II 憲法調査会の5年間(平成12年1月~平成17年4月)

(報告書15~37頁)

 まず、平成12年1月に始まる最初の1年間は、主に憲法の前提となる「国のかたち」について、文明論・歴史論的な観点も踏まえ、各方面の有識者を参考人として本調査会に招き、議論を行いました。特に、憲法の制定過程に関しては、実際に起草に携わった元GHQ(連合国最高司令官総司令部)のスタッフをアメリカから招き、意見を聴きました*。翌平成13年からは、憲法各分野別の調査に入ることとし、「総論」、「国民主権と国の機構」、「基本的人権」、「平和主義と安全保障」の4つのテーマを設定し調査を行いました。これらの調査が終了した平成16年秋からは、憲法全般にわたる補充調査を行い、締めくくりの委員相互間の意見交換を行った後、平成17年4月20日に報告書を議長に提出しました。

 その間、平成16年2月には「二院制と参議院の在り方に関する小委員会」を設置して集中的に議論を行い、小委員会報告書をまとめたほか、平成14年2月には国民主権と国の機構について、同年5月には基本的人権について、平成15年6月には平和主義と安全保障について、また、平成17年2月には今後の日本と憲法について広く国民からの意見を聴くため、それぞれ公聴会を開会しました。これまで本調査会に出席し意見を述べられた参考人は118名(小委員会を含む)、公述人は31名に及んでいます。

 さらに、海外における憲法事情を調査するため、本調査会所属議員を中心とする議員団が4回にわたって海外に派遣されました。

*元GHQスタッフの発言の概要は以下のとおりです。

ベアテ・シロタ・ゴードン元連合国最高司令官総司令部民政局調査専門官

 人権に関する草案作成は、22歳だった私を含めて3人。私は戦前、10年間日本に住み、女性に全く権利がない実態をよく知っていたため、日本の女性にはどんな権利が必要か考え、各国憲法を参考に起草した。ケーディス民政局次長らは、女性の権利には賛成したが、社会福祉の点について、詳しい事項は民法に書くべきだとして削ってしまった。交渉過程において日本政府が反対し大議論になったが、最終的には24条が歴史に残った。


 日本国憲法は米国の憲法よりもよいものなので、押し付けとは思わない。いい憲法なら守るべきだ。憲法を考えるに当たっては、日本の女性の声を聞いてほしい。

リチャード・A・プール元連合国最高司令官総司令部民政局海軍少尉

 私は当時26歳。天皇と条約関係の委員会の長だった。明治憲法下で軍国主義者が天皇の権限を悪用したことから、新憲法草案では天皇の役割を大幅に削減することになっていたが、天皇がこの方針を支持したことも有益だった。我々が目指した立憲君主制では、天皇は統治権を持たず象徴としての役割を果たすものだった。「象徴」という言葉の翻訳は困難だったが、日本政府も満足する方法で解決された。


 9条について、軍事力を永久に放棄することに懸念を表明したが、マッカーサーの発案だとして一蹴された。現在のあいまいさには終止符を打つべきだ。しかし、憲法は全体の改正ではなく、必要が生じた場合に個々の問題について検討すべきだ。

ミルトン・J・エスマン元連合国最高司令官総司令部民政局陸軍中尉

 当初、私はGHQが草案を起草することに反対した。新憲法が外国の押し付けと見られ、占領後に存続できないと考えたからだが、憲法は日本国民の政治的願望を表現していたため、日本国民に受け入れられ擁護された。


 憲法で何よりも重要なのは基本的原理であり、これが尊重される限り、将来直面する問題は、条文の合理的な解釈で解決できる。正式な憲法改正は最後の手段だ。


 また、当時の民政局の人間は、日本が国際社会に復帰した場合、国連による国際平和と秩序維持活動に主導的役割を果たすことを希望していた。

(※エスマン氏は健康上の理由で欠席したため予定原稿が代読されました。)

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