるのではないだろうかというふうに私は考えております。
○高野博師君 時間ですので、終わります。
○会長(野沢太三君) 吉川春子君。
○吉川春子君 日本共産党の吉川春子です。
 四人の参考人の皆さん、大変ありがとうございます。
 まず、中嶋参考人にお伺いしたいのですが、参考人は、男女平等を目指す取組の中で日本国憲法は大きなよりどころであったと述べられました。芝信用金庫の女性賃金差別事件とか、住友ミセスの差別裁判に勝利する上で憲法がどのように力になったとお考えでしょうか。
○参考人(中嶋晴代君) 憲法がどのように作用したかということですが、とりわけ憲法十四条、法の下の平等、それは最高法規であるという十章の位置付けも含めまして非常に大きな役割を果たしたというふうに思います。差別是正を求める側も、よりどころにしたのは十四条や、そしてその下にある労働基準法の三条、四条。裁判の判例でも、それを含めて民法九十条の公序などで勝利している場合にはよりどころにしているかというふうに思います。
○吉川春子君 中嶋参考人に続いて伺いますけれども、憲法の理念を生かすためには、それを具体化する法律が必要だとおっしゃったわけですけれども、私も同感しています。男女平等をうたった憲法が施行されて五十年余経過したわけですけれども、今なお差別が残っているどころか、部分的には差別が広がっているという現実があるわけです。
 そこで伺いますけれども、働く場で男女平等を実現するためには、どのような具体的な立法が必要であるというふうにお考えでしょうか。
○参考人(中嶋晴代君) 雇用の場での男女平等の実現ということで、男女全体のやはり働き方全体のかかわりある法整備が必要だというふうに思います。とりわけ女性が平等に働くことを拒んでいる大きな壁に、時間外労働を前提とした長時間労働がございます。ですから、時間外や休日や深夜労働、そうした上限規制を始めとし、労働時間を短縮する労働基準法の改正がまず必要だというふうに思うところです。そして、男女均等法は改正されたわけですが、罰則がございません。それから、非常に長い経過が必要だということで、簡易迅速な救済機関とか間接差別の禁止など、もっと実効ある、男女を対象とした平等法にすることが必要ではないかと思います。
 それから、パートや非正規が大変増えていますので、均等待遇の実現、賃金の底上げが必要です。ILOの百七十五号条約の批准と、これを踏まえたパートタイム労働法の改正が必要だというふうに思います。さらに、最低賃金の引上げや全国一律最低賃金制の確立も求められるというふうに考えます。
 それから、仕事と家庭の両立が非常に困難になっているという中で、育児・介護休業法も改正最近されたところではありますけれども、看護休暇の義務規定化だとか時間外・深夜労働の免除だとか転勤への本人同意だとか、そうした法改正を私たちは求めていきたいというふうに考えます。
○吉川春子君 今かなりの数の法律が挙がりまして、十指に余るかなという感じがいたしましたけれども、憲法の定める男女平等を具体化する法律がまだまだ欠けていて立法化が必要だという意味に受け止めてよろしいでしょうか。
 憲法の改正をしないと男女平等は進まないということなのか。その辺についてどういうふうにお考えですか。
○参考人(中嶋晴代君) 憲法改正は今時点で必要ないというふうに思います。具体的に、十四条を踏まえてそうした具体化が進めば男女平等が前進していくというふうに考えております。
○吉川春子君 中嶋参考人にもう一つ伺いたいんですが、憲法二十八条についてです。
 参考人も述べていらっしゃるように、組合未加入者は有給休暇も取りにくいとか雇用保険の加入率が低いとか、総体として無権利に置かれています。今お話がありましたが、パート、臨時で働く人たちの雇用条件、特に低賃金は目を覆うばかりです。こういう人たちの組織化が進まない原因、これはどこにあるとお考えでしょうか。
○参考人(中嶋晴代君) 一つには、我が国の労働組合が残念ながら企業別組合で、ユニオンショップ制をしいて正規労働者しか組織をしていないというところもあります。でも、最近、非正規労働者が大変急増しましたので、その労働条件の改善が何よりも必要だということで、非正規労働者の組織化の重要性が私どもの組合を含めて認識が強められています。
 組織化が困難な大きな理由としては、パートなども本来は定めのない雇用であるべきですけれども、そうした労働者の多くが有期雇用で、組合に加入したら次の雇用がないのではないかというような意識だとか、一部にはその実態もありますし、しかも極めて短期の有期雇用となっていることも組織化を困難にしています。派遣労働が増えているということも、職場には雇用主がいないということで、こうした雇用の流動化が非常に組織化には難しい実態を作っているというふうに考えています。
 でも、組織化をしない限りやはり全体の労働者の前進もないということで、私ども全労連でも、地域を基盤にして一人でも加入できるローカルユニオン作りを進めているところです。
○吉川春子君 東澤参考人にお伺いいたします。
 外国人の人権を日本が国家として踏みにじった場合どうすべきかという問題に関連して慰安婦問題について伺いたいと思います。
 参考人は、国際女性戦犯法廷にかかわったり、フィリピンのおばあさんたち、慰安婦の訴訟代理人もされていらっしゃいますけれども、慰安婦が今、国際機関、国連人権委員会その他で大きな問題になっていますけれども、なぜ大きな問題になっているのか。そして、憲法上、日本国憲法との関係でどんな問題があるとお考えでしょうか。
○参考人(東澤靖君) 今日の話からはちょっと外れますけれども、基本的に、いわゆる慰安婦問題の話は、日本が第二次世界大戦中に犯したいわゆる戦争犯罪にかかわるものだというふうに考えます。
 これにつきましては、被害者が国外の領域にわたるという意味においては、いわゆる国際人道法の適用される領域になっております。そして、この国際人道法というものの適用領域におきましては、これまで日本政府がきちんと被害者たちに十分な補償あるいは謝罪をしてこなかったのではないかということが国際社会から繰り返し指摘されているわけであります。
 昨今、国際刑事裁判所なども設立されることになりまして、そういう武力紛争下で生じた国家による性暴力の被害というものに対してはきちんとそれにかかわった個人が責任を取り、さらにはその軍隊が所属した国家が責任を負っていくということは確立された国際人道法の考え方でありますので、それがまだ日本は十分に果たされていないということが問題となっているんだというふうに考えます。
○吉川春子君 目々澤参考人にお伺いします。
 私は、川崎の例を伺っていて大変すばらしい条例であるなと、これこそ正に地方自治であり、また憲法の人権の具体化、人権保障の具体化であるというふうに思いまして、大変啓発されました。
 それで、川崎でこういう人権あるいは子供の権利に関する条例化が具体化し、そしてそれが運動として大きな役割を果たしている、その原因といいますか、背景にあるものは何なんでしょうか。
○参考人(目々澤富子君) 川崎では、先ほども言いましたように平成二年から市民オンブズマン制度というものを作りましたが、それも全国に先駆けて初めて作ったものであります。そのように、人権が保障されるのが施策の基本であるという、それが川崎の中でずっと根強く、ずっとそういう形で地域の中に広がっていたというものが、川崎が子供についても、単なる宣言ではなくて条例という形で生み出して、かつそこに救済制度ということまでも作れたという、地域のそれまでのやはり中で培われたものが土台になってあったのかなというふうには考えております。
○吉川春子君 最後に、秋辺参考人にお伺いいたします。
 私は、千島列島の全部の島の名前とか地名とか、先ほどアイヌ語であるというふうにお示しいただきまして、本当に非常な啓発を受けました。そして、そういう中で、皆様方の歴史が抑圧の歴史であり、権利剥奪の歴史であり、そういう中でどんなに今日まで困難な思いで暮らしてこられたかということに対して大変心を動かされました。
 それで、その立法の御要請もありまして、私たちの党としても、この問題は特に党の基本方針にも書き込みまして対応している党ではありますが、今後、今日の参考人の発言を受けまして積極的に取り組んでいかなきゃならない問題もあるかなと思うんですけれども、私の質問時間があと二、三分なんですが、是非訴えたいこと、言い残したことがありましたら、参考人の方からお述べいただきたいというふうに思います。
○参考人(秋辺得平君) それでは一つだけ。
 現在、どうあれこうあれアイヌ文化振興法というアイヌ民族にとって初の前向きの法律があるわけであります。これの事業を今五年間執行しておるところでありますが、一つイオル構想と言われる、アイヌの文化圏と言われる広い地域を、アイヌの伝統文化を再現するための事業を今国が調査をしているところなんですが、これがどうも前向きでない嫌いがあります。
 ウタリ問題懇話会というところが、学者先生始め皆さんが、アイヌの人たちにはできるだけ北海道の土地を返したいという思いでアイヌの狩猟圏と言われる、これはイオルとアイヌ語で言っているんですが、それを設定することによって、アイヌ文化伝承に必要な植物や動物や様々なものを採取し、アイヌ文化を調査、研究する施設を作っていこうという広大な発想はしたんですが、どうも北海道庁も国も及び腰ではないかという気がしているものですから、これに対する御支援を是非お願いをいたしたいというふうに思います。
○吉川春子君 終わります。
○会長(野沢太三君) 大脇雅子君。
○大脇雅子君 本日は四名の参考人の方に貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。
 それでは、まず東澤参考人にお尋ねをいたしたいと思います。
 先ほど、御意見を言われましたときに、国際人権条約に関する委員会が日本の履行状況に対して懸念を表明しているというふうに言われましたが、実際はどのようなことを表明しているのか。そして、日本の状況というのがどこにそういう問題があるのか、お述べいただけたらと思います。
○参考人(東澤靖君) 様々な国際条約に関する委員会があります。
 例えば、市民的及び政治的権利に関する国際規約の下では規約人権委員会というものがありますし、あるいは経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約という下では社会権規約委員会というものがあり、人種差別撤廃条約の下では人種差別撤廃委員会、そして子どもの権利条約の下では子どもの権利委員会というような委員会があります。
 ここ数年、そういった条約機関において日本がそういった条約をきちんと履行しているかどうかということが審査され、そして、そういった条約機関から様々な形で勧告というものが出されているわけであります。例えば、規約人権委員会からは九八年十一月十九日に勧告が出されましたし、社会権規約委員会からは二〇〇一年九月二十四日、子どもの権利委員会からは一九九八年六月五日、人種差別撤廃委員会からは二〇〇一年の四月二十七日です。
 そして、そういった勧告の中でやはり一様に言われているのは、外国人の問題につきまして、特にやはり日本においては、合理的な差別という概念の下に、理由のはっきりしない、明確ではない差別が行われているのではないだろうか、差別についてきちんと説明がなされていないのではないだろうかという点が繰り返し指摘されている点があります。
 もう一つは、やはり子供の自国の言語で教育を受けていく権利、あるいは民族学校で教育を受けていく権利、こういったものが今の日本におきまして、そこの民族学校を卒業しても大学入学資格、受験資格が認められないなどによって差別されているのではないだろうかというような点が繰り返し問題にされているところです。
○大脇雅子君 一九九〇年の十二月の第四十五回国連総会で移民労働者及びその家族の権利の保護に関する国際条約、いわゆる移民労働者条約というものが採択をされました。しかし、これは長い間未発効のままで、最近ようやく二十か国が批准した形でこの条約が発効されたというふうに聞いております。
 この条約はいかなる内容の条約であって、この条約が発効したことによって移民労働者とそれからその家族の権利にどのような影響を将来国内外に与えていくとお考えでしょうか。
○参考人(東澤靖君) お答えいたします。
 今出ました移民労働者とその家族の権利保護に関する国際条約、略称して移民労働者権利条約というふうに呼ばれるものは、確かに一九九〇年に国連総会で採択されて、その後批准のために開かれてきたというような状況があります。
 そして、なかなかこの条約につきましては批准国が増えなかったわけですけれども、昨年末になって発効のために必要な二十か国が批准を済ませ、そして、まだだと思いますけれども、一定期間を経た今年の四月ごろからこれは発効する形になっていると思います。
 この条約は、いわゆる世界じゅうにいると言われている移民労働者、その数は現在では一億七千五百万人と言われている数がおりますけれども、そうした国、国境を行き来する移民労働者について最低限どのような権利を保護していくべきなのか、その移民労働者の労働者としての権利、家族の権利、子供の権利、あるいは刑事手続などに巻き込まれたときの権利というようなものを規定しております。
 この条約の一つの特徴は、単にいわゆる在留資格を持っている移民労働者だけではなくて、在留資格を持っていないいわゆる不法労働者と呼ばれている人たちに対しても最低限の権利を保障しなければいけない、それは人として扱われる権利あるいはその家族が尊重される権利、そういったものは、最低限の権利は、そういう在留資格を持っていなくても保障されなければいけないという内容になっております。
 しかしながら、残念ながら、まだこの条約は二十か国という批准国数で、その条約の批准している国は移民労働者を送り出している側の国々が多く、受け入れる側の国々はまだ批准はない状況です。当然のことながら、日本も批准しておりません。しかしながら、この移民労働者権利条約というものは、今後、日本における外国人労働者政策、とりわけ憲法や国際条約の下でどういった基本的な権利を最低限外国人の方々に対しては保障しなければいけないのかということを、政策を考えていくに当たっては、非常に多数のカタログと具体的な権利を定めているという点では非常に参考になっていくものと思われます。
 いずれ、この条約につきましては必要性はどんどん増していくことになると思われますので、日本においてもいずれはこの条約を受け入れるべきかどうかということが検討される時期が来るのではないかというふうに考えております。
○大脇雅子君 私も、憲法調査会のEUの調査に行きまして、こうした移民労働者に関する担当局のヒアリングをしたときに、そこでの現実的な課題というのはオーバーステイの人たちの権利の保護と家族を呼び寄せる権利に焦点が当たっているというふうに言われまして、びっくりしたというか、我が国においては外国人労働者の問題というのは非常に不当な差別や状況からの救済が問題になっているところなのに、そのステージの高さというものに驚いたことを思い出しました。
 さて、ウタリ協会の秋辺さんにお尋ねをいたしたいのですが、二八・一%の人が差別を受けたことがあるというのがウタリ協会の調査で出ていると。それで、日本の言わば調査というのがタンチョウヅルの調査の費用よりも少ないと聞いて私もショックを受けましたが、この差別というのはどんな形態のものがあるのでしょうか。
○参考人(秋辺得平君) この実態調査は北海道庁の調査でありまして、設問の仕方が私から見るとかなり甘い設問の仕方でありまして、もし私が設問項目を書くならば、差別されたという数値はこんなものではないと。恐らく相当高い数値になるだろうというふうに思われます。
 人口調査もこんな少ない人口では決してありませんで、アイヌの人口は、あなたはアイヌですかという質問に、はいと答えれる人だけが調査に参加しているわけでして、アイヌの血を引いていて、だれが見てもあれはアイヌの血統だよという人でも、自分はそうじゃないという人には調査はいたしておりません。
 さて、差別の実態についてですけれども、最も極端なものはやはり結婚の差別であります。御存じのように、北海道は東北を中心とする北海道外からの入植者によって植民地として成り立ってまいりました。それぞれの出身県の県人会なども当然ございまして、いわゆるふるさとに対する思いが大変強い。その分だけ、自分が士族の出だの、やれ町民の出だのと、その身分をやっぱり言いたがるのが日本人の癖でありまして、アイヌ民族との結婚に関して賛成するなどということはおよそ考えられないぐらい。かつてこちら、参議院議員でありました私どもの先輩の萱野茂さんが長いこと地域の名士としてアイヌと和人との結婚についての仲人を頼まれたそうでありますが、ここずっと二十件を超える仲人で、和人側の親たちが賛成した例は一件もございません。常に和人側からは反対されるという結婚差別が最も典型的なものかとも思われます。
 それから、いわゆる就職差別であります。現に、ハローワークなどの職業相談員が雇用主に対してアイヌの子供でもよかったらというようなことを平気で言うような状況があったり、あるいはある市の公立病院の薬局でアイヌの青年が薬剤師として採用されたら、そこの上司が、おまえ毛深いから毛が薬を調合するのに邪魔であるというようなことを平気で言ったりとか、あるいはごく民間では、おすしやさんなんかでも、毛深いのはすし職には向かないとか、そうであれば世界じゅうにすし屋はできないのでありますけれども、いわゆる就職に関して。
 それから、教育に関しては、これは教育の現場では子供たちが最もつらい思いをするわけであります。学校に行って、アイヌであるということが、私の時代ではもう直接的に、このアイヌとか、やいアイヌというふうにやられましたけれども、最近は巧妙になってきておりまして、民族、あれ民族だ民族だとかですね。私のおいっ子の場合、つい数年前の話ですけれども、外国人ということで、同級生の親があそこの家には外国人がいるから付き合うなということを言ってしまう。子供が大変傷を付く。こういう差別。
 それから、最もやっぱり私は問題だと思うのは、学校教育の中で民族とか、あるいはアイヌが存在するということとか、あるいはアイヌとの、先ほど最初に申し上げましたけれども、私の発表で申し上げましたけれども、歴史上アイヌのことを欠落させていると。あるいは、アイヌ語というものが明らかに日本列島の中で古くからあった言語であり、それは地名になども生かされており、様々な文化を醸成してきたという、そういうことの教材に取り入れて教育をするということがほとんど行われていない。全く民族無視であるということ。
 ですから、例えばここに「宿題ひきうけ株式会社」というよく売れている児童文学書があります。古田足日さんという方の本でありますけれども、この中でアイヌのことを取り上げた。いわゆるこれ善意の取上げなんですけれども、宇野浩二という大正後期から昭和にかけての小説家であって、童話作家としては日本では大変有名な作家なんですけれども、その人の作品の中に「春を告げる鳥」というのがあって、これがアイヌの話でして、アイヌの集落のおさがクマを生け捕りにしたりイノシシをたたき殺したりしたことが幾度もある強い父であって、これが笛を吹くことが好きな、優しい、山登りもできない、ウサギ狩りもできない息子に、この弱い息子を教育して酋長になる試験を受けさせるんだという設定で物語をしているんですけれども。
 一つは、北海道にはイノシシはいませんし、これは多分イノシシは東北を意識したんだと思うんですけれども、たたき殺したりとか、それから生首を腰に幾つも下げて歩いたりとかというようなことを書いていたりするわけですね。そうすると、まずアイヌの酋長という言葉、そもそもこれが差別語でして、これは日本語ですから、アイヌ語じゃありませんから。で、日本人は日本語でありながら酋長なんという言葉は自分たちには使わないんですね。もうそれは、インディアンの酋長とか南の島の土人の酋長とかアイヌの酋長とか、非常に失礼な言葉として存在している。その酋長を継ぐのが世襲制だという言い方をする。そんなものはアイヌに世襲制なんかないんで、きちんと力のあって、かつ雄弁で風格のある者が村長になった。そんな制度は明治以降はもうもちろん禁止されてありませんけれども、それが大正後期から昭和にかけても児童文学の中に表れている。それがつい最近まで売れていた児童図書の中にも書かれているわけです。
 ですから、社会的にアイヌを意図的に差別してやろうということでやっているわけではないわけです。実に無知、それからアイヌに関する情報の不足、もう決定的に公教育における教材不足ということが、多くの先生方をもアイヌのことに関して学校でどう取り組むかということで悩ませる。そういう意味での教育差別というものが非常に根幹にあるというふうに感じております。
○大脇雅子君 どうも心の痛むお話でありました。ありがとうございました。
 目々澤さんと中嶋さんには、ちょっと私の持ち時間なくなりましたのでお許しいただきたいと思います。ありがとうございました。
 終わります。
○会長(野沢太三君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言申し上げます。
 参考人の方々には大変貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時三十二分散会

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