第159回国会 参議院憲法調査会 第4号


平成十六年三月十七日(水曜日)
   午後一時一分開会
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   委員の異動
 三月十七日
    辞任         補欠選任
     舛添 要一君     田村 公平君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         上杉 光弘君
    幹 事
                武見 敬三君
                保坂 三蔵君
                吉田 博美君
                若林 正俊君
                鈴木  寛君
                若林 秀樹君
                魚住裕一郎君
                小泉 親司君
    委 員
                阿南 一成君
                岩井 國臣君
                亀井 郁夫君
                桜井  新君
                椎名 一保君
                田村 公平君
                常田 享詳君
                福島啓史郎君
                藤野 公孝君
                松田 岩夫君
                松村 龍二君
                松山 政司君
                森田 次夫君
                山崎  力君
                江田 五月君
                大渕 絹子君
                川橋 幸子君
                小林  元君
                角田 義一君
                平野 貞夫君
                堀  利和君
                松井 孝治君
                白浜 一良君
                山口那津男君
                山本  保君
                井上 哲士君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                田  英夫君
                岩本 荘太君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       桐山 正敏君
   参考人
       東京大学東洋文
       化研究所教授   猪口  孝君
       独立行政法人日
       本貿易振興機構
       アジア経済研究
       所地域研究セン
       ター参事     酒井 啓子君
       成蹊大学名誉教
       授
       NPO法人平和
       構築・民主化支
       援委員会理事長  廣野 良吉君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (平和主義と安全保障
  ―憲法と国際平和活動、国際協力)
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○会長(上杉光弘君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、「平和主義と安全保障」のうち、「憲法と国際平和活動、国際協力」について、東京大学東洋文化研究所教授の猪口孝参考人、独立行政法人日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター参事の酒井啓子参考人及び成蹊大学名誉教授、NPO法人平和構築・民主化支援委員会理事長の廣野良吉参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 忌憚のない御意見を承り、今後の調査に生かしてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、猪口参考人、酒井参考人、廣野参考人の順にお一人二十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず猪口参考人にお願いいたします。猪口参考人。
○参考人(猪口孝君) ありがとうございました。
 私は、日本の憲法、国際平和活動、国際協力と何かいうことなんですが、私の考えていることは先の話でありまして、それから法律とか慣行とか過去とは余り関係ないことをお話しするかと思いますが、御勘弁願いたいと思います。
 私は、日本外交は非常に大きく変わっていると。今回だけじゃなくて、ほとんど各十五年ごとに結構大きく変わってきたんですけれども、日本のいろいろなところでは吉田ドクトリン万歳とか、いろんなのんきな話が多いんですが、ちゃんと変わってきていると、物すごい勢いで変わってきている。それはしっかりと認識した方がいいというので、それを五分ばかりしゃべって、その次に、どういうふうに、どうしてそういうことが起こっているかというのを、この地球的な規模での、なんかの変化を、これも五分ぐらいしゃべって、そして、これからどういうふうな、何というか変化を期待したらいいかということについて、モデルというか、どれから学んだらいいかというようなことを、ちょっとまた五分ぐらいしゃべって、最後、どんなふうにこの大きな問題について考えているかをお話しできたらと思います。
 日本の外交路線は、とにかく十五年ごとに変わっているというのが、もう本当みたいなんですが、もう本当なんです。吉田茂首相がいたときに、吉田ドクトリンなんといって、要するに安保はアメリカ任せ、あとは経済一生懸命やりましょうというのですが、大体一九六〇年ぐらいまでは、別に定着したんじゃなくて、親米勢力と反米勢力は対立したまま好きなことをやって、ついにそこまで来たと。六〇年から安保改定とかいろんなことがあって、所得倍増計画というので、何となくトーンが急に変わっていくというのが、六〇年から石油危機、七五年ぐらいまでなんですけれども、これは、今度これで、後からはただ乗りと言われてしまうんですが、そのときはまあすばらしい時代だったわけですが、それは唯一に吉田ドクトリンの時代だったと言うことができると思うんですが、中東戦争でも石油危機でも、いろんなことでも、ただ乗りはいけないということになって、アメリカが率いる国際経済体制を支持すると、支えると。縁の下の力持ちみたいな一人ということで、大体、冷戦の終えん、一九七五年から九〇年までいくということになって、これはまた全然話が違うんですね。それは、安保があるからなんというんで、全部安保あるんだけれども、中身は大きく変わっているということを認識したらいいんかなといつも思っているんです。
 冷戦が終わりますと、今度は核兵器で対峙するような大きな戦争が起こりにくくなったというので、むしろ軍事主義ではない、平和を志向する日本とかドイツにとっては正に絶好の時代が来たというのがこの地球文民国家といいますか、シビリアンパワーみたいな時代だということであったんですが、それはもう二、三年もしないうちにがたがたがたがたしていくわけですが、いずれにしろ、現在はこの三番目と四番目の、大体この両方のプリンシプルで日本自身の外交もある程度の展開をしているわけです。
 それで、今度九・一一のようなことがまた起こって、いろいろそこらじゅうに面倒くさいことがまた別の種類にも起こると、まあ普通の国というか、地球的な規模でもうちょっと何かできるようにしたらいいんかなというのが出てきているわけでありまして、これは与野党もある程度言っているんだけれども、どのぐらいの普通にするのかというのは、全世界に百九十も、それ以上もあるんですから、どれを見て、どんなぐらいの普通国家にしようかということについて、これからというか、今、これからやっていることでありまして、それが本格化するのは、来年とか再来年ぐらいに本格化するんだと思いますが、それで十五年ぐらい掛けてやるんじゃないかなと理解しております。
 キッシンジャーは、全然関係ないんですが、日本人はやたらとコンセンサスを何か気にするから十五年掛かると。ばかなちっちゃなことでも十五年掛けておると。ペリーが来たとき、すぐやればよかったものを十五年掛けている。まあ、何かそれはちょっと偏見もあるような気もするんだけれども、とにかくいろいろ考えて十五年掛けて、六八年は十五年掛かっている。すぐじゃないんですよね、十五年。もう義務教育なんか一遍に終わるぐらい長くやっていますし、それから、日本は戦争に負けても反米、親米と延々とやって、十五年掛けてわあわあやっていて、今でもやっている面もあるけれども、またちょっと変わっていて、十五年ぐらいやってようやく、やっぱり自分が専念すべきものは金もうけであるというふうに専念して、分かりが遅いとわめいておるんです、彼は。
 本当かどうかは知らぬ、アメリカの方がもっと分かりが悪いとも思わぬでもないところもあるんですが。一番最近はバブルの崩壊、一九九一年から十五年たっても怪しい、うまくいかないんじゃないか、今回はというふうなことが書いてあるんですが、十五年というのは、確かに今見ましたように、親米、反米、対立、ただ乗り国家、支持者国家、地球文民国家、地球普通国家みたいな、確かに十五年というのは、結構やっていることは何というか似たようなものが多いんですけれども、ルーチンが多いですから、大きく原則というか、どういう原則に照らして何をやるかということが変わっていると。
 それで、これからの話ですけれども、地球上の変化で一番大きなのは、やはり所得水準が着実に上がっているんです。それは、とにかく信じられないぐらいどんどんどんどん上がっているんです。それは金持ちの国は大して上がりませんけれども、そうじゃない国の所得水準の上昇というのは全体で見れば上がっている。もちろん、所得格差、その国の所得格差、それから国ごとの所得格差、これはもう激しくどんどん開いていくわけです。これはどうするかということについては、どういうふうに見るか、そしてそれがどういうふうな日本の外交を要求するようになるかということは考えなきゃならない。
 第二は、主要国家間の戦争というのは減少しているんです。すぐに、普通の主要国家間というのは、日露戦争みたいな戦争とか、何でも、イラン・イラク戦争とか、ああいう国を挙げて延々と何か分からないことをやっているみたいなのは本当に少ないんです。一九七五年から九〇年を見ますと、あるのは何ですか。一九七九年、中国がベトナムに侵入、侵入というか介入というか、ちょっとやって、二か月ばかりやって、中国軍は二十五万人死んでいるわけですけれども、いずれにしろ、ある程度主要国家間の戦争、それからイギリスとアルゼンチンの戦争、それからイラン・イラク戦争ですけれども、あとどうやっても考えにくい。それじゃ、アメリカのイラク戦争はどう。あれは戦争という、主要国家間の戦争じゃなくて、あれは瞬時の軍事介入みたいなもので、それで占領しているわけですから、そんなに何というか、戦争というような感じではないことは、今までの感じではないんですね。非常に、ちょっと行ってちょっとやっつけるみたいな介入はかなり増えていますけれども、余り大きな戦争はない。それから核戦争は起こっていない。それから、これは不思議なんですけれども、内戦とか内紛とか大きな、カンボジアの三派がもう何百万人も殺しながらやっていくというような戦争は、意外と内戦も低下というか、余り大きくそこらじゅうに起こらない方に少しずつ進んでいる。
 ただ、非常に激増しているのは、破綻国家、破産経済、それから無法国家とかいろんな、言葉は好きなようにお使いくださればいいんですが、どうしようもないというか、何があるのか分からないという国というか社会というか、そういったものは結構増えておりましてね。国単位で何とかというよりも、この国でもあの国でもそういうポケットみたいのがあってどうしようもない無法状態みたいなのが増えているわけですね。それは、市場の自由化とかというのをグローバルに展開していますからそういう面も出てくるところは多いんですけれども、これが現在の二番目の重要な点です。
 戦争は激減というか漸減しております。核戦争は起きていません。まあ小型核兵器については使っているというあれも、定義もあって、どうするかという問題ですけれども、でも、ばかんという何十万死んでどうするかというのはまだ起こっていないし、多分起こりにくいんじゃないかと思うんですが。それから内戦も意外と減っている。しかし、何だか分かんないけれども、どうしようもなくなっている。何といいますかね、動きが取れないどころか、動きをどうやっていいかも、何かもう神経機能がなくなったみたいな社会が結構増えている。その後はどうしていいか分からないと。
 三番目は、しばらくは軍事研究開発、お金を投資するわけですが、この世界全体のトータル、世界全体の費用の八五%はアメリカでありまして、これを継続的にもう五年、十年やっていますから、恐らくこれから二十五年から三十五年ぐらいはアメリカが圧倒的な第一の軍事大国であって、第二は、ずっともうグラウンドを十周ぐらい後れてくる人が第二であって、このことは恐らくこれから二十五年余り変わらない。
 こういった現実を照らして、これからどういうふうに考えたらいいのかということに移りたいと思います。
 もちろん、アメリカはやっぱり軍事的にナンバーワンであっても、いろんな形で、余り唯我独尊であったり人のことを考えなかったりすれば必ずや落ち目は早まるわけですけれども、いずれにしろ、軍事的にはもう圧倒的、どうしようもない、もう何ともしようがない格差が付いている。ヨーロッパはぼうっとしておりますし、日本はちょっと頑張っているみたいだけれども、本当に何だか、プライオリティーが付けにくいし、いろんな点で、それがいいかどうかはまた話が違うんですが。
 まあとにかくこの三つの件。所得水準は上がっている、だけれどもその国の中でも国の間でも所得格差は物すごい勢いで増大している。しかし、何というか、戦争はとにかく減りつつある、普通の戦争という感じはまずない。よほど間違ったことを考えている指導者がいる国じゃなきゃ、まずやらない。しかし、どうしようもなく神経もずたずた、借金だらけ、何もない、そういう国が増えている、場所が増えている。それから三番目には、そのアメリカの、何といいますか、ユニポラー、一極制といいますか、それはしばらくは続くことは確実であります。
 このような中、地球普通国家群の一角を、一群に参入しようと日本は多分しているんだと思うんですが、それは第一与党である自民党でも第二与党の公明党でも第一野党の民主党でも余り変わらないと思うんですが、どういうふうに、じゃ普通の国家にするかというのは非常に大きく違いがあるわけで、そのときに学ぶべきは、やはり基本的なものでは、自由民主主義、人権、市場経済と、こういったものを基盤とした普通の国家になるということは確実だと思うんですね。それから二番目には、何としても軍事的なもので事を決するという風潮をできるだけ抑えようとすると、こういうふうに、平和主義というか非軍事主義といった、そういった基調をほかの国にも広げるといった感じのものがある方が多分いいんじゃないかと私は思っている。
 それで、そのときに、どういうのをモデルに考えたらいいかというのが、まあヨーロッパの普通の大国としてはイギリス、ドイツ、フランスを考えてみたらいいと思うんですね。イギリスは、御存じのようにアメリカとの特殊な関係を豪語しておりまして、イラク戦争ではちょっと、何といいますか、間違いとかいろいろもう失敗が目立つんでありますが、日本もやっぱり特殊な関係というのを非常に大事なものとしておりまして、マイク・マンスフィールド駐日大使はもう十何年、十年以上も前ですけれども、世界じゅうで一番重要な二国間関係と、こう定義して、日本政府は非常に有り難く感じて、今でもそう思っている節がありますが、まあそれはそれとして、それがあります。
 それで、ドイツは、一番あれはやっぱりヨーロッパ、西ヨーロッパの中で、そして中央ヨーロッパ、東ヨーロッパも含めて、地域的に非常に根差しているといいますか、根を張っているわけですね。それは、まずいろんな制度、地域的な制度といいますか、中に非常に優等生、ちゃんと言う、決めたことは守る、まあ赤字でちょっと守らないところもありますけれども守る。それから、余りわがままを言わない、経済的には、西、中央、東ともにドイツの経済的な力というのは物すごく根強く強い、こういったような地域に根差した形が最も強い特徴であると思います、日本から見るとき。
 それから、三番目はフランスですけれども、これはやっぱり何といいますか、「「NO」と言える日本」でしたっけ、だれかが書いた本、それじゃなくて、それをもじって言えば、フランスというのはイエスと言えるフランスになったらいいなと思う人がアメリカにはたくさんいるというぐらいなところでは自立性が強い、自己主張が強いというのが特徴だと思うんですね。どちらもみんなアメリカの同盟国ですけれども、それがある。
 それで、日本が見ていくときちょっと引っ掛かるのは、結局、イギリスにまずいきますと、やっぱり激しい軍事国家なわけですね。さっささっさ、とにかく決めるときも早いし、出ていくのも早いし、とにかく軍事というか、軍事的なのでいこう、得意科目は体育みたいなもので、非常にこれ、日本はなかなかそういうわけにいかない。すぐ行くといったって、まず査察団が百回ぐらい行ったんじゃないんですか。もっと少ないですか。十回ぐらいですか、イラクに例えば。ゆっくりゆっくりやって何をやっているのかよく分からないけれども、慎重に慎重に重ねていくというんだから、まずイギリスのまねはすぐできない。足が速い、口も上手というので、なかなかまねしにくいところがある。
 ドイツというのは、地域的に根を張っているわけですけれども、日本の場合は地域的信用というのがまあいろんな理由でいま一つという面があって、これをどうするかということを何とかしないとなかなかまねしにくいところがあると思うんですね。まあいろいろ、二国間の自由貿易協定とかいろんなことで、もう少しアジアに根を張りたいというか、アジアに愛されたいというような欲望は強いんですが、まあちょっと面倒くさいところがある。
 フランスはまあまねしたい面もあって、やっぱり何というか、執拗さといいますか、とりわけ政府レベルで執拗さとか攻撃性とかエロクエンスみたいなところはやっぱりちょっと、フランスなんかに比べるとちょっと、もうちょっと頑張ったらいいんじゃないかなと思うんですね。頑張りますね。言っても、同じことを言っても、しれっとして、何回でも頑張っていつの間にかやるという面もあって、そもそもフランスというのは大体大きな戦争、全部負けているんだけれども、いつも勝利側にくっ付いて、何か領土取ったりいろんなのを取っているわけで、何だという感じはしますけれども、これをモデルというのもなかなかこれ大変だなというか、リーダーズというような、資質なんと言っちゃ悪いんですけれども、そういうタイプの人が余りいないし、どうしたものかなといつも思うわけであります。
 それで、最後の方でありますが、国際軍事活動ではイギリスは得意、ドイツは既に連邦共和国の軍は国際平和協力といいますか、平和活動みたいなところにかなり集中するものを大きくそれに充てる中で、軍の中でそれを充てるようにしましたし、それから非常に強い、小さいけれども激しい介入をやる介入軍みたいなものを作ろうとしていますが、こういう形にどのぐらい日本は考えているのかというのが一つの、何といいますか、ポイントになると思いますね。
 フランスは、まあ言う割には余り、活動はほかのところでは最近は余りやっていない。フランス語圏ではかなりのさばりますけれども、余り激しいことはない。
 二番目の国際協力では、いずれも財政的な問題があって、とにかく日本だけがどんどんどんどん、幾ら削減させても絶対的順序ではどんどんどんどん上がっている感じというか比重が強まっているんですね。これをどういうふうに生かすか、どういうふうにしたらいいのかというのが非常に大きなポイントになると思います。
 中国だって、もう三年か四年で物すごく減ったというぐらい目に見えて現れるんですけれども、全体からすると、そしてアメリカとかドイツとかフランスとかイギリスとかに比べますと、日本というのは物すごい相対的な比重というのは高まっているんです。国際協力といいますか援助といいますか、イラクの復興基金なんかでも一番はアメリカだ。もちろんそれは自分がやったんだから自業自得というか、まあ、いいでしょうと。だけれども、二番目は世界銀行とか国際連合の開発計画とか、そういうのが来て、それだって日本は一杯出している。それから四番目に、日本では、こんな長くいられたら金がもうなくなるんじゃないかと思うぐらい何か要りそうな感じだし、大変じゃないかと思うけれども、でも、もうここで頑張るんだという感じでいくなら、そういう感じにせざるを得ないというかして、物すごくいいところを頑張るしかないかなという気は私自身はしております。
 憲法ですけれども、これはまあ変わる方向になるんじゃないんでしょうかと僕は思いますね。余りにも現行解釈だけでは無理だし、内閣法制局自身が帝国議会から発布したような法律も全部、それの整合性を見ながらやっていますからもたもたもたもたして、もう完全にオーバーロードで何にもできないなんというと内閣法制局に怒られるでしょうけれども、オーバーロードでなかなか速く進めない。でも、今の立法というのはもう速さが勝負でありまして、それはみんなで集まって、わあわあ言って国際条約を作って、はいよという、しっかりしたものを作るというんじゃなくて、みんな、これ大体こういう形で決議すると、それに賛成するのは自分でそれぞれに国内立法やってくれという形で物事が進むようになっていますから、早くやらないとばかみたいなことになる。
 一九九九年にテロリズムに対する反対決議、国連がやっているんですが、日本自身はなんといって悪いんですが、二〇〇一年の九月十一日になってもまだやっていない。二〇〇二年の何か春ごろやっているんですね。まあのんきな話で、何が悪いのか知りませんけれども、何かつっかえるところがあるんだと思うんですが、何かしてほしいなと思います。
 核兵器は、これはまた近くの問題で、面倒くさいですけれども、非常に面倒くさいのが、まず台湾海峡でアメリカはエイジス、ミサイルを監視して、もしかしたら撃ち落とすみたいなのを売るのをやめたので、中国がミサイルを四百発から六百発に増やすというのをどのぐらいやめるか、それが今物すごいですし、それでも伸ばすとしたらやっぱりアメリカの大統領はやっぱりエイジス配置というふうに、台湾に売却というふうにいくかもしれない。
 それから、六者協議ですけれども、六か国協議ですが、これもどういう形で北朝鮮を核開発のすべてを廃棄するというようなことに持っていけるかということに物すごく、日本がミサイル防衛とか、あるいは二〇二〇年にあるかもしれない核武装なんということになれば、非常にすぐ近くの問題としては台湾海峡、朝鮮半島の問題、その扱い方は非常に、何といいますか、しっかりとした先を見て、しかし軍事緊張が高まらないような形で進めていくと、考えていくということが、日本のシステムを作ることがまたすべてあちらにも確実に反映していくわけでありまして、とにかく一番初めの、何といいますか、自分、日本が生き残られるだけじゃなくて、誇りを持って人類の大義を実現できるような体制をどこまで、どのように作れるかということが非常に重要になっていると思います。
 どうもありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、酒井参考人にお願いいたします。酒井参考人。
○参考人(酒井啓子君) アジア経済研究所の酒井でございます。
 私はイラクの政治情勢を中心に見ておりますので、本日の御報告は、イラクに対する日本の貢献を一つの日本の国際貢献の例として取り上げて御報告を申し上げたいかと存じます。
 現在、イラクは、イラク戦争が終わりまして一年近くたつ中で、まだまだ完全にその復興が進んでいないというような状況の中で、現在、自衛隊がイラクに派遣されるというような例でも見られますように、まだ軍を中心とした国際貢献、国際協力の方向でしかイラク復興がなし得ないというような認識が日本を始めとして多くの国々で主流であろうかと思います。
 私は、まずこうした見方に対して疑義を投げ掛けたいというふうに存じます。すなわち、今の現在のイラクの情勢を解決していく、イラクの抱えている様々な問題を解決していくために、いわゆる軍事力を中心とした復興の路線が望ましいというのではなくて、逆にそうした軍を中心とした占領体制こそが現在の復興を阻害しているというような側面があるのではないか。むしろ、そうした点に目を向けて、より軍ではない部分、文民の部分での国際貢献に力を入れるべきではないかというふうに考えている次第でございます。
 レジュメに沿いまして御説明申し上げたいと思います。
 今申し上げましたように、イラクにおいて現在いわゆる戦勝国、英米を中心といたしました連合国、連合軍を中心としたイラクに対する占領体制がしかれておりまして、それがいわゆるCPA、連合国暫定当局と言われる組織によって主導されて進められているわけですが、こうしたCPAが中心となった占領体制の必要性という背景には、ここに太字で書いてございますけれども、まずは治安が悪いと。そして、経済復興も十分進んでいない。経済復興といいますか復旧でございますね、戦後の復旧作業も十分に進んでいない。そして、ほうっておけばイラクは国内が分裂してしまうというような認識があって、言わば自然発生的に、ほっておけば自然発生的にイラク国内が宗派あるいは民族によってばらばらになってしまうので、外国が支えていかなければ、しかも軍を中心とした力によって支えていかなければ、分裂ひいては内戦が発生するというような認識がある。それが現在の占領体制の根幹を支えるものであろうと思われます。
 しかし、それに、実際のところ、そうした治安にしても、経済復興の遅れあるいはイラク国内の分裂というような様々な要因が実際に、一体どうした、どういった要素から生まれてきているかということを細かく見てみますと、実はここにバッテンを付けておりますけれども、必ずしも自然発生的にこうした問題が起こっているわけではない。あるいは、必ずしも外国が支えなければこうした問題は解決できないということではない。逆に、今の占領体制が抱える問題点、欠陥によって、こうした治安にしても、経済復興の遅れにしても、分裂の危機といったようなものにしても生まれてきているという部分がございます。
 例えば、治安に関しても、これはよく言われますけれども、現在の占領体制、CPAが、戦争が終わって早々にイラクの旧体制の軍及び治安警察といったものをかなり無配慮な形で解体してしまった。それが一種バックファイアするような形で現在の治安の悪化を引き起こしている。言い換えれば、占領統治においてもう少し慎重な、軍あるいは旧体制のエリートに対する対処が行われていれば、こうした治安の悪化は防げたはずであるというような側面があろうかと思います。
 あるいは、そういった治安の回復のために、現在、イラク軍あるいはイラク警察といったものを新しく作り上げるというような方法を取っているわけですけれども、これに対しても必ずしも今の占領軍、英米軍がイラク軍やイラク警察を全幅の信頼を置いているかというと、そこも十分ではない。そういう意味では、全面的にイラク人にお任せするというようなやり方が中途半端な形で進んでいると、そうしたことがやはり治安の回復を遅らせている原因にもなっているわけです。
 さらに、戦後復興、これはイラク戦争後、ベーシックな生活インフラを改善する必要がCPAを中心とした連合国には国連決議で責務として認定されているわけですけれども、こうした英米軍、英米を中心に認められた、認められたといいますか与えられた責務としての戦後復興、これがどこまで進んでいるかということも大変おぼつかない部分がある。現在、電力あるいは水の供給あるいは失業問題といった様々な問題がまだ未解決の状態で、これもまた先ほどの話ではございませんけれども、治安の悪化に拍車を掛けるような一端にもなっているということがございます。
 さらに、これは今後の問題になるかと思いますけれども、現在、実はそうした経済状況の悪化にもかかわらず石油の産出能力だけは着実に伸びているという状況がございます。現在、大ざっぱなところでは二百万バーレル、日量二百万バーレルをちょっと切るぐらいの石油産出能力までは獲得しているという状況がございます。
 という今申し上げましたこの二百万バーレル、日量二百万バーレルという数字は、実は八〇年代の半ばごろに得ていたぐらいの産出量だというふうにお考えいただければよい。すなわち、既に湾岸戦争直後の経済制裁を受けていた非常に厳しい経済情勢から比べればかなり良い状況、かなり多くの石油産出を獲得しているという数字でございます。ちなみに、イラクの石油産出量のフル回転した場合の産出量は大体三百五十万バーレルぐらい、あるいは四百万近くと言われておりますので、少なくとも最大能力の半分以上には回復しているという事実がございます。
 なぜこの点について強調するかと申し上げますと、このように八〇年代半ば程度までには石油産出能力が上がっているにもかかわらず現在経済復興がなかなか進んでいないというのは何事かというようなイラク国民の意識、認識を生むような環境に今あるということは重要かと存じます。すなわち、問題は石油産出能力がないというような自己能力の問題ではなくて、産出能力はあるにもかかわらず、それが順当な形で国民の生活水準の向上に使われていない、使う側の問題、つまりガバナンスの問題、統治の問題でありまして、すなわちアメリカ、イギリスを中心としたCPAがちゃんとした石油収入の分配を行っていないのではないかというような、事実関係は別にいたしましても、そういった疑義を生むような環境に今あるというようなことが問題かと思います。
 三つ目の、イラク国内の分裂状況ということでございますが、先日来、シーア派の聖地に自爆テロが、爆発事件が発生したり、あるいはクルド勢力に対して自爆テロが仕掛けられたりというような事件が発生しておりますので、一種、すわ内戦、すわ宗派間、民族間の対立状況に至るかというようなことが危惧されておりますけれども、実は、こうした民族、宗派間の対立というようなものも、これはある意味ではイラク戦争以前にはイラク国内で余り見られなかった環境である。逆に、現在、CPAを補佐する形で設立されております統治評議会、イラク人による統治評議会というものがございますけれども、この統治評議会がイラク人になじまない形で、宗派や民族の配分ばかりを強調した形の構成に仕立てられていると。こうした、ある意味ではアメリカの対イラク認識のある一種の先入観、宗派的、民族的に分裂しているはずだというような先入観に基づいた政治形態の作り上げ方というものが、逆にイラク国内社会にそうした内部分裂の芽を生むというようなことになっているかと思います。
 長々と申し上げてまいりましたけれども、以上をまとめれば、一連のイラク国内が抱えております問題、解決すべき問題というのは、これは外国が特にその軍を中心にしてこぞって支えていかなければいけない問題ではなくて、繰り返しになりますけれども、そうした軍を中心とした占領体制、現在の占領体制を見直して、別の形のイラク社会の再編というようなやり方に切り替えていかない限り、こうした問題はむしろ深刻化するというようなことになろうかと思います。
 ここで申し上げたいのは、この国際貢献ということを考えたときに、とりわけ日本がこれまでイラクに対して何を貢献してきたかということを振り返って考えれば、あるいはイラク人の意識の中に日本がイラクに対してこれまでどういう貢献をしてきたかということを認識しているかといえば、これは七〇年代、八〇年代にむしろ民間企業が中心になってイラクの国家建設を支えてきたというような事実、これが恐らくそのイラク人の対日期待の根幹を占める部分ではなかろうかというふうに思います。すなわち、同じ国際貢献といっても、いわゆる援助に依存して、援助がなければやっていけないというような体制がイラクにあるわけではなく、むしろイラク人にとっては、イラクの石油を正当な形で売り、その収入によって正当な形で先進国、日本などのような先進国から良いものを輸入する、そしてそれを国内の高度成長に役立てていくというような一種の民間を中心とした対等な関係によって築かれてきた関係、これを現在のイラクは一番望んでいるといいますか、それを日本に期待しているという点が大変大きいのかというふうに存じます。ある意味では、日本に一番望まれている対イラク貢献は、そうした過去の民間を中心とした対等な関係をいかに回復するかというようなことこそが一番の貢献策というふうにみなされているのではなかろうかというふうに思います。
 このような形で見てまいりますと、それでは次に、政治的な枠組みを見直して戦後体制を再編するべきというふうに申し上げましたけれども、具体的にそうしたことを進めていくために何が今必要とされているかという点に移りたいと思います。
 その点は、下に、政治過程を正常化するための二つの方向性ということで二点挙げさせていただいておりますけれども、第一は経済復興、特に経済復興分野においていかにイラク人を登用していくかという点でございます。
 これは、先ほどちょっと申し上げましたけれども、例えば現在CPAを補佐する役割をしている統治評議会、こうした統治評議会が亡命イラク人を中心にして成り立っている、あるいは現在成り立っている閣僚、イラクの閣僚なども亡命イラク人が主導権を取っているというような状況でございますから、これをいかに国内のイラクの行政機関、行政母体に戻してやるかということが近々の重要性を持ってくるというようなことになろうかと思います。
 さらには、こうした経済的な側面だけではなく、政治過程においていかにイラク人が政治参入していけるかということが重要になってまいります。
 昨日発表されました、NHKやBBCなどの欧米諸国が合同で行いましたイラクに対する世論調査の結果を見る限りでは、現在イラク人が求めている政治体制、一番望ましい政治体制は何かという問いに対して、半数の人々が民主主義国家であるというふうに答えている。あるいは、民主主義に対して支持すると答えた人々は何と八六%に上るわけです。
 このように、現在のイラクでは民主主義の導入に対して大変強い期待が存在する。そして、じゃその民主主義の中身とは何かというふうに見た場合に、その民主主義の中身は自由と選挙である、選挙というのは言い換えれば政治参加であるという回答が返ってきております。
 このように、今イラク国内で最も望まれていることは、いかに個人の政治活動、政治的な意思表現の自由が認められるか、そしてそれに基づいた政治参加がいかに実現できるかというようなことになっているわけです。しかしながら、現在のアメリカの占領政策を見ている限りでは必ずしも、こうした形での民主主義の実現という方向にその状況が進められているかというと、そうではないというふうに言わざるを得ない。
 例えば、先日来問題になっておりましたけれども、イラク国内、特に、ここに挙げておりますけれども、イスラム勢力、イラク国内で一番住民の支持、信頼を得ていると言われているイスラム勢力の主張は、イラクに早急に直接選挙を導入するべきであるというような議論がございました。これに対して、国連などを含めて、現在のところは直接選挙をするには時期尚早であるというような判断が下されたわけですけれども、しかしながら、いまだにイラク国内での選挙、直接選挙に対する要求は非常に高いポジションにあるということであります。
 こうした、ある意味ではイラク国内の政治過程の正常化に対する要求に対して現在のアメリカの政策が必ずしも合致したやり方になっていないという状況の中で、日本がどのような形でそのイラクの要求あるいは期待にこたえていけるかということになるかと思いますが、先ほどの、引用いたしましたイラク国内での世論調査の結果としてもう一つ大変興味深い点がございます。
 といいますのは、現在イラクが外国の協力を得て復興を進めていく上でその外国、期待すべき外国としてどこに期待ができるかという設問がございますけれども、この期待すべき外国あるいは戦後復興にリーダーシップを発揮すべきなのはどこの国かという問いに対して、アメリカが一番多いということがございます。これは、いろいろアンビバレントな感情はございますけれども、今アメリカの占領下にある以上アメリカの主導を得ざるを得ない、あるいはもうちょっと悪い言い方をすれば、戦争でここまで破壊された以上責任取って直すものは直していってくれというような部分もあろうかと思いますが、いずれにしても、アメリカに対する期待があるわけです。
 それと同時に、同じぐらいの比率で実は日本に大変期待するという回答が高い。どちらも同じぐらいの数字で、アメリカあるいは日本に復興のリーダーシップを取っていってほしいという数字が上がっております。
 これはどのように解釈すべきかというのは大変難しい問題ですが、アメリカが期待すべき国として挙げられている一方で、逆にリーダーシップを取るべきではないという国の問いに対しても大変多く挙げられているということ、あるいはアメリカがイラク国内で必ずしも信頼を得られていないということを考えると、ある意味で、この日本への期待の高さというのは、アメリカに依存せざるを得ないんだけれども、なかなかアメリカには全幅の信頼を置けないと、特に力で占領されているというような環境を考えれば、必ずしもアメリカに全面的に依存するというのは気持ちの良いものではないという認識がどうもイラクの国内にはある。
 これは恐らく、イラクだけではなく中東全体に言える問題であろうかと思います。例えばイスラエルとの関係、あるいは様々なこれまでのアメリカの対中東政策の欠点ということを考えれば、アメリカに依存せざるを得ないような経済状況にあるけれども、政治的にはアメリカには全面的に依存し切れないというような状況の中で、ある意味でアメリカの代替としての日本というような、そういう認識が高まっているのではないかというふうに思います。これはある意味で、米ソ冷戦構造が崩壊して以降こうした志向は強くなっているのではないか。ある意味で、中東のような国々においては、米ソ二国対立があった時代には、アメリカに依存できないとなればソ連に依存する、あるいはスーパーパワー間の、二国間の対立状況を利用しながら中東が生き延びていこうとするという、そういう環境があった。
 恐らく、今は冷戦後の環境の中で、アメリカにチャレンジできる国がいないという中で、どうも日本に、そうしたチャレンジとまでは言わないにしても、アメリカとはちょっと違う形の国際貢献が日本であればしてくれるのではないかというような期待がこうした日本に対する期待の高さになって表れているのではなかろうかと思います。
 その意味では、今、日本に突き付けられている課題といいますのは、こうした期待、ある意味では若干その日本の置かれている現状とは違った形で期待されているという側面もあろうかと思いますけれども、アメリカの代替あるいはアメリカと違う形での日本の役割というものに対する期待に対してこたえていく方向で国際貢献を行うのか、それとも、そうした期待ではないよというようなことを、期待を否定した上で別の形の国際貢献をオファーしていくのか、そういう意味では二つの大きな選択肢の前に立たされているという状況ではなかろうかというふうに考えております。
 以上で私の報告は終わらせていただきたいと思います。
 御清聴ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、廣野参考人にお願いいたします。廣野参考人。
○参考人(廣野良吉君) ありがとうございます。
 今日は、こういう機会を与えていただきまして、私自身のいろんな意見を述べることができますこと、大変どうもありがとうございます。
 今日の私の議論は二つに分かれます。一つは、まず何といっても我が国が第二次世界大戦後たどってきた道というものを国際環境の変化の中で見ないと困るなと。というのは、やっぱり私自身たまたま約二十年間海外で生活してまいりまして、海外の大学あるいは国際機関で長く働いてまいりました。そういう立場から、どうしても日本というものを海外から見るということをやってきたものですから、そういうのを見るとやっぱりどうも我々は二つの点で必要だなと。もっと必要だと。
 一つは、やっぱり我が国自身の将来を考えるとき、あるいは現在、将来を考えるときには、どうしても歴史的な視点ですね、どういう歴史を持ってきたかということ、これをしっかりと持つことが重要であるという点です。それから第二番目には、国際的な視点というものを持つことが重要。この二つが最も重要で、正にこれから日本がどうしたらいいか、この憲法改正の問題を含めてどうしたらいいかということを考えれば、この歴史的な視点と国際的な視点が最も重要ではないかと考えております。
 そこで、皆さん方のお手元に、二番目として「戦後の変貌する国際環境の中で日本の地位・立場の変化」というふうに書いておきました。これを長く読んでいますと非常に時間が掛かりますので、この点についてはごく簡単に、次のように私としては要約しておきたいと思います。
 何といってもやはり一九四五年から五〇年というのは、これはたまたま私も当時中学生、大学生でしたけれども、そういう中で国連とか国際通貨基金あるいは世界銀行、ガット体制、そういうものの成立に見たように、世界全体が理想主義というものが主流であったと、そういう中で我が国の憲法が作られたということですね。世界の理想主義の中で我が国の憲法が作られている、これは非常に重要な歴史的な視点だと思っております。また同時に国際的な視点だと思います。
 それから第二番目に、一九五一年から七〇年ですが、この時代は正に基本的には円安の為替レートというものとガット体制、こういうものの二つに支えられて五〇年代、六〇年代の日本の高度成長があったと、高度経済成長があった。同時に、しかし残念ながら、これは私、残念ながらと言うんですが、日本の安全というものを単に日米安全保障条約あるいは安保体制に依存したと。そして経済発展だけに専念してきた。やはり我が国の安全を考えた場合には、我が国自身のやはり安全ということをもっとしっかり考えるべきではなかったか。それをアメリカというものに依存するという体制を取ってしまったということであるわけです。これもまた同時に重要な歴史的な国際的な視点です。
 それから三番目には、七一年から八〇年ですが、この時代は六〇年代後半から七〇年代にかけて、実は日米で物すごい大きな経済摩擦がありました。御存じのように、繊維、それから自動車、鉄鋼、産業機械、あらゆる分野でこういうような経済摩擦があったわけですが、またその経済摩擦を解決するために何を日本がやったかというと、単に経済外交というものだけでやっていこうとしたと、こういうことがあります。
 私は、この経済摩擦の中に実は背後には政治の問題があったと、こうとらえておりますので、特に私、当時アメリカに住んでおりまして、やはり日本に対するアメリカの非常に大きな批判というのは、ここまで大きくなった日本が、GNPから見て世界第二位にこのときなっているんですが、その国が何ら国際社会において経済以外の分野で何かしようとしないという、これに対する非常に大きな彼らの、言ってみれば彼らから見る不満というものがあったわけです。
 他方、今度はアジアを中心としたところのそういう対途上国貿易、あるいはODAの拡大、あるいはまた、そういうものによって何とかして対米、対欧州摩擦を乗り切ろうといった、こういう、私から見ると、またこの点もやはり、実はこの時代というのは、私はやはりアジアのいろいろな大学でも教えていたわけですけれども、やっぱりこのアジアの大学で教えていて私いつも強調したことは、例えば第二次世界大戦というのはどういう意味を持ったかということを学生といろいろ議論したときに、学生とはこれアジアの学生からです、日本人じゃない。アジアの学生から出てきた言葉は、先生いつまで第二次世界大戦のことを言っているんですかと、我々はもはや、もう高度成長時代に入ったと、だから我々としては何とかしてこれから世界をどう作っていくかということについて日本がどういうイメージを持っているか知りたいということであって、いつまでもいつまでも第二次世界大戦のことだけを言うなと。それよりも、そのことを学んで、そのことから教訓を学んで次の行くべき道を日本は考えるべきだということが、当時の学生からしょっちゅう私は言われました。当時の学生の中には、現在総理大臣になっている方もいます。途上国ですので、やはりそうなんです。
 それから、八一年から九〇年ですが、この時代は対米、対欧州、対アジア関係において実は何を日本がやってきたかというと、これも私はもう本当に端的に申しまして、ダブルTLと、政策と言っております。このダブルTLというのはどういうことかというと、TLTLと書くからダブルと言うんですね。TLTLというのは、実はツーリトル・ツーレート、ツーリトル・ツーレート。何事も遅過ぎると、それから小出しにするという、何事も小出しに、また遅過ぎにする。大胆な政治的な決定をしない、何事もその次に回してしまうという、次に次に回してしまうという、こういう日本のやり方。こういうことに対するところの大きな批判が、当時やはり、私自身この当時はニューヨークに住んでおりましたけれども、アメリカでもいろいろな批判ありましたし、またヨーロッパからも批判もありましたし、アジアからもそういう批判がありました。
 それから、同時に、こういうような中で、日本を取り巻く世界の経済、政治、社会、こういうものが、いわゆるグローバリゼーションというものが非常に進行していたわけであって、そのグローバリゼーションの中でやっぱり日本は目を閉じていたと。グローバリゼーションがどんどん進んでくるにもかかわらず日本は目を閉じて、やたらといわゆる経済外交だけに専念してきたと。
 それで、もっと端的に申しますと、資金供与型の、資金供与依存型の国際協力をしていた。お金だけ出せばいいんだという、こういう考え方。人を出さない、あるいは知恵を出さない、単にお金だけを出すという、こういうような日本のやり方というものが、やっぱり私も国際機関に当時働いておりましたし、そういう中でかなり日本に対する批判がいつも出てまいりました。私、もちろん日本人ですから日本の若干の弁護をするんですが、しかし、自分自身もやはりそういうふうに考えているものですから、必ずしも私の弁護はいわゆる正しい弁護じゃなかったと思いますが、いずれにしましても、そういうことでこの大きな問題がありました。
 それから、九一年から二〇〇〇年ですが、この時代はよく失われた十年ということを言われております。実は私はいろんなところで書いておりますが、失われた二十年と言っているんですね、失われた十年ではなくて。というのは、ちょうどバブルの崩壊が確かに九一年から始まりましたけれども、実はそのバブルの崩壊を起こした大きな理由は八〇年代にあったわけであって、特に八五年のいわゆるプラザ合意というものがそういうことにあったわけですが、いずれにしましても、こういうので、九〇年代というのはバブルの崩壊と日本の経済停滞、これはもう皆さん方がよく御存じのとおりです。
 それが一つの大きな課題であったんですが、もう一つ私は大きな課題がありました。これを私は、実は今後の日本を考える場合に非常に重要な課題と思っております。それは何かというと、当時九〇年代において国内外からの内政干渉というものの批判ですね、批判を恐れる、それから軍国主義復活という批判を恐れる、こういうことを恐れるために、日本は、世界第二の経済大国になったにもかかわらず、もう決して自分たちとしては政治の分野、あるいはまた政治以外の分野において積極的に外交を取ろうとしなかったということ、これがやっぱり私は非常に大きな日本のマイナスの点だったと思います。
 これは、特にいろんな、世界のいろいろな国から見ていると、私自身、外にいて見ていると、いつもこのことを感じました。やっぱり日本というのは、自分の経済力に見合った何らかのもっと積極的な外交をすべき、基本的には主体的な外交をすべきだったと思います。
 そういう意味で、我々は余りにも戦後のいろんな後遺症を負い過ぎていたと。私たちは早くその後遺症を我々としては打ち捨てて、やはり過去の歴史的な経験あるいは国際的ないろいろな視点から学びながら、我が国の基本的な主体的なものをやらなくちゃいけないかと思います。
 というわけで、実は二〇〇〇年代に入って、現在、これからの日本の国際協力、特に、私は今日、国際と平和協力、平和活動ということに対する日本の国際協力について話すということで考えておりますので、その点についてお話をしたいと思います。
 皆さん方のお手元に、この二ページのところに、そういうわけで、二〇〇一年から二〇〇四年という、現在について私、書いておきましたけれども、少なくとも、これも簡単に申しますと、やはり国内問題はさておいて、対外的に申しますとこういうことなんですね。ナイン・イレブンという九月十一日の米国での同時多発テロの発生、それからアフガニスタンでのアルカイダ掃討作戦、イラク戦争・占領、グローバル競争下での勝者と敗者の出現、世界的協調体制の崩壊、欧州連合の東方への拡大、米州自由貿易協定の締結、これは実は来年ですね、アメリカは、北米、中米、南米全部を合わせた米州自由貿易協定を作るということを宣言しております。
 そういうわけで、欧州自身も、御存じのように、EUは十五か国から二十五か国にもう既になる、この五月になるわけですけれども、そういう格好で世界がどんどん動いております。
 そういう中で中国が台頭してまいりまして、中国はASEANとの包括経済連携協定、枠組み協定を結びました。これは御存じのように、もう一昨年の十一月のプノンペンの会議でもって中国がそれを結ぶということをしたわけです。そういう意味で、また同時に上海経済協力機構ですね、これは特に中央アジアとの関係で中国が結んだ経済協力機構ですが、中国がこういう格好でどんどん出ているわけですね。ところで、日本は何をしたんだと。何もしていなかったと、こういうことです。
 私は、過去二十数年以来、東アジア共同体を作れということをずっと我が国の政府に申し入れてきた人間ですので、そういう意味で、この東アジア経済共同体あるいは東アジア共同体について若干でも進歩が確かにありました。
 特に、御存じのように、我が国のかつて総理でありました橋本総理がそのときに決断を下しまして、ASEANプラス3というのに初めて参加してくださいましたけれども、その後の小渕総理並びに森総理、それから現在の総理ですね、小泉総理もすべてこれに参加しておりますが、ただ、そういうことに参加しているということは私、非常に高く評価するんですが、どの程度真剣かということになると若干の疑問があるということで、やはり私たちは、こういう大きな、アメリカにおける大きな変化、北米、中米、南米を含めた大きな変化、それからまた欧州におけるところの二十五か国体制、それからその二十五か国がやがて三十か国になりますけれども、そういうEUの大きな、エネルギッシュなダイナミックなそういう変化に対して、一体日本が何をしてきたんだということですね。
 そういう意味で、私は、ここにも書いておきましたけれども、対外的には狭義の国益の追求に執着してきた日本の対外戦略を根本的に見直して、やっぱり貿易とか投資とか援助とか環境とか文化とか政治、安全保障、こういうものをすべて有機的に結び付けた、包括的安全保障という言葉を使っていますけれども、そういうものを目指した新しい長期ビジョンの対外戦略、それからまたそういうための原則、それからロードマップ、こういうものを我が国は早く作らなくちゃいけない。そのためには、どうしても私は、我が国の場合には、非常にいろいろ今課題になっておりますけれども、憲法第九条の第二項、これを改正しなくてはならないというふうに私自身は考えております。
 そういう意味で、具体的な目標として、もう既に皆さん方国会議員あるいは日本の行政府とは別に、セカンドトラックという格好で学者の間で特に議論されている点でございますけれども、私たちはもう既に、北東アジア環境協力機構であるとか、あるいは日本・ASEAN包括的経済連携協定、あるいはまた日本・ASEAN安全保障協定、あるいはまた貿易、投資、援助、環境、文化その他を含めた包括的な安全保障を基本とした東アジア共同体の構築の模索をもう既に我々、セカンドトラックでもってやっております。
 そこで、こういうようなことをやっていく上において何がやはり我々は将来考えていくべきかということについて次に入りたいと思います。
 まず、長期的なビジョンとその原則でございますが、そこに書いてありますとおり、私たちは、グローバル化した二十一世紀ということをまず頭に置かなくちゃいけない。何しろこの経済は、この世界はグローバル化しているんだということですね。このグローバル化ということを、やっぱり私たちはこういう視点、これは一九四五年とは非常に違います。そういう意味で、このグローバル化したところの世界という中で我々がどうしていくかということになると、そこでは、やっぱり私たちが一九四五年に掲げた理想というものをやっぱり追い続けることも一方で重要であると、他方では現実にもっと目を向けなくちゃいけないという、この二つがあると思います。
 そういう意味で、この長期的なビジョンとしては、そこに、もうこれは当たり前のことですけれども、書いておきましたように、個人の尊厳と公正な市民参加に立脚した地域社会の構築、国民の安全と福祉を保持し、国際社会においては一国平和主義を排して、地球益を包含した広義の国益に立脚した国際連帯意識というものを持たなくちゃいけない。そういう中で、地域協力と国際協力、この二つを柱として、世界平和の維持・構築、民主化の進展、今、先ほどイラクの話がありましたけれども、そういう民主化の進展、それから地球環境保全と両立する世界経済の発展・安定というものと南北格差、南南格差の縮小を図り、もって現在言われているところのMDG、新世紀開発目標の達成に努めると。これが私は我々のこれからの長期ビジョン、例えば憲法を改正するならば、その憲法改正の中にしっかりと前文に入れるような考え方ではないかと思います。
 それから第二番目には、こういうような長期ビジョンを達成するためにはやっぱり原理原則が必要です。特に、私、欧米諸国のいろいろな大学で教えてきていつも言われたことは、日本というのはどうもその原理原則がはっきりしていないと。私、日本人としてはやっぱり割合とはっきりしていると思うんですが、どうもやっぱり彼らから見ると必ずしもはっきりしていないと。どうも日本人というのは感情で動くと。これは日本のある大学で教えている先生もそういうことを言っておられましたけれども、やっぱりもうちょっとそこに原理原則をはっきりすべきだなということは感じます。
 特に、この政治のグローバリゼーションが行われている現代、特に民主主義というものをお互いに共有しているこの社会においては、世界においては、やはりそういう原理原則というのははっきりさせる必要がある。これもやっぱりちゃんと憲法の中に、もちろん新しい憲法の中には書かなくちゃいけない。そこでは、国民主権、それから個人の尊厳と思想・信仰・言論・集会の自由を根幹とした基本的人権の尊重、それから自立の促進、それから自主的な参加、機会の平等の確保、多様性の尊重、公正の実現、国内・国際連帯意識の高揚、情報の公開、透明性の確保、それから受託責任あるいは負託責任。
 日本では、最近ずっとこのところ使われている言葉はこのいわゆる説明責任という言葉ですが、英語で言うアカウンタビリティーを説明責任という、だれが訳したか知りませんが、これは間違いです。この間違いを私はもう何回も行政に対し指摘し、また日本のプレス、新聞にも、マスコミにも直すように申し上げましたけれども、御存じのように日本のマスコミはツーリトル・ツーレート、いつもいわゆるやらない考え方ですね。何事も後へ回すというやはり考え方で、実はこのアカウンタビリティーという言葉は、基本的には受託責任あるいは負託責任であって、決して説明責任じゃありません。単に説明すれば済むという問題ではないということ。
 そういう意味で、国家の基本理念とか国の政治構造、国民の基本的な権利義務を定める憲法というのは、これらの長期ビジョンとか原則をはっきりと明記するということが重要ではないかと思います。
 そこで、今日の課題である国際平和維持活動あるいはこの構築、平和構築活動推進のためにどういうことを我々として考えなくちゃいけないかと。私は、実は昨年、皆さん方の一部の中では御存じだと思いますが、ADP委員会というのを立ち上げました。このADP委員会というのは、皆さん方のお手元にありますように、平和構築・民主化支援の委員会でございますが、幸いにも、この委員会を立ち上げるにおきましては、自民党、それから公明党、それから民主党、それから社民党、それから共産党とすべての政党から非常に歓迎されました。そして、そういうわけでこのNGOを今私は理事長として始めましたけれども、この考え方の根本にありますのは何かというと、今申しましたように、やっぱり我が国の場合には、長期ビジョン・原則をしっかりと達成するために対外的にはっきり自分たちが何をやるかということを考えなくちゃいけないということ。そこに三つの選択できる道を書きましたけれども、当然、この三つは選択できるけれども、そのうちの二つは選択すべき道でないということで書いておきました。
 これはここに書いてありますので、特にここで時間がありませんので申し上げませんが、私から見ると、第三の選択、すなわち第三の選択というのは、国連平和維持・構築活動や国連安全保障理事会の決議に基づく国際平和活動を、国連憲章に基づいて推進することは現行憲法第九条二項の違反となるので、現行憲法を保持するために国連を脱退するというような、こういう、済みません、これはちょっと、私は間違いがあります。
 いずれにしましても、こういうことで、私としては、こういう第三の選択は駄目だ、それから第二の選択も駄目だと。それから、そういう意味で、この第一の選択こそ、最後のところは、これ第三ではなくて第一の選択です、ごめんなさい、四のところは第一の選択でございますが、この第一の選択こそ日本がやるべきである。
 それは何かといいますと、やはりこれは、国連平和維持活動、構築活動や国連安全保障理事会の決議に基づく国際平和活動を国連憲章に基づいて推進することは現行憲法の第九条二項の違反となるので現行憲法を改正すべきであるというのがこの点でございますが、いずれにしましても、こういうことで、国連憲章に基づいて我が国は、我が国の憲法改正というのを考えることが最も現代社会において、グローバル社会において重要なことではないかと思います。
 そこで、私自身の非常に強調したい点というのは、こういうことをやる上において、大変残念ながら我が国の国内でまだ十分な議論が起こっておりません。幸いにも、国会におきましてこういうような憲法についての調査会ができまして、そこでもって大いに国民的な議論を展開しようということでございます。これは大歓迎であって、是非そういうようなことをやっていただいて、日本の国民に真剣に我が国自身のいわゆる国際的な役割の在り方、そういうものをしっかり考えてもらいたいと。そのときに、同時に憲法についても考えてほしいということで、こういうような憲法調査会ができたということは、私、非常にうれしく思っております。
 そこにありますように一種の待ったなしの状況でございますので、何とかして、我々、この時期をうまく使って、我が国の国民がやはりこの憲法改正についてやっぱり国民投票を通じてしっかりとやれるような、そういう案を国会でもって大いに議論していただいて皆さん方に提供してほしい。やっぱり国民は、こういう問題について十分な議論がないとなかなか分からない。だから、これは正に国会が議論すべきことであって、国会で大いに議論していただいて、それを、したがって、最終的には国民が判断するということが重要ではないかと思います。
 その場合に、ここに書いてありますとおり、何とかして私たちは原理原則というものをはっきりさせた上で、そしてその中で長期ビジョンというものをしっかり持って、我が国の置かれた立場、国際社会における立場、これは、もちろんこれは時代によって変わってくるわけでございますけれども、こういうものをしっかりと世界に訴えていくと、もっともっと積極的な外交政策に日本が入ることが重要ではないかと思います。
 以上でございます。
 どうもありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終了いたしました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
 なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問かお述べください。また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。
 松村龍二君。
○松村龍二君 自民党の松村龍二でございます。
 本日は、憲法調査会「憲法と国際平和活動、国際協力」というテーマで、猪口先生、酒井先生、廣野先生から、それぞれ長い経験に基づく非常に貴重な御示唆、御意見をいただきまして大変参考になったわけでございます。まずもってお礼申し上げるわけですが、正直申しまして、この最後、廣野先生からは憲法改正を提言するようなお話にもなったわけですけれども、現在の憲法下で戦後のいろいろな自衛隊の在り方、日本の海外協力が進んできたわけでございますので、直ちに憲法とこれらの国際平和活動、国際協力がどういうふうに関係しているのかと、憲法調査会という立場からどういうふうに改正していかぬといかぬかということがちょっと話題にしにくいような感じで、私もちょっと質問に困っているわけですけれども、正直そういうことを申し上げまして、お三方に対して幾つかの質問をさせていただきます。
 まず、酒井先生は、いつもテレビ等でイラク問題について大変知識の、現場のことに精通したお話がありまして、今日御説明ありましたように、イラクに日本が入っていくということについて、あるいはアメリカの現在のイラク統治の在り方について批判的な見方をされるわけです。
 昨年、国会でイラク人道支援法が成立いたしまして、それに基づいて自衛隊が現在行っているわけですけれども、あの法律では、あくまでも戦闘が行われていない地域で活動するということを法律は決めたのに、しかも防衛庁長官の説明は繰り返し繰り返し、これは地域的な概念ではないんだ、憲法九条に違反しないということを法文上、法律上言っただけの話であって、どこの地域が安全だ、安全でないということではないんだという御説明であるにかかわらず、サマワは安全な地帯であるというふうなことで行っているような感じもするわけで、法律を真っ向から無視して動く政府でないかと、こういう批判も出そうなことを恐れるわけですけれども。
 ところで、現在サマワへ行っておりますことは、非常にイラクの中で不思議と安全を保っておると。これは、先日NHKの奥参事官を扱った番組を見ておりましたら、奥さんの珍しい発言といたしまして、自分はイラクへ行って連合軍の中へ入ったときにもうすぐ感じたことは、アメリカというのはイラクの石油をねらってすべて組み立てているということが分かったというふうな番組がありまして驚いたんですけれども、そういう中で、現在サマワが選ばれたというのも、フセインにいじめられた地区である、したがってフセイン派の人たちが活動しにくい場所である、それでなおかつサマワの住民が日本に期待するという点で、奥さんが非常な炯眼であの地区を選んだために非常に安全なのかなというふうな気もするわけですけれども、ただ、これ陸続きのイラクの国内でいつどんなことが起きるか分からないということも心配しないといけない。
 それから、日本政府の判断といたしまして、アメリカは民主主義を敷衍するため、独裁政治を排除するために必要だったんだというふうな開き直りの発言もあるわけですが、日本もそれに近いことを外務大臣が答弁することもあるわけですけれども、しかし民主主義を広めるということはアメリカ人ほど日本人は使命感がない。イラクはイラクでイラク人がイラクを支配していれば構わぬのじゃないかといったふうな気持ちの方が強く働くというふうな国柄かなというふうに思っておるわけです。
 そういう点で、今回、まず酒井先生に御質問は、今度のイラク情勢から、今の私のコメントに対する御感想と、憲法上日本が今後こういう活動をする上において何か変化を作る必要があるのかどうか、その辺についてお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(酒井啓子君) 御指摘ありがとうございます。
 今の御指摘については、サマワが安全な地域であるというふうなことで選ばれたということについての、それが本当に恒久的に続くのだろうかどうなのだろうかというような点に御関心がおありかと伺いました。あるいは、民主主義の導入というようなアメリカの意向に対して、日本が若干違う、そこまで使命感に燃えていないのではないか、燃えるような立場にあるわけではないのではないかという御指摘かと思います。そして三点目、憲法上、果たしてどのような措置が必要なのかという点でございます。
 まず、サマワの安全状況でございますけれども、これは確かにおっしゃるとおり、現在までほかの地域に比べれば比較的安全でございますが、特に大きな政治抗争が起こっている地域ではございません。これはひとえにサマワが、サマワという町あるいはサマワを含めたムサンナ県という県がイラクの国内でも大変人口密度の低い、絶対人口としても下から二番目というような、言ってみれば非常に過疎地に当たる地域でありまして、経済的にも政治的にも主要な中心地、地帯というものではないという、そういう側面がかなりあろうかと思います。
 といいますのも、同じようにフセイン政権にいじめられた、フセイン政権に抑圧された地域であっても、例えば南部のナーシリヤでありますとか、あるいは北部に、若干北の方にあるシーア派の聖地であるナジャフとかカルバラなどといったような地域は、経済的に中心地域になっているとか、あるいは政治的な重要性を持っているというようなことで、既にいろいろな、これはフセイン派、反フセイン派というような対立だけではなくて、同じ反フセイン派の中でも様々な派閥抗争がございまして、そうした派閥抗争に巻き込まれる形でいろいろな都市、地域が政治的に流動化しているというような現状がございます。
 サマワの場合はそうした、ある意味では経済的にも政治的にも、それぞれの政治派閥がねらうほど大きな資源がなかったというようなことだろうかと思いますので、そういう意味で、これまで余り各派閥ともにサマワを拠点にして、あるいは地盤にして何かやろうというような、そういう発想とは無縁な地域であったかと思います。
 ただ、これが今後恒常的に続くかどうかということにつきましては、とりわけ今後、いずれにしても今年の終わりあるいは来年の初めには直接選挙、しかも県別、地方別の、いわゆるその地方から議員を選出していって中央政権を組み、確立していくというような形での選挙が導入されることになりますので、これまで政治的、経済的に重要性がなかったと言われて、ある意味では各政治勢力からは余り注目を浴びてこなかったサマワでも、一つの選挙区は選挙区と、地盤は地盤という形で、いずれにしてもいろいろな政治勢力が触手を伸ばしてくる可能性というのは十分あるわけでありまして、既に一定の水面下のそうした駆け引きといいますか、抗争はあるということも、報道もございます。こうした政治的な抗争がただ単に政治的な選挙をめぐる駆け引きにとどまらず、武力による衝突というような形に転化していくことになると、これは必ずしもサマワが安全を維持できるというわけではなかろうかというふうに今考えております。
 二番目の民主主義の点でございますけれども、先ほど御指摘させていただきましたように、今のイラク人の大半が内容はともあれ民主主義というものに対して非常に大きな期待を抱いている。しかし、その内容を見る限りでは、例えばこの民主主義に相反するものは何かという問いに対して、独裁とか不正義、正義ではないという、あるいは搾取といった項目が民主主義とは相入れない項目なんだというふうにイラク人は認識している部分がございます。
 その意味では、これはアメリカ型の民主主義あるいはヨーロッパ起源の民主主義云々というよりも、ある意味で自由と政治参加を求め、他方、不正と搾取、独裁を嫌うという、ある意味では人類普遍の価値基準をイラク人も求めているにすぎないというようなことがあろうかと思いますので、その意味では私は、三番目の論点にもつながりますけれども、日本の持っているいわゆる民主憲法というものは十分、イラク人の今後の憲法制定あるいは民主政権の設立に対して十分モデルになり得るのではないかという、特に軍事独裁という、軍に依存した独裁体制というものに対するアレルギーといいますか、そういったものに辟易してきたというイラク人の今の心情から考えれば、日本の経験、戦後の経験というのは十分共感を得るような内容ではなかろうかと思います。
 最後の憲法上の問題につきましては、私はイラクの問題に限って申し上げました。基本的には、自衛隊が戦後、イラクの戦後復興に果たせる役割はそれほど大きくないのではないか、むしろ別の形での貢献の方が効果的ではないかというような視点でお話しさせていただきましたので、その意味では、取り立てて憲法を、このイラク、対イラク貢献に関して憲法を何らかの形で変えなければいけないというような必要性は取りあえず今のところ私は感じておりません。よろしゅうございますでしょうか。
○松村龍二君 どうもありがとうございました。
 次に、廣野先生にお伺いしたいと思いますが、廣野先生は非常に明快な、戦後の経済、国際平和の構築問題、経済状況の在り方から日本がどうあるべきかと、また憲法上もどういうふうな改正が必要かと、現在のようなあいまいな形でなくて、国連軍ができればそれに参加できるようなふうに持っていった方がいいというような御主張であったかと思います。
 非常に明快な御説明で、ただ、これは長く外国におられたので、やっぱりこちらも明快な議論が、立場が、理論がないといけないと。ちょうど明治維新に、日本が西洋文明と接したときに、日本にしっかりしたものがないといかぬというので、天皇の、明治体制、明治憲法、明治天皇体制が作られたような意味で、何か、日本もどうしてもしっかりした議論は作らざるを得ないというような面もちょっと私なりに感じたわけですけれども。
 そういう中で、非常に日本がダイナミックな外交を展開していく上で、先生の言われるような問題が、今、日本の小泉総理が、アメリカとはいいんですが、中国あるいは韓国に対して、国自体は決して軽視していないわけですが、総理自身が何か軽視しているような感じを受けるわけですが。しかし、これは中国という国が共産主義体制の国で、日本に対して、戦争は日本の帝国主義、軍国主義がやったことだから、その軍国主義の人だけに責任をなすり付けて、日本人民は悪くないんだと、日本国民と中国人と仲良くするために靖国が悪いと、それに守るから絶対許さぬと。あえて小泉さんはそれに挑戦しているようにも受け取れるわけなんですが。
 しかし、はっきり日本の総理が、中国と仲良くいかないということは、ダイナミックなアジアの構築ができないというふうにも感じますけれども、これについて、廣野先生、どのようにお考えでしょうか。
○参考人(廣野良吉君) 私は、一九七四年、ちょうど中国が文化大革命で荒れているときですが、そのときに周恩来総理の御招待で参りました。それで、参りましたけれども、それはあくまでも、私は一日本人として行ったんじゃなくて、たまたま国連の職員であったというところ、中国が国連に加盟したばかりだったものですから、何とかして、国連というものはどういうものであるか、あるいはまた国連の主体となっているアメリカあるいはヨーロッパあるいは日本の経済というのはどういうものであるか、市場経済体制というのはどういうものであるかということに講義に行きました。
 そういうわけで、これはちょうど文化大革命のさなかですから、道路の上では毛沢東、毛沢東ということばっかり聞いていましたけれども、社会科学院でこの議論をしたときには、やはり中国自身は、やがてこれからは開かれた中国にならなくちゃいけないなということを言った学者がその中におりました。その学者は、後にもちろん、中国では今非常に尊重されております。
 こういうことで、中国自身はやはり非常に大きな変化を一九六〇年代、七〇年代、八〇年代の中で、特に七八年のトウ小平のあの新しい政策の下で新しい動きを中国はしたわけです。
 ただ、問題は、中国の場合にはこういう格好で経済的に開かれていくということをやったわけですが、御存じのように、経済改革はどんどん今進めておりますけれども、国有企業の民営化その他を含めてやっておりますが、政治改革はなかなか中国は進まないわけですね。これはやっぱり、中国の共産党という一つの一党独裁政治がありますので、それを早急に変えるということはなかなか難しい。ただ、変えているのは、やっぱり共産党員の中にも資本家をこれから入れるというのは、明らかにこれは大きな変化ですので、そういう中で中国自身はこれから変わっていくということを私は考えております。
 変わっていく中国と日本がどうやっていくかということが重要ですので、日本は日本として、やっぱり日本人が信ずるところのことをしっかりと中国に伝えていくということが重要かと思います。そうしないと、また逆に向こうから信頼されないと、しょっちゅう変わるようじゃ困るということだと思います。
○松村龍二君 最後に猪口先生にお伺いしますが、御説明の中ではなかったようですが、国際連合平和維持活動待機軍、アジア平和維持活動待機軍というものを作ったらという御提案を主張しておられるようですが、現在の自衛隊が目的に応じて編成されて行く方が、事の性質が違うと、部隊のローテーションとかあるいは装備とか、固定的な待機軍というものを作ると、かえって今の自衛隊が状況に応じて編成されて行く方が能率的ではないかというような意見もあるかと思うんですが、先生、どのようにお考えでしょう。
○参考人(猪口孝君) ありがとうございます。
 まあこれからどういうふうに考えるかですけれども、ドイツみたいに、連邦共和国の中の連邦共和国軍の軍隊の中でいろんな役割をある程度区切っていくというふうにするのも一つかと思いますし、全く自衛隊と別に何か作るというのもあるんですけれども、今は日本はそんな大きなの考えているわけじゃないですから、現行のままでこのミッションを新たなものとしてしっかりと作っていくというのが重要かと思いますが、ただ、地域的とかあるいは地球的な広がりとしてそれと一緒にやるというふうなことを考え始めた方が、日本にとっては、何といいますか、少なくとも現行憲法下では、この何といいますか、それが正当化しやすいという面があるので、やっぱり国連の決議に従って何かやると、それで日本もそれに基づいて、のっとってやるというような形があった方が、常に日本にとっては、一人だけで何かするというのはちょっとこう非常に難しいところが、新しくなった憲法でも恐らく残り続けると思うんで、そこら辺は考え始めた方がいいと思いますよ。
 自衛隊の運用として、大きな中でいてローテーションするとか、装備だとか訓練だとか、いろいろあると思うんですけれども、何というか、もうちょっと地域的、国際的な広がり、それから行動、軍事行動になるわけですから、それをどういうふうに、レジティマシーといいますかね、正当性を付与するだけの大きな大義名分の下でできるかということを考えないと、なかなか自衛隊だけで何とかすると言っても、それは、軍事的に行動としては同じだと言っても、大義名分がくっ付いているか何かでは大違いで、逆効果になる面も多いわけですから、そこら辺を考えてこれから大いに議論が進めばそれでいいんじゃないかなとは思いますけれども、いろんなやり方があって、何とも今の段階ではああともこうとも言いにくいところはございます。
○松村龍二君 どうもありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 川橋幸子君。
○川橋幸子君 民主党・新緑風会の川橋幸子と申します。今日は三人の参考人の先生方、貴重な話をありがとうございます。
 最初に、大変、自分のことを言い訳させていただくという無礼をお許しいただきたいと思います。今日は私は、自分で希望してこのテーマについての質問をさせていただきたいと理事の方に申し出て、そのように実現しているわけですけれども、私最初に、今日のテーマの中で、自分勝手にきっと取ったのでしょう、国際協力という言葉がこのところの参考人質疑の中では今日初めて出てきた言葉だったものですから、むしろ政府開発援助の在り方とか、あるいは国連を通じての様々なマルチの援助の在り方とか、そういうお話になるのかなということで、こちらの問題意識がずれていて、先生方の御説明、よく理解できないところもあるかと思います。何か質問に先立ちまして言い訳がましくて申し訳ございませんが、そういう人間ですが質問をさせていただきたいと思います。
 まず、猪口先生に、今日は大変長期的な物の見方を伺ったのだと思いますけれども、その中で、私の受け止め方の中では、普通の国ということを非常に強調されたような感じがいたしました。それぞれ国によって国民性なり文化なりによって国の在り方というのは違うんだろうけれども、普通の国というのは多分人権が大事にされて、民主主義国家であると。もう一点は軍事的な手段、行動はできるだけ避ける、これが普通の国だと。いともあっさり常識的な説明をされますと、何となくこのところ、普通の国だとか、いや、日本としての平和主義を守るための、日本のアイデンティティーを守るとしての国の在り方と、何かかんかんがくがくやってきたのがちょっとトーンを外されたというんでしょうか、そんな感じがしたわけでございます。
 それで、改めてその普通の国、小沢一郎さんが最初に使った言葉かも分かりませんが、あのころは、やっぱり独立主権国家なら自国民の生命、財産を守るためにやはり軍事的な組織、何がしかの力を持つのが普通の国だという、こういう発想が当時は普通だったのではないかと思いますが、今先生がおっしゃったような普通の国ってどういう文脈、コンテクストでこの普通の国と私どもは理解すればよいのかも、いま一度お話しいただきたいと思います。
○参考人(猪口孝君) ありがとうございました。
 言葉というのは使う人によって大きく違いまして、ローグステーツ、無法国家なんてブッシュ大統領が言えばそういう意味になりますし、それから、日米摩擦のころ活躍したやはりアメリカ政府の役人だっただれかさんの本によれば、ローグステーツと書いてあって、ユナイテッドステーツと書いてあって、アメリカが無法国家だというような本を書いている人がいるぐらいですから、そのぐらいの差はもういつでもありまして、小沢一郎議員の普通国家と私の普通国家は激しく違っているという気もしますし、そう違ってもないような気がしますし、余り難しいことじゃなくて、やはりこの二十一世紀に入ったところでは、とにかくちゃんとした民主主義ができない国が普通であるわけがないと。普通でないへんてこな国であっては、世界の大義名分を一角を担って実現するということは恐れ、恐れ多いというかずうずうしいと、そういうことですね。
 それから、人権、要するに国単位で活躍するという、何というか、行動するというのは、一方ではありますけれども、もう一人一人の人間を何とか大事にしようと、大変な目に遭っている人は何とか助けを差し伸べたいと、こういう意識も非常に強くなっているわけでありまして……
○川橋幸子君 軍事的な手段の方の。
○参考人(猪口孝君) はい、はい。──いいんですか。
 それで、三番目は、やっぱりとにかく経済は市場経済、自由市場経済ということで、大変なこともあるけれども、何とかみんなで助け合おうというところが出てこないと普通の国になり得ない。
 ただ、そういっても、とにかく破綻国家とかいろいろ難しい国家も、国家といいますか、社会がありますから、軍事力というものがある程度出てこなければ駄目な局面も幾らでもあると。こういうときに、何もただ茫然として涙流しているというんじゃ駄目なんで、これが駄目だと言っているのでありまして、それも大義名分のために力を使うことはやむを得ない局面もあるだろうと。
 日本は、ましてや得意じゃない。何かやわやわやわやわした人ばっかりでどうも駄目だというんだったら、それはそれである程度はいいと。ただ、ちょっとそういうみんなの指導的な立場になっている政府の中では、日本には必ずしも最も激しい、海兵隊に要求するような激しい面倒くさいことをアサインしても何もうまくいかないに決まっているからやめようとか、そういう形で、得意得意で分担していくというような感じで考えていけばいいんだろうと思って、とてつもないことを日本に頼まれても、あるいは自分で課しても、そんな無理なことを、嫌、嫌なことは嫌なわけですから、いくと。
 ただ、地球全体の人類としては、そういう局面もあるだろう、そういう仕事もあるだろうというぐらいに考えていないと、国単位で、私はそういうところにはかかわりたくないというだけでは何とも、だんだん一体化しているわけですから、うまくいかぬのです。
 そして、経済の仕組み自身が、その国は駄目だから、国民性がちょっと変わっているからへんてこになっているというんじゃなくて、大きな経済の仕組みの中で何か、何というか、まずいカードを引いちゃったなというか、そういう立場に追いやられているなという国がわっと何十もあるわけですね。それに対して、ある程度やっぱりこっちはよく考え、親身になって手を助ける、できることで助けるという、そういう精神がないと普通の国ということは言えないと思うんですね。そういう意味で私は普通の国を考えています。
○川橋幸子君 私の聞き方が悪かったんだと思い、また私、先生にだまされたような感じで、丸め込まれたような気がいたします。
 じゃ、ちょっと聞き方を変えまして、憲法は改正されるでしょうということで、御自身の主張というよりも、そういう事態になるでしょうという、そういう御表現の仕方をなさったことが私、頭に残っておりますのと、それから国際協力については、まあ日本は大変よくやっているし、やり過ぎというような、そこまではおっしゃいませんでしたが、非常に断トツにやっているけれども、まあそういうところで頑張るのもいいのでしょうねという感じで受け止めたのですが、この二点について、もう少し分かりやすく短い言葉で御説明ください。
○参考人(猪口孝君) ありがとうございました。
 私の今申し上げたような普通の国というような形をもっとより良く実現できるような憲法を作るということであれば非常にいいことだと思うし、そうでなければまあ一定の留保があるだろうということであります。
 国際協力についてですけれども、これはやはりもうちょっとよく考えないと駄目だという気はしますね。どんどんやるのは非常に大賛成で、それでいろいろもうちょっと頭を、それからもうちょっと現場といいますか、それぞれの苦しみ、悲しみがあるところに何をしたら一番うれしいのか。それで、必ずしも歓迎されなくても、多分この時期ではやったらいいというようなことはどういうものなのか。それをやるためには、どういうふうなスキームを使ってやったらいいのか。国連を通じてなのか、世界銀行を通じてなのか、あるいは日本独自でやるのか、あるいはいろんな形で、もう少しコンソーシアムみたいのを作っていくのかとか、いろいろもうちょっと頭のある国際協力と言っちゃ申し訳ないんですが、何かないみたいで悪いんですが、まあもうちょっと、これだけ財政的な問題が多くなったときはもうちょっと頭を使う分が、しっかりした方が実効的なものになるんじゃないかなという気もします。
 それは、もちろんもらう方、もらうといいますか、現場に行く、いろんな声を聞かなきゃ駄目だし、いろんな複雑な文化的、歴史的、いろんな部分の事情がありますから、それをもうちょっとやらないで、こう何といいますか、見ていると、まあとにかく数字が何パーセント、見ただけで何となくげっそりするみたいなのばっかりというのは何とかならないかといつも思っているんですけれども、とりわけ、とにかくアメリカが必ずしも軍事的にはすごいですけれども、その他の面ではまあどういうふうに気分が変わるものやらよく分かりにくい二十五年がこれから来ると思うんですね。そうして、ヨーロッパといいますか、西ヨーロッパ自身が嫌気が差しているみたいな、アメリカと一緒にやるところはちょっと半分ぐらい嫌気があるわけですから、これどうすると。
 これは何かもう日本が急に矢面に立たされて、また金ばっかり出してもう大変なんじゃないかという心配もないわけではなくて、とりわけイラクがすごく長くなって、もう金は切りなくなんていうことになったら、いや、いやちょっと嫌だなという気もするし、プラザ合意みたいに一九八五年なんか、ドルを助けるというか、アメリカの経済回復を助けるというような形で物すごいお金が流れていったんですが、その挙げ句が激しいバブルの崩壊であり、形成であり崩壊であり、すごい後遺症が長かったんですけれども、このマドリッド合意というのは、これはまたこの激しいバブルを今度は形成するような形になるんじゃないかとちょっと心配で、日本銀行が大量にこのドル買いして、ミスター・ドルは出てきておるんだそうですけれども、激しくやり過ぎると、どんなにこの時点でインフレを阻止するためのチェックが、工夫がすごく上手になっていますけれども、いろんな形で市場というのはそれをアウトマニピュレートというか、アウトマヌーバーするみたいなのを市場の力というのは必ず働きますから、そういったときにどういうふうにできるのか。そんなときにまたイラクで、うわっとすごい出費が重なるんじゃないかなと、いろいろ心配しておりまして、国際協力についてはもうちょっと頭を働かしてほしい。
 それから、ある時点でうまくいくだろうと考えたものをミクロで考えたときはうまくいくことが多いんですけれども、中期的に五年とか十年になると一気に局面が市場の力で変わっている場合が非常に多いんですね。それがチェックしないでずっと同じことをやっているというのが、この日本の、何ていいますか、政治といいますか、行政の一つの悪いところでありまして、駄目になって、もう地獄の奈落に落ちてからしまったみたいなのんきな話で、何か僕はそこのところ、国際協力の在り方自体もそうですけれども、その国際的な出費ということについて、もうちょっと、何ていうか、局面、局面にチェックする機能があったらいいかなといつも思っております。
○川橋幸子君 ありがとうございました。
 それでは、酒井先生にお伺いしたいと思います。
 アメリカのイラク攻撃が始まってちょうど一年たったところで、今メディアの中ではこの一年を総括するような番組がたくさん出ております。アメリカの戦略は失敗だったのではないかという、こういう見方が強いのではないかと思います。それから、復興支援の在り方につきましても、やっぱりアメリカの先入観が強過ぎるというんでしょうか、イラク社会の理解が足りない、だからイラクになじまない格好で復興支援をやって、これも失敗というんでしょうか、攻撃面においても、攻撃面においてもというのはちょっと変な言い方でございますけれども、それから復興においても、その両面においてアメリカの先入観が余りにも強過ぎて失敗であったという、このように私は理解させていただきましたけれども、それでよいのかどうか。
 二点目といたしましては、さてそうはいきましても、日本は自衛隊を出し、あるいは様々な支援費、多額にわたる支援費を出してやっているわけでございますけれども、日本への期待というものが、どうやら日本人自身がちゃんと理解していないのではないかと。多分、アメリカができないことを日本にむしろイラクの人は期待しているようではございますけれども、逆に言えば、日本は何のためにあれだけの戦費を出し、それから自衛隊を派遣したかといえば、有志同盟の要請にこたえたというその部分が強かったがために、日本自身もイラクを余り理解していないような危険があるように私は思うのです。
 さて、今私の感想を述べさせていただきましたけれども、一番肝心なことは、それじゃ日本は何ができるのか、何をやらなければいけないのか、日本としての名誉ある復興支援をやらなければいけないとすると、もう少し具体的にこういうところを気を付けなければいけない、こうした方がいいというようなサジェスチョンがありましたら、お教えいただきたいと思います。
○参考人(酒井啓子君) 御質問ありがとうございました。
 アメリカの占領政策が失敗しているのではないか、あるいは今の復興支援、アメリカの復興支援といいますか復興政策でございますね、支援といいますか、彼らが主導的にやっておりますから、サポートしているわけではございませんので。アメリカの復興政策が先入観に基づいて行われているのではないかという御指摘でございますけれども、これは正にそのとおりでございます。
 ある意味では、戦争が昨年始まります段階においても、ある意味ではその戦争が圧倒的な英米軍の勝利で終わるということは目に見えていた話でありまして、あるいはそれによってフセイン政権が崩壊するであろうということもある程度予測が付いた。にもかかわらず、多くの国が戦争に反対したということの背景には、その後の占領統治は非常に難しいものになって、今のアメリカの体制、あるいはどのように準備したところで極めて大きな混乱をあの地域にもたらすことにしかならない、であればこの戦争は失敗に終わるであろうということで反対の声が非常に強かったんだというふうに理解できるかと思います。
 そういう意味では、このアメリカの戦後統治をいかに失敗させないように持っていくかということが近々の必要なことであったわけでありまして、ある意味ではイギリスのブレア政権はそういうことをある点で期待して、すなわちアメリカが単独で占領するということになると失敗がより大きくなってしまうので、少しでもその失敗の幅を小さくするためにはイギリスは付いていかなければいけないんだというような論理をイギリス国内では展開していたのではないかと思います。残念ながら、そうした歯止めとしてのイギリスという役割も、それも機能していないという、そういう結果であろうかと思います。
 そうした失敗の背景にあるのは、御指摘のとおり、正にアメリカのイラク社会に対する認識の違いといいますか、正確にイラクを認識していないという状況であります。
 これに関しては、ただナイーブにイラクを理解していないということでとらえていいのか、それとも、あれだけのアメリカは超大国であり、かつ情報収集能力を持つアメリカがここまで単純な先入観にとらわれているということはあり得ないのではないか。もっと悪意を持つ人たちは、あえてイラクの国情を分かっていながら、あえて誤解しているようなふりをして、アメリカの望んだような形で社会を変革していくために、あえて誤解しているようなふりをして復興を進めているんではないかというふうにまで勘ぐる人々も出てきているという状況であろうかと思います。
 そうした戦後政策をどういうふうに改善していくかということが私の報告、近々必要だということが私の報告の趣旨であったわけですが、具体的に、じゃ日本が何ができるかということになりますが、先ほどの報告の途中で申し上げましたけれども、やはりイラクが日本に対して抱いているポジティブな像というのは、これは民間企業主導の対等な関係、石油を売っていい物を買うという、そういう対等な関係というものが一番イラクが日本に対して期待していることであろうかと思います。
 先ほど、先生の方で御指摘がありました、正にその国際協力というテーマでこの会が開かれる以上、国際援助という話が出るのではないかと期待されたという御指摘がございましたけれども、私はイラクに関しては、援助ということも確かに重要、金銭的にも物理的にも援助、支援をしていく、援助をしていくということは十分必要ではありますけれども、それはただ単に物を上げる、金を上げるということが今、それだけで済む問題かということではないということを今日は御報告したかったということでございます。
 すなわち、物や金といったようなもので援助する以上に、それがどのような形でイラクの社会を立て直すのに有効であるかどうかという政治的な枠組み、政治的な体制そのものに対して日本が、援助というよりは正に協力、貢献という意味では、政治力、外交力を発揮することによってなし得る貢献というものがあるのではないか。正に、今のイラクの戦後体制の見直しという意味では、そちらの方面での貢献が必要なのではないかという意味で申し上げさせていただきました。
○会長(上杉光弘君) いいですか。川橋幸子君。
○川橋幸子君 ありがとうございました。
 時間の使い方が悪くて、廣野先生の方にもお伺いしたいことがあったのです。特にミレニアム開発目標などについてお伺いしたいことがあったのですが、私の持ち時間が参ったようでございますので、これで質問を終わります。ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 山口那津男君。
○山口那津男君 公明党の山口那津男でございます。
 三人の参考人の先生には、貴重な御意見を賜りましてありがとうございます。順次お伺いしたいと思います。
 初めに猪口先生に伺いますが、近年三つの大きな変化があって、その上で先生のペーパーにございますような御主張や御趣旨が述べられているのかと、こう思います。そうした趣旨、御主張を実現するためには、現行の憲法、あるいはそれを解釈をしてきた内閣法制局の在り方については否定的な御意見をお持ちのように受け止めておりますけれども、それではこの現行憲法をどのように、御主張、御趣旨を実現するためにはどこをどのように変えていくべきかと思われるでしょうか。お考えがあればお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(猪口孝君) 憲法解釈に否定的というわけではないんですけれども、私は余り無理なことをやってもよくないし、それから帝国議会によって作られた法律を全部整合的にやろうなんというとてつもないことを考えていることは、要するに非常に超保守的な行政を生むことになって、日本社会が非常に何といいますか、生き生きとした、いろんな新しい問題に対する取組を非常に何というか難しくしている面があるんで、何かもうそれからある程度解放されるような仕組みを作る必要があると、僕は憲法改正とか法律改正とかというものとはちょっと違って考えております。考えておるとかと言って、ただ言っているだけでありまして、何とも、何もしていないんですが。
 余り激しく現行法律を全部整合的にしようなんというのは無理がある、何で必要かと。それは、確かにそれは法律学者とか弁護士とか、いろいろそのような方にとっては誠に結構なことだと思うんですね。ああこれは駄目です、ああごちゃごちゃしています、いいと思うんですが、ちょっとやり過ぎだと思いますね。とりわけ、戦後の新憲法の中でできた法律でも、どうしようもないくらいアウト・オブ・デートのようなものが一杯ありますから、もうちょっと何か法律について運用にするとか立法するとか考え方を変えるべきだと思います。ただ、どうすればというのはまだ、それこそここの立法府の皆様方がやることであると。
 それから、どういうふうな憲法にするかというのは、これはとにかく、先ほど言いましたように、自由民主主義を守る、人権をしっかり擁護できる、それから市場経済というものを健やかに育て、ほかのところでもできるようにするということがまず根本になきゃならない。それから、日本の経験からいっても、軍事手段を多用して何とかする風潮をできるだけ抑えると、自分にいわゆるそういうものをしっかりと持っておくと、こういうことでやるということは明快に解釈しておりまして、ただ、これからおやりになるのは立法府ですから、私はそういう声を出すというだけなんです。
 具体的な考えなんでしょうか、よく分からなかったんですけれども。
○山口那津男君 御趣旨は承りました。
 じゃ次に、酒井参考人に伺いますけれども、イラクが日本に対する期待、これはアメリカの代替としての期待というものもあろうというお話でありました。それにこたえるべきか否か、あるいは異なる方法でこたえるべきか否か、この選択が大事であると、こういう御主張であろうかと思います。
 その期待というものは、イラクのみならず中東一般にも言えることかもしれないと、こういうお考えだろうと思いますが、じゃそれで、いずれの道を選択すべきであるかということについて、もう既にお触れになっていることかと思いますが、再確認の意味でお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(酒井啓子君) 私は、そういう意味では、日本の外交政策というのはただ中東政策のみで成り立っているわけではございませんので、そういう意味では、全世界様々な対外関係を総合した上で判断されるものだと理解しておりますので、必ずしもこうあるべきということを申し上げられる立場にはないと思っておりますが、ただ、対中東政策という意味で考えれば、私はやはり、これまで日本が中東地域において築いてきた信頼、それが、アメリカとは違う、アメリカとは違った形で日本が役割を果たしてきてくれたんだというような歴史的な蓄積がある以上は、やはりそれを生かした延長線、それの延長線に立った形で今後もその中東地域との良好な関係を維持していくという道が一番コストも低く、かつ安定的な政策を展開していくことができるのではないかというふうに考えております。
○山口那津男君 今のお考えは、中東地域に限らず、それ以外の地域についても同じように言えることなのか、それとも各地域地域に応じて違う在り方があり得るのかどうか。この点についてはいかがお考えでしょうか。
○参考人(酒井啓子君) これは、ほかの地域におきましても、ある意味ではアメリカと良好な関係が築けないような地域においては同じような状況が当てはまると思います。
 ただ、こういうふうに申し上げたからといって、必ずしも反米的な地域だけで日本が期待されているというような二項対立的な状況に陥ってしまうことはかえって危険になるわけですから、むしろ、アメリカの同盟国であるという立場を生かしつつ、かつアメリカと良好な関係の抱けない国とも良好なパイプを持つ、それによって、こじれたアメリカと反米的な国の関係を修復すると、そのつなぎの役割を果たす。
 これは過去にも、例えば、現在はPLO、パレスチナの暫定自治政府の議長であるアラファト議長などが、アメリカ政府がかつてパレスチナは一切認めないというような立場を取っていたときでも、例えば日本が招聘するというような外交政策を取って、アメリカには訪れられないけれども、日本に訪れることによって、そこで水面下で交渉をすることができるというような場所として日本が役割を果たしてきた部分というのがあるわけです。あるいは現在のイランでもそのようなことが言えるかと思います。イランとアメリカの関係は御存じのように大変悪化しております。悪い状況にございますけれども、日本とイランの関係は非常に良い。
 そういったことを考えれば、アメリカと直接話ができないような地域、国に対して、アメリカとの関係を損ねない形で、両立させた形で、しかしアメリカとは違うんだということを主張していくというようなやり方というのは大変、これは中東だけではなく、ほかの地域に対してもある程度普遍的な形で適応可能ではなかろうかというふうに考えます。
○山口那津男君 今、先生がおっしゃられたような道を進めていくためには、この現行の憲法、これを特に変える必要はないんではないかと私なりに理解しておりますが、それともどこか変えた方がいいと考えられるかどうか、憲法との関係についてはどのようにお考えでしょうか。
○参考人(酒井啓子君) 先ほども申し上げましたように、少なくとも私はイラクをケースに見ておりますので、少なくとも今のイラクの復興支援ということに関しては憲法の改正の必要な要項というのは今のところ見いだせない。むしろ、その以前の段階での、まあ先ほどちょっと申し上げましたけれども、政治力、外交力等々をフルに生かした形での余地が、役割を果たす余地が十分あるのではないかというふうに理解しております。
○山口那津男君 次に、廣野先生にお伺いさせていただきます。
 先生は憲法九条二項を変えた方がいいというお考えでありますけれども、この九条二項というのは何々してはいけないという禁止の規範になっているわけであります。それでは、どのように変えた方がいいとお考えでいらっしゃるか教えていただきたいと思います。
○参考人(廣野良吉君) ありがとうございます。
 憲法第九条二項というのはだれが見てもよく分かることなんですが、現実と完全に離れているんですね、現実の問題と。やはり、当時の日本の置かれた、世界に置かれた状況においては正にそれでよかったと思います。正に理想と言えるものですから。しかし、朝鮮戦争以降、御存じのように警察予備隊ができました。それからまた自衛隊ができました。これは必ずしも日本だけの国内の状況からできたんじゃなくて、やっぱりアメリカからの大きな要請もあってできたものですね。そういうわけで、かなり日本の現在の状況というのは国際環境の変化に対応した格好でできているわけですね。
 そうであるならば、やっぱり憲法それ自身ももう既に作ってから五十数年たつわけですから、やはりそういう、私から見ると、憲法のすばらしい点は大いに今後も維持しなくちゃいけないけれども、五十数年たってなおかつ何もしないというのはこれはおかしい。
 なぜかというと、憲法というのはその国の基本的な国民の考え方、理想というものを述べたものなんですね。そうである限りは、やっぱりそこに現実をちゃんと見ながら、同時に理想を述べるということが重要だということで、私自身はこの憲法第九条の一項はこれはちゃんととらえまして、これは持たなくちゃいけない。これはもう日本が世界に誇れる、胸を張ってやれることですから、第一項は是非これはそのままにしてほしいと。
 しかし、第二項については、我々は、国連憲章の中にすばらしい言葉があるんですね。国連憲章のその言葉をそのまま使って、我々は世界におけるところの平和を維持するために積極的に貢献すると。もちろん、そのときには国連憲章に基づき、なおかつ国連の安全保障理事会の決議に基づきという格好で我々が貢献する。その貢献の中には単に経済的な貢献だけじゃなくて、文化的な貢献、あるいは政治的な貢献、中には軍事的な貢献もあるわけであって、これは国連憲章がそううたっているわけですので、それに従って日本もやっていく。日本が正にこれから国連の安全保障理事会の、正にこれが常任理事国になりたいということを日本は今言っているわけで、総理も言っているわけですけれども、もしそうであるならば、やっぱりちゃんと国連憲章が言っていることを日本がやると、守りますということを内外にちゃんと言うべきであって、それをあいまいにして、ここはやるけれども、ここはやりませんという格好でつまみ食いしているのが現在の日本であって、私はこういうつまみ食いというのは一世界の人間として恥ずかしいと思っております。
○山口那津男君 さらに、もう一つ伺いますが、憲法九条以外に、国際協力等の関係では前文やあるいは九十八条二項との関係で語られることもあるわけでありますが、先生の多岐にわたる御主張を実現していくためには、九条以外のところも何か変えた方がいいと思われる点がありますでしょうか。
○参考人(廣野良吉君) ありがとうございます。
 私は実は憲法学者じゃありません。それですから、細かなことは申すことはできませんので。ただ、言いたいことははっきりしていまして、それは、我々はこの国際環境の中において全面的に世界の平和、世界の発展のため、特に持続可能な開発のために、すなわち環境保全と両立するような格好で世界の経済の発展のために我々が貢献する。そのために必要なあらゆる条項は、細かなことは難しいけれども、少なくとも方向としては憲法の中にちゃんと入れておくべきであると。すなわち、我々のやるべきことは正にその問題以外にはないわけです。そこをちゃんとやってほしい。
 それが、大変残念ながら、今までのところはまだまだいい加減な形しか行われていない。これは、国会議員である皆さん方の責任であって、やっぱり、もちろん我々が国会議員を選んでいるんですけれども、皆さん方の責任ですので、是非国会の場できちんと討議していただきたいと思います。
○山口那津男君 時間が参りましたので、終わります。
○会長(上杉光弘君) 井上哲士君。
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。今日は三人の参考人、ありがとうございます。
 この間、憲法と平和主義について調査をしてきたわけでありますが、私たちはこの九条というのは、戦争違法化の二十世紀の流れを示した国連憲章に合致し、更に前に進めるという点で大変誇り得るものだと思っておりますし、こういう憲法を持つ日本が核兵器の廃絶とか南北問題の解決、環境破壊の防止など、非軍事の分野で様々な積極的な国際的な平和貢献をすべきだと思っております。そういう点では、九条というのは国際貢献の足かせどころか日本が独自の積極的な役割を果たすものになると思っております。
 それを前提に、まず酒井参考人にお聞きをいたします。
 私は、一昨年、国際問題調査会の一員で中東各国を訪問をする機会がありました。大変印象的だったのは、どの国の要人や、またイスラムの指導者からも、相手の方から広島、長崎という都市名を挙げて、そして非常に日本に親近感、信頼感を持っているということをいろんな国で言われたということが大変印象的でありました。
 先ほど来、日本への期待ということで、様々な民間ベースの経済協力ということがありました。たしか、サマワなども病院を日本が建てたようなこともお聞きをしたことがありますが、そういう問題と同時に、そういう歴史的な日本の持つ条件というのがあると思うんですね。やはり、自衛隊によらない日本のそういう歴史、また憲法の精神を生かした復興支援ということがあると思うんですが、そういう条件、イラクの方から見た場合の日本の貢献の在り方の条件、そして最も求められるものは何だろうかという点をまず一点お聞きしたいのと、あわせて、先ほど石油のことを言われておりまして、かなり復興しているのになぜ経済復興につながらないのかと、こういう議論が随分あると言われておりましたが、それについてどんなお考えか、これも併せてお願いいたします。
○参考人(酒井啓子君) 歴史を踏まえた日本に求められる対イラク貢献ということでございますけれども、先ほどから繰り返し申し上げておりますように、イラクの人々が日本に対して抱いているイメージ、期待している貢献ということは、これはやはり民間主導の七〇年代、八〇年代における大規模な建設プロジェクトの実行ということでございます。
 ちなみに、サマワ等々で確かに病院建設を行いましたのも日本企業でございますし、これはODAも入っておりますけれども、基本的にODAによって医療機器、その中身のですね、医療機器をODAによって供与したというのと同時に、その箱、箱というか病院自体は民間、完全に民間の資金で、これはイラク側からの発注事業として進められております。
 そういう意味では、繰り返しになりますけれども、イラクが日本に対して期待していることは、余り政治的な野心、余りといいますか、基本的には政治的な野心を持たない、純粋に経済的なパートナーとしての日本というような位置付けであるがゆえに信頼が置けるという側面があろうかと思います。とりわけ、やはりイラクのみならず、中東諸国においては欧米諸国による植民地経験というようなものが非常に根強く残っております。日本、これは日本の対アジア関係ということとはまた違って、中東に対しては、日本は過去にいわゆる植民地経験を持たないというような側面がございますから、そういう意味では特に中東においては歴史的なマイナスポイントというのは日本は持たないと。むしろ、その非政治性が積極的にプラスイメージとしてつながってきているということであろうかと思います。
 二番目の石油の点でございますけれども、これは実際、今の予算、支出収入といったような体系的な統計がきっちりあるわけでもございませんので、現実、実際にどういうふうになっているかというのは難しいところがございますけれども、少なくとも私が先ほど御指摘させていただいたのは、二十万バーレル、日量二十万バーレルというような、かなりの程度の石油が輸出、産出できるようになったということは、ある意味では八〇年代の半ば、すなわちフセイン政権時代においては一定の経済開発を細々とではあるが進められていた、そして人々も今のような困窮状態には取りあえず陥らないような状態に維持することができていた。そういうような生活レベルと、過去の生活レベルとどうしても比較してしまう数字ではなかろうかというふうに考えております。
 そうしたことを考えれば、一体この二百万バーレルの石油の輸出金額が完全に、イラク人に完全に還元されているのかどうなのかということに対して疑問がわいてくるような数字であるということであります。これは、完全にこれが還元されているのかどうなのかということについての説明できる数字を私は持ち得ておりません。ただ、そういうふうに認識され得るような環境にあるということは、いわゆるCPAあるいは統治評議会等々に対する不信感にもつながる、つながりかねないという危険性があろうかと思います。
○井上哲士君 ありがとうございました。
 先ほど普通の国という言葉が議論にもなりましたけれども、私は、日本は普通の国でないと卑下をするんではなくて、むしろ特徴を持った重要な役割を持つということを憲法の下でもっと発揮をすべき余地があろうと思うんです。
 猪口先生にお聞きをするんですが、あのイラク戦争に至る過程でも日本はアメリカの言うままということで、外交的にもほとんど存在感を示せなかったということもあろうかと思います。こういう外交面も含めまして、もっと、日本が非軍事の分野でやるべき国際貢献というのはもっともっとたくさんあると思うんですが、その点での認識はいかがかということです。
○参考人(猪口孝君) ありがとうございます。
 まあ、非常に難しい戦争だったと思うんですね。結局、日本は憲法を尊重すると言う限りにおいて、国連決議というのはある程度は大義名分がしっかりないとなかなかやりにくいというのを、前から言っても、何度言っても駄目で、西ヨーロッパの方はもう、何といいますか、日和るというわけじゃないけれども、何か反対になってしまって、何となくもう国連自身も駄目になって、うまくいかなかったんですね。それだからといって、それじゃ今度、日米安全保障条約というのをダメージを与えるようなことに出るだけ勇気は政府にはなかったわけですから、ああいうことになったというのは、まあ分からぬでもないなという感じが非常にするんですね。それで、恐らく、まあ第二番目ぐらいにアベイラブルなオプションとしては良かったんじゃないかと私は思っているんですね。
 それで、やっていること自身は、西ヨーロッパでもフランスとかドイツなんかは、もうちょっとこっちの方に来てちょうだいみたいなことをやっていることは確かで、どのくらい効果があったのかはよく分からぬですけれども、やっている。それから、イラク自身に対しては、それなりに誠意を持って、しかもできることを最大限にやろうとしていると。それがどこまで効果があるかというと分からない。
 だから、非軍事的なというのは、軍事、戦争になったとき非常に難しいというところがあって、そういうのを大きくしたいんだけれども、結局、普通の、今まで考えたような戦争はどんどんどんどん減っているんですが、何だか分からないこういう面倒くさいことが起こって、それに対処できるのはほとんどアメリカしかいないんですよ。だから、アメリカが出番が多くなるのは、好きだから出るでしょうけれども、ほかのは特にあんな戦争なんて絶対できないです。そしたらやっぱりほっておけということになる。それで、困っているのは、お互いにつぶし合って、そのうち時間たつのを待とうという戦略になっていくわけです、ほかの国は。それは、何といいますか、そういうところに住んでいる方にとって正義かどうかというのについてもやはり疑問は残るんですね。
 私の判断は、この場合は、あれだけ長い間抑圧と、何といいますか、十分なリソースがあんなたくさんあるのに、住んでいる方も非常に立派な方も多い、石油もあり余るほど、それなのにうまく経済も持っていけないと。それから、みんな抑圧が激しい。これはもうとにかく正義ではないというジャッジメントが勝ったというのは、それは悪くないと思うんですね。それで、武力行使すると。武力行使しなきゃ何も動かないというのがあったときは、国際信義をもう十年以上も守らないというのは、これはもうやっぱり向こうが駄目なの。こういうのがそこらじゅうにはびこるのは日本にとったって利益じゃないのです。どうしてかというと、武力は使えないんだから、ほとんど。そういうのが、どんどんどんどん好きなことをやる国があちこちあちこちに出るということは、何かしなきゃ駄目なんです。
 それがいいと、非軍事的なやり方で収めようというのはある一定の限界を持つんです。もちろん軍事的な手段で何かやろうとしたって物すごく限界があって、めちゃくちゃに面倒くさい問題も起こる。だけれども、去年の三月の感じでは、支持ということは、一番いいんじゃないけれども、アベイラブルの中ではまあ良かったんじゃないか、特に何も出さなかったわけですし。それから後、戦争終結宣言、アメリカによる宣言の後、経済復興に関与するということで行ったという判断自身は良かったけれども、それはイラク自身、もうとんでもない、反対といいますか、もう考えただけで嫌だ、何も良くならないという感じの反応が出るのはこれまた自然で、このぐらいの法と秩序の達成度というのを非常にネガティブに見るかポジティブにある程度見るかというのは人の考え方だと思いますね。日本自身だってそれなりにもう反米、親米で十五年間わあわあわあわあやっていたんで、流血自体は余りなかったですけれども、それはこのぐらい続いても普通だと見るのが、僕だったらそうですから、そこら辺は、何といいますか、人間観にもよるんだろうと思うんですけれどもね。
 もう自分が何とか主張したいんだったら、ぐんとある程度頑張って、できるところで、駄目元主義で頑張って、自分の自由にできるスペースを主張するというのが普通だと思うんで、まあしばらく続くと思う。だけれども、経済自体は少しずつ良くなってきているし、そのうちに何とかなるんじゃないかなと思いますよ。
 ただ、国連とかのカムバックももうちょっと力強いとよければと思うんですけれども、ちょっと懲りているからなかなか出ないし、国連が出ないと日本も、大義名分が、寄りすがるところが余り強くないと困るんですね、それは武力使わないということで出ているわけですから。だから、一刻も早く国連はしっかりして、もうちょっと勇気付けて出てもらって、自分は国連とできるだけ共同歩調で、国連決議でどんどんどんどん新しいことを提案していくという形のやり方については私は誠に同感でありまして、ただどこまでできるかというのは、これは激しい、国連自身はとんでもないというか、すぐにはできそうもない形でしかなっていませんし、アメリカ自身は、何といいますか、みんなと協力しながらといっても、余りにもみんながふがいないので、アメリカの考えでは、現政権の考えでは、ふがいない、だらしがない、好きなことを言っているだけで何にもできない、嫌だと思っていますから、なかなか信用しないですからね。
 そんなに非軍事的だけといったって、何かそうもうまくいかないというのがあって、アメリカ自身は自分の頭だけで考えていますから、非常に勝手というか、唯我独尊みたいなことをやっている面も非常にあるけれども、それはまたそれ、一つの現実だし、イラク自身にすれば、何でこんなの、人の土地にぼかぼか上がってきて好きなことを命令するのかというのがある。
 それで、それをどういうふうにまとめるかというのは、やっぱりサマワで、日本のできるのは、いろんな外交努力に加えてサマワで実績を上げることだと思いますね。それはもう国際協力の面だし、対米説得、対ヨーロッパ説得、それからイラクに対する非常に、常にエンゲージして、こっち、別な悪意を持ってやるんじゃなくて助けに来ていると、一緒にやりたいというようなことのメッセージをどんどん発していくしかないんじゃないかなと思いますね。
 アメリカはユニラテラリズムなんてよく言われますけれども、日本なんかよりもずっとマルチラテラルで、外交努力は頑張っていると思いますし、日本の場合は、やっぱり自分の考えで非軍事が好きだ、そういうふうなのがいいというふうに思っているんだけれども、説得努力といいますか、関与努力というのが余り伝わらない。ゼロラテラリズムと僕は言っているんですけれども、自分がよしと思ってやっているみたいなところがあって、アメリカはもう内外に宣言してユニラテラル、これはいいんだからとやっていますけれども、日本のはゼロラテラリズムなんですね。だからどうしようもない。だから広がらない、深まらない。
 それは、何というか、日本人自体の、全体の問題だと思います。何とか説得するとか、何か一緒に喜ぶとか悲しむとかが少ないんですよね。だから、それは私たち全体の、何というか弱さだと思うんで、そこら辺もちょっと力強くならないとどうしようもないのかなと思います。
 どうもありがとうございました。
○井上哲士君 時間ですので終わります。
○会長(上杉光弘君) 田英夫君。
○田英夫君 三人の参考人の方、ありがとうございました。
 最初に、酒井さんに伺いたいんですが、イラクに今は自衛隊が行っているわけですが、本当にイラクの皆さんが日本に期待しているのは何なのか。私もイラクに何度か行った中で、驚くほど日本に対して親近感持っている。日本人がイラクに対して持っている知識と全く違って、日本のことを見ているということに驚いたんですけれども、バース社会党時代、それからフセイン時代と若干は空気が違いましたけれども、今本当にイラクの国民の皆さんが日本に期待しているのは一体何なのか。自衛隊ではないと思うんですが、率直のところどうでしょう。
○参考人(酒井啓子君) 御質問ありがとうございます。
 日本に今一番イラクの人々が、特にサマワの人々が何を期待しているかということにつきましては、まあこれもまた繰り返しになって恐縮でございますけれども、やはり過去に日本企業がイラクに対して行ってきたインフラの建設といったようなこと、そしてそれに、そういったその経済活動のバックにいわゆる政治的な野心がないということに尽きるかと存じます。
 これは、先ほども申し上げましたように、植民地経験がない。欧米、欧米といいますか、アメリカはまたあれですけれども、イギリス、フランス等々は中東地域に対して直接の支配の経験があるということで、そういった苦い記憶があるわけですし、アメリカに関してはやはりイスラエルを支援しているという意識。これは、先ほどの世論調査を引用さしていただきましたけれども、昨日発表された世論調査でも、アメリカにイラクの復興を期待するという、アメリカに対する依存せざるを得ないという認識が非常に強い一方で、しかし、イスラエルにだけは絶対にイラクの復興に関与してほしくないというこの意見は非常に強いものがあるわけですね。
 ですから、アメリカの占領下というような状況においても、アメリカの主導の戦後復興体制まではまあ何とか我慢すると言ったらあれですけれども、受け入れたとして、百歩受け入れたとしても、イスラエルの関与だけは決して受け入れられないというような激しいやはり中東アラブ諸国における対イスラエル感情というものは、これは決して無視できるものではなかろうかと思います。
 やはり日本の場合はそうしたイスラエルとの距離感、あるいは今申し上げましたようなその植民地支配に対する経験のなさという、そういった政治的な野心のない、しかも純粋な経済的な関係においてイラクの高度成長を支えてきたと、そういう経験をもう一度日本に期待したいというのが今の率直な感想だと思います。
○田英夫君 ありがとうございます。
 猪口さんに伺いたいんですが、国際貢献をするということはもちろん私も賛成でありますけれども、なぜ自衛隊でなければならないのかというところに私は非常に疑問を持っております。アメリカはそれを期待しているでしょうけれども、特にアジア諸国、中国を始めとする国々は日本の自衛隊が強大になってくることを全く歓迎しない。それがたとえPKOであっても、海外にどんどん出ていく、いわんや今度のイラクに出ていったような形というものは率直のところ好ましくないと、こう思っているに違いないんですが、憲法を変えてまで自衛隊の国際貢献というものが必要だというふうにお思いになりますか。
○参考人(猪口孝君) ありがとうございます。
 憲法改正かどうかになるとまた話がちょっと、また全然、全然でもないんですが、余り違うんだと思います。
 それで、あと、何といいますか、中国とか韓国がどう思っているかということについて、少なくとも二十年ぐらいのタイムスパンで考えれば、中国政府とか韓国政府の日本政府による平和維持活動等のための自衛隊派遣についての非常に強い反対は比較的着実に低下しておるわけですね。ですから、そこら辺はまあ余り激しいハードルになっていないと思います。
 中国の場合は安全保障理事会の常任理事国ですから拒否権があるわけですけれども、今回でも別にそういった形ではやっていませんし、十年、十五年ぐらいの流れを見ますと、カンボジアの平和維持活動、それから東チモールの維持活動、そして今回の活動なんかに比べて、に見られるように中国自身も変わってきておって、必ずしも、日本が一定の善い、民主的な使命のためにやれば、そして国際連合の枠組みの中であれば、何というか、容認するというと極端、否定の方から見ているみたいですが、歓迎ではないですけれども、オーケーになりつつあるんです。ですから、それは余り大きな問題はないと思いますよ。
 もちろん、何といいますか、自衛隊が単独で軍事行動を取る、国連も何にもない、だれの国も支持しないと、そういうことになったらこれはもう全然駄目で、絶対容認できないと日本人として思いますけれどもね。中国、韓国の反対というのはそんなに強くないですね。それは、もうちょっと国連のあれが強ければ良かったんですけれども、ちょっと中間が怪しげな形でイラク派遣のはなったので国内的にも国際的にも非常に損な感じにはなっていることは確かですけれども。
 前言ったような理由で、私は、余り、何か政府だからといって、その国民を、人権をめちゃくちゃに、もうめちゃくちゃにするというのは長い間容認すべきものじゃないと思うんですね。それをどうするかというのはやり方次第で、どういうふうにするか。できることというのは限られているわけですけれども、そういう意味では、僕は余りにもみんな国単位で考えるのはやめてほしいと思うんですよ。一人一人の幸せといいますかね、自由をある程度、もうちょっと大きくしてあげるということの手助けする。自分が主導的な勢力になるとは日本として考えられませんけれども、できる形の、出る形でやるということを考えて、そして、それだったら、日本みたいな武力行使については一切ノータッチですと言ったら、そこらじゅうの独裁、抑圧政権を容認するみたいなことになりかねないところがあるわけですね。そこらは僕は良くないと思うんですね。
 私、普通の国といったら多いんですが、百九十幾つの国連加盟国の中で百二十ぐらいは普通に認められている民主主義国です。これを僕は普通の国と言っているんであって、必要なところはあるんです、武力が。それは自分がやるかは別として、そういうことに動いている動きについてはやっぱりいい、ある程度いいというふうに進めないと、抑圧、正義でない、一人一人の人間を抑圧する、そういったことはなかなか減らないです。
○田英夫君 ありがとうございました。
 私は、カンボジアのPKO、自衛隊が初めて海外に出たときですが、あのときも実は日本カンボジア友好協会の責任者をやっているものですからしばしばカンボジアに行ったんですが、全く何をしに行ったのか。道路補修をやったんですが、翌年行くと、もう元のもくあみですね。つまり、自衛隊は道路の専門家ではありませんから、雨季が一つ通り過ぎるともう道路が川のようになって、半年間続くわけですから全く簡易舗装程度のものは何の役にも立たない。何のために自衛隊が行ったのかと思いましたが、そういうことを含めて、もっと国民の皆さんに実態を知らせながら、今度のイラクのことも含めて知っていただく必要があるんじゃないかと思っておりますが。
 最後に廣野先生に、廣野さんに伺いますが、東アジア共同体ということを言われました。全く私は同感でありました。同じことを最近主張し続けているのでありますが、これは別に憲法改正とつながらない。むしろ、東アジア共同体で一緒に仲間になる国々は、先ほど申し上げたように、日本が普通の国になるよりも軍隊を持たない国であってくれと願っているんじゃないかと思いますが、その点はいかがですか。
○参考人(廣野良吉君) 御質問ありがとうございます。
 私のペーパーにも書いておきましたけれども、実は現行憲法の中で第九条第一項というのが、すばらしいものがあるわけであって、やっぱり私たち、こういう海外での武力行使を禁じているという、こういうようなすばらしい我が国の第九条第一項というものを、これをやっぱり世界に胸を張って誇れる規定ですので、これを是非守るだけでなくて、実はもっともっと積極的にこれを前に出していって、それで日本のこういう反戦あるいは平和主義というものを、これを世界に呼び掛けていくことが重要だというふうに考えております。
 そういう意味では、この東アジア共同体というのは、正に平和主義、反戦というものをしっかりと呼び掛けていくことが重要で、これは何も憲法の改正問題とは違います。逆に、憲法第九条一項をもっと前に出してほしい。そういう中で、我々はこの我が国のある立場というものをしっかりとやっていくことが重要。
 その点でちょっと一つだけ、こういう気になる文章がありましたので、これ読ませていただきます。
 カナダが、公共政策調査研究所ってあるんですが、そこで今年の一月に発表した民主的発展のための国際協力レビューというのがありますけれども、この報告書の中で、各国がどういうふうな民主化支援をやっているかということを書いてあります。その中で、実はこういう文章なんですね。これ読みます。報告書そのものですね。日本は、海外の経済支援を行う主要国の中で、ただ一つ、民主化推進に関して自主的な役割を果たしていない国であると。これカナダの報告書ですね。こういうことを書いてあるんですね。
 だから、そういう意味で皆さん方に今日お配りしましたけれども、我が国はどういう民主化支援やっているかということをそこに、皆さん方のペーパー差し上げましたけれども、実はこの民主化支援というのはほとんど、まあ言ってみればこのいわゆる民主化の中で必要なキャパシティービルディングということで日本は日本なりにやっているんですが、ただ、これをもっと前面に出していただいて、我々はこういう格好で民主化支援をやっているんだ。あるいはもっとやらなくちゃいけないということを、もっともっとやらなくちゃいけないと思います。
 私自身は長くODA、約四十年間ODAに参与してきたものですから、日本の政府のですね、そういう中で思いますのは、やっぱり日本はもっともっと主張すべきことを主張するということが重要かなと。特に、主張するというのは世界のあらゆる国々が共有できるような例えば民主主義というもの、やり方は違います、各国において歴史があり、伝統があり、文化があり、いろんな宗教があるわけですから。やり方は違うけれども、少なくとも民主主義という点では大抵共有する概念だと思いますので、こういうものをもっともっと強調するような我が国のODAの在り方というものを本当に考えていただきたいなと思っております。
 ありがとうございます。
○田英夫君 ありがとうございます。終わります。
○会長(上杉光弘君) 岩本荘太君。
○岩本荘太君 無所属の会の岩本荘太でございます。
 長い間いろいろと議論も含めまして、いろいろ勉強させていただきまして、ありがとうございました。
 私は、余り中身については分析もその辺りはできませんので、国際経験豊かなお三人がお集まりですので、そういう今までの御経験を含めた上で、感覚的なお話で結構ですけれども、聞かせていただきたい。
 先ほどからのこの議論聞いていますと、結局は、憲法九条二項にしましても、戦争があるかないか、みんなこれ戦争はない方がいいと思っていながら現実的にあると、したがってそれにどう対応していくかというところが一つの大きな論点じゃないかと思うんですが。
 私自身は、個人的な考えでは、非常に甘いかもしれませんけれども、戦争というのは考古学者の間では農耕文化が始まってからだという、人間の三百万年の歴史からいえばほんの一万年ぐらい前。その前に殺人とかそういうものはあったでしょうけれども、これは人間の本能としてはあるかもしれませんが、殺人と戦争というのはちょっと色合いが違うと。したがって、財産の分捕り合いみたいなものから始まったという分析だと思うんですけれども。まあそれは一つは人間の進化に伴う変化ではないかなという解釈をいたしますと、その後ずっと、戦争なるものがずっと続いてきたら、その反省から、戦争というか、そういう紛争のない時代といいますか、そういうように人間自身が進化していくかもしれないという期待を実は持っているんです。
 とはいえ、今現実にはきな臭いことがずっと起こっているわけですから、これは憲法等考える場合にはそういう理想だけでは言えないかもしれませんが、ただ、逆に言うと、現実だけを見据えたんではこれはもう憲法改正、改正を続けなきゃいかぬわけですから、ある程度の理想というのは持っているべきだと思うんですが。
 そこで、今の憲法、要するに今の憲法ができた時期と今の時期ですね、これ比べた場合に、いろんな見方があると思います、世界的な動きが随分変わっていますから。ただ、私は一つその中で、国際間の人的交流、これはもうべらぼうに膨らんだと思うんですね。これは昔は外交官程度しかできなかったかもしれませんけれども、先ほどから出ております民間企業、あるいは観光客もおりますし、さらには、私はちょっと聞いたんですけれども、いわゆるODAなんかの専門家が現地に深入りすることによって、これはある意味の外交官的な仕事といいますか、非常に地元と現地の人と融合して、それで感情的に融合しますと、いわゆるその戦争抑止力といいますか、そういうような効果もあるというようなお話を聞いたんですが、そういう物すごい膨らみができてきているのが憲法制定のときと今とは違う大きな一つだと思うんです。
 そこで、私は、そういう交流が、これは大きな紛争抑止力といいますか、なってもらいたいと思うんですけれども、逆に言えば、交流することによって発生源になることも考えられるような気がしてならないんです。あるいは、このこととは全然関係なく本当は別な要素かもしれませんけれども、その辺、国際経験豊富な三人の参考人の先生に、大変横着で申し訳ございませんけれども、猪口先生の方からお一人ずつ御感想をお聞かせください。
○参考人(猪口孝君) はい、ありがとうございます。
 まあ戦争はとにかく余り起こらなくなってきているんです。それは僕の強い主張です。平和みたいな感じが増えておるんです。
 ただ、この平和というのはへんてこな平和で、一九一〇年代にレオン・トロツキーは戦争でもなく平和でもないというふうに言いましたが、今のこの平和というのは、平和でもなく戦争でもない平和なんだと、ある日突然テロが起こる、ある日突然何かポシャってしまう、いろんなことが起こるという、何か不思議な、平和みたいだけれども平和でもない、戦争みたいだけれども戦争でもない。イラク戦争は、あれは戦争でないとほとんど言ってもいいぐらいのものです。そういう時代に生きているから、余り主要国家間の伝統的な戦争を考えた憲法の、どうするかというのは、ちょっと視野が狭いんだと僕は思いますね。何かちょっと、何か駄目な、駄目だなんと言っちゃ悪いんですが、そういう感じが非常にします。
 ですから、おっしゃるような、いろんな形の交流といいますかね、どんどん深まっていっているんですが、まあその育っている環境がすごく違いますから、時々逆のときもあるというのはしようがないので、だんだんだんだん良くなってきているというふうに、少なくとも戦争の発生とか、それによる死傷者の数とかいろんなことがある。とにかく平和はどんどん実現されているのです。
 ただ、何か知らないけれども、経済が一緒になっちゃったおかげで、格差はひどい。どうしようもない。いろんなところの人が物すごい悲惨な目に遭っている。抑圧が激しいところもそこそこにあると。これをどうするかという問題の方がだんだん高まってきているんです。それを私は訴えたかったわけでございます。
○参考人(酒井啓子君) 大変難しいテーマを投げ掛けていただきましたので、なかなかこれといって、回答ということになるかどうかあれでございますけれども、二点。
 人々の交流が、交流、移動が増えているというような環境が紛争をむしろ抑止するような形になるのか、あるいはそれとも衝突を増やすことになるのかというような御指摘でございますけれども、私、もちろん憲法、今の日本国憲法が制定されたころに比べて圧倒的に人々の交流が増えているという御指摘でございましたけれども、ある意味では、こうした人々の移動、特に違う文化の人々の移動というのは、これはそれ以前から、あるいは近代以降、常に発生してきたことではないかというふうに思っております。
 こうしたことを猪口先生の前でお話しするのもなんでございますけれども、一つには、例えばかつての欧米、欧米といいますか、イギリス、フランスなどの植民地、アジアにおける植民地支配、これも歴史的に考えれば、例えばまず最初にビジネスで行ったと。ビジネスでイギリス人がインドに商売に行きましたというような話が発展していって、そのビジネスで行っているイギリス人の治安を守らにゃいかぬ、現地の人々の攻撃から守るために軍隊を派遣せにゃいかぬという話になって、そして軍が派遣されて、そこで占領あるいは直接支配というような形態につながっていったというような例が一つあるわけでありまして、その意味では、移動に伴う支配、紛争というような事例は、これはもう多々あるわけですね。
 他方、もう一方で、これは中東の事例でございますけれども、移動ということで言えば、ベドウィン、遊牧民族と呼ばれるような人々が昔から移動しながら生活を維持してきた。当然、遊牧部族同士の抗争、紛争というのはあったわけですけれども、一つ示唆的なのは、こうした遊牧部族が最初に移動して、一日目から先住部族あるいは違う部族と抗争を即始めるわけではないわけです。
 よく言われますけれども、例えば最初の三日間の間は相手が敵か味方かを十分判断する。その間の判断の期間は最大限の寛容をもって相手を接遇するというような、いわゆる外交でございますね、外交の期間があって、その外交の中で相手のスタンス、受け入れられる、共存できる相手かどうかを見極めて、そこで接待等々の中で会話を交わすことによって政治が発生する。その上で、最終的にこの相手は追い出すしかないというふうに判断した場合に軍事力に頼る、あるいは軍事力に相手が頼ってくるなと思った段階で移動して逃げるというような紛争回避の方法が取られるというような事例もまたあるわけでありまして、そういう意味では、先ほどの報告で申し上げさせていただきましたけれども、人々の移動というものが生ずる紛争、これについては、まず外交あるいは政治によって回避するというような努力があって、その上で、何らかの形での戦争なりなんなりというようなことが想定される場合もあるわけですけれども、その前段階になる外交というようなものの重要性というものは、むしろ移動が増えれば増えるほど必要性が高まっているんではないかというふうに考えております。
○参考人(廣野良吉君) 私、長い間、実はJOCV、青年海外協力隊の方の仕事をやっているんですが、できたときからですけれども、JOCVの方々が、海外に若い方々が行かれてすばらしい成果があるんですね。この方々は、正に村に入り、あるいはその他いろんなところに入っていって現地の方と交流するということで、JOCVの方々に対する現地のいろんな国の人々の、単に政府だけでなくて村人であるとか村議会の議長さんであるとか、いろんな方々の評価は物すごく高いですね。そういう意味で、日本のODAの中で最も高い評価は何であるかというと、私は青年海外協力隊だと思います。
 そういう意味で、この青年海外協力隊の方々の若い方で現地の方と本当に一緒になって交流する、中には現地の方と結婚なされる方もいますけれども、そういう格好で物すごくいわゆる人間的な付き合いをしているということ、これがやはり非常にすばらしい。そういう方々との付き合いの中で生まれてきたものを見ると、現にJOCVで行かれた国、日本がたくさんの方をJOCVで送っていますけれども、そういう国の方々の日本に対する見方というのは非常にすばらしいですね。そういう意味で、私はこのJOCV、青年海外協力隊の方々のような方を、もっともっとこれを日本人全体に増やしていく必要があるんじゃないかと思っております。これが本当に我が国が国際貢献できるすばらしい点であって、是非今後もこのJOCVについては大いにやっていただきたいなと。
 それからもう一つでございますが、たまたま私、武蔵野市でございますけれども、武蔵野市で平和懇談会というのがありました。たまたまその平和懇談会の副議長をやったわけですが、後に私たちはこの平和とは何かということを議論したときに、最後に分かったことは、やっぱり国際交流がない限り平和はあり得ないということで実はこの平和懇談会を、名前を武蔵野市は変えまして国際交流委員会にしたんですね。その議長を私はやったわけですけれども、そういう国際交流というものがやっぱり根底にないと、なかなか本当の意味の人と人とのお互いの分かり合い、理解というのはできないなという意味で、あらゆる意味での国際交流を今後拡大していく。
 そのためには、例えば我が国の、我が国自身が持っているところの外国人に対するところのいろんな政策ですね、こういうものもやはりもっともっと、グローバルな社会においてどういうような社会を我が国として作っていかなくちゃいけないのかということを考えて、もちろん、すぐ大きな格好での多民族社会にするということは難しいかもしれませんけれども、もっともっと他民族に対して開かれたそういうような社会を作っていくということは、我が国の場合に正に平和を構築するという意味では最も重要な点ではないかと思いますので、是非お考えよろしくお願いいたします。
○岩本荘太君 ありがとうございました。以上で終わります。
○会長(上杉光弘君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言申し上げます。
 参考人の方々には大変貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 速記を止めてください。
   〔速記中止〕
○会長(上杉光弘君) 速記を起こしてください。
 ただいまの参考人質疑を踏まえて、一時間程度、委員相互間の意見交換を行いたいと存じます。
 委員の一回の発言時間は五分以内でお願いいたします。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、御意見のある方は挙手をお願いいたします。
 阿南一成君。
○阿南一成君 自由民主党の阿南一成であります。
 本日のテーマであります「憲法と国際平和活動、国際協力」について、参考人の諸先生方から極めて貴重かつ示唆に富む御意見を伺いました。本日の参考人の諸先生方のお話をお伺いしながら、憲法を二十一世紀にふさわしいものにしていく上で考えなければならないこと、日本が平和で安全な国であり続けるために防衛や安全保障をどのように考えていくべきかということであろうかと思いました。
 現行憲法の前文には、平和主義と国際協調主義が基本原理として記されております。私は、憲法の基本原則たる平和主義につきましては、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄するのみならず、国際社会に対する平和的貢献を積極的に行っていく旨をより明確に示すべきではなかろうかというふうに考えております。そのためには、憲法の本文に国際協力にかかわる条項を設け、我が国の国際協力の理念を提示し、国際社会が一致団結して活動への協力を明確に規定すべきではないかというふうに思うのであります。
 冷戦の終結は平和の時代の到来を期待させましたけれども、民族や宗教に起因する国内あるいは国家間、さらに地域の紛争が多発をいたしておりまして、多くの難民や避難民が発生をいたしております。また、グローバリゼーションの進展は、国境を越えた経済活動を増大をさせて世界全体としての豊かさをもたらす一方で、貧富の差を拡大いたし、また、社会や文化の多様性に影響を及ぼす深刻な問題も生んでおるのではないかというふうに思う次第であります。このような課題に、我が国一国のみならず、国連を始めとする国際機構を通じた取組や、個々の課題ごとに集まった国家のグループによる取組が不可欠であると思います。
 現在、我が国は厳しい経済財政状況に置かれております。我が国にとりましては国際協力に対する消極的な考え方も見受けられます。自らの経済や社会の元気と自信を一刻も早く取り戻すことは喫緊の課題であろうかと思います。
 しかしながら、私は、自らの繁栄を平和で安全な世界の自由貿易体制に依存する我が国にとりましては、国際社会共通の課題に応分の負担や協力を果たしていく責務があり、国際社会における長期的な国益につながる国際協力を打ち切ったり、あるいは性急に削減するべきではないのではないかと思っております。こうした考え方に立ちますと、我が国は、国連のような国際機構の下で行われる国際平和の維持、回復のための実力行使や人道支援活動への参加には積極的であるべきと考えております。
 ところで、国連は、世界各国が得意な分野を持ち寄りまして国際社会全体として最も効果的な行動を取るための掛け替えのない場であると考えております。しかしながら、イラク問題への対応をめぐりましては、世界の平和と安全の維持に主要な責任を有します安全保障理事会の在り方あるいは国連の在り方に少なからぬ疑問が出てまいりました。
 私は、人類が国連に代わる国際機関を持ち得ていない現在、我が国は国連憲章の掲げる理想を追求し、その機能の強化に努めるべきであると考えております。我が国の安保理常任理事国入りは、国連が幅広い手段で国際平和を実現していくことに不可欠であると思います。また、そのことを通じまして国際社会における日本の役割と貢献を更に高めていくことができるのではないかというふうに確信をいたしております。
 我が国が国際平和活動や国際協力に、より主体的、能動的に取り組んでいくためには、国民一人一人の理解が不可欠であります。とともに、国家の基本法たる憲法本文に国際協力の理念や国際機構の活動への参加を明記することが必要ではないかというふうに考えております。
 以上で、私の意見表明を終わります。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 山本保君。
○山本保君 公明党の山本です。
 今日、三人の先生のお話を伺っておりまして、専門的過ぎて分からないところもあったんですが、大変面白いことといいますか、私自身にとってなるほどと思ったことがあります。それは、三人の先生といいますか、三人とも、今の現実の政府が進めている政策について、その幅はあれ、いや、もっともう少しいい方法もあるのではないかということでは大体一致していた。ただし、かといってその議論がつい、私も含めて、今日私は質問はしませんでしたけれども、前回までの自分も含めまして、政府に反対すれば憲法を守り護憲であって今までの政策に反対する立場であるとか、また、今の方法がいいと言えば政府とは全くべったりでアメリカと同じことなんだというか、こういうような議論じゃなかったんだな、ないなということを強く感じたわけです。
 最後に猪口先生も分かりやすい話されていただいた中で、戦争でもない平和でもない、正に今までの意識である戦争とか平和という我々が考えてきたというかこの二十一世紀の、二十世紀までの国際関係の中のものとは違う形でもう議論をしていかなくちゃいけないんじゃないかということをおっしゃったような気がするわけですけれども、それをお聞きしまして、なるほど、そういう点が私たち欠けていたんではなかろうか。すぐに政局というか、何かイデオロギーというかそういうものでえり分けていくと。こういう議論がどうもこれまでこの分野での実りある議論にならなかった原因じゃないかななんてことを感じました。
 それで、今日のお話の中にもあったわけですし御質問の中にもあったわけですが、やはりこの国際問題といいますものはどんなにアメリカべったりだというふうに言われている人にしても、またもっと軍事力を強くすべきだという人にしても、決して世界の平和、世界が平和になるということについてはだれも変わりがないと私は思っております。世界を平和にしていく、少しでも戦争の悲惨やその中での苦しみと、また飢餓というふうなものをなくしていくという憲法が言っている理想についてはだれも変わらないと思っているわけでして、それをすぐ片方を言えばそうではないというような決め付けをすることがまずかったなという気もするわけですが、ただ問題は、そういう理想論と現実の国益を、国益若しくは今の日本の国民、今若しくは近い将来の国のための国益というものの間には必ずここには矛盾というか違う立場があって、その二つの立場の中で、実際には理想はこうだが現実にはこのようにせざるを得ないという妥協をしていかなくちゃいけないというのがやっぱり人間のまだ現実じゃないかという気がするわけですが。
 さて、そう考えてみますと、どうもこれまでの日本の外交というのはそのような、どちらにしたらいいのかこの両方の矛盾の中に悩みつつこれを選び出していった、若しくはぎりぎりそういう選択をせざるを得なかったというようなものはどうもなかったような気がしてしようがない気がするんですね。ですから、ここのところがどうも大きな問題であって、確かにその二つは違うわけですから、必ず違うわけですから、どんな判断をするにしてもその矛盾の中での苦しみみたいなものが分からなくちゃいけないと思うし、そういうもののはずなのに、どうも日本はそんなふうな判断ではなかったような気がするという気が、そういうふうに思いました。
 そこで、例えば自民党の先生方には申し訳ない言い方になるかもしれないけれども、私としては、ここで憲法を改正する、九条条文を改正するかどうかとかというような議論を、もちろん大事な議論なんですが、それと並行若しくはちょっと先行させて、具体的に日本がこのアジア地域、日本とアメリカの関係又は中国との関係、アジア、ASEAN等との関係、こういうものの中で、理想はどういうものであるけれども、そしてその理想の長期的理想はこうであり、また短期的な理想はこうであるけれども、しかし今現実に日本が行わなければ、アメリカ、今日お話あったような一極主義のようなそういう力を持ち、アメリカの平和ということを作っているこういう中で、日本がしかし現実にはその中で動かなくちゃならないわけですから、そういう具体的な議論をもっとすべきではないかと。その中で、これではこの憲法がやはりここがどうしても桎梏になっておって変えざるを得ないという判断がされるべきなのであって、今までの訓詁注解憲法学者のような、いないから言いますが、矛盾しているからとか、この言ったことと違うからとか、そういうところから憲法をどうするかという議論をするのではない方法を考えなくてはならないのではないかなということを今日感じましたので、ちょっと抽象的になってしまったかもしれませんが、私の個人的な見解としてお話しさせていただこうと思います。
 ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 松井孝治君。
○松井孝治君 民主党の松井孝治でございます。
 今の山本議員の御発言にも関連するわけでありますが、今日の参考人お三方の中で、お二人が東アジアについてあるいはアジア諸国との協力関係について述べられているというのは非常に興味深かったわけであります。
 我々が新たな憲法を議論する際に、従来であれば、主権国家という枠組みの中でその統治構造どうあるべきかというのは当然憲法上の大きな論点になるわけですが、これだけ世界経済グローバル化してまいりますと、正にヨーロッパ諸国がそうであるように、統治構造の在り方を考える上でも、一国の中での中央政府と地方政府、あるいはNPO、NGO的なものの関係に加えて、国際社会の中でどの程度国連に信頼を寄せるのか、あるいは国連以外の地域的な協力の枠組みに信頼を寄せるのかということを議論することが必要なのではないかと思われるわけであります。
 その意味で、今も議論になりましたように、国連があり日米関係があるというような枠組みの中で、主権国家としての日本がどういう安全保障についてのビジョンを持つのかということを議論するに当たっても、あるいは経済的な問題を議論するに当たっても、この日本自身が位置する東アジア地域をどうとらえるのかということについて何らかの我が国が憲法上のある種のイメージを持つべきではないか、そういうふうに考えるわけであります。
 具体的に東アジアというような規定を憲法上に置くかどうかは別でありますが、やはり近隣諸国との関係、どのような関係を持つのかについての何らかのビジョンがやはり憲法論議にあってはしかるべきではないかと思います。ひょっとしたら、東アジアという枠組みではなくてアジア太平洋という枠組みかもしれませんが、いずれにしても、これから憲法上の議論をするときに当たって、我々としてそういうリージョナルな、地域的な信頼醸成をどう持っていくのか、それが共同体というような固いフレームワークなのかどうかは別として、そこを一つ大きな論点として視野に置かなければ、安全保障面においてもあるいは経済あるいは貿易面においても、あるいはもっと幅広く社会文化的な面においても、地域協力の枠組みをどう位置付けるかというのは大きな論点として、今日の参考人お三人の議論を伺っていて、その点を憲法調査会としてきちんと議論をしなければいけないなというふうに感じたわけでございます。
 以上でございます。
○会長(上杉光弘君) 小泉親司君。
○小泉親司君 私は、日本国憲法と国際平和活動、国際協力の問題に関連して幾つか発言をしたいと思いますが、まず私はこの問題の大前提として、何よりも国連憲章に基づく平和の秩序を作ること、これを目指すということ、この国連中心の活動を大いに進めるべきだというふうに考えております。
 御承知のとおり、日本国憲法は国際紛争の平和的な解決を明記しました国連憲章を一層徹底させているという点で、戦力の不保持、戦争の放棄を明記しているというふうに思います。
 私も何遍も国連を取材して、十年ぐらい前ですが、比較的国連の場で知られていないのは、国連の玄関には鉄砲の銅像がありまして、この銅像というのは銃口がねじ曲げられているわけですね。つまり、撃ってもどこにも飛ばないという像がありまして、比較的これは余り知られていないことなんだけれども。
 当然、その理想に求められているのは、やはり紛争を、国際紛争を平和的に解決すると、軍事力による解決という方向じゃなくて、平和的な、話合いによる、交渉による解決を徹底して追求するんだと、ここが私は非常に国連憲章が目指している平和の理想だと思います。
 その点で、私たちは、例えば今、東アジアの問題が出ましたが、今、六か国協議という形で北朝鮮問題が非常に進められている。特に核兵器の廃棄及び拉致問題の解決などについて真摯な議論が行われているという点では、これをやはり徹底的に追及していくということが大事だと思います。特にこのことは、今日アメリカが大変、今日の参考人の質疑でも出ましたような一国覇権主義、単独主義とも呼んでおりますが、こうしたことを強めている中で大変重要になっていると思います。
 先ほども同僚委員からも御議論がありましたが、イラク問題で言いますと、私は、先ほど御意見が出ましたが、国連安全保障理事会で大変イラクの大量破壊兵器の保有問題について真摯な徹底的な、査察を通じてこれを解決していこうという努力があったということは、これは私も湾岸戦争のときにも取材しましたけれども、それと比べても大変真摯な議論だったというふうに思います。それは、イラクの戦争を絶対起こさないという国際世論が非常に強かったことを背景にしていたというふうに思います。
 それは、大量破壊兵器が既に見付かっていなくて、その根拠もない、大義のない無法な戦争だったということを、大変こういうところの根源があったということは大変重要な議論なんだけれども、その一方で、アメリカがこうした査察強化、それによる大量破壊兵器の廃棄ということを一方的に打ち切って武力行使に踏み出したというのは大変大きな問題で、私たちが強くこの点について反対したことはもう御承知のとおりだというふうに思います。
 ちょっとこの点だけ触れさせてもらうと、今やはり米英占領軍の枠組みでイラクの問題は進んでおりますが、私たちは何よりもこの枠組みを国連中心に切り替えると、このことがイラクの復興のためには何よりも重要だということを強調させていただきたいと思います。
 もう一つ、私、お話ししたいのは、国連の平和維持活動にどう取り組むのかという問題でありますが、私たちはもう既に九一年にこの立場を大変明確にしておりまして、一つは、憲法の平和原則を厳格に貫くという点であります。
 これは、国連の正当な平和維持活動に協力する場合でも、やはり私たちは憲法の平和原則をもって、平和維持軍や停戦監視団などの軍事的性格を持った活動は協力の対象としない、選挙監視や非軍事的性格の活動に厳格に限定するという立場を貫くことが大変私たちは大事じゃないかなというふうに思います。
 二つ目は、国連の決議や活動のすべてを無条件に絶対化することなく、国連憲章の基本に沿った自主的な判断を行うべきだと思います。
 例えば、国連の平和維持活動の歴史の中では、例えばコンゴに軍事干渉したりしまして、PKO活動と言いながら、実際には他国の自決権を侵害するようなことが、間違った対策が取られたこともあるわけで、この点では、国連の自主的な加盟国として、やはり日本国憲法の精神、国連憲章の本来の精神に沿って、よく個別に吟味して、それぞれ自主的な対応をしていくことが大変大事だというふうに思います。
 最後に、もう一つだけ触れさせてもらうと、国連安保理常任理事国入りの問題です。
 私は、これは日本は国連加盟に当たって、日本国憲法の許す範囲で国連に対する協力はするということを明らかにして国連に、つまり、軍事協力を必要とするような国連の義務は負わないということを国連に通告して加盟したわけですから、特に国連の場でも、実は今、軍事参謀委員会というのは現実に今あるんだけれども休業状態で、国連の部屋の中には、私が行ったときは四十七階ぐらいにあったんだけれども、その国連軍事参謀委員会は、国連憲章四十七条によりますと、常任理事国の参謀総長又はその代表者が軍事参謀委員会を構成すると、国連による軍事制裁のために各国が提供した兵力の戦略的指導についても責任を負うというふうに明記しておるわけで、日本が常任理事国になるということは、必然的に、自動的にこの軍事参謀委員会に加わるということになるわけですから、その意味で、私たちは、憲法九条が禁止している武力行使に責任を持つことになる、兵力を出す出さないにかかわりなく国連の軍事活動の中枢を果たす安全保障理事会常任理事国になることは、憲法の平和条項とその精神に真っ向から反するという点で反対であります。
 こうした点で、大変、国際活動への関与と称しまして国連安保理が志向されていますが、私たちは、こういう軍事力の貢献じゃなくて、やはり途上国における貧困の撲滅、南北問題の解決、世界環境問題の解決など、ユニセフですとかユネスコですとかWHOなどの国連機関による取組に日本がもっと積極的に協力するということが重要であって、日本国憲法の平和原則、民主的な原則に基づく貢献を大いに重視すべきだというふうに考えております。
 以上でございます。
○会長(上杉光弘君) 若林秀樹君。
○若林秀樹君 民主党の若林でございます。
 今日の参考人の御意見に触発されまして、今日のテーマであります国際平和活動、国際協力について少し私の意見を述べたいと思います。
 今日伺っていて感じたのは、やはり平和というものをどう定義していくかということがこれからやっぱり重要なんではないかなと思います。平和主義、だれもこれは反対はしません。一切の戦争を悪としてそれを否定する。しかし、平和というものが、やっぱり戦争がない安定した穏やかな状況であるということに定義とするならば、それをどうやって維持し、壊れたらそれを作っていくか、そのことにどうやって日本が関与していくかということが重要なんではないかなというふうに思っております。
 そういう意味で、私は、平和維持、創造するための多段階な段階があるんではないか。その第一番目が、ある意味での予防外交的ないわゆる民主的なルールを作り、そして政府の統治能力、いわゆるキャパシティービルディング的なものに対してしっかり支援していく、そしてある部分では、やっぱり警察的なそういう治安維持、社会を監視するこういう警察的な力もやっぱり必要でしょう。そしてまた、その平和が壊れ、紛争が起きれば、それを力で抑える部分も必要なのかもしれません。そしてその中で、平和維持活動、いわゆる平和構築とかそういうものも必要ですし、そしてすべて治安が整って、そして復興支援という段階に来ると思うんですよね。
 日本は、やはりこれまで、やっぱりすべてが整って、さあ、どうぞといって復興支援にやってきたというのがこれまでの日本の国際協力の在り方だったんではないかなというふうに思います。
 それはそれでいいんですが、今申し上げたように、平和を維持、創造するというのは、多段階な状況があって平和維持ということであれば、日本の国際貢献の責任として、やはり多段階な平和維持、創造のためにやっぱり出ていくということが必要ではないかなというふうに思っておりますので、最近のその平和構築、あるいは今日ありました民主化支援プロジェクトも必要ですし、PKOも必要ですし、ある国連の下に置ければ、そういう平和維持的な治安というものに対してどう日本として貢献していくのか、必要なところへも踏み出していくことも私は必要なことではないかな。
 最終的には、それぞれの段階でその国によって得意分野、不得意分野があって私はしかるべきだなというふうに思いますので、その得意における日本の国際貢献の在り方、日本らしい、ほかの国とは、日本らしいやり方をどうしていくのかということがこれからの議論の中で求められているんではないかなというふうに思いますし、その中で本当に日本の国際貢献の在り方として憲法の中身と違うんであれば、それは国民の議論の下で変え得るんではないかな。そういう模索はこれからも続くんだろうというふうに思います。
 そのことを申し上げて、私の意見としたいと思います。
○会長(上杉光弘君) ほかに御発言ございませんか。
 田英夫君。
○田英夫君 先ほど民主党の方が東アジアの共同体、廣野さんが言われたこと、その視点を持つべきだということを言われましたが、私も全く賛成であります。
 私どもの主張は、日本と中国と韓国、ロシア、そしてモンゴルと、こういう国々で東アジア地域のフォーラムを作るべきだと。まさしく東南アジア地域フォーラム、ARFですね、これと同じようなものをこの東アジアに作る。そして、安全保障といっても、軍事的だけではなくて、むしろ経済的な結び付きを中心にした安全保障体制を作るべきだと。その前段として日本と南北朝鮮とモンゴルの間で非核地帯条約を作ると、そのこと自体がその地域の信頼醸成につながると。
 このことは、実は、北朝鮮がそこに入ってくるわけでありまして、今問題の、北の核武装の問題を一挙に解決できる、そういう問題につながると思います。南北朝鮮の間では一九九二年に朝鮮半島非核化合意というのが既にできているわけですから、これを具体化する一つの方法でもあります。
 そして、ASEANプラス3ということを先ほど廣野さんも言われましたが、この場合はこの東アジア地域フォーラムプラス1と、その1はアメリカであります。そういう形で、もしこの地域フォーラムが国連の承認の下に、そしてアメリカ政府も認めるというものになってくると、日米両国政府が承認をし、国連が認める安全保障機構がこの地域に、日本を中心とする地域にできると、日米安保条約というものは第十条によって解消をいたします。そのことが目的ではないと思いますが、そういう状態がこの東アジアの地域にできることが非常に重要ではないかと思います。
 もう一つ、別のテーマを、これはささやかなことですけれども、廣野さんがやはり言われた青年海外協力隊ということを私どもは国際協力の中でもっと重視すべきではないかと思います。
 今は実にささやかな活動です。毎年二回、若い二十歳過ぎの人たちが出掛けていくわけですが、大部分は、隊という名前が付いていますが、一人ずつですね、単独です。それで、発展途上国に行って、男女ですが、日本の文化を教える、そういうことも含めて様々な活動をしておりますが、もっとこれは、JICAがやっているわけですけれども、政府の予算も付けてもっと大規模なものにしていくべきではないかと。私も送別会には努めて出席するようにしてまいりましたが、もっともっとこの活動を国際協力という視点で大きく発展させるべきだということを主張したいと思います。
 終わります。
○会長(上杉光弘君) 他に御発言もないようですから、本日の意見交換はこの程度といたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時十四分散会

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