改正、最高法規 参考人名
公述人名
回次 -

1 改正手続と国民投票法制

憲法改正
  • 改正は憲法自身が認めるところであるが、憲法全体を改正しようとすれば、手に負えないような提案がなされ、パンドラの箱を開けるようなことになるので、必要が生じた場合にのみ個々の問題についての改正を検討すべき
リチャード・A・ プール 147 7 - 5
  • 憲法問題の関係者や憲法修正に関心のある人たちは、国民の間に本当に改正への要求があるのか、またそうした要求がもたらす結果を和らげる方策があるのかについて、広く意見に耳を傾けるべき
リチャード・A・ プール 147 7 - 5
  • 指摘されている様々な問題及び予見できないような問題を憲法改正で処理しようとすると細かい事柄まで立ち入ることから、さらに多くの変更が必要となるので、むしろ法律や司法上の解釈により解決されるべき
リチャード・A・ プール 147 7 - 5
  • GHQ内では、憲法制定後10年間改正を禁止し、その後に国会が憲法改正を審議すればよいという案なども検討されたが、内部の非公式なものにとどまり、日本政府に提出されたものではない
リチャード・A・ プール 147 7 - 13
  • 憲法の条文が変わらなくても、解釈や附属法により憲法の中身が大きく変わる一方、条文を変えても、理解が古いままでは余り意味がないということがあり得る
飯尾 潤 151 3 - 3
  • ドイツでは60回も戦後憲法を改正しているが、日本と違い、憲法に対する基本的な信頼があり、政権交代があっても憲法自体に対する信頼は変わらず、その下で部分的な改正を行っている
戸波江二 155 3 - 2
  • 憲法改正は、制定されてからの期間の長短ではなく、最高法規としての憲法原理が歴史の発展に耐え得るか否かで決めるべき
上田勝美 156 6 - 13
  • 憲法改正とは、憲法制定時に考慮の外にあった事態が現実となったときに、その現実と憲法を適合させ、更に長期にわたる憲法の適用を確保するための手段
竹花光範 159 7 - 4
憲法改正の限界
  • 憲法改正の限界に関して、草案では当初は3章の人権条項について改正を禁じていたが、マッカーサーがその制限を削除した
リチャード・A・ プール 147 7 - 14
  • 憲法は、修正対象について、限度も制約も設けていない。前文は憲法のトーンを定めるもので、民主的な憲法であればずっと存続できるとことを意味する。修正は理論的には可能であるが、全部改正や多数の条項を改正することは賢明ではない
リチャード・A・ プール 147 7 - 17
  • 改正には内容上の限界があり、それを画する判断基準として平和的生存権、戦争放棄及び軍備不保持に集約された世界平和主義は、擁護すべき優先的な価値を持つ
浦田賢治 151 8 - 2
  • 憲法制定権論を認めない立場からも、認める立場からも、「3分の2」条項を「2分の1」条項に変更することはできない
浦田賢治 151 8 - 2
  • 平和的生存権条項を変えることは、憲法の基本原則を変えることになるので、アメンドメント方式によってもできない
浦田賢治 151 8 - 11
  • 日本では条文の文理解釈が憲法運用の基準とはなっておらず、憲法改正によっても変えることのできない基本価値が存在し、それを前提に運用がなされていると推測されるが、その基本価値とは和であり、これは、ドイツの連帯の思想に相当すると言える
平松 毅 156 2 - 3
  • 歴史の発展という法則を前提とし、歴史の発展に即して人権の幅を拡張するなど民主主義の要素をより強固なものにする制度改革は無限界であるが、平和主権憲法の改正は、逆行であり、認められない
上田勝美 156 6 - 12
  • 同一性、継続性を損なうような憲法の変更は、その憲法の定める改正手続に従って行われたとしても、既存の憲法の廃棄と新憲法の制定とみなすべき
浦部法穂 159 7 - 1
  • 憲法改正の内容的正当性については、既存の憲法の内容の正当性を継承しているという以外には、実定法秩序内部で根拠付けることはできない
浦部法穂 159 7 - 2
  • 同一性、継続性を損なうような憲法の変更をも改正と呼ぶことは、憲法所定の手続に従ったことにより合法性という衣を着せ、その変更が実体的正当性を持たないことを覆い隠す作用を営む。改正か現憲法の廃棄と新憲法の制定かは、明確に区別することが必要
浦部法穂 159 7 - 2
  • 現憲法の廃棄であれば、それなりの必要性が認められなければならず、また、憲法制定権者である国民にもそれなりの覚悟が要求される。現憲法の廃棄と新憲法の制定を提案するのであれば、それを明確にして提案すべき
浦部法穂 159 7 - 2
  • 現憲法の廃棄と新憲法の制定とみなすべき場合としては、(1) 憲法全体の変更、(2) 9条の変更、(3) 改正手続の変更、(4) 国民の義務の追加ないし強調等が挙げられる
浦部法穂 159 7 - 2
  • 96条が憲法改正について、「この憲法と一体を成すものとして」としていることからも明らかなように、憲法は全体の変更を予定していない
浦部法穂 159 7 - 2
  • 9条を変更して自衛戦争や武力行使、戦力保持を認めるようなことは、憲法の基本原理の大きな変更となるだけでなく、憲法の構造にも大きな変更を加えざるを得ないものであり、改正の限界を超える
浦部法穂 159 7
7
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-
3
12
  • 憲法の平和原理は、前文、9条1項及び2項が一体となって歴史的及び比較憲法的に有意なものとなっており、9条2項のみの改正であっても平和原理の重大な変更となり、改正の限界を超える
浦部法穂 159 7 7 - - 3 12
  • 憲法改正権は制度化された制憲権であり、制憲権者である国民が自らの手に留保している権限を制約・縮小するような改正規定の変更は、制憲権の所在と権限に変更を加えることになり、改正の限界を超える
浦部法穂 159 7 - 3
  • 現憲法は、憲法制定権者である国民から国政運営担当者への命令という性格を持つが、国民の義務の強調はこの基本的性格を大きく変更することになるため、改正の限界を超える
浦部法穂 159 7 - 3
  • 「この憲法と一体を成すものとして」とは、憲法と同じ国の最高法規としての効力を有することを意味する文言であり、全面改正を禁止する文言ではない
竹花光範 159 7 - 3
  • 国民が主権者であることから、主権者の決断により、いかなる条項も改正可能とする改正無限界説が妥当と考える
竹花光範 159 7 - 3
  • 主権者が自由に意思表明を行えない時期における憲法改正を禁止する、憲法改正の時期的限界について考える必要がある。具体的には、被占領下における改正の禁止、非常事態宣言が発せられている間の改正の禁止が考えられる
竹花光範 159 7 7 - - 4 5
  • 今日の主権者が過去の主権者に拘束されることはあり得ない。9条等にある「永久に」という文言は憲法制定者の意思表明にすぎず、憲法改正の限界ではない
竹花光範 159 7 - 12
  • 憲法改正に関するすべての責任は主権者たる国民に帰責されるべきであり、主権の所在の変更を伴わない限り、憲法改正の限界は、主権者の賢慮による自己拘束の問題にとどまると考える
土井真一 159 7 - 7
  • 憲法改正により、憲法改正の際の国民投票を廃止することも理論的には可能と考える
土井真一 159 7 - 12
  • 国民投票制を採用している限りは、主権者以外の何らかの法的権威を用いて憲法改正の限界をコントロールすることは理論的に難しい
土井真一 159 7 - 13

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