第3部 主な論点及びこれに関する各党・各議員の意見

[総論]

1 憲法制定過程とその問題点

 現行憲法の制定過程をめぐっては、連合国最高司令官総司令部(GHQ)の関与度は極めて大きく、押し付け憲法であって、自主憲法とは言えないのではないかとの意見がある一方で、日本国民はこの憲法の登場を熱烈に歓迎し、国民の支持の下でつくられたので自主的といって差し支えないとの意見がある。

 憲法制定過程の検証が憲法調査における重要な論点であることは当然であるが、憲法調査会発足当初のテーマ設定において、

  • GHQが制定過程に大きな影響を持ったのは事実であろうが、だから自主憲法を制定すべきとの議論は誤り。少なくとも戦後50年、憲法は現実社会の中で生き続け、特に9条について二度と戦争はあってほしくないとの国民感情が強くあった(公明党)、
  • 既に内閣憲法調査会による詳細な報告書が出ている制定経過の検証より、国民各層各界の憲法に対する考え方について十分調査すべき、
  • 制定過程を問題にするのであれば、当時の民衆が憲法に対してどのような反応を示していたかを調査すべき、

などの意見が出され、制定経過の検証より、現状を踏まえながら未来志向の議論を優先すべきとの声が強かった。

 本憲法調査会においては、憲法の在り方等をめぐる議論において、現行の憲法は自主的につくられたものではなく、GHQの押し付けであり、瑕疵のあるものではないかとの意見がある一方、制定から改正は行われておらず、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重といういわゆる憲法の基本三原則をはじめとして、日本国憲法が我が国に定着していることを考えると、この瑕疵は治癒されたと見るべきではないかとの意見が出された。

押し付けであり瑕疵があるとの意見
  • 現憲法は、戦後、米国にある意味で押し付けられた憲法である、
  • 米国の占領軍により強いられた憲法であり、軍人を中心とする少数の人の手で1週間でまとめられた憲法を60年近く見直すことがなかったことは名誉なことではない、

などの意見が出され、これに対して、

瑕疵は治癒されたと見るべきとの意見
  • GHQが制定過程に大きな影響を持ったのは事実であろうが、少なくとも戦後50年、憲法は現実社会の中で生き続け、特に9条については、二度と戦争はあってほしくないとの国民感情が強くあった(公明党)、
  • 現憲法が押し付けだから改正すべきとの立場は採らない。日本は大戦の過程で、自由・平和・民主主義・人権・共生のような共通の価値の実現に向けた世界の歩みから外れ、敗戦と戦後改革は、元の道に戻る過程であった。現憲法は世界が共有する諸価値を高く掲げ、世界の歴史の流れに沿ったものであり、だからこそ国民も心から受け入れた、

などの意見が出された。

 また、現行憲法の法的効力に関して、占領下に制定されたため、占領地の法律の尊重を定めたハーグ陸戦条約(陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約)の条約附属書の規定に違反し、無効と解する立場があるが、この点については、

  • 現憲法は占領下に制定されたものであり、国際法(ハーグ陸戦条約)に違反するとの意見があるが、同条約に言う占領下とは交戦中の占領下と解するのが通説、

などの意見が出された。

(参考)元連合国最高司令官総司令部(GHQ)民政局スタッフの発言概要

 本憲法調査会では、憲法が制定されてから半世紀以上が経過し、起草時を知る証人が少なくなっていることにかんがみ、その証言を得るべきとの声があった。

 そこで、連続して調査を行うテーマとしては憲法制定過程の検証は特に取り上げないが、マッカーサー草案の起草に携わった連合国最高司令官総司令部(GHQ)民政局のスタッフがまだ存命している間に、参考人として憲法調査会に招き、その発言を会議録に残すと同時に、調査の中心内容とすることとした。

 平成12年5月2日に憲法調査会に3名のスタッフを招き、意見を聴取し、質疑を行った。

 発言及び質疑の内容は第147回国会参議院憲法調査会会議録第7号に掲載されているが、歴史的にも貴重なものであることから、特に本報告書においても、スタッフの発言の概要を記載することとした。各参考人の発言等の概要は以下のとおりである。

○ベアテ・シロタ・ゴードン氏
 (元連合国最高司令官総司令部民政局調査専門官)

 人権に関する草案作成は、22歳だった私を含めて3人。図書館に行って、いろいろな国の憲法を参考に集めた。私は日本の女性にはどんな権利が必要か考え、各国の憲法を参考にしながら、女性の権利を起草した。私は戦争前に10年間、日本に住んでいて、女性に全く権利がない実態をよく知っていた。

 当時は女性の権利が全然なかったので、配偶者の選択から、妊婦が国から補助される権利まで全部、具体的に憲法に詳しく書き込みたかった。草案作成を指揮していたケーディス大佐(民政局次長)らは、私の草案の女性の権利には賛成したが、社会福祉の点については「そういう詳しいものは憲法に合わない。民法に書くべきだ」と言い、両性の平等などに関する24条などを残した。交渉過程において、日本政府は「女性の権利は日本の文化に合わない」と主張し大騒ぎになった。私は通訳を務め日本側からも好意を得ていたので、ケーディス大佐が「シロタが女性の権利を心から望んでいるので、それを可能にしよう」と言い、日本側も私が書いたことを知りびっくりしたものの、「ケーディスの言うとおりにしよう」と言って、24条が歴史に残った。

 日本国憲法は米国の憲法よりもよいものである。自分が持っているよりもよいものを「押し付ける」ことはないから、日本国民に押し付けられたとは言えない。日本における進歩的男性や少数の目覚めた女性は、国民の権利を記した憲法を望んでいた。日本は他国から文字、宗教、その他の文化を取り入れ自分のものとすることで発展してきた。ほかの国から輸入した憲法でも、いい憲法なら守るべきだ。

 憲法を考えるに当たっては、女性の声を聞いてほしい。日本の女性の大勢が、現行憲法は日本に適していると思っている。日本は憲法のおかげで経済が進歩し、テクノロジー、教育などを発展させ、世界で重要なパワーとなった。この憲法は世界のモデルと言えるからこれまで改正されていない。人権については憲法改正ではなく、法律改正で対応できる。

○リチャード・A・プール氏 (元連合国最高司令官総司令部民政局海軍少尉)

 私は横浜生まれで、先祖にはペリー総督時代の総領事もおり、代々日本との縁が深い。当時26歳だった。天皇およびその他の事項担当の委員会の長となった。

 われわれが憲法の草案を作成した背景には、狂信的な国粋主義者と軍国主義者が明治憲法を隠れ蓑に、アジアなどへの侵略を行ったことがあった。明治憲法では主権は天皇に付与されていたが、この規定と憲法上の権利を停止させる権限を悪用し、天皇の名において軍事的侵略を行い政治的反対者を抑圧していた。

 明治憲法の改正が必要なのは明らかだった。新憲法草案では天皇の役割を大幅に削減することになっていたが、天皇がこの憲法を支持したことも有益だった。

 我々が目指したのは立憲君主制で、天皇は統治権を持たず、国家および主権者である国民の統合の象徴としての役割を果たすものだった。「象徴」という言葉の翻訳には困難があったが、日本政府も満足する方法で解決された。私自身は第9条には関与しなかったが、将来日本が主権を回復した後でも軍事力を永久に放棄するのかという点について、当時、現実的ではないとの懸念を表明したことはあるが、その時はマッカーサー元帥の発案によるものとして一蹴された。

 マッカーサー草案は数多くの日本の学者や研究機関の見解を反映し、その後の閣議や国会で修正されている。憲法起草過程よりも、その結果に焦点を当てることが重要だ。憲法の基本原則によって国民の利益が守られた。憲法改正は必要が生じた時にのみ個々に検討すべきだ。第9条第2項は、国際問題で責任を果たす必要を考えれば、防衛と国際平和維持活動だけに限定された軍隊の役割を明確にし、あいまいさに終止符を打つべきだ。この場合、侵略に苦しんだ国に二度とそうする意思がないことを保証することが不可欠だ。

 憲法全体を改正しようとするのはパンドラの箱をあけるようなもので、手に負えない提案が出てくる。必要が生じた場合にのみ個々の問題について改正を検討すべきだ。

○ミルトン・J・エスマン氏 (参考人予定者・当日原稿代読)
 (元連合国最高司令官総司令部民政局陸軍中尉)

 当時、私たちは日本の政府高官から頻繁に、厳しく、こんな警告を受けた。「日本の大衆は民主的政府を運営するまでに成熟していない。必要な教育を施せば一世紀かかる。民主主義を性急に設立しようとすれば災難につながる」と。だが、日本人の成熟度は十分だったと証明されつつある。

 当初、私はGHQが草案を起草することに反対した。民主的考えを持つ日本の学者とオピニオンリーダーが新憲法起草の仕事に参画することが重要と考えた。そうでないと新憲法は外国から押し付けられたと見られ、占領後に存続できないと考えたからだ。私の意見は退けられたが、その後の展開で私の考えが間違っていたことが証明された。憲法は日本国民の政治的願望を表現していたため、日本国民の大多数が自分のものとして受け入れ、熱心に擁護してきた。

 憲法で何よりも重要なのは基本的原理であり、これが尊重される限り、将来直面する問題は、条文の合理的な解釈で解決できる。米国では、環境保護など200年前の憲法起草者には考えられない問題も、憲法解釈で解決してきた。われわれ55年前の起草者も、解釈で政府が必要なことを行い、国際的義務を果たせることを知っていた。正式な憲法改正は最後の手段だ。

 当時の民政局の人間は、日本が国際社会に復帰した場合、国連による国際平和と秩序維持活動に主導的役割を果たすことを希望していた。

ページトップへ